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明王朝について語ろう

20041117wiki掲載 (以下はまだ未整理です)

テキスト修正したいかたは、「ボランティアについて」のページをご覧のうえ修正してください。


(1)「(鄭和)宋や清のスレッドがあるようなので明朝専門のスレを作りました。諸君、知られざる(?)明王朝について語ろう。 」(1)

(2)「前に明朝スレなかった?」(2)

(3)「>>2ミンミンゼミスレはあった。」(3)

(6)「>>3そういえば、宇都宮のみんみんって餃子屋は有名だね。」(6)

(4)「太祖洪武帝に二通りの肖像画があることは有名。」(4)

(5)「>>4オスとメス?」(5)

(7)「明の皇帝ってあまり知られてないけど個性的な人物が多いよね。洪武帝とか永楽帝とか、あと正徳帝(武宗)とか。それと宦官の専権が中国史上もっとも激しかったのも明代だといわれているし。」(7)

(8)「(from d)明王朝は中国史上において、皇帝独裁を完成させた王朝。同じ、宦官の跋扈した漢、唐では、宦官が皇帝の地位すら左右し得たのに対し、明では、皇帝の支持がある限り宦官は専権を振るえた。皇帝の支持を失えば、即、左遷、死刑。」(8)

(9)「やっぱり明って印象悪い。国号とは逆に暗い陰惨なイメージがある。海禁策とか宦官の専権とか」(9)

(10)「英宗(正統帝、天純帝)は非常に珍しい重祚の例。オイラート部の也先が長城を越えてきたのでのこのこ出かけていったら捕まってしまった。しょうがないので弟が皇帝になって戦いを続けて也先を押し返した。やがて釈放されて帰ってきたので、当然弟の皇帝とは険悪になる。弟が先に死んでくれたので、再び皇帝になった。しかし弟は実にタイミングよく死んでくれたよね。死因は何なんだろう。」(10)

(11)「そういう場合 大抵は暗殺」(11)

(12)「陽明学は明の時代に始まる。朱子学が頑迷固陋の儒学であるのに対し、陽明学はもっと人情を大事にしている印象がある。朝鮮王朝でこっちを採用していれば、もっと優しい国民性ができたものを。しかし、アンリ・ルソーにも通じる思想は体制側にとっては受け入れがたいものだったのだろうな。日本の幕末の志士たちの多くは陽明学を学んでいたというのは本当なんだろうか。」(12)

(13)「>>12 アンリ・ルソー・・・・・。」(13)

(14)「(参考)倉庫落ちした関連スレ。明王朝を語る(124)http://academy2.2ch.net/whis/kako/1010/10101/1010126616.html」(14)

(15)「(チャンドラ太郎)中国の科学技術が西洋に抜かれたのはこの時代に原因があるとみていいの?」(15)

(16)「>>15 だろうね。日本でいうと鎖国をしてたような時代だった。 どうも明は太祖の殺しまくりのせいで印象が悪い。 民衆にとってはいい時代だったらしいけどね。」(16)

(24)「>>16しかも日本と違って海外の文物を馬鹿にして受け付けなかったからなあ」(24)

(17)「「暗い」とか「陰惨」とかいうけど、その陰気さがこの時代のある意味で特色であり魅力でもあるんじゃないか。それに何だかんだいっても宋と違って、二百数十年間に渡って北方の国境線を維持し続けた功績は偉大だと思うが。」(17)

(21)「>>17明が目指してたのは遼金と宋の両方の皇帝を兼ねる元の方向だからね。漏れも奴児干萌え。まあそのせいで満州は今でも中国の東北部になっちゃったのだが。」(21)

(18)「中国諸王朝のうちで一番面白くない歴史を持つというイメージ」(18)

(19)「明代史に関する推薦図書を教えてください。(できれば一般書で)」(19)

(22)「>>19明史専門ってわけじゃないが三田村泰助の『宦官』(中公新書)なんかはどうだ?」(22)

(25)「>>19太祖に限れば、『超巨人、明の太祖朱元璋』堺屋太一訳(講談社)1986、文庫化2001/06」(25)

(26)「>>19ついでに『明の太祖 朱元璋』(壇上寛、白帝社)という本もある。」(26)

(20)「明ってDQN皇帝のイメージ」(20)

(23)「清代に李氏は延恩侯に封じられたよね」(23)

明の科学技術と航海

(27)「明の科学技術が遅れていたなんてトンデモない!鄭和の大航海を見よ。世界中の度肝を抜く、超巨大船団がアフリカまで逝き、キリンを連れて帰った。」(27)

(28)「あれほどの大航海が、その後、中国の対外膨張につながっていれば西欧の出番はなかったのでは・・・というのが世界史上、最大のIfのひとつ。と思っていたのだが、実は鄭和はイスラーム教徒で、あんな大旅行ができたのは世界中にはりめぐらされたイスラーム・ネットワークのおかげだったらしいということを最近、知った。」(28)

(29)「>>27明は政策で、科学技術を停止・逆行させました。鄭和の時代が、科学技術のピークだったんじゃないかな。」(29)

(30)「秦良玉は明代末期だったよね?」(30)

(31)「やはり鄭和の航海記録を処理したのが転機やね。 ところでガビン・メンジースという人によると「鄭和の記録を検証したら、彼が世界一周した可能性が出てきた」らしいけど そんな資料は実在するのかな? 根拠は航海記録の中の天体観測による星の位置らしいが、そんなものは全て焼かれたはずでは?」(31)

(81)「>>31鄭和の艦隊がマゼラン艦隊より先に、人類初の世界一周の成し遂げたのだとしたら、明王朝の人たちは「地球が丸い」という事実を証明して知ったのでしょうか?」(81)

(85)「>>81地球が丸い事は、古代ギリシャ人でも知ってたよ。聖書の原理主義者だけがそれをムキになって否定してただけ。」(85)

(86)「>>85同意。キリスト教が広まって考え方が退行してたのだ。」(86)

(87)「明人でも儒学者だけは、地球が平らで、なおかつ四角いと信じていた。平らだけど円いと思っていた教会の神父よりひどい。」(87)

(88)「>>85いや劇的に行動で証明して見せたのは、世界一周でしょう。当時の人間は引力の法則がわからなかったので、多くの人が地球の球体説に疑問を持っていた。それにギリシャ人が知っていたからと言って、中国人は知っていたんですか?文献が残ってないのはおかしいし、ヨーロッパ人より先に地球儀とか作ってないとおかしいでしょう。イギリスの歴史学者の調査らしいけど、中国の歴史学者はどう思ってるんでしょうね。」(88)

(89)「>>88日食、月食の正確な日時を算出したということからして、中国の天文学者は知っていて当然だというのが状況証拠。月食が地球の影(影は丸い、つまり地球は丸い)ということを知らずして、どうして日時が算出できよう。もっともソースなんてないし、研究した人がいるかどうか知らないけど。」(89)

(92)「>>87儒学者と言えば、日本の儒学者だった林羅山も、地球が丸いことはがんとして認めなかったらしい。「万物には上下があるのだ」と言って。織田信長はあっさり納得したらしいけど。」(92)

(93)「儒教の五経の中の『周易』に天は丸く地は方形であるとの記述があったと思う。おそらくそこからだろう。なお色については天は黒く地は黄色だとも述べていたと思う。が、江戸時代ともなると洋書の漢訳などを読んで地動説を理解する儒学者もいたことが確か知られていたような気がする。『日本の宇宙観』という本にそんなことが出てた気がする。」(93)

