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《ブッダの「一切」》

《ブッダの「一切」》

  1. キーワード

定義

http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html

  1. ブッダは、サーバッティという所に滞在していたとき、「一切」とはなにか、次のように教えたと記述されています。
  2. みなさん、わたしは「一切」について話そうと思います。よく聞いて下さい。「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。それは、
    1. 眼と眼に見えるもの、
    2. 耳と耳に聞こえるもの、
    3. 鼻と鼻ににおうもの、
    4. 舌と舌に味わわれるもの、
    5. 身体と身体に接触されるもの、
    6. 心と心の作用
  3. のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。
  4. 誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。何故でしょうか。何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。(サンユッタニカーヤ 33.1.3)

《ブッダの「一切」》とは、或るモノが知り得たすべてを言う。

記述

区別

《モノと情報の群れ》《ブッダの「一切」》

  1. 困ったことに、《モノと情報の群れ》『一切』である。
  2. 《ブッダの「一切」》における、《知られつつあるモノ》《知りつつあるモノ》、《知る作用》の前半の二つはモノであり、最後の一つは《思いこみ》《噴出》である。
  3. 《群れ》の中の《繋がり》には
    1. モノからのモノへの《繋がり》
    2. モノからの《思いこみ》への《繋がり》。保有
    3. 《思いこみ》からのモノへの《繋がり》。《指し示し》
    4. 《思いこみ》からの《思いこみ》への《繋がり》
    5. 《思いこみ》からの《群れ》への《繋がり》。指し示し。
    6. 《群れ》からの《思いこみ》への《繋がり》。保有。
    7. 《群れ》からのモノへの《繋がり》。保有
    8. モノからの《群れ》への《繋がり》《群れの中の個体》
  4. 『一切』《モノと情報の群れ》の中のモノである。《モノと情報の群れ》《モノと情報の群れ》の中の《思いこみ》である。《モノと情報の群れ》は自己包含関係にある。《ブッダの「一切」》心の作用であり、《ブッダの「一切」》の中の一部である。《ブッダの「一切」》も自己包含関係に在る。

《息しつつあるモノ》《ブッダの「一切」》

  1. 《ブッダの「一切」》は正しいのである。それしかないのである。問題は「心の作用」であるのだが、「心の作用」である、と切り捨ててしまうのか、「心の作用」を知ればよい、とするか。『一切』と知る、といことは、「心の作用」を知る、ということである。
  2. ブッダは身体表面の内外の区別について、どう考えていたのだろうか?
  3. すべてのモノには内外がある、という《相対者公理》を想定していたのだろうか? それとも、《私》は他のモノを知ることができない、他のモノになることはできない、という《絶対者公理》を想定していたのだろうか? 眼・耳・鼻・舌・身・意を媒介とする、ということは《絶対者公理》を想定していたように見える。しかし、すべてのものは眼・耳・鼻・舌・身・意を媒介として《身体》の外部を知る、という意味であれば、《絶対者公理》につながる。
  4. 眼・耳・鼻・舌・身・意は、光を媒介とする他のモノとの接触、音を媒介とする他のモノとの接触、気体中の化学物質を媒介とする他のモノとの接触、液体中の化学物質を媒介とする他のモノとの接触、物理的・直接的な接触による他のモノとの接触、《感じ合い》による他のモノとの接触。
  5. 接触→記憶→因果法則→目的手段。選択肢+因果法則→結果予測→結果評価→結果選択→手段選択。モノには目的手段はない、のだが、《生きモノ》進化の結果として目的手段の選択が可能になっている。「接触→記憶→結果評価・因果法則→目的的手段選択」は物理的にシミュレーション可能である。結果への評価も進化の結果として生じる。
  6. 十無記の立場からすれば、《私》と他のモノとが同質であるかどうかは、知ることができないことである。《私》がどうであるかは語ることができるが、他のモノ《私》と同質であるかどうかは語ることができない。

《ブッダの「一切」》『現実』

  1. 世の中とか、社会とか、科学とか、知識とかいっても、「心の作用」に過ぎない、と、言いたいのだろう。
  2. 心の作用」は広大であるので、《ブッダの「一切」》では。広大な「心の作用」への入り口になるに過ぎない。《他者の思いこみ》《思いこみの世界》《思いこみ》《コトバの世界》。と言ったモノが広大なのだ。

