FrontPage  Index  Search  Changes  wikifarm  Login

《サル山のサル》

キーワード《サル山のサル》

定義

《極座標の原点》《群れ》の発展形態。 《肉をまとった極座標の原点》を《サル山のサル》という。 《生きた肉をまとった極座標の原点》を《サル山のサル》という。

  1. 《サル山のサル》は仮想生物である。仮想生物に関する思考実験である。
  2. 《生きつつある身体》の中に在る《極座標の原点》《群れ》
  3. 《生きつつある身体》の中の《極座標の原点》は、《世界》を《身体的バイアス》を経由して受け取り、《身体的バイアス》に従って再構成する。イドラ。
  4. 《生きモノ》であるような《極座標の原点》《群れ》
  5. 《サル山のサル》は『肉を生かす』という目的が与えられた《極座標の原点》である。
  6. http://www.marino.ne.jp/~rendaico/bensiyoshu/sinseimondo_mokuteki.htm
    1. ソクラテス 「彼らは食べるために生きているが、私は生きるために食べる」

区別

《サル山のサル》自発的服従

  1. 『政治行動の社会心理学』にも『新・心理学の基礎知識』にも索引にないな。
  2. 政治学の問題であって、まだ、実験的には確認されていない、ということか。
  3. 政治学の理想に対峙する困った現象。
  4. 理論的に見て、《サル山のサル》には不発的服従が必要である。《群れのルール》への自発的服従が、進化価値を有する。《群れ》を形成する《生きモノ》には自発的服従が必要である。
  5. 契約は相互的な自発的服従である。
  6. 自発的服従のそれ自体が『わるい』わけではない。服従すべきでないモノに対して服従し、服従すべきでないときに服従すること、が『わるい』のである。民主政においては、権力者への無条件の自発的服従は『わるい』、ということをわきまえない追従ザルの、定見のない自発的服従は『わるい』。
  7. http://www.socius.jp/lec/19.html
    1. 「権力者は権力をもつから権力者なのではなく、人びとが自発的に服従するからこそ権力者なのだ。」
  8. 権力の実体は、追従者の自発的服従にある。『彼は権力者である』という《思いこみ》が、追従ザルにあることが、権力の実体である。が、これは、『社会的存在』のすべてにあてはまる。『自動車』という『モノ』《思いこみ》によって存在する『社会的存在』である。《思いこみ》行動様式の相互作用によって存在している。『自動車』というモノは存在しない。モノの側の属性としての『自動車』は存在しない。ヒトがそれを『自動車』であるという《知った思いこみ》を持ち、それを『自動車』として扱うかぎりにおいてのみ、それは『自動車』でありうるのである。

《サル山のサル》と彼ら

  1. 彼らをヒトであるとして理解しようとすると、理解不能になる。
  2. 彼らを《サル山のサル》であるとの偏見で見れば、妙に自然である。彼らの行動様式は、自然な行動様式なのである。《健常者》
  3. 招待は 無礼なるぞと サルは吠え。温家宝が五輪に招待して。2007-04-13(金)
  4. サル山の サルの牙むく 宣伝カー。川向こうの《群れ》ボス猿が来たりて。
  5. ヒトというコトバを使うと、どうしても『かくあるべし』という当為が混じってしまう。サルというコトバを使えば、当為《求める思いこみ》を排除することができる。

《サル山のサル》にとての『正しさ』

  1. 《サル山のサル》にとっての『正しさ』とは、新たに生じた《思いこみ》が、先行して持っている《思いこみ》にマッチしていることを意味する。先行する善い《思いこみ》にマッチする《思いこみ》は『正しい』と判断される。真偽だけでなく、善悪についても『正しい』という判断になる。美醜についても『正しい』かどうかが判断されるだろう。「これは間違った芸術だ」なんてね。

《サル山のサル》《たけ(tk)の思いこみ》

  1. 《サル山のサル》の一匹が頭の中で妄想を繰り広げているにすぎない。その妄想をインターネットで公開しているにすぎない。インターネットは、独り言であっても、それを全世界に公開することができるモノ。まあ、聞き手が興味を持たなければ、公開していないのと同じ。《サル山のサル》は、他のサルの妄想などには興味を示さないのが自然だ。

《サル山のサル》《生きモノたちの群れ》

  1. なんで、侮蔑的な感情が生まれるのだろうか?

タカウゴ《サル山のサル》

  1. タカウゴ《サル山のサル》からの《思いこみ》噴出である。無責任な評論家の《思いこみ》噴出である。他人依存的な《思いこみ》噴出である。

「駄目だし」と《サル山のサル》

  1. 最近の《サル山のサル》の理解によると、「駄目だし」は「面と向かって駄目と非難すること」らしい。精神文化が崩壊しているのだろう。

無知の不安と《サル山のサル》

  1. 人々は何故、無知であることに不安を覚えないのか?

「面従腹背」と《サル山のサル》

  1. 《サル山のサル》には二種類ある。
    1. コトバを信じるサルと、暴力を信じるサル。
    2. 信じるサルと、見通すサル。信じるサル=愚かなサル、見通すサル=疑うサル。
    3. 「民可使由之 不可使知之」

「国をまもる」と《サル山のサル》

  1. 《サル山のサル》が「国をまもる」と言っている。
  2. 《群れ》を守る」。
  3. 《群れ》テリトリーを守る、ということだろう。現代社会におけるテリトリーとは?
  4. 一応のテリトリーはある。国境。しかし、国境よりも、交易圏という曖昧な、重複可能なテリトリーの方が重要であろう。
  5. シーレーン、マラッカ海峡を守る、とかのたまわっている。海賊退治をしたかったら、その周辺地域の経済発展・政治的発展を促したほうが効果的だろう。軍事力で守ろうとすれば、反作用で収拾がつかなくなる。政治的反作用も加わって、海峡はかえって危険になってしまうだろう。
  6. 自衛隊が合憲か違憲かが曖昧なのは良くない、とかや。全ての法律の境界線は曖昧である。殺人罪であっても境界線は微妙なのである。詐欺罪にいたっては、商取引と詐欺的商取引と詐欺行為の線引きは曖昧である。自衛隊が微妙な線にあるということは、歯止めの線上にあるということである。憲法の歯止め機能が働いている、ということである。

「責任」

  1. blame、切腹、受難責任
  2. responsebility、決定責任
  3. liability、賠償責任
  4. accountability。説明責任。
  5. 教育責任。

追従ザルボス猿批評と《サル山のサル》

  1. いわゆる政局論とは、追従ザルによるボス猿批評、ボス猿の生態観測でしかない。
  2. 昔の農民は武士の合戦を、弁当持参で見物していたらしい。
  3. 野球観戦と同じだろう。
  4. 何らかの《快》であるのだろう。

《サル山のサル》と表現能力

  1. http://www.socius.jp/lec/19.html
    1. 自分たちの利害をうまく表現するだけの言語コードをもたない人びとは、結果的に現状維持的で保守的な権力支持層になりやすい

《サル山のサル》『モノ』『社会的存在』

  1. 《サル山のサル》《思いこみ》行動様式の相互作用によって、或るモノが、特定の機能を持った『モノ』として扱われるとき、その『モノ』《思いこみ》を『社会的存在』という。
  2. 『自動車』という『モノ』《思いこみ》によって存在する『社会的存在』である。《思いこみ》行動様式の相互作用によって存在している。『自動車』というモノは存在しない。モノの側の属性としての『自動車』は存在しない。ヒトがそれを『自動車』であるという《知った思いこみ》を持ち、それを『自動車』として扱うかぎりにおいてのみ、それは『自動車』でありうるのである。

《サル山のサル》コトバ《指し示しつつあるコトバ》

  1. 《サル山のサル》たちは《指し示す指》をありがたがる。《サル山のサル》なのだから、自然な思考様式だ。
  2. 追従ザルボス猿に従うのは、服属意思を表示して、保護してもらうことを期待するためである。ボス猿が何事かを指し示しても、その指し示した先のことがらを理解することは、追従ザルの利益にはならない。指し示した指を賞賛して、服属意思を明示することが、追従ザルにとっては、利益になるのである。

《サル山のサル》と市民立法不可能論

  1. 法律は天災である。人知の及ばぬ世界である。という《思いこみ》《サル山のサル》《思いこみ》である。・・というのはボス猿には適用されない。ボス猿にとっては、『法』は、恣意的命令の快感を妨げる有害物なのである。それを除去するために、追従ザルにとって慰めになるようなコトバを作り出し、追従ザルはそのコトバによって、自らを慰める。人知の及ばぬ世界、というのは、ボス猿を見ることへの恐怖である。ボス猿は、追従ザルに、見られないこと、によって、追従ザルを支配する。ボス猿にとっては、追従ザルたちが、ボス猿の恣意的命令を、天災と同視してくれることは望ましいことである。反抗せずに、耐えてくれる、ということだからである。
  2. 法律は《サル山のサル》の一部が作るのだが、なぜか、《サル山のサル》たちは、法律は天災の如くに天から降ってくる、戸締まりの対象でしかない。
  3. 立法ザルと戸締まりザル。
  4. 命令するボス猿と、命令される追従ザルボス猿追従ザル二分論。
  5. 自発的服従という行動様式は、《サル山のサル》としては自然な行動様式だ。しかし、誰に服従するのか? 殷王朝の発想は、王もまた、天に服従するのである。少なくとも、そのように振る舞うのである。神官が天の意志を「占う」。神官が占いのフリをして王を操る。
  6. 天皇制では、天皇が神官なのであるが、天皇は関与しない。結局、誰も占うことなく、空気が支配するようになる。空気主権論。空気に従え。空気に服従せよ。・・わけ分かんね〜。
  7. 《サル山のサル》空気に支配されている。ふむ。ナットク。自然じゃ。
  8. 独占暴力団のトップグループの空気。小集団での《慰め合い》。空気は《慰め合い》の対象化である。鏡像である。《空気》は小集団内部の《慰め合い》の鏡像である。
  9. ヒトだと思うをわけが分からぬが、《サル山のサル》だと思えば、何故か、ナットク。なぜ、納得できてしまうんだろう?
  10. http://inosisi80.iza.ne.jp/blog/folder/22505/
    1. 教育勅語を読めば、現在の天皇や国民に「主権」がないのは当然にわかるはず
    2. ・・
    3. 一時の世情の影響を受けやすい生存者、生身をもつものがどう揺らごうとも確固とした動かない国家の永続性の中心軸、憲法の固定点(欽定点)が我国にも存在していることを、国民みんなが思い出せばいいのです。
  11. 空気に神が宿る、ということか?
  12. ボス猿として命令できる空気にならなければ、空気に従う。ボス猿の命令が空気を決める。追従ザルボス猿に従うのではなく、(ボス猿によって作られた)空気に従うのである。

《サル山のサル》と『空気

  1. 空気』というのは《サル山のサル》の自己正当化のコトバでしかないだろう。慰めのコトバである。
  2. 《怯えた行動様式》を、慰めるためのコトバである。
  3. 《サル山のサル》は何に怯えているのか? 追放とか制裁とか、生存への不安。暴力への不安。暴力的制裁への不安。

