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ノルマン・シチリア王朝

20041127wiki掲載 (以下はまだ未整理です)

テキスト修正したいかたは、「ボランティアについて」のページをご覧のうえ修正してください。


(1)「(■)地味だけど 」(1)

(5)「ノルマンシチリア王朝について語らないなんて、お前等らしくないな。一時的とは言え、その諸民族融和の理念は世界史的な意味を持つだろ。イスラム、キリスト、ユダヤ共存は当時では画期的なはずだ。」(5)

(6)「「中世シチリア王国」高山博 講談社現代新書は読んだけど、今じゃ、12世紀ルネサンス、イスラムとラテン文化の融合、ノルマン・コンクエストぐらいしか思い出せない。」(6)

(7)「マフィールがマフィアの語源」(7)

(9)「シチリアでは今でも時々金髪の赤ちゃんが生まれて、その親は「ああ、俺かヨメの遠いご先祖にノルマン人がいたんだなぁ。」って感慨にふけるそうだな。」(9)

(10)「高山センセ、去年のNHK教育の人間講座は内容がツマランかったし、カンペ見杉だし、最初の頃の回のロケ地が日本なのかシチリアなのかワカランし・・・」(10)

(11)「10世紀を境にノルマン人の大航海時代から、大移動時代へ移る。なんて定着していない用語を創ってみた。」(11)

(12)「ウルトラセブンに出てきたノンマルトを思い出すな、、、」(12)

(13)「ロベルト・ギスカルド?」(13)

(14)「シチリア島もノルマン・コンクエスト」(14)

(15)「ギリシャ人、ユダヤ人、アラブ人の共同体がシチリアから姿を消したのは何時?アルバニア(東方正教?)少数民族だけが残っているが。」(15)

(16)「シチリアが衰退したのは何時の支配者に責任があるの?ノルマン朝?」(16)

(18)「>>16シチリアだけじゃなく、イタリアの南北問題もあるけどね。」(18)

(17)「シュタウフェン朝、アンジュー朝、アラゴン朝」(17)

(19)「シャルル・ダンジューが諸悪の根源。」(19)

(20)「シャルル・胆汁」(20)

(21)「シャルル・ダンジューが巧くやればシチリアは地中海帝国の首都になれてたかもな。」(21)

(22)「共存共存って言っても、仲良く暮らしてたわけじゃなくて棲み分けてたんだよね実際パレルモでユダヤ教徒は迫害されてた事もあったみたいだしイスラム教徒はやはり地位はだんだんと下がっていったようだし一言じゃいえないところがこの王国の醍醐味だな3つの異なる文化圏が併立してるんだから、そんな単純にはいかないということで」(22)

(23)「>22天使に譬えられた美男王グリエルモ鏡い蓮王国で使われる言語(ラテン語・ギリシア語・アラビア語)をすべて話せたそうですね。1169年の大地震の際は、「おのおの、自分の崇拝する神、信じる神に加護を求めよ」と言ったそうです。イスラム教徒の臣下も信頼し、要職に就かせるなど、この王の統治下では中央集権化も進み、繁栄の時代が続いたらしい。これらの報告を書いたのは、アラブの旅行家イブン・ジュバイル(1185年の報告)なので、多少の誇張(褒めすぎ)もあるかとは思いますが、「為政者の宗教的中立」が「共存」を成功させた大きな要素だったのではないでしょうか。1166年、父グリエルモ祇い慮紊魴僂い蚤彜Г靴燭箸、彼は13歳。金髪の髪をなびかせてパレードする姿は天使のような美しさで、前王には反感を持っていた者をも含めて、全ての民をうっとりさせたといいます。「為政者の人間的魅力」も平和の要素かもしれません…。グリエルモ鏡ぜ身は、もちろん敬虔なキリスト教徒であったらしい。それに関しては面白いエピソードがあります。1174年、王の前に聖母マリアが現れ、パレルモ郊外に財宝が埋められているので、それを何か宗教的な目的に使用するようにと告げたそうです。実際に財宝がみつかったので、その場所・モンレアーレに王は修道院を建てた。絢爛豪華な金ぴかの修道院ですが、ノルマン・シチリア王国の繁栄の証であるともいえるでしょうね。惜しむらくは、グリエルモ鏡い嫡子を残さず、36歳の若さで世を去ってしまったこと。彼の死(1189年11月18日)とともに、王国の「黄金の日々」は終わり、混乱と衰退の時代へと向かっていったようです。」(23)

(24)「>>22シチリア人が他宗教に寛容だったというより、国王がその強大な権力で、ユダヤ人やムスリムを守っていたからという面が強いと思う。王権が弱まったときには異教徒に対する暴動とかが起きてるし。」(24)

(25)「>>22おもしろいですね1174年の話は何という文献にのっているのですか?」(25)

(26)「(23)>>25 は私へのレスですよね。モンレアーレの伝説が載っていたのは文献ではなく、旅行案内書です。シチリアへいつか行ってみたいと思って、案内書を色々と集めていたので…。モンレアーレ(王の山)に埋まっていた財宝は、グリエルモ鏡い良磧▲哀螢┘襯I世が隠しておいたものらしい。ですから「聖母マリアが現れた」という話は、何らかの方法で財宝のありかを知ったグリエルモ鏡い隣埖い任△覯椎柔もありますね。立派な修道院を建てたのは、「聖母マリアに護られた王」であることをアピールして、自身のキリスト教信仰を優位におき、他の宗教も認めるが「王の宗教・キリスト教」が最高位であることを印象づける目的があったのかもしれません。」(26)

(27)「>>26すいません、そうです、23へのレスでしたへぇ、やっぱりおもしろいですねしかし、シチリアについては高山先生の著書はあるものの、当時の庶民の人々の暮らしを知る事ができる文献はあまりないのがつまらないですねジュバイルの旅行記くらいしかないし」(27)

(28)「(23)>27高山先生の著書というのはどちらをさしておられるのですか?高山博著『中世地中海世界とシチリア王国』東京大学出版会高山博著『中世シチリア王国』講談社現代新書いずれにしても、高山先生は人名をラテン語読みで書かれていますね。よく考えもせず、イタリア語読みで書いてしまいましたが、「グリエルモ」は、ラテン語の「ウィレルムス」になります。高山先生の著書には、当時の庶民の暮らしが、結構詳しく書かれていますよ。(市場や港の様子など、主にイブン・ジュバイルの『旅行記』からの引用ですが…)私は読んでいませんが、イブン・ジュバイルの『旅行記』も翻訳・出版されているようです。イブン・ジュバイル『旅行記』(藤本勝次・池田修監訳)関西大学出版部他にノルマン・シチリア王国に関する著述のある文献としては、以下の本があげられます。山辺規子著『ノルマン騎士の地中海興亡史』白水社ジュゼッペ・クアトリーリオ著(真野義人・箕浦万里子訳)『シチリアの千年』新評論フェルナン・ブローデル著(浜名優美訳)『地中海(機法吻供法吻掘法抛8興馘好侫Д襯淵鵝Ε屮蹇璽妊訝(神沢栄三訳)『地中海世界(機法吻供法戮澆垢砂駛次(28)

(29)「(23)↑訂正します。×著述のある文献、○記述のある文献」(29)

(30)「(25)>>28高山先生の本は両方とも一応読みましたジュバイルの旅行記も読みましたよなかなか面白いもんでした高山先生の本では官僚制や王宮についての記述が多いような気がするので実際の王国の様子はどうだったのだろうと思ったんですがちなみに高山博著『中世地中海世界とノルマン王国』?も少しは読みましたが、王国が成立したところぐらいまでしか気力が持ちませんでした薄っぺらい知識では読むのにも一苦労で・・・ブローデルのものが、両方とも読んだ事がないですねけっこう詳しく触れられているものなんでしょうか?」(30)

