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モノ

定義

記述

  1. 《混濁》《知りつつあるモノ》《知られつつある混濁》とに分離する。
  2. 《知られつつある混濁》は《思いこみのミックスジュース》の如きモノである。
  3. 《知られつつある混濁》は、沈静化すると様々な《思いこみ》(広義)に分離する。
  4. 広義の《思いこみ》のうちで、その存在が確実であると確信されたものを「モノ」と呼んで区別することにした。確実性の基準は「《知りつつあるモノ》の存在確実性と同等程度以上の存在確実性を有する場合」ということにした。広義の《思いこみ》から「モノ」を分離した残りを狭義の《思いこみ》と呼ぶ。

区別

  1. コトはモノであるか?○:《噴出》とは、《背後者》から《直知時空》へ、なにやらが現れるコトである。動きはコトである。論理学ではモノに還元してしまうようである。×:。
  1. モノは広義の《思いこみ》に含まれる?○:モノ《思いこみ》との違いは、『確実さ』の程度問題でしかない。『私はモノがあると信じます』という程度の信仰である。モノか思い描きか幻かの区別は厳格には難しい。幻=不的確な思い描き?。×:。
  1. モノか《モノ》か?
  2. モノ」というコトバ『モノ』という思い描きを生成し、『モノ』という思い描きは《モノ》というモノを指し示す。
  1. 《混濁の世界》は《モノたち》と《思いこみ》たちとに分離する」というときの《モノたち》とモノとは同じか?○:。×:原初の《モノたち》には、時空自体や背後者までも含んでいる。《痛み》も幻の『痛み』とモノとしての《痛み》とがある(?)。モノ《思いこみ》との違いは、『確実さ』の程度問題でしかない。

モノと《宇宙史の自己言及》(うじげ、うしげ、うしじげ)、《宇宙史のルール》(うしる)

  1. モノは《宇宙史の自己言及》である。モノは、そのモノ自身が、自己を形成するから、モノでありうる。《宇宙史》の一部分の自己形成。《宇宙史》の一部分が《自己》を持つ、ということは、《自己》に言及しているというのが前提である。《宇宙史》の一部分が《自己言及》することが前提となって、その部分が《自己形成》して(凝縮して、他と自己とを区別して)モノになるのである。

モノと関係論理

  1. http://ja.wikipedia.org/wiki/関係論理
  2. http://ja.wikipedia.org/wiki/関係代数
  3. モノは属性によって指し示すことができる、か? ○:。×:。
  4. モノの属性は記述することができる、か? ○:。×:。
  5. モノはidによって指し示すことができる、か? ○:。×:。
  6. モノコトバで指し示すことができる』と思いこんでいる人々は在る。それで十分。
  7. そもそも、『指し示す』というのは、ヒトの内部の心理的な現象である。
  8. 関係論理は《思い描き》であり、関係論理は《欲求実現手段》である。どのような《欲求》の? 《モノの群れ》への《思い描き》への《欲求》への《欲求実現手段》。《モノの群れ》を『種類』で分けて、個体を行において、その『種類』の『属性』を列に置く、という《思い描き》
  9. 関係論理で《モノの世界》をみると・・
    1. そのモノの主体性、そのモノ《極座標の原点》、そのモノからの世界
    2. そのモノの内部の《ルール》、そのモノの外部の《ルール》
    3. そのモノからの《思いこみ》、も、そのモノの『属性』となる。
    4. 四次元チューブとしてのモノの始期と終期もそのモノの『属性』である。
    5. モノ、『種類』、『属性』という西洋の伝統的な世界観が広がる。

モノ四次元チューブ

  1. 四次元チューブというのは空間の中に存在するモノ時間軸を追加して観察したモノ
  2. モノは四次元時空の中の四次元チューブである。

モノコトバ

  1. コトバモノを指し示す、か?
    1. ○:
      1. コトバ《思いこみ》の入れ物であり、《思いこみ》モノを指し示すことができる。
      2. 《私》《私》コトバによって《私》が見ているモノ《他者》に指し示すことができる。
    2. ×:
      1. コトバモノを指し示すわけではない。モノを指し示すことができるのは《思い描き》《指し示す思い描き》)だけである
      2. 《私》《他者》とが同じ場所に居る時に、《私》《私》が見ているモノ《私》コトバによって《他者》に指し示すことができる。しかし、この過程は直接的ではない。
        1. 《私》は、『《他者》に気づかせたい』という《求める思いこみ》を持つ。
        2. 《私》モノを指し示すために、《他者》が理解するであろうコトバ「このコップ」を選択する。
        3. 《私》コトバ「このコップ」を《他者》に伝える。
        4. 《他者》《私》コトバ「このコップ」を受け取る。
        5. 《他者》《私》コトバ「このコップ」から、《私》《思いこみ》を推測する。『《私》が「このコップ」というコトバで何かを指し示そうとした』という《思いこみ》《他者の身体》の中で再現する。
        6. 《私》が「このコップ」というコトバで何かを指し示そうとした』という《思いこみ》に従って《他者》《他者》《近傍物理空間》の中から該当するモノを捜す。
        7. その作業の結果として、《私》の「このコップ」というコトバは、《他者》《近傍物理空間》の中のモノを指し示すようになる。
    3. △:
      1. 電話でモノを捜してもらうのは、出来ることが多い、が、難しい場合もある。
  2. コトバは、《思いこみ》の入れ物である。コトバはそれによって指し示されたモノとは別のモノである。《思いこみ》自体と《思いこみ》が指し示すモノとは別のモノである。
  3. コトバを聞いたヒトには『そのコトバによって指し示されたモノ』という《思いこみ》を生じる。
  4. そのヒト《近傍物理空間》に『そのコトバによって指し示されたモノ』を見つけることができる場合には、そのコトバがそのモノを指し示すモノに注目することができる。
  5. そのヒト《近傍物理空間》に『そのコトバによって指し示されたモノ』を見つけることができない場合には、『そのコトバによって指し示されたモノ』の《思いこみ》を生じるだけである。しかし、そのヒトはその《思いこみ》を得ただけで、そのモノを知ったような気分になってしまう。コトバを聞いて《思いこみ》を得ること(意味が分かること)と、モノを認識することとは別である。
  6. コトバ《思いこみ》の入れ物か?
    1. ○:
      1. ヒトAは《思いこみ》コトバに込めて《他者》Bに発することができる。コトバはそれを聞いたヒトBに《思いこみ》を生じさせる。ヒトBはみずからの内に生じた《思いこみ》が、発語者Aがそのコトバに込めた発語者Aの《思いこみ》であると思いこむ。その構造を比喩的に、コトバの中に《思いこみ》が入っている、コトバ《思いこみ》の入れ物である、と言う。
    2. ×:
      1. コトバの中に(ヒトの)《思いこみ》が入っているだけではない。

モノと「その存在を否定しがたいモノ

  1. モノ(広義のモノ)には、「その存在を否定しがたいモノ」(狭義のモノ)と「幻のごとく消えてしまうモノ」(《思いこみ》)とが在る。
  2. モノ《思い描き》によって指し示すことができる」といったときのモノは広義のモノだ。

モノ《名前》

  1. たけ(tk)《世界》が異常なのは、《モノの世界》から《名前》が消えてしまっていることだ。
    1. たけ(tk)》は《名前》のないモノたちに囲まれている。だけど、ホントは、それがホントなのだ。
    2. 《健常者》モノには《名前》があると思っている。
    3. しかし、《名前》モノについているのではない。
    4. ヒトがそのモノを指し示すために付けた《思いこみ》とその記号が名前なのだ。
    5. もちろん、タバコの空箱に「奥の一番右の空箱、奥の一番左の空箱」といったように、臨時の《名前》を付けることは可能だ。しかし、《名前》モノが持っているわけではない。
  2. モノへの《思い描き》『モノ』という。モノ《思い描き》としての『モノ』《名前》はどうか? 
    1. 《思い描き》《名前》がついているわけではない、が、ヒト《思い描き》《名前》を付けることはできる。モノ《名前》との構造と、同じ構造だ。
    2. 『タバコの空箱たち』という《思い描き》には「タバコの空箱たち」という《名前》を付けてある。((《名前》を付けないと文章にできないね))。
    3. 《私》は《タバコの空箱たち》を《直知》する。
    4. 《直知》したときに『タバコの空箱たち』という《知った思い描き》が生じる。
    5. その《知った思い描き》は『タバコの空箱たち』という記憶《思い描き》として残っている。
    6. 「タバコの空箱たち」というコトバを唱えると、その《思い描き》がよみがえる。
    7. よみがえったのは《思い描き》であって、モノたちではない。((まあ、今のところ、片づけていないから、目を開ければ、そこにモノたちは在る))。
  3. たけ(tk)》は「日本列島」というコトバを聞いても、《日本列島》というモノが思い描けない。
    1. 地図帳のイメージは思い浮かぶが、地図帳のイメージは《日本列島》というモノではないことを知っている。
    2. 飛行機で、海岸線の一部分を眺めて、地図との突き合わせをして、その地図が実際の地形と、その部分ではあっている、という検証はできる。鉄道で旅をして、その半島までの距離が地図上の距離に比例している、といった《実感》を得ることはできる。しかし、部分的だ。
    3. 《日本列島》というモノへの《思い描き》は無い。北の端から南の端まで歩いて《実感》したとしても、《日本列島》のすべての地点を実感することはできない。《日本列島》を《直知》することは、たぶん、無理だろう。たぶん、《日本列島》というモノ《直知》することは、だれにもできない。
    4. スペースシャトルに乗って、地球を眺めたなら、《日本列島》を《直知》したとして、その形は実感するだろう。しかし、そこに住んでいる人々の実感とか《空気》とかを、《直知》できたわけではない。どうやっても、たぶん、《日本列島》を《直知》することは、誰にもできない。
    5. では、人々は『日本列島』を知っているのだろうか? 知っていると思いこんでいるのだろうか?
  4. たぶん、《健常者》たちは、「日本列島」というコトバを聞いて別のコトバに置き換えることができたときに『それを知っている』と思い描くのだろう。《連想のトンネル》
    1. 「日本列島は、ユーラシアプレートの東端に位置し、太平洋西部にある日本海溝に沈む手前の地帯において隆起した弧状列島。広義の日本列島は樺太(サハリン)、北海道、本州、四国、九州の主要5島とまた、千島列島や南西諸島・伊豆諸島などの島嶼からなる。まれに、台湾島を含めることもある。狭義の日本列島は、現在日本が実効支配している領域を指す。ただし、小笠原諸島に関しては、日本列島に含めるのは、地理学的に不適切である(詳細は「#意識の中の日本列島」)。」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%97%E5%B3%B6)といってコトバに置き換えることができれば、《日本列島》を知っている、と思いこむのだろう。
    2. もしくは、地図や衛星写真のイメージがあれば、『知っている』と思いこむのだろう。
  5. 《健常者》は、そのモノ《名前》を知っていて、何がしかの固定的な《思い描き》が生じるならば、そのモノを知っている、と思いこむのだ。
  6. 《名前》を知っており、《名前》から何らかの《思い描き》が生じる時に、その『モノ』を『知っている』と思いこむ。《モノ》の《思い描き》を知っている時に、その『モノ』を知っている、と、言う。その《思い描き》がどんなに貧弱なモノであったとしても、知っていると思いこむ。というか、コトバ(その《モノ》の《名前》から生じる《思い描き》)を知っている、ということだ。
  7. 『モノ』とは、その《モノ》の《名前》から生じる《思い描き》である。

