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自灯明

キーワード→《自灯明

定義

モノたちとの対話」の「2006-11-23 布団の中で思ったこと」で現れたモノ《体内世界》の中の光源のこと。

区別

自灯明》と《サルの灯明》、《空気》、《空気の定め》。諦観つき楽天主義。

  1. 《サルの灯明》というのに気がついた。
  2. 人びとの《求める思いこみ》無限遠点に灯明を置いても、それ以前に青空のように透明で輝いている。その向こうには薄い闇が在るだけである。
  3. 良ければ良し。悪ければ諦めれば良し。楽天的な人々は地獄に落ちても楽天的かも。飯が食えれば良い。食えなければ諦めれば良い。政治が良ければ良い。政治が悪ければ諦めれば良い。人類が存続するなら良し。人類が絶滅するなら諦めれば良し。
  4. 諦観つき楽天主義。
  5. 良ければ楽しめば良し。悪ければ諦めて粛々と『なすべきこと』をすれば良し。
  6. 人びとにとって何が楽しみなのか。人びとにとって何が『なすべきこと』なのか。
  7. 《サルの灯明》における『なすべきこと』は《空気》の定めである。その実体は、《他者のコトバ》であろう。しかし、《サルの灯明》においては、《空気》の先には何も見えない、何もない。何もないから《空気》がすべてである。《空気》が『一切』である。《空気の定め》に従うことが『なすべきこと』『一切』である。
  8. 玉砕するのが《空気の定め》なら、粛々と玉砕すれば良い。
  9. 《サルの灯明》はサルの主観的世界である。サルからの虚数軸方向広がる世界である。
  10. 《サルの灯明》公理である。真理である。論破できない真理である。たくさんある公理的真理のうちの一つである。
  11. 希望か諦めか? 諦めてガマンしていれば、いずれ良いこともある。ってのは、諦観的希望の在り方。日本的風土の帰結だな。砂漠なら諦めればミイラだ。《サルの希望》は諦めることである。諦めて、粛々と《空気の定め》に従っていれば、いずれ良いことも在るだろう、という希望。目標がないのだな。現在の維持が目標なのだ。『永遠の今』が目標なのだ。道具をつくるヒトではなく、道具を使うヒト道具は作るモノではなく、自然に生まれるモノ。粛々と『なすべきこと』をしていると、便利な道具は自然に生まれる。粛々と『なすべきこと』をしていると、美しい造形も自然に生まれるモノ
  12. 立憲国家における《サルの灯明》。立憲国家は《空気》の仕組みである。立憲国家は人びとの粛々たる『なすべきこと』の営為から生まれた道具である。
  13. 《サルの灯明》と修羅と地獄の時代。これから、修羅と地獄の時代が来る。その後には天上と人間の時代が来るだろう。今は畜生と餓鬼の時代である。
  14. 《サルの灯明》1432の法則。3の人びとだな。