《ブッダの「一切」》《感じ合い》

  1. 《感じ合い》って、通俗的だなあ・・。

《ブッダの「一切」》と群生相

  1. 《ブッダの「一切」》は群生相の問題を処理できない。?
  2. 群生相においては、《肉の塊》は、《他者のコトバ》への即応体制にある。
  3. 群生相における《ブッダの「一切」》と、孤独相における《ブッダの「一切」》とは、別のモノとして並立している。唯一性を欠く。どちらの《ブッダの「一切」》『一切』ではない。
  4. 群生相における《ブッダの「一切」》はあり得るか?
  5. 《他者》の「心の作用」のクオリアに対する《私》の「心の作用」。
  6. 《他者》の「心の作用」と《私》の「心の作用」の相互作用としての、《他者》《私》の「心の相互作用」。《私たち》の「心の作用」。《私》《拡大身体》としての《私たち》の「心の作用」。《私たち》は一時的に存在するモノである。

《ブッダの「一切」》《肉の塊》

  1. 《ブッダの「一切」》《肉の塊》の中からの《視点》である。

《ブッダの「一切」》『一切』への《見通し》

  1. 《ブッダの「一切」》『一切』への《見通し》の出発点に過ぎない。((もちろん、出発点の有無はひじょうに重要である。出発点が定まらなければ出発することができない。出発点が定まれば、70%到達したも同然である。ブッダは出発点を明示したのであるから、到達点を明示していないとしても、すでに到達点に達していたのであろう。到達点に達したからこそ、出発点を自信をもって断言したのだろう。到達点は、音声言語で説明するには複雑過ぎる))。

たけ(tk)『一切』《ブッダの「一切」》

  1. 同じだろうね。
  2. しかしなんで、たけ(tk)のは『一切』という《思いこみ》で、ブッダのはモノなのだろうか?
  3. 『一切』と言うのは《指し示す思いこみ》だから、モノと同じなのだ。
  4. 『一切』《たけ(tk)の思いこみ》キーワードであり、《ブッダの「一切」》は一般用語としての《他者のコトバ》である。
  5. 《たけ(tk)の思いこみ》で必要なのは、《たけ(tk)の思いこみ》キーワードとしての『一切』である。『一切』《ブッダの「一切」》とが同じであるかは、《たけ(tk)の思いこみ》キーワードとしての『一切』を検討した後でなければ、判断できない。

群生相と『一切』

  1. 群生相における『一切』は孤独相における『一切』と異なる。
  2. 孤立状態における『一切』と、社会的関係における『一切』とでは異なる
  3. モノたちとの共振関係は『一切』に含まれ、心の作用に含まれる
  4. この《肉の塊》とあの《肉の塊》との共振関係が含まれる。
  5. この《肉の塊》《思いこみ》とあの《肉の塊》《思いこみ》との共振関係が含まれる。
  6. 群生相における『一切』と、孤独相における『一切』とが異なるのは、《視点》の違いである。
  7. 特定の《視点》から見た『一切』と、別の《視点》から見た『一切』とでは異なるが、すべての「《視点》から見た『一切』」の『一切』が、『一切』である。
  8. 《視点》の違いによる『一切』の違い」についての知見をふくめた『一切』が、『一切』である。
  9. 「群生相の《視点》から見た『一切』」と「孤独相の《視点》から見た『一切』」と「『一切』《視点》から見た『一切』の集まり」。《多次元輪郭空間

『一切』《知った思いこみ》

  1. 『一切』とは、或るモノが有する《知った思いこみ》の全てを《指し示す思いこみ》である。
  2. 『一切』への《指し示す思いこみ》は「心の作用」である。
  3. 『一切』への《指し示す思いこみ》によって指し示されたモノの中には、「心の作用」でないモノ《モノの世界》もある。《モノの世界》は『モノ世界』という《指し示す思いこみ》によって指し示されたモノであるが、離存性を有し、《思いこみ》とは別のところに存在するので、「心の作用」には含まれないモノである。