モノ》と『モノ』

  1. モノ》への《思い描き》としての『モノ』《仮想実在》《デジタル実在》『意味』としてのモノ
  2. 《仮想実在》においては、『意味』『モノ』の存在理由であり、《モノ》は実際には、どうでもよいのである。100円玉10枚でも、千円札一枚でも、違いを気にするヒトはあまり居ない。財布の中の数枚の千円札のどれを使うかを気にするヒトは居ない。

PC画面とモノ

  1. PC画面と《名前》。PC画面に《名前》はあるか? というか、画面遷移のプラニングのためにはPC画面の《名前》がなければ始まらない。
  2. PC画面はモノか?
    1. ○:
      1. 「虹はモノである」なら「PC画面はモノである」。「消しゴムで消せる文字がモノである」なら「PC画面はモノである」。「《体内感覚世界》にしばし留まるだけの《思い描き》モノである」なら「PC画面はモノである」。
      2. モノであるかのごときに振る舞うモノモノである。
      3. 微妙に変質させていくこと(モーフィング)は、手間がかかるので、通常はやらない。
      4. 部屋であるようなモノ。そこで何が演じられるかは別として、そこに部屋が在る、というようなモノ
    2. ×:
      1. PC画面の反復性を信用してはならない。
      2. 画面遷移の設計におけるPC画面は《仮想実在》である。漠然たる《思い描き》《名前》→詳細な《思い描き》《デジタル実在》
  3. PC画面・100
    1. PC画面はコンピュータからのコトバである。《他者からのコトバ》である。《他者のコトバ》においては、《他者》が発語主体であるが、《他者からのコトバ》においては、発語主体は問題にならない。《世界》のなかのどれかのモノまたはモノ《群れ》などからの《私》へのコトバである。
    2. クリックは《他者へのコトバ》である。
    3. コンピュータは《他者》である。
    4. コンピュータからのコトバは、《思い描き》を生じさせるか? ○:文字どおりの意味で、『意味』《思い描き》を生じさせる。×:コンピュータの『人格』に関する『意味』は生じさせない。
    5. モノとの対話と、ヒトとの対話、とは何が異なるのか?
    6. 彼(コンピュータ)は《私》(のオペレータid)を知っている。
    7. 彼は、彼の欲求を《私》に伝達する。プロンプト。メッセージ。アイコン。欲求とは、モノ《動き》から推測された、モノ《動き》原因《思い描き》である。コンピュータの《動き》原因《思い描き》はコンピュータの欲求である。
    8. 職務執行中の警察官の《背後者回路》は彼の個性もあるが、主として、警職法や憲法にいたるプログラムである。彼の上司の個性と《背後者回路》、上司の上司の個性と《背後者回路》・・・。コンピュータの《背後者回路》も、そのコンピュータの個性とその上司の《背後者回路》・・と繋がる。このコンピュータのVPNプログラム、VPNサーバの《背後者回路》、moikomiのサーバの《背後者回路》・・。
    9. 命令とは、《欲求実現手段》からの欲求実現条件を伝達するコトバである。ヒトがコンピュータを《欲求実現手段》として使うかぎり、ヒトはコンピュータに命令される。ヒトはコンピュータからの命令に従わなければ、ヒトはコンピュータをヒト《欲求実現手段》として使うことはできない。ヒト《欲求実現手段》からの命令に嬉々として従うモノである。詐欺師を《欲求実現手段》だと思えば、詐欺師が差し出した白紙委任状に嬉々としてハンコを押すのである。
    10. PC画面の問題は、ヒトの情けなさの問題である。
    11. ヒトがPC画面からのコトバを拒否する時、PC画面も、《背後者》のプログラムも、無力である。ヒトに餌を与えて、命令に従わせる、という嫌らしさが、PC画面の問題である。餌で釣る、という構造は、フィッシング詐欺でも、まっとうな業務プログラムでもWebサービスでもWebアプリでも同じである。
    12. 《ヒトの群れ》は詐欺の構造で成り立っている。『心地よいウソ』。犯罪としての詐欺と、《ヒトの群れ》の基本構造としての詐欺とは何が違うのか? 最終的に《他者》に『損害』を与えるかどうかによる。『損害』って何じゃ? 《他者》の《欲・得・快・楽・善・義・志・徳・疑・信》を害することだな。騙したって相手が多少なりとも得をすればいいじゃん、というのが、犯罪としての詐欺と、そうでない詐欺との区別の基準だ。騙して相手が損をしたとしても、彼がいい気持ちになればいいじゃん、というのが犯罪でない詐欺の基準だ。得をするというのが詐欺だ。自分は価値の少ないモノを与えて、価値の多いモノを獲得する、というのが得をする、ということであり、詐欺である。原価は極秘事項なのである。原価と販売価格の差は詐欺を可能にする根源だからである。
  4. 二つの評価主体によって、モノへの評価が異なる。その評価の違いが、取引を開始させる原因となる。モノに客観的な評価・価値など無い。モノに主観的な価値はある。モノの主観的な価値は主体によって異なる。モノの主観的価値は、そのモノの正体(原価)を《知らない》ことによって維持される。正体を知れば、評価が変る。
  5. PC画面の正体を知るモノにとっての評価は、それを知らないモノからの評価とは異なる。詐欺じゃ。

モノ《知った思いこみ》から離れて存するものである、と同時に、《知った思いこみ》(や、それを表現するコトバ)によって指し示しうるものである。(離存性被指示性)。(『形而上学・上』p.232)

  1. 我々はモノを既に知っている。
  2. 我々は、或るモノを知りつつあるとき、そのモノについての《知った思いこみ》をもつ。
  3. 我々は、我々が知ったモノについて、そのモノが目の前になくても、そのモノを思い描くことができる。
  4. 我々は、《思い描き》によってモノを指し示すことができる。
  5. しかし、我々の《思い描き》は、モノではない。《知った思いこみ》も、そのモノではない。モノは、我々の《思いこみ》から離れたところにある。

《混濁》の中で、輪郭によって他から区別された部分で、ある程度の持続性をもって他から区別された部分を「モノ」という。・・発生と同時に瞬間で消滅するモノも、モノである。

モノとは、《混濁》のうちにあって、輪郭によって他から区別された部分で、ある程度の持続性をもって他から区別され、その存在の確からしさが、《知りつつあるモノ》の存在の確からしさと同程度である部分をいう。

モノ《モノの世界》から輪郭=定義=によって切り出された部分である。

  1. モノ《知られつつある世界》から輪郭=定義=によって切り出された部分である。

モノには次の3種類がある。

  1. 物体、物体の《群れ》
  2. 幻、意味、想像、思考(内部的幻)
  3. 映像、虹(外部的幻)

物体に対して、たとえば、「これは千円札である」「ここに千円札が在る」と認知したとき、

    1. 「千円札」というコトバによって引き起こされる《思いこみ》が指し示すモノはある、と言うことができる。
    2. そのモノの実体は繊維が平面上に絡み合った物体の上にインクのシミがついている物体である。
    3. 『千円札』という《思いこみ》には、『金銭的価値を章表するモノ』という《思いこみ》など様々な《思いこみ》が結びついている。
    4. 『千円札』という《思いこみ》とそれによって指し示されたモノとの《繋がり》は、《思いこみの世界》の中にしかない。《モノの世界》においてヒト《思いこみ》モノとが結びついているわけではない。モノヒト《思いこみ》など知らない。
    5. しかし、ヒトはそれを『千円札』として扱う。ヒトがそれを『千円札』として扱うことによって、そのモノは『千円札である』ということになる。

主観依存的でないモノは在るか?

  1. 主観依存的なものが《思いこみ》であり、主観依存的でないモノモノと呼ぶ。か? ○:。×:。
  2. たけ(tk)は「主観依存的でないモノ」が在ると信じる。

指し示しの論理は? 

  1. (a)
    1. 「AがBを指し示す場合」
    2. 「BがAに指し示される場合」
    3. 「AがBを指し示さない場合」
    4. 「BがAに指し示されない場合」
    5. 「AがB以外のものを指し示す場合」
    6. 「BがA以外のものによって指し示される場合」
    7. 「Aが何モノも指し示さない場合」
    8. 「Bが何モノにも指し示されない場合」
  2. (b)
    1. 「Aが、Bを、指し示す」
    2. 「Aが、Bならざるモノを、指し示す」
    3. 「Aならざるモノが、Bならざるモノを、指し示す」
    4. 「Aならざるモノが、Bを、指し示す」
・・〜BΦ
Aが、Bを指し示す。Bが、Aに、指し示されるAが、Bならざるモノを、指し示す。Aは、何モノも指し示さない。
〜AAならざるモノが、Bを指し示すAならざるモノが、Bならざるモノを、指し示す。Aならざるモノは、何モノも指し示さない。
ΦモノもBを指し示さないモノもBならざるモノを指し示さないモノも、何ものを指し示さない
  1. (c)
    1. 「Aが指し示すモノは、Bである」
    2. 「Aが指し示すモノは、Bではない」
    3. 「Aが指し示さないモノは、Bである」
    4. 「Aが指し示さないモノは、Bではない」

画面名とモノ

  1. 「xxシステムのエントリー画面」とか「xx入力画面」とか、プロジェクトにおいては、画面に名前がついている。画面は、モノなのか?
  2. 名前を付けられた「画面」はモノか?
    1. ○:
      1. 《思いこみ》モノであり、モノの一部はモノである。
      2. モノであるかのように扱われるものはモノである。
      3. 輪郭があり、他から区別可能な部分はモノである。
    2. ×:
      1. 物体ではない。
  3. 名前によって区別されていない画面はモノか? ○:。×:。
  4. 長いページのスクロール途中の画面はモノか? ○:。×:。
  5. 画面名は種類名か、個有名か? ○:種類名だろうね。×:。
  6. 画面名はモノとしての画面を指し示しているか? ○:プロジェクトの途中で、未完成である場合には、モノとしての画面を指し示してはいない。《思い描き》である。《思い描き》を指し示すコトバである。×:。

名色とモノ

  1. 「名色」というのは「名前とモノ」ということ。つまり、「モノとそのモノを指し示すコトバ」という意味。なんで、別のモノが一つの単語で語られているのか?