《サル山のサル》と個体間距離を一定に保つアルゴリズム。

  1. 「個体間距離を一定に保つアルゴリズム」は結構、難しい。
  2. パーソナルスペース。
  3. なわばりとパーソナルスペース。『新・心理学の基礎知識』p.371。固定的、移動的、攻撃的、逃避的。固定的だから攻撃的に防衛する必要があり、移動的だから逃避によって防衛することができる。ということだね。
  4. それ以前に、他の個体を『仲間』と認知するアルゴリズム。距離を測定するアルゴリズム。距離を測定する個体を特定するアルゴリズム。『離れ過ぎない』ためのアルゴリズム。

《サル山のサル》と聖俗ニ王制。

  1. 権威と権力の分離は、一つの知恵である。《サル山のサル》の知恵である。
  2. 権力は道具である。権威は道具である。

《サル山のサル》と命令

  1. 《サル山のサル》にとって命令は快感である。欲求である。《求める思いこみ》である。
  2. どう決めてもよいけれど、何らかの決定をしなければならいこと。右側通行か、左側通行か。

《サル山のサル》道具

  1. 《サル山のサル》道具を崇拝する。
  2. 《サル山のサル》道具を作る。
  3. 《サル山のサル》道具を使う。
  4. 道具《サル山のサル》《求める思いこみ》に奉仕する。
  5. 権力は道具である。国家は道具である。貨幣は道具である。宗教は道具である。

『法』《サル山のサル》

  1. ヒトは平等』の『法』と、『強者と弱者とでは適用される法が異なる』という『法』。『平等法』と『差別法』。『法の下の不公平』適用における不公平。『公平法』と『差別法』。『身分法』、政治家という身分、宗教団体構成員という身分。特例法という身分法。投資家という身分。
  2. 当為としての『法』と、存在としての《法》。行動様式としての《法》。
  3. 当為としての『法』を、《思いこみ》として持って動くという行動様式
  4. 『法』は、追従ザルの追従の努力・犠牲を無駄にする。
  5. 『法』は、ボス猿の自由を減少させる。
  6. 故に、『法』は、《サル山のサル》の敵である。
  7. とはいえ、《群れ》ルールによって成り立っている。
  8. 暴力ルール。長いモノには巻かれよ、というルール暴力には従え、というルール。泣く子と地頭には勝てぬ、というルール。臭いもには蓋をせよ、というルール。寄らば大樹の陰、というルール。追従せよ、というルール追従ザルルール。は『法』である。行動様式『法』である。ボス猿『法』追従ザル『法』とは異なる、という『法』ボス猿の自由の『法』追従ザルの『ボス猿に許された範囲での自由』の『法』追従ザルの面従腹背の『法』追従ザルの面従=《おおやけ》の場面でのタテマエの追従の『法』と、腹背=《わたくし》の場面でのホンネの自由の『法』
  9. 追従ザルにとっての『お客様』としてのボス猿独占暴力団『法』
  10. 『神さまはお客様である』というのは面従腹背の宗教意識なんだ。
  11. http://www.suntory.co.jp/sfnd/gakugei/si_reki0048.html
  12. http://www.amazon.co.jp/gp/product/4061495607
    1. 菅野 覚明 (かんの かくみょう)『神道の逆襲』(講談社)

《サル山のサル》といじめ

  1. 《サル山のサル》のいじめは、自然である。自然な行動様式である。
  2. 《サル山のサル》暴力は、自然である。共食いだって自然である。暴力状況においては自発的服従も自然である。面従腹背も自然である。
  3. 《サル山のサル》にとって『法』は不自然である、か? ○:。×:。
  4. 暴力『法』の一種である。強者⇔弱者の不公平な『法』『法』である、か? 『悪法』は『法』であるか?

集票術と《サル山のサル》

  1. 浮動票ねらいの集票術。スローガン選挙。
  2. 組織票ねらいの集票術。私益誘導選挙。
  3. 人情ねらいの集票術。どぶ板選挙。お願い選挙。
  4. 不満票ねらいの集票術。政治への怒り、不安。怒りから期待への集票術。レーニンの新聞。
  5. 批判票ねらいの集票術。共産党。理論的批判。
  6. 1432の法則
  7. 弱者と強者の共生。

《サル山のサル》独占暴力団

  1. ヒトは、肉の衣をまとった《極座標の原点》である。《極座標の原点》は肉の衣に対しては独占暴力団なのである。
  2. 『武士道の逆襲』、p.40。『よみがえる武士道』、p.27。武士でない人々から見れば、武士世界の腕ずくの流儀は、まさに「切り取り強盗(がんどう)は武士の習い」として、嫌悪の対象となる。そういう武士本来の闘争性が、儒教道徳というオブラートで包み隠された江戸時代にあっても、武士とはひと皮むけばそういう御無理御無体な奴らだという見方は拭いようがなかった。
  3. そういう、権力の本性は暴力であるという見方は、日本だけなのか?
  4. 武家政権というのは、純粋な、独占暴力団なのである。純粋な権力なのである。純粋な独占暴力団が、自己の思考様式を獲得(しようと)したのが、江戸時代の武士道である。暴力性と、正当性との分裂を解消できなかったのである。
  5. 民主政は個体の自律の集団版である。個体にも内なる独占暴力団があり、その集団版が権力という(個体からみれば外部の、《群れ》からみれば内部の)独占暴力団である。
  6. 中世武士道の目的は領土・領民である。江戸時代の武士道の目的も領土・領民である。個体の内なる独占暴力団目的《身体》を生かすことである。

『武士道』と《サル山のサル》

  1. 『武士道』は殺し合いの生活哲学である。
  2. 『よみがえる武士道』菅野覚明。
  3. 殺し合いの《サル山のサル》。殺し合いが必要な場合のための生活。「殺し合いが必要な場合」というのは、ある。農民のテリトリー戦争。《サル山のサル》の自然な発展ではある。
  4. 暴力の哲学。殺し合いの哲学。殺す、ということは、殺される、ということでもある。
  5. 殺される、というのは後腐れがない。あとは葬式があるだけだ。別に葬式もなくてもよい。
  6. 《サル山のサル》は殺し合いをすることがある。殺し合いの分業を担う小集団が発生することがある。殺し合いの専門集団。殺し合いは《群れ》の内部での《繋がり》である。殺し合いの専門集団の思考様式が『武士道』である。
  7. 無用な殺し合いを避けること。刀を鞘に収めておくこと。
  8. 種子島=鉄砲=を使わなくなったこと。殺し合いの効率よりも、美学を好んだこと。『武士道』は哲学であるよりも美学だろう。一般に、生き方の選択は哲学=知ること=ではなく、《動き》の選択である。《動き》の選択の基準は、目的・手段・効率であるか美学である。
  9. 近代兵器による殺し合いは美しくないのである。
  10. 日本列島の《サル山のサル》は殺し合いの効率を捨てて、殺し合いの覚悟の美しさを選んだ。
  11. 手段の目的化。殺し合いは、手段であった。その手段が目的化したのが『武士道』である。分業というのは、そんなものだろう。『道』というのは分業の一つの分野、ということを意味している。
  12. 忠魂主義は、農民兵育成のプロパガンダである。
  13. 武士が平安貴族のボディーガードから発展し、最後まで天皇や貴族を廃止しなかったこと。神話的正当性を、人畜無害であるとして?、利用したこと。テリトリーが別であったこと。聖王・俗王の二重権力の伝統。違和感を持っていなかったこと。天皇側でも、生き残り戦略として、武士政権のテリトリーには踏み込まなかったこと。
  14. しかし、この聖王・俗王の二重権力体制が、民衆から俗王への法的正当性への《求める思いこみ》を削いでしまったこと。俗王の暴力主義への是認を生んでしまったこと。
  15. 自発的服従はどこでも見られるが、権力の暴力性への是認は、日本列島独自ではないか?

共食いと《サル山のサル》

  1. 共食いは、飢餓状態において、共倒れを避ける、という状況においては、進化価値がある。しかし、よほどの異常状態だ。それ以外の状況においては、共食いを避ける行動様式が、種族維持的価値を有する。共食いを避けるというのは、結構難しい能力が要求される。或るモノが、獲物ではなく、仲間であることを識別しなければならない。《生きモノ》にとっては、外界のモノの第一の意味は、獲物か捕食者である。獲物には近づき、捕食からは逃れる。仲間というのは、距離を一定範囲に維持する、という中間的な能力が要求される。引力と斥力。素粒子も、仲間との距離を一定に保とうとするな・・。案外、モノには容易に実現可能な能力なのか?

哺乳類の起源と《サル山のサル》

  1. 思うんだが、生まれた子供に自分の体液を吸わせるというのは、よっぽどの飢餓状態に置かれ続けたのだろう。
  2. 子供が飢餓に堪えかねて親の皮膚をかじったのだろう。で血がにじんで、やっと、子供は生き永らえることができた。親は、子供にかじられ、血を吸われることに堪えたのだ。それが哺乳類の起源だ。

《サル山のサル》《ユートピア》

  1. 《ユートピア》《サル山のサル》の自然な発展として実現されなければならない。

自発的服従《サル山のサル》

  1. 自発的服従《サル山のサル》の自然な、進化価値のある行動様式である。《群れ》を形成する《生きモノ》の合理的行動様式である。『仲間』に対して攻撃的である《生きモノ》《群れ》を形成することができない。
  2. 《群れ》進化価値はよくわからない。個体において、相互協力の行動様式がある場合に《群れ》進化価値を有する。共食いの《生きモノ》《群れ》進化価値があるとは思えない。
  3. 《ユートピア》の実現をはばむものは、《サル山のサル》自発的服従である。
  4. ヒトへの服従、眼に見えるヒトへの服従、眼に見えない人からのコトバへの服従。
  5. コトバへの服従。神、人格化されたイデアへの服従
  6. 人格が捨象された法、ルールへの服従
  7. 過去の自分への服従
  8. 《サル山のサル》自発的服従
  9. 自発的服従状況は、服従しなければ生存が脅かされる、という暴力的な状況なのか?

