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moikomi's Wiki - 《たけ(tk)の思いこみ》 Diff

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!《たけ(tk)の思いこみ》に関連する疑問

#的確に表現するコトバを捜すのが難しい?○:虹の色分け。×:的確に指し示すコトバを捜すのが難しい。


#《たけ(tk)の思いこみ》の目的は《此時此処からの一切》(いまここからのいっさい、イコイサ)への一望である?
## ○:
###《見通し》と、前には言っていた。
###《此時此処からの一切への一望》《此時此処からの時空への一望》、《此時此処からの一望》。
###《此時此処からの一望》は《混濁》への一望でかまわない。なぜなら、《混濁》は《一切》だからである。
## ×:身体からの苦しみも解放してやれよ。

#的確に表現するコトバを捜すのが難しい?○:虹の色分け。×:的確に指し示すコトバを捜すのが難しい。


!《たけ(tk)の思いこみ》とは

#一言で言えるなら、こんなサイトは作らないね。

!《たけ(tk)の思いこみ》に関連する疑問

#《たけ(tk)の思いこみ》の目的は《この身体が知り得た一切への一望》である?
##○:涅槃主義は採らない。主知主義を採る。
##×:《この身体が知り得た一切》は直知できない。

#地動説《客観公理》で記述するべきである、か?
##○:
###天動説《主観公理》で記述しようとするから、うまくいかないんだよ。
###日が昇る、日が沈む、と書こうとするから、駄目なんだよ。地球が太陽の周りにあって、自転しており、観察者が地球表面にあるとすると、観察者の地点と時刻によって太陽からの光を受ける場合と(地球の影になって)光を受けない場合とが在る。地球の自転によって、観察者が移動して太陽からの光を受けない状態から、受ける状態になった!と記述するべきなんだよ。
###主観公理+客観公理+座標変換で記述するべき?○:。×:。
###《観察者》という《鏡》を地動説的な説明の要素の一つに置くことがポイントだな。
##×:。

#主観公理+客観公理+座標変換で記述するべき?○:。×:。


#テーマは?
##Parabola?○:青っぽい。パラボラアンテナの写真。×:リンクが下線。
##Pearl?○:。×:リンクが下線。
##pict?○:。×:サイドバーが右。リンクが下線、既読の区別ナシ。
##Repro?○:最初の設定。×:リンクが下線。
##Savanna?○:。×:既読が薄すぎる。

!!記述にあたって

#弁証法的に記述するか?
##○:。
###aaaの否定はbbbである。bbbの否定はaaaである。aaaとbbbとの統合はcccである。cccの否定はdddである。
###例えば・・:《たけ(tk)の思いこみ》の否定は《混濁》である。《たけ(tk)の思いこみ》は《混濁》で始まる。《混濁》の否定は《息しつつあるモノ》イシモである。
##×:ある概念Aに対して、それ以外の任意の概念Bは、概念Aの否定として現れる。否定概念Bの選択における必然性がない。


#基本的発想と用語(記号)の使い方について
##たけ(tk)は、《モノ》は《》で囲み、『思い描き』『思い込み』は『』で囲み、「コトバ」は「」で囲む、というように区別して書くことを心がけています。

!!記述

#《たけ(tk)の思いこみ》は《混濁》から始まる。

#《たけ(tk)の思い込み》はスーハーから始まる。

!!疑問

#《混濁》の否定は《たけ(tk)の思いこみ》であるか?○:《混濁》から始まる記述が完成すれば、《たけ(tk)の思いこみ》の記述が完成する、という意味で、YESでよい。×:。

!!どのようなモノ?


