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『正しいコトバ』

キーワード『正しいコトバ』

定義

的確に事物を指し示す《思いこみ》を的確に指し示すコトバ正しいコトバである。

  1. 「的確に」というのは「正しく」と同義だから、説明になっていない。「正しく事物を指し示す《思いこみ》を正しく指し示すコトバ正しいコトバである」というのと同じ。

『正しい』という《思いこみ》が付加されたコトバ。真理。

モノのあり方を、うまく説明できるコトバ」が『正しいコトバ』である。

区別

《モノの世界》モノを《的確に指し示すコトバ》はあり得るか?

  1. ○:
    1. 《的確に指し示す思いこみ》、《モノの世界》モノを《的確に指し示す思い描き》を生じさせるコトバ
    2. 聞き手が賢ければ、可能である。すべてのヒトがアホであるわけではない。
    3. 《私》が知っている《賢いヒト》に語りかければよいのだ。
    4. 彼がすでに知っているヒトであっても、和やかに、語り合えばよいのだ。
  2. ×:
    1. 聞き手がアホなら、何を言っても無駄だ。
    2. 聞き手が賢いかどうかを確認することはできない。
    3. 賢いヒトは、すでに知っているヒトである。すでに知っているヒトに語りかけても『意味』がない。

《的確な思い描き》と正しいコトバ

  1. 「的確」=「正しく指し示す」。テカモガ。
  2. 『息しつつあるモノ』という《思い描き》《息しつつあるモノ》を的確に指し示しているか? ○:。×:。
  3. 『x年x月x日x時x分x秒の経度x緯度xの息しつつあるモノ』という《思い描き》であれば、《今・ここ》の《息しつつあるモノ》への《的確な思い描き》であり得る。
  4. 《思い描き》コトバとは1対1で対応している。「x年x月x日x時x分x秒の経度x緯度xの息しつつあるモノ」というコトバと『x年x月x日x時x分x秒の経度x緯度xの息しつつあるモノ』という《思い描き》とは1対1で対応している、つまり、コトバ《思い描き》を的確に指し示すことができる。
  5. 『西暦9000年1月1日0時0分0秒のアンドロメダ星雲のなんたら惑星の経度緯度の線虫状生物のイシモ』という《思い描き》は、《的確な思い描き》である。か? 未来のことは知り得ない。知り得ないことを指し示す思い描きは的確ではない。か? ○:。×:。

規範として「正しい」と、指し示しとしての「正しい」

  1. 日本語でも、英語(just、right)でも、価値的意味で使われている。
  2. てゆーか、英語の「true」が指し示しの的確性を意味しているのだが、「true」の訳語に「正しい」が出てこない。「正しい」の訳語に「true」が出てこない。要するに、日本語のヤマト言葉には「true」に該当するコトバがない。困ったものだ。
  3. 「true」は「ホント」かも知れないが、「ホント」は、大体において「ホントの気持ち」というフレーズで使われる、ので、「true」とはかなり異なる。「# truth is:本当は。・The truth is, I want to be a writer. : 実のところは、作家になりたいのです。・The truth is, Ellen liked you a whole lot. : 実は、エレンはあなたのことが大好きなんです。」