《サル山のサル》と『なし得ること』

  1. 《私》が『なし得ること』は《私》《身体》動かすことだけである。
  2. 《私》《身体》を動かした『結果』として《身体》以外のモノ動く。『結果』を生じる。
  3. 《私》《身体》を動かした『結果』への求める《思いこみ》『目的』という。
  4. 《私》《身体》を動かした『結果』としてヒト動き《群れ》動く。その結果への《求める思いこみ》があるとき、それを《動き》『目的』と呼ぶ。

《私》《サル山のサル》

  1. 《私》が如何に変ろうとも、《サル山のサル》はほとんど変らない。《私》が知り、《私》が変ることは、《サル山のサル》にはほとんど影響を与えない。

《身体》テリトリー

  1. 《とる》という動作は、身体的な支配領域の中に、そのモノ動かすことである。
  2. テリトリー内部に移動する。
  3. テリトリーとは? 所有とは? 占有とは? 専有とは? 共有とは?
  4. 《もつ》というのは、そのモノを自分のテリトリーの内部に維持することである。
  5. テリトリーの多重構造。同心円的多重構造。《身体》は専有度のもっとも高いテリトリーである。
  6. 《極座標の原点》からの同心円的多重構造。

《サル山のサル》にとって『よい』思考回路はあるか、設計可能か? ○:立法者的素養。主権者教育《群れ》への《外からの視点》。×:。

《サル山のサル》と遺伝的アルゴリズム

  1. http://www.asyura2.com/07/it10/msg/135.html
    1. パラメータをちょっとづつずらして試行錯誤する/ときどき突然変異させて試みるアルゴリズムなのだが、そのためには評価のための目的がなければならない。まあ、生物における目的は、生き残り確率の増大である。進化目的
  2. 《ここちよさ》が進化目的の結果であるとするなら、《ここちよさ》自体が進化目的を反映しているだろう。つまり、生き残り確率増大の《予感》が《ここちよさ》に反映されているはずである。

《サル山のサル》と『正義

  1. 《サル山のサル》たちが『正義』と称するモノ
  2. 《サル山のサル》にとっての『よい』と『わるい』。《サル山のサル》にとって心地よいことが『よい』ことであり。《サル山のサル》にとって心地よくないことが『わるい』ことである。
  3. 《サル山のサル》にとっての《ここちよさ》。
  4. 《極座標の原点》にとっての《ここちよさ》。《肉をまとった極座標の原点》にとっての《ここちよさ》。

《サル山のサル》の思考回路と『よい』『わるい』

  1. 《サル山のサル》の思考回路は、条件反射の(連想の)組み合わせの一直線である。
  2. アンビバレントな苦悩がある場合にのみ、彼の思考回路は複線化され、選択の余地のあるものとなる。
  3. 条件反射的な思考回路は、おそらく、《サル山のサル》によって、『よい』と確認された条件反射である。『よい』と判断された条件反射的思考回路の組み合わせが、トンデモナイ結論を生み出す。条件反射的思考回路は、極めて、狭い範囲の事象にのみ適合するにもかかわらず、かれらはそれを普遍化してさまざまな判断に使用する。

《サル山のサル》と『ヒト』『理性』

  1. ヒト』というのは当為概念に過ぎない。あったらよいな、の願望の概念。ほんと、『ヒト』だったらよかったのにね。

《サル山のサル》と戦争

  1. 《サル山のサル》だからケンカは絶えねぇってことよ。

先例主義と超法規的支配者

  1. 《サル山のサル》ってのは法治主義者ではない。
  2. 立憲主義でなければ法治主義でもありえない。「最高指導者」が超法規的存在なら、下級官吏も法治主義を貫くのは不可能。
  3. 近年の日本の政治状況は、法治主義の、近代法治国家の敗北なのだ。
  4. 日本の指導者たちは、法治主義を理解していないし、好んでもいない。嫌悪しているのだ。《サル山のサル》だから自然なのだ。
  5. 《サル山のサル》暴力原理を好み、法治主義を嫌悪する。

《サル山のサル》コトバ

  1. コトバによる思考は、針小棒大の弊害を伴う。コトバによって指し示されたモノ《思い描き》において巨大化する。コトバによって指し示されなかったモノは無視される。という危険を伴う。コトバによる思考においては、語られなかったモノへの《思い描き》が難しい。コトバによる思考をいったん停止して、語られたモノたちと語られなかったモノたちとを見通して、あおれらの個々の大きさ、価値、影響度、etc.を、全体への見晴らしの中において見直すことが必要である。
  2. ケンカのためのコトバ。敵を侮辱するためのコトバ、味方の士気をあげるためのコトバ。ヤクザの言語学。攻撃防御方法。訴訟におけるケンカの原理。契約におけるケンカの原理。
  3. 支配のためのコトバヒトを操るためのコトバヒトの反抗を抑えるためのコトバヒトに命令するためのコトバヒトに取り入るためのコトバヒトからカネを巻き上げるためのコトバ。脅しのためのコトバ《サル山のサル》のケンカをコトバで行うためのコトバ。知られないためのコトバ。はぐらかしのためのコトバ、騙しのためのコトバ
  4. 《サル山のサル》コトバは認識のためにあるのではない。ケンカのためにある。論戦のためにある。コトバによる戦争のためにある。《奪い合い》のためにある。
  5. 《サル山のサル》コトバは《慰め合い》のためにある。
  6. 《知る》ためのコトバ。《奪い合い》のためのコトバ、《慰め合い》のためのコトバ
  7. 《奪い合い》のルールのためのコトバ
  8. 欲求充足の手段としてのコトバ《求める思いこみ》の実現手段としてのコトバ。相手に影響を与えるためのコトバコトバは、それを聞いたモノに、何らかの影響を与える。発したコトバと相手の影響との因果関係についての経験による知、と法則性に関する知。コトバの意味とは、そのコトバを発したことによって相手が蒙る(であろう)影響を意味する。
  9. コトバの意味とは、そのコトバを受け取った時に《私》の中に生じる影響を意味する。《聞き描きつつあるモノ》。

《サル山のサル》を選挙

  1. 追従ザルには《ボス猿選び》という行動様式がある。まずはじめに、誰を自分のボス猿と認めるか、という選択が必要になる。
  2. 選挙って、《ボス猿選び》の延長なのか?
  3. 選挙って、服属儀礼なのではないか?
  4. 「服属儀礼」というのは日本人特有の行動様式・思考様式なのか? googleでは日本がらみのしか出てこない。忠魂主義の普遍化なのか? 自発的服従というのはある。が、それを宗教的なパターンとして正当化する発想というのが、「服属儀礼」なのではないか?

《サル山のサル》《求める思いこみ》

  1. 《モノ作り》とは土くれの場所を動かすことである。土くれの場所を動かすことによって、人々の欲求を満たすというのはどういうことか? 食べるということも、土くれの場所を動かすことである。天地創造も土くれの場所を動かすことでしかない。
  2. モノ《動き》が意味をもつのは人々の欲求においてである。人々の欲求は在る。サルにはサルの欲求があり、ゴキブリにはゴキブリの欲求があるのと同様に、人々には人々の欲求が在る。
  3. 人々の《求める思いこみ》が基準でなければならない。人々の《求める思いこみ》を見通さなければならない。《人々の求める思いこみ》
  4. 刹那的、個体的な《求める思いこみ》と群れへの《求める思いこみ》とがある。
  5. 《サル山のサル》からの《求める思いこみ》《極座標の原点》からの《求める思いこみ》
  6. 《極座標の原点》世界を知る。《知った思いこみ》をもつ。《知った思いこみ》《思い描き》である。《知った思い描き》への『よい』『わるい』の評価を行って、動く《極座標の原点》は《知った思い描き》とは別の《思い描き》をもつ。自由な《思い描き》と《知った思い描き》との差が《求める思いこみ》となる。
  7. 彼らは、モノコトバで、彼らの《求める思いこみ》を語る。xxがスムースに流れていない、という事態が、彼らの《求める思いこみ》を語るモノコトバである。

《サル山のサル》《思いこみ》

  1. 《サル山のサル》テレビが描き出す《思いこみ》である。
  2. テレビが描き出す、愚かで騒がしい人々は、現実の世界においては、希である。
  3. テレビが描きだす愚かで騒がしい人々を見ることを好む人々が居るのかもしれない。しかし、彼らは《サル山のサル》ではない。《サル山のサル》を見ることを好む人々であって、《サル山のサル》ではない。彼らは、休息の時間において、《サル山のサル》を見ることを楽しんでいるのである。
  4. テレビ《他者のコトバ》の排出口である。テレビ《他者のコトバ》暴力である。テレビ《他者のコトバ》によって幻を描き出す。《サル山のサル》テレビ《他者のコトバ》によって作り出した幻である。
  5. 《繋がりの先の人々》《サル山のサル》ではない。

《サル山のサル》と天下り

  1. 独占暴力団のヒエラルキーを維持するためには、天下り、または、天下り類似の制度が必要である。競争関係を維持して、落伍したサルをヒエラルキーから除外するとともに、落伍したサルを優遇する制度が必要である。安心して競争に参加できるシステムが必要である。
  2. これって、ベーシックインカムじゃん。
  3. 天下りが、独占暴力団の所轄の民間団体にたいして行われる場合には、非常な弊害を生じる。つまり、公私混同の弊害を生じる。
  4. ベーシックインカムで高額の年金を与えて、路頭に迷わせるのがよい。ボランティアで社会貢献に頑張ってもらうのがよい。

《サル山のサル》とマルチ商法、洗脳商法

  1. http://www.sos-file.com/sossos/r_roiyal.htm
  2. 欲得であることが原因であると気がつかないように、別の「よさ」をコトバとして、思考回路に刷り込む。欲得であることを否定するために、別の「よさ」を信じ込む。『心地よいウソ』『心地よいウソ』というのは、別の欲得を実現するための、口実となるコトバ。権力への恐怖を隠蔽するための正義コトバ

《心やさしい人々》と《サル山のサル》

  1. 善良な人々》
  2. パスカルの「繊細の精神」。
  3. 《繋がり》の先にある人々は《心やさしい人々》である。
  4. 《心やさしい人々》は、『味方』にたいして《心やさしい人々》であり、『敵』に対しては《怒り狂う人々》《心を鬼にした人々》である。『味方』に対して《善良な人々》は、『敵』に対して《邪悪な人々》である。

『敵・味方』と《サル山のサル》

  1. [barbaroi:6121]人身供儀
    1. 人柱のことを考えていて思いついたのですが、戦没者遺族は、戦没者が「犬死」だったと言われることに対して極端に反発しますね。そして、「平和の礎」と言われると満足する。人柱と変わらないのにねぇ。
  2. 慰めのコトバと、痛めつけのコトバ。敵に対するコトバと味方に対するコトバと区別する風習。
  3. 『敵・味方』の思考様式。『政治的なものの概念』??http://www.amazon.co.jp/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%9A%84%E3%81%AA%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E6%A6%82%E5%BF%B5-C-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88/dp/4624300122
  4. いや、びっくりしたのは、mixiで「テロリスト」というコトバは、立場によって使い分けるべき、と言われたこと。つまり、「テロリスト」は『敵』に対して非難するコトバであり、『味方』に対して使ってはならない、ということ。そんなの、ありかいな。と、思ったわけだが、それが『敵・味方』の思考様式なのだろう。『味方』なら『自由の戦士』とか『志士』と呼ぶべきだ、というわけ。
  5. 《群れの中の個体》《内からの視点》というわけだ。
  6. 《感じ合い》コトバ《まなざし》コトバ。繊細な精神のコトバと幾何学的精神のコトバ(パスカル)
  7. http://www.tennoji-h.oku.ed.jp/tennoji/syakai/rinnri/kyou.htm
    1. デカルトの思想に対して、同時代の物理学者でもあった哲学者パスカルは鋭い批判を展開しました。彼は人間を無限と虚無という二つの深淵に引き裂かれた存在、偉大さと悲惨さとの中間者であるといいます。そのような人間にとって学問とは確実に知ることも全く無知であることもできないものなのです。そこでかれは人間には二つの精神があるといいます。「幾何学的精神」と「繊細の精神」です。幾何学的精神とは原理から出発し推論を重ねて正しい結論を引き出す方法的態度です。デカルトの方法もこれにあたるわけです。しかし、幾何学的精神は現実の日常生活に役立ちません。日常の生活を生きるためには生きた細やかな精神である繊細の精神が必要なのです。しかし幾何学的精神は人生の意味や価値について何も語りません、人生の価値や信仰は繊細な精神によってとらえられるのです。パスカルは、中間者には安住できる原理ではなく、主体的な賭が求められると考えたのでした。

