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『心地よいウソ』

『心地よいウソ』

  1. キーワード

定義

区別

「comforting illusion」と『心地よいウソ』

    1. 慰めになる幻想 comforting illusion。http://eow.alc.co.jp/%e6%85%b0%e3%82%81/UTF-8/
  1. http://www.econfn.com/ssk/iieigo2/page143.html
    1. The dark is generous. Its first gift is concealment: our true faces lie in the dark beneath our skins, our true hearts remain shadowed deeper still. But the greatest concealment lies not in protecting our secret truths, but in hiding from us the truths of others…. Its second gift is comforting illusion:… Its third gift is the light itself: (Star Wars: Revenge of the Sith)
    2. 闇は寛大だ。ひとつ、闇はすべてを隠してくれる。われわれの真の顔は、この皮膚の下、闇のなかにある。われわれの真の心は、さらにその奥の影のなかにある。闇はひそかな真実を守るばかりか、ほかの人々の醜い真実もわれわれの目から隠す。ふたつ、闇は心地よい錯覚をつくりだす。三つ、闇は光をもたらす。(富永和子訳)
    3. 〔出典〕 ジョージ・ルーカス (原作、マシュー・ストーヴァー著 の『スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐』(2005)より。(日本では2005年7月に公開された映画の原作)
    4. 〔英語の解説〕 concealment 「concealの名詞形。隠匿。隠すこと」。 lie in「〜にある」。hide from 〜「〜から隠す」。Illusion「錯覚」
    5. 〔内容の鑑賞〕『スター・ウォーズ』シリーズでは、善の力としてフォース、悪の力としてダークサイドが出てきます。フォースもダークサイドももともとは同じものなのですが、その力(パワー)を何のために使うかによって、その方向性も異なってくるのです。まるで、堕天使ルーシファーのように…。
    6.  善と悪の力が根本的には同じということは、善悪が表裏一体ということを意味します。すべてを隠してくれることは、考え方によってはある種、善といえなくはありません。真実を知ることが必ずしも「絶対」ではなのです。人の汚いところ、醜いところをあえて見せないように、社会の仕組みはできています。隠すことはある種、悪です。だからこそ、心地よさを感じることもあるのです。世の中がすべて綺麗なような錯覚にも陥ります。

頑張るということは、頑張るフリをすることである。 ヒトが何故頑張るかといえば、頑張ったフリを《他者》に見せるためである。

《ヒトの群れ》『心地よいウソ』は必要?

  1. ○:
    1. 《ヒトの群れ》には『希望』が必要である。
    2. 一つの『心地よいウソ』が破綻したら、次の『心地よいウソ』を用意すればよい。
    3. 『諸行無常』は『心地よいウソ』である。『美しきウソ』である。自己正当化のための『心地よいウソ』である。『諸行無常』の裏側には『永遠の理法』《ヘラクレイトスの「ロゴス」》が隠されている。そこに誘導したくて諸行無常というウソを主張する仏師たち、自分たちの悲惨な運命を諦めるための『心地よいウソ』として受け入れる庶民たち、そして、諦めた庶民に安堵するために『心地よいウソ』を広める権力者たち。そのウソが心地よくないのは、その実態を知ったモノたちだけだ。
    4. たとえそれが『悪しきウソ』であったとしても、《ヒトの群れ》に『希望』は必要である。
    5. βプロトコルの陰謀家たちは、人々から『希望』を奪おうとする。『希望』を奪って《家畜の群れ》にしようとする。《ヒトの群れ》から『希望』を奪えば、《家畜の群れ》になる。
    6. 『国家』『心地よいウソ』である。『国家』という『心地よいウソ』は必要なのである。
  2. ×:
    1. 『心地よいウソ』は結果において、常に、破綻する。
    2. 諸行無常なり。
    3. 『諸行無常』という『心地よいウソ』も、結果において『悪しきウソ』である。
    4. 『心地よいウソ』は、個人が、自覚を持って持てば、『良いウソ』であり得るが、《ヒトの群れ》にかかったら、『悪しきウソ』にしかなり得ない。

