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文久3年の祭文

military shrine文久3年の祭文

  1. 八十日日は雖在    やそかひは あれども
  2. 今日の生日の足日に  きょうの いくひの たるひに
  3. 掛巻も恐き報国忠志の かけまくも かしこき ほうこく ちゅしの
  4. 神霊の大前に     しんれいの おおまえに
  5. 今頑愚なる何某ら   いま がんぐなる なにがしら
  6. 奉饗御食は      あえたてまつる みけは
  7. 可愛青人草の     うつくしき あおひとくさの
  8. 取作れる       とりつくれる 
  9. 長田の稲を      おさだの いねを
  10. 搗飯の御食に作り   つきいいの みけに つくり
  11. 狭田の稲を      さなだの いねを
  12. 神酒に醸し      みけに かもし
  13. 大御肴は       おおみさかなは
  14. 青海原に住る     おうみの はらに すめる
  15. 鰭の狭物       はたの さもの
  16. 野山に熟れる     のやまに うれる
  17. 木実菓子など     きのみ かしなど
  18. 取賄ひ奉備り     とりまかない そなえたてまつり
  19. 大御心を和しめ奉り  おおみこころを ??しめ たてまつり
  20. 大前に申さく     おおまえに もうさく
    1. 神霊も知食如く    みたまも しろしめす ごとく
    2. 年月久に       つきひ ひさに
    3. 御志を仰ぎ慕ひ    みこころざしを あおぎ したい
    4. 御霊の幸を祈るも   みたまの さちを いのるも
    5. 海往者水漬骨     うみゆかば みずつく ほね
    6. 山往者草生骨と    やまゆかば くさむす ほねと
    7. 皇国の御為に     すめらくにの おんために
    8. 身命を抛給へる御魂の み いのちを はなちち たまえる みたまの
    9. 御恩頼に依る事にと  ごおんらいに よることにと
    10. 旅の宿の小床にも   たみのやどの こどこにも
    11. 斎祀て        いつきまつりて
    12. 朝夕御霊の幸を祈申を あさゆう みたまのさちを いのり もうすを
    13. 本より如此      もとより かくのごとき
    14. 広大なる御功績ある  こうだいなる おんこうせきある
    15. 神霊は        みたまは
    16. 従公御祭祀も     もとより おおやけの おんさいしも
    17. 有ぬべき例なれど   ありぬべき たといなれど
    18. 大御心に       おおみこころに
    19. 不任給故       まかせたまわざるゆえ
    20. 有てかも       ありてかも
    21. 其議未聞を待兼て   そのぎ いまだきかざるを まちかねて
    22. 此祇園の御境内を   この ぎおんの おんけいだいを
    23. 買求め        かいもとめ
    24. 小き御社を斎立て   ちいさき みしゃを いつきたて
    25. 祓所         はらいどころ
    26. 神達に申て      かんだちに もうして
    27. 荒塩の和塩を以て   あらしおの にぎしおを もって
    28. 祓清めて       はらいきよめて
    29. 三条贈右大臣実萬公神霊  ・・のみたま
    30. 水戸贈大納言斉昭公神霊を ・・のみたまを
    31. 始とし        はじめとし
    32. 次々身罷給ひし    つぎつぎ み まかりたまいし
    33. 年月日迄も      としつきひまでも
    34. 知有をば御霊代    しりあるをば みたましろ
    35. 悉に書記       ことごとに かきしるし
    36. 御名のみ知有をば   みなのみ しりあるおば
    37. 御名のみを記し    みな のみを しるし
    38. 我曹が今迄      わがそうが いままで
    39. 聞伝たる限のみを   ききつたえたる かぎりのみを
    40. 斎祀れど       いつき まつれど
    41. 猶己等が狭き心には  なお われらが せまきこころには
    42. 不聞知る神霊も    ききしらざる みたまも
    43. 多に坐むを      さわに ??むを
    44. 其は自今       そは いまより
    45. 次第に聞知随に    しだいに ききしる ままに
    46. 御霊代に書附て    みたましろに かきつけて
    47. 斎祀るは勿論なれど  いつき まつるは もちろんなれど
    48. 猶不至隈多に侍らむを なお いたらざるくま さわに はべらむを
    49. 其は         そは
    50. 睦魂相神霊達     むつたま あえる みたまたち  
    51. 神議に議給ひ     かむはかりに はかりたまい
    52. 神集比集ひ給ひて   かむつどい つどいたまいて
    53. 如此         かくのごとく
    54. 奉饗奉斎る此有状を  あえたてまつり いつきたてまつる このありさまを
    55. 平けく安けく聞食して ひらけく やすけく きこしめして
    56. 殊更に申も      ことさらに もうすも
    57. 甚頑愚に恐けれど   はなはだ がんぐに かしこけれど
    58. 天皇朝廷の叡慮の如く すめら みかどの えいりょのごとく
    59. 国々の大域の君は   くにぐにの おおしろ(?)の きみは
    60. 申も         もうすも
    61. 更に         さらに
    62. 天下四方       てんか よも
    63. 国辺         くにべ
    64. 山の奥        やまのおく
    65. 野の壁の       ののかべの
    66. 民草迄も       たみくさまでも
    67. 雄心振起して     たけき こころ ふるいおこして
    68. 夷賊等を       いぞくらを
    69. 討払ふ        うちはらう
    70. 精神         せいしん(?)
    71. 弥進に進往べく    いやすすみに すすみいくべく
    72. 将今         まさにいま
    73. 頑愚なる我曹も    がんぐなる わがそうも
    74. 皇国の御為に     すめらみくにの おんために
    75. 肝胆砕        かんたんを くだき
    76. 不熟寝        じゅくしんせず
    77. 不飽食如       ほうしょくせざるごとく
    78. 斯奉仕有様を     その つかえ たてまつる ありさまを
    79. 平けく安けく聞食て  ひらけく やすけく きこしめして
    80. 垣磐に常磐に     かきわに とこわに
    81. 夜守         よるの まもり
    82. 日守に        ひの まもりに
    83. 守幸へ給へと     まもり さきわえ たまえと
  21. 恐み恐みも申     かしこみ かしこみ もうす
  22. 辞別て申      ことわきて もうす
  23. 如斯称辞申     かく たたえごと もうす
  24. 言も事も      ことのはも ことも
  25. 今愚なる我等なれば いま ぐなる われらなれば
  26. 大御心に      おおみこころに
  27. 背違らむ事も    そむき たがえらむ ことも
  28. 侍らむを      はべらむを
  29. 其は神習たる心随も そは かむならいらる (しんずい?)も
  30. 青人草習へる事と  あおくさひと ならへることと 
  31. 御霊神の      おんみたまの
  32. 広く妙なる大御心に ひろく たえなる おおみこころに
  33. 見直し       みなおし
  34. 聞直し       ききなおし
  35. 平けく安けく聞食し ひらけく やすけく きこしめしと
  36. 申         もうす

