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此時此処

此時此処》=《今・ここ》に関連する疑問

  1. 此時此処とはどのようなモノか? 観察して、レポートせよ。
  2. 意識すれば在り、見失えば無い。といようなモノ?○:。×:。
  3. 《知りつつあるモノ》の対象が此時此処である。か?○:。×:。
  4. 《宇宙史》の中心である。か?○:《宇宙史》を、《今ここのこの身体の周りの物理的世界時間的・空間的延長の全体》という主観的な存在として定義してある、というだけの話。×:。
  5. 此時此処は広がりを持った場所である?○:モノたちは此時此処の中にある。×:。
  6. 此時此処は広がりを持った場所の中の1点である?○:モノたちは此時此処の周りにある。×:。
  7. 此時此処」というコトバは《此時此処》というモノを指し示す?○:。×:。
  8. 此時此処』という《思い描き》は《此時此処》というモノを指し示す?○:。×:。
  9. 此時此処からは生きる力とか、生きる働きは出てこない?○:生きる苦しみも、欲求も出てこない。生きる動き《身体》にある。×:。
  10. 此時此処の周辺には《身体》《近傍物理空間》《背後者時空》とがある。《背後者時空》の全体は《宇宙史》である。《背後者時空》《近傍物理空間》との境界=《直知限界》=は感覚器官の種類によって異なる。聴覚時空の《直知限界》と視覚時空の直知眼界とでは異なる。
  1. 爆噴?
    1. ○:
      1. 爆発的に噴出しつつある此時此処此時此処からの爆発的な噴出。爆発的な噴出に覆い隠された此時此処
      2. 爆噴でよい。爆噴は《混濁しつつある身体》である。《体内時空》は《混濁》に沈む。
      3. 此時此処の此の身体》(イコシン、いまここのこのしんたい)。爆噴は行=《噴出》《視点》における《此時此処の此の身体》である。
    2. ×:。
  1. 此時此処」が在る、ということは、「時空」が在る、というのと同じことである?○:此時=時間の点、此処=空間の点。×:。
  1. 《見失い》の状態で此時此処は在るか?○:《客観公理》。×:。
  1. 此時此処《私》が無くても存在する?
    1. ○:
      1. 《宇宙史》のすべての時刻のすべての場所において、此時此処は存在する。
    2. ×:
      1. まさか。
      2. 今・ここ》は話者相対的な概念である。
      3. 語りつつあるモノ》がなければ存在しない概念である。《私》と同様である。
  1. 此時此処』と念じたときに、此時此処に常に在るモノは?
    1. 《向こう側の背後者》=向こう側の《背後者》?○:。×:。
    2. この《知りつつあるモノの背後者》?○:。×:。
    3. この《知りつつあるモノ》?○:。×:。
    4. 《此時此処からの時空》?○:。×:。
    5. 《身体》?○:《此時此処に何時も在るコレ》を《身体》と呼ぶことにしたのだ。×:。
    6. 《体外時空》?○:《此時此処に何時も在る身体》の周りにある《此時此処に何時も在るソッチ》を《体外時空》と名づけるのだ。×:。
    7. 《体内時空》?○:。×:。
    8. 空気?○:。×:プールで潜ったときには、此時此処空気は無かったよ。
    9. 《体内混濁》?○:。×:。
    10. 《混濁》?○:。×:。
  1. 此時此処に常に在るモノは何も無い?
    1. ○:《知りつつあるモノ》でさえ常に在るわけではない。此時此処でさえ常に在るわけではない。『此時此処』と念じれば此時此処は常に在るが、そんなの、常に在るとは言わない。
    2. ×:。
  1. 此時此処・100
    1. ○:
      1. 名色は存在の《視点》での此時此処の一切である。
      2. 受は《知られつつある世界》としての此時此処の一切である。
      3. 想は《思い描き》《噴出》である。『此時此処に在る一切』の《思い描き》は、《思い描き》である。
      4. 行は《噴出》《視点》での此時此処の一切である。
      5. 識は《知りつつあるモノ》である。《此時此処からの一切》《知りつつあるモノ》である。
      6. 此時此処の一切?、此時此処に在る一切?、此時此処からの一切?。
      7. 1:扉を開く。2:混濁身体。3:色受想行識。
      8. 五蘊への一望は簡単なコトではない。
        1. 名色は一切の《物理時空》(色)を一切の幻(名)の合計だから、一切の《直知時空》。一切の《直知時空》、はそのまま一切の感受作用《知られつつある世界》だね。(感受作用は、視覚時空と聴覚時空とは別物だね。触覚時空とも別物だな。でも、)一切の《直知時空》は、《知られつつあるモノ》であるから、一切の《感受作用》と同じだね。一切の《直知時空》は、背後者からの《噴出》だから、一切の行というのと同じだね。
        2. 一切の行は、一切の《噴出》。一切の《噴出》は、一切の現れだから、一切の《直知時空》と同じだね。
    2. ×:。
  1. 的確な表記は?
    1. 此時此処?○:中国語の「此時此地」由来。×:。
    2. 今・ここ?○:。×:。
    3. いまここ?○:。×:「いまここのこのxx」なんて、止めて欲しい。
    4. いま・ここ?○:。×:。
  1. 此時此処」というコトバは、その言葉を発しつつある時と場所を特定する。か?
    1. ○:語り手の視点・気持ちとしては、「此時此処」というコトバでその言葉を語りつつある時と場所を特定したはず。
    2. ×:聞き手の視点では、(a)「此時此処」はどんな時のどんな場所にもあります。(b)「此時此処」は、その言葉を聞きつつある・読みつつある時と場所を指し示す。

此時此処》=《今・ここ》とは?