《ヒトの群れ》の『希望』と『心地よいウソ』

  1. 《ユートピア》には『希望』が必要である。
  2. 《ヒトの群れ》には『希望』が必要である。
  3. 人々が『生きる』にあたって、共通の『希望』が必要である。『共に生きる』には共通の『希望』が必要である。『夢』が必要である。『夢』のない社会では、ヒトは、自分のことしか考えなくなる。《他者》といることが、楽しくないのだ。《他者》のために考えることが楽しくないのだ。
  4. 『希望』がともにしていれば、『希望』をともにする人々と考えるのは、楽しいことである。
  5. 『希望』をともにしない人々と共にいるのは苦痛である。
  6. しかし・・・、日本の歴史のなかで、有害とならなかった『希望』はあるのだろうか? 旗印は立派でも、実際のホンネの政策は、蝗なみだった。人類なんて滅びてしまえ。蝗人類など滅びてしまえ。
  7. 《死すべき個体》にとっての、『希望』とは絶望の中から生まれた、『絶望世界『無意味の世界』への認識から生まれるモノである。そんなもの、《ヒトの群れ》に期待できるか。
  8. 『希望』も『心地よいウソ』なのである。

《あみだぶ》と『心地よいウソ』

  1. あなたは救われる。《あみだぶ》を見れば救われる。《あみだぶ》の名前を聞けば救われる。((『心地よいウソ』に過ぎないが・・))。ナムダブ。
  2. 《あみだぶ》に逢ったら《あみだぶ》を殺せ。
  3. 「《あみだぶ》に逢ったら《あみだぶ》を殺せ」は『心地よいウソ』ではない。地獄の真実だ。
  4. たけ(tk)《まなざし》は地獄の真実を《求める思いこみ》である。

コンピュータと『心地よいウソ』

  1. コンピュータってウソの塊だ。
  2. キーボードを押したから文字が出た、と思うでしょ? でも、じつは、それはウソだ。「そのように作ったから、そのように動く」というだけの話だ。キーボードのスイッチに「文字」なんていう意味はない。画面のドットの塊にも「文字」なんていう意味はない。プログラムを作るヒトは、キーボードのトップに書いてある文字とキーボードのスイッチからの信号とを対応させる表を作り、画面のドットの塊のデータと文字コードのデータとの対応表を作って、対応させている、というだけの話だ。ユーザが、騙されていると思わないように騙しているだけの話だ。
  3. でも、それがユーザの期待どおりのウソであれば、べつにいいじゃん。ってのが、『心地よいウソ』ということかもね。
  1. http://www.asyura2.com/07/war99/msg/539.html
    1. ロムニー
    2. ポールさんは過激派の聖戦とは何か、その活動内容や目的についてもう少し勉強なさった方がいいようです。彼らはアメリカ打倒を目論んでいるだけではなく、すべての穏健派勢力を打倒を目論んでいるのです。パキスタンで事件が起きたばかりです。(略)
  2. ヒトは何故、『他者』を悪魔に仕立てるのか? それが『心地よいウソ』だからである。

コトバは『知ったつもり』の恍惚を生み出す麻薬である。

『心地よいウソ』とマルチ商法、洗脳商法

  1. http://www.sos-file.com/sossos/r_roiyal.htm
  2. 欲得であることが原因であると気がつかないように、別の「よさ」をコトバとして、思考回路に刷り込む。欲得であることを否定するために、別の「よさ」を信じ込む。『心地よいウソ』『心地よいウソ』というのは、別の欲得を実現するための、口実となるコトバ。権力への恐怖を隠蔽するための正義コトバ
  3. 理詰めで説得すれば、感情的に反発する。という思考回路になるらしい。『ウソ』をうすうす自覚しているのだ。『ウソ』を非難されたから、感情的になる。

