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多次元輪郭世界

キーワード多次元輪郭世界

定義

《視点》が異なれば、モノの見え方、輪郭が異なる。我々は、ある《視点》Aから別の《視点》Bに移ることができ、別の世界、同一のモノが別の輪郭をもって現れる別の世界の中に移ることができる。《視点》Aと《視点》Bとは離れており、何らかの座標系における別の位置をしめている。この座標系における座標軸を《視点のパラメータ》と呼ぶ。

《視点のパラメータ》を座標軸とする座標空間に、さまざまな《視点》を配置した空間を 多次元輪郭空間と呼ぶ。

多次元輪郭空間の座標軸の原点に《私》を置いたモノ多次元輪郭世界と呼ぶ。

《私》世界(4次元時空、《複素数の時空》)に、《視点》座標変換のためのパラメータの座標軸(《視点のパラメータ》の座標軸)を追加した世界のこと。

区別

多次元輪郭世界大自然の営み

  1. 多次元輪郭世界大自然の営みである。大自然を構成するモノの内部の《思いこみ》という大自然の営みである。

多次元輪郭世界と「認識者の集合」、《視点》の集合。

  1. 認識者を座標系の原点とする。複数の座標系の原点の集合。原点の異なる複数の座標系を統合する座標系、が多次元輪郭世界
  2. 認識者を集合の写像の作成関数とする。集合の写像作成関数の集合。《私》は認識者の集合の要素の一つであり、一つの集合に一つだけ存在する特異な要素(特異点)とする。特異点の異なる認識者集合の集合。
  3. 多次元輪郭世界は一つの《視点》である。従って、多次元輪郭世界の中の《視点》のなかの一つである。自己包含集合。
  4. →「『認識者の集合』と《モノの世界》
  5. 《コトバの世界》では元の集合と認識によって作られた集合とは同じモノでありうる。《コトバの世界》はもともとが写像だからだ。同じモノだとすると、それぞれの写像関数は元の集合と写像集合とを繋ぐ特異点になる。
  6. しかし《モノの世界》ではそんな風にならない。認識者が作り出すのは『元の集合と同じモノ』という《思いこみ》であって、《思いこみ》とその原因となったモノとは異なる。認識によってモノを再生産するなんてできっこない。そもそも、自己包含集合とかベキ集合は、《モノの世界》では存在し得ない。

多次元輪郭世界と愚民党さん

  1. 阿修羅の腕(かいな)は6本です。六面体からの方向感覚は必須です。
    1. http://www.asyura2.com/0510/asia3/msg/508.html
    2. 投稿者 愚民党 日時 2006 年 1 月 09 日 00:59:46: ogcGl0q1DMbpk
    3. (回答先: 愚民党さんやMグループさんの投稿をこの人(↓)読んでいるのかな?文化的つながりが分からないのに投稿するからな。変な人だ。 投稿者 gataro 日時 2006 年 1 月 07 日 11:00:05)
    4. 「変」こそ阿修羅の存在定義であると思っております。
    5. 1面体からの方向感覚のみでは、「死角」が発生いたします。
    6. 現象には六面体からの提示によって、立体感覚を読者は読み取ります。
    7. 阿修羅は読者身体の時間によって存立していると思っております。
    8. そして「おれは、ひとりの、修羅なのだ」
    9. 宮澤賢治世界が現出しております。
    10. まさに「変な人」こそ阿修羅の根底基幹ではないかと、思っております。
    11. 阿修羅は近代システムとは別個な世界ではないかと思うときがあり
    12. それが魅力的だと思っております。
    13. 阿修羅には、まぎれもなく「日本」がここにあると
    14. 思ってまいりました。テキストの有力です。

多次元輪郭世界とゴルトシュタインの「抽象的態度」

  1. 「事態に対して種々の角度から考え、本質的な面を拾いあげ、全事態に適するように行動しようとする態度を、抽象的態度という。それは積極的かつ想像的態度であり、外界の刺激に直接規定されない行動を起させる」(p.312、9-4『心理学の基礎知識』)だそうな。
  2. 《思いこみ》の内部に想定された、「種々の角度から事態を考えることができる空間」だら、多次元輪郭空間のほうが、近いか。
  3. ゴルトシュタインの「抽象的態度」は、多次元輪郭空間《思いこみの世界》の中に事態を置く《思いこみ》である、と言えそうだ。