(97)「>>89例え天文学者が知っていようと多くの人のコモンセンスにならなければ意味ないわな。キリスト教以前、以後関係なく人類は丸い影を目撃してきているわけだが丸いことに疑問を持つ人のほうが常に多数派だった。天文学というのは「時の支配」と密接に関係があるから権力者にとって重要な学問だったはずだが、天文学者から教授を受けた権力者はいなかったのか?いてもおかしくないはずだが。民衆の間では常識となってなくても上流階級や権力者の間では知られていてもいいと思うな。この辺も含めての状況証拠が無いとちょっと疑問符が付くね。」(97)

(98)「支那で地球球体説を(現在に文献が伝わってる範囲内で)初めて唱えたのは墨子。」(98)

(103)「(31)>>81 1428年のイタリアには世界地図があったらしい。だから、誰かがマゼランより先に地球上のほぼすべての地域を調べていたのは確かだと思われる。ただ、世界を一周したのか、それとも数回にわけて調査したのかはわからない。つーか、俺も知りたいんだよ。そのあたりの事情を。鄭和なら数回に分けてた可能性も否定できないし。」(103)

(104)「>>103そうした事実があったのだろう。おそらく何度かにわけて複数の人間の業績を積み上げながらの結果だろうな。しかしながら、調査した本人ですら1周したとは認識していなかっただろう。当然、地球を調べ尽くしたとは確信できなかっただろうしな。それを考えれば、同一航海で1周したことに意義があるんだと思うよ。これにより確信できたわけだから。逆説的にいえば、マゼラン以前に同一航海で1周したものはやはりいなかったのだろう。やはり、異なる航海、異なる船、異なる航海者による積み上げの実績がそのイタリアの世界地図だと思うよ。それよりも鄭和が世界一周したかもという根拠を知りたい。」(104)

(105)「 あれ?鄭和って世界一周したんだっけ?。アフリカ東海岸まではいったらしいことは知ってるけど。といったって、明の初期じゃ、「天円地方」の世界観あんだろうけど。世界一周のソース、キボンヌ。トンデモ本は不可。」(105)

(106)「鄭和の航海の第一目的は、南へ逃れたという噂がある生死不明の建文帝の捜索。」(106)

(108)「邪馬台国までの航程みたいに、ルートの取り方(一直線にのばすと長いとか)で全然変わって来ちゃうとかそういうのじゃないのか?」(108)

(32)「でもそれ考えたら、アフリカ東西海岸にいるイスラム教徒がヴァスコダガマ以前に喜望峰回って無いって考えるほうが不自然だよな。」(32)

(35)「鄭和の艦隊の船は、大きなものだと今でいう8000トン級くらいの巨大なものだったというが、一方では木造ではそんな大きな船を造るのは不可能だという説もある。」(35)

(36)「中国人の出す数字はデータなんだか修飾語なんだか.....」(36)

(39)「>>35 どうなんだろうね。Oパーツの様なオカルトはともかく、時代と技術的にはツタンカーメンのマスクなんかも当時の科学では難しいらしい。」(39)

(40)「>>35というか、鄭和艦隊は船体の竜骨が残ってたんじゃなかったっけ?で、記述の正しさが裏付けられたとかなんとか。記憶が怪しいので、どなたかフォローおねがいします。」(40)

(43)「>>40 当時の技術では、それ程の巨大船は無理なようだな。 http://www.ship.nias.ac.jp/isida-ship5.htm 石井謙治著 和船.兇砲眛韻犬茲Δ米睛討かいてあった。」(43)

(44)「>時代と技術的にはツタンカーメンのマスクなんかも当時の科学では難しいらしい。 そうか?単なる七宝細工だろ?」(44)

(45)「実際に50メートル程度の船でアフリカからキリンとかライオンなんかを乗せて帰って来れるものなのか?」(45)

(46)「鄭和ですね。」(46)

(47)「16世紀になると、ヨーロッパ人は、20数メートルの船で世界中を航海した訳だし、世界の様々な動物をヨーロッパに持ち込んでいたし、50メートル程度の船でも問題無いだろうね。」(47)

(48)「キリンのような大型動物を乗せての航海のことだが。」(48)

(51)「>>48キリンの体重は雄で800〜900キロ、雌で550キロ程度というから重量的には全く問題無いが、頭頂高が5〜5.5メートルに達するから船内に入れる事は出来ないだろうな、甲板に繋いでおくんだろうか?、まあ少々甲板作業の邪魔になるかもしれんが、何とかなるだろう。余談、野生動物キリンと中国の伝説上の生物『麒麟』は本来何の関係も無いものだが、『麒麟』と現地の発音が偶然よく似ていたので、遂に伝説の『麒麟』を発見したと大喜びしたそうな。ライオンに関しては檻に入れておけば何も問題は無いな。」(51)

(52)「明の海禁政策って、銅銭流出を防ぐ目的もあったんですよね?足利義満が、明の永楽帝に送った貢物の返礼として、銀1250両、銅銭一万五千貫をもらっていますが。」(52)

(54)「中国の船は、伝統的に平底の箱型で、欧州の船とは構造が違うと思うがどういう構造だったのかな…」(54)

(55)「しかし、剛構造であると言う点では支那船と欧州船とは基本的に同じ。日本船もだ。異質なのはアラブ世界の柔構造の船だろう。」(55)

(56)「>>54 中国の船に甲板があったか、という問題については今もはっきりしないらしい。」(56)

(57)「甲板が無いと嵐で船の中に水が入って沈没する危険が高そうだね。」(57)

(58)「>45,4750mというのは船の幅だよ。まあ長さのわりには幅の広い船形だったらしいが。>56ジャンク船だって甲板はある。隔壁まである。」(58)

(64)「>>58>50mというのは船の幅だよ。>まあ長さのわりには幅の広い船形だったらしいが。50mっていうのは全長だってば。明史にある長さ約140メートル、幅約58メートルというのは眉唾なの。↓ここよく読んでね。http://www.ship.nias.ac.jp/isida-ship5.htmまあ、ジャンク船が当時世界的に見て航洋力に優れた良い船って事は確かだけどね。船内隔壁は、西洋船では19世紀になるまで無かった訳だし。竹の骨組みを持った帆もなかなか優れもので、帆というのは風を受けると膨らむんだけど、そうなると帆の面積は減少してしまう。ジャンク船の場合、竹の骨組みが有るので帆面積の減少を食い止める事が出来る。」(64)

(99)「>64>20世紀前半、イギリスが支配していた上海の税関に勤めながら、当時の中国船>を調査、記録した人物にウースターがいる。その著書の中に福州の海船の図が>あるが、長さ45メートル、幅9メートルのこの船は長さ9.5メートルの舵軸を>持っている。発掘された舵軸と比べても、特別小さいものではない。>さらに江戸時代の日本側の記録(詳細な図がある)によると、竜骨長12丈>(36.4メートル)幅2丈9尺(9メートル)の唐船の舵軸は長さ4丈2尺>(12.7メートル)もある。これらから考えると、11メートルの舵軸は>50メートルほどの海船のもの、としても不自然ではない。海船と河船の舵の>違いなどから、前述の論文を批判する中国の学者も出てきている。以上の文章から言えることは、中国船の舵軸の長さは船の大きさに拘わらずほぼ一定である、ということでしかない。だから50メートルと言う推定がどこから出てきたのか、さっぱりわからない。後段の文章から 比例計算すれば「宝船の推定長さは31.5メートルであった」ということになる。幅58メートル、長さ150メートルを否定するには他の資料が必要だね。まあ私も半信半疑ではあるけど。」(99)

(100)「 おおう、たしかどっかの論文で読んだぞ、その考証。ご本人ならともかく、そうでないまら、引用先を明示すべきだな。 」(100)

(107)「>100 引用先は >64 のなかに含まれているよ。」(107)