《ブッダの「一切」》極座標モデル

  1. 《ブッダの「一切」》は、極座標モデルだな。直交座標モデルに変換するとどうなるのか?
  2. 《彼》は《肉の塊》である。《彼》にとっての一切は《ブッダの「一切」》である。《彼》の六処とその作用と対象となるモノが、《彼》にとっての一切である。
  3. 《彼》にとっての《客観世界》は、《彼》の主観によって知られているかぎりにおいて、《彼》にとって意味を持つ。《彼》の主観によって知られたことのない《客観世界》は、《彼》にとって意味をもたない。《彼》にとって知りえない事柄は、《彼》にとって存在しないことと同じである。
  4. 《彼》にとって知りえない事柄も在る。在るが、《彼》にとっての『一切』の外部に在る。《彼》にとっての『一切』の内部にはない。
  5. 《彼》にとって知りえない事柄は、《彼》が『《彼》にとって知りえない事柄が在る』と知っているなら、それは《彼》の心の作用の一部である。
  6. 《私》が《彼》の『一切』について考察するのは、《私》心の作用であり、《私》《ブッダの「一切」》に含まれる。
  7. 『一切』とはなにか? 或るヒトにとって『一切』とはなにか? ユクスキュルの環世界

《混濁》《ブッダの「一切」》

  1. 《混濁》《ブッダの「一切」》を帰結する。《混濁》は一切であるが、無明の極みである。一切の無明の《混濁》の向こうに、《ブッダの「一切」》が見えてくる。
  2. 《混濁》は「心の作用」である。

《他者》《ブッダの「一切」》

  1. 《他者》は「目に見えるモノ」である。
  2. 《他者》への共感は、「心の作用」である。業、名色、蝕、受、愛、取、有である。《他者》とともに生きることは生である。《他者》の老死を苦しむのは、老死である。

心の作用」と《ブッダの「一切」》

  1. 「目に見えるモノ」は外界のモノである。心の作用ではない。心の作用でないモノも認めている。《モノの世界》と感覚器官と心の作用
  2. 心の作用とはなにか? きわめて多くの要素がある。12因縁。無明、業、識、名色、六処、蝕、受、愛、取、有、生、老死。は心の作用か? 認識《知った思いこみ》コトバ、欲求《求める思いこみ》、実感(有、クオリア)、といったものが入っている。

《視点》《ブッダの「一切」》

  1. 《ブッダの「一切」》《視点》である。《ブッダの「一切」》という《視点のパラメータ》《混濁》《視点》から《ブッダの「一切」》《視点》への《視点の移動》《混濁》《視点》から見た《ブッダの「一切」》《視点》の位置。『存在』の座標軸。
  2. ブッダはみずからを「動かないモノ」と表現しているな。歩いていても、「動かないモノ」であると言っている。『大学』でも「止まるべき」と表現している。物質的には動いても、《視点》としては動かない、という趣旨だろう。
  3. 複数の《視点》『一切』に含まれる。この《視点》とは異なった《視点》で見る、というのは心の作用である。