(31)「>>28どうして、高山博著『神秘の中世王国―ヨーロッパ、ビザンツ、イスラム文化の十字路―』(中東イスラム世界4) 東京大学出版会 1995年 が入ってないんでしょうか?」(31)

(32)「(23)>>31>どうして、高山博著『神秘の中世王国―ヨーロッパ、ビザンツ、イスラム文化の十字路―』>(中東イスラム世界4) 東京大学出版会 1995年 が入ってないんでしょうか?「どうして」と言われても、私は全てを挙げるなどとは書いてないわけで…。(学者ではないし、まして2chの文献係じゃありませんからね)たまたま目についたもの(持っているもの等)を挙げただけです。それではいけませんか?「中東イスラム世界」のシリーズは一冊も持っていません。」(32)

(33)「(23)>>30正直言って、高山先生の著書は人名がラテン語読みになっているのが面倒で、購入したものの、あまり読み込んでないです。ノルマン朝当時はラテン語名だったのでしょうから、イタリア語読みの方が違っているのでしょうが、どうもなじめなくて…。ブローデルも持っていません。買いたいのですが、本が厚いし、高いので、図書館等で拾い読みしているだけです。全体を通読していないのでコメントできません。あしからず…。(記憶が不確かなので、いいかげんなことは書かないことにします)ジュバイルの『旅行記』は何ページ位の本ですか?是非、入手したいと思いますが、シチリア以外についても多く書かれているのでしょうか?ノルマン王国については少ししか載っていませんが、新潮社刊:小森谷慶子・小森谷賢二著『シチリアへ行きたい』は、歴史的なことにも多くふれているので、結構面白いですよ。この本には、モンレアーレの大聖堂に関して「危険なほどに強大化しすぎたパレルモ大司教の権勢を抑制するため、パレルモのごく近くにもかかわらず建立されることになった」と書かれています。「聖母が王の夢の中に現れ、建設を命じた」という逸話も、そのためにつくられたのではないか、という感じですね。イスラム贔屓の王であったらしいので、私が>>26に書いたことよりも、こちらの方が説得力があるかもしれない。一般に歴史家の方々は、「善王」とされているグリエルモ鏡い鬚△泙衂床舛靴覆い茲Δ任后戦地に赴かなかったこと、子孫を残さなかったことが、評価の低い原因なのでしょうかね。ノルマン・シチリア王国の衰退の原因となったのは事実ですし…。それに、政策に長けた多くの臣下に囲まれた「傀儡のような少年王」という印象が強いのでしょう。見かけによらず、しっかりした考えを持った王だったのではないかと、私は思いますがね…。」(33)

(34)「(23)>>30すみません。大事なことを聞き忘れました。イブン・ジュバイル『旅行記』(関西大学出版部)の人名の読みはラテン語ですか? それともイタリア語?」(34)

(35)「(25)>>34おそくなってすいませんえーっと、ウィレルムスの事をギルヤームと書いてるので・・・これって何語なんでしょう?ギョームが仏で、グリエルモがイタリア、ドイツはヴィルヘルムだし・・だれかわかります?といっても、日本語訳版なので、実際の表記どうりかはわかりませんがついでに保守age 」(35)

(36)「(23)>35もちろんアラビア語でしょうね。(私はアラビア語は、全く解りませんが)イブン・ジュバイルはアラブ人ですし、グリエルモ鏡いアラビア語を読み書きできたことを特記しています。彼の治世下では、数人のアラブ人王宮侍従官が「王国最高顧問団」や「ドゥアーナ・デ・セクレテース」「ドゥアーナ・バーロヌム」等の王国行政の中心的役職にいました。ジュバイルは、国王をはじめ、これらのアラブ人高官と、直接アラビア語で話すことができたために、『旅行記』に王国の統治システムについての詳しい記録を残すことができたのでしょう。」(36)

(37)「(25)そういえばパレルモもマディーナだったし、アラビア語っぽいですね統治システムについての記述と言うよりは、イスラム教徒についての記述中心だと思います読み物としてもおもしろいですよウィレルムスを褒めながらも「暴君」とか「神が滅亡させ給うように」などとムスリム根性丸出しで書いてますし」(37)

(38)「(23)>37>統治システムについての記述と言うよりは、イスラム教徒についての >記述中心だと思います なるほど。彼の興味は一にイスラム教徒に関する事柄、イスラム教徒が王国内でどのようなポジションに置かれていて、どのような生活をしているか、という点にあったようですね。ウィレルムス祇い了犖紂王国最高顧問となったアラブ人の宰相ガイトゥス・ペトルスに関して、ジュバイルは何か書いているのでしょうか?少年王を補佐する顧問役として、アラブ人の宦官が実質的な支配権を握ったことに関して、多くの不満や反感を抱くものがあったようですが、その後の騒乱期の情勢に関する記録はやはり、ジュバイルの『旅行記』が一次史料となってるのですかね?それとも他の記録が何かあったのでしょうか?もし他の記録がほとんど無く、イスラム教徒である彼の『旅行記』が唯一の史料となっているのだとしたら、ノルマン・シチリア王国の末期(ウィレルムス鏡い亮世)に関する歴史は、多少、アラブ寄りのフィルターがかかっていると考えた方がいいのでしょうか?>ウィレルムスを褒めながらも「暴君」とか「神が滅亡させ給うように」などと >ムスリム根性丸出しで書いてますし それは、鏡い里海箸任垢? 前後の文章がわからないので、何ともいえませんが…。ウィレルムス祇い砲弔い董▲献絅丱ぅ襪「暴君」と書いたなら納得できますがね…。また、「神が滅亡させ給うように」と書いたのは、当時、増大していたキリスト教権力(パレルモ大司教を中心とする)に対してではないのですか?ジュバイルは、ウィレルムス鏡ど佞の召使の一人から聞いた話として、「王の印章は、<アッラーに讃えあれ、アッラーへの賞賛は正しきものなり>とアラビア語で書かれたものであった」と書いているそうです。(高山博『中世シチリア王国』)それを読んだ限りでは、ジュバイルは、ウィレルムス鏡い鬟ぅ好薀犇気領匹理解者であるとみなしていたように思うのですが…。」(38)

(39)「>>37パレルモは確かバラールマってイブン・ジュバイルは書いてたかと」(39)

(40)「(23)>39そうですね。ジュバイルはパレルモを「マディーナ」とも書いているようですが、「マディーナ」というのは「パレルモ(バラールマ)」のアラビア語読みではなく、単に「都」という意味らしいですね。」(40)

(41)「(23)>25このスレッドに書き込み始めたことをきっかけに、高山先生の『中世シチリア王国』をやっと今日、読了しました。その結果…、今までの自分の書き込みの内容を読み直し、少し恥ずかしくなりました。ちょっとズレていたようで…。私はどうもジュバイルの『旅行記』にこだわりすぎていたようですね。特にウィレルムス祇い了代については、ファルカンドゥスの『シチリア王国の書』が、同時代の最も重要な史料であることを知りました。(この年代記作家は、こと人物の評価に関しては、主観的な好き嫌いが激しいようですが…)また、私が>38に書いた宰相ガイトゥス・ペトルスに関して、「ガイトゥス」はアラビア語の「カーイド(将軍)」が音写され、ラテン語化したもので、アラブ人の高官が帯びることが多い称号とのことです。(ガイトゥスが名でペトルスが家名だと勝手に思っていました)しかし、よく考えてみれば「ペトルス」は「ピエトロ(ペテロ)」のラテン語読みですね。このような名を持っているということは、少なくても表向きはキリスト教徒だったようです。」(41)

(42)「最近シチリア王国以前のアマルフィのことが気になって、高山先生の『中世地中海世界とシチリア王国』を買ったんだけど、なんか間違ってる?アマルフィ公国の時代とそれ以前のことがわかる文献てなんだろう?」(42)