(33)「中国のイスラム化を防いだ。かなり横暴な方法だったけど。功なのやら罪なのやら・・・・」(33)

(34)「イスラム化っていうと突飛だけど、回族自治区の銀川とか、上海にも普通にモスクとかあって違和感ないもんな。」(34)

(37)「朱元璋って日本で言うなら、秀吉みたいに人気があってもよさそうなのに。しかもものすごいスピードで中国制覇したとこなんか、太閤記よりおもしろそう。だけど、あまり聞かないのは、やっぱ皇帝なってからの大粛清がいたいの?(秀吉だってひどかったと思うけど、朝鮮出兵しかり、秀次事件しかり)」(37)

(38)「李自成だって明倒して清が攻めてくるまでの間皇帝になったんだが、李自成が皇帝になっても明と同じかね。中国人じゃダメだったのか?????」(38)

(41)「明スレは盛りあがらないなぁ…今、洪武帝の小説なんか書いたら新鮮で受けるかもしれないのに…」(41)

(42)「洪武帝の小説ねえ。むかしあった堺屋太一のくらいしか覚えがないね。朱元璋を主人公にすると、いまいち萌えない気がする。」(42)

(49)「明の社会についてはどのくらいのことがわかっているのかなあ。出版業の隆盛による情報化、広範な人々の間での政治的関心の高まりなどがあったらしいけど。」(49)

(50)「>広範な人々の間での政治的関心の高まり陽明学が生まれたのもそういう背景によるんだろうね」(50)

(60)「以前、テレビ放映された映画「少林寺 怒りの大地 −少林寺 vs 明朝秘密警察 錦衣衛−」副題に燃えた!!」(60)

(61)「時代劇の感覚からいうと明朝=戦国モノ 清朝=江戸町人モノってかんじかね。」(61)

(65)「鄭和萌えなスレはここですか?」(65)

(66)「んだから、チンポ切られて、タマ抜きされちゃった人でしょ。鄭和って。」(66)

(67)「明朝は変だ。皇帝は、中国史上でもっとも絶対的権力を有していた。にもかかわらず、暗君が非常におおい。(名君ぞろいの清朝とはえらい違い)臣下の生殺与奪は皇帝に握られている。アホ皇帝が多いから、側近が権勢を振るって政治を切りまわすだが、必ず皇帝が変わると、前皇帝の側近は粛清され、みんな殺されてしまう。明朝においては、皇帝を押さえ込んで外戚や宦官が跋扈することはなかった。すべての権力を皇帝一人が握っているから。側近の専横は現皇帝一代限りにおいて有効だった。次の皇帝の代まで絶対に続くことはなかった。」(67)

(68)「清に名君が多かったのは「漢人に舐められたらおしまい」という緊張感があったんじゃないか?」(68)

(69)「>>68なるほど、ちょっと納得。」(69)

(71)「>>67まさしく専制国家体制の究極形態。どんなに皇帝がアホだろうが、ちゃんと国家が運営できる、スバラシイ!。しかも300年近くも。いうなれば、どんな人物が皇帝になっても問題無いシステム。天皇機関説ならぬ皇帝機関説か。いやどちらも一緒か。」(71)

(72)「 ホント、アホ皇帝ばっかりだよな。道教狂い、英雄妄想狂、軍事マニア、男色家、ひっきー、はては大工仕事大好きなんてのもいたな。」(72)

(73)「愚帝と宦官が明王朝を滅ぼした。その次の清王朝は中国人にとってじつに悩ましい存在。中華史上最大の領域を有し、幾多の賢帝を輩出した。しかし、漢民族の王朝ではない。」(73)

(74)「>>73まあ、清と並び偉大な唐も異民族国家だしな。」(74)

(75)「唐は鮮卑族だったかな?異民族の王朝だったから「国際国家」だったのかね。スレ違い・・・」(75)

(76)「唐は清と並ぶほど偉大でもないと思うが。日本人にとっては唐が文明の師だったんでどうしても唐を過大評価しがちだ。」(76)

(77)「唐はそこそこ偉大だろ。いろんな意味で。贔屓なしに。清もほんとはすごいんだけど、清の時代の世界はムガール、サファービー朝、オスマン、ロシアとそこそこの国家が乱立してたから世界的にみるとそんなにすごいと感じない。唐の時代は東に唐、西にイスラム帝国で世界の二大文明だったし。」(77)

(70)「(YP)モンゴル民族にとっても、この頃の中華は差程の魅力は無かったのかな。アルタン・ハーンの北京包囲こそあれど、牽制級でしかなくまた乗っ取るゾ。というまでには至ってないでしょ?オスマンとハプスブルクみたく、結局は相手を叩き潰してはこちらも利権争奪戦的な内紛起りかねなく、都合宜しく無しな感で、妙なバランスで共存していたような印象だわ。」(70)

(78)「>1は中国板にいた日本語の達者な中国人をおびき出そうとしてるんじゃないか?」(78)

(79)「明朝の歴代皇帝に全然宮廷人としての雅さとか感じないんだがただ欲望のまま成金的生活やってたような感じ.清朝の乾隆帝なんか超一流の文化人だけど。これ、偏見かな。」(79)

(80)「清って末期が大混乱だからなんあ低くみられがちだね。でも、皇帝達はどれも優秀なんだよね。明治維新の研究をしていたり。西太后ってすごいね。ひとりで一気に壊滅させちゃった。」(80)

(82)「 嘉靖帝は、後宮で就寝中に、女官に襲撃されあわや帯で絞殺されかけるという間抜けな目にあっています。」(82)

(83)「明朝で最強の権力を持った女政治家(もとい妻女)って誰よ?」(83)

(84)「 孫皇太后。土木の変や、英宗復位とか、かなり。あとは萬貴妃か。」(84)

(90)「 明と宋を比べてみる。こないだ博物館で同じ漢籍の明の版本と宋の版本を一緒に並べてあった。宋のものはくっきりきれいで活字も見事なのに比べ明のものはかすれておりいかにもみずぼらしい。一目瞭然で、三才の児童の目にも明らかなほどであった。 これは一端かもしれぬが、明と宋ではその文化度の点で天地ほどの差があるなあと感じ入った次第である。」(90)

(91)「(YP)日本でいう明朝体とは、中国では、宋体と呼ぶらしいね。」(91)

(94)「>>91 そうすると日本で言う「宋朝体」は?」(94)

(95)「(YP)>>94知らん。ついでに、>91も不確か情報。」(95)

(96)「日本では唐代の漢字音を「漢音」と呼び宋代の漢字音を「唐音」と呼ぶくらいだからね。そのくらいずれててもおかしくない。」(96)

(109)「 いずれにせよ、モンゴルの世界帝国に比べ明が著しく劣った地方国家であるとの評価が最近は多い。海外遠征も初期の鄭和のみで、後は鎖国状態となって文明発展の道は閉ざされた。 」(109)

(110)「その反面、大元の後継国家だったと言う評価も出てきてる明が鎖国って実は嘘っぱちだろう満州の方なんてしょっちゅう軍隊出してるし日本とも勘合貿易してるし文明発展の道が閉ざされたのは、個人的に清代になってからだと思う明朝暗黒史観はあんまり好きじゃないこの時代は民間の文化が発展し始めた(北宋と違って開封止まりじゃなくて)時代じゃないのかね」(110)

(111)「 明は正式に元を中国王朝とみとめて、易姓革命という形で継承してる。イスラム教徒もいるしね。和勇なんかは史料にそのこと書いてあるし。 それと満州は明の一部だよ、間接支配だけど。勘合貿易はあくまで朝貢だから、所詮は儀礼的なもの。海禁政策下での民間ベースの密貿易にこそ、評価すべきでしょう。 文明発展のみちを閉ざしたのは、結局は儒教に行きつくでしょう。たしかに文化は発展し続けてるけどね。」(111)