たけ(tk)が問題にしたいのは、次の部分。国民精神の鼓舞のための霊祭であること。

    1. 天下四方       てんか よも
    2. 国辺         くにべ
    3. 山の奥        やまのおく
    4. 野の壁の       ののかべの
    5. 民草迄も       たみくさまでも
    6. 雄心振起して     たけき こころ ふるいおこして
    7. 夷賊等を       いぞくらを
    8. 討払ふ        うちはらう
    9. 精神         せいしん(?)
    10. 弥進に進往べく    いやすすみに すすみいくべく

招魂というコトバがないね。

  1. 掛巻も恐き報国忠志の かけまくも かしこき ほうこく ちゅしの
  2. 神霊の大前に     しんれいの おおまえに
  3. 今頑愚なる何某ら   いま がんぐなる なにがしら
  4. 奉饗御食は      あえたてまつる みけは
  5. ・・
  6. 木実菓子など     きのみ かしなど
  7. 取賄ひ奉備り     とりまかない そなえたてまつり
  8. 大御心を和しめ奉り  おおみこころを ??しめ たてまつり
  9. 大前に申さく     おおまえに もうさく

客神として招く、ということか? 閉じ込める趣旨があるか

    1. 垣磐に常磐に     かきわに とこわに
    2. 夜守         よるの まもり
    3. 日守に        ひの まもりに
    4. 守幸へ給へと     まもり さきわえ たまえと

[barbaroi:4469] Re: 文久2年12月の招魂儀礼と1月の坂下門事件

文久3年、津和野藩士が執り行った招魂祭の祝詞を、これは原文で (といっても、原文は読みにくいので送りがなは平仮名になおして)ご紹介し ましょう(翻字が間違っていたらごめんなさい(^^ゞ)。 =

 祝 詞

八十日日は雖在今日の生日の足日に掛巻も恐き報国忠志の神霊の大前に今頑愚 なる何某ら奉饗御食は可愛青人草の取作れる長田の稲を搗飯の御食に作り狭田 の稲を神酒に醸し大御肴は青海原に住る鰭の狭物野山に熟れる木実菓子など取 賄ひ奉備り大御心を和しめ奉り大前に申さく 神霊も知食如く年月久に御志を 仰ぎ慕ひ御霊の幸を祈るも海往者水漬骨山往者草生骨と 皇国の御為に身命を 抛給へる御魂の御恩頼に依る事にと旅の宿の小床にも斎祀てむ朝夕御霊の幸を 祈申を本より如此広大なる御功績ある 神霊は従 公御祭祀も有ぬべき例なれ ど 大御心に不任給故有てかも其議未聞を待兼て此祇園の御境内を買求め小き 御社を斎立て祓所神達に申て荒塩の和塩を以て祓清めて三条贈右大臣実萬公神 霊水戸贈大納言斉昭公神霊を始とし次々身罷給ひし年月日迄も知有をば 御霊 代に悉に書記の御名のみ知有をば御名のみを記し我曹が今迄聞伝たる限のみを 斎祀れど猶己等が狭き心には不聞知る神霊も多に坐むを其は自今次第に聞知随 に 御霊代に書附て斎祀るは勿論なれど猶不至隈多に侍らむを其は睦魂相神霊 達神議に議給ひ神集比集ひ給ひて如此奉饗奉斎る此有状を平けく安けく聞食し て殊更に申も甚頑愚に恐けれど 天皇朝廷の叡慮の如く国々の大域の君は申も 更に天下四方国辺山の奥野の壁の民草迄も雄心振起して夷賊等を討払ふ精神弥 進に進往べく将今頑愚なる我曹も 皇国の御為に肝胆砕不熟寝不飽食如斯奉仕 有様を平けく安けく聞食て垣磐に常磐に夜守日守に守幸へ給へし恐み恐みも申 辞別て申如斯称辞中吉も事も今愚なる我等なれば 大御心に背違らむ事も侍ら むを其は神習たる心随も青人草習る事と御霊神の広く妙なる 大御心に見直し 聞直し平けく安けく聞食し申 =(p.445-5)

[barbaroi:4489] 文久3年7月の霊祭

On Thu, 29 Sep 2005 07:36:33 +0900, TOMITA_Akio wrote: >  次に、文久3年、津和野藩士が執り行った招魂祭の祝詞を、これは > 原文で >  まだ調べきっていませんが、誤字等があったので、全文を再録します。  青木紀元『祝詞全評釈:延喜式祝詞、中臣寿詞』(右文書院、平成12年6 月)、岩波古典文学大系1「古事記・祝詞」を参考にしました。  送りがな、句読点など、あたしの判断で適当に入れました。1字空白は、あ たしの感覚で入れたもので、読点より小さな切れ目程度に考えてください。  訓み方のわからないものはそのままにしましたが、意味はわかると思いま す。  あたしの知らないこと、間違い等があったら、ご指摘いただけるとありがた いです。

