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《愚かな人々》

《愚かな人々》

  1. キーワード

定義

《愚かな人々》とは《私》の鏡像である。

  1. 《私》の愚かさへの鏡像非難である。
  2. 《愚かな人々》を嘆きはじめたということは、自らの愚かさに気がつきはじめたということである。《私》は、外部からみれば、《愚かな人々》なのである。《私》は行動においては《愚かな人々》の一員なのである。《私》を客観的に見ることができるようになったということである。

《怯え》のために、自らの《求める思いこみ》とは反対の《動き》をする人々、を愚かな人々という。

  1. 愚かであることが賢明な選択である場合も多い。
  2. 稲や小麦は、むざむざ食べられるほど愚かであるが、その愚かさは種の繁栄にとっては、賢明な選択なのである。
  3. 愚かであること、愚直であることは、『よい』選択であることが多い。賢いことは、悪賢いことでもある。
  4. 『知る』ことは『生きる』ことの手段に過ぎない。『知る』ことは『生きる』ために役に立つ場合もあるし、障害になる場合もある。

《他者》が彼の《見通し》コトバにしたモノを、聞いて、そのコトバをトレースすることしかできないヒトを愚かなヒトという、

  1. 自分の《見通し》を語るコトバをもたないヒトを、愚かなヒトという。
  2. 《他者》を騙す力をもったコトバを語るヒトを、賢いヒトという。(悪賢いヒト)。

区別

《他者》からの《視点》

  1. 相手の身になって考える。相手の身になって物事を見てみる。
  2. 《他者》という《思い描き》への《入り込み》《他者》への《入り込み》
  3. 《他者》への《入り込み》《欲求実現手段》である。《世界》を知ることは《欲求実現手段》である。

縦割り視点と横割り視点

  1. 横の対立の視点と縦の対立の視点。

賢さとは、その人がもっている力を、どのようにいかすか、ということ。(朝日新聞、2008-05-11(日))

  1. 親が知的障害者であることに、気づきはじめた子供、への言葉。

http://asyura2.com/08/bd52/msg/417.html

    1. 「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」

愛国心??

  1. 『自分の生きる環境としての国をよくしたい』と願わない人はいない。
  2. しかし、
  3. 自分の利益の方が、自分の環境の利益よりも優先する。
  4. 自分が人より、より多く得をする環境が『よい』環境である。
  5. 愛国心=国のために死ぬ心??

タイトルは?

  1. 《愚かな人々》? ○:。×:。
  2. 愚かな人々』? ○:『愚かな』というのは《思いこみ》である。×:。
  3. 愚かな人々? ○:。×:。
  4. 《愚かなヒトの群れ》? ○:。×:。
  5. 《愚かな群れ》? ○:。×:。

愚かな人々』と《混濁しつつある他者の身体》

  1. 同じ? ○:同じだが、非難しないのが《混濁しつつある他者の身体》。×:。

新しい最高の知性が、古い最高の知性を打ち破った時、人々は喝采して新しい知性を信仰するようになる。古い知性も新しい知性も理解していない人々が、である。

新技術への鈍感さと《愚かな人々》

  1. http://ja.wikipedia.org/wiki/レーダー
    1. 1925年(大正14年)日本人の発明した八木・宇田アンテナ(以下八木アンテナ)は、指向性を備える画期的な技術だった。しかし、日本では全く反響が無く学会から無視された[1]。ところが欧米で大々的な評判を呼び、各国で軍事面での技術開発が急速に進んだ。
  2. 嫉妬の国、リバイアサンの国。
  3. 訓古学。
  4. 国民の愚かさのタイプには、国によって、さまざまな特色が在る。

1ビット脳の人々

  1. http://www.asyura2.com/07/iryo01/msg/440.html
    1. 不確実性をめぐる専門家と非専門家の齟齬は、医療に限らず、多くの分野で認められます。慶応大学商学部教授の権丈善一氏によると、例えば年金問題でも、不確実なものを不確実として受け入れない人たちが適切な議論の妨げになっているということです。
    2. (中略)
    3. 人は不確実なものを不確実なまま引き受ける際に不安を感じます。この不安に耐えられないことが、攻撃行動の原因になっているのではないでしょうか。
  2. ○×の1ビット教育が1ビット脳の人々を生んだのか? ○:。×:。
  3. 大量生産製品の「完璧な品質管理」が1ビット脳の人々を生んだのか? ○:。×:。

「いろいろと 理由は述べれど 要は『嫌い』」と言うヒト《愚かな人々》

『心地よいウソ』《愚かな人々》

  1. 『心地よいウソ』を信じてその《思いこみの世界》の中で生きている《息しつつある身体》《愚かな人々》である。

《他者の息しつつあるモノ》《愚かな人々》

  1. 《息しつつあるモノ》はどう見ても、愚かである。何も知らず、何も思わず、(息する以外の)何の意欲も持たない。
  2. 《息しつつあるモノ》は、『生きる』ことを求めているようである。《身体》の『生きる』を求めているようである。《身体》はさまざまに動き、さまざまに語る。さまざまに動き、さまざまに語ることが『生きる』であろう。《息しつつあるモノ》は、《身体》がさまざまに動き、さまざまに語ることを《求めつつあるモノ》である。
  3. 《息しつつあるモノ》は、そのまま《息しつつある身体》である。《息しつつある身体》自体が『生きる』を《求めつつあるモノ》である。
  4. 《他者》は『生きる』を求めているのであって、まさしく、それは正しい。
  5. 《他者》が『知る』を求めるのは『生きる』に役立つかぎりにおいてである。『生きる』を混乱させるような『知る』を避けるのは『賢い』のである。『知る』の迷路に迷いこむことは、彼らの『生きる』にとっては有害無益である。有害無益な『知る』を避けるのは、彼らの『賢い』の証しなのである。
  6. たけ(tk)は何故『知る』の迷路に迷いこんだのか? そう、ヒマだったからだよ。それだけのことだ。ヒマ人が『知る』の迷路を説いても、有害無益な『知る』を避ける知恵を持った人々は、聞く耳を持たない。当然だ、正当だ。
  7. 「わしのあくなき知識欲が・・饕餮(トウテツ)が わしを滅ぼすのだ・・! 岐山の饕餮の意味が 今にしてわかった! 知識への貪欲・・ しってはならぬことを いましめたのだ!」『孔子暗黒伝』p.297。
  8. http://ja.wikipedia.org/wiki/饕餮
    1. 饕餮の「饕」は食物を貪る、「餮」は財産を貪るの意である。・・一説によると、蚩尤の頭だとされる。・・良渚文化の玉には、饕餮文のすぐ下に王の顔が彫られたものも出土している。そのため、饕餮の起源は良渚文化の栄えた長江流域で崇拝された神だったといわれている。ただし、これらの装飾が当初から饕餮と呼ばれる存在の描写であったという証拠は何もなく、後世に饕餮文と呼ばれているだけである。