(113)「>>111その儒教については明は心学を生み出してる。主知主義の宋学(朱子学)と比べて主観的な心学は明代の文化の特質をよく現してる。」(113)

(126)「>>111この時代って雲南や青海が征服されて、今の省区分が出来上がった時期だよね。清朝以降の征服地は自治区扱いだが明に征服された地域は大手を振って「伝統的に中国領」ってことにされてるけど満州が明の一部だと例の満州は中国なのか?ってやつますますややこしくなるなあ。確かに明朝初期にはヌルカンてのがあった。」(126)

(112)「文明発展というか、科学技術の水準はどうだったの?西洋と比べると非常に劣っているような気がするが。」(112)

(114)「技術面では、イスラムの天文暦学、数学、地理が発達した。」(114)

(115)「(ゴクリ)>112 科学の基礎技術についてはよく知らないが、応用技術の点ではかなり製鉄業が伸びているはずだが。P.ケネディの奇書「大国の興亡」では、中国は19(18だっけ?ま、いいや)世紀中盤まで世界最大の製鉄大国だったという記述あり(私の記憶が正しければ)。 基本的に欧州世界とその他の世界で決定的に技術的格差が開いたのは蒸気機関以後の話で、それ以前は大差ないって。暦だって精度だけなら貞享暦(でしたっけ?)ジャラリー暦の系統の方がグレゴリー暦よりいいし(使い勝手が悪すぎるんだよね)。」(115)

(117)「西欧とそれ以外の社会とで決定的な技術格差が生じたのは「科学技術」の成立によって。科学技術が成立してしまうともう職人的技術だけではとうてい付いていけなくなってしまう。」(117)

(124)「>>117それを言うなら「産業革命」じゃないか?科学技術は明でもイスラムでも発達してたし。115の言う通り鉄鋼技術や製陶技術などは18世紀まで中国のほうが優れていたと思う。」(124)

(125)「 出典はジョセフ・ニーダム?ちょっと古くない?。いまは個別研究だけでもかなり否定されてる部分あるよ。ま、概説としてはそれでもいいんだろうけど。」(125)

(133)「 そうそう、今ではちょっち古いけど、ジョセフ・ニーダムほど網羅的に中国の科学技術を述べたひとっていないよね。というか「大著」だよ。いまじゃ、中国史関係の大学研究室にはどこでもおいてあるんじゃないかな?」(133)

(127)「>>124その鋼鉄技術だの製陶技術だのは科学技術ではない職人の技術の範囲内でしょ?明の時代には科学技術はなかったよ。もちろん当時のヨーロッパにも無かった。」(127)

(128)「科学技術ではない職人の技術って何だ??」(128)

(129)「>>127中国の製鋼ってある一定の高温と酸素の含有率と鉄鋼の強度ていう条件を知識としてわかって蓄積していて、それを技術にフィードバックしたものなんじゃなかったっけ?そういうのをテクノロジーと言うのではないかね?127のいう科学技術ってどんなもののこと?」(129)

(130)「>127陶器づくりはうわぐすりの調合だけでも体系的に整理されてる奥深い世界。職人が手先の器用さだけで作ったものじゃないぞ。」(130)

(131)「 あら?それこそ「職人技」なじゃ?。」(131)

(132)「127とかカンとかそういうの=職人の技とか思ってるのかね。それはそれでテクノロジーと非西欧世界の思考の本質ではあるのだが。中国のテクノロジー、(科学技術といっていいと思う)については確かにちょっと食傷気味だがジョセフ・ニーダムの仕事がある。」(132)

(134)「 技術体系として、総合的な根本哲学を欠いていたことが中国で科学技術が発展しなかった理由。個別な分野ではヨーロッパよりも突出してる面も多いよ。 哲学的素地が儒教だからね、中国は。宗教革命のような意識面での革命的な哲学がなかったから。」(134)

(135)「 哲学はもちろんだが、社会全体の近代的な変革が辛亥革命までなかったからであろう。」(135)

(136)「中国は元末の朱元璋陣営において焦玉というものが「火竜鎗」なるものを発明して、献上し、朱元璋の中国征服に大いに役立ったらしいと伝えられている。この「火竜鎗」とは、もののけ姫にでてきた“あれ”のこと。小銅銃のことである。」(136)

(148)「『銃・病原菌・鉄』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794210051/qid=1041423883/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/250-0740769-7948219で読んだとこによると、明代に、政治的理由で科学技術の発展を止めた、みたいな記述があった。ジャレド・ダイアモンドのネタ元は草思社が訳さなかったので不明http://cruel.org/diamond/oldindex.html」(148)

(149)「http://cruel.org/diamond/↑ここで訳出されてました」(149)

(150)「http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3df05d5e310360100c38?bibid=01336833『中国が海を支配したとき 鄭和とその時代』↑ジャレド・ダイアモンドの明代のネタ元は、これらしい」(150)

(153)「 >>150それはルイ・リヴァシースの著書だな。示唆に富む部分もあるが、間違いも多いぞ。気をつけられたし。」(153)

(118)「(寵愛妃 ◆lwdofk4Z4o )日本人にとって最もよく知られている中国人といえば、やはり秦の始皇帝,「三国志」の中の劉備や曹操かもしれない。しかしまた、中国5000年の長い歴史の移り変わりの中で、康煕という一人の偉大な皇帝も生きていた・・・ 『康煕王朝』中国中央電視台(CCTV)放送史上、最高視聴率51.3%を記録!皆・・知ってる??」(118)

(119)「 康熙帝はスレ違いなのでサゲといてね。ここは一応、明のイタだから。」(119)

(120)「(寵愛妃 ◆lwdofk4Z4o )まちがえたの・・ごめんね。慣れないものだから誤爆でした。ごめんなさ〜い。」(120)

(121)「 康熙帝自身がドラマチックだよな。ちょっと大河ドラマでいけそうな気がするよ。若くして帝位に登り、宮廷の有象無象の目をごまかしつつ、決定的なところで実験をとりもどして、その後も三藩とか鄭成功とか、面白いことあるもんな。」(121)

(122)「 ごめん。別スレがもう立ってたのね。そっちに行きます。ごめんちゃーい」(122)

(123)「 明だって、スゴイ皇帝はいっぱいいるじゃん。既出だけど、道教狂いとか、英雄妄想とか。」(123)

(137)「皇帝専制の行く先は、結局無責任官僚体制。」(137)

(138)「 世界一の無責任帝国。植木等っが皇帝か。あ、それだと無責任皇帝になるか。」(138)

(139)「おれはわかるが、2段階、連想の飛躍がある。一般人にはついていけない」(139)

(140)「 わかってくれる人がいてよかったよ。」(140)

(141)「アザリンちゃん?」(141)

(142)「官僚は責任取りたくないから、細事に至るまで、皇帝の承認を求め、その決裁で動く。失敗しても、それは皇帝の責任。でも、当然皇帝は責任なんぞ取らない。結局、誰も責任を取らなくて済む。」(142)

(143)「明朝って公務員の給料が低く過ぎて、汚職が横行したと聞いたが。太祖がシタイフを嫌ってるから、官僚虐めの路線が引かれたとか。」(143)

(144)「 無責任首相コイズミ、無責任大統領(おお!まんま)ブッシュ」(144)

(145)「 わかったから、もう無責任シリーズはやめようや。」(145)

(146)「 えー?いいじゃん。懐かしいしさ。そういう145だって分かってるからツッコむんだろ。どうせすぐになくなっちゃうし、アゲついでってことで勘弁してよ?」(146)

