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ゴミ箱2005-08

2005-08-31(水)

「反憲法的政治運動」

たけ(tk)ユートピア

  1. 所得税一本化。
  2. 税収のの40%を国民給付金とする。20%は基礎給付金、20%は納税額逓減比例給付金。マイナスの所得税。
  3. 法人税は?
  4. 主権者教育
  5. 実現不可能性。実現不可能性で妥協せずに夢を語る。実現不可能性については別に考える。
  6. 「みんなが仕合わせに生きられる世界」。
  7. 目的の王国。みんなが『その存在自体/人格自体が目的である』として尊重される世界
  8. 浄土。みんながブッダの自覚をもって生きる世界

状況への見通し

  1. 状況とは《私》動きとの関係における《私》世界である。
  2. 状況は、そのままでは不可知である。不可直観的なモノである。
  3. 状況噴出において知るのであるが、それだけでは《私》動きとの関係が見えてこない。
  4. 状況への見通しとは、《私》動き世界が変化する関係を見通すことである。
  5. まず、《私の動き》がなければ状況は見えてこない。《私》世界動かすモノでなければならない。
  6. 《私》は《動かしつつある噴出》でなければならない。
  7. 《思いこみ》を《動かしつつある噴出
  8. 《身体》を《動かしつつある噴出
  9. コトバを《動かしつつある噴出
  10. 《他者》に向かって《身体》を《動かしつつある噴出
  11. 《他者》に向かってコトバを《動かしつつある噴出
  12. モノに向かって《身体》を《動かしつつある噴出
  13. まず動くことがあって、動くことが可能な選択肢を知ることがあって、それらの動きの結果があって、結果への評価があって、《私》が今なすべきことが決まる。《私》が今取りうる動きの選択肢の結果を評価して、比較して、もっとも好ましい結果を生ずべき動きが、《私》が今なすべきことである。
  14. 評価の規準や理念があっても、《私》が選択可能な動きが分からず、その結果が分からなければ、評価の規準や理念は意味がない。選択可能な動きの結果の評価の比較においては、単一の理念や規準で可能になるとは思えない。結果として生じる状況の全体を評価する必要がある。

http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000050154,20061546,00.htm

    1. 「文化のギャップが問題だ」---ベリサインCEO、リダイレクト問題に反論 Charles Cooper 2003/10/23 10:00
    2. VeriSignは最近、間違ったドメイン名や存在しないドメイン名が入力された場合に、自社が管理する検索ページへリダイレクトするというサービスを開始した。しかし10月初旬、このサービスを一時的に停止することを発表している。
    3. 去年10月、ルートサーバに対して分散DoS攻撃が行われました。ルートサーバは世界各地に13基あり、それぞれが重要な役割を果たしています。このうち9基に障害が起きたというニュースは人々を震撼させるに足るものでした。そろそろインターネットのインフラ管理は民間に委ねるべきです。インターネットの中核サービスを提供するルートサーバを、いつまでも大学や研究室のボランティアに任せておくことはできません。もっとも、このような提案はなかなか受け入れられないでしょうね。
    4. (かつて「サイバーセキュリティの帝王」と言われた)Richard Clarkeが当社を訪れたことがあります。9月11日の同時多発テロのあと、ホワイトハウスのサイバーセキュリティ担当特別補佐官に就任した2日後のことです。私は彼に、世界には13のデータセンターが分散して存在しており、すべてをダウンさせることは不可能だと伝えました。それに対して彼は、「その13カ所に出かけていって同時に爆破したら?」と言いました。なるほど、そうなったら万事休すです。回復力にも限界はあり、復旧時間にも許容範囲があるのです。
    5. インフラの進化の方向性を定める立場にある人々は、今日のインターネットは何人かの技術者が研究対象として扱うことのできるレベルをはるかに超えている、という事実を肝に銘じる必要があります。現在では、インターネットがダウンしたり、攻撃を受けたりすれば多くの企業が影響を受ける。このままいけば、未然に防ぐことができたはずの問題を修復するために、北米労働者のサラリーが湯水のように使われることになるでしょう。
    6. DNSルックアップの有料化はありえますか?
    7. いいえ。これはドメイン事業を引き継いだときに義務として引き受けた基本サービスです。しかし、当社がこのサービスをベースに付加価値サービスを提供することまで禁じるというのは、商業の自由をふみにじるものと言っていいでしょう。
  1. ルートサーバの機能やプロトコルはNGO方式でなければならないな。民営化=営利企業の私物化=すれば、「当社がこのサービスをベースに付加価値サービスを提供することまで禁じるというのは、商業の自由をふみにじるもの」というような理由で、インターネット全体が私物化されていくだろう。政府に任せれば「政府がこのサービスをベースに国民監視機能を付加することまで禁じるというのは、政府の権限をふみにじるもの」というだろう。

貧しいアメリカ:約3,700万人が貧困ライン以下、4年連続上昇 [暗いニュースリンク]

    1. http://www.asyura2.com/0505/war73/msg/951.html
    2. 投稿者 white 日時 2005 年 8 月 31 日 08:30:10: QYBiAyr6jr5Ac

http://www.asyura2.com/0505/war73/msg/957.html

    1. エリック・フィチトル 2005年5月30日 コロンビア・ジャーナル原文
    2. この2カ月間で、5人の米兵がコカイン密輸の罪で逮捕され、別の2人の米兵がコロンビアの右翼準軍組織との武器取引を仲介したとして逮捕された。
    3. 論争の対象となっている米軍を悩ませるこの最新スキャンダルでは、フォート・ブラッグに駐屯している特殊部隊第7団のアラン・N・タンカレー下級准将とジェスス・ヘルナンデスが、5月3日、コロンビア警察に逮捕された。コロンビア軍に対する800人の米国軍事顧問の分遣隊としてコロンビアで兵務についていたこの二人は、3人のコロンビア人民間人そして4万発以上の弾薬とともに逮捕された。コロンビア警察は、これらはコロンビアの右派準軍組織のメンバーに売却される予定だったと述べている。準軍組織は、理論的にはコロンビア軍と戦闘状態にあるはずの組織で、米国政府がテロ組織と見なしている組織である。
    4. ボゴタの米国大使館はただちに手だてをとって逮捕された2名を米国の留置場に引き渡させた。米国人政府関係者と兵士はコロンビアで「外交特権」を保証されるという1974年の条約のもとで米国に送り返すことができるようにするためである。5月5日、ボゴタで苛立ちが募る中、コロンビアの検察総監は、引き渡しを1日遅らせるよう要求した。その間に、1974年の条約が1991年のコロンビア憲法のもとで合法かどうかを調査するためであった。けれども、コロンビア検察庁はすでに二人を米国大使館職員に引き渡してしまっていた。それから一夜明けてコロンビア検察庁は心を変え、5月6日の朝、タンカレーとヘルナンデスへの質問許可を要請した。米国大使館は当初この要求を受け入れたが、すぐにこの2名の兵士を米国に送り返した。
    5. ワシントンの議会国際関係委員会では、西半球問題担当国務次官補ロジャー・ノリエガが次のように述べた:「我々は、コロンビアで一時任務に就いている米軍訓練官が弾薬の密輸に関わっていたという主張に関するコロンビアと米国の当局による調査をモニターし続ける。関連するすべての組織がこの問題を非常に重く見ている。何がかかっているかも認識している。我々とコロンビア政府は問題を徹底的に調査しようと思っている」。
    6. 5月のタンカレーとヘルナンデスの逮捕の前には、やはりコロンビアで米兵が関わっていた別の密輸スキャンダルがあった。今年3月、5人の米兵が16キロのコカインを米軍機に乗せて米国に密輸したという疑いで逮捕されたのである。末端価格は30万ドルから50万ドルと推定されている。コロンビアの国会議員がこれら兵士はコロンビアで裁判を受けるべきだと主張したにもかかわらず----とりわけコロンビアは麻薬取引事件をめぐって米国政府からの身柄引き渡し請求に何百件と応えているのだから----、米国は、1974年の合意のもとで5人の米兵は外交特権を有していると主張しており、コロンビア政府からの身柄引き渡し請求を検討しそうにない。

http://www.asyura2.com/0505/war73/msg/954.html

    1. 元アメリカ司法省の検察官で、現在テロ問題の専門家であるジョン・ロフタス(John Loftus)は、ロンドン爆破事件の主犯だとされているアブ・ハムザ(Abu Hamza)とハローン・アスワット(Haroon Aswat )は共にコソボ紛争時にM16に雇われた者達であると言っている。
    2. 彼らのグループ、アル・ムハジロウン(Al-Muhajiroun )はロンドンを本拠地としているが、コソボ紛争時に、M16の為に働くように雇われたイスラム原理主義者のグループで、今回はこのグループをアルカイダと称してもいる。

眠りは心地よく、目覚めは苦しみである

仕事は苦しみである 仕事は苦しみ原因である。 これは仕事の苦しみ原因である。

2005-08-30(火)

http://www.inits.jp/kensyu/cio/k002.html

    1. 変数間の関係に注目した創発性に関わる共通構造の一つとして、フィードバックループ、フロー、ストックの概念
    2. 変数間の相互関係の及ぼす影響
    3. 状態表現::入出力システムの内部の代表的な表現として、状態概念を導入することにより、与えられた入力に対して、ある出力が出る理由を「状態」を用いて説明する。
    4. アクセプタ表現::入力と状態だけに注目した、アクセプタ表現をとりあげる。
    5. 帰納的構成表現::入出力システムの内部表現として、基本的な構成要素を基本的な結合の仕方でつないでいって構成するという、帰納的な構成の仕方について述べる。
    6. 目標追求システム表現::入出力システムの内部の代表的な表現として、意思決定者をシステム内部に想定することにより、与えられた入力に対して、ある出力が出る理由を「意思決定の視点」から説明する。

http://syllabus.nagoya-toho.ac.jp/2005/uv/211201.html

    1. 第2回 システムとは
    2. 第3回 システム論の発展の概要
    3. 第4回 機能概念による対象認識と実体概念
    4. 第5回 システムの特性と分類
    5. 第6回 システム思考とは
    6. 第7回 自律的行動と他律的行動によるシステム
    7. 第8回 自律的行動システムの構造
    8. 第9回 システムにおけるマネジメントの構造概念
    9. 第10回 自律的行動システムのマネジメントのパタン
  1. ヒトは、客観的には自律的行動システムだが、主観的には命令=他者から与えられた《思いこみ》に従属する他律的システムであるという《思いこみ》をもって生まれる。

http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/670.html

    1. 地方一般行政職員は減少しているが、警察は増加している

2005-08-29(月)

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/anti-irr.htm

    1. 当初のブッダの教えは、宗教的というよりも合理的で倫理的であったが、ブッダの教えに信頼を寄せ、帰依する人々の集団が形成されるにともなって、急速に宗教性が強まったものと考えられる。
  1. エピゴーネン問題。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/prajna.htm

    1. 「この世におけるあらゆる(欲望の)流れをせき止めるものは、思念である。(思念が)流れを防ぎまもる。智慧によって流れはたたれるであろう。」(Sn.1035. cf.Dhammapada 339,340.)
  1. 思念が欲望をせき止める??、ということの《背後者回路》は?
  2. 思念は欲望の原因と結果を教える。原因と結果を知った欲望は、自覚的に制御されれば、苦しみ原因となることはない。自覚的に制御された欲望はすでに「欲望」と呼ばれるモノでもない。
  3. 身体的な必要から生じる欲求はせき止めることができないし、せき止めるべきでもない。ただ、欲求への執着によって生じた欲望は、因果の知恵によって、必要な欲求へと引き戻すべきである。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/prajna.htm

    1. 「わたしは世間において疑惑に惑う人は誰も解脱させることができない。ただ最上の真理を知るならば、あなたはこの激流をわたるであろう。」(Sn.1064.)
  1. 「わたしは世間において疑惑に惑う人は誰も解脱させることができない」のか・・

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/ronsou.htm

    1. 知者は両極端を知りつくし、中間にもけがされない。そのような人をわたしは、偉大な人という。そのような人はこの世で、縫いつけるもの(妄執)を超越している。」(Sn.1042.)
  1. これは微妙だ。「知者は両極端を知りつくし」なのだ。
  2. 無執着と在家とは両立するか? 釈迦が飯を食べるように、在家は仕事をするべきである。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/12engi.htm

    1. 「根源的な無知」からはじめて順に滅すれば、苦しみが消滅できることを説き示している。
    2. http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/yasuragi.htm
    3. 「この世において、見たり聞いたり考えたり意識したりする形うるわしいものに対する欲望やむさぼりを除き去れば、不滅の安らぎの境地である。」 (Sn.1086.)
  1. ここで言う「苦しみ」は、限定的である。
  2. 「根源的な無知」からはじめて順に滅っしても、腹が減るという身体的な苦しみがなくなるわけではない。腹が減ると言う苦しみから逃れるためには飯を食うしかない。飯を食うべきなのである。飯を食うべき時に食べないのは、「苦行への執着」があると言うことである。飯を食べるべきでない時に食べるのは「飯への執着」があると言うことである。腹が減っているのに食べることが不可能である場合には、《身体》への執着を止めるべきであろう。食べることが可能な場合には、《身体》を生かすように《身体》に執着すべきである。
  3. 腹が減っているのに食べることが不可能である場合に、《身体》への執着を止めると、《身体》苦しみ《我》苦しみではなくなるはずだ。(ホントかなあ??)。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/muga.htm

    1. 現象するすべてのものは、なんらかの原因・条件に依存することによって成立しているという縁起の観点からすれば、それ自身独立で不変な存在はありえない。人間も、この縁起説の立場から理解された。すなわち、人間あるいは生物とは、肉体(色)と感受(受)・表象(想)・意志(行)・認識(識)の四つの精神作用、あわせて五つのものの集り(五蘊あるいは五取蘊pancaupaadaanakkhanda)において成り立っているものとされる。
    2. 「たとえば部分が集まって、車という名称が生ずるように、(五つの)ものの集りがあれば、生物という世俗の名が生まれる。」(Samyutta Nikaaya I.p.135G.)
    3. ここには、現象の背後に実体的な存在を認めない唯名論的な見方が顕著に現れている。一方、ウパニシャッドの哲人たちは、宇宙原理ブラフマン(梵)と個体原理アートマン(我)という現象の雑多な相の背後に働く実体的な原理を立て、その同一性の知を追求した。原始仏教は、ウパニシャッドの立場と鋭く対立する。
    4. 原始仏典のうち成立が遅いとされる散文では、人間を構成する五つのものの集り(五蘊)ひとつひとつについて「これはわがものではない」「私ではない」「私のアートマン(我)ではない」と知るべきことが説かれる。この表現形式は、ウパニシャッドのアートマン思想と密接にかかわることが指摘されている。1)ここでは、すべてのものについて「アートマン(我)ではない」と否定することが「アートマン(我)は存在しない」という主張を含んでいると考えられる。
  1. ウパニシャッド的な《我》実在論と矛盾するか?
  2. 「個体原理アートマン(我)という現象の雑多な相の背後」の《背後者回路》噴出としてのアートマンを実在と見るか、現象と見るか、同じではないのか? 「アートマン」とか「我」とかいうコトバで指し示されるモノ。は、現象として「ある」。といえば「ある」。
  3. 「これはわがものではない」というときの「わが」は所有者としての《我》。五蘊が、この《身体》に生じる現象であることは否定できない。《我》そのものが、この《身体》に生じるモノであることは否定できない。
  4. 「私ではない」というときの「私」は、認識者としての《我》だろう。
  5. 「私のアートマン(我)ではない」というときの「アートマン(我)」は、ウパニシャッドで言われているようなモノという意味だろう。
  6. じゃあ、それを「知るべき」主体(モノ)は何ね? ということになる。
  7. もっと単純に、「涅槃に至るために有害な執着としての《我》への執着はすべきではない」「《我》《我》に執着すべきではない」「《我》に執着しない《我》であるべきだ」ということだと思う。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/muga.htm

    1. 無我説の始まりは、最古層の経典の執着するな、わがものという観念をすてよという教えにある。初期の無我説は、「我は存在しない」ことを説くのではない。倫理主体としての真の我の確立は、むしろ積極的に求められていた。
    2. 「常に思念をたもち、自己に関する誤った見解を捨てて、世界を空なるものとして観よ。そうすれば、死を超越したものとなるであろう。このように世界を考察するものは、死神には見えない。」(Sn.1119.)
    3. 無我説はこのように、我(自己)ではないものを我(自己)であると思いこだわることをやめよ、という教えから始まる。
    4. 当初の「諸法無我」は、無執着の立場から、「すべての事物は我(自己)ではない」と説かれたものである。したがって、無我(我がない)説というよりは非我(我ではない)説であった。
    5. http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/3houin1.htm
    6. 『ダンマパダ』 277-279偈は、これを次のように説く。
      1. 「すべての形成されたるものは無常なり」と 智慧によりて見るとき 人は苦しみを厭い離る これ清浄に至る道なり
      2.  「すべての形成されたるものは苦しみなり」と 智慧によりて見るとき 人は苦しみを厭い離る これ清浄に至る道なり
      3.  「すべての事物は我ならざるものなり」と 智慧によりて見るとき 人は苦しみを厭い離る これ清浄に至る道なり (藤田宏達訳)
    7. http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/muki.htm
    8. 原始仏教が思想を構築していく上でとった基本的な立場は、無記である。
    9. 「無記」(avyaakata, avyaakRta)とは、形而上学的な問題について判断を示さず沈黙を守ることである。無用な論争の弊害からのがれ、苦しみからの解放という本来の目的見失わないためにとられた立場である。
    10. 『マッジマ・ニカーヤ』(中部経典)第63経「小マールンキャ経」は、世界が永遠であるか否か、有限であるか否か、生命と身体は同一のものであるか否か、人は死後存在するか否かという問題について、ブッダが何も語らなかったことを「毒矢のたとえ」によって巧みに表現している。1)
    11. ブッダは、現実にそれらの苦しみを止滅することを第一義の目的とした。あくまでこの目的見失うまいとするのが「無記」の立場である。ここには、心の病の医者としてのブッダの側面が如実に現れている。
  1. これがホンモノだよ。
  2. ここから「じゃあ、『我ならざるもの』の『我』のイデアとか、清浄に至る『我』のイデアとか、智慧によりて見る『我』のイデア」とかに行っちゃうのが、プラトン主義。『我』のイデアが『我ならざるもの』であることは明々白々なのだ。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/jissenhou.htm

    1. 「戒」とは修行の前提となる正しい生活態度を身につけることである。
    2. 「定」とは仏教の修行の基本とされる禅定、すなわち精神統一である。
    3. 「慧」とは悟りにみちびく智慧である。
  1. 「戒」に「きまり」などないだろう。破戒僧こそが「修行の前提となる正しい生活態度」であるのかも知れないのだ。悪人正機。
  2. 「定」と「慧」は不可欠だろう。《見通し》を得るということだ。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/hannya.htm

    1. ブッダはあらゆるものに対する無執着を説いた。
  1. 確かにそうなのだが、文字どおりに執着が無くすと生きることもできなくなる。無自覚的な執着をなくすること、無自覚=無明ということ。無自覚=無明でなくなることが本来の意味。
  2. 自覚的と言うのは、執着のもつ因果的な関係性への《見通し》をもつこと。執着への《見通し》を得たうえで自覚的に執着すべきである。
  3. 般若心経の趣旨は、小乗に対する趣意返しのような気がする。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/daijo.htm#pop

    1. かれらはブッダへの信仰による救済を希求した。
    2. ブッダの神秘化、神格化は原始仏教のごく早い時期に始まったと考えられる。しかし、自力主義を主とする原始仏教では、救済者の観念は明瞭ではない。大乗仏教では、如来、菩薩が明確に大慈悲心をもつ救済者として現れてくる。
  1. ブッダはたしかに、救済者でもあった。のだろう。しかし、その救済は、信仰による救済ではなかった。信仰と言うのは《思いこみ》への執着だ。まあ、方便として、それでもよいが・・。
  2. 大乗によってどんどんブッダから離れていき、ヒンドゥーの神話の世界に呑み込まれていく。
  3. ヒンドゥーは信仰とヨーガの宗教。バランス感覚かもね。科学の信仰と科学のヨーガ(実験)。実験は科学のヨーガである。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/chugan.htm

    1. 中観派ーー空観
    2. xなるものが「ある」と知られるのは「x」なることばにもとづく。(一切は戯論すなわちことばの虚構による。)
    3. ことばの虚構の上に成立している現象世界において、分別をはたらかせることによって、行為と煩悩が生まれる。それらは世界を<空なるもの>と見ることによって、滅することができる。
  1. コトバモノとは別のモノコトバモノも「ある」と思う。(コトバモノとしてある)。しかし、「コトバモノがある」というコトバは、コトバモノがあるということとは別のことである。コトバにおいて「ある」とか「ない」とか言っても、・・・。
  2. コトバモノを指し示すことができる。しかし、《私》《他者》に語ったコトバは、《他者》にとっては、《私》がそのコトバで指し示そうとしたモノを、指し示しているとは限らない。コトバは意味しか伝えない。《思いこみ》しか伝えない。コトバによって《思いこみ》は伝わるが、モノを伝えるわけではない。モノへの《見通し》を伝えるわけではない。《見通し》《私》モノとの関係である。
  3. 「空」というコトバは、そこらへんの関係をちゃんと伝えているようには思えない。
  4. 「空」であると知ったとして、それが、何故に「涅槃」に繋がるのかは分からない。
  5. 我々の《知られつつある世界》は脳現象の噴出である、と知ることが涅槃なのか?
  6. 我々の《知られつつある世界》《知りつつあるモノ》《思いこみつつあるモノ》も含めた万象が、《宇宙史》噴出であるとしることが涅槃なのか? 
  7. 「涅槃」という《他者のコトバ》は理解不能だから、何ともいえない。
  8. 「ことばの虚構の上に成立している現象世界」というのは《コトバの世界》のことだな。しかし、行為や煩悩は《モノの世界》においても似たようなモノがあるのではないか? 身体的な痛みは、《コトバの世界》とは無関係にも存在する。心頭滅却しても暑いものは暑い。
  9. 空観に過大な期待をいだくべきではない。
  10. それに、社会生活を営むかぎりは、《コトバの世界》を棄てるわけにはいかない。《コトバの世界》を『そのようなモノ』として理解したうえで、《コトバの世界》とも付き合っていかなければならない。
  11. そもそも、空観などどいうコトバを語ること自体、《コトバの世界》との付き合いの一つだ。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/yuisiki.htm

    1.  アラヤ識は、表面に現れる心の連続の深層にあって、その流れに影響をあたえる過去の業の潜在的な形成力を「たくわえる場所(貯蔵庫)」(alaya)である。
    2.  これは瞑想の中で発見された深層の意識であるが、教理の整合性をたもつ上で重要な役割を果たした。すなわち、無我説と業の因果応報説の調和という難問がこれによって解決された。
    3.  無我説は、自己に恒常不変の主体を認めない。自己は、刻々と縁起して移り変わっていく存在であるという。すると、過去と現在の自己が同一であるということは、なぜいえるのであろうか。無我説では、縁起する心以外に何か常に存在する実体は認められない。はたして自業自得ということが成り立つのか。あるいは、過去の行為の責任を現在問うことができるのか。これは難問であった。
    4.  解答がなかったわけではない。後に生ずる心が先の心によって条件づけられているということが、自己同一性の根拠とされた。いいかえれば因果の連鎖のうちに自己同一性の根拠が求められた。
    5.  しかし、業の果報はただちに現れるとはかぎらず時間をおいて現れることがある。業が果報を結ぶ力はどのようにして伝えられるのか。先の解答はこの点について、十分に答えていない。
    6.  深層の意識としてのアラヤ識は、この難問を解消した。心はすべて何らかの印象を残す。ちょうど香りが衣に染みこむように、それらの印象はアラヤ識の中で潜在余力となってたもたれ、後の心の形成にかかわる。アラヤ識が個々人の過去の業を種子として保ち、果報が熟すとき表面にあらわれる心の流れを形成する。
    7.  これによって、アートマン(自我)がなくて、なぜ業の因果応報や輪廻が成立つのかという問題に対する最終的な解答が与えられた。
    8.  ところで、アラヤ識自身も刻々と更新され変化する。アートマン(自我)のような恒常不変の実体ではない。しかし、ひとはこれを自我と誤認し執着する。この誤認も心のはたらきである。これは、通常の心の対象ではなく、アラヤ識を対象とする。また、無我説に反する心のはたらきである。そこで、この自我意識(manas末那識、まなしき)は特別視され、独立のものとみなされた。
    9. 一切は表象としてのみある(vijnaptimatrata)。しかし、ひとは表象を心とは別の実在とみなす。こうして、みるものとみられるものに分解される。このようにみざるをえない認識構造をもつ心は誤っている(虚妄分別、こもうふんべつ)。
    10. アラヤ識が虚妄分別としてはたらかなくなるとき、みるものとみられるものの対立は現れなくなり、アラヤ識は別の状態に移り、「完全な真実の性質」をあらわす(円成実性)。
  1. アラヤ識というのは《背後者回路》とか、《背後者》のことなのか・・。
  2. 《知られつつあるモノ》《背後者回路》からの噴出であることを知ること。脳回路的な《背後者回路》を経由して表出した現象であることを知ること。と、関係があるのか?

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/nyoraizo.htm

    1. 如来蔵思想::如来蔵とは、生きとし生きるもの(衆生 しゅじょう)が皆、如来を胎内に宿しているということである。如来すなわち仏になる可能性は仏性(ぶっしょう)ともいわれるが、それがすべての生きものにそなわっているという教えである(一切衆生、悉有仏性)。//この如来蔵あるいは仏性を所有することが、あらゆる生きものがいつかは仏になり救済されうる根拠であるとする。『勝鬘経』大乗の『大般涅槃経』『楞伽経』『大乗起信論』などに説かれる。21)

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/10avatara.htm

    1. ヴィシュヌの10の化身(アヴァターラ)
      1. 魚(マツヤ)・・人間の祖マヌが、川で顔を洗っていた。そのとき手の中に小さな魚が入る。捨てないでくれという魚の願いを聞いて、マヌは大事に育てる。魚はどんどん大きくなり、ついに巨大な魚となる。海に放すと魚は、大洪水が近いことをマヌに教え、備えるよう忠告する。大洪水が起こる。魚の頭にはえた角につないだ船に、マヌとその家族、七人の仙人(北斗七星)は乗って助かる。(シャタパタ・ブラーフマナ 1.8.1-10)//マヌを救ったこの魚は、ヴィシュヌの化身とされる。この伝説は、オリエントに伝わるノアの洪水伝説(『旧約聖書』「創世記」第6章、ギルガメシュ叙事詩、第11書板)と関係があるとみなされている。
      2. 亀(クールマ)・・神々(デーヴァ)は魔神(アスラ)たちと協力して乳海を攪拌し、不死の妙薬(アムリタ)を手に入れようとした。このとき、マンダラ山を抜いて攪拌棒として用いたが、沈んでしまうので、ヴィシュヌは亀になって海の底に潜って下で支えた。(シャタパタ・ブラーフマナ 1.7.5-1)  乳海攪拌の神話は、牧畜民のチーズ作りに由来する創造神話の一種であろう。
      3. イノシシ(ヴァラーハ)・・大地がヒラニヤークシャという魔神のため水底に沈められたときヴィシュヌがイノシシになって牙で大地を救い上げた。(シャタパタ・ブラーフマナ 14.1.2)これは土着のイノシシ信仰による伝説とされる。
      4. 人間ライオン(ヌリシンハ)・・「ヌリシンハ」(あるいは、ナラシンハ)とは、ライオン(シンハ)の頭を持つ人間(ヌリ / ナラ)のことである。//ヒラニヤカシプという魔神が「昼にも夜にも、動物、人間、神々によって殺されることがない」という願いをブラフマーに許され、不死身となった。ヒラニヤカシプは、人や神を殺す非道を行い、ついには自分の息子プラフラーダも殺そうとする。プラフラーダは、ヴィシュヌに助けを求める。ヴィシュヌは、昼でも夜でもない夕方に、人でも動物でもないヌリシンハになり、ヒラニヤカシプを退治する。
      5. 小人(ヴァーマナ)・・(宇宙の)第7トレーター期に、全世界はバリという魔神(アスラ)が支配し、神々をも苦しめた。そこへヴィシュヌが現れ、小人になってバリが催す祭に出かける。ヴィシュヌはバリに「あなたは三界の王です。あなたの中にすべてが収められています。王さま、どうか私に3歩で歩いた分だけの領土をください」と願う。ヴィシュヌが小人なので、バリはその申し出を喜んで許した。すると、小人は突然巨大になり、天、空、地、すなわち全世界を3歩で歩いた。(あるいは、2歩で天界と地界を跨ぎ、3歩目をバリの頭に載せて、バリを地獄の底に沈めた。)(ヴァーユ・プラーナ 2.36.74f.)・・これがルビシャナだな。密教からヒンドゥーへの歴史。
      6. ラーマ・・ラーマは、叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公である。コーサラ国の王子ラーマは、腹違いの弟バラタの母が横槍を入れたため王位につけず、都アヨーディヤーを去って森林生活をする。ラーマが森の魔神を退治したところ、魔神の長ラーヴァナが怒り、森を襲ってラーマの妃のシーターをさらってランカー島へ連れ去る。ラーマは、猿王スグリーヴァを助けた縁で、その家来ハヌマーンの援助を得る。ラーマは、猿軍団の助けによってランカー島に渡ってラーヴァナを倒し、無事シーター姫を助け出す。//インドだけでなく、東南アジアにも広まった有名な話である。猿の助けによる遠征物語は、中国では西遊記となり、日本では桃太郎のおとぎ話になっている。・・民衆の人気者を取り込んだ。
      7. パラシュラーマ(斧を持つラーマ)・・カールタヴィーリヤ王がジャマドアグニ仙人の庵を訪れた。ジャマドアグニ仙人は、カーマ・デーヌ(望みのものを出す牛)でカールタヴィーリヤ王をもてなす。恩知らずの王は、仙人からカーマ・デーヌを奪ってしまう。仙人の息子パラシュラーマは、怒って王家に出かけて行き、王を殺す。王の息子達は、仕返しにジャマドアグニを殺した。すると、パラシュラーマはクシャトリヤ階級の男を21度皆殺しにする。//穏やかな性格をもつ神として描かれる傾向が強いヴィシュヌの伝説の中では異色なものである。バラモンとクシャトリヤの覇権争いを反映しているとされる。
      8. クリシュナ・・クリシュナは、とりわけ重要なので後述する。
      9. ブッダ・・神々(デーヴァ)が魔神(アスラ)たちと戦い敗れた。神々はヴィシュヌに助けを求めた。ヴィシュヌはブッダとなり、魔神、悪人達にヴェーダをすてさせ、悪をはびこらせ、破滅に追いやった(バーガヴァタ・プラーナ 1.3.24)。//あるいは、『ギータ・ゴーヴィンダ』によれば、動物を哀れんだヴィシュヌは犠牲として動物を用いることをやめさせるためブッダになった。仏教とヒンドゥー教の融合が背景にあるとされる。・・ヴェーダを棄てさせた・・か・・。
      10. カルキン(kalkin)・・カルキンは、未来に現れるヴィシュヌの化身である。カルカは「罪、悪」の意味で、カルキンはそれをもつもの。宇宙の破滅するとき、白馬にまたがり抜いた剣を持ったヴィシュヌ(カルキン)が現れ、悪人と善人を選別し、黄金時代を回復するという。//この話には、ゾロアスター教の終末観やキリスト教のイエスの再臨と最後の審判の思想の影響があるという説もある。直接には仏教が未来仏(未来に現れてあらゆるものを救済するブッダ)として説くマイトレーヤ(弥勒)菩薩にもとづくとされる。
  1. 密教の取り込み、民衆の英雄の取り込み、民衆の神の取り込み。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/brahma.htm

    1. 後期ヴェーダ文献に説かれる宇宙原理ブラフマンが人格神とみなされ崇拝されるようになったのが梵天ブラフマーである。
    2. ブラフマーは、祭式やヴェーダの学問を司る神で、四つの顔、四本の腕の姿で描かれる。眠るヴィシュヌの臍から生えた蓮華の上に坐るブラフマーの像もよく描かれる。ヒンドゥー教の神々は普通、配偶神を持つが、ブラフマーの妃は、音楽、学問の女神サラスヴァティーである。
  1. 普通は、人格神から原理に進化するような気がするが、反対に、原理から人格神に進化したのか・・。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/puja.htm

    1. 宗教行為をサンスクリットでは、karman(行為)という語で表す。これは二種類に分けられる。ヤジュニャ (yajna) とプージャー (puujaa) である。
    2. ヤジュニャとプージャーを厳密に分けることはむずかしいが、ヴェーダの宗教の儀礼の中心に位置する「祭式」(ヤジュニャ)は、執行者がバラモンに限られている。また、動物の生贄が用いられることがある。
    3. これに対して、ヒンドゥー教の儀礼はプージャーである。プージャーは「尊敬」「礼拝」「供養」を意味する。プージャーの形式の一部はヤジュニャに起源があるが、異なる要素も見られる。執行者は特定の階級に限定されない。誰でも行う。また、供物として用いられるのは、花輪、水、香、食べ物などである。普通、動物の生贄は用いない。(女神カーリーにヤギの犠牲を捧げるような例外はある。)また、神々をたたえる歌や踊りがしばしば行われる。
    4. 大規模なプージャーとしては、ベンガル地方のドゥルガー・プージャーが有名で、女神ドゥルガーを安置した山車を引き回し、神聖な河ガンガーに浸す。ここでも先住民族の宗教行為を吸収した形跡が見られる。プージャーの一部である花や香の供養は、仏教によって日本にも伝わっている。
  1. アーリア人は生贄を行う残虐な種族であり、ドラビダ人は生贄を好まない。
  2. アーリア人は神に餌を与えようとし、ドラビダ人は神をたたえようとする。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/multi.htm

    1. このような状態を支えている精神は、寛容(tolerance)というよりも、包含主義(inclusivism)いわれる。1) 包含主義は、互いの信仰を「信仰の自由」という自覚のもとで無条件に認め合うというのではない。むしろ、自分の信仰が絶対正しいという確信のもとで、他の信仰を排除するのではなく、それらにも何がしかの良さを認め、その程度によって序列化して、自分の信仰を最高とする体系の中に包含してしまうものである。
  1. それぞれが、勝手に、自分が一番、と思っていればそれでよい。自分の神が一番で、他人の神はその下にあるという体系を信じていれば、それでよい。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/c/intro.htm