  1. 中国語版のウィキペディアの「此在」(日本語では「定在」「現存在」)の説明の《今・ここ》が「此時此地」と表示されていた。「ここ」は日本語でも元々「此処」なので、「此地」→「此処」に変更して、借用する。
  2. https://zh.wikipedia.org/wiki/此在
  3. 此在(語:Dasein)是海格尓在他的巨著《存在与時間》中提出的哲学概念。Dasein一詞无法翻訳成中文的術語,它由両部分組成:da(此時此地)和sein(存有、是)。
  4. 「此在」(ドイツ語:Dasein)はハイデガーの巨著《存在と時間》の中で提出された哲学概念である。Dasein という一語をそのまま翻訳できるような中国語的な術語は無い。二つの部分から組成されている:da(此時此地、いまここ)と sein(存有、是、ある)である。

区別

  1. 《宇宙史》の原点である?○:《宇宙史》の正式名は《今ここのこの身体の周りの物理的世界時間的・空間的延長の全体》(いこうし)。×:。
  1. 此時此処と書くべきか?○:「いまここ」と読んでもらう。×:。

検索

《動きつつあるモノ》 - [#『予定』は《今・ここ》の《私》からの未来の《私》への《私のコトバ》である。]

《混濁》 - [《混濁》《今・ここの・このモノ》]

《思いこみ》 - [#感謝の気持ちは、あるのか? たしかに、あるとき、「わー、xxさんがxxしてくれて助かった、感謝感激」と思った記憶はある。しかし、《今・ここの・このモノ》の中に感謝の気持ちを捜そうとしても見つからない。]

モノ - [#《今・ここの・このモノ》は『ヒト』という種類のモノか?]

《サル山のサル》 - [#《サル山のサル》《今・ここの・このモノ》である。]

《いま・ここの・この肉の塊》 - [# もろもろの《思いこみ》《息しつつあるモノ》《今・ここの・この肉の塊》の間に生じる。]

《在る》 - [#《今・ここの・この肉の塊》の周りの、透明な気体、風によってその存在を感じるような気体を、「空気」というコトバで指し示すとする、と、「空気《在る》」か?]

《たけ(tk)の思いこみ》 - [#「《今・ここの・このモノ》がどのようなモノであるかを、コトバで記述することが《たけ(tk)の思いこみ》の記述の目的である」が最初のコトバである、か? ○:《思いこみ》を全部捨てた状態から、弁証法によって《健常者》《思いこみ》に至る記述。×:。]

《息しつつあるモノ》 - [#《息しつつあるモノ》世界は、《今・ここの・この肉の塊》《体内世界》−《体外世界》−モノたちの《体内世界》]

時間 - [#《今・ここの・このモノ》は『過去』『現在』『未来』の『時間』を思い込むことができる。しかし、それは、《モノの世界》の中での時間では《現在》において為されることである。《思いこみの世界》の中の『時間』は、《モノの世界》の中での《時間》とは直交している。12時00分に『過去』『現在』『未来』を考えることができ、12時10分にも『過去』『現在』『未来』の『時間』を考えたとする。すると、それらの《思いこみの世界》の『時間』は、《モノの世界》の《時間》と直交した場所にあることが分かるだろう。《モノの世界》の《時間》を実数軸であると考えるなら、《思いこみの世界》の『時間』は、いわば、虚数軸の時間であると考えることができる。]

同一性』 - [#《内からの視点》も変化しつつ持続し、時間を超えて『同一性』を保って存在する。《今・ここの・この肉の塊》《内からの視点》が、そうである。《永遠の今》も変化しつつ持続し、時間を超えて『同一性』を保って存在する。]

《ユートピア》 - [#《混濁》大自然の営みである。《混濁》大自然の営みの一部として、《今・ここの・このヒト》の内部に生じた現象である。大自然の営み《知りつつあるモノ》大自然の営みである。大自然の営みは、反省的に自らを知る《動き》を含む。]

《決めつつあるモノ》 - [#《混濁しつつあるモノ》《浄化》されれば、《決めつつあるモノ》となる。《浄化》された《混濁しつつあるモノ》、の名前がないな・・。《今・ここの・このモノ》《混濁しつつあるモノ》と、浄化された《混濁しつつあるモノ》の両方を意味している。]

《他者》 - [#《他者》の出現によって撹乱される程度の《知りつつあるモノ》というのは、《今・ここの・このモノ》の中に安定的な存在を得ているとはいえない。]

《私》 - [#「私」というコトバが指し示すモノは、《今・ここの・このモノ》であると共に、それが、過去・未来に向かって、同一性を保って持続している《このモノ》である。《今・ここの・このモノ》同一性を保って持続する《あの時・あの場所の・このモノ》の総体である。]

『よい』『わるい』 - [#過去の《私》の選択はすべて『よい』である。存在するモノはすべて『よい』である。《今・ここ》のこの《肉の塊》の次の《動き》の選択以外は、すべて『よい』である。]

コトバ - [#《あの時・あそこの・あのヒト》の一人称体験。《今・ここの・このヒト》]

《鏡の向こうからの眼》 - [# 《今・ここの・この肉の塊》 - [《肉の塊》 - [#《肉の塊》の鏡像と《肉の塊》を見比べるなら、この《肉の塊》を『在らしめているモノ』は執着である。]]]

「《知りつつあるモノ》はある」か? - [#「(《今・ここ》の空気中に)酸素はある」]

