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ゴミ箱2005-12

2005-12-28(水)

公益法人に438人天下り 官僚の再就職先(共同通信) http://www.asyura2.com/0601/hasan44/msg/103.html 投稿者 七瀬たびたび 日時 2005 年 12 月 26 日 19:59:30: bo2NmpzpRHGO6

初めに美姫ありき…代表は選考前から決まっていた(夕刊フジ) http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/511.html 投稿者 片瀬テルミドール夏希 日時 2005 年 12 月 28 日 07:17:12: x0P0raHFBfKZU

    1. 代表選考前、元五輪代表の渡部絵美さんは「実力とは関係なしに3人(今回選出)に決まる。言う通りになるから見ていなさい」と予言していた。どんな読みだったのか。
    2. 最高視聴率42.9%(平均33.7%=ビデオリサーチ調べ・関東)を記録した25日の選手権で、1位の村主章枝、3位の荒川静香、6位の安藤の3選手がトリノ行きを決めたことに、渡部さんは「やっぱりそうなったでしょ」と話す。
  1. ヒトは人工物(衣服)を身にまとうことを常態としている。
  2. それゆえ、ヒトは心においても、人工物(《思いこみ》)に包まれることを常態としても異常に思わない。
  1. 同じ品質なら安いモノを買う
  2. 同じ値段なら品質の高いモノを買う
  3. 品質が分からないなら、高いモノを買う
  4. それ故に、売手は品質を隠して、高く売ろうとする。

2005-12-27(火)

http://asyura2.com/0601/war77/msg/121.html

    1. 関東大震災の後、モルガン財閥が日本に対して大きな影響力を行使していたことは有名な話。つまり、アメリカの権力層のうち、「反ニューディール派」は日本の権力層と緊密な関係にあった。戦後、こうしたコネクションが機能し、ニューディール派を追い出して日本支配を再開したわけである。その延長線上に現在の小泉政権もある。
    2. サダム・フセインもCIAを後ろ盾に権力を握った人物だが、アメリカはイラク侵攻でフセイン体制を潰しにいった。1990年代にネオコンが描いたシナリオに従って作戦を展開したと言えるだろう。フセインも裁判にかけられている。天皇が公的に戦争責任を問われることのなかった日本とは全く違う。日本では、宮廷内で天皇退位論が出ても占領軍は同調せず、すぐに「右旋回」が始まっている。戦前の支配システムは戦後も機能したと言えるだろう。
  1. へーえ・・。
  2. まあ、日本を支配するためには、支配構造を残して利用するのが賢いね。

http://asyura2.com/0601/senkyo18/msg/122.html

    1. 官僚という権力の中枢に身を置いてきた自分が、突然んその組織を離れ一般市民の中に飛び込んだとき、真っ先に感じたのは、国家権力の強さとその埒外にある人間の無力さである。同じ人間でありながら、そして同じ程度の能力しかない人間が、権力を持つことによってここまで好き勝手が出来る、国民のためになる事を何一つしない、出来ないくせに責任を一切取ることなく報酬を貰い続ける、その一方で権力を持たないものがここまで無視され、搾取される日本、そしてこの不平等、不公平、不正な状態について、メディアがまったく取り上げない。あたかも権力者と友達関係になって国民を騙す役割の一端を担う、こんな権力者のおごりが小泉首相の5年間で一気に進んでしまった感がする。
  1. そうなんだよね。困ったモノだ。
  2. たぶん、日本人には権力に対抗するなどという発想はこれっぽっちも無い。権力は暴力団と同じだから、関らないほうがよい。戦国時代に武士たちの戦闘を丘の上から眺めていた農民と同じだ。どっちが勝っても同じこと、どんどんやれー、派手にやれ−、面白くやれ−。プロレスと同じだ。プロレスよりでかい戦いだから、デカい分だけプロレスよりも面白い。もっとやれ−、どんどんやれ−。
  3. 政治は理念や制度の戦いではない。権力欲と権力欲との戦いだ。権力欲を持たなければ、権力闘争は見世物なのだ。権力闘争で掲げる理念や制度は、闘争集団の旗印でしかない。あいつはこっちの旗の下にいるのか、と識別する指標でしかない。
  4. 永遠の今における政治とは、見世物なのである。
  5. 官僚は「強い」か? 確かに、権力の前では、民衆は平身低頭する。しかし、内心では、うざいやつらには早く立ち去ってほしい、と思っているのだ。芯から服従するつもりなど無い。適当におだててればよいのよ。おだてると、奴らはバカだから、自分が「強い」なんて思いこんでしまうのよね。ホントのバカだね。のれんに腕押しでしかないのに。のれんを押せば動くだろうよ、でも、それだけの「強さ」でしかないことに気がついていない。
  6. 永遠の今における権力とは、うざいお客様に過ぎない。

http://asyura2.com/0510/hasan43/msg/828.html

    1. 《(政府・財務省の)考えには、一国の財政政策が実態経済と国民生活に及ぼす影響など眼中にない。1997年度の増税はこの考えで実行して、大 失敗した。戦前の昭和恐慌(1930〜1931年)を引き起こした緊縮財政も、同じ発想からでたものだった。今回の増税案も実態経済への影響をまったく 考えない政策である。つまり、短期的な財政収支バランスだけを考えているのである。》
  1. 「一国の財政政策が実態経済と国民生活に及ぼす影響」についての分かりやすい説明を聞きたい。

NASAの実験 http://www.asyura2.com/0510/nature01/msg/267.html 投稿者 姉葉大作 日時 2005 年 12 月 24 日 22:33:40: 1eq0f123HFFf2

    1. アメリカのNASAは、宇宙飛行士を
      1. 最初に宇宙に送り込んだとき、
      2. 無重力状態ではボールペンが
      3. 書けないことを発見した。
    2. NASAの科学者たちは、
      1. この問題に立ち向かうべく
      2. 10年の歳月と、120億ドルの開発費をかけて
      3. 研究を重ねた
    3. その結果ついに、無重力でも上下逆にしても
      1. 水の中でも氷点下でも摂氏300度でも
      2. どんな状況下でもどんな表面にでも書ける
      3. ボールペンを開発した!
    4. 一方ロシアは鉛筆を使った。
  1. おもろい。なにか、示唆的である。

http://asyura2.com/0510/hihyo2/msg/423.html

    1. 年次改革要望書というものも、作成時点で日本の官僚が自分たちの意見を外圧を利用して実行しようとして、アメリカ側に「年次改革要望書」に挿入してほしい事柄を請求しているのではありませんか?
  1. そういう部分も混じっている可能性はあるが、日本の官僚がアメリカ生保業界のために郵政つぶしを要請したとは思えない。

2005-12-26(月)

理想と現実と思想

  1. 理想を現実化するための方策を考えるのが思想だ。
  2. 『現実』《思いこみ》から成り立っている。思想も《思いこみ》だ。理想も《思いこみ》だ。『現実』《群れの思いこみ》であり、制度である。理想は個人の内心の《求める思いこみ》だ。《ヒトの個体》の内部の《求める思いこみ》《群れの思いこみ》に現実化していくこと。
  3. 『現実』《群れの思いこみ》であるだけではない、《群れの思いこみ》に従って動く人々の具体的な動きを構成している。『現実』の《ヒトの群れの思いこみ》に従って動く《ヒトの個体》《群れ》が作り出す《ヒトの群れ》のシステムが《現実》なのである。
  4. 理想というより、情念だな。そういえば、たけ(tk)も、高校のころは、なにか、絶対的な命令者を求めていた。それに忠誠をつくし、その命令を実行していれば、すべてうまくいくような命令者を求めていた。そんな都合の良い命令者などはありはしない、と気がついて、自分の目で見ようとし始めたのだ。自分の頭で考えるほかないと思い始めたのだ。
  5. 思うに、絶対的な命令者とは、自分の身体を含めた、自分のまわりのモノたちの存在自体だ。モノの法則に反する生き方など出来るはずがない。そういう意味で、モノたちの存在は絶対的な命令者なのだ。しかし、その命令者の命令にしたがっても、自由度がありすぎる。幅がありすぎるから、《私》の自由が残ってしまうのだ。その自由度の中では《私》《私》の決断で生きていかなければならない。
  6. ヒトを含めたモノたちの世界ヒトモノからなる、《私》の近傍の《他者の世界》というモノ《私》の《近傍の他者たちの世界》というモノ《アニマ》を見いだすこと。《モノの世界》ヒトを置いて、モノ世界《アニマ》を感ぜよ。ロビタの大自然のなかのヒト《アニマ》を感ぜよ。ヒトが参加している《モノの世界》《アニマ》が、かつて求めていた絶対的な命令者になるであろう。

http://asyura2.com/0601/war77/msg/111.html

    1. 目的のためには手段を選ばない」のが政治の基本であり、目的とは常に犯罪であり、政治家の良し悪しは「犯罪を正当化する能力」に掛かっている。
  1. コイズミさんは「良い政治家」かも知れない。
  2. 政治を害悪視するのはいかがなものか。今日は関税法を調べていたのだが、法律はちゃんとしているよ。国土に入った瞬間の価格をどうやって決めるか、いろいろ考えて、きちんと整備して、公平に関税を取ろうとしている。公平でなければ、争いになるから、きちんとせねばならぬ。合法的正当性、ということを無視しがちである。もっとも、徴収する側と、される側とでは、全然公平ではないね。まあ、しかし、それが権力というものだ。暴力の独占が、善いことなのだ。

行動的なヒトは心情倫理的である。 結果倫理的なヒトは思索的(非行動的)である。

  1. 行動というのは、単純な信念に基づく必要がある。あれこれ迷っていては行動は出来ない。行動というのは唯一の結論の実現だからである。
  2. 結果を予想するには、あれこれ考える必要がある。迷いこそが結果倫理の源泉である。
  3. あれこれ迷って、広く考えを巡らせて、唯一の結論を導いて、行動する、というのは、ベストであろう、が、容易に可能なことではない。昼は行動的に、夜は思索的に、というタイプが良いのであろうが・・。

よくわかる 韓国政治情勢 保守・中道化する20代 http://www.asyura2.com/0510/asia3/msg/431.html 投稿者 kaname 日時 2005 年 12 月 26 日 07:58:54: 3X28X40b0xN.U

    1. 日本で若者の保守・中道化がいわれるようになったのは、80年代の初頭だった。
  1. たけ(tk)が育った頃は、開放的な気分にあふれていたのだ。自由に考える気分にあふれていたのだ。ところが、高校くらいになると、「世の中がなんかおかしいぞ」という気分になった。それで、暴れた。
  2. 僕たちの次の世代の人々は、僕たちが暴れて、失敗したから、自由にモノを考えられなくなった、と、僕たちの責任にした。
  3. 学生に教育制度全体の抑圧的雰囲気を改善を期待するのは無理な話だ。その時の大人たちが、危機感を持たなかったのが問題だ。と、責任を転嫁してみる。(^^;
  4. まあ、誰の責任かは別として、教育を奴隷育成小屋にしようとした勢力がのさばり続けたのだ。その結果が、いじめの中を生きぬ知恵、を人生観とする若者の大量発生だ。

ドイツ軍のアウシュビッツに関する公式記録。ユダヤ病死者は、6万人。 http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/492.html 投稿者 ブッシュ親子の自作自演テロの11 日時 2005 年 12 月 26 日 16:31:24: XUSllUZ/d1uKA

    1. Political Incorrectness
    2. http://tbrnews.org/Archives/a2037.htm#_ftn1
    3. Summation: From July, 1941 through October, 1944
      1. Total number of Jewish prisoners in the Auschwitz camp system: 173,000
      2. Total number of Jewish prisoners who died of typhus: 58,240
      3. Total number of Jewish prisoners who died of natural causes: 2,064
      4. Total number of Jewish prisoners transferred to other camps: 100,743
      5. Total number of Jewish prisoners executed: 117
      6. Total number of Jewish prisoners in camp after German evacuation on January 15, 1945: 11,839
    4. ロシアで発見されたドイツ軍のアウシュビッツ収容所に関する公式の囚人記録。
      1. ◎1941年7月から44年10月までの間にアウシュビッツに収容されていたユダヤ人の数は、延べ173000人。
      2. ◎発疹チフスで死亡したユダヤ人の数、58,240人。
      3. ◎自然死したユダヤ人の数、2,064人。
      4. ◎他の収容所へ転出させられたユダヤ人の数、100,743人。
      5. ◎処刑されたユダヤ人の数、117人。
      6. ◎1945年1月15日にドイツ軍が収容所を去った後に残ったユダヤ人の数、11,839人。
  1. こっちのほうが断然信用できると思うのだがな・・。

日本の問題は、日本的組織の人事評価システムの問題だろう。

  1. 判断力の無い凡庸な人間が組織の上位に集まりがちだ、という問題。
  2. 「日本の組織では、下級の者は能力も意欲もあるのに、上に行けばいくほどバカになっていく。」
  3. 相互評価制度。「昇進することが組織にとって有益であると判断する人物を3人あげよ」というアンケートを全員からとる。人事評価の「参考」とする(拘束されない)。各人の持ち点は、1位:30、2位:20、3位:10点だが、回答者人自身、回答者と直接の上下関係があるモノに対する評価は1点とする。
  4. 集計3位までを一般に公表する。
  5. 人事権者に対しては、権限を有する範囲内での、集計10位までを通知する。

2005-12-25(日)

母権と父権

  1. ヒトに父親と母親とが必要なように、神聖君主(母親)と世俗君主(父親)があってもよい。世俗君主は権力を行使するが、神聖君主は世俗君主に反省を促す。
  2. 世俗君主の、より良きあり方は、人民自身の自律である。すなわち、民主主義である。

「彼は、マルクス主義の最大の難点を「唯物論」にあると見なし、「物質的な共産主義から精神的な共産主義へ」の移行が必要であると論じていた」(p.226『中村屋のボース』)

  1. 唯物論を「物質的利益主義」と読むのか。。精神主義を「精神的利益主義」と読む。
  2. 下部構造、上部構造というコトバが在るように、精神的利益を考慮していないわけではないと思うのだが、実際の政治運営では、物質利益主義になりがちではある。
  3. しかし、この意味では、資本主義のほうが「唯物論」の権化であることになる。
  4. 資本主義は「唯金論」=金銭的利益主義=か・・。

「彼は一貫して、近代西洋社会を「利己主義に基づいているため、契約社会にならざるを得ない」と批判し、逆に伝統的東洋社会は「間も自然の一部」という観念に基づいて成立しているため、利他主義社会が成立していたと評価する。そして、東洋においては「すべての生命の根源は一つなるもの」であるという思想が共有されていたため、「自己を愛することが《他者》を愛すること」そのものであるあったとし、それこそが「ウパニシャッドの教え」「釈迦の教え」「孔子の教え」に共通する東洋的思想であると位置づけた」(p.226)

  1. 山川草木悉皆成仏」の日本的アニミズムの根源でもある。

体感治安:犯罪認知件数減っても…ジワリ悪化 (毎日新聞) http://www.asyura2.com/0510/social2/msg/421.html 投稿者 彗星 日時 2005 年 12 月 25 日 01:58:22: HZN1pv7x5vK0M

    1.  殺人や窃盗など刑法犯の認知件数が、3年連続で減少する見通しになった。警察庁がまとめた犯罪情勢(1〜11月)では前年より1割以上減り、数字のうえでは、犯罪の増加傾向に一定の歯止めがかかった。しかし、内閣府の世論調査で、治安が悪い方に向かっていると答えた人が半数近くを占めるなど、安全を実感する「体感治安」はむしろ悪化している。広島や栃木で子供が殺害された事件などが影響しているとみられ、警察当局にとって体感治安の改善は急務だ。【河嶋浩司】
    2. ・・
    3.  一方、前田雅英・首都大学東京都市教養学部長(刑事法)は「体感治安という言葉は学問的な概念ではなく、事件をマスコミが事件をどのように報道するかという面が大きい」と指摘。「刑法犯の認知件数がこの3年間で減少したことは、治安対策がそれになりに成功していることを意味する。治安悪化に一定の歯止めがかかったとみるべきで、あまり悲観的になることはない」と話している。
  1. マスコミが世論の感覚を作り、世論の感覚が政治に影響する。

http://plaza.rakuten.co.jp/31881269/diary/200512100002/

    1. 「時代(ユガ)もまた、巡っているのです。
      1.  ひとつの穢れもない、黄金時代(サティア・ユガ)。
      2.  罪が入る、銀の時代(トレタ・ユガ)。
      3.  不義・災いが、更に増す、銅の時代(ドワパラ・ユガ)。
      4.  そして、闘争、不道徳が最高潮に達する、鉄の時代(カリ・ユガ)。
    2.  これら4つのユガ(時代)を、ひと巡りしたものが、「マハー・ユガ」。
    3.  人の暦では、一巡、432万年。 これを、繰り返す。」

『中村屋のボース』p.126

    1. このR.B.ボースを支え続けた玄洋社は、1880年、西南戦争の敗北の中から生まれた団体で、士族反乱に加わった平岡浩太郎・箱田六輔、頭山満を中心に福岡で結成された。彼らの活動目的の中心は「藩閥政治の打破」にあり、民衆(虐げられる民)の側からの士族的「抵抗」としての自由民権運動の展開にあった。
    2. 玄洋社憲則では、次の三ヶ条が掲げられている。
      1. 第一条 皇室を敬載す可し
      2. 第二条 本国を愛重す可し
      3. 第三条 人民の主権を固守す可し
    3. ・・
    4. 彼らは「下からの抵抗」活動を日本国内からアジアへと拡大させ、孫文ら中国革命の志士への支援とその革命運動への直接参加を行った。また、朝鮮半島ではヨーロッパ諸国による植民地支配とは異なる「日韓合邦」のあり方を模索し、時に痛烈な日本政府批判を含むものであったが、それらはあくまでも「皇室の尊重」を基盤とする日本ナショナリズムに依拠するものであったため、玄洋社・黒龍会メンバーとエートスを共有しないアジア人からは、日本政府の侵略政策の手先として拒絶され、反発の対象となることもしばしばであった。
    5. 彼らの活動は、時に現地の民衆から背を向けられ、活動家たちにも裏切られた。これに対し、彼らは、中国・朝鮮の民衆や活動家の多くが利己主義的で自分たちの活動に対する理解や信頼を欠いていると見なし、現地社会に対する批判や失望の念を表明した。・・
    6. 玄洋社・黒龍会のメンバーにとって「下からの抵抗」を担う日本「人民」は、日本的な忠義や礼節を重んじて、皇室に対して一定の敬意を有する人間であることが前提とされていた。「民衆」はそのような要件を満たしてこそ、「敬天愛人」の精神を欠いた日本政府の「官僚人種」を批判する「人民」として、「主権」や「権利」を主張することができると認識されていた。・・玄洋社・黒龍会のメンバーは、日本政府や欧米列強の植民地支配勢力に対して「下からの抵抗」を試みたが、中国・朝鮮においては、複合的に絡まり合う権力を巧みに飼いならしながら懸命に生きようとするサバルタン(被抑圧民)の状況応答的な主体のあり方(エージェンシー)を、内在的に理解することができなかった。
    7. ・・そのような中、玄洋社のメンバーの間では、一連の「ボースとグプターの神隠し」事件によって、イギリス植民地支配下で苦しむインドと、独立運動に身を捧げるインド人革命家の姿が、新たに「発見」された。彼らの間では、次第にインドは「日本と共通する高潔な精神性を有し、自分たちに期待を寄せさせてくれる盟友的存在」として認識され、その悶々とたちこめる閉塞感を一掃してくれる「通風孔」の役割を担っていくようになっていった。
    8. ・・
    9. しかし、彼らには思想がなかった。
    10. 頭山満も内田良平も、時事評や戦略論、精神論は盛んに講じていても、後世に残るほどの思想を提示していない。いや、正確に言うなら、彼らは意図的に思想を構築することを放棄していた。彼らは「思想」というものに対して、積極的に無頓着たろうとしていた。
    11. ・・頭山は・・中江兆民と生涯の友人であり、アナーキストである大杉栄や伊藤野江らにも資金提供している。彼らにとって重要なのは、思想やイデオロギー、知識の量などではなく、人間的力量やその人の精神性・行動力にこそあった。
    12. 彼らは心情的アジア主義者ではあったが、思想的アジア主義者ではなかった。高い精神力と行動力を獲得することこそ重要である彼らにとって、観念的で高尚な「思想」は、時として邪魔な存在であった。観念の世界に耽溺する一方で、精神的に弱く、具体的な行動を起こさない者こそ、彼らが「軟弱」として蔑んだ人間であった。
  1. 忠魂原理主義という思想だと思うのだが・・。忠魂原理主義との外形的類似性を見いだしてボースを評価したのだ。

厭戦から反戦への言動、【治維法・特高・憲兵による弾圧、流言飛語の取締り】 http://www.asyura2.com/0510/war76/msg/1066.html 投稿者 良心党・愚考 日時 2005 年 12 月 25 日 16:37:05: pnxTR7QAblFLw

  1. 読むべし。

2005-12-23(金)

弱い者いじめの合理性、というのは、心理的ストレスによって攻撃性が増したヒトのストレス解消の合理性だろう。

  1. グッピーを狭い水槽にたくさん入れると殺し合いをはじめる。それと同じだ。
  2. 人類は、密集した集団の中で、共に生きるための知恵を育んできたはずだ。その知恵を失った状態が、弱い者いじめの合理性を主張する人々なのだ。

http://homepage3.nifty.com/mezala/vz/links.html

    1. たけ(tk)
    2. マクロローダの原型を作られた伝説的なマクロ師,熊谷秀武氏のWebサイトです。VZマクロのほか,Linux関係,Ruby関係,歴史関係,言語学関係など多彩な資源があります。

http://asyura2.com/0510/bd42/msg/464.html

    1. ◆人殺しは悪いこと?
    2. 不完全性定理は数学にとどまらず、哲学などにも大きなインパクトを与えました。アリストテレスの時代から、数学においても哲学においても「A」または「ノツトA」というふうに決まっていた。一プラス一は二か、そうでないかに決まっている。三角形の内角の和は百八十度か、そうでないかに決まっている、と。そしてどちらが正しいか今は決められなくとも、いつかは必ず論理的に決めることができる、と信じていた。ところが「どちらとも永遠に決められないものがある」ということが、数学的に証明されてしまったのです。
    3. 数学の世界でさえも、論理では説明できないことがある。まして一般の世界では、論理で説明できないことの方が普通です。
    4. 例えば、「人を殺してはいけない」ということだって、論理では説明出来ません。十年ほど前にこんなことがありました。日教組の教研集会で、傍聴していた高校生が会の最後の方になって、「先生、なんで人を殺しちゃいけないんですか」と質問した。そこにいた先生たちは、誰一人それを論理的に説明出来なかった。びっくりした文部省が、「人を殺してはいけない論理的理由をパンフレットに作成中」と新聞に書いてありました。読んで笑ってしまいました。
    5. 人を殺していけない論理的理由なんて何ひとつない。私に一時間くれれば、人を殺しても良い理由を五十ぐらいは発見出来ます。人を殺してはいけない理由も同じくらい見つけられます。論理的というだけなら、良い理由も悪い理由もいくらでもある。
    6. 人を殺していけないのは、「駄目だから駄目」ということに尽きます。「以上、終わり」です。論理ではありません。このように、もっとも明らかのように見えることですら、論理的には説明出来ないのです。(P41−P47)
  1. この問題はどうにかしたいな。当為の論理学が必要なのだ。
  2. 当為に対するのは認識だろう。認識論理学と当為論理学。どちらもコトバの扱い方の学問。
  3. 「論理ではありません」では「劣った人間は有害無益だから殺してもよい。良いから良い」という主張にも対抗できないことになる。

http://asyura2.com/0510/bd42/msg/464.html

    1. ◆トツプ・エリートの会話のネタ
    2. 世界のトップ・エリートというのは、そういうことをいきなり訊いてくるのです。イギリスの歴史やシェイクスピアについては決して訊いてこない。日本の文学や歴史についての、非常に具体的な質問をぶつけてくる。だから、日本人としての教養をきちんと身につけていないと、会話がはずまない。
    3. 日本のある商杜マンからこんな話を聞きました。ロンドン駐在の商杜マンが、あるお得意さんの家に夕食に呼ばれた。そこでいきなり、こう訊かれたそうです。「縄文式土器と弥生式土器はどう違うんだ」唖然としていると、「元冠というのは二度あった。最初のと後のとでは、何がどう違ったんだ?」そう訊かれたそうです。
    4. その人が言うには、イギリス人には人を試すという陰険なところがあって、こういう質問に答えられないと、もう次から呼んでくれないそうです。「この人は文化の分からないつまらない人だ」となる。すると商談も進まなくなってしまうらしい。
    5. ◆英語よりも、中身を
    6. 今の七十歳以上の日本人で、英語をうまく話せる人はあまり多くない。海外へ行った彼らの多くは仕方なく、にこやかに微笑んでいました。だから欧米の人たちは、「日本人は何か胸の底に深い物を持っているらしい」と思ってくれました。
    7. ところが最近の若い人たちは、内容は何もないのに英語はペラペラしゃべるから、日本人の中身が空っぼであることがすっかりバレてしまいました。内容がないのに英語だ,つまけは上手いという人間は、日本のイメージを傷つけ、深い内容を持ちながら英語は話せないという大勢の日本人を、無邪気ながら冒漬しているのです。「内容ナシ英語ペラペラ」は海外では黙っていて欲しいくらいです。
  1. よく言われることではある。

小泉首相が「日本は中東において中立な立場を取る」と発言 [IRIBラジオ日本語ニュース] http://www.asyura2.com/0510/war76/msg/1034.html 投稿者 white 日時 2005 年 12 月 23 日 23:14:18: QYBiAyr6jr5Ac

  1. どーでもいーけど、この人はやることと言うこととが全然違う。平然とウソをつけることが凄い。

米軍再編推進法案、来年の通常国会に提出…政府―gooニュース「読売新聞」 http://www.asyura2.com/0510/war76/msg/1027.html 投稿者 天木ファン 日時 2005 年 12 月 22 日 21:46:25: 2nLReFHhGZ7P6

    1. 政府は、米軍普天間飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸部への移設に関連し、公有水面埋め立てなどの自治体の許認可権限を国に移し、手続きに要する期間を短縮する内容を法案に盛り込むことも検討している。
  1. これって、何処の国の政府よ??

