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世界史上最低の国はスペイン

20041112wiki掲載 (以下はまだ未整理です)

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(1)「(ななしっこ倶楽部)史ね 」(1)

(2)「(マニアック浩二郎)あん?根拠は?わからんかったら逝って吉」(2)

(3)「(ラスカサス)軽やかに同意」(3)

(4)「(塩婆)否定しませんわ。」(4)

(87)「>>4「ヴェネーツィアの歴代大使の論評は、彼ら自身スペインの敵であるところから、これを重要視してはならない。彼らは自身の意見をもって情報提供者の意見としたり、自分と同一の所信を持つ人物との会話にもとづいて、印象を一般化したという嫌疑が大いにある」」(87)

(5)「(カール五世)激しく不同意」(5)

(6)「(koronnbusu)うーん 同意かも・・」(6)

(7)「( ) 南米で虐殺しまくったからですか?」(7)

(8)「真性バカなのはスペニスとポルトガルというのはガチ」(8)

(9)「(とてた)「黒い伝説」は「有効」なんですね…。」(9)

(10)「ドン・ファン萌え」(10)

(11)「スペイン、カトリックの裏切りもん扱いだな」(11)

(12)「新大陸ではアングロ・サクソンの方が酷いと思うのですが。」(12)

(13)「(スターリン)別に虐殺も侵略も悪いことじゃ無いよ。一番悪いのは、負けること。」(13)

(14)「そして今やメリケンに加担・・・」(14)

(15)「そんじゃ一番悪いのはチョソ」(15)

(16)「http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046589744/l50【近世〜近現代スペイン史】 こちらに合流してください。」(16)

(17)「何このスレ?」(17)

(18)「(ワルワル博士)スペインの悪口はわしが許さん!」(18)

(19)「スペインマンセー」(19)

(20)「スペインはなんで今回米英に加担してるんでしょうか?」(20)

(21)「フランコのあほー」(21)

(22)「隣の国に決まってんだろ」(22)

(24)「日本人の持ってるスペインのイメージって、そのほとんどがカスティーリャのものなのね・・・アメリカ大陸は法的にはカスティーリャの領土で、そこではアラゴン連合王国やナバーラ出身者は外国人扱いされてたんだけど。」(24)

(28)「>>24ひとくちにスペインといっても、カスティーリャ、カタルーニャ、ナバーラ、ガリシアなど、地方によってかなり違いがあるね。ハプスブルク朝時代のスペインは、中世の独立諸王国時代のような自治権を持っていたし。」(28)

(48)「>>28スペイン帝国の実態は、イギリス本国とコモンウェルス諸国の関係みたいなものだったのかな?」(48)

(25)「ベンジャミン・フランクリンはスペイン人が世界で一番残虐だと言ってたな」(25)

(27)「>>25アングロ・サクソンやオランダ人が植民地でやったことも同じ。ところで、プロテスタント諸国ではラス・カサスのような反省と自己批判の書を書いた人はいたのだろうか?」(27)

(26)「ラス・カサスだってスペイン没落まではほとんど読まれることが無かったそうな勝てば官軍・・・・・・・・」(26)

(29)「スペイン人→戦争大好きフランス人→文化大好きイタリア人→女性大好き。まあ、同じラテンでも大違いだ。」(29)

(30)「高校世界史で半端にスペイン史をかじったヤシよりは、むしろサカヲタの方がスペイン国内の地域対抗意識に理解ありそう。フランコ独裁以前もあんなに各地の反カスティージャ色が強かったのかまでは知らんので、識者のフォローぷりーず。」(30)

(64)「>>30スペイン近代史を調べていくと、中央VS地方の対立のほかに、改革派VS伝統墨守派という二つの流れがありますね。ブルボン家支配になってから、中央集権化がすすんだことと、フランスから啓蒙思想が流入したことが原因ですが。ちなみにカタルーニャはスペイン継承戦争でハプスブルク家を支持したために、ブルボン王家からそれまで享受していた大きな自治権を取り上げられてしまいました。」(64)