《サル山のサル》コトバ

  1. 舐めあい と 傷つけあい
  2. なんで、言われただけで怒ったり、慰められたりするのか?
  3. 仮想世界に住んでいる。
  4. 物理的身体において、威嚇されれば怯える。仮想世界においてコトバで威嚇されれば怯え、怒り、仮想世界においてコトバで毛繕いされれば、安心する。コトバによるグルーミング。コトバによる威嚇。保護感情の伝達、威嚇感情の伝達。コトバは感情伝達の手段である。
  5. 環世界《サル山のサル》環世界は、コトバによって構成されている。
  6. セカンドライフと言うインターネットの仮想世界が在るらしい。『現実』も似たようなモノだ。
  7. ボス猿の感情共有幻想は、どのように形成されるのか? 環世界の共有幻想。当然共有されているはずだ、という幻想があり、その幻想を破壊するコトバがあると、排除の論理が起動する。
  8. 『敵・味方』の思考様式。『政治的なものの概念』??http://www.amazon.co.jp/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%9A%84%E3%81%AA%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E6%A6%82%E5%BF%B5-C-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88/dp/4624300122

イドラと《サル山のサル》

  1. http://www.let.osaka-u.ac.jp/genshi/mori/great/bacon.htm
    1. 【『新機関(ノーヴム・オルガヌム)』】ベーコンの最も重要な著作はアリストテレスの『オルガノン』の革新をめざして書かれた『新機関』であろう.この書は知識の拡大に役立たない演繹的形式論理に対して,人知の進展に役立つ論理学,学問の方法を述べようとする.積極的な見解の提示に先だって第一章においては、無知と偏見と錯誤の原因となる,有名な四つの「心の幻影(イドラ)」が批判される.
      1. 第一は「種族の幻影」で,自己の偏見に合う事例により心が動かされるといった人類に共通の幻影,
      2. 第二の「洞窟の幻影」は,個人の体質,偶然事,教育等に由来するもので,いわば洞窟に閉じ込められ広い世界を見ないために生じ,
      3. 第三は「劇場の幻影」で舞台上の手品や作り話に迷わされるように,伝統的な権威や誤った規則,論証,哲学説に依存することに由来し,
      4. 第四の『市場の幻影』は,市場で不用意かつ便宜的に作られた言語によって誤るような言語的錯誤である.
  2. http://www.tennoji-h.oku.ed.jp/tennoji/syakai/rinnri/9gatu2.htm
    1.      種族のイドラ 人類という種に根ざす先入観
    2.      洞窟のイドラ 個人の性癖・経験が生む先入観
    3.      市場のイドラ 言葉の使用に起因する先入観
    4.      劇場のイドラ 伝統や権威に盲従する先入観
  3. http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%8C%E3%83%A0%E2%80%95%E6%96%B0%E6%A9%9F%E9%96%A2-%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%B3/dp/4003361725

《サル山のサル》のマスコミ

  1. 《サル山のサル》のマスコミは《サル山のサル》を操る。操って、喜んでいる。知らせないことによって、操っている。知らせるべきことを知らせず、喜びそうなことを知らせて、知らせるべきことを知らされていないことに気がつかないようにして、操っている。
  2. マスコミは、《サル山のサル》を操っているに過ぎない。
  3. ボス猿独占暴力団に特権を与えてもらえて、喜んでいる。へつらって、喜んでいる。《サル山のサル》のマスコミに過ぎない。《サル山のサル》は、そんなものだ。自然だ。《へつらい》は《サル山のサル》の自然な行動様式なのだ。
  4. 《サル山のサル》が操られるのは自然だ。
  5. 《サル山のサル》の側にも、『心地よいウソ』《求める思いこみ》があるのだ。
  6. 《サル山のサル》の側にも、操られることを《求める思いこみ》があるのだ。ボス猿に操られることを望んでいる。命令者を望んでいる。命令者の命令のままに動くことを《求める思いこみ》が在る。心地よく騙すボス猿《求める思いこみ》が在る。『心地よいウソ』を語るボス猿《求める思いこみ》が在る。

《サル山のサル》科学

  1. 自然を効率的に動かしている、というに過ぎないな。
  2. 《サル山のサル》が、生命の謎を解いて、技術的に、操作可能になったとしても、《サル山のサル》が、小さな生命を操ることができるようになった、というに過ぎない。《サル山のサル》にとっての最大の生命は地球だろう。地球を操ることができるようになったとしても、《サル山のサル》の山を操ることができるようになった、というに過ぎない。
  3. 操ることができるようになった、と言えるのだろうか? 大きな物理法則は変えることができない。
  4. 『科学』《サル山のサル》《思いこみ》に過ぎない。何かができると思ったら大間違いだ。

《サル山のサル》が騒ぎはじめる起動因は何か?

  1. テリトリーのトラブルだな。
  2. ボス猿が、追従ザルの感情的なタブーに触れた発言をすること。コトバを発することが問題なのであって、行動するだけなら、気がつかない。《空気》を乱すコトバ

《サル山のサル》と感情共有。

  1. ボス猿に求める思い込み、ボス猿の資質への求める思い込みが、情緒的な一体感だということ。感情共有への求める思い込み。感情共有の共同幻想。幸せな人々なんだなあ。感情的一体感が在るなんて・・。

人類文明を手にしたサルと《サル山のサル》

  1. 人類文明を手にしたサルは、如何にすれば、絶滅を免れることができるか?

http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/695.html

    1. あっしらさん:「しかし、支配層の世界観/価値観は、感性レベルと違って、私(庶民層)のそれとは驚くほど断絶したものであろうと思っています。
    2. 先に何があるかよくわからないが生きるために生きていくという庶民層のそれと、自分達の絶対的優位性を維持するために先を用意しようとする(用意できる)支配層のそれは、根底的に違うはずです。
    3. 庶民層は自分を手段として自分の目的を達成しようとするものですが、支配層は他者を手段として自分の目的を達成しようとするものです。このような思考様式の違いが恒常的であるなら、自ずと、見える世界や物事の価値性も違ってきます。」
    4. ・・
    5. あっしらさん:「支配層の恐怖は、他者を手段として自分の目的を達成できる位置から引きずりおろされることです。そのために、庶民層を自分達の感性に引き寄せ、手段化された庶民層がそうは受け取らずに自由意志で目的的に生きているという“錯誤”で喜々として手段化される道を歩む仕掛けを施しています。」

《サル山のサル》『法』

  1. サヤサは、法による制裁よりも、空気による制裁を好む。何故?
  2. 法による制裁は人為であり、ヒトはそれに抵抗する権利を持つ。
  3. 空気による制裁は、宗教的超越の力であり、ヒトはそれに抵抗する権利がない。
  4. 空気教という宗教
  5. ヒトは見えるが『法』は見えない。制裁するヒトと制裁されるヒトは見えるが、『法』は見えない。見えない『法』は存在しない。
  6. 制度や法は、それを維持する欲求がなければ、維持されなくなる。自然状態を『よい』とする《サル山のサル》には、制度への《求める思いこみ》がない。

テリトリー《サル山のサル》

  1. テリトリー』は《思いこみ》である。
  2. 《思いこみ》《動き》循環関係により、あたかも、モノであるかのごとき外見を作り出したモノ、に名前を付ける必要がある。

《繋がりつつある肉の塊》《サル山のサル》

  1. 《繋がり》の先にある人々は《サル山のサル》ではない。善意の人々だ。慰めあいをしていれば世の中が善くなると信じて生きている人々だ。傷つけあいより慰めあいの方が善い。励ましあいも善い。で? 《群れ》が、どこに向かうか、誰か知っているのかい? 彼らの視界には、慰めるべき仲間、傷つけるべき仲間、遠ざけるべき仲間の3種類のモノしか見えていない。か?

「昔と今とは違う」と《サル山のサル》

  1. 『昔』は記憶の中にあり、『今』は《永遠の今》であり、未来への選択・不安と、過去への記憶・後悔の間にある。
  2. 2100年から見て、2007年と1900年とでは違う、というのは想像力の欠如に他ならない。
  3. 『今』は《内からの視点》である。『昔』は《外からの視点》である。

《サル山のサル》《群れの力学》

  1. 《群れの力学》の研究は必要だ。孔子は、歴史から《群れの力学》を学ぼうとした、そして、何故か、『小人』を非難した。群れの力学を構成する人々、無自覚的な行動によって《群れの力学》からの弊害をもたらす人々が『小人』であり、『君子』は《群れの力学》を理解し、利用し、・・であろう。

《サル山のサル》と日本列島の《サル山のサル》

  1. http://www.asyura2.com/07/war93/msg/512.html
    1. 日本の世論はこれから「土下座してでも親米でいくべきだ派」と「独立していくべき派」におおきく二分するのではないかと思っています。
  2. 単純なスローガンの選択でことをすまそうとする思考様式。尊王攘夷のタタリ。
  3. スローガンに意味を求めると、尊王攘夷のタタリになる。
  4. スローガンに意味を持たせないなら、人脈政治になる。
  5. 《サル山のサル》は日本列島だけではない。西洋人の知識人は、イデア主義のフィルターで物事を見るから、自分たちの社会の《サル山のサル》が見えないだけだ。

イシモ・サヤサ・100

  1. うんざり
  2. 慰め合いと貶し合いのコトバの投げ合い。
  3. サルよりもマダニに近い。サルの自分の状況を見通す能力があった。マダニ化。環世界。見えない仕組みが見えていない。多様性、複雑性を理解せずに、単純なコトバで結論を出そうとする。人類の英知から何も学ぼうとしない。即物的思考様式。否。マダニだって見えるべき《状況》が見えているのだ。
  4. 地獄への競争。ご自由におやり下さい。サヤサは不安に支配されると地獄への競争を始める。
  5. 《サル山のサル》のパワーには恐るべきモノがある。
  6. ヒトと思うな。サルとみなせ。ヒトと思えば理解不能だ。サルと思えば理解できるようになる。何はともあれ彼らを理解することを最優先すべき。
  7. 《サル山のサル》はマスコミに操られているのか? マスコミは《サル山のサル》マダニ化を目的としているのか?
  8. 『我々』は《サル山のサルの群れ》を意味している。
  9. 『科学』《サル山のサル》の実体を明らかにする。《サル山のサル》『科学』を知って、《サル山のサル》であるのが『よい』と居直る。
  10. 《サル山のサル》はフリをするサルである。《サル山のサル》は、隣の《サル山のサル》と同じモノであるフリをするサルである。隣の《サル山のサル》が『ヒト』であると思い込むサルである。
  11. 《サル山のサル》は《たけ(tk)》を仲間であると思い込む。《たけ(tk)》は《サル山のサル》である。
  12. たけ(tk)》は《サル山のサル》との《繋がり》を有する。《たけ(tk)》からの《サル山のサル》への《繋がり》《サル山のサル》からの《たけ(tk)》への《繋がり》。《たけ(tk)》は社会的関係の総体である。・・関係する実体を抜きにした関係の総体というのはありえないな。関係に実体を含む、という定義なのか?。《繋がり》の《編み目模様》。下丹田《他者》からの《思いこみ》《噴出》
  13. 《息しつつあるモノ》《サル山のサル》との《繋がり》の《編み目模様》の中に在る。