知ることを欲しない人への説明

  1. 知ることを欲しないヒトへの説明ほど空しいモノはない。
  2. 知ることを欲しないヒトというのは、命令を欲するヒト
  3. 知ることを欲しないヒトというのは、『心地よいウソ』を欲するヒト
  4. 当為を欲するヒト。と、みれば、理解可能か・・。
  5. 当為への認知と存在への認知。
  6. 『心地よいウソ』を求めるヒトというのは、当為を欲するヒトではない。自己の現状を肯定するコトバ(屁理屈)を求めるヒトである。
  7. 存在への認知を、快不快を基準にして選別するヒト
  8. 『心地よいウソ』を信じるヒトは、無意識の中に、自己否定の感覚を持つ。それゆえに、自己肯定のコトバを追い求めるのである。
  9. まあ、ヒトは基本的には《思いこみのサル》なのである。

『心地よいウソ』追従ザルボス猿主義『心地よいウソ』

  1. ボス猿コトバ『心地よいウソ』である。
  2. ボス猿コトバは、それが真実であろうと、ウソであろうと、信じることが、わが身の安全にとって必要であるから、『心地よいウソ』である。
  3. ボス猿コトバを信じることは、ボス猿の保護を得るための条件であると信じられており、安全という心地よさを保証するウソであると信じられている。が、必ずしもそうでないことは明らかである。ブロイラーは、自らが屠殺されるまでは、飼い主の善意を信じる。
  4. 追従ザルの思考様式をボス猿主義という。

タブー『心地よいウソ』

  1. 愚かな人々というのは、タブーの故に真実を知ることを拒否する人々のことなのだな。
  2. 愚かな人々というのは、心地よいウソを信じる人々なのだが、何故に心地よいかといえば、そのウソがタブーによって護られているからだ。
  3. 愚かな人々は、『群れの中の私』『現実』の中の『私』というウソを信じる人々である。『私』『現実』の『ヒトの群れ』という《思いこみ》の中にあるというウソを信じないことは、大きなタブーなのだ。
  4. 貧しく愚かな人々は、ずるがしこい金持ちに身も心もカネも労働も捧げることが、生きるために必要なことだと信じる。それが『現実』であると思いこむ。《ちから》あるモノ《ちから》《怯えつつあるモノ》だから、そのような『現実』を認識することになる。

カオス『心地よいウソ』

  1. 怯えるべきモノとは、カオスであり、不明なモノ、であろう。「何が起きるか分からない」。「分からない」ということが不安の原因であろう。カオスは有害無益であり、コスモスは(うまく使えば)有益無害である。カオス《不快》であり、コスモスは《快》である。それゆえに、ヒトはコスモスを求め、カオスから目を背(そむ)けようとする。まあ、問題は、カオスに目をつぶっただけでは、カオスはなくならない、ということではあるが・・。しかし、カオスから目を背ければ、心理的な安心は得ることができる。錯覚を得ることができる、『心地よいウソ』を得ることができる。