(69)「>>30中世スペイン史をざっとみていくと、まずゲルマン系の西ゴート王国が、711年にウマイヤ朝に滅ぼされる。そして718年ごろ、ドン・ペラーヨが残ったキリスト教徒たちを引き連れ、アストゥリアス王国を建国。914年にはアストゥリアス王国の首都をレオンに遷し、レオン王国が成立。930年ごろ、レオン王国のブルゴス辺境伯が近隣を征服し、カスティーリャ王国を興す。1037年にはカスティーリャ王国がレオン王国を併合。」(69)

(70)「一方カタルーニャは、801年、シャルルマーニュの軍勢がイスラーム勢力からこの地を開放し、イスパニア辺境区を置いたのが起源。つまり、この地域はイベリア半島では例外的に、カロリング朝の一部としてはじまった。イスパニア辺境区は五つの伯爵領に分かれていたが、その中のバルセロナ伯が988年にフランク王国から独立。さらに11世紀にはバルセロナ伯がかつてのイスパニア辺境区、つまり現在のカタルーニャ自治州を統一することに成功。12世紀にはラモン・ベレンゲール4世がアラゴン女王ペトロニラと結婚したことにより、その息子のアルフォンソ1世はバルセロナ伯兼アラゴン・カタルーニャ連合王国の国王となる。13世紀にはジャウメ2世がマリョルカ島やイビーサ島を完全支配し、南部のバレンシア王国をも征服。あと、忘れてはならないのがカタルーニャの地中海進出で、サルデーニャ島の宗主権、シチリア島の王位を獲得し、一時はギリシアの支配権さえ手に入れる。15世紀にはついにナポリ王国の征服に成功。」(70)

(31)「スペインだってムーア人に侵略されてる。因果はめぐる。」(31)

(32)「カタルーニャは17世紀にフランスの援助を受けて独立運動を起こしたけれど失敗。ポルトガルも一時的にスペイン王国の一部になったことがあるけど、ふたたび独立国になった。ポルトガルの場合、スペイン王国に統合されていたのは60年間と短かったし、ブラガンサ王家の存在があった。さらにポルトガルは地理的にフランスの援助を受けられるほど近いところにあった半面、フランスの支配下に入るのを回避できるほど遠い所でもあった。経済的には大西洋世界に属し、北方諸国との強い商業的・金融的なつながりを持っていた。植民地であるブラジルも、一時オランダに占領されたものの再び回復。カタルーニャが独立に失敗したのは、当初から目的に曖昧な点があったこと、伝統的な社会分裂を乗り越えて国民的な一体感を創り出すことができなかったこと、カタルーニャの支配階級が、スペイン国王がカタルーニャの古い国制を保持できるということを明確にすると、反乱を続ける意欲を失い、フランスよりはカスティーリャとくっついていたほうがましだと考えたこと、ポルトガルと違い、経済的には地中海世界に閉じ込められていたことなどがあると思う。」(32)

(33)「http://www.hotelsearch.com/3/state.html↑ここのスペインの各自治州の地図があります。 で、これらの自治州は中世の独立王国とほぼ一致しています。」(33)

(34)「大航海時代に早めに登場したこともあって、けっこう植民地もってたけど、あまり経営上手のお国がらとはいえないような。スペインを旧宗主国とする国もほとんどが、あまり芳しい国家状態じゃないし、お題目と言う事だけ一人前で、義務とか貢献とかができない国が多いような。」(34)

(36)「ポトシ銀山で大いに潤ったはずの財源は何処へ消えたのやら。王室の浪費が酷かったとは聞いたことあるが…」(36)

(37)「スペイン人の作った宮殿って有名なのってある?ナスル朝時代のやつじゃないよ。」(37)

(39)「>>37フェリペ2世のつくったエル・エスコリアル宮殿は超有名だろう。」(39)

(47)「>>37ナポリの王宮もそうでつ。宮殿ではなく、宗教建築や都市ならいくらでも。」(47)

(49)「>>37セビーリャのアルカサルはどうですか?ペドロ1世がつくったやつね。」(49)