《サル山のサルの群れ》 - [#《サル山のサル》《今・ここの・このモノ》である。]

《内からの視点》 - [#《今・ここの・この肉の塊》《内からの視点》からの、《世界》を経由した、《モノたち》への《外からの視点》。]

《視点》 - [《今・ここ》の《視点》と、《持続する時間の・ここ》の《視点》。]

目的 - [#「命令を拒否せよ」という命令は、否定的自己言及命令だな。あ、そうか、造反有理、か。造反には道理がある場合もある、というように、相対的に理解すべきである。実存的自由は、無原因性の自由なので、すべての原因・命令を絶対的に拒否せよ、という絶対的命令である。絶対的な、否定的自己言及命令である。それはそれで、パラドックスを極限まで突き詰めて、突き抜けてカオスに至り、カオスを突き抜けて《今・ここの・このモノ》に至る、というのは、善いことだ。]

『なすべきこと』 - [##(2)世のため人のため、《他者》のため『仲間』のため《群れ》のために《今・ここの・この肉の塊》を活かすこと。]

《ちから》 - [《今・ここの・この肉の塊》 - [《選びつつあるモノ》 - [#《私》が『呼吸停止の実験をしてみよう』と思って、しばらく息を止めて観察するのは、選択である、か? そういう《思いこみ》が生じたのは《背後者》からの《ちから》の故であるかもしれない。《私》がこの《肉の塊》であるなら、この《肉の塊》の内部に在る《背後者》も含めたモノ《私》である。《背後者》も含めて考えれば、《私》《選びつつあるモノ》である。]]]

循環》 - [《息しつつあるモノ》 - [#4 《繋がり》《感じ合い》《動き合い》《繋がり》《私》と《彼ら》との感受性と表出との循環関係。モノのレベルでの《繋がり》。魄の《繋がり》《身体》《内からの視点》。繋がった《身体》《内からの視点》。《繋がりつつある身体》の《内からの視点》《今・ここの・この肉の塊》モノのレベルでの感受性と表出モノのレベルでの《知ること》と《動くこと》への《内からの視点》からの《見通し》モノのレベルでの《繋がり》への《内からの視点》からの《見通し》。モツウミ=モノのレベルでの繋がりへの内からの視点からの見通し。]]

《視点のパラメータ》 - [#我々の《視点》《今・ここの・このモノ》の主観的《視点》も、諸々の情報から演算によって再構成されたモノ。《あの時・あの場所の・あのヒト》の《視点》も、適切な情報があれば演算によって再構成可能である、ということ。]

《繋がり》 - [#《繋がりつつあるモノ》は何か? 《私》か? 《私》とは? 《今・ここの・この肉の塊》か? この《肉の塊》か?]

古い概要1 - [#《今・ここ》に《息しつつあるモノ》がある。]

空気》 - [#日本的《アニミズム》の精神現象学が必要だな。あそか、《たけ(tk)の思いこみ》目的《アニミズム》の精神現象学なのか。《思いこみ》を全部捨てた、モノの状態、《今・ここの・このモノ》の状態から記述を始めるべきであろう。]

《絶対者公理》 - [#《今・ここの・この肉の塊》《息しつつあるモノ》は、あのモノにあるはずの《息しつつあるモノ》と交換可能ではない。]

《動き合い》 - [《息しつつあるモノ》 - [#4 《繋がり》《感じ合い》《動き合い》《繋がり》《私》と《彼ら》との感受性と表出との循環関係。モノのレベルでの《繋がり》。魄の《繋がり》《身体》《内からの視点》。繋がった《身体》《内からの視点》。《繋がりつつある身体》の《内からの視点》《今・ここの・この肉の塊》モノのレベルでの感受性と表出モノのレベルでの《知ること》と《動くこと》への《内からの視点》からの《見通し》モノのレベルでの《繋がり》への《内からの視点》からの《見通し》。モツウミ=モノのレベルでの繋がりへの内からの視点からの見通し。]]

善良な人々》 - [《善良な人々》と《今・ここの・この肉の塊》]

ゴミ箱2007-06 - [#これは《絶対者公理》ではない。《我》時間にも依存しない。時間《我》がなければ存在しない。《絶対者公理》における時間は、《我》が依存するモノではない。おそらく、《今・ここの・このモノ》と共にある、《永遠の今》が《絶対者公理》の帰結になると思われる。]

《知りつつあるモノ》 - [#《知りつつあるモノ》が、《他者》の出現によって撹乱されるモノであるとするなら、《知りつつあるモノ》は、《今・ここの・このモノ》の中で安定的な輪郭を持っているとはいえない。]

『共同幻想論』 - [『国家は国民のすべてを足もとまで包み込んでいる袋みたいなもので、人間は・・いずれこの世界に存在しているかぎり、人間は誰でも外に出ることはできない』という《思いこみ》こそが共同幻想である。『伝聞世界』実在論。憑き物である。『私は群れの一員である』というのは《思いこみの世界》の中でのみ真実であり得る。《今・ここの・この肉の塊》である《私》《群れ》の一員であることはありえない。《群れ》ではなく《他者》との《繋がり》が在るだけである。しかし、《思いこみの世界》における『私』は『群れ』の一員なのである。《私》は『私は群れの一員である』という《思いこみ》によって行動し、それによって、《他者》から『彼(私)は群れの一員である』という承諾を得ることができる。《他者》からの『彼(私)は群れの一員である』という《思いこみ》を維持することができる。帰属意識という《思いこみ》。]