《他者の思いこみ》『心地よいウソ』

  1. 人は『心地よいウソ』を信じることを好む。人は、自らを省みることを好まない。人は自らを省みることを避けるために、『心地よいウソ』を信じることを好む。
  2. 『心地よいウソ』《求める思いこみ》がある。
  3. 『心地よいウソ』《知った思いこみ》がある。
  4. 「正直は最も安全なウソである」。コトバはすべからくウソなのだ。コトバは、それによって指し示されたモノと同じではありえないので、原理的にウソなのだ。
  5. 人は、生まれ落ちたときから、コトバのウソを信じることによって生きていくことを強制される。人は、初めから、母親や家族や、教師や友人たちのコトバを信じることによってのみ生きることが許される。
  6. 人は、コトバのウソを見抜いたときから、モノの真実に気がつくようになる。しかし、モノの真実は危険である。社会的な生存の根拠を見失う危険がある。それゆえに、その危険に気づいて怯えた人は、より強く『心地よいウソ』を選択するようになる。
  7. ボス猿コトバ『心地よいウソ』である。ボス猿コトバを信じることは、ボス猿の保護を得るための条件であると信じられており、安全という心地よさを保証するウソであると信じられている。が、必ずしもそうでないことは明らかである。ブロイラーは、自らが屠殺されるまでは、飼い主の善意を信じる。
  8. コトバはすべからくウソである、というのはモノ離存性を意味する。モノコトバではない、コトバモノを指し示すことはできるがモノそのものではない。ヒトは、コトバが作り出す《思いこみ》モノそのものとして信じた時に、コトバはウソになる。ヒトは、生まれ落ちた時には、コトバのウソを信じて生きることを学ぶのである。
  9. コトバモノ離存性に気がついたヒトは、コトバが正しくモノを指し示すように注意して語り、注意して聞くだろう。しかし、そのように語られたコトバは、離存性に気がつかない人びとによって聞かれることになる。よって、正しく語られたコトバもウソである。
  10. ヒト《ヒトの群れ》の中で生きるにあたっては、モノの重要性は二次的である。自分でモノを獲得する場合は別であるが、《他者》からモノを獲得するためには、まずは、《他者》コトバを信じなければならない。《ヒトの群れ》から与えられた《思いこみ》を共有することが、《ヒトの群れ》の中で生きるために重要なことなのである。
  11. 信無くば立たず。《ヒトコトバ》が信じられなくなれば、世も末なのである。《ヒトの群れ》は成り立たなくなるのである。
  12. ヒトコトバ》を信じることは、ヒト《アニマ》である。
  13. 『心地よいウソ』を信じることは、ヒト《アニマ》である。
  14. 『居心地の悪い《モノの世界》』を見通すことは、ヒト《アニマ》である。『真実』としての《モノの世界》を見通すことも《ヒトのアニマ》である。
  15. モノのアハレには二通りに意味がある。
    1. モノのアハレ=居心地の良い《モノの世界》への感性=は《ヒトのアニマ》である。日本の風土は、幸いなことに、居心地の良い《モノの世界》を作り出す。しかし同時に、
    2. 日本人の《ヒトの群れ》は、悲しむべきことに、居心地の悪い《ヒト世界》=モノの哀れ、哀れなモノとしてのヒト、哀れなヒト=を作り出す。

世論と『心地よいウソ』

  1. http://tanakanews.com/f1101whitehouse.htm
    1. 当時のアメリカの好戦的な世論の中では、政治家は、快勝で きる戦争に反対すると、後で政治生命を失うことになりかねなかった。
  2. 正しいことは悪いことであり、ウソをつくことは良いことである。
  3. 存在の真偽と当為の善悪。
  4. 正直は最も安全なウソである。
  5. 民主主義であろうとなかろうと、世論の問題だろう。不服従の気分が問題なのだ。
  6. 世論は、心地よいウソを求め、不快な真実には拒絶反応を示す。
  7. 世論は、絡み合った複雑な真実には不快感を示し、単純なスローガンに共感する。
  8. 「世論」は本当に、「人びとの意見」なのだろうか? マスコミの誘導ではないのか?
  9. 発言は行動であって、認識ではない。
  10. 真なるモノは悪いモノ、良いモノは偽なるモノ。である場合がある。真偽と善悪は直交する座標軸である。