=  祝 詞

  • 1八十日日(やそかひ)は在れども、*2今日の生日(いくひ)の足日(たる

ひ)に、*3掛巻(かけまく)も恐(かしこ)き報国忠志の神霊の大前に、今  頑愚なる何某ら、奉饗御食(みけ)は *4可愛(うつしき?)青人草(あおひ とくさ)の取り作れる長田の稲を 搗飯の御食(みけ)に作り、*5狭田の稲を 神酒(みき)に醸し、大御肴は青海(あをみ)の原に住める*6鰭(はた)の狭 物(さもの)、野山に熟れる木ノ実菓子など 取り賄ひ 奉備り 大御心を和 しめ奉り、大前に申さく。神霊も知ろしめす如く、年月久に御志を仰ぎ慕ひ  御霊の幸を祈るも、海往かば水漬く骨 山往かば草生す骨と、皇国(すめらく に)の御為に 身命を抛ち給へる御魂の御恩頼に依る事にと、旅の宿の小床に も斎き祀りて、朝夕御霊の幸を祈り申すを、本より如此(かく)広大なる御功 績ある神霊は、公より御祭祀も有りぬべき例なれど、大御心に任せず給ふ故有 りてかも、其ノ議未だ聞かざるを待ち兼ねて、此ノ祇園の御境内を買ひ求め、 小さき御社を斎き立て、祓所神達に申して 荒塩の和塩を以て祓ひ清めて、三 条贈右大臣実萬公ノ神霊、水戸贈大納言斉昭公ノ神霊を始とし、次々身罷り給 ひし年月日迄も、知り有るをば 御霊代(みたましろ)に悉に書き記し、御名 のみ知り有るをば 御名のみを記し、*7我が曹(さう)が今迄聞き伝へたる限 りのみを斎き祀れど、猶 己等が狭き心には 聞き知らざる神霊も多(さわ) に坐むを、其は自今次第に聞き知る随(まま)に 御霊代(みたましろ)に書 き附けて 斎き祀るは勿論なれど、猶 至らざる隈 多(さわ)に侍らむを、 其は 睦魂(むつたま)相神霊達 *8神議(かむはかり)に議し給ひ *9神集 (かむつど)ひ集ひ給ひて、如此(かく) 奉饗奉斎る此ノ有状を 平らけく 安けく聞こしめして、今殊更に申すも甚だ頑愚に恐(かしこ)けれど、天皇 (すめら)朝廷(みかど)の叡慮の如く、国々の大城の君は申すも更に 天下 四方国辺山の奥野の壁の民草迄も 雄心振起して 夷賊等を討ち払ふ精神弥 (いや)進みに進み往くべく、将に今 頑愚なる我が曹も 皇国の御為に 肝 胆ヲ砕キ 不熟寝 不飽食 如斯(かく) 奉仕有る様を 平らけく安けく聞 こしめして、*10垣磐(かきは)に常磐(ときは)に 夜の守り日の守りに守 り幸(さきは)へ給へと、*11恐(かしこ)み恐(かしこ)みも申す。

  • 12辞(こと)別(わき)て申さく。如斯(かく) *13称辞(たたへごと)申

す 言も事も、今 愚なる我等なれば、大御心に背き違ふらむ事も侍らむを、 其は *14神習ひたる心随も 青人草 習へる事と、御霊神の広く妙なる 大 御心に見直し 聞き直し、平らけく安けく聞こしめすと*15申す。 = [語釈]

  • 1八十日日(やそかひ):たくさんの日。
  • 2生日の足日(いくひのたるひ):生命力に満ちた充足したよい日。
  • 3掛巻(かけまく)も恐(かしこ)き:言葉に出して申すことも恐れ多い。な

お、ここまでは「出雲国造神賀詞(いづものくにのみやつこのかむよごと)」 と同じ出だしであることは、[barbaroi:4481] 。

  • 4青人草(あおひとくさ):人口の増加することを、草が生い茂りはびこるこ

とにたとえたもの(古事記伝)。そこから、人民。庶民。蒼生の意。「うつく しき青人草」という成句で、古事記上、日本書紀神代上に出る。日本書紀は 「顕見」を宛てる。

  • 5狭田:訓み方は「さた」ないし「さなた」。狭い田。次の「長田(なが

た)」の対。

  • 6鰭(はた)の狭物(さもの):ひれの小さい魚、すなわち、小さい魚。
  • 7我が曹(さう):ともがら。自分の仲間。
  • 8神議(かむはかり)に議し給ひ:神の相談することとして御相談なすって。
  • 9神集(かむつど)ひ集ひ給ひて:神の集まることとしてお集まりになって。
  • 10垣磐(かきは)に常磐(ときは)に;堅い永遠に変わらない岩のようにい

ついつまでも変わらずに。

  • 11恐(かしこ)み恐(かしこ)みも申:恐れ謹んで奏上申し上げます。

「も」は軽い詠嘆の間投助詞。

  • 12辞(こと)別(わき)て:とくに言うことは。
  • 13称辞(たたへごと)申す:たたえ言を申しあげる。祝詞をもって、事や物

をほめたたえるのをいうので、祭を行う意になる。

  • 14神習ひたる心随も 青人草 習へる事と:「神習ふ」「青人草習ふ」と

は、対にして用いられる。「青人草はとにかくに我をたつるものなり。これに より、本を本とたてず。上にして青人草習ひたまふときは、我意・我慢・我欲 をたてて、民をあはれみたまはず」(大国隆正「文武虚実論」四)。そこか ら、大国隆正は、「神習へ、青人草習ふな」を力説する。「神習へは天津神に 習へといふこころなり。高天原は善世界なり。その善世界の人に習へとなり」 (「天都詔詞太詞考」三)。

  • 15申す:ここの主語は誰なのかしら?

=  問題の箇所ですが、原文は「神霊(波)従 公御祭祀(毛)有(奴部支)例 (奈礼抒)」  「従」の後ろの1字空白が何を意味するのか説明がなされていないのです が、「公より御祭祀も有りぬべき例なれど」と訓むしかないのではないかと思 います。  また、加藤さんが「公」を「公儀」と訳した件ですが、日本国語大辞典によ れば、公儀の意味は、1)に、私事ではない公的な事柄、2)に、朝廷、そし て、3)に将軍家が出てくるところから見て、公儀と訳したことを咎めるほど の問題ではないと思います。  むしろ、加藤さんの至らなさは、足目さんの指摘した「『報国忠志の神霊』 は「公(……)によって祭られるのが習わしと思うが」の「習わし」の部分で しょう。  こんな習わしがあっということ、今のところ探し当てられません。楠公を 祀ったのも、朝廷が祀ったのは明治になってからのはずですが……。

-- Name:TOMITA_Akio(富田章夫) HomePage:Barbaroi! 言葉は通じるか? <http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/index.html>

[barbaroi:4492] Re: 文久3年7月の霊祭

>*5狭田:訓み方は「さた」ないし「さなた」。狭い田。次の「長田(なが >た)」の対。

飯となるか酒となるか、その用途によって栽培する田が異なっているようですね。

>*11恐(かしこ)み恐(かしこ)みも申:恐れ謹んで奏上申し上げます。 >「も」は軽い詠嘆の間投助詞。

「大御心に任せざり給ふ故有りてかも」の「も」も同じかも。

>*14神習ひたる心随も 青人草 習へる事と〈……〉

ここは「神カラ習ひたる心随も 青人草ノ習へる事」なので、誤って理解することもあろうが、大御 心(明かに天皇の意図でありませんね)に照して訂正するので、安心して欲しい、というくらいか。

>*15申す:ここの主語は誰なのかしら?