2005-12-22(木)

《ヒトの群れ》を諦めない人を市民という。

  1. 『諦め』はヒト《アニマ》である。

「自分のコトバで自分の世界を語る」ことをパラノイアという。・・ちょっと、違いそう。強度の《求める思いこみ》に基づく妄想を語るヒトのことのようだ・・。って、やっぱ、《見通し》《求める思いこみ》に基づく妄想を語るヒトだから、パラノイアか・・。

強者に有利な、不公平な慣行が、法によって追認されていくという現象について・・。

http://www.asyura2.com/0510/senkyo17/msg/946.html

    1. 今や地縁血縁的な共同体を解体する小泉改革は、日本の保守勢力にとっては両刃の刃である。それは市場原理主義の権力を打ち立てるととも に、自らの依って立ってきた基盤を自らの手で崩してもいるからだ。「自民党をぶっこわす」という小泉首相の言葉には市場原理主義の匂いがする。 だが小泉は自民党を壊しているだけではない。日本社会に下流社会を出現させてもいるのだ。
    2. 小泉首相はそこには目をつぶり、アメリカ型社会への道をひた走っている。にもかかわらず、そこで市場原理主義的な改革とセットで持ち出されて いるのは、なんとも裏腹なナショナリズムの強化戦略である。それは市場原理主義によってバラバラのアトム的な個へと解体していく大衆を、伝統的 な国家イデオロギーへと回収して統合しようとする試みだろう。靖国神社とフリードマンが共存するこの矛盾!
    3. 日本の伝統的なナショナリズムは近代的な自由主義とは矛盾する。靖国思想のような全体主義的な思想を国民に押しつけるのは、自由主義のベ ースとなる「個人の自由」にさえ反する。つまりそれは市場原理主義を過激に推し進める小泉改革の理念とも根本的に矛盾するのである。
    4. 小泉改革は、そうしたアイロニカルな自己矛盾のうえにかろうじて成り立っている。破綻は目に見えているといわねばならない。
  1. 「新自由主義」は全体主義の一種だろう。経済的カオス+政治的全体主義。
  2. コイズミ氏にとっては、対米追従も、新自由主義も、「民営化」も、靖国も、権力欲達成の単なる手段にすぎないのだから・・。
  3. 日本の大衆は、権力者のウソに対して寛容である。「権力者など所詮、嘘つきの暴力団だ。でも、必要悪だからしょうがない。関りを持たないことが賢明なのだ」というのが日本の民衆の知恵なのだ。
  4. 日本人のオトナの知恵。日本人の諦めの良さ。諦めの美学。日本の自然の風土が作り出す居心地の良い《モノの世界》モノのアハレ。モノのアハレを尊重するモノたちの哀れ。モノのアハレと哀れなモノたち。居心地の良い《モノの世界》に逃避するモノたちは哀れか? 居心地の悪い《ヒトの群れ》に留まりながら諦めの美学を奉じるモノたちは哀れである。

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    1. かつてイギリス労働党の「ニューレイバー」への転換の理論的根拠を生み出し、現在でもヨーロッパの社会民主主義などにも大きな影響を与えるているアンソニー・ギデンズは、グローバリゼーションの時代におけるそのような政治のあり方を『第三の道』で開示している。
    2. 「『ガバメント』(政府)ではなく『ガバナンス』(統治)のほうが、行政や規制の担い手を表す言葉として、より適切なものとなるだろう。非政府組織(NGO)のように、政府に組み込まれていない組織、もしくは国境を越える組織が、それぞれの役柄に応じて、適宜、ガバナンスに参加するのである」(ギデンズ『第三の道』)
    3. 様々なNGOは政治は政府の仕事というぶら下がり的なあり方を超えつつある。NGOが海外援助の担い手となっている例などゴマンとある。民衆が政治の担い手となっていくのである。政府もまた、そうした自主的で自立した共同体との連携をめざす以外ない。
    4. 政府は官僚主導的なあり方を越えていかねばならず、政府と国民両者の相互的な意識変革がそこでは問われる。しかし小泉市場原理主義勢力はそれを根こそぎ崩そうとしている。それに抗しつつ国家を活性化させ豊富化させることができるのは様々な中間的共同体だけである。それは労組、協同組合、互助会、ボランティア団体、NGO、NPOなど多様な形態をもつ。中間的諸団体の権力を見すえた活動の充実こそが、大きな政府も小さな政府もアウフヘーベンしていく力となるのだ。

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    1. 小泉の刺客の集中砲火を浴びた「抵抗勢力」のドン・亀井静香の舌鋒は鋭い。月刊『日本』のインタビューでは「いまの日本は歴史的危機に直面している。我が国はすでにアメリカの51番目の州にされてしまった、と言っていいだろう。現状の日本はアメリカにうまく利用され、安全保障面でも、経済面でも、アメリカの世界戦略に一方的に奉仕させられている。このアメリカ従属路線が、小泉政権下で一段と進められた。…小泉政権は安全保障面だけでなく、経済面でも対米隷属路線を押し進めている。アメリカにとって、日本経済を支配下に置くことは国家戦略を遂行する上で極めて都合がよい。…郵貯・簡保という世界最大の金融機関を解体し、外資の支配下に収めるプロセスが、郵政民営化法の成立によってスタートをきることになった」と、小泉改革を糾弾している。
      1. 批判はその通りだろう。だが亀井静香の思い描くような保守本流路線への舞い戻りでは、日本の矛盾は解決できない。保守本流の採ってきた「日本型社会主義」路線が日本をダメにしたのだからだ。だからこそ国民は「改革」に票を投じたのである。「大きな政府」の再建はもはや日本にとって不可能だ。「日本型社会主義」の両翼であった保守本流勢力や、旧「革新」勢力のカムバックという選択の余地はないことを自覚するべきだ。
    2. それでは反米的世論の盛り上がりの中で勢いを増してきた、日本右翼のウルトラ・ナショナリズムの主張はどうか。市場主義的な改革は伝統的な共同体を破壊するからいけない。日本国民は日本民族としての自覚と誇りを取り戻し、結束してアメリカと立ち向かえというものだろう。これはサブカルチャー出身の小林よしのりなどがアジっている。若者の中にもかなり浸透している。
      1. しかし、もはや「鎖国」の時代ではない。グローバリゼーションを単純に拒否した先に、どういう展望があるというのか。しかもその上でアジア共同体は必要だというのだ。それでは日本の伝統的ナショナリズムや経済政策を、アジアへ拡張するものにしかならないではないか。戦前の「大東亜共栄圏」の再現でしかない。これは暴論であり、保守本流以下の主張である。この先にあるのはアジアとの対立だけだ。
    3. 結局、市場そのものを敵視してもしかたがないのである。人類はいまのところ市場以外に、社会的富の分配の方法を持っていない。確かに市場経済には多くの矛盾が存在する。だが私有財産の国有化による社会主義的分配は、市場の矛盾を解決したどころか、より深刻な矛盾を生み出してしまった。竹内靖雄が「日本型社会主義」と呼んだ、戦後日本のケインズ主義的国家独占資本主義もまた同様な結果に終わった。
    4. 市場およびその国際化であるグローバリゼーションは受け入れる以外ないものである。それが理想的であるからではなく、現実的にそれしかないからだ。その場合、アメリカン・スタンダード(市場原理主義)の強要と、広義のグローバリゼーションとの差異を見ておく必要があるのだ。グローバリゼーションには経済面だけではなくて様々な側面がある。そこには肯定面も多く存在している。そもそも民主主義人権などの共通の価値観が世界的に形成されたのは、グローバリゼーションの進展抜きには語れないだろう。実際、東アジア共同体をめざそうにも、その共通のフォーマットづくりに市場経済の発展は不可欠である。各国間でのFTA(自由貿易協定)の推進ぬきには、いかなる共同体も形成しようがない。
    5. 問題なのは、市場化やグローバリゼーションの進展によってもたらされる環境破壊や、貧富の格差の拡大、地域経済の破壊といったネガティブな側面を、いかにして克服していくかだ。そこに国家や共同体(中間的諸団体)の役割がある。それらが市場原理主義の浸蝕と対決することが必要とされているのだ。
    6. 中間的諸団体の共同性が救いだ
    7. 市場原理主義者の考え方は国家と市場の二元論である。国家的な管理がだめだから、あとは個々の自由競争にゆだねるしかないという暴論だ。ソロスの指摘を待つまでもなく、これは極論でしかない。それは人間社会においては国家が普遍的な共同体であり、市民社会はアトム的な個人のエゴがぶつかり合う場という、ヘーゲル的な近代国民国家の図式をそのまま引き継ぐものだ。マルクスはこの国家に対置して、国際的なプロレタリアートの階級性こそが現実的な共同体であるとした。しかしこれもまたヘーゲルの図式から抜け出ていない。プロレタリアートを「世界マルチチュード」に置き換えても同じことだ。
    8. 現実的な共同体は国家だけではない。もっと多様な形で、中間的諸団体として国家と市場の担い手である個人の中間に幾重にも存在しているのである。しかもそうした諸団体は市場経済を円滑にしたり、矛盾を和らげたりするものとして機能している。それが実際の社会である。市場と共同体は必ずしも背反するものではなく、共存しながら機能しているのだ。
    9. 市場経済が越えられないものであり、かつ国家による管理が不可能であるのならば、市場経済的矛盾の是正においては中間的諸団体の役割がますます大きくなってくる。
    10. 実際、日本では家父長的・ムラ的共同体が、戦後の高度成長を支える基盤として機能してきた。労働予備軍のプールとして存在し、景気の安全弁となって資本蓄積と社会の安定を大きく支えてきたのだ。こうした部分を政策的に保護し、「公共事業」の名の下で利益誘導してきたのが自民党だった。家父長的・ムラ的共同体のエートスは、農村だけに限らず都市部における中間的共同体をも支配してきた。自民党はまさにそうした日本的な地 縁血縁共同体のうえに、安定的な政権基盤を築いてきたのである。
    11. 自民党内「抵抗勢力」は、こうしたムラ的共同体の維持を求めていただろう。小泉の市場原理主義は、自民党の従来の基盤だったそうした家父長的・ムラ的共同体を最終的に解体していくものだった。市場経済の担い手はアトムとして市民社会に放り出された。「安心な郵貯・簡保」にお金を預けておけばいいという時代は終わってしまった。
    12. 村のじいさん、ばあさんまでもが、自己責任で投資しなければならない時代になってしまったのだ。今後これまで以上に、国民の個人主義は促進されるだろう。そこで現れる共同体から引きはがされた個人を「市民」として美化しても、市場原理主義に対抗する論理は出てくるはずもない。
    13. 問題なのは、その「市民」が、今後どのような中間的諸団体にコミットしていくかということだけしかないのだ。伝統的な共同体の解体は、同時に自己選択・自己責任による共同体への参加の機会が増大していくことを意味する。そうしたコミュニティは「親方日の丸」を無条件に支持し、その引き替えに票を献上するという、従来の自民党型集票構造とはことなったシステムを生み出す。
    14. それは一方的で依存的な関係ではなく、相互扶助的・リスク共有的な関係の共同体だ。そこに人は集まる以外ないのである。国家という共同体にぶら下がるのではなく、市民社会で自らの所属する共同体に義務と責任を負い、公共的なプロジェクトにも積極的にコミットすることを通じて、自らの権利を実現する。そうした発想こそが求められているのである。
    15. そのことで金子勝が提起するような「情報が人々や機関に正しく伝えられ、それに基づいてシステムが制御される」ような「フィードバック」(『粉飾国家』)の仕組を、社会に組み込んでいくことも可能となる。それこそがブントのめざす個人主義と共同体主義の実践的な統一の方向だろう。これは知的共同体の形成をかかげてきたブントにとり、もはや自明の命題だ。ブントが小泉自民党と対峙していること、それが日本を変えていく力そのものなのである。
  1. 市場と共同体(国家、中間共同体)との弁証法。
  2. 市民は共同体にコミットせよ。

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    1. 確かに日本の多くの民衆は、「日本型社会主義」解体の道を選択したがっていた。自民党への反対党である民主党の方針は不鮮明であった。多くの改革票は旗幟を鮮明にした小泉自民党に向かわざるをえなかったのである。
    2. だがそれは、国民が「市場原理主義」を選択をしたことを意味するわけではない。小泉の抽象的な「改革」スローガンだけでは、そこまで見えてこなかっただけだ。小泉首相は「改革」のリスクについての説明責任(アカウンタビリティ)など、まったく果たしていない。「小泉改革」のめざすものは「市場原理主義改革」そのものだったのである。大きな政府がだめならば小さな政府。小さな政府の原理は市場原理。このような単純で乱暴な二項対立図式が「改革」の正体であったのだ。
    3. しかも、この選択の結果に対する責任(レスポンシビリティ)は彼が取るのではない。市場の原則は自己責任である。これから先、国民は自分たちで選択したこと以上の責任を背負わされるだろう。
    4. 市場を制してきたヘッジファンドの帝王ジョージ・ソロスは、自著『グローバル資本主義の危機』で、皮肉にも市場原理主義を批判している。
    5. 「原理主義者の信仰の大きな特徴は、二者択一の判断に依拠することだ。ある命題が間違っているとすれば、その反対が正しいと主張する。この論理的矛盾が、市場原理主義の中核をなしている。経済の国家介入はすべてマイナスの結果を生んできた。中央計画経済はいうにおよばず、福祉国家も、ケインズ経済学の需要管理もそうだった。この平凡な観察から、市場原理主義者はまったく非論理的な結論へと飛躍する。国家介入が間違っているなら、では自由市場こそ完全であるにちがいない。したがって、国家による経済への介入を許してはならない、というのである。この論理が間違っていることは、あらためて指摘するまでもないだろう」
    6. 投機的な目的で市場を行き来する天文学的なカネ。それを国家が野放しにすることの恐ろしさを、ジョージ・ソロスは身をもって知り抜いている。この男の言葉にこそ小泉・竹中をはじめとする市場原理主義者は耳を傾けるべきなのだ。
    7. すでに小泉改革の進行する中、国民の間での貧富の格差は一挙に進んでいる。六本木ヒルズなどに住むホリエモンなど一握りの「勝ち組」だけが脚光を浴び、その裏では『下流社会』(三浦展著)で描かれているような、「一億総中流化」から総「下流化」への転換が進行している。年収700万円以上と400万円以下に日本社会は分岐しようとしているのだ。
    8. 今年2月、OECDが発表した報告書「所得格差と貧困」によると、すでに日本の貧困率は加盟国(30カ国)で5番目に高い。貧困率とは、国民のうち何%が貧困であるかを示すもので、OECDは全家計平均所得の半分以下の所得しかない家計を貧困層と定義づけている。

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    1. 冷戦時代は何はともあれ反共政権であることがアメリカの意に添うことであり、そこでできた親米政権が、市場原理主義に基づくものであろうがなかろうが、アメリカはどうでもよかった。親米政権はそのほとんどが「大きな政府」を頂く開発独裁政権であり、アジアでの民主国家は日本ぐらいだった。その日本でも、とりあえず「反共」で一致できるならば自民党員であることができた。またその幅の広さが自民党の売りでもあった。当時は保守ということと「反共」はほぼ等式で結べたのである。国内的にも、野党には共産主義やそれと近い勢力(社共)が一大勢力として存在していた。これと対抗するためには、保守勢力は「反共」を結集軸として結集する以外なかったのだ。
    2. 1991年には遂にソ連邦が崩壊した。共産主義との対抗ということは問題ではなくなった。日本国内的にも、かつての社共革新勢力はとるに足らない存在となっていった。そこで座標軸が変わったのである。
    3. アメリカ流の市場主義を推し進めようとする市場原理主義勢力と、これに抵抗して、これまでの日本流の疑似社会主義的な経済体制を維持しようとする勢力との対立が、自民党内に生まれたのである。この攻防の中で、小泉・竹中らの市場原理主義者は、自らに反対する勢力に対しすべて「抵抗勢力」というレッテルを貼った。ミソもクソも一緒にした批判を投げかけ、郵政民営化を突破口に「改革」を強行しようとしたのだ。それはあたかもスターリンが、大富豪も人民主義者も、共産革命に反対するものはみな「反革命」の烙印を押して掃討していったのと酷似している。
    4. たしかに日本の疑似社会主義的な従来の体制は変革が迫られていた。市場主義者の竹内靖雄は「日本型社会主義との決別」というサブタイトルの付いた『日本の終わり』で、日本の体制を「日本型社会主義」と呼んでいる。
    5. 「官が業界(市場)ごとに自分のナワバリをもち、そこで行われる経済ゲームを管理する」 「規制によって参入を制限し、競争を制限して高価格を維持できるようにし、弱い業界、企業を保護する」
    6. 「『親方日の丸』の国営企業や類似の特殊法人などを増殖させる」 「金融部門を大蔵省(財務省)の強力な統制下におく」
    7. 「財政を通じて中央から地方へのカネ(税金)の再分配を行う」等々。 こうした「日本型社会主義」は左翼によってではなく、日本の保守主義者=自民党によって作られてきたのである。自民党は日本の戦後高度経済成長の超過利潤を税金として吸い上げ(「大きな政府」)、これを「公共事業」の名の下にばらまいて利益誘導的な国民統合を実現してきた。これの補完を果たしてきたのが、物取り路線(富の再分配要求)で、そうしたシステムを支えた社共革新勢力である。これらの均衡によって、「日本型社会主義」とも呼べる疑似社会主義的体制は存続の根拠を持った。
    8. それがバブル以降の不況期になってもそのまま続けられた。その結果地方を合わせ1000兆円という天文学的な財政赤字を生み出してしまった。 今日の日本の財政状況にもっとも似た国家は、共産党とともに沈没していった末期のソ連・東欧社会主義諸国だろう。
    9. ・・
    10. 日本では「失われた10年(15年)」の原因をすべて民営化の遅れに押しつけ、これさえ実現すれば何とかなるかのような幻想が植え付けられている。しかし危機を乗り切ることは絶対にできないだろう。

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    1. 2 個人のリスクだけ高まる小さな政府
    2. 「ワシントン・コンセンサス」がルーツ
    3. それでは「要望書」=小泉改革路線のルーツはどこにあるのか。それは「ワシントン・コンセンサス」である。
    4. 1989年にベルリンの壁が崩壊した直後、ワシントンにあるシンクタンク国際経済研究所(IIE)の研究員ジョン・ウィリアムソンは、アメリカ主導の国際経済秩序を構築する基軸として、財政規律、税率の引き下げと課税対象の拡大、金利の自由化、貿易の自由化、直接投資の自由化、民営化、規制緩和など10項目をまとめた。
    5. そこでは全体的にゞ杤椋眄、¬臼腸宗↓市場の自由化といった3つの観点が貫かれている。2001年にノーベル経済学賞を受賞したジョゼフ・E・スティングリッツ教授によると、これらの方針がアメリカ財務省、世界銀行、IMF、その他ワシントンの政策関係者たちの共通認識(=「ワシントン・コンセンサス」)になったといわれる。
    6. このローカルなコンセンサスが、さも普遍的な基準であるかのような「グローバル・スタンダード」の名で呼ばれているものの内実にほかならない。ようするにアメリカのエゴを、世界中に押しつける「アメリカン・スタンダード」なのである。
    7. それまでの冷戦時代にも「レーガン革命」以降、アメリカは対ソ核軍拡とともに、市場経済の世界的拡大を新自由主義政策として推し進めてきた。そしてアメリカが冷戦に勝利した。アメリカは社会主義的な計画経済の失敗が歴史的に証明されたとして、さらなる強力な市場経済の推進を全世界に向けておこなおうとした。共産主義に勝利したことで、「市場経済」こそが唯一・絶対の真理であるかのような信仰が生まれたのだ。そこで作成されたのがワシントン・コンセンサスである。
    8. その結果、1990年代に入ってからは、アメリカ政府やIMFは、他国に対してアメリカ型経済改革を世界中で迫るようになった。日本への「要望書」の突きつけも、明らかにその流れの中に存在している。これを忠実に実現する小泉首相は、市場主義信仰に完全に洗脳されてしまった。彼はワシントン・コンセンサスの信奉者なのだ。竹中平蔵などはそもそも「市場原理主義」のミッションとして、アメリカにより日本の権力中枢に送り込まれたエージェントにほかならない。
    9. このような経済政策と元トロツキストのネオコン勢力が結びつき、「アメリカ流民主主義」という名の「共産主義世界革命」ならざる「市場原理主義世界革命」を強力に推し進めようとしているのが、今日の国際政治経済の基調である。
    10. 昨年6月1日、ネオコン系シンクタンクPNACのメンバーであり、国防副長官を務めブッシュ政権の中心的ブレーンだったポール・ウルフォウィッツは、ついに世界銀行の総裁に就任した。「世界革命」への更なる一歩を踏み出したのだ。アメリカは「悪の帝国」ソ連による「共産主義の輸出」を非難し、長年の冷戦の結果これを頓挫させた。その後、今では自分たちが市場原理主義の輸出を世界中におこない、各国経済を根こそぎ破壊し、多くの民衆を路頭に放り出しているのだ。

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    1. しかも関岡は「米国が10年来一貫して標的としてきたのは、郵政三事業のうちの簡易保険のみであり、郵便事業と郵便貯金にはほとんど関心を示してこなかった。なぜなら、米国政府の背後で圧力を加えてきたのが米国の保険業界だからである」という。その例証として、昨年2月に来日した米国生保協会のキーティング会長と自民党の与謝野馨政調会長との会談と、そこでの郵政民営化の陳情について挙げている。2月9日の朝日新聞のイ ンタビューのなかで、郵政民営化に関してキーティング会長は「米国の生保業界にとって最も重要な通商問題だ」と、堂々と明言しているのである。
    2. ・・
    3. このようなプロセスを通じてアメリカは、自国の保険会社による日本市場の完全制圧を準備している。日本の民間保険分野は、以前から、米国の激烈な市場開放攻勢にさらされてきた。90年代の日米保険協議の結果、医療保険やガン保険などの分野は外資が優先され、米国系保険会社が制圧してきた。かつてバブルの時代には「ザ・セイホ」ともてはやされてきた保険業界の本丸というべき生命保険分野でも、2004年度の業績でついに 業界最大手の日本生命が、個人保険契約件数でアメリカンファミリー生命(アフラック)に、新規保険料収入でもAIGに抜かれ、戦後初めて首位の座から転落した。最近外資系に買収された日本の生命保険会社は「奪われる日本」によれば以下のとおりだ。
    4. 東邦生命→AIG(米)、千代田生命→AIG(米)、平和生命→マスミューチュアル(米)、協栄生命→プルデンシャル(米)、オリコ生命→プルデンシャ ル(米)、第百生命→マニュライフ(カナダ)、日産生命→アルテミス(仏)、日本団体生命→アクサ(仏)、ニコス生命→クレディ・スイス(スイス)。
    5. ・・
    6. そして、アメリカ保険会社のさらなる追い打ちと、日本征服作戦が今回の「郵政民営化」というわけだ。 「日本の民間保険市場は、過去20年以上にわたって米国にさんざん蹂躙されてきた。あらためて日本国内を見わたせば、カナダのGDPに匹敵する規模を有する簡易保険がまだ米国の手つかずのまま横たわっている。保険市場をめぐる日米間の過去20年にわたる歴史を振り返ったうえで改めて考えれば、郵政民営化の本質は、120兆 円にものぼる官営保険の市場開放問題だということがわかる」(同)

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    1. 『要望書』は在日大使館のホームページで全文日本語に翻訳され、公開されている。 ところがである。昨年8月2日の国会で民主党の櫻井議員が『年次改革要望書』の中身を紹介した上で、「(郵政)民営化というのは米国の意向を受けた改正なのか分からなくなってくる」と発言した際、竹中郵政担当大臣は「見たこともありません」と答えた。小泉首相は「それは櫻井さんね、思い過ごし」と答弁したのである。白々しいにもほどがある。
    2. 『要望書』でアメリカから要求された各項目は、日本の各省庁の担当部門に振り分けられ、検討され、審議会にかけられている。しかもアメリカと日本の当局者が定期的に会合を開き、進捗状態をチェックするシステムさえも存在している。翌年3月にはその進捗について米通商代表部が議会に報告書さえ出している。それを一国の首相が知らないとしたら、それこそが大問題ではないか。小泉政府はアメリカのいいなりに動いていることを、国民には絶対に知られたくないのだ。

2005-12-21(水)

http://asyura2.com/0510/war76/msg/1008.html

    1. 米国は強大な軍事力は誇っているが、米国財政は「火の車」だ。ブッシュ政権の財政赤字は04年度4120億ドル、05年度政府予想4270億ドル、06年度政府予想3900億ドルとなっている。これにはイラク・アフガニスタン戦費(年間400〜500億ドル)は含まれていないのだ。米国はこうした膨大な財政赤字を、海外(主要には日本)の投資家の国債(財務省債)の購入によってまかなっている。海外からの資金流入が止まれば、米国の国家財政は破綻するのは目に見えている。
    2. しかもRMAによって近代化された米軍は、大量の石油消費に依存している。石油減耗により「安い原油」が大量に手に入らなくなれば、米軍の軍事活動もまた不可能になる。パックス・アメリカーナなど、実は財政赤字と安価な石油の上に浮かぶ蜃気楼にすぎないのである。

http://asyura2.com/0510/war76/msg/1008.html

    1. 湾岸戦争やイラク戦争で「大活躍」した米軍のF117ステルス攻撃機やトマホークなどの巡航ミサイルは、そのステルス性を生かして、敵のセンサー(レーダーや赤外線探知装置)に補足されることなく、一気にイラクの中枢部を攻撃した。敵軍隊の司令部や通信施設・防空部隊だけでなく、政権の 中枢や電話局・発電所・駅や空港などの交通の要衝といった、住民の生活に欠かせない社会的インフラまでをも徹底的に破壊したのだ。
    2. 米軍のステルス兵器に対しては、イラクだけでなく世界中のどの国も防ぐ手だてを持っていない。それどころか、今この瞬間にすべてのEU加盟国が 軍事支出を2倍にしてRMA関係装備の開発と調達を行ったとしても、少なくとも20年から30年は米国においつくことはできないだろうと言われている。 東京大空襲やヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、ベトナム戦争や朝鮮戦争での絨毯爆撃など、国際法無視の無差別爆撃を繰り返してきた米国は、 ついに一国のすべてを瞬時に破壊する「悪魔の軍隊」を手に入れているのだ。
  1. スターデストロイヤー、なみですな。

http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20051220

    1. 1ヶ月以上もの時間の猶予を与えた上に、さらに「12月20日に捜査に行きますよ」ってことを事前に連絡する出血大サー ビスまでして、それでも何か証拠が残ってたとしたら、総研もヒューザーもヨホドのアホだろう。
    2. ・・
    3. そして、「与党が証人喚問の要求を拒否」ってニュースは、できるだけ国民に知らせたくなかったから、朝から晩まで「真央 ちゃん」「真央ちゃん」だったけど、今日の「一斉捜査」は、どのチャンネルでも朝から晩まで大々的に取り上げてた。「バカとハサミは使いよう」って言葉の通り、あの杉村太蔵までを利用して、これらの陳腐な情報操作を日常的に行なってる自民党は、この「一斉捜査」の様子を大きく報道することによって、ただ単に「がんばってますよ」ってことをアピールするだけ じゃなく、もうひとつ、国民にアピールしたいことがあった。それが、「捜査の手はすでに司法に移ったから、もう国会で証人喚問をする必要は無いんですよ」ってことだ。ようするに、これが、野党からの証人喚問の要求を拒否したことに対する国 民に向けてのイイワケってことなのだ。そしてこのまま、すべては国民の目の届かない密室へと移され、今までの数多くの政治家絡みの事件と同じように、本当の黒幕が姿を現さぬままに、下っ端の数人を微罪にしただけで、真実はウヤムヤにされてしまうのだ。