(61)「>>37ttp://www3.kcn.ne.jp/~mamama/photo-spain1/p-002.htmマドリードの王宮ttp://www.patrimonionacional.es/aranj/aranjuez.htmアランフェスの王宮」(61)

(38)「メキシコや中南米の混血率が高いのに、北米は低い。これはスペイン人やポルトガル人がアングロサクソンより人種差別をしないからだと言う奴がいるけど、事実だろうか?」(38)

(40)「(ラテン人一同)>>38愛に人種の壁はありません」(40)

(44)「>>38スペインやポルトガルの征服者たちはほとんどが独身だったために現地の女性と結婚したものが多かった。イギリス人は家族連れで移住したものが多かった。」(44)

(54)「>>38http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1034330297/l50の>>213-236あたりで議論してる。」(54)

(41)「なんかどっかの運河が開通?して、新大陸に嫁をよぶ事ができる ようになったことが原因だったような。」(41)

(42)「新大陸からの収奪→インフレ+ヨーロッパ諸国からの輸入急増→国内産業壊滅→アボーン」(42)

(45)「船乗りが現地でパスン>スペイン→南米清教徒が迫害を逃れる為、家族を連れて移民>イギリス→北米」(45)

(46)「農耕民でそれなりの文明を築いていた南米のインディオの方が同化しやすかった面もあるのでは?狩猟民で文明レベルの低かった北米のインディアンは同化しにくかったように思われる。」(46)

(50)「IOC(国際オリンピック委員会)のサマランチ会長は確かカタルーニャ出身。」(50)

(51)「フェリペ2世の時代に、新大陸から持ち帰った金銀を全部当てても、無敵艦隊の維持費に及ばなかったとか言う話を聞いたことがあるなぁ。」(51)

(59)「>>51無敵艦隊だけでも1000万ドゥカートもかかったといわれています。1590年代の中ごろには、フェリペ2世は年に1200万ドゥカート以上を使っていたと推測されます。国王の年収の四分の一弱は、アメリカ大陸から送られてくる銀。残りは、借金と、主にカスティーリャから徴収される税金によってまかなわれていました。またナポリ、ミラノのような地域で徴収された税は、当該地域で使われていたのです。」(59)

(52)「軍事費はいつの時代でも巨額。」(52)

(53)「スペインが破産したのは無敵艦隊よりもオランダ独立戦争での戦費。その後の西仏戦争で決定的になったけど。」(53)

(55)「伝えられるスペインの残虐さはその敵国によりねつ造されたもの。との噂。死神博士が好きな国だがふらめんこ。」(55)

(56)「岡崎久彦『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』(文藝春秋)を読んだことあるけど、この本でのスペインの描き方は「黒い伝説」そのもの。」(56)

(57)「「黒い伝説」にはそれなりの根拠があることも確かだが、当時のスペイン兵は国際比較では、軍紀がしっかりしていた方でした。あと、ダンディで裕福なスペイン将校は、ネーデルランド娘の間じゃモテモテだったというのもまた事実。むしろ鼻つまみものだったのは、野蛮で粗暴な某ドキュソ地方の出身兵でした。どこのドイツとは申しませんが。」(57)

(58)「>>57ランツクネヒトですね。サッコ・ディ・ローマ(ローマ略奪)で悪名を轟かせましたが。スペインの名将コルドバが考案したテルシオは有名。」(58)

(62)「>>57>ダンディで裕福なスペイン兵16世紀のヨーロッパでは、ファッションについて、華美で豪奢で奇抜な趣味と、スペインや対抗宗教改革の影響による荘重で禁欲的な趣味(とりわけ黒の大流行)という、相反する二つの傾向が見られました。ちなみにラファエロの友人カスティリオーネは、『イル・コルティジャーノ』(宮廷人)のなかで、「私は常に華美なものより少し荘重で落ち着いた感じのものを好みます。それゆえ衣服においては黒こそ他のどの色よりも優雅さを持っていると思えます。たとえ黒でなくとも、せめて暗い色が望ましい」と書いています。ttp://www.khm.at/data/page166/LottoJuenglingt250?.jpgスペイン風の黒い衣装を着た青年の肖像ttp://www.coh.arizona.edu/spanish/comedia/graphics/velazquez_philip-iv.jpgフェリペ4世の肖像(これまた黒一色の衣装。「王にして修道士」というスペイン国王の性格をあらわしています)」(62)