《私》モノ

  1. 《私》モノではない、なぜなら、《私》は、『《私》モノではない』という《思いこみ》をもったモノだからである。

モノモノ自体:

  1. モノ自体はあるであろう、が、モノ自体への認識は、不確かな《思いこみ》でしかない。モノ自体は不確かな《思いこみ》でしか認識することができない。(不確かな《思いこみ》=狭義の《思いこみ》)。
  2. モノは、モノ自体と《知りつつあるモノ》との接触によって生じる《知られつつあるモノ》である。《知りつつあるコト》という作用の終点に現れるものである。
  3. モノ自体」って何? 「モノ」と「モノ自体」でどう違うの? コトバの暴走ではないのか? 「モノ」と「モノの認識」なら、まだ話は分かるが・・。「モノの認識」は《思いこみ》であって、「モノ」は「モノの認識」から離れたところにある、別のモノである。という結論になる。「モノ自体」という訳のわからないコトバを持ち出すと、訳がわからなくなる。訳のわからないコトバを持ち出せば、訳がわからなくなる、というのは当たり前だ。
  4. モノ」というコトバモノイデアを指し示す、という前提が有るのだろう。
  5. モノ自体」というコトバ《モノの世界》の中のモノを指し示す、という前提か?
  6. http://coindelarue.client.jp/coin/m1/m41.htm
    1. 経験できる世界…知る事ができる
    2. モノ自体は知る事はできない。
    3. 赤いレンズの入ったサングラスをして生きている人は、白というモノを知覚する事はできない為、白とはどういうものかという事を議論する権利はない。
    4. だが、赤いサングラス越しで見て、白いモノも赤いモノとして認識する事はできる。
    5. 我々が知る事のできる世界というものも、それと同じである。
    6. 一つの枠組みを通してモノを知る事はできても、その枠組みを超えた所にあるモノの知識を知る事はできない。だからモノ自体を知る事はできないのである。
  7. 感覚器官を捨象して、感覚器官を媒介としないで、モノを認識することはできない。ということのようだ。
  8. 不可能なことを試みる必要があるのか? 十無記だろう。
  9. そうではなくて、カントが言っているのは、「モノ自体」が、たけ(tk)モノであって、カントの「モノ」は、『モノ』《思いこみ》行動様式の相互作用によって生じる、それが『そのようなモノである』という《思いこみ》のことなのではないか? アレーテイア
  10. モノ自体」が認識でないのではなく、直知によって認識することはできるが、それをコトバによって「それ自体であるようなモノとして」は認識することはできない、ということではないか? コトバによる認識は《思いこみ》を指し示すことしかできないから、モノを指し示すとしても、間接的であり、離れて存在している、から、「モノそれ自体」と1対1で対応するようなモノとして、指し示すことはできない。コトバ《思いこみ》は、誤って指し示すこともあるから、1対1ではあり得ないのである。離存性
  11. とするなら、むしろ、人々の誤解の仕方、に興味が移る。人々は《思いこみの世界》に住んでいるのである。《知った思いこみ》《世界》に住んでいるのである。『知ったつもり』の《世界》に住んでいるのである。環世界コトバ《思いこみ》行動様式の相互作用によって生じた『モノ』《世界》に住んでいるのである。人々は《コトバの世界》に住んでいるのである。それゆえに、「モノ自体」=《モノ》は認識できない、ということに、不思議を感じ、それをなんとか、正当化しようとし、慰めのコトバによる説明を、コトバによって、行うとするのである。
  12. カントの「モノ」と「モノ自体」は、たけ(tk)『モノ』と《モノ》である。

モノ『モノ』『社会的存在』

  1. 《サル山のサル》《思いこみ》行動様式の相互作用によって、或るモノが、特定の機能を持った『モノ』として扱われるとき、その『モノ』《思いこみ》を『社会的存在』という。
  2. 『自動車』という『モノ』《思いこみ》によって存在する『社会的存在』である。《思いこみ》行動様式の相互作用によって存在している。『自動車』というモノは存在しない。モノの側の属性としての『自動車』は存在しない。ヒトがそれを『自動車』であるという《知った思いこみ》を持ち、それを『自動車』として扱うかぎりにおいてのみ、それは『自動車』でありうるのである。

道具モノ

  1. 『法律』は道具である。
  2. 建物は道具である。洋服は道具である。コンピュータは道具である。
  3. 《サル山のサル》道具を有り難がる。
  4. 《サル山のサル》道具を作る。
  5. 道具《サル山のサル》の欲求に奉仕する。
  6. 道具《サル山のサル》《思いこみ》から生じる。
  7. 『国家』道具である。

「xxであるモノ」と「xxであるかの如く振る舞うモノ

  1. ヒトは「xxであるかの如く振る舞うモノ」を「xxである」と呼ぶ。
  2. 「xxではないにもかかわらず、xxであるかの如く振る舞うモノ」の「xxではない」の「xx」とはなにか? 「xxというモノは存在しない」にもかかわらず、「xxではないにもかかわらず、xxであるかの如く振る舞うモノ」。つまり、「xx」は《思いこみ》であってモノではないようなもの。
  3. ヒト《思いこみ》によってモノに名前を付ける。名前は《思いこみ》である。
  4. 『xxであるようなモノ』という《思いこみ》が先にあって、それにマッチするという《思いこみ》が生じたモノにたいして、「xxである」というコトバを発する。

水の電気分解の実験をしたら酸素と水素が出来ました、というのはよいけれど。出てきた気体が酸素であること、水素であることは、どうやって確認するのか。そもそも、元の液体が水であることはどうやって証明するのか?

モノとRect

  1. Rect(top,left,width,height)・・二次元、3次元Rectは、英語が分からぬ。
  2. 時間を含めた4次元Rectも想定可能。モノの一定期間、もしくは、モノの発生から消滅までの時間の枠を加えた3次元Rect。四次元時空におけるRect。
  3. モノの回りに3次元Rectを配置することができる。
  4. Rectはモノ《アニマ》ではない。
  5. Rectは《私》からモノへの《思いこみ》の一部である。
  6. Rectの(top,left)はどこから見ての数値か? 《私》を原点とする数値か? どこか、別の場所を原点とする数値か?
  7. 数値で表わすためには座標軸の単位と向きと基点とが必要。つまり座標系の定義が必要。Rectが完全であるためには座標系オブジェクトへの参照が必要。Rect(座標系オブジェクト,top,left,width,height)。
  8. Rectはモノの属性か? ○:そのモノ《繋がり》はそのモノの属性・述語である。×:Rectはそのモノ自体としての属性ではない。
  9. Rectは基点を有するモノとの《繋がり》か? ○:。×:。
  10. Rectは座標系を有するモノとの《繋がり》か? ○:。×:。
  11. Rectは、そのRectを有するモノとの《繋がり》か? ○:。×:。
  12. Rectはモノか? ○:オブジェクトとして扱うのが一般的。《思いこみ》モノである。×:Rectというモノは存在しない。基体ではなく述語である。《思いこみ》である。関係である。《繋がり》の一種である。Rectはモノモノとの《繋がり》の属性である。

モノIDID

ディレクトリとモノ

  1. ディレクトリというモノはあるか?
  2. 《他者の知った思いこみ》と《他者の求める思いこみ》が全てである。
  3. 《他者の知った思いこみ》において「ディレクトリ」という『モノ』はあるのである。
  4. 《他者の求める思いこみ》において「ディレクトリ」という『モノ』は作られ、使われるのである。
  5. 《他者の思いこみ》としての『モノ』
  6. 《他者の心の作用》が『すべて』である。

概念とモノ

  1. 「xxという概念に該当するモノ」。
  2. モノの種類、ともちょっと違う。
  3. 「指し示す」と「該当する」とはちょっと違う。
  4. モノの、概念への該当性は、判断すべきもの、吟味されるべきもの。
  5. モノの名前」は《視点》コトバモノが一直線に並んでいるが、「概念」では、《視点》→概念、《視点》モノ《視点》→該当性判断、というように横から見た《視点》になっている。
  6. 「種類」では「帰属性判断」「xxという種類に属するモノ」。
  7. たぶん、名前、種類、カテゴリー、概念の使い分けの訓練は、論理学・論理的思考・論理的表現の基礎的テクニックのはずだ、外国では使い分けのテクニックの訓練を行っているのではないだろうか? どうかな?

モノと輪郭

  1. モノに輪郭が在るとは限らない。
  2. 水に落としたインクに輪郭が在るか? 最初は在るだろうが、広がっていくに従って輪郭は曖昧になり、輪郭といえるモノは無くなる。

《オブジェクト》とモノ

  1. 《思いこみ》の中のモノを《オブジェクト》と呼ぶ。
  2. 『国家』は《オブジェクト》である。
  3. 『お金』も《オブジェクト》である。
  4. 『法律』は《オブジェクト》である。
  5. 『プロジェクト』は《オブジェクト》である。
  6. 『信念』や『目標』も《オブジェクト》である。
  7. 幻の中のモノも《オブジェクト》である。

モノとパターン

  1. ヒトは、一定のパターンが繰り返し現れたときに、それをモノとして認識する。
  2. 《動き》のパターンはモノか?
  3. 《規則》とは《動き》のパターンである。
  4. 《プログラミング・オブジェクト》は、コンピュータの《動き》のパターンの中で、あたかもモノであるかの如くに振る舞うパターンを有する部分である。それの存続期間内であれば、呼べば答える、というパターン。
  5. 「呼べば答える」というパターンがモノのパターンなのか? 目をやれば見える、つかめば持ち上がる。ヒト《動き》に対する応答可能性がモノのパターンなのか?

モノと名前

  1. モノへの名前》は(名づければ)存在するが、《モノからの名前》は(通常は)存在しない。
  2. 《「xx」という名前で指し示される一群のモノたち》は存在する。
  3. 《知りつつあるモノ》《視点》から見ると、《知りつつあるモノ》《思いこみ》−名前−モノたちが一直線に並び、一体のものとして感じられる。
  4. しかし、それを《息しつつあるモノ》《視点》からみると、いびつな線上に並んだ別のモノたちとして見えてくる。そもそも、体外世界の複数のモノたちが、主観からの一本の直線の上に並ぶことは有り得ないではないか。
  5. 《求める思いこみ》は、四次元時空の将来方向にあるモノへの《指し示す思いこみ》である。
  6. モノに名前を付けると、『モノを支配した』という《思いこみ》が生じる。名前という《思いこみ》を支配することは可能。正確には『モノへの名前という《思いこみ》を支配した』という《思いこみ》というべき。

紙とモノ

  1. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99
    1. ワインダーパートで巻き取られる紙は巾数メートルから10メートルという巨大なロールであり、輪転印刷機といえどもこのままでは使用できない。
  2. 紙とは《思いこみ》によって変形されたモノである。「A4」とは《思いこみ》の名前である。《思いこみ》に名前を付けても意味がない? 《思いこみ》《指し示すコトバ》か、『規格』という《思いこみ》《指し示すコトバ》モノの『種類』という《思いこみ》《指し示すコトバ》。「A4」というのはモノ《指し示すコトバ》ではない。『規格』『種類』という《思いこみ》《指し示すコトバ》である。その《思いこみ》を通じて、「あのA4用紙」というコトバは?「あれ」というモノ《指し示すコトバ》であり、指し示しのあいまい性を現宿するための限定要素として、「紙」「A4サイズの紙」が付加されている。
  3. 「{:paper_size => :A4}」というコトバは何を意味しているか? コンピュータの《動き》への命令として意味を持つコトバである。コンピュータは、A4の何であるか、は理解していない。他のハッシュのキーとなるビット列である、というだけの意味しか理解していない。しかし、ひるがえって、人間は、A4の何であるかを理解しているのか? 行動や思考の解発刺激としてのキーとしての音声列である、という意味でしか理解していないのではないか?