(43)「前ノルマン時代としてイタリアの各公侯伯領の歴史がわかると面白いね。ガエタ、アマルフィ、ナポリなど。」(43)

(44)「(コンコルディア)23です。コテハンを名乗ることにしました(この名前、以前に数回使ったことがあります)。話が続かないようですね。アマルフィ公国に興味がある方が二人いらっしゃるようですので、ノルマン人が南イタリアに進出した時代に話を戻しましょうか。>>42-43前に私が挙げた、山辺規子著『ノルマン騎士の地中海興亡史』(白水社)には、ノルマン人征服以前の南イタリアのことも、比較的詳しく書かれていますよ。しかし、アマルフィが独立した9世紀前半の話は、このスレではなく、「イタリアの歴史」スレあたりで話した方がいいと思いますので、ここでは、ノルマン人に関係のある話題に限定させてもらいます。(サレルノ、ナポリ、アマルフィにも触れることになりますから…)そもそも、何故、ノルマン人は南イタリアへ進出したか? まだこの話、出ていませんよね。…それは、ノルマンディーのモン・サン・ミシェル修道院と関わりがあります。8世紀、アヴランシュ司教の前に、大天使ミカエルが姿を現し、モン・トンプという岩場に自分のための礼拝堂を建てるように命じた、それが今のモン・サン・ミシェル修道院である、という話は誰でも知っていると思います。大天使ミカエルは戦いを司る天使なので、騎士の守護天使とされていました。だから、ノルマンの騎士たちは、頻繁にこの地を巡礼し、ノルマンディー公の庇護の許でモン・サン・ミシェルは発展してきました。しかし、大天使ミカエルが顕現した地は、他にもう一箇所あります。イタリア中部のモンテ・ガルガーノです。ここでも当時の司教の前に大天使ミカエルが現れ、自分とすべての天使のためにこの地を捧げるように、と命じたそうです。(ここでは、自分の印として、ご丁寧に鉄の拍車を残していったという伝説まであります)モンテ・ガルガーノに建てられたモンテ・サンタンジェロ教会は、ノルマン騎士にとって、モン・サン・ミシェル修道院と並ぶ、重要な巡礼地だったのです。」(44)

(45)「(コンコルディア)ノルマン人の南イタリア進出に関するエピソードは二つあります。その一つはブーリアのウィレルムスが伝えたもので、これによると、1016年、40人ほどのノルマンの騎士の巡礼団がモンテ・サンタンジェロを訪れたとき、ビザンツ帝国に対する独立運動をしていたランゴバルト人メレスが、屈強なノルマン人に加勢を頼んだのだ、というのです。たった40人の巡礼団は、戦いに加わるための軍備を整え、翌年、南イタリアを訪れることを約束したといいます。もう一つのエピソードは、モンテ・カッシーノの修道士アマートゥスが伝えたもので、999年、聖地巡礼を終えたノルマン人の巡礼団がサレルノの町を訪れたとき、イスラムの海賊団がサレルノを襲った。ノルマンの騎士たちは、武器をとってイスラム人を撃退した。それまでは抵抗する武力も持たず、略奪されるままになっていたサレルノの町の人々は喜び、サレルノ候はこの町に留まってくれるよう、騎士たちに頼んだといいます。一旦故国に戻ったノルマン人は、仲間を募り、再び、サレルノを訪れることを誓ったといいいます。この二つのエピソードはどちらも実証性に乏しく、単なる伝説にすぎないということですが、1017年春、武装したノルマン人の一団が南イタリアを訪れたことは、史料上、間違いないことのようです。どちらの伝説も、モンテ・サンタンジェロという、ノルマン騎士にとって重要な巡礼地があり、その帰路、武力を見込まれ、加勢を頼まれたノルマン人が南イタリアに勢力を広げたという話になっています。私がノルマン・シチリア王国に興味を持つのは、彼等の宗教観、特に「天使信仰」という、キリスト教の中ではやや異端とされる信仰を騎士たちが持っていた点です。それが他の宗教をも容認することのできる王国の体質の根源にあるのではないか…、「エノク書」に書かれている天使の話と絡めて、そのあたりの話がしてみたいですね。」(45)

(46)「 シチリアからマルタやアフリカやギリシャに攻めなかったの?」(46)

(47)「(カラジチ ◆mWYugocC.c )アフリカには攻めてたっしょ」(47)

(48)「(コンコルディア)>>46-47あの…、「シチリア」というのは、「ノルマン・シチリア王朝」のことですか?…だとしたら、…また、なんで話がそう飛んでしまうのかな…。ノルマンのシチリア王国というのは、ルッジェーロ(ロゲリウス)鏡い教皇から王冠を受けた1130年からグリエルモ(ウィレルムス)鏡い了爐1189年までですが、ゲオルギウス(ルッジェーロ鏡い虜冒蝓砲、アフリカへ勢力を伸ばしたのは1140年頃です。アマルフィ公国や前ノルマン時代のことを知りたいという人がいたから、ノルマン人がイタリアへ進出し始めた頃(1017年)に話を戻したら、今度はアフリカ侵攻の話ですか…。それは100年以上も後のことなので、もう少し順序立てて話しませんか?とにかく南イタリアに進出し始めた頃、ノルマン騎士は、サレルノ候(対イスラム)やメレス(対ビザンツ)に雇われた傭兵にすぎなかったわけです。その少し前、シチリアは、北アフリカ(今のチュニジア)からやってきたイスラム教徒のアグラブ朝(827-909年頃)の支配下にあり、次に、同じく北アフリカから勢力を広げたファーティマ朝(909-970年頃)が支配していました。やがてファーティマ朝は、本拠地をエジプトに移し、カリフの任命する総督(カルブ家)にシチリアを任せます(その時代をカルブ朝ともいう)。総督同士の内紛によって、カルブ朝の勢力が次第に弱まった11世紀初頭、その隙に乗じて、ノルマン人はシチリアへと勢力を広げていったのです。…それにしても、>>1はどうしたのでしょう? 私はスレ主でもないのに、どうしてこんなに書き込んでいるのでしょうね…(自嘲)。あまり会話も続かないようだから、そろそろこのスレからは撤退しますかね…。」(48)

(49)「(カラジチ ◆mWYugocC.c )>>48世界史板のたいていのスレでは、スレ主いませんよ。興味を持った人が思いつきのままに書き込みしているのがほとんどですんで、順序なんてあってなきがごとしです。コンコルディア氏も別に全ての話題にレスしなきゃとか考える必要はないし、話したい話題を話せばいいと思いますよ。」(49)

(50)「ノルマン人は北海にいた頃ととは違い地中海において常にキリスト教の守護者だった」(50)

(51)「>>46-48「シチリア伯ロゲリウス(ノルマン伯ロジャー)によるマルタ解放」だそうでつ↓↓ttp://www.midmed-news.com/mlt_hist.html」(51)

(52)「ロベール・ギスカールはキリスト教の守護者どころか教皇から蛇蠍の如く嫌われてましたよ。」(52)