#《知られつつある世界》の中には、《モノ》たちと《思いこみ》とがある。
##《モノ》と《思いこみ》との区別は恣意的な区別である。
###《知りつつあるモノ》の関心の有無に関らず、それに関心を向ければ、それが在ると感じられるなら《モノ》と言い、
###《知りつつあるモノ》の状態が変れば消えてしまうようなものを《思いこみ》と呼んでいる。
###《思いこみ》であっても、ある程度の時間的持続性があるので、《モノ》の一種であると言ってもよい。(そうなると、区別があいまいになるが・・)。
#《知られつつある世界》は《近傍物理空間》と《体内感覚世界》とに分離する。
#《近傍物理空間》の中には《モノ》たちと《他者からの思いこみ》とがある。
##《他者からの思いこみ》とは名づけたが、《他者》の定義は済んでいないし、本当に《他者》からの《思いこみ》であるかも不明である。しかし、《他者からの思いこみ》と名づけたモノが《近傍物理空間》の中には存在する(と感じられる)。
##《他者からの思いこみ》が本当に《近傍物理空間》の中にあるのか、それとも、《体内感覚世界》にあるのか、《背後者》にあるのか、後で検討する。
#《近傍物理空間》の中の《モノ》たちのなかに、《他者》という特殊な《モノ》が存在する。《他者》の特殊性とは、《知りつつあるモノ》を背後から撹乱する、という特殊性を持った《モノ》であるということである。
##《他者》はヒトであるとは限らない。
###犬に吠えられても、《知りつつあるモノ》は背後から撹乱される。
###看板や本の文字を見たときにも、《知りつつあるモノ》は背後から撹乱される。
##《知りつつあるモノ》を背後から撹乱するものは、《他者》=《近傍物理空間》の中の《モノ》=だけではない。
###《衝動》が生じると《知りつつあるモノ》は撹乱される。
###《関心》が変ると、《知りつつあるモノ》の状態が変る。《知りつつあるモノ》は《関心》によって制御されているようでもある。
###《思いこみ》によって、《知りつつあるモノ》が《思いこみ》の中に入ってしまう、という《入り込み》の現象も、《知りつつあるモノ》が背後からの力で動いていることを示しているように感じられる。
###息をしばらく止める実験をしてみれば分かるが、《身体》の動きを止めただけで、《知りつつあるモノ》は背後から撹乱される。
#《近傍物理空間》は《身体》の外部にあり、凸凹の球形の内部空間である。
#《近傍物理空間》の《認識限界》は《モノ》たちのこちら側の表面である。
#《モノ》たちのこちら側の表面の先にある《モノ》たちは見えない。すなわち、《モノ》たちのこちら側の表面の先にある《モノ》たちは、《認識限界》の先にある《背後者》である。
##《モノ》たちの内部も《背後者》である。
##《モノ》たちの向こう側の表面の先にある空間も《背後者》である。
##《モノ》たちの向こう側の表面の先にある空間の中にある《モノ》たちも《背後者》である。
#とはいえ、《モノ》たちの向こう側の表面の先にある空間が《近傍物理空間》と異なった性質であるとは思えない。《モノ》たちの向こう側の表面の先にある空間にある《モノ》たちが、《近傍物理空間》の中にある《モノ》たちと異なった性質であるとも思えない。
##そこで、《近傍物理空間》の《モノ》たちの向こう側の世界とその中の《モノ》たちとを含めて、《モノたちの世界》と呼ぶことにする。
##《モノたちの世界》の全体は宇宙ということになるだろう。
##《モノたちの世界》には、さしあたって、《モノ》たちの内部は含まれていない。《モノ》たちの内部は、《背後者》のままである。
#《近傍物理空間》は変化しつつ持続している。《近傍物理空間》は時間の中にある。
##ただし、《知りつつあるモノ》は《いま》の《近傍物理空間》しか知りえない。すなわち、《いま》の《近傍物理空間》は《認識限界》の中にあり、《過去》の《近傍物理空間》や、《未来》の《近傍物理空間》は《認識限界》の先にある。《過去》と《未来》とは、ともに時間的な《背後者》である。
##とはいえ、《近傍物理空間》を空間的に拡大して《モノたちの世界》としたのと同様に、《過去》や《未来》も《いま》と異なった性質を有するとは思えない。
##《近傍物理空間》や《モノたちの世界》を時間軸に沿って拡大することも可能だろう。《モノたちの世界》の空間的な全体を宇宙と呼んだのと同様に、宇宙を時間的な全体を《宇宙史》と呼ぶことにする。《宇宙史》は《近傍物理空間》の時間的・空間的な全体ということになる。
##《宇宙史》が《一切》なのか。というと、そうでもない。まだ《知りつつあるモノ》や《思いこみ》や《背後者》や《体内感覚世界》が残っている。それらがどうなっているかを調べなければならない。