『群れの中の私』『心地よいウソ』

  1. おそらく、人びとにとっては『群れの中の私』が固定していることは心地よい。
  2. 人びとにとっては『群れの中の私』『心地よいウソ』である。

『心地よいウソ』『なすべきこと』

  1. ヒト『心地よいウソ』を信じるべきである。
  2. そのヒトにとって最も心地よいウソを信じるべきである。
  3. 信じるというのは《思いこみ》をもつことである。
  4. ヒトは、《思いこみ》をもつことなしに生きることはできない、というか動くことはできない。
  5. たけ(tk)は、《近傍物理空間》の中に《私の身体》があり、《私の身体》のなかに《息しつつあるモノ》があることを信じる。
  6. たけ(tk)はその存在を疑うことができる、それを誤りだと断定することもできる。たけ(tk)はその正しさを証明も説明も出来ない。たけ(tk)は、それを信じることが心地よいが故に、その存在を信じる。それは、その正しさを証明できない以上、ウソでしかない。しかし、たけ(tk)は、『心地よいウソ』を信じる。
  7. 《たけ(tk)の思いこみ》とは、たけ(tk)が心地よいが故に信じたウソである。
  8. モノの存在は証明することができない。
  9. 「cogito, ergo sum と同程度の確からしさ」とはどういうことか?
  10. 「『cogito, ergo sum と同程度の確からしさをもつモノを確かである』信じる」とはどういうことか?
  11. たけ(tk)は、今ここの《我》の現前に広がる世界が、「かくのごときもの」であることを信じることができない、私の気分が変われば異なってみえることも知っている。しかし、たけ(tk)は、「かくのごときもの」であることを信じる。たけ(tk)は、《息しつつあるモノ》との関係において、「かくのごときもの」であることを信じる。
  12. 《息しつつあるモノ》ノイズであり、「かくのごときもの」としての世界は、《混濁》カオスから《息しつつあるモノ》ノイズが作り出した仮想の秩序であろう。しかし、たけ(tk)は、それが心地よいが故に、信じる。
  13. たけ(tk)は、この身体が、《知りつつあるモノ》の背後において、世界の中で《共振しつつあるモノ》であることを信じる。モノ共振が宇宙史にいたることを信じる。
  14. この《身体》《他者の身体》共振することを信じる。共振によって、《他者の思いこみ》を《私の身体》の中に知ることができると信じる。共振によって、私の《思いこみ》を他者に伝えることができると信じる。そんなことは全部嘘っぱちだ。しかし、たけ(tk)は、《息しつつあるモノ》を信じることが心地よいが故に、それが作りだした秩序であるもろもろの事象を信じることにする。
  15. 『心地よいウソ』を信じるということは、『大学』がいう『誠意(心をウソ偽りのない状態にする)』を信じることである。

『心地よいウソ』《背後者回路》

  1. 自らが信じている『現状』を正当化するウソは、心地よいウソである。
  2. 自己正当化の心地よさ、安心感。

宗教と『心地よいウソ』

  1. 宗教的世界観には、『《私》が存する《ヒトの群れ》』と『《私》が存する宇宙』との混同があるのではないか?
  2. 愚者とは、心地よいウソを信じたがるモノである。
  3. 宗教とは、心地よいウソを信じることを正当化するプロパガンダである。
  4. 《私》が存する《ヒトの群れ》《私》が存する宇宙とが同じ構造だ』というのは心地よい《思いこみ》である。《私》が信じている『《私》が存する《ヒトの群れ》』は永遠不変の真理だと思えるようになるからだ。

『心地よいウソ』と『美しいウソ』、『善いウソ』、『信ずべきウソ』

  1. 美しいウソを信じ続けることが勝利?? 美しいウソを信じなくなることが敗北?? という心理構造。の人がを発見した。

『心地よいウソ』自己言及

  1. 人間とは心地よいウソに騙されたがる動物である。
  2. 我々は、心地よいウソには決して騙されないと決意する。
  3. では・・、我々は人間ではないのか? 否、我々も人間である。
  4. 我々にとっては「心地よいウソに騙されないのは善いことだ」というウソが心地よいのである。(なんのこっちゃ、(^^;)

『心地よいウソ』と不完全性定理

  1. ゲーデルの証明は数学者たちの「無矛盾な世界」への美しい《思いこみ》『心地よいウソ』でしかないことを証明した。
  2. →「公理主義」。

『心地よいウソ』と、たけ(tk)の霊魂不滅論

  1. たけ(tk)が、死後にも《アニマ》があると言った場合には、「《他者》《思いこみ》の中のあるヒトAに関する《アニマ》」が、あるヒトAの死後にも存在する、という意味で使っている。
  2. 《思いこみ》の中の《アニマ》」は「モノの中の《アニマ》」を指し示す《思いこみ》である。
  3. 《思いこみ》でもいいじゃないか、《ヒトの群れ》《思いこみ》で成り立っているのだ。《思いこみ》で安心できれば、よいではないか。信じればよいではないか。・・でも、もちろんウソだけど・・。心地よいウソを信じよう。

『心地よいウソ』《快》

『心地よいウソ』とウソ

  1. 『心地よいウソ』はウソか?
  2. ウソとは? そのコトバが生じさせる《知った思いこみ》が、モノ状況を実際に見通したときに生じる《知った思いこみ》と異なっていること。
  3. コトバは真実であることがあり得るか? 聞き手しだいである。真実を知っているヒトにとっては、コトバは真実であり得る。しかし、真実を知らない人が、真実を指し示しているはずのコトバを聞いても、《思いこみ》を得るだけであり、真実への《見通し》を得ることはできない。コトバから生じた《思いこみ》を信じるなら、そのコトバはウソである。
  4. コトバは事物を指し示すことができる、その意味では真実であることができる。しかし、同時に、コトバ《知った思いこみ》を作り出す。コトバから生じた《思いこみ》を信じるなら、そのコトバはウソである。

真実でありえないコトバはあり得るか?