客観的 - [#《《今・ここの・このヒト》の目の前にあるコップ》というモノと、「《今・ここの・このヒト》の目の前にあるコップ」というコトバとの関係。「《今・ここの・このヒト》の目の前にあるコップ」というコトバは《《今・ここの・このヒト》の目の前にあるコップ》というモノを指し示している。この指し示しの関係は、客観的ではありえない。か? 《今・ここの・このヒト》時間的・空間的・人格的に特定できるなら、「《今・ここの・このヒト》の目の前にあるコップ」というコトバは《《今・ここの・このヒト》の目の前にあるコップ》というモノを、客観的に、指し示している。]

cogito, ergo sum - [#「人が創造されたものである」というドグマ。何かのモノが、世界を創り出した、というドグマ。何かのモノが創り出したのか、それ自体のカオス的運動の結果として生まれたのか、それ自身の《動き》の結果として生じたものか。世界の中の過去のモノたちの《動き》によって、今のこのモノが生まれ、今のモノたちとの関係、そのモノの内部との関係、未来への予感との関係で、《今・ここの・このモノ》動くのか。キリスト教的な創造主のドグマに惑わされなければ、「自分を創造したもの」を確認するという発想は出てこないだろう。]

《地球》 - [#《私からの視点》からの《宇宙史からの視点》からの《私からの視点》からの『一切』。《私の視点》からの《宇宙史からの視点》は、仮想的な物理世界の時空の『一切』という《思いこみ》からの《視点》である。《宇宙史からの視点》からの《私からの視点》は、ちっぽけな銀河系のちっぽけな太陽系のちっぽけな《地球》《地表のヒトの群れ》の百億分の一の個体のなかの《視点》である。《私からの視点》からの《宇宙史からの視点》からの《私からの視点》は、仮想的な物理世界の時空の『一切』という《思いこみ》《視点》からの、ちっぽけな銀河系のちっぽけな太陽系のちっぽけな《地球》《地表のヒトの群れ》の百億分の一の個体のなかの《視点》である。それの『一切』といってもちっぽけだなぁ。それの『一切』と、《今・ここの・この肉の塊》『一切』とは同じモノなのか?。《宇宙史からの視点》からの《私からの視点》からの『一切』《思いこみの世界》の中の『一切』である。《思いこみの世界》《今・ここの・この肉の塊》『一切』のごく一部である。相互包含関係。『ちっぽけな《私》』は《思いこみ》である。]

《群生相》 - [#《今・ここの・このモノ》《孤独相》である。《今・ここ》には《群生相》《動きつつあるモノ》はない。《今・ここ》には《孤独相》からの、《群生相》での《動点》への《見通し》が在るだけ。]

《繋がりつつある肉の塊》 - [#大地と《繋がりつつあるモノ》地球《繋がりつつある肉の塊》地球の中心と《繋がりつつある肉の塊》地球の中心に鏡を置いて、それを通して見通しつつある《繋がりつつある肉の塊》。圧倒的な大きさに負けつつある《肉の塊》地球の大きさを意識しない《今・ここの・この肉の塊》地球は恐くない、ヒトが恐い。]

《思い描きつつあるモノ》 - [#《思い描き》《今・ここの・この肉の塊》の中に在る。《今・ここの・この肉の塊》《思い描き》の中に在る。相互包含関係。無限包含関係。]

FrontPage - [《思いこみ》をすべて捨てて《今・ここの・このモノ》に至った状態から記述を始める。どうやって《思いこみ》を捨てるか、すべて捨てるにはどうすればよいかは、各自工夫してくれ。]

《今・ここの・この肉の塊》 - [タイトルに一致 今・ここ]

《体細胞の群れ》 - [《今・ここの・このモノ》 - [#《今・ここの・このモノ》《肉の塊》である。《体細胞の群れ》である。]]

《共振しつつあるモノ》 - [#《今・ここの・このモノ》《肉の塊》であるか?]

《肉の塊》 - [#《今・ここの・この肉の塊》《相対者公理》《視点》か?]

《繋がりつつあるモノ》 - [#《繋がりつつあるモノ》《今・ここの・このヒト》《他者》と繋がりつつあること。モノ《今・ここの・このヒト》である。]

《見通し》 - [##《今・ここの・このモノ》《アニマ》と、《あの時・あの場所の・あのモノ》の《アニマ》。]

『一切』 - [#《息しつつあるモノ》《視点》においては、『一切』は、《今・ここの・この肉の塊》と、その内部の《世界》である《体内世界》と、外部の《世界》である《体外世界》とで構成される。]

《選びつつあるモノ》 - [#《私》《今・ここの・この肉の塊》である。]

心の作用」 - [多次元輪郭空間 - [#《思いこみ》《視点》は、《今・ここの・このモノ》《視点》から見て、《思いこみ》の中にある。《今・ここの・このモノ》《身体》の中の《思いこみ》の中にある。実際には、心の作用であり、《身体》の中にあるのだが、《身体》の外部あるように感じられる。《身体》の外部のものに《重ね合わせ》ることもできる。虚数軸の方向にある。虚数軸の方向に膨らんだ《身体》の中にある。《虚数軸の方向に膨らんだ身体》。《重ね合わせ》とは、虚数軸方向にある《思いこみ》を、実数方向にある《身体》外部のもの、や、別の《思いこみ》などに重ね合わせることである。]]

永遠の今 - [ゴミ箱 - [#これは《絶対者公理》ではない。《我》時間にも依存しない。時間《我》がなければ存在しない。《絶対者公理》における時間は、《我》が依存するモノではない。おそらく、《今・ここの・このモノ》と共にある、《永遠の今》が《絶対者公理》の帰結になると思われる。]]

