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なぜ秀吉は失敗しヌルハチは成功したの?

20041119wiki掲載 (以下はまだ未整理です)

テキスト修正したいかたは、「ボランティアについて」のページをご覧のうえ修正してください。


.(1)「当時の日本は人口も多く武器も勝っていたのに、朝鮮すら征服できず、満州族は人口も少なく、武器も劣っていたのに、どうして比較的短期間で中国を征服できたの?。 」(1)

(2)「海が問題だった文化が違った」(2)

(3)「満州族と官族・朝鮮族も文化は違う。海が必ずしも障壁に成ったとも思えないが。」(3)

(4)「タイミングの問題もあるな。 満州族もヌルハチ、ホンタイジと山海関を抜けられなかったが たまたま南で李自成ががんばってくれたおかげで 順治帝はあっさり入関できた。」(4)

(5)「(山野野衾)逆に秀吉の攻撃により弱っていたという事もあったでしょう。あとは補給路と機動力でしょうか。家臣団の士気も重要。」(5)

(159)「>>5>補給路日本の対外戦争の失敗は大体がそれなんだよな。前の大戦のときもそう。戦地拡大ばかりで補給のことなど軽視していた。いつも日本の軍事指導はそういった点で行き当たりばったりなんだよな。」(159)

(160)「>>159世界的に補給が重視されるようになったのって、19世紀なかばになってからだと思うが。それ以前の戦役としては、朝鮮の役は十分に補給を重視していたと思うぞ。」(160)

(161)「そもそも、それ以前は「補給」でなくて「現地調達」だからなあ。同盟国からの徴発か略奪かの違いはあるにしても。これに失敗すればどこの国でも苦労するでしょう。大体、ヨーロッパで非戦闘員への扱いを含む戦時国際法が確立したのっていつだ?グロティウス以降の展開がよく分からん。それからでないのか、本国からの補給の重視は。」(161)

(163)「>>161いやあ、やはり俺は補給に関しては不備があったと思うよ。同時代の軍事的補給思想と比較しても、あまり意味がないと思われ。だって、それを乗り越えなければ、朝鮮で勝つことは難しいからね。この点、補給線の寸断にこそ一国の命運がかかっていることを見抜いた李舜臣は大したものかもしれないが。」(163)

(6)「中国を征服したのはヌルハチじゃないぞ。 それはともかく、清(後金)は征服した漢民族を吸収して 自分の勢力に組み込めたのに対し、秀吉にはそれができなかった。 このへんが問題なんじゃないかな。」(6)

(7)「>>1明は満州に滅ぼされたのではなく、国内で李自成の乱が起こって皇帝が殺されて勝手に滅亡したのだが?」(7)

(10)「(山野野衾)>7現在北京には李自成の(台座も含めて)馬鹿でかい銅像が立っております。あの辺で死んでいれば共産主義の英雄になれる訳やね。」(10)

(140)「(壮絶なる明朝皇帝)>>7 > 明は満州に滅ぼされたのではなく、国内で李自成の乱が起こって皇帝が殺さ > れて勝手に滅亡したのだが?明の最後の皇帝、永暦帝が降服したのは1660年、清の将軍になっていた呉三桂に降服。永暦帝のまえの隆武帝を敗死させたのも清朝。明にとどめを指したのは清朝。」(140)

(141)「(中華@名無史さん)永暦帝・隆武帝ともに正当な「明」とは言えないのでは? 一時期は亡命政権皇帝が三人も居たのですからね。 まぁ、何処の時点を「明」の終わりとするか、と言うのは人それぞれだと思うので 言いたい事は判りますが・・・ 本来のスレネタとは離れて居るのでさげ」(141)

(148)「>>141 >>7は、明が「勝手に滅亡した」と主張している。 私は、再生をはかる南明勢力を全てつぶし、消滅せて、最終的に「明朝にとどめをさした」のは清朝、という事実を私的しているだけだよ。XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX1643年、明の毅宗が死んだ段階で、関内には大別して下記のごとき三系統の漢人勢力があった。 華北・・・・・・李自成政権(順) 四川・・・・・・張献忠政権 華中・華南・・・明朝残存勢力清朝は、これらの漢人勢力をことごとく滅ぼし、自国に統合した。よって、「明朝を滅ぼした」のは清朝。「明朝系漢人勢力の蠢動をことごとく平定した」といえば、>>141 さんも満足かな。」(148)

(149)「(中華@名無史さん)>148レスさんくすと言うか漏れは別に>>141であなたの論を否定した訳では無いのですよ(w漏れは”明の最後の皇帝”と言う部分で反応しただけであって、明朝系漢人勢力を平定したのは”清朝”だとは認識していますよ?と言うか某中華皇帝を評価するスレでも漏れは康熙帝は評価していますからね。と言うより、この一連の話題はこのスレより「明王朝を語る」スレの方が良い気がします。本来sageたかったけどレスなのでageて置きます。」(149)

(8)「あとは国内統一のレベル。秀吉は天下人とはいえ、農民出、なりたてのホヤホヤ。」(8)

(9)「秀吉が急死しなければ南朝鮮ぐらいは手中にしていたのでは?再征計画してたんだし。それともっと補給だとか軍備だとか往年の秀吉のようにきちんとした戦略たててればよかったのかも。」(9)

(19)「>>9百歩譲ってそれが正しいとしても、せいぜいちっぽけな南朝鮮だろ?そんなのヌルハチだって建国から数年でそれぐらいの中国領を占領してるよ。全然征服のレベルが違う。」(19)

(23)「>>19だから上の誰かがいいっているように、ヌルハチの建国(統一)後、相当な時間がかかっているの。それに、清が明を征服したのはヌルハチが死んでからだよ。そのくらいのことも知らないとは。」(23)

(11)「信長が本能寺の変で死なずに生き延びていれば、秀吉自身が朝鮮へ出陣できたのでは?朝鮮で負けたのは、軍の統制や補給なんかにも問題があったと考えられるので、秀吉が直接指揮していれば、もっと違った結果になったかも。」(11)

(12)「清はヌルハチが明に反抗したのが1618年、清が北京いりしたのが1644年、 決して短期間では内容に思うが。」(12)

(13)「 なんで誰も呉三桂の事をかかないの? 色恋のためなら、自分の祖国すらも裏切り、山海関を開き李自成を夷をもってまでもやっつけようとした男の事を…」(13)

(14)「(世界@名無史さん )>>13ありゃ伝説だろうが・・・」(14)

(15)「秀吉はフィリピンへ侵攻していれば確実に落とせてたと言われてますね。中国を力攻めで攻め落とすのは難しいでしょ、やっぱし。」(15)

(16)「(名無しさん)>>15しかし落すなら中国の方が面白いだろ。」(16)

(17)「温かい国の兵が寒い国を征服するのは難しい。日本軍は朝鮮でも寒くて困っていた。草履だから。」(17)

(18)「満州と朝鮮は地続き、日本と朝鮮は海で隔てられている。この違いが大きかったのではないか。実際、豊臣秀吉の朝鮮出兵の最大の敗因は、李舜臣率いる朝鮮水軍に日本水軍が敗れた為に日本軍への海上からの補給が出来なかったから。」(18)

(35)「>>18うーん、李舜臣は結局日本軍の補給線を断つことは出来なかったハズだが。日本の撤退も阻止できなかったし。」(35)

(20)「家康を無理やり出陣させていれば・・・。」(20)

(21)「秀吉って家康に暗殺されたんじゃないの。家康は、秀吉の病の原因は天ぷらだという理由で家臣に天ぷらを禁止しただろ。それが臭うんだよな。それに、関が原後、大阪の陣に到るまでの清正ら豊臣恩顧の有力大名の死が怪しい。」(21)

(22)「家康っててんぷら食って死んだんだぞ。」(22)

(24)「軍事的にはヌルハチは明の火力部隊が抜けなかった。明(漢民族)の風習を知悉し、長い交流の期間があったゆえ、政略、計略の要諦も心得ていた。いってみれば大陸に於ける内戦的な性格もあった。その点が文明的に隔絶していた日本に比べて有利だった。」(24)

(25)「倭奴の小猿と大蒙古の生んだ世界史上最大の英雄を比較しようなどおこがましいわ!」(25)

(26)「>>25蒙古?誰が??」(26)

(27)「高性能の武器を持ち、人口も莫大な日本と人は少なく装備劣悪な満州軍の違いも考慮しませう。」(27)

(28)「>>2625は遊牧民の蒙古と狩猟農耕民の満州の区別がつかない厨房ということで。>>27>人は少なく装備劣悪な満州軍根拠は?」(28)

(29)「女真族は基本的に狩猟民族で戦闘向き。 またヌルハチのつくった八旗は国民皆兵。総勢十二万。 つまり満州軍は強力な軍事力があったんじゃないの。 」(29)

(30)「世界史板の人間は高校の歴史教科書も覚えていないことが露呈されたスレ」(30)

(31)「自分たちと異なった人達を支配するにはコツがいるってこと。 戦闘ひとつひとつとっても意味無いんじゃないの。 武器や戦力を語るにしてもそう。」(31)

(32)「女真の人口ってどれだけ?」(32)

(33)「>32 戦力+女子供。」(33)

(34)「>>32当時の総人口は60万人だったと聞いたけど。ちなみに安土桃山期の日本は1,500万人。」(34)

(36)「確かヌルハチが部族統一したころの女真だと、兵力は成年以上の男子皆兵で7500人を8倍(八旗)で60000人が正規の兵力ということになる。60万の人口は、残りの部族や蒙古の編入その後の漢人の奴隷などで増加した状態か?」(36)

(37)「ヌルハチが可汗に即位した時には400ニル(1ニル=300人)まで達したので 12万人まで増加していたらしい。 この時点では漢族や蒙古を取り込んでいたからどんどん増えていったのかもね。 1638年にはドルゴンが明に侵攻、捕虜46万人を得たとあるし。」(37)

(38)「日本刀と槍、火縄銃の威力は凄かったらしいね。明との停戦の際には、これらを献上すると喜ばれたらしい。」(38)

(39)「>>35確かに九州の肥前名護屋から壱岐・対馬を経て朝鮮半島の釜山付近に至るまでの日本軍の補給線を、李舜臣の朝鮮水軍は絶つことは出来なかった。だから日本軍も朝鮮半島からの撤退が可能だった。しかし李舜臣の朝鮮水軍は日本水軍を朝鮮半島南岸の海上で打ち破り、日本水軍が半島南岸から西岸へかけての海上の補給線を確保するのを完全に阻止したわけですよね。この為、日本軍は海上輸送を使って前線の部隊に物資を補給することが出来なくなり、やむなく釜山付近から朝鮮半島の内陸部を経由して補給をしなければならなかった。この補給路は海上輸送ルートに比べ手間がかかるだけでなく、常に朝鮮のゲリラに襲撃された為に、前線の部隊は物資が滞りがちになった。これが小西行長の日本軍が平壌付近にまでしか前進出来なかった大きな要因だ。もしも李舜臣の朝鮮水軍が破れ、半島の南岸から西岸にかけての制海権が日本水軍の手に落ちていたならば、前線の日本軍への海上ルートを使っての補給が可能になり、日本軍は朝鮮半島西部から鴨緑江を渡って明国領内へも進撃出来た筈だ。やはり朝鮮出兵の最大の敗因は日本水軍が李舜臣の朝鮮水軍に破れたことだと思う。」(39)

(40)「それじゃ次は「何故日本の水軍は弱いのか」です。↓」(40)

(41)「>>39日本軍は朝鮮で食糧を調達する方針だったけど、半島で飢饉が起きて食糧不足になったり、寒かったり、士気が低下したり、武将間対立とか色々問題があったんだよ。李舜臣は過大評価されがち。韓国民族主義とそれに迎合する日本のアカ。」(41)

(49)「>>41>李舜臣は過大評価されがち。韓国民族主義とそれに迎合する日本のアカ。 李舜臣のことを忘れずに高く評価していたのは朝鮮人ではなく日本人なのだが。あの日本海海戦のヒーロー東郷平八郎も李舜臣を尊敬していた。李舜臣を高く評価する日本人=アカという図式は戦後に出来た偏見。」(49)

(51)「>>49それもつい最近。概ね同意だが、アカ本が日本の悪業ばかり強調する反面、李舜臣を持ち上げる(東郷のことは書かない代わりに李舜臣については詳細に記す日本の教科書)のを見ると、>41の気持ちも分からないでもない。」(51)

(53)「> >>41 > >李舜臣は過大評価されがち。韓国民族主義とそれに迎合する日本のアカ。 > > 李舜臣のことを忘れずに高く評価していたのは朝鮮人ではなく日本人なのだが。 > あの日本海海戦のヒーロー東郷平八郎も李舜臣を尊敬していた。 > 李舜臣を高く評価する日本人=アカという図式は戦後に出来た偏見。 李舜臣は日本人が尊敬していただけで、韓国人は敬意のかけらも払ってないよ。李舜臣の名が英雄となるのは日本が占領したあとの話。」(53)

(54)「>>51なるほど。李舜臣を礼賛する日本人=アカという偏見はそうして生まれたのか。東郷平八郎は、自分は李舜臣に比べればたいしたことはないと語っていた程なのだが。>>53李舜臣の偉大さは日本人が韓国人に教えてやったんだよな。そして戦後になって反日の英雄として韓国各地に銅像が建てられた。」(54)

(56)「>>53>>54李舜臣は死後忠武公の名をおくられ、一等宣武功臣、徳豊府院君、左議政になり、1706年には祠堂「顕忠祠」が建立され、1795年には王命によって王室図書館が「李忠武公全書」を編纂しましたが、何か?」(56)

(57)「(世界@名無史さん )おそらく、生前の李舜臣が、功績を立ててもやっかみを受け冷や飯食い状態だった事を彼らなりに解釈したんだろ。」(57)

(59)「>1706年には祠堂「顕忠祠」が建立され、 で?この祠堂の韓国での扱いを知って行ってるの?(w今のような観光地になったのは戦後のことだよ(w」(59)

(61)「>>59それって、近代になるにつれて李舜臣の勇名が忘れられたってことじゃないの?祠があるからにはかつては評価されてたんでしょ?」(61)