(84)「>>57どこでも、海軍はダンディで紳士的で教養があり、陸軍は野蛮で粗暴なのが相場なのだが。旧・日本軍でも、海軍が攻め取って地元民に歓迎されても、陸軍が駐屯して評判を落としている。」(84)

(85)「第二次大戦のときの、ドイツ占領下のフランスでは、Uボートの乗組員が上陸したときは、羽目をはずして乱痴気騒ぎとかやって、規律の厳しい陸軍の将兵の顰蹙を買っていたらしいよ。」(85)

(86)「どっちにしろ下っ端軍人はろくなもんじゃない」(86)

(89)「>>85そりゃ、潜水艦乗り組みほど危険で恐ろしいものはないからな。」(89)

(91)「(57)>>84 まあ、17世紀の話ですから、「海軍〜陸軍」というよりは、 「貴族〜非貴族」の階級的な問題ではないでしょうか? スペイン兵モテモテ云々については、当時の反乱勢力の側に、 「フランドルあたりじゃ女どもがスペイン兵になびいて、ほっといたらまずいぞオイ。」 というような書簡が残っています。 これもプロパガンダかもしれんけど。←身内の女を取られる! というのが男の危機感と団結心を最も煽る。」(91)

(95)「(81)>>56岡崎氏はモトリーの著書を引用しているが、『憎悪の樹』には、「古典的とされる『オランダ共和国の興起』の著者モトリーから我々が手に入れるのは、プロテスタントの花形たち、とりわけオランイェ公ウィレムの「一点の汚れもない大理石」のような品格と対蹠をなすフェリーペ二世のどす黒く染め上げられた悪辣さというはっきりとした図柄である。モトリーにとり、オランダの反乱は、「正義と不正義の間の永遠の闘争の実例以外の何ものでもなかった。彼にとっては、カトリシズムと絶対主義が暗黒の力であった。その一方で、プロテスタンティズムは自由、民主、光明を伴うものだったのである。オランダとスペインの間の争いは、彼には、善の原理と悪の原理の間の争いであって、彼はそこで最も神聖なる道義的義務によって自分が馳せ参ぜざるをえない、むろんのこと正義の側に馳せ参ぜざるをえないと感じている」「彼はスペインの宗教や物質的利得といった動機は嘲ることが出来たのに、オランダ人やイギリス人におけるこの両者の結びつきは賞め讃える」と書かれてあった。」(95)

(97)「>>95その文章、ちょいとオランダをヨイショしすぎ。原著読んだことないけど、オランダをプロテスタンティズムの国と決め付けてしまっているあたり、痛すぎる。ユトレヒト同盟(共和国)は1581年以降何度もローマカトリックの排斥令を布告してるよ。また、フリースラントなどの北部に居座っていた再洗礼派は何度も迫害を受けている。マウリッツの時代にはカルヴァン派の一派アルミニウス派が弾圧されたし、そもそも「カルヴァン派に帰依している信者はこの国の十分の一しかいない」というカルヴァン派司祭の証言が残されていたりもする。オランダが「自由、民主、光明を伴うもの」と見えたとしたら、それは政教分離がはっきりとしていたからでしょう。とはいってもそれも政府の積極的な政策によってではなく、偶然の産物でしかない。国教であったカルヴァン派は、共和国内の全市民のカルヴァン派への改宗、あるいは国外退去を求めたけれども、対してレヘント(都市為政者層)は、宗教の違いを理由に市民を迫害することは、自国の産業、他国との貿易の発展を阻害するものとして断固拒否した。結局、経済優先主義が一国家一宗教という体制を上回ったに過ぎない。と」(97)

(98)「>>97やべ、酔っ払って書いたら意味不明だった。>ユトレヒト同盟(共和国)は1581年以降何度もローマカトリックの排斥令を布告してるよ。 >また、フリースラントなどの北部に居座っていた再洗礼派は何度も迫害を受けている。 >マウリッツの時代にはカルヴァン派の一派アルミニウス派が弾圧されたし、 これカットしてください。海鮮食って首釣ってきます」(98)