『法』《サル山のサル》

  1. 《サル山のサル》における『法』《サル山のサル》たちの規範ではない。独占暴力団の司法部門の行為規範であるに過ぎない。『民法』であれ、『刑法』であれ、である。というのは、『法』はその内容が知られていなければ、行為規範たりえないからである。ヒトは知らない『法』に従うことはできない。
  2. 『精神哲学』下、p.228。法律として言表され公知されているという法律の実定的形式は、法律に対して服従するという外面的義務の条件である。

サヤサ・ニクマリ

  1. 《サル山のサル》《肉の塊》《私》《肉の塊》であるなら、《私》《サル山のサル》との《繋がり》において、《サル山のサルの群れ》において、何事かの役割を果たすことが『よい』のか?
  2. 《サル山のサル》が求める『サル』を演じることが『よい』か?
  3. 『よい』とは、他者が求める『ヒト』のフリをすることである。彼らが求めているのは『ヒト』なのか、『サル』なのか?

民俗学と《サル山のサル》

  1. そうか、《サル山のサル》は民俗学の研究対象となった人々に近いのだ。

《サル山のサル》と「死ねばホトケ」

  1. 「死ねばホトケ」という思考様式は、だれか理論的に提唱したモノなのか?
  2. 浄土教でも「死ぬ前に一言念仏を唱えれば、死ねばホトケ」という思想。「死ねばホトケ」は無条件である。「死ねば祖先の国」というアイヌ的思考様式に一致する。「死ねば浄土」は「死ねば祖先の国」と一致する。
  3. 「死んで怨霊、祟り神」と「死ねばホトケ」。「ホトケにならないモノが祟り神」。「祟り神をホトケにするのが仏師」、「供養」。「祟り神・《あらたま》を魂鎮めするのが、祀り」「魂鎮め」。
  4. 仏教のコトバで語られた民俗宗教。folklore。

《サル山のサル》と経営

  1. http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070420/269001/?ST=tousei
  2. 「まつりごと」というべきか。
    1. 執行と監督の分離。権力分立の精神を祀ること。
    2. 意思決定プロセスの透明性。透明化の精神を祀ること。
    3. マネジメントの順法意識。遵法精神を祀ること。
    4. 部門責任者の責任と権限。分業の精神を祀ること。
    5. ヒトは、そのように扱われたように振る舞うサルである。《思いこみのサル》である。《他者》からの期待に応じて動くサルである。
  3. http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070420/269001/?ST=tousei&P=2
    1. 「会社を良くする」という目標を掲げればよいのです。
  4. 状況の変化をチャンスととらえる。
  5. http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070511/270667/?ST=tousei&P=2
    1. 「管理プロセス・業務プロセス」の放置状況
      1. 目に見えないモノは理解できないのだ。共通の理解になりえないのだ。
  6. 目に見えないモノを、まるで、あるかの如くに振る舞うこと、が祀るということだ。

《サル山のサル》と加害欲求

  1. 《サル山のサル》には加害欲求がある。右翼を見ていればよくわかる。
  2. 《サル山のサル》には、弱い者いじめへの《求める思いこみ》がある。
  3. 面従腹背ならまだマシなのだ。面従腹従して、弱いものに対していじめを行う。最悪の行動様式《サル山のサル》にはある。
  4. 敵味方を判別してから呼び名を決める。味方なら自由の戦士、志士、英雄であり、敵ならテロリスト、犯罪者。mixiで、そうすべきだ、と言われてびっくらこいた。
  5. 《サル山のサル》には加害欲求を正当化するコトバ正義)への《求める思いこみ》がある。
  6. 正義は、自分への攻撃をかわす盾である。目眩しによって相手からの反撃を防止する盾である。相手や観衆からの反撃への《怯え》である。正義の根源は《怯え》である。

ヒト』と《サル山のサル》

  1. ヒト』であることを求めている《サル山のサル》も居る。
  2. 《サル山のサル》《思いこみ》としての『ヒト』とは何か?
  3. ヒト》は『ヒト』のフリをするサルである。
  4. 仲間と同じ行動様式をとるモノヒトである。仲間の行動様式ヒト行動様式である。仲間がヒトである。仲間と同じモノであるフリをするサルである。付和雷同型行動様式ヒト行動様式である。聖人、偉人であろうと仲間の選択が特殊であっただけの話である。

《サル山のサル》と反作用

  1. 《サル山のサル》においては、往々にして、反作用が強大な力をもつ。
  2. うっちゃり。相手の攻撃力を、支点を中心に回すことによって、自分の攻撃力に変換すること。
  3. ホメオスタシス。平衡を維持するための反作用。
  4. 怒り。攻撃は怒りを生み、怒りは大きな攻撃力を生む。
  5. テリトリーの防衛者は侵入者より強い。

《サル山のサル》と経済学

  1. 経済学が想定するヒトとは、カネを扱うサルである。毛が二本足りない。
  2. 経済学の人間観は、全知のサル。即物的な利益追求。話し合い、合意、契約、信義、将来への展望といった要素は、経済学の外部要因として、ほとんど無視される。
  3. サル山のサルの経済学としては、結構なところまで行っている。とは思う。
  4. 数字が書かれた紙切れを崇拝する《サル山のサル》
  5. 経済学自体は《サル山のサル》《思いこみ》である。

《サル山のサル》と『ヒトの歩むべき道』

  1. ヒトの歩むべき道』と言ったモノがあるのか? 『なすべきこと』とどう違うのか?
  2. 『道』は「AならばB」である。それと、《私》の場所。
  3. ヒト』は当為概念である。『ヒト』は『ヒトの歩むべき道』を歩むべきモノである、という当為概念である。
  4. 孔子が示した『道』は、『ヒトが歩むべき道』であるか? そうとも断言できない。彼は法を軽視している。暴力的な権力関係を前提としている。資本的生産関係を考慮していない。立憲主義を知らない。
  5. 『みち』と目標とは異なる。
    1. 『みち』は《私》の足元から広がるモノである。
    2. 目標は、あるかもしれないし、ないかもしれない。普通は見えない。
    3. 見えない場所にある目標を重視するか、足元を重視するかの違い。
  6. 《サル山のサル》は、『《サル山のサル》の道』でない『道』を求めている。《サル山のサル》は『ヒトの道』を求めている。『人の道』。《サル山のサル》は『人』で在ろうとしている。《サル山のサル》は『人』であることへの《求める思いこみ》をもつ。『人』への《求める思いこみ》をもつ。『人であること』への《求める思いこみ》をもつ。

イスメーネーと《サル山のサル》

  1. 『法学セミナー、2007、7』p.74:
    1. しかし、アンティゴネーの悲劇の教訓はそれだけにとどまらない。ほとんど忘れられた存在となっている妹イスメーネーとの会話がそれを教えてくれている。命令に背いてでも亡き兄を葬ると言うアンティゴネーに対して、イスメーネーは、王の布令を破ってはならないと、次のように諭す。
    2. 「それよりも、よく考えなければいけませんわ、第一に自分たちが女ってこと、それで男の人と争いあうように生まれついてはいないというのを。それから力のもっと強い者に支配されている、ってことも。それゆえ、今のことでも、またもっと辛いことでも、服従するほかありませんわ。」「権力を手に握っている者の言うまま、やっていくつもりですの。そうするほかないのですもの。よけいな騒ぎをしてみても、何のたしにもなりませんもの。」
    3. p.76:イスメーネーの自由を確保し、抵抗の可能性を開くためには、逆説的だが、「抵抗する主体」像を想定するのをやめるべきだ。なぜなら地裁判決のように、抵抗を義務づけ、抵抗し得ない者の権利を剥奪することになりかねないからだ。横浜セクシュアル・ハラスメント事件の控訴審において、原告弁護団が一番力を入れたのが、この「抵抗する被害者」像を打ちこわすことだった。彼らは多くの性暴力被害者の証言や性暴力被害に関する研究を高裁に提出した。そして、高裁判決は力を前にした人々のリアルな姿を分析し、被害者が実に多様な反応を示すことを明らかにして、「抵抗する被害者」像を捨て去り、A子の訴えを認める逆転判決を下した。権力制約原理としての人権を論ずるためには、事実としての権力関係の分析を踏まえなければならない。これにより、多様な抵抗の可能性が開かれ、抵抗を義務から権利に転換させることができるのだ。
  2. 追従ザルの合理性、というべきか?
  3. 《サル山のサル》コトバによって思考回路が開かれる。
  4. しかし、『よい』思考様式、正しい思考様式、があるのか? 《サル山のサル》の思考様式に『よい』『わるい』はあるのか?