「人のフリ見て我がフリ決める」と《愚かな人々》

  1. http://japan.cnet.com/column/netad/story/0,3800075540,20349607,00.htm?ref=rss
    1. ここでズバリ断言するとですね、要するに人間なるものは「ひとのフリ見て我がフリ決める」といういきものなのではないか、と思っています。
  2. http://woman.mag2.com/m/0000135222.html
    1. 滑稽な人のフリ見て我がフリ許せ!・・人のフリ見て我がフリ許す。
  3. 他律的行動様式。付和雷同型行動様式。「赤信号 みんなで渡れば 恐くない」。
  4. 模倣が人類文化の基礎である。
  5. ミラーニューロンも模倣の行動様式を理論づける。

知ることを拒否する人びと

  1. 自分の信念体系に矛盾しそうな知識は拒否する、という認知様式がある。
  2. ナムダブ。ヒトは、自分が知的存在であることに気がついていないのだ。
  3. 愚かな思考様式が知的であると思いこんでいるのだ。
  4. 信じる人々人びと。『心地よいウソ』
  5. 信じる人々と疑う人々。
  6. 《欲・得・快・楽・善・義・志・徳・疑・信》。

《愚かな人々》《サル山のサル》

  1. もともとは、サルだから、《サル山のサル》だと思えば、自然かな。

《愚かな人々》と具象的思考様式

  1. 目に見え、手で触れるモノと身体の具体的動きのイメージで思考する、という方法。
  2. XXにXXと言えばXXと思うはずだ、という思考様式。XXを見たらXXすべし。
  3. XXを見たらxxしてはならない、という禁止の思考様式。
  4. 失敗の経験によって、XXを見たらXXすべからずという禁止の規範を学ぶ。
  5. 禁止を学び続けると何もできなくなるので、前の禁止規範は忘れる。
  6. コトバからは学ばない。コトバは人間関係における行動である。コトバは攻撃であり、慰めであり、もしくは、命令である。
  7. コトバ《知った思いこみ》を使えることは少ない。コトバ《知った思いこみ》を使えることができるのは、その内容が具象的である場合に限られる。

《愚かな人々》と『小人』

  1. 『小人』は『君子』の対立概念。『君子』は当為概念であるから、『小人』も当為概念(禁止概念)である。
  2. 愚かというのは、彼の目的があり、彼の行動があり、彼の思考様式があり、彼の行動が、彼の誤った思考様式のせいで、彼の目的にあわない場合を言う。
  3. 彼らの行動が、彼らの目的に合致しているなら、愚かではない。
  4. 《愚かな人々》というキーワードは、複雑過ぎるので適切ではない。
  5. 『小人』の方がよいか?
  6. 『講孟余話』p.255:愚夫・・俗人・・俗儒。

http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/456.html

    1. H・L・メンケン「あらゆる複雑な問題には、明瞭で、単純で、間違った答えがある。」

http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/456.html

    1. ウォルター・リップマン「皆が同じように考える時は、誰も深く考えていない」

http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/456.html

    1. アブラハム・マズロー「もしあなたが持っている唯一の道具が金づちなら、あなたは全ての問題を釘として見るようになる。」

http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/456.html

    1. アーサー・C・クラーク「革命的な発展が成される時、人々は次の4つの段階を通る。1.ばかげている。時間の無駄だ。2.面白い。けれども、重要じゃない。3.良いアイデアだと、私はずっと言っていた。4.私が最初に思いついたんだ。」

定見と《愚かな人々》

  1. 定見がない、というのも《愚かな人々》の一つの特徴だな。
  2. マスコミが提示するテーマに熱狂して、マスコミが提示したヒトを非難して、忘れる。
  3. ヒトの噂も75日。
  4. 具体的妥当性と、一般的妥当性。
  5. ヒト原因である』という信仰。制度のなんであるかを知らない人々。教えられていない人々。
  6. 月をさす指を見るヒト。月をさす指の影を非難する人々。
  7. いじめによってストレスを発散する人々。

愚民化教育と《愚かな人々》

  1. 民主政治における国民は王様である。
  2. 権勢を振るいたい家臣が、国王を愚昧にしておこうとするのと同じ発想で、愚民化教育が生れる。

サル山のサル追従ザル《愚かな人々》

  1. 我々はサル山のサルであることを止めることはできない。我々がなすべきことは、「我々自身がサル山のサルであること」を悟ることである。

ヒトは神ほどは賢くないが、野獣ほどには愚かではない」と《愚かな人々》

  1. ヒトは神ほどは賢くないが、野獣ほどには愚かではない」などというのは下らない迷言だ。神を《思いこみ》、野獣を《思いこみ》ヒトを思い込む。それが前提になっている。ヒトが特別なモノであると思い込んでいる。

愚かな人々《他者の思いこみ》、賢い人々と《他者の思いこみ》

    1. 賢い人々には二種類ある。悪賢い人々と、賢くかつ善意の人々だ。
    2. 愚かな人々には二種類ある。自分が愚かであることを知っている愚かな人々と、自分が賢いと思いこんで利用されている人々だ。

《愚かな人々》空気主義

  1. 空気を読むこと、自律的な思考を放棄すること。《感じ合い》を重視すること。《まなざし》を放棄すること。

《愚かな人々》と愚直主義

  1. 彼らは理解できないのではない。彼らは、理解しないほうが善い、ということを知っているのである。
  2. 追従ザル。自発的追従。自発的服従。服従するためには、ボス猿を理解しないほうが善いのである。真実を理解しないほうが善いのである。
  3. 自発的服従のほうが、人類の自然な行動様式であろう。発展段階の基礎にある段階。
  4. 《感じ合い》《仕合わせ》とは、服従者同士の《共感》である。ボス猿は孤独である。

《愚かな人々》極座標モデル

  1. インプットの統合が世界である。
  2. インプット情報を手際よく分類し、再配置すれば、主観的世界になる。即自的主観世界
  3. 『仲間』情報、『敵』情報(同種生物)の取扱が問題になる。『餌』『捕食者』(異種生物)にかんしては単なる環境の要素である。
  4. 『仲間』とは世界を共有している/べきである、というのが第一の解決。
  5. 同類者意識

即自的主観主義と《愚かな人々》

  1. そうかぁ。
  2. 考え方について考える、という発想をもたない考え方のヒト、というのがある。
  3. 単純に、《私》(《私たち》)からみて、世界がどう見えるか、ということだけを考える、考え方。
  4. マダニ環世界と同じじゃん。