多次元輪郭空間 - [#《多次元輪郭世界》は、《多次元輪郭空間》の座標軸の原点を、《今・ここの・このモノ》《視点》に置いた場合の《多次元輪郭空間》である。]

ドメイン》 - [#《今・ここの・このモノ》の《ドメイン》から、日常生活の《ドメイン》を見通すことは可能か? 《今・ここの・このモノ》の《ドメイン》から、日常生活の《ドメイン》を解釈すること。解釈する側の《ドメイン》のコトバに翻訳すること。見通される側の《ドメイン》の事物を、見通す側の《ドメイン》のコトバで記述すること。それを双方向で行うこと。]

《道具的な思いこみ》 - [#『ヒト』というのは《道具的な思いこみ》である。《今・ここの・このモノ》ヒトという種類のモノであるか、というのは『ヒト』という《道具的な思いこみ》による分類に依存している。]

認識限界》 - [##《認識限界》は《今・ここの・このヒト》の状態によって変わる。《認識限界》は、《知りつつあるモノ》の状態によっても異なる。(地動説的な説明方法)]

《共振しつつある身体》 - [《共振しつつある身体》《今・ここの・このモノ》]

科学 - [しかし、我々がいま、もっとも必要としているのは、科学ではなく、《今・ここの・このヒト》『なすべきこと』という当為の問題である。科学は、我々の必要性の度合においては、2次的もしくはそれ以下の必要性をもった知識である。]

《自己言及しつつあるモノ》 - [ * 目的 - [#「命令を拒否せよ」という命令は、否定的自己言及命令だな。あ、そうか、造反有理、か。造反には道理がある場合もある、というように、相対的に理解すべきである。実存的自由は、無原因性の自由なので、すべての原因・命令を絶対的に拒否せよ、という絶対的命令である。絶対的な、否定的自己言及命令である。それはそれで、パラドックスを極限まで突き詰めて、突き抜けてカオスに至り、カオスを突き抜けて《今・ここの・このモノ》に至る、というのは、善いことだ。]]

ボス猿 - [#《視点》依存的なモノは、モノではない? 《視点》依存できでないモノはあるか? 《今・ここ》にあるコーヒーカップは、地球物理学の《視点》においてモノであるか? 《今・ここ》にあるコーヒーカップは天文学においては、天文学的なモノではない。天文学においてはモノではない。《今・ここ》にあるコーヒーカップは、《視点》依存的なモノである。]

《思いこみの噴出》 - [#《思いこみの噴出》は、《今・ここの・このモノ》が生きているかぎり、やむことはないであろう。《噴出》された《思いこみ》《浄化》が重要になる。《息しつつあるモノ》《思いこみ》《浄化》に役に立つ。モイフン・イシモという《呪文》《思いこみ》《浄化》に役に立つ。]

《ライフオブジェクトの群れ》 - [#『ここから右に曲がった所にxxがあるはず』という記憶。『世界情報。直交座標的認知。『世界情報の中で、『今、《私》はここにある』『《今・ここ》に在る《私》世界の中で右に曲がった所に移動させれば、《私》はxxに出会うはずだ』よって《私》はそのように行動する。]

『悪』 - [#たとえば、《今・ここの・このモノ》は、人々は『たけ(tk)』という名前であると思っているが、これも、《群有思いこみ》である。]

「AならばB」 - [《今・ここの・このモノ》「AならばB」]

《今・ここの・このモノ》 - [タイトルに一致 今・ここ]

《混濁しつつあるモノ》 - [#《今・ここの・このモノ》《混濁しつつあるモノ》である。]

《視点の移動》 - [#《今・ここの・このモノ》の中の《知りつつあるモノ》からの《視点》。]

《ブッダの「一切」》 - [#《いま》が《仕合わせ》であれば、欠けているモノはない。《他者》との《仕合わせ》モノたちとの《仕合わせ》《宇宙史》との《仕合わせ》イデアたちとの《仕合わせ》。が《今・ここの・このモノ》にあれば、欠けているモノはない。]

『思想と動くもの』 - [#《今・ここの・このヒト》《視点》が極座標の原点であるということは、それをあるがままに受け入れれば、分かる、ということ。]

   * 《複素数の時空》 - [《今・ここの・このモノ》 - [#《他者》は複素数の座標軸の原点である。《他者》にも虚数軸の時空がある。]]
   * クオリア - [#《他者》は、《今・ここ》でクオリアを感じつつある《私》のクオリアとは質が異なる。]

《怯えつつあるモノ》 - [#《今・ここの・このモノ》《怯えつつあるモノ》である。《他者》からの記憶《怯えつつあるモノ》である。《他者》の出現に《怯えつつあるモノ》である。]

絶望』 - [#《思いこみの世界》の『絶望』(液体状)→《身体》の『絶望』(固体状)→空間の『絶望』(気体状)→モノたちの『絶望』(粒状)→固体状の『絶望』(眠り?、《宇宙史》?)→液体状の『絶望』(夢?《思いこみ》?)→《今・ここの・このモノ》の『絶望』→《体内感覚世界》の中のモノたちの『絶望』。《体内世界》モノたちの『絶望』。((《体内感覚世界》《知った思いこみ》の前面世界であるが、《体内世界》《息しつつあるモノ》世界であり、《知った思いこみ》《背後者世界》を含む))→《体外世界》のモノたちからの『絶望』。→《今・ここの・この世界》の『絶望』の《噴出》《息しつつあるモノ》への《噴出》《息しつつある複素時空》からの『絶望』の《噴出》《息しつつある複素時空》《背後者》からの『絶望』の《噴出》。→後頭部の《痛み》もしくは《ちから》記憶《噴出》。『絶望』の原因となった諸々の記憶《動き》《状況》記憶噴出。→《他者》たちへの記憶。→意志、頭の中央後部の肉の《ちから》としての意志。]