《思いこみ》によって《指し示されたモノ》と《思い描かれたモノ

  1. モノには《思いこみ》によって《指し示されたモノ》と《思い描かれたモノ》とがある。
  2. モノ》は「モノ」というコトバによって《指し示されたモノ》である。
  3. モノ》は「モノ」というコトバによって指し示された『モノ』という《思いこみ》によって《指し示されたモノ》である。

モノからの同一性」と、「モノへの同一性

  1. モノはそれ自体として、時間的に持続して存在し、時間を越えて同一性をもって持続する。これを「モノからの同一性」という。
  2. 我々がモノに対して、『このモノはかつてのあのモノと同一のものである』という《知った思いこみ》を持つことを、「モノへの同一性」と呼ぶ。
  3. アメーバが分裂するとき、アメーバAがアメーバBとアメーバCとに分裂するとき、モノからの同一性は、アメーバBとアメーバAとは同一性をもって持続しており、アメーバCとアメーバAとは同一性をもって持続している。しかし、アメーバBとアメーバCとは(時間を逆転する同一性を認めるのでない限り)同一性を有しない。(同一性を有すると判断してもよい)。我々の『モノへの同一性』という《思いこみ》は、『A=B』『A=C』『B<>C』という矛盾に堪えられない。『B<>C』かつ『B=C』という矛盾にも堪えられない。
  4. 光が波であり、かつ、光は粒子である、という矛盾にも堪えられない。(二重スリット問題)。「素粒子からの粒子性」と「素粒子への粒子性」「モノへの粒子性」。素粒子からの粒子性を記述する数式は有るらしい。問題はそれが我々の『モノへの粒子性』とは違っている、ということだ。
  5. 「アメーバからの同一性」を記述するのは可能だ。しかし、問題はそれが我々の『モノへの同一性』という《思いこみ》とは違っている、ということだ。《モノの世界》における「モノからの同一性」が《思いこみの世界》《コトバの世界》における『同一性』の意味(「モノへの同一性」)とは異なっている、ということだ。
  6. 我々は、アメーバを観察し続けなければ、0時点でのアメーバA0と1時点でのアメーバA1とが同一であると認識できないだろう。個体識別指標が得られない限り、観察を中断すると「モノへの同一性」は失われてしまう。しかし、もちろん、アメーバA0は同一性を保って持続してアメーバA1になったのであるから、「モノからの同一性」はある。観察の持続は識別指標である。持続した観察において、そのモノが持続的に存続するなら、我々は前のモノと後のモノとが同一であると判断する。モノが持続的に存続していると観察されること、が識別指標である。

モノと『同一性

  1. 同一性』は《思いこみ》である。《道具的な思いこみ》である。ヒトの都合で、モノ重ね合わせると便利な《思いこみ》である。
  2. 同一性』の《思いこみ》は、どのような意味で便利なのか?
  3. 時間的な同一性。或るモノ時間同一性。『時間が異なってもそのモノは同じモノである』という《思いこみ》のメリット。
  4. タバコと(吸い終わった後の)吸い殻は同一のモノか? タバコと(それを吸っているときの)煙とは同一のモノか? 『同一である』と思いこんでもよいし、『同一のモノではない』と思いこんでもよい。
  5. そのモノが存在する時間的範囲、は『同一性』の《思いこみ》に依存する。

モノ同一性モノの識別指標

  1. 識別指標とはモノ同一性への《知った思いこみ》/または/モノの種類への《知った思いこみ》を形成するための、モノからの特徴である。
  2. モノには、モノ同一性への識別指標/または/モノの種類への識別指標となり得るような特徴があり、我々はそれを見つけることができる。
  3. モノの個体識別と種類識別。
  4. 《私》の箸は、二本一組であるが、『《私》の箸』の識別は、個体識別なのか、種類識別なのか。二本一組で一つのモノであるとするなら、個体識別。二本の箸の個体の《群れ》に属するモノという種類の識別であるとするなら、種類識別ということになる。

モノへの思いこみ》と《モノからの思いこみ》

  1. モノへの思いこみ》は、《私》が有する、そのモノに関する《思いこみ》である。
  2. モノからの思いこみ》は、そのモノが有する《思いこみ》である。

モノと、モノからの《思いこみ》

  1. モノ《思いこみ》をもつか? 
  2. モノは内部状態をもつか?

モノと「モノヒトにとっての意味」、《モノへの思いこみ》

  1. モノには「人にとっての意味」がある。
  2. 《思いこみ》《重ね合わせ》
  3. 或るモノは、ヒトにとってゴミである。或るモノは、ヒトにとっての貴重品である。
  4. モノヒトにとっての意味」はモノの属性ではない。ヒト《思いこみ》に属する問題である。《思いこみ》《重ね合わせ》である。
  5. ヒトモノ《思いこみ》《重ね合わせ》で認識する。ヒトモノへの認識とは、そもそも、《思いこみ》《重ね合わせ》である。《モノヒトにとっての意味》はヒト《動き》との《繋がり》における、ヒトモノへの認識である。

モノと《自己言及的なモノ

  1. 不可直観的なモノモノか?
  2. 不可直観的なモノは、輪郭を有しない。
  3. 《思いこみ》におけるモノ
  4. 自己言及の次数軸に膨らみを持ったモノ
  5. 自己言及的なモノ》も何らかのクオリアを感じるモノである。

色とモノ

  1. 色はモノ
  2. 色の座標軸(3原色なので3つの座標軸であろう)での輪郭、位置を持つ。

モノ《極座標の原点》

  1. モノ《極座標の原点》である。
  2. モノの群れ》はモノである。
  3. 観測者と観測対象は《モノの群れ》である。
  4. モノ《極座標の原点》を置くことができる。モノに主体性を置くことができる。モノ《知りつつあるモノ》を置くことができる。

モノと存在証明

  1. 「xxというモノ」というコトバが指し示すモノがある場合には、そのコトバは正しい、と言われ、指し示すモノがない場合には、そのコトバは空虚であると言われる。
  2. 存在、不存在は、コトバの問題であり、モノの問題ではない。
  3. 証明というのはコトバを組み合わせて、コトバの真偽を明らかにすること。

モノ脳科学

  1. モノ脳科学的な回路の産出物である。
  2. モノ世界《近傍物理空間》《アニマ》を感じるのは脳科学的回路の産出物である。
  3. モノ《アニマ》は有り得ない』というのは一つの《視点》である。
  4. モノ《アニマ》はある』というのも一つの《視点》である。
  5. 《視点》脳科学的な回路の選択である。

モノ四次元チューブ

  1. モノ四次元チューブである。
  2. モノ同一性四次元チューブ
  3. モノ四次元チューブであるのは、そのモノ時間同一性を有するかぎりにおいてである。
  4. モノ同一性は、《思いこみ》であり、《視点》依存的である。
  5. アメーバAが分裂して、アメーバBとCになったとして、それを同一とみなして、四次元チューブの分岐と見ることもできるし、別物とみなして、アメーバAの終端とB、Cの始端と見てもよい。『同一性』は《視点》依存的である。
  6. 四次元チューブ《視点》依存的である。
  7. モノ《視点》依存的である。多次元輪郭空間《視点のパラメータ》
  8. モノが、《視点》によって別のモノに見えるようになるのは、モノの問題ではなく《視点》の問題である。それゆえに、《視点のパラメータ》《視点》を知ることが必要である。
  9. 四次元チューブは一つの《視点》である。しかし、或るモノへの《視点》の自然な拡張である。或るモノがあるなら、そのモノ時間的延長としての四次元チューブが決まる。或るモノへの《視点》と、そのモノ四次元チューブへの《視点》とは同じである、か?
  10. 《いま・ここ》の《視点》と、時間的連続の《視点》

モノID番号

  1. モノにはID番号が必要である、か?
  2. ISBNというのはモノIDではなく、種類のIDだな。本としての個体が異なっていても「同じ本」なのか? 「同じ種類の本」か? 
  3. 本の《個体》にはID番号がない。付ければ、付けることができる。番号を付けて、シールを貼っておけばよい。ケーブルにも《個体》としてのIDはないが、タグを付けてIDをさだめて、管理している。
  4. モノに対してIDを決めること。《決め》ということ。《決め》というのは「決めるということ」の略。《決めるということ》かな?
  5. 名前を決めること。