祝島の魚価は半値以下 意図的な漁協と島つぶし 【長周新聞】 http://www.asyura2.com/0510/hasan43/msg/788.html 投稿者 愚民党 日時 2005 年 12 月 21 日 00:41:24: ogcGl0q1DMbpk

  1. ひでー話だ。

2005-12-20(火)

黙想空間と仮想的な体外感覚世界

  1. 他者と対話する場合、口で《思いこみ》噴出し、耳で《思いこみ》を受け取り、仮想的な目で視覚的なイメージを思い描く。
  2. 黙読する時、現実の目で文字を読み取り、仮想的な口でコトバ噴出し、仮想的な耳でコトバを受け取り、仮想的な目で視覚的なイメージを描く。
  3. 黙想する時、仮想的な口で《思いこみ》噴出し、仮想的な耳で《思いこみ》を受け取り、仮想的な目で視覚的なイメージを描く。
  4. 表象とは仮想的な目で見た視覚的なイメージである。仮想的な口で体内感覚世界噴出した《思いこみ》を、仮想的な耳で受け取って、体内感覚世界の中に視覚的なイメージを噴出して、仮想的な目で見たモノである。
  5. 仮想的な口が噴出する先の体内感覚世界は、仮想的な体外感覚世界である。仮想的な耳が噴出を受ける先も仮想的な体外感覚世界である。仮想的な目が視覚イメージを受け取る先も仮想的な体外感覚世界である。思いこみつつあるモノが視覚イメージを噴出する先も仮想的な体外感覚世界である。
  6. 黙想空間は仮想的な体外感覚世界である。
  7. 体内感覚世界とは仮想的な体外感覚世界である。

ブッシュ白状「イラク戦争はイスラエルにとって良いものだ」、ユダヤ人団体ハラハラ http://www.asyura2.com/0510/war76/msg/989.html 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 12 月 20 日 05:44:36: SO0fHq1bYvRzo

    1. 12月16日付のニューヨークの週刊誌(ネット版)Forwardは、月曜日(おそらく先週の月曜日、12月12日)にブッシュが「イラク戦争はイスラエルにとって良いものだ」と述べたこと、および、米国内の親イスラエルユダヤ人団体とイスラエルの一部で、このブッシュの発言について、米国内に広がる「イラク戦争はイスラエルのためだったのか」「イスラエルのために米国兵士が死ぬのか」という疑念に火をつけかねないとして懸念を表明していることを報道しています。

2005-12-19(月)

自分で自分のクビを絞めていく庶民たち http://www.asyura2.com/0510/idletalk16/msg/452.html 投稿者 考察者K 日時 2005 年 12 月 19 日 06:56:44: JjkI8nWTpj0po

  1. 庶民が自分の首をしめたがるのは、《ヒトの群れ》の仕組みが分かっていないからだろう。《ヒトの群れ》《ヒトの個体》の関係が分かっていないからだろう。
  2. 自分だけ良ければよい、という選択をすると、全体が悪くなる。自分が+1の得だとすると、全員が-0.1の損をする。100人の《ヒトの群れ》では、全体として-10の損をする、ということだ。
  3. 《ヒトの群れ》のシステムを破壊することの害悪性を感じることが出来ないのだ。自分のどのような行為が《ヒトの群れ》のシステムを破壊することになるかの関連を感じることができないのだ。((感じるのは無理だな、頭で理解して、コトバで行動を規制しなければ無理だな))。

http://www.kamiura.com/new.html (産経 12月19日 朝刊)

    1. 核弾頭の密輸を取り締まる情報機関の者には、あらゆる手段を使ってでも阻止することが許されていると考えていい。そこらの映画や小説よりも、核兵器の密輸をめぐる国際取り締まりは熾烈である。もし本当にゴルブリン元国防相が核弾頭の密輸を行っていれば、すでに残忍な殺され方をして生存している訳がない。
  1. 核弾頭は、人類という《ヒトの群れ》の全体に対する脅威である。従って、《ヒトの個体》の利益など考慮している暇はない。
  2. 《ヒトの群れ》が強固である場合、《ヒトの個体》がちょっとやそっとのことをしても、《ヒトの群れ》が危険にさらされることはない、という程度に強固な場合には、人権《ヒトの個体》の利益=が尊重される《ヒトの群れ》になりうる。
  3. 恐怖政治主義=人々の恐怖を煽って、権力に依存させる政治=は、《ヒトの群れ》《ヒトの個体》に対してぜい弱であると主張して、《ヒトの個体》に権利を放棄させる政治である。

http://www.kamiura.com/new.html (産経 12月19日 朝刊)

    1. 昔、東南アジアに拳銃を買い付け(密輸)にきた日本のヤクザと話しをしたことがある。彼になぜ安い機関銃やRPG−7を買わないかと質問した。すると「そんなものに手を出せば組織を壊滅させられる」と話していた。あくまでヤクザは金儲けが主体で、武器を使った抗争はヤクザ・ビジネスの範囲内だという。そこで日本の警察が手出しができない機関銃や対戦車ロケットを使えば、組織全体が警察の集中攻撃を受けて壊滅させられるから入手はできないそうだ。
  1. 強すぎる武器は、その所持人を破壊する。
  2. やくざは金のために暴力を使い、政治は支配のために暴力を使う。(支配が確立すれば、金は無制限に搾取できる、社会全体の疲弊の限界はある、反抗の可能性の増大という限界もある)。

2005-12-18(日)

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/419.html

    1. 時に私は彼岸からの視点に立つことがありますが、決まって視界に入った人たちにたいして何も働き掛けることができない自分を見出します。
  1. コトバで彼を導くことはできない。彼を導くことができるのは、彼のxxだけだ。「気づき」だけだ。

http://www2.odn.ne.jp/k-horimaru/tusin04/040710.htm

    1. ◎「ほんとうのことは分からない」……。
      1. 《ブッダの「一切」》であれば、本当のことを知ることができるだろう。
    2. 懐疑論……世界について客観的に確実な認識の可能性を疑う認識論上の説.これが徹底すれば不可知論にいたる.
      1. 世界について客観的に確実な認識」とはなんぞや? なんで、そんなものを求めようとするのか? ほどほどに検証可能であればよいではないか? 生活上の『なすべきこと』が帰結する程度での確実性でよいではないか? 不可能なモノを求めれば破綻する。たけ(tk)は「不可能なモノ」と判断しているので、一種の不可知論者ということになるのか? 「世界ブッダの「一切」=について客観的に確実な認識」であれば可能だろう。観察して、何度も検証して、それが確かだと確信すれば、客観的かどうかは別として、「確実な認識」と言うべきだろう。「世界」を《ブッダの「一切」》以外にあるモノと想定すると、錯乱する。
    3. また人間存在の無意味なこと,その不合理なことを主張する人生観としてもあらわれる.
      1. 世界について客観的に確実な認識」が不可能だと、どうして、人間存在の意味がなくなるのか? 「人間存在の合理性」って何よ? なんでそんなものを求めるのか? 人間存在に意味がなければならないのか? なぜ、人間存在に意味を求めるのか? なぜ、『人間存在には意味があるはずだ』と判断するのか? 錯乱した《他者》《思いこみ》
      2. 『「世界について客観的に確実な認識」が可能だ』という《他者の思いこみ》が在る。
      3. 『人間存在は合理的であるべきだ』という《他者の思いこみ》が在る。
      4. 『人間存在には意味があるべきだ』という《他者の思いこみ》が在る。
    4. 古代ギリシア哲学には懐疑論派なるものがあらわれた──略──これらの懐疑論者は,知識の相対性を説き,その客観的な確実性が不可能なことを主張する相対主義者であった.このような懐疑的見解は,古代ギリシア奴隷制社会の解体,没落の過程に関連する一産物であった.
      1. 『知識は絶対的であるべきだ』という《他者の思いこみ》が在る。
    5. つぎに16世紀後半〜17世紀のフラソスのモンテーニ,シャロン,ベールらの懐疑論が注目されるが,この新たな懐疑論は,古代の奴隷制社会崩壊の産物であったものと異なり,封建制社会のイデオロギー,教会の権威にたいする闘いという意味をもち,生まれ育ちつつあったブルジョア社会をイデオロギー上で準備するもので,フランスの啓蒙思想に道をひらいた思潮のひとつである.
      1. 支配的潮流に対する反対としての懐疑主義。
    6. 現代,実証主義や非合理主義の思想に懐疑論のあらわれがみられるが,これは現代資本主義社会の末期状態を反映するものである.
      1. 天上の時代は畜生に生きる人々を生み出し、畜生に生きる人々に切望した人々は、それを生み出した天上の理想に懐疑する。
    7. ここで注意すべきことは,デカルトによくみられるような,確実な知識をうるためにまず疑うという方法的懐疑と懐疑論とを混同することはできないということである.方法的懐疑における疑うということは認識の発展,深化にはたいせつなことだからである.→相対主義,不可知論(森宏一編集「哲学辞典」青木書店 p48)
      1. まあ、懐疑的認識、懐疑と検証を不可欠とする認識論は賛成。
    8. 科学には反証が必要
    9. ウィーンの科学哲学者カール・ポパーは「反証されえない理論は科学的理論ではない」と述べています。一般的に、これを「反証主義」と呼んでいます。
      1. 良いんじゃないですか?
    10. 例えば、ここにいかにも「科学的に」正しそうな理論があったとしても、それに合致するデータをいっぱい集めてくるだけでは意味が無い、ということです。「全ての白鳥は白い」ということを証明するために、たくさんの白鳥を発見しても意味は無い。「黒い白鳥は存在しないのか」という厳しい反証に晒されて、生き残るものこそが科学的理論だ、ということです。
      1. 不在証明なんて不可能じゃん。「いまだ不在証明はなされていない」というのが「仮設的存在証明」。「xxという種に属する鳥のうち、白い個体を白鳥という」という定義をしては駄目、なの?
    11. つまり、真に科学的である、というのは「理屈として説明出来るから」それが絶対的な真実であると考えることではなく、そこに反証されうる曖昧さが残っていることを認める姿勢です。
      1. 公理からの論理的帰結で得られるような命題は科学の命題とは認めない、ということか。
    12. 進化論を例にとれば、「自然選択説」の危ういところも、反証が出来ないところです。「生き残った者が適者だ」と言っても、反証のしようがない。「選択されなかった種」は既に存在していないのですから。
    13. いかに合理的な説明だとしても、それは結果に過ぎないわけで、実際に「生き残らなかった者」が環境に不適合だったかどうかの比較は出来ない。
      1. シミュレートしてみれば分かるけどね。「適者」を「子孫を残す可能性が高い属性を持った個体」と定義して、シミュレートしてみればよい。個体数が少なければ「適者生存」は見込み薄だ(確率は非適者と変わらない)が、数が多くなれば、「適者生存」の確率は増すだろう。そういう、論理的な作業で結論を出すのは科学的ではない? 「反証主義」に反する?
    14. ポパーが最も良い例としてあげたのは、アインシュタインの特殊相対性理論についての反証でした。この理論が実験的に検証出来るかどうかを彼は考えた。「空間が曲がっている」というアインシュタインの説は正しいのかどうか。
    15. この検証として、具体的には日蝕の時に、星の位置を観測した人がいる。すると実際には太陽に隠れて見えないはずの星まで観測することが出来る。つまり光が曲がって伝わって来ている。それは空間が曲がっている、ということの証明になる。だから、とポパーはいいます。わずか一つのことに賭けられることの大きい理論ほど、よい理論である、と。
      1. 観測によって、命題の真偽が確定されるような命題が、反証主義に合致する命題。
    16. 確実なこととは何か
    17. このような物言いは誤解を生じやすく、「それじゃあ何も当てにならないじゃないか」と言う人が出てくる。しかし、それこそ乱暴な話で、まったく科学的ではない。
    18. そもそも私は「確実なことなんか何一つ無い」などとは言っていない。常に私たちは「確実なこと」を探しつづけているわけです。だからこそ疑ったり、検証したりしている。その過程を全部飛ばして「確実なことは無い」というのは言葉遊びのようなものです。
    19. 「確実なことは何も無いじゃないか」と言っている人だって、実際には今晩帰宅した時に、自分の家が消え去っているなんてことは夢にも思っていない。本当は火事で全焼している可能性だって無い訳ではないのですが。全ては蓋然性(がいぜんせい=何事かが起こり得る確実性の度合。また、判断などが、多分そうだろうという可能性の程度。確率。公算)の問題に過ぎないのです。
    20. 「もう何も信じられない」などと頭を抱えてしまう必要は無いのです。そういう不安定な状態から人は時にカルト宗教に走ったりもする。
    21. 別に「全てが不確かだ。だから何も信じるな」と言っているわけではないのです。温暖化の理由が炭酸ガスである可能性は高い、と考えていてよい。毎日の天気予報では、「降水確率六〇%」という表現がされていて、それを普通に誰もが受け止めています。それと同じで、「八〇%の確率で炭酸ガスと思える」という結論を持てばよい。
      1. まあね。「より確実な知識」を求めているのだろう。『より確実な知識』にたいする《他者》《求める思いこみ》が在る。
    22. ただし、それは推測であって、真理ではない、ということが大切なのです。
      1. 『真理』=『普遍的に正しいコトバ』に対する《他者》《求める思いこみ》が在る。
    23. なぜこの点にこだわるかといえば、温暖化の問題の他にも、今後、行政に科学そのものが関っていくことが多くなる可能性がある。その時に科学を絶対的なものだという風に盲信すると危ない結果を招く危険性があるからです。
      1. これは「科学教」という名の宗教だろう。
    24. 付け加えれば、科学はイデオロギーでもありません。イデオロギーは常にその内部ではI〇〇%ですが、科学がそうである必要はないのです。(養老孟司著「バカの壁」新潮社 p25-29)
      1. よくわからんが、『科学に真理を求めるな』ということか?
    25. ◎「ほんとうのことは分からない」とは
    26. 「ほんとうのことは分からない」は、とりあえず、「私たちの知識に限界がある」と言い換えることができます。ところが、「私たちの知識に限界がある」といってもさまざまな意味があります。私たち人類は、じつに多くのことを知っています。数十巻の百科事典が何種類も出版されています。それでもまだ、圧倒的に多数の知識が載っていません。また一方で、私たちの知識が世界、宇宙全体にくらべると、ほんの一握りのものにすぎないことも知っています。
    27. しかし、歴史がすすむにつれて、私たちの知識がどんどん増えて、また深まっていくであろうことも知っています。ですから、私たちの現在の知識に限界があることはたしかです。しかし、そのことをさして「ほんとうのことは結局は分からない」ということはできません。「いつかは分かるようになる」と思うからです。この考え方はきわめて常識的で、健全で、基本的に正しい考え方だと、私は思います。
      1. これは前振り。
    28. これにたいして、「ほんとうのことは分からない」という場合、もう一つの意味を込めていう場合があります。それは、「ほんとうのことは分からない」という言葉を「私たちの知識に原理的に限界がある」「真実は結局分からない」という意味で使っている場合です。この場合、私たちの知識には、認識能力には、理性には、もうこれ以上絶対に超えることのできない限界があって、そこから先はいつまでたっても理性の光が届かないというのです。
      1. 知識というのは《ヒトの群れ》で共有された《知った思いこみ》コトバ。認識は《ヒトの個体》《知りつつあるモノ》による《見通し》のこと。関係があるのかな? 理性というのは、たぶん、《ヒトの群れのコトバ》である知識を操る能力。理性が認識を生むというのは、《思いこみの世界》における認識、というそれ自体が《思いこみ》であるような『認識』のこと。『認識した』という《思いこみ》のこと。
      2. 「認識=《ヒトの個体》《知りつつあるモノ》による《見通し》=に理性=《ヒトの群れのコトバ》である知識を操る能力=の光=《ヒトの群れ》で共有されているという安心感=が届かない」というのは、なかなか適切な表現かも。
    29. 「いまは分からないが、いつかは分かる」ということと「いつまでたっても分からないものがある」ということとのあいだに、いいかえれば「私たちの現在もっている知識に限界がある」ということと「私たちの知識に原理的に限界がある」ということとのあいだには天と地ほどの違いがあるのです。この違いをしっかりと見ておきましょう。
      1. あいさ。
    30. ◎不可知論の考え方
    31. 「私たちの知識に原理的に限界がある」という考え方は、哲学では「不可知論」という言葉で呼ばれます。
      1. 「知識=《ヒトの群れ》で共有された《知った思いこみ》コトバ=に(認識=《ヒトの個体》による《見通し》をもたらすことへの)原理的に限界がある」というのは、たけ(tk)もそう思う。
    32. この言葉を文字どおりに読めば、「知ることができない」論です。私たちはたしかにさまざまなことを知ることができるが、私たちの理性にはこれ以上超えることのできない境目があって、そこから先は、どうあがいても、人類史がどんなにすすんでも、人間の英知がどれほど発達しても、越えることはできないのだ、というのがその考え方です。
      1. 「知識=《ヒトの群れ》で共有された《知った思いこみ》コトバ=に(認識=《ヒトの個体》による《見通し》をもたらすことへの)原理的に限界がある」がそれを知ってしまえば、乗り越えることができるだろう。「知識=《ヒトの群れ》で共有された《知った思いこみ》コトバ=」による認識に執着するかぎりは不可能だが、別の方法が在ることを知り、その方法を使えば可能だ。
      2. 「人類の英知」を知識=《ヒトの群れ》で共有された《知った思いこみ》コトバ=に限って考えるとすると、難しいかもね。もっとも、ブッダコトバも人類の知識として残っているのだ。しかし、ブッダコトバを知識として、捉えるかぎりは、無理だけど、ちゃんと理解する人もいるのだ。
    33. これは、前に述べた哲学の根本問題に真正面から取り組むことができない考え方なのです。ですから、哲学の根本問題の解決をなんとかして避けてとおろうとする態度をとります。さきに、哲学の根本問題の解決にあたって唯物論と観念論の二つの陣営に哲学は分裂したと述べましたが、そこから逃れようとする人びとも実際にはいるのです。にもかかわらず、人間が呼吸から自由ではありえないのと同様に、哲学者は哲学の根本問題からは自由ではありません。不可知論は、結局のところ、唯物論か観念論の陣営のいずれかに属することになります。
      1. 「不可知論」の反対は「可知論」か。ブッダの「一切」は認識可能である、という立場は、「可知論」の一種なのか?
    34. ◎二つのタイプの不可知論
    35. 歴史的には不可知論が唯物論の隠れ蓑(みの)の役割を演じた時代もあります。今でも時にはそういうこともあります。それというのも、一般的には唯物論は時代の進歩の側に立っており、したがって唯物論を公然と表明することは、権力側からの弾圧をまねいたり、あるいは、そうではなくとも唯物論を表明するのがなんとなくはばかられる雰囲気があるからです。
    36. しかし、現在では実際上ほとんどの場合、不可知論は観念論の隠れ蓑の役割を演じています。このように、同じ思想でも歴史的に、社会のなかに置いてみるとさまざまに変化します。
      1. 思想弾圧を避けるためには不可知論や懐疑論は便利、ということか・・。
    37. ◎不可知論の思想からさまざまなものが出てくる
    38. これまでさまざまなことを学んできました。哲学、哲学の根本問題、観念論、主観的観念論と客観的観念論など、とくに、私たちは不可知論の考え方についてかなりくわしく学んできました。というのは、現在の流行思想の大部分は不可知論を哲学的基礎としてもっているからです。じつは、不可知論というものは多面的な要素を含んでいて、不可知論からきわめてたくさんの結論が出てくるのです。そのうち、いくつかのことがらを、もう少し先に進んで考えてみましょう。
    39. あらかじめ、どんな考え方が出てくるか、名前だけでも並べてみましょう。名前は難しくても、内容はそれほどでもありません。へこたれないでください。その名前は、
      1. 相対主義、
      2. 神秘主義・非合理主義、および
      3. 実証主義です。
    40. それでは、これらの点について考えていきましょう。
      1. 「不可知論からきわめてたくさんの結論が出てくる」のか・・。
    41. ◎相対主義の世界
    42. 「あなたの言うことも本当だが、私の言うことも本当だ」──こんな言葉を聞いたら、あなたはどんなふうに思うでしょうか。たとえば「A君は労働者である」という命題と「B君はスポーツマンである」という命題のように、二つの命題の内容がたがいに矛盾していなければ、それはそれで納得することができます。しかし、たとえば「労働者と資本家の利害は基本的に一致しない」という命題と「労働者と資本家は利害が基本的に一致する」という命題のように、二つの命題が矛盾しあうまったく正反対のことを言っているのだとしたら、「そんな馬鹿な」と思うでしょう。でも、不可知論の立場からは、それでもかまわないのだ、あるいはむしろそれが当然なのだ、という結論が出てくるのです。こんなおかしなことはないと思われますが、不可知論の立場に立つ人びとはそう主張するのです。その点について考えてみましょう。
      1. 視点が異なれば、別の結論になる。同じ対象について、同じとき、同じ視点で判断するかぎりは排中律が成立するだろう。同じ対象について、複数の視点で見れば複数の輪郭が得られる。複数の視点からの複数の輪郭を統合するには、多次元輪郭空間の思考が必要だろう。
    43. 不可知論の考え方は、「私たちの認識能力には原理的に限界があるのだ。その限界の先には私たちの知ることのできない世界が広がっているのだ」というものでした。つまり、私たちは私たちを取り巻く客観的世界を原理的に知ることができない、というのです。そうだとすれば、私たちの現在もっている知識が真理であるかどうかを判定(検証)する客観的基準はまったくないということになります。
      1. これには賛成しかねる。
    44. 知識の真理性の検証の基準がすべて主観的だということになると、たがいに矛盾しあった主張でも、どちらが真理か、あるいは真理でないか、あるいは真理はもしかしたら別のところにあるのか、判断する客観的基準はまったく存在することができません。結局、真理とはなにか、どうやって私たちの知識の真理性を判定(検証)するのかというように、これは真理をめぐる問題だ、ということになります。そこで、しばらくのあいだ「真理」について考えてみることにしましょう。
      1. すべての「コトバへの評価」には、視点が在る、ということは賛成。「真理」というのは「コトバへの評価」である。
      2. 『客観的』というコトバを、客観的視点という絶対唯一の視点、と捉える人がいるのか? まあ、たけ(tk)の主張も、多次元輪郭空間という視点が絶対唯一の視点だ、という主張になるのかな?
    45. ◎真理についてさまざまな考え方がある
    46. 真理とはなにか──これは哲学史上長いあいだ、議論されてきた問題です。哲学者ごとに哲学があるように、哲学者ごとに真理観があるといってよいと思います。しかし、哲学の考え方の同じものは同じ真理観をもつものです。
      1. コトバの定義の問題じゃん。たけ(tk)『正しいコトバ』、で『正しいコトバ』なんで無数に在る。しかし、すべての『正しいコトバ』には制限が着いており、制限なしに『正しいコトバ』は、あるとしても、無意味なコトバだろう。てな感じかな?
    47. 客観的観念論のあるものは、私たちの生活するこの世界の外に、真の実在があると主張します。私たちのまわりには多くのイヌがいます。そして、ポチとかラッシーとかパトラッシュとかいう名前をもっていたり、芝犬とかコリーとかブルテリアだったりします。しかし、私たちが「イヌ」という名で頭のなかに思い描くのは、ポチとかラッシーとかパトラッシュとかいうような個々のイヌではなくて、もろもろの個別的な特徴を捨象した、いわば「イヌ一般」の像(イメージ)です。
      1. 《近傍物理空間》の《認識限界》の先にもモノが在る、というのは、賛成ですけど・・。そういう意味じゃない? 《思いこみの世界》の中にもモノがある、ても思いますが・・。で、イデア《思いこみ》世界の中のモノだね。それは《思いこみ》であって、「真の実在」ではないだろう。・・「実在」に「真の」も「偽の」も無いだろうに・・。
    48. 私たちはこのような像(イメージ)をもっているから、個々のイヌを見て、たとえそれがクマに似ていても、正確に「これはイヌである」という判断をくだすのです。前に出てきた古代ギリシアの客観的観念論者プラトンはこの像こそ、個々のイヌに先立って存在し、私たちのまわりにいる個々のイヌのいわば「原型」をなすものであって、個々のイヌがこの「原型」にのっとってつくられたものだと考えます。プラトンはそれを「イデア」と呼んで、これが真実の存在(真理)だと主張したのです。
      1. イデア実在論は、コトバ《ヒトの群れ》モノであり、《ヒトの個体》《ヒトの群れ》コトバを学ぶことによって、コトバを通じた認識、《思いこみ》モノへの重ね合わせ、という方法での認識、という認識様式を持っている、ということの反映。
    49. また、私たちの頭のなかにはさまざまな観念が存在します。あるものはじつにはっきりしているのにたいして、また他のあるものはぼんやりと不分明である、ということは私たちが日常的に経験することです。たとえば、「この人は男であるか、または男でないかのどちらかである」とか「三角形の内角の和は二直角に等しい」とかいう観念はじつに明瞭で、疑いの余地のないものに見えます。これにたいして、「この国の経済計画はよくできている」とか「この旗の色はかなり赤っぽい紫である」というような観念は不分明に見えます。
    50. 一七世紀のフランスの合理主義哲学者ルネ・デカルトはこのはっきりした観念を「明晰判明」な観念だといい、これを真理だと考えました。これでは、観念や知識が真理であることの指標がまったく主観的なものになってしまいます。この点では、相対主義、不可知論の真理観も同じ見解をもっています。
    51. ◎真理とは客観的実在を正しく反映した認識内容である
    52. これにたいして科学的社会主義の哲学は唯物論の立場をとりますが、唯物論は真理を確かめる(検証する)基準は客観的だと考えます。私たちは、私たちの認識を客観的世界(実在)の反映であると考えています。つまり、私たちがもっている知識は、なんらかの意味で、客観的世界の写しなのです。
    53. 「反映」という言葉には、かなり受け身的、受動的な響きがあります。しかし、私たちの認識が反映である、というとき、それは能動的な反映を意味します。私たちは、まず、感覚器官をとおして、「感覚」「表象」という形で、外界にかんする情報を獲得します。そして、この情報を、理性の力によって分析したり抽象したり概括したり総合したりして、厳密な知識へと、いわば「精練」します。そのことによって、私たちは世界についてより深く近づいていくのです。
    54. また、「反映」といっても、正しい反映であるとは限りません。私たちは、誤った反映をすることだってあるのです。私たちは、人魚だとか一角獣だとか「ざしきわらし」だとか「コロボックル」だとかというような観念をもっています。場合によっては、「バルタン星人」とか「仮面ライダーブラックRX」というような観念までもっています。これらに対応するものは現実には存在しません。しかし、これらの観念は現実的・客観的世界の素材に根ざした、実在的起源をもっているのです。つまり、これらは客観的世界の誤った反映だということができます。
    55. ただし、ここで、「誤った」という言葉に価値的な、つまり善悪などの意味をこめて、たとえば「くだらない」とか「たいしたことがない」とか「悪質だ」とかいうふうに、とらえないでください。人魚、一角獣などのような観念は、私たちの生活のなかで生まれた、現実的な意味に富んだ観念なのですから。もちろん、「大衆課税は、金持ちにも貧乏人にも平等にかかるから、公平な税制だ」という観念は、「誤っている」ばかりでなく、「悪質な」観念でもあります。
      1. 異論ナシ。
    56. ◎知識の真理性を検証するのは実践である
    57. これらのことからわかることは、唯物論には私たちのもっている知識、観念、理論等が真理であるかどうかを試す(検証する)客観的基準があるということです。これにたいして、いま問題にしている不可知論にはそのようなものはありません。だから、どんな知識でもみな真理だということができます。このことは裏返せば、どんなものでもみな誤謬だと断定できることを意味するのではないでしょうか。
      1. 唯物論は不可知論ではない、ということ? モノコトバからの離存性を認識している限りは、このような唯物論は正しいだろう。
      2. 「客観的」というコトバが、科学信仰の源泉になっているという厄介な問題がある。
    58. 知識の真理性を検証する基準は実践です。実践は、自然や社会を変革する人間の活動です。人間の生活の必要を満たすために自然をつくりかえたり、社会を変革したりするのをはじめ、さまざまな人間活動がこれに属します。私たちが認識活動をするのも、じつはこの実践を基礎としているからであり、また実践をうまくおこなうためでもあります。つまり、実践は認識の基礎であり、また目的でもあります。そして、認識活動の結果獲得した知識が真理であるかどうか、それを検証するのも実践によってです。
    59. もちろん、知識が真理であるかどうか、つまり真理であるかどうかはただ一回の実践によって確かめられることはまずありません。人類の長い実践の連鎖ののちにはじめて、確かめられるのです。このように、知識の真理性の検証の基準は実践にあることはあきらかです。
      1. 生活的実践が「知識の真理性を検証する基準」だということには反対。「知識の真理性を検証する基準」としての実践とは探知的な実践のこと。探知目的の実践であり、生活目的の実践ではない。
    60. ◎相対的真理と絶対的真理の弁証法
    61. さて、それでは、唯物論は真理における相対的なものをいっさい認めないと主張しているのでしょうか。そうではありません。じっさい、私たちが現在もっているものはみな相対的性格をもっているはずです。つまり、私たちが現在もっている知識は、不完全で、歴史の進展とともにより深められ、あるいは新しい光をあてられながら、豊かになっていくのです。その意味で、私たちの知識は相対的な真理だということができます。しかし、絶対的な側面も厳然として存在します。このことを具体的な実例にそくして、考えていきます。
    62. 古典力学についてなにか知っていますか。ケプラーやガリレイなどの先駆的な研究ののち、これらをニュートンが集大成した体系です。私たちの生活する日常的な世界のレベルで成立する力学の体系です。これは、自然科学の体系としてはほとんど最初に成立したもので、その後の科学体系は長いあいだ、この体系をモデルとして形成されたほどです。ところが、時代がすすむにつれて、日常的なレベルをはるかに越えたところまで科学の目が届くようになってきますと(たとえば、とてつもなくスピードのある物体の運動とか、原子のレベルでの運動とか)、新しい理論(相対性理論とか量子力学など)が形成されてきます。
    63. そうすると、古典力学の体系は、すっかり誤ったものに転化したかというと、そうではありません。ある一定範囲ではりっぱに成立するものだということが、逆に、明らかになるのです。つまり、新しい理論が形成されるとともに、これまでの理論は新しいより包括的な理論の一部として再生するということができるでしょう。
      1. 多次元輪郭空間
    64. さて、そうしてできあがった知識は、やはり相対的真理という性格をもっています。だとすると、またまた私たちのもつ知識はすべて相対的真理ということになります。しかし、それだけではありません。私たちのもつ知識はすべて絶対的真理の性格ももつのです。つまり、私たちのもつ知識は、相対的真理の系列を通じて、絶対的真理に限りなく接近してゆくのです。
    65. だが、このように表現すると、絶対的真理はこの系列の彼方にはじめて存在するように思われます。これもまた、一面的な理解です。個々の知識は、相対的な性格をもちながらも、それぞれに絶対的真理のいわば「粒」をもっているのです。つまり、個々の知識は相対的真理と絶対的真理の統一なのです。これが、相対的真理と絶対的真理の弁証法なのです。
      1. ヘーゲルの「在る」→「無い」→「成る」
    66. ◎不可知論と神秘主義・非合理主義
    67. さて、不可知論から出てくるものの一つとして非合理主義や神秘主義があります。非合理主義とは理性によって把握されえないもの、論理的には説明できないものを究極のものと考える立場を言います。神秘主義とは神秘的な存在や神秘的体験に重きを置く立場をいいます。ですから、厳密にいえば、非合理主義と神秘主義とはいちおう区別されます。しかし、現在ではほぼ同じものとして現れていますから、ここではいっしょに取り上げることにしましょう。
      1. たけ(tk)は、「理性」=「《ヒトの群れ》コトバを操る能力」と捉えているので、「理性によっては把握できないモノ」が真実であると考えている、ので、神秘主義者。もっとも、それを記述して、理性で把握できるようにしているので、はあるが、「理性で把握できる」とは思っていないので、やっぱり、神秘主義者か? 非合理主義か? 「神秘主義」の「神秘」というのは「理性」=「《ヒトの群れ》コトバを操る能力=によっては把握できないモノ」のことではないのかな?
    68. 不可知論は、私たちの理性には限界があって、その限界の先には理性の光はおよばないものだと考えます。限界の先になにもなければ、限界がないと同じですから、この主張には限界の先には理性の光の及ばないなにものかが存在するということが含まれています。つまり、それは理性ではけっして理解することのできない非合理的・神秘的なものだということになります。このように、非合理主義や神秘主義は不可知論の考え方そのものから出てくる当然の結論ということができます。これが、現在の流行思想の大部分が不可知論を哲学的基礎としてもっており、しかも非合理主義・神秘主義であるということの意味です。
      1. 《背後者》なんてのは、神秘主義の直截的な表現ですな。しかし、《見通し》によって知ることができる、と考えるので、不可知論ではない。
    69. ◎不可知論と実証主義
    70. 不可知論から出てくるものとして、さらに、実証主義があります。実証主義は、感覚や経験の証言のみをよりどころにする立場です。そしてそれを超えたものを承認することを極端に排除します。たとえば、空中を物体が飛んでいるとします。物理学者は適切な観測器械を使用することによって、その物体がある瞬間にはどこにいるか、他の瞬間にはまたどこにいるかを克明に観測・記録することができます。そして、その軌跡がたとえば放物線を描いたとしましょう。
      1. 内心的経験も経験だと思うのだがなぁ・・。
    71. そのとき、実証主義者は、その物体が放物線を描いたということはできるが、ではなぜ放物線を描くかという問いには答えることはできない、というでしょう。なぜなら、その問いに答えようとすれば、「力」という経験をこえた概念を使用しなければならない、「力」が現象を説明するためのフィクションだというなら、話はまた別だ、とこたえるでしょう。
      1. その物体の《アニマ》が、放物線を描いて飛びたいと思ったからよ・・。(^^;)
      2. 実証主義というのは、当為排除主義、価値排除主義。価値判断排除主義。人間排除主義。生活者排除主義。実証原理主義は、実証以外の要素を排除する考え方。実証以外の要素(価値判断)を非難するという価値判断。思いっきり矛盾してるね。
    72. また、こんな例をとってみましょう。一七八九年にフランス革命が起こったことは有名な話です。歴史家はそのあたりの事情を克明に調べて「歴史」を書くことは当然のことです。しかしそのとき、フランス革命がどのように起こったかを書くが、なぜ起こったかを論ずることはないとしたら、それは一つの実証主義の立場になります。史実に現れないことは徹底的に避ける、史実の間隙を埋めるために、創造力、想像力、直観など理性の力を借りるのを恐れるなど、さまざまな症状があります。
      1. 事実と価値判断を混合させるのはよくない。が、価値判断を排除するのはよくない。し、不可能であり、「価値判断を排除する」という判断は、生活上の強者の判断に従う、という追従ザルの生活様式を産み出す。
    73. もっともそのときどのように起こったかを書くときに複雑な概念装置を「駆使」するのですが。このように「どのように」という問いには答えても、「なぜ」という問いには答えない──実証主義はそのような態度をとります。
    74. ◎非合理主義・神秘主義と実証主義は同根である
    75. 一見すると、非合理主義・神秘主義と実証主義とはまったくあいいれない主張のように見えます。しかし、これまで見てきたように、哲学的根源は不可知論であることは明白です。でもなぜ、同根の思想が異なった形態をとるのかは興味があることです。じつは、それぞれの思想が流行する時代にはそれなりの特徴があるのです。実証主義的な思想が最近大流行したのは一九六〇年代の高度成長の時代でした。
      1. 実証原理主義といいましょう。
    76. さまざまな資本主義的な矛盾をはらみながら、日本は経済大国への道を歩んでいました。「ゴールデン・シックスティ(黄金の六〇年代)」というスローガンがそれを象徴しています。実証主義の潮流はまた科学万能主義の意味で「科学主義」「科学哲学」を自称していました。ここで、哲学は、幾多の留保を付けながらも、ある意味での「健康さ」を保っていました。
      1. 科学原理主義も実証原理主義の一種。
    77. それが第一次石油危機を転機として資本主義の諸矛盾が、表面へと噴出してきました。わが国の支配層は軍国主義化の方向でそれを脱出しようとしました。当然のことながら、国民の精神生活にそれが反映しました。不可知論は実証主義から非合理主義・神秘主義ヘと転換しだしました。「歌は世に連れ、世は歌に連れ」という言葉がありますが、それは歌ばかりではありません。思想にもまたあてはまるのです。だから、神秘主義・非合理主義が流行するのも必然的です。
    78. したがって、逆にいえば、私たちがただ生活に流されていると、この非合理主義・神秘主義の思想に共感を覚え、そのとりこになることは目に見えています。そこから抜け出す唯一の道は、現状に批判的な精神をもち、これと闘い、科学的社会主義の理論をもって実践することであるということができるでしょう。
    79. (仲本章夫著「現代の流行思想」学習の友社 p60-82)
      1. 「批判的精神」というのは「モノコトバからの離存性」の自覚である。