  1. コンピュータで作ったランダム文字列は「コトバ」か?
    1. #! ruby -Ks
    2. arr = ("あ".."ん").to_a
    3. 17.times{ print arr[rand(arr.size),1]}
    4. #=> おせびよゅ せょつんゆはす むゎくぷに
    5. #=> げぉぞごぼ むちずけのをぞ いさすをへ
  2. コンピュータで作ったランダム文字列は《ヒトコトバ》ではない。しかし、コンピュータの《思いこみ》=内部状態=を伝達する「コトバ」である。
  3. いかなる詐欺師のコトバであっても、そのヒト《思いこみ》の伝達であるという意味では、真実である。

詐欺師のウソと、信頼できるヒトコトバとでは何が違うのか?

  1. コトバには、発語者の内心を伝えるコトバと、発語者の外界の状況を伝えるコトバとがある。また発語者以外の他のヒトから発語者に伝えられたコトバの伝聞のコトバとがある。伝聞のコトバも、最終的には誰かの内心か、誰かが体験した彼の外界の状況を伝えるコトバである。伝聞のコトバ自体は、発語者の外界の状況=誰某から聞いたコトバというのは発語者の外界の状況=である。
  2. 伝聞のコトバを発語者の直接体験として語るのはウソである。か?
  3. 「ブッシュ大統領は今日はパキスタンを訪問しています(2006-03-04(土))」というコトバはアナウンサーの直接体験ではない。nhkという《ヒトの群れ》コトバなのだろう。
  4. 「関係機関の要請によりゴミ箱を撤去しました」という貼り紙の発語者は誰だろうか?

『心地よいウソ』《思いこみを求める思いこみ》

  1. 同義?
  2. 《思いこみを求める思いこみ》には、慰め(自己正当化)の《思いこみを求める思いこみ》と、《見通し》に役立つ《思いこみを求める思いこみ》と、道具的に役に立つ《思いこみを求める思いこみ》とがある。
  3. 慰めのコトバを、慰め以上の物として、論理的に正当化しようとする人々がいる。それが、宗教か? 宗教とは慰めのコトバを真理であると思いこむことである。

『心地よいウソ』と娯楽

  1. ドラマは『心地よいウソ』である。
  2. ヒトは、何故に、ウソのコトバに心地よさを感じるのか?

検索

《ヒトのアニマ》 - [『心地よいウソ』《ヒトのアニマ》]

ゴミ箱 - [#「大義」は客観的な規範的利益(という《思いこみ》)、「名分」は言語的な心地よいウソということだろう。説得可能なロジック。]

《浄化球》 - [#どうにも忌々しいのは、愚かな人びとがテレビを好んで見ること。まるで、心地よいウソにだまされることを自ら進んで申してようとしていること、を見ることだ。見え透いたウソにやすやすとだまされる人びとの愚かさを見させられることだ。] 欲求分類リスト - [#コトバにすがる欲求、心地よいウソを求める欲求]

テレビ - [#どうにも忌々しいのは、愚かな人びとがテレビを好んで見ること。まるで、心地よいウソにだまされることを自ら進んで申してようとしていること、を見ることだ。見え透いたウソにやすやすとだまされる人びとの愚かさを見させられることだ。]

《求める思いこみ》 - [#原始的なことを偉そうに言うヒトと、原始的なことを聞いて歓喜する人びと。要するに、聞き手の自己正当化のための心地よいウソを語る人びとがもてはやされる。聞き手は、自己正当化のためのウソは受け入れるが、自己正当化を害する話は受け入れない。]