《息しつつある背後者回路》 - [#《涅槃寂静》は《今・ここの・このモノ》である。《涅槃寂静》は煩悩の嵐である。嵐のように《噴出》する煩悩を(《息しつつあるモノ》を通じて?)捨てつつあるモノである。]

《我》 - [#少なくとも、《今・ここの・このモノ》、この《肉の塊》《自己言及しつつあるモノ》である。この《肉の塊》は、《背後者回路》をもった、構造的なモノである。自己言及回路を持ったモノである。自己言及回路は、《知りつつあるモノ》にとっては、その一部が背後に隠された回路である。]

   * 『哲学の根本的問い』 - [#コトバと《思いこみ》とモノとは、それぞれ離れて存在する。コトバは《思いこみ》を指し示し、《思いこみ》はモノを指し示すことができる。おそらく、うまく処理すれば、コトバが《思いこみ》を的確に指し示し、《思いこみ》がモノを的確に指し示すことができるだろう。その両者を実現できれば、コトバはモノを的確に指し示すことができるようになるだろう。しかし、モノを的確に指し示している《思いこみ》を、コトバが的確に指し示す、ということが、果たして可能なのかどうか・・。「モノを的確に指し示している《思いこみ》」というのは《今・ここ》の《思いこみ》である。しかし、コトバが指し示すことができる《思いこみ》というのは《いつでも・どこでも》の《思いこみ》でしかないのではなかろうか?]

《群れのアニマ》 - [#我々が、クオリアを感じる、ということは、『(我々が、《今・ここの・このモノ》が)クオリアを感じている』というクオリア情報が、《体細胞の群れ》のなかで、その形で再構成され生成され、循環しているということである。]

輪郭 - [《今・ここの・このモノ》 - [#《今・ここの・このモノ》ヒトか? 『ヒト』という種類のモノである。《今・ここの・このモノ》はその時間の全体性において、大部分の時間を『ヒト』として動いている。《今・ここの・このモノ》は、その時間的全体性において《今・ここの・このヒト》である。《相変異》。《今・ここの・このヒト》は《相変異》を通じて《今・ここの・このモノ》になるが、それは一時的な状態である。《今・ここの・このモノ》が一時的に《今・ここの・このヒト》になるのか? 相変異は《ドメイン》の移行であり、《ドメイン》はそれぞれの原理に基づいて世界を構成している、ヒトの《ドメイン》の原理においては《今・ここの・このヒト》が本来の姿であり、モノの《ドメイン》においては《今・ここの・このモノ》が本来の姿である。《視点》の移行、多次元輪郭空間。絶対者の《視点》を出発点とするなら、モノの《ドメイン》における《今・ここの・このモノ》《視点》が出発点となる。《視点のパラメータ》。]]

原因 - [目的 - [#「命令を拒否せよ」という命令は、否定的自己言及命令だな。あ、そうか、造反有理、か。造反には道理がある場合もある、というように、相対的に理解すべきである。実存的自由は、無原因性の自由なので、すべての原因・命令を絶対的に拒否せよ、という絶対的命令である。絶対的な、否定的自己言及命令である。それはそれで、パラドックスを極限まで突き詰めて、突き抜けてカオスに至り、カオスを突き抜けて《今・ここの・このモノ》に至る、というのは、善いことだ。]]

《浄化球》 - [#0〜∞(《今・ここ》から無限遠点)を、0〜1(《浄化球》の中心と表面)に変換して縮尺した鏡像を描くこと。arctanで縮尺すれば可能。]

キーワード - [# 《今・ここの・このモノ》]

《指し示す思いこみ》 - [#「モノの輪郭や属性や要素やそれらの結合状態と(《今・ここの・このモノ》の)《視点》との《繋がり》によって」それを《指し示す思いこみ》が生じ、その《指し示す思いこみ》を指し示すコトバが生じる。]

《特別者公理》 - [#たけ(tk)アニミズムは、《今・ここの・このモノ》に認識主体性があるのだから、モノには認識主体性がある、という仮説である。]

『私』 - [#感謝の気持ちは、あるのか? たしかに、あるとき、「わー、xxさんがxxしてくれて助かった、感謝感激」と思った記憶はある。しかし、《今・ここの・このモノ》の中に感謝の気持ちを捜そうとしても見つからない。]

《アニマ》 - [#《今・ここの・このモノ》にある《アニマ》《我》と呼ぶ。]

《群れの中の個体》 - [#《混濁しつつあるモノ》は《モノの群れ》の中にある。モノにはヒトという種類のモノもある。《混濁しつつあるモノ》モノ《繋がりつつあるモノ》である。ヒト《繋がりつつあるモノ》である。《繋がりつつある混濁》である。《繋がりつつある混濁》《群れつつある混濁》に発展する。《今・ここの・このモノ》《群れつつあるモノ》となる。モノ《群れつつあるモノ》であり、ヒト《群れつつあるモノ》である。]

ゴミ箱2006-06 - [#ヒトは、その人の《今・ここの・このモノ》《視点》からしか、《求める思いこみ》を秩序化することができない。それでよいのである。それしかできないのである。できないことを求めるのは悪である。]