祝詞が神(および天皇?)に向けた直接のコミュニケーションとすれば、その中で謙譲するのは祝詞の発 話者だけでしょう。

[barbaroi:4494] Re: 文久3年7月の霊祭

 より読みやすくなりましたね。  その後調べたことも含めて、気のついたことをいくつか――

On Mon, 3 Oct 2005 16:43:54 +0900 (JST), 足目 wrote: >> *1八十日日は在りといへども、  ここは素直に「在れども」と読んだ方がいいと思います。「在りといえど も」だと、「と」を送るはずです。  出雲国造神賀詞は、青木紀元『祝詞全評釈』も、岩波古典文学大系(武田祐 吉校注)も、「あれども」と訓んでいます。 >> 今  >> 頑愚なる何某ら、饗(あへ)を奉る。  なるほど!  ここからの発展として、ここの「奉る」は本動詞ではなく、補助動詞と考え るべきではないかと思います。つまり、「饗ふ」という動作の謙譲語。こう考 えると、「饗(あへ)を奉る」と「備へ奉り」「斎き奉る」との不整合がなくな るでしょう。(確証はまだ得られず)。  また、ここに句点を入れない方がよいのではないかということについては、 全体の構文から後述。 >> 可愛青人草  「可愛」は「うつしき」と訓むべきことを提唱しましたが、語義不明の言葉 だそうです。しかし、平田篤胤が次のように解釈しているのを見つけました。  「伊邪那岐・伊邪那美二神の御語に、……多く宇都志伎青人草とは宣へり。 此は愛(うつく)しみ恵み給う青人草と宣へる御言にて、珍(うつの)御子、 愛(うつく)しき吾名兄命(あがなせのみこと)、愛(うつく)しき我が那邇 妹命(なにものみこと)などある宇都と同義の言なり。(『玉襷』巻1、岩波 大系版、p.191)。 >> 年月久しきに御志を仰ぎ慕ひ  ここも「久に」という副詞で訓んだ方がいいと思います。「久しきに」と形 容詞で訓むと、逆接の意が出てきてしまう。 >> 本よりかくのごとき  「如此」は、古事記ではみな「かく」と訓んでいます。 >> 猶 至らざる隈[畏れ?] 多に侍らむを、  誤字ではなさそうですから、「隈(くま)」と訓んでいいように思います。 「隈」には、「隠れたところ」、あるいは単に「所」の意味があります。 >> 其は 睦魂を相(たす)け神霊に達し[自信なし]  う〜む、「たすけ」と訓みますか……。  しかし、「神霊達」という複数形は祝詞の表現に多いことを見ると、足目さ んの対句の訓み方は成り立たないと違いますかねぇ。それに、「睦魂を相(た す)け神霊に達し」は漢文読みにもならないし。  やはり、平田篤胤に次の表現があることを発見しました。  「すべて親魂(むつたま)あへる徒(とも)どち、またおなじ道ゆく人ど ち、死(まがり)で後も、その魂は、一処(ひとところ)に群集(むれつど) ひ、互(かたみ)に助成(たすけな)すことにて、そは和漢(からやまと)の もろもろの書(ふみ)に記し伝ヘたる事ノ実の中に、古事談に、中ノ院ノ右府 は、左馬ノ権ノ頭顕定朝臣と、常に会合して、多年隔心なし。右府契約して云 (いは)く、夢後といへども、願ふところは、墓を並べて談話かはることなか らむ。是によりて、顕定逝去のとき、右府の墓所の傍らにこれを埋む。よりて 雨後の深更などには、物語して、笑はるる声あり、人おほくこれを聞くと見 え、云々」(『霊の真柱』下巻、大系本、p.119)。  「親魂あへる神霊達」と訓むことを提唱します。「あへる」で「たすける」 のいみも含まれます。 >> かくのごとく饗を奉り斎き奉る。  「如此」は先に述べたとおり。  「饗を奉り」も先に述べたとおり。  う〜む、ここで切りますか。  これについても、文章全体の構文から後述。 >> 皇国の御為に 肝 >> 胆ヲ砕キ 不熟[就?]寝 不飽食 かくのごとく仕り奉り有る様を  「肝胆を砕く」も漢文読みからは外れますね。  「不熟[就?]寝」は、大漢和に「塾寐(ジュクビ)」(よく寝入る)という 言葉があり、段注に「寐、寝也」とあります。したがって、漢文読みをすれ ば、塾寝せず、飽食せず」でしょうが、これの和語がわかりません。  と苦心惨憺するまでもありませんでした。今、藤川桂介『篁・変成秘抄 (五):熟寝狩り』(学習研究社)という本が出ているのだそうです。「熟 寝」は「うまい」と訓むんだそうです。なるほど、古語辞典を引くと、「快く 寝入ること。熟睡」とあります。  「仕り奉り有る様」は、「仕へ奉る有様」でしょう。 >> *12辞別て申さく。かくのごとく*13称辞申 >> す。言も事も、今 愚なる我等なれば、  これは句切りすぎではありますまいか。「大殿祭(おおとのほかひ)」とい う祝詞では、「詞別きて白さく、『……』と白す」で呼応しています。  翻って前段を見ると、「大前に申さく、『<……>守り幸へ給へ』と、……申 す」で呼応していると見るべきでしょう。  そして内容は、わたし(=祝詞上げる者=主語A)は、〜〜するから、あなた (=神霊達=主語B)は、――してほしい、という誓願でしょう。このA・B2つ の主語が、ないまぜになって延々と続くわけですが、そのため、Aを全面出せ ばBは背景に退き、Bを前面に出せば、Aは背景に退くことになると思います。 この場合、退くとは、文法的には修飾語として処理されるということです。  例えば、「至らざる隈 多に侍らむを、其は ……神霊達し神議に議し給 ひ 神集ひ集ひ給ひて、如此 饗奉り斎き奉る 此ノ有状を 平らけく安けく 聞こしめして、云々」の場合、「饗奉り斎き奉る」を文の主要素(=述語)と して処理するか、「此ノ有状」に係る修飾語(句)として処理するかの問題に 帰着します。  あたしは、修飾語(句)として処理した方が、文脈はなだらかにつながるよ うに思いますし、また、1文がだらだらと続くのが、祝詞の特徴としてふさわ しいようにも思います。

> 飯となるか酒となるか、その用途によって栽培する田が異なっているようですね。 >  御意。  もとは区別なく、「広い田も狭い田もみんな」という強調表現だったようで す。  書紀-神代上「即ち其の稲種を以て、初めて天の狭田及び長田に殖(う) う」。

> 「大御心に任せざり給ふ故有りてかも」の「も」も同じかも。 >  区別しなくてもよさそうなのに、文法上は間投助詞と終助詞とを区別するよ うです(「かも」は、学校文法では、これで終助詞1語として扱う。もちろ ん、「も」だけでも終助詞になる)。  へんな「も」だと思っていましたが、あたしたちになじみの用法なのです ね。高校の古典で習ったと思いますが、伊勢物語の第9段――  「限りなく遠く*も*来にけるかな」 -- Name:TOMITA_Akio(富田章夫) HomePage:Barbaroi! 言葉は通じるか? <http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/index.html>

[barbaroi:4525] Re:祝詞(文久3年7月の霊祭)