即自的独善論と《愚かな人々》

  1. 《私》(『私たち』)は善い。
  2. 《敵》は悪い。
  3. ゆえに
  4. 《私》(『私たち』)が《敵》を攻撃するのは正しい。

ミラーニューロン《愚かな人々》

  1. ミラーニューロンの働きが鈍いヒト、であるか? ○:。×:。
  2. 自他の同質性を思考回路に組み込めない人。
  3. 自国と他国の同質性を思考回路に組み込めない人。
  4. 権力者と民衆との同質性を思考回路に組み込めない人。
  5. 愚人と賢人との同質性を思考回路に組み込めない人。

自滅への暴走と《愚かな人々》

  1. http://www.asyura2.com/0610/war86/msg/674.html
    1. もうアメリカはイラク占領をゆっくり続けている時間的な余裕がない。早くイラクから撤退しないと、中東で反米イスラム主義が拡大し、レバノンやパレスチナなどで反米親イランの政権が確立され、取り返しがつかなくなる。
  2. 組織の暴走と自滅は、過失かのか、意図的なのか?
  3. 犯罪によって自滅する人々は、「犯罪を行えば自滅する」ということを知らないわけではない。知ったうえで、犯罪を行い、自滅するのである。とするなら、人には自滅への《求める思いこみ》があり、それによって、自滅的な暴走によって、犯罪を犯さざるをえなくなる状況に自分を追い込んでいくのだろう。犯罪=戦争。

《愚かな人々》と「《他者》への共感」

  1. 《他者》への共感を失った人びとは、《愚かな人々》なのだろう。類人猿よりも後退した人びとなのだろう。しかし、それは、相手によりけりなのか? 《身近な人びと》には共感を覚え、遠くの人びとには共感を覚えない。それは類人猿でも同じであろう。人間はサルの子孫だから、やむを得ないことではある。しかし、その愚かさが、人類としての《ヒトの群れ》の愚かさを導くのだ。
  2. 人類はサルの子孫だから、殺し合いをするのもやむを得ない。資源収奪戦争で人類自体が滅亡するとしても、やむを得ない。人類は永遠ではない。地球だって永遠ではない。諸行無常の法則の下で、いまここで、何をすべきか、が問題だ。

《愚かな人々》と硫黄島

  1. 愚かなのはヒトじゃない、《ヒトの群れ》だ。
  2. 真実は小説よりドラマチックだ。教訓なんて無い。
  3. それぞれの生き方と死に方があり、それぞれの苦しみがあり、それぞれの思いと沈黙がある。
  4. 修羅場を体験した者は修羅場を語らない。語りたくないからではない。コトバでは伝えることが出来ないから、語らないのだ。
  5. 戦争は不条理か? 是なり、かつ、否なり。
  6. 戦争は無数の条理が織りなして作り出したカオスの不条理である。
  7. それがカオスの条理である。
  8. 戦争は、戦った者の尊厳を踏みにじる。
  9. 戦争は生命を踏みにじる。最初の砲弾で即死した者の苦しみと、生き残り、英雄に祭り上げられ、戦時国債の宣伝をさせられた者の苦しみとでは、どうなのだろう?
  10. それぞれの苦しみ、だな。
  11. 人類という《ヒトの群れ》は、なんと愚かなのか。人類の愚かさに、悲しくて、涙が出る。

《愚かな人々》と社会的行動

  1. 賢いヒトは、社会的行動をしない? 隠者。
  2. 社会的行動をしないヒトは、悪しきヒトである。悪しき結果を生み出すヒトである。善き結果を生み出さないヒトである。
  3. 社会的行動をしないヒトは、人々に、我に返ることを気付かせるヒトである。善き結果を生み出すヒトである。
  4. 社会的行動をしないヒトは、人々に、受動的態度を正当化させるヒトである。悪しき結果を生み出すヒトである。

《愚かな人々》と視野の広さ

  1. 愚か、賢さ、というのは視野の広さの広狭のことなのか?

《群生相》《愚かな人々》

  1. ヒトは、《群生相》にある時に、《愚かな人々》の一員になる。
  2. ヒトは、《群生相》にある時に、《群れの思いこみ》に呑み込まれている。入り込んでいる、《群れの思いこみ》への《入り込み》の状態にある。

空気教と《愚かな人々》

  1. 空気》教。
  2. その場の《空気》に最大の価値を置く行動様式、思考様式を《空気》教という。
  3. 思想信条よりも《空気》を上位に置く価値観。
  4. アレーテイアとしての《空気》。
  5. 小集団主義。調和主義。集団の《空気》。