年末調整とエントウ。無限遠点の《法灯明》

  1. カネとエントウ。数字とエントウ。金銭的価値のエントウ。マモンのエントウ。人々の金銭的欲求のエントウ。人々からの金銭への《求める思いこみ》のエントウ。金銭欲求は生存欲求だろう。完全商品社会においてはカネがなくなれば餓死する。生存手段である。税金は権力が国民から生存手段を取りあげること。だが、もちろん合理性のある(はずの)強制徴収。税金のエントウ。権力のエントウ。
  2. 《モノの世界》の中のモノの中に《思いこみ》があり、《思いこみ》の中に、《思いこみ》《極座標の原点》の向こう側に、《思いこみの世界》がある。《思いこみの世界》の中に『年末調整』の《思いこみ》が在る。《思いこみの世界》《モノの世界》から見て虚数軸の方向にある。『年末調整』の《思いこみ》《極座標の原点》から見て、虚数軸方向に移動した位置に在る。《モノの世界》への《視点》は極座標から実数方向に移動した位置にある。視点から『年末調整』への視線は、(1+i)方向にあるとしよう。その無限遠点は(1+i)*∞にある。((《複素数の時空》))。《モノの世界》無限遠点を突き抜けると《思いこみの世界》になる、《思いこみの世界》無限遠点を付く抜けると《モノの世界》になる。では、(1+i)*∞の方向の無限遠点を突き抜けるとどこに至るのか?
  3. モノ《思いこみ》とが混淆した世界無限遠点《他者の思いこみ》無限遠点。『年末調整』の無限遠点に灯明を灯しておこう。点しておこう。
  4. モノ《思いこみ》とが混淆した世界モノたちを照らし出す。モノ《思いこみ》《噴出》し、《思いこみ》モノ動かす世界を照らし出す。モノ《思いこみ》を呑み込み、《思いこみ》モノたちを呑み込む世界を照らし出す。あら、左目の《視点》、右目の《視点》《息しつつあるモノ》《視点》で、『年末調整』の外部が《浄化》されてしまった。純粋な『年末調整』の《思いこみ》が浮かんでいる。『年末調整』は《思いこみ》《極座標の原点》である。そこからのマイナスの距離世界、反転世界が在る。『年末調整』の《思いこみの世界》が在る。『年末調整』の《思いこみ》からのマイナスの距離世界が在る。
  5. 反転世界とは、《極座標の原点》世界になり、世界が点になる世界。ちゃう。《極座標の原点》世界の外周となり、世界《極座標の原点》の内部世界となった世界。反転世界が凝縮すると、世界が点になり、《極座標の原点》世界になる。が《極座標の原点》には何もないだろう。ではなくて、マイナスの距離世界がそのまわりに広がるので、極座標の原点も圧縮すると、マイナスの距離世界になる。つまり、マイナスの距離世界の中に《極座標の原点》があり、その中に世界が在る、という構造。
  6. 『年末調整』の反転世界においては、外側に『年末調整』の《思いこみの世界》マイナスの距離世界)が広がり、その中に《極座標の原点》が広がり、その中に《モノの世界》が在る。
  7. 反転世界はよいアイディアではない。《極座標の原点》は原点のままにしておいて、《複素数の時空》をそのまわりに展開すべきである。『年末調整』は《視点》であり、《極座標の原点》である。
  8. 『年末調整』の《視点》からみた世界は、納税者と政府と、源泉徴収義務者とお金で構成されている。マダニ《視点》から見た世界に近い。
  9. 『年末調整』の《視点》とは、『年末調整』を行うモノ《視点》である、ヒトである場合もあるし、紙である場合もあるし、コンピュータである場合もある。穴埋め式の計算フォームに数字を入れていくだけのヒトは、『年末調整』の《視点》の主体ではない、紙のほうが《視点》の主体である。疎外された労働。「高度産業社会の発展は、一方で仕事の専門化と細分化を促し、労働者は組織におけるみずからの仕事の意義を理解できず、本来の能力を十分に発揮できないまま、仕事からの疎外感を強めてしまう」(『新・心理学の基礎知識』p.397)

動かしつつあるモノ》と《自灯明

  1. 《体内世界》に《動かしつつあるモノ》は在るか?

自灯明》と《たけ(tk)の思いこみ》

  1. 自灯明》は、《浄化球》と同じような、《道具的な思いこみ》である、か?
  2. 《体内世界》の光源」は在るか?