(53)「(コンコルディア)>>49カラジチさん、レスありがとう。順序というより、なんだか散漫でつまらなくなってしまったんですよ。会話が噛み合わないというか…。イブン・ジュバイルの『旅行記』(1185年)の話をもっとしたいと思っていたら、25さんが急にいなくなってしまったので、アマルフィ公国に興味があるという>>42-43さんあたりと話をしてみようかと思って、その100年以上前に話題を移し、そもそもロベール・ギスカールが、何故、はるばるフランスのノルマンディーから南イタリアへ進出してきたかを話し合おうとしたんですよね。アマルフィ公国等の小さな独立国は、ノルマン人に加勢を求めたために、かえってノルマンに征服されてしまったようなものでしょう? そのあたりの話をしようかと思って…。…すると、今度は>>46さんが、ノルマン人のシチリア伯ロゲリウス(ルッジェーロ祇ぁ飽聞澆了代の話をしている…。(>>51さん、ありがとう。私の持っている年表には、マルタ以外の詳しい経過も出ていますよ)別に全ての話題にレスしようとは思わないし、仕切るつもりもないですが、私の読んでいない本や文献を読んだ人、私の知らないことを知っている人がいたら、是非、話をしてみたいと思い、レスしていたんですけれどね…。話題がすぐに移ってしまうのが、少々面倒になったので、そろそろ退出しようと思ったわけです。第一、>>1さんは、自分が書き込む気がないなら、どうしてこんなマイナーなスレを立てたのかな、という興味があったものですから…。まあ、あまり期待しない方がいいということでしょうかね…。」(53)

(54)「(カラジチ ◆mWYugocC.c )正直な話あまりメジャーな分野でもないので、詳しい人あんまりいないと思うんですよ。かくいう私も高山先生の新書読んで、講義をお聞きしたことがある、ってだけなんで。適当に興味のあること質問して「へえーそうなんだー」ということぐらいしかできません。で、コンコルディアさんがいなくなっちゃうと、それも出来なくなって、多分このスレは定期的にageられるだけになる。それがやなんでこうやって引き留めてるわけです(笑」(54)

(55)「(コンコルディア)>54 なるほどねー、カラジチさん、なんとなくわかりました。…ということは、私がこのスレで暴走しても、誰にも迷惑はかからないかも…、と勝手に解釈してしまうことにしましょう。変な話になったら、遠慮なく突っ込んでくださいね。つまり私は、何かの本を読んだ時、その著者とは違う観点はないか、別の解釈はできないものかと、まず、考えてしまうへそ曲がりでして…。例えば、私が>>45に書いた、ノルマン騎士たちの「天使信仰」説や「エノク書」に関しては、高山先生も山辺先生も触れていないのですよ。彼らは、キリスト教徒としては異端であった、と私は考えています。しかし彼らは葬り去られた「エノク書」の原点ともいうべき天使思想を、ギリシアやアラブ・イスラムの宗教の中に見出した。それが、ノルマン・シチリア王朝が、奇跡的に宗教的中立国家として成立した重要な要素だったのではないか…。以前、>>5さんが書いていた「諸民族融和の理念」「イスラム、キリスト、ユダヤ共存」を可能にした要因は、騎士たちの「天使信仰」であり、実はそれはノルマン騎士ばかりではなく、十字軍騎士の間にも、流布していたのではないか、とこんな風に考えているのです。テンプル騎士団が信仰していたという異端の神「バフォメット」とは何か?(通説では、洗礼者ヨハネとマホメットの名を合わせたものだといいます)そのテーマも、ノルマン・シチリア王国の歴史を細かく検討していけば、切り口が見つかるのではないかと思うのです。そのためには、「ノルマン人」という大雑把な分類でその思想を探るのではなく、ノルマン王国の4人の王、一人一人を個別に見て、その性格、宗教観について詳しく検討するべきだと考えたのです。4人の中では、ルッジェーロ鏡い肇哀螢┘襯皚鏡い貌辰剖縮があるわけですが…。この二人、よく似ているんですよね。」(55)

(56)「マルタ解放?おいおい、マルタ人はアラブ人の一派だぞ。アラブ人を征服してキリスト教を押し付けておいて「解放」はないだろう。まあ、共産主義者は常に征服を「解放」と詐称するが。」(56)

(57)「(カラジチ ◆mWYugocC.c )天使信仰とかバフォメットって確かに聞いたことないですね。具体的にどういう感じなんですか?それがなんで宗教的寛容に繋がるのかがわからないんで、そこらへん教えて欲しい。」(57)

(58)「(42)>>53ちなみに、高山先生の『中世地中海世界とシチリア王国』では、「アマルフィを占領したサレルノ候に対抗するためアマルフィ市民たちが、グイスカルドゥスに対して、市の領主権を与えることを条件に、軍事援助を求めたのである。グイスカルドゥスはこの申し出を受け入れ、即座に軍隊を派遣して町を占領してしまった。アマルフィ市民は、1073年11月、グイスカルドゥスをアマルフィ公と宣言した。」とあります。たぶん、あなたの言うとおり、ということになります。この記述に従えば。」(58)

(59)「(コンコルディア)>>57天使信仰の話をする前に、一つ面白い話をしましょう。今、ちょうどこのスレのテーマになっている時代、ノルマン人が南イタリアへ進出してきた11世紀初頭に書かれた『シャーナーメー(王書)』という歴史伝承があります。著者はアラブの詩人フィルドゥシーで、完成したのは1010年ですから、イスラム文化に造詣の深かったノルマン王朝の王たちが、この物語を読んだ可能性は非常に高いと思われます。さて、イラン王朝の起源を記したこの書に、最も古い時代、東イランにあったと思われる「スィースターン」という地を支配していたサームという名の王の話が出てきます。サーム王は、美しい女性と結婚し、女性は男子を産みます。王子の誕生に歓喜した王ですが、その子供の姿を一目見るなり、喜びは激しい怒りと絶望に変わります。その子供の様子がおよそ人間らしくなかったのです。赤ん坊の身体は「純銀のように清く」髪は「白雪のように白く」、顔は「太陽のように美しく」、頬は「春の薔薇のように赤く、美しく」、身体は「杉の木のようにまっすぐだった」とあります。そのため、サームは、赤ん坊が自分の子ではなくダーエワ(悪魔)かマジシャン(マギ)の子であると決め付けます。」(59)

(60)「(コンコルディア)実は、この話とよく似た話が「ノア書」と「エノク書」という偽典の中にあります。ノアの誕生の物語です(ノアというのは、もちろん「ノアの箱舟」のノアですよ)。生まれたばかりの赤ん坊(ノア)の身体は「雪のように白く、薔薇のように赤みがさしている。その髪は羊毛のように白く、長く、美しい巻き毛になっている。この子が目を開くと、太陽のように家中をくまなく照らし、すべてを明るく輝かせた」とあります。ノアの父レメクは、赤ん坊が自分の子ではなく「天使の子」であると言って妻を責めます。(これでは、天使が肉体を持っていて、レメクの妻と姦淫したことになってしまい、そのあたりの記述が正典から外された本当の理由ではないかと私は思いますが…)レメクの父、メトシェラは、すでに世を去って「天使たちとともに暮らしている」(!)彼の父エノクを訪ねます。そして赤ん坊のことを聞いたエノクは次のように語ります。「お前の息子レメクに、生まれた子は間違いなく自分の子だと伝えよ。その子をノアと名づけよ。彼とその子孫は、やがて地に来るべき滅亡から救われるだろう」どちらの話も異形の息子が生まれ、その子が、「自分たちとは違う」容貌であることを恐れ、嫌悪しています。現代なら「天使のようだ」と言って喜ばれるコーカサイド人種のような特徴を持った子が、何故、人種の異なるイランやユダヤに生まれたのでしょう? この異様な生誕の伝説を持つサーム王の子ザールは、後に英雄となり、ノアは、人類の唯一の先祖となります。(この話が真実なら、全人類がノアの「天使のような容貌」の遺伝子を持っていることになりますね)」(60)

