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(ss)012


 忘れもしない。あの夕暮れの教室。
 ゆらりと俺の顔を見上げた朝倉は、目を細めて柔らかく微笑んだ。
 柔和で、愚直に。
 声が出ない。躰も動かない。視線は、蛍光灯の光を反射する銀色に固定されている。
 何も出来ないまま、白銀の刀身が、滑るように素早く、真っ直ぐに振り下ろされ――――
「あ、キョン。まだもうちょっと待ってなさい」
 ハルヒが、制服にエプロン姿で鍋を覗いていた。
 俺から視線を外した朝倉はと言うと、千切りが実に上手い。台所に入った途端、目の前で包丁を持った朝倉がこっちをじっと見ていれば、そりゃ心臓含め内蔵ごと止まりそうになっても仕方ないと思うんだ。
 あれは立派なトラウマだぞ、トラウマ。一生モンだ。
 振り返れば、残りのSOS団の面々は手持ちぶさたな表情をして、各自適当に座っている。長門は珍しく本を伏せたままで、古泉は窓の外を眺め、朝比奈さんは――俺が見ているのに気付いて、小さく手を振ってくれた。
 気が休まる事この上ない。まったく、朝比奈さんの回復魔法は天下一品だな。

 ここに至る経緯は、正直言って上手く言語化できない。
 先日の弁当の一件は……なぜか料理対決に発展していた。初めは朝倉の家で食事会という流れだった筈だが、どうしてこうなったんだ? 俺が説明して貰いたいくらいである。
 川の字くらいは描けそうな広い台所に、ハルヒと朝倉の2人。朝比奈さんも初めは手伝う気だったようなのだが、
「尋常の勝負よ!」
 という団長――ならぬ、料理長の一声で、待機組となっていた。

 さて、もちろん俺だってこの事態に不安を感じなかった訳ではない。関係者間での事前協議を行ったさ。
「これまでの行動を見ていれば解ります。朝倉さんは容赦なく勝ちにきますよ」
 お馴染み古泉の解説タイムである。
「ですが、実はあまり脅威とはならないと、僕は思っているんです」
 どういうことだ?
「料理勝負、と言うからには、審査員が居る事になります。まあ間違いなく我々でしょう。考えてもみて下さい、その場合、最も悪い展開とはどういうものだと思いますか?」
 ハルヒが勝負に負ける事だろう。
「違いますね」
 口元を曲げる古泉。こういう笑い方は、俺に嫌がらせの一言を放つ予備動作だ。しかも、ガードポジションを取っても無駄というバランスの悪さ。
「あなたが、涼宮さんではなく朝倉さんを選ぶ事です。事の発端をお忘れですか?」
 忘れたいな。
「僕や長門さん、朝比奈さんは関係無いんですよ。明らかに朝倉さんの料理が上であったとしても、あなただけは適当な――個人的でも取って付けたような理由でも構いませんから、涼宮さんを選んでしまえば良い訳です」