《楽しみ》 - [『なすべきこと』 - [#《拡大された私》における、《ブッダの「一切」》。《拡大された私》とは《ヒトの群れ》の現れとしての《今・ここの・このモノ》である。《拡大された私》は《拡大された私》の《楽しみ》を求める。《拡大された私》は《拡大された私》の健康を求める。《拡大された私》は《拡大された私》の《ブッダの「一切」》を知ろうと欲する。《拡大された私》は《背後者身体》としての《身近な人びと》を背後に感じ、《拡大身体》としての《身近な人びと》を拡大された体内感覚で感じる。]]

《他者の知りつつあるモノ》 - [#《複素数の時空》においては、《他者》もまた、というか、実数軸の時空の全ての点で、《背後者世界》虚数軸の世界=が広がっている。《私》《知りつつあるモノ》《今・ここの・このヒト》の中での《複素数の時空》の原点であるなら、その原点を《他者》《知りつつあるモノ》に移動することも可能である。《視点の移動》。]

『群れの中の私』 - [#《今・ここの・このモノ》の中に《為しつつあるモノ》がある。]

ゴミ箱2006-05 - [#我々の《視点》《今・ここの・このモノ》の主観的《視点》も、諸々の情報から演算によって再構成されたモノ。《あの時・あの場所の・あのヒト》の《視点》も、適切な情報があれば演算によって再構成可能である、ということ。]

《アニミズム》 - [《特別者公理》 - [#たけ(tk)アニミズムは、《今・ここの・このモノ》に認識主体性があるのだから、モノには認識主体性がある、という仮説である。]]

《知りつつある混濁》 - [#《知りつつあるモノ》の直接知の《視点》では、《知りつつあるモノ》の正体が分からない。従って、《知りつつあるモノ》の直接知の《視点》は、再び《混濁》に陥る。その《混濁》の中で発見されるモノ《今・ここの・このモノ》であり、《今・ここの・このモノ》《混濁しつつあるモノ》である。《混濁しつつあるモノ》は、《混濁しつつあるモノ》自身を《知りつつあるモノ》である。従って、《今・ここの・このモノ》《知りつつある混濁》である。]

自由視点テレビ」 - [#我々の《視点》《今・ここの・このモノ》の主観的《視点》も、諸々の情報から演算によって再構成されたモノ。《あの時・あの場所の・あのヒト》の《視点》も、適切な情報があれば演算によって再構成可能である、ということ。]

《共振しつつある宇宙史》 - [#《今・ここの・このモノ》にある《アニマ》《我》と呼び、《あの時・あの場所の・あのモノ》の《我》《アニマ》と呼ぶ。]

ノイズ・インデュースド・オーダー - [ノイズ《今・ここの・このモノ》]

統覚 - [《今・ここの・このモノ》の視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・幻覚の全体的、統合的、統一的な感覚主体性のことを「統覚」と呼ぶことにする。]

ゴミ箱2006-04 - [#たけ(tk)は、《他者》の気持ちが分からないから、《他者》には「知覚」がないというように、狭い意味での「知覚」という概念も持っている。たけ(tk)にとっての「知覚」とは《今・ここの・このモノ》の内部の《知りつつあるモノ》だけが持っている作用である。《他者》にある、かどうかは知りえない。想像上では、《他者》にもある、かもしれないが、確認できない。想像上では石ころにもあるかもしれないが、確認できない。なぜなら、《私》《他者》になることも、石ころになることもできないからだ。]

《群れつつあるモノ》 - [《群れの中の個体》 - [#《混濁しつつあるモノ》は《モノの群れ》の中にある。モノにはヒトという種類のモノもある。《混濁しつつあるモノ》モノ《繋がりつつあるモノ》である。ヒト《繋がりつつあるモノ》である。《繋がりつつある混濁》である。《繋がりつつある混濁》《群れつつある混濁》に発展する。《今・ここの・このモノ》《群れつつあるモノ》となる。モノ《群れつつあるモノ》であり、ヒト《群れつつあるモノ》である。]]

デカルトの《我》は検証可能か? - [(2)《他者》クオリア体験は、《私》クオリア体験ではない。《他者》クオリア体験は、《あの時・あの場所の・あのヒト》の体験であり、《私》クオリア体験は《今・ここの・このヒト》の体験である。]

《繋がりつつある混濁》 - [##《今・ここの・このヒト》《思いこみ》としての《繋がりつつある混濁》。]

《個体間関係》 - [#彼が遠隔地(隣の部屋、《近傍物理空間》の外部)に去ったとしても、《今・ここの・このモノ》としての《私》記憶の中に、彼からの《思いこみ》の伝達の記憶があれば、《個体間関係》がある。]

《知られつつある私》 - [#《今・ここの・このモノ》《混濁しつつあるモノ》である。]

虚数軸の世界》 - [《今・ここの・このモノ》 - [#《私》《思いこみ》虚数軸の世界)の中から実空間の中の《他者》を見通すことによって、複素数空間のなかに《他者》を見る。]]

8次元時空》 - [《今・ここの・このモノ》 - [#複素数の時空8次元時空。]]

《今・ここの・このヒト》 - [タイトルに一致 今・ここ]

《求めつつあるモノ》 - [《私》 - [#《今・ここの・このモノ》《求めつつあるモノ》である。]]

《他者のコトバの世界》 - [《今・ここの・このモノ》《他者のコトバの世界》]