(62)「>>59観光地化の如何で人の評価を測るとは。イタイねえ。全書については言う事なしかい?」(62)

(42)「>>39と似たような話になるが…単純に軍事的に見ると、たとえば有名なサルホの戦いでは、ヌルハチは手持ちの大軍(6万程度)を一箇所に集中することができた。後背地は彼の故地であり、後顧の患いはない。秀吉の場合、朝鮮が敵対すれば朝鮮奥部、ないし中国領に大軍を集結させるには途中に何箇所も経由の拠点を設けなければならず大軍の過半はそれに取られてしまう。それをも緩和するには海路からの半島西岸経由の補給が必要だったが、李舜臣の活躍でそれが不可能となった。もしも海路補給が可能だったら15万の渡海軍のうち10万を遼東半島に集結させることが出来たろう。実際には平城の小西が最先端で1万余しか突出できなかった。朝鮮が敵対していなかったら15万のほとんどすべてが集結できた。さらに朝鮮が協力的であったなら、日本の最大通常動員力(石高で換算)は50万くらいはあったらしいから、内地に10〜15万を留保したとして、最低35万〜40万の大軍を遼東に集結できる。ただし、それだけの動員を長期間続けるには国内からの補給だけでは無理で、いきおい現地調達、すなわち経略が必要となる。朝鮮が確実な補給基地にならねばならない。それらの条件を備えれば日清戦争が400年前に実現していたろう」(42)

(44)「>>42馬鹿か?日明戦争だろ。」(44)

(46)「(42じゃないけど)>>44 42が言いたいのは、 「それらの条件を備えれば、 中国との全面戦争になった日清戦争みたいなものが、 日本の戦国時代に実現してたであろう」 ということだろ? 例えなんだから、日清戦争でいいんだよ。」(46)

(43)「しかしさ。秀吉がもし中華皇帝になってたら今ごろ日本も漢人化してんじゃないの。支配民族よりつえーのが漢人の特徴だろ。米が滅びデモしなければありえそうもないけどね。日中戦争が日本の勝利に終わってたら俺らは時間をかけて民族浄化されてたべ。」(43)

(45)「>>43海があったからそれはないと思われ。しばらくしたら日本が独立しちゃうんじゃないかな。北方民族の問題もあるし。」(45)

(47)「>>43そうそう、日本人に英国人がインドでやったような徹底的な収奪ができるのかという疑問。都を中国大陸に置くことになるし、わざわざシナ人のために中国中心の世界秩序を構築してやるようなもんだ。」(47)

(48)「鉄工船を使わなかったのはなぜ?」(48)

(50)「>>48使ったよ、鉄甲船。ただし遅すぎて役に立たない。別スレより501 :名無しさん :02/01/23 15:34 ID:GjLtbU8N九鬼の建造した半島征伐水軍旗艦「日本丸」も鉄甲船。kanetusiki.jpg←カコイイ日本水軍。真ん中が日本丸」(50)

(52)「(中華人民共和国真偉大!)>>1アルがつき、羽柴がこねし天下餅、すわって喰うは清のフーリン。  ※アル=モンゴル・トゥメト部・順義王の祖アルタン。  ※フーリン=順治帝」(52)

(55)「当時の満州軍はやっぱり騎兵が主力だったの?漢族の技術者を使って火器も作っていたとどこかで読んだが。」(55)

(58)「サルフの戦いの時、日本式の火縄銃5000丁を装備した1万の朝鮮軍も加わっていたが、士気が低くて役に立たなかったらしいね。」(58)

(60)「>58それ2つの説があるな。・満州軍の凄まじい戦い振りに怯えて、目の前の明軍が全滅した後即座に降伏。・鉄砲隊は一回射撃、しかし二回目を撃つ前に八旗の騎兵に突入されて即座に全滅。 残りの5000は降伏。」(60)

(63)「>>58それじゃ武田騎馬軍団にも勝てないな(w」(63)

(64)「韓国の教科書って秀吉軍に敗けて死んだ筈の李舜臣を「李舜臣は大勝利した」って書いてるって本当? 」(64)

(65)「あれ? 戦いは勝ったけど流れ弾に当たって…って話じゃなかった?」(65)

(66)「>>65ネルソンかよ!」(66)

(67)「>>65それが定説だが戦国板では基地外が「島津大勝利!」とウザイ事この上ない。」(67)

(69)「>>67半分は当たっているだろう。あれは日本の戦略的勝利だよ。」(69)

(68)「李舜臣の話題はスレ違いじゃないか?秀吉の失敗の1因なのは確かだと思うが。」(68)

(70)「http://kyushu.yomiuri.co.jp/chosen/chapter1/8chosen.htmココ見れ。」(70)

(71)「サルフの戦いの時、朝鮮軍の指揮官だった姜弘立は出兵する前に朝鮮の王だった光海君から 「状況を見て、向背を決めろ」 という命令を受けているよ。光海君は中立だったから、すぐ降伏させるつもりだった。 しかし、この命令を知っていたのは姜弘立だけで、他の朝鮮軍はぜんぜん知らなかった。 姜弘立が降伏を決めるまで朝鮮軍は5000くらい死んだし、それからずっと姜弘立は裏切り者扱い。」(71)

(72)「>>71ふうんそうなんだ。しかし、朝鮮は、蛮族である女真に降伏するのは屈辱と思わなかったのかな。確か、秀吉の出兵のとき、ヌルハチ(当時はまだ建州女真の酋長で朝鮮人参の商人)の援軍を断ったのだが。」(72)

(73)「誰か裏切り者がいて、日本の技術を朝鮮に伝えたとかきいたことがあるけど、本当?」(73)

(74)「>>73また脱線しそうな質問だな…。沙也可=金忠善のことでしょ。3000人の兵とともに朝鮮に寝返って鉄砲の技術を伝えたとされる…が、3000人も率いる将が寝返ったという日本側の記録はないので明らかに過大な数字なのだそうだ。サヤカは雑賀のことだ、と聞いたことがあるけどどうなのかね?」(74)

(75)「サヤカは佐伯だという説もあるらしい。」(75)

(76)「その後サヤカの子孫は慶尚北道の慕夏堂ってとこに定住したそうだ。NHKの「街道をゆく」でやっていたけど、なんかどことなく日本風の農村だったよ。」(76)

(77)「日本側の投降者(降倭)は、さやかタン以外にも結構いたみたい。……歴史群像増刊には、そう書いてあった。(´ω`)」(77)

(80)「つか、投降した理由は?」(80)

(78)「だいぶ前に、日テレで「ヌルハチ」という中国のドラマを放送していたが、案外面白かった。」(78)

(79)「ふふふ、ヌルヌルだね。」(79)

(81)「ヌルヌルしていたから成功したんだよ」(81)

(84)「ヌルハチは絶倫で、抜かずヌルハチと呼ばれていたそうな。」(84)

(82)「朝鮮半島は北から攻めるのは楽で、海を渡って南からの侵攻には天然の要害になるからだよ。マッカーサーも、朝鮮戦争で初めて日本が満州に固執した理由を悟ったくらいだからね。」(82)

(83)「ttp://www6.tok2.com/home/temjin/salf.htmlだとさ。」(83)

(85)「結論です!!!! 秀吉もヌルハチも為しえなかった満州、朝鮮、日本を勢力下においた 薩摩武士の子孫達が三国一の強者だと断言できる!!!!!!!!! 」(85)

(86)「薩摩揚げでも食って屁こいてな!!」(86)

(87)「秀吉軍の「別働隊」に完敗した薩摩武士の子孫が妄想中というスレはここですか?」(87)

(88)「沙也可=雑賀だっけ?太祖実録をみると、明もいろんな火器を使ってるけど、対明戦後半は満州族も砲を使ってるな。やはり、信長が種を蒔き、秀吉が育て、ヌルハチが刈り取ったてことだね。秀吉は北京を天皇に献上し、自身は寧波に都を造ろうとしたんだよな。晩年も地政学的慧眼は健在だったんだね。」(88)

(98)「>>88を見ると、まるで満州族が炮を使ったのに信長や秀吉が関係あるような言い方だな。」(98)

(89)「秀吉の果たした役は「明の満州への監視を緩めて大勢力になるのを助けた」ぐらいだと思う。仮に朝鮮の戦いに投入された明軍が全て健在で、そのまま投入が可能というIFを許しても、単に死体の山が増えるだけだと思う。」(89)

(90)「http://www.google.com/search?q=%83T%83%8B%83t+250&hl=ja&lr=lang_ja騎兵は250人か・・・以外と少ない」(90)

(91)「>>90司馬遼太郎の小説のイメージとは随分違うね。大騎馬軍団が平原を駆け巡るというのとは。」(91)

(92)「あの兵力を蝦夷やサハリンに向けてたら 我ら子孫に多大な恩恵を与えてくれたろーになぁー」(92)

(93)「台湾を落とすべきだった。台湾を明征服の拠点にするべきだった。」(93)

(94)「>>92当時の人は米が取れない所には関心がなかったんでしょ。」(94)

(95)「薩摩に全権を委任すれば、シナ天竺の1つや2つ平らげてご覧に入れる。 李朝、明にまで鬼島津の異名は唐半島にまで聞こえたり!! 」(95)

(96)「薩摩揚げ」(96)

(97)「薩摩なんぞ、ここでは蚊帳の外だということに気づけ。」(97)

(99)「信長でも無理っしょ。 野戦での戦闘力に大差があるから。」(99)

(100)「つーかそもそも信長が外征したかどうかという問題は無視か?」(100)

(110)「>>99女真を過大評価しすぎ。」(110)

(101)「>>1本当は、朱元璋が皇帝になるはずだった。しかし、当時、山海関を守っていた呉三桂が私情で朱元璋を恨み、清を導いて歴史を変えてしまった。清は、中国内部の同調勢力があったからこそ、中国の征服に成功した。」(101)

(102)「(101)訂正×朱元璋○李自成」(102)

(103)「秀吉は、国内の戦いでは、悉く裏工作で勝ちを収めたのに、朝鮮出兵に関しては、ほとんど工作していない。小田原攻めが上手くいったのに味を占めて、本来の戦術を忘れてしまったのか。中国や朝鮮に同調勢力を確保してあれば、もしかしたら、大陸征服も可能だったかも。」(103)

(104)「明の反体制勢力への裏工作をやってたという話を読んだことがある。」(104)

(108)「工作をしなかったのは倭寇の報告で明の軍事力を侮ったからだそうだ。そのままいけると思ったんだな。」(108)

(105)「明の末期は北慮南倭で苦しめられたとかいってるし、 秀吉は松浦の倭寇勢をうまく操作できなかったのかな。 あるいは、バテレン問題を一時棚上げしてスペイン軍と 同盟を結ぶなりすれば状況が変わったかもしれないが。」(105)

(106)「インディー・ジョーンズではヌハチと発音してたけど満州語や英語ではどんな字&スペルなのかな?」(106)

(107)「ヌハチね。あれは戸田奈津子の誤訳だよ。」(107)

(109)「Nurhachi他の皇帝についてはhttp://core.ecu.edu/hist/tuckerjo/qing.htmhttp://www.towson.edu/users/sphillip/hist111terms.htmhttp://www.google.co.jp/search?q=cache:105Wfzg82LgC:www.bibl.liu.se/kvartersbibl/KB/ostasien/Qing.pdf+Qing+nurhachi+Qianlong&hl=jaなどを参考にどうぞ。ホンタイジは英語サイトでは大概Abahaiですね。もともと皇太子の意のようです。なんで日本ではホンタイジって呼ぶんでしょうかね。」(109)

(111)「>>109”皇太子”の中国語読みが日本語風に訛ってホンタイジ…かな?」(111)

(112)「(世界@名無しさん)日本と明には、憎み合う要素が無かった。金と明には、長年にわたり、隷属、圧迫、搾取、侮蔑、干渉の関係が続き、恨み骨髄に達していたから、戦争になっても、御互いに情け容赦する事は無かった。」(112)

(113)「>>112そうなんだよな。当時の日本は明のことを「大明」と言っていたし、お互い結構いろいろと話し合いながら戦をやっている。」(113)

(114)「(113)明史も秀吉のことを「太閤」と書いてなかったかな。」(114)

(115)「ヌルハチの挙兵は明から交易を閉ざされ、追いつめられたたため。」(115)

(116)「>>112ちょっとまて。そんなに激しく憎しみあってたのか?詳細プリーズ。」(116)

(117)「>>116フルハチが満州を統一して明に立ち向かう決意を述べた「七大恨」は有名だよ。先祖からの恨みを述べたものだ。おもえば朝鮮の「恨」というのも、このあたりに源流があるのではないか。」(117)

(118)「>>117ちがうと思う。」(118)

(119)「七大恨は単に親父を殺された恨みについてでは?」(119)

(120)「(119)どちらかというと「宣戦布告のため」の体裁であって恨みはそれほどでもないと思う。」(120)

(123)「七大恨1)父、祖父を殺害された2)約束をたがえて、しばしば国境を犯してきた3)侵入者を正当に処刑したのに、こちらの正当な使者を殺した4)自分たちの同族結婚にちょっかいを出した(内政干渉5)自分たちの収穫物を横取りした6)しばしば侮辱的な言葉をわれわれに浴びせてきた7)その他諸々な悪事を働いてきたまあ、今の日本に対する中国の仕業のようなものだな。十分な「恨み」だよ、どれも。」(123)

(125)「挙兵するときは大義名分を掲げるものだっつうの。やれやれ……」(125)

(126)「>>125もっと素直になりなさい。教えてもらったのだから>七大恨」(126)

(127)「(119)俺は125とは別人。大義名分の比重の方が大きいと思うよ。」(127)

(121)「(YP)ヌルハチは頭と首に矢が刺さっても生きた。 なおかつ首に食い込んだ矢を無理矢理抜き取ったりした。 この様な秀吉の肉体的武勇伝は知らんが、ヌルハチは凄い 人物だと思ったものだ。 」(121)

(122)「>>121首のどの辺に突き刺さったのか知らないが、よほど運が良かったのだろう。ふつうなら死ぬよ。」(122)