    1. ヴァイシェーシカ学派の自然観::野沢正信(沼津高専)
    2. ヴァイシェーシカ学派は、インドを代表する実在論哲学を構築した学派である。この実在論は多元論的な世界観の上に成立しており、そこに描かれる自然には実在が満ち溢れている。この学派によって「実在」とされるものの種類と数の多さには、「驚くべき」という形容が加えられてもよいであろう。
    3. 一個の物体(身体)には多くの部分がある。物体(身体)は実在であり、諸部分(頭、手、足等)もそれぞれ別の実在とされる。さらにそれら諸部分に多くの部分があり、これらもまたそれぞれ異なる実在とされる。この繰り返しは原子に至り、部分への分割が不可能になるまで続く。全体から部分へ、さらに部分の部分へ原子に至るまで分解され、それぞれがすべて独自性をもった実在とされる。
    4. しかも、ヴァイシェーシカが実在と認めるのは、原子と原子からなる物体だけではない。虚空(空間もしくはエーテル)・時間・方角、アートマン(霊魂)・マナス(思考器官)といった実体や属性、運動、普遍、特殊、さらには内属という関係をも実在とみなす。この学派が描く自然には無数の実在が溢れかえっている。
    5. ヴェーダーンタ学派のシャンカラは、このようなヴァイシェーシカの実在論を多様な表現があるだけで、それに対応する実在があるわけではないと、次のように批判する。
  1. ドメインの思想。構成原理の異なる無数のドメインのそれぞれに無数の実体がある。

http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/c/ch2.htm

    1. 初期のヴァイシェーシカ学派は、世界を実体・属性・運動・普遍・特殊・内属の六パダールタによって説明する。
    2. 知覚の対象(artha)として実体・属性・運動が実在する(8.14)。
    3. すなわち、外界は知とは独立のものとして実在する。
    4. 実体は、地(土)・水・火・風(空気)・虚空・時間・方角・アートマン・マナスの九実体に分けられる。このうち、地・水・火・風が、自然界の全物質を構成する。
    5. 最後の二つ、「アートマン」 と「マナス」は、人間(あるいは生き物の)精神的・知的・倫理的な現象に関わる実体である。「アートマン」は認識と行為の主体としての自我、あるいは霊魂である(3.2.4-17)。「マナス」は思考器官で、しばしば「意」と訳されるように「こころ」に当たるものであるが(3.2.1-3)、原子大の大きさと迅速な運動をもち、アートマンの精神的な活動の手段とされるので、物質的な性格を帯びている(7.1.30)。ただし、感覚器官が原子からなる物質的なものとされるのに対して(8.16-17)、マナスは原子からなるとされることはなく、物質的な存在とは別の実在とされる。
    6. 認識・安楽・苦痛・欲求・嫌悪・意志的努力は、アートマンに内属する。
    7. 「普遍」も「特殊」も「無」も知覚の対象とされる。
    8. http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/c/ch4.htm
    9. 普通には推論されるしかないアートマンや原子などが、ヨーガにおいては知覚可能になると考えられた(9.13-17)。
    10. このような知覚も正しい知識根拠として認められ、通常の知覚と同様に実在の根拠とみなされた。
    11. 全体は部分の集合とは別の実在であるとする全体論(holism)の実体観を有する。
    12. これに対し、九実体説、特にそのうちに含まれる原子論は、本質的に還元主義(reductionism)の物質観である。この立場では、現象している存在はより基本的な・原理的な存在に還元しうると考える。いいかえれば、知覚される存在は知覚されない原因によって構成された結果であると考える。原子は、究極の原因を求めて分割・還元していった究極に現れるものである。
    13. アリストテレスが、実体に関する彼以前の二つの伝統を前提として、形相と質料の説を完成させたことと似ている。すなわち、一方には「それが何であるか」という問いに対する答えの基体として実体を考える伝統(プラトン的な伝統)があり、もう一方には、現象がさまざまに変化していく中にあって、それ自体は変化することなく存続しつづけるものとして実体を考える伝統(自然学的な伝統)があり、「形相」は前者の伝統を、「質料」は後者の伝統を反映している。アリストテレスは二つの伝統を融合させることによって実体を理解した。
    14. VSは、あるものについて「それが何であるか」を明らかにするものとして「普遍・特殊」という原理を立てる(8.6)。「普遍・特殊」はなにものかに存在しているが、その究極の基体は実体である。「普遍・特殊」は実体のみならず、属性や運動にも存在するが(1.1.7)、実体の特徴は、内属因として属性・運動・普遍・特殊の基体となる点である(1.1.14)。この場合、実体とは「牛」などの語によって指示される“牛”などのものであって、その存在が常住であるとは限らない。
    15. 一方、九実体説における「実体」は現象がさまざまに変化していく中にあって、それ自体は変化することなく存続しつづける常住なものとして実体を考える伝統の上に立つ。この場合、実体は原因を持たない(2.1.11)。そして、原因を持たないから常住不変である(2.1.13)。ここで、実体とは地、水、火、風などの九実体であり、常住な存在である。
    16. ヴァイシェーシカの場合は、アリストテレスの場合と異なって、二つの実体観の矛盾の回避はまったく異なる観点からなされた。すなわち、「内属」という関係概念を用いることによって二つの実体観は調和された。常住不変な存在で物質的には質料因として働く実体と必ずしも常住とは限らず知覚と言語表現の対象となる属性・運動・普遍・特殊の基体としての実体という二面を統合するものとして「内属因」という観念が形成された(1.1.14、 7.2.29)。
    17. http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/c/ch8.htm
    18. 多元論を敢えてとる思想とは、たとえば、知覚を存在の基準とし、知覚されるがままの多様な現象をそのまま実在と認める思想である。西洋では、経験論的な認識論を根底とする思想に多元論的な傾向が認められる。
    19. ヴァイシェーシカの多元論には、「知覚される特殊による多元性」が含まれている。
    20. 基本的にヴァイシェーシカ思想は、ことばによる知の枠組みに依拠して実在とされるものをパダールタの体系として立てる合理論的な思想である。52) したがって、ヴァイシェーシカの「知覚されるがままの多元性」は、唯名論的な傾向を示すことはない。
    21. 知覚のみを存在の根拠とする唯名論の立場では、個々のものが独自性をもつものとして知覚され、共通性は概念として形成されるだけで、実在しないとする。現象を「縁起」によって説明する仏教の思想には、この唯名論的傾向がある。
    22. http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/c/ch9.htm
    23. 還元主義的な原子論の立場からすれば、身体は原子の集まりでしかないが、言語と実在の対応説によれば、「身体」という語に対して“身体”という実在が、「頭」に対して“頭”、「耳」に対して“耳”が存在し、身体、頭、耳はそれぞれ互いにまったく別の実在と認められる。
    24. http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/c/conclu.htm
    25. ヴァイシェーシカ学派が描く自然の中には多様多彩な実在が存在すると認められる。無数の実在は、それぞれ固有の独自性が認められ、自然の中に位置づけられている。この多元論的な自然観は、自然には限りなく多様な意味と価値が本質として内在していることを教える。この点で、一元論あるいは二元論が支配的で自然に固有の意味や価値を認めず、それらは主観によって付与されるものとするニヒリスティックな傾向がある現代の自然観とは大いに異なる。
    26. ヴァイシェーシカ学派にとって正しい知とは、意味と価値を本質として持つ自然のあるがままの(yath灑tha)知である。しかし、無限性をもつ実在のトータルな知は通常には起こらない。通常にはごく限られた一部を知るにとどまる。それを可能にするのがヨーガ行者の知覚と考えられた。この特殊な知覚はVS9.13-17に説かれている。94) この知覚によれば、一切の実体が属性と運動とともに知覚されるという。
    27. 言語に即して世界を理解しようとする合理主義を基本的な立場とするヴァイシェーシカ学派が神秘主義的なヨーガを容認する理由はここにあると思われる。ここにおいて「実在の驚くべき種類と数の多さ」をもつ自然が、あるがままに見られ、究極の目的として求められる解脱が実現される。 95)
  1. ということは、物質、(虚空、時間、方角)=時空、(アートマン、マナス)=魂・魄。
  2. 原子論的な物理的実体と知覚世界の中に現れる物体的・《思いこみ》的実体
  3. ヨーガで知覚可能なモノも通常の感覚で知覚可能とされるモノも同じように知覚可能なモノ
  4. 「言語に即して世界を理解しようとする合理主義」と「神秘主義的なヨーガ」とが矛盾すると言う発想が分からない。「実験」というのは非日常的な動作ではないのか? ヨーガも観察である、実験も観察である。

http://vedicwisdom.jp/yajnya-devata.html 仏教経由で日本に紹介されたヴェーダ起源の神々

名前別名意味漢訳名
ブラフマー創造原理梵天
ヴィシュヌナーラーヤナ維持原理那羅延天
シヴァルドラ変化(破壊)原理大自在天
サラスヴァティヴァーチェ学問、芸術弁才天
ラクシュミーシュリー富、繁栄吉祥天
インドラ..宇宙知性帝釈天
ガネーシャガナパティ障害除去聖天
ヴァルナ..自然界の秩序維持水天
ヴァイシュラヴァナクベーラ毘沙門天

http://members.at.infoseek.co.jp/ikokunotabibito/bhutan/bhutan2.htm

    1. 釈迦はビシュヌ神の9番目の化身とされているのでヒンズー教の寺院でも祀られている
    2. http://ikokunotabi.web.infoseek.co.jp/orissa/orissa03.htm
    3. ジャガンナート寺院は12世紀に建てられたヒンズー教の寺院で、ジャガンナートは釈迦と同じくビシュヌ神の9番目の化身である。この寺院はヒンズー教の4大聖地の1つで、毎年6月か7月に行われる馬車祭りには10万人もの信者が集まる。
    4. http://www.janis.or.jp/users/sairyuta/tera/butuzo.html
    5. 盧舎那るしゃな如来とも略す。「華厳けごん経」や「梵網ぼんもう経」では、釈迦の存在の根源に有り、釈迦は毘盧舎那如来の仮の姿であり、仏教の真理である仏法そのものを示す、と言われる抽象的な概念の仏。諸宗によって理解を異にする。
    6. 梵天ぼんてん バラモン教の最高神ブラフマーが仏教に入り、釈迦の守護神となったもの。諸天の中では最高位。帝釈天と対で造られ、釈迦如来像の脇持として三尊形式で安置されることが多い。四面四臂ぴで鵞鳥がちょうに乗った姿が多い。
    7. 帝釈天たいしゃくてん もとは古代インドの最強の神インドラで、修行時代からの釈迦を守っていた。甲冑をつけ、梵天と対をなし、釈迦如来像の脇持として三尊形式で安置されることが多い。
    8. http://64.233.179.104/search?q=cache:KXy95SlXXIAJ:www8.ocn.ne.jp/~kuyou/sub18.htm+%E7%9B%A7%E8%88%8E%E9%82%A3+%E3%83%93%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8C&hl=ja&client=opera
    9. “ヒンズー教”//ブラフマン(宇宙の創造を繰返す)、ヴィシュヌ(宇宙の維持)、シヴァ(創造と破壊の神)の3神を主神として多数の神々を祭る他、偶像崇拝などの多くの宗派を含む宗教。ヴェーダやマハーバーラタを背景に4世紀頃すなわち仏教がほぼ完成された後から成立してきた。クリシュナとラーマはヴィシュヌの変身で、信仰を集めている。ブラフマンは仏教の梵天、ヴィシュヌは昆紐天、シヴァは大自在天。
    10. http://home.att.ne.jp/gamma/dug/sinmei/u.htm
    11. ヴィシュヌ::Visnu::ヒンズー教ビシュヌ派の宗教的信仰の中心として崇拝される。元来は太陽神で、天界を三歩で歩くといわれ、愛の神として信者に平等に恩恵を与える。次第に神としての地位を高め、三界を支配する諸神の最高神になった。宇宙を維持し世界を救済するため魚、亀、イノシシ、人獅子、小人、パラシュラーマ、ラーマチャンドラ、クリシュナ、ブッダ、カルキの10種の化身(アバターラ)で世界に顕現し、慈悲を持って人々を導くという。ブラフマー(梵天)・シバとともに三神一体をなし、神像では正面にブラフマー、右にビシュヌ、左にシバを配す。
    12. http://www13.plala.or.jp/ayamenobasho/asian/hindu/
    13. 三神一体::トリムールティ。ブラフマー(中央:創造)、ヴィシュヌ(左:繁栄維持)、シヴァ(右:破壊)の三神は、宇宙原理の三面であり、究極的には一体であるとする説。
    14. ブッダ::ヴィシュヌ教はブッダをも化身として取り込んでいる。ブッダは誤った教義をアスラ(悪魔)に説くことによって、それらを退治する一躍を担ったとされ、ここに仏教を異端とする否定的態度がうかがえる。
    15. http://vedicwisdom.jp/yajnya-devata.html
    16. 主要なデーヴァターは、ブラフマー(梵天)、ヴィシュヌ(那羅延天)、シヴァ(自在天)、ドゥルガー、ラクシュミー(吉祥天)、サラスヴァティ(弁才天)の6柱です。
    17. ヴィシュヌ::ナーラーヤナ(別名)::維持原理::那羅延天
    18. http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/visnu.htm
    19. ヴィシュヌは、伝統的に太陽の光照らす作用が神格化されたものとされる。この解釈は、古くからあり、すでにヤースカの『ニルクタ』12.19に引用されている。しかし、オランダの碩学ホンダは、ヴィシュヌについて「上昇する」など太陽に特徴的な表現が見られないこと、むしろ世界の中央という位置を与えられることから、もとは祭柱(yUpa)などによって象徴される「宇宙樹」(axis mundi)ではなかったかとする2)。
  1. ふむ。メシア=救済者=ビシュヌ。と。悪魔=破壊者=シバの両方を呑み込んでいるのか。それに創造神=宇宙神=ブラフマー。インド流のバランス感覚。
  2. ヴィシュヌの化身のブッダが「誤った教義をアスラ(悪魔)に説くことによって、それらを退治する一躍を担った」といい、「釈迦は毘盧舎那如来の仮の姿」であり「アスラの太陽神であるヴィロチャーナ」が「毘盧舎那」であるとするなら、筋が通る。ヴィシュヌが「アスラの太陽神であるヴィロチャーナ」として化身し、更にブッダに化身して仏説を説いた。という神話に仏教が取り込まれることによって、アスラたち(の神)をヒンドゥーの神話に取り込むことに成功した。という話になる。
  3. しかし、人格神の世界はアスラたちの世界だろう。アスラたちが、アーリア人の世界(原理と生贄=暴力世界)を呑み込んだのである。
  4. ヴィシュヌはアーリアの神によるアスラの神への呑み込み。

http://www.ne.jp/asahi/imagex/science/gesshoku.html

    1. ヴィシュヌ神はインド最古の文献「リグ・ヴェータ」によれば主神インドラの協力者で「太陽の光の人格化」,少し後になって書かれる「マハーバーラタ」では格上げされて「すみずみまで照らし出す光りのように大地を闊歩し,人間に対しては慈悲深い存在」とされています。語源的には「あまねくゆきわたる」と言う意味があるそうです。
    2. インダス文明の遺跡には,地母神の像やシヴァ神の原型と思われるものがあり,これは後世に出現するヒンドゥー教の原型があると言われていて,ヴェータの時代を形成したアーリア人の宗教には認められない要素でした。
    3. 「リグヴェータ」はパンジャブー地方に達した好戦的な遊牧民であったと言われるアーリア人が,そこの原住民を征服した事を伝えたものと解されています。武勇神インドラを「城塞破壊者〜ブランダ」と呼んでいますが,この城塞こそがインダス文明だとの見解があります。(中央公論社『バラモン教典』)

http://d.hatena.ne.jp/veda/200503

    1. ヒンズー教なら答えはもっと明確だ。//「すべての人は神の化身であるから、人の自由意思と運命は深いレベルにおいて完全に一致する」//ただし、これを理屈で理解しても何の意味もない。これは深い瞑想状態のときにしか感じることのできないものだ。入我我入、神人合一、梵我一如、万物合気・・・・何と呼ぼうが勝手だが、自分と神が一つであると「実感」したものにしか、運命の法則の謎は解けない。

http://www.butsugu.co.jp/dainiti.html

    1. アスラのすべてが必ずしも悪いわけではないのですが、デーヴァとほぼ対等の力を持っているものですから、なかにはデーヴァの領域を侵犯し、悪さの限りを尽くすものもいました。そこから、アスラというのは、争いごとを好む悪魔のようなものだという扱いを受けるようになりました。アスラは、非天とも漢訳されます。しかし、普通は阿修羅(あるいは略して修羅)と音写されまして、六道輪廻の6つの生き物の領域のなかで、人間世界よりも下の世界の生き物であるとされていますが、これは、こういったことによるのです。
    2. さて、アスラの太陽神であるヴィロチャーナには、バリという、息子がいました。言葉の上からしまして、このバリはヴァイロチャーナにあたるわけですが、ヒンドゥー教の神話では、このバリは、大変な悪者扱いをされています。バリは、その絶大な力によってデーヴァ太刀をさんざんにやっつけて追い払い、天界、空界、地界の三界をデーヴァたちにかわって支配するようになりました。デーヴァたちも、バリに力でかなうものがなく、困り果てていたのですが、そこで登場したのがヴィシュヌ神です。
    3. ヴィシュヌ神は、小人に姿を変えてバリのもとに赴きました。バリはこの小人がなかなか気に入りまして、なんでも望みごとをかなえてやると上機嫌。そこで小人は、三歩で歩ける範囲を自分の物にしたいと申し出ました。バリは笑いながら、それを認めました。するととたんに小人は大巨人になりまして、三歩で天界、空界、地界をまたぎました。こうしてとうとう、ヴィシュヌの知略によって、三界は再びデーヴァたちのものになったということです。
    4. ただ、ヴィローチャナ系統のアスラの太陽神たちは、「阿修羅」という漢訳語からうける語感とは裏腹に、威儀をもってアスラたちを統括し、全体としてデーヴァたちと友好的な関係を保っていた大変立派な神だったようです。バリにしましても、デーヴァたちにとっては迷惑千万だったとはいえ、いわゆる悪逆非道のふるまいをしたわけではないようです。
    5. それよりもなによりも、バリ(おそらくはあのヴァイローチャナ)が、すくなくとも力の上では、すべてのデーヴァ達をしのいでいたということが注目されます。デーヴァ界、アスラ界をふくめて、すべての神々を圧倒する威力の持ち主、陰の最高神というこのイメージは、すべての仏たちのなかの仏でありながら、しかも通常の状態では表に姿を見せることがないという大日如来のイメージと、大変うまく重なり合います。直接の証拠というものが無いのがまことに残念でありますが、こういうわけで、あすらのヴァーローチャナと仏教のヴァイローチャナとの間にはやはり、何らかのつながりがあるようにおもえます。
    6. さて、ヴァイローチャナというのは、毘盧遮那仏(びるしゃな)とか毘盧舎那仏、あるいは略して盧舎那仏というように音写されています。

http://www.sunfield.ne.jp/~shihou/pubcome/pubcome.htm

    1. 「電子情報処理組織を使用する方法による申請の導入等に伴う不動産登記法の改正に関する担当者骨子案及び同補足説明」に対する意見
  1. なんで、最近は、次から次への、不可解な法律が出来るのか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/メシアニック・ジュダイズム

    1. ユダヤ教を信じ、ユダヤ人としてのアイデンティティーを持ち続け、イエスをキリストとして信じる人々のことをメシアニック・ジュー(Messianic Jew)と呼ぶ。
    2. http://ja.wikipedia.org/wiki/メシア
    3. メシアは、ヘブライ語のマーシアハ(משיח)のカナ表記で、「油を注がれたもの」の意。メサイアは、Messiah の英語発音。
    4. 出エジプト記には祭司が(28:41)、サムエル記下には王が(2:4)、その就任の際に油を注がれたことが書かれている。後にそれは理想的な統治をする為政者を意味するようになり、さらに神的な救済者を指すようになった。ユダヤ教におけるメシア(w:Jewish Messiah)はダビデの子孫から生まれ、イスラエルを再建してダビデの王国を回復し、世界に平和をもたらす存在とされている。
    5. メシアに対応するギリシャ語はクリストス(Χριστος)で、「キリスト」はその日本語的表記である(ヨハネによる福音書 1:41)。クリスチャンはイエス・キリストがそのメシアであると考えている。
    6. http://ja.wikipedia.org/wiki/原始キリスト教
    7. イエスもパウロも、現在でいう「キリスト教」を開こうとしたわけではなく、ユダヤ教の内部改革運動の1つであった。このためイエスもパウロもユダヤ教の教会(シナゴーグ)で、自分の体験による神ヤハウェ理解を宣教していた。その意味でイエス自身はユダヤ教徒であり、自分のことを、メシヤ=キリストではなく、預言者と理解していた(新約聖書の中では、後から教会側が、イエスに「キリストである」ことを言わせている追記が多いので注意のこと)。パウロの回心もユダヤ教の時に信仰していた神と回心後の神は同一の神であり、キリスト教の神が別にあるわけではない。神の理解が変わっただけである。
    8. イエスが十字架で殺され、三日後に復活した出来事により「イエスはキリストである」という信仰を基盤にする初期教会が使徒「ペテロ」を筆頭として首都エルサレムに建てられた。このような流れの中でユダヤ教からキリスト教は異端であるとして排除されるようになり、西暦70年から100年の間に一つの宗教として確立して行くことになる。この時初めて「キリスト教」が成立したと言える。
    9. 後にユダヤ人伝道の拠点を「エルサレム教団」と呼び、異邦人に伝道したパウロ達の教会を「アンテオケ教団」と呼ぶようになった。
    10. http://ja.wikipedia.org/wiki/ユダヤ教
    11. 一般的に「キリスト教」との区別は、聖書に記された救世主がイエス・キリストであると考える人々を「キリスト教」と言い、救世主は未だ存在せずその出現を待ち望んでいる人々が「ユダヤ教」とされている。
    12. http://ja.wikipedia.org/wiki/エッセネ派
    13. エッセネ派(האיסיים)は、紀元前2世紀から紀元1世紀にかけて存在したユダヤ教の一グループの呼称。現代では複数の関連のある集団がまとめてエッセネ派という名で言及されていたと考えられている。呼称の語源は不詳。ファリサイ派から発生したと考えられるが、俗世間から離れて自分たちだけの集団を作ることで自らの宗教的清浄さを徹底しようとした点で民衆の中で活動したファリサイ派とも一線を画している。
    14. 神殿崩壊後のユダヤ教はファリサイ派の中でもヒルレルのグループが中心となって担っていくことになる。エッセネ派の持っていた「神殿によらずして神に仕えることができる」という発想はキリスト教の発生に影響を与え、神殿崩壊後のユダヤ教を支える思想的な基礎になった。
    15. 新約聖書には、ファリサイ派とサドカイ派はあらわれるが、それらとならんで当時の主要なグループであったエッセネ派が一切登場しないため、洗礼者ヨハネやイエス・キリストが、エッセネ派に属していた、あるいは関係グループに属していたという説もある。

FBIの図書館記録押収、「愛国者法の乱用」と提訴(読売)

    1. http://www.asyura2.com/0505/war73/msg/832.html
    2. 投稿者 どん兵衛 日時 2005 年 8 月 27 日 22:54:20: 7oUaiPRSj3bnA
    3. 【ワシントン=貞広貴志】米市民権団体「全米市民自由連合(ACLU)」は26日、連邦捜査局(FBI)が愛国者法の権限を乱用してコネティカット州の図書館の記録を押収したとして、司法長官やFBI長官を相手取り「事実関係の公表」を求める訴訟を起こしたことを明らかにした。
    4. ACLUは捜査対象となった公共図書館の委託を受けて提訴しており、公共機関が捜査の当否を問う異例の訴訟となる。
    5. 愛国者法は、特定の犯罪容疑がなくても図書館の利用情報を捜索できる権限をFBIに与え、捜査の事実すら公開することを禁じている。
    6. このため、今回の訴訟は日時や場所を伏せる秘密訴訟の形をとっている。
    7. 2005年8月27日22時12分 読売新聞)
    8. http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050827i413.htm
    9. ・・・何が愛国?
  1. 日本でも愛国者法案を提出すれば、マスゴミは「国を愛することに賛成ですか?」というアンケートを実施するだろう。

2005-08-27(土)

《ヒトの群れ》への参加欲求

  1. 愚か者の群れへの参加を拒否する欲求
  2. 愚か者の群れから逃避する欲求
  3. 地涌仏の群れへの参加欲求

「道徳性を・・妄想の所産にすぎないとして、これを嘲笑する人たちがある」(p.53)

  1. 野獣的であることが道徳的であるとする人々。
  2. 「人間としての最高の満足」とはなにか? についての思慮不足なのだろう。「人間としての真の満足」(p.27)

道徳は自分に課するモノであって、《他者》に課するものではない。

  1. 法は《他者》に課するモノである。
  2. 《他者》の行動を道徳で判断してはならない。か?
  3. 《他者》を道徳で評価することは、《私》の道徳に反する《私》の行為である。

世俗的道義心とはなにか?

  1. 最大多数の最大幸福+主観者公理《知りつつあるモノ》《ヒトの個体》《ヒトの群れ》
  2. システム論的認識。
  3. 結果価値
  4. 道徳法則と言うのは、イデアから直接当為命題が出てくるような単純なものではない。内心的《思いこみ》から結論が出るような単純なものではない。《我》を取り巻く状況を評価し、状況の中のモノたちの《求める思いこみ》を知り、選択可能な動きを吟味し、その動きの結果として生ずべき状況を評価し、もっとも望ましい結果を生じさせる動きを選択することである。その格律に従って行動したのであるなら、結果が悪くても非難されるべきではない、といういみで「この卓越せる善は・・人格そのもののうちにすでに現在しているのであるから、今さら行為の結果をあてにする必要はない」(p.40)ということになる。ヒトは、それ以上の行動をなすことはできないのである。
  5. 状況選択の道徳法則。

「善意志の概念は・・常に最高であり、諸々の他のいっさいの善を成立せしめる条件をなすものである」(p.30)

  1. 善のイデアイデア主義、イデア実在論
  2. 新プラトン主義の流出論の神を善意志に置き換えただけのもの。
  3. 義務のイデアは最も義務的であろう・・。

妙法とはブッダを悟りに至らしめた自然の法則性である。

  1. それ自体にはなんの不思議もない。
  2. 問題なのは、何故にヒトはそれを知りえないのか? という知ることを妨げる障害物の方である。
  3. 地涌仏は自らが地涌仏であることを知らない。
  4. 地涌仏は『自らが地涌仏である』と知ろうとしない。
  5. 地涌仏は『ブッダ』が超人間的な存在であると信じている。つまり、『人間が地涌仏であることはあり得ない』と思いこんでいる。
  6. 地涌仏は『地涌仏であることのメリット』を感じない。

地涌仏

  1. 愚者は地涌仏である。
  2. 地涌の菩薩と言うらしい。
  3. 地涌仏は山川草木悉皆成仏である。
  4. 「地涌の菩薩とは、末法の法華経である日蓮大聖人の仏法を信仰する者の意味である」(http://www1.odn.ne.jp/aao35040/)らしいので、別の概念としておこう。
  5. 地涌仏は《他者》である。《他者》は地涌仏である。
  6. 「地涌の菩薩 (じゆのぼさつ) ::法華経、従地涌出品第十五に説かれている菩薩。滅後の弘教を勧める釈尊の呼びかけに応じて大地の底から涌き出てきたので「地涌の菩薩」といい、上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩を上首とする。釈尊の説法を助け、滅後の弘教を誓った本化(ほんげ)の菩薩ともいう。末法に妙法を受持し弘通するために出現する菩薩である。」(http://www.winbell-7.com/yougosyu3.html
  7. 「是諸菩薩摩訶薩。従地涌出。以諸菩薩。種種讃法。」「是の諸の菩薩摩訶薩地より涌出して、諸の菩薩の種々の讃法を以て仏を讃めたてまつる。」(http://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/5/15.htm)。残念ながら、たけ(tk)の立場は「仏にあったら仏を殺せ」のほうだ。
  8. http://comet.endless.ne.jp/users/fnwo/h-15.htm
  9. 常不軽菩薩
  10. 「娑婆世界。三千大千国土。地皆震裂。而於其中。有無量千万億。菩薩摩訶薩。同時涌出。是諸菩薩。身皆金色。三十二相。無量光明。先尽在。」http://www.myofukuji.or.jp/okyo/hokeshin/okyo-11-15.html。初めから金色で無量光明を持って出現するのだ。
  11. 「是諸菩薩。従地出已。各詣虚空。七宝妙塔。多宝如来。釈迦牟尼仏所。到已向二世尊。頭面礼足。乃至諸宝樹下。師子座上仏所。亦皆作礼。右繞三?。合掌恭敬。以諸菩薩。種種讃法。而以讃歎。住在一面。欣楽瞻仰。於二世尊。是諸菩薩摩訶薩。従地涌出。以諸菩薩。種種讃法。而讃於仏。」
  12. なんか、菩薩同士の挨拶を交わした程度に見えるな。

「自然は我々の意志の支配者として理性を立てはしたものの・・」(『道徳形而上学原論』p.25)

  1. キリスト教的コトバ主義。
  2. 有機的存在者とは、自分の生活を合目的に営むように仕組まれた存在者のこと(p.26)
  3. 目的的システム。という人間観。
  4. 未来は、現在に於いて存在確率の波として存在する。
  5. 未来は四次元チューブにおいて存在確率1の固体として存在する。
  6. 我々は、現在の立場しか採ることができない。今ここの《我》でしかありえない。したがって、未来は、存在確率の波としてしか認識することができない。
  7. 目的とは、『未来の《我》』についての《思いこみ》である。『未来の《我》』の存在確率の波の中の、一つについての《思いこみ》である。
  8. 目的的存在者とは、《思いこみ》に奉仕する存在者である。執着に奉仕する存在者である。
  9. 天命《思いこみ》である。天命《我》を取り巻く状況の認識から、《我》を取り巻く状況に含まれる様々な《求める思いこみ》の認識から、それを統合するモノとして生じた《我》《求める思いこみ》である。
  10. 天命は世俗的な道義性である。天命は世俗的道義性の結晶である。
  11. 天命を『天』という宗教的な超越的な人格の命令と解釈する方法もあるが・・。

http://www.asyura2.com/0505/asia2/msg/607.html

    1. 「中国語で『反省』という言葉は、よく考えること(想想)の意味・・考えがまとまりましたか?(想透了?)」
  1. 日本語で反省というコトバは、強制的に謝罪させられること。

http://www.asyura2.com/0505/war73/msg/829.html

    1. 武士の嘘を武略と言ひ仏の嘘を方便と言ふ。土民百姓はかはゆきことなり。――明智光秀

http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/630.html

    1. 海外にいる日本人を見て思うのは、自分というものが確立されていないために、他人を基準としてしか自分を見ることができない、評価することができない人が多いことです。いやこれは海外にいるかどうか関係ないかな。ヨーロッパにいると自分というものを強固に確立していて、他人のことは気にしない人間の比率が日本とは比較にならないほど多いので、日本人の周囲ばかり気にする態度が非常に目立つということかもしれません。
    2. 日本人には自分が幸福かどうかも自分では決められないで、他人を基準にしているようなところがあります。高級ブランド志向などはその典型で、高価な商品を購入・所有する、という大多数の日本人に共通する価値基準以外に、独自の「幸福の指標」をもっていないため、そうならざるをえないという感じです。だから他人と共有できる幸福指標が周囲に見あたらないと呆然自失状態になって精神が不安定になる。
    3. ヨーロッパの生活が心地良い理由の一つは、「人は人、我は我」のマイペースを貫けることです。日本人は海外にいても「人との優劣を競う、(異常に)頑張る」のが大好きで、他人のペースを尊重できない人が多くて困ったものです。だからせっかく英国のように比較的のんびりできる風土にいるのに、「ガルルルル」と異常に張り切って疲れ果ててしまう日本人もいます。
    4. すべて独自の幸福指標をもっていないための悲劇だと思いますね。
  1. これはいわゆる他律的人間像。
  2. 何に対して他律的かは、文化によって異なるのかもしれない。宗教指導者や政治指導者に対して他律的なのか。

2005-08-26(金)

気力とは何か?

  1. 気力というのは外部の気なのだよね。外部の気が背後者を通じてこのヒト動かすモノなのだよね。
  2. 《他者》《元気》噴出が問題。

ロスチャイルドといえども、起きて半畳、寝て一畳以上のものではない。

http://www.asyura2.com/0505/senkyo12/msg/487.html

    1. 「(自公)連立はすべて池田名誉会長を守るためだ」。自公連立に異議を唱える公明党議員に冬柴鉄三幹事長が語った言葉だという。
  1. 終戦当日の「天皇陛下に申し訳ない」と似ているな。
  2. 御輿をかつぎあげること、御輿を守ること。
  3. カルトの特徴は、内部的な独裁制だという。
  4. 御輿にのっているのは、赤子のような無力な魂でなければならない、ということか?
  5. 日本国の御輿を担ぐとどうなるか?
  6. マモンの御輿を担ぐとどうなるか?