日本の風土…理念がリードする事なく、意見表明や世論の萎縮が起こる事は何に由来するか。 http://www.asyura2.com/0510/senkyo17/msg/868.html 投稿者 新世紀人 日時 2005 年 12 月 18 日 13:27:32: uj2zhYZWUUp16

  1. 日本的小集団主義。同調主義。忠魂主義。《ヒトの群れのアニマ》への同調主義。

輸出再開記念の牛肉出荷 式典用約130キロ(共同通信)←「怪しげなキーワード?」 http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/405.html 投稿者 ウソ捏造工場 日時 2005 年 12 月 17 日 12:33:01: OszuLYfIhReeI

  1. 怪し〜〜。
  2. 「式典用牛肉」=「食べても安全な米牛肉(オーガニック系)」
  3. きっこの日記。(http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2005/12/post_85b3.html
    1. それにしても、ブッシュ自身が、アメリカの牛肉は危険だからって、「肉を食べる時はなるべく豚肉か鶏肉にしてます」ってノタマってる上に、アメリカじゃあ「普通に飼育された牛はすべて危険」って言う考え方がごく一般的に広まってて、お金持ちや知識のある層の人たちは、高級スーパーで売られているオーガニック系の牛肉しか絶対に買わないそうだ。
    2. そして、ウォールマートとかの安売りのお店で売られてる危険な牛肉は、貧乏人だけが買ってるそうだ。どっちにしても、狂牛病の蔓延でアメリカ国内での牛肉の消費量が大幅に減っちゃったから、そのぶんニポンに押しつけようってことなんだろうけど、大統領が「危険だから食べない」って言ってるものをよくも他国に押しつけるよね。そして、こんなデタラメを二つ返事でホイホイと聞いちゃうコイズミって、本物の腰抜け売国奴だね。

http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/405.html

    1. 当初はこの牛肉が輸出再開第1便になる予定だったが、丸大食品が16日に計4・6トンをサンプルとして輸入、先を越された格好になった。
  1. 丸大食品は米牛肉を使ったハムを販売するかどうかを明確にせよ。

http://asyura2.com/0510/dispute22/msg/446.html

    1. メディア身体」
  1. 《思いこみ》における『私』

著作権、著作物、商品

  1. 著作権が権利として発生したのは、著作物が商品になってからの話。
  2. 出版技術ができて、大きな資本を投下して大量に作成して、販売して、資本を回収し、利潤を得る、という構造ができてからの話。
  3. それまでは、写本であり、気に入ったヒトが、自分の労力で複写し、保管していた。その場合には、財産権としての著作権ではなく、写本の所有者が、他人にその写本を貸すかどうかの判断権を有する、という形だった。
  4. 一般に財産権の対象になるかどうかは、管理可能性が問題になる。商品としての売買という形での管理が可能であれば財産権の対象となり、管理が不可能であれば財産権の対象とはならない。
  5. 川の水は、「それを使うな」という禁止が、実際問題として不可能なので財産権の対象にはならない。川を障壁で囲って、販売窓口に人を立たせることが可能であれば(それでペイするのであれば)、財産権の対象となるだろう。しかし、それではペイしないだろう。それに対して、水道は、水道管で管理するので、財産権の対象となる。
  6. 著作物が簡単にコピーできる状況が出現すると、実際問題として、著作物(の情報そのもの)を財産権の対象とすることが困難な状況になりつつあるのではないか? 水道の状態から川の状態になりつつあるのではないか?
  7. もちろん、川の水でも、特殊な水であれば、その周囲の土地を買収し、壁で囲って、立ち入り禁止にし、独占的に「xx御神水」といった名称で販売することは可能である。現代で言えば、秘密保持契約で情報を独占するようなモノである。
  8. JASRAC は、山賊のような気がする。空気に税金を掛けるようなモノ。「おいおい、お前が吸っている空気は俺様が権利を預かっているんだ。空気を吸いたかったら俺様に税金を払え」って言っているようなモノ。鼻歌だって著作権違反。
  9. http://www.jpo.go.jp/shiryou/toushin/shingikai/siryo07.htm
    1. ○知的財産権制度の骨格
    2. (1)保護の対象
      1. 保護の対象は、発明(アイディア)、デザインといった知的創作物
      2. 保護対象の管理可能性はあるが、保護の客体=アイディア自体は、五感で認識できない不明確なもの。このため、識別可能なメルクマール(文字・図形)により、保護の対象###権利の範囲を明らかにする必要がある。

2005-12-17(土)

http://www.math.titech.ac.jp/~inoue/03-biseki-env.pdf

    1. 時々、自分は「頭の回転が遅い」からできない、とか、ついていけないという人がいる。私が感じているところでは、頭の良い人が立派な仕事をするわけではない。むしろ物事の飲み込みが悪く、中々分からない人の分かり方の方が、分かったときの理解が深い!大体今教えられている事柄は、その時代の超エリートが考え抜いて出てきた概念で、そんなに簡単に血肉として身に付くものではない。簡単に分かる人は薄っぺらな理解なのかもしれない!なまじ分かったような気になるより、「何やらすっきり分かっていないな」と認識している方が余程将来的可能性は高い!

http://www.math.titech.ac.jp/~inoue/03-biseki-env.pdf

    1. 述語というのは変数を含んだ文で、その変数のところにその変数の変域の要素(元)を代入する毎に命題になるもののこと。
    2. 例えば、「2 は 1 より大きい。」とか「1 は 2 より大きい。」は真偽が決まった文、即ち、命題になる。
    3. 「n は 1 より大きい。」は命題ではなく、変数を含んだ述語である。
    4. この述語に「すべて」と「ある」という論理的言葉を結び付けると、「すべての n について、n は 1 より大きい。」「ある n について、n は 1 より大きい。」ができ、これらは真偽が決まっているから命題である。
    5. 命題を述語と量化演算子の組合せに分解し、命題の内部構造を取り扱うことができる。述語を表す変数として
    6. P(x), Q(x), …
    7. を用いる。詳しくは、変数 P,Q, … は述語そのものを表す変数、x は述語の変数を表す変数として用いられている。
    8. 例えば、変数 P(x) の値として述語「n は 1 より大きい。」を取るということは、変数P に「より大きい。」を、変数 x に n を、代入すると言うことである。
    9. 「すべての n について、n は 1 より大きい。」から、ある特定の自然数 3 を代入してできる命題「3 はより大きい。」を導く演繹的推論の形式は、述語を表す変数 P、変数を表す変数x、特定のモノを表す記号a、及び論理記号を用いて
    10. ∀xP (x) から P(a) を導く
    11. となっている。
    12. 2つの仮定「すべての人間は動物である。」と「すべての動物は死ぬ。」から「すべての人間は死ぬ。」という結論を導く推論の構造は、
    13. ∀x(P(x) ⊃ Q(x)) と∀x(Q(x) ⊃ R(x)) から∀x(P(x) ⊃ R を導く
    14. という推論の形式になっている。

http://www.math.titech.ac.jp/~inoue/03-biseki-env.pdf

    1. 論理的な言葉を表す論理記号;
      1. 記号: ¬(否定記号「でない」)
      2. 記号: ∧(連言記号「かつ」)
      3. 記号: ∨(選言記号「または」)
      4. 記号: ⊃(含意記号「ならば」)
      5. 記号: ∀(普遍量化記号「すべて」)
      6. 記号: ∃(存在量化記号「ある」)
    2. を用いて演繹的な推論の形式を記述したモノが、
    3. 近代論理学、記号論理学、数理論理学
    4. と呼ばれる論理学の体系。
    5. 命題を表す変数を用い、命題結合子を表す論理記号だけを用いて得られる正しい推論の形式を研究する学問が命題論理学と言われる。
    6. 命題論理学に属する正しい推論の形式の例:
      1. ¬¬A からAを導く(二重否定の法則),
      2. A からAを導く(同一律),
      3. A ∧ ¬A からBを導く(矛盾律),
      4. A ⊃ B と ¬A ⊃ B からBを導く(排中律),
      5. AとA⊃ B からBを導く(三段論法),
      6. A ⊃C、B⊃CとA∨ B からCを導く(両刀論法).¬(A ∧ B) から ¬A ∨ ¬Bを導く,
      7. ¬A ∨ ¬B から¬(A ∧ B) を導く,
      8. ¬(A ∨ B) から¬A ∧ ¬Bを導く,
      9. ¬A ∧ ¬B から ¬(A ∨ B) を導く,
      10. A ∧ B からBを導く,
      11. A ∧ B からAを導く,
      12. AからA∧Bを導く,
      13. BからA∧ B を導く
    7. ところで、「導く」という語の意味を定義するのはどうもはっきりしない。
    8. 2 つの命題A,Bの真偽が一致することをA ≡ B と書く。このは論理記号ではなく、論理を外から眺めた結果を表すのに用いる記号で二重否定の法則は ¬¬A ≡ A と書かれる。

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    1. 『すべての星は赤い』と主張している人には、『少なくとも一つは赤くない星がある』、ほらあそこに見える星は赤くないだろう、と見せれば、その主張を否定できたことになろう。
    2. とはいえ、「君は何故あれを星というのかね。私の辞書では赤くないものは星とは言わない。星といわれるものの必要条件は色が赤いということなのだよ」と言われると延々と議論が続きそうである。
    3. 『すべての星は赤い』と主張している人が生き残れば、それが正しいことになるのが、世の中である。
    4. 数学界では『すべての星は赤い』という主張の否定は『少なくとも一つは赤くない星がある』である、と理解されている。それ故に、主張する人の生存、非生存には影響されずに、主張する内容が正しいと判定されると何千年も正しいこととして通用してきている。
    5. もっとも、どのみち正しいと判定するのは人間なのだから、間違わないためにはどうしたらよいかと色々の工夫をしてある。最大の工夫は「証明」であり、それの根幹は正しい仮定から、適切な推論のもと、正しい結論を導くことにある。
    6. 但し、この書き方だとトートロジーだと言われかねないのだが。
    7. これからは、証明というものがあって、その推論を了解すれば、その証明付き命題の内容を生理的に嫌だとしても認めるという立場の人しかいないという世界に住んでいるとして、論理なるものを考えていく。
  1. びみょー!。

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    1. 1.5. 連続関数とは
      1. 定義1.5.4 (e - δ-論法)
      2. 関数fがD\ {a} で定義されているとする。
      3. x → a における関数f の極限値がαであるとは、
      4. 任意の α > 0 に対してδ >0 があって 0< |x - a| < δ, x ∈ D\{a} ならば|f (x) - α| < e となることである。
      5. i.e. (∀e > 0)(∃δ > 0)(∀x ∈ D \ {a})(0 < |x - a| < δ =⇒ |f(x) - α| < e).
      6. 関数f がで定義されているとする。
      7. 関数fがx= a ∈ で連続あるとは、
      8. 任意の e > 0 に対してδ > 0 があって 0 <= |x - a| < δ, x ∈ D ならば|f(x) - f(a)| < e となることである。
      9. i.e. (∀e > 0)(∃δ > 0)(∀x ∈ D)(0 <= |x - a| < δ =⇒ |f(x) - f(a)| < e
  1. 前の値と次の値が連続しているような関数、という意味らしい。「連続」というのは「実数が連続している」という意味での「連続」。
  2. S(n+1) = f(S(n)) という形の関数かと思っていた・・。

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    1. 定義 1.1.1 (曲線とは何か?)
      1. 閉区間a <= t <= b上の
      2. 連続関数φ, ψ ∈ C[a, b] に対し
      3. x = φ(t), y = ψ(t) とし
      4. tが動く時の点P= (x,y) の軌跡を
      5. 曲線という。
      6. A = (φ(a),ψ(a)) を曲線の始点、
      7. B = (φ(b),ψ(b)) を終点という。更に、
      8. 重複点が無いときJordan 曲線という。もし、
      9. 区間の両端点に対応する点のみが一致する時は Jorda 閉曲線という。
    2. ◎ 上の曲線の定義は、我々が日常生活で出会う曲線的なものを含んでいるのは確かなようだが、実は極めて奇妙なものをも許している事になる。
    3. (i) Pean 曲線:上の定義の曲線であっても、もし重複点が無数に許されるとすると、一つの正方形の内部の各点を全て洩れなく通過する曲線の実例をPeano が1890年に作ってみせた。KnoppによるPean曲線の簡単な構成法がある。
    4. (ii) Koch曲線とはKnoppによる構成法を少しもじって作った、接線が一つも引けないJordan 曲線である。
    5. (iii) 連続関数であって至る所微分不可能な関数というものがあらわれるが、これの説明は関数項級数のところで少しはできるであろう。昔は、これらが病的な関数と考えられ考察の対象外であったが、いまやカオスとかフラクタルとかいう概念の根幹をなす概念となっている。

2005-12-16(金)

http://asyura2.com/0510/dispute22/msg/442.html

    1. 明治維新政府は、西欧諸国への対抗上、日本国家あるいは日本人の形成に意を尽くしました。しかし敗 戦により、其の試みは道半ばで挫折したのだと思います。
  1. 明治政府の失敗は、招魂教という新興宗教を中心に据えようとしたことである。
  2. 一神教的な「差別の論理」を持ち込んだことである。一神教的な差別の論理とは、「その神を信じる者」と「その神を信じない者」とに人類を分離し、差別することである。

http://asyura2.com/0510/dispute22/msg/442.html

    1. 日本人とは案外グローバル化に適しているのではないかという事です。何故なら、天子を戴く国ですから。
    2. 今の日本人に必要なのは、民族のpathosやethosではなく、あるべきグローバル化としてのオルタナティブということになります。もう一つのグローバル化が必要です。
  1. 天皇とは《地表のヒトの群れ》を構成する人々のために、《ヒトの群れ》が存する大地と、《ヒトの群れのアニマ》を祭るヒトである。
  2. 《地表のヒトの群れ》を構成する《ヒトの群れのサブシステム》たる小集団の様々なアニマをすべて平等に順番に祭る。
  3. 《地表のヒトの群れ》を構成する人々は、天皇への敬意を持つことによって、相互に、他の自らが属さない《ヒトの群れのサブシステム》とそれを構成する人々への敬意を持つ。それによって、《ヒトの群れのサブシステム》間の不調和、ヒトヒトとの間の不調和を、自然に解消し、一つの《ヒトの群れ》へと融合していく。
  4. そういう仕組みの中心にあるのが天皇というヒト
  5. 日本型のグローバリズムとは、まず、(1)天皇が地球上のすべての人々のために、地球上のすべての《ヒトの群れのサブシステム》のアニマを祭ること。そして、(2)まず、日本人が天皇を祭ることによって、日本人自身が地球上のすべての《ヒトの群れのサブシステム》とそれを構成する人々への敬意をもつこと。そして(3)その信念で海外に出て行き、日本的なグローバリズムのメリットを、外国のヒトに実感してもらうこと。
  6. 山川草木悉皆成仏→山川草木悉皆浄神。
  7. 「外なる神」というのは、自らの身体の外部に存在するモノに内在するアニマのこと。
  8. 《地表のヒトの群れ》を「人類全体のヒトの群れ」の意味で使い、《ヒトの群れ》を「人類全体のヒトの群れのサブシステムとしての小集団」の意味で使う。