(128)「(125)Q.さて、ヌルハチは何故、明に抵抗して後金を建設しようとしたのか?A.理由は、貿易摩擦。E.明が女真族を支配下に入れたのは永楽帝から。永楽帝は彼らを手なずけて、対モンゴルの外人部隊にし、皇帝の直接支配下においた。その後、明は、彼らに貿易許可証を発行し、中国との貿易を望む者はその許可証を持った者に限定した。勘合貿易の女真版だ。この許可証は、女真族の各部族の首領に一括して渡された。たとえば海西女直には1000枚。建州女直には500枚という具合に。許可証を持った女直の人たちは、朝鮮人参、真珠、狐やテンやミンクの毛皮などを集め、中国から銀、織物、そして日用品を買っていた。これはうまみのある商売だったから誰もが許可証をほしがり、これの分配権を持った部族の首領と次第に主従関係を強めることになった。」(128)

(129)「(125)土地でなく許可証が仲立ちの主従関係だ。この建州女直の首領がヌルハチ。ところがヌルハチが次第に大きな力を持ち、海西女直や野人女直をおさえて女直の統合を進め始めたことで明はヌルハチをおさえにかかった。とりあえず、ヌルハチの貿易許可証を2年間無効とした。そして反ヌルハチ包囲網の形成。このままでは建州女直の人々との主従関係がこわれ、包囲網の中で野垂れ死にするしかない。追いつめられてヌルハチは明に反抗した。以上、某歴史サイトよりの抜粋。」(129)

(130)「>>129日本でいうと、ヌルハチ=信長明皇帝=足利義昭というわけか。しかし何でも経済関係に理由を還元する今流の見方もどうかと思うが。」(130)

(131)「海音寺潮五郎の随筆に朝鮮出兵の日本軍が当初は半島を席捲する勢いで あったが、明軍が出動するに及び「武辺てごわき唐人かな」と舌を巻い たという話が出てたのを記憶しています。これが何という史料に載って いたのか海音寺氏は語っていませんが、恐らく当時の将兵の偽わらざる 実感であったでしょう 結論「女真の戦闘力は日本を遥かに凌駕する」」(131)

(132)「朝鮮の役の折、ヌルハチは明に援軍として参戦を申し出ていたので、半島を舞台とした日満両軍の激突もありえたかも知れぬ。」(132)

(133)「へー!>132それは知りませんでした。もえ。でも満州軍は山がちな半島では力を発揮できないかも?」(133)

(134)「実際、朝鮮出兵の明軍は役に立たなかったけどな。 まともに戦ったのは二度くらい。」(134)

(136)「日本軍と女真軍の正面衝突は面白いね。でも日本軍大敗だと思うけどね。サルフで数倍の軍勢をもった明・朝鮮連合軍に圧勝してるからね。」(136)

(135)「ちょっとスレ違いな気もするけど、朝鮮で相当痛い目にあったのに、どうして当時の日本の軍事界は大砲を重視しなかったんだろうか?」(135)

(138)「>>135技術がなかったから。」(138)

(139)「>>135 大砲に限らず戦術面では痛い目になんかあっていないだろ。」(139)

(137)「日本軍は世界一です。 このスレは非国民の巣窟と認定します。 敗北主義者は国外追放だ! 」(137)

(142)「何故に万暦帝のことを誰も書いてないんだ?いくら日本が朝鮮出兵したからと言って、それだけで李自成の乱が起きて皇帝が死ぬような真似になるはずがない。万暦帝の中期以降の政治が滅茶苦茶で、農民が反乱を起こすほど苦しんでいた。それの集大成が李自成の乱。その混乱に便乗したのが清の順治帝。典型的な中国における王朝の交代劇だと思う。」(142)

(143)「ヌルハチという面白すぎる名前だったから。」(143)

(144)「(プラトーン)順治帝・摂政ドルゴンが中原制圧したんやね?」(144)

(145)「弓の射程がアレなのを除けば東亜で最強といってもいいんじゃないかな。(トルコ弓のムガール軍には勝てなそうだ)」(145)

(146)「(sineya)秀吉は愚か者で、ヌルハチが利口だったからに決まっているだろ。」(146)

(147)「>>1アルタンがミソをつけ、秀吉がとりかかり、ヌルハチが仕上げただけ。」(147)

(151)「>>1機動力が足りなかったからです」(151)

(152)「信長が本能寺の変で死なずに生き延びていれば、信長自身が朝鮮へ出陣できたのでは?朝鮮で負けたのは、軍の統制や補給なんかにも問題があったと考えられるので、信長が直接指揮していれば、もっと違った結果になったかも。」(152)

(153)「>>152否。信長の好みから逝って、朝鮮などではなく、マカオやフィリピン、馬來などに進出し、西班牙・葡萄牙と三つどもえの勢力争いをしたと思う。こっちには鉄砲もあるし、互角とまでは逝かなくとも一時的に西葡の勢いを留められたんじゃないかな。さらに勢力圏から白人や南蛮人が日本に往来、帰化。→日本の文化が近代化・日本人の顔がレベルアップ→(ºдº)ウマー。」(153)

(154)「(山野野衾)>152、153信長は世間で言われている程大した人物ではありません。それでも偉人には違いありませんが。詳しくは日本史板でどうぞ。実際に生き残ったところで朝鮮出兵して失敗が関の山だったような気がします。」(154)

(155)「(山野野衾)>153それと、近代化するのは文化ではなく文明でしょう。しかし江戸時代の日本の科学・地理・世界史などに対する知識は相当なものでしたよ。」(155)

(205)「>>155 >しかし江戸時代の日本の科学・地理・世界史 >などに対する知識は相当なものでしたよ。 これは本当っすか?知識の流入に鎖国の影響は無かったのでしょうか」(205)

(209)「(山野野衾 ◆NDQJtGoM )>205今更ですが、1694年(天禄4年)に出版された「華夷通商考」に記載されていた西の国をざっと挙げてみます。マダガスクル・ハルシャ・ゲネイヤ・トルケイン・フランス・ズヘイテ・ノウルウイキ・デイヌマルカ・ドイチラント・ポロニャ・ムスカウベヤ・エジット・モラコ・アビシンイ・モノモタッパ・ぺルウなど。」(209)

(156)「あの兵力をハワイやグアムに向けてたら我ら子孫に多大な恩恵を与えてくれたろーになぁー」(156)

(157)「(  )>>156あの時代の船でハワイは無理だろ、ハワイは。でも、樺太と東南アジア方面への進出をはかってれば面白いことになってたのになぁ。」(157)

(158)「それ以前に北海道と琉球と台湾を征服しなければならないという罠。」(158)

(201)「>>157近代以前の東アジアの国際システムを全く理解していないね。そんな中央から外れた土地などとっても全く意味がない。国境という概念もない。中央に朝貢もすることもない僻遠の地に拡大するはずがないでしょ。 」(201)

(162)「ドキュソ司馬さんのアレ読んできた。かなり間違いが多かったけど(とはいえ俺の知識もオタの趣味レベル)李如梅の「倭兵30人ですら女真1人の敵ではない」は真実だよな。」(162)

(164)「海上兵力思想の違いが有ったからだと思う。当時の日本の海上兵力ってブラウンネイビーだもん。ブルーネイビーに打ち勝つことは考えられていなかった。海上補給路を切断されたのは当然といえば当然だな。」(164)

(165)「(エラワン ◆THAIu2s6 )>>15当時の超大国であったスペインの植民地であるフィリピンが落とせた?嘘にもほどがあるぞ。」(165)

(166)「>>165台湾南部にスペイン・オランダがいたけど、簡単に落とされた事実を知らんのかこいつ?」(166)

(167)「(エラワン ◆THAIu2s6 )>166フィリピンは朝鮮出兵と同様に、長期戦になると思う。そうなれば補給線の確保が難しい。あの当時、日本はまだ強力な海軍を持ってなかったから李氏朝鮮の水軍にやられるのと同じ運命が待っている。当時のスペインだかポルトガルの誰だかが「日本は鉄砲が大量にあり、一度に数十万以上の単位で地上部隊を動かせるが、海軍力が脆弱」とか言ってた。」(167)

(168)「(もともと)秀吉の朝鮮出兵自体、戦国が終結してきて余剰気味だった国内兵力を使いつぶすのが目的だったのでは?ようするに内政問題だったため、勝ち負けはどうでもよいってことでは?」(168)

(169)「>>167そもそも日本軍は上陸することが出来ないだろうし上陸できたならあっという間にカタがつくよ。日本の勝ちで。」(169)

(170)「(エラワン ◆X0jRLHdw )>169ま、上陸する前にスペインの強力な海軍に船ごとやられるでしょう。有名な無敵艦隊って、確かその時期だったと思われ。(間違っている可能性あり。)」(170)

(172)「>>170ちょうどその頃壊滅・・・」(172)

(173)「(エラワン ◆X0jRLHdw )>>172そうだったっけか?壊滅したなら、可能性があったかもね?」(173)

(171)「(パペット ◆t6iWkuX6 )補給はかなりうまくいってたんじゃない?秀吉竹中がそのへんの計算パーンとやってたから。」(171)

(175)「スペインと組んで朝鮮攻撃ってやってたらどうだったろ? 朝鮮半島の権益はスペインにくれてやって、目標の明は秀吉が支配って感じで。」(175)

(176)「違う角度から検討したい。明滅亡直前時に幕府が援軍を要請されたらしいが、この時家光が援軍を出していれば、北部を植民地化、満州国建国くらいはできるんじゃないかな?まあ鎖国体制成立しちゃった後だから、無理だったんだろうけど。自分から閉じた檻を開けるようなもんだからな…島原の乱さえ起きなければ、マニラ遠征が行なわれていたら、十分可能性はあったと思うけど。甘いかな?」(176)

(177)「>176それ面白いね。でもあの時代日本人がわざわざ満州まで移住するかね?植民地を持つメリットと意味は17世紀初頭と1930年代ではぜんぜん違うと思うぞ。植民地と呼ばれてるけど19世紀後半になるまでは実情は経済拠点くらいの意味しかない訳だから、このころの東南アジアには結構日本も進出してたのだよ。」(177)

(180)「>>176 徳川幕府・李朝連合軍が明を支援するために満州に出兵。 なんてことになっていたのかな。」(180)

(181)「>>180出兵を要請したのは鄭成功では。」(181)

(178)「(茶々丸)何で秀吉があんなこと考えたのか全く理解できない。誇大妄想と老人ボケの産物だよ。第一、家康が非協力なこと分かってやってるのが分からない。家康が朝鮮出兵と称して大軍を大阪に集めて占拠したらどうするつもりだったのだろう。ヌルハチの成功は中国国内の混乱を纏めるだけの勢力が結局満州族しかいなかったのではないか。内部的にもうばらばらの状態だったので国民もうすうす王朝の交代近しと感じていたんだろうね。戦場となった李氏朝鮮はその後も延々と続くのだから。」(178)

(179)「>>178>何で秀吉があんなこと考えたのか全く理解できない。誇大妄想と老人ボケの産物だよ。それを云うならば、チンギス・ハーン、アレクサンダー、チムールなど歴史上の征服者達は、皆、誇大妄想とボケの産物という事になるな。>第一、家康が非協力なこと分かってやってるのが分からない。家康が朝鮮出兵と称して大軍を大阪に集めて占拠したらどうするつもりだったのだろう実際に家康は、そんな事しなかったし出来なかっただろ、それは秀吉がしっかり監視統制していたから出来なかったのではないか。>ヌルハチの成功は中国国内の混乱を纏めるだけの勢力が結局満州族しかいなかったのではないか。>内部的にもうばらばらの状態だったので国民もうすうす王朝の交代近しと感じていたんだろうね。>戦場となった李氏朝鮮はその後も延々と続くのだから。それを云うなら満州族でなくても日本族でも良かったのでは。」(179)

(182)「そーいや、朝鮮はホンタイジに瞬殺といってもいい感じで首都を落とされたな。すご過ぎる・・・」(182)

(184)「(山野野衾)>182朝鮮は二度の「倭乱」で疲れきっていた上に兵数一万弱。仕方が無かったかも。秀吉の軍勢も二十日で陥落させていましたし。」(184)

(183)「ところで秀吉って事前にどのくらい朝鮮と明の情報収集をしてたんですか?」(183)

(184)「(山野野衾)>183倭寇から聞いたくらいだったようですが・・・他に何かあったのでしょうか?」(184)

(187)「(234)いやヌルハチも失敗した。」(187)

(188)「満州族は、中国、モンゴルなどと深い交流があったが、日本人は中国との 交流は遣唐使や細々とした貿易しかなかった。」(188)

(189)「すみません、どなたか、時々まとめて頂けないでしょうか?」(189)

(190)「(中華@名無史さん ◆NkVOmCQ6 )>189何を?」(190)

(191)「おいら、知識は無いんだけど、ちょっと違う視点をおもいついたんで書き込んでみるよ。おばかな意見だったらメンゴ。ヌルハチは、死後、ホンタイジとドルゴンが対明戦を引き継いだけど、秀吉は死後、徳川に政権を奪われ、徳川は対明戦を引き継ぐどころか、逆に鎖国した。その差じゃないか?家康がちゃんと大老として幼い秀頼を補佐して、がんがん侵略してたら、ドルゴンみたいになってたんじゃないかな?後金勢力と対立するか、仲良く同盟して明を倒すかどうかはまあ、どうなるか知んない。」(191)

(192)「ヌルハチと、秀吉、スレタイでは対明戦の成功者と失敗者みたいにいわれるが、この二人は、共に一国を作った、ということで同格じゃないか?むしろ、スタートでの不利を考えると秀吉のほうがスゲエ。で、対明戦、秀吉死後も国が乱れてなかったら(できればほんの少し長生きしてたらもっと条件よくなるが)すこしずつ半島に領土も出来たでしょう。で、半島を支配下に出来たら、少しずつ漢人勢力の取り込みも出来たでしょう。半島に少しでも橋頭堡が出来れば、風土気候にも慣れるし補給も断然楽になる。あのままつづけてれば、このすれで挙げられた清有利の点はだいたい日本にも出てくるんじゃないかな?」(192)

(193)「たられば 日本八旗 超萌え〜〜〜〜〜〜!!!」(193)