選挙と《サル山のサル》

  1. サヤサの選挙はボス猿への服属儀礼である。

「非難」と《サル山のサル》

  1. 非難すれば『よい』、という思考様式は、隣り山からの闖入者を威嚇すれば彼を追い出すことができた時代に形成された行動様式の末裔だろう。

《サル山のサル》と『善』『よい』

  1. あらゆる《サル山のサル》の行動は、何らかの『よい』を追求している。
  2. 『ニコマコス倫理学』p.5。
  3. 《快》『よい』(こころよい)。『善』も『よい』。ヤマト言葉的には『よい』に行き着きそうだ。最高の『よい』とは何か。さまざまな『よい』の関係はどうなっているか?
  4. 『よい』と『わるい』との関係は?
  5. 『よい』か『よさ』か?
  6. 「よすぎる」のは『わるい』。「よすぎる」のは『よくない』。
  7. 『よい』『わるい』は一概に言えない。『よい』『わるい』を明確にしないのが『よい』
  8. 『よい』と『よくない』か、『よい』と『わるい』か?
  9. 『わるい』やつはカッコイイ(格好『よい』)。『わるい』は『つよい』であって、『よくない』ではない。気持ち『わるい』は、気持ち『よい』の逆ではない。
  10. 《サル山のサルの群れ》の運営に関与することは『よい』か?
  11. 《サル山のサルの群れ》の運営と独占暴力団との関係は? ○:独占暴力団が手段として主張する「正当性要求」の判断基準が「《サル山のサルの群れ》の運営に関する判断」への判断基準である。×:。

《サル山のサル》『法』

  1. 『法』《サル山のサル》《思いこみ》である。
  2. 『法』《思いこみ》だから、突き詰めると非合理に至る。
  3. 《思いこみ》だけれど、《サル山のサル》の分析にあたって重要な《思いこみ》だから丁重に扱わなければならない。
  4. 『法』《サル山のサル》の中の、独占暴力団の中でしか機能していない。独占暴力団『法』で強制するから、それ以外の《サル山のサル》は、やむを得ず、独占暴力団に知られそうな場所では、『法』に面従腹背する。
  5. 『法』独占暴力団《思いこみ》である。
  6. 《サル山のサル》行動様式は、何らかの規範によって規制されている、か? ○:快苦法則という規範、《快》を求め、《苦》から逃れるべしという規範。力が強く強制するサルには逆らわない、という規範。そのサルが権威ありと信じたサルの言ったコトバは、自分が行ったようなつもりになって従う、という規範(尊敬の行動様式)。×:。

《サル山のサル》と『小人』と『君子』

  1. 『小人』『君子』は規範概念、価値概念である。
  2. 『小人』として描かれている行動様式は、《サル山のサル》行動様式と似ている。
  3. 仮に、『君子』として描かれている行動様式《サル山のサル》がいたとしても、それは、《サル山のサル》でしかない。

《サル山のサル》の道徳と法律

  1. 道徳は欲求を規制し、
  2. 法律は行動を規制する。

《サル山のサル》と知的露天商

  1. 思想家の著書について評論家が紹介する要約とは、「昔から知られていた常識的な事柄なのに、評論家がその著書で初めて知って、その著者の大発見であるかの如くに誤解して、紹介する文章」であろう。その著者は、そんな常識は常識として紹介していたに過ぎず、著者としてはその常識を前提として、何かを語ろうとしていたはずなのに。
  2. 『ニコマコス倫理学』の最後は「立法者的な素養を積むことに努力すべき」である。これって、カントが発見したように紹介されていることではないのか?
  3. 露天商というのは、詐欺的言説が許されているのだ。「経営していた工場がや焼けてしまってので、焼け残った高級時計を安く売ります」なんてね。それとか、寅さんの口上とか。
  4. 通俗化され、無害化され、大衆のお好みに併せて余分なものが付け加えられて、広まっていくのだ。『心地よいウソ』として広まっていく、というか、思想は消されていく。

サヤサム:《サル山のサルの群れ》イシモ・100

  1. 《息しつつあるモノ》《サル山のサルの群れ》の中にある。
  2. 《息しつつあるモノ》《サル山のサルの群れ》に押しつぶされる。
  3. 《サル山のサル》《今・ここの・このモノ》である。
  4. この《息しつつあるモノ》《サル山のサルの群れ》《息しつつあるモノ》である。
  5. 《サル山のサルの群れ》アニマ《息しつつあるモノ》を通して噴出する。
  6. アクビ。《サル山のサルの群れ》アニマはアクビなのか? 
  7. アクビとは、心地よさへ至るための、こだわりの放棄である。
  8. この身体が、至福の心地よさに至らなければ、《サル山のサルの群れ》アニマ噴出する能力を獲得しえない。
  9. 駅からの帰り道:《サル山のサルの群れ》が希薄化した空間
  10. 《サル山のサルの群れ》の排泄物、道路、建物の上にあること。
  11. 《息しつつあるモノ》《動き合い》《サル山のサルの群れ》と繋がっている。
  12. 《サル山のサルの群れ》《息しつつあるモノ》『一切』の一部分である。
  13. 《息しつつあるモノ》《動き合い》世界を知り、《動き合い》世界と繋がり、《動き合い》で繋がったモノから世界を知る。

《息しつつあるモノ》《サル山のサル》のヤクザ・独占暴力団

  1. 苦手だなぁ・・。
  2. 面従腹背は、《息しつつあるモノ》の自律性を維持しつつ、ヤクザ・独占暴力団から身をまもるための知恵である。

暴力団主権主義とサヤサ主義

  1. 《サル山のサル》の居直り=サヤサ主義=においては、暴力団主権主義が自然である。
  2. ボス猿の決定は、暴力的抗争によって決まる。暴力的抗争の勝者が支配権を握る。それの集団版が暴力団主権主義である。
  3. 内戦の勝者が主権者となる、という思考様式を暴力団主権主義という。内戦というのは、暴力団の抗争である。
  4. 暴力団主権主義は憲法の一つの形である。
  5. 憲法、暴力団主権主義は追従ザルの思考様式である。ボス猿追従ザルの追従によってのみ、その地位を維持することができる。
  6. 追従ザルにおいて、具象的思考様式であるばあいには、強いボス猿を決定する内戦が、追従すべきボス猿を決める基準となる。

面従腹背と《サル山のサル》

  1. 面従腹背は《サル山のサル》の知恵である。《サル山のサル》の自律性を維持しつつ、独占暴力団暴力から身をまもるための知恵である。

サヤサ主義と《サル山のサル》

  1. 《サル山のサル》であることを『善し』とする思考様式をサヤサ主義という。
  2. 『明治の文化』p.169「半蔵さま、お前さんに真実(ほんとう)のことを云う者があらすか」
  3. 「居直り」というコトバには、それが『悪い』という《思いこみ》が含まれている。
  4. サヤサ主義は『悪い』か? ○:この《肉の塊》にとって『悪い』、『心地悪い』。×:《他者》の思考様式に『善い・悪い』はない。《私》の行動によって変更可能でないモノに『善い・悪い』はない。
  5. 「本当は、すべての人は、高レベルの欲求を持っている」というのが(孟子の?)性善説。
  6. 下品下生の悟り。

《サル山のサル》と『善・悪』

  1. 《サル山のサル》には、『善』を求め、『悪』を避けようとする《求める思いこみ》がある。
  2. 権力の、正当性と暴力は、正当性は、《サル山のサル》の『善』を《求める思いこみ》を利用する技術であり、暴力は、《サル山のサル》『悪』を避けようとする《求める思いこみ》を利用する技術である。
  3. 『善・悪』は主体依存的概念である。
  4. 「罰せられること」は『悪』である。快不快法則が原始的な『善・悪』である。《求める思いこみ》と《逃れる思いこみ》。《逃れようとする思いこみ》。《xxへの思いこみ》と《xxxからの思いこみ》。餌への《求める思いこみ》と、捕食者からの《逃れる思いこみ》。
  5. 《サル山のサル》には、それぞれの、それぞれにとっての『善し』と『悪し』とがある。《サル山のサル》の『善し』と『悪し』は十人十色である。
  6. 《善し・悪し》は反省的な『したいこと』、《求める思いこみ》、《逃れる思いこみ》であろう。《サル山のサル》に反省的な《思いこみ》循環が在るか? 木々には、内部において、葉っぱから根っこへの《思いこみ》の伝達があり、階段のタイルには、《動き》を関知したことを伝える内部的な伝達が在る。それよりは、高度化も。己の『なしたこと』とその『結果』とを情報としてフィードバックして、それを評価して、次に同様な状況が生じた時に、『したいこと』に修正を加えるような、反省的な循環

《サル山のサル》と奴隷制

  1. スパルタでは、市民権をもつ市民と市民権を持たない商工業者と奴隷の三種類の人間で成立していて、奴隷は市民の17倍もいたという。これって、奴隷が国民だったということだろう。国民は奴隷だった。いまも、国民は奴隷なのかもしれない。社会的・政治的な決定に関与しない、関与しようとしない、ということだ。
  2. 追従ザルは奴隷なのだ。
  3. 奴隷と独占暴力団の群れが《サル山のサル》だ。独占暴力団も、奴隷も、同じレベル。
  4. スパルタは農業国家で、アテネは商業国家であったという。経済構造が下部構造で、政治構造はその上部構造であった、ということか。日本は? 農業的企業国家であるということか? 農民は、各自の持ち場で粛々と作業をする。

反作用と《サル山のサル》

  1. 社会的事象を見ていると、圧力をかけると、反作用が生じて、圧力が逆の効果をもたらすということが多い。ホメオスタシスの自律維持機能が、そのような反作用の原因なのか?

「目先の事件」と《サル山のサル》

  1. 《サル山のサル》が目先の事件に振り回される、というのは正しくない。《サル山のサル》を操ろうとするサルももまた《サル山のサル》である。
  2. 悪しき結果を生じさせる政策を立案する《サル山のサル》と、目先の事件に惑わされてその悪しき政策を支持する《サル山のサル》。視野の狭さの故に自滅への道を突き進む《サル山のサル》
  3. 美しき 自爆に進む 日本の国
  4. 美しき 自爆へ向かう 日本(やまと)かな
  5. 大学に競争原理を導入とか、社会福祉を民営化するとか、累進を緩和するとか、わけが分からぬ。
  6. 権力への 疑い知らぬ 赤子かな
  7. サルなんだから、自然だ。
  8. 《サル山のサル》は操られることを望んでいるのか? たぶん、YES。それの方が簡単だからだ。思考の経済の法則。考えることからの逃走への《求める思いこみ》。考えることへの《怯え》。知ることによって捕われることになる、か? オオカミ信仰。見てはならない、という禁忌。見えない仕組みを見る、というのは、たしかに、おかしい。

《サル山のサル》《息しつつあるモノ》の『したいこと

  1. 《サル山のサル》たちの《動き》《息しつつあるモノ》の『したいこと』である。
  2. 《内からの視点》《動き》を理解することである。

教育と《サル山のサル》

  1. 教育の目的は能力開発である。
  2. 人格者としての能力開発。
  3. 主権者としての能力開発。
  4. 生徒のやる気は、能力開発の手段である。
  5. 生徒のやる気を引き出すテクニックは、能力開発の手段である。

高山彦九郎の諌死の憑依力と《サル山のサル》

《サル山のサル》の《コトバ》と《思いこみ》

  1. 《サル山のサル》の内部にある《コトバ》はどのようなモノであるか?
  2. コトバ》と《思いこみ》との対応規則はプロトコルである。あらかじめ決められた規則である。《サル山のサル》は、すでにプロトコルを知っている個体の《コトバ》の使い方から、プロトコルを推知する。推知したプロトコルを《コトバ》を発することによって、相手の反応を見ることによって、確信する。《群有思いこみ》である、と確信する。プロトコルは《思いこみ》である。個体内部に生成される《思いこみ》である。個体内部の《群有思いこみ》である。