リース、ってのは・・

  1. 羊頭狗肉の契約なんだよね。羊頭は賃貸借、苦肉は金銭消費貸借。モノを返したって、リース代金(??)は延々と払わなければならない。

http://www.kamiura.com/new.html

    1. この記事ではことさら中国向け(中国脅威論)で初の日米演習と強調している。しかし現実問題として、中国が日本との全面戦争を決意しないで、石垣島や宮古島や与那国島などの離島を武力占領する可能性があるだろうか。また武力占領するとすれば、何のため(必要性)に中国は南西諸島の離島を占領するのか。
    2. かつて米ソ冷戦時代に、極東ソ連軍が佐渡島を占領すると研究をしたことがある。しかし何のための佐渡島占領かという疑問と、ソ連が佐渡を占領して守りきれるかという問題がでてきた。言い訳程度にソ連軍は佐渡を占領し、上越から関東に進攻する橋頭堡を築くという意見があったが、それなら佐渡ではなく新潟平野沿岸に橋頭堡を築くという話しになる。
    3. またソ連軍は佐渡を占領しても、上空の航空優勢(制空権)を確保できるかという課題が生まれてきた。昔も今もまったく無理である。それなら日本本土の航空基地や飛行場を壊滅させる以外に、ソ連軍が佐渡上空で航空優勢を確保することはできない。もし日本全土の航空基地が壊滅させられた状態では、日本では佐渡奪還よりも大きな戦争目的が発生している。
    4. だからソ連軍の特殊部隊が奇襲で佐渡を占領しても、直ちに日米両軍の攻撃機が空から群れをなして襲ってくる。そのような理由で佐渡占領という想定はバカバカしくて話しにならないというのが結論だった。そのような過去の事例と、この南西諸島・離島での演習と比較して欲しい。
    5. まあ、自衛隊が離島を防衛するというのは許せる。しかし台頭してくる中国軍に備えて離島防衛というのは「幼さ」を感じる。中国軍が演習で「日米両軍の特殊部隊が『青島(チンタオ)』に攻め込んで来る」と想定した場合の「幼さ」と同じ程度である。
  1. 架空の恐怖をあおりたて、もしくはしいさな小さな事件を過大な恐怖にあおりたてて、国民を従属させようとする政治手法が、ホンモノの恐怖政治(テロリズム)だ。

2005-12-15(木)

プログラマは理系より文系出身者のほうが「良いプログラム」をつくる、とかや。

  1. 「良いプログラム」というのは「ヒトが使う、という視点で作られたプログラムだろう」
  2. 理系は、モノの思考に追従してしまうから、(それが理系の理解力だから)、「良いプログラム」を作ることができない。

http://asyura2.com/0510/war76/msg/892.html

    1. 国民の中には「騙されていてあげよう」と考える履き違えの御人好しもいる

http://asyura2.com/0510/health11/msg/187.html

    1. 精神性疾患で04年度に病気休職した公立の小中高校、盲・ろう・養護学校の教員は、前年度から365人増えて3559人と なり過去最多を更新したことが、文部科学省の調査で分かった。12年連続の増加で、10年前の94年度(1188人)の3倍 に当たる。
  1. 公教育の崩壊。並みの神経では公教育で教えることが出来なくなりつつある。

2005-12-14(水)

http://www3.diary.ne.jp/user/338790/

    1. それにしても、ブッシュ自身が、アメリカの牛肉は危険だからって、「肉を食べる時はなるべく豚肉 か鶏肉にしてます」ってノタマってる上に、アメリカじゃあ「普通に飼育された牛はすべて危険」って 言う考え方がごく一般的に広まってて、お金持ちや知識のある層の人たちは、高級スーパーで売 られているオーガニック系の牛肉しか絶対に買わないそうだ。
    2. ・・
    3. 狂牛肉を大歓迎してるのは、社団法人日本フードサービス協会に加盟してる吉野家やすかいらー くだから、吉野家やすかいらーく、ガストにだけ入らないようにすれば大丈夫。すかいらーくやガスト に入っても、牛肉を使ったメニューさえ食べなければ大丈夫。普通の人は、たいていこんなレベル の意識しか持ってない。だけど、現実には、マクドナルドでポテトを揚げてる油にも、狂牛病の感染 原因、異常プリオンが多量に含まれてる「牛骨油」が使われてる。だから、マクドナルドに行って、 ハンバーガーを食べずにポテトだけを食べていても、狂牛病に感染する可能性もあるワケで、潜 伏期間が過ぎて発病すれば、脳みそがスポンジ状になって1年くらいで発狂して死ぬってワケだ。 未だに治療法が無く、エイズよりも恐ろしいと言われている病気、それが狂牛病だって言うのに、こ れほど野放しにされてるってワケだ。
    4. つまりは、狂牛肉の輸入が再開されれば、吉野家の牛丼を食べなくても、すかいらーくやガストの ハンバーグを食べなくても、マクドナルドのポテトに染み込んだ油や、レトルトカレーの中の牛肉 や、カップ麺の中の牛肉エキスや、ありとあらゆるものに恐ろしいアメリカの陰謀が隠されて、あた したちの体内に蓄積されて行くってワケで、もはや、消費者の判断なんかじゃ対応できないのだ。 だからこそ、国が確固たる態度で輸入規制をすべき問題だったのに、国民を死の危険にさらして もお金儲けを優先する守銭奴企業の集まり、社団法人日本フードサービス協会のメチャクチャな 働きかけによって、無責任極まりないコイズミのモクロミが現実となってしまったのだ。
    5. ・・
    6. だけど、その系列店まで調べるのはすごく大変なことだ。たとえば、諸悪の根源、「すかいらーく」ひ とつをとっても、ファミレスの「すかいらーく」「ガスト」「ジョナサン」、中華の「バーミヤン」、和食の 「夢庵」「藍屋」、イタリアンの「グラッチェガーデンズ」「スカイラークガーデンズ」、回転寿司の「魚屋 路」、他には、ごはんや「八福」、デリカテリア「マルコ」、焼肉レストラン「ほたる苑」、「Sバーミヤ ン」「Sガスト」など、こんなにたくさんの店舗がある。
    7. ・・
    8. 今後、明らかにアメリカの牛肉が原因と思 われる感染者が出た場合に、「それはアメリカがきちんと危険部位を取り除いていなかったからで す」って言って、自分が「安全です」って言った言葉の責任を逃れるためなのだ。そして、ヤミクモに 狂牛肉の輸入再開を推進して来た「社団法人日本フードサービス協会」側としては、内閣府のプリ オン調査会が「安全」だと太鼓判を押したんだから、その肉を提供した自分たちには責任などな いって姿勢を譲らないだろう。
    9. ・・
    10. 狂牛肉の輸入が再開されたら、さっそく 狂牛丼の販売を再開するって鼻息を荒くしてる吉野家に対して、社団法人日本フードサービス協 会に加盟してない牛丼チェーン「すき家」は、ちゃんと消費者の立場に立った見解を示してい る。「すき家」を展開してる株式会社ゼンショーでは、輸入再開ありきで進められている小泉内閣の やり方はとうてい信用できないとして、小川賢太郎社長が独自の調査チームを結成して、アメリカ まで現地調査をしに行ったのだ。
    11. そして、株式会社ゼンショーの調査チームは、「危険部位の完全除去が日本の基準から見ると明 らかに不十分」「飼料規制も不十分で危険な肉骨粉が混入している可能性が大きい」と言う調査結 果を出し、「今のままでは全頭検査をしない限り、危険すぎて消費者には提供できない」って言う判 断をしたのだ。結論としては、「商売としてはアメリカ産の安い牛肉を使いたいのは山々だけど、現 状では消費者の命に関わる問題だ。とても安心して消費者に提供できるレベルではないので、食 品を扱う企業のモラルとしては、残念ながら使うことはできない」ってことになった。
    12. ■2005/12/13 (火) あたしは「すき家」を支持します! 8
    13. これが、マトモな企業じゃないの? マトモな企業がマトモなことを言ってるだけなのに、ものすごく立 派に見えちゃうのは、他の多くの企業が、あまりにも腐りきってるからだろう。ハッキリ言って、吉野 家で牛丼を食べて狂牛病に感染したとしても、被害者がそれを立証することは不可能だ。たとえ ば、毎日3食、吉野家の牛丼だけを食べ続けてたってんなら話は別だけど、感染してから発病する までに長い潜伏期間がある病気だから、いつどこで食べた何に異常プリオンが含まれてたのかな んて、証明することなんて不可能なのだ。つまり、逆に言えば、いくら危険な狂牛肉でも、吉野家、 すかいらーく、ガスト、デニーズ、ロイヤルホストって感じで、たくさんの店舗でいっせいに販売を始 めれば、責任の所存なんて特定できなくなるってワケだ。
    14. だから、「すき家」にしたって、悪徳企業に右へならえで狂牛丼を販売したって、仮に感染者を出し ても、責任を追及されることはないだろう。それでも、食品を扱う企業の倫理である「安全な食品を 消費者に提供する」って言う最低限のモラルを守り、大儲けができるアメリカの狂牛肉をあえて「使 用しない」って断言した株式会社ゼンショーこそ、この腐りきったコイズミ茶番劇場の中での、マレ に見る「良心」なんじゃないだろうか。
  1. マクドナルドのポテトも駄目なのか・・。

http://asyura2.com/0510/dispute22/msg/438.html

  1. 家畜化は、本当に奈落か?
  2. 盆栽の自由、自由の盆栽。《ヒトの群れ》の中にあっては虚構である「自由」をプライベートな空間の中に、そのミニチュアを作成して、楽しむこと。
  3. プライベートな空間とパブリックな空間。プライベートな空間を確保すること、プライベートな空間への権力の侵入を防止すること、プライバシー。
  4. プライベートな空間と、プライベートな精神空間。空によるプライベートな精神空間の確保。

http://asyura2.com/0510/dispute22/msg/438.html

  1. 文豪や思想家がその時代の精神を作ったのではない。
  2. 彼らは、(既にあった)その時代の精神をコトバとして表現したのだ。
  3. 「その時代の精神をコトバで表現すること」に、《ヒトの群れ》の中での価値がある。たぶん、種族維持的価値がある。
  4. 「その時代の精神をコトバで表現すること」によって、「その時代のxx的精神」が《ヒトの群れのコトバ》として流通するようになる。

http://tanakanews.com/f1213Iraq.htm

    1. 米軍の大半が撤退すると、アメリカはイラクでの戦争を終えるのかというと、そうではない。撤退するのは地上軍である。米軍は、地上軍を撤退させた後、主要な戦法を戦闘機による空爆に切り替え、ゲリラと戦い続けるのではないかと予測されている。(関連記事)
    2. 戦争が泥沼化して米国内で反戦気運が高まったことを受けて、地上軍を撤退させ、主力を空軍による空爆にするという転換は、アメリカが1970年代にベトナム戦争のときに行ったのと同じものである。ベトナム戦争時には、南ベトナム軍がゲリラの村に攻撃を仕掛けるのを、米空軍が空から援護し、ゲリラが潜んでいそうな村や森を空爆したり、焼き払うという作戦を行った。その作戦は、無実のベトナム人を多く殺す結果となり、アメリカにとって今も消えない大きな汚点となった。(関連記事)
    3. イラク戦争では、新生イラク軍が地上からゲリラを攻撃し、それを米空軍が空から援護する、というかたちになる。爆撃機は、操縦士が自分で標的を定めて爆弾を落とすのではない。地上にいる司令官が、司令部に「ここを攻撃してくれ」と連絡し、標的が定められる。もしくは、地上軍がレーザービームなどで標的を指し示す。新生イラク軍の司令官が標的を決定し、米空軍に空爆させる形となる。
    4. だが、この作戦はうまく行きそうもない。新生イラク軍の内部は、シーア派民兵出身者、スンニ派民兵出身者、クルド人民兵出身者に分裂している。特にシーア派とスンニ派の間では、相手方の民兵勢力の居場所を標的に定めて空爆させるという、米空軍を使った内戦をやりかねない。イラク軍の内部には、かなりの数の反米勢力が潜入していると考えられ、故意に一般市民の密集地を米軍に誤爆させ、アメリカの評判を落とす行為をやるかもしれない。(関連記事)
    5. こうした懸念があるため、米空軍は、イラク軍が標的設定をする空爆作戦に反対している。だが、ブッシュ政権の中枢が、空軍の反対を聞き入れるかどうかは分からない。ブッシュが地上軍の撤退後は空爆を中心にすると決めた場合、イラク戦争はますます凄惨なものになっていくだろう。
  1. 嫌な予言だ。

http://tanakanews.com/f1213Iraq.htm

    1. ブッシュの確信の背景に「神がかり」があるのかどうかは確定できないが、ブッシュがイラクでの勝利を確信 していることは、彼の言動から考えて、ほぼ間違いない。そして、ブッシュの確信は、アメリカを非常に危険な 状態に陥れている。米軍は、もうこれ以上、今の兵力数でイラクで戦い続けることができない状態になってい る。
  1. 間違ったことを確信するヒトを「バカ」というのではないか?
  2. 「バカになれ」というときの「バカ」は「間違っているかどうかは分からないが、確信をもって行動せよ」という意味。
  3. 「バカになれ」といった時に、通常は、その確信が間違っていて被害を被るのは当人だけだから、問題ない。が、《ヒトの群れ》ボス猿がこれをやると、《ヒトの群れ》全体が被害を被ることになる。ボス猿以外の《ヒトの個体》が被害を被ることになる。

2005-12-13(火)

http://asyura2.com/0510/hasan43/msg/731.html

    1. アメリカならどこの金物雑貨工具屋にもある、大工道具トップメーカーのブラック・アンド・デッカーという会社がある。ここでは全社員がほぼ同じ昇給率である。昇給格差を猛烈につけないと会社が滅ぶというなら、B&Dなどはとっくに滅びてなければならない。
    2. デルタ航空では、不況で賃金カットが必要なときは、トップマネジャーがまず自分の給与をカットする。不況になると社員をカットして経営者ばかり賃上げする「欧米型管理」は、この「欧米」企業には存在するのだろうか。
    3. 1980年代末、GMに対抗するだけの強い会社に、フォードを復帰させたのは、ピーターセン会長の貢献によるところが大きいと言われるが、彼の言葉に、「利益だけを気にして経営を行うことは、テニスをするにスコアボードだけを見てボールを見ないに匹敵する」というものがある。ピーターセンは「欧米人」ではないんだろうか。
    4. できる限り社員をその意思に反して解雇することはしないようにしよう、と考えること自体が、捨て去るべき発想だと説くのは主義・主張であるから、別にそれに反論するのは学者の仕事ではないが、そういう経営が欧米では主流であるとする根拠をば学者としては見いだしたことはないし、ましてや社員の出入りが激しいほど経営状況がよいとか、社内の賃金格差が大きいほど経営状況がよいという証拠をば学者としては知らぬ。
  1. まっとうな主張だ。
  2. 金や権力につられて、おかしな主張をする学者が多過ぎるのだ。

「もしなにか永遠的であり不動であり且つ離れて存するところのものが真に存在するとすれば・・」(『形而上学・上』p.216)

  1. さすがに慎重だね。
  2. 「神学」らしい。「神々」の存在は「永遠的であり不動であり且つ離れて存するところのもの」ということらしい。
  3. ブッダは、明確に否定したんだよね。「永遠的であり不動であり且つ離れて存するところのもの」なんて、あり得ない、って。というか、語るべきではない、って。
  4. コトバには、その真偽が、状況に依存するものと、状況に依存しないものとがある」というコトバは「永遠的であり不動であり且つ離れて存するところのもの」か?

「いつわり」「まこと」

  1. 「いつわり」は「おと」に関係があるか?「おと・ほり」になるか?
  2. 「ま・こと」。「こと」は《思いこみ》だろう。モノ重ね合わせられた《思いこみ》が、モノの状態に合致していることが「ま」であり、「ま」(合致している)「こと」(《思いこみ》)が「まこと」だろう。
  3. 「おと」は《他者のコトバ》だろう。
  4. 「おと」(劣る)「まさ」(勝る)か? 「おとる」→「おとはる」(劣ったことをあえて言う)か?
  5. 「偽とか真とかいうは、たとえば善は真であるとか悪はただちに偽であるとかいうように、自体そのものののうちに存することではなくて、ただ思想(ディアノイア)のうちにあるにすぎない」(『形而上学・上』p.224)。言ってるねーー。
  6. 「のみならず単純な概念や事物のなにであるかを示す実体概念については、その真偽は思想のうちにさえ存しない」(『形而上学・上』p.224)。

「関係」は「つらなり」だろう。

  1. 「つながり」は「つらなり」の変形か? 「蔓」と「綱」か。「繋ぐ」
  2. 「関係」は「つながり」のほうが近いか。

「能力」に相当するヤマト言葉が思い浮かばない。

  1. 「・・できる」ということではあるが・・。「xxができること」。「できること」というと、主体の属性ではなく、客体(動作対象)の属性になってしまう。「できる」というのは「許可されている」という意味にもなる。
  2. 『形而上学・上』p.183、ディナミス(能力、可能性)。ダイナミックのダイナかな? dynam までが語根なのか。ダイナマイト、ダイナモ(直流発電機?)。
  3. 《ちから》か?「・・する《ちから》」。しかひ、《ちから》は、一時的な属性だよな。質的ではなく、量的なイメージも強い。

http://www.ma.is.sci.toho-u.ac.jp/~matusima/sin-hannya.html

    1. 全てのプログラム言語に精通したプログラマがC言語を学んだ時,
    2. 5つの基本的な要素は全てNULLであることを見抜き,一切のバグから解放された.
    3. 学生達よ,ポインタがNULLにならないことはなく,またNULLがポインタでないこともない.
    4. ポインタはNULLになり,NULLはポインタなのだ.
    5. 変数,制御構造,演算子,関数もまた是の如し.
    6. 学生達よ,このように全てNULLなのだから,
    7. プログラムがひとりでに生まれることもなく,消えることもない.
    8. 読み難くなることもなければ,読み易くなることもない.
    9. 増えることもなければ,減ることもない.
    10. このようにNULLなのだから,ポインタも変数も制御構造も演算子も関数も必要なく,
    11. auto, do, extern, for, if, return, switch, struct, typedef, whileも必要ない.
    12. autoからwhileに至るまで,全ての予約語は必要ない
    13. プログラムが作られなくなることはなく,また作られるプログラムが尽きることもない.
    14. 捨てられるプログラムがなくなることもなく,また捨てられるプログラムが尽きることもない.
    15. バグもエンバグもなく,デバッグもデバッガも必要ない.
    16. 知識も必要なく,また知識を得ることも必要ない.
    17. 所詮大した言語ではないのだから.
    18. 菩提薩捶はC言語の本質を見極めたがために,
    19. 心に何の迷いもなくプログラミングできる.
    20. 迷いがないがために,どんなプログラムも恐くない.
    21. 一切のスパゲッティプログラムや非現実的なプログラムから無縁の世界
    22. 心安らかにプログラミングに勤しむ.
    23. 古今東西の優れたプログラマは,C言語の本質を理解したために,
    24. Anuttara samyak sambodhiを獲得した.
    25. 故に知る,C言語の本質は,
    26. 偉大なるプログラムであり,明快なプログラムであり, 最良のプログラムであり,他に及ぶものがないプログラムである.
    27. 一切のバグが取り除かれた,実在のプログラムである.
    28. では,C言語の本質を説こう.
    29. 即ち,そのプログラムとは
    30. main() { printf("Hello world!\n"); }
    31. 般若心経

「最後の人間」とは、主体性を失った消費を繰り返すだけの存在に落ちた人間 を意味するニーチェの言葉である http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/383.html 投稿者 TORA 日時 2005 年 12 月 13 日 13:43:55: CP1Vgnax47n1s

    1. 冷戦終結後の世界を概観してみると、この「最後の人間」に限れば、フクヤマの分析はズバリ現状を予見したものではないかと思えてくる。ここでは手近な例として、現代日本社会を取り上げて「最後の人間」が出現したさまを確認してみよう。
    2. 日本社会がいままでになく閉塞感に満ちたものとなってしまったと論じられるようになって、もうずいぶんになる。それは長引く不況が原因というよりももっと本質的なもの、言うなれば日本人そのものの性質が変わってしまったことによって生まれたものであるような気がしてしまうのは、僕だけだろうか。
    3. ・・
    4. 今日の政治はすべてが出来レースのように見えてしまった 日本人は、それゆえにそれぞれが好む小さな世界、居心地のいい空間 へとひきこもり、それぞれの無風状態の空間で場当たり的な消費に興じることで現実から目をそむけていくという、そんな傾向が強くなってきたのではないだろ うか。無力感から意図的に社会との関係を絶ち、ただ消費に明け暮れる。これこそが今日の日本社会の姿であり、またフクヤマの言うところの 「最後の人間」の姿に他ならない。
    5. また、この数年の間、日本社会はタコツボ化が進行したと言われることが多いが、このタコツボ化の進行こそ、この社会が「最後の人間」で溢れていることを証明するものであると思われる。何故なら価値を同じくするもの同士が集う空間=タコツボは、「最後の人間」にとってもっとも居心地のいい空間であるからだ。タコツボ化の進行は、「個」を必要なときだけつなぎ合わせるインターネットの存在によってさらに加速が加えられていると見るべきであろう。アクセスした先 には常に自分と価値を同じくする人のみが存在するから、より徹底した情報の消費を行うことが出来るインターネットという空間は、まさに「最後の人間」が生きる空間である。
    6. ・・
    7. 別の「歴史の終わり」の書評においては日本が西洋化するのではなく、西洋が日本化する可能性を論じている。つまりは 民主主義社会の究極の理想社会は日本の江戸時代に原型が見られるのではないだろうか。
    8. コジェーブはヘーゲルの解釈を通じて、人は人間であることをやめて動物性に戻るだろう(つまり「最後の人間」になる)と述べていたが、1959年に日本を訪れた際、この見解を訂正したという。どういうことだろうか。
    9. コジェーブによれば、日本は豊臣秀吉以降の数百年間にわたり、国の内外とも平和な状態にあったが、それはヘーゲルが想定した歴史の終わりと酷似しているという。そこでは上流階級も下層階級も互いに争うことがなく、苛酷な労働の必要もない。しかし日本人は、そのような時代にあって、(「最後の人間」がそうするように)セックスや遊戯を追い求めるようにならず、その代わりに能楽、茶道、華道など、永遠に満たされることのない、記号と形式(道)がひたすら洗練・反復されるだけの芸術を考案し、人が人間のままでいられることを証明した、というのである。つまり、たとえば茶道は、政治的・経済的な目的を何ひとつ持たないうえ、時代とともに象徴的な意味さえ失った。それでも純粋な貴族崇拝(スノビズム)という形をとった「優越願望」のはけ口となっていたのである。そこでは、さまざまな流派が競い合い、師匠と弟子の伝統があり、出来の良し悪しを判断する価値規範が存在した。コジェーブは、スポーツと同様、このような形式主義の中に、歴史が終わった後における人間的な活動の可能性を見出したのである。
    10. コジェーブは、日本が西洋化するのではなく、西洋が日本化すると述べたことがあるというが10、これはフクヤマによれば、歴史的に大きな懸案事項がほとんど終了してしまった世界では、純粋に形式的なスノビズムが「優越願望」の主要な表現となる、ということである。つまり、民主主義社会は、それ以前の貴族社会と違い、「優越願望」が地下に追いやられているのである。
    11. フクヤマは、現在のアメリカには「優越願望」の暴走という問題は見て取れず、むしろ、ロースクールやビジネススクールに通い「自分にふさわしい」ライフスタイルを維持しようと躍起になる若者の中に「最後の人間」になってしまう危険をみている。
    12. ・・
    13. テレビを見ていると次から次へと事件や事故の報道が相次いでいますが、テレビ局にとっては視聴率稼ぎのためですが、視聴者にとっては事件や事故に夢中になる事によって考える事から逃れているのだろう。そしてテレビキャスターやコメンテーターの発言が自然と自分の意見であるかのように洗脳されていってしまう。最近のテレビは異常なほど世論調査をしては洗脳の度合いを測っているようだ。つまり「最後の人間」とはテレビ局の質問に何でも「イエス」と答える主体性の無い人たちの事だ。
  1. 末法思想のような気もするけどね。
  2. 江戸時代的人間像には希望を感じるが、現代日本人はそこから、どんどん離れようとしている。
  3. 絶望的状況は今に始まったことではない。フロムが「自由からの逃走」を語り、スピノザが自らを地獄へと導く人々を嘆き、釈迦が説法を諦めようとした時、孔子が「小人養い難し」といった時から、絶望的な状況だったのだ。絶望的状況は人類の常態である。人類は、地獄へいたる道に漂う甘い香りを好むのである。
  4. ブロイラーとしての安心と、身体サイズの自由があれば、満足なのだ。仕合わせ、ってそんなモノだよ。

テレビは人間にとって地獄の機械であり、危険である」(ルイ・フェルディアン・ セリーヌ) http://www.asyura2.com/0510/hihyo2/msg/356.html 投稿者 てんさい(い) 日時 2005 年 12 月 13 日 10:00:29: KqrEdYmDwf7cM

  1. 麻薬に近いのかもしれない。
  2. 麻薬よりのたちが悪いな。麻薬は当人を廃人にするだけだが、テレビは当人を操り人形にして、《ヒトの群れ》から《ヒトの個体》を消し去ろうとする。

2005-12-12(月)

人類というサルには、ヒトになりたがるサルと、ブロイラーになりたがるサルとがある。

  1. こわいサル=ボス猿、おびえるサル=追従ザル、しなやかなサル=ハグレ猿

真澄の鏡を覗いたならば http://www.asyura2.com/0505/kanri9/msg/918.html 投稿者 日 日時 2005 年 12 月 12 日 00:08:23: IR1H95zbmUf8k

    1. (回答先: BB及び、BBマークの投稿禁止お願い致します。 投稿者 BB 日時 2005 年 12 月 10 日 23:27:54)
    2. 常人は気が狂うか目が潰れるといいます。霊界のことです。イメージの出現する世界です。ここはまだ思考することが許される現世。価値ある挑戦でした。

犬には責任能力が無い。

  1. 犬でであれば、責任を問われる心配はない。
  2. 犬として振る舞えば、責任から免れる。
  3. とはいえ、犬として振る舞えば、権利は認められず、飼い主の気分で処分される。

2005-12-11(日)

http://asyura2.com/0510/dispute22/msg/430.html

  1. この図は面白い。
保守主義..実用..個人主義
..保守リベラル..
特定達観
..右翼左翼..
全体主義..概念..社会主義
  1. 用語としては特定→執着、概念→理念だと思うが・・
保守主義..実用..個人主義
..保守リベラル..
執着達観
..右翼左翼..
全体主義..理念..社会主義
  1. 軸が違うか?
保守主義..《ヒトの個体》の利益..個人主義
..保守リベラル..
《特別者公理》《相対者公理》
..右翼左翼..
全体主義..《ヒトの群れ》の利益..社会主義

2005-12-10(土)

《見通し》主義

  1. って、どおよ?
  2. ヒトは知ることを求める動物である。ヒト《見通し》を求める動物である。
  3. んな、わけないじゃん。ヒト《見通し》の良い場所を避ける動物だ。安全な洞穴を求める動物だ。ヒトは「見ない」ことによって、「見られない」ことを期待する動物だ。
  4. まあしかし、《見通し》を求めるヒトも、いないわけではない。

世界レベルの支配層は、経済成長に伴う安定的利益を目論んでいるのではないと思います。 http://www.asyura2.com/0510/idletalk16/msg/238.html 投稿者 BBマーク 日時 2005 年 11 月 30 日 23:54:05: Nk.3rfti3Zsak

  1. 人は何故、支配することを求めるのか?
  2. 支配欲には種族維持的価値があったからだろう。ヒトがサルであった頃、サルの群で行動するために、ボス猿が必要であった。生まれて大きくなったサルをボス猿にするためには、サルにボス猿になりたいという欲求が必要であり、ボス猿になることに快を感じる仕組みが必要であった。それが支配欲であり、ボス猿欲求である。ボス猿欲求には種族維持的価値があった。
  3. ユダヤ的な奴隷主欲求は病気である。ボス猿欲求が変形して肥大化した病気である。

構造主義。

  1. カント的な主観原理を、客観的な観察対象(ローレンツの動物行動、レビ・ストロースの未開社会、フーコーの庶民の《思いこみ》の歴史)の中に見いだすこと。
  2. 観察者は科学者、没価値的な存在の認識者、超越的な認識者=科学的な仮説と検証を行うモノ、実体は《ヒトの群れ》コトバ
  3. 観察対象は《アニマ》を内在するモノ
  4. 客観的な観察対象としての主観原理。客観的なモノに内在する主観原理。
  5. マルクスのヘーゲル批判。モノとしてのヘーゲルと、モノに内在する《アニマ》としての主観的弁証法。
  6. モノとしてのブッダと、モノに内在する《アニマ》としての涅槃主義。滅苦主義。モノに内在する《アニマ》としての《見通し》
  7. 《見通し》において、科学的認識者とモノに内在する《アニマ》とは一致する。科学的認識者はモノであり、科学的認識はモノに内在する《アニマ》である。

2005-12-09(金)

当為の論理学が必要だ。

人は何故に腐ったモノを憎むのか?

