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当為

キーワード当為

定義

「まさになすべきこと」。sollen。

『なすべきこと』

区別

http://www.atmarkit.co.jp/farc/rensai/knowledge02/knowledge02.html

    1.  (実行可能な)知識の「正しさ」を知る方法には実は2種類ある(「正しさ」に2種類あるといってもいい)。1つは検証(verification)と呼ばれるもの、もう1つは妥当性確認(validation)と呼ばれるものだ。この使い分けは微妙で難しいが(分野によっても違うかもしれない)、大ざっぱにいうと
      1. 検証とは自分たちがこういうものを作ろうと決めたとおりにできているかどうかを確かめること、
      2. 妥当性確認とはできたものが本当に欲しかったものかどうかを確かめることだ。
    2. ・・
    3. 製品の妥当性は顧客の満足度につながっている。
    4. だからこそ重要なのだが、妥当性を確認するためにはどうすればいいだろう?
    5.  いろいろな考え方があるが、僕は多くの種類のソフトウェアでは最終的には「実際に動かしてチェックする」しかないだろうと考えている。だって動かないソフトウェアを見ても何も分からないから。
  1. 設定された目的からの検証。と、生活全般、社会全般の《視点》からの妥当性確認。
  2. 《思いこみ》世界における検証、と、《モノの世界》における妥当性確認。如悪悪臭、如好好色における妥当性確認。

当為と存在

  1. 当為の対立概念は存在ではなく認識だろう。
  2. sein と sollen では、sein は「在る」という述語。
  3. 当為は不存在である。から、よい? 座標軸が異なる。当為の逆は禁止。
  4. 当為《思いこみ》としては存在する。

当為と評価

  1. 当為は自らを律する思考回路である。
  2. 評価は《他者》を味わう思考回路である。
  3. 「ひとのふり見て我がふり直せ」
  4. http://japan.cnet.com/column/netad/story/0,3800075540,20349607,00.htm?ref=rss
    1. 「ひとのフリ見て我がフリ決める」という人の行動心理をつかむ
    2. うちの会社は渋谷駅から徒歩7、8分なんですけど、そこで東京急行電鉄さんがやっている「世の中で売れているものだけが売っている」というランキンランキン(ranKing ranQueen)さん、まさにいつも満員の店内には「流行りもの」が好きな私のような人種でいつもごったがえしております。
    3. なぜひとはランキングが気になるのでしょうか。
    4. ここでズバリ断言するとですね、要するに人間なるものは「ひとのフリ見て我がフリ決める」といういきものなのではないか、と思っています。
  5. 論語的に言えば、小人の居直り。小人の居直りの時代なのだ。畜生の時代。欲望肯定の時代。
  6. http://woman.mag2.com/m/0000135222.html
    1. 滑稽な人のフリ見て我がフリ許せ!
  7. 商売の相手は小人である。小人の嗜好に合わせることが商売の秘訣である。小人を持ち上げることが、言論売女の出世の秘訣である。孟子は言論売女に近い。小人を性善説で持ち上げるのが、説得の秘訣であるとする。
  8. 「ひとのフリ見て我がフリ決める」は『大学』にもあったな。見君子而后厭然揜其不善、而著其善。立派な人を見てはじめて自らの不善を隠そうと思い立ち、とって付けたように善行を示そうとする。

真・善・美と当為

  1. 存在は『真』であり、当為は『善』であり、生き方は『美』である。

『なすべきこと』当為

  1. 同じだよね。
  2. 『sollen』と『なすべきこと』とでは異なる。『something what I shall do』(のドイツ語訳)が『なすべきこと』にあたる。
  3. 『なすべし』だと命令形だな。

当為当為命題

  1. 命題の形で与えられるか? 
  2. 《状況》を前提とした定言命題の形で与えられるモノ
  3. 「与えられる」モノか?
  4. 『なすべきこと』モノ動きで与えられるモノであり、命題はその言語的表現である。命題は「モノ動き」をコトバで表現したモノである。コトバで表現したモノは、モノ動きとしての『なすべきこと』とは異なる。離存性
  5. 『なすべきこと』《思いこみ》であり、コトバとは異なる。
  6. 『なすべきこと』は「モノ動き」であり、《思いこみ》とは異なる。
  7. ↑で議論しているのは、当為命題の話だな。
  8. 当為当為命題。当為命題は当為の内容の言語的表現である、ということ。