『なすべきこと』《サル山のサル》

  1. 『孟子』p.139:人みな人に忍びざるの心ありとする所以のものは、いま、人にわかに孺子(じゅし)のまさに井(せい)に入らんとするを見れば、皆[小朮]Α覆犬紊辰討)・惻隠(そくいん)の心あり。・・惻隠の心は、仁の端(たん)なり。
  2. http://www.e-t.ed.jp/edotori390127/kk-ss2yaku.htm
    1. 所以謂人皆有不忍人之心者、今人乍見孺子将入於井、皆有○Αω識G型粥・・惻隠之心仁之端也。
  3. 惻:いつも心について離れない。
  4. 惻隠→相手の身体の裏側=心?=にくっつくこと。惻隠の隠は相手の心ではない。井戸に近づく子供の心は好奇心であり、不注意である。相手の客観的利益が「隠」であろう。相手の心は相手の主観的利益である。
  5. 《他者》の客観的利益は分かるのか? 詐欺に騙されて財産を失ったが、心地よい思いをしている老人の客観的利益は分かるのか? 《他者》の主観的利益は、《他者》の客観的利益の一部である。「死んで花実は咲くものか」。騙されて住処を失う老人が多い。彼の主観において善いのであれば、善いではないか。井戸に落ちる子供が、彼の主観において善いのであれば、善いではないか。井戸に子供が落ちることは、その井戸の利用者たちにとって困ることなんだよね。ということかな? 老人が財産を失って、みなで面倒を見なければならなくなると、みんなが迷惑なんだよね。
  6. 迷惑というのは、「迷惑だからやらない」ということではない。「迷惑だけれど、やるべきことはやる。だから、迷惑なのだ」。「人の迷惑になるような事をしてはならない」というのは妥当するが、「迷惑だからやらない」というのは妥当しない。
  7. 「人の迷惑になるような事をしてはならない」が規範であり、迷惑をかけることが規範違反であるなら、規範違反への制裁が科せられるべきだ、というのは規範の論理。制裁の論理。『迷惑』への制裁は、「人の迷惑になるような事をしてはならないよ」という「諭し」の制裁である。諭して恐縮させるのが制裁。
  8. 助け合いの社会の論理と、奪い合いの社会の論理。
  9. 助けることと奪うことは、利益の移転という微視的な《視点》からみれば同じである。何が違うのか? 助けることは、利益を移転する側の《ちから》の作用である。奪うことは、利益を移転される側の《ちから》の作用である。奪い合いの社会では、《ちから》の強いモノがより多く利益を得る。助け合いの社会では《ちから》の弱いモノがより多くの利益を得る。
  10. 助け合いの社会といっても、富の不平等はある、純粋の助け合い社会(助け合いの行動しかない社会)ではなく、それ以外の活動の上に、その社会の原理の一つとして助け合いの行動様式がある、という社会。生産活動、経済活動+助け合いの行動様式、というのが助け合いの社会。奪い合いの社会も、生産活動、経済活動+奪い合いの行動様式、という社会。
  11. 《ちから》の不平等があって、《ちから》の強いモノ《ちから》の弱いモノを助ける社会か、《ちから》の強いモノ《ちから》の弱いモノから奪う社会か、という違いか?
  12. 『権利』を憎悪する人々は、『権利』を「《ちから》の弱いモノ《ちから》の強いモノから奪う権利」であるととらえているのだろう。奪い合いの社会の発想から権利を見ればそうなる。助け合いの社会の発想からみれば、助け合いの制度化でしかない。制度を通した助け合いの実践である。
  13. 《奪い合いのサル山》と《助け合いのサル山》とがある。チンパンジーのサル山とボノボのサル山とがある。男性原理のサル山と女性原理のサル山とがある。男性原理は奪い合いの行動様式か? 女性原理は助け合いの行動様式か? 助け合いの行動様式は女性原理か? 孔子は女性なのか? 奪い合いはオスザルの行動様式である。ヒトの男性原理ではない。オスザル原理である。助け合いはメスザル原理か? メスザル原理は、自分の子供を助ける行動様式である。
  14. 『看護覚え書』(フロレンス・ナイチンゲール、現代社、改訂第6版)p.1:英国では女性の誰もが、あるいは少なくともほとんどすべての女性が、一生のうちに何回かは、子供とか病人とか、とにかく誰かの健康上の責任を負うことになる。言い換えれば、女性は誰もが看護婦なのである。

《サル山のサル》と傭兵国家主義

  1. アメリカの軍国主義に共鳴しているのだ。戦前の軍国主義の血が、アメリカの軍国主義に共鳴している。戦前の忠君愛国が、忠米侮国に変身している。

《サル山のサル》と愛国主義者

  1. 国を愛していないのは自称愛国主義者の方である。彼らは国を愛せないのである。愛せない理由を外部に求めるのが自称愛国主義者である。現実には愛していないから愛国『主義』なのである。愛す『べき』と主張するのは愛して『いない』からである。当為は不存在である。当為は、《思いこみ》としては存在するが、モノとしては不存在である。あるべきモノが存在しないから、『存在すべき』という《思いこみ》が生じるのである。自称愛国主義者たちの内部には国を愛する心が存在しないから、『愛すべき』という《思いこみ》が生じるのである。
  2. 《サル山のサル》が自分の《群れ》を愛するのは当然である。自分は自分の《群れ》に属するのであって、別の《群れ》に属するのではない。自分の《群れ》は自分の《群れ》の個体=自分=をまもるが、他の《群れ》は自分をまもるわけではない。個体がその保護者を愛するのは当然だ。すべての個体は、その個体が属する《群れ》を愛しているのである。存在的に愛しているのである。しかし、《思いこみ》において愛していない個体もある。愚かなサルは、自分の鏡像で他の個体を判断する。

《サル山のサル》と説得術

  1. 孟子は説得術の技術者なのだ。
  2. 義を説くに利をもって誘導する。
  3. 個体的な利益の拡張としての仁。プラグマティズム。

《サル山のサル》と貨幣

  1. 《サル山のサル》には貨幣を崇拝するサルの群れもある。
  2. 貨幣は《サル山のサル》の最大・最悪の発明品である。
  3. 交換経済と《サル山のサル》

《サル山のサル》と『善し』

  1. 《サル山のサル》にとっての『善し』とはなにか?
  2. 個体の生存、群れの生存。生死の状況における『善し』。肉体的な死活状況、人格的な死活状況
  3. 死活状況における生存欲求は、単純・明快・強力な『善し』である。
  4. 《サル山のサル》の関係欲求における『善し』とは、支配であり、保護である。
  5. ボス猿は自分に『善し』を求め、追従ザル《他者》ボス猿に)『善し』を求める。
  6. 普遍的な『善し』ではなく、独占的な『善し』、個体偏在的な『善し』、独善的な『善し』。
  7. 支配は暴力か? セイウチのハーレムではオスがメスを暴力で支配しているわけではない。むしろ、メスが、強いオスを好んで、選んで、付いているだけ。

《サル山のサル》と賞賛パターン、文化

  1. 文化とは賞賛パターンである。
  2. 日本の職人はサービス精神ゼロ。意固地な職人である。善いモノを作ることだけが職人の誇りである、という思考様式。それを賞賛して、サービス精神のある職人は賞賛しない、という文化。文化というのは賞賛パターンだ。

《サル山のサル》ドメイン

  1. サヤサは複数の、構成原理の異なるドメインの小集団で構成されている。

《サル山のサル》であるから、《サル山のサル》であるべきだ、という倫理観もありうる。

  1. 《サル山のサル》だからボス猿に従うべきだ、という倫理観もあり得る。
  2. サヤサだから餌の奪い合いに勝つ強さを鍛えるべきだという倫理観もあり得る
  3. 心まで《サル山のサル》である人々。

《サル山のサル》の君子、聖人

  1. 君子・聖人といえども、《サル山のサル》である。《サル山のサル》の中の君子であり、《サル山のサル》の中の聖人である。
  2. 君子は当為概念である。聖人は《他者》ヘの評価である。
  3. 『君子』は当為概念であるから、『君子』に分類されるような《サル山のサル》はない。『君子』は分類概念ではない。『君子』は分析概念(理念型)か?
  4. 《ことわり》、道理とはなにか? 君子は理を重んじ、小人は利を重んじる。利のヤマト言葉は? 《さち》? 《さち》(幸)は獲物である。《仕合わせ》と《さち》とは異なる。《仕合わせ》は関係欲求である。『善い』関係への欲求である。

《サル山のサル》《思いこみ》

  1. 《サル山のサル》たちの《思いこみ》は、《サル山のサル》《群れ》をシステム化する。
  2. 《サル山のサル》たちの《善い思いこみ》とは? 《サル山のサル》にとって善い結果をもたらす《思いこみ》
  3. 《サル山のサル》にとっての善い状況とは? 彼らが『善い』と感じる、《こころよい》と感じる状況

《サル山のサル》と憲法

  1. 《サル山のサル》の憲法しかない。猿たちの《思いこみ》でしかない。

《サル山のサル》と共産主義。

  1. http://www.asyura2.com/07/war91/msg/743.html
    1. いわゆる「赤」攻撃は、実は、組合つぶしがねらい。
  2. 《サル山のサル》ボス猿が、共産主義に本能的恐怖感をもつのは、彼らが『所有』によって利益を得ているからだ。生産手段の私的『所有』を失えばすべてを失うのだ。

《サル山のサル》テリトリー戦争

  1. 《サル山のサル》の敵味方二分論が合理性をもつのは、群れのテリトリーを守るためである。

親日・反日二分論と《サル山のサル》

  1. 《サル山のサル》の思考様式だね。
  2. 《慰め》か《いやみ》か、《いやし》のコトバか、《いやみ》のコトバかの二分論。

《サル山のサル》と《空気

  1. 《サル山のサル》《群れ》の《空気》を感じる。
  2. 《サル山のサル》《群れ》の《空気》に従って行動する。
  3. 《サル山のサル》《群れ》の《空気》はどの様にして形成されるか、どのようなモノか?
  4. 《サル山のサル》が感じる、《空気》とは、そのサルの生存欲求の投影・鏡像である。生存欲求の充足にマッチした行動様式を感じ、その行動様式原因となるべき状況を、《空気》として感じる。
  5. 小人は同じて和せず。小人は《空気》に同化しようとする。小人は《空気》を読んで、《空気》に従って行動する。
  6. 君子は和して同せず。君子は、《サル山のサル》の君子でしかない。《群れ》の《空気》に従わないサルでしかない。自律するサルでしかない。
  7. 他律的行動様式。他律的人格。カント?
  8. http://www.nagaitosiya.com/b/rawls.html ロールズの正義
  9. 空気主義者に空気主義の非を指摘してはならない。
  10. 空気主義は、中村元の指摘によれば、日本思想家のすべてに見られる。言説において如何に高尚に語ろうとも、行動においては空気主義である。

《サル山のサル》に向かって指摘してはならない。

  1. 《サル山のサル》は傲慢であり、反省力がない。《サル山のサル》は指摘を攻撃としか理解することができない。指摘すれば、《サル山のサル》は反撃するであろう。
  2. [barbaroi:5998] Re: 古典に仮託した未来物語
    1. 『日本随筆大成』第1期2(吉川弘文館、1975.4、56-57頁)にもあり)。
    2. 伊曽保物語と云ふ書は西洋の訳書なり、其の原本紀州侯にあり、予直に見たり、皆譬を以て教を設く、爰に一二章を掲ぐ
    3. ・・
    4. 猿多く群り、躍り舞ふ事人の如し、然りと雖も人之を視るときは人の如くならず、故に其の悪しきを教へ学ばしめんとするに、還りて猿大に立腹し、群猿共其の人に仇す、人の非を言ふべからず、非を容るゝ者は君子なり
    5. ・・
    6. 此の書は西洋書にて、シンネベールと云つて譬喩なり、いま和蘭の書を学ぶ者解しがたき辞にして、二百年以前の西洋の学をする者ある事を知るべし(『司馬江漢全集』2、八坂書房、1993.6、90-91頁)
  3. 空気主義者に空気主義の非を指摘してはならない。