(61)「(コンコルディア)「エノク書」は、聖アウグスティヌス(354-430年)が「古すぎるので正典に含めない」と宣言してから、次第に闇に葬られてしまいます。キリスト教の写字生が「エノク書」を書き写すこともなくなり、1000年の間、ノアの不思議な誕生の物語は忘れられていました。しかし、11世紀初頭のノルマンの騎士たちはどうだったでしょう? 彼らは「エノク書」も『シャーナーメー(王書)』も読むことができたのです。そして、金髪碧眼の自分たちの容貌は、異形の赤ん坊であるザールやノアによく似ていることに気付いていたはずです。キリスト教徒たちに「天使のようだ」と称された少年王グリエルモ鏡い戴冠したとき、アラブ人たちは、新王を「『シャーナーメー』に出てくるザールのようだ」と思ったに違いありません。グリエルモ鏡ぜ身もおそらく『シャーナーメー』を読んだでしょうし、アラブに伝わる英雄ザールに似た自分の容貌を大いに利用して、アラブ人やイスラム教徒の信頼を集め、宗教的調和をはかったのではないかと思うのです。」(61)

(62)「つまらない揚げ足取りですがフィルドゥスィーはアラブ詩人じゃなくてペルシャ詩人だし、Sh&#257h-n&#257meはシャーナーメーじゃなくてシャーナーメです。ジャンルは英雄叙事詩ですが、サーサーン朝期の歴史伝承をもとにしてるらしいです。でもガズナ朝で編纂されたペルシア語詩の影響がアラブ経由でシチリアまで達してたなんてことあるのかしらん。」(62)

(63)「(カラジチ ◆mWYugocC.c )シャーナーメってペルシャ語で書かれたのかな?アラビア語に翻訳されて伝わってる可能性はあるかも知れない。「エノク書」がパレルモで読まれていた可能性の方はどうなんだろ。聖アウグスティヌスが聖典に含まなくて忘れられていったんだよね?」(63)

(64)「(コンコルディア)>>62詳しい訂正ありがとうございます。上記はアンドルー・コリンズの著書を参考にして書きましたが、彼は「アラブの詩人」とだけ書いていたので、そのまま鵜呑みにしてしまいました。『シャーナーメ』は、明らかに私の誤記です。最初に間違えて書いてしまったのを数回コピーしてしまいました。失礼。>でもガズナ朝で編纂されたペルシア語詩の影響が>アラブ経由でシチリアまで達してたなんてことあるのかしらん。無理ですかね? しかし、ルッジェーロ鏡い蓮▲薀謄鷂譟ギリシア語、アラビア語を自由にあやつり、世界中の(曖昧な表現ですが…)科学者や文学者を招聘したそうです。「ルッジェーロの書」として残されている書籍の中に、モロッコの地理学者イドリーシーが献上したという2冊の本が含まれているそうですが、そこには「地球は丸く、均一に海水で覆われている」と記されているそうです。コロンブスより3世紀も早く、シチリア王は「地球が丸い」ことを知っていたわけです。上記もいいかげんな記述で申し訳ないですが、イドリーシー(発音合ってますか?)に関しては、『シチリアへ行きたい』という旅行書に「モロッコの地理学者」とだけ書かれています。もし、詳しくわかりましたら、お願いします。また、「ルッジェーロの書」の蔵書の内容が知りたいのですが、ご存知ないでしょうか? 」(64)

(65)「セウタで生まれてコルドバに勉強しにいった人ですね。>「ルッジェーロの書」として残されている書籍の中に〜というより、アル=イドリーシーが書いたのがKitab al-Rujar、ルッジェーロの書という別名で呼ばれたらしいですよ。」(65)

(66)「(コンコルディア)>>65ありがとうございます!そうですか。「ルッジェーロの書」という複数の書籍が残されているのではないのですね。ちょっとがっかり…。"Kitab al-Rujar"はアラビア語で書かれているのですか? (この時代、コルドバはイスラム王国でしたっけ?) また、アル=イドリーシーはどうやって「地球が丸い」ことを知ったのでしょう?コルドバではそんなに学問(地理学)が進んでいたのでしょうか?なにしろ中近東に関する本はほとんど持っていないので、質問ばかりでごめんなさい。」(66)

(67)「(コンコルディア)>65面白くなってきたので、連続投稿ごめんなさい。ルッジェーロ鏡い両傑曚靴寝奮惻圓篳験惻圓量樵阿知りたいのですが、資料を何かご存知ありませんか?彼がどんな本を読み、どんな知識を持っていたのか興味があるんです。」(67)

(68)「(コンコルディア)あはっ! 今、気がつきましたが、コルドバは中近東ではなく、スペインですね。失礼。」(68)

(69)「イドゥリースィーの通称『ルッジェーロの書』(Kitāb Rujār/كتاب رجار)[正式なアラビア語の書名は『世界踏破をあこがれる者の楽しみ』(Nuzhat al-mushtāq fī ikhtirāq al-āfāq/نزهة المشتاق في اختراق الآفاق)]は、このサイトにアラビア語の原典が掲載されています。(ページの一番下にマグリブ・アンダルス史関係の史料が4種あげられている中の一番下をクリック)andalusttp://membres.lycos.fr/andalus/arabe/邦訳が出ているイブン・ハルドゥーンの『歴史序説』の第1章の世界地理の記述はイドゥリースィーに基づいているので、日本語でもイドゥリースィーの著作がどの様なものかは大体、うかがい知ることができます。」(69)

(70)「(コンコルディア)>>69ありがとうございます。お知らせいただいたサイト、見てきました。でも…アラビア語、全く読めましぇん(涙)。今度、イブン・ハルドゥーンの『歴史序説』を探してみます。話が前後しますが、アラビア語とペルシャ語はよく似ていますよね? アラビア語が読めたらペルシャ語の詩『シャーナーメ』を読むのは簡単なのではないかと思うのですが、どうでしょう? それに、コルドバから地理学者を招聘できるなら、ガズナ朝の本を取り寄せることなど簡単なのではないかと…。素人考えですが…。あっ、これは>>62さんへのレスですね。同じ方のように思っていたもので、失礼しました)ところで、日本の国名が載っているのは、イドゥリースィー(この方が感じいい!)の地図が世界初だそうですね。これが無ければ、日本という国の存在が世界に知られるのはもっと遅かったということですかね。…ルッジェーロ鏡い蓮◆崙本」を知っていた! …これも面白い情報ですね。約1000年も前に、日本という国の名を知っている王がいたとは…。これらの文書はラテン語に翻訳され、広くヨーロッパに伝えられたということですから、ノルマン・シチリア王国の文化的な貢献度は多大なものであったと思いますね。」(70)

(71)「wakuwakuだけどな。一体どうやったら日本がワクワクになるのか。「ワコク」が訛ったのだろうか。」(71)

(72)「>>63ペルシア語です。サーサーン朝の滅亡以来、文学の言語としては衰退していた中世ペルシア語が、サーマーン朝で近世ペルシア語文学として復興してから書かれた最初の大作で、しかもペルシア的な主題を用いたペルシア文学史上非常に重要な作品…というような位置付けらしいです。まあフィルドゥシー以前のペルシア詩人もシャーナーメを題材にしていた作品を書いてたりもしたようなのでおそらくイランでは広く知られた物語だったんでしょう、フィルドゥシーからかはともかく、なんらかの形でアラビア語の文献に伝わっていてもおかしくはないでしょう。>>70>話が前後しますが、アラビア語とペルシャ語はよく似ていますよね?そんなことはありません。文字がほぼ一緒でアラビア語の語彙がペルシア語に大量に入ってはいますが言語の系統も文法も全然別です。確かにペルシア語を母語とする人がコーランの言語であるアラビア語を読み書きできることはよくあるでしょうがその逆はちょっと考えられません。ちょっと強引ですがアラビア語を中国語、ペルシア語を日本語の候文に喩えるとこの関係を想像しやすいでしょうか。」(72)

(73)「>>66地球球体説なんて古代ギリシアの昔に実証されてると思うが。」(73)