《視点の移動》多次元輪郭世界

  1. 《視点の移動》とは一つの《思いこみの世界》から別の《思いこみの世界》に移動すること。
  2. 多次元輪郭世界《視点の移動》に伴う輪郭の違いを統合する空間である。
  3. 多次元輪郭世界は、一つのモノに対する輪郭が、視点によって異なる時、一つのモノのまわりに複数の視点を配置することを可能にする空間。モノへの視点を配置する空間。異なる輪郭を報告する認識者の世界を配置する世界
  4. 《視点の移動》に伴う輪郭の違いを統合するには、異なった視点からの異なった世界を、座標変換として捉え、座標変換のパラメータを座標軸として追加すればよい。
  5. 複数の《思いこみの世界》を遍歴するような《視点の移動》では、座標変換は容易ではない。が、可能性としては、可能である。
  6. 科学的な知識の《思いこみの世界》は、物理的な座標軸の空間のなかに展開されるモノではない。しかし、物理空間の中の或る部分について、科学的な知識の或る部分が対応しており、科学的な知識を物理空間の一部に重ね合わせることによって、科学的に認識する、という作業が行われる。物理空間において連続している事象(木の葉の内部の細胞と外部の風)は、科学的知識においては離散的であろう。
  7. 科学的知識は座標系の中に配置されたモノではない。か? 連想的な概念の繋がり、グラフ的な空間に配置されているのではないか? トポロジカルな配置と座標系での配置とでは変換が可能なのではないか? 離散的な要素の集合と連続的な物理空間での配置とでも変換が可能なのではないか? 多対多の錯乱した対応関係でも、対応関係には違いない。多対多の錯乱した対応関係のすべての集合が、座標変換の規則となる。
  8. 科学的知識以外の《思いこみの世界》であっても、事情は同じである。
  9. 風にそよぐ木の葉の輪郭は、無感動な《知りつつあるモノ》の視点からの輪郭、アニミズム的な視点からの輪郭、科学的知識の視点からの輪郭、生物学者の視点、気象学者の視点、粒子力学の学者の視点、画家が色彩を選ぶ視点からの輪郭、樹木の所有者の視点からの輪郭、清掃人の視点からの輪郭、とで異なるであろう。《私》《視点の移動》によって複数の輪郭があることを知っている。《視点の移動》が可能であるということは、それらの視点がおりなす世界座標変換によって移動するということである。座標変換のためのパラメータは膨大であり、錯乱しているかもしれない。しかし、座標変換が可能であるからこそ、《私》《視点の移動》によって複数の輪郭を見ることができるのである。座標変換パラメータ軸は何本あっても構わないのである。それらはすべて物理空間の座標軸に直交しているのである。特定の視点に移動するというのは座標変換パラメータ軸の群れのなかで特定のポイントを選択するということである。このポイントは、いかに複雑な座標軸群の中に在ろうとも、現在の物理空間の座標軸に直交した位置に在る、ということには変わらない。選択されたポイントを現在の物理空間の座標軸に直交した位置に置けば、《見通し》のためには十分なのである。座標変換パラメータ軸群の中で一点を選択すればその世界での《見通し》が、多次元輪郭空間の中に出現する。座標変換パラメータ軸群の中でその一点に直接向かう方向の座標軸を取り出せば、物理空間の座標軸に直交する単純な5次元の輪郭空間になる。

多次元輪郭世界多次元輪郭空間

  1. 同じ? ようなもの?
  2. 「空間」はそれ自体のものだが、「世界」はその中のモノとの関係における空間。
  3. 多次元輪郭空間は普通の空間であり、座標変換の要素は不可欠ではない?
Last modified:2006/03/21 01:33:09
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