モノと『種類』

  1. 『女房』というのは《個体間関係》というモノの『種類』である。
  2. 『種類』は《思いこみ》である。
  3. 複数ものモノがある程度似ているときに、同一の『種類』であると思いこむ。
  4. 『形而上学・下』p.208
    1. ゲノス(種族・類)と言われるのは、まず、
      1. (1)同じ形相をもつ事物の連続的な生成の存する場合、たとえば、「人間どもの種族(ゲノス)の存するかぎりは」というのは、「かれらが相継いで生成しているかぎりは」という意味でそう言われるのである。つぎには、
      2. (2)或る事物の存在がそれに由来するところのそれらの第一の動者について言われる。たとえば、或る人々はその種族はヘレネスであると言われ、また或る人々はイオネスであると言われるが、それは、そのようにかれらの出生の由来する第一の父祖が、前者のはヘレンであり後者のはイオンであるからである。・・さらにまたゲノスというのは、
      3. (3)平面が平面的諸図形の類(ゲノス)であるとか、立体が立体的諸図形の類であるとか言われるような意味にも用いられる。というのは、この場合、諸図形の各々はそれぞれ、或る特定の平面であり、あるいは或る特定の立体であるからであって、類としての平面や立体は、これら特定のものどもの種差にとって基体たるものである。さらにまた、
      4. (4)事物の説明方法に含まれる第一の要素、すなわちその事物のなになにであるか(本質)を言い表すものが、類(ゲノス)と言われ、それの諸性質は種差(ディアフォラ)と言われる。
    2. ・・
    3. また諸事物が「その類(ゲノス)において他(ヘテラ)である」(類を異にする)と言われるのは、それら諸事物の第一の基体が相異なっていて、互いに他に解消することもできず、あるいはその両者が或る同じ基体に解消することもできないようなそれら諸事物についてである。たとえば、形相と質料とは類において他である、また、およそそれの存在の述語形態(範疇)を異にするものどもすべて互いにその類を異にしていると言われる、というのは、−−《ある》(存在する)と述語されるものどもの或るものはそれの《なになにであるか》(実体)を指し示す述語形態であり、他の或るものはそれの《どのようにあるか》(性質)を指し示すそれであり、その他のものもさきに我々の区別した通りであるが、−−これらも、互いに他の述語形態には解消しえず、また或る同じ第三のものに解消することもあり得ないからである。
  5. 《モノの世界》には明らかに同じ『種類』であると感じられるモノ共、明らかに異なる『種類』と感じられるモノ共と、『種類』が分からないモノとか、同じ『種類』かどうか微妙なモノ共がある。『種類』という《思いこみ》の中心概念を取り出すのが必要だろう。
  6. 周辺部分は、どんな《思いこみ》でも、問題が残る。(周辺部分では虹の色分けの問題が生じる)。中心部分でしかつかえない《思いこみ》は役に立つのか? イデアルモデル(理念型)。
  7. どんな《視点》から見ても同一の『種類』というモノはあるか? 《視点》によってはそのモノ自体が見えなくなることがある。
  8. 『種類』を指し示すコトバがなくても、同一の『種類』のモノという判断は可能か? 可能だろうな、とりあえず第一分類、第二分類と分けて、後からその分類に特有な特徴を抽出して、その特徴から名前を付ける、ということがある。花の名前は知らないが、「白い花」とか「白くてちょうちょみたいな形の花」とかに分類することができる。
  9. ということは、『種類』はモノの属性か? モノの属性ではない。分類する側のヒト《思いこみ》である。
  10. モノアニマ》は『種類』を識別するか? 素粒子は「引力」と「斥力」とを区別して認識する。か?。他の素粒子との距離によって、同じ《ちから》が引力になったり斥力なったりするのか? 「距離」と「引力・斥力」は区別して認識する、だろう。

モノと『種類における同一性

  1. 種類における同一性。「王将の餃子」は、開店当時の餃子(肉たっぷりの超お買い得の餃子)と、現在の餃子(安いけど・・の餃子)とで同じモノか? 「王将の餃子」というコトバで指し示されるモノとしては同一の種類のモノである。「開店当事の王将の餃子」と「繁盛しはじめてからの王将の餃子」という異なるコトバで指し示されるモノは、別の種類のモノである。
  2. 《今・ここの・このモノ》は『ヒト』という種類のモノか?

モノと『可能性』

  1. 『可能性』は『同一性』の《思いこみ》に付加する《思いこみ》である。『時間的に異なっていても同一のモノである』という《思いこみ》を前提にして、『そのモノはxxすることができる』というのが『可能性』である。状態が変わる可能性がある、xxの状態になる可能性がある、xxに移動する可能性がある、xxの形になる可能性がある、というのは同一性を保持したまま、そのモノが変化する可能性がある、ということ。別のものに変わる可能性がある、というのも一つの可能性。
  2. 「転化というのにも四通りあるので−−すなわち、(1)実体におけるそれか(生成と消滅)、(2)性質におけるそれか(属性・性質における変化)、(3)量におけるそれか(増大と減少)、(4)場所におけるそれかであり(移動)、・・」(『形而上学・下』p.136)。・・形が変わる、というのがないね・・形は性質なのか? 内部状態が変わる、というのもないね。情報のアウトプット(《思いこみ》噴出)はモノの形が変わることによって行われる。現在の形は、その形に変化したモノである。情報のアウトプットはモノの形そのもの、モノの現れそのものによっても可能か・・。

モノ《視点》

  1. 同じモノを別の《視点》からみれば別の《かたち》にみえる。別の《かたち》モノが同一のモノであるのか、別のモノであるかの判定は困難である。
  2. 《ヒトの群れのアニマ》は「在る」。多くの人びとがそれを信じて動くことによって、実在化する。《ヒトの個体》《思いこみ》による《動き》によって《群れの動き》の輪郭ができる。
  3. パターン=輪郭はモノを作る。インクやピクセルのパターンは文字というモノを作る。絵というモノを作る。道具モノのパターンである。道具のイデアに対応する形を有するモノ道具である。
  4. メモリ中のビット列の形は、それだけでは、どのような意味を持つかは決まらない。そのビット列を利用する側の《視点》によって、意味が決まる。(文字コードか、数値か、コマンドか、ポインタか、ゴミデータか・・)。
  5. モノ《かたち》モノへの《視点》モノを生み出す。世界の中の一部分の《かたち》と、世界への《視点》モノを生み出す。
  6. 《原子》とは『原子』の《かたち》をした素粒子の《群れ》である。《原子》というモノは、『原子』という《思いこみ》にマッチする《かたち》をした、素粒子の《群れ》である。《群れ》《かたち》モノである。

モノと分類

  1. モノは分類することができない。分類は分類するヒトの側の《思いこみ》である。
  2. モノは分類することができない。モノは無限の属性を持ち、他のモノからは絶対的に区別される。分類可能なのは、「そのモノ」と「そのモノ以外」という分類だけである。
  3. モノは分類することができない。しかし、それでは困る。困るというのはヒトの都合である。ヒト《求める思いこみ》にとって不都合なのである。分類を《求めつつあるモノ》
  4. データベースは、それを使うヒトの都合で作られる。登録されるモノの都合ではない。
  5. 人の記憶では、テーブルの項目も柔軟、項目の有無・追加が柔軟、項目の個数(項目ごとの履歴、微妙に違うが同じモノとして扱う複数の項目)が追加可能。極めて柔軟なデータベースである。
  6. 「人」のデータベースでの最大公約数は、idとmemoだけである。名前は分からない場合もあるし、沢山の名前をもっている場合もある。
  7. 一見の客やセールスマンと家族や仲間とは同じテーブルに入るべきか? 中間形態はわんさか。人間の記憶って何だろう? 一見の客でも次に来たときに覚えているかもしれない。一見の客が、なじみ客になり、友人になり、親戚になるかもしれない。あらかじめ、関係を予見することはできない。
  8. 「人」のデータベースではidも不定である、ある場面で出会った人と、別の場面で出会った人が、当初別人であると思ったとすると、別のidになる。しかし、その後同一人物であったと分かった場合には、二つのidを一つにしなければならない。逆に、同一人物だと思ったら、実は別人だった、と言う時には、一つのidを二つに分けなければならない。でもまあ、これはidを前提にした話で、idをどのように処理すべきか、という話。
  9. 人の記憶のデータベースは、「同一のモノ」と「その属性」「同一性識別のための指標」というデータベースだろう。「同一性識別のための指標」のパターンで共通のパターンがある場合には、項目を追加する。項目がある場合には、人は、その項目に該当する属性を知ろうとする。たとえば「名前」。

モノ時間的連続性

  1. 細胞分裂した前のアメーバAと、後のアメーバBとは時間的連続性を有する。細胞分裂した前のアメーバAと、後のアメーバCとは時間的連続性を有する。アメーバBとアメーバCとでは時間的連続性を有しない。cf.企業の分割、合併。
  2. 別のモノ同一性を有しないモノ時間的連続性を有する。

モノと『同一性

  1. 同一のモノ(たとえば靖国神社)が時間とともに、意味が変わっていく、という問題。靖国神社は時間的連続性を有する。視点の方が千差万別。大村の招魂社と福羽の招魂社と陸軍が祭祀する招魂社と、神官が祭祀する招魂社と、明治期の靖国神社と元宮併合後の靖国神社と、戦後の靖国神社と、遺族にとっての靖国神社と、現在の右翼にとっての靖国神社とでは同一性を有するのか? 何らかの視点から見ることによって生じる意味を取り除いた、モノとしての靖国神社には意味がない。《思いこみ》重ね合わせられないモノには意味がない。《思いこみ》が問題である。存在しないモノへの《思いこみ》は空虚である、存在するモノへの《思いこみ》には《ちから》がある。《モノへの思いこみ》がそのモノ『意味』である。
  2. 視点の違いによる同一性の問題と、時間の違いによる同一性の問題とでは異なる。
  3. 議論において、同じコトバを使っていても、同じコトバが別のモノを指し示している場合には、議論にならない。
  4. 同一性』は《思いこみ》である。或るモノが、時間や場所を超えて『同じである』という《思いこみ》は、そう思いこむと便利なことが多い。よって、それが便利であるかぎりにおいて、そう思いこめばよいのである。
  5. 場所が異なる場合には、別のモノであって、同じ種類のモノではないのか?
  6. 特定の《思いこみ》についての議論において、別のヒトが同一の《思いこみ》を持つということはあり得るのか?
  7. モノにとっては、ヒトが『同一である』と思いこむかどうかは知ったことではない。
  8. 《思いこみ》の便利性。有用性。
  9. 「ブッシュ氏」というコトバは、一つのモノを指し示しているのか? 同一のモノも、時間が異なれば別のモノではないか? 「ブッシュ氏」というコトバは、様々な時間の、様々な視点から見た、たくさんのブッシュ氏というモノの集合ではないのか?
  10. 同一性公理と、異物性の公理
  11. アメーバの同一性。細胞分裂した前のアメーバAと、後のアメーバBとは同一性を有するか? 細胞分裂によって「死んだ」のか? アメーバが細胞分裂によって死んだとすると、人間の場合はどうなるのか?
  12. 同一性』は《思いこみ》である。ヒトが何らかの利便性のために《思いこみ》道具として思考したいということであるから、目的に応じて判断するほかない。ヒトは、細胞の《群れ》である。細胞の《群れ》同一性は、成員たる細胞の分裂や消滅によっては、変わらない。か? 二重人格の場合はどうか?
  13. モノ時間的連続性と、同一性。細胞分裂した前のアメーバAと、後のアメーバBとは時間的連続性を有する。細胞分裂した前のアメーバAと、後のアメーバCとは時間的連続性を有する。アメーバBとアメーバCとでは時間的連続性を有しない。cf.企業の分割、合併。別のモノ同一性を有しないモノ時間的連続性を有する。

モノ同一性時間

  1. 「ブッシュ氏」というコトバは、一つのモノを指し示しているのか? 
  2. 同一とみえるモノも、時間が異なれば別のモノではないか? 
  3. 生きているブッシュ氏と死んだブッシュ氏(死体)とは同じモノか?

モノ同一性モノへの視点

  1. 「ブッシュ氏」というコトバは、様々な時間の、様々な視点から見た、たくさんのブッシュ氏というたくさんのモノの集合ではないのか?