《愚かな人々》と愚直の美学

  1. 愚かであれ、謙虚であれ、愚直であれ。
  2. 日本人は、愚かであれ、謙虚であれ、愚直であれ。愚直の美学。
  3. エデンの木の実は、ヒトを騙す知恵だな。
  4. 日本人の知恵は、騙す知恵ではなく、見通す知恵だ。騙されたフリをする知恵だ。
  5. そのように出来ているから、そのようにする。なんの不思議もない。全知全能の神が、ヒトをそのように作ったのだ。
  6. 女は性行為において醜態をさらす。男もまた性行為において醜態をさらす。ヒトには、群生状態と、孤独状態と、性行為状態とがある。
  7. 日本人は永遠の命を求めなかった。ヒトは、生まれ、生き、生み、死ぬ。その命たちの流れの中で、永遠の時間を生きてきたからだ。
  8. 生まれたことに感謝し、生きたことに感謝し、生んだことに感謝し、そして死んだことに感謝する。すべては自然のままであり、あるがままのありようをそのまま受け入れてきた。
  9. 思い込みを紛れこませずに愚かに、支配しようとせずに謙虚に、あるがままのありようを生きてきた。
  10. 割礼によって、神と契約したという思い込みによって傲慢になったユダヤ人の肉欲のことだ。
  11. 日本人は愚かで謙虚であること、愚直であることを美徳としてきた。
  12. 騙されたフリをする知恵というのは、支配者からみれば服従者の配信であり、面従腹背である。しかし、権力者の《視点》が正しいわけではない。服従者の《視点》からみれば、面従腹背は、正当な知恵である。
  13. http://homepage3.nifty.com/take_tk/honyaku/daigaku1.html
    1. 大畏民志:民衆が為政者を見抜く力は畏(おそ)るべきものである。((民の志、は、民衆が持っている性向といったモノだろう。それは、指導者の行動を見抜いてそれに従うという性向のことだろう))。資本制社会において、夜警国家が提唱されたのは、政治指導者の行動様式が、資本制社会の指導者や労働者の行動規範と異なる、ということに由来するのかもしれない。
    2. 一人貪戻、一国作乱:指導者が貪欲になれば、国全体が乱れる。
    3. 尭舜率天下以仁而民従之:尭や舜は天下に広い思いやりを示したので民衆もそれに見習って思いやりのある社会を作った。
    4. 桀紂率天下以暴而民従之:桀や紂は天下に横暴を尽くしたので民衆もそれに見習って横暴になった。
    5. 其所令反其所好而民不従:為政者が彼自身の態度と異なる命令をしても民衆はそのような命令に従うものではない。(民衆は命令に従うのではなく、為政者の態度をまねするのである)
    6. 是故君子、有諸己而后求諸人:それゆえに、君子はまず自分をあたらめてから人にそれを求める。((有諸己は、民衆に期待する諸々の事柄を、まず自分自身で持つようにしてから、だな))。
    7. 無諸己而后非諸人:自分に非がないようにしてから人を批判する。((無諸己は、民衆に禁止したい諸々の事柄を、まず自分自身で持たないようにしてから、だな))。
    8. ・・
    9. 所謂平天下在治其国者:「天下を平らにするためにはその国を治めなければならない」というのは次のことを言う。
    10. 上老老而民興孝:為政者が老人を老人として丁重に扱えば、国民の間には孝行の風習が興る。
    11. 上長長而民興弟:為政者が年長者を年長者として尊べは、国民の間に年長者を尊ぶ風習(悌)が興る。
    12. 上恤孤而民不倍:為政者が孤児をあわれみ助ければ、国民が為政者に叛くことはない。
    13. 是以君子有篭詛憩嗣蕁АГ海譴髻峽子は篭襦覆韻辰)の道を行く」という。
    14. ・・
    15. 道得衆則得国、失衆則失国:民衆の支持を得れば国を得ることができる。民衆の支持を失えば国も失うのだ。((衆則は民衆の支持ではなく、民衆の道義心、順法精神だろうな))

「存在に対する善悪評価」と「行為に対する善悪評価」。

  1. 善悪とは、存在に対する評価ではなく、行為に対する評価である、と言われたが、そのような注意が必要だということは、人びとの発想は、存在に対する善悪評価を行いがちである、という傾向の存在を前提としている。
  2. 存在的規範と行為的規範。「AとB、どっちが悪い」という質問に「人」の善悪を評価する人びと。

《愚かな人々》とマスコミ

  1. 愚かな人々』というのはマスコミが作り出した幻なのではないか? というより、《愚かな人々》というのはマスコミのことなのではないか?
  2. マスコミは、どうみても、人々を《愚かな人々》へと誘導しようとしているようにしかみえない。群集を煽動し、挑発し、恐怖に落とし込み、暴走させようとしているとしか見えない。マスコミの狂気の原因は何か?
  3. マスコミの狂気の原因は、ゴイムの家畜化か、視聴率か、改憲目的か、マスコミ選民による視聴者ゴイムの家畜化か、マスコミという《ヒトの群れ》の病気、狂気、腐敗。《ヒトの群れの腐敗》

《愚かな人々》『現実』

    1. 貧しく愚かな人々は、ずるがしこい金持ちに身も心もカネも労働も捧げることが、生きるために必要なことだと信じる。それが『現実』であると思いこむ。

《愚かな人々》『心地よいウソ』

  1. 《愚かな人々》とは『心地よいウソ』にすがる人々である。

ボス猿主義と『愚かな人々

  1. 死刑を扇動するマスコミって何? http://www.asyura2.com/0601/hihyo3/msg/253.html 投稿者 happyblue 日時 2006 年 7 月 04 日 22:26:14: BaRfZQX6fAfSk
  2. 第4権力は権力への不平をそらそうとする。
  3. 民衆は、権力の大悪への怒りを小悪に爆発させる。
  4. 感情的カタルシスで満足する民衆。抑圧移譲の原理。
  5. ボス猿追従ザルは、小悪ザルをいじめて満足する。彼らが『愚かな人々』であると非難して、何が悪い!

ブッダは《賢い人》か?

  1. 天寿をまっとうすることによって、賢い《思いこみ》を人々に伝えた。
  2. ソクラテスも孔子も、アリストテレスも、天寿をまっとうすることによって賢い《思いこみ》を人々に伝えた。
  3. キリストは、殉教によって、賢い《思いこみ》を人々に伝えた。
  4. 伝わったのか? 伝わっていれば、《愚かな人々》を嘆くこともなかっただろう。彼らは、伝えることができなかった。ので、《愚かな人々》である。
  5. 何人かは、受け取って、再現した人も居るだろう。
  6. 哲学者たちは賢い《思いこみ》を伝えようとした。
  7. 《賢い思いこみ》なのか?
  8. 天上天下唯我独尊。自灯明。主我であること。

《愚かな動き》と《賢い動き

  1. 《賢い動き》とはなにか?
  2. 目的達成のために、広い配慮と見識で、結果を見通しながら行う《動き》である。
  3. 狭い視野で、盲目的に信じて行う《動き》は《愚かな動き》である。
  4. 人は結果を見通すことができるか?
  5. 人は見通しながら動くことができるか?
  6. 《健常者》は、普通に、結果を見通しながら動いているんだよね。どうやっているのだろう?
  7. ヒトの群れのルール』が『結果』を与えているのだよな。『ヒトの群れのルール』てのは《思いこみ》だね。《思いこみ》を信じることにおいて盲目的だね。盲目的に信じなければ動けないのだね。
  8. 昼間は盲目的に、夜は懐疑的に。
  9. ヒト『目的』を目指すことができるのか? ヒトは盲目的であることができるのか?
  10. 昼間は群生モードで、夜中は孤独モードで。相変異
  11. 昼間は《思いこみ》モードで、夜中は《見通し》モードで。
  12. 《賢い人》はあり得るのか?
  13. 《賢い目的》はあり得るのか? 《ヒトの群れ》が危機であるなら、危機を回避する目的は賢い、が、危機でないなら、危機を回避する目的は愚かである。
  14. 《賢い動き》など無いのではないか? そもそも、賢さは《動き》の属性ではあり得ないのではないか? 
  15. 賢い発言は在るか? 知的影響力の在るコトバはある。が、追従ザルにとってのコトバの属性でしかない。 たけ(tk)が知的影響を受けるコトバは在る。