当為的認識世界環世界

  1. 当為的認識世界と存在的認識世界
  2. 生きモノは、生存に必要な情報を切り取って、その情報を再構成して主観的世界を構成する。
  3. ヒトは、生存における必要性とは無関係に、それが存在するが故に、その情報を切り取り、主観的(科学的)世界を構成する。
  4. 価値的認識世界と没価値的認識世界
  5. 評価的認識世界。再構成された没価値的認識世界から、価値があるモノを選択して、再々構成する。

http://www.yamcha.jp/ymc/DSC_sure.html?bbsid=1&sureid=21&s=10#new

    1. 「なぜ、人を殺してはいけないか?」
  1. 『人を殺してはいけない』というのは《思いこみ》だな。《求める思いこみ》だな。
  2. 《求める思いこみ》には真偽はない。モノを指し示す《思いこみ》ではない。真偽というのは《知った思いこみ》とそれが指し示しているはずのモノとの一致、不一致の問題。
  3. 快不快の問題に帰結するだろう。人を殺し合う状況は心地よい状況か、不快な状況か、という感性の問題。
  4. 『大学』の「意(こころ)を誠(まこと)にする」というのは「如悪悪臭、如好好色::悪臭を臭いと感じ、美しいものを美しいと感じるように素直な気持ちになること」
  5. http://sendan.kaisya.co.jp/kotobbak200501.html
    1. 所謂誠其意者、毋自欺也、如悪悪臭、如好好色、此之謂自謙、故君子必慎其独也、
    2. 上文で述べた「自分の意念(おもい)を誠実にする」というのは、自分で自分をごまかさないことである。たとえば〔だれもが〕臭いにおいを嫌うように〔悪いことはすなおに悪いとして追放〕し、美しい色を愛するように〔善いことはすなおに善いとして追求〕するのだ。そのようにすることが、われとわが心を満ち足りたものとすることになる。そこで、君子は必ず内なる己れ自身(意念)を慎んで修めるのである。
  6. たぶん、善悪の感性は、総合的なバランス感覚から出てくるモノ。特定の命題から演繹的に論証できるものではない。カオス的な状況への《見通し》から出てくるモノ
  7. 《ヒトの群れ》において、善悪が規則化されるのは、ステレオタイプの思考節約のためだろう。規則化された善悪を、義とか礼とかいう。仁義礼智信。《見通し》が仁、規則化された善悪が義、善悪に関係あるかどうかは分からないがともかく《ヒトの群れ》で規則化されているモノが礼、目的的な思考力が智、約束を守ることが信。
  8. 規則は《ヒトの群れ》《アニマ》である。「集団のそもそもの意図にそぐわないから」という理由。そのように見ることもできる。モノ《繋がり》は、モノ《群れ》を作り出し、モノ《群れ》はそれ自体としてのモノ(成員とは別のモノ)である。

《群れ》モノであるから、《群れ》《アニマ》がある。

当為《求める思いこみ》

  1. 《求める思いこみ》は認識概念であり、「そこに《求める思いこみ》が在る」という認識のための概念である。『なすべきこと』当為概念である。《私》《動き》によって実現されるべき意味を持った概念である。

当為と認識

  1. 「君は人間だ」というコトバは、通常は、認識命題ではなく、当為命題である。「君は人間として生きるべきだ、人間として扱われるべきだ、人間として扱われる権利が在る、人間として扱われる権利を主張すべきだ」といった意味の当為を表現する命題である。
  2. 当為は決断であり、意志であり、《ちから》である。当為《私》《背後者》から《私》世界への《思いこみ》噴出である。認識は、《私》世界から《私》《背後者》への《思いこみ》噴出である。当為《私》から世界へのアウトプットであり、認識は世界から《私》へのインプットである。(ここら辺の感覚が西洋人だと逆になるらしい。当為《私》から世界へのインプットであり、認識は世界から《私》へのアウトプットである。)

当為的認識と当為

  1. 「君たちは立派なオトナである」とか「お前は俺の奴隷だ」というのは、認識命題の形をとった当為命題である。「君たちは立派なオトナにふさわしい行動をせよ」とか「お前は俺の奴隷として振る舞え」という当為命題を、認識命題の形で表現したモノである。
  2. ヒトは『私はxxである』と認識すると、というか、そのような《思いこみ》を持つと、それにふさわしい行動を取ろうとするようになる。という《背後者回路》が在る。ので、その《背後者回路》を前提として、当為的認識命題の形で当為命題を語るヒトがいる。「自己暗示」といわれている《背後者回路》

当為《思いこみ》

  1. 当為《思いこみ》か? 《私》《思いこみ》である。

当為《求める思いこみ》

  1. 同じか?
  2. 当為は、特別者としての《私》の問題である。《求める思いこみ》は、すべてのモノに内在する存在である。《他者》当為はない。
  3. 当為《私》《思いこみ》である。当為《私》に内在する《アニマ》である。当為《求める思いこみ》である。『まさになすべきこと』を《求める思いこみ》である。
  4. 当為は認識との対になる概念である。《求める思いこみ》《知った思いこみ》との対になる概念である。パラレルである。
  5. 当為は、《求める思いこみ》を、《他者のコトバ》で表現したものである。