 様子を見に来た俺は、背後から2人の様子を伺っていた。
 ハルヒは、先ほどから鍋の中身にガンを飛ばしている。こいつは何をやらせても上手くこなすから、料理の方もそれなりの腕だ。過去に何度か口にした事があるが、美味いか不味いかと言われれば、美味い印象が残っている。
 朝倉は、こちらも鍋の火加減を見ているところである。まな板の上には肉やら野菜が見えるが、メインディッシュはそれであろうか。朝倉の料理は先日の弁当で体験済みだ。宇宙人のくせにダシの味を使うのが得意であるように感じる。
 しかし、一見して普通に料理している2人だが、俺は何か違和感をその光景に見出していた。
 並んで料理しているせいか、朝倉の方が若干、遠慮気味……なのか?
 不思議な感覚だが、なんとなくそういう印象だ。遠慮と言うより、単に緩慢にも見える。
 朝倉は振り向いて、
「どうしたの、キョン君」
 ハルヒに遅れること約2分、ようやく俺に反応した。
「……疲れてるのか?」
 俺が感じた事をそのまま口にすると、ハルヒの視線も朝倉を捉えた。
「ううん、そんなことないけど。どうして?」
 それならいいんだけどな。ハルヒも尋常の勝負なら、良コンディションの相手と闘りたいだろうしさ。まあ、彼女らにとって疲れるなんて事がそうそう有る筈も無いんだろうが。
「そうだ。キョン君もみんなも、ただ待ってるだけじゃ悪いね」
 朝倉はそう言うと、一旦作業を中断して食器棚からグラスを取り出し始めた。冷蔵庫を開け――飲み物を選んでいたのか僅かに固まって、ペットボトルのオレンジジュースを取り出す。
 トレイに並べられた6つのグラスにジュースが注がれ、1つはハルヒに、1つは朝倉自身に、4つは俺が居間に運ぶ事となった。
 とっくに飲み干したハルヒを横目に居間へ戻ると、朝比奈さんと古泉が何やら会話をし、長門がその様子を見ていた。
「ほいよ」
 グラスを3人の前に置く。朝比奈さんはにっこりと笑顔。
「ありがとうございます」
 喉が渇いていたのか、こくこくと飲み干してしまった。
「ふぅー」
 一息ついて、朝比奈さんは目を閉じた。美人はオレンジジュースを飲んでも絵になるものである。
 古泉はワインか何かと勘違いしているのか、グラスをくゆらせて、
「どうでしたか? 向こうの様子は」
 特に何も。
「そうですか。まあ、心配する事はありませんよ」
 それは心配などしても無駄だと言うことか。
 緊迫感の溢れる台所から戻ってきたせいか、そんな今更な事を考えていたせいか。腰を下ろすと頭やら胃やらが痛いような気がしてならない。
 病は気からとは良く言ったものだ。冷たいグラスを取ってオレンジ色の水面を揺らしたところで――その向こうに見える、長門の奇妙な表情が目に止まった。
 いや、奇妙と言ってもいつものポーカーフェイスだ。しかし、何か違和感。
「どうした?」
 今まで黙り込んでいた長門は、ゆらゆらと視線を上げる。
「トロイ」
 ……なんだって?
「トロイ型バックドア解放兼機能障害誘発ウイルスのオンマスク系カスタムバージョン」
 解るように説明してくれ。と言う俺にもその単語は聞き取れていた。ウイルス?
「この液体情報に混入している」

 ……。
 …………は?
 俺はともかく、朝比奈さんが固まっていた。

「既知の構造体では無く、かつ複合マスクが仕掛けられている。とても高級なコード。発見に手間取った」
 ……それがこの、ジュースに?
「そう」
 ひっく。
 可愛らしいしゃっくりを零して、朝比奈さんはじいっと長門を見ていたかと思うと、
「ふにゃぁ」
 空になったグラスを律儀にテーブルに置きつつ、くてんと床に倒れ込んだ。
「あ、朝比奈さん!? おい長門! 朝比奈さんが全部飲んじまったぞ!?」
 慌てて朝比奈さんの顔色を伺う俺の背中に、長門がいつもの調子で続ける。
「普通の人間には何の効果も無い」
 って無いのかよ!
 大振りのツッコミにも動じず長門は、
「情報生命体としての処理が成されて初めて効力を得るもの。私をピンポイントに狙っている」
 朝比奈さんはもちろん長門のセリフなど聞いておらず、気を失ったままだ。
 まったく、驚かせないでくれ……。


 結局、朝比奈さんは寝かせたまま、俺は全員のグラスを揃えて台所へと引き返した。俺の姿と、結局あんな事を言われては飲める筈もないオレンジ色の液体に気付いて、朝倉は手を休めて歩いてくる。
 2つの部屋を繋ぐ短い廊下。ここはどちらの部屋からも死角だ。橙色の電球が床を照らしている。
 朝倉は小声で、
「飲まないの?」
 飲めるか。
「ふう、やっぱり突発的な空白を見せたのは良くなかったかな」
「……何を企んでる?」
 朝倉はその質問から目を逸らして、俺の手からトレイを奪う。そしてジュースの残ったグラスを口に運んだ。
 待て。それ平気なのか?
「ねえ、キョン君。お願いがあるの」
 俺の動揺を余所に、朝倉は――やはりどこか奇妙な笑み。
「長門さんに、今度みんなでどこかに遊びに行きましょうって、伝えてくれないかな?」
 長門に?
「そうだ。明日は日曜日だし、早速どこか行きたいかな」
 長門に、か。
 ――ああ、なるほどな。さっきから目の前に浮かんでる違和感の正体がようやく判ったぜ。
「……何なの?」
「かなり疲れてるようじゃないか。長門の相手はやっぱり厳しいのか?」
 朝倉は笑顔を崩さず、しかし息を吐いて、
「仕方がないわ。今の私は本当にバックアップ程度の能力しか無いんだもの。処理1つ取ってもスピードが雲泥の差だし、直接物理情報修正も制限されてて難しいの。……今日は介入の存在が明瞭だからね、何とか誤魔化しながらやってる」
 思い出せば、長門に頼んだ事は今も継続中だ。あいつは、あれからずっと裏で"調整"をし続けているんだろう。
 そしてこのジュースは、朝倉にとって局面を打開する為の一手であったわけだ。
「まあ、別に構わないんだけどね。急いでるわけじゃないし」
 肩を竦めて、朝倉はきびすを返す。
 俺はハルヒに笑いかけるその横顔を見て、居間へ取って返した。