(74)「(コンコルディア)>>71wakuwaku っていうんですか? (へぇー×7)面白いですね。ついでに、どんな風に書かれているのか、わかりますか?どんな服装をしている、とか気候はどうか、とか…。この頃だと日本は平安時代ですか…。>>72詳しい説明、ありがとうございます。アラビア語とペルシャ語、文字が似ているので、フランス語とイタリア語程度の差かと思っていました。こういう人が来てくれると2chも楽しいんだけどなー。このスレで粘っててよかった。(カラジチさん、引き留めてくれてありがとう)>>73>地球球体説なんて古代ギリシアの昔に実証されてると思うが。(へえーっ×∞)誰がどうやって実証したんですか????? 是非詳しくお願いします。」(74)

(75)「(コンコルディア)あっ、そうか。アリストテレスのは「実証」っていってもいいのか…。(へえーっ×∞)取り消し…。」(75)

(76)「(コンコルディア)中世のキリスト教会では、地球球体説も地動説も抹殺され、異端扱いを受けていた。その時代でありながら、シチリア王は、地球球体説を受け入れていた。様々な意味で、ノルマン・シチリア王ルッジェーロ鏡い楼枌爾任△辰燭箸いΔ海箸鬚いい燭ったんですよね。言葉が足りなくてごめんなさい。ところで、イドゥリースィーが知っていたということは。イスラム教圏では、ずっと地球球体説が受け入れられていたということですか? このあたり詳しい方がいらしたらお願いします。それと、ちょっと話は変わりますが、「聖ヨハネ国」の伝説を誰か知っていますか?アフリカのどこかにある、聖ヨハネの創った国だということなんですが、大航海時代の契機となったのは、実はこの「聖ヨハネ国」伝説だったということです。つまり、この国を発見し、この国の人々と協力してイスラム教に対抗しようという目的もあったらしいです。キリスト教圏の諸国が地球球体説を受け入れるのには、この大航海時代を待たなければならなかったわけですが、私が前に書いた「天使信仰」と「聖ヨハネ信仰」は、非常に深く関わりあっていると私は思います。そのあたりのことに興味のある方はいませんかね?」(76)

(77)「(カラジチ ◆mWYugocC.c )>>74-75文字が似ている=言語が似ている、というわけではないですね。ペルシャ語は印欧語族なんで、ヨーロッパの言語やサンスクリットと同系統です。アラビア語はセム・ハム語族なので、別の系統。ヘブライ語なんかと同じ系統です。ちなみにトルコ語はまた別系統で、モンゴル語なんかと同系統になります。……ヨーロッパ人の方が、「おおペルシャ語って俺らの言語と似てるじゃん。分かりやすい!」ってなった可能性はあるかも。いや、実際にペルシャ語がどんなのか分からないんで、妄想ですけど。>地球球体説古代ギリシアでは地球の周の長さも測られてますから。しかも誤差は1割程度だそうです。」(77)

(78)「(カラジチ ◆mWYugocC.c )>>76地動説は異端ですけど地球球体説は異端じゃないですよ。学のない船乗りたちならともかく、ヤツラは地球が球だって知ってました。コロンブスの時に問題になったのは、地球のサイズです。コロンブスに反対した人たちは、「今の地球−アメリカ大陸」を頭の中に描いてたんですよ。で、「地球の半分もある海を越えれるわけねーべ」と反対した。これに対してコロンブスは、観測精度の悪い別のデータを出してきて、「そんなことはない、地球のサイズはもっと小さいんだ、だからインドはすぐなんだ!」と主張した。つまり、実はコロンブスは間違ってたんです。」(78)

(79)「つまらない揚げ足取りですが中世のお約束の形容ですね。「白雪のように白く」「薔薇のように赤く」「太陽のように美しく」(栄光や偉大さを表現する)>赤ん坊が自分の子ではなくダーエワ(悪魔)かマジシャン(マギ)の子「ヘロス」はしばしば、他民族との融合を表象したり、偉大さを表現「ノア書」と「エノク書」が類似もとは、メソポタミアの洪水伝説だから>自分の容貌を大いに利用して、はよくあります。>ラテン語。ギリシア語、アラビア語を自由にあやつり中世で自由にあやつり=単語を何十か何百か知っている程度ですよ(著作でもない限り)>中世のキリスト教会では、地球球体説も地動説も抹殺され、異端扱い>地動説は異端ですけど地球球体説は異端じゃないですよ。当時としては、地動説も異端じゃないと思いますが、コペルニクスはカトリックでは消極的に支持されていた。ルターやカルヴァンらプロテスタントと世俗君主がうるさくなり、カトリックも反対派にまわったため、異端になるので……。「天使信仰」や「聖人信仰」や「マリア信仰」などは、キリスト教は一神教なので、もとの宗教の神々を取り込む場合唯一絶対の神では人間が認識したり知覚したり想像しにくいなどであちらこちらに見られると思います。」(79)

(80)「(コンコルディア)>>79>中世のお約束の形容ですね。形容が問題ではなく、髪が「白い」(ブロンドなので)、頬が「赤い」(肌が白いから)、目が「輝いているように見える」(明色なので)ことが異常だったのでしょう? この子供は非常に醜いものとして父親の目に映ったわけですから、別に形容詞が共通しているなどということは問題ではなく、両親と似ても似つかない容姿の子供が生まれたという話が、ザールとノアに共通していることを言ったつもりですが…。(どこが取られた「揚げ足」なのかわからない…)>「ヘロス」はしばしば、他民族との融合を表象したり、偉大さを表現父親は赤ん坊のザールを邪悪なものとして殺そうとしています(何種類かバリエーションがあるらしいので、元の話は正確にはわかりませんが…。何故「偉大さを表現」ということになるのですか?>もとは、メソポタミアの洪水伝説だから「ノア書」と「エノク書」は類似していません。同じ話が出てくるのは、ノアがエノクの孫であり、ノアの生誕に関する同じエピソードが両方に出てくということです。>>自分の容貌を大いに利用して、>はよくあります。だから何?>>ラテン語。ギリシア語、アラビア語を自由にあやつり>中世で自由にあやつり=単語を何十か何百か知っている程度ですよ(著作でもない限り)そーかな? 単語何百では話せませんよ。書くと話すとは別ですからね。著作があるかないかは関係ないんじゃないですか? 少なくても「自由にあやつり」という表現が書き残されている以上、話すのに不自由していなかったのは確かでしょう?残りは、書いている時間がないので後日。」(80)

(81)「>少なくても「自由にあやつり」という表現が書き残されているだから、この時代の記述は大袈裟に書いたり、おべっかがあるだろう。複数の違う著者が、私のラテン語の誤りと正しい発音を指摘なさいましたとか、実際にこんな話をしたとかいう話が無くて、「自由にあやつり」とあっただから話すのに不自由していなかったのは確かでしょう?」と解釈すべきなのか?あやしいだろ。資料批判しているのか?」(81)

(89)「(コンコルディア)>>81だから何?よくわからないなぁ。大袈裟に書いているだろうぐらいは誰でもわかるでしょう?だからといって、ルッジェーロ鏡い「単語を何十か何百か知っている程度」と決め付ける方がよほど変じゃないですか? それこそ何の根拠もないのだから…。全く英語を習っていない小学生でも英語の単語の何十か何百かは知っているでしょう。それを「この子は英語を自由にあやつる」とは誰も思わないわけで…。少なくてもルッジェーロ鏡い蓮▲▲薀咼語を話すアル=イドリーシーとギリシア人神学者ネイロス・ドクソパトレースとは直接話をしたのだから、外国人講師の話を聴講する大学生程度には語学力があったと考えた方がいいんじゃないでしょうか?同じ「揚げ足取り」でも>>62さんと>>72さんとじゃ、だいぶ格が違うようですね。新しい知識を与えてくれない揚げ足取りはつまらない。>カラジチさん、このスレ、面白くなってきたけれど、話題がスレタイと離れてきたし、72さんや81さんと話すのは時間の無駄だから、また62、65、69、71、72さんあたりが帰って来てくれるまで、しばらく消えます。あ、>>77-78、面白いですね。語族や地理に詳しいんですね。聞きたいこともあるので、今度またどこかで…。」(89)