《サル山のサル》と「加害者の被害者意識」

  1. 関東大震災のときの朝鮮人虐殺。(我々は彼らの国を滅ぼし、彼らを差別している→)彼らは我々に怨みを持っている(はずだ)→このチャンスに彼らは我々に復讐する(はずだ)→だから、彼らを殺す必要がある。
  2. http://www.asyura2.com/07/war91/msg/449.html
    1.  この日チョ容疑者の映像を見た米国のメディアや犯罪心理学の専門家らはチョ容疑者を「精神異常者」と断定、チョ容疑者の犯行について「自らを被害者と考える者たちの典型的な犯罪」と分析した。
  3. (我々は人肉を食べた→)原住民は日本兵の人肉を食べる。
  4. (我々は捕虜や現地人を虐待した→)鬼畜米兵は日本を占領したら同じことをするだろう。
  5. 環世界。知る必要のない事実は、見えない、視界・主観世界の中には存在しない。
  6. (我々はインディアンの頭の皮に賞金をかけて、彼らを殺した→)インディアンは白人の頭の皮をはぐ。

《サル山のサル》の傲慢、《健常者》の傲慢

  1. 自発的でない、という評価。Aさんが期待する自発的行動をBさんがとらない。しかしおそらく、Aさんは、Bさんが期待する自発的行動をとっていないだろう。《健常者》の傲慢に過ぎない。《サル山のサル》の傲慢に過ぎない。傲慢なサルに対しては、微笑みをもって応えよう。
  2. 《健常者》の現実は《思いこみ》に過ぎない、みんながそう言っているからそう思い込むことにしよう、という他律的な《思いこみ》である。
  3. 《健常者》にたいするのは《病常者》か? 健康⇔病気。病的行動様式、病的思考様式。健康って何だろう? ホメオスタシス、循環の均衡。健康は《にぎたま》、病気は《あらたま》。和魂、荒魂。《にぎたま》の究極は、眠りである。《眠り》。

《サル山のサル》《今・ここの・このモノ》

  1. 《今・ここの・このモノ》《サル山のサル》である。
  2. 《サル山のサル》は、そのサル自身にとって、《今・ここの・このモノ》である。

《サル山のサル》と《発達段階

  1. ヒトヒトとして生まれてくるのではない。サルとして生まれてくるのだ。
  2. ヒトはサルとして生まれてくるが、ヒトとして扱われることによって、ヒトになっていくのだ。ヒトとなるべく発達していくのだ。

《サル山のサル》の議論

  1. 繭の中に描いた絵の競い合い。共有確認。慰め合い。

《サル山のサル》の資本主義

  1. 主観的には、金儲けは善いことである、という思考様式、行動様式
  2. 金持ちが金持ちであるが故に、カネを使ってカネを儲けるのは善いことだ、という思考様式、行動様式。利潤肯定の思考様式、行動様式
  3. 働いて儲けることと、所有で儲けること、の区別が付いていない。
  4. 畜生の行動様式の正当化、天上化。
  5. 経済(畜生)、政治(修羅)、思想(天上)。経済的行動様式、政治的行動様式、思想的行動様式

《サル山のサル》と『希望』『夢』

  1. 《ゆめ》も《うつつ》も、繭も、《サル山のサル》《身体》の内部にある。彼の《極座標の原点》は、《身体》内部の繭の中にある。環世界環世界《身体》の内部にある。環世界は繭の内側に描かれた絵であり、繭に開けられた外界と通じる穴である。その穴を通して、かれは外界と交信する。環世界《身体》内部の繭である。
  2. 《ゆめ》も《うつつ》も繭の内側の絵である。
  3. 国体・政体二元論は、国体=《ゆめ》、政体=《うつつ》である。
  4. 昆虫が繭を作っているとき、彼らは寝ている、《ゆめ》を見ている。弱い状態であるから、繭で身を守る。繭は防衛反応・繭作りは防衛行動。繭は城壁。繭の中に在るときには外部から動かされるだけである。虫は繭を食い破って外に出る。
  5. 『夢』=『希望』
  6. 『夢』のある《サル山のサル》と、『夢』のない《サル山のサル》とがある。
  7. 世代循環論。畜生の繁栄の後の世代が『夢』を失うのは、自然だ。修天畜世代循環論。
  8. 《ゆめ》というのは想像力、イマジネーションなのだ。レノンの『イマジン』。想像してごらん。《ゆめ》見てごらん。《サル山のサル》は《ゆめ》を嫌悪する。《サル山のサル》は《ゆめ》を見ると《うつつ》を見失う。「うつつを抜かす」。《ゆめ》を見る《我》は《うつつ》の存在である。《我》が《ゆめ》を見失えば、《我》は《うつつ》に従属するようになる。《うつつ》だと思っていたもののが実は《ゆめ》であるというのが、共同幻想論。
  9. 《サル山のサル》にとっての《うつつ》とは何かが問題。《うつつ》とは『なすべきこと』である。定言的義務である。「xxならはyyせよ」(仮言的義務)ではなく「(いま、あした、zz日後に)yyせよ」という定言的義務である。日常生活における義務が《うつつ》。小集団の内部における日常的義務が《うつつ》。隣の小集団の様子を想像することは《ゆめ》に属する。『imagine all the people』は《ゆめ》に属する。
  10. Imagine 《ゆめ》見てごらん
    1. Imagine there's no Heaven 天国なんてないと《ゆめ》見てごらん
    2. It's easy if you try 試してみれば簡単だよ
    3. No Hell below us 足元に地獄なんてないと《ゆめ》見てごらん
    4. Above us only sky 僕たちの上には青空があるだけだよ
    5. Imagine all the people すべての人々というものを《ゆめ》見てごらん
    6. Living for today… 彼らもまた、いまを生きているんだよ
    7. Imagine there's no countries 国なんてないと《ゆめ》見てごらん
    8. It isn't hard to do 難しくはないだろ
    9. Nothing to kill or die for 国のための殺し合いや
    10. No religion too 死ぬヒトなんて居なくなるんだ
    11. Imagine all the people すべての人々というモノを《ゆめ》見てごらん
    12. Living life in peace… みんな和やかに生きているんだ
    13. You may say I'm a dreamer ぼくのことを「うつつを抜かしている」というかも知れない
    14. But I'm not the only one でも、それだけじゃないんだ。
    15. I hope someday you'll join us 君もぼくと一緒になって
    16. And the world will be as one 《うつつ》が一つになるようにしたいんだ。
    17. Imagine no possessions 所有権なんてないんだと《ゆめ》見てごらん。
    18. I wonder if you can 君にできるかな?
    19. No need for greed or hunger 貪欲も貧困も必要ないんだ。
    20. A brotherhood of man 人々は仲間なんだ、ってね。
    21. Imagine all the people すべての人々というモノを《ゆめ》見てごらん
    22. Sharing all the world… 《うつつ》ってのはみんなが分け合っているモノなんだ。
    23. You may say I'm a dreamer ぼくのことを《ゆめ》を見ているだけだ、というかも知れないね。
    24. But I'm not the only one でも、それだけじゃないんだよ。
    25. I hope someday you'll join us 君もいつか、ぼくと一緒になって
    26. And the world will be as one ばらばらになった《うつつ》を一つにしていこうよ。
  11. 魔王と救世主、天国と地獄という繭の中の絵。

《サル山のサル》の『民主主義

  1. 《サル山のサル》にとっての『民主主義』とは、多数派による少数派へのいじめの合法化のこと。
  2. 《サル山のサル》にとっての『民主主義』とは、《サル山のサル》の気分を発散させるために弱そうな《群れ》を捜して戦争すること。
  3. 民主主義というのは国家の政治的意思決定の仕組みの選択において民主政(国民自治)を是とする考え方のはずなのだが、拡大解釈されて、人々の道徳規範になっているような気がする。多数決で決めたことが正しいのだ、少数派はいじめられて当然、という道徳規範になっているような気がする。《サル山のサル》の『民主主義』。
  4. 《サル山のサル》『人権』は、自分勝手も許される、という道徳規範になっている。本来は、政治権力が介入できる限界を規定したモノだ。
  5. 政治制度の規範と、生活者レベルの規範の混同がある。政治制度の規範は、大きくなり過ぎた《群れ》での特別な規範だ。小さな《群れ》での生活における規範ではうまくいかないから、特別に考えられた規範なのだ。《サル山のサル》はこの、《群れ》のサイズによる規範の質的違い、適用範囲の違いを区別することができない。

《サル山のサル》コトバ

  1. 動物のコトバ→音声言語→文字→印刷→インターネットのコトバ
  2. 《サル山のサル》コトバは、文字において、他の動物と様相を異にする。
  3. 《サル山のサル》にとってのコトバとは、第一に《思いこみ》の伝達手段であり、第二に慰め合いの手段である。第三に主観世界の共有を確かめるための手段である。「主観世界の共有の確認」行動。
  4. 《サル山のサル》は、自分の気持ちを慰め、元気づけ、憎しみをぶつける国家戦略に賛成する。

《サル山のサル》《思いこみ》

  1. 《サル山のサル》《思いこみ》は、《動き》の手段である。《動き》に善い影響を与える《思いこみ》は善い《思いこみ》であり、《動き》に悪い影響を与える《思いこみ》は悪い《思いこみ》であり、影響を与えない《思いこみ》は無意味な《思いこみ》である。
  2. 《サル山のサル》たちの《思いこみ》がどのようなモノであるのか、想像がつかない。たぶん、一匹一匹で違うのである。共通の内容、共通の構造。《他者の思いこみ》

《サル山のサル》の革命

  1. 《サル山のサル》のサルたちの『現実』という名の《思いこみ》が不連続に変化することを《サル山のサル》の革命という。
  2. 『現実』とは、《サル山のサル》たちの《思いこみ》である。革命とは《サル山のサル》たちの『現実』が不連続に変化することである。
  3. 『現実』というのは《サル山のサル》たちの主観世界、彼らの主観を中心にした極座標の世界である。横からみれば、《サル山のサル》たちが自分で勝手に編み上げた繭のようなモノである。繭の内側から繭の内側に描いた絵を繭の内側から眺めた姿が、《サル山のサル》たちの『現実』なのである。
  4. その『現実』の姿がお互いに同じであることを確認しようとすることが「主観世界の共有の確認」という行動様式である。環世界『現実』共有確認行動。現実共有確認行動。

検索

Last modified:2008/01/26 14:30:04
Keyword(s):
References:[《生きモノ》] [《生きモノたちの群れ》] [《サル山のサルの群れ》]