(194)「>徳川は対明戦を引き継ぐどころか、逆に鎖国した。家康の腰巾着だった藤堂高虎を始め、当時の名の知れた連中(出征組み)は皆「大明軍恐るべし」な報告をしてたからね。高虎は水軍担当のなかで最も敗戦が多かった。石田三成も明軍が遺棄した火薬が膨大な量なのに肝を冷やしてる。物資で敵が勝る以上、戦闘で勝つしかないがそれも難しい以上戦闘なぞ仕掛けないのが懸命。」(194)

(195)「といっても、明に手酷く負けたことはないんだがな。戦意がない相手なら、物量があっても勝てるのが道理。といっても、日本に戦意がなかった事が問題なのだが・・・。」(195)

(202)「>>192歴史は敗者に栄光など与えない。ヌルハチは子孫が明を打ち滅ぼしたから偉大な祖先となる。秀吉は朝鮮にかかわった挙句に国内の維持にも失敗した故、その行為を愚行と言われる。」(202)

(196)「時期と上陸場所の違い。」(196)

(197)「いや、ヌルハチも失敗した。」(197)

(198)「ヌルハチ>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉女真>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>日本」(198)

(199)「「1対1の戦いになれば倭兵30人といえど女真1人に敵すべからず」死馬さんは日本の戦国も中国もデタラメだらけだが、これは真実やね。まあそれ以外は疾風禄も相変わらずデタラメだらけなんだが。」(199)

(200)「(pt)朝鮮半島経由せず明本土に直接いってればあるいは…」(200)

(203)「( )女真族って無法地帯の辺境で育まれたという意味では、西部開拓時代のアメリカ人に近いな。」(203)

(204)「http://216.239.33.100/search?q=cache:huVmPN2skSQC:www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/7676/heiryoku.htm+%E6%85%B6%E9%95%B7++%22%E6%98%8E%E8%BB%8D%22&hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8兵力と戦死者の数は関ヶ原役でさえ実数は分かっていない。兵力に関しては陸軍参謀本部が研究した結果、桶狭間時には一万石で二百五十人〜関ヶ原時に三百人として算出するのが定説(「日本戦史」)となっている。 次に戦死者であるが、これは記録に頼るしかない。ここでは慶長役の最北の戦いであった稷山の戦闘(1597,9,7)の記録を例にとってみた。日本側ではこれを黒田・毛利軍の大勝利とし、韓国ではこれを朝鮮の三大勝利と称えている。勝ち負けはこの際どうでもいいが、先鋒の黒田長政軍は二十九騎を失ったと「黒田家譜」にある。その後、毛利軍が遅れて到着し、明・鮮軍を京城に追い返した。毛利軍の鼻受取状が残っていないので、全体の実数は不明(「日本戦史」は二百余人としている)であるが、幸い黒田家のものは残っているので、後世の記録と比較してみる事ができる。その結果、あまりのいい加減さ、もっともらしい嘘に驚きを感じるのは筆者だけであろうか。全てこの調子と考えていい。つまり武田信玄と上杉謙信の戦いなどは兵農分離もできておらず、その出典である「甲陽軍鑑」は半ば講談本であるから、惑わされないことが肝要である。下の表で思うことは「黒田家譜」「寛政諸家譜」は他家が関係しない合戦では二倍に記す傾向があるという点だ。(播州佐用城攻めで討取った首数五百余人←「信長公記」は二百五十余。朝鮮国梁山籠城での明軍の数八千人←「日本戦史」は四千人)」(204)

(206)「(アマノウヅメ)「黒田家譜」は著者が貝原益軒なんで、後世に書かれた物としてはまともなほうです。私は地元なので、「筑前国碑史?」とかいう、墓石や記念碑の拓本を集めた本を読んだことがありますが、大抵のうちは先祖の手柄を10倍くらいサバよんでますね。」(206)

(208)「9 :日本@名無史さん :02/09/09 21:12秀吉が1592年に出兵したのは明帝国最強の遼東軍閥、李成梁軍団が山西に移動し、遼東地方が軍事的に空白状態化したからだあね。ま、秀吉だけじゃなくてヌルハチやモンゴルのチャハル部、ハルハ部も遼東に侵入してる罠1597年の時は、1596年から万暦帝が最悪の大増税なんぞやらかすから、またも遼東にヌルハチやモンゴルのチャハル部、ハルハ部も大規模侵略してるし。1 名前:世界@名無史さん :02/09/09 21:28>>9 「鉱税の害」か。たしか遼東は特にひどくて、ヌルハチの元へ走った 漢人や朝鮮人も多かったはず。それが清朝の成立に寄与するから皮肉なもんだ。 14 名前:日本@名無史さん :02/09/09 21:32>>9 なんと。 つまり李如松の遼東軍団は2戦級に成り下がってたということか? 15 名前:世界@名無史さん :02/09/09 22:47>>14 李成梁が1591年に遼東将軍を罷免された時点ですでに(以下略 」(208)

(213)「☆お知らせ☆世界史に置ける秀吉の朝鮮征伐の考察その3(245番〜)http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1029290317/245-現在上記スレにて、245番から”どどんがどん”なる人物が、清朝の中華制圧成功例を出す事で登場し、その後「北周りルート(樺太・満州経由)で攻め込んだ方が成功した!」「否、それは無理!」と言う様な話の展開(大雑把)と成り、以降住人と”どどんがどん派”(良く内情は知らないが数人居るらしい。現在は”Rドドンガ”と言う人物が精力的)で論戦を続けて居ます。それで、現在次スレ移行が間近に成り、論戦も無限ループの様相を呈していますので、次スレ移行後の論議は不毛だと思われます。話の内容も、寧ろあちらで展開させている論争ならば、こちらのスレの方が主旨としても最近過疎化してしまったこのスレの有効活用と言う意味でも、合っていると判断しましたので、次スレ移行前のこの時期に、告知&誘導をしてみました。なので、もしその議論がこちらで改めて展開される可能性がある事を住人に予め告知して置きます。その時は御容赦下さい。」(213)

(214)「(第三者)電波電波言ってるドドンガさんずっと見ていたけど、どう考えても貴方の方が電波ですよ。」(214)

(217)「(どどんが語録1)245>>240>まず、秀吉は明を屈服させようという目標を持っていましたが>このエンドポイントはどう見ても非現実的であり、清は実現しているが。 1644 北京接収 1660 明・永暦帝を捕獲、処刑。249>>247 >朝鮮民族が甘んじて日本の支配を受けるわけがないことは明白でしょう女真人の支配は「甘んじて・・受け」てましたが。秀吉の手法が女真人より稚拙だっただけ。261>>251 >女真人とはいえ、大陸国家です >朝鮮民族は、大陸国家には服属する歴史があるのです >しかし、島国の日本には、自分たちよりも劣等な民族であるという観念があります >ですから、大陸の国が朝鮮を支配するのと、日本が支配するのでは >抵抗の大きさが全然違います李氏朝鮮は、女真人に対して「自分たちよりも劣等な民族であるという観念があり」ました。李朝実録には、室町幕府が派遣した使者たちと比較して、女真人使節に対する李朝の侮蔑的取り扱いが観察できます。すなわちあなたなの「ですから」以下にはまったく説得力はない。朝鮮は、とどのつまり、そのような「女真人」に服属しています。ようするに「秀吉の手法が女真人より稚拙だっただけ」なことは明白。」(217)

(218)「(どどんが語録2)269>>262 > >秀吉の手法が女真人より稚拙だっただけ >これはどうかと。 >秀吉の頃は明がいたんで明頼みで抵抗しただけで、 >明が来なけりゃ簡単に屈服したように思うんだが。 >稚拙というより発揮する前に死んだというべきでは。秀吉は明の大軍と真っ向からたたかい、消耗。それに対し、女真人は朝鮮はおろか、明の将軍たちをどしどし配下に加え、彼等を利用して中国大陸を席巻している。ようするに「秀吉の手法が女真人より稚拙だっただけ」なことは明白。」(218)

(219)「(どどんが語録3)276>>273 > 10万たらずの軍に明は滅ぼされたが、いやいや、明の軍隊も統治機構の多くも、ましてや一般民衆も「滅ぼされ」てなどいない。李自成を経由して、もしくは直接に、女真人の支配を受け入れたのです。この点をみても、「秀吉の手法が女真人より稚拙だっただけ」なことは明白。>>274 > それは女真族の方が巧妙というわけでなく、 >周りの状況(補給体制など)が明や朝鮮の将軍の投降を促しただけでしょう。 女真人は「周りの状況」を「明や朝鮮の将軍の投降を促す」方向へ持って行くことに成功した。一方、秀吉と日本軍は真っ向から戦って自ら消耗しただけ。>>274 >秀吉の時にも、朝鮮軍が投降して日本側として戦っていたし。日本軍には、朝鮮国に投降して「日本側」と戦った部隊が存在した。一方、女真人の場合、ヌルハチ王朝に率いられて行った朝鮮や明に対する征服活動の中で、敵に投降してヌルハチ王朝と敵対するようになった部隊や部族は存在しない。>>274 >そもそも明や朝鮮軍は秀吉の征伐時に疲弊しているので、 >女真族がそうできたのは、秀吉の征伐の御蔭でしょう。「明や朝鮮」国は「秀吉の征伐」以前から疲弊している。所与の環境を「征服の成功」という結果に結びつけることができなかったのは手法の稚拙による。」(219)

(220)「(どどんが語録4)283 女真人は、明の宮廷に直結するパイプを構築し、賄賂を贈って、自分たちと対峙している有能な明の将軍を除去するという手法をつかっています。袁崇煥の排除に成功したのち、女真人の遼東征服は一気に進みます。秀吉と日本軍の「手法」は 女真人とくらべて「稚拙ではない」と必死にベンゴしている方に質問。秀吉と日本軍に、同様の「手法」を利用した例がありましたら、是非ご紹介ください。291秀吉の手法・・・・真っ向から軍事力をぶつけて勇ましく戦うのみ 〃 の結果・・・何ら得る物なく撤退女真人の手法・・・軍事・謀略など各種 〃 の結果・・・中国を併合・朝鮮を属国化「征服」に使用した手法の巧拙、征服の結果とも女真人が秀吉よりすぐれていたことは、以上から明白である。」(220)

(221)「(どどんが語録5)297>>296 >数代かけ、明の内紛を利用し、らに元々遊牧という生産様式上農耕地域に進出する >欲求を常に抱えていた女真族。 >明と朝鮮を同時に向こうに回し、基本的に列島内で再生産活動を充足させていた武 >士団を動員して明征服何ぞを一代で果たそうとした秀吉。 >どちらが成功するかは一目瞭然だな。おっ、上手に整理したね。この部分は依存なし。>>296 >この状況を「秀吉の愚」とするか「秀吉は状況が悪かった」とするかは個人の好み >だろ。もう。 >こんな状況で戦争を始めなければならなかった、と考えれば秀吉には状況が味方し >なかったと言えるし、こんな状況で戦争を始めやがった、と考えれば秀吉の愚とい >うことになる。 >コインの表裏を言い合ってるにすぎんよ。>>247・>>251などが提示した「朝鮮民族に対するデンパな思いこみ」に対する反証としては、 ・日本も女真も、ともに李氏朝鮮から蔑視される存在であったこと ・朝鮮・明に対する働きかけにおいて日本と女真が実際に行使した手法内容の差異を提示すれば充分。そのような次第で、おれは日本と女真が明・朝鮮に対して行った働きかけの「手法」内容に対して、その巧拙を論じているのであって、日本と女真のおかれた国際環境の差異(キミのいう「状況」)を「賢・愚」といってるんぢゃないぞ。原文再読。」(221)

(222)「(どどんが語録6)298「原文再読」していただければあきらかなごとく、拙文においては、「日本と女真のおかれた国際環境の差異」が実在することを決して否定などしておらず、また「日本と女真のおかれた国際環境の差異」を秀吉とヌルハチ王朝三代の賢愚に転換してもいない。 >>247 >>251への反証としては、そんな要素を考慮する必要はないから問題にしてないだけの話。308>>304 > 反乱が起こりうる海の向こうの国を、占領維持するのは不可能であったということなのです。ヌルハチ王朝の指導者たちは、李氏朝鮮を屈服させるにあたって、何度か軍事侵攻をおこなっているが、その時々の「侵攻目的」を達成するとただちに撤収し、「叛乱の起こりうる河の向こうの国」に対して「占領維持」など行っていない。これもまた「巧拙」が明瞭に現れている、おおきな「手法の差」ですな。309>>303 >まず、秀吉の手法が、女真より稚拙だったという点ですが、 >では、秀吉は女真と同じような手法をとるべきだったのですか?ここは「学問・世界史」板であり、おれは、アンタのいう秀吉の「べき」などまったく論ずるつもりはない。・・・「侵攻目的の設定の仕方」、「侵攻目的達成のために取られた手法」「達成された成果」などの項目について、秀吉と女真人の実際の行為を対比しているだけ。」(222)

(223)「(どどんが語録7)311>>310 このスレのタイトルは「世界史における秀吉の朝鮮征伐の考察」ということだから、 「侵攻目的の設定の仕方」 「侵攻目的達成のために取られた手法」 「達成された成果」などの項目について、成功例(女真人)と失敗例(秀吉)の対比を行っていく過程で、成功者・失敗者のそれぞれが ・実際にとった行動 ・行い得たのに実際には行われなかった可能性上の行動 ・それぞれにおいて何が可能で何が不可能(アナタのいう取り得なかった)であったかなどを検証してゆくのは、まさに「世界史に於ける・・考察」だと考えます。したがって、対比という手法そのものに対して、 「見当ちがい(#303)」「無意味な議論(#303)」「状況がちがう(#304)」「乱暴(#310)」 という批判をされても、 「世界史における・・考察」のための一手法である、としかいえません。 > 前提条件が違い過ぎるよ。どのように「違う」のかを具体的に明らかにしてゆくことも、「対比」を通じて可能になる、といえるかもしれません。」(223)