(82)「(カール大帝)「儂は、ラテン語を自由自在に使いこなせたのじゃ。そうだな、アインハルト」」(82)

(83)「(アインハルト)「さようで」」(83)

(84)「Carolus Magnus (747 - 814) Einhardus (ca. 770 - 840)」(84)

(85)「(リチャード王)「英語も実は流暢に話そうと思えば話せるのだよ」」(85)

(86)「リッチー・ザ・ファーストってタンクレーディの従兄弟だっけ?」(86)

(87)「「シチリアの晩鐘」でしょ萌えは、フランス兵が一人の娘を犯したことに始まる。」(87)

(88)「「エノク書」って、二つあるんだっけ?」(88)

(90)「(コンコルディア)>>88「エノク書」関連のことはキリスト教のスレで聞いた方がいいでしょう。」(90)

(91)「アッバース朝成立前後に空前の翻訳ブームが起こったそうでして、これが二百年ほどは続いたとか。ギリシア語、シリア語、中世ペルシア語、サンスクリット語などの諸言語で書かれた大量の文献群がアラビア語に翻訳・整理統合されたそうで、これによってアリストテレスやプトレマイオスといってギリシア系の科学などがイスラーム世界に広く知識として流布するきっかけになったようですな。イドリースィー自身はかのフィルダウスィーの100年以上後の人ですので、フィルダウスィーのシャーナーメを読んでいた可能性は十分あるかと思います。東方ではかなり有名な人でしたからそのアラビア語版も当然あったろうと思います。(詳しくないので憶測はありますが(汗ただ、フィルダウスィー以前に編纂されたのシャーナーメがアラビア語に訳されて「ペルシア史」の一部として認識されていたこともまた考えられますし、このアッバース朝時代に訳された中世ペルシア語文献からの情報もあるいはあったかも知れません。フリードリヒ2世のシチリア王国は、既にあるようについ100年前までイスラーム世界だったところにキリスト教世界の王が君臨する極めて不安定な国でした。国家体制として在地のアラブ系やギリシア系住民を行政機構の中枢に置いたように、支配層自体が他言語を駆使しなければ統治が不可能だったことを考えれば、フリードリヒも「ラテン語、ギリシア語、アラビア語を自由にあやつ」っていたとしても何ら不思議ではないのと思います。何より当時のシチリアはコルドバ、バグダードと並ぶ他言語翻訳の一大中心地でしたし、歴代の王もこれを奨励していたこともあります。さらにフリードリヒはエジプトのアイユーブ朝の君主スルターン・カーミルとの私信を交わしてますが、これはアラビア語で数学や哲学の話題をやりとりしてたそうなので、少なくともフリードリヒは数学や哲学の話題をアラビア語の文章で交換するだけの語学力を持ち合わせていたと見ても良いのではないでしょうか?」(91)

(92)「2chはだれのものでもありまんせん。コンコルディアさん。」(92)

(93)「このスレは「コンコルディアさんの説」を披露してくださるスレです。」(93)

(96)「スレを仕切ろうとするなよ。」(96)

(97)「ヴァカが一生懸命自説をとなえてます。」(97)

(98)「初心者は半年はromれ。」(98)

(99)「もう終わりだなこのすれ。」(99)

(100)「とりあえず100はゲット」(100)

(102)「2chで自分の説を披露しても、叩かれるのがおち。」(102)

(103)「素晴らしい説だが「車輪の再発見」に近いだろう。」(103)

(105)「タンクレーディでも男」(105)

(106)「(カラジチ ◆mWYugocC.c )……ほろ酔いが一気に冷めちゃったよ……。>コンコルディアさん落ち着きなされ。コテハンが煽ったらダメですよ。腹が立ったらそのレスは無視しましょう。しかし、なんというか、>外国人講師の話を聴講する大学生そんなん俺には無理や……」(106)

(107)「ペルシャ語とアラビア語が全然別物という常識中の常識すら知らんヤシがどんな説を主張してもね…。もっと勉強して出直してこいとしかいいようがないでそ。」(107)

(108)「自己厨は、「自分に関係ないことは、「  」のスレで聞いた方がいいでしょう」と語る。」(108)

(109)「>面白くなってきたけれど、「みんな、漏れの説に感動してくれているんだ」「関係のない人間は来るな」「ここは俺様スレだ」>話題がスレタイと離れてきたし、「2chの入れば、2chに従え」「マフィアはなんでシチリア島から生まれたの?」         ↓「イタリア」のスレで聞いた方がいいでしょう         ↓「大きなお世話だろ、少ない知識でもガンバッテいる厨房にとってはマフィア=シチリアとでてきただけでも十分だろ。なんでお前が仕切るんだよ」」(109)

(110)「(25)最近卒論で、2ちゃんどころではなかったので、久しぶりに来たんだけど…23、もといコンコルディアさん、質問を放置して申し訳ない、と謝罪はこのくらいにしておいてしかし、スレで自分の価値観押し付けあってどうすんだよもっと純粋に学ぶことをするべきところで、ノルマン・シチリア王国は信教の自由は認められてたんだよね?それでも宮廷に使える小姓や役人は、やっぱりキリスト教に改宗する必要があったんだろうか?ジュバイルの『旅行記』のなかに、信仰を隠さなければらならかった役人さんが出てくるんだけどやっぱり名目上は、王国の役人は他教徒は勘弁って事?歴史は専門じゃないんで、誰か詳しい人いたら教えてクレついでに保守age」(110)

(116)「(カラジチ ◆mWYugocC.c )>>110私も単に高山先生の受け売りなんだけど(笑たしかムスリムはダメってことになってたはず。正教徒はちょっとわかんない。けど、公然と隠れムスリムがいて、宮廷の中でメッカの方向いて祈るのもほとんど黙認だった。」(116)

(111)「自己厨の「コンコルディア」が自分の意見を「正しい説」を、自分の解釈でひろうするスレだろ。sage」(111)

(112)「学術的に語る。お前は大袈裟だと指摘しているだけだが、「よくわからないなぁ。大袈裟に書いているだろうぐらいは誰でもわかるでしょう?だからといって、ルッジェーロ鏡い「単語を何十か何百か知っている程度」と決め付ける方がよほど変じゃないですか? それこそ何の根拠もないのだから…。全く英語を習っていない小学生でも英語の単語の何十か何百かは知っているでしょう。それを「この子は英語を自由にあやつる」とは誰も思わないわけで…。少なくてもルッジェーロ鏡い蓮▲▲薀咼語を話すアル=イドリーシーとギリシア人神学者ネイロス・ドクソパトレースとは直接話をしたのだから、外国人講師の話を聴講する大学生程度には語学力があったと考えた方がいいんじゃないでしょうか?」」(112)

(113)「(あぼーん)あぼーん」(113)

(114)「「漏れは凄いんだ、いっぱい見方がいるんだ。漏れの支持者は沢山いるんだ」」(114)

(115)「荒らしてるほうも相当恥ずかしいぞ」(115)

(117)「まあ、あんまり自分の説を批判されたり批評されたことがないんだろ。まぁ、放っておけよ。変に自分の説に固執すると、結構偏った見方をしてしまって、自説に有利な資料とかだけ集めがちだな。それをちょっと指摘されると、全体を批判されているように受け止めてしまうんだろ。それでも、勉強しているようだし、このへん勉強している人も多いとは言えないのだから「いい感じ」に成長できるかもしれんだろ。できなきゃできないで当人が苦労するだけだし。仕切っているように見えないこともないし、偉そうに見えなくもないが、このスレだけだろ。初心者っことで許してやれ、だれだって、2chに最初に来たとき2chの常識に慣れん罠、変なカキコとかしたことがあるだろ。よそのスレでもこの調子で拡大していったらその時は叩きつぶせばよかろう。多めに見てやれ。」(117)