2005-08-25(木)

http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/377.html

    1. 私の投稿の趣旨、は一神教を道具として世界単一支配をもくろむ動きに対抗しうる「智慧」の誕生を希求する、ということである。そのためには大勢の人々の監察・調査と知恵が必要だろう。(「監察・調査と知恵」抜きの屁理屈は不要なばかりか妨害である。)
    2. 中世の「政祭一致」が当たり前であった体制が近代社会によって崩され、そして現在、新しい形態の「政教一致」の哲学が生まれつつあるのか。これが「ポスト・モダン」なのか? この流れは絶対に軽視されてはならない。社会科学が近代にこだわって宗教を軽視しているうちに、すでに「先手」を打たれているのだ。このままでは子々孫々にまで悔いを残すことになるだろう。
  1. プロテスタンティズムや悪人正機と違うのは、カトリックには、宗教による政治支配の伝統とノウハウがあることだな。
  2. 神聖ローマ帝国は、しかし、世界支配に失敗している。何故か? まわりの蛮族が支配に服さなかったからか?
  3. 政治的混乱はどうでもよくて、階層的奴隷主義が広まればOKなのか?
  4. カトリシズムと独占資本の精神。

http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/377.html

    1. この世紀の間、バチカンを今日ある金融大国にした最大の責任者は、その融資マネージャーであり金融の天才、ベルナルディーノ・ノガーラであった。彼について語る際に、ニューヨークの枢機卿スペルマンはかつて次のように言った。「カトリック教会に今まで起こったことのうちで、イエス・キリストに次ぐものは、ベルナルディーノ・ノガーラである。」ヨーロッパが戦争に向かうに先立ってノガーラは、軍需産業に徹底的に投資し、その多くをすっかり買い取った。これによって、ムッソリーニが1935年にアビシニアに侵略した時および後の第2次世界大戦のときに、バチカンは莫大な利益を一気に手に入れたのだ。
    2. またしてもスペルマン! それにしても「イエス・キリストの次に」とは! まあ本音は「イエス・キリストよりも」だろうが。この米国のカトリック・マフィアの頭目は、何よりもマモン(カネの悪魔)の信徒だった。そしてその「マモン教」の大司祭がこのノガーラだったのである。世界を破壊し人間の血を吸い取り人間の観念と思考を操って、世界の全面支配を企む「金力、権力、情報力の三位一体神」こそが、20世紀半ばにはすでにカトリックの神になっていた。哀れな下っ端信徒だけが、十字架にかけられたキリストに罪の許しを祈っていたのだろう。
    3. ノガーラが軍需産業に投資してバチカンの資産を効率よく運用したことは、他の多くの資料からも確認できる。ここにも20世紀の戦争の本当の姿が見え隠れする。大戦争は金融支配のために仕掛けられるのだ。その表向きの姿が、例えば「民主主義とファシズムの闘い」「自由主義と共産主義との闘い」等々といったものだろう。
    4. しかしどう転んでもその神は「金力、権力、情報力の三位一体神」なのである。
  1. 「金力=畜生、権力=修羅、情報力=天上の三位一体神」。
  2. 背後にあるのはマモン
  3. 人類はマモンの巨大な《身体》になりつつある。
  4. 蓮如(1415 〜1499年) 悪人正機→石田梅岩(1685〜1744)様々な思想や宗教は「我心ヲ琢磨種(みがくとぎぐさ)」→二宮尊徳(1787〜1856)親戚朋友の為の譲り,郷里の為の譲り,国家の為の譲り,他の一切衆生の為の譲り。(『大学』の修身)。

http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/157.html

    1. オプス・デイの基本方針は『信仰と政治的忠誠心の結合』つまり「政教一致」「政教融合」の方針である。もっと言えば「宗教の政治化」「政治の宗教化」である。これは米国ブッシュ政権の方針でもあり、オプス・デイ会員であるサントラムは「政と教を一致させることがすなわちカトリックである」したがって「ジョージ・W.ブッシュは米国で始めてのカトリック大統領だ」というわけなのだ。これはこの上院議員の個人的な意見ではなく、まさにオプス・デイの方針そのものなのである。
    2. オプス・デイは初めから「政教融合の神権政治」を目指す団体なのだ。先ほどの経済活動と併せて「政経教融合の神権政治」と言っても良い。これが彼らの正体である。1950年代の後半から70年代の前半にかけてスペインのフランコ独裁政権の下で彼らはこの神権政治を実現させた。しかしこれは『雛形』、つまり予行演習に過ぎなかったのである。
    3. やがてこのカルト集団は徐々にバチカンを乗っ取って中南米に支配の手を伸ばし、米国に浸透して、今や英国をも手玉に取ろうとしている。カトリック教徒とユダヤ教徒が多いウクライナで親欧米政権が生まれた裏にも、おそらく彼らの暗躍があっただろう。非キリスト教国である日本にも早くから進出してきており、彼らのアジア最大の拠点であるフィリピンからアジアと太平洋にもにらみを効かす。オーストラリアは彼らの重要拠点の一つである。そして日本に亡命している子飼いのフジモリが再びペルーに戻るようなことになれば完全に地球をぐるりと囲んで縛り付けることになるだろう。
    4. 彼らの目指すもの、つまり今までの動きの延長上にあるものは、地球規模の神権国家体制を作り上げその中核を担うことである。
    5. 日本人は世界がすでにこのような『信仰と政治的忠誠心の結合』の方向へ向けて大きく動き出していることに気付こうとしない。それは決して「歴史の流れ」とか「歴史的な必然」などではなく、ある少数グループによる意図的な誘導なのだ。

http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/157.html

    1. 思想的にも、ユダヤ人の救済のみを掲げるユダヤ教の変形としての一面を持つシオニズムが、一方で「全人類の(地球規模の)救済」を掲げるキリスト教と、「終末論」の中で案外すんなりとつながってしまうのである。
    2. 「完璧な仕事」によって聖なるものとされるのである以上、様々な面で能力の高いユダヤ人たちは「最も救いに近い」ということになるだろう。
    3. 米国でユダヤ人に対する取り込みが盛んだし、ユダヤ人たちにとってもさほど抵抗無く受け入れることができる教団であるようだ。というか、最初からユダヤ人を取り込みやすいように作られた面がある。(もっと言えば創始者のエスクリバー自身が改宗ユダヤ人の子孫である、という説がある。この場合は最初からユダヤ人救済のための教団、ということになる。パトロンだったスペインの独裁者フランコやその側近たちもユダヤ系スペイン人であったという話すらある。)

http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/157.html

    1. そもそも米国型の民主主義は、米大陸原住民の大虐殺をベースにして、近隣の極貧国からの経済収奪に支えられ、実質的に市民権から遠ざけられた人間を国内に多数抱えた状態で、大規模な情報操作によって作られた「世論」を基にして、初めて成り立つものである。米国支配層にとって、「民主主義」がアリストテレスの危惧した「衆愚政治」に陥らないようにするためには情報操作による誘導が必要だ、ということなのだろう。そして理想的にはそこに宗教が、しかも強力な一神教がなければならない。
    2. 例えば米国ブッシュ政権が、そのような「民主主義」をマスコミによる世論操作と警察や軍による法的強制力を手段として作り維持するという、ある種の「神権政治」の『雛形』になっている、といって差し支えないのではないのか。そして同時にまた、これこそレオ・シュトラウスが理想としたものではないのだろうか。

http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/157.html

    1. 旧来のカトリック教会は旧約聖書創世記2:15を「主なる天主は、人間をとらえてエデンの園に置き、そこを耕させ、守らせた。」と解釈してきた。オプス・デイの創始者ホセ・マリア・エスクリバー・デ・バラゲー(以下、エスクリバーを記述する)はこの箇所を「人間は働くために創造された」という意味であると説明する。その上で旧来のカトリックが「人は苦悩のために、鳥は飛ぶために生まれた」を訳したヨブ記5:7を、エスクリバーは「人は働くために、鳥は飛ぶために生まれた」と解釈しなおした。

http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/157.html

    1. 「増殖しそして何重にも増やし、この地を満たして支配せよ。【原文:Increase and multiply, fill the earth and subdue it,】」は日本語の旧約聖書では「産めよ増やせよ、地に満ちよ」となっていることが多い。この文章の聖書から引用ではそれに「支配せよ」がくっついている。まあこれが一神教の本質的な思想なのだろう。そしてこの論文では原罪の意味よりも増殖して地球を支配することが強調されている。これが人間にとって最も重要な「ビジネス」である、という主張なのだ。この点は面白いことに文鮮明の統一教会と全く軌を一にしている。

http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/829.html

    1. 「行動の中の観想」がイエズス会のトレードマーク

http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/829.html

    1. 『人間の尊厳という考え方は現代人の意識の中に益々深く自らを焼き付けつつある。そして、強制によらず義務の意識に動機付けられた責任ある自由を喜び利用しながら、人が自らの判断に基づいて行動すべきである、という要求が日増しに強くなってきている。』

http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/819.html

    1. エスクリバーの哲学によると、人間は日常生活のすべての活動に聖化の道を求めなければならない。
    2. 「ある人はウォール・ストリートでの仕事を聖なるものにすることができます」とベラスケスは付け加えた。
    3. エスクリバーの言う「すべてのまっとうな仕事をできるだけ完全にやり遂げ」ることができる立場にあり、またその能力を持っているのは、まさに高学歴中産ブルジョア階級のエリートたちだろう。彼らはウォール・ストリートでラテン・アメリカやアフリカの経済を破壊する仕事でも、大規模国際企業の重役室で中南米の貧乏人からナケナシの富を絞り上げて大富豪をますます肥え太らす画策をしていても、テレビ局でCIAと手を組んでデタラメなプロパガンダを撒き散らしても、それを完璧に行うことによって、『自らを聖なるものとして完成させている』のである!
    4. http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/157.html
    5. 現在オプス・デイの会員は世界に約8万4千人と言われるが、その中心になっているのは、スマートに着こなしてウオール街で仕事に励む証券マンやエコノミスト、重役室で経営戦略を練る銀行や企業の幹部、オフィスでてきぱきと依頼の処理に励む弁護士や会計士、ロビーとの折衝や外交に忙しく飛び回る政治家とそのスタッフ、その他、高級官僚、軍の幹部、マスコミの編集委員や作家・評論家、大学教授や学者といった、有能な社会エリートたちなのである。(<超巨大カルト、バチカン研究:(5)「米国・バチカン同盟」の軌跡とオプス・デイ>を参照のこと。)
    6. しかしこの教団には正式な会員の他に「協力者」という名目のシンパたちが数多くおり、その規模や実体は必ずしも明らかではない。それは社会の有力者層に意外なほど幅広く浸透し非常に柔軟な構造を持っているように思える。
    7. カトリックの僧職に就いている者は2千名余りだが、現在バチカンの実務を取り仕切って「実質的な教皇」と言われる広報室長ホアキン・ナバロ・バイュス、枢機卿の中で影響力の大きさを誇るフリアン・エランスとルイス・シプリアニは自他共に認める正式な会員だ。そしてローマ教皇ベネディクト16世は先代のヨハネ・パウロ2世と同様にこの教団の重要なシンパであり、バチカン市国の国務長官アンジェロ・ソダノはオプス・デイに極めて親密で隠れ会員と目される。またカトリック・シオニストとしてイスラエルの信任が厚いクリストフ・シェンボーンもこの教団に近い。バチカンはすでに完全にオプス・デイに乗っ取られていると考えて構わない。
    8. 世俗社会でも、「EUの父」として知られるロベルト・シューマン、チリの元独裁者ピノチェット、元イタリア首相アンドレオッチ、ポーランドの労組「連帯」の委員長で後に大統領となったレフ・ワレサ、元スペイン首相アスナール、現イタリア首相ベルルスコーニなどが会員、あるいは極めて近いシンパと言われる。またEU執行部と議会のほかに、イタリア、スペイン、フランス、ベルギーなどの国会議員や政府閣僚には会員が大勢いるし、スペイン国王フアン・カルロスを含む欧州各国の王族や貴族にも会員とシンパの層が広がっている。また以前からバチカンと表裏一体のロスチャイルド系資本とのつながりは当然で、閣僚に会員を登用した英国首相トニー・ブレアはカトリック教徒である妻に引きずられてオプス・デイに接近していると言われ、英国聖教会との馴れ合い的な関係も疑われる。レーガンとブッシュ父子といった米国大統領はこの教団には頭が上がらず、歴代のCIAやFBIの幹部にもオプス・デイ関係者は多いと噂されている。
    9. この教団こそまさに『キリスト教的な粉飾を施したある種の世俗的なメシアニズム』の典型と言える点であろう。
  1. 日常活動の聖化は必要だろう。
  2. 安易に、聖化されてしまうのだ。
  3. 凡人→君子→聖人、凡人→自覚者。という難しい行為。
  4. 凡人→念仏→ほとけ。
  5. 凡人、即、聖人。
  6. 悪人正機の段階。
  7. 悪人正機はマモンの一神教になってしまう。

http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/819.html

    1. 上記の訳の中で「この世でのユートピア」は「地上の楽園」と訳すこともできるだろう。元々のキリスト教ではイエス・キリストが再臨した後に千年間続く「キリストの王国」まで待つしかなく、イエスの再臨によらない「この世でのユートピア」は「地上の王国」の理想化であり、反キリスト的な発想として糾弾されるはずのものだった。ユダヤ教でも本来なら神が遣わすメシアによって「地上の楽園」が作られ、人為的な「この世でのユートピア」建設は神に対する反逆以外の何物でもない。
  1. 現世への断念という思想。
  2. 現世が絶望的であればあるほど宗教的な勢力はもうかると言う構造。
  3. カトリックの階級主義(ヒエラルキー主義)、階層的奴隷主義。
  4. ユダヤ教の直接的奴隷主義。

http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/819.html

    1. 社会主義者でありキリスト教民主主義者であるシヨン運動家と、労働者と僧侶の実験が共通して持っていたものは、神ではなく人間に栄光を帰する傾向であり、もし無神論でないとすれば実質的に不可知論である汎宗教であった。「もう一つの学校」によるこの世界苦しみ、特に貧困の苦しみを和らげようとする、しばしば善意である試みは、決まって元々のキリスト教的情熱から堕落し、この世でのユートピア運動へと化していった。それは、ユダヤ主義とフリーメーソンリーを含む、多くの事柄の別名でもある。後にヨハネス23世から賞賛されるシヨンと、後のパウロ6世から高く持ち上げられるキリスト教民主主義、そして後のヨハネ・パウロ2世の資金源となる新興教団オプス・デイとの間にある共通点は、物質的な仕事の世界に心を砕くことであり、進歩であり、そして政治である。それはキリスト教的な粉飾を施したある種の世俗的なメシアニズムであったのだ。
  1. 世俗主義がよい。汎神論、アニミズムがよい。この世でのユートビア運動がよい。物質的な仕事の世界に心を砕くことはよい。世俗的な道義心が必要なのだ。一神教が混じった世俗主義は、世俗的な道義心を超越してしまうことに問題があるのだ。

http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/789.html

    1. この世界統一宗教とは、いかなる教義、位階制も持ち合わせず、精神の規律も無く、情念に歯止めをかけるものも無く、自由と人間の尊厳の名のもとに(もしもそのような「教会」が立ち行ってゆけるならば)合法化された狡知と力の支配[する状態]ならびに弱者および労苦するものらの圧迫を世界にもたらしてしまうでしょう。

http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/154.html

    1. 折伏が基本の組織であるのに、その成果で信賞必罰があるはずなのに、公明党票を稼いできた会員が抜擢されたり、あるいは折伏すらせずに出世する会員がいる――我々は、このようなダブルスタンダードを持った組織がいかに歪むか知っている。
    2. 前出の大手企業広報担当の声を思い出してほしい。もし企業なら、創価学会のような広報戦略、宣伝に大金は絶対に投じない。企業のトップをどれほど宣揚し、その批判者に誹謗・中傷を加えても、商品は売れない。むしろそれで深刻な消費者・顧客離れが起こり、経営路線を巡って内部対立が始まり、株主からは代表訴訟が起こされるに違いない。そのような社会的存在と無縁な位置にあるから、創価学会の広報活動はレベルが低いままなのだ。
    3. そしてもうひとつ。今や創価学会は公明党を持ったことで、我が世の春を謳歌しているようだが、この党の失策、失敗は即、創価学会に向けられることを知っているのだろうか。彼らがどのように政教分離していると主張しても、有権者はそのいかがわしさを熟知している。公明党が与党から転落すれば、彼らが作り上げた「権力=国法」は、当然、彼ら自身に向かうだろう。

http://www.asyura2.com/0505/bd40/msg/754.html

    1. 影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか ロバート・B・チャルディーニ (著), 社会行動研究会
    2. 本書では、影響力の武器として6つの影響力の源泉に体系化している。すなわち、
      1. ・返報性:当初の好意や譲歩に対するお返しせねば気持ち
      2. ・一貫性、コミットメント:自らの言葉、態度を一貫性あるものにしたいという想い
      3. ・好感、連合:好感ある知人に対してイエスという傾向がある
      4. ・社会的証明:「赤信号、皆で渡れば怖くない」
      5. ・権威:寄らば大樹の陰
      6. ・希少性:機会を失いかけるとその機会に対して認識する価値が高くなる
    3. 多くのセールス本やマーケティング戦術などでもこれら6つの影響力の源泉にもとづいたテクニックが紹介され続けているように、これらは人間に大きな作用をもたらす。本書では、記銘すべき事項をこの6つの源泉に集約した上でかつ詳述しており、人間間に作用している影響力の在り様を読者が意識しやすいよう編成されている。
    4. 他方、本書は、人間の意思決定の間違いの源泉を示す書でもある。本書で示されている影響力は、我々人間が寄って立つヒューリスティックな問題解決法と表裏一体である。限られた情報に依存して殆ど自動的に行動してしまうヒューリスティックな行動パターンは、効率的な問題解決である一方、高くつく間違いを導きやすい。まして人は、不確実性が高く自分の判断に自身が持てない状況でほどヒューリスティックに依存し易い。影響力の源泉を知っておくことは、自身の意思決定の安定性を高めるためにも友好な対処法であろう。
    5. 本書で示す影響力は、詐欺・ペテンの類で悪用されるとともに、コーチング(一貫性、コミットメント)などのヒューマンスキルの土台でもある。本書に示されるような知見を応用することによって、自分なりの新たなヒューマンスキル形成が促進されるのではないだろうか。
    6. ..
    7. 人間がいかに自動的に動いているかがわかります。
    8. 自分自身にボタンがついていて、それを押すだけで、自動的に反応してしまう。
      1. 幼い頃には、両親から・・・
      2. それ以降は、学校の教育で・・・
      3. 世間の常識・・・家の常識・・・国の常識・・・家の常識・・・
      4. TVからの常識・・・本からの常識・・・
    9. 様々な所から教育されてしまって、自動的に反応してしまっている自分。
    10. 本当の自分に気づくきっかけになる1冊だと思います。
    11. 自分の中の常識に従って生きたい人は必読です。

http://www.asyura2.com/0505/senkyo12/msg/407.html

    1. 彼女達は、夫をはじめとする日本の男達を頼りなく思っています。
    2. 日本の男達には、イメージとして「男らしさ」が欠けているからです。
    3. 大切な決定の時に夫はいつも逃げて、主婦に全てを丸投げしようとします。
    4. 亭主関白ではなくなっているからです。
    5. しかし、主婦は亭主関白は望まないのであるから、本当はこれで良い筈なのですが、
    6. それでは「頼りない」と思うのです。虫のよい要求です。

http://tanakanews.com/f0823terror.htm

  1. 権力は腐敗する。
  2. 権力の腐敗とはなにか?
  3. 権力が腐敗する原因《背後者回路》は何か?
  4. 生体の脳は何故に腐敗しないのか?

2005-08-24(水)

イデアにもアニマがあるのではないか?

  1. イデアも、《ニーズ・イーター》(の片割れ)である。
  2. イデアヒトの個体の外に出ることはできない。
  3. 《宇宙史を変えつつあるモノ
  4. 《宇宙史を変えつつある噴出
  5. コトバウウフン(宇宙史を動かす噴出)である。
  6. 「これはウウフン(宇宙史を動かす噴出)である」
  7. 四次元チューブとしての宇宙史は動かない。
  8. 四次元チューブ時間軸に垂直に輪切りにして観察すると宇宙史は動く

http://www.mof.go.jp/f-review/r47/r_47_134_153.pdf

    1. ,財投機関債導入の根拠は,財政規律によっては社会的に非効率な公共投資が実行されることが防げないために,市場による規律づけによってとってかわるべきだとされる。この議論の背景には以下のような事態が暗黙に仮定されている。
      1.  仮定1 納税者は公共事業の純便益を評価できないが,財投機関債購入者は評価できる。
    2. これは,財投機関債優位の結論をほとんど直接に仮定しているようなものであり,理論モデル作成の観点からは,この仮定でのべられた現象が引き出されるような,より基礎的な仮定から出発するべきであろう。
    3.  両者のモデルを綜合すると,本稿の主要な結論は以下のようにまとめられる。現在の議論で,財投機関債の利点と考えられている点は現実には機能せず,財投債と同じ帰結におわる可能性が高い。すなわち,政府の失敗は,市場の規律づけを粉砕してしまうほど強力である。適正な公共投資への資源配分をおこなうために必要なことは,政府を経由せずに市場でおこなうことではなく,たとえ困難があっても政府の失敗を是正するよう努力することである。
  1. 学問的なメリットがないということが、権力者とそのパトロンにとってのメリットなのである。
    1. <大蔵省財政金融研究所「フィナンシャル・レビュー」October−1998>
  2. 検討中に、明確な反対意見が出ているが、結論は反対意見の無視。
  3. 学者は、反対意見を学問的に提示できれば満足する。政治家は、反対意見の中のデメリットの中に暗黒面のメリットを見いだして、邁進する。
  4. しかしまあ、学問的意見といっても、概念を理解して10秒も考えれば出てくる結論だ。まあ、その結論を説明できる、というのは、学者の偉いところ、というか口達者の偉さ、コトバの職人の偉さ。

国債は日銀が引き受ける。というシナリオ。

  1. 日銀引受は駄目、という定説。駄目な理由は、国債発行抑制のモラルがなくなる。モラルがなくなって乱発するようになると、通貨供給量が過大になって・・どうなるのかな?
  2. 通貨供給量が過大になると、貨幣価値が下がる。がマクロ的に見れば、商品の流通総量の価値の総額と、対価としての貨幣の価値の総量は等しいから、過大供給によるインフレは問題にならない。ミクロ的には、人々はカネを持ちたがらなくなる=モノで持ちたがるようになる。通貨不安という状況になる。
  3. 通貨供給量というのは血液の量を増やすようなモノだな。どこかに滞留すれば鬱血状態になる。通貨価値が下がるというのは血液量あたりの酸素の割合が減ること。

2005-08-23(火)

http://www.adpweb.com/eco/

    1. 一見「小さな政府」は、政府の機能を小さくし、人々が自由に経済活動ができる社会の実現と誤解する。しかし政府の関与をなくすということは、市場経済での優勝劣敗をそのままにしておくことである。富や所得が勝者に集中する世界である。しかしこのような社会では人々の身分が固定化され、社会が荒れる。日本を始め世界の先進国は、この富や所得の再配分を適宜行ってきた。これが社会の安定を保つ政策であった。
  1. はー。そーゆーふーに誤解するわけか・・。
    1. このような富や所得の再配分を絶対的に否定するのが構造改革派である。彼等は、富を持つ者や高所得に大きな税負担を課し、それを財政の無駄遣いに使うから日本経済は低迷から脱却できないとことある毎に主張している。この考えに沿って日本では所得税の最高税率は大幅に下げられ、法人税率も下がった。構造改革派の主張が実行されたのである。
    2. しかし投資は増えるどころか、大企業はむしろ借金の返済を進めている。このように富を持つ者や高所得者に有利な税制改革を行ってきたが、名目国民所得の伸びがマイナスということもあって、単に税収が大幅に減っただけであった。
    3. これまで完全と言えないが、税制改革以外でも、構造改革派の主張に沿った政策が行われてきた。各種の規制緩和や公共投資の削減などである。つまり国による富や所得の再配分政策の見直しと競争の促進である。もし構造改革派の主張が正しかったなら、もう日本の経済はかなり良くなっていなければおかしいことになる。しかしそこで構造改革派の人々は「まだ構造改革が進んでないから、一層の改革が必要」という嘘をつく。
    4. このように構造改革を進める国はどうしても強権的な国家になる。小さな政府というユートピアを目指してい言っておきながら、政府による監視国家が出来上がる。どうしても国民の不満を抑えるには強権が必要になるのである。またメディアも政権の支配下に置かれる。
  2. まあ、要するに、権力主義者の政治。権力主義者は、強者保護。金持ち減税。だから、小さな政府に繋がるわけだ。

http://www.adpweb.com/eco/eco141.html

    1. 保証人を引受ける人は債務者の知人であり、人間関係のある人々である。直接お金を貸すことには抵抗があるが、保証人になるくらいなら良いであろうと考えるのである。また多くは善意で保証人となるが、これがとんだ落とし穴となっている。問題になっている商工ローンの商売は、これらの人々の極めて日本的な善意が前提で成立っている。
    2. ところが一旦、債務者が債務不履行になった時(多くはこの高金利では行き詰まることは分かっている)、商工ローンは一転して契約書を持出し、法律で保証人に代位弁済を迫る。最後は契約とか法律と言う極めて欧米的な方法で解決しようとするのである。商工ローンの営業は、契約する時には日本的な人間関係を当てにし、最後は欧米流の法律で迫る。つまり商工ローンは日本的なものと欧米的なものの双方からメリットを受けようとしているのである。
    3. 具体的な例として宅建法を取上げる。不動産のように一生のうちにめったに取引しない物については、顧客と業者の間の知識には格段の差がある。したがって宅建法では、取引主任者に「重要事項の説明」を義務付け、顧客の保護をおこなっている。一方、商工ローンで問題になっている債務の保証も、一般の人々にとってはめった出会さないことである。しかし貸金業の世界では、保証についての説明がほとんどなされていないのが実状である。つまりどれだけ説明するかは貸金業者の善意に任されているのである。したがって筆者は、貸金業についても宅建法と同様の説明を業者に義務付けるべきと考える。
  1. 貸金業取引主任、預かり金業取引主任。よいね。

http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/711.html

    1. 郵貯・簡保はピークからは減少しています。高齢化にともなって、必然的に世帯の貯蓄率が減るので、今後も、一層減少します。
    2. 家計の貯蓄余力は、50歳を超えた高齢者の賃金の下落と60歳を超えた人の退職のため、2000年以降、年を追って小さくなっているからです。
    3. 他方、40歳代は、住宅価格下落と減らない住宅ローンで債務超過になっている世帯が多く、貯蓄増加の余力が小さい。
    4. 生命保険である簡保の、死亡保険金の支払いと満期支払いも今後、増加します。
    5. 郵貯・簡保マネーの「入り口」は、すでに小さくなっています。
    6. 大きいのは330兆円の残高だけです。ところが330兆円は、304兆円の「実質的な国債」になっています。
  1. 簡保、郵貯の踏み倒しを狙っているのではないか?

しかしなんで、こんなにも国債を発行してしまったのか?

  1. 累進課税+高福祉ではなく、人頭税+土建屋路線を採ったからだろう。
  2. 徴税すべき所(高所得者、法人)からとらなくなった所に問題がある。
  3. 他国籍企業のエスケープオプションとは、とりあえず無関係のようだ。
  4. 単なるアホなのか? それとも深遠な理由があるのか?

http://www.findai.com/yogo/0070.htm

郵便貯金・年金積立金→自主的に資金運用金融市場→財投機関債(特殊法人の信用で発行)特殊法人
郵便貯金・年金積立金→自主的に資金運用金融市場→政府保証債特殊法人
郵便貯金・年金積立金→自主的に資金運用金融市場→財投債(国の信用で発行)財政融資資金/特別会計→融資特殊法人

業績悪化などから財投機関債を発行できない状況にある特殊法人には、政府保証債の発行を認め、さらに、財投機関債・政府保証債においても資金調達が困難な場合には、政府が財投債を発行して調達した資金を融資する措置が採られます。財投債とは、特殊法人に融資するために、財政融資資金特別会計(2001年4月に新設)が国の信用で発行する国債です。

http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/722.html

    1. 郵政資金が民営化されたとしても340兆円近いお金が一気に市場に流出することはない。
    2. あると想定するのなら、書かれている問題より前に、日本国債の暴落という問題を指摘しなければならない。
    3. 郵政資金が持てる資金力を使ってNY株式市場や政府保証のない債券市場の買いに向かえば米国経済は活況を呈するようになるが、それは意識的な“国民金融資産破壊工作”と言える行為であり、絶対にないとは言わないがまずないだろう。

http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/725.html

    1. 郵貯・簡保が売った国債を日銀が引き受けたからといって、「円安と同時に、金利高騰を招く」ことはない。
    2. (日銀以外に売れば、国債価格が下落し利回りが上昇するので、他の債券や融資の金利はもっとも安全な国債の利回りより高いものになってしまう)
    3. 日銀に売却したときは逆に、「郵便銀行」が運用できていないお金を膨大に持つことになるので、資金需要を超える資金供給という状況になり金利は下落する方向になる。

今年、初の人口減の可能性・予測より2年早く [日本経済新聞]

    1. http://www.asyura2.com/0505/senkyo12/msg/269.html
    2. 投稿者 あっしら 日時 2005 年 8 月 23 日 19:03:49: Mo7ApAlflbQ6s
    3. 全国の市区町村に提出される死亡届や出生届に基づく今年上半期(1―6月)の赤ちゃんの出生数が、死亡者数を下回り、半年間で人口が3万1034人減ったことが23日、厚生労働省の人口動態統計(速報値)で分かった。下半期もこの傾向が続けば人口が初めて減少に転じる。政府の予測より2年早く「人口減少時代」に突入し、年金などの社会保障制度に影響を与えそうだ。
    4. 厚労省統計情報部は「上半期の人口が減少するのは初めて。下半期は例年出生数が回復するが、1年間で人口が自然減になる可能性は否定できない」と話している。 (16:00)

http://www.asyura2.com/0505/senkyo12/msg/266.html

    1. 現在、日本の郵便局というのは、日本の赤字国債の3分の1ぐらいを引き受けているんですね。もし、郵便局のお金で赤字国債を引き受けることが出来なくなったとすると、日本の600兆を越える財政赤字を立て直していく手段の一つさえも立ち消えてしまう可能性があるわけです。そういう部分をどうしていくかということには一切触れず、民営化することによってサービスも良くなるし、経済の競争原理が導入されて活性化されますよと盛んに言うわけです。
    2. 郵便局は絶対につぶれないという保証のもとに、安心してお金を預けている方も多いですよね。しかも、全国津々浦々に郵便局はあるわけでグローバルなサービスという面でも安心できます。安心できるがゆえにたくさんお金が集まってくる部分があるわけです。私達が郵便局に預けたお金を使って、国債を買ったり、道路を作ったり、日本国民のための安全な運用をしているんですよ。郵便局をコンビニ化したら便利になるなんていうのは、大きな構図の中で見たら、ちっちゃなちっちゃな話なんです。そんなことより、日本国民の最大の金融資産を収奪されそうな動きにもっと目を向けて欲しいですね。日本の金融機関が破綻したり、吸収合併したりして結果どういう風になっているかを考えて下さい。UFJ銀行をはじめとして話題になっている金融機関の筆頭株主は、すでに外国の投資グループになってしまっているんですよ。日本の金融機関の30%ちかい株を外国の投資家が持っている状況です。東京の株式市場で、毎日売買されている株の半分以上は外国人の投資家が行っていて、日本の経済を外国に握られているようなものなんですよ。最後の砦である郵便貯金にまで王手がかけられている危機的状況を国民の一人一人が見張ってないと大変なことになりますよ。

http://www.asyura2.com/0505/senkyo12/msg/256.html

    1. ◆米国の関心事は350兆円におよぶ郵政マネー
    2. 「Los Angeles Times」の記事にしても、あるいは、CNNの長めのニュースにしても郵政民営化の説明で強調されるのはただ一点、郵貯が世界最大の貯蓄銀行で、それが民営化されたら、350兆円におよぶ郵政マネー(簡保も含めて)を持つ世界最大の銀行が生まれるということである。アメリカの関心は(政府も民間も)郵政民営化の問題で関心があるのは、この一点だけなのである。

http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/732.html

    1. 郵貯・簡保の巨額資金は、財政支出及び財政投融資事業を通じて民間に流れ続けています。
    2. 政府部門が鉄鋼業や流通業など供給活動を担っていてそこに注ぎ込まれているのなら別ですが、公務員人件費・公共事業・社会保障・教育・住宅金融公庫・政府系政策銀行・道路公団向けに使われたり貸し付けられたお金は、結局のところ、供給活動を担っている民間にすべて流れているのです。
  1. そりゃそうだ。その流れをアメリカに移そうというわけだな。
    1. 「郵貯・簡保の巨額資金が民間に回し経済を活性化させる」というのが架空の政策目標であることは、その置かれた財務状況やその成り立ちから、より利が厚いところへの貸し出しに励むはずの銀行が、郵貯・簡保と同じ国債を主要な運用先にしていることでもわかります。
    2. “弱者救済”(欧州社民的政策)が多数派を得られるのなら、この20年の日本政治史、とりわけここ10年の政治史は大きく変わっていたはずです。
    3. 新自由主義的雰囲気・市場原理主義称揚が突き詰めた論理は抜きにして薄っぺらく日本を覆ってきたのがここ20年です。
    4. マスコミも、濃淡の違いはあっても新自由主義的雰囲気・市場原理主義称揚に浸っています。
    5. その能力が現段階であるかどうかはわかりませんが、マスコミの多数派とりわけ幹部に論理的思考を通じた判断を期待するのは錯誤だと思っています。(彼らは政治家と同等の政治的人種です)
    6. 経済学者を名乗る人でもこの問題をきちんと指摘している人は極少数ですから、浮ついた言論人であるマスコミ人が指摘しないのはごく自然です。
    7. 全国紙やキーTV局は郵政民営化支持勢力ですから、意識的に不利益な情報は流さないということもあります。(記事を読んでいるとそう思わせることに度々遭遇します)

http://www.asyura2.com/0505/senkyo12/msg/250.html

    1. 民主主義という名の“衆愚政治”に飽きて、半ばヤケッパチな選択として、国民の多くが内心では独裁型の政治を望んでいるのではなかろうか。

http://www.asyura2.com/0505/hasan42/msg/111.html

    1. 選挙後の経済動向を洞察する上で、もっとも重要な事項は、自民党がマニュフェストで示した「2007年度をめどに消費税を含む税の抜本改革を実施する」ことである。自公政権が持続する場合、小泉政権は2007年度に消費税率の再引上げを実施する可能性が非常に高い。
    2. 9月11日の総選挙は、この意味で、「2007年度の消費税増税」を認めるのかどうかという、極めて重大な意味を持つ選挙となる。すでに、共産党がこの点を鋭く指摘し始めており、9月11日が近づくにつれて、総選挙が「郵政民営化法案」についての賛否を問う国民投票的な意味を持つことは正当でなく、「4年間の政権を選択する選挙」であるという、正当な選挙の位置づけが徐々に有権者の間に広がることが望ましい。

http://blog.livedoor.jp/zackyamazaki/archives/25961113.html

    1. 小泉首相が提案するとおりに、郵貯と簡保を切り離して株を全て民間に売り払ってしまえば、国に残った郵便事業だけでは巨大な赤字が発生し、財政赤字がその分膨らむのです。いまはせっかく郵貯と簡保が毎年何千億円というお金を国に納めているのに、将来は巨額の赤字を国が埋めなくてはいけない。つまり、財政赤字は膨らむのです。これでは逆行です。
    2. いずれにしろ、年金も郵便も受け取れない地域が広がるでしょう。そうなれば、8,200万人が国土のわずか3%の過密地域にしか住めない国のままになるでしょう。
    3. 「税金を使って特殊法人に投融資を行う国営金融機関・財政投融資の抜本的改革につながる」
    4. かつては郵貯、簡保、年金から財務省がお金を借りて特殊法人に貸し付けていました。
    5. いまは「財投債」という名の国債(以下「財投国債」)を財務省が発行し、そうして得たお金を担当の財務省理財局がいまも特殊法人等に貸しているのです。
    6. 「財投国債」の昨年度の発行実績額はなんと41兆円、この国の税収すべてに及ぶ額です。国債発行枠30兆円といって騒いだ「新規財源国債」を上回る大きなお金が財務省によって集められ、今も特殊法人等に貸し付けられているのです。名前が「財投債」というので、特殊法人の金集めのための国債であることはあまり知られていません。
    7. 郵政を民営化しても、この「財投国債」をやめないかぎり特殊法人へのお金の流れはなくなりません。しかも、銀行や保険会社から個人にまで財務省は「財投国債」を売っています。
    8. ということは、「財投国債」を廃止して、財務省が特殊法人に貸すのをやめて、それぞれの特殊法人が自分の信用力に応じて自ら借金をする形にすれば、まさに小泉さんがマニフェストにのべたような財政投融資の抜本改革になり、特殊法人への税金の垂れ流しが終わるのです。//ところが、不思議なことに審議中の民営化案は「財投国債」の廃止にまったく触れていないのです。そうなると、小泉郵政民営化は国民のためではなく財務省の保身のため、ということがはっきりしてきます。
    9. ケインズは、電話、自動車などで経済が統合され独占と投機が巨大化する20世紀経済では、民間の暴走は経済全体を破壊する。そのために、公による安全網を経済の中に作らなければ大恐慌から抜け出せないことを主張しました。
    10. ケインズが提唱した公と民の組合わせによる混合経済体制は、21世紀にいたる先進国の経済体制の基本になりました。そうして初めて、銀行の倒産から預金者を守ったり、失業保険を作ったり、企業の情報公開を義務付けることが始まったのです。
    11. ところが21世紀の日本において、すでに欧米では19世紀の古い経済の考え方と捉えられているピグーの古典派経済学に基づいて、せっかく世界一うまくいっている郵便局をバラバラにして国民に巨額の負担を発生させようとしています。
    12. おそらく民営化の末路は、郵貯銀行の破綻による再国営化と郵便局の維持のために郵貯と簡保を復活させることでしょう。その間に、いまはアメリカや中国よりはるかに平等な社会という日本の強みは消えてしまうでしょう。
  1. 財投国債の廃止に触れない。外資20%制限にふれない。

http://oji-2406-go.tea-nifty.com/hatogaya/2005/08/post_f443.html

    1. このまま国営の金融機関を維持したとして、そのお金は国債と財政投融資あるいはそれにかわる財政投融資機関債で運用されていますが、結局それは税金で利息をつけているわけですから(財政投融資が使われている特殊法人や第3セクターの多くが赤字で、税金で利子補填をされたりしているし、地方自治体に貸し出されているお金は当然地域の税金で利息をつけて返す訳です)回りまわって税金で維持されることになるわけです。その仕組みはもう維持できないので民営化によってその資金運用をする役割をほかに託そうというのが趣旨だと考えるようになりました。
  1. 極めて善意に理解しているんだな。そうなることの、何の保障も無い、リフォーム詐欺にかかるヒトは、曖昧なコトバを善意に理解するのだ。契約書はどうであれ、口先の雰囲気で相手を信頼するのだ。
    1. 政府はその幻想を続けて見させようとして、公共事業をばら撒き、国債だけで700兆もの借金をつくりました。これが「先送り安定」の代金です。誰が返すんでしょうか?
  2. 郵貯が国債を売りに出せば、どうなるんでしょう?
    1. 2008年問題というものがあります。故小渕氏が総理の時に大量に発行した10年国債の満期がくるため134兆円も国債を借り替えなければなりません。それ以外にも短期の国債の借り換えはあるので180兆円近くになります。この事態を前におそらく国債は今後値段が下がり(金利は上がる)、国債を持っていることは資産が目減りすることになります。それでも保証した金利をつけて郵貯簡保はお金を返さなければなりません。無理でしょう。
  3. 国債の踏み倒し・・。
    1. 外資は俗にハゲタカのようにおいしいところだけつまんでいるという見方がありますが、それは多くの場合偏見です。・・アメリカのユダヤ人が黄色いサルから収奪しているという考えに関しては暴論で、ホロコーストにつながる物があります。そんな考え方をお持ちの方は「ロスチャイルド家」(横山三四郎著 講談社現代新書)を読んでみてください。
  4. ぎぇー。
  5. 崩壊しつつあることは認める。が、風邪を引いたら服を脱がせればよい、という処方なのではないか?
  6. 結果を予想せずに、希望的観測を信じる人々。
    1. 議員と役人の利権の為にどれだけの人が冷や飯食わせられたのだろう。諫早の干拓、川辺川ダム、吉野川可動堰、長良川河口堰、関西空港、整備新幹線、年金やそれを流用しての赤字保養施設建設、etc etc。諫早の干拓が典型ですが、本来同じ立場の弱者(漁民)が対立させられたりしてきました。(「諫早の叫び」 永尾俊彦著 岩波書店)年金もそう。受給世代と私の世代やもっと下の世代の対立の原因は年金制度にあります。ここにも利権が絡む。
  7. 郵貯民営化で利権構造がなくなる?? ああ、そうか、外資に売却すれば、日本の国内の利権には繋がらないね。かせいだお金を全部あげちゃえば無駄づかいを出来なくなる。そりゃそうだ。
  8. 破綻のうらみを誰かにぶつけたい、という持蓑主義の衝動に突き動かされているようだ。

http://www.asyura2.com/0505/senkyo12/msg/155.html

    1. 独立採算制は、郵政公社に始まったことではなく、郵政省の時代から一貫しています。戦後まもなくの時期のインフレ対策を除き、郵政事業に税金が投入されたことはありません。
    2. 事実と違うことを平気でいうのが小泉首相です。
    3. 「税金が減免されていることは隠れた国民負担」(「自由民主」八月二十三日号)、「民営化により新たに税収が年間五千億円」(公明党ホームページ)。自民、公明両党は、民営化すれば税収が増えて国の財政に貢献するかのように主張しています。
    4. 法人税や固定資産税などを払うようになるというのが理由ですが、これもごまかしです。
    5. 郵政公社は、利益の50%を国庫に納付することになっています。これは国と地方分を合わせた法人税率より高くなります。

http://www.asyura2.com/0505/senkyo12/msg/129.html

    1. もし、五十嵐議員が言っているように既にアメリカファンドが郵貯・簡保を買収するために7,000億円、8,000億円の資金を用意していることが事実であれば、ジョークでは済まされない問題です。
    2. 郵貯・簡保資金が米国債に向かうということは、キャピタルフライトが起きるのと同じことであり、日本国内で日本国債をファイナンスできなくなるということです。
    3. つまり、日本国債の引き受け先がいなくなり、日本国債は大暴落し、ハイパーインフレが起こり、国内企業は倒産、アルゼンチンのように日本国内は失業者であふれかえる可能性が非常に高くなるということを意味しているのです。

http://www.asyura2.com/0505/war73/msg/597.html

    1. 八三年十一月、旧陸軍将校の親ぼく団体「偕行社(かいこうしゃ)」の機関紙「偕行」に「いわゆる『南京事件』に関する情報提供のお願い」という記事が載りました。元将校に、体験手記の投稿を呼びかけたのです。
    2. 記事は、南京事件の証拠を「憶測・誇張・伝聞が多い」「デタラメ」と批判。参戦者の証言を集めて「『大虐殺の虚像』を反証し、公正な歴史を残す」と訴えています。
    3. 「偕行」は翌年四月号から約一年、連載「証言による南京戦史」を掲載。しかし編集部の意に反して、元将兵からは虐殺を告白する手記が多く寄せられました。これらの手記も掲載されたのです。
    4. 「弁解はない」
    5. 最終回の八五年三月号で、編集部の加登川幸太郎氏は「弁解の言葉はない」と日本軍の責任を認めました。犠牲者数は「三千ないし六千」「一万三千」と少ない見積もりを示しています。それでも「三千人とは途方もなく大きな数である」とし、こう述べたのです。
    6. 「旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫(わ)びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった」