自灯明》と《我》

  1. 《我》というモノはない。ここにあるのは《肉の塊》だけだ。((《肉の塊》《我》と呼ぶなら、そう呼んでもよい。))
  2. 『我』というのは自己言及的な代名詞だ。この《肉の塊》が、この《肉の塊》自身を指し示す代名詞が『我』だ。指し示しのコトバとして『我』というコトバを使うのは構わないが、イデア的な実体としての《我》は存在しない。指し示しのコトバとしての『我』はこの《肉の塊》を指し示している。それは確かだが、それだけのことだ。

公理主義と《自灯明

  1. 自灯明》では公理主義コトバを捨ててしまった《視点》である。
  2. コトバ《モノの世界》を指し示すことができるだけであり、《モノの世界》からは離れて存在し、《モノの世界》ルールとは異なる《コトバの世界》ルールで再構成された世界の中の存在である。
  3. 複数の公理系が存在し得るということは、《コトバの世界》ルールでそうなるというだけの話。
  4. 自灯明》というのは、それがそこにあるから、それをその名前で指し示すことにした、というだけのコトバだ。
  5. 物理学というのは、そういうコトバで成立しているのかも。

ボス猿と《自灯明

  1. 自灯明》を自覚したヒトボス猿であり得るか? 
  2. 《ヒトの群れ》にはボス猿が必要か?
  3. 自灯明》を自覚したヒト追従ザルであり得るか?
  4. 《ヒトの群れ》には追従ザルが必要か?
  5. 『大学』に書いてあるのは、《自灯明》を自覚しつつボス猿であるための技術だ。仁義礼智信。格物致知誠意正心修身・斉家・治国・平天下。

ユートピア』と《自灯明

  1. すべてのヒトが《自灯明》を自覚している《ヒトの群れ》は『ユートピア』か?
  2. 子どもが初めから《自灯明》を自覚していることはあり得ない。
  3. 発達段階》論。ヒトは《発達段階》の過程に在る。すべてのヒトが《発達段階》の最終地点に至ることは、あり得ない?
  4. いいのだよ。ヒトは、一度でも「南無阿弥陀仏」「アーメン」「アッラーアクバル」その他諸々の内の一つでも唱えれば、唱えなくても一度でも願えば、死を本当に自覚したときには、平穏な《発達段階》に至るのだ。

如悪悪臭、如好好色」と《自灯明

  1. 如悪悪臭、如好好色」は《自灯明》との対話である。

自灯明》と『希望』

  1. 永遠であることが希望の条件ではない。
    1. 人の命は永遠ではない。
    2. 我が社も永遠ではない。
    3. 国家も永遠ではない。
    4. 人類も永遠ではない。
    5. 宇宙でさえ永遠ではない。
    6. 永遠であることが希望の条件ではない。
    7. 絶望せよ、全てに絶望せよ。
    8. 絶望の闇の中で自灯明を灯せ。
    9. 自灯明で「ここ」を照らせ。自灯明で「すべて」を照らせ。
  2. 自灯明》は『希望』なのだろうか?
  3. パンドラの箱と《自灯明》。『希望』は『絶望』の極限の先にある。
  4. 人は『希望』がなければ生きていけない。(んなことはないのだが・・)。なんでそう思うのか? 人はすべての『希望』を潰した後に、《自灯明》の『希望』を発見する。なんでそうなのか?《ライフオブジェクト》のシミュレーションでもそうなるのか?
  5. 自灯明》は「生きる希望」ではない。仲間が首を切られるのを見てうなだれた鶏の「生きる希望」ではない。《自灯明》は「生きる希望」をすべて放棄したときに、自らのうちに見つける『希望』である。
  6. 「子供たちが持つべき希望」は「生きる希望」である。《自灯明》ではない。
  7. 「最後の審判への希望」は《自灯明》ではない。もっとも、人類の絶滅を不可避なモノとして認めた上での『希望』であるなら、《自灯明》に近くなる。

種族維持的価値と《自灯明

  1. 自灯明》に種族維持的価値は在るか?
  2. ヒトは、《見通し》を持つ動物である。《見通し》を持てば、『絶望的状況』への《見通し》に至らざるをえない。『絶望的状況』への《見通し》において、希望を維持して生きていくためには、《自灯明》を持たざるをえない。《自灯明》は、《見通し》の補完物としての種族維持的価値を有する。