TOMITA_Akioさんが2005.10.4 09:02に書きました: > より読みやすくなりましたね。 > その後調べたことも含めて、気のついたことをいくつか―― ということで、以下のようにわかりやすくするための細工を施してみました。

八十日日は在れども、今日の生日の足日に、掛巻も恐き報国忠志の神霊 の大前に今 頑愚なる何某ら、饗を奉り、  〈御食は、(1)可愛青人草の取り作れる長田の稲を搗き飯の御食に作  り、(2)狭田の稲を神酒に醸し、(3)大御肴は青海の原に住める鰭の  狭物・野山に熟れる木ノ実菓子など取り賄ひ備へ奉り〉大御心を和し  め奉り、 大前に申さく、  神霊も知ろしめす如く、年月久に御志を仰ぎ慕ひ御霊の幸を祈るも、  〈海往かば水漬く骨・山往かば草生す骨と、皇国の御為に 身命を抛  ち給へる御魂の御恩頼に依る事に〉と旅の宿の小床にも斎き祀りて朝  夕御霊の幸を祈り申すを〉、  (本よりかく広大なる御功績ある神霊は、公より御祭祀も有りぬべき  例なれど、大御心に任せざり給ふ故有りてかも、其ノ議未だ聞かざる  を待ち兼ねて)、  此ノ祇園の御境内を買ひ求め、小さき御社を斎き立て、祓所神達に申  して荒塩の和塩を以て祓ひ清めて、  (1)三条贈右大臣実萬公ノ神霊・水戸贈大納言斉昭公ノ神霊を始とし、  次々身罷り給ひし年月日迄も知り有るをば 御霊代に悉に書き記し、  (2)御名のみ知り有るをば御名のみを記し、我が曹が今迄聞き伝へた  る限りのみを斎き祀れど、(3)なほ己等が狭き心には聞き知らざる神  霊も多に坐むを、其は自今次第に聞き知る随に御霊代に書き附けて斎  き祀るは勿論なれど、 なほ至らざる隈 多に侍らむを、其は 睦魂あへる神霊達、神議に議し 給ひ神集ひに集ひ給ひて、〈かく饗を奉り斎き奉る此ノ有状〉を平らけ く安けく聞こしめして、 (今殊更に申すも甚だ頑愚に恐けれど)、天皇・朝廷の叡慮の如く、国々 の大城の君は申すも更に 天下四方国辺山の奥野の壁の民草迄も 雄心 振起して 夷賊等を討ち払ふ精神弥進みに進み往くべく、〈将に今 頑 愚なる我が曹も 皇国の御為に肝胆ヲ砕キ・熟寝せず・飽食せず、かく 仕へ奉り有る様〉を平らけく安けく聞こしめして、 「垣磐に常磐に夜の守り日の守りに守り幸へ給へ」と恐み恐みも申す。

おかげで一箇所、はっきりしたことがあります。「御志を仰ぎ慕ひ御霊の幸を祈る」・「旅の宿の小 床にも斎き祀り」→(「公より御祭祀も有りぬべき例」)→「小さき御社を斎き立て」という工合で、 個人で祀っているものの、「公」でなされないため、集団(私)で祀るということでないでしょか。 -- =-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= 足目=竹村<chimaira@mac.com>宏

[barbaroi:4527] Re:祝詞(文久3年7月の霊祭)

On Thu, 6 Oct 2005 16:51:47 +0900 (JST), 足目 wrote: > 以下のようにわかりやすくするための細工を施してみました。 >  おみごと!  ただ1箇所、―― > (今殊更に申すも甚だ頑愚に恐けれど)、天皇・朝廷の叡慮の如く、 > 国々の大城の君は申すも更に 天下四方国辺山の奥野の壁の民草迄 > も 雄心振起して 夷賊等を討ち払ふ精神弥進みに進み往くべく、 > 〈将に今 頑愚なる我が曹も 皇国の御為に肝胆ヲ砕キ・熟寝せず・ > 飽食せず、かく仕へ奉り有る様〉を平らけく安けく聞こしめして、 >  「天皇・朝廷の叡慮の如く」はどこに係るのでしょうか?  可能性は4つ、―― 1)「雄心振起して」 2)「夷賊等を討ち払ふ」 3)「弥進みに進み往く(べく)」 4)「かく仕へ奉り」  う〜む。  あたしは、初め、「叡慮」という言葉から2)を採ってみたのですが、文章 のリズムからいってやはりり3)でしょうか?  もし、そうだとすると、構文は、  (1)天皇・朝廷の叡慮の如く〜進みに進み往くべく、    国々の大城の君は申すも更に 天下四方国辺山の奥野の壁の民草迄*も*  (2)将に今頑愚なる我が曹*も*〜かく仕へ奉り  (1)+(2)有る様を平らけく安けく聞こしめして ではありますまいか?  〔天皇・朝廷の叡慮の如く    (1)民草迄*も*〜進みに進み往くべく、    (2)将に今頑愚なる我が曹*も*〜かく仕へ奉り   とすると、形はきれいですが、書き手の意識の中にこのような文構造が意 識されていたかどうかの問題になりそう……。やはり、「将に今」の転調は大 きいように思います〕。  なお、奉饗・奉備・奉斎・奉仕の用法――祝詞では「奉」を後にもってく る、「奉」は漢文の返読文字ではない――ですが、確認できたのは「奉仕」の み、これで「つかへまつる」と訓んでいる例を見つけました。「有る様」は、 先に出てくる「有状」と同じでしょう。やはり、「状」だけで「ありさま」と 訓んでいる例がありました〕。  ついでに、「天皇・朝廷」は、祝詞を見ると「天皇ガ朝廷」となっており、 「天皇様の朝廷」と訳されています。例えば「平野祭」(『全評釈』 p.196)。並列ではなく所有の「が」が入るのでしょう。とすると、「右大臣 実萬公ノ神霊・水戸贈大納言斉昭公ノ神霊」のノ(あたしが勝手に入れた) も、ガに変えるべきかも知れません。

> 個人で祀っているものの、「公」でなされないため、集団(私)で祀る > ということでないでしょか。 >  なるほど。  集団で*集団を*祀るという点で、「楠公招魂表〔この「表」はおそらく 「標」の意でしょう〕」とは断絶がありますね。  あたしは、もうひとつ、名前がわかり次第追加してゆくという形式が既にこ こで採られていることに注目しております。長州藩の招魂場では、このような 追加は予定されていなかったと思いますです。  それで、問題の「公」ですが、「報国忠志の神霊」を「公」が祀る「例」が ないことにこだわっております。 -- Name:TOMITA_Akio(富田章夫) HomePage:Barbaroi! 言葉は通じるか? <http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/index.html>