 長門は、本を読んでいなかった。そういうことか。
「ちょっといいか、長門」
 立ったまま呼びかけると、僅かに硬度が下がった瞳が俺へと向けられる。
 調整はもうしなくていい。
 そう言おうとして、はたと俺は固まった。
 元はと言えば、これは朝倉が面倒な事を起こそうとしているのを防いだ後遺症のようなものだ。SOS団の、ひいては俺の安寧を優先するなら、このままにしておいても良いはずで、わざわざ解除する理由はどこにも無い。朝倉だって、効果が無いと解れば自ら引くさ。
「――やめてやれ」
 結局、言った。何故かって? 俺が知るか。
「そう」
 長門は短い返答を呟いて、ずっと膝の上に置いてあった本を開いた。

「さぁ、できたわよー!」
 鉄人だってもう少し謙遜するだろうというくらい自信満々のハルヒが、ウエイトレスよろしく両手に白い皿を抱えている。
 各審査員は既にスタンバイしており、朝比奈さんもようやく起き上がっていた。長門が本を閉じるのと同時に、ハルヒの料理から並べられる。これは豚肉か?
「そう。紅茶煮よ」
 紅茶ぁ?
「家で一晩漬けてきたから。味染みてるし、柔らかいわよ」
 ハルヒの奴は何やら凝ったものを用意していた。僅かに赤く染まった豚肉に付け添えの野菜が彩りを加え、丸く周囲にソースが掛けられている。旨そうだし、見た目にも華やかだ。完璧主義と言うか、カッコつけと言うか……どこぞのレストランででも出てきそうである。
 そして、続けて出てきたのは朝倉の皿である。これは見たまま、深皿に盛り付けられた肉じゃがである。例の塩分増量事件の時、被害に遭ったのがこのメニューであった。リベンジを果たすという事なのだろうか。
 朝倉は、
「代わり映えしないんだけど」
 と笑って、各人の前に湯気を立てる皿を並べた。
 そしてここに、すべての準備が整ったのである。
「えー、では早速試食と参りましょう。冷めてしまっては折角の力作が台無しですからね」
 ……なぜか古泉が仕切っていた。
「いけませんか?」
 いいや、お似合いだ。将来はマルチタレントにでもなるがいいさ。
「では。みなさん、いただきましょう」
 学校の先生のような古泉の合図で、各々が思いのままに箸を伸ばす。
 俺は朝比奈さんと同じように手を合わせて、まずハルヒの料理に手を付けた。


 結論。双方実に旨かった。
 少なくとも、普通に食事として出てきて不満を言うレベルでは無い。だがこれは勝負であり俺は審査員である。個人的でも取って付けたようでも構わないから、何か理由を付けて評価する義務がある。
 常々、料理評論家は羨ましい職業だと思っていたが、その認識を改めるべきかもしれないな。
「お手元の札のうち、美味しいと感じた方を挙げていただきます」
 <涼宮><朝倉>と書かれた札が、いつの間にか用意されていた。相変わらずネタに労力を惜しまない奴である。
 他の審査員はと言うと、朝比奈さんは目をつむって考え中。真っ先に食い終わっていた長門は、2つの皿を見つめている。
 俺は箸を置いて、ハルヒと朝倉の様子を伺った。ハルヒは腕を組み、普段通りの自信で大きな瞳を輝かせている。
 対する朝倉は、笑顔。不思議な、どこか落ち着かない笑顔。
 ――ああ。なんだろうな、この感覚。俺は以前にもこれと似たような表情を見たことがある。それは笑顔では無かったが、まさしく同じものだ。
「では、どうぞ!」
 古泉の芝居がかった掛け声まで、どれくらい時間があったのか。俺は確信を持って左手の札を上げた。