『正しいコトバ』と『悪いコトバ

  1. 『正しいコトバ』は『悪いコトバ』である。
  2. 『悪いコトバ』というのは悪い結果をもたらすコトバである。
  3. 『正しいコトバ』は聞き手に『なすべききこと』を語らない。聞き手は混乱するか、もしくは、勝手に『なすべきこと』の結論を導いて行動する。その結果として悪い結果が生じる。それゆえに、『正しいコトバ』は『悪いコトバ』である。
  4. 『良い』『悪い』は、科学的に検証可能な事象ではない。《視点》によって判断が変わるからである。科学《視点》によって判断が変わる事象を扱わない。「《視点》によって判断が変わる事象」は「検証可能な事象」ではない。
  5. 科学は、「善悪の判断を変えてしまう《視点》」を科学すべきである。《視点のパラメータ》科学すべきである。存在被拘束性を科学すべきである・・、て・・、そういうメタな知識が手に入っても、具体的な場面での善悪の判断の参考にはならない。
  6. 科学は、デカルト的直交座標の知識を、ヒトの極座標に変換する規則を解明すべきである。・・て・・、レーニンの『新聞』論か? プロパガンダの技術になってしまうな・・。
  7. 科学は「検証可能な事象」しか扱わない、「検証可能でありそうな事象」しか扱わない。
  8. 科学者たちを検証対象とする科学がない。
  9. 科学は「自ら」を扱うことが苦手である。
  10. 科学は「自らがない」「自己がない」「《我》がない」ことを前提とした認識を求める。認識主体のない認識を求める。コトバが認識主体であるような認識を求める。コトバの論理的自動運動が思考であるような認識を求める。
  11. 科学は、人にとって最も重要な《我》に関しては沈黙をまもる。むしろ、《我》などないという結論を押しつけようとする。
  12. 科学者は、《我》があることを知っている。にもかかわらず、科学者は「《我》など無い」という(誤解を招く)コトバを発する。科学者は嘘つきなのである。語るべきことを語らない、という意味で嘘つきなのである。ヒト『正しいコトバ』を語るヒトを尊敬し、そのヒトコトバに従おうとする。そのヒトが語らなければ、聞き手は『ない』と判断する。
  13. http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1095285947/
    1. 6 :名無しさん@社会人:04/09/17 07:05:52
    2. ・・
    3. 社会の何が悪いかと言うと、社会学者に多いんだが、 嘘つきが原因
    4. 社会には不条理が満ちてる癖に、「なんとかしろー」と叫ぶ。今、一線で活躍してる社会学者は、何とか出来る程、所謂エリートと呼ばれる大学の出身者の癖に、なんともせず、「なんとかしろー」と叫んで、不条理に打ちのめされてる人間から、金を奪ってる。

《正しい思いこみ》と『正しいコトバ』

  1. 「正しい《思いこみ》」、《正しい思いこみ》。
  2. 《正しい思いこみ》はあり得るか? 「《絶対者公理》において《正しい思いこみ》」といったモノは可能であろう。特定の公理において《正しい思いこみ》はある。

正しいコトバと「前提」

  1. 前提無しに正しいコトバはあり得ない。
  2. 一定の前提の下に正しいコトバは無数にある。

科学や数学という「正しいコトバ

  1. 《モノの世界》を比較的正確に記述しているコトバ
  2. 《モノの世界》を《神の視点》から記述するコトバヒトは、物質に対しては、《神の視点》から物質を見おろすことができる。
  3. 《神の視点》とは《特別者公理》の視点である。客体である物質は、《私》とは何の繋がりも無い、《私》とは質的に異なるモノなので、《私》は、全く冷静に、客観的に、物質を観察することができる。
  4. 科学的な《神の視点》においては、《私》は物質に対して同質者としての共感を持つことはない。《私》は物質に《アニマ》を感じることはない。
  5. 物質世界科学的に観察する《私》は、物質世界の中のモノではない。科学的に観察された物質世界の中のモノは、《アニマ》を奪われたモノである。物質世界を観察しつつある《私》《アニマ》そのものだかが、《私》は物質世界の中のモノではない。科学的に観察しつつある《私》は、モノから《アニマ》を奪い去りつつあるモノである。《特別者公理》における認識者である。

『正しいコトバ』と『正義

  1. 正義』はプロパガンダである。
  2. 『法の正義』は『公平』『妥当』である。『具体的妥当性』と『一般的妥当性』である。
  3. 『正しい』という《思いこみ》は『糾す(ただす)』=『強制力を行使して《他者》の状態を変える』という意味もある。その意味での『正しい』は非難であり、責任追求である。『正しい』は『ヒトとしてのあるべき姿』である。『正しいこと』は『なすべきこと』である。
  4. 『正しい』の認識的意味と当為的意味。《知った思いこみ》の正しさと、《求める思いこみ》の正しさ。語源的には当為的意味での『正しい』であろう。
  5. 認識を糾す。正しい認識は『ヒトとしてのあるべき姿』、『ヒトとしてのあるべき認識』である、ということ。価値的認識、ステレオタイプの認識、の強制。
  6. 説明型認識における『正しさ』と、行動型認識における『正しさ』。
  7. 『天皇は現人神である』という認識は、『天皇は現人神であるという認識で行動するのが正しいヒトのあり方である』という《思いこみ》においては『正しい』《思いこみ》である。