[barbaroi:4528] Re:祝詞(文久3年7月の霊祭)

>問題の「公」ですが、「報国忠志の神霊」を「公」が祀る「例」が >ないことにこだわっております。

ひとまず「天皇[ガ]朝廷」を撤回して、幕府にせよ藩にせよ「日本という国」のということでは祀っ ていない、という意味と考えることが可能でないか。「有りぬべき例なれど」「大御心に任せざり給 ふ故有りてかも」という言廻しが、どうも曖昧な感じです(とりようによっては不穏な感じもある)。

[barbaroi:4529] Re:祝詞(文久3年7月の霊祭)

On Fri, 7 Oct 2005 13:10:55 +0900 (JST), 足目 wrote: > 1862年10月に「攘夷決行」の勅使が東行して「叡慮」も鮮明になった、 > ということでないでしょうか >  なるほど。  「夷賊等を討ち払ふ」で結ぶべきところ、すぐに「精神」に係るので、後ろ に流れてゆくように感じられるのですね。しかも、「かく奉仕」までが、いず れも「大御心」にかなっている点で、ここまで係る印象を受けるってことで しょう。  いずれにしても、”あたしたちは大御心を体してこんなに頑張ってますか ら、どうぞご安心ください”と神霊に云っているわけで、何とかしてください と神霊に泣きついているわけでも、まして、何とかしなければひどい目にあわ すぞと、神霊に脅しをかけている(=働きかけて他の人間に作用を及ぼさせよ うとしている)わけでもないことは確かでしょう(^^ゞ

> きちんと読み直して感じたのは、確かにだらだら続く文章に見える > ものの、はなはだ構造化されているということでした。 >  たしかに。

> ひとまず「天皇[ガ]朝廷」を撤回して、幕府にせよ藩にせよ「日本と > いう国」のということでは祀っていない、という意味と考えること > が可能でないか。 >  なるほど〜!  あたしは、どうも、「例」=過去の先例ととったのがいけなかったようです ね。「〜ぬ-べし」は、本来、「きっとあるはずだ」という未来の意味ですか らね。  「例」を辞書で引くと、「同じような種類・内容の多くのものの中から、特 にとりあげて提示して他を類推させるもの」という意味がありますね。文久3 年の霊祭の祭主をつとめた古川躬行には、神祇官復興の悲願がありましたが、 それが復興し、天皇親政が復活すれば云々という、福羽たちには一種のビジョ ンがあったのかも知れませんね。  「志士」という言葉に関してですが、一坂太郎『長州奇兵隊』(中公新書 1666、2002.10.)をちらちら見返してみると、その時は興味がなかったので、 読んでも印象に残らなかったことが、多々あることに気づきました。で、今の 問題でいえば、吉田松陰の遺体をめぐる駆け引きが、じつは政局と密接に関連 しているのですね。  吉田松陰はじめ、安政の大獄の刑死者たちは、当然ながら、藩内では「乱 民」であり、幕府にとっては「国賊」であり、だから、一般の犯罪者と同様、 小塚原で斬られ、「斬られた首を継ぎあわすことも許されなかった」(p.22)。 たけ(tk)さんの探し当てた野村和作(靖、靖之助)など、最も忠実な弟子です が、残された老いたる母と妹は村八分に遭っていたようです(p.20)。  高杉晋作ともども、松陰門下の「双璧」とも「竜虎」とも呼ばれていた久坂 玄瑞〔あたしは、この人こそ、テロリスト中のテロリストだと思っています が〕は、松陰の妹婿ですから、松陰とは師弟だけでなく、義兄弟でもあります (p.23)。この久坂が、さかんに松陰の遺体の引き取りを画策しています。それ は、所詮乱民にすぎない「自称」志士から、「公称」志士になるために、どう しても必要な儀式だったわけですね。  文久元年、長州藩は長井雅楽の公武合体作を採用し、朝廷もこれを歓迎しま す。ところが、文久2年4月、島津久光が兵を率いて上洛し、攘夷へと方向転 換させます。驚いた長州は、責任を長井に押しつけ、とくに久坂は長井を極刑 にすべしとの意見書を提出、長井は詰め腹を切らされます。  「いよいよ長州藩を尊攘路線で一本化するときが来たわけですが、そのため には精神的シンボルが必要だった。それに最もふさわしいのは『殉教者第一 号』の『松陰』だったのです。……ところが、いくらなんでも罪人のまま刑場 に埋められている人物を、藩を統一するためのシンボルに祭り上げるわけには いきません。故郷で貼られた『乱民』のレッテルも、まだ剥がれていなかった はずです」(p.26)。  「藩主世子・毛利定広(のち元徳)よりの申し出を受けた朝廷は、安政5年 (1858)以来の国事犯刑死者の罪を許し、その礼葬・復権等を実行するよう、 幕府に勅諭を発します。この勅諭を奉じて世子は江戸に赴く。そしてついに11 月28日、幕府は勅諭に従う大赦令を発表せざるをえませんでした」(p.26-7)。 この大赦令だったのですね!  文久2年12月の霊祭が、この大赦令を受けてのものだったことは、すでに述 べました。〔この霊祭に、御三家ばかりか、公安当局の(情報将校であれ何で あれ)会津の藩士も加わっている意味は、軽くないと思います。御三家のう ち、紀州は時の将軍・徳川家茂の出身藩ですし、水戸は、家茂の後見役・一橋 慶喜(もちろん最後の将軍徳川慶喜)の藩ですし、尾張は、第1次長州征伐 (1864)の征長総督・徳川慶勝。もちろん会津は、京都の「治安」のために特 設された京都守護職……〕。  明くる文久3年1月5日、松陰の遺骸は小塚原から掘り出され、荏原群若林 (現東京都世田谷区)に改装されます。このとき、久坂は信州方面に出張中 で、式典に列席できないため、桂小五郎と高杉晋作に手紙で指示を出していま す。  「浮屠(僧侶)に託し候ては相叶わず候。神葬之式は何卒〔伊藤〕俊輔・ 〔堀〕真五郎などへ御命じ、和学者に御尋ねを下さるべく候」(p.27)。  幕府=仏教に対する反発がいかに強かったということと同時に、神葬祭と 云っても、そのやり方はまだはっきり決まっていたわけではないことがわかり ます。  とにかく、こうして、彼らはやっと「公称」志士を名乗ることができるよう になるわけです。  ついでに、もう少し先まで見ておきましょう。