 ハルヒが真っ先に帰り、後片付けを手伝っていた朝比奈さんも、それが終わるといそいそと朝倉の部屋を後にした。古泉も既に居ないところを見ると、ハルヒの様子でも伺いに行ったのだろう。ご苦労な事だ。
「キョン君」
 靴を履いていたところへ、朝倉が小走りにやってくる。
「いいの?」
 ……何がだ?
「長門さんのこと」
 別に感謝されるような事はしてないさ。融通の利かない奴だからな。
「それと涼宮さんのこと」
 理由は言った通りだ。それに、そんなに気を遣う必要なんてないぞ。
「そう」
 朝倉は普段の笑顔を崩さない。しばしの無言に溜息をひとつ吐いて、俺はカバンを取った。スチールの扉を開ける。
「じゃあな」
「あ、待って」
 振り向いた時、一瞬あの夕焼けの教室が脳裏を過ぎった。朝倉の白い手が顔に添えられ、俺は逃げようとしたが狭い足場に身動きがとれなかった。
 朝倉の唇が頬に当たる。
 まるで身体情報の改変でも行われたかのように、俺は動けなかった。
 髪の毛の匂いを残して、ふわりと朝倉が離れる。
「お礼」
 固まったままの俺に、朝倉がそう言った。
「ありがとう」

 宇宙人マンションから出たところで、暗がりから古泉が現れた。
 ハルヒに着いていった訳じゃなかったんだな。
「いえ、見失いまして。距離を置いていたのが不味かったようです」
 まあ、ハルヒも対決には勝ったんだ、機嫌も悪くなかったみたいだがな。
「そうだと良いのですが」
 わざとらしく肩を竦め、盛大に溜息をついて見せる古泉。こいつが本気になったら1日のうち20時間は不機嫌で居られる自信があるぜ。
 そんな俺を見て、古泉は僅かに真面目な表情を見せた。
「……いいのですか? そんなに簡単に籠絡されて」
「なんだそれは。言っただろう、最近どうも胃の調子が悪くてな、和食偏重なのさ」
 それに、朝倉が一生懸命だったのを知っていたのは、俺と長門だけだったからな。どちらかが評価してやらないと可哀想だろう。
「まあいいでしょう」
 取って付けたような理由を聞いて、しばらく目を合わせていた古泉だが、携帯電話を取り出して光るディスプレイに目を落とした。
「でも、殺されそうになった相手に可哀想なんて人が良すぎますよ。あまり涼宮さんを怒らせないようにお願いします」
 古泉は軽く会釈をして、現れた時と同じく、暗がりに消えた。
 アルバイトだろうか。でもな、それが俺の責任だってのはちょっと酷い話じゃないか。

 あの一言。
 ありがとう、と言った直後の、見たことが無い笑顔。
 それは俺に、朝倉が長門と同じような存在だとついに理解させた。長門がいつも無表情でいるのと同様に、朝倉はいつも笑顔だ。ヒューマノイドインターフェイスとやらの間で何故こんなに差があるのかと思っていたが……事は簡単。
 差なんて無い。朝倉は朝倉の表現できる範囲内から、外へ大きく踏み出す事は出来ないのだ。
 そして、俺には経験上、その僅かに踏み出したつま先を見ることができる場合がある。
 それが良いことなのか悪いことなのか……。今はまだ判らないが、少なくとも、あの掴み所のない性格を理解する切っ掛けにはなるのかもしれないな。
「キョン君」
 マンションを見上げる。朝倉がベランダから手を振っていた。
 俺はそれに軽く手を振り返す。
 ただ、5階の朝倉がどんな笑顔でいるのか、さすがにそれを見て取る事はできそうになかった。
Great coommn sense here. Wish I

Last modified:2011/09/17 20:58:02
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References:[旧作一覧その1]