モノ同一性と「どこでもドアの恐怖」

  1. 再構成された記憶の恐怖。
  2. http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/sikou3.html
    1. のび太は、学校の前で気がついた。
    2. 「扉をくぐる前」 と 「扉をくぐった後」……。
    3. 変わったのは、景色だけであり、のび太は相変わらず『のび太』だった。
    4. 心配してドキドキしながらドアをくぐりぬけたことも、
    5. ドラえもんと会話したことも、はっきりと覚えている。
      1. ●「な〜んだ。ボクはやっぱり『このボク』じゃないか。
      2.  心配して損したよ〜。」
    6. のび太は、元気に教室へ向かって歩き出した。
    7. ――――――――――――――――――――――――――――
    8. その同時刻……。
    9. のび太は、暗闇の中で気がついた。
      1. ●「あれ?ここは何処だろう?
      2.  ――あ、そうか。
      3.  ボクは 『どこでもドア』 の中にいるのか。」
    10. せまい。
    11. 狭い部屋の中だった。あたりは壁で何もない。
        1. することもない、のび太は、しかたなく、
    12. 向こうの『のび太』に思いをはせる。
      1. ●「………きっと、ボクの肉体の情報が、スキャンされて
      2.  学校にある『どこでもドア』の方では、ボクと同じ肉体の『のび太』が
      3.  再現されているんだろうなぁー。
      4.  でも、あれ?
      5.  なんでボクはまだ意識を持っているんだろう?
      6.  それに……もしも、こうしている間に、
      7.  向こうの『のび太』がすでに再現されていたとしたら――」
    13. のび太が、ふとそんな疑問を持ったそのとき、
    14. どこからともなく『シュー』という音が聞こえてきた。
    15. けむり?
    16. 何気なく、手を見ると、
    17. ――どろり
    18. 指が溶けていた。
  3. しかしなんで、こんな思考実験をするのだろう?
  4. あそうか、本物の記憶と、再生された記憶とでは、区別することができない。記憶が本物の記憶であるかどうかを確認することはできない、ということだな。加速度と重力が区別できない、とか・・。
  5. 不確定性原理とか二重スリット問題の説明のために出てきたパラレルワールドの発想だな。
  6. コピー機の発想か? 人間を情報の塊として捉え、情報のコピーの可能性という視点で人間を見た場合には、この可能性が出てくる、という分けだ。
  7. うーんむ。細胞分裂で増殖するアメーバの《我》はどこにあるのか? 《我》の定義しだいだろう。細胞分裂によって《我》が死んで、新しい《我》が生じる、と言うように定義することもできるし、細胞分裂によっても同一性を保って《我》が分裂する、と言うように定義することもできる。ヒトの場合には、《我》は生殖細胞の分離によって《身体》側の《我》は持続し、生殖細胞側には新たな《我》が生じる。ヒト《我》は細胞に属するのではなく、細胞の群れに属する。ヒト《我》モノの群れ(というモノ)の《我》である。アメーバの細胞だってモノの群れか・・。
  8. アメーバの同一性は? アメーバA0がアメーバA1とアメーバA2に分裂したとき、アメーバA1とアメーバA0は同一であると言ってもよいだろう。同時にアメーバA2とアメーバA0は同一であると言ってもよいだろう。しかし、アメーバA1とアメーバA2とは同一であるとは言えない。
  9. 同一性」というコトバの問題だ。『同一性』の《思いこみ》の問題だ。『同じ』という《思いこみ》、『違う』という《思いこみ》の問題だ。『同じ』と判断しようが『違う』と判断しようが、それはモノとは無関係の《思いこみ》に過ぎないのだ。
  10. 時間を超えて『同一のモノ』と思いこむのは便利だ、というだけの話だ。そう思いこむのが便利であるかぎりにおいて、そう思いこめばよいのである。
  11. ヒトの『我』の《思いこみ》においても同じ。『我』の《思いこみ》時間を超えて同一性を保っているという《思いこみ》だ。モノとしての《我》《思いこみ》を離れて観察すれば、時間を超えた同一性は怪しい、完全ではない、ということが分かるだろう。『《我》は昔の《我》ならず』。

モノと関係

  1. モノモノとの持続的関係は、両者からなる包含システムを構成する。持続的関係はあたらなモノを作る。関係はモノである。一瞬の衝突であっても、その関係が一瞬で消滅するとしても、一瞬の間だけ存在するモノを作る。瞬間で消滅するモノと持続するモノ
  2. 陽子と中性子の関係が原子核というモノを作り、原子核と原子の関係が原子というモノを作る。
  3. モノモノとの関係は、新たなモノである。モノAとモノBとの関係はモノCである。

モノ格物

  1. 格物モノの何たるかを知る、モノ世界への《見通し》を得る。致知コトバの何たるかを知る。モノ世界への《見通し》を説明するコトバ《思いこみ》を伝達するコトバを知る。モノ世界への《見通し》に輪郭(定義)を与えるコトバ
  2. 世界には《モノの世界》《思いこみの世界》とがある。ただし、《モノの世界》《私》《思いこみの世界》ではない、という保障はない。

モノ《知りつつあるモノ》

  1. モノは知ることを求める。
  2. モノには《知りつつあるモノ》が内在する。《同質者公理》からの帰結。
  3. モノはそれ自体として、《知りつつあるモノ》である。《私》が虹を見る時、虹は、「見る、見られる」という関係において、虹は《私》《知りつつあるモノ》である。素粒子が他の素粒子の《ちから》を感じる時、素粒子は他の素粒子を《知りつつあるモノ》である。
  4. モノはそのモノ《世界アニマ》《知りつつあるモノ》である。モノ動きは、そのモノ《世界アニマ》《求める思いこみ》への応答である。

モノ《思いこみ》

  1. 「或る質料は感覚的であり或る質料は思惟的である」(『形而上学・上』p.312)・・思惟意的なモノというのは《思いこみ》のことであろう。
  2. 《思いこみ》モノヒト)の内部に存在するモノである。《思いこみ》モノヒト)の内部の状態であり、「ある程度の持続性をもって他から区別された部分」である。
  3. モノ(知るモノA)は他のモノ(知られるモノB)を認識することによって、『モノ(知られるモノB)を知った』という《思いこみ》を知るモノAの内部に生じさせる。モノAによるモノBの認識とは、知るモノAと知られるモノBとの共振関係によって、知るモノAの内部に『モノBを知った』という《知った思いこみ》が生じることである。《見通し》における認識。
  4. 《思いこみ》モノを指し示すことができる。モノ『モノ』という《思いこみ》重ね合わせることによって、『理解』される。《指し示し》と《重ね合わせ》。《指し示し》は離存性を前提として、離れたモノを指し示す。《重ね合わせ》は、《思いこみ》モノとの間の距離が意識されていない。主語と基体には離存性が意識されている。《指し示し》による認識と、《重ね合わせ》による認識。
  5. モノ《思いこみ》を持つか? 原子は引力の《思いこみ》を持つ。引力は《求める思いこみ》であり、他のモノ動かす。説明方法(ロゴス)の問題である。モノに内在する《思いこみ》《アニマ》という。
  6. たんに、知るモノAの内部に『モノBを知った』という《知った思いこみ》が生じる場合がある。幻による認識である。「モノB」というコトバを聞くと『モノBを知った』という《知った思いこみ》が生じる。この《思いこみ》は、実際にはモノBを何ら知らなくても生じることができる。実際にはモノBを知らないのに、『モノBを知った』という《知った思いこみ》が生じることを、幻による認識という。
  7. 聞慧・思慧・修慧

或るモノと、そのモノに最も似たモノ

  1. 「各々の事物にはそれぞれに最も近い固有の或る質料がある」(『形而上学・上』p.305)
  2. たしかに、「似たモノ」の分析は価値がある。
  3. 『形而上学・上』は『犬夜叉』と似ている。『形而上学・下』は『犬夜叉』よりも『形而上学・上』に似ている。本屋に在る『形而上学・上』はここにある『形而上学・下』よりも、ここにある『形而上学・上』に似ている。
  4. 『似ている』というのは《思いこみ》である。『類似性』という《思いこみ》。『類』という《思いこみ》
  5. 《同質者公理》《他者》《私》に『似ている』という《思いこみ》である。
  6. 或るモノとべるの別のモノは、『似ている』と共に『異なる』。『似ている』という《思いこみ》も、『異なる』という《思いこみ》も、『ある程度正しい』。『ある部分において正しい』。『ある視点において正しい』。
  7. 「視点」というのはイデアへの《入り込み》である。『本』というイデアへの《入り込み》においては、『犬夜叉』も『形而上学・下』も同じ程度に『形而上学・上』と似ている。『アリストテレスの形而上学の本』というイデアへの《入り込み》においては、『犬夜叉』は似ておらず、『形而上学・下』は似ている。

モノの質料と形相と、質感と輪郭

  1. 幻にも質感と輪郭とがある。
  2. 脳科学的には質感の処理と輪郭の処理とは別の回路で行われるらしい。
  3. 「技術によって生じる事物は、(技術者の)心(プシケー)のうちにそれの形相(エイドス)を持っている」。
  4. 形相は《思いこみ》である? 情報の形が変わること。

モノとその生成原因

  1. 「生成する事物のうち、或るものは自然(フィシス)により、或るものは技術(テクネー)により、或るものは自己偶発(アウトマトン)によって生成する」(p.247、『形而上学・上』)。
  2. 《思いこみ》というモノの生成原因は、《思いこみ》噴出?? テクネーに属するか? 《隠れた思いこみ》が表に出た《思いこみ》になるとすると、《思いこみ》は移動したに過ぎず、生成したとは言えない。情報がいつ、どこで、どのように生成されるのか? テクネー(技術)は《求める思いこみ》の一種だな。
  3. ユダヤ教〜キリスト教では、「自然(フィシス)」ではなく、神のテクネー(《思いこみ》)によって事物が生成されるとする。
  4. 日本的アニミズムでは、自己偶発(アウトマトン)で生成されるとする。《アニマ》の自己実現、《アニマ》噴出
  5. 個々のモノの生成を《宇宙史》《アニマ》噴出として捉えるなら、フィシスに近くなる。
  6. テクネーによる生成は、ヒト《アニマ》が他のモノの形を変えることによって、新しいモノを生成する、ということ。《アニマ》の交互作用で生成されるということ。
  7. 《アニマ》=内部因、《アニマ》の交互作用=外部因。《4原因説》。たけ(tk)の《4原因説》はアリストテレスの「4原因説」から微妙に離れてきたな・・。
    1. 《宇宙史》《アニマ》噴出がフィシスによる生成であり
    2. 《アニマ》の交互作用、複数のモノの群れの《アニマ》噴出、がテクネーによる生成であり
    3. それ自体の前身のモノ《アニマ》噴出がアウトマトンによる生成である。

モノと存在感と輪郭

  1. 『形而上学・上』p.232
    1. 「質料と形式から成る結合体」
  2. は「存在感と輪郭」のほうがすっきりする。
  3. 実体は「存在感」という《思いこみ》、『それは在る』という《知った思いこみ》を生じさせるモノである。実体には「輪郭」がある。その実体である部分とそれ以外の部分とを区別する『輪郭』という《知った思いこみ》を生じさせるモノである。《たけ(tk)の思いこみ》では、そのような「実体」を「モノ」と呼んでいる。

モノとアリストテレスの「ウーシア(実体)」と「ヒポケイメノン(基体)」

  1. アリストテレスは「ウーシア(実体)」とは「ヒポケイメノン(基体)」であると各所で述べている。そして「ヒポケイメノン(基体)」とは「主語で指し示されるモノ」「述語にはなりえないモノ」といった説明を加えている。
  2. モノコトバで説明しようとすると、コトバで表現した時のあり方(主語とか述語とか)において特徴的な部分を抽出して説明するほかないのであろう。
  3. ギリシャ語に於いては、コトバから離れたモノ《知った思いこみ》から離れて存在するモノを表現するための《他者のコトバ》が見当たらなかった、ということか?