2005-08-22(月)

「認証は取られちゃうものとして、取られても不正な操作ができないようにリモート側で制限をするというのが正しい」(http://www.banana-fish.com/~piro/20040609.html

建前は法的正義の実現だか、実態は金持ちの喧嘩の助っ人

コイズミ氏の意図が分からぬ。

  1. 三下主義の意図が分からぬ。三下は、何故に、三下の行動を行うのか? ボス猿への恐怖? 恐怖趣味。 サディズムか。ボス猿の恐怖のもとで生きてきたトラウマが、彼の行動様式を恐怖主義に変質させる。恐怖主義というのは、「恐怖をもたらせば、何らかの良いことがあるに違いない」という《思いこみ》
  2. ヒトラーには破滅主義の匂いがする、コイズミ氏にも同じ匂いがする。バランスの維持が求められる政治運営に、芸術的な極限を求めれば破綻する。
  3. 極限を好むヒトと、バランスを好むヒト、の《背後者回路》の違いは? コトバ・死を好むヒトと、モノ・生を好むヒト

調査せず、予測せず、説得せずにスローガンで改革を勧める人々。

  1. 未来ではなく、スローガンを支持する人々。
  2. 理解することを諦めて、強そうな人を支持する人々。追従ザルは『強そうな』ボス猿を支持する。
  3. ボス猿追従ザルが理解に至ることを恐れる。スローガンは理解されないためのテクニックである。
  4. 扇動家、詭弁家、悪しき意図を隠して議論をねじ曲げる人々。ちらちらと、暴力を見せつけながら「説得」の外形を作り出す人々。

破壊的前進と安全な停滞のバランス。

  1. 死屍累々。もともと、個体は死屍累々なのである。たまたま破壊的前進が成功すれば、それの子孫が増えていく、と言うだけのはなし。
  2. 死屍累々の進化はウモフンである。
  3. [ruby-dev:26841] Re: test/socket/test_tcp.rb freeze on windows
  4. http://www.rtpro.yamaha.co.jp/RT/FAQ/Windows/Windows2000.html
    1. Windows2000の機能により「意図しない発呼」の可能性があります。
    2. Windows2000は、localhostという名前のDNS名のIPアドレスを調べるために DNSサーバへの問い合わせが発生することがあります。
    3. 対策2:Windows2000のhostsファイルに以下の情報を追記してください。 localhost 127.0.0.1
  5. 要するに、windowsの世界からtcp/ipの世界への進出に伴う、不適合だったのだ。windowsは、すっげー苦しんで、tcp/ipの世界に進出したモノなのだ。偉い。

進化の担い手は若者である。

  1. 御輿の担ぎ手は若者である。
  2. 老人は、御輿を取り巻く取り巻く状況を行く末を見定める。
  3. 若者は老人の視線も散っておくべきである。そうでないと、老人になった時に、《ちから》《見通し》も持たない老人になってしまう。
  4. rubyという生き物の中で、必死になって環境適応性を工夫している個体。他の生き物のやり方を参考にして、《背後者回路》の変更を試みる個体群。遺伝的選択を行う個体群。
  5. 若者は、トラウマがない限り、やる気の塊だ。なすべきことが与えられなくても、興味の赴くままに、やる気を発揮するのだ。《あそび》というのはそういうことだ。目的を定めてからやる気を出すのではなく、やる気を出してから目的を定める行動様式が《あそび》だ。

宗教の道具として政治を使う立場というのもありだな。

  1. 創価学会、カトリック、ユダヤ、靖国。
  2. 日本政治を宗教の道具として使うための靖国教と創価学会の競争・闘争。人権民主主義の宗教に対する、靖国教と創価学会の共同戦線→シェア競争→闘争。
  3. 人権教と(靖国教+創価学会の共同戦線)との闘争。
  4. 人権教と(ユダヤ教+カトリックの共同戦線)との闘争。
  5. 宗教諸勢力の政治シェア獲得競争の背後にある、経済的下部構造。
  6. 上部構造の理解なしに、下部構造だけを理解しても、単なる理解主義に終わる。上部構造への不完全な理解のもとでの、下部構造の理解は、誤った視野の狭い戦術をもたらす。

視点含意概念

  1. モノの外部からの視点とモノの内部からの視点。
  2. 当為含意概念。存在認識であるように見えて、当為を含んでいる概念。
  3. 視点含意概念。視点を超越した客観的(客観的視点?)であるようにみえて、特定の視点からの概念である場合。

2005-08-21(日)

http://www.ncwind.net/faq/postal.html

    1. アメリカの郵便料金
    2. 詳しくは郵便局(United States Postal Service)のホームページ をご覧下さい。
    3. http://www.usps.com/ United States Postal Service
    4. http://japan.usembassy.gov/j/info/tinfoj-faq.html

http://www.ups.com/content/jp/ja/about/history/index.html

    1. 世界最大の小口貨物輸送会社であり、運輸とロジスティックスのサービスを専門的かつグローバルに提供する主要なプロバイダーである UPS は、物品、情報、資金の流れを活用して、ロジスティックス、サプライ・チェーン・マネジメント、および E コマースの分野でのサービスを開発し続けています。
    2. http://www.ups.com/content/jp/ja/about/history/1929.html
    3. 1907 年、米国では一般家庭を対象にメッセージや荷物を迅速に届けるサービスを大いに必要としていました。 このニーズにこたえるため、企業心に富んだ 19 歳のジェームズ・E・(ジム)・ケイシィは友人に 100 ドルを借りて、ワシントン州シアトルにアメリカン・メッセンジャー・カンパニーを設立しました。 ジムの説明によると、シアトル地区には既にかなりの数のメッセンジャー・サービスが存在しており、そのうちの一部で彼は過去に働いていました。
    4. 当時、自動車はまだ珍しい存在で、当時の百貨店はまだ馬やワゴンを商品の配達に使っていました。 これは米国郵便小包システムが設立される 6 年前になります。
    5. 1919 年は、弊社が最初にシアトル以外の地域、すなわちオークランドとカリフォルニアまで営業網を拡大し、現在の社名であるユナイテッド・パーセル・サービス(United Parcel Service)を採用した年です。
  1. UPSは普通の民間会社なのね。

2005-08-20(土)

日本人は知者を尊敬しない

  1. まがい物の「知者」に騙され続けてきたからだ。日本人が『知者』と認めるモノは、外国文化の翻訳業者に過ぎない。「知者」=「翻訳業者」=「尊敬に値しないモノ」なのである。もしくは、「知者」=「ヒトならざるモノ」=「凡人には理解不能な気違い」なのである。『「知者」=「ヒトならざるモノ」』という《思いこみ》が生じるのは、翻訳業者が「知者」を理解できなかった→翻訳業者にとって「知者」=「気違い」(翻訳業者の気とは異なる気を有するモノ)という前提で翻訳したからである。そのような前提で記述された「知者」が「ヒトならざるモノ」=「凡人には理解不能な気違い」として描き出され、そのように人々に理解されたのである。
  2. 凡人主義。居直り。

「これはウモフンである」

  1. 「いらだった《知りつつあるモノ》」はウモフンである。
  2. 「暑さにいらだった《知りつつあるモノ》」はウモフンである。

「岩田住宅では数年前まで駐車、ゴミ出し、深夜の騒音など生活習慣の違いから起こるトラブルが絶えなかったが、自治会にブラジル人を入れ、日本語教室を開き、ふれあう機会を増やすことでかなり減ったという。」(http://www.asyura2.com/0505/hasan42/msg/101.html

    1. 「言葉こそ真のパスポートだ」。7月下旬、フランスのボトラン社会連帯担当相は仏中部リヨンの国際移民事務所でこう説いた。「皆さんがこの国で生きていくための第一条件はフランス語を話すこと。
    2. ドイツでも今年初め、欧州連合(EU)以外からの永住希望の移民に独語の研修と試験を義務づける新法が施行された。費用の半分は国の負担だ。英国、オランダ、オーストリア、デンマークも語学力水準を受け入れ条件の一つとしている。
  1. 共同体に参加するためには、コミュニケーションの能力がなければならない。
  2. 「奈良時代、当時の都の、住民は、過半が、帰化系の名前だったことがわかっています。過半ですよ。それが、どう言う意味か、分かるでしょ。」(http://www.asyura2.com/0505/hasan42/msg/103.html

http://www.asyura2.com/0505/asia2/msg/587.html

    1. 国家と、強大な個別組織は癒着し、国家の内部で闘争し、国家を跨いで、未来の覇権(最終的な闘争と考えている者も居るだろう。)を競っているのだ。
    2. ロシアと中国に多くの利権を持つ個人も居れば、米国と東南アジア、韓国を重視するグループもあり、日本と南米に利権を有する集団もあるだろうし、或いは、同じグループ内での熾烈な争いが起こっていることもある。
    3. これらの個々人の争いが、個々人の持つ金融資産の巨額さにおいて、国家を凌駕することも多い。
    4. 国際政治については、外交、外務という観点よりも、今後は、米国の「国務省」のように、自国民、自国企業の利益をストレートに表現する能力と実行力が必要

http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/1186.html

    1. 小泉改革とは何か。
    2. 日本の戦後の経済的成功を支えた国家体制=国家資本主義体制(1940年体制)の根幹部分は、世界最大の銀行たる郵貯などがかき集めた郵政マネーを国家が中心となって公共事業に投資して回転させていくという行為それ自体によって日本経済の根幹を支えていくという国家中心の資本主義体制にあったわけだ。
    3. 日本の経済力をつぶそうと思ったら、この根幹部分をつぶすほかないと見抜いたアメリカのプレッシャーと願望と、たまたま郵政省と郵政族に深い恨みを持った、ちょっと頭の弱いポピュリスト政治家(小泉首相のこと)の望みが一致してはじまったのが、小泉改革の4年間とその頂点としての郵政民営化大騒動だったということではないのか。
    4. ・・
    5. 資金量350兆円の世界最大の銀行をつぶした後に残るもの
    6. 小泉首相のやってきたことは、銀行の不良債権の処理の加速化などという外科手術だけで、手術が終わったらあとは病人も放ったらかしにして、あとは自力回復を祈るのみという無責任な医者と同じである。
    7. 郵政マネーの回転で動かしてきた日本経済の相当部分を小泉首相は郵政システムぶちこわしのあとどうしようというのか。
    8. 資金量350兆円の世界最大の銀行をつぶし、その回転力に頼っていた日本経済の一定部分から突っかえ棒を引き抜くからには、そのあとどのようなシステムに改変し、その過渡期をどのように混乱なしに切り抜けていくのか。
    9. 少なくもそのためのベーシックなアイデアが出されていなければならないはずなのに、何もない。
    10. それなしでは、小泉首相はただ、破壊のための破壊に狂奔する日本国史上最大の国家システム破壊者といわれても仕方ないだろう。
    11. 郵政改革PRのために、国と特別契約を結んだ竹中平蔵郵政民営化担当大臣の知人が経営するPR会社が提出したPR企画書の中に、郵政改革PRは、老人、女性など、“ちょっとIQの低い人々中心に進める”という一文があったのは有名な話だ(国会でも取り上げられた)。
    12. 解散総選挙の決定が下ったあとで、小泉首相の支持率、郵政法案への支持率が上がったと聞いて、私はおどろいている。

総務省、官邸が警察庁や東大教授らとつるんでとんでもないことを推進し始めている 「ネット免許制で国民監視」

    1. http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/1181.html
    2. ・・
    3. 一番まずいのは、これは政治家、官僚、大企業、大マスゴミにとっては、「ネット規制は都合がいい」というところで利害関係が一致していることだ。政治家官僚大企業は、都合の悪いことをネットで書き込まれるのに辟易している。

Re: 何故、外資20%制限条項だめなのか教えて下さい

    1. http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/1177.html
    2. 投稿者 外野 日時 2005 年 8 月 20 日 23:28:15: XZP4hFjFHTtWY
    3. (回答先: 何故、外資20%制限条項だめなのか教えて下さい 投稿者 kokopon 日時 2005 年 8 月 20 日 11:25:58)
    4. アメリカの戦略について詳しい副島隆彦氏も次のように述べています。
    5. 郵政民営化法案には、以下のことを明記すべきだったのです。
    6. 「外資(外国会社)による『郵便貯金銀行』の株式の保有は、20%以下しか出来ない」、そして、もうひとつ、「持ち株会社(ホールディング・カンパニー)である『日本郵政株式会社』は、外国債券(外債、つまり米国債のこと)を保有資産の20%を超えて購入し保有してはならない」 このように法律で明記すべきなのです。これだけのことで、今度の郵政民営化法は適正なものになる。ところが、今や独裁者となった小泉首相と、売国奴・竹中平蔵は、この「外資による郵貯・簡保の乗っ取り問題」の指摘に対してだけは、にやけて、笑い顔で、必ず、話をそらしてきた。このことが許せないのである。すべてはこの一点にかかっている。( http://snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi )

http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/1177.html

    1. 昨年ですが、ビル・トッテン氏が次のように言っていました。
    2. 「数年前、名前は言えないが、アメリカのある元上院議員が来日し、駐日大使と面会した。僕と仲がいい人だったので、大使に会う前に『大使に伝えてほしいことがありますか』と聞いてくれた。僕は『アメリカは日本に圧力をかけすぎる。その反感は僕みたいな日本で商売をしているアメリカ人に向けられるから勘弁してくれと伝えてください』と言った。そうしたら、元議員によれば大使は笑ってこう言ったんだそうです。『われわれが日本の政治家や官僚にいくら非常識なこと、絶対に断ると思ったことでも、要求したら彼らは降参する。もしわれわれが要求しなかったらほかの国が要求するだろう。日本は“取り放題の国”だ』と。アメリカ政府がいかに日本人を軽蔑しているかということです」

NHK

    1. アメリカの西部海岸の市で水道が民営化され会社ごとイギリスの会社に買収された。水道料金が2倍に値上げがなされた。水道施設の買い戻しの決議がなされたが、購入のために多大な税金が必要になった。

http://nb.nikkeibp.co.jp/free/YUSEI/20020116/101651/

    1. リストラの結果、郵便局の数は10年間で2万9000局から1万4000局へと減った。だからといって、山間・僻地を含め、全国くまなくサービスを提供する「ユニバーサルサービス」が崩れたわけではない。
    2. 郵便局のない地域でも、「ブリーフトレーガー」と呼ばれる遠距離配達員が毎日必ず各家庭を訪ね、郵便物の配達・収集を実施する。効率も落ちていない。翌日配達の割合は10年前の60〜70%から95%へと上昇した。
    3. 強気の背景には収益構造の急変がある。現在は独占の郵便事業を見てみよう。ドイツポストは数年前まで売り上げのほとんどを郵便事業に依存していた。しかし今では「エクスプレス」や大型貨物の運送、金融サービスなど非郵便事業の割合を66%まで高めている。売り上げの海外比率も事実上のゼロから40%へ引き上げた。
    4. 少なくともこれまでは、ドイツポストはユニバーサルサービスを維持しながら、サービスの質を高め、最終的に雇用数も増やしている。民営化で法人税を毎年払うようになったのに、だ。「ドイツポスト内部では10年前の郵便局の姿に戻りたいと言う人はほとんどいない」(エルンスト氏)。
  1. 民間会社でもユニバーサルサービスの郵便事業が可能、という例。
  2. 郵便事業の問題と、簡保・郵貯事業の問題とは別。
  3. DHLのことなのか・・。知ってる・・。UPSがアメリカで、DHLはドイツ。UPSはたちが悪い。
    1. http://www.dhl.co.jp/dhl/global_germany.html

ドイツポストワールドネット(DPWN)の歩み

      1. 1990年  第1次郵政改革で組織改革がスタート
      2. 1995年  第2次郵政改革によりドイツポストが誕生
      3. 1996年  インフラの近代化
      4. 1997年  ドイツポストがグローバル化を進めた理由
      5. 1998年  グローバル化の本格的推進。・・ヨーロッパ全域で包括的なエクスプレスサービスの提供に乗り出しました。この年の終わりには、ユーロエクスプレスというブランドでヨーロッパを網羅する配送ネットワークが完成しました。・・国際郵便サービスを手がける米国の民間最大手、グローバルメールの買収が実行されました。この業績好調な会社の買収は、国際郵便サービスに対する需要増大を視野に入れたものであり、ドイツポストは発展を続ける北米郵便市場へのアクセスを手に入れたことになります。
      6. 1999年  世界規模での物流サービス・・スイスの物流会社ダンザスおよび米国最大手の国際航空貨物会社エアエクスプレス・インターナショナル(AEI)の買収・・1998年12月、連邦政府が所有していたドイツポストバンクの株式がドイツポストに売却されました。翌1999年1月1日をもって発効したこの買収は、販売戦略統一の基礎となりました。ポストバンクは、多様な金融サービスの提供を通じて、グループの強力な柱となっています。・・郵便、エクスプレス、ロジスティクス、金融という4つの事業部門を通じて市場での戦略的地位が確立され、その歴史で初めて円滑かつ統合的な物流サービスを世界に提供することが可能になったのです。
      7. 2000年  株式公開・・ドイツポストバンクとDSLバンクの合併も完了し、両行が互いに補完し合う体制が確立されました。DSLバンクは個人および企業向けの建築融資や有価証券の公募の分野に広範なノウハウを有するのに対し、リテール銀行であるポストバンクは合併に際して約1,000万の顧客を提供しました。また、ポストバンクはDSLバンクとの協力を通じて企業顧客基盤の強化を図り、バリューチェーン全体にわたって、顧客の物流プロジェクトに対する多様なファイナンシングソリューションの提供を実現させました。//ポストバンクは、オンラインおよびテレフォンバンキング分野の市場リーダーに成長するとともに、ドイツ最大の貯蓄銀行としての地位を確立しています。ドイツポストの小売部門が、ドイツで最も緊密な銀行支店網をポストバンクに提供しているのです。
      8. 2001/2002年  DHL株式の過半数を取得・・1998年における一部株式の買収で始まったDHLインターナショナルとの提携関係は、2000年に強化・拡大され、交渉により2002年1月1日をもってドイツポスト・ワールドネットが51%という過半数の株式を取得することが認められました。さらに2002年7月、ルフトハンザ貨物航空が保有していたDHLの株式25%分を譲り受け、持分を75%へと拡大しました。DHLワールドワイドエクスプレスは、この時点で、全世界に71,000名を超える社員を擁していました。エアエクスプレス(国際宅配便)のパイオニアとして、その国際ネットワークは世界220カ国余り、63万5,000都市を結んでいます。そして2002年12月、ドイツポストが2つの投資信託および日本航空からDHLの残りの株式を買い取ったことで、DHLはドイツポスト・ワールドネットの完全子会社となりました。
      9. 2003年  サービス範囲の拡大・・
  1. 郵政公社が佐川急便と合併したような会社なのか・・。と郵政銀行と三菱銀行と合併したような会社か・・。巨大金融会社だな。

http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/1088.html

    1. 特殊法人に対しては政治プ口セスに近いため、通常の政府による経営チェックには期待しがたい
  1. 政治的統制ができていない。政治的、民主的統制、日当たりと風通しを良くするのが先決。
    1. その結果、道路4公団だけで40兆円以上の債務を抱えている。こうした巨額の債務を高速道路収入で返済していけるかどうかが民営化の議論で問われたわけだ。最後にツケを払うのは誰かといえば、それは国民である。
  1. 債務の踏み倒しを前提として、破産させようと言う魂胆。
  2. つぶせないほどに大きい銀行を、つぶすことはできるのか? 結局、郵政銀行の株価を暴落させ、安値で外国金融資本に買い取らせ、その条件として、国費で填補することになるのではないか?
    1. 住宅金融公庫や中小企業向けの政府系金融機関の存在によって、日本の銀行は外国の金融機関が収益柱とする分野でのビジネスが十分できず
  1. 低利の金融を行うから、民間銀行の高利の融資の需要が少なくなる。ということは、民営化されれば、住宅資金の高利化。なのだが・・、住宅金融公庫との関係は?
    1. 財投増殖の背景にある情報開示の窓意性と不透明性にメスを入れない限り、改革は看板の掛け替えに終わってしまう。
  1. 情報公開をしなくてもよいようにするための民営化なのではないか?
    1. 無制御な財政負担の増加
  1. 何故に、政治部門の財政支出が「無制御」に成ってしまうのか? その事が問題ではないか? 政治部門の支出の政治的制御は不可能である、という公理に基づいた議論なのか?
  2. 確かに、経験的に言って、政治的支出の政治的統制が困難である、という経験もあるようだが、巨大会社の支出を株主によって制御することも同様に困難である。
  3. そもそも、政治的支出なのか、市場原理の支出なのか?
  4. グローバルサービスは独占市場ということである。グローバルサービスを独占会社に任せれば、独占資本家の論理が株主の利益となる。消費者が死なない程度に値上げすることが株主の利益である。
    1. 郵政の民営化プランも事業と地域ごとの個別郵便局の損益分岐点を確定する作業が本来先にあるべきだ。そのうえで、どうしても採算がとれないために国営として残す部分はどこかを明確化する。そういう作業プ口セスを踏まなければ、どっちつかずな改革になる危険が強い。
  1. どっちつかずになるだろう。最悪の結果が予想される。
    1. 特殊法人は、「利益を追求する民間企業ではできないような事業」を行っている。政策の視点から採算に乗らないことを前提に行うために、損失を出し続け、結果として税金の補填が必要になる。
  1. 「利益を追求する民間企業ではできないような事業」をどのような形で行うべきか、という問題。少なくとも民営化では不可能であるような事業であることは明らか。
    1. 国庫から計画的に補助金が出ていることが明らかな場合は、問題は比較的単純である。国民もこれを補助金として認識して、国民負担を知ることができるからである。
    2. 問題なのは、実態が不透明で気付いた時には手遅れという場合だ。その点、財投機関の不良債権についての政府の説明は極めてわかりくい。
  1. 国民を騙して先送りにすれば、どうにかなるかもしれない、と思っているのではないか?
  2. ソ連軍の介入が明らかである時に、希望的観測で対策を採らなかったのと同じだ。
    1. 財投機関債を発行することにより、事業・財務内容を「市場の評価にさらす」必要が論じられた。効率性の低い機関を明らかにして淘汰を図り、特殊法人等の改革を実現することが政府の目的として説明された。//この目的については大賛成である。しかしその場合、政府保証がないことが前提であり、特殊法人が自力で市場調達することが重要である。
  1. 「利益を追求する民間企業ではできないような事業」で政策の視点から採算に乗らないことを前提に行うために、損失を出し続け、結果として税金の補填が必要になる事業で、政府保証のない債権発行が可能なのか??。
    1. ところが実態を見ると明らかに、市場では財投機関債は「暗黙の政府保証」が存在していることが前提となった扱いとなっている。政府が当初意図したような「市場の評価にさらされておらず、債権のプライシング等を通じた事業へのプレッシャーが実質的にほとんどない。
  1. 計画的で透明性の高い補助金+借り入れは無保証、であるのが望ましいという主張。
    1. 資金調達コストは、その企業の収益性・安全性・成長性が評価されて決まり、市場の評価は、時にはマネジメントの退陣やビジネスモデルの変革を迫る。リスク・リターンを正常化するプ口セスが積み重ねられることで、金融市場全体が健全化の道をたどる。ところが、財投機関債は、表面的には否定されている政府保証が市場に認識され、むしろリスク・リターンの歪みを増幅させている。
    2. 現実には歪みはさらに複雑化している。財投機関債と国債との間にはある程度の金利差が見られるが、この微妙な差異を、「[何だかよくわからないが不透明で気持ちが悪い」ということに対してのプレミアム」、「ヌエのよう」「中途半端」「モラルハザードの温床」と評する論者は多い。この不透明さは、当該機関に対する政府の支援スタンスや、政治的リスクなどであり、科学的分析は極めて難しい。政府自身が金融市場の歪みを誘発しているともいえる。
  1. 民営化のメリットをだいなしにして、換骨奪胎した民営化。
  2. 日本の官僚は、換骨奪胎が大好きなのだ。「修身」の伝統だね。
    1. 一般的には資金の流れを一般会計に一元化し、最終的には財政融資特別会計を廃止するというのが大きな改革の枠組みであるべきだろう。
  1. 一元化に賛成。
    1. 財投機関債のリスクの中身を透明化して国民の目に明らかにし、新たな枠組みを定めるためのオープンな議論を行う必要性と緊急性は大きい。//「官」が増殖してきた背景には、その情報開示の恣意性、不透明性が根本にある。それらをひとつひとつ解きほぐしていくことなしには、特殊法人の改革はいつまでも意味あるものにならず、結局看板の掛け替えに終わることになる。
  1. スローガンで国民を騙せばよい、という小泉氏を支持しているとは思えない。

人間に定型はない。

  1. 人間は何にでも成りうる。
  2. というのはウソであり、人間は、自覚において、様々な《思いこみ》が可能である、ということ。
  3. 人間は『《私》はxxである』という「xx」には様々な《思いこみ》が入りうる。

不幸の個別化。

  1. 子育てサークルなどができはじめている。育児ノイローゼ。

2005-08-19(金)