On Sun, 2 Oct 2005 17:50:33 +0900, TAKEMULA_Hiloshi wrote: >> 特別に祭神が明記されてなかったし、且また社を建てるまでには >> 至らなかったのに対して、〈……〉祭神が明記されているごく短期間 >> の間に一つの転換があったことを予想させます。 >  同・文久3年2月22日、足利将軍木像梟首事件。その翌日(2月23日)、幕 府の浪士組(新撰組の前身)が入京。これによって幕府は柔軟=無為無策路線 から強硬路線に切り替えます。  5月10日、攘夷期限の日、長州、下関で米国商戦を砲撃。〜6月まで、下関 戦争。  〔この文久年間は、暗殺年間と言われるほど、勤王・佐幕双方からのテロが 蔓延しますが、京都守護職=幕府は、足利将軍木像梟首事件まで、「天誅の下 手人を一人も捕らえられなかった」(森川哲郎『幕末暗殺史』三一新書577、 p.93)ことは注目してよいでしょう。つまり、こんなチンケな事件を大事件に 仕立て上げざるをえなかった事情があったってことです〕。  5月20日、尊攘派の若手公家のホープ、姉小路公知が暗殺されます。普通、 どちら側が暗殺したかわかるものですが、それがわからないのです。わかりま せんが、犯人は現場に刀を落としてゆきました(これがクサイ!)。刀は奥和 泉守忠重。薩州風のこしらえだったと言います〔刀は、薩摩の「人斬り」田中 新兵衛のものとされ、田中新兵衛は何の釈明もせず屠腹。真相は闇に〕。これ によって、薩摩は九門に入ることを禁じられました(この禁は、6月11日に解 かれた)。  そして、7月、日付けはわからないものの、福田美静ら津和野藩士による霊 祭が行われました。このときの祭神46人のうち、直近の殉難者は、姉小路公知 です。  このような状況で、しかも京都守護職の情報将校と情報交換をやっているよ うな者が、朝廷における地歩を失った薩摩に何かあると考えなかったとすれ ば、その情報将校はとても腕利きとは云えますまい。〔それとも、文久3年の 霊祭の祝詞は、「将に今頑愚なる我が曹も〜」、政変をすでに予感していたか ……?〕。  8月18日、薩摩は会津と結んでクーデターを起こし、長州は朝敵へと転落し ます。

On Fri, 7 Oct 2005 06:41:18 +0900, TOMITA_Akio wrote: >  また、司馬遼太郎の小説では、猿ヶ辻の決闘(姉小路公知暗殺)の > 犯人として登場するらしい。 >  司馬遼太郎の小説『幕末』の「猿ケ辻の決闘」の主人公になっています〔猿 ケ辻は姉小路公知が暗殺された場所〕。霊祭か、木像梟首事件が出てくるかと 思ったのですが、霊祭のことは一言もなし、木像梟首事件も、姉小路公知暗殺 のために大庭恭平が結集した浪士たちのうち、信州人・高松趙之助がもちかけ た「奇抜な案」となっているだけでした〔これがため、大庭の組織はいったん 壊滅〕。  設定が単純で、あまり面白くありませんでした。 -- Name:TOMITA_Akio(富田章夫) HomePage:Barbaroi! 言葉は通じるか? <http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/index.html>

[barbaroi:4533] Re:祝詞(文久3年7月の霊祭)

> 文久2年12月の霊祭が、この大赦令を受けてのものだった 「個人で祀っているものの、『公』でなされないため、集団(私)で祀る」と書きましたが、最初(「年 月久に御志を仰ぎ慕ひ御霊の幸を祈る」「旅の宿の小床にも斎き祀りて朝夕御霊の幸を祈り申す」)は いわば家の中でと見ることができそうなのに対して、その時したこと(「祇園の御境内を買ひ求め、小 さき御社を斎き立て」云云)は、「公」の機関によるものでないにせよ、外という公開の場所で行われ るということかも知れませんね。

[barbaroi:4537] Re:祝詞(文久3年7月の霊祭)

On Sat, 8 Oct 2005 11:17:57 +0900 (JST), 足目 wrote: > 御霊信仰ないし祟りと関係ないのも明らかでないかしら。 >  御意。  あたしの意識の中では、御霊信仰も祟りも雲散霧消、どこに関係があるの か、探すのに苦労しとります。  刑死者は、体制権力によって「無縁化」され、その埋葬の仕方まで管理さ れ、これ以外の在り方ができないようにされている(体制権力に完全に囲いこ まれている。だから、刑死者は怨霊になりえない)。亀川泰照のこの指摘は、 あたしにとって鮮烈でした。  刑死者のこの在り方を、名誉回復を転回点として、180度転回したのが、 「殉難志士の霊祭」すなわち祀る国家ではありますまいか。高橋の口吻を真似 れば、祀る国家は処刑する国家だ、とでもなりましょうか……。  足目さんは、かつて、勝利者である皇軍兵士には、「御霊鎮斎」さるべき怨 霊は存しないことを指摘しましたが(「[barbaroi:4464])、皇軍兵士は、た とえ敗戦しても、怨霊は存しないのではないかと思っています(あッ、この場 合は、そもそも祀る主体が存在しないか1?)。なぜなら、彼らは、皇軍兵士と なった時点で、すでに「無縁化」されているから。それが、「親子之恩愛ヲ捨 テ、世襲之禄ニ離レ、墳墓之地ヲ去リ」の意味ではないか。  皇軍兵士は、「志士」に擬せられているってことでしょう。これこそ、靖国 神社のルーツが、文久の霊祭に求められる所以ではないでしょうか。長州の招 魂祭は、ナショナリズムの原型ではあっても、まだ「家」とのつながりを脱し 得ていない。(しかし、天皇制国家主義が、天皇を中心とした擬制的家族主義 であったという意味では、やはり長州の招魂祭を抜かすことはできないでしょ う。とすると、やはり、ルーツは2本立てにすべきかな?)。  だから、「家」で祀るから合祀を取り下げてくれという要求を、靖国神社が 頑なに拒むことがよく理解できる。とゆ〜より、彼ら(靖国神社)には、取り 下げ要求する者たちのリクツが理解しかねることでしょう。「自分たちが祀ら ねば、誰が祀るというのか!?」。 -- Name:TOMITA_Akio(富田章夫) HomePage:Barbaroi! 言葉は通じるか? <http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/index.html>