  1. 人の生存に役立つモノが『善』で、人の生存を害するモノ『悪』なのだろう。
  2. 腐敗した政治は人の生存を害するか?
  3. 《ヒトの群れ》において意思決定しなければならない事項についての意思決定を『政治』というのだろう。人が『政治』に期待する《求める思いこみ》が実現されることが、「人が政治的に生存する」ことの実質だろう。
  4. 腐敗した政治家たちに癒着して利益をむさぼるモノたちにとっては、政治は腐敗していない、か?
  5. 『善・悪』というのは《ヒトの群れ》を基準にした判断。
  6. 個体の利益や、部分集団の利益は、『善・悪』の判断基準とはならない。
  7. 人は『政治』に「群れ全体を見通すこと」を求めているのだろう。特定の部分と癒着して、その部分の利益だけを代表し、全体の利益が損なわれることを、憎んでいるのだろう。
  8. 人は《ヒトの群れ》の中で生きている。『政治』が全体への見通しを欠けば、《ヒトの群れ》が害され、その《ヒトの群れ》の中で生きている《ヒトの個体》も害される。
  9. 「政治が腐敗する」とは、《ヒトの群れ》の全体が機能不全になることを意味する。《ヒトの群れの健康》が害されることを意味する。

http://asyura2.com/0510/senkyo17/msg/604.html

    1. 新聞で報道された三つのニュースを組み合わせてみれば、キックバックで裏金が作られて、領収書の要らない政治献金として政界に流れた可能性が伺われます。日歯連の一億円の献金も領収書も帳簿にも記載がなく一種の裏金として献金されましたが、政治家にとっては領収書の要らない献金は税金を払わなくていい使い勝手のいい金だ。
    2. 日本の政治家はこのような献金に弱いから、いかがわしい団体や人物からの献金を受けてしまう。外国の団体などは絶対ばれない献金だから政治家は大抵引っかかってしまう。自民党だってCIAから金をもらっていたし旧社会党もソ連共産党から金をもらっていた。アメリカの情報公開やソ連の崩壊で秘密文書がどんどん出てきているからだ。だから総研の内河氏からも裏金と言う形で政治家に渡っているのだろう。
  1. 腐りきっている。

http://asyura2.com/0510/senkyo17/msg/604.html

    1. だから公的資金を使ってまで問題の沈静化に公明党の北側大臣も必死なのですが、公明党の場合は創価学会に直接献金したほうが効果的なのだろう。創価学会の場合はお布施という事で税金も払わずにうまい事が出来るのだろう。このような状 況がなぜ許されるのかと言うと、公明党が政権に参画して税務署や警察に関与しているからであり、マスコミも創価学会の報道はされることはない。
    2. 例えば、現行法のもとで、宗教法人非課税の原則を前提とした場合においても、法人税法で一定の営利事業――それを収益事業といっておりますが、収益事業を行なっている場合には、その分についてはキチッと課税をしなくてはいかんのです。法人税としての国税を課税しなくてはいけません。 また法人税を前提といたしまして、法人の住民税、あるいは法人の事業税も納税しなきゃいかんと、考えられます。
    3. では実際の創価学会はどうなのか、収益事業に対して課税すべきであるのに、ほとんど税務調査が行われていないといわれています。学会ウオッチャー達から、課税漏れの件について大変な疑いがある、ということが指摘されておりまして、もしそうであるならば、取るべき税金を取っていないことになるわけですね。
  1. 宗教団体も、いったんは課税して、宗教活動での支出についてのみ戻せばよい。
  2. そもそも、企業でも、必要経費は控除される。宗教団体が宗教経費を支払うのは必要経費だから控除すればよい。特別扱いする必要はないのだ。

http://asyura2.com/0510/war76/msg/745.html

    1. 『ユダヤ人の伝統は「世界政府によって強制された世界平和」にゆだねられるものであり、この「伝統」は国民国家の主権を 「嫌悪すべきもの」と見なす』Jewish tradition is committed to "world peace enforced by a world goverment" and that this 'tradition' regards the sovereign nation-state as an "abomination."
    2. というシュタインバーグSteinberg によって書かれた「ユダヤ主義の基本"Basic Judaism" 」という本が紹介されています。
  1. 世界政府は必要だと思うが、民主的、人権的でなければ有害。

http://asyura2.com/0510/news2/msg/299.html

    1. 平井は先月23日に発売されたベストアルバム「歌バカ」が初動売り上げ93万枚を記録し、圧倒的な人気を見せつけてい る。
    2. 通算4回目の出場だった昨年の紅白では歌手別視聴率で第4位の45.1%をマークした。話題があって視聴率も取れる平 井をNHKが放っておくはずがない。どんな事情があったのか。
    3. 「平井に断られたんですよ。ある関係者が“発表の前日に電話をかけて出演をお願いしたが断られた”とガックリしていまし た。NHKは宇多田ヒカル、サザンオールスターズ、ケツメイシといった歌手にも断られていますが、平井からソデにされたこと がいちばんショックだったみたいです」(事情通)
    4. 平井のスケジュールをみると、年末年始はポッカリ空いている。今月20日に東京ドームで10周年記念ライブ「Ken’s Ba r」が行われるが、年越しライブやテレビ出演の予定はない。
    5. 「平井は歌唱力で勝負しているシンガーで“自分の世界観”を重視している。今年の紅白は司会が唯我独尊のみのもんただ し、お笑い芸人が女装したゴリエのようなタレントも出場する。平井にしてみれば、バラエティー色が強い“ゲテモノ紅白”に納 得できなかったのでしょう」(マスコミ関係者)
    6. 紅白は平井に見放されてしまったのだ。
  1. 問題は、NHKがゲテモノ集団になってしまったことだ。
  2. やっぱ、トップが上目づかいの勧悪懲善では、現場も誇りを失う。

「経済は貨幣経済ではなく信用経済と化しつつある。」←同意します。 http://www.asyura2.com/0510/dispute22/msg/418.html 投稿者 張良 日時 2005 年 12 月 02 日 23:20:29: YeLj0JQdWAK.A

  1. 貨幣供給量が貨幣循環に与える影響は少ない、という意味ではそうだろう。
  2. モノ→金→貨幣→信用。
  3. もともと、貨幣は長期小切手として発生したのだ。だから、小切手法では長期小切手は禁止されている。

http://www.kamiura.com/new.html

    1. (産経 12月9日 朝刊)
    2. アメリカが唱える対テロ戦 争というのは、まことに自分勝手な都合のいい言葉で、過激な民族主義や武装した山賊までテロ リストとして敵にすることが可能である。要はアメリカが望む場所に、「対テロ」を口実にして精鋭部 隊(特殊部隊)が展開できる拠点を築くことが出来る。その精鋭部隊は旅団程度の小部隊でもRM A(軍事革命)で編制された部隊だから、今の数個師団分の軍事力を発揮できる戦力となる。その ようなアメリカのテロ戦略で最も恐い思いをしているのがロシアである。

http://tanakanews.com/f1208japan.htm

    1. アメリカの多極主義者が日中関係を好転させたいのに対し、ネオコンは違う構想を練っている。12月2日、 アメリカの右派シンクタンク「アメリカン・エンタープライズ研究所」の研究者トーマス・ドネリーが「アメリカ、イギ リス、日本、インドという世界の4大国で新たな同盟を組み、中国の台頭を抑制し、中東のテロや核拡散を防 止し、世界民主主義を拡大し、それらを実現する際には軍事力を使って良いという4つの方針を共有すべ きだ」とする「4大国同盟」と題する論文を発表した。(関連記事)
    2. ドネリーは、軍事産業のロッキード社の出身で、イラク侵攻計画を1998年から主張していたネオコン団体 「新しいアメリカの世紀のためのプロジェクト」(PNAC)の中心人物でもあり、国防総省の戦略計画の策定に も参加している。(関連記事)
    3. 論文の筆者も認めているように、この論文の構想を実現することは難しく、絵に描いた餅でしかない感が強 い。しかし、私がこの論文の登場に関心を持ったのは、外務省や日本言論界の「対米従属」の信奉者にとっ ては「アメリカやイギリスなどとともに中国を包囲監視し、世界民主化の大構想に参加する」という、この論文 に描かれた日本の未来像が、日本の今後の国是としてぴったりなので、この論文と似たような言説が今後日 本のマスコミにも頻出するのではないか、と思ったからである。
    4. 実現できないのに、こうした構想が出てくるのはなぜか。私が疑ったのは、ネオコンは中東、特にイスラエル の立て直しのために、日本にカネを出させようとして、日本人が好む「中国包囲網」「日米同盟を米英同盟と 同水準まで強化」「地政学的な大国同盟」といった言葉をちりばめた論文を発表したのではないか、ということ である。時期的にも、小泉首相がおそらくブッシュ大統領からの要請を受けてパレスチナ訪問を決め「日本は 中東和平に貢献する」と宣言する直前に、この論文が発表されている。
    5. 4大国同盟に参加しても中国包囲網は実現しないので、日本は「外交的詐欺」に 遭ったような結果に陥りかねない。(関連記事)
  1. どこでもよいが、ゴイムたちは互いに戦争すべきである。漁夫の利の戦略。

http://tanakanews.com/f1208japan.htm

    1. 日本が外交的詐欺に遭いかねない理由は、日本の外交を考える外務省、学者、記者などの知識人が、自 分の頭で世界情勢を分析せず、アメリカ(欧米)の高官や学者、記者が発する言論を、絶対の真実として信じ てしまうという「知的対米従属」に長く陥っているからである。権威あるアメリカ人がどのように言っているかを 正確に把握することだけが重視される、悪しき「翻訳主義」である。
    2. 日本の専門家は、知的対米従 属から抜け出せないため、従属相手のアメリカの中枢で起きていることさえも、分析できなくなっている。
    3. 日本の知識人が知的従属を続けている限り、日本は「高貴なウソ」に満ちた世界の 裏の仕組みを理解できないので、外交的に強い国になれない。自分の頭で世界を分析できる状況にならない まま、憲法を改定して強い軍隊を持つと、いずれ外交で失敗し、60年前のように勝てない戦争を不用意に繰 り返すことになりかねない。
    4. 日本の外務省などが対米従属をとことん続けたがるのは、自分自身の頭で分析したことに対する自信が持 てない結果なのかもしれない。自信が持てない最大の理由は、かつて自分の頭で分析して世界に出て行って 戦争になり、大敗北したという歴史的な経験があるからだろう。
  1. 靖国の忠魂主義は、自分の頭では考えない主義だ。

http://tanakanews.com/f1208japan.htm

    1. ネオコンは、プラトン的な「賢者は、他 の賢者のみが見抜ける高貴なウソをついても良い」という方針を持っている。どこでも国家には秘密があり、 外交はこの秘密の部分が絡むことが多い。だから外交方針を書いた論文には、一般国民に知られたら困る ので関係者どうしのみが理解できる隠された意図が存在することが多いのだろう)(関連記事)
  1. 日本書紀のソエウタの発想・・。

http://tanakanews.com/f1208japan.htm

    1. アメリカは、自国の軍事戦略の転換を日本でも実現するため、小泉の中国脅威化戦略に協力しているのだ と思われる。同時にアメリカの軍事産業にとっては、日本の軍事拡大は、儲けを増やすことにもつながる。
  1. ふーむ、そうかぁ。まあ、そうだな。

コトバを信じるな。モノを見よ。

  1. コトバを聞いて、他人のコトバで判断するな。モノを見て、自分の目で判断せよ。
  2. すべてのコトバはウソである。正しいコトバ=真理=を求めるのはナンセンスだ。
  3. 論理が成り立つのは、特定の時の特定の場所での特定の人の特定の視点からの特定のモノに対する判断の体系においてのみである。

2005-12-08(木)

http://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/module/Study/OKK030910_probability3/

    1. いうまでもなくレヴィ・ストロースがここで適用している科学的思考と呪術的思考の区別は、カントによる規定的判断力(分析判断)と反省的判断力(総合判断)の区別に対応しています。分析判断とは、主語概念に結びつけられた述語概念がすでに主語概念に含まれていたような判断──たとえば『自動車は移動する』──であり、総合判断とは主語概念に、主語概念に含まれていないような述語概念が結びつけられた判断──たとえば『山は移動する』──でした。
    2. 分析判断が規定的だとされるのはそこでA という項目とBという項目が結びつけられたとき、その結びつき自体がそもそもAという概念に規定されていたとみなすからです。この判断はわれわれが何かの道具を機能的に判断するのと同型であり、レヴィ・ストロースはここでそれを科学的思考と呼んでいる。
    3. しかし、すでに見てきたように(徂徠も指摘していたように)現実的な経験世界において、いかなる精緻な技術を用いようと厳密な意味で規定的な判断が成立する場面というのはありえない。今風にいえば現実世界の因果性は決して線形に形成されてはおらず、つねに非線形であることを免れえない。それを排除することは不可能であるということです。渋滞のときのように、自動車に乗っていることでかえって身動きがとれなくなるということが起こる。ではなぜ渋滞は起こるのか。これはむしろ自動車の外部要因によるものではなく、自動車の存在規定それじたい(道路の上しか走れない)からくる矛盾です。つまりは現実(経験世界)において、確定的な主語概念(公理)の定立は不可能である。あらゆる規定的、合目的に見える技術も、たちまちナンセンスで非合理な存在に転化する可能性をもっているということです。
    4. 対してたとえば『風が吹けば桶屋が儲かる』というのは典型的な総合判断であり、本来確定的ではありえない因果性を示しています。通常の科学的な思考はこれこそナンセンスなものだとして相手にしないでしょう。あるいは道を歩いていた人の顔にたまたま空を飛ぶカラスの糞が直撃し、その人は失明したとする。しかし、これを単なる偶然として片づけず、『人間の干渉しうる領域として扱う』のが、呪術的思考だというわけです。この指摘は重要です。つまり荻生徂徠の洞察通り、人間の技術はその本質において倫理的規範ーー行動の規範と結びつかざるをえない。すなわちいかなる偶発的に見える出来事であれ(それが理解不能であっても)、必然として扱わなければならない。
    5. たとえば交通事故は、保険屋がいかに「所詮、確率の問題ですよ」と弁じようと、必ず、出会った本人に、何がしかの責任(要因)があったと考えなければならない。逆にそう考えることによって、はじめて、未来に起こりうるだろう同様の事故も、回避できない偶然ではなく、必らず回避しうる、操作可能なものへと転化しうる。これはカラスの糞でも桶屋の儲けでも同じことです。いかなる偶然(地震や隕石の落下)であれ、必然と受け入れることによってこそ、未来で起こりうる同様な事象の操作可能性──すなわち自由──が権利として(それが希望としてでも)獲得されうるということです。災いは必ず克服されうる。こうやって宿命は自由意志の手に戻される。
    6. したがって前出の『法則の普遍性を特殊な事象に結びつけることこそが人間の干渉しうる技術のありかた』はカントの反省的判断(総合判断)に従って次のように、より正確に言いかえることができます。
    7.  特殊な事象を普遍的な事象として扱わなければならない。
    8.  そしてこれこそは
    9.  汝の行為の格律が、汝の意志によって、あたかも普遍的自然法則となるかのように行為せよ
    10. というカント倫理学(『実践理性批判』)の根本法則とも見事に対応していたところの根本原理でした。
  1. 「いかなる偶発的に見える出来事であれ(それが理解不能であっても)、必然として扱わなければならない」というのが呪術的思考?
  2. 「いかなる偶然(地震や隕石の落下)であれ、必然と受け入れることによってこそ、未来で起こりうる同様な事象の操作可能性──すなわち自由──が権利として(それが希望としてでも)獲得されうる」
  3. 「すべての存在するモノは合理的である」というヘーゲルのコトバは呪術的思考だったのか。

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31362389

    1. 道徳形而上学の基礎づけ / I.カント/著 宇都宮芳明/訳・注解
    2. 目次
    3. 第1章 通常の道徳的理性認識から哲学的な道徳的理性認識への移行
    4. 第2章 通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移行(
      1. 道徳性の最上の原理としての意志の自律
      2. 道徳性のあらゆる不純な原理の源泉としての意志の他律
      3. 他律という根本概念の採用から生ずる道徳性のあらゆる可能な原理の分類)
    5. 第3章 道徳形而上学から純粋実践理性批判への移行(
      1. 自由の概念が意志の自律を解明するための鍵である
      2. 自由はあらゆる理性的存在者の意志の特性として前提されなければならない
      3. 道徳性の諸理念に伴う関心について
      4. 定言命法はいかにして可能であるか
      5. あらゆる実践哲学の究極の限界について)
  1. 自律主義はカントのドグマだったのか。

http://www.oita-med.ac.jp/campus/kenkyu/rinri/

    1. わが内なる道徳法則(das moralische Gesetz in mir)
  1. 内在的道徳法則はあるのか?
  2. 初めに「善なるモノ」のイメージがあって、そのイメージに沿って「善なるモノ」を集め、体系化し、具体化していく。
  3. しかし、その最初の「善なるモノ」は社会によって異なったモノとして存在し、人は、生まれた社会からそれを「アプリオリ」なモノとして受け入れただけの話。
  4. 滅苦主義は内在的道徳法則か?
  5. 贈与論は内在的道徳法則か?

http://www.oita-med.ac.jp/campus/kenkyu/rinri/

    1. カントは「覚書」のなかで、学者としての自分は何も知らない民衆を軽蔑していたが、ルソーによって、人間を尊敬することの大切さを学んだことを告白しています。

http://soro.no-blog.jp/no_blogno_life/2005/05/post_b245.html

    1. 「茶色の朝」は、主人公の「俺」とその友達のシャルリーが、何の問題意識もなく日常生活を送るうちに、すべてが「茶色」だけになり、それ以外の色のものが消し去られ、「茶色」一色の、恐ろしい社会が作り出されていくという物語です。 
  1. 茶色の朝は止められない。主人公が何をすれば茶色の朝を止められたというのか?

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/319.html

    1. 人類の退屈
    2. 戦国時代という死闘を終焉させた徳川幕藩体制で、人間の退屈を救ったのが祭りと歌舞伎であると言われております。農村でも祭りがなければやってはいけません、民は日常の退屈さに沈没し、労働意欲が保持できたのは、祭りの興奮と楽しみがあったからであると思います。その頃の娯楽も自給自足であったと思います。
    3. その頃のヨーロッパ、王権と貴族の楽しみは戦争であったと思います。退屈しのぎのために、王権による殺人権を展開したのがヨーロッパでの戦争であったと思います。またヨーロッパの王権と貴族は伝統的に演劇が好きで、パトロンとなって保護してきたのは、退屈しのぎのために有効な装置であったからであると思います。
  1. 退屈、遊び、ホモルーデンス。

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/319.html

    1. BBさんから「それは一側面である」と批評されたのは納得です。
    2. 立体の箱は六面体で構成されておりますから、おそらく現象も六面があることを
    3. BBさんの文章から学習しました。
    4. 人間と共同体社会の現象を分析する場合、正面、右側面、左側面、裏面、下面、上面、この
    5. 六方向からの思考照射が必要であることを学習しました。
  1. 譬えがいいね。

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/319.html

    1. 中東の砂漠から発生したユダヤ教、そのユダヤ教の旧約聖書から発生したキリスト教とイスラム教はもろ共同体生存のための<猿と人類>群れ存続のための掟であると妄想しています。砂漠でいかに、共同体が生存するかをめぐる教典ですから、強靭です。
    2. どうも自分は王権と共同体を捨て、人間修行に出たブッタに、個人と単独を感じ、「人を殺してはならない」教育を感じてしまいます。
  1. 神道は共同体の宗教なのだが・・

2005-12-07(水)

社員調査:仕事に無気力…20〜30代の75% (毎日新聞) http://www.asyura2.com/0510/social2/msg/372.html 投稿者 彗星 日時 2005 年 12 月 06 日 06:04:14: HZN1pv7x5vK0M

    1. 上場企業の20〜30代の正社員の4分の3が「現在の仕事に無気力を感じている」
    2. 仕事に社会的な意義を感じていない若手社員は3割以上、
    3. 転職希望者も4割以上
    4. やりがいを感じる仕事については「報酬が高い」ことが29.0%でトップ。お金以外では、「仕事自体の面白さや刺激」(44.5%)、「同僚や後輩から信頼されたり感謝されること」(35.0%)を重視している。
  1. 報酬が高い、というのは学校での成績が良いというのと同じ価値観。ボス猿からの評価が高いことが、やりがいに繋がる。
  2. 262の法則で、上の2割のみがやる気があって、8割はやる気を失う、という社会。
    1. 新会社法 107条2項3号 当該株式について、当該株式会社が一定の事由が生じたことを条件としてこれを取得することができること(を定款でさだめることができる)(ト)イの株式を取得するのと引換に・・株式等意外の財産を交付する時は、当該財産の内容及び数もしくは額又はこれらの算定方法。
  1. をい。「喧嘩したら、1円で買い取る」という規定も可能じゃん。どうなっているんじゃ?

買取価格の決定の規定が沢山あるのはどういうわけだ?。117、144、157、172、177、470。

たぶん、英米法系では、慣習と合意によって、どんどん変化していくのだろう。変化しても、妥当な線を討論によって定めていくのだろう。

  1. しかし、日本では、あらかじめ定められた枠の中で行動しようとする。討論によって妥当な線を見つけるのではなく、枠の解釈で妥当な線を見つけようとする。
  2. 今回の会社法は、思いっきり、複雑になっている。英米法系の合意に基づく、多様な形態を、全部含めたような法律になっている。英米法では、これからもドン鈍からるだろうし、現在の形態が不都合ならどんどん修正されるだろう。しかし、日本の法律として、固定された形で制定されると、中途半端な現状が固定されることになる。変化して騎虎とを予定した現状の一瞬が、固定された規範として解釈の対象になっていく。

http://www.kamiura.com/new.html

    1. (産経 12月7日 朝刊)
    2. 20歳の頃には、法律の勉強をした経験がある。しかし大学の法学部で 学ぶ系統的な法律の勉強ではなかった。古本屋に並んでいた有斐閣(出版社)から出てい た「ジュリストの判例100選」を、週刊誌の事件ものを読む気分で読んだ。例えば「刑法の 判例100選」なら、最初に具体的な事件のあらましが書いてあり、つぎに刑法ではどのよう に裁かれるかという経緯と法的な解釈が説明してある。
    3. これが実に面白い。判例100選の憲法、商法、民法など、100冊以上は読んだ記録が ある。なにも司法試験を受けるような気ではなかった。ただ法律を通して、世の中の仕組 みを知りたかっただけの気持ちだった。本当に判例100選は、取り上げた事件がリアリ ティーがあるので、そこらの週刊誌と比べても負けないほどである。これで3年間ぐらいは 夢中になった。
    4. 私は大学には行っていないが、判例100選で得た法律知識と、国会図書館で読んだ詐 欺事件のスクラップ記事は、ジャーナリストになるための助走になったと思う。それから報 道カメラマンや軍事ジャーナリストの取材生活が始まった。
    5. これから軍事の専門家を目指す人は、朝から晩まで軍事の関係する本ばかり読んでい ないで、歴史や文化や科学に関する分野も視野を広げて欲しい。無論、法律や事件など も、最低限の知識として必要になる。
    6. 私は若い頃に読んだ判例100選で、「共同正犯」という言葉を知った時の感動は忘れら れない。知識を広めることの楽しさを知った。
    7. 知識と経験こそが、偽情報を見抜く力になると今でも信じている。決断力はそこから生ま れると思う。
  1. 判例百選は絶対お勧め。各事件の「事実の概要」だけでも最低限読め。

http://www.kamiura.com/new.html

    1. (産経 12月7日 朝刊)
    2. 2次情報には偽情報が多いのも大きな特徴である。今回のイラク派遣で言 えば、イラクから陸自は撤退させるが、空自はイラクに残すというような情報である。その 偽情報の特徴は、出てくる場所が1カ所(限定的)で、その他の関連情報が極端に少ない ないことである。

http://tanakanews.com/f1206oil.htm

    1. ロックフェラーやロスチャイルドといった大財閥は、もともと世界の石油利権を獲得することで大きくなった歴 史があり、彼らにとっては、ネオコンが勝手に「サウジを潰す代わりにリビアの石油を開発する」「イラクを3分 割し、親イスラエルのクルド人国家を作り、キルクークの大油田からイスラエルに送油する」といったシナリオ を描くことは、許すことのできない行為だろう。
    2. しかし大財閥が反撃しようにも、ブッシュ政権は911というクーデター的な出来事によって、ネオコンに牛耳 られている。そのため大財閥は、世界を「多極化」することで、ネオコンの謀略を潰そうとしているのではない かと思われる。
  1. 阿修羅では通説。

http://tanakanews.com/f1206oil.htm

    1. ロシアでは911直後まで、大手石油会社「ユコス」を所有するホドルコフスキーら、ユダヤ系中心でイスラエ ルと親しい新興諸財閥「オリガルヒ」が、石油利権を支配していた。彼らは、エリツィン前政権を牛耳っていた が、2000年から大統領になったプーチンは、オリガルヒを1人ずつ潰し、石油利権を再国有化していった。
    2. この過程では、アメリカのキッシンジャー元国務長官や、イギリスのジェイコブ・ロスチャイルド卿といった、 前回の記事の末尾で私が「黒幕ではないか」と考えた人々が、最初はオリガルヒを支援していた。ところが彼 らは、ホドルコフスキーがプーチンと最終戦争状態になったところで、ホドルコフスキーに対する支援を突然に 打ち切ってはしごを外し、プーチンを勝たせてしまった。(関連記事)
  1. ゴイムの権力には逆らうな、取り入って、背後から操れ。という原則通りの行動様式
    1. 1999年。自己株式による
      1. 企業買収や
      2. 持株会社設立を可能とする
      3. 株式交換・
      4. 株式移転制度
    2. 2000年。自己株式の割り当てによる
      1. 事業の分割・
      2. 買収を可能とする
      3. 会社分割制度。
    3. 2001年。金庫株(目的を限定しない自己株式の取得・保有)の解禁。
  1. 企業買収、企業転がしのための法制度。
  2. 企業の商品化。
  3. 万物は商品である、という商品原理主義。
    1. ネット関連企業では、一株1億円といった事例も現れた。
    2. 株式の分割が望ましいが、純資産額規制(5万円)があるので、出来なかった、ので
    3. 純資産額規制を廃止した。
    4. 株主総会の決議が無くても授権株式総数の引き上げを可能にした。
  1. しかし・・。何のために純資産額規制が必要だったのかも思い出せよ。
  2. また、資産は無いが配当が100万円ということはあり得るとしても、配当可能利益で資産を増やせば、分割も可能になるじゃん。
  3. 資産がないが配当が巨大だということは、経営者が「やめた」と言えば、資産評価額に戻る=紙屑になる=ということ。
  4. 規制緩和は詐欺の解禁に繋がる。
  5. 規制緩和は、力あるモノ情報と利益を独占し、力のないものは救われない詐欺の被害者となることを意味する。
  6. 規制の代わりに公開型の制度に移行させる、と見せかけて、公開型規制はすぐに骨抜きにされ、詐欺解禁型的の規制緩和だけが残る。
  7. 制度には良い面と悪い面とがある。日本の論者は、批判する制度の悪い面だけを指摘し、求める制度の良い面だけを指摘する。不公平・不誠実な論評態度。官僚は、良い面、悪い面を分かったうえで、(隠された意図)目的に応じて、どちらかだけを指摘する。学者は、官僚の掌の上で踊るだけ。

2005-12-06(火)

乙巳の変(645)の実年代は天智08=669=己巳[06]ではないのか?