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/nihonshisoushi/kindai.htm

    1. 西周(にしあまね1829〜1897) は津和野藩の出身で,・・
      1. 『明六雑誌』に「人生三寳説」を連載しました。ベンサムの功利主義理論の見事な焼き直しです。人生にとっての三つの宝は健康(マメ),智識(チエ),富有(トミ)であり,それらが最大の時に最も幸福だとしました。それで政府の目的は人民の三宝を最大限にすることであり,その為に最も効率的な政府を作るべきだとしたのです。
      2. ですからたとえ専制政府であっても,三宝の増進に最適ならば最善の政府だという理屈です。彼は陸軍省に勤めており山縣有朋の智恵嚢でしたから,御用学者的なところが強いのです。・・西も明治17年には,『論理新説』で富国強兵の為に最善ならばたとえ専制的な国家体制でも選択すべきだという,極めてプラグマティックな立場を表明せざるを得なかったのです。
      3. 彼は,山縣の依頼で軍人勅諭の草稿を書きました。彼は元々市民社会としては自由放任の経済社会を支持していましたが,軍事的には天皇を頂点とする封建的な絶対服従の軍人社会を構想したのです。つまり自由な市民社会と封建的で専制的な軍人社会のダブル・バインド(二重拘束)で国民精神を分裂させていたのです。
    2. 諭吉の説くところによれば,実学によって生きた知識を身につければ,それによって賢き人になって難しい仕事ができます。難しい仕事ができる人を身分の重き人と名づけ,やすい仕事をする人を身分の軽い人というのです。だから医者,学者,政府の役人,または大商人,大百姓(大地主)は身分重くして貴き者と言うべしということになります。例えが悪いうえ,諭吉自身がまだまだ封建的な差別意識から抜けきっていないことが分かりますね。要するに学問をして立身出世し,偉く貴い身分に這い上がれと勧めているのです。彼は決して差別を無くそうというのではなく,出発点における差別を無くそうというだけなのです。
    3. 「ソコデ東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較してみるに,東洋になきものは,有形において数理学と,無形において独立心と,この二点である。」
    4. 植木枝盛の『民権自由論』・・「政府」を投書して, 「猿人君主」と改題されて掲載されたことがありました。これが讒謗律(ざんぼうりつ)にひっかかり,禁錮2か月の刑を受けたのです。言論・思想の自由は人間には絶対不可欠だから,これを認めない政府は人間を猿にするものだという内容でした。
    5. 民権は元々人民の自然権であって,政府や君主がそれを否定したりできない
    6. 中江兆民(1847〜1901) は・・
      1. 彼は人民は国の主人公であって,人民の契約で政府が造られたのだから,政府はその雇い人であるとし,現実の藩閥専制政治の変革による,「民権の恢復」を説いたのです。
    7. 「我日本古より今に至る迄哲学なし」(『一年有半』)1901年(明治34年)・8月に脱稿し,9月3日に公刊された。そして更に9月13日から『続一年有半ー無神無霊魂ー』を書き始めて10日間で書き上げ, 10月15日に発行された。そしてその年の12月13日に亡くなったのである。// 兆民に言わせれば,
      1. 本居や平田等の国学者は一種の考古家に過ぎず, 哲学的なことには疎いのです。
      2. 伊藤や荻生等の儒学者も経学者どまりです。
      3. 最澄・空海や鎌倉新仏教の開祖たちも, 宗教家の範囲内でのことでして, 純然たる哲学ではありません。
      4. また最近の明治の加藤や井上などは自ら哲学家を標榜していますが, 西洋の評論をそのまま輸入して, 紹介しているだけです。とても哲学者と称するには足りません。(輸入哲学紹介を哲学することと勘違いしている傾向は現在の自称哲学者でも変わりません。ー筆者)
    8. 兆民は「哲学無き人民は,何事を為すも深遠の意無くして,浅薄を免れず」と嘆きます。そして哲学が無いことが病根となって,「浮躁軽薄」「薄志弱行」の国民性が生じています。またこれが原因で,「独造の哲学無く」「政治において主義無く」「党争に於て継続無き」,小利口だが偉業を建立するには不適当,常識には富んでいるが,常識以上にいくことは到底望めないと嘆いているのです。
    9. 徳富蘇峰(1863〜1957) は, 1886年(明治19)にスペンサーの社会進化論を用いて,〔腕力世界から平和世界へ, 武備主義から生産主義へ,貴族社会から平民社会へ〕へという世界の趨勢に沿った革命として捉え,無理に不生産的な武備を増強して民力を弱めるよりも,生産に投資し,自由貿易主義によって平和的国際関係を発展させた方が人民も豊かになり,国力も充実し,平和も守れると主張しました。
    10. 薩長藩閥の有司専制は,腕力で支配する武備主義の封建支配の論理を引きずっていると非難したのです。
    11. 朝鮮半島では清国との関係を強めて日本の開国要求を撥ねつけようとする事大党と,日本の支援の下に清国からの独立を計ろうとする独立党に分かれて政争が激しく繰り広げられていました。この問題では政府も民権派も独立党を支援する立場でまとまっていたのです。これに東学党の乱が混じって,日本と清国が出兵して日清戦争になったのです。//日本国民は,朝鮮に清からの独立と文明開化をもたらし,自由をもたらしてやろうとする正義の立場と思い込んでいましたから,内村鑑三も含めて国民が一丸となって戦争に賛成し,協力したのです。内村はその後の経過から見て,朝鮮での日本の権益を伸ばすための侵略の一里塚でしかなかったことを反省しますが,諭吉を初めとする大部分の有識者は,蘇峰のような民権派をも含め,武力で国権の伸長を計ることを歓迎するようになるのです。
    12. 日本の帝国主義的強大化の為には天皇を精神的なまとまりのシンボルとして崇拝することが必要だ
    13. 内村鑑三がキリスト教に惹かれたのは,人類を苦しみから救うために我が身を捧げる,清廉無私な自己犠牲的精神です。これは本来の武士道に通じていると思ったのです。・・彼の清廉で誠実な人柄は社会的な活動でも一貫しました。彼は『教育勅語』奉戴式で最敬礼をしなかったとして,一高の教職を追われました。また彼は「最も善い戦争も,もっとも悪い平和よりも悪い」と絶対平和論を唱えて,日露戦争に反対する「非戦論」を唱えました。そして足尾銅山鉱毒事件では田中正造を支援しました。
    14. 幸徳秋水は,日清戦争後の産業革命による資本主義の発達に伴い労働者が増加して,労働運動の黎明期に資本主義の矛盾と社会主義による解決について,『共産党宣言』等社会主義の基礎理論を翻訳紹介し,自ら『廿世紀之怪物帝国主義』や『社会主義神髄』等の評論,啓蒙書を著しました。特に『廿世紀之怪物帝国主義』はレーニンの『帝国主義論』よりも15年も早く, 帝国主義の野蛮で残虐で, 好戦的な本質を明らかにしました。これは当時の日清戦争後, 三国干渉によって帝国主義諸国に対抗心を燃やし, 欧米に負けない帝国主義に成ろうと熱望していた多くの国民感情に対して, 反省を促す極めて重要な啓蒙的役割を果たしたのです。
    15. また『社会主義神髄』では, 剰余価値の略奪が資本を増加させるが, それは労働者の購買力を少なくするので生産力が増大しても過剰生産になってしまう,そこで「彼ら資本家は百方生産力疏通の途を求むるや急なり,いわく, 新市場を開拓せよ, いわく, 領土を拡張せよ, 外国の貨物を掃蕩せよ,大帝国を建設せよと。」と論じています。
    16. 漱石は近代社会における人間の生き方で,個人主義と利己主義の違いを重視しました。・・真の個人主義は,自我の執着を離れて,天地自然と一つになって生きることによって,自由に生きる内面の要求を満たす生き方なのです。これが晩年に求めた「則天去私」の境地です。
    17. 北村透谷(1868〜1894) は, 16歳の時, 東京専門学校(早稲田大の前身)政治学科に入学,自由民権運動に参画しましたが,挫折し,20歳で恋愛・結婚を経験する中でキリスト教(クウェーカー派)に入信,その平和運動に中心的役割を果たしました。
    18. 鴎外にとってショックだったのは暗黒裁判で処分された「大逆事件」と, 彼のドイツでの留学時代の青春を小説家した『ヰタ= セクスアリス』が発禁処分になったことでした。彼は『沈黙の塔』で暗に政府を批判しましたが, 自分の社会的立場を考えて, レジグネーション(諦念, あきらめ, 忍従) を表明しました。
    19. 西田幾多郎は『善の研究』を「純粋経験」から始めています。それは真の実在を理解する為には「疑うにも疑いようのない直接の知識」から出発すべきだと考えたからです。・・「純粋経験においては,未だ知情意の分離なく,唯一の活動であるように,また未だ主観客観の対立もない。主観客観の対立はわれわれの思惟の要求より出でくるので,直接経験の事実ではない。直接経験の上においてはただ独立自全の一事実あるのみである。見る主観もなければ見らるる客観もない。あたかもわれわれが美妙なる音楽に心を奪われ,物我相忘れ,天地ただ嚠喨(りゅうりょう)たる一楽声のみなるがごとく,この刹那いわゆる真実在が現前している。」(『善の研究』)
    20. この純粋経験はジェイムズの「純粋経験」とどこが違うのですかという質問を受けることがありますが,この質問は大変な難問です。上山春平による日本の名著『西田幾多郎』の解説によりますと,ジェイムズの場合は「経験の発展する道行は断片的なものがだんだん結合されていく」と,経験自身を受動的なものとして捉えているのです。ですから経験は個人的な意識として解釈されることになってしまうのです。
    21. それに対して西田では,超個人的なユニバーサル(一般的なもの)があって,これが純粋経験なのですが,それが能動的に展開していくわけです。・・純粋経験を真実在と捉えてはいても,一般的なものの自己限定として捉えています((これはイデア主義だな))・・このことを西田は「実在の根本的な方式は一なるとともに多,多なるとともに一」と表現しています。 ((そうか、イデア論の表明であったのか))
    22. 真実在は「純粋経験」であり,主観も客観もその反省に過ぎない((たけ(tk)の用語なら《混濁》自己言及))
    23. 純粋経験自体に経験を統一する働きがある((《混濁》には作用がある。システム論的な振る舞いがある))
    24. 主観である自己は,この統一する働きを無限の統一者として実体的に捉えたもの((自己言及無限ループ、《認識限界》の特異点))
    25. この無限の統一力が人格なのです。((本当は、分かっていないのではないかな。たけ(tk)にも分からぬ。《知りつつあるモノ》があることは分かるが、「人格」の方が分からない。分かるモノと分からないモノとが同一であるかどうかは、分からない、と言うべきではないのかな))
    26. 人格も客観的な事象も,真実在としては純粋経験の両面に過ぎない
    27. 人格が自他の区別,主・客の区別を超越し,対象や統一力との一体感を会得することが「善」なのです。((分離したモノが再び合一すること、はある、が「善」の方が分からない。梵我一如は可能であるが、それが善であるかどうかは、善とはなんぞやが分からなければ語りえない))
    28. 純粋経験は常に今,此処で生じているのです。((純粋経験においては「今」も「此処」も未分離である))
    29. 純粋経験を生み出している場所自体はいかなる事物としての存在とも,つまり一般的に言えば,どんな「有」とも全く別の存在です。((《混濁》モノと場に分離する、ということか? 場というのは空間と時間に分離すべきモノだな。関係性に分離するのかな? 関係性はモノモノとの関係だから違うな))
    30. これらの論理自体は戦争にも平和にも使えるのであって,我々が反省すべきなのはそれを平和の為に使うことができなかったということです。
    31. 和辻は,人間とは,社会であると同時に個人であるという。和辻によると,社会と個人は,相互に矛盾対立しながら,人間であることの根本をなす二つの面なのである。つまり個人は社会に埋没せず,社会から背き出ようとする限りで,社会の否定としてのみ存立し,また社会は,背き出ようとする個人の動きを禁止し,社会に服従させようとする限りで,個人の否定としてのみ存立する。((《知りつつあるモノ》『群れの中の私』の相互否定関係))
    32. 個人も社会もいずれもそれ自体として独立して存在するのではなく,それぞれ他方を否定する限りでのみ存立するものとして,相互依存の関係にある。和辻にとって,人間とは,否定的に対立し合う個人と社会の統一なのである。和辻はこうして人間の存在構造を( 4 )的構造だとしている。・・( 4 )(枉數 き⊆然法,実定法,て碓賣А´ヌ圭睥
    33. 和辻の人間の捉え方には,原始仏教における,一切はそれ自体として存在する独立した実体ではなく,他のものとの相互依存の関係においてのみ存立しているのだとする( 5 )を想起させるものがある。・・( 5 )[慍観,縁起説,8溽樟癲きな郢道 セ幼説
    34. 儒教では五倫がありました。『孟子』に出てきた「父子有親・君臣有義・夫婦有別・長幼有序・朋友有信」です。((仁義礼智信かと思ったのだが・・、孔子じゃなくて孟子かよ・・。))
    35. 個人主義的人間観と違う立場のものを選びます。・・「人間は本性上ポリス的動物である。」というのはアリストテレスの言葉です。これはポリスあっての個人という立場で,部分より全体が先だという論理で説明されています。アリストテレスは正義論で,ポリスの法を遵守するのを全般的正義と呼び,ポリスに対する貢献に比例してポリスから富や名誉を配分されるのを配分的正義と呼び,ポリスの裁判で配分の不公正を正してもらうのを調整的正義と呼んでいます。あくまでもポリス中心の価値観だったのです。これが正解です。((をいをい、個人主義と共同体主義の弁証法的調和の立場だろ・・。アリストテレスは共同体主義じゃないよ。))。「人間は神の前での単独者である。」はキルケゴールの「神の前に一人立つ単独者の実存」の立場です。((これは純粋の個人主義であって、個人と共同体の調和ではない))
  1. 靖国なくして日本近代の思想史なし。軍国呪術への視点が抜け落ちている。軍国呪術も思想なのだ。それも、日本の社会における大きな力をもった思想なのだ。
  2. 日本になきものは、道義心、向上心、博愛、仁、人道、独立心・・。
  3. 日清戦争の「正義」のプロパガンダとそれを信じた知識人たち。
  4. 内村鑑三って、けっこう、いい人だったのね。
  5. 幸徳秋水はレーニンの帝国主義論に先行する帝国主義論だったのか・・。
  6. 軍国呪術とそれに圧殺される昭和の自我。
  7. 「個人主義と利己主義の違い」って、ない、根本においては同じ、というのがたけ(tk)なのだが、さらに、利他主義も利己主義であり、博愛主義も利己主義であり、政治も利己主義であり、国家主義、民族主義も利己主義である。というのだから、何も言っていないのと同じだな、すべては利己主義である。すべての《思いこみ》は利己主義である。すべての無我、涅槃、宗教、思想、人間活動は利己主義である。《ヒトの個体》動きはその《ヒトの個体》の利己主義の噴出である。「則天去私」は利己主義である。すべてを平等に見る→すべてに差異を見る→なすべきことを知る→なすべきことを行う(これは苦集滅道だな)。
  8. 靖国の軍国呪術に対するに西洋の哲学でかなうはずがない。圧倒的な集団の狂気に対するに、個人の《思いこみ》で対抗しえるはずがない。
  9. とりあえずは、レジグネーション(諦念, あきらめ, 忍従) 。そのうえで、冷静に客観的に、軍国呪術を観察せよ。
  10. 西田の純粋経験とたけ(tk)《混濁》とは同じモノか?
  11. 純粋経験に、「西田の」も「ジェームズの」も「たけ(tk)の」もない。純粋経験というコトバを使っていなくても、古今東西の偉大な人々は皆、純粋経験をしているのだ。純粋経験自体には差はないが、その後の秩序化はヒトによって異なる。カオスにどのようなノイズを入れるかによって、秩序化の形が決まってくる。というだけの話。純粋経験にどのようなノイズを入れるべきか、という問題。純粋経験へのノイズは、そのヒトの知識の全部である。そのヒトが生きた時代における人類の知識全部のうち彼が知りえた知識のすべてが、カオスの秩序化のためのノイズとなる。
  12. 「西田の場合は,純粋経験を真実在と捉えてはいても,一般的なものの自己限定として捉えていますから,自分の個人的な意識現象のみを実在の全てと見なすような独我論には陥らないで済むことになります」。独我論に陥らないためのイデア主義では、なんのことやら・・。角を矯めて牛を殺すのたとえだな。
  13. 純粋経験というモノを発見して、びっくりするのもよいが、それはあまたの哲人たちが経験して、そこから出発した、スタートラインに過ぎないことを知るべきだ。
  14. 「これらの論理自体は戦争にも平和にも使えるのであって,我々が反省すべきなのはそれを平和の為に使うことができなかったということです」。不幸な出来事があった時に、特定のヒトに責任を押しつけて満足する発想を持衰主義という。
  15. ヒトは字面でコトバを理解するということか。理解すべきは、そのコトバを生み出した彼の見方、考え方、彼の《知りつつあるモノ》と彼の《見通し》なのだがね。

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    1. 15世紀戦国時代に活躍した蓮如(1415 〜1499年) の『御文章』にこうあります。
      1. 「まづ, 当流の安心のをもむきは,あながちに,わが心のわろきをも, また妄念妄執のこころのをこるをも,とどめよといふにもあらず。ただあきなひをもし,奉公をもせよ,猟すなどりをもせよ。かかるあさましき罪業にのみ, 朝夕まどひぬる我等ごときのいたづらものを,たすけんとちかひまします阿弥陀如来の本願にてましますとふかく信じて。」
    2. ここには商いなどを罪業と捉え,商人を悪人と捉える見方が前提されていますが,悪人正機説でだからこそ阿弥陀如来の救いを確信している開き直りがあります。そこでこの開き直りにのっかって,後藤は,「支配者の方では,あのようにアサマシイ仕事をしている,といって蔑視しているけれども,決して卑下する必要はないんだよ,アミダ仏からすれば立派な仕事だよと教えているのである。」と近大『経済原論』のテキストで解説しています。アミダ仏からみたら立派な仕事では,善の権化である阿弥陀仏の対極に立つことで救われるという構図が崩れますから,間違った解釈ですが,江戸時代の商人自身は後藤のように思っていたかもしれません。
    3. 商業を仏教で肯定し,商行為自体を只管打坐のような禅修行にまで聖化しようとしたのが,曹洞宗の禅僧であった鈴木正三(しょうさん) (1579〜1655) でした。彼は家康,秀忠に仕えた直参旗本でした。42歳で出家し,61歳で見性(主客合一においてみること) したのです。
      1. 彼は「仏法も世法(世俗倫理)も理を正し,義を行いて,正直の道を用ふるの外なし。」その意味で仏法と世法は同じであり,二つある訳ではないのです。でも「正直」には「世間の正直」と「仏法の正直」の区別があります。
      2. 「世間の正直」−理をまげず,義を守て,五倫の道,正して,物に違ず,私の心なき
      3. 「仏法の正直」−一切有為の法は,虚妄幻化の偽なりと悟て,本来法身,天然自性のままに用(もちふる)を真の正直といふ
      4. つまり世間の正直の実践をしながら,その無常の実相を踏まえて,そこに法と一つになって私欲を離れて商売をすれば,売買の行いが「無漏(むろ)の善根(世の無常を悟った上で,ひたすら菩提心から行う善行)」となりますから,同時に禅の修行になるということです。その場合商売ですからそれを続け,発展させようとすれば「先ず得利の益(ます)べき心づかひを修行すべし」と利益追求を肯定しなければなりません。
    4. 石田梅岩(1685〜1744) は・・様々な思想や宗教は「我心ヲ琢磨種(みがくとぎぐさ)」に過ぎないと捉えました。
      1. 天人合一の立場に立って自然のままに生きるとしますと,それぞれの自然な「形ニ由ルノ心」が生じます。
      2. 武士には武士の道があり,商人には商人の道があることになります。そして「商工ハ市井ノ臣ナリ」,「商人ノ売買スルハ天下ノ相(たすけ)ナリ」と商人の社会的位置づけや役割を強調しています。
      3. その上で「売利ヲ得ルハ商人ノ道ナリ」「利ヲ取ハ商人ノ正直ナリ」とまで主張しています。商人の正直はその他に所有関係や契約関係をきちんと守ることだとしたのです。そうすれば信用によって世間一同に和合して「四海の中皆兄弟」のようだというのです。
      4. 梅岩は「正直と倹約」を商人道徳として掲げました。人や物が最大限に生かされる為には「倹約」が重視されます。「倹約と云ふことは世俗に説くと異なり,我が為に物ごとを吝(しわ)くするにはあらず,世界の為に三つ要る物を二つにてすむようにするを倹約と云ふ」(『石田先生語録』)行財政改革で行政経費を節減することができれば,今後の高齢化社会に向けて福祉財源の為に増税する必要がなくなります。国民の潤いになるわけです。これは倹約が,物を大切に生かして使うことによって人を生かせるということです。
    5. 安藤昌益(1703〜1762) は八戸の医者でしたが, 『自然真営道』『統道真伝』を著し,不耕貪食(ふこうどんしょく)する階級がいて, 直耕直食(じきこうじきしょく)する農民から収奪する階級社会を法世(ほっせ)として根底的(ラジカル)に批判しました。全ての人が土地を耕して作物を造る自然世(じぬんせ)に復帰すべきだとしたのです。
    6. 自然世では,人は自然に直耕して生き,互いに支配したり,されたりすることなく,平等で独立した人間として,互いに助け合って生きていました。そこには法も制度もない理想郷だったのです。このような自然状態の人間こそ最も自然に生き生きと活動的に生きることができていたのです。ところが聖人がでてきてさかしらだちして,みだりに私に法をつくり制度を立てて,支配・被支配の関係を産み出してしまったのです。
    7. 昌益は仁義に基づく王道政治を唱える良心的な民本主義的な儒教に対しても,容赦なくその偽善を暴いたのです。「己れ民に養われて民の子で有りながら,民は吾が子と云えり,只狂人なり」(『統道真伝』)「聖人は不耕にして,衆人の直耕,転(天)業の穀を貪食し,口説を以て直耕転(天)職の転(天)子なる衆人を誑(たぶら)かし,自然の転(天)下を盗み,上に立ちて王と号す。故に己れの手よりして一粒・一銭を出すこと無く,我物と云う。持たざる者は聖人なり。然るに何を施してか,民を仁(いつくし)むべけんや」
    8. 昌益が大自然から学んだ人間社会の真のありかたについての源了圓の要約を名著『徳川思想小史』(中公新書) 166頁〜167 頁から抜き出してみましょう。
      1. ー然は初めも終わりもない。自然は自己原因である。
      2. 天地は初めも終わりもなく,また上もなく下もなく, 尊卑の別もなく, 先後の順位もなく, たださながらの 自然である。
      3. E恵呂眇佑睚も, 宇宙の一切のものは微塵にいたるまで, 相対的存在であり,相補的であり, そしてそれ故 に相互作用的である。万物の相対的, 相補的性格を「互性」と呼び,この「互性」故に生ずる万物間(天 と地,男と女,等々)におこる相互作用を「活真」と呼ぶ。この相互作用によって自然は進退を繰り返 す。
      4. け宙間の一切のものは,天と地,日と月,男と女,雌と雄,善と悪,生と死,・等のように常に二つに 分かれて現象するが,これらは自然の一つの真なる営み(真営)の進退であり,これらの多種多様の仕 方で,二つの対なるものの間に起こる進退が自然の一真営なのである。
    9. 戦前の日本の小学校には全国津々浦々に全て,薪を背負って歩きながら本を読んでいる,二宮金次郎の銅像が建っていました。おそらく戦時中に戦争に徴用されたのでしょう。もうほとんど残っていません。戦後再建されなかったのは,戦前にはそれが修身教育で大いに活用されていたので,戦後の民主主義教育の立場から修身復活反対の声が強かったからだと思われます。
    10. もちろん戦前の封建道徳を基礎にした忠君愛国主義をたたき込み,軍国主義や帝国主義を賛美するような教育の復活は困りますが,二宮尊徳(1787〜1856) の気高い報徳思想を伝え, 実践することは大切です。 戦後も50年になりますから, 単純に戦前の思想を排除するのではなくて,普遍妥当的価値を持つ思想は大いに顕賞し, 青少年の精神的糧として学校教育にも採用すべきだと思われます。またたとえ封建的色彩が濃く, 差別思想や権力思想が混ざっ反民主主義的な要素があっても, その中に深い思索がなされ, 学ぶべき普遍的要素を持つ古典的思想も, きちんとした解説を施しつつ教材に含めるべきです。そうして始めて学ぶ力, 批判する力が生まれるのですから。そういう意味で四書,『孝経』,諸子百家や仏典,バイブルなどがもっと重視されるべきです。
    11. 彼は「天道」と「人道」を峻別します。「人の賤しむ畜生の道は天理自然の道である。人の尊ぶ人道は天の道理に従ってはいるといっても,これは人間がこしらえた作為の道であって自然ではない。なぜなら畜生は,春には青草を食べ,秋は木の実を食べ,食物がある時には飽きるまで食べ,反対に食物のない時には食べずにいる。これが自然の道でなくて何であろうか。人間は,住居を作って風雨をしのぎ,蔵をつくって米や粟を貯え,衣服を作って寒暑を防ぎ,四時ともに米を食う。これが作為の道でなくて何であろう。自然の道でないことは明らかである。自然の道は永久にすたれることがない。しかし作為の道は怠けるとすたってしまう。」(『二宮翁夜話』)
    12. 善悪の彼岸なのです。そして自然に働き掛けて人間の為に利用する人道を重視し,そこにおいては勤労を大切だとしました。 「天理より見る時は善悪なし,其証には,天理に任ずる時は,皆荒地となりて,開闢のむかしに帰るなり,如何となれば,是則天理自然の道なればなり」
    13. 「天理は万古変ぜず,人道は一日怠れば忽ちに廃す,されば人道は勤るを以て尊しとし,自然に任ずるを尊ばず」(同上)
    14. 彼は人道においては,「分度」と「推譲」を強調します。「分度」とは自分の実力に応じて合理的に生活設計をすることです。そこでできるだけ勤労と倹約に心掛けて,少しも今年の物を来年に譲る「貯蓄の道」に精を出すのです。これが「第一の推譲」です。これができてこそ人道に叶うのです。これができなければ「人にして人にあらず」なのです。なかなか厳しいですね。
    15. 「第二の推譲」は,親戚朋友の為の譲り,郷里の為の譲り,国家の為の譲り,他の一切衆生の為の譲りです。人は普通苦労して事業に成功し,富を蓄えますと,それを自分一人の才覚と努力の結果と思い込み,世の為,人の為に使う事を惜しみがちです。そこで大邸宅を構えたり,贅沢三昧に耽ったりして浪費してしまいがちです。でもどんな事業も個人の才覚と努力だけでできるものではないのです。多くの参加者,協力者の献身的な努力や支えがなければ成功できるわけがありません。多くの人々の努力や天地自然の支えに感謝して,徳には徳で以て報いる報徳思想で,自分の蓄えた富,築き上げた力を皆のために役立てることが大切なのです。
  1. 悪人正機と資本主義の精神。
  2. 大乗仏教と資本主義の精神。そもそも、大乗仏教は、通常の社会生活を行いながら、涅槃主義の要請にこたえることを目的としている。
  3. 「倹約だということでリストラを派手に行い,長年会社の為に全人生をかけてきた中堅社員まで,雇用調整で解雇してしまう時代になってきました」。うーむ、コトバは同じでも、意味が正反対という使い方ができるものだ。
  4. 宗教が生まれた頃の社会は、修羅道が支配する世界であったのだ。現代は、畜生道が支配する世界だ。
  5. 悪人正機。いじめは悪人正機である、殺人は悪人正機である。リストラは悪人正機である、コルテスの虐殺は悪人正機である。汚職・賄賂・談合は悪人正機である。ポアは悪人正機である。原爆投下は悪人正機である。ブッシュのウソは悪人正機である。プロパガンダは悪人正機である。靖国の軍国呪術は悪人正機である。
  6. 世俗的道義性。宗教的悪人正機。
  7. 安藤昌益は、荘子的道教だな。
  8. 道徳教育復活反対運動は、どうかしている。道徳=国家主義的道徳、軍国呪術的道徳という認識がおかしい。靖国にしか道徳を見いださないという了見の狭さがおかしい。
  9. 「自然の道は永久にすたれることがない。しかし作為の道は怠けるとすたってしまう」ふむ。作為も自然だと思うが、作為は自然か?
  10. 二宮尊徳に至って、アリストテレス的な現実的な道義に至っている。

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    1. 人にはそれぞれの気質があり,従って個性的な能力は様々なバライティがあるのです。そしてそれぞれに自分の特長を生かして世に貢献すればよいのです。政治の本領は,それぞれの個性を充分発揮できるように適材適所に人材を登用するところにあります。
    2. 徂徠は,人民を教化して道徳的に生活させることよりも,人民が道徳的に生活できる環境を保障するところに政治の要諦を見たのです。
    3. たとえ儒教・仏教では極悪非道な行いであっても,それが人間の真情からでたものであり,人の心を打つものならば,歌・物語としては素晴らしい行いだということになります。
    4. 人間の心が物の述語となって,物に帰属しているのです。ですから宣長は「物の心を知る」とも言い換えています。
    5. 何事も「さかしら(賢さ)」を加えず神の御心のまま政治を行うことが「惟神(かむながら)の道」だと宣長は解釈した

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    1. 心情の純粋性・二心なき心,
    2. 自然との一体感,融和・照葉樹林帯気候 自然神信仰,
    3. 八百万の神々,
    4. 神奈備・汎神論    
    5. 思想の重層性・
    6. 外来思想に対する包容性・
    7. 心情の純粋性に還元        
    8. 欠陥ー
    9. 個の自覚の欠如,
    10. 行為の客観的規範の欠如 
    11. 普遍的原理追求の姿勢の欠如
    12. 思想の主体的創造性の欠如
  1. 日本的アニミズム
  2. 凡夫主義。
  3. 征服者崇拝
  4. 祭り上げ、客神
  5. 直観的な悟り、すでに実現された・・。
  6. 念仏、唱題、座禅。無心の行動。
  7. 他力本願。意思の有効性への不信。自然崇拝と同じか?

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    1. 人間の欲望を無限に膨らまして,その実現の為に自然の隠された秘密を暴き,思い通りに自然を支配しようとする傾向は,近代になりますます目立ってきました。
    2. カントは人間性を単なる手段し合う市民社会を「手段の王国」として批判し,同時に目的として尊重し合う「目的の王国」の住人として生きなければならないと説きました。そこでは人格的存在が物として手段化して取り扱われていることに対する抗議があります。
    3. マルクスは人格的存在である労働力までもが商品化されてしまう資本主義社会を,人間の物化,物の「人間」化の完成と見,人間関係が物の関係に置き換えられて,物が社会関係を取り結んで人間を支配しているかに現れる,倒錯的な物神崇拝の社会と診断しました。つまり本来,物でない人間が物化され,人間でない物が人間となり,物が人間から自立して勝手に社会関係を取り結んで人間を支配しているように見える,机が踊り出した,狂気の社会だと告発したのです。
    4. ヤスパースは,機械と大衆の時代では,流行に合わせて自らを大量生産される商品と同様に捉えて,物に頽落しようとする傾向を告発しました。
    5. ハイデガーも単なる用在に安住して物のようになる傾向に反発したのです。
    6. サルトルは,人間というものは,本来は,本質を規定されてしまった事物存在では有り得ないとし,状況から存在被拘束的に本質規定され事物化されそうになる自己に「嘔吐」し,否定の叫びをあげました。このように実存主義はまさしく人間は物ではないという抗議であり,叫びだったのです。
    7. フロムも事物を本質づけられ名前を与えられた完成として捉え,これと対極に人間を常に未完な生成・過程と捉えます。前者はもはや死んだ事物であり,後者は生きた体験だというわけです。
    8. 現代社会の中では,高度の管理社会や機械システムの中で,その部品や端末として物品化,商品化されており,欲望の内容や社会に対する対応の仕方や意識の様式までステロ・タイプ化されて情報商品に堕し,いわば物化しているのです。
    9. 人間の主体性と自由を取り戻そうとしても,人間が既に高度の管理体制に組み込まれ,その再生産機構によって常に身体と精神を作り出している以上,この機構を簡単に解体して,新たに自由なシステムを再構築できるわけがありません。
    10. 人間存在や意識を産出している社会や文化の構造を明確にしなければならないという構造主義が盛んになった
    11. ミシェル・フーコーは「人間の死,言語の支配」と表現しましたが,自由で創造的な主体という「人間」に対する幻想は消滅し,文化を構成している言語体系の構造からいかに意識が産出されているかを捉えようとしたのです。
    12. 構造の中で人間が本当に自由で創造的な主体であるには,狂気と死によってでしかありえない
    13. このような高度な管理社会の構造から脱走して,砂漠へと逃走することを賛美するのです。ここでのヒューマニズムの復活はむしろ敗れかぶれです。
    14. 逆に社会的事物も人間に包摂されていて,人間的存在であるから社会的に存在しているのですから,人間を構成する不可欠な要素なのです。その上システムや構造をも包み込み,自然関係を自己の定在として捉え返した人間論の展開が期待されます。ユクスキュルの環境世界論にように蚤的宇宙の蚤的事物の総体が蚤であり,蚤の身体だけで蚤を捉えるのは無理なのです。人間の環境世界もやはり人間の総体として捉え返して始めて,環境問題にも主体的に取り組めるのです。
    15. フランス革命が挫折した折りに,実証主義者や功利主義者たちは,頭の中で作り上げた形而上学的な理念が現実を支配しようとしたことが,恐怖政治や戦争等悲惨な現実をもたらしたとして,正しい理念を提唱し,実現しようとすること自体を批判しました。最近の「社会主義」世界体制の崩壊後も,これと同様の議論が盛んです。
    16. ゲバルト(暴力)を利用して自己実現をはかろうとする正義論の台頭を防ぐことができる((??))
    17. 普遍妥当的価値を否定してきた20世紀の現代思想も, ゴルバチョフの「全人類的価値の優先」という普遍妥当的価値の復権宣言で色褪せてしまいました。さまざまな宗教や価値観の違いはあっても,「平和,友好と連帯,人権民主主義擁護,法の支配の貫徹,地球人間環境の改善」等人類が連帯して努力すべき課題は,人類の総意として普遍妥当性を強めつつあります。特に世界経済の統合が進んで,地球規模での安全保障,環境規制や所得再分配が求められる時代ですから,世界連邦への歩みを急がなければなりません。普遍妥当的価値の共有によってその土壌を形成すべきなのです。 ((べき論??))
  1. 「ビルの山、車の小川」の歌・・。
  2. 地涌仏。
  3. 構造のファシズムの中の存在。

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    1. 「猫に小判」と言いますが猫には小判は存在しません。各動物は自分の行動様式に対応して,諸対象を何種類かの生理的状況に分類して反応しているだけです。それぞれ完全に閉じられた世界で,猫には猫的事物,蚤には蚤的事物が存在するだけなのです。猫的事物の集合が猫的世界であり,蚤的事物の集合が蚤的世界なのです。
    2. ビーバーの歯からビーバーダムや水中家屋を演繹できるのではなくて,ビーバーダムや水中家屋,ビーバーの歯等々のビーバー的諸事物の体系からビーバー的世界を説明するのが正しいのです。
    3. 自分の頭で作り上げてきた事象の説明方法で,現前している現象を説明できれば,こういうものだなと納得できて安心です。また現象している事態を既知の諸事物の関係として把握できれば,出来上がった客観的世界に実践的に立ち向かうことができます。
    4. 厳密に学として展開する場合は,ひとまず独我論的に自分自身の意識現象に還元すべきだというのです。このことを「現象学的還元」と呼びます。
    5. フッサールは,人間が意識現象の内部に止まりながら,客観的な実在的世界についての真・善・美やその他の価値判断やイデオロギー体系が構成される構造を説明し尽くそうとしたのです。 
    6. ドイツ人たちは民族の家父長としての権威をヒトラーに見出そうとしてしたのです。ですからこれは,『自由からの逃走』だと解釈したのです。
  1. 戦前や、現在の日本人と同じだ。

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    1. パース(1839〜1914)は、道徳的な動機など確かめようがないので、科学的に論じても仕方がないと考えました。それにひきかえ、どのような行動をとればどのような効果があるかは、実証的に論じることができるので、科学的に有意味だとしたのです。それで自らの立場を「プラグマティズム」としました。
    2. 彼は疑いや迷いから確信に至るには次の「四つの方法」があるとしました。
      1.  峺納垢諒法」−個人の願望や恣意が信念確定の決め手になります。人間はだれしも死にたくないと思っています。でもかつて何百億の人類も全て死にました。それでも永遠の生命を信じようとすれば、たとえいったん死んでも、また甦ったり、輪廻転生を繰り返すと考えたり、死後の世界が存在すると信じ込もうとします。
      2. ◆峺威の方法」−権威に対する忠誠が信念確定の決め手になります。ベーコンの「劇場のイドラ」はこれにあたります。権威がカリスマ性を帯びたり、それを信じないと権力的に抑圧されるような体制になっていますと、自分の安全の為に信じておくこ.とになります。
      3. 「先天的方法」一形而上学的な方法です。頭の中だけで論理一貫した理論を組み立てて,それを基準に現実を評価し,断罪する方法です。確かに論理的には欠陥がなく、正しく思われますが、実は実験・観察等できちんと検証されていない「机上の空論.」です。これは筋が通っていることが信念確定の決め手となっています。
      4. 科学的方法」一同一条件の下では同一の結果に到達せざるを得ない科学的実験に基づく方法です。主観の認識が客観的な事物の諸性質と一致していることが信念確定の決め手なのです。パースが主張したのもこの方法です。
    3. このぺ一スの「確信に至る四つの方法」は,べ一コンの「四つのイドラ」,即ちー鐶欧離ぅ疋.洞窟のイドラ.市場のイドラ一し狆譴離ぅ疋蕕搬佝罎気擦導个┐討くと良いでしょう。
    4. 「ある対象の概念を明晰に捉えようとするならば、その対象がどんな効果を、しかも行動と関係があるかもしれないと考えられるような効果を及ぼすと考えられるか、ということを考察してみよ。そうすればこうした効果についての概念は、その対象についての概念と一致する。」
    5. ある概念例えぱ「猫」という概念の対象について様々な特徴が報告されますが、それらを観察や実験を通して'確かめます。このようにテストによって真偽が確かめうる概念だけが有意味な概念なのです。この共同の確かめによって人々の「猫」についての一致した観念の総和が、描.という概念の意昧なのです。
    6. この方法で人間という概念を確定しますと、人間は思考活動の連続であり、思考は記号に他ならないから、「人.間は記号である」ことになりました。
    7. ジェームス(1842〜1910)・・は著書『プラグマティズム』で「主観・客観の認識図式」を克服し、絶えず流動する意識の流れを「純粋経験」と呼びました。
    8. 事物や観念は純粋経験を主観・客観の認識図式から反省的に解釈したものに過ぎないとしたのです。
    9. 「真理は有用性にあり。」・・神を信じる事による安心立命から神への信仰は有用であり、その限りで真理である
    10. デューイ(1859〜1952)は、『哲学の改造』(1920)て゜知識・概念・理論は問題解決のためのかせつであり,「道具」であると捉えました。その妥当性や価値道具とての有用性にあるのです。この立場を道具主義(instrumentalism)と言います。
    11. 障害にぶつかった際には、環境との安定した関係を回復しようとする衝動が現れます。これに刺激されて、知性は過去を振り返り、未来を展望して新しい条件のもとでの新しい習慣を作り出そうとします。この主体が「創造的知性」です。「習慣⇒衝動⇒知性⇒新しい習慣」という活動によって「人間性」が創造されるのです。そしてこの人間性の絶えざる成長そが[善」なのです。
    12. 彼は.「徳・快楽・幸福・人格の完成」のどれもが個々の行為を導く生活の道具であり,何が善であるかは人.により時により異なるのだという「価値多元論」の立場を表明しました。
    13. 人間性の成長は社会改造の為の集団的な実践と協カを通して行われる
    14. 彼は民主主義の原理を、社会の構成員全貫が成長するために協力し合って、科学的に問題を解決する事だと捉えました。自由と平等だけでなく、.寛容と同情の原理が重視されます。
    15. デューイは、民主主義社会では人間性を創造する過程自身が教育過程だと捉えています。ですから教育は問題を整理・系統付け,その解決方法を探究させ,その過程で知識と道徳を体得させるものです。学校は,集団的な問題学習の場であり,決して暗記と試験によって受動的に学習する場ではないのです。このようにデューイは民主主義社会の形成の為の進歩的な教育思想を打ち出し,第2次大戦後の日本の教育の民主化に多大な影響を与えたのです。
  1. 「学問や技術は経験を介して人間にもたらされたものである。・・患者のすべてに対して常にしかじかの処方がきく、というような普遍的な判断をすることは、技術のすることである」(『形而上学・上』p.22)
  2. デューイが影響を与えたのは、日本の教育行政に対してではない。残念ながら・・。