(224)「(どどんが語録8)312   秀吉が取り得たのに実践しなかった「手法」   「戦略目標の設定」における稚拙   「戦略目標達成のための実践」における稚拙などの要素も大きい。317>>314 > >これもまた「巧拙」が明瞭に現れている、おおきな「手法の差」ですな。 >これはあなたの知識の程度が明瞭に現れている。 >河と海峡とでは条件が違う。 >女真族がそれが出来たのは、河を渡ればよかったから。この一節、アナタの「読解力の程度」が「明瞭に現れていますね」アナタは「朝鮮の占領維持河」について、朝鮮と地続きの大陸国家は、日本という島国が行うより容易だ、と懸命に力説している。拙文への反論のつもりで繰り返し力説している。しかし、「原文再読」していただければ明らかなように、拙文では、「朝鮮の占領維持」の難しさについて、島国と大陸国家を比較したことなどいちどたりともない。いまここではじめて言明するが、アナタが必死に強調していることを、別に否定するつもりは、ない。ただしアナタに対して「読解力」の向上を訴えておきたいのは、拙文>>308は、そもそもヌルハチ王朝は、「叛乱に直面する可能性をもたらす」『朝鮮国に対する「占領維持」』という「稚拙な手法」はとらなかった、という事実を指摘する文章であることだ。批判なさるのはどんどん行って結構であるから、どうか「ピントを外す」ことなき的確なものをお願いしておく。」(224)

(225)「(どどんが語録9)373>>368 >そこが海を隔てた南方にある日本との大きな違いであって、 >巧拙などの問題ではない。 >歴史を形成する地勢的な条件が露呈したに過ぎない。朝鮮からみての「海を隔てた南方」は、対馬海峡方面のみ。日本と大陸の交通ルートは、対馬海峡のみではない。蝦夷地・満州を経由すると、明・朝鮮の北方に至る史実における秀吉政権と女真との接触は、清正がオランケに「武威を示す」にとどまるが。「自明」くんなども必死に強調している「地勢的条件の露呈」に全てを還元して「考察」を放棄することは、私は行わない。」(225)

(226)「(どどんが語録10)372>>351が,既にロンパされたこと、撤回したと述べたことをまた繰り返してるから、再コメント。 >・その観点から、朝鮮には自分たちより中原から遠い日本に対する強い蔑視がある >・朝鮮が中国の支配を甘んじて受けるのにはそういった思想的背景があるので、 > 単に日本が中国より強くなったからといって、日本の支配を甘んじて受け入れる >ようになるには何世代もの時間が必要(思想が変わってしまうくらい)すでに指摘している通り、李氏朝鮮は、統一国家樹立以前の女真に対しては、日本に対するよりも更に強烈なる蔑視を抱いていました。しかし、儒教という思想的背景のない女真に対し、史実上の李氏朝鮮は「何世代もの時間」どころか、わずか一世代でその「支配を甘んじて受け入れるよう」になっています。>>351 >・その間、中国の干渉を抑え、国内の治安も維持しつつ、海の向こうの朝鮮を >維持するには大変な物資、兵員が必要。日本人の軍隊の駐留が必要だし、女真は、中国の干渉を抑え、国内の治安も維持しつつ、朝鮮を「維持」したり、「軍隊を駐留」させることなく屈服させることに成功している。>>354 >中華思想で見る限りは、日本は朝鮮より辺境で、野蛮な国です。その辺境の日本が朝 >鮮を支配するには圧倒的な力か、思想をひっくり返せるだけの時間が必要だった女真も、中華思想でみる限りは、朝鮮より辺境で、野蛮な国です。その辺境の女真が朝鮮を屈服させるには、圧倒的な力を有しましたが、まず屈服させてから思想をひっくり返しました。」(226)

(227)「(どどんが語録11)377(新スレ移管に当たってのコメント)妄想電波とのやりとりがはじまる。妄想電波の妄想ぶりは>>380で全開する。******************************************>>374> >戦略目標達成のための事前の情報収集の実施・調略の活用 > >       女真=多用       秀吉=乏しい>ここが大間違いだってのがわかってないのか、この厨房は。おっしゃるとおり、ぼくは厨房なので、アナタのいう「ここが大間違い」がドコなのか、サッパリわかりません。もし実例を提示していただけたら、ただちに謝罪し、旧説を撤回します。手始めとして、下記三項目の範疇に属する実例を挙げてください(ワラワラプププ ・明軍と共同して日本軍と戦闘中に、裏切って日本軍側に付き、その戦闘  における明軍部隊の壊滅に貢献した朝鮮部隊の実例。 ・明の宮廷に働きかけて前線の優秀な明将を更迭・粛正させ、その明将が  担当していた領域を労せずして奪取することに成功した実例。 ・女真諸族、もしくはモンゴルのアルタンハーン(乃至その後継者)に働  きかけて女真人もしくはモンゴル人の兵力を明軍・朝鮮軍との戦闘に参  加させた実例。」(227)

(228)「(どどんが語録12)378(新スレ移管に当たってのコメント)妄想電波くんは、「三倍コスト」くんでもあった。以下は、コストくんのコスト投稿の第一号。******************************************>>375 > >日本と大陸の交通ルートは、対馬海峡のみではない。 > >蝦夷地・満州を経由すると、明・朝鮮の北方に至る >それ自体が、対馬海峡を通るよりも莫大にコストが高い。 >朝鮮自体は明への通り道の程度で、 >宗氏がある程度地理的な情報も多く、蝦夷地など地理的情報が >江戸時代まで乏しい中で作戦行動をとるほうが非効率。******************************************>>375 > それ自体が、対馬海峡を通るよりも莫大にコストが高い。アナタは、「コスト」という概念を持ち出して「断言」したのであるから、アナタがその「コスト」を算出した史料上の根拠を提示してくださることを非常に期待している。むろん朝鮮半島を「占領維持」する際のコストとの対比があるなら、このスレの読者の知識増大に甚大な貢献である。たのしみだなぁ。おれは自分の知識のレベルを知っているから「史料的根拠に基ずくコストの対比」なんておっかなくてとてもできん(ワラ」(228)

(229)「(どどんが語録13) >蝦夷地など地理的情報が江戸時代まで乏しい中で作戦行動をとる >ほうが非効率。「江戸時代まで・・地理的情報が乏しい」のは、ヒデヨシが征明の際に北回りルートの情報収集を行わなかったことをよく示している。秀吉政権が、「北回りルート」を使用して、蝦夷地の住民、蝦夷地の西隣の野人女直を服属させて征明の為に動員したり、建州女直・海西女直を明の支配下から離脱させる為になにがしかの働きかけを行ったことは、史実として確認されていない。これは、>>368氏のいう「地勢的な条件の露呈」というよりは、ヒデヨシの外征指揮における情報収集・調略の努力の不備・不足・欠落の範疇に属するものである。「非効率」?コストについて断言できるアナタは、とうぜん北回りルートと南回りルートそそれぞれにおける「効率性」を、史料的根拠に基ずいて提示なさることができるであろう。大変、たのしみなことである。」(229)

(230)「(三倍コストくん、妄想電波全開!「解題」)380(新スレ移管に当たってのコメント)このレスにより、妄想電波は、史実について語っているのではなく、脳内地図、脳内史料に依って脳内世界史を語る者であることが判明。コストくんでもあった。前スレの800-900番台で明らかになったのだが、彼の脳内地図では、北九州・関門海峡付近とスイフン河流域を往来する際、海路を1400キロゆくより、戦闘しなから朝鮮半島を陸路1800キロ縦断する方が、距離も物資の運搬コストも三分の一になるらしい。ヒマな人はチェックされたし。」(230)

(231)「(三倍コストくん、妄想電波全開!「本文」)380 >・明軍と共同して日本軍と戦闘中に、裏切って日本軍側に付き、その戦闘 > における明軍部隊の壊滅に貢献した朝鮮部隊の実例平壌で投降朝鮮軍がいています。 >・明の宮廷に働きかけて前線の優秀な明将を更迭・粛正させ、その明将が > 担当していた領域を労せずして奪取することに成功した実例。あるわけがない。やっても効果が無いのは理解できているから。それをやっていたらそれこそ稚拙な手法。 > 女真諸族、もしくはモンゴルのアルタンハーン(乃至その後継者)に働 > きかけて女真人もしくはモンゴル人の兵力を明軍・朝鮮軍との戦闘に参 > 加させた実例。同上。 > おれは自分の知識のレベルを知っているから「史料的根拠に基ずくコストの対 > 比」なんておっかなくてとてもできん(ワラ地図を見よ。それが史料的根拠だ。(ワラ > 秀吉政権が、「北回りルート」を使用して、蝦夷地の住民、 > 蝦夷地の西隣の野人女直を服属させて征明の為に動員したり、建州女直・海西女 > 直を明の支配下から離脱させる為になにがしかの働きかけを行ったことは、史実 > として確認さされていない。情報収集をやらなかったのは当然。コストをかけてわざわざ北回りルートをとるよりも。すでに情報のある近いルートを使う方が効率的。 > それぞれにおける「効率性」を、史料的根拠に基ずいて提示なさることができ > るであろう。地図を見よ(ゲラゲラ」(231)

(232)「(どどんが語録13)606 >>413 >女真が達成したという「戦略目標」の内容について、具体的にご教示ください。ヌルハチ王朝が朝鮮に対して設定した戦略目標は、・明王朝との宗属関係を断絶せしめること・ヌルハチ王朝の軍事行動に援軍・兵糧を供出する主旨の取り決めを結び、実施させることです。606 :16世紀末の東北アジアの国際環境以下に、史料と研究に基づき、16世紀末の東北アジアの国際環境を述べる。」(232)

(233)「(どどんが語録14)607 :女真について 1 (1)配置と分布この時期の女真は明からみて海西、建州、野人に大別されていた。海西は南満州西部、建州は南満州東部に位置し、それぞれ政治統合がなく、勢力の大小に応じて明より個別に衛所の官職を得ていた。「野人」は海西・建州のいずれにも属さぬ諸集団で、おおむね海西・建州の北方よりアムール河口に到る地域に居住し、秀吉の時期には明との直接接触をもたなくなっていた。 海西の西方には明領の遼東が、西北方にはモンゴルが、海西・建州の南方には朝鮮が位置し、「野人」は東方の沿海州やカラフトにおいてアイヌと接触し、西方でモンゴルと接していた。 (2)女真をめぐる国際交易 海西・建州は明との交易によって莫大な利益をあげた。彼等は貂皮や人参を供給する代わりに絹製品を初めとする、奢侈品から日常雑貨にいたる各種中国産物を受け取った。そしてこうして入手した中国産品を、朝鮮とは耕牛や奴婢、モンゴルとはウマや畜産製品と交換した。「野人」とは主として穀物と貂皮・人参との交換をおこなった。 海西・建州にとって、明から授かる衛・所の官職は、明との交易のための利権の単位であった。明からの冊封を受けたことを示す勅書の保持者は、海西は開原、建州は撫順にて朝貢の儀式(貢物の献上と回賜の受領)の後、互市にて交易を許された。時期によって相違するが、万暦元年(1872)の段階で海西・建州に対して授けられた勅書の数は、海西が1000道、建州が500道。当初は勅書の名義人と保持者との一致を厳密に要求したが、1520-25年ごろ以降このチェックは弛緩し、他者名義の勅書を奪って朝貢・互市の利益を勝手に我がものにすることが可能になる。史実においては、16世紀後半から激化するこの利権の争奪が女真における部族統合・国家形成の契機となっている。」(233)

(234)「(どどんが語録15)608 :女真について・2  (3)女真の内情と調略の可能性  1.「野人」日本からみて、蝦夷地を経由し、間宮海峡(凍結により冬季は徒歩やソリで渡海できる)をこえてまず接触するのが、「野人」の諸集団である。この時期の彼等は「中国産品」を海西・建州から間接的に入手するしかなく、直接交易を行っている海西・建州と比較して著しく不利な状況にあった。このような境遇の「野人」に対しては、生活必需品や彼等の求める奢侈品を、「日本産品」で、海西・建州と取引するより有利に供給してやることによって、きわめて容易に懐柔できる。すなわち、野人が分布する中部・北部満州・沿海州を勢力圏に収めるという段階までは、少数の護衛を引き連れて「日本産品」を携えたエージェントを往来させるだけでよい。「野人」諸部は、海西・建州と比較して規模の小さい小部族が統合もないまままばらに散在しているだけであり、武力による威嚇または武力行使を行う場合でも、大軍を運用する必要はない。」(234)

(235)「(どどんが語録16)609 :女真について・3 (3)女真の内情と調略の可能性  2. 海西・建州海西・建州に対する、史実における明の政策は、衛・所の官職にともなう利権を餌に、部族間の対立や部族内の一族の葛藤をコントロールすることを通じて分割統治する、というものである。すなわち、一族の内紛や部族間抗争に敗れ、史実においてはそのまま消え去ったり他勢力に合併吸収されてしまった敗北者たちにとって、 「衛・所の官職に付随する利権に匹敵する財貨の供給力を持つ明とは別個の外部勢力」が存在した場合、自らの失われた地位を回復するのにその勢力を頼ろうとすることは、全く自明である。また史実においては平穏無事に過ぎていったある部族の内部状況や部族間関係についても、このような外部勢力の存在があったなら、また別の経緯をたどることがあり得ることも、全く自明である。つまり海西・建州の内情は、「衛・所の官職に付随する利権に匹敵する財貨の供給力を持つ明とは別個の外部勢力」が満州中部に地歩を占めた場合、味方部族を獲得したり育成することが可能な状況にあったのである。」(235)

(236)「(どどんが語録17)610 :女真について・4 (3)女真の内情と調略の可能性   2. 海西・建州(つづき)しかしこの時期の海西・建州の諸部族は、明の機関との直接接触を維持しており、明側に察知されることなく海西・建州の完全征服を成就することは不可能である。彼等に調略の手を伸ばすことは明側の注意を惹起し、敵方・中立部族に対する働きかけや、敵方・中立部族を攻撃する味方部族への支援は、成果が拡大するにつれ、明側の軍事出動を促す契機となる。すなわち、「北回りルート」においては海西・建州の帰属が日明衝突の初期段階における焦点であり、明朝軍の満州への出動は、日本が、海西・建州の味方部族を背後から支援しつつ中立・親明部族を切り崩してゆくプロセスのいずれかにおいて発生することになろう。海西・建州の個々の中立部族・親明部族に対して説得や威嚇を行う際の実際の手段としては、少数の「日本人武装使節団」や味方部族の運用でことたりるとしても、女真人たちに日本を「明に拮抗しうる外部勢力」として認知させ、中立・親明の部族に日本への鞍替えを促すためには、「明軍部隊を撃破する可能性を信じさせるに足る規模の兵力」を配置してみせたり、現に満州に派遣されてきた明軍部隊を日本軍兵士が粉砕するところを実見させることが、きわめて有効である。従って、女真に対する調略は、対象が野人から海西・建州にうつる段階において、日本人部隊を配置した基地を保有する必要性が格段に増加することになる。この段階では、日本軍の拠点は明側官憲の注意を引きにくい野人諸部の領域に設置するのが妥当である。味方部族の勢力圏に、地元民の協力を得ながら設けられる拠点であるから、保有・維持・拡充において地元民と戦闘を交える必要がないことは全く自明である。その際のコストは、妄想DQNくんか脳内地図を眺めながら算出した彼の「脳内北回り」の脳内コストと比べた場合、著しく安価であることは全く自明である。」(236)