(147)「(139)おれは139だけしか書いてないからな。学術板でのアニメネタ苦手だし、な。つまりおれとあんたの間に第3の人物がいる・・・・ああ、デビッド・リンチ風味」(147)

(151)「(138) 138ですが、たしかに、第三者が介在しているようですな。あっしは、あと140しか書いてないですよって。 なんか、だれも知らないと思ってたら、反響あってビックリです。」(151)

(152)「 145だが。お?無責任なんちゃらは、ひとりの自作自演かと思ってたが、複数いるのか。それはデビリンな。」(152)

(154)「 本道にもどります。「無責任〜」はアニ板でどうぞ。 明は文人の地位が低いね。官位でも職務でも武官が上だったし。」(154)

(155)「( )>>154宋王朝時代の反省からかな?」(155)

(156)「その割には、強いというイメージはないが。」(156)

(157)「そりゃ人類史上有数の強国である元と清に挟まれてるんだから強いイメージないのはしかたない。」(157)

(158)「それでも鄭和の大航海で、南洋諸国の朝貢を促したという壮挙があるわけだが。」(158)

(159)「今ある長城も柴禁城も明のものだし三国志演義も明のものだし日本人が知ってる「中国文化」は明のものが多いのではないか?」(159)

(161)「明は満洲北部と沿海州の一部まで支配した。だいたいは女真族の酋長を通じる間接支配だが2、30年間は直接支配した。このとき明軍は黒竜江河口まで達した。」(161)

(160)「明より前の文化、漢字や四書五経、漢の史記とか、唐の唐詩とか天台宗、華厳宗、浄土宗とか、宋の朱子学、水墨画、禅宗とかは日本人にとっては中国文化というよりもはや日本の伝統文化の一部となってる。あまり外国の文化という意識はない。日本人にとって外国文化としての「中国文化」は明から始まってるように思う。」(160)

(168)「>>160なかなか本質をついてると思う。それって明代から日本の受容の仕方が変わったってことだよな。」(168)

(162)「すご〜くまぬけな質問ですが、何故「めい」ではなく「みん」なんでしょうか?」(162)

(163)「清が「せい」ではなく「しん」だからです。」(163)

(164)「じゃあ「隋」とか「宋」とか「唐」とかは?」(164)

(165)「 調べてくれ。隋国公、宋国公、唐国公、とりあえず前の王朝での公国名が、王朝名のもとかな。ただ、「明」に関しては不明。だって、前王朝の爵位を受けてない。白蓮教の、不動明王の明だと説あり。」(165)

(166)「(中華@名無史さん)中国の王朝名の由来http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1017831470/l50ここで探して見ては?2ちゃんビューア無いと見れないかも知れないが…ところで、このスレ急に良く上がる様に成ったね。」(166)

(167)「なぜ「明(ミン)」かは、今でも議論の分かれるところだろ。「定説はない」が正しい答えか。」(167)

(170)「>>167専門外の意見でスマソ。私が学生時代東洋史特講で習った限りでは朱元璋の紅巾時代の主君韓林児が小明王を名乗っていて、それを倒して中国を平定した朱元璋が国号を大明にしたと聞きましたが。」(170)

(171)「明の国号については、たしか論文なかったっけ。」(171)

(169)「明の国家機構ってどうなってたの?衛所とか特にわかんないんですが。衛所って駐屯地なの?都市なの?」(169)

(172)「>>169さんもしかしたら、俺あんた知ってるかも。うかつなことは書かん方がいいよ。」(172)

(173)「>>172それって最も有力な通説じゃなかったか?」(173)

(174)「あ、いや、漏れは何も通説らしいことは語ってないんだが。もしかして通説?」(174)

(175)「>172のカキコ意味不明何ですが… どう言う事?自分もちょっと気に成った。」(175)

(176)「>>154明の前の元は源から来たといいます。」(176)

(177)「元だから源では。あ、スレ違いです。五胡十六国の話。」(177)

(178)「「元」ではなく「大元」、「明」ではなく「大明」、「清」ではなく「大清」」(178)

(179)「 自称はね。史料の記述された当時の国名には「大」つけるけど、王朝代わったら無しです。よって「大」は必要無し。ムダスレにつきサゲ。」(179)

(180)「じゃあ今は「大中華人民共和国」なのか?」(180)

(181)「179は大元、大明、大清は史料上の自称だけど王朝が終わった今は大を取っちゃってもいいじゃんってことだよね。大中華人民共和国ってのは自称してんの?」(181)

(182)「大日本国?あ、「大」韓民国だ!「グレート」ブリテン〜だし。」(182)

(229)「>>182前にも言ったことがあるのだが「グレートブリテン」のグレートはそんな意味じゃないって。昔、フランスのブルターニュ半島の地域と区別するためにあの島のことを「グレートブリテン」島と言ったそうだ。自国を偉大に見せるため使用した「大明」、「大韓」、「大日本」などとはそういった意味で一線を画す。また、「大英帝国」なんて言葉は完全な誤訳。」(229)

(232)「>>229「大英帝国」は「グレートブリテン」の「グレート」を尊称と誤解しての誤訳だろう。」(232)

(233)「本根的にいって、グレートブリテンの訳じゃなくてグレートユニオンの訳じゃないのか?」(233)

(234)「帝国といっても君主の称号が皇帝の国の意味じゃなくて多民族国家の意味でしょ?だからユニオンを多民族の連合と解釈して帝国と訳するのは間違いとも言い切れない。グレートユニオンを大帝国と訳した上で、英国のそれであることを示すため「英大帝国」なら完璧に正しい訳だったのかな(w」(234)

(235)「もともと「英大帝国」だったのに編集者が誤植と勘違いして「大英帝国」に直しちゃったんだろ。当時の編集者なんて漢文の教養があったから、語感的にまちがいだろうと即断した。・・・・とか、いかにもありそうじゃないかい?」(235)

(236)「英国の君主の称号は皇帝で間違いはない。英国の君主はイングランド王であるだけでなくオーストラリアの君主でもあり、印度の君主でもある。このような存在は皇帝と呼ぶしかなかろう。特に印度に於てはムガール朝から正式に帝位を継承してる。」(236)

(236)「英国の君主の称号は皇帝で間違いはない。英国の君主はイングランド王であるだけでなくオーストラリアの君主でもあり、印度の君主でもある。このような存在は皇帝と呼ぶしかなかろう。特に印度に於てはムガール朝から正式に帝位を継承してる。」(236)

(183)「大ナゴヤみたいなもんですな。」(183)

(184)「大東京は聞くけど、大ナゴヤって普通に使うの?関東なのでワカランチン。「大〜」って流行らせたいなぁ。」(184)

(185)「大名古屋ビルヂングage」(185)

(186)「大阪」(186)

(187)「「大大阪」おおおおさか。」(187)

(189)「「大」な国は、大を名乗らず、「大」でない国ほど、「大」を名乗りたがる。」(189)

(190)「>>189大韓民国」(190)

(193)「鼻の都大東京」(193)

(197)「グラン・コロンビアって昔あったよね。あれも「大」かな?」(197)

(199)「>>197広義の/狭義の って意味の、狭義と区別した「拡大コロンビア」でしょう。大ドイツや大ブリテンもこっちの意味では?大ナゴヤと大明大韓は同じですな。」(199)

(198)「2ちゃんねるで使ってるBIGサーバーも「大」を自称してるなhttp://www.maido3.com/server/」(198)