(101)「>>97>原著読んだことないけど、オランダをプロテスタンティズムの国と>決め付けてしまっているあたり、痛すぎる。モトリーの著作は100年以上前のものだからしょうがないよ。>>95の引用する「憎悪の樹」というのは、そのモトリーを距離を置いて歴史的に、というか批判的に取り上げているんでしょう。」(101)

(102)「>>97>>101フランス革命の記憶が生々しかった19世紀には、オランダの80年戦争のことを「市民革命の先駆」として高く評価する史観が幅を利かせていたようですな。」(102)

(60)「(第20軍団兵)カール5世時代でははネーデルランドの税収の方が、新大陸よりも多かったらしいですね。」(60)

(61)「>>60ネーデルラントの諸都市は、イタリア諸都市と同じく、商工業で栄えていましたから。」(61)

(65)「バスクはスペイン語ではバスコ、バスク語ではエウスカディ。この地域は中世にはナバーラ(ナヴァール)王国という独立国だった。1512年、アラゴン連合王国のフェルナンド2世(イサベル女王の夫)は、ナバーラ王国の西半分を征服併合。残りはナヴァール王国として存続するものの、こちらも後にブルボン家のアンリ4世(母はナヴァール女王ジャンヌ・ダルブレ)がフランス国王になったことにより、フランス王国に併合。」(65)

(66)「ガリシアはケルト系。ローマ人がこの地を「ガラエキア」と呼び、それがガリシアの語源になった。」(66)

(67)「スペインの血の入った女性は最高らしいぞ。セックスが。」(67)

(68)「高度(らしい)なインカやアステカの文明を跡形も無く消し去ったDQN集団イスパニーアは人類の中でも最も知能レベルの低いドキュソ」(68)

(71)「17世紀のセビーリャでは、孤児は12歳から売春をすることが許されていますた。」(71)

(72)「スペインの無敵艦隊について語りませんか?イングランド遠征の失敗の原因について分析するとか。」(72)

(73)「>>72そもそも、無敵艦隊敗北の原因はなんだったのか?フェリペ2世の計画自体に無理があったのか、メディナ=シドニア公の無能によるものか、それともイギリス海軍の戦術と装備か・・・」(73)

(74)「(水 ◆rDhngbng2E )>>72そういやどこかで読んだ覚えがあるが無敵艦隊はイギリス艦隊から比べると戦術が正反対っぽいね。なんかスペインの方は白兵戦用に兵士がかなり多い。イギリスの方は対艦戦用に大砲の数がスペインより遥かに多かったな。」(74)

(75)「>無敵艦隊そもそも、1.アイルランドのカソリックを支援するのか、2.コーンウォールあたりに直接上陸するのか3.パルマ公のフランドル派遣軍と合流するのかについて、戦略目的が二転三転していた。何でも一から自分で決めなければ気の済まないあのお方のせいで。」(75)

(76)「「無敵艦隊」という名前はイギリス人がつけたもので、スペインでは単に「大艦隊」と呼ばれていたそうでつ。事件そのものとしては「ドーヴァーの海戦」と呼ぶべきもの。ちなみに、無敵艦隊の敗北がただちに英国・スペインの海軍の地位の逆転をもたらしたわけではなく、その後40年間はスペインの大西洋支配は不動ですた。」(76)

(77)「悪天候と艦隊司令官の自由な判断を奪ったフェリペ2世が原因て言うところ?」(77)

(78)「http://pws.prserv.net/jpinet.tate022/スペイン史について扱っているHP」(78)

(79)「(身分差別反対!人種差別万歳な白人達の共同体=アメリカ)モンゴルのハーンや将軍達こそアジアの劣等民族で極悪非道の野蛮な侵略者。スペインやポルトガルの豚小屋で生まれ乞食をしていた敬虔なキリスト教徒の勇敢な冒険者達こそ人類史における尊い偉大な白人征服者。」(79)