(118)「しかし、どうかと思うところがないわけじゃないぞw」(118)

(119)「>>117ペルシャ語とアラビア語の違いがイタリア語とフランス語の違い程度だと思っていたやつが、まともに勉強しているとはとても思えんぞ。エピソードだけを見て妄想した程度やん。まだまだ学問以前の段階。まあ、もう恥かしくなってあのコテハンを使うことはないだろうから、再びどこぞのスレに現われたとしてもわからないんだけどさ。」(119)

(120)「(カラジチ ◆mWYugocC.c )いやー、だからといってあそこまでする必要あるのかね。間違いは正していけばいいだけの話っしょ。コピペを貼りまくってまで追い出す必要があったのかどうか。」(120)

(121)「良スレ展開だっただけに惜しいな。でもまあ名無しで復帰しても気づかれないので、ちょっとばかり2chとイスラーム世界の勉強をしてから、知らん振りしてまたカキコして下さいよ。 >>コンコルディア>>88スラヴ語エノク書とエチオピア語(古ゲーズ語)エノク書だね。エチオピア教会は、エノク書を正典扱いしている。天使に関する記述も豊富。田舎住まいな上に本を買う金がない俺は、この時代のことはネットで調べるしかないんだが、結構シチリア史関連サイトは多いね。↓とか。ttp://www.h3.dion.ne.jp/~jtpage/cy/history/sciria/ttp://www.asahi-net.or.jp/~RB5H-IKD/sicilia/history.htm」(121)

(122)「(コンコルディア)>>121ありがとうございます。2chについてもイスラーム世界に関しても不勉強で、その意味では、自分の書いた内容が不適切であったと反省はしていますが、アラビア語やペルシャ語を知らなかったことを恥ずかしいこととは思っていませんので、コテハンのままで、お礼を申し上げます。おそらく、>>59で私が書いた内容に、2つのミスがあったことが、この騒動の原因と思いますが、誤記に関しては、>>64でレスいたしましたし、フィルドゥスィーを「アラブの詩人」と書いたのは、参考にした本の記述をそのまま書いてしまったためのものです。(書く前に検索をして確認するべきだったのでしょうが…。言い訳めいてしまいますが、このスレの幾つかのレスを拝見した結果、その文献は、キリスト教に関しては詳しいものの、アラブ世界やユダヤ教、イスラム教に関する理解に若干の問題がある資料であったように思います)アラビア語を全く知らない者にとっては、ノルマン・シチリア王国を理解することは、非常に難しいことです。ラテン語の資料と、アラビア語の資料の両面から検討しなければならない内容を多く含んでいるからです。しかし私は、ノルマン王朝の王たちがどのような本を読み、どのような知識を持っていたか、とりわけ、彼等が『シャーナーメ』を読んだ可能性はあるのかどうかを知りたいと思い、その欲求に性急でありすぎたと反省しています。そのため、詳しいことを教えてくださる方がいらっしゃることに甘えて、排他的な態度を取ってしまっていたようです。スレが荒れる原因を作ってしまい、申し訳ありません。」(122)

(123)「(コンコルディア)私は、2chに書くことで、自分の知識を自慢したいなどとは少しも思っていません。最初に書いたように、自分の知らない情報を得るために来ているつもりです。(今からアラビア語やペルシャ語の勉強をしている時間はとれそうもありませんから、それを勉強してから2chに書け…、などとは言わないでください)イスラーム世界には無知である私が「自説」などを書き込んだのは、専門の知識を持っている方々の目から見て、どの程度、受け入れられる内容か、試したかったのです。(叩かれるのは承知でしたから、「遠慮なく突っ込んでください」とお断りしましたし…)しかし、ノルマン・シチリア王国の王たちが、『シャーナーメ』の内容を知っている可能性があるとすれば、私の「とんでも説」は第一段階をクリヤーしています。その意味でこのスレに書き込んで、本当によかったと思っています。貴重なレスを下さった方々、ありがとうございました。少し書きかけてしまった「エノク書」や「天使信仰」に関する話は、反感を買うばかりでしょうから、2chではもう書かないことにします。自分なりにまとめて何らかの形で発表するつもりです。中途半端でごめんなさい。これでまた名無しに戻ります。カラジチさん、色々とアドバイス、ありがとうございました。」(123)

(124)「正直、二度と出てくんな。失せろ。」(124)

(125)「ルッジェーロッ!!!」(125)

(126)「荒らしは、全員在日に認定されています。」(126)

(127)「(カラジチ ◆mWYugocC.c )予想通りどんどん落ちておりますー……」(127)

(128)「もう来ないのかなぁ、コンコルディアさん…。なかなかアツい人で楽しかったのに。」(128)

(130)「(コンコルディア)>>128心に懸けていただいてありがとう。実は、ノルマン・シチリア王国に関連のある小説を書き始めています。ルッジェーロ鏡い肇哀螢┘襯皚鏡い瞭鷽佑、シチリア出身のある宣教師の子孫として現代の日本に転生するという破天荒な物語です。既に、出版社も、美男王に相応しい華麗なイラストを描いてくれる作家も決まっているので、執筆を急がなければならないのですが、もともと怠惰な性格なので、イスラーム関係の資料を集めるのが遅れていました。しかし、ここに書き込んで、色々教えていただいたり、煽られたりしたお陰で、加速度がついた感じです。これからは、ますます忙しくなるので、あまり2chには来られないかもしれませんが、出版の暁には、「おお、この作者は2chにいたコンコルディアだな」と密かに楽しんでいただければ幸いです。>>127カラジチさん、短い間のお付き合いでしたが、本当にありがとうね。たまには「名無し」で書かせていただきますよ。」(130)

(131)「カミングアウト キタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━(  ゚)━(  )━(  )━(゚  )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!!!!」(131)

(132)「>>13061を書いた者ですが、イスラム関係のことについては何か書く前に講談社現代新書の新書イスラームの世界史シリーズとか山川の「西アジア史」なんかで少しでも勉強するとか、「岩波イスラーム辞典」とか平凡社の「新イスラム事典」などにあたってウラを取るとか、その程度でよいので知識を得ておけばアラビア語を全く知らなくとも恥じることはないし叩かれることもなくなると思いますよ。もしわからないことがあるなら名無しでもいいのでこの板には質問スレがあります。私らでわかることならお答えできると思います。」(132)

(133)「>>132>>61ってコンコルディアのレスじゃないのか?」(133)

(134)「(コンコルディア)>>13262さんですね。ありがとうございます。実は先日、平凡社の「イスラム事典」を購入しました。シャー・ナーメも載っていましたし、地図や図版が多いので、助かっています。わからないことがありましたら、お言葉に甘えて、質問スレにでも書かせていただきます。」(134)

(129)「 現在のシチリアにイスラム文化の名残は残っていないのですか? 現在のシチリア方言はシチリア島がマルタのように、完全にアラビア語化しその後、再び本土から南下してしたものですか?」(129)

(135)「イスラム建築は美しい」(135)

(136)「シチリア王国がヨーロッパの官僚制度の起源みたいなことを読んだことがあるんですが本当ですか?」(136)

(137)「(カラジチ ◆mWYugocC.c )>>136かなりしっかりした官僚機構を持っていたのは事実のようです。」(137)

(138)「中世シチリアの有名な官僚の伝記ってありますか?」(138)

Last modified:2011/02/20 19:34:49
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