ブッダの「一切」と未知なるモノ

  1. 未知なるものはあるか?
  2. ブッダの「一切」は知るべきことの一切か?
  3. 『なすべきこと』ブッダの「一切」に含まれる、か。『なすべきこと』心の作用である。『なすべきこと』《視点》『なすべきこと』《視点のパラメータ》
  4. 『知るべきこと』と『なすべきこと』《ブッダの「一切」》『なすべきこと』の一切ではない、『知るべきこと』の一切であるかもしれないが、『なすべきこと』の一切ではない。
  5. 「なす」というのは《他者》に対して影響を与えることである。
  6. 『なすべきこと』はない、と仮定しよう。《私》は存在するだけで、《他者》に影響を与えている。「《私》に対する関係としての《他者》」は《私》なしには存在しない。「《私》に対する《繋がり》としての《他者》」。《身近な人びと》とは《私》に対する《繋がり》としての《他者》である。《身近な人びと》《私》《背後者》であり、《身近な人びと》《私》《拡大身体》である。《身近な人びと》《私》の拡大された体内感覚の中にある。
  7. 『なすべきこと』というのは欠乏の《思いこみ》である。《いま》の状態では『存在しない』が故に、『存在すべきこと』を実現させようとする《思いこみ》である。《いま》に欠けているモノはあるか? 目的的生存というのは欠乏的生存である。目的が実現されていないという欠乏感によって駆動される生存である。
  8. 《いま》に欠けているモノはあるか?
  9. 《いま》が《仕合わせ》であれば、欠けているモノはない。《他者》との《仕合わせ》モノたちとの《仕合わせ》《宇宙史》との《仕合わせ》イデアたちとの《仕合わせ》。が《今・ここの・このモノ》にあれば、欠けているモノはない。
  10. 議論する人々との《仕合わせ》がない。《私のコトバ》は議論する人々に伝わらない。「モノ語り」の人々なのだ。みずからの世界を構築した人々なのだ。世界を構築し、構築した世界に固執する人々なのだ。科学によって世界を構築し、固執する人々。マスコミによって世界を構築し、固執する人々。世間話で世界を構築し、固執する人々。xxで世界を構築し、固執する人々。ノイズによって世界を構築し、固執する人々。哲学によって世界を構築し、固執する人々。愚かさによって世界を構築し、固執する人々。無明によって世界を構築し、固執する人々。構成か、構築か、構築というと非難の意味が強くなるので構成というべきか? (世界を構築するというと、人工的なモノとして世界を構成するという意味になる。世界は人工的なものではないので、非難の意味になる)。
  11. 世界にかけているモノはあるか? 固執する人々の、固執からの解放が欠けている。
  12. 固執する人々を固執から解放するコトバはあり得るか? 
  13. 固執する人々を固執から解放するコトバは、ブッダに任せればよい、か? 

ブッダの「一切」《複素数の時空》

  1. ブッダの「一切」は、《モノの世界》《思いこみの世界》である。これを合わせたモノ《複素数の時空》である。故に、ブッダの「一切」《複素数の時空》である。が・・。さらに、《視点の移動》ヒト心の作用であるから、多次元輪郭空間ブッダの「一切」である。

ブッダの「一切」《ヒトの群れの健康》

  1. 《個体の健康》と《群れの健康》
  2. 《ヒトの個体》の「一切」と《ヒトの群れ》の「一切」。
  3. 《ヒトの群れ》《思いこみ》のインプットとアウトプットと内部循環、それが《ヒトの群れ》『一切』である。
  4. 粘菌アメーバのアメーバ状態と細胞状態。

滅苦主義とブッダの「一切」

  1. ブッダこそ、滅苦主義へのこだわりのヒトだったのではないか?
  2. 滅苦主義へのこだわりがなければ「それでよし」という結論には至らない。
  3. ブッダの「一切」が理解できても、見通せても、《ヒトの群れ》の中でどのように生きるかは出てこない。
  4. ブッダの答えは、出家であり、《ヒトの群れ》からの退避である。滅苦主義であればそれでよし。・・、って、大乗からの小乗批判か・・。
  5. 《ヒトの群れの健康》

六根とブッダの「一切」

  1. 分類がどうこうではなく、「一切」である、という断言が重要。
  2. http://ja.wikipedia.org/wiki/三科
十八界
十二処
六根 六境 六識
眼(げん) 色(しき) 眼識(げんしき)
耳(に) 声(しょう) 耳識(にしき)
鼻(び) 香(こう) 鼻識(びしき)
舌(ぜつ) 味(み) 舌識(ぜっしき)
身(しん) 触(そく) 身識(しんしき)
意(い) 法(ほう) 意識(いしき)

ブッダの「一切」《宇宙史》

  1. 《宇宙史》ブッダの「一切」に含まれる。心の作用なのである。《思いこみ》なのである。

ブッダの「一切」と滅苦主義

  1. 滅苦主義においては、個人的な心の作用であることを知るだけで十分である。

ブッダの「一切」には「心の作用」が含まれる。

  1. 心の作用」には極端から極端までがある。ブッダの「一切」を知るためには「心の作用」の極端から極端までを知る必要がある。「心の作用」の極端から極端までの一切が、実は「心の作用」にすぎないことを知る必要がある。

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Last modified:2008/01/11 01:03:14
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References:[《求める思いこみ》] [《混濁の分離》] [《視点》] [《欲求実現手段》] [『一切』]