モノ《知った思いこみ》

  1. 『形而上学・上』p.227
    1. 「ところで、《第一》というのにも多くの意味がある。しかしそれにもかかわらず、その全ての意味で実体は第一である。すなわち、
      1. (1)説明方法(定義)においても、
      2. (2)認識においても、
      3. (3)時間においても。
    2. けだし、他の述語的形態はいずれも(実体から)離れては存在しえないに、実体のみは離れて存在するからである。
  2. の「他の述語的形態はいずれも(実体から)離れては存在しえない」の「(実体から)」という追加は誤りであろう。「離れて存在する」を「(実体から)離れて存在する」と理解するなら、「実体のみは(実体から)離れて存在する」という訳のわからないことになる。
  3. この「離れて存在する」は「《知った思いこみ》から離れて存在する」と理解すべきである。すなわち、我々がそれを『知った』という《思いこみ》から離れた所に、実体は存在するということである。「モノ《思いこみ》から離れた場所に存在する」、という意味である。
  4. それに対して、述語というのは、もとから《コトバの世界》の中で通用している《他者のコトバ》でなければならない。そうでなければ相手は理解不能であり、説明にならないからである。従って、「述語的形態は《知った思いこみ》から離れては存在しえない」のである。
  5. 『形而上学・上』p.232
    1. 離れて存するものであること(離存性・独立性)と
    2. 《これ》と指し示しうるものであること(個体性)とが
    3. 最も主として実体に属すると認められている・・。
  6. モノ《知った思いこみ》から離れて存するものである、と同時に、《知った思いこみ》によって指し示しうるものである。
  7. この「(個体性)」という追加も余分だ。「(被指示性)」でよいではないか。

モノと「モノを説明するコトバ」、「モノを指し示すコトバ

  1. ブッシュ氏は物体であり、物体には質料がある、故に、ブッシュ氏には質料がある、と、説明できる。しかし、そのように説明できても、ブッシュ氏にイラク撤退を決定させるにはどうすればよいか、の答えは出てこない。
  2. モノには政治的決定をするモノと、政治的決定をしないモノとがある。か? ビリヤードの玉は、キューに突かれた状況を知って、自ら動くことを決定するのではないか? 説明方法の違いに過ぎない。
  3. 「ブッシュ氏」も「物体」もブッシュ氏というモノを指し示すコトバである。
  4. 2つの仮定「すべての人間は動物である。」と「すべての動物は死ぬ。」から「すべての人間は死ぬ。」という結論を導く推論の構造は、「 ∀x(P(x) ⊃ Q(x)) と ∀x(Q(x) ⊃ R(x)) から ∀x(P(x) ⊃ R を導く 」という推論の形式になっている。
  5. 「ブッシュ氏」というコトバが指し示すモノはある。「物質」というコトバが指し示すモノがある。
  6. 「物質」というコトバが指し示すモノはたくさんあり、「物質」というコトバは「物質」というコトバによって指し示されるモノたちの集合を指し示している。
  7. 「「物質」というコトバによって指し示されるモノたちの集合」はモノとしては存在しない、《思いこみ》としてしか存在しない。「モノの群れ」はモノとして存在しうるが、「ものの集合」はモノとしては存在しない。「モノの群れ」は複数のモノたちの実体的な関係があることを示しているが、「モノの集合」は概念操作の都合上考えられた《思いこみ》に過ぎない。イデアとしての『集合』ということだろう。概念操作のための《道具的思いこみ》。
  8. 「ブッシュ氏」というコトバは、一つのモノを指し示しているのか? 同一のモノも、時間が異なれば別のモノではないか? 「ブッシュ氏」というコトバは、様々な時間の、様々な視点から見た、たくさんのブッシュ氏というモノの集合ではないのか?
  9. モノ時間同一性公理と、異物性の公理

モノ時間

  1. モノは別の時間でも同一のモノか?
  2. モノ同一性に関する公理
    1. 異物性の公理・・モノは、今のモノと過去のモノとでは異なる。時間が異なれば別のモノである。
    2. 同一性公理・・モノは、時間が異なっても、同一性を保って存在する。
  3. 同じ名前で呼ばれるモノでも、人によって、時代によって、同じモノとは思えないように変化してしまうことがある。そのモノ《思いこみ》である場合には特に著しい。
  4. 「彼は昔の彼ならず」。

モノと「多次元の輪郭」

  1. モノを最初に切り出す時には、最初の視点からの輪郭の切り出しである。
  2. 同一のモノを、別の視点から切り出すと、別の輪郭を有することになる。
  3. 同一のモノを、複数の視点から切り出すと、複数の輪郭を統合した、新たな輪郭を有するようになる。統合された輪郭は、多次元空間での輪郭になる可能性が高い。

モノと視点

  1. モノは、視点が異なっても同じモノである。
  2. モノは、視点が異なれば、その輪郭が異なる。
  3. 客観的なモノは視点の有無に関らず存在する。
  4. 視点の有無に関らず存在するような客観的なモノは存在しない。
  5. 日常的な感覚からいえば、客観的なモノが存在する。モノは、視点の有無に関らず、時間の経過にかかわらず、同一性を保って、客観的に存在する。「変化」というのは「同一性」の範囲内での変化である。
  6. 厳密に言いはじめると、わけがわからなくなる。
  7. 粘菌アメーバの移動体に融合した個体は、細胞としての形を保持する限りでは、同一性を有する。
  8. 複数の視点からみて、異なった輪郭を有するモノは、《見通し》において統合される。《見通し》において、統合された輪郭を持つようになる。単眼での輪郭は2次元であるが、統合された輪郭においては3次元の輪郭になる。もっと多様な視点からの輪郭を統合するなら、もっと高次元の(4次元、5次元での)輪郭を有するようになる。ヒトの「生涯」で思い描く時には、ヒトというモノは4次元の輪郭を有する。
  9. モノの多次元の輪郭。

モノ情報

  1. 情報というのは情報科学という《思いこみの世界》の中のモノ
  2. 情報科学というのは広義の物理学の一種であろう。
  3. 情報は、それを解釈する主体の状態によって、情報であったり、なかったり、別の意味の情報になったりする。その意味では《思いこみ》に近い性質を有する。1011というビット列は、cpuの状態によって、文字コードとしての意味をもったり、数値としての意味をもったり、コマンドとしての意味をもったりする。

モノとエネルギー

  1. エネルギーというのは物理学という《思いこみの世界》の中のモノ

モノと物理学

  1. 物理学は《思いこみ》である。
  2. 物理学は《近傍物理空間》の経験を体系化した《思いこみ》
  3. 多くのヒト《近傍物理空間》については共通の経験をしているらしいということがわかる。

モノと物体

  1. 物体というのは《客観的物理空間》の中での大きさをもつモノをいう。
  2. ふーむ。たけ(tk)多元世界主義なのか・・。
  3. 物体以外のモノにはどういうモノがあるか?
  4. 非物体的なモノは物体的なモノの一部分である、か?
  5. 物体的なモノが非物体的なモノの一部分でありうるか? 文字の中にはインクの分子という物体的なモノがある。文字は物体的なモノか?
  6. 「物体的」「非物体的」というコトバが不明なのだ。
  7. 物体的な基礎を有しない非物体的なモノはない?
  8. たけ(tk)の辞書には「物体」というコトバはない。

モノと幻

  1. 幻もモノである。
  2. 虹もモノである。
  3. 物体もモノである。
  4. 問題は、虹は物体であるか、虹は幻であるか、ということになるが、これは、モノの分類論か。

モノ《重ね合わせ》

  1. 我々が物体を見る時、物体の上に《思いこみ》(意味)を重ね合わせて、見ている。
  2. 野球のボールを見れば、『野球のボール』という《思いこみ》をその物体に重ね合わせて見ている。
  3. テレビのピクセルの集合を見る時、そのピクセルの一定部分に『コイズミ氏』という《思いこみ》重ね合わせて見ている。
  4. 物体と《思いこみ》との《重ね合わせ》

モノと「相続人の範囲の確定」

  1. 遺産分割のときには「相続人の範囲の確定」を行わないと始まらない。
  2. 《相続人の群れ》というモノの輪郭を確定すること。
  3. モノの輪郭の「決定」。

「rubyのオブジェクト」とモノ

  1. 全然同じじゃない。
  2. 完成されて実行中のオブジェクトはモノである。か?
  3. プログラム作成中は《思いこみ》である。
  4. 《求める思いこみ》コトバイデア)→モノ道具)。
  5. 実行中のオブジェクトは不可直観的なモノである。実行中のオブジェクトはコンピュータの動作という兆候によって推知されるモノである。
  6. コンピュータの実行を兆候として推知されるモノとオブジェクトとは異なる。「LCD上の文字」という兆候から、「文字」というモノをコンピュータ内部に推知するが、実際にはフォントデータと文字コードが内部のオブジェクトである。
  7. メモリ上のビット列を文字コードとして扱い、文字コードを文字として扱う。重ね合わせ、《みなし》。

モノと超並列コンピュータ

  1. モノのサブシステムはそれぞれ自立したコンピュータのようなもの。
  2. 単一コンピュータは一つのcpuの増幅でしかないが、モノ動きは、その内部の多数のサブシステムの動きカオス的な統合の結果として生じたもの。

モノ《宇宙史》

  1. モノ《宇宙史》からの参照を持つかぎりにおいて存在する。意味不明だが、rubyからの類推だとそうなる。
  2. モノが存在するのは《宇宙史》《求める思いこみ》噴出である。
  3. モノの存在は天命である。

モノ目的

  1. モノ目的があるか?
  2. モノ目的は、そのモノの存続、成長、再生である、か?
  3. 《混濁》目的は、その《混濁》の存続、成長、再生である、か?