モノコトバとの繋がりを検証する態度

  1. 検証せずにコトバを信じる/信じないという態度。
  2. 願望でコトバを「検証」する態度。
  3. 自己正当化の基準でコトバを「検証」する態度。

ヒトの群れの愚かさ》と『愚かな人々

  1. http://tanakanews.com/g0613UKUS.htm
    1. 冷戦終結後、アメリカは誰にも圧力をかけられないはずの唯一の超大国である。世界を多極化したければ、そのように上手に世界に説明してやれば良いはずだ。しかし、もしかするとアメリカは、説明して世界を多極化するという選択肢を採れない状態になっているのかもしれない。アメリカの政界は、さまざまな外国からのロビー活動の圧力によって動かされており、内部からがんじがらめにされている。

第二次出雲主義、世界神道主義。

  1. 日本は来るべき世界政府において、各地域各民族の精神的統合を実現する司祭組織を体現するべきである。
  2. 出雲の選択。戦いを選択しなかった、と言われているが、実際には戦って負けたのだろう。1945年の敗戦は第二の国譲りである。
  3. 出雲は、政治的軍事的強者に、自らの宗教的権威を認めさせた。その権威は、精神的統合の権威である。すべての民族、氏族、職業、土地の神を祀り上げることによって、彼らの自尊心を高め、自発的に統合への意欲をもたらす技術を、侵略者に提供したのである。侵略者には、軍事的政治的経済的権力はあっても、彼らをまとめるだけの宗教的能力がなかったのである。
  4. 出雲の宗教的能力は、「すべての民族、氏族、職業、土地の神を祀り上げる」という能力である。八百万教である。支配者に成り代わり、もしくは支配者に指導することによって、「すべての民族、氏族、職業、土地の神を祀り上げる」こと。これが、精神的統合をもたらす宗教的能力である。支配者が被支配者の神を祀り上げることによって、被支配者は、軍事的政治的経済的従属にもかかわらず、精神的な自尊心を満足させ、自発的従属をうながし、ひいては集団としての統合をもたらし、全体として渾然一体となって、繁栄を享受できるようになったのである。
  5. 一神教は、見た目の統一能力にもかかわらず、《ヒトの群れ》の分裂をもたらす。もしくは、圧政をもたらす。というのは、地域的に支配権が弱まった部分で、『我こそは正統なり』という主張が繰り返されるからである。そのような分派的主張を、『異端』として弾圧し続けることによってでしか、一神教の下での統合は実現しえない。

《愚かな人々》と「存在と当為

  1. 《愚かな人々》を非難するのは、存在と当為の区別がついていないからだ。
  2. 人々は存在である。存在に当為を求めるから、《愚かな人々》という非難が生まれるのだ。
  3. 当為《他者》に求めるから、非難が生まれるのだ。
  4. 当為《私》に対してしか、効力を持たない。
  5. 《愚かな人々》当為と存在との区別がついていない人々であると非難するのは、鏡像非難である。
  6. 人々のに、《私》当為を求めるのは、愚かな期待である。人々の《動き》に、《私》当為を実現する《動き》を求めるのは、愚かな期待である。

《愚かな人々》と《怯え》

  1. 《愚かな人々》の《怯え》というのは《ヒトの群れ》への《怯え》かもしれない。『世間原理教』。『世間』に逆らっていはいけない。
  2. 『世間』への追従ザル
  3. 声高に叫ぶことによって『世間』を誘導するボス猿

《愚かな人々》と『愚かな人々

  1. 《愚かな人々》は実体か、《思いこみ》か?
  2. 《ヒトの群れ》は、粘菌アメーバの移動体以上の、知性を持ち得るか?
  3. 《ヒトの群れ》の愚かさの原因は、《ヒトの群れ》の内部的な関係に在る。
  4. 《ヒトの群れ》が賢くなるために、《群れの中の個体》《仕合わせ》が失われるのでは意味がない。
  5. 《ヒトの群れ》は愚かでよい、愚かでも何もしなければ、害はない。《ヒトの群れ》は機械的なシステムであるべきだ。《ヒトの群れ》《群れの中の個体》《仕合わせ》を実現するための道具であるべきだ。というのが、立憲主義の要諦。
  6. まあしかし、いずれ戦争を経て、世界政府ができて、世界民主主義の時代が来るかもしれない。しかし、その後は、世界政府の中で腐敗した人々が腐敗した権力を行使するようになるだろう。ボス猿になりたい人々は、権力の階段を上ろうとする。平和になれば、自己の欲望達成の手段として権力をのぼろうとする。権力は腐敗して、内乱になり、分裂し、戦争の時代になるだろう。その循環を何度か繰り返せば、ヒトは、少しは賢くなるのだろうか? 戦争こそは平和である、暴力的支配こそ平穏である、みたいな智恵で落ち着くのだろうか?
  7. 世界政府というのは、江戸時代の日本政府なんだよね。
  8. 世界政府が、戦争で実現するとして、戦後に影響力を保持するためにはどうすればよいか。
    1. 勝馬に乗る、という安易な考えは意味がない、仮にその馬が勝馬になったとしても、勝馬に踏みつぶされることになるだけだ。
    2. 忠誠を尽くしまくれば、少なくとも安泰? というのは甘い。家畜扱いで生き血を吸われることになるだろう。
    3. 勝馬に乗る、というのは戦後のビジョンを体現する国であり続けることだ。仮に加勢した側が敗者となったとしても、ビジョンを勝者に提供することを惜しまなければよい。仮に加勢した側が勝者となったら、ビジョンを勝者に提供すればよい。戦後のあり方を体現する国であれば、味方も増えるだろう。
  9. 世界戦争の戦後のビジョン。課題は、多様な人々を、いかにして、政治的な統合で満足するような、精神的支柱を提供するか、ということだ。すべての民族の神々を祀り上げること。すべての民族の人々の自尊心を尊重すること。経済的統合は既に済んでいる。政治的な統合もいずれ行われるだろう。問題は精神的な統合だ。
  10. 一神教による統合は、歴史的に見て、成功したためしはない。古代エジプトを破壊したのは前ユダヤの一神教だ(アテン教)。キリスト教国は分裂しまくりだ。『我こそは正統なり』と皆が名乗りを上げれば、分裂は必然である。イスラム教国は国の形を失ってしまった。『何でも神の思し召し』では政治的統合に結びつかない。
  11. まあねえ。江戸時代には、変な国粋主義が出てきたんだよね。江戸時代の鎖国のままでも、変な国になっていたかもしれない。古代エジプトの国粋主義がアテン教だったのかもしれない。

《愚かな人々》と《ヒトの群れの不条理》

  1. 何をやっても《愚かな動き》にしかならない、というのは《ヒトの群れの不条理》だ。
  2. 暴力への衝動が支配している時代の《ヒトの群れ》の不条理だ。
  3. ヒトは、平和な時代には暴力への衝動に支配される。ヒトは、暴力の時代には、理想への衝動に支配される。どっちもどっちだ。
  4. 《賢い動き》はあり得るか?