[barbaroi:4555] 中間的総括に代えて

On Sat, 8 Oct 2005 11:17:57 +0900 (JST), 足目 wrote: >> 文久2年12月の霊祭が、この大赦令を受けてのものだった > 「個人で祀っているものの、『公』でなされないため、集団(私)で祀る」 > と書きましたが、最初(「年月久に御志を仰ぎ慕ひ御霊の幸を祈る」「旅 > の宿の小床にも斎き祀りて朝夕御霊の幸を祈り申す」)はいわば家の中で > と見ることができそうなのに対して、その時したこと(「祇園の御境内を > 買ひ求め、小さき御社を斎き立て」云云)は、「公」の機関によるもので > ないにせよ、外という公開の場所で行われるということかも知れません > ね。 >  文久2、3年の霊祭の「公」然性を足目さんが一応認めてくださったこと で、あたしたちの探究の1)靖国神社のルーツ問題は、一応の終点に達したと みてよいのではないでしょうか。  つまり、東京招魂社のルーツは、長州で広く行われていた招魂祭のみなら ず、文久2、3年の霊祭にも求めなければならない(つまりルーツは2本立 て)、という結論で、あたしは一応満足しております。  そして、それぞれのルーツの探究は、もう少し資料が集まってからというこ とで、一応打ち切ってもいいのではありますまいか。

 探究の2)文久3年の霊祭に云う「殉難の志士」とは誰であったのかは、不 明の2名を除いてすべて明らかになりました。  不明の2名がいかなるテロリストであったとしても、「殉難の志士」全員が テロリストであったわけではないという事実に変化はないでしょう。ただし、 テロリスト概念は横に置いて、46名全員が「非命の死」を遂げていることもま た事実です。このことを重視すれば、探究の3)とのかかわりで考察しなけれ ばならないでしょう。

 探究の3)招魂祭においては、非命の死をとげた荒ぶる魂を、テロリスト候 補者ないし戦士に憑依させ、これを洗脳する「呪術」が行われていたという主 張ですが、何かが*あった*という立証は比較的容易でも、*なかった*という証 明はほとんど不可能なことは、あたしたちの共通認識であります。にもかかわ らず、あたしは*なかった*という立場から証明しようとしてきたわけですが、 提起したのは次のような論点です。 (A)間接的証明  (i)「招魂」という長い歴史において、そのような「呪術」が行われたこと があるか。  (ii)文久2、3年の招魂祭を執り行った白川流神道ないし復古(国学)神道 に、そのような呪術があったか。  (iii)もしもそのような呪術が行われていたとしたら、参加者66名は名だた るテロリストになったはずであるが、そのような事実はあるのか。 (B)直接的証明  文久2、3年の霊祭の祝詞が残されている。これに呪術的要素があるかどう か。

 このうち、(B)文久の霊祭の祝詞の分析を除くと、あたしたちの探究はいず れも不充分といわなければなりません。これを充実させる必要があるでしょ う。

 人間が暗殺マシーンと化する、あるいは、戦闘マシーンと化するということ で、あたしは2つの事例を思い出しました。ひとつは暗殺教団。もうひとつは 北欧神話に登場する「狂戦士」伝説です。いずれもあたしは呪術だとは思って いませんが、参考までにご紹介しておきましょう。・・・

[barbaroi:4558] Re: 中間的総括に代えて

たけ(tk)です

[barbaroi:4555] 中間的総括に代えて にて TOMITA_Akio <tiakio@mbox.kyoto-inet.or.jp> さん曰く:

>  探究の3)招魂祭においては、非命の死をとげた荒ぶる魂を、テロリスト候 > 補者ないし戦士に憑依させ、これを洗脳する「呪術」が行われていたという主 > 張ですが、何かが*あった*という立証は比較的容易でも、*なかった*という証 > 明はほとんど不可能なことは、あたしたちの共通認識であります。にもかかわ > らず、あたしは*なかった*という立場から証明しようとしてきたわけですが、 > 提起したのは次のような論点です。 > (A)間接的証明 >  (i)「招魂」という長い歴史において、そのような「呪術」が行われたこと > があるか。 >  (ii)文久2、3年の招魂祭を執り行った白川流神道ないし復古(国学)神道 > に、そのような呪術があったか。

この二つは、招魂祭において呪術的な要素が「あった」「なかった」にはあまり 影響しないでしょう。それ以前に「あった」のであれば伝統的な呪術の継承で、 「なかった」のであれば新興宗教に近い、という結論になるだけです。

>  (iii)もしもそのような呪術が行われていたとしたら、参加者66名は名だた > るテロリストになったはずであるが、そのような事実はあるのか。

「参加者66名は名だたるテロリストになったはず」という推論は、ちょっとオー バーな気がします。呪術的な儀礼の出席者でも、効く人もいるし、効かない人も いる、反発する人もいる。

出席者の中にはその後に、「木像梟首」というチンケな(?)呪術的テロ(?) をやった人もいるし、天誅組で「幕府の直轄地代官の首をはねる」というテロを やった人もいる。しかし、それが、招魂祭が呪術的であり、その呪術的な効果の 結果であったからだ、という因果関係は証明できないでしょうね。

むしろ、実際のテロリストたちが、どのような儀式を行っていたのかが調査課題 かもしれない。彼らは招魂儀礼を行っていたのか、血盟儀礼を行っていたのか、 特別な儀式は行わなかったのか? 文久2、3年以降に招魂儀礼を行うようになっ たのか否か(招魂祠の祀りが実際のテロ活動家に影響力を及ぼしたのかどうか)?

[barbaroi:4559] Re: 中間的総括に代えて

On Thu, 13 Oct 2005 20:52:59 +0900, take_tk wrote: > この二つは、招魂祭において呪術的な要素が「あった」「なかった」 > にはあまり影響しないでしょう。 >  何とゆ〜つれない御言葉!!!  立証責任は「あった」とゆ〜人にあるはずなのに、それがないから、無理矢 理引きずり出した間接証明ですのにぃ……。

> 出席者の中にはその後に、「木像梟首」というチンケな(?)呪術的 > テロ(?)をやった人もいるし、天誅組で「幕府の直轄地代官の首を > はねる」というテロをやった人もいる。しかし、それが、招魂祭が呪 > 術的であり、その呪術的な効果の結果であったからだ、という因果関 > 係は証明できないでしょうね。 >  (^_^)  初めて納得のゆく主張を聞きました。

>  この武市の同盟には、土佐七郡のうち、下士中の有志は、みな血を > すすって加入した。<……> >  私も、末班に列して、血盟したところの一人である。 >  「血盟」ですから、ジョーシキ的には血判を押したのでしょう。  だから指の血をすすったと、この筆者が考えたかどうかはわかりませんが、 「血を歃(すす)る」は、「固く誓う」ことを表す慣用表現にすぎません。  もちろん、「血判」も「血を歃る」も、もとは犠牲の血をすすって誓うとこ ろに淵源しているらしい。一味神水が、おそらくは、人肉共食に淵源したので あろう、とゆ〜のと同じことでしょう。 -- Name:TOMITA_Akio(富田章夫)

Last modified:2006/08/20 00:24:04
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