(237)「(どどんが語録18)612 :モンゴルの状況海西・建州の帰趨を巡り日明両軍が対峙する際、もしモンゴルの軍隊が日本軍と連携して行動した場合、日本にとってきわめて有利であることは全く自明である。モンゴルは「野人女直」の勢力圏に隣接しており、「明との対決に備える」という目的のためには、海西・建州の調略に取りかかるのに先んじて接触すべき勢力であることは全く自明である。この時期、モンゴルにおいては覇者アルタン=ハーンの最晩年(1583没)にあたる。アルタンは1571年に明と和議を結び、モンゴルと明の間には、一応の平和的関係が保たれていた。このアルタンはモンゴル皇族としては傍系の臣下に過ぎず、チンギスハン以来連綿と続く「大ハーン」位を継承するダライスン=ハーンが別に存在していた。アルタンは権勢をカサにきて、それまで臣下に許されなかったハーン号を冒す先例をはじめて拓き、彼が権勢をふるい続けた間、ダライスンとその後継者は、東部内蒙古に逼塞を余儀なくされる有様であった。アルタンの没後、彼の権力基盤は子孫の間で分割相続され、また同時期に発生した気候の悪化ともあいまって、モンゴル全体を統一的に把握する中央権力は不在となるにいたる。以上より、モンゴルにおいても、調略の対象として利用しうる内部的軋轢や、日本の手による権力てこ入れのスキを提供する自然災害が存在していたことがわかる。」(237)

(238)「(どどんが語録19)613 :結論・秀吉とヌルハチ王朝三代の「手法」の巧拙以上で明らかにしたごとく、蝦夷地を経由する「北回り」ルートにおいては、地元民族を労せずして服属させたり、その支持と協力を得ながら大陸内部に前線基地を設置したり、また反明の軍事同盟を構築しうる環境条件が存在していた。しかし史実における秀吉は、上記方面に対する情報収集をほとんど行わず、その結果として、この方面における有利な環境条件を活用することはなかったのである。結局のところ、史実においては、明・朝鮮との戦争について、秀吉が ・事前の情報収集の不備 → ・有利な国際環境を利用せぬまま放置      ↓  ・実現不可能な戦略目標を設定などの過誤を冒し、その反映として・明・朝鮮と二国同時に対戦・平板に軍事力を展開し消耗戦に突入・戦略目標を達成できずに撤退であったのに対し、ヌルハチ王朝三代の場合、・女真・モンゴル・明・朝鮮に対する綿密な情報収集・実現可能な戦略目標をその都度設定の反映として・つけいることが可能な敵のスキを見逃さずに利用・朝鮮・明を各個撃破・メリハリのある軍事力の運用により不必要な消耗戦を回避・朝鮮・モンゴルを服属させ、明の征服に成功であり、その手法の巧拙はきわめて明瞭であることは、全く自明なのである。」(238)

(239)「(どどんが語録20)619※日本・・・実現不可能な戦略目標を掲げて漫然と軍事力を展開して平 押しに消耗戦した挙げ句その成果は一時的に「支配を受け入れた人  は多い」※ヌルハチ王朝・・・実現可能な戦略目標を設定してむだな消耗戦を回  避して朝鮮国そのものを政府ごとまるごと服属させた。 →手法も成果も極めて対照的。  >明の場合は遠征軍だけだから、比べるのが間違いだね。秀吉・・・漫然と軍事力を展開して平押しに前進し、明の遠征軍にいき   なり直面、ひたすら消耗戦。ヌルハチ王朝・・・遠征軍と対峙して撃破するのみならず、調略を駆使   して内部崩壊させたり、遠征軍部隊そのものをリクルート。」(239)

(240)「(どどんが語録21)621 :どどんがどん :02/09/23 20:23 >>616 > これの調査にどれだけかかるの?「費用」について。パラメータとしては、清のアムール経略やロシアのシベリア経略の費用を調べれば近似値が得られるだろうけど、めんどくさいからやりません。「時間」について。未知の土地に対する調査についての一般論として、調査に要する時間の長短は、調査に投入する資金と人的物的資源の多寡に比例します。 > あの当時に蝦夷と間宮海峡の詳細な情報が簡単に手に入ったの?まず「簡単」について。日本が蝦夷地経由で女真の調略に乗り出した場合、女真に対する支配権を巡って日本と拮抗しうる勢力としてはモンゴルと明しか存在しません。そしてすでに詳しく述べたごとく、この時期は明もモンゴルも退潮期に入っていますから、日本による調査がこれらの勢力から妨害にあうことは、極めて少ない、といえます。そのいみでは非常に「簡単」といってよい。つぎに「詳細」について。 情報収集作業が進むにつれ、詳細な情報が手に入ってきます。」(240)

(241)「(どどんが語録22)632 :どどんがどん>>626 > 自分が知りたいのは秀吉の時代に蝦夷地を経由し、間宮海峡を経て大 > 陸へ渡るルートを認識できた人がどれだけいたかなんだが。現に大陸と往来していたアイヌは知っていただろうし、カキザキ氏にもそれなりの情報があったことは間違いない。秋田の十三湊とか、東北各地にも。。。蝦夷地でも東北でも宋銭・明銭が大量に出土するという報道をよくみかけます。そのような遺物が実在する以上、「北回りルート」が北日本で古くからそれなりに知られていたことは自明です。」(241)

(242)「(どどんが語録23)633>>607では、海西・建州が朝鮮から耕牛と奴婢を輸入していた、という史実を紹介しました。これは、女真人に余裕があるなら農業に従事するよりも高価な中国産品と交換できる人参や貂皮の採取に従事したがる傾向があり、富裕者は自身の必要を満たす農耕に従事させるために人間を購入していた、ということです。その結果として、満州には広大な可耕地が森林の状態で存在していました。「日本軍部隊の必要物資を全て日本から輸送する」ならば「補給線の長さは膨大なものになる」のは確かですが、日本の勢力圏内をとおって前線基地まで到達することができます。また、迂遠な策ですが、たとえば味方部族の族長に「物頭」や「侍大将」等の地位を授け、その際に監視もかねて日本人の指揮官・行政官が統率する屯田兵を部下につけてやり、開墾に従事させる、という手段を持続的にとるなら、「補給」の比率を下げて行くことができます。」(242)

(243)「(どどんが語録24)648「朝鮮・明に対する外征」にたいして秀吉とヌルハチ王家とで、なぜ戦略目標の設定から実際の戦争運営にいたるまで、巧拙の差がこうまで現れたかを考えるに、日本国家の存立にとってこの外征が「不可欠」ではなかったのに対し、ヌルハチ王家では国家存立のための環境を獲得するための戦いであった、という差につきる。ヌルハチ王家が明と対峙しつつ自存をはかるためには、以下に提示した各段が不可欠であり、しかも一つの段階を達成すると、次の段階がすぐさま次なる課題として立ち現れ、失敗するならただちに国家の滅亡に繋がる、という緊張状態にあった。 1・建州を統一すること 2・海西・野人を吸収すること 3・朝鮮に明との宗属関係を断絶させ、服属させること   およびモンゴルと同盟しあわよくば服属させること現に朝鮮の服属はヌルハチ・ホンタイジの二代に渡り、モンゴルの服属はヌルハチ以来康煕までかけてようやく実現している。」(243)

(244)「(どどんが語録25)665 >>654  >どどんがどん氏 >しかし、補給云々はいただけない。 >まず、補給は食料だけではない。武器弾薬は日本からの輸送でしか無理だろう。 >半島になら九州からの海路で数日ですむが、 >北回りだと海路を利用してもどれだけかかるか。陸路なんて馬鹿げてるし。少数の護衛をつけた「武装エージェント」を往来させて(明にはコッソリ)調略を進める段階では、「陸路」で充分。「北回り」で調略を進める、ということは、日本の勢力圏は次第に南下することになる。調略対象の野人が暮らす「沿海州」というのは、日本海の対岸。女真を調略するということは、日本海を「日本の内海」にすることである。平安時代、渤海国の遣日本使および日本の遣渤海使はこの海を南へ北へエイヤッと往来し、対岸に漂着しあっていたのだよ。 >はっきり言って費用と時間がかかりすぎる。 >数代かけて着実にやるならそれも良しだろうが、それは「陸路」だけ使った場合。大軍や大量の物資の輸送に、わざわざ遠回りの陸路を使う必要はない。 >秀吉は一代でやろうとしたんだろ。それが問題。これがゆえに (以下>>613の主旨の繰り返しになるので省略)」(244)

(245)「(どどんが語録26)666 :どどんがどん :02/09/24 03:25  >>662そのおそれあり。ただし、史実のような朝鮮・明の二国を同時に相手にするがごとき消耗戦には入っていないわけだから、史実のごとく秀吉の死没とともに速攻で撤収、とはならない可能性あり。>>664 >「明の北に調略できそうなやつがいる」という情報すらない状態で北を探索する意味 >がどこにある?史実における日本の勢力圏内に情報はあった。>>632を参照。すなわち、秀吉による事前の情報収集がずさんであったため、潜在的に有利に活用しうる国際環境が利用されずに終わった、といえる。」(245)

(246)「(どどんが語録27)678>>671 > この辺を大艦隊がうろうろするならば、明の注意 > をどうしても引くと思います。史実における当時の東北アジア国際交易ルートの表玄関は陸上は開原・撫順、海上は渤海湾で、旧渤海国の対外窓口だったポシェット湾は利用する勢力もない「廃れた裏口」の状態にありました。建州諸族の分布も、この湾岸には及んでいません。>>607・>>608で詳述した「野人の調略」の段階で、日本海対岸の橋頭堡と「野人の勢力圏内に設置する前線基地」の設置予定地の連絡ルートは確保できます。さらに、「北回りルート」では内陸でも結氷期をのぞき水運が使えますから、朝鮮や明にほとんど察知されることなく、相当の下準備をすることも不可能ではない。ヒンターランドを確保した上で「一気呵成」に運搬・建設すれば、「注意を引いた」ところで、もはや「あとの祭り」です。「漂着」は「ことばのあや」です。沿海州沿岸の情報を日本側の船乗りに共有させ、要所に人員を配置する、というようなレベルまでの準備があった場合には、沿海州沿岸に「漂着」した船がポシェット湾まで到達するのが容易なのは自明。」(246)

(247)「(どどんが語録28)691>>690一連の事実提示の狙いは、>>311で示したごとく、当時の日本・秀吉にとって有利に活用しうる国際環境が未活用のまま放置されたことを示すことにある。信長麾下の時代の秀吉には、戦略目標の達成のために綿密に情報収集を行い、利用可能な状況あればすかさずつけ込むという態度があった。その結果、味方の(敵にも)無駄な消耗を避け、楽に「戦闘に勝つ」という成果を連続して獲得していた。 > 秀吉が北回りの情報収集しなければならない別に「しなければならない」ことはない。そして「大陸出兵」にあたり、史実の秀吉は、現に「しなかった」。「すでに存在する情報」の解析にとりくんだり、「調査すれば入手可能な情報」を入手したり解析する努力が行われなかった結果、ヒデヨシの戦略目標は到底実現不可能な「痴人の妄想」レベルのものとなり、そのような戦略目標の実現を押しつけられた現場では、平板に軍事力をひたすら平板に展開して消耗戦をだらだら続けるという、極めて稚拙な戦争を余儀なくされた。利用可能な状況の活用を怠ったひとつの結果といえる。」(247)

(248)「(どどんが語録29)703>>694 >そんだけの兵力の維持には円滑に補給が為される必要があるが、それを北回りルート >で為しえるとは到底おもえん。うん。だから「野人の調略」段階までは蝦夷地経由の陸路でやるとして、部隊や物資の送り込みの段階になったら、海運をつかったらよい、といっとるがな。ポシェット湾からスイフン河流域にかけての「橋頭堡〜前線基地」を結ぶルートは味方勢力の圏内に味方勢力の支援をうけつつ構築しうる。ポシェット湾といえば、朝鮮の羅津のほど近くだからな。瀬戸内沿岸から徴発された西日本の人員・物資は、瀬戸内海を西進して関門海峡経由、朝鮮半島を左手にみながら北上すればいい。ウルルン島も中継地に使える。ウルルン島を「利用」したり、日本線が朝鮮の東岸に「漂着」した場合には、朝鮮からなんらかのリアクションが生ずるだろうが、朝鮮本国に大軍を送り込んだ場合の抵抗と比較すれば、著しく微弱であることは自明。 >お前が言ってるのは3代、4代かけてやることを秀吉一代でやるっつてるようなものだ。うん。史実の秀吉は、3,4代かかかる事業を「一代でや」ろうとしたもんだから、その戦略目標たるや実現不可能な妄想レベルの内容で、そんな目標の達成を押しつけられた現場は、戦力を平板に展開してひたすら消耗線にいそしむという極めて稚拙な戦争を行うハメになった。そして(以下略)」(248)