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    1. ゼーレン・キルケゴール(1813〜1855) は,学生時代の『日記』で,ヘーゲルのようなあれもこれも取り入れて総合する客観的真理ではなく,決断によって選び取りその為に生き,かつ死ぬことができるイデーを,即ち主体的真理を求めました。
    2. 絶望を踏まえて質的に飛躍し,老年期の神の前に一人立つ単独者の「宗教的実存」の段階に飛躍する
    3. 彼(ニーチェ)は精神の三態変化を説きました。
      1. まず重荷を進んで背負うラクダの精神を持つべきです。多くの責任や任務を引受け,自分に大きな課題を課して,それと格闘し,自らの能力を高め,力を付けるべきです。しかし既成の体制や価値の束縛の下では,やがて自己の力を伸ばし,発展させる事は出来なくなり,衰退せざるを得なくなります。そこでより強く自由に生きようとする精神は,
      2. 既成の体制や価値を否定して,自由を獲得し王になろうとする獅子の精神に変態するのです。全て権力や体制を否定した後で,精神は否定や破壊に飽きて,創造を求めます。
      3. 最後に創造や破壊の遊戯で,聖なる肯定を行う幼児の精神に変態するのです。
    4. (ハイデガーの)現存在はまず「世界・内・存在(Welt-in-Sein) 」という在り方をしています。
    5. サルトルの『存在と無』(1943年) での「存在」は,ハイデガーの場合とは全く違います。サルトルもデカルトのようにコギト(我思う=自我)から出発します。人間はなによりもまずコギトであり意識だというのです。しかし自我の意識は常になにものかについての意識ですから,意識の対象である存在を指しています。この存在は事物ですから,その対極である意識は「無」だとされます。意識存在としての人間は「無」なのです。
    6. 人間は「自由の刑に処せられている」
    7. ナチの毒液が,われわれの思想の中までも染み込んでいたからこそ,正確な思想はどれも,それぞれひとつの征服であった。全能な警察がむりやりわれわれの口を閉じさせようとしたからこそ,どの言葉もすべて原理の宣言としての価値を帯ぴた。われわれが追い詰められていたからこそ,われわれの挙動はみな厳粛な拘束の重みを持っていた。
  1. 世界内存在ではなく、存在内世界になっている。つまり、《私》の主観性の中に世界があるのだ。世界の《認識限界》の先には《私》《背後者回路》があるのだ。
  2. 意識が無だと言おうが有だと言おうが同じではないか。《知りつつあるモノ》がある、のだから、それだけのことではないか。有のクオリアを惹起しない存在。
  3. 僕たちが目覚めた不幸な時代と言うのは、親たちが「毒液」の中で追い詰められ、その中で厳粛な自由を確保していた時代の記憶を持って、子供たちに接していた時代だったのだ。彼らが反抗か死かという選択の自由の中で生きた時代の影の時代だったのだ。

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    1. 1844年の『経済学・哲学手稿』では次の「四つの疎外」にまとめました。この労働の自己疎外論が現代ヒューマニズムの重要な要素になっています。
      1. 〔1〕生産物からの疎外−人間は自分たちが生み出した生産物が,自分たちのものにならないで,自分た ちから独立し,自分たちに敵対して自分たちを苦しめる「生産物からの疎外」に陥っています。この生産物には広い意味では文明もふくまれます。人間が生み出した文明は人間から自立し、一人歩きして、人間の手におえないものになり、人間に対立して人間を苦しめています。
      2. 〔2〕労働からの疎外−が起こるのは,労働が自由な活動ではなく,強制された苦役として無理やりやらされる「労働からの疎外」に陥っているからです。
      3. 〔3〕類的本質からの疎外−が起こるのは,「類的本質からの疎外」によるのです。つまり人間という類は労働することを本質的な特長にしています。労働によって自己の能力を発揮し,自己実現できるのです。労働によってさらに人間生活を豊かにし,自然をそれに相応しく作り変えて人間環境として素晴らしいものにするのです。ところがこの活動が,実際には苦役であり,衣食住などの消費生活の手段としてしか捉えることができません。本来は目的である筈の自己実現活動が自己喪失活動としてなされており,実際の目的である生活手段を獲得する為の手段でしかないのです。これが「類的本質からの疎外」という意味なのです。これは〔1〕〔2〕の帰結であると同時にその原因でもあるのです。
      4. 〔4〕人間(他人)からの疎外・もし人間同士が互いを共同で働き,共同で消費する身内と見なすことができていたら,「類的本質からの疎外」も起こらなかったでしょう。自分が作った物が人々の欲求を充足することに自己実現を感じ,生きがいを感じられる筈です。しかし現実は,労働を通して各人が作るものは分業社会では,見ず知らずの他人の消費するものです。自分も他人の作った物を手に入れるために,自分が作った物を提供しています。ところが両者は互いにできるだけ少ない労働で,他人のできるだけ多くの労働の成果を支配しようとしていますから,相互支配であり,対立的な関係にあるのです。労働自体が他人を支配する為に他人に支配される関係になってしまい,類的な共同として実感できないのです。この相互支配,敵対的な人間関係が「人間からの疎外」です。この原因は生産物を排他的に所有し合う私有財産制度にあるのです。私有財産を無くして共同的な人間関係を築き上げることができれば,互いは同じ共同的な全体の身内として意識され,四つの疎外も克服できるというのです。
    2. マルクスは,「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきたにすぎない。肝心なのは世界を変革することである。」と実践的唯物論を示すテーゼを打ち出しました。世界は変革しないでもよいのなら,哲学者によって受け止め方次第で,好きなように解釈できます。でも変革しなければならない場合は,いい加減な解釈では必ず失敗してしまいます。実践によって試され,発展した世界の認識こそが大切だというのです。
    3. マルクスは既に資本と経営の区別に敏感でした。株式会社という19世紀の半ばから盛んになった企業形態を分析して, 企業経営を株主総会で雇われた労働者ができるのだから,資本家は既に不要になっているとして, 労働者自身が企業を運営する社会主義の現実性を説いたのです。

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    1. アダム・スミス(1723〜1790) の『道徳感情論The Theory of Moral Sentiment 』によりますと,人間には利己心と共感(sympathy) という二つの本能があります。
    2. ベンサム(1748〜1832) は『道徳と立法の諸原理序説』で,次のように「功利の原理」を展開しました。人間は「快」と「苦」の支配を受けているので,快の増進,苦の減少が幸福であり,その逆が不幸だとしたのです。政府の政策も社会全体の快の増進,苦の減少に努め,「最大多数の最大幸福」の実現を目標にすべきだと主張しました。この思想の前提には快と苦の量が計算できるという快楽計算の考えがあります。「強烈度,継続度,確実性,遠近性,多産性,純粋性,範囲」の七つの条件を考慮して計算すべきだとしたのです。
    3. J・S・ミル(1806〜1873) は『功利主義』(1863) で,・・ベンサムが快楽を量に還元する傾向が強かったのに対して快楽の質を重視しました。つまり精神的快楽を肉体的快楽より優れたものと認めて,質的功利主義を主張したのです。それは「満足せる豚よりも,不満足な人間である方がよく,満足せる愚者よりも,不満足なソクラテスである方がよい。」という格言にイローニュッシュに表現されています。
    4. ダーウィンの学説は生物学の限界を離れて世間に流布し, 社会科学にも重大な影響を与えました。社会科学として社会進化論が展開されますと優勝劣敗の原則に基づいて強者の正義が唱えられ,自由競争下の産業資本家の立場を代弁したり,帝国主義的進出を合理化するようになったのです。
    5. スペンサー(1820〜1903) は『綜合哲学体系』を著して,進化論を生物体だけでなく,一般の自然法則として諸科学の綜合を試みました。全てのものは単純なものから複雑なものへと発展し,同質から異質へと分岐するのです。社会も有機体として捉えられます。ですから社会も進化するのです。彼の国家論は,従って社会有機体説とか国家有機体説と呼ばれます。
    6. とはいえ,他の社会ダーヴィニストのように,弱肉強食の過程を社会進化の過程として捉えたわけではありません。社会の進化は個人が社会へ順応し,個性を生かしている度合いによって,また分業と協力関係の進展によって測られます。そしてコントと同様に,軍事型社会から産業型社会への進化により,自由競争の下で進化の法則が貫かれて,産業者の支配が実現し,個人の完全な自由が実現する社会を理想化したのです。
  1. あら、アダム・スミスは利己心主義じゃなかったのか・・。

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    1. ルソーの立場では、行動基準である法は全員参加の集会で決めなければなりませんでしたが,
    2. カントはこれを道徳の領域に移して,良心に従って,自己立法を遵守することつまり自律を求めたのです。
    3. いつでもどこでも誰に対しても妥当するような,普遍的な妥当性がある,人間として当然そうすべきだと思われる自然法に則った行動をせよ
    4. 自然法の内容は自分自身の判断に全面的に任されています。その上で自分が正しいと確信する行為をする責任があるわけです。
    5. 行為の内容や外見で,その行為の道徳性を云々すべきではないということになります。ところで動機は厳密には他人には窺い知れないものですから,他人の道徳性を批判したり,自己の道徳性を他人に主張するのはナンセンスということになります
    6. 互いに人格として尊重し合う社会を「目的の王国」と呼んで,常に「目的の王国」の住人のように生きるべきだと説いた
    7. 宗教は道徳からの要請として成立する
    8. カント哲学では,経験的世界と超経験的世界,自然と道徳,つまり理論理性と実践理性が二元論的に対立しています。
    9. これを実践理性の優位の立場に立って克服しようとしたのがフィヒテ(1762〜1814)です。
    10. 彼は『全知識学の基礎』で一切の認識は実践的な自我の働きによるとしました。
    11. そして個人的な自我の根底に超個人的精神としての絶対我を置いたのです。個人的な自我も非我である自然対象も,この絶対我が自己実現を目指してつくり出したものなのです。
    12. 個人的自我は真の自我を実現する為に,対象的な非我の阻害を克服しなければなりません。この理想実現の営みこそが道徳的善なのです。彼は『ドイツ国民に告ぐ』で,ナポレオン軍に占領されたドイツ国民の士気をたかめ,民族的自覚の高揚を計ったのです。
    13. シェリング(1775〜1854)は,『先験的観念論の体系』で,対象的自然の中に絶対者を直観的に把握する美的な働きが最高の徳だとした
    14. シェリングによれば,自然は知覚の対象になりうる精神であり,精神は知覚の対象とならない自然です。自然と精神はポテンツの量的な差異に過ぎないのです。
    15. そこで絶対者の自己展開として自然の発展を捉えました。絶対者は先ず最も低いポテンツとしての力学的物質の段階から,磁気・電気・化学過程の段階を経て,有機的生命の段階へと姿をあらわし,自己意識をもつ人間の精神である最高段階に達するのです。つまり人間の意識は自然の自己意識なのです。          
    16. 18世紀は理性万能で,主観と客観の対立に固執し,自然は意志や感情をもたない無機的な力学的自然として捉えられて、数学的合理主義によって普遍的・法則的な傾向に還元されてしまっていたのです。
    17. これに対する反動として18世紀後半から19世紀初頭にかけて直接的・個性的感情を取り戻し, 芸術的・宗教的感情を大切にして, 自由な創造精神を解放しようとするロマン主義文芸が盛んになったのです。
    18. ヘーゲルによれば,死の恐怖を克服して堂々と戦った者が勝者になり,死の恐怖に怖じ気づいた者が敗者になります。その結果勝者は主となり,敗者は奴となるのです。主は奴の生命を保障してやるかわりに,奴は主に絶対服従しなければなりません。主の為に奴は全ての財を生産し差し出さなければなりません。
    19. でも生産を通して,奴は経験を積み,物事の道理を知り,道具の扱い方や生産機構の動かし方を知り,実質的な支配者に成長します。これに対して主は奴に依存して享楽と消費に身を持ち崩してしまうのです。このような主と奴の逆転を通して,主と奴という自己意識の自立性と非自立性の段階を克服して,独立した自由な人格の相互関係が成立するのです。
    20. ヘーゲルは,産業革命の結果の市民社会の悲惨と混乱を観ていますから,国家的理性による調整を不可欠だと考えたのです。
  1. なんか、18世紀のシェリングの時代は21世紀の日本みたい。
  2. 新自由主義という市場放任主義が戻っているので、「産業革命の結果の市民社会の悲惨と混乱」が再現されているのだ。

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    1. ロックは『市民政府2論』で,フィルマーの王権神授説を展開して社会契約論を論難した『パトリアーカ』に反論し,1689年の名誉革命を擁護しました。
    2. 彼は,ホッブスとは逆に,自然状態でも人間は理性的であり,互いに人格的に認め合い,「自己労働に基づく所有権」を尊重し合っていたとします。
    3. うまく腐る富を腐らない富に替えていき貨幣の形で富を蓄積した者とそうしなかった者との貧富の格差が生まれ,富を巡る競争やトラブルが多くなり,所有権を守ることが難しくなります。このようなトラブルをおさめるには,以前のように各人の判断で自然権を解釈し,各人の力でそれを守っていたのでは無理です。皆が納得できるような形で自然法の内容が公開され,違反者に対する処罰も公的に行われる必要が大きくなります。
    4. 国家はこうして人民全体の話し合いに基づきます。ですから,国家と人民全体は直接的に同一なのです。国家は生きた人民の有機的な全体ですから, 生きた有機的全体という捉えかたではホッブズと共通します。
    5. そこでルソーは立法権は譲渡できないとし,立法権に関しては直接民主主義の立場を打ち出したのです。
    6. ただし執行権に関しては立法権の決定に忠実ならば,王政や貴族政でもよいのです。ルソー自身は政治体制は執行権の事として捉えていましたから,彼自身が直接民主主義を訴えたつもりはなく,民主主義は住民が神々である場合だけうまくいくだろうと,非現実的だと考えていたのです。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/kindai/Becon.htm

    1. ベーコンは,主著『ノヴム・オルガヌム(新機関)』で,主観は様々な主観的思い込みに陥入り易く,客観を正しく捉えられないでいると指摘して,「四つのイドラ」に注意を促しました。
      1.  崋鐶欧離ぅ疋蕁廖漆祐屬亮鐶欧紡阿垢襪海箸ら生じやすい偏見です。人間は「地球は球形である。」 というように何事も割り切って典型的な形で捉えようとします。でも厳密に計測すれば球形ではありま せん。科学・技術的には割り切って捉えていますと失敗の原因になります。
      2. ◆崙況△離ぅ疋蕁廖竺童朕佑呂修譴召貽値の体験や教育環境からくる固有の洞窟を持っています。それ でどうしても事実を歪めて受け止めてしまうのです。
      3. 「市場のイドラ」ー人間間の交際に言語を使用せざるを得ないところから,言語による偏見が起こりま す。例えば「運命」や「原子」という言葉があれば,誰もその存在を実証していないのに,それに対応 する実在が有ると思い込みます。
      4. ぁ峽狆譴離ぅ疋蕁廖璽轡А璽スピアなどのお芝居は台本が良くできているので,とてもリアリティが感 じられます。それと同様にプラトンやアリストテレス等の権威ある学説は論理構成が見事ですから,つ い感心してしまい,実際の事実と照らし合わせるまでもなく真実だと思い込まされてしまいます。そこ に偏見が生じるのです。
    2. それは次の「三つの表」に整理して法則を確かめるもので,これによって科学技術の飛躍的発展が計れると確信していたのです。
      1. ‖減澆良宗執猟蠹事例を洩らさずに表にする。
      2. 欠如の表ー否定的事例を洩らさずに表にする。
      3. D度の表ーある条件では肯定的事例だが,別の条件では否定的事例になる現象を洩らさず表にする。
    3. これら三つの表から,どのような条件においていかなる法則が成り立つかが実証されるのです。
    4. 自然の秘密を暴き自然を支配しようとすることは,神を懼れない罪業だとする非難に対して,神が隠した自然の秘密を暴くのは,神から与えられた能力によって神を讃える事であるとしたのです。
    5. しかし自然に対する支配は健全な理性と正しい信仰に導かれなければ人間の幸福を増進する事にならないと警告しています。
    6. 人間の自然に対する支配によって形成された近代の物質文明が,深刻な人間疎外を齎しているのを鑑みますと,ベーコンの人間中心主義的で実用主義的な科学論にも反省の必要がありそうです。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/kinsei/reformation.htm

    1. 直接聖書で神の言葉に接すれば,教会の権威によって神と人をつないだ特権的な司祭は不要なのです。この考えを万人司祭主義と言います。
    2. そこから職業は全て神の命じた使命であり,貴賤の差はないという職業召命観が説かれたのです。

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    1. 人類という類的概念が実在しなければ,アダムが犯した原罪を現存する我々一人一人が背負っているのは理窟に合わない
    2. 人間の理性は実在を認識しえないとし,人間が使用している概念は便宜的に人間生活の必要から付けられた名前に過ぎないというオッカムらの唯名論(ノミナリズム)が流行した
    3. トマスはアリストテレス的に普遍は個物の中に存在するという立場に立っていました。
    4. 実在論(リアリズム)と唯名論(ノミナリズム)の対立は近代には観念論(イデアリスムス)と唯物論(マテリアリスムス)の対立へと発展する
    5. ピコ・デラ・ミランドラ(1463 〜1494) は『人間の尊厳について』で「アダムよ,お前には一定の住所も顔かたちも特性も与えなかったが,それはお前がお前の意志と判断によって,思うままにそれらを決めることができるようにしたためである。自然は定められた法則に束縛されているが,おまえは自由意志によって何者にも成ることができる。」と述べ,主体的な決断次第で人間は無限の可能性を切り開く事ができるとしたのです。この発想はサルトルの実存主義的人間観に近いのです。でもピコは人間が無限の可能性を持てる前提にキリストによる救済を置いています。
    6. エラスムスは自由意志の役割を肯定し,人間の努力によって救済が神から与えられる事を認めなければ,一切の道徳が成立しないと主張しました。
    7. ルターの『奴隷意志論』です。ルターは,救済はあくまでも神の恩寵によるとし,その際,自由意志は全く無力だとしたのです。人間の運命は神に予定されているのだから自由意志によって努力次第で何かになれると考えるのは,神に対する冒涜に他ならないと言うのです。
    8. 「君主は野獣の性格を適当に学ぶ必要があるが,その場合野獣の中では狐とライオンに習うようにすべきである。というのはライオンは策略の罠から身を守れず,狐は狼から身を守れないからである。罠を見抜くという点では狐でなくてはならず,狼の度胆を抜くという点ではライオンでなくてはならない。」と語るマキャベリ(1469 〜1527) の『君主論』の登場は,近代政治学の出発点だと言われています。
    9. ネーデルランド出身であるエラスムス(1466〜1536) の『痴愚神礼讃』は,痴愚と狂気に満ちた人間世界を痛烈に風刺しました。エラスムスが痴愚女神モリアに語らせるところによれば,人間の知の営みは相対的で限界に満ちたものなのです。人間の智恵など神の真理に対しては全く痴愚に他なりません。ところが,自らの痴愚に気付かない君主や諸侯,法王や僧侶,神学者や文法学者等の特権階級の連中は,独善と狂気に陥り,醜い争いや愚にもつかぬ論争に明け暮れ,救いがたい程に堕落し腐敗しています。そこでモリアは,素直に人間の本質としての痴愚を肯定的に受け止め,人間らしい生き方を取り戻すことを呼び掛けています。これはソクラテスの「無知の知」の顰に倣ったのでしょう。
    10. 人間は考えることによって宇宙の無限,人間のはかなさを知るのです。これはまことに悲惨で絶望的だと言わざるを得ません。しかし人間は,宇宙の無限を知り,自己のはかなさを知っているという点で,それを知ることができない宇宙全体より偉大性を持っているとも言えます。こんな偉大な人間を悲惨なままに捨ておくとすれば,神も神としての偉大性を喪うことになるでしょう。だから神の救いは確実だとパスカルは説いたのです。
    11. 彼は,価値ある生き方の三段階である「三つの秩序」を説きました。
      1. 第1の秩序・「身体」,この秩序において支配的なのは情念です。王侯・貴族の生活の原理です。
      2. 第2の秩序・「精神(理性)」,学者や研究者の生活の原理はこの「精神(理性)」です。
      3. 第3の秩序・「慈愛(愛)」,神における存在の仕方です。イエスの生がお手本です。
    12. この三つの秩序は宗教が感性や理性を越えて,これらを包含し,統一するとしました。

 

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    1. 儒家を宰相にしますと礼楽に乱費され,君主の徳を磨くように干渉されて,煩わしいことになると警戒されました。
    2. ややもすれば権謀術数で権力を握ってから,自分の理想を実現すればよいという考えに傾きがちです。でも力で取った権力は力で奪われます。いったん徳を投げ捨てて信頼を裏切った為政者に対して,信頼して協力する臣下や人民はいません。徳治政治は君主の徳に人民がなつくことによってはじめて成り立つのですから,まごころとおもいやりを「一以貫之(いつもってこれをつらぬく)」他なかったのです。
    3. 愛情を親縁の度で差別する事によって,私的利害の為の争いが正当化され,あらゆる社会的な矛盾が生じたのです。そこで儒家の説く差別愛を「別愛」と呼んで斥け,墨家は「兼愛」を説きました。自己と他者,自分の親と他人の親を分け隔てなく愛するのが兼愛です。この兼愛によってはじめて全ての争いや矛盾が取り除け,みんな仲良く暮らせるのです。
    4. 『墨子』では隣家の柿を盗んだだけで,手を切られたりする重罰に課せられるのに,隣国に侵略し,大量に人を虐殺し,財宝を略奪しても英雄視される戦争の理不尽さを告発しています。敵国の河の上流に毒を流し,混乱に陥れて国を奪うなど当時の戦争の残酷さもリアルに表現されています。墨家の兼愛は,小国を大国の侵略から守り,平和を実現しようとした「非攻」の実践と一体だったのです。墨家集団は防御のスペシャリスト集団として大活躍しましたから,しっかり守ることを「墨守」というようになったのです。
    5. 墨家が小国を大国の侵略から献身的に防衛することによって,天下は平和になったでしょうか。かえって大国による天下統一の妨げになり,戦国時代が終わらないという自家撞着に陥ってしまったのです。そこで墨家の中には秦の平定した土地に要塞を築いて,秦の天下統一を手助けする秦墨まで現れ,分裂しました。もちろん秦にすれば天下統一が成功すれば,墨家は不要で邪魔なだけですから,結局滅亡させられてしまいます。
    6. 孟子の性善説は「四端説」と言います。人間であれば皆四端があり,それを拡張すれば聖人の徳である四徳に到達できるとしました。
      1. 人間にはだれでも他人が不幸になるのをみて,放っておくに忍びなく思う「惻隠の心」が起こります。この心を大切に育てれば,聖人の徳である「仁」に到達できるのです。
      2. 人間にはだれでも義に悖るさもしい行いをすれば,悪い事をして恥ずかしいという「羞悪の心」が起こります。この心を大切に育てれば,聖人の徳である「義」に到達できるのです。
      3. 人間にはだれにもお年寄りに席を譲ろうという「辞譲の心」を持っています。この心を拡張していけば,聖人の徳である「礼」に到達できます。
      4. 人間なら誰でも自分の行いを振り返って,仁・義・礼に悖るいけない事をしたのではないかと自問する「是非の心」を持っています。この心を拡張していけば,聖人の徳である「智」に到達できるのです。 
    7. でもわざわざ性善説を唱えるのは,そのような普遍妥当的価値が次第に通用しなくなったからです。それぞれが自分勝手な価値観をもち,行動様式を取るようになったいたのです。そうなりますと後は力で為政者の制定した法に服従を強制して,無理やり従わせるしかないのです。それでは心から為政者を尊敬して,為政者に従うことにはなりませんから,平和は長続きしません。仁義に基づく王道政治実現という道義こそ普遍性があり,その為にこそ人間は生きるべきだという道義主義的な人間観を抱いていたのです。
    8. 性悪説を説いたのは荀子です。「人之性悪,其善者偽也」と説きました。これを「人の本性は悪である。人の本性が善であるというのは偽りだ。」と解釈してはいけません。「偽」は「偽り」という意味ではなくて,「人為」という意味なのです。「人性はうまれつきは欲望のために動かされるで悪なのだが,聖人が礼や法を定めたので,教育や環境で人為的に善になったのだ」という趣旨なのです。
    9. 人間を社会的動物として規定し,環境や教育の影響を重視し,呪術等の迷信を退け,啓蒙の意義を強調したのです。それで古代における中国最大の唯物論者として新中国では高い評価を受けてきました。
    10. 「大道廃有仁義,慧智出有大偽,六親不和有孝子,国家昏乱有忠臣」・・文明を否定し,その元となる欲望を少なくすることを説いて,「小国寡民」を良しとしています。現実の戦国時代は戦争を終わらせ,天下を統一させる方法を求めていたので,『老子道徳経』のような隠世的な思想はやる気を失わせるので,排斥されるでと思われるかも知れませんが,実際は『論語』などでも隠世家にはかなり好意的です。隠世的な思想は,義や智を争うのではなく,義や智そのものを相対化する働きを持っています。必死になって守ろうとしている義をいったん無意味なものとする事によって,発想の転換や局面の打開が可能になるんです。
    11. それに建前によって見失われていた,自然のままの本音の解放も可能になります。融通無碍に物事へ対応しなければならない時には,隠世的な思想が大いに参考になります。だから同一人物が口では儒家の言を唱えながらも,実際の心の内や行動では道家の言に従う場合もあり得るのです。特に浪士は,一方で学問や武芸に励みながら,他方で精神安定の為に道家に親しまないとやり切れなかったでしょう。
    12. 正しい名を付ける事が世の秩序を正しくする根本だと考えた荀子のような人々は,名実一致を追求しました。しかし道家では対象化され,名付けられた事物は,事物の本来の姿ではないんです。本来の姿は主・客未分化な事態としての「道」だというのです。だから対象化できず,従って名付けられもしないものです。ですから,名実一致を巡って言い争うのはナンセンスだと主張しています。
    13. 「無名,天地之始,有名,万物之母」は「名状しがたいカオスから天地が出現した。物事を対象的に区別し,名付ける事によって万物が生まれる。」と解釈します。
    14. 王たる者は,この「道」に逆らわずに,欲望やさかしらを去って,「無為自然」に振る舞えばよいのです。そうすれば,人間の本来の自然である「道」のままに,その雄大な営みを楽しむ事が出来るということです。
    15. 「上善は水のごとし」なのです。何もしないのではなくて私心なく,皆のために尽くしてしかも,人と争わないで,人の下に回る。これを「不争謙下」と言います。そういう人こそ政治を善く行い,物事を立派になし遂げることが出来るといいたいんです。
    16. 鯤(魚の卵)が三千里もの大きさの鵬になって遙か上空に舞い上がるとすべての事物の区別,是非の相対性が明らかになり,絶対的な一が実感されるでしょう。これが燕雀には理解しがたい「真人」の境地なのです。
    17. 山の木は有用なので伐り倒されて自ら禍を招き,膏火は明るいので自ら身を焦がす。肉桂は食用になるから伐採され,漆は塗料となるから割かれるのだ。人はみな有用の用のみ知って,無用の用を知る者は誰も居ないのだ。
    18. 「身体への拘りを棄て,さかしらな人智を斥け,形を離れて対象的な知を去ります。そして大いなる道と合一するのです。これを坐忘というのです。」
    19. 老子の道・静的な本体論的な実在が道(自然のままの全ての存在の本来の姿としての道です。太古樸素の道への復帰が説かれていて後ろ向きなのです。
    20. 荘子の道・刻々流転してやまぬ変化そのものが道です。道と共に往き変化に乗って遊ぶ逍遙遊」が理想の境地です。ですから今をいかに生きるかが説かれていて前向きです。

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    1. 偶像崇拝する異民族をホロコースト(大虐殺)することはむしろ神の名誉回復の意義を担っていたのです。これを躊躇ったということでユダヤ最初の王サウルは神から見放されてしまいます。
    2. 教義が侵略に使うために作くられたものではないかという疑問は、「唯一絶対の超越神」という神観念自体にも当てはまるのではないかと思われます。もっとも意図的にというより無意識にそうしてしまったのでしょう。だって「唯一絶対の超越神」ということにしておけば、他民族はみんな自然物や自然現象を神にし、偶像を造って崇拝しているので神を有限な事物や土や金属の塊りに貶めたとして、神を冒涜した罪で皆殺しにすることが神聖な義務になりますからね。
    3. イエスは,トーラー全体を「二つの愛」つまり「心を尽くし,思いを尽くしてあなたの父なる神を愛しなさい。」という「神への愛」と,「あなた自身を愛するように,あなたの隣人を愛しなさい。」という「隣人への愛」のトーラーに集約したのです。
    4. ギリシアではイデアを目指して向上する愛をエロスと呼びました
    5. キリスト教では神の愛をアガペーと呼びます。神への愛や隣人への愛もアガペーに含まれます。
    6. キリスト教徒たちは自分たちを迫害するパウロを憎むどころが、信仰に目覚めることが出来ないパウロを憐れみ、パウロの為に神に祈ったりしたのだろう。これは愛による攻撃だ、憎しみによる攻撃なら対抗できるのだが、愛による攻撃ほどやっかいなものはありません。結局信徒たちをそこまで導くことが出来たイエスに対して憧れるようになってしまったのでしょう。
    7. ユダヤ教徒からすれば,イエスを神の実子だとするキリスト教の教義は唯一神論の放棄に他なりません。また人を神と考えるとんでもない偶像崇拝にあたります。
    8. 後のイスラム教徒たちもイエスをモーセ以来最大の預言者と認めたうえで,イエスを神格化してしまったことで,キリスト教徒は神を裏切り,神から見離されたとしています。
    9. 「父なる神ヤハウェ」と「子なる神キリスト」と「聖霊なる神」は,それぞれ別の神格でありながら,唯一絶対の神の三つの面の現れであるとするこの三位一体説について合理的な説明はできないのです。別の神格なのにどうして一つの神と言えるのか,という問に対しては,人間は,神が示した真理を知りえるだけで,神が示されてない真理まで知ることはできないと答えています。
    10. アウグスティヌスは徹底的に神を疑った上で信仰に辿り着きました。信仰と懐疑の間を振幅しながらいかに信仰が固められたのかを綴ったのが代表作『告白』です。だから懐疑論者に対して,別の著作でこう批判しています。いかに疑い深くても, 疑っている自分が存在している事は疑えないだろう。疑ってばかりいるような不完全な自分でも存在しているという事は,取りも直さず, より完全な存在によって支えられているからに他ならない。従って, 神の実在は疑えないのだ。この批判の仕方はデカルトの方法的懐疑そのままです。
    11. ムハンマドによればイエスはモーセ以来最も偉大な預言者でした。ところがユダヤ人達は相変わらず神の言葉を聞き入れませんでした。その結果がパレスチナからの追放です。またキリスト教徒達は三位一体論をとなえ唯一神信仰を捨ててしまいました。そこで唯一神アッラー(ヤハウェのアラビア名)は,新しい預言をムハンマドに授けたのです。
    12. 「イスラム」と言う言葉の意味は「絶対帰依」だそうです。・・アブラハムは百歳になってから授かった最愛の息子イサクを,神に燔祭(犠牲の肉を焼いて神に捧げる)として捧げるように天使に要求され,躊躇せずに従おうとしました。そこで天使がこれは神が信仰を試されたものです、アブラハムはテストに合格ですといって止めたのです。神様はご褒美にアブラハムの子孫に全地の支配権を与えると約束されたわけです。このアブラハムの信仰を受継いでアッラーに絶対帰依している人々をムスリムというのです。 
    13. ムスリムの信仰と儀礼を六信五行と言います。六信とは「神・天使・経典・預言者・来世・天命」を信じることです。神はもちろん超越的で唯一絶対の万物の創造主アッラーです。「天使」は神が超越的で姿を現せないので,神の言葉を預言者に伝える役目を持っています。天使を信じないと一貫性がないのです。
    14. 五行とはシャハーダ(信仰告白)・サラート(礼拝)・サウム(断食)・ザカート(喜捨)・ハッジ(巡礼)を行うことです。はじめはこれの他にジハド(聖戦)もありました。
    15. シャハーダは声を出して,「ラ・イラーハ・イッラ・アッラー,ムハンマド・ラスール・アッラー(アッラーの他に神無し,マホメットはアッラーの使徒である。)」と誓うのです。これを一度でも口にすれば撤回は許されません。
    16. サラートは「アッラー・アクバル(アッラーは至大なり)」を唱えながら,立礼・坐礼・跪礼を数回続けるラカーを毎日五回,聖地メッカに向かって行うのでしたね。
  1. たけ(tk)の念仏理解はキリスト的だな。