  1. 天智08=669=己巳[06]
    1. 蘇我赤兄が筑紫へ。
    2. 山科で狩り。
    3. 鎌足宅に落雷〜死ぬ。
    4. 大蔵に火災。斑鳩寺で火災。
    5. 新羅人が近江の蒲生へ移住。
    6. 郭務宗、2000人。
  2. 24年ずれか・・。

12/03 08:48 通信記録を最低6カ月保存 テロ対策でEU 共同 http://www.asyura2.com/0505/it08/msg/521.html 投稿者 倉田佳典 日時 2005 年 12 月 05 日 17:43:15: eahs5MlcSyO0.

    1.  【ブリュッセル3日共同】欧州連合(EU)の司法内相理事会は二日、テロ対策の柱の一つとして検討していた通話や電子メールのデータ保存について、通信会社に六カ月から最長で二年間の保存を義務付けることを決めた。保存期間は加盟国の裁量に任される。欧州議会で承認されれば来年から実施される。
    2.  保存されるデータは、発信者や受信者、電話番号、発信場所、日時などで、内容は除外される。主にテロや麻薬密売などの捜査に利用される。
    3.  しかし、アイルランドやイタリアは現行でも二年以上のデータ保存を義務付けており、期間短縮につながる今回の決定には採決で反対、欧州司法裁判所に無効を求め提訴する構えを見せている。
  1. ホンネは権力による監視社会の実現。権力による情報独占。「テロ対策」とは便利な用語だ。権力にとっては「テロ」様様だろう。「テロ」は権力の利益のためにある。
  2. 民衆は恐怖の前ではブロイラーになることを自ら望む。民衆は恐怖の前では人権を自ら放棄する。

http://asyura2.com/0510/news2/msg/281.html

    1. 世界保健機関(WHO)は93年、「国際疾病分類」から同性愛の項目を削除。治療対象となる「障害」ではないとしており、日本も同様の基準を採用している。
  1. 「障害」とは何か?「治療」とはなにか?「犯罪」とはなにか?「個性」とはなにか?「規範」とは何か? 「規範に反するかどうか」ということ「治療可能かどうか」ということ。
  2. 「窃盗犯」は「治療」可能か? 一般予防と特別予防。
  3. 人権と法益侵害。

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/298.html

    1. もし彼が、「この世がパーフェクトな存在である神の創造世界である事を発見した」とするなら、すべては変えようとしなくても、現状のままでパーフェクトな神の創造世界の状態であるはずです。
  1. 賢いね。

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/296.html

    1. 社会共同体というのは、生きる為には、人にとっては善にも悪にもなり得るものであります。それを、社会共同体を存続させることが“善”だと前提させて、その存続の為に人を殺すことは“悪”だというのであれば、それは、一側面のみを取り上げたものだと思っております。
  1. ふむ、個人を主体に考えれば、共同体のほうが悪だということにもなる。
  2. しかし、善か悪かという問題ではないだろう。

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/296.html

    1. 社会共同体に適応することで抑圧された“何か”を生きさせようとすることで、それを擬似的に体験して、欲求を満たそうとしているのだと思います。
    2. そこをうまく刺激して、その抑圧を増したりさせながら、色々な洗脳の道具にも利用されているのでしょう。ただし、それは自己の“何か”に対する「執着」にも問題の一端はあるでしょうし、生きる人間とはそうした執着システムを持った生き物だとも思っております。
    3. また、思考は止まることができず、退屈から逃げるために、常に新しい思考対象を求めて慌しく動き回っており、それは無(死)から逃げていると言ってもいいのかもしれません。そしてTVや映画や小説などで新たな情報等を探して彷徨い続けます。
    4. しかし実は、本当に幸せ(満足)だと感じる瞬間は、その内容に完全にのめり込み、思考が殆ど無く、放心状態になった時だと気づきます。
    5. それは無(死)から逃げながら、無(死)を追い求めているという滑稽さにも気づきます。
  1. いい線。

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/296.html

  1. 存在としての不合理な殺人はある。
  2. 人は狭い《思いこみの世界》の中で生きている。

http://www.asyura2.com/0505/bd40/msg/365.html

    1. 「近代の勤労者」は、祭りや祝い事の代わりに、お金で買う娯楽に生きる糧を求めるようになったようです。
  1. 宗教の商品化、精神の商品化、政治の商品化、共同体の商品化。人間の商品化。
  2. 世界」の商品化、《知りつつあるモノ》の商品化、《息しつつあるモノ》の商品化。《混濁》の商品化。《知られつつある世界》の商品化。

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/267.html

「すべての生き物は、生きつづけることを望んでいる」か?

  1. 望んでいるだろう。しかし、自然に逆らってまで生きつづけることは、望んでいないだろう。
  2. 自然が彼を生かすことを望んでいる状況では、彼は生きることを望み、自然が彼を行かすことを望まない状況では、彼もまた生きることを断念する。
  3. 自然のモノたちは、自然が彼に何を望んでいるかを知っている。ヒトは、自然が彼に望むことを知らない。
  4. 自然のモノたちは、ヒトが知るような方法で自然を知るわけではない。自然のモノたちは、ヒトが知るような方法では、(ヒトが自然を知らないのと同様に)、彼らもまた自然の望みを知らない。

アリたちにとってはアリの巣こそが人工物であって、人類の建物は自然の動物が作った自然の営みに見える。

2005-12-05(月)

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/289.html

    1. 王は同じ種を殺すことはあるが、王に支配され属性として生存している者に殺す権利はありません。
    2. 王の権力に依存する共同体の属性が、共同体を構成する同種を殺せば、一族が崩壊し、群れが維持できなくなります。
    3. 「人が人を殺す」ということは、暴力装置としての権力という命題になってくると思います。
  1. 動物は、過密状態になると、殺し合い(というか、相手が消滅するまで攻撃しつづける)を行うようになる。
  2. すべてのイキモノは、過密状態において、殺し合いを始める。
  3. 人類は、過密状態において生きるように出来ているが、本能的には、過密状態における殺し合いの本能を残している。《ヒトの群れ》に秩序が無い状態では、《ヒトの個体》状況は単なる過密状態であり、殺し合いを始める。
  4. 秩序維持のための制裁としての殺人。
  5. 無秩序から秩序を形成するための殺し合い、権力闘争。
  6. 《ヒトの個体》が有する殺人の権利の《ヒトの群れ》への譲渡。『権力』=『《ヒトの群れ》を代表する個体』への譲渡。
  7. 『権力』=『《ヒトの群れ》を代表する個体』に『人を殺す権利』があるか?
  8. 『人を殺す権利』の『権利』というのは、『《ヒトの群れ》において保護されるべき《ヒトの個体》の利益』。《ヒトの群れ》当為の問題。『ユートピア』の問題。

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/289.html

    1. 暴力」と「セックス」は、書くものを興奮させ、読むものを興奮させるからであると思います。
  1. 抑圧されたタブーであるから、興奮するのだろう。
  2. 過密状態における暴力への欲求は、《ヒトの群れ》の論理によって抑圧される。

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/289.html

    1. ゲーム資本主義は「殺人の方法」を謳歌しております。
    2. 家庭におきましてはすでに、「人を殺してはならない」という倫理教育が崩壊しております。
    3. ゆえに家庭で殺人事件が起動します。
    4. そしてその殺人事件をテレビは視聴者の興奮と好奇心を満足させるために、ワイドショーで劇場展開していきます。
    5. 「ショーほど素敵な商売はない」となります。
  1. 場合によっては、ドラマの主人公になりたいと思う?

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/289.html

    1. 日本でも、テレビでは「殺人事件」のドラマばかりです。
    2. 思考と感覚を奪い、時間を奪い、映像の奴隷にするのですが、ひとときの放心した奴隷の快楽を視聴者に与えます。テレビは家庭に普及して以来、視聴者を商品の奴隷としてコントロールしてきました。
  1. たけ(tk)は、何故、テレビが嫌いなのだろうか?
  2. テレビが人々を操っている様子、人々がテレビに操られている様子、を見るのが不快なのだ。人々の情けない姿を連想させるから、テレビが嫌いなのだ。

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/289.html

    1. 人が人を殺すことをどう考えるか
    2. 人間という存在は類的存在だと思います。社会と共同体なしにはありえない存在で、労働が社会的物流に属しております。
    3. 貨幣なしには生存できない環境に属しております。
    4. 人が人を殺すことは、社会的な線と共同体の線を、自ら切断することであり、類的存在しての人間を否定してしまうことであり、個人が人間社会で生存していくためには、人を殺さない方が、おのれの生存確率が高くなります。
    5. 共同体社会で生き抜くためには、おのれの生存のためにこそ、人を殺さないことは、個人が生存をするための第1条件になると思います。

2005-12-04(日)

http://asyura2.com/0510/senkyo17/msg/417.html

    1. いたずらに返答を遅らせる日本に痺れを切らした米国は、「なんだ、まだ断っていないのか」と日本を恫喝し、これにあわてた日本は、こともあろうに天皇陛下がマレーシアを訪問しマレーシアの国王から直々に協力要請を受けたその翌日に、反対の意思をマレーシアに伝え、天皇陛下の面目を平気でつぶす始末だ。おりから訪れるベーカー国務長官(当時)に「断っておきました」と応えなければならないからだ。天皇陛下よりもベーカー国務長官の方が大切なのだ。天皇陛下の上にマッカーサー司令官が君臨した構図は戦後60年経っても変らない。

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/275.html

    1. 「がむしゃらに働く事では希望が見えてこない」
    2. 「がむしゃらに働く事が(投資家などに対して)敗北者になって行く」
    3. 一生懸命働けば「食うだけは食える」かもしれませんが、近くに「汗水垂らして働きもしないで悠々と食っている奴がいたら」確実に労働意欲は減少しますね。

http://asyura2.com/0510/idletalk16/msg/274.html

    1. 「親は働く(初代は貧乏から抜け出そうと懸命に働き豊かになる)、
    2. 子は楽をする(2代目は、1代目の遺した財産で幸福に暮らす)、
    3. 孫は河原で乞食する(贅沢な暮らししか知らずに財産を食い潰した三代目は、初代の頃よりもっと貧乏になる)」
  1. これも3世代循環論だな。ん?、4世代循環論だな。3代目には救いがないが、4台目には1代目と同様に頑張る可能性がある。あ、だから3世代循環論だ。

まあしかし、今までの自民党政治が腐っていた/固形化していたことは確かだろう。

  1. 腐敗した政治と、恐怖に基づく政治とでは、どちらがましか?
  2. 腐敗した政治と、売国者独裁とではどちらがましか?

http://learning.xrea.jp/%A5&#1125;%E9%A5Υ%A4%A5%A2.html

    1. (ドイツ) Paranoia パラノイア †
    2. 妄想が内的原因から発生し、体系的に発展する病気。その他の思考・行動には異常がみられず、人格の荒廃もきたさないのが特徴。四〇歳以上の男性に多い。以前は偏執病とも呼ばれた。妄想症。
    3. 精神病の一型。偏執的になり妄想がみられるが、その論理は一貫しており、行動・思考などの秩序が保たれているもの。妄想の内容には、血統・発明・宗教・嫉妬(しつと)・恋愛・心気などが含まれ、持続する。偏執病。妄想症。

http://www2.cc22.ne.jp/~hiroki/a66.htm

    1. 妄想というのは、現実にはないことを実際に起こっていると思い込み、たとえ周囲から「そんなことはない」と否定されても訂正できない考えのことです。「思考の内容の障害」です。
    2. 妄想には、誰も何も言っていないのに「陥れられる」「悪口を言われる」などと信じて疑わない被害妄想、「自分は何でもできる」「世界的な権威を持っている」などの誇大妄想、何もしていないのに「罪を犯した。犯罪者だ」と確信している罪業妄想、実際にそんなことはないのに夫や妻が浮気をしていると思い込んでいる「嫉妬妄想」などさまざまなものがあります。
    3. パラノイアの妄想は、現実的な内容であり、本人の話を聞いていると、別に理論的に飛躍はなく、しかもある特別な妄想があることを除いては常人と変わらず、日常生活や社会生活は通常にできていることが多いと思われます。
    4. パラノイアは「妄想型の精神分裂病」との区別が問題になります。現実的な妄想かどうか、その発展性と強固さがどうか、「ある特定の妄想」以外のさまざまな症状、つまり思考のまとまりのなさや意欲の低下や感情の鈍さなどがあるか、日常生活能力が保たれているかどうかといった面から区別しますが、鑑別困難なこともあります。
    5. 治療に対する反応は良くなく、かなり長期間にわたり妄想が持続し発展していくことが多いと思われます。時として自分の主張が認められないと訴えを起こしたりします。
    6. なお、病気と言える範囲に至らないが、通常より疑い深く被害的に物事を考えやすい性格傾向を「妄想型人格障害」と呼びます。
  1. 『現実』を信じている通常人こそパラノイアじゃん。「妄想というのは、現実にはないことを実際に起こっていると思い込み、たとえ周囲から「そんなことはない」と否定されても訂正できない考えのことです。「思考の内容の障害」です。」

ジョウキュウタコバ

  1. テレビの騒音は堪えられない。

2005-12-03(土)

結局のところ、デカルトの「近代的自我」は当為概念であった、ということ。

http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/journal/ron/r7-2-4/r7-2-4d.html

    1. 具体的かつ限定的な間柄に対して、和辻のいう「絶対的全体性」は、限定のない「関係=共同」性の理想態を指す。「いかなる結合にもしろ、
      1. 人々が結合を求めるのは、絶対的全体性が人間の本来の可能性だからなのである
    2. 」と和辻はいう(和辻 1937:318)。彼は
      1. 人間存在が絶対的全体性を否定し、個や有限の間柄に分離し、統合する
    3. 過程を議論する。その過程において、
      1. 「絶対的全体性」への回帰が否定運動のエネルギーとなり、絶え間なく動き続ける
    4. ことが主張されるのである。和辻のいう
      1. 「本に来る」とは、「関係=共同」性の理想態である「絶対的全体性」への回帰を意味する。
    5. それは単に、実体としての伝統や歴史への回顧を指しているわけではない。
    6. この
      1. 絶対的全体性には「差別」がない
    7. とされる。和辻のいう
      1. 「差別」がないとは、主客の分離がないことを意味する。すなわち「空」である。
      2. この「空」が否定し、主客の分離を生み、主客の分離が否定されて間柄を産出し、間柄が否定の運動を繰り返す。
      3. 「空」を目指して否定が繰り返されるところに、和辻は人間存在および人間倫理の根底を見た。
    8. 和辻はいう。「
      1. 個人も全体もその真相に於ては『空』であり、そうしてその
      2. 空が絶対的全体性なのである。この根源からして、即ち
      3. 空が空ずるが故に、否定の運動として人間存在が展開する。
      4. 否定の否定は絶対的全体性の自己還帰的な実現運動であり、そうしてそれがまさに人倫なのである。だから
      5. 人倫の根本原理は、個人(即ち全体性の否定)を通じて更にその全体性が実現せられること(即ち否定の否定)に他ならない。それが畢竟本来的な絶対的全体性の自己実現の運動なのである
    9. 」というのが、和辻理論の人間存在に対する帰結となる(和辻 1937:27)。
  1. 意味が分からん。
  2. 史的弁証法みたいなモノか?
  3. 《宇宙史》の自己否定作用による自己展開、としての時間

http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/journal/ron/r7-2-4/r7-2-4d.html

    1. モノは「私」と対峙する客体的な性格を持ちながら、同時に「私」の身体として、「私」とともにある。それは衣服を連想すれば的確かもしれない。「衣服がいったんじぶんの《第二の皮膚》となると、〈わたし〉の表面はこの衣服の表面に移行します。だから、服のなかというのは〈わたし〉の外部であるにもかかわらず、他人にそこに手を入れられるとぞっとするのです。人前で服を脱ぐということが、余分な覆いを外すことではなく、皮膚をめくるような、じぶんの存在を削り取るような、はげしい感情の動揺をともなう行為になってしまうのです」
    2. 空間は、「主体的なひろがり」として存在する
    3. 「かかる空間は自我が己れの外に何物かを見出すことに始まるのであるが、然しそのような自我は人間存在から抜き出ることに於てのみ自我となるのであって、決して根源的な存在ではない。自我の明証よりも汝の明証が先であり、汝を通じてのみ我が見出されてくる。しかもこの汝は、我の外にあって我に対立するものでありつつ、同時にまた我なのである。汝も亦我であり我も亦汝であることなしには我汝関係はなり立たない。かかる対立的統一としての主体的存在こそ、『我が物を外に見出す』という立場よりも一層根源的なのである。従って空間は主体的な人間存在の場面に於て見出されてくるのであって、逆に人間存在が空間に於て構成されるのではない。この点より云えば主体的なひろがりは根源的空間なのである」と、和辻はいう。
  1. 《拡大身体》論。
  2. ブッダの「一切」《私》の属性である。
  3. なんだいな。《近傍物理空間》ではないか。たけ(tk)は、和辻をトレースしていたのか?
  4. しかしだ、デカルトは、「否定」からはじめて、「自我」を発見しているのだ。デカルトの当為の結果が「自我」なのだ。「近代的自我の抽象性」というコトバは、「自我」を存在として捉えたエピゴーネンたちの錯覚を批判しているに過ぎない。

http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/journal/ron/r7-2-4/r7-2-4d.html

    1. 和辻はいう。「一方に於て行為する『個人』の立場は何らかの人間の全体性の否定としてのみ成立する。否定の意味を有しない個人、即ち本質的に独立自存の個人は仮構物に過ぎない。然るに他方に於ては、人間の全体性はいづれも個別性の否定に於て成立する。個人を否定的に含むのでない全体者も亦仮構物に過ぎない。この二つの否定が人間の二重性を構成する」というのが、和辻の「構造=運動」の理論において、その動性が基盤におく否定の運動である(和辻 1937:26)。個は否定において間柄へと変動し、間柄は否定において個へと変動する。
    2. 仮に和辻の間柄論において、間柄が否定されることで個が再構築されたとしても、それは自由かつ責任ある主体としての個を意味しない。確立した個は否定され、間柄に統一し、その否定を通して新たな個が確立していくからである。間柄の否定において個が成立し、個の否定において間柄が成立するという否定の「構造=運動」論は、運動に超越する自我の成立を導くものではない。それゆえに、主体としてのアイデンティティの危機が生じることになるのである。
    3. 多様な個はその否定において多様な間柄を生み出し、さらに個は多様化する。それが多化する主体の問題である。そうした多化する主体のアイデンティティや間柄の産出を、和辻は「他の個別者を見出」すという局面で説明している。
    4. 「個別者は共同性の否定に於てまさに個別性を得るのではあるが、然しその故にまた個別者は独立自存のものであることが出来ない。それが共同性の否定に於て成り立ったということは、同時にそれが他の個別者を見出し、それと距りを作ったということに他ならない」と和辻はいう(和辻 1937:316-317)。
  1. 《ヒトの群れ》の要素としての『私』の否定が《私》を導く。
  2. 『私』の否定はアイデンティティの危機を導く。《自我のカオス》を導く。
  3. 《他者》の再発見と、《他者》との関係=《個体間関係》=の再発見。
  4. そもそも、アイデンティティは必要ではない。『私』《思いこみ》でアイデンティファイする必要は無い。《思いこみ》としての『私』を捨てると、実は、強烈なアイデンティティを持った主体が、《ヒトの群れ》の中に出現する。

http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/journal/ron/r7-2-4/r7-2-4d.html

    1. ここで和辻は、近代的主体に基づく認識論を2つの次元で批判している。それは、(1)個を、(2)抽象的に、創造(捏造)しているというものである。和辻はいう。「個人主義は、人間存在の一つの契機に過ぎない個人を取って人間全体に代らせようとした。この抽象性があらゆる誤謬のもととなるのである」というのが、その批判の根拠である(和辻 1937:1)。このことは翻って、彼の人間学的かつ倫理学的考察では、(1)個でないものが、(2)具体的に、存在することを意味する。その(1)個でないものが、(2)具体的に、存在する局面を、和辻は「間柄」という概念によってとらえようとしている。
    2. 和辻は『人間の学としての倫理学』では、しばしば「実践的行為的連関」という表現を使うが、これはすなわち『倫理学』上巻本論の第1章第1節の題目でもある「出発点としての日常的事実」における人間存在を指す。抽象的に創造(捏造)された人間存在として「個人主義」を批判するときに、和辻はこの表現を選択する。一般に近代哲学における認識法は、個としての「私」を措定し、それを認識の基盤とすることで、「私」を取り巻く他者やモノ、環境から「私」を区別する。それが認識基盤としての「私」であり、個としての近代的主体である。内省する自我もまた、自己を認識論的に断絶し、分析の対象にするという意味で、近代的主体の思考実践のひとつに他ならない。個と個の間の情報やメッセージの流通や交換を図式化するこれまでのコミュニケーション理解も、そうした近代的主体としての「私」を考察の前提にしてきたことは検討してきたとおりである。
    3. しかし、和辻はそうした「私」の措定を抽象的なものとし、近代的主体としての「私」を二次的な産物と位置づける。なぜなら、そもそも「私」は「私」を認識の基盤とする以前において、他者との関係において主客不二の状態で存在しているからである。さらには「私」が「私」として行為したとしても、その行為において他者の存在が前提となっている。和辻が具体的かつ日常的とするのは、この「私」や「他者」が創造(捏造)される以前においてある、「私」や他者との連関である。近代的主体を基盤とする認識論はこの連関を前提にして、いわば括弧にくくって、主観としての「私」と、客観としての「他者」を創造(捏造)してきた。それに対して和辻は、近代的主体を基盤とする認識論において隠蔽された「私」と「他者」との連関を解放し、それに「間柄」という概念を与え、人間学的考察の展開を試みている。
    4. 「倫理問題の場所は孤立的個人の意識にではなくしてまさに人と人との間柄にある」
    5. 「その目ざすところが他の主体との連関であり、従って可能的な間柄である時にのみ、行為は成立する」
  1. 《ヒトの個体》のネットワークの要素としての《ヒトの個体》
  2. モノの運動は他のモノとの関係においてのみ成立する。

http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/journal/ron/r7-2-4/r7-2-4c.html

    1. しかし同時にわれわれは、誰がボルツのいう「コミュニケーション関係」に「社会性の喜悦」を感じるのかという素朴な議論を提示してみてもよい。そこには隠蔽し続けたはずの、マスクの下にある「真の自己」が顔をのぞかせている。もしくは、ポストモダン論者それ自身の主体性を問うてみてもよい。そこには「ポストモダン」を論じる近代論者の、「個」としての存在が現れている。ポストモダンを論じることの近代性を、誰が相対化し得るというのだろうか。
    2. これらの意味において、コミュニケーション的関係性を前提にするポストモダン的な議論もまた、「リアリティが欠けている」のである。
  1. 存在としての《他者》の話だ。
  2. 「リアリティ」というのは存在論としての、確率的な話だ。(適確なコトバが見当たらぬ)。
  3. 存在としての《他者》の在り方については、存在として、認めなければならない。

http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/journal/ron/r7-2-4/r7-2-4c.html

    1. 「化粧は、文字通り、仮面をかぶせる。その表面が深いと言うのは、この表面性は、マスクの下に真の自己があるわけではなく別のマスクしかない、ということを、心得ているからだ。化粧術による仮面の魅力は、『自分自身を認識せよ!』の正確なアンチテーゼである」という彼のマスク論は、マスクの下に素顔があるのではなく、マスクの下にマスクがあり続けることによって社会秩序が保たれることを物語っている(Bolz 2001=2002:249)。
    2. ここでいう素顔とは「真の自己」、すなわち近代的主体としての「私」を意味する。ここでボルツが指摘するのは、社会秩序に必要なのはマスクすなわち情報の絶え間ない交換であり、その基礎にある近代的主体ではないということである。
    3. 社会において装う戦略を「ドラマトゥルギー」と呼ぶ
    4. マスクの下にマスクをかぶり続ける、途絶えることのないドラマの連続は、装う自分を反省する「私」に隙を与えず、その必要もない。
    5. こうしたボルツのマスク論が、ミードのいう「客我(me)」を指して議論していることはいうまでもない。しかし、他方でミードが期待した「主我(I)」の創発性は議論から抜け落ち、むしろ絶え間ない「客我(me)」の再生産によって、素顔としての「主我(I)」を隠蔽し続けることが求められている。
  1. そりゃそうだ・・。《ヒトの群れ》《ヒトの個体》《思いこみ》よって成立している。
  2. 単細胞生物の群から、多細胞生物への進化のようなものだ。細胞は自律性を失い、全体の中での役割を演じるようになる。
  3. 引きこもりは、こうした、他律的個体がおりなす《ヒトの群れ》への反抗だろう。

http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/journal/ron/r7-2-4/r7-2-4c.html