(80)「.                    フェルナンド5世──┬───イザベル1世                     (アラゴン王国)   │    (カスティリャ王国)                                   │                                         ┌─────┐          ヘンリ8世───┬─── カザリン     ファナ──┬───フィリップ         (イングランド王国)│   (スペイン王国)(スペイン王国)│  (神聖ローマ帝国)                     │                  ┌─────┐                     │            フェルディナンド1世   カール5世──┬──イザベル                     │          (神聖ローマ帝国)  (スペイン王国     │ (ポルトガル王国)                     │                       神聖ローマ帝国)  │                   メアリ1世────────────────────フェリペ2世                 (イングランド王国)                        (スペイン王国)」(80)

(81)「フィリップ・ウェイン・パウエル著『憎悪の樹 アングロVSイスパノ・アメリカ』を読んでみたけど、黒い伝説の発祥の地(?)はもともとイタリア半島だったのね・・・古代ローマの直系の子孫をもって任じるイタリア人、ルネサンス文明を生んだイタリア人にとっては、自分達より格下と思っていたスペイン人に支配されるのが我慢ならなかったらしい。ちなみにイタリア人のスペイン非難の中には、スペイン人の性的放縦・腐敗堕落は類を見ない、などというものもある。」(81)

(82)「ラス カサスらの著作を利用したプロテスタントによるスペイン人は残虐であるという暗黒伝説。しかしイギリス系海賊などがスペイン人に対して行った残虐行為は目にあまるものがありますね。16世紀後半からスペイン人やられっぱなし。」(82)

(83)「ナポレオン1世の時、フランス軍・スペインゲリラ両方ともかなりすごかったらしいね。」(83)

(88)「拷問技術においてはカソリックよりプロテスタントの方が優越している。16世紀のフロリダにおけるスペインとフランス(ユグノー)の虐殺合戦はすごかったのだろうな。」(88)

(90)「フィリピンってスペイン領だったのに、白人が南米ほどいないのはどうして?」(90)

(92)「>>90本国から遠いからじゃないの?」(92)

(93)「でも、植民地支配が可能なだけの兵士や役人は来てるんだから、南米なみにメスティソやクリオーリョがいても不思議じゃないと思うが。」(93)

(94)「南米では鉱山や農場経営でたくさんのスペイン人が移住したけど、フィリピンはおもに中国との中継貿易の拠点にすぎないから、あまり移住する人もいなかったんじゃないの。」(94)

(96)「アメリカとの間の米西戦争でつが・・・あれもスペインに対する偏見が多少は絡んでいたんでせうか?」(96)

(103)「フェリペ2世が、息子のドン・カルロス、王妃のイザベル・ド・ヴァロワ、異母弟のドン・フアン・デ・アウストリアを暗殺したという話は、どこまで本当なんですか?」(103)

(105)「(    )このスレ読んでてふと思ったんだけど・・・海外のBBSには「世界史上最低の国は日本」とかいうタイトルのスレがたって、そこには「日本人の残虐性」とか書き込まれてるんだろうか・・・」(105)

(106)「たぶん。」(106)

(107)「スペインとフィリピンの関係について語ってみない?スペイン統治下でフィリピン社会がどのように変容を遂げたかに興味あります。」(107)

(108)「現地人がプランテーションで搾取されるようになった。他に特質するような変化はあるのかな?まあ19世紀に入ってから自由主義的な思想を学んだ現地の知識人が台頭し、独立運動の原動力となったのだが」(108)

(109)「世界史上最低の国はイギリス氏ね!http://ime.nu/www.madinjapan.freeserve.co.uk/jpn_index.htm」(109)

(110)「「Buon】イタリア史の観光スポット【Viaggio」というスレがあるけど、スペインについても世界史板住人ならではの観光スポットを紹介して欲スィ。特にスペイン近現代史関連。」(110)

(111)「まぁイギリス、スペインも酷いことをいろいろやったけど、歴史的に見れば大国はどこも酷いことをしてるわけで。たぶん一番は中国でしょ。」(111)

Last modified:2004/11/13 00:28:13
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