(200)「大ブリテンは「偉大なるブリテン」の意味ではなく他の地域である「小ブリテン」と区別するため。大ドイツは「偉大なるドイツ」の意味もあるがそれ以外に「小ドイツ」と区別する場合も使う。ちなみに小ドイツと大ドイツの違いはオーストリアを含むかどうか。大元・大明・大清は元・明・清の正式名称。元・明・清が正式名称で大元・大明・大清が美称、ということではない。元・明・清はあくまで略称。このへんは宋までの中国の伝統とはちがっている。」(200)

(202)「>>200>小ドイツと大ドイツの違いはオーストリアを含むかどうか。大ドイツと言った場合ドイツ人の居住する土地という意味でシュレジエンとプロイセンも含むと思ったが。」(202)

(204)「大元は他のハン国に対してのgreat khanadeの意味じゃないの?」(204)

(205)「大元=「大いなる乾元」from易経」(205)

(206)「すると「大元」の大と「大明、大清、大韓、大ナゴヤ」の大はまた意味が違う訳だ。」(206)

(207)「「大明」「大清」も基本的に「大元」と同様の発想。(語源は今は不明)「大」韓は”ぐれいと・かん”。「大ナゴヤ」? なにそれ」(207)

(211)「大元は当て字は易からとったけど、もとは「世界」を意味するモンゴル語に当て字したもの。大明は百蓮教の教えに出てくる終末世界の救世主の名前をもじったもの。大清は忘れた。大韓の「大」は大漢、大魏、大晋、大隋、大唐、大宋の「大」と同じで、天子の王朝をあらわす文字。「大〜」のかわりに「皇〜」「聖〜」「有〜」でもよい。」(211)

(212)「あ〜、韓国には天子がいるのかぁ。象徴天皇でもいるのかね?それとも天皇を日本からむかえて帝国を名乗る?」(212)

(213)「大韓帝国のことじゃないの?」(213)

(216)「>>213じゃ、大韓民国の「大」って何?天子の王朝をあらわす文字?」(216)

(217)「(::)大嘘つきの大」(217)

(219)「大便の大」(219)

(220)「>>216民族感情の発露と、あとは語呂のよさ。」(220)

(221)「(211)>>212,>>216大日本帝国や大韓帝国の場合は、東アジアの伝統的な国号の考え方と西洋式を翻訳した国号をぶざまにくっつけただけ。「大日本国」+「日本帝国」で安直に「大日本帝国」にした。大韓帝国は大日本帝国の物真似にすぎないが、それでも大韓皇帝が建前上にせよ天子であることにかわりない。大韓民国の場合はすでに東アジアの漢文文化が風化した後のことだからたんに何も考えてないんだろう。なんとなく偉そうだから大韓帝国の流れでそうしてるだけ。これは一方的に韓国人がドキュンだからとはいえない。もともとは「大日本帝国」という国名がすべてをわけわからなくした元凶。」(221)

(222)「大韓皇帝は確かに天子だよな。ちゃんと自覚して王号からさらに大君主号そして皇帝号へと改めたんだから。」(222)

(223)「民族意識の発露を称揚する国のくせに西洋式の不細工な国号を採用するところがすでに矛盾してる。  >大日本帝国、中華民国、大韓帝国、大韓民国、中華人民共和国「朝鮮民主主義人民共和国」だけはそういう点では矛盾はしてない。伝統的文化を否定する国なんだから伝統的な国号の命名法を無視することはむしろ理が通ってる。」(223)

(224)「「日本国」は結構いいかもしれないな。これこそ本来の伝統的国号だし。」(224)

(225)「>>224そうなんだよね。日本が民族意識の発露を称揚しない国になってからかえって伝統に近い国号になったのは皮肉だ。つまり近代東アジア社会での民族意識の高揚はしょせん西欧近代に対するコンプレックスの裏返しでしかなかったということだ。」(225)

(226)「>>224いいえ、豊葦原中津国こそが本来の伝統的国号です!!」(226)

(227)「じゃ大韓民国はほんとはなんと称すべきなの?」(227)

(228)「>>227金大中→百済盧泰愚→新羅」(228)

(241)「>227英訳すれば Republic of Korea(Corea) なのだから「韓共和国」または「韓民国」。」(241)

(242)「「韓国」でいいやんわざわざ「民国」なんていう余計なおまけを付けなくてよろしい」(242)

(248)「>242 「韓国」は略称。 「ドイツ国」もフルネームは「ドイツ連邦共和国」であるように、 国体を表す自称は尊重するのが慣例だ。」(248)

(249)「>>248だからここで問題にしてるのはなぜそんな長ったらしい不細工な国号を名乗るのかということだ。朝鮮の国号は「朝鮮」だったし高麗の国号は「高麗」だった。このスレのタイトルの明だって「明」または「大明」が正式国号だ。大日本帝国だの中華民国だの大韓民国だの中華人民共和国だのまして朝鮮民主主義人民共和国だのという長ったらしい不細工な国号がなぜ流行したのかってことだ。しかも今挙げた国はどれも民族意識の発露を称揚するナショナリスティックな傾向の国ばかりだから伝統に反するこのような国号は矛盾だろ。日本が民族意識の発露を称揚しない国になってから「日本国」という伝統に近い国号になったのは皮肉だという話しもあった。ここではその正式国号について話しをしてたんだからあんた文脈を全然見てない。」(249)

(250)「スレタイが見えてない知障がまだいるようですね(ゲラ」(250)

(251)「>>249「大」の意味の話なら分かるが、正式国号のその他の部分はそれほど息巻くほどのことでもないと思うがな。というのは「長ったらしい不細工な国号」はなにも東アジアの専売特許ではなく、世界の近代国家に共通する現象だから。朝鮮民主主義人民共和国も、往時の共産主義諸国に較べればとくに長くはない。ソ連はUSSR、つまりソビエト社会主義共和国連邦だった。非共産主義諸国も共和国だの連邦だのがつくほうがむしろ多数派。大韓民国も「大」を除けば固有名詞の「韓」とRepublicにあたる「民国」からなる、普通の国名だ。」(251)

(252)「>>249いつまで続くんだ?このどーでもいい国名論は?(藁)ここの話題は「日本国」でも「中華人民共和国」でも「朝鮮民主主義人民共和国」でもなかろう。貴方が一番脱線シテマス脱線に次ぐ脱線、どう修正となるのやらw国名と民族意識の発露がどー明の話題に繋がるのやら。結局、近代現代日本の取り巻く周りの他国叩きでもしたいのだろうよ。中国・ハングル板へどーぞ。」(252)

(253)「>>252それはそれで偏狭な視野な意見では?何故大が国号につくのか、大元と大明はどう違うのか、東アジア周辺諸国が「大」つけるのはいつの時代なのか、もしかしたらこのへんにも「明王朝的」な本質に近付く要素があるかもしれん。結構くだらんスレから思わぬ飛躍が面白かったり世界史板ってそういう板だと思うが。」(253)

(254)「そのネタもらった!論文にかいてやるぅ!」(254)

(255)「なんて、いきまいてみたりして」(255)

(230)「>>224,>>226「そらみつやまとうらやすのくに」「あまつみそらとよあきづしまね」「ちいほあきのみづほのくに」「たまがきのうちつくに」「くはしほこちたるくに」「しわがみほつまくに」」(230)

(240)「>>226豊葦原中津国は国号じゃなくて土地の呼び名だから地名じゃないかな。でも国名と国号の違いってなんだ?君主と結びついて体裁整えたのが「国号」?漏れは東洋史じゃないからわからんが板的にこのへん詳しい人はいっぱいいそうだな。」(240)

(243)「>>240国名は他国との区別。中国人は、皇帝は世界を統治していると考えているから、国名は不要だと考えているかも。」(243)

(244)「>>178は今のこの状況にした原因なんだから、責任取ってなんとかしる!」(244)