当為《見通し》

  1. 当為は将来への《見通し》である。『ユートピア』は将来への《見通し》である。
  2. 当為四次元チューブへの《見通し》である。

弱肉強食と『ユートピア

  1. 同じ種の個体間で弱肉強食をやっている動物は、よほどの下等動物にしかない。サメはやるらしいが・・。同じ種であるという認識ができない動物だろう。
  2. いじめ主義。弱いものがいるから群れが弱くなる。弱い個体を排除すれば(殺せば、追放すれば)群れが強くなるはず。という論理。
  3. 強い弱いは相対的なもの。弱いものを殺していくと、最後には一匹しか残らなくなる。
  4. 弱肉強食という人喰いの《ヒトの群れ》が『ユートピア』であると思っているヒトはいないだろう。現状が弱肉強食という人喰いの《ヒトの群れ》なので、それを正当化したい、というだけだろう。
  5. 現状の《ヒトの群れ》を正当化するための『ユートピア』というのもありか? 当為と認識との混同。当為的認識というのは存在認識への第一歩なのか?

当為目的設定

  1. 目的のための手段の選択と、大きな(抽象的な)目的のための小さな(具体的な)目的の選択とは同じことだろう。
  2. ヒトを殺してはならぬ」という規範は、何らかの大きな目的の手段なのだろう。
  3. 殺人という事象が、何らかの大きな目的にとって障害になるのであろう。
  4. ヒトを殺してはならぬ」という規範は、『殺人という事象を少なくする』という目的の手段である。この『殺人という事象を少なくする』という目的は、何らかの大きな目的の手段なのだろう。
  5. 《ヒトの群れ》を維持する』という目的だろう。殺人という事象が多くなれば、人々は、殺されるのを避けるために、小さな孤立した小集団に分裂しようとする。孤立した小集団への分裂は、大きな《ヒトの群れ》が死ぬということ。
  6. 人類共同体という《ヒトの群れ》は、小集団に分裂しても、なくなりはしない。しかし、本当に孤立した小集団に分裂した場合には、人類という種が分裂して人類共同体そのものが分裂する。婚姻関係における他の群れとの人的交流・モノの交易・コトバの伝達可能性なども無い状態、他の《ヒトの群れ》の存在自体が知られなくなる状態、が孤立状態。孤立の程度は様々。
  7. うーむ、エリート民族とゴイム民族という認識は、もしそれが現実化されるなら、人類という《ヒトの群れ》の死に繋がる。エリート民族にとって、ゴイム民族は『ヒトではない』ということなので、「他の《ヒトの群れ》の存在自体が知られなくなる状態」になるのだ。

当為の論理学は

    1. 目的設定
    2. 状況分析
    3. 原因分析
    4. 対策設定
    5. 対策と効果との関係の予想
    6. 対策の選択
    7. だろうな。
  1. プロジェクト管理と同じだ。というか、当為の論理学はプロジェクト管理だ。

《同質者公理》当為

  1. 殺してはいけない理由は、
    1. 《私》は殺されたくない。
    2. 《私》は愛するものが殺されることを望まない。
    3. よって、《他者》《私》を殺してはならない。
    4. 《同質者公理》によれば、《他者》もまた同様である。
    5. 従って、《私》《他者》を殺してはならない。
    6. 《私》は、《私》が愛するものが殺されたら復讐するだろう。
    7. 《同質者公理》によれば、《他者》も殺されたくない。身近なものが殺されたら復讐するだろう。《他者》には、《私》の愛するものも、《私》《私》の愛するものを殺すものも、《私》の復讐によって殺されたヒトを愛するもの、を含む。
    8. 殺すことを許せば、殺し合いになり、《私》《私》の愛するものが殺されることになる。
    9. よって、殺してはならない。

当為《見通し》

  1. 当為は将来への《見通し》である。

ユートピア』と当為

  1. 『なすべきこと』が『《ヒトの群れ》のあるべき姿の実現』であるなら、『ユートピア』こそ当為のコアである。

当為と認識。

  1. 《求める思いこみ》《知った思いこみ》

当為当為の論理学

  1. 当為の論理学は《私》を中心にした世界において、『《私》が為すべきこと』という《思いこみ》をうまく処理する記号の操作方法である。
  2. 当為の論理学は、《私》のまわりのモノ《求める思いこみ》を感じる所から始まる。格物
  3. 『なすべきこと』とは何か? 「なすべき事をなすべきである」。
  4. 『なすべきこと』は『在る』か? 『なすべきこと』は『未だなされていない』ことである。すなわち、『未だ存在しないモノ』である。つまり、『存在しないモノ』が『なすべきこと』である。『なすべきこと』は『無い』。『無い』から『なすべきこと』なのである。英語のをwantは不足(=不在)を意味する。
  5. 目的因、将来因。《4原因説》=将来因(目的因)、過去因(起動因)、内部因(質料因)、外部因(形相因)。『なすべきこと』は将来因(目的因)である。

当為を自らの外部に求める人と当為

  1. 当為は不存在なのである。不存在を外部に求めるのは不可能。
  2. 命令するヒトは、外部に当為を求めるヒトである。

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Last modified:2008/04/30 15:58:14
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