モノと場

  1. 場はモノであり、モノは場となる。世界としてのモノは場である。
  2. スーパーシステム(包含システム)としてのモノはサブシステムの場である。
  3. 包含システムはサブシステムの世界である。

モノと名前、イデアアニマ

  1. 《はさみ》は、『はさみ』を使う指を持たないヒトにとって、『はさみ』であり得るか? 彼も、慣用的に、「はさみ」という名前で、そのモノを指し示すだろう。しかし、「はさみ」の形状に対する呼び名であって、「はさみ」としての機能、意味を持たないモノである。形状が異なる「はさみ」が現れた時には、それが「はさみ」であるかどうかの判断ができないだろう。
  2. 原始生活を営んでいた人々がニューヨークに招かれて感激したのは、ビルやエスカレータではなく、エスカレータの横にあったガラス玉のビーズであった。という。彼らにとって価値のあるモノを見つけたのだ。
  3. モノは名前を持たない。名前はヒト《思いこみ》に属する。名前は《モノ》を指し示すことができるが、《モノ》が名前をもつわけではない。
  4. イデアヒト《思いこみ》に属する。
  5. アニマは《モノ》に属する。《はさみ》は、生まれ、さび、壊れ、消滅する。《はさみ》はヒトとの関係で、紙を切る機能を果たすことがある。《はさみ》はヒト《求める思いこみ》や《紙》の《求める思いこみ》を感じて、《紙》を切る。その経験の結果として《はさみ》も『紙を切る』という《求める思いこみ》を有するに至る。
  6. 道具のイデア道具をつくる。『はさみ』のイデアは《はさみ》をつくる。『はさみ』のイデアでつくられたモノは『はさみ』のアニマをもつか? たぶん、持たない。実際に、『はさみ』として使われた経験によってはじめて、『はさみ』のアニマをもつに至る。

モノと《モノ》と『モノ』と「モノ

    1. モノは、広い意味でのモノ
    2. モノ》は、狭い意味でのモノ。(《近傍物理空間》、《客観的物理空間》の中のモノ)。《モノ》は《思いこみ》を棄てたときに見えてくるものである。
    3. 『モノ』は、《思いこみ》としてのモノ。(《体内感覚世界》モノ)。『モノ』は「モノ」というコトバによって生じる《思いこみ》である。または、『モノ』は《モノ》を感じたときに生じる《思いこみ》である。残念ながら「モノ」というコトバを聞いて、あなたが知ることができるのは『モノ』という《思いこみ》でしかない。
    4. モノ」はコトバである。

絵の中のモノモノ

  1. 文字はモノか? 文字の形をしたインクのしみではないのか? 文字の形をしたスクリーンのドットの塊ではないのか?
  2. はさみはモノか? はさみの形をした鉄の塊ではないのか?
  3. 絵の中のモノは、(絵の中の)モノである。
  4. アニメーションの中のモノは、(アニメーションの中の)モノである。

テレビに写しだされたコイズミ首相はモノか?

  1. テレビスクリーンの中のモノである。
  2. テレビスクリーンの中のモノが、《モノの世界》の中に存在するモノであるかどうかは、それだけでは不明である。
  3. 疑わしきことは偽であると判断するなら、コイズミ首相が存在するというのは偽である。
  4. 『コイズミ首相が存在する』というのは《思いこみの世界》においてのみ真である。仮に《私》がコイズミ氏と握手して話をしたとしても、『コイズミ氏が首相である』というのは《思いこみの世界》においてのみ真である。コイズミ氏が《私》《近傍物理空間》に何度も繰り返し出現するなら、『コイズミ氏が存在する』という《思いこみ》は真であると確信するようになるだろう。・・『確信する』というのも《思いこみ》だな・・。
  5. モノ《思いこみ》との《重ね合わせ》

モノ動き

  1. 自ら動くのか、何かに動かされるのか?
  2. モノアニマによって自ら動く
  3. モノアニマによって動かされる。アニマモノ動かす
  4. アニマは説明概念に過ぎない。
  5. 説明を求める《背後者回路》は?
  6. 説明を《求める思いこみ》は?
  7. コトバ世界を理解することを《求める思いこみ》
  8. 《モノの世界》の仕組みを理解することの《求める思いこみ》
  9. 《コトバの世界》《モノの世界》を覆い尽くすことを《求める思いこみ》
  10. 地図で土地を理解することを《求める思いこみ》。地図は持ち運べるものね。
  11. 動きの「原因」ということ。
  12. モノ動き原因は、4原因説でよいのではないか?
    1. 内部の状況(質料因)
    2. 外部の状況(形相因)
    3. 過去の状況(起動因)
    4. 未来の状況目的因)
  13. アニマ原因としての内部の状況なのだ。

《思いこみ》モノ

  1. 《思いこみ》モノである。
  2. たけ(tk)の「モノ」は「存在」とほとんど同じ意味かもしれない。「在る」と感じられるモノは、すべてモノである。??
  3. 「xxというモノは」という日本語で語りうる「xx」はモノである。
  4. 「竜と言うモノは存在しない」ということができるので、「竜」はモノである。これは「竜と言うモノ《思いこみ》の中にしか存在しない」という意味なので、「竜」は《思いこみ》というモノの一種である。
  5. 《思いこみ》としては存在するがモノとしては存在しない」という言い方をしたい。
  6. 《思いこみ》は広い意味でのモノではあるが、狭い意味でのモノではない。
  7. 《思いこみ》はその内容においてはモノを指し示すとは限らないが、《思いこみ》はその存在自体としてはモノである。・・わかりにくいね。
  8. 刑法の錯誤論:
    1. ヒトA』という《思いこみ》ヒトAを殺した場合。殺人罪。
    2. ヒトA』という《思いこみ》ヒトBを殺した場合。殺人罪。
    3. ヒトA』という《思いこみ》でサルCを殺した場合。器物損壊/殺人未遂/無罪。

モノ《思いこみ》

  1. モノとは、《混濁の世界》の中にあって、《知りつつあるモノ》と同程度に確からしさをもつ部分を言う。
  2. 《思いこみ》とは、《混濁の世界》にあって、《知りつつあるモノ》と同程度に確からしさをもたない部分を言う。
  3. 《思いこみ》が存在すること自体は確かである。したがって《思いこみ》は存在としてはモノである。
  4. しかし、《思いこみ》の内容(《思いこみ》によって知られた内容)は確からしさが不十分である。それゆえに、《思いこみ》は内容としてはモノではない。
  5. 『確かに存在するモノ』という《思いこみ》が、確かに存在するモノを指し示している場合には「正しい《思いこみ》」という。
  6. 「正しい《思いこみ》」の内容はモノではない。《思いこみ》は正しいか誤りかの違いはあるが、内容としてはモノであることはあり得ない。
  7. モノの存在を認識する、という《思いこみ》の内容はモノか? 認識によって得られた内容は《思いこみ》であってモノではない。認識者が『これはモノである』と思いこんでも、それは《思いこみ》であってモノではない。モノによって(モノモノとの接触によって)認識が生じるが、認識された内容はモノ(認識を生じさせたモノ)ではなく《思いこみ》である。認識=《知った思いこみ》=『知った』という《思いこみ》

モノと生き物

  1. 同じか?
  2. ドメイン(構成原理)が異なる。
  3. 自律的自己再生。
  4. 道具は生き物か? 《ニーズ・イーター》は生き物か?
  5. ドメインの異なりは、生き物の種ごとに異なり、個体ごとに異なる。モノであっても観察の粒度によってドメインが異なる。従って、「異なり」だけでは生き物とモノとを区別することにはならない。
  6. モノと生き物とは、本質的な区別ができないのではないか?
  7. たけ(tk)思うに、素粒子にもアニマがある。
  8. 常識的な意味において区別するほかないのではないか?
  9. 「生命とは、(当該物体の)自己自身による栄養活動と成長と減衰である」(『デ・アニマ』p.45)。この定義だと、すべての物体が当てはまりそうだ。
  10. ガイアは生き物か?

モノヒト

  1. ヒトモノの一種である。
  2. ヒトモノとの区別も、常識的な区別によるほかないだろう。生物学的にみてホモサピエンスの個体とみなされるモノヒトだ。

《他者》モノ

  1. 《他者》ヒトに限られるかどうかが微妙に揺れている。
  2. 《他者》モノか?

モノとオブジェクト

  1. オブジェクトというのは、内部状態をもつ、IOがある。

モノとシステム

  1. モノはシステムか?
  2. システムでないモノとは?
  3. 物体はシステムである。
  4. 幻は・・。幻を描くモノ、幻を見るモノというシステムの中のサブシステムである。

規則によって輪郭が描きだされたモノモノ

  1. 幻。画像。《思いこみ》《思いこみ》の中のモノ。描き出されたモノ
  2. 幻の中で輪郭を有する部分はモノである。モノは物体とは異なる。
  3. 『権利』という概念は法律的な定義によって描かれたモノである。定義によって描かれることによって《思いこみ》の中のモノとして存在する。
  4. 「リンゴの絵」に描かれたカンバス上のリンゴの部分はモノか? もちろん、物体としてのリンゴではないが、モノである。
  5. 文字もモノである。
  6. モノは他のモノの一部分である。(最終的には《宇宙史》の一部分である)。

モノと主体:

  1. モノはそれ自体として主体であろう。

《知りつつあるモノ》モノ

  1. 《知りつつあるモノ》モノである、か?
  2. 《知りつつあるモノ》から《知りつつある身体》への視点の移動。《思いこみ》への《入り込み》における視点の移動。は移動前の視点においては、移動先のモノは単なる対象としてのモノである。とするなら、単なる対象としてのモノへ視点を移動することができる、ということになる。
  3. モノ入り込直観」。対象の中へと入り込直観

日本語の「定義」と「輪郭」:

  1. 日本語の「定義」は《コトバの世界》だけのモノである。或るコトバを別のコトバに置き換えることである。
  2. 日本語の「輪郭」は《モノの世界》だけのモノである。日本人にとって、モノの輪郭とは、モノ自体に属するものであり、コトバを媒介とせずに存在するものである。
  3. 日本語の世界にあっては、輪郭は、モノに注目することによって、自ずと浮かび上がってくるものである。
  4. コトバによって決まる輪郭とはなにか? 《思いこみ》コトバによってその輪郭を定めなければならない。《思いこみの世界》の中のモノコトバによって輪郭が定まる。
  5. モノには、「自ずとその輪郭が定まるモノ」と「コトバによる定義によってしか輪郭が定まらないモノ」とがある。

モノと定義:

  1. 定義→define→輪郭を示すこと。

モノとシステム:

  1. たけ(tk)モノのイメージはシステムに近いかも。
  2. システムはそのモノの内部のサブシステムの集合であり、そのモノの外部の他のシステムとともにより大きなシステムの一部である。と、同時に、それ自体としてのまとまりを持つモノである。
  3. システムは自律的であり、自己形成的であり、自己維持的であり、循環的である。

分類

Last modified:2017/05/07 04:18:31
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References:[《デジタル実在》] [《意味を求める思いこみ》] [《混濁の分離》] [《欲求》] [『モノ』] [コトバ]