『省察』『正しいコトバ』

  1. 『省察』の根本的な問題は、『疑いなく正しいコトバ』という《知った思いこみ》《求める思いこみ》に駆動された考察だということ。
  2. 《疑いつつあるモノ》というのは『疑いなく正しいコトバ』を《求めつつあるモノ》であり、『疑いなく正しいコトバ』への《求める思いこみ》に執着している状態だ。『疑いなく正しいコトバ』の《思いこみの世界》に《入り込みつつあるモノ》だ。

検索

《たけ(tk)の思いこみ》 - [##《混濁》をあるがままに観察する。そしてそこでの知見を「一応の正しいコトバ」として記述していくことにする。(「普遍的に」「空間を超えて」「時間を超えて」「常に」存在するモノに関する「正しい」コトバは求めない、という立場に変更する)。]

ゴミ箱 - [デカルトは何故、数学的な『正しいコトバ』で満足しなかったのか?]

《混濁》 - [《混濁》『正しいコトバ』]

『なすべきこと』 - [cogito, ergo sum - [#アリストテレスは「客観的に正しいコトバ」(ヌース、理性)というモノを信じているようである。いや、たけ(tk)も信じているよ。たけ(tk)は「客観的に正しいコトバ」では《私》『なすべきこと』についての答えが出てこないよ、と言いたいだけだ。《私》『なすべきこと』を考えるにあたっては「客観的に正しいコトバ」は意味がないよ、と言いたいだけだ。もっとも、アリストテレスは「理論的な学」の他に「制作的な学」と「実践的な学」とがあると言っているので(『形而上学・下』p.110)、アリストテレスに言わせれば「理論的な学」がすべてではない、ということになるだろう。]]

コトバ - [『真理』=『正しいコトバ』コトバ]

科学 - [#「真理」というコトバで、ヒトは何を求めているのだろうか? どのようなコトバを求めているのだろうか? 『信じるに値する正しいコトバ』か? 「1+1=2」というコトバは『信じるに値する正しいコトバ』だと思うが、「1+1=2は真理である」で満足するのか? 『絶対的に正しい命令』を求めているのではないか? 『真理』は《他者の思いこみ》である。]

cogito, ergo sum - [#アリストテレスは「客観的に正しいコトバ」(ヌース、理性)というモノを信じているようである。いや、たけ(tk)も信じているよ。たけ(tk)は「客観的に正しいコトバ」では《私》『なすべきこと』についての答えが出てこないよ、と言いたいだけだ。《私》『なすべきこと』を考えるにあたっては「客観的に正しいコトバ」は意味がないよ、と言いたいだけだ。もっとも、アリストテレスは「理論的な学」の他に「制作的な学」と「実践的な学」とがあると言っているので(『形而上学・下』p.110)、アリストテレスに言わせれば「理論的な学」がすべてではない、ということになるだろう。]

《特別者公理》 - [#科学や数学という「正しいコトバ」と《浄化球》《モノの世界》を比較的正確に記述しているコトバ《モノの世界》を《神の視点》から記述するコトバヒトは、物質に対しては、《神の視点》から物質を見おろすことができる。《神の視点》とは《特別者公理》の視点である。客体である物質は、《私》とは何の繋がりも無い、《私》とは質的に異なるモノなので、《私》は、全く冷静に、客観的に、物質を観察することができる。]

Last modified:2008/02/17 23:48:49
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References:[《ヘラクレイトスの「ロゴス」》]