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    1. アリストテレスによると行為には何かの目的を達するための行為と、その行為をする事自体が目的であるような行為がある。
    2. 何かの手段としての行為を単なるキーネーシス(動き・運動)としたのです。
    3. そしてそれ自身が目的であるような行為をエネルゲイア(活動・現実活動)だと言ったのです。
    4. 西洋の労働観では、労働は神に背いた罰でなのです。
    5. でも日本人は労働を否定的に捉えるより、仕事として肯定的に捉える傾向があります。・・彼らは農業やものづくり自体を自己実現として捉えて、キーネーシスではなくエネルゲイアとしているのです。
    6. アリストテレスは幸福を最高善だとしたのでしょう。そして幸福とは快楽や名誉や富を得ることではないとしたのですね。・・そうです。自己充足的活動が幸福なのです。そして自己の特性を充分に発揮している時に充実を感じるものだとします。人間の特性は理性にありますから,自由な知的活動であるテオーリア(観想的生活−英語のtheoryの語源)こそ最も幸福であると述べたのです。
    7. アレキサンダーが樽の中のディオゲネスを訪ねて、何でもほしいものをあげるから、と希望を訊いたら、ディオゲネスはアレキサンダーに「折角日向ぼっこをしていたのに邪魔だからそこを退いて欲しいと」言った
    8. 込み入った議論で,魂をすり減らすことを嫌った懐疑派のピュロンは,形而上学的な難問には独断を避けて,エポケー(判断中止)を決め込みました。
    9. エピクロス(前342〜前271年頃)は,世俗と係わる煩わしさを嫌い「隠れて生きよ」と説きました。・・彼の理想としたのは魂がなにものにも煩わされず平静を保っている「アタラクシア(魂の平静)」の境地なのです。
    10. ストア派は自然哲学ではミレトス学派のようにコスモス全体を大いなる生命と捉えています。・・ストア派の「自然に従え」という標語は、人間も自然という大いなる生命の一部であるから、大いなる生命に従うべきだといういう意味になりますね。
    11. ストア派は自然法思想の源流だといわれますが、もともと宇宙生命の法則は人間にも貫かれているからそれには従うべきだという意味だったのですね。
    12. プラトンでは理性が気概(意志)や欲望を支配すべきだという立場だから、理性を重視しているのです。この理性がコスモス全体である大いなる生命即ち神の理性の一部なんです。コスモス全体が神であると同時に個々の事物も神の現れとして神性を含んでおり、だからコスモスの調和も可能なのです。こういう全ての事物に神性があるという考え方を汎神論といいます。宇宙生命が神の理性を宿しているとすれば、万物にはその現れとして「種子的理性」が宿っているとされます。人間の理性も従って神の理性と通じているのです。その人間の理性でだれもが当然だと認める「理性の法」が自然法なのです。
    13. 個人の人格的魂の不滅性の主張は,自我の神格化に他なりません。これは個人や動物や事物の神格化や偶像崇拝を徹底的に排撃するキリスト教と衝突することになります。キリスト教にすれば,永遠・不滅な実在は神だけなのですから。

http://ja.wikipedia.org/wiki/倫理学」にマズローが出てこなかったのにはびっくり。

  1. 「功利主義」などは、マズローの生理的欲求のレベルでの《快》の測定を前提としているのではないか?
  2. 「幸福」の測定は可能か?
  3. 「功利主義においては幸福は計算可能なものとして仮定される」。
  4. 「立法の原理・法学の基礎として最大多数の最大幸福を置くという着想」。
  5. 《他者》に対して倫理性を要求すべきか、というのは「《私》《他者》に真理性を要求すること」が《私》にとって倫理的であるか、という問題である。《他者》が自分の子供であれば、《他者》に倫理性を要求することは倫理的であろう。《他者》《私》の保護下にある場合には、《他者》に倫理性を要求することは倫理的であろう。《他者》《私》の保護下にない場合には、《他者》に倫理性を要求することが倫理的であるかは疑問である。《他者の背後者回路》を熟知していない状態で《他者》に倫理性を要求することは無用な紛争を招く可能性がある。紛争を招く行為は倫理的ではない。
  6. 「仁」というのは人々の欲求を広く知ること。人々の多様な《背後者回路》を知ること。
  7. 「倫理社会」という科目はなくなったのか?
  8. 「高等学校の公民科」(http://www.fukuoka-pu.ac.jp/gakubu-in/syllabus/S514.htm
    1. 第1回 オリエンテーション(講義内容・評価方法・参考文献の紹介)
    2. 第2回 倫理社会学習 陛学の祖タレス、教科書解剖法)
    3. 第3回 倫理社会学習◆淵愁ラテスの哲学、百科事典活用法)
    4. 第4回 倫理社会学習(プラトンの哲学、新聞活用法)
    5. 第5回 倫理社会学習ぁ淵▲螢好肇謄譽垢療学、統計資料活用法)
    6. 第6回 倫理社会学習ァ淵戞璽灰鵑療学、主人公の設定法)
    7. 第7回 倫理社会学習Α淵妊ルトの哲学、導入教材の選択法)
    8. 第8回 倫理社会学習А淵ントの哲学、授業の展開法)
    9. 第9回 倫理社会学習─淵悄璽殴襪療学、学習内容の整理法)
    10. 第10回 倫理社会学習(ショーペンハウエルの哲学、発問準備法)
    11. 第11回 倫理社会学習(ダーウィンの進化論哲学、板書に絵を入れる法)
    12. 第12回 倫理社会学習(マルクスの哲学、記憶に残す法)
    13. 第13回 倫理社会学習(レーニンの革命論、推理させる法)
    14. 第14回 倫理社会学習(サルトルの実在哲学、生徒の心をつかむ法)
    15. 第15回 試験 (高校時代に自分が教えてもらった授業)
  9. http://www.fukui-nct.ac.jp/~kyomu/syllabus16/G/2/11201A2.html
    1. 第1週 人間性の特質 1 人間の社会学的、生物学的、人類学的定義 、シラバスの説明とガイダンス
    2. 第2週 人間性の特質 2 人間の哲学的定義 「考える葦」について
    3. 第3週 青年期の意義と課題 1 青年期の意義と第二の誕生
    4. 第4週 青年期の意義と課題 2 アイデンティティーについて
    5. 第5週 適応と個性の形成  欲求と適応
    6. 第6週 現代社会と青年  モラトリアムについて
    7. 第7週 現代の人間像 対象のない不安について
    8. 第8週 中間試験  
    9. 第9週 現代社会の特質 1、2 都市化社会と孤独な群集
    10. 第10週 現代社会の特質 3 核家族化と高齢化社会
    11. 第11週 現代社会の特質 4 情報化と国際化
    12. 第12週 自己探求と倫理的自覚 自分のかけがえのなさについて
    13. 第13週 ギリシャの思想 1 ポリスと自然哲学
    14. 第14週 ギリシャの思想 2 ソフィストとソクラテス
    15. 第15週 ギリシャの思想 3 プラトンとアリストテレス、授業アンケート
    16. 第16週 キリスト教  ユダヤ教とキリスト教 結果の論理と心情の倫理
    17. 第17週 イスラム教 イスラムの教えとキリスト教との違い
    18. 第18週 インドの思想 バラモン教と仏教
    19. 第19週 中国の思想 1 孔子の仁の概念、徳治主義
    20. 第20週 中国の思想 2 墨家と道家、老荘思想
    21. 第21週 人生と芸術 ベルクソンの思想
    22. 第22週 モラリストの思想  モンテーニュ、パスカル
    23. 第23週 中間試験  
    24. 第24週 近代科学の成立 新しい自然観、経験論と合理論
    25. 第25週 民主社会の倫理 ホッブズ、ロック、ルソー
    26. 第26週 実存主義 キルケゴール、ニーチェ、ハイデッガー
    27. 第27週 日本の風土と日本人の考え方 日本庭園と八百万の神
    28. 第28週 日本における外来思想の受容 平安仏教と鎌倉仏教
    29. 第29週 日本の近代思想 西田幾多郎と和辻哲郎
    30. 第30週 現代の倫理 生命倫理、環境倫理、技術者倫理、医療倫理等、授業アンケート
  10. http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/mokuroku/17/koutou/1koumin.htm
  11. http://www.dnc.ac.jp/old_data/exam_repo/16/komin.html
  12. 科目はあっても、大学入試で「3科目」なら、3科目しか勉強しないことになるだろう。大学入試で、「全科目」として、得意科目は100%、不得意科目は10%で加算した合計点、と言うようにはできないのか? 不得意科目でも受ければ多少の加算になる、という計算。

「鶏を割(さ)くに焉(いずく)んぞ牛刀を用いん」

  1. 特定郵便局の世襲制は、小悪である。小悪を放置すべしとはいわないが、郵政民営化という牛刀を用いるのは「鶏を割(さ)くに焉(いずく)んぞ牛刀を用いん」である。

「「都政も都議会も創価学会・公明が常にキャステイングボードを握ってきた。予算や人事を楯にやりたい放題です。警視庁も予算のためには学会には遠慮する。しかも、都政担当記者をやっていてわかったのですが、学会・公明のあくどいのは、学会と距離を置いたり、学会がらみの事件をやろうとする警察幹部がいると、徹底して出世の妨害をする。署長や副署長にもさせないのです。逆に学会にとって都合のいい警察官は昇進の応援をする。役人である警察官のもっとも弱いところをつくやり方で、これをずっとやってきたものだから、警察は創価学会がらみの事件には触らないという風潮が出来上がっているのです」(『怪死』乙骨正生著)」(http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/1079.html

  1. 宗教というのは世俗的な道義性から超越しているのだ。世俗的道義性から見て「不道徳」とされることが、その宗教の道義性において「道徳的」であることは大いにあり得る。

http://www.kotowaza-world.com/koto-e/00249.php

    1. 盗人にも三分の理
    2. 【読み】 ぬすびとにもさんぶのり
    3. 【意味】 盗(ぬす)みはどんな理由(りゆう)があろうと、悪い事には変わりはないのだが、当人(とうにん)にしてみれば、それなりのいい訳(わけ)があるものだ、ということ。または、筋(すじ)の通らぬ事にも、無理(むり)な理屈(りくつ)をつけようと思えばつけられることをいう。泥棒(どろぼう)にも、泥棒をした理由というものが、それなりにあるものだ、ということから。
  1. 靖国神社にも三分の理がある。靖国にも三分の理。

http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/1062.html 世界にも例のない高額供託金(候補者1人あたり)

日本衆院小選挙区300万円
..参院選挙区300万円
..衆参比例代表600万円
イギリス.. 10万円
カナダ ..  8万円
アメリカ供託金制度なし..
フランス..
ドイツ ..
イタリア..

欲求と法則

    1. 欲求はモノの内部のイデアとしての記述。
    2. 法則はモノの外部のイデアとしての記述。
  1. 記述方法の違い。
  2. 慣性の欲求。慣性運動維持の欲求。慣性の法則。
  3. エネルギー保存の欲求。世界の欲求。
  4. 温度が上がると赤外線を放出したくなるという欲求。
  5. 状態維持の欲求。安全への欲求。プロテクトへの欲求。防犯への欲求。

アンケート「生類を憐れむことに賛成ですか?」

  1. 郵政の民営化に賛成ですか?
  2. 治安の維持に賛成ですか?

失敗の可能性がある実験は無駄な投資ではない。失敗の可能性のない実験は無駄な投資である。

「ここまで、具体的に、小泉政権の手法が暴かれているのだから、後は、「民衆」という存在が、どれほど、考えて投票するか、つまり、日本の民主主義の熟度の問題に帰結する。 「民衆」を苛める政権を「民衆」が支持するのであれば、「民衆」が、今後も、苛められ、虐待されても、それが、「民主主義」であろう。 日本とは、そのような国である、と悟るべきであろう。」(http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/1011.html

【イラク戦争・米国債74兆円+1兆$郵政民営化でファイナンス?日本の郵貯・簡保上空をハゲタカが飛んでいる!】ニュージーラ

    1. http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/1003.html
    2. 投稿者 shiryuhoshi 日時 2005 年 8 月 19 日 09:27:47: fl53xzrH49vVg
  1. たけ(tk)は郵政民営化に反対なのだが、その理由を簡潔に表現することができない。
  2. 元来、改革というものは、改革を主張するモノがそのメリットを主張すべきモノだ。ところが、コイズミ氏のスローガンを何度聞いても何らかのメリットを主張しているようには聞こえない。
  3. コイズミ氏のスローガンは、改革ムードという空気を作りだしているが、その改革によって、どのようなメリット、デメリットがあるのか、という検討が出来るような資料を提示していない。
  4. 郵政民営化によって生ずべき悲惨なシナリオはいくつもある。ハゲタカに日本人の貯金がもっていかれる。過疎地では郵便も貯金も出来なくなる。財投は名前を変えて存続する。公的統制の効かない天下り先が増える。「大きすぎてつぶせない」巨大企業になるので、経営に失敗したら、公的資金が投入されることになる。都銀の何倍もある銀行が市場に参加したら、都銀もつぶれてしまうだろう。etc・・・。国債の引受は名前を変えて存続するだろう/国債引受を拒否したら日本政府は破綻する/国債を拒否して日本政府が破綻する/国債を拒否すると脅されて、日本政府は新会社のオーナーの従属者になるだろう。
  5. いろいろなシナリオはあるが、肝心のコイズミ氏がこれらのデメリットには何も答えないので、コイズミ氏の「改革」がどのようなシナリオを想定しているのか、さえも分からない。
  6. よって、分からないことは理由として挙げることはできないので、理由を挙げることができない。様々な未来予測を前提とした様々な反対論を展開すれば、反対論の間で矛盾が出てくるだろう。
  7. たとえて言うと、金庫にしまってある札束を、駅前の広場に広げる、という政策。「盗まれる」とは限らない、「風に飛ばされる」とは限らない、「汚される」とは限らない、「燃やされる」とは限らない。反対論には具体性が無い、統一性が無い。

百聞は一見にしかず。

  1. 百聞のためにコトバを尽くすことに意味があるのか?
  2. 作り手の考え方を聞いてから現物を見るのが、理解への道。

「一塊(ひとかたまり)のスイッチの束」

  1. コンピュータ内部のモノは「一塊のスイッチの束」である。
  2. ヒトが、酸素・水素・炭素・窒素で出来ているとして、空間に酸素・水素・炭素・窒素の有無を示すスイッチを置くと、ヒトは「一塊のスイッチの束」であるとも言える。

2005-08-18(木)

http://zwywz.blog14.fc2.com/blog-entry-37.html

  1. 難しいことをいいますね。
  2. まず「ウェーバー」の言葉の意味が野球に対するアレくらいしか思いつかない上に調べてもどれがどれだかわからないので失礼ながら仰る内容の意味を完全に把握しきれていないのですが、
    1. http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/P4_00.htm
    2. 科学研究から価値判断を排除するという禁欲的な姿勢をはじめて明確に打ち出したのは,おそらくマックス・ウェーバーであろう。・・科学的な真理を解明するためには「没価値」の立場を採用せねばならないと主張した。
    3. ただし,ウェーバー自身が価値相対主義者に徹していた訳ではなく,むしろ実践的な面においては,個人の人格に「聖」なる<価値>を認め,自己自身の運命を選び取る主体的な決断を称揚していた。
  3. ・・数学もまた貴方の仰る(かどうかはわかりませんが)「当為」の一つであると思われます。
    1. 当為というのは漢語的には「まさにxxすべし」という意味。英語なら「shall」、ドイツ語なら「sollen」。「数学的に認識すべし」という意味では数学も当為ですね。
  4. 科学的な「科学」の定義はともかく、当方は、科学とは主に数学等の人間が考案した虚構の概念を利用した結果「検証可能であると思われる事実」について仮説を立て検証することによってそれが立証されたと「仮定」する行為だと思っています。
    1. 是なり。
  5. そこに例え「存在」があったとしても、それを図る物差しが「存在」でないのだから、
    1. アリストテレスはモノという第一実体と、モノを指し示すコトバ(その意味内容、イデア、イメージ)という第二実体。「クラスは第二実体で,インスタンスが第一実体というわけじゃな。」(http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NIP/NIPCOLUMN/20021126/1/)。コトバはイメージを想起させ、コトバモノを指し示す。意味の三角形。イメージというモノが存在する。
  6. 数学もまた貴方の仰る(かどうかはわかりませんが)「当為」の一つであると思われます。
  7. それがいつしか(というより最初からかも)数学こそが「存在」であり、その「存在」を利用し導き出されるものこそもまた「存在」に値するという考え方に変わってきた(若しくは最初からそれが前提かも)のではないだろうかと思う次第なのですよ。だから
  8. >数学に人間が利用されはじめているのではないか
  9. という表現をつかいました。
  10. あくまで科学とは「ものさし」の一つに過ぎないもの、そのように捉えています。
    1. そのとおりです。物事を説明する方法です。
  11. まあとはいっても森羅万象のほぼ全てはその虚構の概念であるはずの数学で説明できてはいるのですから、それを「存在」としても間違いではないとは思うんですけど、ただそれも「私」「貴方」「彼」「彼女」としての存在とそう大差ないように思えるんですよね。
    1. 具体的な個々のモノモノの集合−何らかの特徴をもったモノの集合−モノの集合のキーとなる概念−類概念。
  12. おそらく、イデア実在論に対する違和感。キリスト教的トンデモ論。「始めに言葉ありき」という聖書に由来する考え方。新約聖書のヨハネ伝の冒頭、旧約の思想ではない。モノコトバ(記号)−イデア(意味、イメージ)のなかで、イデア(意味、イメージ)こそが実在であり、モノイデアの偶有性。
  13. イデアとは最高度に抽象的な完全不滅の真実の実在的存在であり、感覚的事物はその影であるとする。イデアが存在しているのがイデア界(本質界)で、その陰が投影されているのがわれわれ人間の住む現実界となる。」(http://ja.wikipedia.org/wiki/イデア論)。
  14. なんで、キリスト教的トンデモ論かというと、ヨーロッパ中世の論争で、イデアは実在とする「実在論」とモノを説明するための手段に過ぎないとする「唯名論」との論争があって、なんと、実在論が通説になってしまったのです。なぜか、と言えば、キリスト教の神の実在を証明するためには「実在論」でないと困るから、という理由だったする。
  15. 問題は、真・善・美の違い。美についてはよくわからぬのですが・・。科学は「真」=存在についての認識、「善」には無関心、というより、意図的に回避する。「善」を忌避することによって確実な認識を得ようとするモノ
  16. アリストテレスの説明的知性と、プラトンの(?)《思いこみ》的知性。新プラトン主義。

子供にとっては存在こそ当為である。

  1. 何故か? 存在は、それに適応すべき環境だからである。

http://www.asyura2.com/0505/bd40/msg/673.html

    1. 1985年度を100とした対2000年度の軍事費の伸び率を大きい順に並べると、日本40%、中国40%、アメリカ26%etcで、日本と中国の伸び率が異常な大きさとなっていることが分かります。

http://www.asyura2.com/0505/hasan41/msg/908.html

    1. 【ワシントン=広瀬英治】米農務省は16日、日本でのBSE(牛海綿状脳症)発生を理由に2001年9月から停止している日本産牛肉の輸入のうち、骨なし牛肉については9月下旬にも再開すると発表した。
    2. ・・
    3. 米政府は日本に対し、9月までに米国産牛肉の輸入を再開するよう強く求めている。米国が日本産牛肉の輸入を再開すれば、日本にも「公平な措置」を求める米議会などの対日圧力が強まる可能性もある。
    4. 米国による日本産骨なし牛肉の輸入は、ほぼすべて高級な和牛で、97〜00年の年平均で約9トン、金額で80万8000ドル(約8900万円)と、ごくわずかな量にとどまっている。

科学は「殺人が悪である」ことを証明することができない。

  1. 「人を殺してはならない」と言うのは、科学的ではない。
  2. 科学が言うことができるのは「殺人はある」ということだけである。
  3. 殺人にいたる因果経路を説明するだけである。
  4. 「殺人を防ぐべきだ」と言うことは非科学的である。
  5. 科学は反規範的である。科学は悪である。科学当為=規範の認識を忌避する。「認識すべし」という規範をもっているが、そこからは何も有意義な規範は出てこない。認識主義の背景についての反省も無い。認識主義の背後にあるのは、個人的な金銭欲かもしれない。認識主義そのものだけが善であり、その背景も、その結果についても無関心である。
  6. 科学は悪である」これを、科学的に反証できない限り、科学は悪である。
  7. 「悪の自然史」というローレンツの著書名にショックを受けよ。
  8. 認識主義は悪である。主知主義は悪である。知識はすべからく悪魔の智慧の産物である。
  9. と、こんなこと言っても始まらないけどね・・。
  10. 真善美のバランスが必要なのだ。真は善でもなく美でもない。当たり前の話だ。真は善でないがゆえに悪なのである。

郵政民営化を失敗した国、ニュージーランドについて

    1. http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/952.html
    2. 投稿者 World Watcher 日時 2005 年 8 月 18 日 15:51:09: DdDUJ9jrxQIPs

http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/75_moji.htm

    1. 今回の決定については、やむを得なかったとはいえ、少数派の人には「ごめんなさい」と詫びるべきだろう。他に正当な選択肢がないとしても、この決定によって被害を出る人がいるのなら、最低限、頭を下げて、詫びるべきだ。だから、私としては、「ごめんなさい」と、この場でお詫びをしておく。
  1. 仕様の変更は、重大な悪である。49%の反対票である。残りの議論で、0:51なら変更してもよい。しかし、2:49なら否決すべきである。
  2. 少数派、多数派の問題ではない。「仕様変更」に対する責任感の問題だ。
  3. 字形に関して「正しい字形」という発想自体が間違っている。

http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0508/18/news008.html

    1. 2005/08/18 08:07 更新
    2. Windows脆弱性悪用ワーム間で対立抗争の様相
    3. 多発しているZotobなどのワームは対抗グループのマルウェアを削除する機能を持っており、「ボット戦争」を展開している。
    4. Windowsのプラグ&プレイの脆弱性(MS05-039)を突いたマルウェアが出回っている問題で、セキュリティ企業のF-Secureは、8月17日までの4日間で計11種類のマルウェアを検出したと報告した。
    5. 内訳はZotobが3種類(.A、B、C)、Rbot(.ADB)、Sdbot(.YN)、CodBotが各1種類、IRCBotが3種類(.ES、ET、EX)、Bozoriが2種類(.A、B)。
    6. IRCBotとBozoriのグループは、対抗グループのマルウェアを削除する機能を持っているといい、IRCBotとBozori対Zotobとそれ以外というグループ間で対立抗争が起きているようだとF-Secureは解説。これはウイルス戦争ではなく、ボット戦争だと指摘している。
    7. [ITmedia]
  1. ウィルス同士のテリトリー戦争。

2005-08-17(水)

http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/P4_00.htm

    1. 科学は〈価値〉を語れるか
    2. 科学研究から価値判断を排除するという禁欲的な姿勢をはじめて明確に打ち出したのは,おそらくマックス・ウェーバーであろう。彼は,<価値>をめぐる対立はあたかも「神々の争い」のように根源的なものであり,いずれか一方の立場を客観的に正当化することは困難であると考えて,科学的な真理を解明するためには「没価値」の立場を採用せねばならないと主張した。
    3. ただし,ウェーバー自身が価値相対主義者に徹していた訳ではなく,むしろ実践的な面においては,個人の人格に「聖」なる<価値>を認め,自己自身の運命を選び取る主体的な決断を称揚していた。
    4. こんにちの研究者が科学的な 議論の枠内で(絶対的な)<価値>の判定をあえて行おうとしない理由は。は るかに消極的である。こんにち学界で一般に了解されているように,学問上の 業績は,提出された理論がどれほど有効な科学的命題を生成できるかによって 評価されており,その研究が<人間の尊厳>のような<価値>の問題とどのよ うにかかわるかは無視されるのが通常である。・・こうした事情があるため,学問的な業績 を挙げて地位の保全に努めねばならない立場にある職業科学者としては,あえ て価値判断を中止して「没価値的な」研究に従事せざるを得ないのである。
    5. このような科学者の態度に怯儒な利己主義を見いだして反感を覚える((としたら,いささか行き過ぎだろう。))
    6. 科学的な知見を土台としながらも何らかの価値判断に踏み込んでいる記述を見て,専門の研究者が「科学的な意義がない」と論評するとき,その背後にあるのは,この記述が,より有効な理論を求めて常に前進することを余儀なくされている科学の流れには何ら寄与していない――という発想だろう。とすれば,研究の現場から<価値>の問題を締め出す契機となっているのは,「科学の進歩」という目標だと主張することも可能である。
    7. 客観的な知識体系とは一線を劃すべき価値論を科学の領域に持ち込むのは, ドン=キホーテ的蛮勇だと感じる
    8. 科学的な方法論に準拠する価値基準を定立する方法
    9. 価値論と科学はどのような関係にあるべきか」についての諸々の見解の中で,最も保守的かつ穏健なものは,後者を前者の支援システムとして利用するという意見だろう。
    10. 価値判断が「没価値的な」科学によって振り回され日和見主義に陥る危険がある。
    11. 素朴に考えると,人間は「〜は価値がある/良い/善だ/好ましい/美しい」 といった価値判断を,純粋に個人的な直観に基づいて遂行しているようであり・・
    12. 心理学や文 化人類学の教えるところによれば,認識された対象/事態に対して下される価値判断の基準は,多くの場合,社会的な規範として後天的に獲得されたもの・・((科学者の日和見主義的な没価値主義が社会的価値観に影響を与えて、社会全体の))価値判断が主体性を失って日和見主義に堕す懸念を拭いがたい。
    13. 常識的な価値観から見ると好ましくない結論を支援するような理論が,政治的な理由によって財政面/人材面で優遇された形で研究され暫定的に受容されるという事態は,充分に予想される。((非人道的な結果をもたらす科学研究、非人道的な方法による科学研究))
    14. 科学を支援システムとして利用する場合に,科学的な知見を日常生活で使われる概念体系の枠内に翻訳して用いるため,活用できる知識の範囲が翻訳の容易な心理学や社会学など応用性の強いジャンルに限定されがち((というより、応用範囲を越えて非科学的に科学知識が応用される危険性、競争社会を肯定するための「進化論」的主張))。・・日常的概念への翻訳の際に誤解を生じやすく,社会問題を引き起こす心配がある。・・科学的知見が社会差別を正当化する根拠として用いられるケース・・したがって,科学の成果を射程に収めた価値論を展開するためには,より主体の能動性を活用しなければならないと結論される。
    15. 主体が能動的に<価値>を主張する方法として直ちに思い浮かぶのが,「科学の名の下に」行われる社会的活動に対する異議申し立てである。直観的に言ってしまうと,科学の営為に何かキナ臭さを感じたときに,自己の実存を踏まえて「待った」を掛ける態度である(図I−b)。・・ しかし,私はこの方法に共感は覚えない。・・科学者が非=科学的な言説には耳を傾けようとしないことを忘れてはならない。科学とは独自の理念に従う機能主義的なシステムであり,科学的方法論に従わない命題が取り込めるようには組織されていないのである。・・哲学は現代社会にとってもはや文学作品以上の影響力を持つことはできないだろう。その間にも,科学は圧倒的な力を社会に及ぼし続けるに違いない。
    16. モデル化しないままに「科学においても個人の人格を尊重するべきだ」などと提言されても,この格率をどのように当てはめれば良いのかわからないため,科学への適用を目指す価値基準としては使い物にならないのである。このような価値判断の手法は,「その機能が明確に定義できるモデルを構築する」という科学的方法論に準拠するもので,科学の懐に飛び込む以上は,当然のこととして採用しなければならない。
    17. もちろん,いかに威勢の良い目標を掲げたとしても,それが原理的に実行不可能ならば,単なる“お題目”で終わってしまうだろう。そこで,本節では,ある種の<価値>については,その基準をモデル化して科学的な議論の対象にできることに力点を置いて論じていく。
    18.  <価値>の議論も科学的方法論に準拠して行うという方針に対しては,いく つかの批判が予想されるが,特に次の2つを取り上げよう:
      1. (i)<価値>とは,特定の社会体制に随伴する心理的虚構であり,科学的な 議論で取り扱われる客観的な対象とは繋がりを持たない。
      2. (ii)価値判断は個人の置かれた状況に敏感に依存する総合的判断であり, 還元的手法によって対象をモデル化する科学的方法論では取り扱えない。
    19. いずれも<価値>の客観性/普遍性を否定する主張だが,その論拠を社会の側に置くか個人の側に置くかという点で相違している。それぞれについてコメントしておきたい。
    20. 価値判断の認識論的な形式のように一般的な法則が支配して いる領域も存在するはずである。実際,感情の志向性を考えた場合,志向を喚 起するに到る動因は種々雑多だとしても,志向性に関与する諸要素の配置が同 一の形式を供えていることは充分に予想される。この点に,科学が楔を打ち込 む余地が残されていると言えよう。
    21. 価値判断を認識論的に分析する際に導きの糸になるのが,存在判断との比較 である。
    22. 外界に存在する対象に眼差しを向けてこれを認識する過程において,人間は,対象が持っている特徴を抽出して既存の知識と照合し,何らかの既知の存在と同定する,あるいは未知のものと認定した上で知識体系を書き改める――という作業を行っている。ここで重要なのは,存在判断を完遂するためには,知識のネットワーク的な体系があらかじめ用意されているだけではなく,判断を通じてこの体系があまり大幅に変更されてはならないという条件が課せられている点である。実際,われわれが見慣れないものを目にしたとき,その瞬間に既存の知識体系が音を立てて崩れてしまったのでは,以後の判断を遂行することが不可能になるため,できるだけ知識の恒常性を保ちながら,部分的な改変によって当該対象を体系内部に組み込むように計らっている。((正常性バイアス??))
      1. 存在判断をスタティックな過程と呼ぶ
      2. 価値判断は,既存の体系を抜け出て新たな認識の地平を切り開いていく性質を有しているので,よりダイナミックな過程として特徴づけられる。
    23. すなわち,2種類の判断の差異は,具体的な判断内容よりはむしろ認識論的な展開における動的性格に存するのである。
    24. このような主張に対して,価値判断は主として行為を規制する機能を担っており,この点で存在判断から区別されるはずだという批判がなされるかもしれない。
    25. 鉄道のチケットを手渡された場合,われわれが次の行動に移るための契機となるのは,内省を通じて実感できるように,チケットの有用性に関する価値判断ではなく,そのチケットが規定する路線ないし列車についての存在判断にすぎない。存在判断による行為の規制が可能になるのは,意味ネットワークとしての知識体系が,単に概念的な関係を記述しているだけではなく,行為に関する指示を含んでいるためである。((価値内包的存在概念。社会的存在は価値を内包する。当為と存在が混合する概念))。存在判断による行為の規制が可能になるのは,意味ネットワークとしての知識体系が,単に概念的な関係を記述しているだけではなく,行為に関する指示を含んでいるためである。
    26. 表層的な意識の状況からすると,これらの指示は「ある条件が満たされたときには特定の行動に移ることができる」あるいは「移るべきである」という形式をとっており,個々の対象や事態に関する概念に随伴していると推定される。
    27. 作業は,個人の内面的な観察を中心に,精神病理学や 文化人類学の知見を援用しながら行われる。
    28. 人間の本能的な側面に関与する価値判断の大部分が,多様な素材 そのものを相手にして行われている
    29. われわれ は生活世界に登場する素材の姿を直接的に反映した<規範>を無数に抱いてお り,この<規範>を与えられた素材とそのまま比較対照することによって価値 判断を下している
    30. 婚姻外の性行為に対してキリスト教文明圏で見られる根強い道徳的反感・・こうした道徳的規範は,永続的な一夫一妻制という特定の婚姻形態があってはじめて機能する・・ 一夫一妻制は,(分割が困難な地権や水利権などの)家督を相続させる嫡子を差別化するための制度であり,自然環境が厳しく富の集中が起きにくい地域では,むしろネットワーク的な婚姻関係が成立しやすい
    31. その場合の価値の規範とは, 人間の精神的活動の諸原理を反映するものではなく,個々の社会体制に応じて 定着した偶然の産物にすぎない
    32. ((偶然の産物は)),これをモデル化して機能主義的な学問体 系の中に組み込むという科学的方法論が援用できない
      1. 生の素材 に適用する規範
      2. より抽象的な目的意識や 図式化された対人関係・・特定の社会体 制に依拠しない・・さまざまな心理的加工を通じて与件の多様性が捨象 された「統一的な様態」・・《範型》と呼ぶことにしよう。この名称は, ウェーバーの’ideal typus’を念頭に置いたもので,価値を判定するための 「規範」ではあるが,具体的/即物的に内実が規定されずに一般的な「型」と して機能することを含意している。科学哲学によって議論されるべき<価値> の問題とは,この《範型》概念の妥当性である。
    33. 「楽しさ」の規範こそが, あらゆる人間に共通な価値の基準として機能しているのではないか(http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/P4_04.htm
      1. (i)認識される対象や事態は時間的に変化している。
      2. (ii)変化はカオティックでもトリヴィアルでもない<秩序>を内在させて いる。
      3. (iii)通常の思考能力の範囲内で(ある程度の)未来予測が可能である。((予測可能性は《快》である。秩序は予測可能性を与える《快》である))
  1. 「非科学主義」「反科学主義」「非合理主義」の発生。
  2. 価値判断は「科学的な意義がない」。「科学の進歩」のみを唯一の価値観とする発言。「科学の進歩」主義。科学主義。「没価値主義」を僭称する科学価値主義。
  3. 2005-08-18(木):科学は「殺人が悪である」ことを証明することができない。

平和主義と暴力主義。

  1. 科学的な没価値主義によれば、暴力主義も平和主義もどちらの非科学的であり、相対的である。暴力主義が悪いともいえず、平和主義が悪いともいえない。暴力主義が暴力的に平和主義を破壊するのが悪いとはいえない。よって、暴力主義が勝つ、ということになる。
  2. 共生主義も排除主義も相対的である。科学的な没価値主義によると、排除主義が暴力的に共生主義を排除するのは悪いとはいえないということになる。
  3. 科学的没価値主義は暴力主義を内包している。

優越取引

  1. 企業間の優劣関係を利用して、優越的地位にある企業がローリスク・ハイリターン、劣後的地位にある企業がハイリスク・ローリターンの契約内容の契約を締結すること。不平等条約、不平等契約。対等契約。公平条約、公平契約。差別条約、平等条約。平等条約、平等契約。

「水爆や関連する開発への日本人の好ましくない態度を相殺するための米政府の行動リスト」(http://www.asyura2.com/0505/genpatu3/msg/238.html

    1. この事件(第五福竜丸は3月1日に被ばくし、同16日の新聞報道で発覚した)では同年9月、無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)が死亡。日本人医師団は死因を「放射能症」と発表したが、米国は現在まで、「放射線が直接の原因ではない」との見解を取り続けている。
    2. 文書は、東京工業大大学院の山崎正勝教授(科学史)が米国のアイゼンハワー図書館で入手。国務省や国防総省、CIA(米中央情報局)の高官で構成され、米国の対外心理戦略を扱う協議機関であるOCBが54年4月22日付で起草したもので、「水爆や関連する開発への日本人の好ましくない態度を相殺するための米政府の行動リスト」と題されている。
    3. それによると、科学的対策として、「日本人患者の発病の原因は、放射能よりもむしろサンゴのちりの化学的影響とする」と明記。「放射線の影響を受けた日本の漁師が死んだ場合、日米合同の病理解剖や死因についての共同声明の発表の準備も含め、非常事態対策案を練る」としている。

「An action at common law was commenced by the plaintiff purchasing from the Chancery a writ」(p.20)

  1. Chancery(大法官)からwrit(令状)を買う(purchase)、という発想。

[barbaroi:4361] Re: 中世後期に於ける暴力の規制について

    1. 一五三二(享禄五)年、毛利氏の重臣三二名が一揆契約を結んでいるが、この契約内容形式は一般の在地領主の一揆契約状の形式内容とほとんど変わらないものである。しかし、この一揆がこれまでにみた国人一揆と異なるのは、この契約状の違犯に対する処罰を主君毛利元就に要請し、この契約状を元就に提出している点である。この結果、本来一揆がつくりだした「共同の場」は毛利民権力の「公」の場に、一揆の契約条項は毛利氏の権力の法に、一揆の衆議の絶対性は大名毛利氏の絶対性というかたちに転換してしまったのである。
    2. 「共同の場」から「公の場」への転換
  1. それまでの一揆は「違反者に対しては、神仏=共同体そのもの=の名において、メンバー自身が制裁を行うというモノ

2005-08-16(火)

http://zwywz.blog14.fc2.com/blog-entry-37.html

    1. 科学とは主に数学等の人間が考案した虚構の概念を利用した結果「検証可能であると思われる事実」について仮説を立て検証することによってそれが立証されたと「仮定」する行為だと思っています。そこに例え「存在」があったとしても、それを図る物差しが「存在」でないのだから、数学もまた貴方の仰る(かどうかはわかりませんが)「当為」の一つであると思われます。
  1. 「人間が考案した虚構の概念」というのは人間のコトバはすべて虚構です。モノではない、モノを指し示すことはできるが、モノ以外のものも指し示すことができる。モノを指し示すコトバも指し示されたモノとは別のものなので虚構です。
  2. 「物差し」というのは概念とイデアというモノだな。
  3. 「クラスは第二実体で,インスタンスが第一実体というわけじゃな。」(http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NIP/NIPCOLUMN/20021126/1/
  4. 「認識すべし」というのは当為である。
  5. 「ウェーバー 当為 の検索結果 約 221 件」(http://www.google.com/search?client=opera&rls=en&q=%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC+%E5%BD%93%E7%82%BA&sourceid=opera&ie=utf-8&oe=utf-8
  6. 「“あるもの(存在)とあるべきもの(当為)の認識が原理的に区別される異質なものである」(http://hisao-hidaka.hp.infoseek.co.jp/newpage11.htm

『The English Legal System』

  1. 裁判所は進化する《ニーズ・イーター》である。
  2. Norman Conquest以前はlocal customsで地域ごとに行われていた。
  3. 異民族支配まではローカルシステムであり、異民族支配によってローカルシステムが、統一されて共通の(common)法となった。
  4. 離合集散。統一が良いか、分散が良いか、は状況による。
  5. 大集団主義と小集団主義。一般に大集団主義は要素の差異を吸収するために、縛りの弱いシステムとなり、個体の自由が増す。が、靖国呪術の大集団においては、大集団が直接に個体に対して強力な縛りを掛ける集団となった。
  6. 中間集団というべきか。大集団と個体との間にある小集団。小集団の小集団としての大集団。小集団を要素とする、要素数の少ない集団。
  7. 小集団の中の司法的サブシステム。『紛争解決機能』のサブシステム。自律的サブシステム相互間の紛争。自律的サブシステムは、自己保存、拡大、再生への《求める思いこみ》をもつ。マズローの『安全要求』。
  8. 包含システムの『紛争解決』へのニーズ。サブシステムの『紛争解決』へのニーズ。『紛争解決』へのニーズは、サブシステムの属性か、包含システムの属性か?((「xxはxxのものか」というときの「もの」は「属性」だね))。
  9. 紛争はサブシステム間の共振であり、包含システムの振る舞いである。包含システム《背後者回路》噴出である。
  10. barron や landownerの権力への欲求は《ニーズ・イーター》としての裁判所のニーズではない。それらはサブシステムの内部的なニーズ。《ニーズ・イーター》のニーズとはサブシステムの外部のサブシステムがもっているニーズ。外部ニーズ。
  11. 分権システムは、中央サブシステムの機能不全とともに始まる。
  12. 《中央》は包含システムではなく、包含システムの中のサブシステムの一つに過ぎない。《中央サブシステム》。『中央機能』を担当するサブシステム。『中央機能』というのは包含システム全体を統合・統括する機能。『中央機能』へのニーズを捕食する、《ニーズ・イーター》。『中央機能』へのニーズが減ると、《中央サブシステム》は死滅する。『全体統括機能』
  13. a suit concerning land .. as an alternative to battle.(p.4).訴訟は戦争の代替物。
  14. 土地所有者は武装し、企業所有者は武装しない。土地は武力で守ることができるが、企業のテリトリー(市場シェア、労働者支配、資源支配)は武力によって守ることができない。テリトリーの非地域化。
  15. サブシステムとしての裁判所の機能は、サブシステムとしての土地所有者間の内戦を防ぐために発生した。人権を守るために発生したわけではない。サブシステムがヒトであるが故に保護されるべき利益。サブシステムの利益とは? 生存、発言、《思いこみ》所有。マズローの諸欲求。

「天皇陛下に申し訳ない」

  1. 敗戦の日の特集で、当日「天皇陛下に申し訳ない」と思った、というヒトが多かった。この《背後者回路》はどうなっているのか?
  2. 天皇は純粋無垢の赤子のパーソナリティを演じている。それゆえに、国民は母親として、母性本能で赤子を守ろうとしていたのだ。

http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050811_kaigai/index4.html

    1. 郵政改革PRのために、国と特別契約を結んだ竹中平蔵郵政民営化担当大臣の知人が経営するPR会社が提出したPR企画書の中に、郵政改革PRは、老人、女性など、“ちょっとIQの低い人々中心に進める”という一文があったのは有名な話だ(国会でも取り上げられた)。
    2. 解散総選挙の決定が下ったあとで、小泉首相の支持率、郵政法案への支持率が上がったと聞いて、私はおどろいている。
    3. 新しく小泉首相支持に回った人々にいっておきたいことは、国民の多くは熟考の上で小泉首相の支持にまわったのかもしれないが、その支持率アップの数字を見て、高笑いしているに違いない竹中大臣とその盟友のPR会社幹部がいるということをお忘れなくということだ。
  1. 小泉リフォーム詐欺なのだ。

「ソ連崩壊は、社会主義計画経済思想に対する市場経済主義の勝利でもあった。」(http://www.asyura2.com/0505/war73/msg/436.html

  1. 冷戦に勝ったから、xx主義の(思想的)勝利であった、とする、勝てば官軍主義。やくざが市民に勝てば、市民主義に対するやくざ主義の勝利であった。ということになるのだろう。

「反日デモ」という言い方に異議あり。

  1. 彼らは日本国内のごく一部の戦争礼賛主義者の動きに対して抗議のデモを行ったのであって、「日本」や「日本国民」に対して「反対」している分けれはない。
  2. 日本のごく一部の人々に対する反対運動を「反日」と呼ぶことは、「日本国内のごく一部の戦争礼賛主義者」を日本全体の代表者として認めることになる。
  3. 「首相の靖国神社参拝、新しい教科書の動き、そして自衛隊を軍隊にしようという改憲論。これらが隣国の不安をかき立てて」、それに対する反対運動が「反日」として非難されているのだ。
  4. 中国のマスコミも靖国右翼を日本の代表として報道してしまう。日本のマスコミも靖国右翼を日本の代表として扱っている。
  5. 双方の針小棒大報道が民族対立を煽る。
  6. 「過去のxxという行為が悪くない」ということは「将来にxxをやってもら悪くない」ということ。
  7. 嫁さん曰く。日本の国民は小泉氏を日本の代表として選んだのだから、コイズミ氏が靖国に参拝すれば、日本の国民を代表して軍国呪術の復活を表明したことになる。
  8. たけ(tk)、日本の政府やコイズミ氏と日本の国民とは異なる、と中国の首脳は何度も言っている。それを無視して反コイズミ=反日というのはどういうモノか?