パウロの「"霊"に従う新しい生き方」と《自灯明

    1. ローマ信徒への手紙、7.6:今、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、"霊"に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。
  1. ヨハネの「始めにコトバありき」とは正反対だよな。
  2. パウロの「霊」はキリストというヒト《アニマ》

《混濁》自灯明

    1. 自灯明を捜していたら、《混濁》にたどりついた。《息しつつあるモノ》自灯明に近いだろう。・・てなのがあった。

ソクラテスの「堕落」と《自灯明

  1. 『ソクラテス以前以後』(コーンフォード、岩波文庫)
    1. なぜこの知識は他の種類の知識のようには教えることができないのだろうか。それは、他人がわたしに教えることができるような知識はすべて、何か外的な権威あるいは社会そのものによって、これこれの事柄は善いと信じられています、これこれの行為は正しいと信じられています、ということでしかないからだ。この種の情報は教示によって伝達され得る。しかしそれはソクラテスが知識と呼んだものではない。これが善いかあれが善いか、あるいは正しいかということを知るのは、自分自身で直接それを観ることができてはじめて可能だろう。・・むろん思いきって何らかの外的権威を認めてしまって、それからあとはその権威が為せと命じることについていって一切の責任を負ってもらうということも可能だ。しかしどの権威に従うべきかというもともとの選択に対しては依然として責任を免れることはできないのである。p.67
    2. ・・
    3. その「堕落させる」という意味の英語(デーモラライズ)を字義どおりに取れば、彼らの告発は本当だった。・・道徳上の(モラル)支柱や補強壁を取り外す(デー)という意味において、彼らをデーモラライズすることである。p.69
  2. 自灯明ということだよね。

《生きつつあるモノ》と《自灯明

  1. たぶん、同じモノだろう。
  2. 《知りつつあるモノ》《視点》からみると《生きつつあるモノ》
  3. 《肉の塊》《視点》から見ると《自灯明》。

「オーム・マニ・パドメ・フム」と《自灯明

  1. たけ(tk)訳「オーム・マニ・パドメ・フム」:「宇宙の始めと終わり。(ぬかるみから現れた)蓮の花からダイアモンドが、ポン!」
  2. まあ、そういうことだ。
  3. 『オーム・マニパドメ・フーム』チベット教のタントラ。六界輪廻をさ迷うカルマを浄化するため、観音菩薩の加護を受けるためのもの。とかや。

自灯明》と『神の光り』(カバラ)

  1. 神の光は、ヒトを惑わす強烈な光
  2. 自灯明は、行灯の中で揺れる炎のように、か細いが、モノを照らし出すには十分な光
  3. 神の光は思い込みの中にあり、
  4. 自灯明モノ世界の中にある。
  5. 強い思い込みによって突き抜けること、
  6. 思い込みを捨てることによって突き抜けること。
  7. 世界は思い込みによって、完全に描かれた。とするなら、その思い込みに入り込むという方法もある。
  8. そういえば、マルクスが描き出した世界は完璧であるように見えた。弁証法は完璧を保障する。しかし、完璧に見えたのは、絵画的に描かれた図式のほうである。その図式は、もちろん、完璧ではない。
  9. 弁証法への思い入れは、モノ世界への見通しを要求する。
  10. 弁証法は説明的理性である。

自灯明》と《浄化》

  1. 自灯明》は、それにまとわりついたモノの内部を、半透明にし、透明にし、浄化し、空洞化し、そのモノの内部から、そのモノの表面を照らしだす。

《体内感覚世界》と《自灯明

  1. 《体内世界》を照らす光を《自灯明》という。
  2. 自灯明》がなければ《体内世界》は闇である。
  3. Thu, 23 Nov 2006 18:54:50 +0900 のメールを書いているうちに突然現れた。
  4. 自灯明》は《他者》への《繋がり》を照らし、その先の《他者》も照らして、その姿を浮かび上がらせる。

関連

  1. 「生きる意味について」
Last modified:2006/12/16 13:11:48
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