鏡像非難と《愚かな人々》

  1. 《愚かな人々》は自らの鏡像を相手にかぶせて非難する。
  2. 鏡像非難は、それが鏡像非難であると気がつかない限りは、快感である。

信じる人々と《愚かな人々》

  1. 人を信じる人々と、人に騙される《愚かな人々》
  2. 人を疑う人々も、《愚かな人々》だ。
  3. 何がどうであれ、われわれは《愚かな人々》でしかあり得ない。
  4. 自律的に生きようとしてミンチにされる人々は、《愚かな人々》だ。
  5. 《賢い人々》は騙す人々であり、悪い人々である。
  6. 人は愚かでしかあり得ない。愚禿。
  7. ヒト動き》は、すべからく《愚かな動き》である。
  8. 動きは愚かである。というのは、知は賢い、というのとの対比である。動きは知ではない、というだけの話である。人の《動き》は人の知ではない、というだけの話である。
  9. 《動き》はすべからく《愚か》である。というだけの話だ。

追従ザル《愚かな人々》

  1. 追従ザルボス猿を信じる人びと。
  2. ボス猿が賢明であれば、追従ザル《愚かな人々》だが、
  3. ボス猿暴力的であれば、追従ザルは賢明な人びとだ。

《愚かな人々》《特別者公理》

  1. たけ(tk)が「愚かだなあ・・」と思った人びとのこと。
  2. どういう時に「愚かだなあ・・」と思うかが問題。
  3. 大体に於いて、原始的な《特別者公理》丸出しの発想で発現する人びとを見ると、「愚かだなあ・・」と思う。
  4. 自国が特別、自分の会社が特別、という発想の人びと。
  5. そのくせ、大体に於いて、自分は『普通』と信じている。『普通』という名の特別者なのだろう。
  6. 常識原理主義。
  7. 単純に反省能力が欠如しているのではないかと思う。
  8. まあ、「たけ(tk)も愚かだなあ・・」とは思う。
  9. 愚かさにおいては共感できるんだけど・・。もう少し賢くなって欲しいなあ・・。って思う。
  10. 愚かさの底に《怯え》が見えているのだ。自らを省みることを怯えているのだ。ではないか、と思う。無明。

愚かな人々とロビタの大自然

  1. 愚かな人々は、もしあるとすれば、大自然の営みである。
  2. 愚かな人々というのは、たけ(tk)の自己嫌悪の鏡像なのではないか? 自己嫌悪は大自然の営みである。自己嫌悪が作り出す鏡像は大自然の営みである。
  3. 健常者、というモノが存在するかどうかは知らないが、健常者《視点》大自然の営みとの関係を知るべきである。理念型としては、健常者というモノを想定することが可能だろう。健常者(という理念型に近いモノ)は大自然を構成するモノである。健常者の身体的/内部的な《動き》大自然の営みである。

愚かな人々』と「働き者」

  1. 勤勉主義の《視点》
  2. 「働き者」は奴隷である。
  3. 『奴隷』とは「働き者」である。
  4. 「働き者」は自ら『なすべきこと』を捜し出して働くモノであり、『奴隷』は他者の命令で働くモノである。「働き者」は《見通し》の中に『なすべきこと』を発見するモノである。『奴隷』は《他者のコトバ》の中に『なすべきこと』を発見するモノである。「働き者」は《見通し》をもつモノであり、『奴隷』は《見通し》を持たないモノである。

物語と愚かな人々

  1. 物語になれば、理解できる人々。
  2. 主人公に対する感情移入ができてはじめて、理解できる人々。
  3. 感情移入によって理解する人々。
  4. 感情移入による理解、とは何か? 感情的理解、か? ちょっと、違うな。感情移入による《他者への共感》としての『理解』。
  5. 宅間くんに対しては感情移入ができないので、『理解』できない。

愚かな人々』と「マスコミに踊らされる人々」

  1. 「マスコミに踊らされる人々」は『愚かな人々』である。
  2. が・・、「マスコミに踊らされる人々」はいるのか? 単に「マスコミが作り出す幻影に表立って反論しない人々」でしかないのではないか? ヒトは「マスコミが作り出す幻影に表立って反論する必要性」を感じない、だから反論しない、というだけではないのか? 
  3. マスコミがそう言っているから、自分もなんとなく、そうではないかと思っている、というだけではないのか? それを「踊らされている」と言うべきだろうか?
  4. 「踊らされる」と「躍らされる」。
  5. 「踊る」という積極的な行為ではない。もっと、消極的な、現状追認の不作為でしかない。
  6. 人々を踊らそうとする人々が大声をあげて叫びつづける。人々は、彼らに辟易しながらも、あえて反論はしない。それだけだろう。

『愚かな《ヒトの群れ》』と「分かっていない人」

  1. http://asyura2.com/0601/idletalk17/msg/166.html
    1. いつの世も「分かっていない人が大半」というのが真相なんでしょう。だからこそ簡単に世論形成ができてしまいペテンがまかり通ってしまう。分かっていない人が大半なのに、「皆が判断力がある」という前提で同じ選挙権があるのだから政治の風向きなど変えられないのは当然の帰結。
  2. 「分かっていない」のは問題だが、本当の問題は「分かっていても、動けない」ということだ。
  3. ブッダの理論は簡単である。しかし、実践するのは困難である。
  4. 石油争奪戦争は、石油を浪費して、自然エネルギーの開発を阻害して、石油の枯渇を早めるだろう。戦争に必要な最後の一滴まで消費尽くすまで、石油争奪戦争は終わらないだろう。《ヒトの群れ》は、そのようにしか動けないだろう。《ヒトの群れ》は、「分かっていない」のだ。《ヒトの個体》が「分かっていても」、《ヒトの群れ》《ヒトの個体》の理性では動かない。
  5. 《ヒトの群れ》への《見通し》をもった《ヒトの個体》が沢山になれば、事情は変わるだろう。