『精神哲学』 - [しかしここでは、《知りつつあるモノ》というのは、単に《思い描かれつつあるモノ》としての《知りつつあるモノ》ではなくて、具体的な《いま・ここ》の《身体》の内部において《知りつつあるモノ》(具体的な精神)が、その《知りつつあるモノ》自身を《思い描く》ことによって生ずるような《知りつつあるモノ》である。]

モノ - [#《いま・ここ》の《視点》と、時間的連続の《視点》。]

《いま・ここの・この肉の塊》 - [タイトルに一致 いま・ここ]

《在る》 - [###この《肉の塊》。《いま・ここの・この肉の塊》。]

《たけ(tk)の思いこみ》 - [#《いま・ここの・この肉の塊》が最初のコトバであるか? ○:。×:。]

同一性』 - [《アニミズム》 - [#現実のヒトと『祖先の国』のなかのモノとしての『死者たち』との同一性はどうなのだろうか? 《私》にとっては、彼らが生きていた頃の思い出の中の『彼ら』と、《いま・ここ》で《私》が『祖先の国』の中で見つける『彼ら』とは同一性を保っている。彼らの《アニマ》としての同一性を保っている。]]

モノたちとの対話 - [#別に構わないじゃないか。僕たちは、《いま・ここ》で、このように、在る、それが僕たちの意味さ。その僕たちの意味のどの部分を切り取って意味づけするかは、意味づけするモノの方の能力の問題さ。能力の欠缺にも、そんなに沢山のバリエーションがあるわけではない。]

《プログラミング・オブジェクト》 - [#プロオブはこの《肉の塊》の体内世界に生じる《思い描き》である。《いま・ここの・この肉の塊》。]

《視点》 - [クオリア - [「いま・ここの《我》」の視点からみて「脳科学的成果としての《我》」は、次のようないくつかの捉え方がありそうです。 ]]

『仕事』 - [『仕事』と《いま・ここの・このヒト》]

《視点のパラメータ》 - [#《いま・ここ》の《視点》と、時間的連続の《視点》。]

《今・ここの・この肉の塊》 - [#キーワード→《いま・ここの・この肉の塊》]

『一切』 - [#《いま・ここの・この肉の塊》は《思いこみ》をもち、《サル山のサル》《思いこみ》をもち、《いま・ここの・この肉の塊》は《サル山のサル》として他の《サル山のサル》との《繋がり》をもつ。《サル山のサル》《繋がり》《思いこみ》である。《思いこみ》《動き》を作り出し、《動き》《思いこみ》を作り出す。]

《混濁しつつあるモノ》 - [#《いま・ここ》という何もないはずの一点から、その《背後者》から《混濁》噴出している。《いま・ここ》の《背後者》から《混濁》噴出する。《いま・ここ》の《背後者世界》からの噴出。《いま・ここ》の《過去》からの噴出。《いま・ここ》の虚数軸の世界からの噴出。《いま・ここ》の《未来》からの噴出。《いま・ここ》の《虚数軸の世界》からの《実数軸の世界》への噴出。《いま・ここ》の《虚数軸の世界》の《浄化》。]

《座標変換》 - [複雑系脳理論・ノート - [#神経回路を座標変換すれば、いま・ここの《私》が分かる!!]]

クオリア - [いま・ここの《我》にとっても分かりやすい対応関係において、脳科学的な《我》が解明されていくと思います。 ]

   * 《浄化球》 - [#モノたちは《モノたちの楽しみ》のために存在しており、イキモノたちは《イキモノたちの楽しみ》のために生きている。彼らは《むなしさ》は感じていないようである。過大な《楽しみ》を期待したり、比較したり、執着したりしない。彼らの《いま・ここ》で実現可能な《楽しみ》を実現する。]

相変異》 - [#8次元の世界とは、現象と意味とを統合した世界である。8次元の《いま・ここ》とは、現象と意味とを統合した世界の座標軸の原点である。]

《アニミズム》 - [#現実のヒトと『祖先の国』のなかのモノとしての『死者たち』との同一性はどうなのだろうか? 《私》にとっては、彼らが生きていた頃の思い出の中の『彼ら』と、《いま・ここ》で《私》が『祖先の国』の中で見つける『彼ら』とは同一性を保っている。彼らの《アニマ》としての同一性を保っている。]

虚数軸の世界》 - [《混濁しつつあるモノ》 - [#《いま・ここ》という何もないはずの一点から、その《背後者》から《混濁》噴出している。《いま・ここ》の《背後者》から《混濁》噴出する。《いま・ここ》の《背後者世界》からの噴出。《いま・ここ》の《過去》からの噴出。《いま・ここ》の虚数軸の世界からの噴出。《いま・ここ》の《未来》からの噴出。《いま・ここ》の《虚数軸の世界》からの《実数軸の世界》への噴出。《いま・ここ》の《虚数軸の世界》の《浄化》。]]

《ヒトの個体》 - [かつて存在したモノは、四次元チューブとしての《客観世界》の中に存在するモノなのではないか? いま・ここの《近傍物理空間》の中に存在しないモノは、直接にその存在を検証することができない。その意味では同じである。《客観世界》とのものが《思いこみ》なのであるから、《客観世界》の中にあるモノもすべて《思いこみ》である。《思いこみ》の概念が広過ぎる。]

ゴミ箱2005-06 - [#研究者が、いま・ここの《我》に現前する研究対象と仮説との対応関係を確認することだ。]

複雑系脳理論・ノート - [#神経回路を座標変換すれば、いま・ここの《私》が分かる!!]

Last modified:2017/08/09 18:29:20
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