    1. 「私」はコミュニケーション的関係性の結節、すなわちエイジェントに過ぎない
    2. テレビに報じられた「事実」においてコミュニケーション的関係性を成立させる「私」とは、情報システムとして構築された秩序に「適切」に組み込まれることを欲する「私」に他ならない。
    3. 生々しい「出来事」との接触を望まない「私」
    4. 「私」は、突如として身に降りかかる「出来事」を遠ざけ、テレビの逃避装置を利用しながら、「事実」によって秩序化された社会に調和して生き、「事実」の再生産と拡大に参与する。それがボードリヤールの文明論で示された、情報化された市民社会のありようである。
    5. その見通しでは、目に見える市民社会に求められるような、主体的かつ責任ある「私」は行き場を失いつつある。
  1. 『自我イメージ』はコミュニケーションによって形成される。『自我イメージ』と『現実』とによって行動を選択する。
  2. 《思いこみのサル》行動様式、認識様式。《思いこみ》を通じた認識様式。

http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/journal/ron/r7-2-4/r7-2-4c.html

    1. 「現実のカタストロフより、われわれは潜在性のなかに逃げこむことを選ぶ。テレビは、この逃亡のための普遍的な鏡である」と評するボードリヤールは、われわれがすでに可視的な市民社会を遠ざけ、情報化された市民社会に逃避しつつあることを説き明かしている(Baudrillard 1991=1991:24)。
  1. たしかに、それが多数派であろう。《ヒトの群れ》の多数派の《ヒトの個体》行動様式であろう。
  2. テレビと新聞によって、与えられた情報で、『世界』を再構成する人々。管理された情報によって『現実』を再構成する人々。

http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/journal/ron/r7-2-4/r7-2-4b.html

    1. 私たちは日々の暮らしの中で主体的に判断し、意思決定して行動していると考えている。それが、従来の市民社会成立の基本要素である。しかし、果たしてそうだろうか。実は私たちは制度化された正義の中で、「正しい」とされたコードを解読し、それに基づいて行為選択しているに過ぎないのではないだろうか。そのコードを解読できる者が近代的主体としての「市民」であり、解読できない者は狂人や犯罪者などと位置づけられ、囲い込まれていく。
  1. そういう言い方もできる。が・・。《思いこみのサル》行動様式、他律的人格。《他者の背後者回路》《他者》行動様式、思考様式。存在としての《他者》
  2. 《他者》当為ではありえない。当為《私》にとってしか意味を持たない。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4623033244/ref=pd_ts_b_78/250-3155740-8442607

    1. 複雑系社会の倫理学―生成変化の中で行為はどうあるべきか Minerva21世紀ライブラリー 小林 道憲 (著)
    2. 動く倫理学」の展開。常に変動する社会での行為の意味と価値を考える動態倫理学の提示。生成変化する社会を複雑系の一つとして捉え、そこでの創造的行為に着目し、実践哲学のパラダイムを転換する。和辻倫理学を補完する新しい試み。
    3. 第1部 生成する社会(
      1. 連関と生成
      2. 混沌と秩序
      3. 複雑系としての社会)
    4. 第2部 生成と行為(
      1. 行為と関係
      2. 行為と状況
      3. 行為と歴史)
    5. 第3部 生成と価値(
      1. 変動する価値
      2. 徳の諸相
      3. 決断と良心
      4. 英雄道徳
      5. 生成と行為について)
  1. 倫理が動態であってはならない。《状況》によって異なる、としても、「仮言命題」で静的に語られるべき。

http://ningen.hus.osaka-u.ac.jp/kondou/HIS7.htm

    1. 『経済学・哲学手稿』において
    2. 労働分析において人間の「自己疎外」を解明
    3. 自己疎外の四つの状況
      1. 1 労働とその結果としての商品の分離
      2. 2 過酷な作業による人間と労働との分離
      3. 3 労働によって文化を作るという歴史形成の営みという類的(公的)生活が、私的生活の手段に堕す。
      4. 4 それらによって、人間相互の反目と疎外が招来される。
  1. ヒト(自律者)の身体の動き(労働)が商品を作り出す、はずであるが・・。
  2. ヒトは労働者となることによって、他律的に労働する。
  3. 類的生活と、個的生活。労働は類的生活である、のだが・・。
  4. 近代〜現代の西洋哲学に対する疑問は、(マルクス以外は)本当にヘーゲルを超えている、ヘーゲルの欠陥を指摘しているのか、が疑問だということ。アリストテレスを超えている、アリストテレスの欠陥を指摘しているのか、という疑問でも同じ。
  5. 価値というのは、欲求の充足に不可欠なモノの属性。
  6. 値する、というのは、そのモノを作るために、何時間の労働に値する。ということ。
  7. モノ価値とはモノ重ね合わせられた《思いこみ》である。
  8. 疎外というのは、《思いこみ》原因である。《思いこみ》を存在と誤認すること、《思いこみ》の内容に価値があると思うこと、が原因である。
  9. 生産手段の私的所有、というのは、改善すべき点かもしれない。
  10. 公地公民というのがあったな。うまくいかなかったのだ。
  11. http://ja.wikipedia.org/wiki/公地公民制
    1. 646年(大化1)、前年の乙巳の変により即位した孝徳天皇は、新たな施政方針を改新の詔として示した。詔は大きく4か条の主文からと副文から構成されていた。第1条には「従前の天皇等が立てた子代の民と各地の屯倉、そして臣・連・伴造・国造・村首の所有する部曲の民と各地の田荘は、これを廃止する。」と定められた。(原文: 罷昔在天皇等所立子代之民処々屯倉及臣連伴造国造村首所有する部曲之民処々田荘。)
    2. 公地公民の原則に従って、朝廷は班田収授法に基づき人民へ口分田を与え、租税を納める義務を課した。この原則は、701年に制定された大宝律令にも継承され、律令制の根幹原則となった。
  12. http://ja.wikipedia.org/wiki/班田収授法
    1. 日本書紀によれば、646年正月の改新の詔において「初めて戸籍・計帳・班田収授法をつくれ」とあり、これが班田収授法の初見である。しかし、この改新の詔に関する記述には多くの疑義が出されており、このとき班田収授法が施行されたと即断することはできない。班田収授法の発足は、初めて戸籍が作成された670年、若しくは飛鳥浄御原令が制定された689年以降であろうと考えられている。
    2. 班田収授は、奈良時代最末期になると、浮浪・逃亡する百姓の増加やそうした百姓を初期荘園が受け入れたことを背景として、次第に弛緩し始めた。そのため、桓武天皇は6年1班を12年1班に改め、班田収授の維持を図った。しかし、田地の不足、班田手続きの煩雑さ、偽籍の増加等により、平安時代初期には班田収授が実施されなくなった。902年(延喜2)、醍醐天皇により班田が行われたが、実質的にこれが最後の班田となった。
  13. 公地公民という理念に走り過ぎれば、違反が増える。厳し過ぎる法律は、それが守られないことによって、不法を来す。法律はほどほどでなければならない。が・・。ほどほどでも、「厳し過ぎる」と不満を漏らす勢力はなくならない、いずれ、不法状態にいたる。
  14. 諸行無常、よい制度でも破壊される。3世代交代論。修羅天上畜生世代交代論。3世代循環論。
  15. 私的所有+累進課税というのはほどほどの制度であったが、「法人制度」や「特例措置」や「評価方法」で骨抜きにされた。

ヘーゲルをトレースしてみよう。

  1. エンチュクロペディー―哲学諸学綱要
    1. 第1篇 論理学(
      1. 有論
      2. 本質論
      3. 概念論)
    2. 第2篇 自然哲学(
      1. 力学
      2. 物理学
      3. 有機的な自然学)
    3. 第3篇 精神哲学(
      1. 主観的精神
      2. 客観的精神
      3. 絶対的精神)
  2. 純粋有が始まりをなす。というのは「有」というコトバイデアから弁証を開始するということ。ヒトイデアとの弁証法だ。
  3. マルクスだってヘーゲルを超えているわけではない。しかし、ヘーゲルの「客観的精神」と「絶対的精神」には誤りがある、と指摘しただけだろう。
  4. ヘーゲル自身の哲学も、結局は「主観的精神」に飲み込まれてしまう、と指摘しただけだろう。
  5. コトバで記述するかぎりヘーゲルの呪縛から逃れられないだろう。
  6. 概念というのはコトバイデアモノを指し示す関係だ。
  7. http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/X/0268040.html
    1. 「エンチュクロペディー」第3部.自己の他在から自己自身へ復帰する理念としての「精神」を主題とする.心という個別的な形をとって自然から抜け出た主観的精神が,法・道徳・人倫態などの客観的精神の諸形態を経て共同性を内面化させ,芸術・宗教・哲学という絶対的精神に至るまでを叙述する.
  8. 《他者の思いこみ》と呼んでいるのが「客観的精神」。
  9. しかし、「客観的精神」はモノに内在する《思いこみ》《アニマ》ではないのか?
  10. 《他者の思いこみ》は、モノとしての《他者》に内在する《思いこみ》のうちの、自覚的部分に過ぎない。《ヒトの群れ》《思いこみ》のうちの、自覚的部分を形成するだろう。法・道徳は《ヒトの群れの思いこみ》のうちの自覚的部分というべきだろう。人倫というのはよくわからなかった。どちらかというと《個体間関係》であるような気がした。しかしいずれにしても、客観的、というのはたけ(tk)の用語とは異なる。《ヒトの群れ》のと言うべきであろう。ヘーゲルは《ヒトの群れ》のサル的要素を除外しているから、客観的ではない。その流れで絶対的精神を語るから、《ヒトの群れ》の絶対的精神という訳のわからないモノになってしまう。キリスト教的な宗教観念になってしまう。

「思考の経済」

  1. http://www.asahi-net.or.jp/~ik9m-ummt/essai/liberty.htm
    1. 思考の経済(できるだけ簡潔に複雑な事象を説明できるよう に思考する)
  2. http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0157.html
    1. 本書を読む者を真に驚かせるのは、第4章第4節にいたって突如として「科学の経済」という一節が出現することだろう。
    2. ここにはのっけから、「あらゆる科学は、事実を思考の中に模写し、予写することによって、経験とおきかわる、つまり経験を節約するという使命をもつ」という、有名なテーゼがあらわれる。模写の原語は“Nachbildung”、予写 は“vorbilden”である。
    3. この一文がもつ意味をマッハ自身は次のように説明した。「事実を思考の中に模写するとき、私達は決して事実をそのまま模写するようなことはなく、私達にとって重要な側 面だけを模写する」と。また、「われわれは模写するときには、いつも抽象しているのだ」と。これはのちにマッハが「思 考の経済」とよんだ考え方の予告であった。詳しいことは 『感覚の分析』や『認識の分析』などの感覚論や認識論を読むことを勧めるが、そこにも述べられたように、このときすでにマッハの考えはゲシュタルト形態学のエッセンスに近接していたのである。
  3. http://ningen.hus.osaka-u.ac.jp/kondou/HIS7.htm
    1. 実証主義的認識論
    2. ラース、アヴェナリウス『純粋経験批判』『人間的世界概念』、
    3. マッハ『感覚の分析』『認識と誤謬』「思考の経済」説の提唱
    4. 実証主義;内外の知覚にのみ基礎を置く哲学であって、知覚内容以外に特別の意識や自我を立てず、また知覚客体 の多様な変動性を認め、世界を可能的知覚全体と見、ゆえにこれについての絶対的認識を拒むが、知覚を要素間の 合法則的関係に変容した客観的認識はこれを認め、またそれを目指巣、といった考え

ヒトは、《思いこみのサル》から《見通しのサル》へと進化しなければならない。

2005-12-02(金)

そんなことより足元の浄化

  1. プログラムは《他者のコトバ》である。
  2. サイレンは《他者のコトバ》である。
  3. 電話は《他者のコトバ》である。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/nanboku4-1.html

  1. 写真があるじゃん。
    1. (1)即位当初の少年京都明治天皇(写真)
    2. (2)明治維新後の大室寅之祐の東京明治天皇(写真)
    3. (3)(1866年 当時大室寅吉。長崎にて。前の列、左から7番目の白い服を着た方。中央のフルベッキ(外国人)の真下の左の白い服着た 方が東京明治天皇。フルベッキの真上のやや左が西郷隆盛)

「明治維新がクーデターによる政権奪取により行われた 事が不幸の始まりなのです。 「権力欲と怨念」により政権が成立した事が、明治以降の政治権力を偏狭な性格のものにしてしまいました。」(http://asyura2.com/0510/senkyo17/msg/264.html

  1. 招魂社の、片方のみをたたえる差別の論理を共同体の中に持ち込んだこと。
  2. 「これら怨念と権力欲に始まった政権は、対象者を弾き出すので、対象とされた人達の心の反発を招き協力を得られなくなります。
    1. また霊的な対応でも、たとえば戊辰戦争で朝敵とされた人達の霊を所謂官軍の人達の霊と対等に扱わなければ、霊的な協力を得られないだけでなく、その無関心を招きます。
    2. 従って、国家的な一致団結には程遠い結果を招きます。従って外国相手には敗戦となります。」

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/nanboku4-2.html

    1. 満州は哈爾浜(ハルピン)駅頭で伊藤博文を暗殺した安重根(アン=ジュングン)の暗殺理由は、一般に日本の朝鮮侵略に対する抵抗であり、伊藤が「韓国統監」だったから・・・とされていますが、安重根は何と法廷で爆弾発言をしたと言われています。すなわち、
    2. 「伊藤は畏れ多くも(本来の明治)天皇を暗殺した大罪人・・・」
    3. だったとか何とか。

壊憲。http://asyura2.com/0510/senkyo17/msg/245.html

  1. 憲法の破壊。統帥権。靖国の元宮。靖国に幽閉された英霊の呪い。
  2. 呪いというのは閉鎖的な思考様式である。思考様式を閉鎖する《思いこみ》である。
  3. 「…真に呪われた国・日本である。コイズミは現れるべくして現れているだけなのだ。…」(http://asyura2.com/0510/senkyo17/msg/246.html
  4. 「…米国の「行き詰まり経済」の延命策としての「テロと戦争」と同じなのだ。

行き詰まって破滅に突き進んでいるのだ、コイズミ政権は。…」。靖国の元宮、統帥権の発想。

http://asyura2.com/0510/senkyo17/msg/245.html

    1. かつて占領軍に「押しつけられた」の憲法だから、「改正」するのだと与党・マスコミは言う。
    2. だが現在アメリカが日本に「壊憲」を押しつけていることは、アーミテージ報告に明記されている。そして彼自身再度述べている。
    3. 日本以外の地域で、アメリカが「先制攻撃」という名の侵略を行って反撃にあった場合、日本軍を派遣できるようにする「壊憲」こそ、アメリカ帝国が『拒否できない日本』に「押しつけている」絶対的命令だろう。以下に一部を引用しておこう。
    4. 恐ろしい草案発表直後にうまい具合に発覚した違法マンションとは違い、この「壊憲」こそが、国民全員の生活基盤を破壊する為の、日本国の意図的な鉄筋切断、コンクリ壁、基礎破壊だ。
      1. アーミテージ報告(2002年8月20日)抜粋:
      2. 日本が集団的自衛権を禁止していることは、同盟間の協力にとって制約となっている。この禁止事項を取り払うことで、より密接で、より効果的な安全保障協力が可能になろう。これは日本国民のみが下せる決定である。アメリカは、これまでも安全保障政策の特徴を形成する日本国内の決定を尊重してきたし、今後もそうすべきである。しかし、アメリカ政府が明確にしなくてはならないことは、日本がより大きな貢献をおこない、同盟のより対等なパートナーとなる意志をもつことを歓迎するということである。
      3. われわれは、アメリカとイギリスのあいだの特別な関係を、米日同盟のモデルと考えている。
    5. 2004年2月2日、日本記者クラブでのリチャード・アーミテージ国務副長官講演後質疑応答「抜粋」(東京)
      1. アーミテージ:まず第1に、これは日本国民の間で議論すべき問題である、というのが私の考えです。第2に、憲法をどのように取り扱うかという判断は、日本国民のみが決めることです。そして、この考えは完全に理解し得るものです。そうは言うものの、ナイ博士と私が3年前にまとめた報告書の中で、われわれは、憲法による制約に関して若干強い調子の見解を述べました。そして、われわれは、これがある意味で同盟関係に対する障害になることを指摘しました。
      2. アーミテージ:米国が日本に対して広範な地域に出動し、行動することを期待しているような誤解があると思います。集団的自衛が禁止されているならば。実は、もっと簡単なことなんです。現状では、米国の船舶が日本海、日本の領海の外で攻撃を受けた場合、日本は米国の船舶を支援することを法的には許されていません。日本が米国を支援することは法的には許されていません。つまり、米国が、ある国の攻撃を受けた場合、日本は、日本の同盟国を支援することができません。これは、まったく道理にかなっていないように思われます。一方、日本や日本の領域が攻撃を受けた場合、同じような対応を日本から受けなくても、米国は、間違いなく日本を支援に来ます。米国が求めているのは、いまひとつの柔軟性です。それにより、米国と自衛隊の日本の仲間が、日本の実際に「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」のない場所で、必要とあらば助け合うことができるのです。このような状況で、米国が求めているのは、もう少し公平な関係です。

http://asyura2.com/0510/senkyo17/msg/337.html

  1. 天皇制ねぇ・・
  2. 観念としての天皇の社会的役割は分かる。が、天皇主義はNG。
  3. 天皇は具体的な政治には関与しない。天皇は社会の統合を祈る司祭である。
  4. 天皇を政治のスローガンにしてはならない。
  5. 天皇は1500年ほどの歴史があるが、天皇がいたからといって、政治がよくなるわけではない。天皇が権威をもっていた時には、その権威にあやかろうとする無責任な政治家が跋扈しただけだ。
  6. 天皇をいただくことによって、気持ちとしては、一つの共同体への統合がなされていった、と言うだけのはなしだ。
  7. 政治にとって、気持ちとしての共同体の統合は重要である。しかし、それと具体的な政治のあり方とは別のものだ。政治は合理的に行われなければならない。
  8. 天皇をいただいたからといって差別がなくなるわけではない。天皇に近いモノと遠いモノとの差別を帰結するだろう。天皇制と人権民主主義とは併存しなければならない。天皇制は宗教原理であり、人権民主主義は政治の原理だ。宗教原理と政治原理とは分離して併存しなければならない。干渉してはならず、関連つけられてもならない。政教分離こそが天皇制の価値を発揮させる由縁である。

血流量と血液量の違いは?

  1. 貨幣流通量と貨幣供給量の違いは?
  2. 回転率。一定期間の間に、総量の何%が流通したか。
  3. 総量より回転量のほうが重要。
  4. 回転率は各部分の出力能力、入力需要の問題。
  5. 事業資金の借入れというのは、血液が無くても血液の出力を可能にする装置。
  6. 貨幣供給があっても、回転需要がなければ、退蔵される。鬱血状態になる。
  7. 貧困層へのベーシックインカム補給は、貨幣の回転を活発化させる。
  8. ベーシックインカムのための貨幣量増大は、
  9. 歳入は貨幣増刷でも行うことができる。貨幣増刷による再入は、比例税と同じ効果をもたらす(心理的効果は別)。
  10. 貨幣の価値(インフレ、デフレ)は貨幣流通量と回転需要との比で決まる。貨幣流通量は貨幣総量ではない。退蔵されている場合には貨幣総量の一部しか回転に組込まれない。流通貨幣量と退蔵貨幣量。
  11. 貨幣総量はある瞬間のB/S的な概念。貨幣流通量は一定期間のP/L的な概念。
  12. マクロ経済は、《経済主体の群れ》を扱う。ミクロ経済は、《経済主体の個体》を扱う。

http://www.kamiura.com/new.html

    1. 中国、シーレーン確保狙う 中印がインド洋演習 (産経 11月30日 朝刊)
    2. しかしこのことがインド洋で米中戦争がはじまる要因ではない。あくまで覇権を競っている だけのことである。現実的な実力で言えば、中印海軍の戦力は米海軍の足下にも及ばな い。10年、20年たってもその軍事力の差はかわらないことは言うまでもない。
    3. しかしいつもは健康な大人でも、風邪を引いて、高熱に苦しみ、意識が朦朧(もうろう)と していれば、小学生の子供にも勝てない。そのような場合になると、中印の軍事力はアメリ カには脅威になる。
    4. 今の米軍は確かに強い。しかし米軍はイラク占領統治で失敗し、これから高熱に苦しむ 可能性が無視できなくなった。中国、ロシア、インドはその次の時代を考えて行動している と考えるべきである。
    5. 私はベトナム敗戦によってガタガタになった米軍を知っている世代として、今のようにアメ リカに絶対の信頼を抱くことに不安がある。やはり日本にも健全なアジア外交を育てること は必要だと思う。 小泉首相は靖国問題などで、アジア外交を「屈服か」「無視か」の2極論 にしてしまった。もともとは無能な外務官僚の国家戦略無きアジア外交に原因があるが、 小泉首相の2極論では老獪な中国に勝てない。

http://www.kamiura.com/new.html

    1. 松花江汚染 中国メディア、異例の政府批判 「なぜ情報を隠蔽するのか」 (朝日 12月1日 朝刊)
    2. 私が小学生の頃、小さな町内で赤痢騒動が起きたことがある。まず保健所の検査で数 人が赤痢と診断された。すぐ隣町にある隔離施設に送れた。さらに保健所が検査を行った ところ、赤痢の疑いがある者が数名見つかった。さらに数日後に数人と数週間で赤痢で隔 離された人が数十名になった。小さな町内でも特に商店街から隔離される人が増えていっ た。こうなれば地元のマスコミも黙っていない。地元の新聞は私の町を集団赤痢感染した と連日の記事で報じた。
    3. その当時は人通りの多かった商店街も、夏の昼間、だれ一人歩いていない白く輝く異様 な光景を覚えている。おそらく赤痢騒動は1ヶ月ぐらい続いた。町の人は消毒や手洗いの 励行など、あわただしい夏だった。ところがこの赤痢が間違いだったのだ。保健所が間 違って誤認赤痢と気がついた。すぐに隣町に隔離されていた人たちが帰ってきた。そして 昼間、だれ一人歩いていない商店街を、保健所の所長さんが謝罪に商店街の各商店を一 軒一軒まわっていた。私たち小学生は所長さんを遠巻きにしてついて歩いた。
    4. 当時、薬局をしていた私の家に来ると、私の父は所長さんに、「間違いでよかった。これ からも間違いを恐れないでやってください」と話したのを覚えている。父は私に「間違いは 正せばいいが、保健所が本当の赤痢が気がつかないで広がれば、それこそ町は大被害 を被るからだ」と話した。
  1. 危機を公表する勇気、危機を隠蔽する「遠慮」。

http://www.kamiura.com/new.html

    1. 米、レーザー計画中止検討 共同 (読売 12月2日 朝刊)
    2. 敵の弾道ミサイルが発射直後でスピードが遅い上昇時に、航空機に搭載したレ ーザービームで破壊するというものである。・・
    3. しかしである。技術的な問題はそうでも、軍事的にはそんな兵器に価値があるのかという ことになる。もし敵が弾道ミサイルを発射する場合、ABLを搭載した航空機が上空で待機 できる余裕があるかということである。また弾道ミサイルが地下サイロやトンネルなどに隠 されると、事前に発射の兆候を捕らえることはできない。発射の兆候が捕らえられなけれ ば、ABL機を上空で待機させることはできないからだ。
    4. そのように考えていくと、ミサイル防衛でABLを開発することはあくまで建前であって、本 当の目的は火砲やミサイルに代わる新しい破壊兵器を開発することにある。すなわち戦場 で戦車や装甲車のように機動し、搭載したレーザービームで敵の戦車や航空機を破壊で きる兵器システムの開発である。その開発資金は莫大なものになる。それをミサイル防衛 (MD)用と装って、莫大な開発資金を何度も投入させているのだ。
    5. このような計画では脅威が現実的でなければ、莫大な開発予算は「汚職」に使われる可 能性が極めて高くなる。例えば第2次大戦におけるアメリカの原爆開発(マンハッタン計 画)は、ドイツのヒットラーが原爆を開発中いう現実的な脅威で計画が促進した。しかし今 のABL計画はそれほどの現実的な脅威は存在しない。むしろ政治家や官僚たちの「汚 職」に活用される機会が多くなる。なにしろ未知の兵器の研究である。失敗ばかりか、なん でもありの開発なら、潤沢な研究予算に政治家や官僚が群がるのは当然である。

2005-12-01(木)

「9・11が内部犯行だと信じるんだな? じゃあアメリカから出ていけ!」 http://www.asyura2.com/0510/war76/msg/539.html 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 11 月 30 日 21:54:17: SO0fHq1bYvRzo

    1. http://asyura2.com/0510/war76/msg/547.html
    2. 大昔のクレージーキャッツの歌じゃないですが、『アンタの政府を信じなさい。ホレ信じなさい、ホレ信じなさい。・・・・』でなきゃ、 アメリカ人やめろ!と、まあ、こういうことです。
  1. 悲惨な事件である→身内ではありえない→敵ならあり得る→敵の工作である、という推論形式。
  2. 悲惨な事件である→人間ではありえない→人間ならあり得る→人間の工作である、という推論形式。
  3. 論理的思考能力の不足というべきか?
  4. 「ありえない」という事態・《思いこみ》がもたらす思考停止。
  5. すべての存在(「ありえない」存在)は合理的である。
  6. 「ありえない」というのは認識ではなく、願望=《求める思いこみ》の表明である。それを認めると、自らの《思いこみ》の体系が崩壊してしまうに違いない、という危機感の表明である。

インド社会政策の実施に立ちはだかる壁 訳/ジャヤラット好子 【ル・モンド・ ディプロマティーク】 http://www.asyura2.com/0510/asia3/msg/343.html 投稿者 愚民党 日時 2005 年 12 月 01 日 06:47:42: ogcGl0q1DMbpk

  1. 大胆な政策を実行するには、強力な政府が必要である。
  2. 根本的に大胆な政策を実行するには、狂暴な政府が必要である。
  3. 手続き的な合法性、民主的な合意、の政府は強力ではないのか? 既得権益の抵抗勢力が参加することになる。
Last modified:2006/01/29 02:39:08
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