(249)「(どどんが語録30)718>>712 >北回りルートなど事実上不可能、 >小規模な輸送ルートと、大軍を擁立しての侵略戦争では輸送体系自体違う。「北回りルート」では「橋頭堡と前線基地の設置」段階まで「侵略戦争」じゃないんですけど。 >そして冬は凍り付き、流氷すら流れる所では安定した供給などできない。すなわち、流氷がとけさる季節をおおいに活用すればよい、と。>>832=>>833 >「秀吉が北回りルートを認識してなければ先行する情報がいくらあっても無駄。」 >ではないのかと。これはチト違いますな。 >「秀吉は北回りルートの必要性を認識しなかったので、先行する情報は無駄になった。」ということでしょう。秀吉が、大陸出兵という大事業において、「収集可能な限りの情報を収集し、利用可能な情勢は可能な限り利用する」という、信長の部下の時代に持っていた姿勢を保ち続けていたなら、「当時の中央」に存在していた情報を手がかりとし、>>621で提示したプロセスを経て、東北アジア国際情勢についての正確な知見を入手しえたであろう、というのがM.どどんがどんおよび私R.ドドンガの仮定である。」(249)

(250)「(どどんが語録31)       883 >>868  >>野人の調略は、妨害者もなく、滞りなく進めることが可能。  >その野人とやらと言葉が交わせる人材は?  >それを作ったり探したりすることから始めれば太閤さんの寿命が消えちゃうよ。 養成したり探したりすればよろし。 「北回りルート」の使用は、時間を要する調略とその成果の蓄積を要する。 開戦に先立つ調略の段階で太閤殿下がご逝去あそばしたとしても、史実におい て生じた「成果のない消耗戦」が直接にもたらした豊家譜代の分裂と抗争は、 史実のような形では発生しない。史実における「不毛な消耗」はまだ生じてい ないから、後継者によって「女真の調略・大陸出兵の準備」は継承されるかも しれないし、継承されないかもしれない。  >それに、文化の背景が違えば終わりだろ。 明の永楽は「文化の背景の違う」女真たちを、アムール河の河口にいたるまで 調略したぞ。  > おめえさんの滞りなく進められるという根拠は?一度もでてないぞ。人に要  > 求するくせに 自分は出せないとはね。 >>605-613及び>>621にて詳述済み。」(250)

(251)「(どどんが語録32)884 :R.ドドンガ :02/10/08 22:50 >>621の主旨をもうすこし詳しく解説しておこう。 明の永楽の調略を受けた女真は、海西・建州の祖先である。その分布は、中・北満からアムール河 畔にまでまたがっていた。永楽一代でヌルカン都司は撤廃され、明の女真に対する関与は、間接統 治下に変わった。その後2世紀をかけ、明より衛所の官職をうける海西・建州の諸部族は次第に南 遷し、十六世紀末には、遼東辺牆にへばりつくかたちで、南満州に分布するようになっていた。 野人女直は、海西・建州が南下したあとに移住してきた諸族である。 日本が野人に調略の手を伸ばす際に、日本と拮抗しうる外部勢力としては、明とモンゴルがあった。 しかし明は永楽以来、満州では退縮する一方であり、1580年ごろ、野人と明とは直接の接触はなかった。 西隣りのモンゴルにおいて、野人と直接接しているのは、臣下のアルタン=ハーンに圧迫されて萎縮 していた大ハーンのチャハル部であり、アルタンの死により1581以降はモンゴルそのものが統一を 失う。  >>野人の調略は、妨害者もなく、滞りなく進めることが可能。 と述べた当時の情勢は以上のごとし。」(251)

(252)「(どどんが語録33)934 「北回りルートが半島ルートより優れている」点は既に示している。 ・明との開戦に先立ち、大陸に恒久的な地盤を獲得できること。 ・朝鮮全土に対する占領維持が不要なこと  以下は「北回りルートが半島ルートより優れている」点の追加説明。」(252)

(253)「(どどんが語録34) ・明にとって朝鮮は「王」号を授与するランクの高い「属国」である。  朝鮮にちょっかいをかけることは、明に対してランクの高い警戒を呼  び起こす。ましてや王が亡命し、救援を求めるにいたっては、「天子  (=中華思想においては全人類の君主)」の面目にかけて断じて対応せ  ざるを得ない。 それに対し、建州、海西の諸部族は、「礼教も身につかぬ野蛮種族」たち の単なるキビ衛にすぎない。上述したごとく、海西・建州の諸部族の征服 にとりかかった段階で明軍の出動を招くことになろうが、この段階で相手 にせねばならない明軍の規模は、史実において朝鮮に派遣されたものより もはるかに小規模なものに止まると推測される。」(253)

(254)「(どどんが語録35) あるいは、史実においては女真諸部の間で「勅書の兼併」が行われたこと をすでに紹介した。他部族を併合した部族長が、自分の部下などに滅ぼし た部族の保有していた衛所の官職の称号を継承させ、滅ぼした部族が保有 していた対明交易の権益を行使する、という事態である。 秀吉の時代には、明による、勅書の名義人と、実際の保有者とのチェック はほとんど行われなくなっていた。 明にとっての満州は、遼東辺牆の外側にある未開地帯であり、 その重要度は朝鮮と比べて低かった。 したがって、日本勢力が、明と朝貢関係をもっている海西や建州の諸部族 を併合したあと、何喰わぬ顔で彼等が保有していた朝貢と交易の権益を、 女真の味方部族や日本人の部下に代行させたなら、明当局は、日本による 海西・建州併合に気づかないか、または問題視しない、という可能性すらある。 朝貢国に対する中華王朝の態度として参考になる事例として、十九世紀の事件 であるが、英領インドがビルマを併合した際、一旦これに 抗議した清朝は、ビ ルマが朝貢を行うことを条件に結局こ れを承認した、という事例がある。 以上、「北回りルート」の利点は、大戦闘をほとんど交えることなく、満 州の肥沃な大地に巨大橋頭堡を築ける、という点にある。」(254)

(255)「(どどんが語録36)971 :R.ドドンガ >>966  >朝鮮半島に寄港するのなら朝鮮を味方にするしかないし、沿岸近くを北上す  >るなら朝鮮海軍を相手にしなくちゃならない。 「敵かしからずんば味方」なる単純蒙昧な発想は、天下統一の後、頭のネジが 吹っ飛んだあとの秀吉みたいだな。 >>605-613、>>934などで示したごとく、「小規模の武装商人」によって陸路 北方から行う「女真の調略」の段階では、明軍の大規模な出動はない。まして や朝鮮についても同様である。問題は、物資を蓄積しておく前線拠点を構築 し、大軍を駐屯させる段階である。 史実の秀吉は、朝鮮国王に対し、「自分のもとに出仕して臣従せよ」などとい う到底受け入れがたい要求をいきなり突きつけ、拒否されるやいなや大軍を送 り込んで朝鮮の「占領維持」にとりかかった。このような粗雑・粗暴にして剥 き出しの攻撃を受けた朝鮮側は、もはや死にものぐるいで抗戦し、宗主国の明 に救援を仰ぐしか術はない。(故に「秀吉の手法は稚拙」と指摘している)。 しかし史実を回顧するなら、室町日本の地方領主たちが、李朝とうやむやと交 渉しながら既成事実を積み重ね、「倭人の居留地」 を三個所も獲得し、利用していた時期がある。 この故事にならえば、朝鮮を、必ずしも「味方」にはせず、さりとて「敵対」 する必要もなく、朝鮮の港湾を利用することも不可能ではない。船隊を往来さ せる説明としては「新附の属民に対する救恤物資の運搬」とでもすればよろし。」(255)

(256)「(どどんが語録37)972 :R.ドドンガ :02/10/14 05:13 >>966  >前線を維持するための補給はそんな悠長なことは言ってられない。 「前線を維持するための補給」ならね。 しかし「新附の属民に対する救恤物資の運搬」は「前線を維持するための補給」 ではないので、「悠長」にできる。  >もしできるというのなら、日本海横断ルートが季節風に左右されず毎日のよ  >うに行き来ができたことを証明しなくてはならない。 明との軍事衝突に先立ち、スイフン河畔において物資・人員を蓄積・集結させる という段階では、使える季節だけ使えばよろし(ワラ >>966  >港湾施設をどの様にしてごく短期間でできたかの説明ができないだろうけど。(w 朝鮮東岸の「港湾施設」を借りてしまえばよろし(ワラ >>966  >つまり、隠密行動ができないから、密かに拠点などできないと言うことを意味する。 「隠密行動」などせずに、堂々と借りてしまえばよろし(ワラ >>969  >朝鮮半島東岸とはいえ寄港せずにポシェット湾に行けたという証拠は? 「寄港せずにポシェット湾に行」く必要はない(ワラ」(256)

(257)「(どどんが語録38)973 :R.ドドンガ :02/10/14 05:15さて、都合のわるい質問を無視して遁走した「三倍電波」に再度たずねるぞ。逃げるなヨ(ワラ加藤清正について、三倍電波は述べた。>>959 >オランケに遭遇云々と言うが、結局は対馬を通って朝鮮沿岸を回ってきているんだよ。当方の調べによれば、清正の移動ルートは、名護屋-釜山の水路が約200キロ、釜山より漢城・開海を経由して元山に至り、咸鏡道の東岸よりオランケの地に入り豆満江に至る約1600キロの陸路で、計1800キロ程度となる。これに対し、朝鮮東岸の沿岸をゆくポシェット湾-関門海峡の距離は、およそ1400キロ程度である。当方の地図は、縮尺比の大きいちっさな地図なので、数値の精密さは保証できないが、目測でも明らかに朝鮮東岸の沿岸を行く距離の方が短い。電波よ。キミの脳内地図では、ポシェット湾-関門海峡の距離は、清正が豆満江に至るまでに渡海・踏破した距離と比べて、やはり「三倍」あるのか?さらに電波よ。オレの常識では、物資の運搬は、海運・水運を使用したほうが、陸路より、安価で大量に行えるような気がするのだが、キミの脳内地図では、米一俵を運 搬するコストについて、ポシェット湾-関門海峡の海運は、清正の部隊が実際に 運んだルートと比べて、「三倍」以上するのだろうか。」(257)

(258)「今から出るんで大したレスは出来ないが、とりあえずついでに俺宛でもないが、俺は三倍厨なんで、>>228>アナタは、「コスト」という概念を持ち出して「断言」したのであるから、ほう、畿内からプサンまで行くのと、畿内から、遠回りして地図もない蝦夷地経由でウラジオストックまで移動すると、どちらが早く、コストが安いのかね。資料うんぬん以前の話だね。算数が出来ない人には無理だったかな?>>230ひょっとして電波届いた?俺が何時、戦闘しながら朝鮮半島横断して、陸路に補給路を設置するといったんだ?これだから電波って。。。俺が述べているのは、長大な補給路を設置して朝鮮半島南部で戦闘するのと、長大な補給路を使用し、明と満州南部での戦闘する場合だ。>>231はまた逃走ですね。君にはレベルが高かったようだ。>>257電波だ。正しく電波だ。そもそも比較が全然あってない、俺が言っているのは、明との戦闘の場合だ。三倍以上の補給路を使い、隣にはいつ敵に回るともしてない敵性国家を配置し、満州で戦闘する場合と、朝鮮と最初から戦闘し、朝鮮の降伏後、半島を安全地帯として唐入りする場合の比較だな。明との決戦も、半島南部で行う。またこの場合明の補給は非常に苦しくなる。史実通りこれなら明との戦闘時の補給路は三分の一以下ですみ、唐入りする場合も朝鮮半島を補給中継地として使える。お前さんの妄想の場合は、三倍以上の補給路を駆使し、補給路の短い明と満州で決戦する事になる。そして朝鮮が敵に回った場合は、2正面作戦を強いる事となり、勿論補給路は安全とは言えなくなる。1度でも十分な補給が出来なければ、前線は当然崩壊する。そして唐入りの場合は、陸路でひたすら送らなければならない。」(258)

(259)「>俺が述べているのは、短い補給路ですむ朝鮮半島南部で戦闘する場合と、>長大な補給路を使用し、明と満州南部での戦闘する場合だ。訂正・」(259)

(260)「俺の意見に近いレスへの反論だけすましたから、残りのつっこみしてくださいという、電波な妄想は後は帰ってからレスする、ついでに、あげ」(260)

(261)「>>258ついでにヌルハチも明側で参戦するだろうね。」(261)

(262)「 こいつ、前スレでは最後に朝鮮から港を借りるとかほざいているが、結局三浦がなんだかよくわかってないんだろ?説明してみろって言われたら、自分で荒らしてトンずらしちまったし。 三浦ってわかってんのか?わかってたらとても書けないと思うが。」(262)

(263)「>>262マジですか?明が満州に責めこまれた時は、国内がボロボロなのに援軍を送った朝鮮が、国内が問題ない状態の時に、黙ってみていてくれると思っているのかねえ。」(263)

(264)「>>255>室町日本の地方領主たちが、李朝とうやむやと交渉しながら既成事実を積み重ねもうなんと言ったらよいやら、明かな貿易目的の居留と、従属している明と戦争をしている状態とでは、全然意味が違うでしょ。これは傍証にすらなってない。てーか朝鮮軍なんて、大した問題にもならんよ、首都が何ヶ月で陥落したと思っているんだよ。問題になるのは、朝鮮軍ではなく、明の大軍。>朝鮮を、必ずしも「味方」にはせず、さりとて「敵対」する必要もなくつまり朝鮮しだいという事になる。朝鮮が見方もしくは中立を守ってくれれば、補給路の安全という意味だけは問題なくなるが、朝鮮が最初からもしくは、途中から敵対した場合、補給路が崩壊し、軍勢も壊滅する。>>256>「前線を維持するための補給」ならね。で、明と戦う場合はどうするの?>使える季節だけ使えばよろし(ワラだから明と(以下省略」(264)

(265)「(前スレ942)>まったくちがうね。>「コスト」という概念を振りかざして「高い」「三倍」などという諸君>に、具体的な数値を提示するよう求めているだけ。 距離は3倍以上になることは明白。詭弁を使って2.5倍まで圧縮したが(爆笑)、それで船が2.5倍は必要になることはすでに提示されている。当然物資も2.5倍。水夫も2.5倍必要で、日本海横断のために経験を積ませる時間も必要。コストは全部合計したら10倍以上になるんじゃない? ざっくりした計算でもコストが明らかにかかることはすでにいろいろな人間が提示しているが、それに対する効果的な説明は全くなし。そろそろ電波にみんなが飽きてきたんじゃない?」(265)