(188)「そ、そろそろ本題にもどりましょうか。最近は衛所は、都市機能を有していたってハナシですよ?」(188)

(192)「明では、皇帝が強すぎ、気に入らない官僚を棒で叩いたそうな。それで、死ぬ官僚も多かった。毎朝、官僚は出仕する前、家族とこの世の別れを惜しんでいたそうな。」(192)

(194)「廷杖でしょ?別に死刑じゃないじゃん。それと、「出仕する前、家族とこの世の別れを惜しんでいたそうな。」は洪武帝の一連の疑獄事件のはなし。東林党なんか、言いたい放題じゃない。」(194)

(195)「>>192死刑とはいってないが。」(195)

(196)「はやとちりスマソ。廷杖は東林党あたりの時代では官僚にとって諌言の名誉のあかしみたいなとらえられ方してるから。」(196)

(201)「明の政治体制って宋より進歩してるって感じしない・・・皇帝の権力が強くなりすぎて正徳のような皇帝のDQNな行動をまわりが止められなくなってるような感じがする」(201)

(203)「明はいくら皇帝がDQNでやりたい放題でもシステムがしっかりしてるから300年近くもったのでは?皇帝個人の資質に左右されない進歩した政治体制だとおもうけどなぁ。」(203)

(208)「明代の軍隊の火器装備の状況について教えてください。」(208)

(209)「フランキー砲くらいだろ。明末の日本の鉄砲保有数は世界一。鉄砲生産量も世界一。秀吉の大明征伐には2万丁の鉄砲が使用される」(209)

(210)「火箭とかに類する火薬兵器はあったらしい。『紀効新書』の巻十五あたりに記述アリ。戚継光は倭寇討伐で鹵獲した火縄銃を使ったらしい。」(210)

(214)「>>208明は大砲の装備数では当時世界一で三千門の大砲を装備してた。小銃はほとんど無かった。>>209日本の火器の数の話しなんかしてないんだが?」(214)

(282)「ttp://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/fubu/min.htmこのページの記述による限り、明代の軍は大砲・小銃ともにかなり普及してるみたいだが。」(282)

(288)「>>282ひとつ言って置くとそれはフィクションだ。仮想歴史の話だよどこら辺まで史実と一緒かわからんが。」(288)

(231)「良い具合に、クソスレ化(スレタイ的に)してるな。」(231)

(237)「『明王朝について語ろう』」(237)

(238)「『明王朝について騙ろう』」(238)

(245)「(178)んでは。建文帝が実は死なずに生きていて南国に逃れたという伝説が書かれた書籍はどんなのがあるんでしょうか。(幸田露伴の小説「運命」は除外して)」(245)

(246)「>>245 小説なら伴野朗の「永楽帝」でもその説にもとずいて書かれているが、、、実際はどうなんだ?」(246)

(247)「(244)>245あ、半分ネタで書いちゃったけど、マジレスさせてしまってすんまそん(汗まじめに流れ戻そうとしてくれた貴方の心意気に感じて漏れも流れに乗らせて戴きまつ。漏れは 中公文庫 寺田隆信著「永楽帝」 にしようかな?でも>246でもそうだけど、ヤパーリ建文帝を扱う物は必然的に永楽帝が多く成るかな…」(247)

(286)「建文帝の話は、たしか『明史』にも「〜という伝説があったが〜」という形で紹介されてはいたと思う。「結局はニセモノだった」という結論のようだが。明の国号に関しては、元朝時代の予言で「日・月の合うところ〜元は滅ぶ」みたいなのがあって、日月が合う=「明」ってのを踏襲したとかしないとか。」(286)

(287)「それって白蓮教が自分らで流した予言じゃないの?(w」(287)

(290)「建文帝の生存伝説については寺田隆信の「永楽帝」ではハナから伝説と相手にしてねえようだけど、中国の学界では生存説のほうが有力らしいぜ。因みに「明史」には「その終わるところを知らず。」との記述の直後に「死体を埋葬した」とあり、更にその直後に「あるいは脱出したとも」と書かれてあったじゃんじゃないかと記憶している。」(290)

(256)「まぁ明王朝もナショナリスティックで国威発揚な国だったわけで。」(256)

(257)「いやいや、国威発揚じゃなかった国家を教えてほしいものだ。」(257)

(262)「>>256明がナショナリスティックな国だったのは蒙古支配の後だから当然だろう。唐や宋がただの「唐」「宋」だったのに明が「大明」なんて称したこともその現れではないか?」(262)

(264)「>>262あのぅ、唐とかって「大唐」って言ってませんか?三蔵法師の『「大」唐求法巡礼行記』なんかはどうでしょうか。明がナショナリスティックな国だったことは周知の「史実」としても、だからといって「大」だからという理由では、いささか納得しかねるのですが。」(264)

(266)「「大元」「大明」「大清」は地名によらないで思想に基づく新しい考え方の国号。「唐」「宋」「漢」「魏」などは地名。>>264「大唐」は、「偉大な『唐』」。歴史上「唐」を名乗った他と区別する場合にも使う。他とは、「唐叔虞」「後唐」「南唐」」(266)

(267)「宋までの国号がただの地名だったのに元、明、清で国の理想を宣言するような国号になったことは近代的な不細工な国号の淵源ではないか」(267)

(269)「>>267元が建国された時に、地名をつける慣習が絶たれただけでは?」(269)

(270)「地名によらない国号の先例は、王莽の「新」。」(270)

(271)「(中華@名無史さん)新は新野の新ですよ?」(271)

(272)「王莽の新は「新野県」の県令だったからだろ。露骨に地名なんだがな。」(272)

(273)「まったく半島人は無教養だな。」(273)

(289)「>>272「新都侯」じゃなかった?「新野県」を「新都国」と改めたのか?」(289)

(291)「「新都侯」じゃない。「新都令」(新都県の県令)。・・・・・・・のはずだ!が、もしちがったらすまん。」(291)

(292)「新王朝の国名に付いて語っている御歴々。スレ違いだと思うので、↓にこう言うスレが有るので誘導して置きます。『西漢』 → 『新』 → 『東漢』(光武帝)http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1023555806/l50」(292)

(263)「海禁政策ってのもけっっこうミソと思うが。」(263)

(265)「>>263海禁政策は、明朝後半期の社会・経済に大きな影響を与えた重要なファクターでしょう。激しく同意であります。」(265)

(268)「銀経済ってのもあるね。銀経済と海禁政策のニ柱かな。この二つが結果的に大航海以降の世界経済のバランス変えてしまうことになる。」(268)

(258)「そろそろ、明の話にもどりません?」(258)

(259)「明の太祖が宋の太祖のように穏やかに功臣たちの権力を奪わなかったのはなぜだろう?単なる性格?」(259)

(260)「なぜでしょうねぇ、初期明王朝の性格を明らかにするためにも、是非その辺りを研究っして、論文として発表して欲しいものです。」(260)

(274)「経済活動の活発化し市場が拡大することによって明は経済をコントロールできなくなった。」(274)

(275)「明という国号はマニ教系の宗教である白蓮教の救世主の称号にもとづくわけで明の母体となった集団は白蓮教の教団なわけだが、明の朝廷内部では白蓮教と儒教の関係はどうなってたの?明がその後もながく白蓮教国家だったという話はあまりきかないよね?」(275)

(276)「太祖が小明王を殺した時点で白蓮教とは決別。但し、それがトラウマとなって「光」「僧」を連想する言葉を吐いた官僚達を殺戮しまくった。」(276)

(277)「「朕は愚かにも若い頃、白蓮教などに加担してしまい・・」みたいなことを言って、以後は弾圧したような。」(277)

(278)「利用できるものは何でも利用するくらいでないと身ひとつから天下平定などできない。」(278)