《怯えつつあるモノ》 - [#愚かな人々というのは、心地よいウソを信じる人々なのだが、何故に心地よいかといえば、そのウソがタブーによって護られているからだ。]

  • 《感じ合い》 - [#赤ん坊は、ビデオに対して、すぐに反応しなくなる。実物であれば反応が継続する。赤ん坊は本物であるかどうかを見抜く力があるらしい。『裸の王様』の子供は本物でないことを見抜く、というより、『裸の王様』の大人たちは、何故に《騙された》のか?。大人たちは、自分自身を騙した、というべきか?。信じる、ということは、自分自身を騙す、ということか? 《心地よいウソ『心地よいウソ』で、自分自身を騙す。]
  • ゴミ箱2007-07 - [#「拉致問題の解決」を主張するのは、拉致問題を解決したいからではなく、解決させたくないから、問題を大きくしたいから、だということ。『心地よいウソ』の一種? 希望的観測?]
  • 《求める思いこみ》 - [#原始的なことを偉そうに言うヒトと、原始的なことを聞いて歓喜する人びと。要するに、聞き手の自己正当化のための心地よいウソを語る人びとがもてはやされる。聞き手は、自己正当化のためのウソは受け入れるが、自己正当化を害する話は受け入れない。]
  • 公理主義 - [(6)ゲーデルの証明は数学者たちの「無矛盾な世界」への美しい《思いこみ》が「心地よいウソ」でしかないことを証明した、という意味で偉大な功績である。そればかりではなく、一般に、すべての《思いこみ》はそれが唯一の真なる体系であることを証明できないこと、すなわち、或る《思いこみ》を無矛盾であり真であると確信したときにも、他の複数の真なる体系が併存していることを承認しなければならない、ということを意味している。]
  • 《怯えつつあるモノ》 - [#怯えるべきモノとは、カオスであり、不明なモノ、であろう。「何が起きるか分からない」。「分からない」ということが不安の原因であろう。カオスは有害無益であり、コスモスは(うまく使えば)有益無害である。カオス《不快》であり、コスモスは《快》である。それゆえに、ヒトはコスモスを求め、カオスから目を背(そむ)けようとする。まあ、問題は、カオスに目をつぶっただけでは、カオスはなくならない、ということではあるが・・。しかし、カオスから目を背ければ、心理的な安心は得ることができる。錯覚を得ることができる、『心地よいウソ』を得ることができる。]
  • 原因 - [『心地よいウソ』 - [#怯えるべきモノとは、カオスであり、不明なモノ、であろう。「何が起きるか分からない」。「分からない」ということが不安の原因であろう。カオスは有害無益であり、コスモスは(うまく使えば)有益無害である。カオス《不快》であり、コスモスは《快》である。それゆえに、ヒトはコスモスを求め、カオスから目を背(そむ)けようとする。まあ、問題は、カオスに目をつぶっただけでは、カオスはなくならない、ということではあるが・・。しかし、カオスから目を背ければ、心理的な安心は得ることができる。錯覚を得ることができる、『心地よいウソ』を得ることができる。]]
  • 『道徳感情論』 - [#それを他者がどう評価するか。愚直な善人を好意的に迎える、というのは、或る意味では騙されている、ということであり、『心地よいウソ』を信じるということでもある。]
  • 《浄化球》 - [#怯えるべきモノとは、カオスであり、不明なモノ、であろう。「何が起きるか分からない」。「分からない」ということが不安の原因であろう。カオスは有害無益であり、コスモスは(うまく使えば)有益無害である。カオス《不快》であり、コスモスは《快》である。それゆえに、ヒトはコスモスを求め、カオスから目を背(そむ)けようとする。まあ、問題は、カオスに目をつぶっただけでは、カオスはなくならない、ということではあるが・・。しかし、カオスから目を背ければ、心理的な安心は得ることができる。錯覚を得ることができる、『心地よいウソ』を得ることができる。]
  • テレビ - [#どうにも忌々しいのは、愚かな人びとがテレビを好んで見ること。まるで、心地よいウソにだまされることを自ら進んで申してようとしていること、を見ることだ。見え透いたウソにやすやすとだまされる人びとの愚かさを見させられることだ。]