愚かな人々』、愚かな《ヒトの群れ》イースター島の悲劇

  1. http://www.ecopolis.city.itabashi.tokyo.jp/center/ecopo/ecopo22/ecop_2202.html
    1.  この島は、紀元前1000年位に、東南アジアの人がサモアに行って、5世紀にポリネシア人が20〜30人程度移住したと考えられています。1550年の最盛期には7000人程にまで人口が増えたんですねー。ところが突然と滅びてしまいました。では、何故イースター島の文明が滅びたのか。1722年、日本の江戸時代にオランダ人がここに渡った時には、3000人程が洞窟生活をしていました。そして、1877年にペルー人が老人と子どもを除いて全て奴隷として連れ去ってイースター島の歴史は終わる、そういう悲劇の島なんです。何故イースター島の文明が崩壊したのか。基本的に言うと、森林破壊による深刻な環境の悪化です。イースター島には大木が沢山あったのですが、オランダ人が行った時にはもう木は無かった。じゃ、なぜ破壊してしまったのか。彼らの主食はサツマイモと鶏肉です。日本の米は大変な手間暇がかかりますがサツマイモは放っておけばいいんです。充分な余暇が出来る。そこで彼らは何をしたかと言えば宗教に走り、部族ごとに競いあってこんなに大きなモアイ像をつくった訳です。
    2.  ところで、このモアイ像の石切り場と立っているところは、島のちょうど対岸です、どうやって運んだかといえば、木をコロにして運んだ。つまり木を切ってしまう訳です。また、人が増えたため農地が必要になる。猟に出るためのカヌーが必要になるなどして、住居のための木材が不足していったんです。木材が不足したので住居が建てられずに、洞窟のなかに入っていったんでしょう。
    3.  また、木は地面に根を張り表土が流されるのを防いでいました。
    4.  しかし、伐採により表土の流失が進み、土の栄養分が減り、サツマイモの収量も減ってくるとどうするか。人口は増えるし食料は無くなる。で、どうするかといえば人を殺して食べました。モアイ像を作れるような立派な社会基盤をもった部族同志が争ったんですね。こうしたイースター島の教訓は2つ言えると思います、その一つは、
      1. ●環境を回復不可能なまでに破壊してしまうと文明まで滅びてしまう。と言うことともう一つは、
      2. ●脱出したくとも逃げられないことです。
    5.  イースター島は、一番近い島でも2000劼發△衒未療腓砲脇┐欧蕕譴覆辰たんですね。私たちにも別の地球は有りません。液体としての水があるのは地球だけ、まさにイースター島と同じです。イースター島の悲劇は現実のものとして私たちは見ていかなければいけない。
    6.  20世紀は、民族問題と宗教をめぐる戦いだったが、大国が押さえてきました。21世紀というのはどうなるかと言えば、今は地球上の58億の人口が毎年9千万人増加しています。温暖化の進む21世紀には食料をめぐる国際紛争が起きるだろうと予測されています。この戦いはどちらかが滅びるまで進むのではないか。非常に暗いシナリオですがこうしたことも考えられる訳です。
    7.  環境問題は身近な問題として考えていかなければいけません。私の母親が「天に向かって唾すると自分の身にふりかかってくるよ」と教えてくれたことをいま思い出します。
  2. タイトルは『愚かな《ヒトの群れ》』のほうが良いか?
  3. ヒトは『愚かな《ヒトの群れ》』に操られつづけるほかない、か?
  4. ヒト《ヒトの群れ》の力学に操られつづけるほかない、か?

愚かな人々』と自らを語るコトバ

  1. たけ(tk)は自らの《見通し》を語るコトバを持たない。沢山のコトバを吐いているが、《他者》に伝達可能なコトバではない。

赤信号を渡るヒト

  1. 赤信号でも、前のヒトが渡り終わっていなければ、渡ってもよい、という規範にしたがっているのだろう。ヒト動きのマネが、規範。
  1. http://nvw.nikkeibp.co.jp/nvw/sonshi1/toppage/top.html
    1. 兵は詭道なり
    2. 2005年7月号
    3. 戦争は所詮、騙しあいに過ぎないという意味。ビジネスで使えば、信用を失ってしまうが、消費者に良いイメージだけを植え付ける広告などと孫子の詭道とは似通った部分がある。
  2. 広告は詭道なり。
  3. 「騙し合いに過ぎない」という表現は誤訳。「騙し合いが重要な要因となる、騙し合いについて研究すべきである」という意味。軽視すべきものではない。
  4. ポーカーというのは「騙し合いを楽しむゲーム」「もっとも良く(?)騙したヒトが勝者になるゲーム」である。騙すヒトを賞賛する《ドメイン》。理解できぬ。『騙すヒト=賢いヒト』という発想なのだろう。
  5. 騙されたことに、最後まで気がつかない場合に、騙したことになるか?
  6. 『騙すヒト=賢いヒト』であるなら、愚かであることは、賢いことより、良いことである。
  7. 『賢い人々』は騙し合いの《ヒトの群れ》の住人であり、『愚かな人々』は信じ合いの《ヒトの群れ》に住んでいる。

愚かな人々』と《ヒトの群れ》

  1. 愚かなのはヒト《ヒトの個体》)ではない、《ヒトの群れ》なのだ。『愚かな人々』というのは《愚かなヒト》の《群れ》ではなく、愚かな《ヒトの群れ》である。
  2. 3体運度がもたらすカオスが、『愚かな人々』の正体である。
  3. ヒトは、3体運動のカオスの力学のなかで、心ならずも、愚かに振る舞ってしまうのである。
  4. 今朝、娘のアパートの契約書の保証人欄にハンコを押したのだが、契約書なんて、読まなかった。仮に、「何かあったら1億円の賠償金を支払う」なんてのが入っていたとしても、有効になっちゃうよね。ハンコ押したんだから。《信頼しつつあるモノ》は《騙されつつあるモノ》であるのだが、《ヒトの群れ》は《信頼》で成り立っているのだから、《信頼しつつあるモノ》を否定するのは、《ヒトの群れ》を否定するに等しい。
  5. 《信頼しつつあるモノ》というのは、コトバ《思いこみ》を信頼するのではなく、ヒトを信頼する、というモノヒトの善意を信頼する、というモノ
  6. 《ヒトの群れ》が愚かなのはしごく当然だ。基本的に、粘菌アメーバの移動体の知性しかないと考えるべきであろう。
  7. 《ヒトの個体》は、愚かに動きつつある《ヒトの群れ》の中で、その圧力と《混濁》の中で、与えられた情報と圧力の中で、愚かな選択をせざるをえない状況に置かれているのである。