(279)「とりあえず、明王朝を一代で築きあげたことは彼の功績として燦然とかがやく・・。」(279)

(281)「>>276,>>277じゃなんで「明」という国名はそのままにしてたの?」(281)

(280)「燕王に従わず、目の前で同族者873人を殺されても自説を曲げなかった儒学者ってアホ??」(280)

(293)「>>280立派だろ。アフォとは燕王追討軍司令になってから連戦連敗で、挙句の果てに南京の城門を開いて燕王軍を迎え入れ、自らはあっさりと降伏した李景隆のような奴を言うんじゃねえか。」(293)

(294)「>>293李景隆と徐輝祖は共に功臣の息子として生まれながらその生き方は対照的で面白いと思うのだがこれを扱った小説かなんかないかね?あれば読んでみたいのだが」(294)

(295)「小説でつか。できれば史実を追求してもらいたいモノです。」(295)

(296)「>>294小説は読んだことがないのでわからんが、寺田隆信の「永楽帝」には靖難の変のいついての記述がかなり詳しく書かれてるよ。ただ、建文帝のその後について、義経や秀頼の伝説と同列に扱って一笑に付しているところがモノ足りないけど...」(296)

(297)「(294)>>295-296すんまそん。ここは学術カテゴリーでしたね。靖難の変については鴻猷録の当該部分で読んで面白かったのだが、漢文を離れて久しいので日本語で簡単に読み直したかったのと文学的に格好の材料だったので何か小説にでもなってるんじゃないかと思い軽い気持ちで質問してしまいました。スレ違いスマソ。寺田隆信の「永楽帝」ですか、氏の本はいくつか持っていましたがそれは未見でした。御助言感謝します。」(297)

(298)「幸田露伴「運命」。 ※文語體ゆゑ讀みづらき小説なり・・・」(298)

(300)「幸田露伴「運命」の跋文に、建文帝脱出説に対する万斯同の反論が引用されて居るぞ。」(300)

(301)「>>300そりゃ反論する人もいるだろうて。中国の学界でいくら建文帝生存説が有力だといっても皆が皆生存説を支持してるわけじゃねえのは言うまでもないことだよ。」(301)

(283)「どんな暗君に対してでも、権力をほしいままにした外戚や宦官でさえ、誰も皇帝に逆らえないのが明の政治体制の特殊性。宦官や外戚の跋扈になかされ、それが王朝滅亡につながった歴代王朝との違いだ。世界史上に見ても、完全皇帝独裁体制300年も続いたという例はない。25年間朝廷に出ず、贅沢三昧に遊び暮らしていた万暦帝に対して、意見を言える家臣はいなかった。逆らったら粛清されるから。結局48年の万暦帝の治世が明の滅亡を早めることになるのだ。」(283)

(284)「教科書知識でつか?漏れ、教科書読んでもわかんなかったのだが、「茂七の乱」って、教科書にのせるほど中国史もしくは明代史上において、重要なファクターだったのでしょうか?どなたかご存知のかた教えてください。」(284)

(302)「「靖難の変」or「靖難の役」?四年に渡るいくさゆえ、「変」というよりも「役」というべきであろう、との川越氏の主張をとって、現在では高校教科書でも「靖難の役」となっているが。」(302)

(303)「露伴の「運命」は漢文の勉強になったよ。言いまわしとか、高校の漢文よりも役にたった。明治の文人の、漢文の素養に、いまさらながらおどろかされる。」(303)

(305)「「靖難の役」がいいだろうね。」(305)

(307)「>>305同意。」(307)

(308)「露伴本人は結局脱出説には否定的なこと書いてたね。」(308)

(309)「>>308秀頼や義経伝説と同じようなものとして一蹴したんだろ。日本人ならそう考えるだろうな。」(309)

(310)「なんだ、あくまで「変」である!って主張する人はおらんのですか?。」(310)

(311)「去年10月に出たメチエかな?の「江南のうんたら」って本は靖難の「変」ってしてたぞ?。著者は断り書きとか何も附してなかったから、「あえて」とはいえないかもしれないけど、必ずしも浸透しているとは言いがたいのかな?。」(311)

(312)「史籍からの用語的つっこみを待っていたのだが、来ないのはなぜだ。「役」って外国と交戦することじゃなかった?四年に渡ったから役なのか?」(312)

(316)「>>312『明清時代の基礎問題』にたしか記述があったとおもう。あとは川越氏の『建文朝史の研究』かな。詳細はそちらでご確認ください。」(316)

(321)「>>316川越って人、ものすごく論文や著作があるんだけど、なぜ? 」(321)

(344)「>>321ろくに論文すら書かず、11時に来て2時に帰るようなどこかの教授に見習わせたい。」(344)

(313)「「土木の変」は?外国との戦争では?まぁ、「モンゴルも広い意味で明の支配化だ!」と強弁することもできるが。異民族との戦いで「変」とつかっていることはどう説明しよう?」(313)

(314)「失礼!「支配下」でしたな。御容赦くだされ。」(314)

(315)「土木の変は負けて政界に変化が起きたから「変」でしょう。確かに中国史では「役」ってあまり出て来ないね。」(315)

(317)「史料上に「靖難之変」ってでてくるのかな?だったら史料に依拠して「変」とするべきだもしれないですね。「土木の変」は史料上でも「土木之変」となっていた気がするよ。」(317)

(318)「露伴の「運命」は田中芳樹がリメイクしてるぞ。子供向け(らしい)ので読みやすいようだ。」(318)

(329)「明の太祖の男系は、王朝の滅亡の頃には数万人に達していたというが、いま、その血筋は現存しているのだろうか。朱徳元帥はもしかすると?」(329)

(331)「>329前の朱鎔基首相は、族譜によると太祖の直系らしい。」(331)

(330)「朱元ショウが陳や張を倒した後は、ほとんど苦もなく統一できたのはなぜですか?」(330)

(332)「>330残存勢力が強大でなかった、と考えるのは安直ですか…農民反乱や宗教絡みでの蜂起から早めに脱皮できた、とか。天下統一を目指した勢力としての自覚と政策施行とが早かった、と言うべきか。>331それって、寧王だか長沙王だか忘れたけど、太祖直系(建文帝もしくは永楽帝)ではなかったような。ソース不明にてうろ覚え失礼。」(332)

(333)「>>332 明の皇族は永暦帝が処刑された時に徹底的に粛清されたので残っていないと何かの本で見ました。」(333)

(334)「唐や宋の皇帝の末裔の話も聞かないので、やはり滅亡後に旧皇族は抹殺されてしまうのか・・」(334)

(336)「溥儀のように生かしておいて晒し者というのもある」(336)

(337)「唐の場合は、五代十国期の南唐では太宗の子あたりの末裔を称していたような。宋の場合ですと、元末の韓林児が徽宗の末裔を称していましたっけ。血の繋がり云々よりも、実績をあげた後に系図を繋げるのかも知れませんね。スレ違い気味にて失礼。」(337)

(346)「明王朝、というのはイメージ的にいまいち地味ですね。本当は万歴年間なんて、面白い時代でしょうに。」(346)

(347)「(朱翊鈞)>346なかなか良いことを言う。万暦年間は倭でいうバブル時代みたいなものだからな。ちなみに朕のことは神宗皇帝陛下と呼ぶがよい。」(347)

(348)「(海瑞)>347直訴して免職されてしまいました。後世、文革で取り上げられるとは思いませんでしたがね。黄仁宇『万暦十四年』は読まれましたか?」(348)

(349)「李卓吾の評価は今どうよ?」(349)

(350)「さあな」(350)

Last modified:2011/02/20 19:38:01
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