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《直知限界》

《直知限界》に関する疑問

  1. 感覚器官ごとに《直知限界》は異なる?○:視覚による直知の限界と、聴覚による直知の限界とは異なる。風は、触覚による《直知限界》の中にあるが、視覚による《直知限界》の先にある。風は視覚的には《背後者》である。×:。
  1. http://blog.livedoor.jp/taki1959/archives/41489990.html 知覚とは何か。メルロ=ポンティの死後、彼が書き遺した草稿を友人であるクロード・ルフォールが『見えるものと見えないもの』と題して公刊したのが、1964年。
  2. 《たけ(tk)の思いこみ》の関心はメルロポンティの関心に近いのか?○:。×:。

《直知限界》とは

  1. 《直知限界》には
    1. モノの表面。他者の身体の表面、この身体の表面。
    2. 無限遠点
    3. 《体内時空》の《知りつつあるモノ》が存在する表面。
    4. 《体内直知時空》《直知限界》。諸々の噴出点が存在する表面。
    5. 時間的な《直知限界》此時此処の近傍の未来と過去は此時此処の中に在るが、その先は《直知限界》の先にある。
    6. 《思い描き》への《入り込み》における《直知限界》
  1. 旧名:《認識限界
  1. 直知の限界。
  1. 《近傍物理空間》の《認識限界》はでこぼこの球状である。
  1. 《知りつつあるモノ》も球状の《認識限界》の表面上にある。
  1. 認識限界》は時間的な《認識限界》もある。《知りつつあるモノ》は今しか直接に知ることはできない。つまり、過去と未来とは《認識限界》の先にある。

性質

  1. 認識限界》は時と場合によって異なる。
    1. 認識限界》は《今・ここの・このヒト》の状態によって変わる。《認識限界》は、《知りつつあるモノ》の状態によっても異なる。(地動説的な説明方法)
    2. 認識限界》は《浄化》によって移動する(天動説的な説明方法)。
    3. 目をつむっているときには、まぶたが《認識限界》である。
    4. 目を開いているときには、モノの表面が《認識限界》である。
    5. 視界の外にあるモノの音を聞いているときには、《視界の認識限界》を超えて、聴覚の《認識限界》がある。音を聞いてモノを特定できるときには、そのモノは《聴覚の認識限界》の中にある。
    6. モノの意味を理解するときには、そのモノの意味は《意味の認識限界》の中にある。
    7. モノの内部からの徴候によってモノの内部を知るとき、《認識限界》はモノの表面を超えて、モノの内部に入り込む。

分類

  1. 無限遠点
  2. モノの表面
    1. 地面
  3. 《知りつつあるモノ》
  4. 今。

区別

認識限界》と《背後者》

  1. 認識限界》の先を《背後者》という。
  2. 認識限界》は状況しだいだから、《背後者》状況しだいである。

聴覚、触覚と《認識限界

  1. 視覚的に見えない場所でも、聴覚によって知り、触覚によって知ることができる。
  2. コップの向こう側の表面は、視覚的には《認識限界》の先にあるが、触覚によって《認識限界》の中に在る。
  3. 隣の部屋で知人の声がすれば、そこに知人が居ることを知ることができる。ドアの向こうも、聴覚によって《認識限界》の中に入る。

徴候と《認識限界

  1. 視覚であれ、聴覚、触覚であれ、徴候によってそれがあることを知る。
  2. 徴候と推測によって知っているに過ぎない。
  3. とするなら、徴候と推測によって《認識限界》を広げることができる。

天動説的な説明方法と地動説的な説明方法と《認識限界

  1. 認識限界》は時と場合によって異なる。
    1. 認識限界》は《今・ここの・このヒト》の状態によって変わる。《認識限界》は、《知りつつあるモノ》の状態によっても異なる。(地動説的な説明方法)
    2. 認識限界》は《浄化》によって移動する(天動説的な説明方法)。
  2. 地動説的な説明方法には意味がない。客観的な説明方法には意味がない。我々は客観的な存在であることはできない。
  3. 意味は主観的にしか存在しない。意味の主体は《極座標の原点》にある《今・ここの・このヒト》でしかあり得ない。意味の主体にとっての世界は、天動説的な世界である。
  4. 地動説は、全体を簡単に説明できるという意味での正しさがある。しかし、その説明を天動説的な世界座標変換して理解し直さなければ、我々にとっての意味が生じない。主観⇔客観の《座標変換》

認識限界》と《視点のパラメータ》

  1. 認識限界》は《視点》依存的である。

認識限界》と《疑いつつあるモノ》

  1. ここで言う《認識限界》とは、《疑いつつあるモノ》のテスト=「疑わしいモノの存在は否定する」というテスト=において、存在するモノとして認識されるモノの限界である。
  2. 認識限界》の先にあるモノは、《疑いつつあるモノ》にとっての疑わしいモノである。《疑いつつあるモノ》にとっての疑わしい《思いこみ》世界である。
  3. しかし、ヒトは、《思いこみの世界》に生きている。すなわち、《疑いつつあるモノ》《思いこみ》としてその存在を否定したモノ世界に生きているのである。
  4. ヒトモノとして生きてきたモノである。《背後者世界》ヒトモノとして生きてきたことの記憶の蓄積である。ヒト《背後者世界》を既に知っているのである。
  5. 《疑いつつあるモノ》は、そのテストにおいてはその存在を拒否しているが、ヒトとしての記憶としては、既に《背後者》を知っているのである。それに気づくことが《背後者》《浄化》であり《透明化》であり《見通し》である。

透明な物体と《認識限界

  1. 透明なモノは見えないのである。

認識限界」と《認識限界

  1. 或るヒトに「《認識限界》を知れ」と言ったら、「そんなこと言われなくても分かっている」と反論された。「人間は全知の神ではない」ということを知っているらしい。「《私》《知りつつあるモノ》の視界の中の具体的な《認識限界》を見ろ」と言うべきであったか? 「知り得た所を見通し、その先にある《認識限界》までを見通せ」と言うべきであったか?
Last modified:2017/07/08 21:24:58
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