(266)「(前スレの957)>>942 > 距離は3倍以上になることは明白。詭弁を使って2.5倍まで圧縮したが >(爆笑)、それで船が2.5倍は必要になることはすでに提示されている。この「距離の三倍」電波が(爆笑)ものなのは、ドコからドコまでの距離を比較して「三倍」なのか、電波にはアジア地図が頭に入っていないことだな。当方は、関門海峡を起点として、「北回りルート」におけるウルルン島経由ポシェット湾までの距離が、「南回りルート」の珍島経由江華湾北岸までの距離は1.5倍程度であることを示した。しかし「三倍電波」はこれをスルーし、いまだになお「三倍」と繰り返している。「珍島」や「江華湾」の場所、おしえてやろうか。自分で見つけられるかい?*************三倍電波くんにたずねる。加藤清正が朝鮮半島を縦断して「オランケ」=女真と遭遇したのが、まさしくスイフン河流域である。1. 九州北部からウルルン島経由でポシェット湾に到達し、スイフン河に至るまでの距離と、史実の清正がオランケに遭遇するまでに踏破した距離は、「三倍」だと思いますか、思いませんか(ワラ2. 米一表をスイフン河畔に運ぶのに要したコストについて、ポシェット湾まで海運で運んだ場合のコストは、清正の部隊による史実上のコストと比べて「三倍」だったり「はるかに高」かったりするような気がまだしますか?」(266)

(267)「電波君は半島南部という漢字が読めないらしい、おれはひらがなでかいたほうがよかったのかなはんとうなんぶまでとぽしぇっとわんまでですよ。これで読めるだろう。そもそも清正が大した敵と遭遇しなかったとはいえ、勝った事により補給線が延びた到達点で、設定しているのが電波なんだよな。それなら、北回りルートも同じくほぼ同じ距離で陸路のハルビン辺りまでを推定しなければならない、自分に都合のいいように解釈している、まあ電波だから仕方ないね。>>2661 まずウルルン島はあの当時まだ十分な物資集積地としては使えません。つーか比較対象が電波って事にまだ気付かないの?前スレでも教えてあげたでしょう。(900くらいだったかな?)2 遥かに安いね。清正一部隊と日本軍全軍とでは、必要物資が10倍は違う。ついでに三倍君は二人いるよ、おまいのように自作自演ではありませんので、よろしく。」(267)

(269)「>>267どどんがどんを否定しているヤシなら、二人どころか3、4人はいると思われ。」(269)

(268)「つーか他のレスはすべて無視してんだよなあこいつ。何時もこれでうやむやにして逃走がこいつのお決まりのパターン、そろそろ『どどんがS』(スーパー)でも出てくるのか?」(268)

(270)「史実において日本と明朝鮮が消耗戦を続けたのは、半島南部。だから比較に使う場合は、勿論半島南部になる。なのにそれを何度も何度も何度も言っても理解してくれない。」(270)

(271)「どどんが逃走。」(271)

(272)「あげ」(272)

(273)「ヌルハチって?ttp://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/995103275/」(273)

(276)「小説で済まんが、遠藤周作の「宿敵」によると小西行長と加藤清正の反目していた ということ、行長が独断で講和を進めようとしたことが原因だそうだ。」(276)

(277)「遼や元が成功してなぜ秀吉が失敗したのと訊くも同然。事実上の日本諸大名の自費持ち朝鮮明遠征と一人の独裁決裁集団が明を攻めるのとどちらが士気が高いかいわずもがなですね。秀吉は海外遠征で日本諸大名に嫌がらせをし、秀忠家光は参勤交代で日本諸大名に嫌がらせをした。為政者の諸大名嫌がらせ政策の一環の日本の対明戦争に勝利は最初からなかった。」(277)

(278)「(イイチコ3世 ◆HmryFskQ9U )考えてみればヌルハチだって成功はしていない山海関で砲撃を喰らい死亡している。秀吉とヌルハチの違いを語る上で「後継者に恵まれたかどうか」というのは重要なファクターにならないか?」(278)

(279)「(シロププ)あと、外征が「秀吉の個人目標」にしか過ぎなかった日本と、明との抗争の行方が国家の存立そのものに直結していた女真国家の差。」(279)

(280)「(>278)>山海関で砲撃を喰らい死亡している。 正確には、1626年1月、明将袁崇煥が守る寧遠城への攻撃で重症を負い、 この傷が元で死亡する。合掌 まあ、話の内容には秀同。明の征服に成功したのはヌルハチの後継者であって ヌルハチ自身ではない、したがって秀吉が失敗しヌルハチが成功したと云う訳 ではない。強いていうなれば秀吉が後継者作りに失敗したと云う事だ罠。」(280)

(281)「答えは簡単:秀吉自らが行かなかったから」(281)

(282)「 そもそもさ、秀吉は朝鮮半島すら支配できてないじゃん。ヌルハチは明を征服する前に死んだじゃん。よってドロー。この板は意味無し。ご苦労さん。サゲでお願い。」(282)

(283)「(中華@名無史さん)>282確かに君の言う通りなんだけどもさ、わざわざスレ潰す必要って程の事じゃ無いんじゃないか?でも、愛新覚羅家と豊臣家の比較、って事でも検証出来るよ。そう言う意味だと、豊臣は後継ぎに恵まれなかった。って言うのが、最大の原因だと思うけどね。でも、秀吉が長生きした。or秀頼がもっと大きかった。or家康に乗っ取られなかった。としても、朝鮮出兵は失敗に終ったと思うけどね。」(283)

(284)「比較対象として、どうよその二つ。比較すべきソースがないじゃん。秀吉は朝鮮を支配しそこねて、ヌルハチは寧遠(だっけ?)でしんだし。if語りがメインのスレ?」(284)

(285)「>>283だいたい、「家」ってものの観念自体が向こうとこっちでは違うのでは?比較対象としては面白いと思うけどなぁ、十六〜十七世紀の東アジアの勢力分布からするとね。ただゲーム厨専用イタになる畏れありだな。」(285)

(287)「ふと思ったんだが、なぜ秀吉は失敗し、ヌルハチは成功したのか?の問いはその地理的優位性にあるのでは?満州から南下した場合、朝鮮半島は中華帝国からの連絡が絶たれて孤立する。(日本からの援軍は考えられない)逆に日本からの北上は満州を経由して中華帝国の援軍が可能。(遼東回廊を抑えていればの話)ヌルハチと秀吉で半島の南北分断の協定が結ぶ事は可能なのかな?」(287)

(288)「北京までの地理的距離ってことだな」(288)

(289)「287は単に朝鮮半島を取るということだけを考えたもの。」(289)

(292)「あと女真とかモンゴルって陸上戦力に特化してない?ぜんぜん違う種類の戦力の気がする。むしろ秀吉の軍とか朝鮮は海上戦力+斬り込み隊ってイメージがある。」(292)

(293)「>>292違うだろ。日本も陸軍主力。あと女真相手なら日本軍ボロ負けって意見が多いが本当にそうか?戦術レベルなら個々の戦いでは日本はたいてい明に勝っているが。戦略レベルでズルズル後退しているが、それは補給の問題と軍上層部の不和が理由のように思えるが。」(293)

(294)「(中華@名無史さん)確かに日本の敗戦の主(と言うか決定的)な原因は補給の拙さだったので、実際にヌルハチと会戦する状況に成れたとすれば、勝負は確かに面白いと思うますね。」(294)

(295)「機動力も違わない?女真と秀吉の軍では同じ陸上戦力でもだいぶ質が違うと思うが。秀吉の軍て歩兵中心じゃなかった?」(295)

(298)「>292山東省方面から帰順してきた水軍勢力があるので陸上戦力だけというわけではない。後金国にも水上戦力はあった。孔有徳とか尚可喜とか。」(298)

(297)「847 : :03/02/08 23:54 ID:p/XE3bEU >>824 17世紀初頭の半島人口は300万人だったそうデツ。 因に、その頃、日本の人口は3,000万人。 中国はあの大きさでたった6,000万人。 」(297)

(299)「(sexyQ)諸候間の意思統一がなされず秀吉の元で一丸となれなかったのでは?」(299)

(300)「家康が大将となって出陣してたら面白かっただろうけど。秀吉が家康にそんな大権渡すわけも無く。家康は家康でそんな事で自分の戦力を疲弊させたいわけも無く。やっぱ駄目だな。」(300)

(301)「んじゃ、大政所が死ななくて、秀吉が渡海していたらどうなっていたかとかは?」(301)

(303)「家康がクーデター起こして政権奪取。帰るべき家を失った遠征軍は、憐れ大陸の土となるのだ!」(303)

(308)「(伊達政宗)秀吉が動員したのは西南日本の大名と侍で、東北日本の侍は日本に留まった。日本が苦戦した一因は大陸の寒さに対して準備不足だったからだが、寒さに慣れた東北日本の侍だったら、もっと善戦できたであろう。」(308)

(310)「>>300 >>308秀吉は先鋒隊として、キリシタン大名を中心に西日本の大名を送り出し、第二陣として、家康や政宗ら東国大名を引き連れて渡海する予定だった。一陣は20万、名護屋に10万、さらに京都に後詰め10万を準備していた。秀吉が渡っていれば、文治派の勝手な和平工作もできなくなり、決着はついただろう。キリシタン大名は、事前に九州に領地を与えられて集められ、朝鮮征服後、所領を没収して朝鮮の地を与え、国内のキリシタンは撲滅するつもりだったらしい。朝鮮水軍の活躍、九州の小大名の不穏な動き、母親の病などで渡海のチャンスを三度失い、駄目になった。」(310)

(309)「(【^▽^】ジーモン@ケー二ヒスベルク)ヌルハチが(助平で有名な)漢人よりも助平だったから。」(309)

(311)「ところでヌルハチより優れた装備のはずの東条英樹は何で中国全土を支配できなかったの? 中国内部もズタボロに分裂してたのに・・・。」(311)

(313)「>ところでヌルハチより優れた装備のはずの東条英樹どういう根拠で東条英機の軍隊の装備>ヌルハチの軍隊の装備って言い切れる?根拠は?証拠は?実証できる?」(313)

(314)「つーか日本はアメリカと戦争してるだろ。」(314)

(315)「>>314支那事変泥沼化して行き詰まった後に日米開戦してるんだが・・・。>>313もしヌルハチ軍>大日本帝國陸軍なら満州国は存在し得なかったやろボケ。」(315)

(317)「>>311中華思想をなめるな。」(317)

(319)「>>311ヌルハチの時は米英が明に軍事援助しなかったからじゃない?」(319)

(320)「>>315東條英機なんかは、「支那事変がいつまでも解決しないのは、米英が支那に援助を続けるからだ」とか言ってますし、日米開戦しないと支那事変が解決できないっていう論理も、当時としては成立するんですね。その論理が正しいか間違ってるかは別問題として。」(320)

(312)「ヌルハチが成功したのは秀吉のおかげ。明軍のシナから朝鮮への物資補給で、遼東半島等に拠点を持つ女直は大きな利益を得た。明朝は、女直を分断統治していたが、明軍が対日本戦に投入されている間に民族統一に成功。明も朝鮮も日本軍との交戦で大きな打撃を受けた。」(312)

(316)「補給軽視説は、神話と言ってよかろ。秀吉は国内戦で数十万の軍勢を動かしており、略奪や現地補給で大軍を養うことができないことは承知していた。補給倉庫をつないで往復輸送する方法に問題があったとみたい。この方式は、治安が保たれている条件では効率的だ。しかし朝鮮では、膨大な警備兵力を多数の中継地に貼り付けねばならなくなった。結果として、せっかく送った米が途中で食われて前線に達しなかった。敵地で補給線を維持できない場合、膨大な荷駄を主力と一緒に連れて行くより他にない。ここでの日本の不利は、馬車・牛車が発達していなかったことだ。馬車を大規模に使わないかぎり、輸送にあたる人馬の食糧消費が膨大になり、軍隊の体をなさなくなる。こればかりはちょっとどうしようもない。」(316)

(318)「ヌルハチってインディに骨とられた人?」(318)

(324)「(日本史)信長、秀吉、家康の天下統一とかいってもスケールが小さすぎる。 たかだか数十万の東北アジアの少数民族満州族が全中国を支配下に 治めた物語の方がロマンがある。 チンギス・ハーンもスケールが違うよな。 日本史はスケールが小さすぎる、世界史を選択すべきだった」(324)

(325)「プロ市民降臨。 つーか来るな書き込むな。」(325)

(326)「今時日本史と世界史を同じ土俵に上げてる時点で(略」(326)

(327)「ヌルハチは餃子食ってたから!」(327)

(328)「確かに女真よりも、日本の方が補給線は相当ながくなるので、同じレベルの戦略なら日本よりも女真に分があるのは当然だろう。日本の取るべき戦略は、最終目標が朝鮮半島か中国大陸かによって全然違ったものになるはずだ。最終目標が中国大陸にあるなら、女真が行ったように、朝鮮は属国化し、巨斉島や珍島など要塞化に向いた拠点だけを奪えば良い。ただ、それにしても日本の海軍力の不十分さを考えれば、前提条件が整っていないと言えるだろう。」(328)

(329)「でも日本人が中国皇帝になったら天皇との関係とかどうなるんだろうね」(329)

(330)「そりゃ中国皇帝のほうが上だろ。」(330)

(331)「じゃ天皇より偉い日本人が初めて誕生するのか」(331)

(332)「そういうことじゃろうて。」(332)

(333)「(中華@名無史さん)秀吉は、正親町天皇を北京に住まわせて、中華世界での帝も兼ねる様にしたんじゃないの?」(333)

(334)「秀吉自身が皇帝になったと思う」(334)

(335)「(中華@名無史さん)>334成ったと思う。じゃ無くて、実際に秀吉が唐入り成功後の武将配置図構想は文献に残って居るんだyo秀吉は泉州で城を築き、其処を居城としようとしたんです。 だから皇帝即位ってのは多分無い。」(335)

(336)「倭猿が中華皇帝なんて笑わせるな」(336)

(341)「唐入り出来たとしても中国の都市を攻め切れなかったと思う。城壁で囲まれた都市なんて日本には無いし。包囲戦に持ち込んでもそう長持ちしないと思うし。」(341)

(340)「>1戦闘力の圧倒的な差だと思うが。でも女真も山海関のタナボタが無ければ、もっと長引いただろうな。」(340)

Last modified:2011/03/22 13:31:37
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