愚かな人々《混濁しつつあるモノ》

  1. 愚かな人々《混濁しつつあるモノ》である。
  2. 《混濁しつつあるモノ》は賢い人々の成れの果てである。

愚かな人々と悪い人々

  1. 愚かな人々は悪い人々ではない。むしろ、よい人々である。必要な人々である。
  2. 賢い人々は、寄生虫である。

愚かな人々と働き者

信じつつあるモノ》と愚かな人々

  1. 『愚か』というのは『騙されやすい』ということだろう。『騙されやすい』ということは『ヒトを信じる』『《ヒトコトバ》を信じる』ということだろう。《信じつつあるモノ》が『愚かな人々』の特徴であることになる。
  2. 《ヒトの群れ》は『ヒトコトバを信じる』ということで成り立っている。「信無くば立たず」。「ヒトが信じられなくなれば、この世も末だ」。
  3. 《信頼しつつあるモノ》。たけ(tk)は、ヒトを信頼することができないヒトなんだよね。信頼に値するヒトとは、《私》の害と益とを知っており、《私》の益をもたらす、とまでは言わなくとも、少なくとも、《私》に害をもたらさないように取り計らってくれるヒト、だろう。たけ(tk)は、《私》自身の益も害も知らない、《他者》は知っているようだが、ピンとこない、ので、本当には知っていないのだろう。故に信頼に値するヒトがいない。
  4. 信頼、というコトバ道具に対しても使うね。道具の信頼性、というのは、壊れないこと、だが、要するに、《私》に益をもたらし、害をもたらさない、ということが、道具の信頼性だ。
  5. http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/whatsnew/kokuji/network_0203.html
    1. 情報通信ネットワークにおける安全・信頼性対策とは、通信の安定的な提供、通信の疎通の確保、通信の不正使用の防止等を目的として、情報通信ネットワークを取巻く外的な脅威やみずからが待つ内的な脆弱性に対し情報通信ネットワークの耐力の強化等を図るとともに情報通信ネットワークとしての機能の安定的な維持を図ることです。
  6. たけ(tk)は、《モノの世界》は信頼する。
  7. たけ(tk)は、《私》ヒトとの《繋がり》がある、ということは信じる。
  8. 信頼というのは《繋がり》への《知った思いこみ》ではないのかな?
  9. 《繋がり》への《知った思いこみ》入り込まなければ、ヒトを憎むことさえできない。傍若無人。孤立無援。《繋がり》への《思い重ね》、《重ね合わせ》

愚かな人々《視点のパラメータ》

  1. 「感覚像や情動的反応の世界」が愚かな人々《視点》なのか?
  2. 彼らは《ヒト動き》を予見する。《他者》は「感覚像や情動的反応の世界」を《私》と共有しているはずであり、《私》と反応形式を共有しているはずである、とすれば、《私》《他者》《動き》を予見することができ、彼の《求める思いこみ》を実現することも、害することも容易であり、《私》《他者》のために善意を尽くせば、《他者》に善なる結果がもたらされるはずである。《私》の好意は《他者》に伝わり、《他者》の好意や悪意を《私》は感じることができる。《私》はそのような《ヒトの群れ》に住みたい。《私》はそれに反する《他者》《動き》に怯える。《私》はそれに反する《他者》《動き》は見ることを拒否する。
  3. 彼らは、ヒトを信じることができる『ユートピア』に住んでいるのである。
  4. 『信じること』を《求める思いこみ》欲求分類リスト

http://web.sc.itc.keio.ac.jp/~funatoka/pavlov/

    1. 均衡のとれた中間のグループをこえてもういっぽうの極に、想像や情動が観念あるいは言語による抽象作用の調整的影響から部分的に切りはなされている型がある。「ボヘミアン」がこれであり、彼は感覚像や情動的反応の世界に住み、この世界を実在と見誤りがちである。この極もまた病態ではなく、「純知識人」のばあいと同様、むしろふつうの不均衡であり、それは情動を観念から切りはなす社会、「知識人」は感ずるのでなく考えなければならないというのと同じように、「芸術家」は考えるのではなく感じなければならないと主張する社会、によって生みだされている。その基礎にある高次神経活動の面から見ると、情動的な型は、第一信号系が、そしておそらく皮質下過程も、第二信号系より優越していることを示し、多かれ少なかれ両者の分離をともなっている。この型にあっては、具体的感覚信号は、観念あるいは抽象的言語信号の十分な調整を受けていない。その結果、科学的知識でなくむしろ直接的感覚的な経験や情動的反応が、思考や活動の基礎となりがちである。情動的な型は、合理的思考の手をあまり借りずに、なまのままの感情によって直接的感覚刺激に反応する傾向がある。こうして、彼はしばしば気まぐれであり、その気分は直接的感覚像の動揺につれて、得意から失意へつぎつぎと変わってゆく。
  1. 日本人(の理想像)は、生き方における芸術家なのではないか? 江戸庶民的な理想像。
  2. 「考えるのではなく感じなければならない」。うーむ、たけ(tk)もその口か?

検索

《怯えつつあるモノ》 - [#愚かな人々というのは、タブーの故に真実を知ることを拒否する人々のことなのだな。]

《浄化球》 - [#『愚かな人々』とは行動的な人々である。思考回路が複雑だと行動につなげるのは難しい。《求める思いこみ》も分散して、行動へのエネルギーになりにくい。グローバルに考えてローカルに行動せよ、てか・・。]

《怯え》 - [『心地よいウソ』 - [《怯えつつあるモノ》 - [#愚かな人々というのは、心地よいウソを信じる人々なのだが、何故に心地よいかといえば、そのウソがタブーによって護られているからだ。]]]

『心地よいウソ』 - [《怯えつつあるモノ》 - [#愚かな人々というのは、心地よいウソを信じる人々なのだが、何故に心地よいかといえば、そのウソがタブーによって護られているからだ。]]

ゴミ箱2006-01 - [###10.スローガンの使用については「古代において、我々は『自由』『平等』『博愛』という言葉を大衆に教え込んだ最初の民族であり…今日に至るまで、この言葉は愚かな人々によって繰り返されてきた。ゴイムは、賢者であると自称する者さえ、難解さゆえにこの言葉を理解できず、その言葉の意味とその相互関係の対立に気づくことさえない」と述べ、これは我々の旗を意気揚々と掲げる軍隊を我々の指示と統制のもとに置く言葉であるとした。さらに発言者は『自由』『平等』『博愛』のための場など自然界に存在しないと論じ、「ゴイムの自然発生的で世襲的な貴族社会の廃墟の上に、我々は金による貴族社会をつくりあげた。それは我々の拠りどころ、すなわち富を参加資格とする貴族社会である」とした。]

テレビ - [#メディア・リテラシーというのは、要するに、愚かな人々よ、もう少し賢くなれ、という教育のこと。]

『現実』 - [#貧しく愚かな人々は、ずるがしこい金持ちに身も心もカネも労働も捧げることが、生きるために必要なことだと信じる。それが『現実』であると思いこむ。《ちから》あるモノ《ちから》《怯えつつあるモノ》だから、そのような『現実』を認識することになる。]

Last modified:2008/05/11 10:46:11
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References:[《混濁しつつある他者の身体の群れ》] [《群れの力学》]