加害者は忘れ、被害者は忘れない。

  1. 加害の記憶は単なる《不快》記憶
  2. 被害の記憶は、再び被害を受けないために記憶しておくべき記憶。必要な記憶《快》なる記憶である。

2005-08-15(月)

http://www.hicat.ne.jp/home/mickmar/ethos/ethos1.html

    1. アリストテレスは,西洋文化における説得の種類を以下の3つに分類しました。
      1. 「話し手のエトス(ethos)」による説得
      2. 「聞き手のパトス(pathos)」による説得
      3. 「メッセージのロゴス(logos)」による説得
    2. 「エトス」とは,平たく言うと話し手の人格や資質,信頼度などです。すなわち,「話し手のエトス」による説得とは,同じことを話しても「ああ,この人の言うことなら信じよう」という聞き手の反応が導かれる説得,ということになります。
    3. 「パトス」は聞き手の感情のことです。
    4. 聞き手の心理的欲求を満たし,操作するのですから,心理的欲求にはどのようなものがあるか知っておくことは有益です。マズローの要求階層などが便利な指標となるでしょう。
    5. マズローの要求階層
      1. 美的要求
      2. 知的要求
      3. 自己実現の要求
      4. 自尊の要求
      5. 帰属の要求
      6. 安全の要求
      7. 生理的要求
  1. エトスというのは追従ザルボス猿(命令者)に《求める思いこみ》のことか。
  2. パトスは追従ザルボス猿(命令者)のコトバ《求める思いこみ》のこと。
  3. 帰属欲求というのが分からぬな。《ヒトの群れ》に帰属しないと安全が確保されない、という状況においては、安全確保の手段の目的化としての帰属欲求が生じる?
  4. 《ヒトの群れ》への帰属欲求と、《ヒトの群れ》からの自立欲求というのはアンビバレンツなのではないか?

《自殺したモノ》とは何であったのか?

    1. 不幸な時代に僕たちは目覚めた 八月の海はどこまでも青い 今日は気持ちのいい朝です
    2. 砂浜に人は黒い影を落とす まぶしい陽射しに目眩する 今日は気持ちのいい朝です
    3. 白い雲が流れる もうすぐ夕立 僕たちは奇跡を待っています 今日は奇跡の朝です
    4. 八月の海は悲しみいっぱいに いま聖母マリアが浮上する
  1. 残念ながら、たけ(tk)には聖母マリアは浮上しない。聖母マリアが浮上したの彼女の心の中での話だ。
  2. 「僕たちは奇跡を待っている」。そうだ。「不幸な時代に僕たちは目覚めた」そのようだ。しかし、今の子供たちもまた、不幸な時代に目覚めることになるのだ。「もうすぐ夕立」だろうな。
  3. 不幸な時代の中で、悲しみいっぱいに、朝を気持ちのいいモノとして感じ続ける努力をしなければならない。
  4. 彼女の友達は自殺したのだ。たけ(tk)の心の中の彼女の友達は自殺したのだ。たけ(tk)の心の中の自殺したモノは・・。冥福を祈ろう。エリアン。
  5. 《自殺したモノ》とはなにか? 《自殺することが必然であったモノ》とは何か? 《いのち》だな。パトスだな。
  6. 「「パトス」は聞き手の感情のことです。」(http://www.hicat.ne.jp/home/mickmar/ethos/ethos1.html
  7. 「pa・thos /ps|‐s/→1 哀愁; 悲哀,ペーソス. 2 【芸術】 情念,パトス. ギリシャ語「感情,苦悩」の意; pathetic」(http://eiwa.excite.co.jp/view.jsp?block=40905&offset=446&id=NEW_EJJE&marker=view
  8. 《ヒトの群れ》《背後者回路》から盲目的《ヒトの個体》生じるストレスがパトスだな。
  9. 「共同体に根付く情念を熟知することである。・・弁論の勧めにおいて、常に引き合いに出されるアリストテレスの『弁論術』の大半は、実は情念の分析に割かれている。」(http://toudaibenronbu.web.infoseek.co.jp/book/kouyou.html
  10. 「アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で、「年少者はもろもろのパトス(情念)にしたがいやすいため」「政治学の適当な聴講者ではない」といっている」(http://www.tk3.speed.co.jp/wolves/senki-kekki.html
  11. 「臨床教育学は人間をパトス的(受苦的・受動的=応答的)存在と考えます。人間は外界や他者のからの働きかけに身をさらし、感情や情念に囚われ、痛みや苦しみを被る存在です。そのことは生病老死や世界苦(Weltschmertz)といった、「生きるということは苦しみを背負うことである」という言葉にも示されています。しかし、人間の理性・知性による近代科学の分析的な知は、事物や自然を対象化し、それらを操作・コントロールすることに邁進してきました。このような近代科学の知により、私たちの生活は便利になり、文明化されました。しかし、その反面、環境破壊、生命や遺伝情報の操作、死のコントロールに見られるような倫理的な諸問題も生起させたことも事実です。中村雄二郎氏が指摘しているように、近代的な<科学の知>と対照的な<パトスの知>は、「環境や世界がわれわれに示すものをいわば読みとり、意味づける方向で成り立っている。それは、われわれのまわりにあるすべての物事の兆候、徴し(しるし)、表現について、それらのうちにひそむ重層的な意味を問い、私たちの身に襲いかかるさまざまな危険に対処しつつ、濃密な意味をもった空間を作り出す知」(『述語集』)です。このような<パトスの知=臨床の知>を背景にして、パトス的存在としての人間の生成・変化を事実に即して明らかにしようとするのが臨床教育学の課題です。」(http://snow.shinshu-u.ac.jp/~kyotetsu/rinsho.html
  12. 「プラトン、アリストテレスは、哲学は驚異から始まり、驚異が哲学のアルケーであると言っている。(哲学の原因ではなく、アルケーである。ただし、デカルトのような近代認識論哲学は、認識の絶対的確実性を信頼する気分がアルケーであった)//驚異は、パトスである。//パトスは、情念と訳されることが多いが、ここでは気分と訳そう。 //私たちが存在の声によってその気分を合わせられ、その声を規定されている、気分である。」( http://www2.neweb.ne.jp/wc/if/phill/whatphill.html のキャッシュです。)
  13. 科学的・客観的知識からは《自殺へのパトス》しか生まれない。自殺がマズローの美的要求になる。《涅槃へのパトス》である。《自殺へのパトス》は《涅槃へのパトス》になり、カオスを突き抜けて《涅槃でのパトス》になる。自殺は自己言及である。科学的知識は自殺者の知である。
  14. 《超自殺》礼賛というのは浄土教だな。凡夫思想が涅槃=凡夫の死となって、自殺礼賛ということになってしまう。凡夫思想を唱えたヒトは「凡夫の死の後にあるブッダとしての再生」を知っていたのだが・・。死と再生の儀式と涅槃主義との融合。という趣旨だったのだろう。

http://toudaibenronbu.web.infoseek.co.jp/book/kouyou.html

    1. 近代、但し現代の前の一時代や、ポストモダンによって乗り越えられる一パラダイムとしての狭義の近代ではなく、今日まで続く理想、未完のプロジェクトとしての近代をモデルネと呼ぼう。
  1. 「未来の当為としての近代」は時とともに「過去の存在としての近代」に変質する。「未来の当為としてのxx」は時とともに「現在の当為としてのxx」に実現され「現在の存在としてのxx」と認識されるようになり、最後には「過去の存在としてのxx」に変質する。「エピゴーネン問題」と「当為と存在との混同」
  2. 当為と存在」「存在と当為」「当為と存在との混同」という行動様式。「愚か者」「小人」。《背後者回路》
    1. 情念のうち、悪徳にあたるものを全て「虚栄」(vanity)ないしはその派生物として位置付け、逆に虚栄の危険性に直面した者が抱く「恐怖」から全ての美徳が生まれると論じて、情念論を大胆に再構成した(レオ・シュトラウス)。
  3. レオシュトラウスはユダヤのxx主義者だから、ユダヤの神への恐怖が骨身にしみついているのだ。ユダヤの神への恐怖が、ユダヤ教の美徳を産み出すといいたいのだろう。人々を恐怖に陥れよ、それが人々をユダヤの美徳に導くのだ、と言いたいのだ。
  4. アリストテレスが冷静に分析したパトスを、西洋人たちは「虚栄がパトスだ(ホッブス)」とか「恐怖がパトスだ(レオ・シュトラウス)」とか「協調がパトスだ(ルソー)」とか「寛容がパトスだ(JSミル)」とか勝手に「最高のパトス」を競い合った。そういえば、日本の仏教でもそうだったな。「最高の仏典」を競い合ったのだ。

七三一部隊元隊員証言記録

    1. http://www.asyura2.com/0505/war73/msg/397.html
    2. 投稿者 竹中半兵衛 日時 2005 年 8 月 15 日 07:44:02: 0iYhrg5rK5QpI

http://www.digitalassist.co.jp/pw/page070gof.htm

    1. Composite Pattern::階層構造を持つオブジェクトへアクセスしたいときに、親オブジェクトと子オブジェクトに同じインターフェースを定義することで、階層構造を意識せずにアクセスすることができる。
  1. 宇宙史とモノという2段の階層構造。宇宙史もモノであるとして同じインターフェースを定義する。コンポジットパターン。
  2. 既存のオブジェクトに新しい機能・性格を与える。仮面を与える。窓口係を置く。
    1. 仮面を作る:: Adapter Pattern::既存クラスを再利用したいときやインターフェースに互換性のないクラス間で処理を行ないたいときに、新しいインターフェイスを定義したクラス作をることによって、既存クラスに手を加えずに再利用したり、クラス間を連携させて処理を行なうことができる。
  3. オブジェクトの利用者側にどのような利用方法を提供するか。どのようなモノとして見せるか。
  4. 一つのアプリケーションに1000個のオブジェクトを雑然と配置する、ということも可能。ではあるが、収拾がつかなくなるのは必至。
  5. 階層関係=包含関係で整理しておくことは必要。だが、それで済むわけではない。
  6. 承継関係=進化的な系統=が全く異なっているにも関らず、同等の機能を有するオブジェクトが在る、鳥とコウモリ、犬とフクロオオカミ、アリクイとxx。
  7. 「収斂進化とは全く異なる生物が環境や生活様式などの都合により、非常によく似た姿に進化する現象です。具体的な例を挙げるとするなら、サメとイルカ、そして中生代の海生爬虫類である魚竜類があります。この3者はいずれも水中生活者で、魚類等を追いかけて食べ、姿形も三角形の背鰭や胸鰭、尾鰭など様々な面で非常にそっくりです。全く異なる生物であるにもかかわらず。//飛翔性鳥類、コウモリ、これまた中生代の飛翔性爬虫類である翼竜類も飛行能力という共通点があり、体型もよく似ています。さらにオーストラリアの有袋類もその他の大陸の哺乳類のデザインを盗用したような姿をしたものが数多く存在しています。モモンガそっくりのフクロモモンガ、ムササビそっくりのフクロムササビ、アリクイそっくりのフクロアリクイ、ジャコウネコ(マングースなどの仲間)そっくりのフクロネコ等結構います。絶滅種も含めると、オオカミそっくりのフクロオオカミ(タスマニアタイガー)(1930年代に絶滅したと言われるが生存説あり)、大型ネコ科哺乳類そっくりのティラコレオ(フクロライオン)(更新世に生息)、バクそっくりのパロルケステス(これも更新世に生息)等もいます。またオーストラリアではなく南アメリカに生息していましたが、有袋類のサーベルタイガーとでもいうべきティラコスミルス(中新世後期〜鮮新世前期に生息)なるものもいました。(http://www6.ocn.ne.jp/~morimoto/labo1-1.html のキャッシュです)
  8. オブジェクトがそのままでは使いにくい時に、使いやすくなるような仮面オブジェクトをかぶせる。使いにくい、とは?
  9. 《ニーズ・イーター》《思いこみ》のカテゴリーと、ユーザオブジェクトの《思いこみ》のカテゴリーとにずれがある場合。そのずれを吸収するオブジェクトをかぶせる。オブジェクト間の《思いこみ》のずれを調整するオブジェクト。
  10. 複数のオブジェクト(ディレクトリとファイル)が、ユーザオブジェクト側の《思いこみ》にあわせて、あたかも同じモノであるかの如くに振る舞うようにする。コンポジットパターン。仮面オブジェクトを纏う方法と、変身してしまう方法。変身法と仮面法。変身術と仮面術。
  11. 仮面法と変身法。仮面は取り外し可能な別個のオブジェクト。変身は取り外し不可能。
  12. モード変更による変身と、復身。取り外し可能に近い。
  13. 仮面用の機能を内蔵する進化。仮面機能があっても本来の機能に支障がない場合。
  14. 機能追加による変身。デコレーターパターン。「 Decorator Pat

tern::オブジェクト毎に機能を追加したいときや機能を動的に付け外ししたいとき、同じインターフェースを持つオブジェクトで被せるようにすることで、既存クラスに手を加えずに機能追加ができる。」

  1. 《思いこみ》のずれを調整する専門のオブジェクト(窓口オブジェクト)を通じて調整する。ファケードパターン。「 Facade Pattern::あるサブシステムの機能を利用するときに、サブシステム内のクラスを協調させるFacadeオブジェクトを用意すれば、サブシステムの外からはFacadeオブジェクトだけを意識していればよくなる。」
  2. 窓口オブジェクトであるにもかかわらず、対外的には内部オブジェクトであるかの如くふるまう。プロクシ-オブジェクト。「 Proxy Pattern::生成コストが高いオブジェクトやアクセスを制限したいオブジェクトがあるときに、そのオブジェクトとそっくりな代理を用意することで、負荷のコントロールやオブジェクトへのアクセス制限ができる。」

invoke:魔法で霊を呼び出す→訴訟を提起する。・・ふーむ・・。

  1. 裁判官は幽霊だったのだ。
  2. ほかに、祈る、懇願する。
  3. 魔法で呼び出された霊はサーバであり、呼び出したヒトはクライアントなのだ。

自由意志による(無原因の)決定と、解釈による(有原因の)決定。

  1. 命令の解釈による行動。責任回避の行動。
  2. 命令の解釈による行動という選択。

http://www.asyura2.com/0505/war73/msg/397.html

    1. もう一度七三一行きたいですか?
    2. 行きたいですねえ。死ぬまでにもう一度行きたいですねえ。なんの贅沢もいわんからもう一度行きたいですねえ。私が七三一におったいうことでその場で射殺されても本望ですわねえ。
  1. 兵隊は自己の意思と責任で行動することが禁止されているので、責任を感じない。
  2. 兵隊にとっては、それが非人道的な残虐行為であったとしても、彼の青春である。

2005-08-14(日)

郵政民営化と金の流れをとにかく図に描いて考えてみた。 http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/620.html 投稿者 クエスチョン 日時 2005 年 8 月 15 日 00:42:52: WmYnAkBebEg4M

  1. 図にすると分かりやすいね。

第65章 郵政公社が民営化にらみ暴走を開始   【さらばニッポン官僚社会】

    1. http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/581.html
    2. 投稿者 hou 日時 2005 年 8 月 14 日 22:05:22: HWYlsG4gs5FRk
    3. 小泉内閣の2007年4月からの民営化方針をにらんだ日本郵政公社の民間市場参入が、一段と活発化してきた。今秋9月以降の主な動きをみても、
      1. 東京三菱銀行とATM(現金自動預け払い機)提携で合意し全都市銀行とのATM提携に成功した(9月)のに続き、
      2. 郵便小包取扱いでコンビニ大手ローソンと提携強化(11月)し、
      3. 保険分野でも国内の生命保険各社の主力商品「定期付き終身保険」に新規参入(参入認可は11月)した。
    4. この調子だと、2007年までに官業の肥大化がますます進み、民営化時点で突出したマンモス企業が出現して民業圧迫の問題を大きくするのは必至だ。
    5. 総務省と公社の役人の先頭を切って、業容拡大に向け遮二無二走り出したのだ。民営化の議論が始まる前に、既成事実を作り上げようという魂胆が見え見えである。
    6. 簡保の絶対優位は「資産」にとどまらない。法律によっても手厚く優遇されている。郵貯が貯金全額と利子の払い戻しを「政府保証」されていると同様に、簡保も保険金の支払いを経営破綻した場合でも国が保証している。これに対し、民間の生保には「政府保証」は付かない。そればかりか、日産生命をはじめ経営破綻が相次いだことから、保険業法が改正され、破綻前に生命保険の予定利率の引き下げが可能になった。つまり、民間生保の場合、経営危機に陥れば利用者は保険金の予定額を引き下げられてしまう可能性が高いのだ。
    7. もう一つ簡保の「絶対優位は」、税の支払い免除措置が引き続き郵政公社に講じられていることだ。国税では所得税、法人税、地価税、印紙税、登録免許税が非課税。地方税では法人住民税、事業税、事業所税が非課税。さらに郵便局や事務センターが直接その本来の事業に用いる資産については、不動産所得税、固定資産税、特別土地保有税、都市計画税の支払いが免除される。
    8. 第二の問題、監督官庁と監視機関の機能不全に移ろう。簡保の新保険を認可したのは総務省で、民間の保険事業を監督する金融庁はカヤの外に置かれた。郵政三事業(郵貯、簡保、郵便)を一体で扱う郵政公社の監督官庁が総務省のためだ。金融行政を担う金融庁は関与しないフリーゾーンで、公社は総務省と一心同体で動いているのだ。民間の金融行政からみて問題をはらむ今回の簡保新商品も、生命保険協会などの反対にもかかわらず、郵政行政審議会(委員30人)の全会一致による「問題なし」の結論を受け、総務省がたちまち販売を認可した。ここには御用機関化した審議会を活用して、監督官庁が意のままに許認可権限を行使して方向を決めるパターンがみられる。
    9. 監督官庁が生保事業全体を監督する立場になく、郵政公社の事業の監督者であれば、身内意識から公社びいきに傾くのは、自然な流れといえる。
    10. 監督・監視機能が働かず、タテ割り行政から各省庁がてんでんに自己の利権を追求する。民営化を前に、大義名分(「経営の健全性保持」)を掲げ、官はその聖域を拡張しようとあの手この手で狂奔する。― 霞ヶ関お馴染みの風景が、大きく変化する兆しは、まだない。
  1. うーむ、郵政官僚集団はこう出たか・・。おなじみの風景だ。「民営化」と言っても、彼らが「公社」の利権(監督権、天下り権)を手放すことはありえないな。
  2. すでに、「公」ではなくなっているということだな。「公」というのは政治の原理で統制された、「民」では為しえないグローバルサービスを提供する組織ということ。公私混同のグレー組織に変身済みだったということ。「グレー」とは政治の原理にも民間の法則にも統制されない、権力によって保護され、特権を与えられた、私益を目的とする集団ということ。

総務省の10局のうち、郵政企画管理局は唯一、職員の給与を含む運営費を一般会計予算に頼らない特殊なセクション。

    1. http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/583.html
    2. 投稿者 hou 日時 2005 年 8 月 14 日 22:19:58: HWYlsG4gs5FRk

国民を説得するノウハウ、技術を獲得すること。

  1. レーニンの新聞論。
  2. 分かりやすく、具体的に、理論的に説明する。具体例に対して理論と結びつけて解説し続ける。
  3. 主権者サービス党。国民がよき主権者であるために必要なサービスを提供する集団。
  4. 党員が議員をめざすことは一義的目的とはしない。サービス提供のために議員としての政治的活動が必要である場合には選挙に出ることもありうる。
  5. 主権者のための情報提供、主権者教育情報公開、主権者の適正な権利行使を妨げている制度についての解説。

戦争はやくざ国家の公務である。

  1. 生き残った戦犯は反省している。
  2. 死刑になった戦犯の遺族は、自分の親族が無実であると主張したい。
  3. 飢え死にした兵隊たちは、その作戦を立てた英霊とたたえることはできるか?
  4. 戦争犯罪で殺された人々の遺族は英霊であるとたたえることができるか?
  5. 条約なんて守るつもりはないよ、という日本政府の対応。外国に対する『信』を欠いた政治姿勢。東京裁判に対するダブルスタンダード(対外的には犯罪者、体内的には半裁者とはみなさない)。
  6. 政教分離の憲法も守るつもりがない、というダブルスタンダード。遺族援護法。級陸軍省の役人が厚生省に入って靖国合祀への特別な協力を行った。
  7. 政教分離を貫けば、全然問題なし。なんで、靖国が問題なのか? 憲法を守るつもりがない、というのが問題なだけ。違憲を放置するのが問題なだけ。
  8. 軍事的呪術国家の道に戻るべきか? という問題。政教分離を貫けば、その問題は生じない。
  9. 靖国の本質が軍事的呪術国家の装置である、とするなら、靖国問題は、国家の問題である。
  10. 「いやいや約束したのだ、でも、やっぱり、いやだから守らなくてよいのだ」。
  11. http://www.c20.jp/1933/02lytto.html
    1. 1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
    2. 1931/12/10   国際連盟、満州問題調査委員会設置
    3. 1932/03/01   満州国建国宣言
    4. 1932/10/01   リットン調査団、日本政府に報告書を通達
    5. 1932/12/08   松岡洋右、国際連盟総会で「十字架演説」
    6. 1933/02/24   国際連盟総会、リットン報告書を採択
    7. 1933/03/28   日本、国際連盟脱退
  12. 30年代には「満蒙は日本の生命線」と宣伝されましたが、ならば「撫順は満蒙の生命線」であったのです。この炭田はいまでも良質の石炭などを豊富に供給する東洋最大の規模です。(http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/text/kajimura_kinyobi/kajimura_kinyobi.htm
  13. 1935(昭和14)年12月、米はモーラル・エンバーゴを発動した。(http://www.asyura2.com/0403/hasan35/msg/303.html
  14. 真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき)は、日本時間1941年12月8日(ハワイ現地時間12月7日)に日本軍がアメリカ合衆国ハワイの真珠湾のアメリカ太平洋艦隊と航空基地に対して行った奇襲攻撃のこと。この呼称は、アメリカ側の呼称 (Attack on Pearl Harbor) で、当時の日本側呼称は、ハワイ海戦(布哇海戦)。尚、現地時間の12月7日は日曜日であった。(ウィキペディア)
  15. 「みんなだって強盗していたのだから、僕もやっただけだもん」
  16. http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/15sennsousi.htm
  17. アメリカのほうが上手なのは、将来を見込んであらかじめルールを変えたり、経済制裁などで目立たないように準備しておく、ということ。日本は、内輪で納得すればルールなど無視してもよい、という気分になってしまう。力道山の正義は、やられ続ければ爆発してもよい、という正義。ふむ、真珠湾のアメリカの正義(リメンバーパールハーバー)もそうか。謹慎すれば免責される、という正義。自虐を続ければ狂気の反撃は正義となる。

「集団で一つの心をもつことを夢見てしまう。・・そこに共通してあるのは他人の心が「わかからない」ことへの恐れだと思います。結局、愛国心というのは「他者が恐い」、それだけなんだと思います」(p.77、『憲法力』大塚英志)

  1. 「戦後の我々は「ことば」という可能性を全く選択してこなかった」(p.79)

季節の風が吹いたらどうぞ 伝えて欲しい 揺れる菜の花 恋人友達 どうぞ私を 忘れて欲しい。

身体的な不快感(暑さ)はウモフンである。

http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/546.html 小泉『改革』で日本はこうなった(日刊ゲンダイ、8月15日)

項目    就任前※1 現在※2
名目GDP 513.4兆円 505.4兆円
国と地方の長期債務 642兆円 740兆円
完全失業率 4.7% 4.6%
勤労者世帯実収入 558,424円 529,822円
自己破産 139,281件 211,402件
自殺者 31,957人 32,325人
銀行貸し出し 458.7兆円 385.4兆円
日経平均株価 13,973円※3 11,766円※4
東証時価総額 390.7兆円※3 375.6兆円※4

※1=2000年(度)実績   ※2=2004年(度)実績 ※3=2001年4月26日終値 ※4=2005年8月5日終値

2005-08-13(土)

靖国病。招魂病。

  1. 思考停止の精神主義。
  2. 左翼も靖国病の後遺症を引き継いでいる。
  3. 江戸時代や戦国時代の人々はもっと合理的な判断力を持っていた。
  4. 軍事立国でもよいが、靖国病にかかっているかぎりは合理的な作戦能力をもつことができない。
  5. 国家が絡むと思考停止になる。
  6. 小集団病と靖国病。

http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/605.html

    1. 貧乏人には「大きな政府」が徳、その逆も真
    2. 投稿者 NOVO 日時 2005 年 8 月 11 日 12:27:56: HZxSGQbJJGXxg
    3. 「大きな政府」とは、税金を沢山取って色々なことをする政府です。政府の仕事には色々ありますが、大きく分ければ「政府である以上、(国防・警察・司法・消防のように)どこの国の政府でも必ずやる必要がある仕事」と、「やって欲しいが、財源は税金だから、それとのかねあいで国毎に内容や程度が大きく違うサービス」があります。
    4. 大まかに言うと前者には(初等教育・公衆衛生・最低限の自然保護や文化活動など)先進国の体をなす最低限活動を含めてGNPの10%くらいが必要なようで、最貧国を除くと、「政府消費支出の対GNP比率が10%を割る国」は見あたりません。ちなみに日本はこの比率が約11%で、先進国の中では際だって低い、つまり「目立って小さな政府」を持つ国です。
    5. この比率は西欧諸国が概ね20〜30%で、福祉国家として知られる北欧は30%を超えます。見方によれば、この比率が10%を超える部分が、その国の経済活動の成果を、公的部門を経由して広く一般国民に配分する活動に当てられて居ると言えます。
    6. 「どの程度に大きな政府を持つか」は費用と便益の関係ですが、どの程度が適正かを考えるには、受益者と負担者を「国民一般」に括ってしまうと、「なるべく少ない税金で、なるべく多くのサービス」と言う答しか出ず、問題の本質が判らなくなります。
    7. 世の中には低所得で、幾ら所得税が上がっても、実質的には税金を殆ど払わない(払えない)人が居て、他方の端には「必要なサービスは、全部俺の金で買うから、何かと面倒は公的サービスは要らない」と言う人々が居ます。前者を仮に「貧乏人」と呼び、後者をを「金持ち」と呼ぶことにします。現実には多くの人々はこの中間に居ます。
    8. 一方で「貧乏人」は、実は(福祉・医療・雇用・教育補助など)政府の色々なサービスをより多く必要として居る人々でもあり、利害関係から言うと高福祉・高負担の「大きな政府」の方が徳です。
    9. 他方で「金持ち」のホンネとして、「(俺の)税金で、これ以上(奴らの)面倒を見るのは真っ平」と考えるのは自然の情であり、このホンネをオブラートに包んだのが「小さな政府」という政治的スローガンだと考えると分かりやすいと思います。この主張を最もストレートに語るのが、アメリカのサプライサイダー達です。
    10. この本質を隠して「小さな政府指向は、無条件に正しい」と言うキャンペーンや、それにおもねる学説がメディアを覆い、国民を洗脳してしまって居るのが日本の現状です。
  1. 所得の再配分。税引き前、福祉サービス受給前の所得には大きな格差がある。その格差を緩和するかどうか、どの程度、どのように緩和するか、しないのか。
  2. 《ヒトの群れ》の全体の健康管理の視点と、金持ちの視点と、貧乏人の視点と、「官.vs.民」の視点。
  3. 短絡的なスローガンで騙す金持ちと、短絡的なスローガンで騙される貧乏人。

政府の役割は《ヒトの群れ》の健康管理

  1. 全身に栄養が行き渡るように管理すること。所得の再配分。
  2. 民間で行うとうまくいかない業務を行うこと。
  3. 権力と政府との関係は?
  4. 福祉権力なんてある?
  5. 権力の公正的側面だけを抽出したのが政府。
  6. 権力があって政府がない状態もある。

http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/622.html

    1. 世界中には10万単位の人員を抱える多くの巨大企業が立派に運営されているのだから、「官僚機構を非効率と腐敗をさけて運用するノウハウ」は既に確立して居ると考えられ、これからも洗練されて行くだろうと期待できます。
  1. 問題は、日本の官僚社会(大企業を含む)のなかで「官僚機構を非効率と腐敗をさけて運用するノウハウを避けて官僚の権益を確保するノウハウ」が蓄積されてしまったこと。「官僚機構を非効率と腐敗をさけて運用するノウハウ」を維持するためのメンタリティーが国民や株主の側から抜け落ちていること。
  2. 「官僚機構を非効率と腐敗をさけて運用するノウハウ」には権力不信が必要。権力は腐敗する、腐敗を防ぐためには風通しと日当たり(参加と監視)が必要である、というメンタリティがないこと。権力不信とボス猿崇拝とは両立しない。

靖国

  1. 国家カルト
  2. 招魂→合祀、という説明。荒魂の招魂であり、鎮魂がない、ということ。
  3. 特別な意図をもって特別につくられた神社。
  4. 戦没者崇拝。
  5. 宗教的な部分については干渉しない。信教の自由。
  6. 国家・軍隊によって管理された神社は宗教か?
  7. 信教の自由を逆手に取った存続策。純粋宗教の方針。
  8. 『靖国廟宮』。信教を束縛するか?、国家主義か。
  9. 靖国改革諸案。記念碑案、無宗教案。
  10. 軍国主義・超国家主義の宣伝禁止。
  11. 国家からの切り離し。純粋宗教。宗教法人への改変。
  12. 天皇の参拝禁止。合祀祭と天皇参拝の繋がり。
  13. 天皇自身が決めました。穏便に進めたいと思ったのでしょう。
  14. 占領が終わるまで、天皇参拝は行われなかった。
  15. 合祀祭そのものの禁止。占領終了までの話・・。だからね。
  16. 軍国神社のイメージの希薄化→軍国神社イメージの復活。
  17. みたままつり。平和的なイメージ。
  18. レリーフをコンクリートで隠しておく→占領が終わったら取り外す。
  19. 遺族会→「慰霊」??のつもり。
  20. 占領直後から昭和50年まで8回、天皇参拝。
  21. 終戦後の臨時大祭で30万人から240万人に増員。
  22. 戦争の惨禍を二度と繰り返さないと誓って、と見せかけて、軍国神社が生き残った。

http://world-reader.ne.jp/renasci/another/yawata-010814.html

    1.  厚生省が「霊界住民票」(?)を発行するというルール違反
    2. 次に、今問題になっている靖国神社であるが、「A級戦犯の合祀・分祀」をめぐって議論がなされている。靖国神社は、墓地ではない、従って、合祀・分祀と言ってみても、死者の骨を動かすことを意味しているわけではない。死者の「霊」を合祀・分祀するといっているわけだ。しかし、合祀される「霊」は、厚生省(現厚生労働省)によって公務死と認定された人(遺族年金の支給など、遺族援護法の対象となる人々)の「霊」なのだそうである。宗教法人靖国神社は、誰が合祀されるかを、厚生省が作成する「祭神名票」の「通知」を受け、それに基づいて決めているということだ。しかし、これは、「摩訶不思議」なことだ。いつから、厚生省は、「祭神名票」という、いわば「霊界住民票」のような文書を靖国神社に発行し、神社にまつられるべき「霊」の「居住資格」(公務死)の認定までやるようになったのか。いったい、いつから、厚生省は、「あの世」のことまで決められるような、「伏魔殿」ならぬ「大魔王」的な力を付けるようになったのか? 厚生省は行政官庁なのか、それとも冥界の霊まで取り仕切る宗教的な機関でもあるのか?
    3. また、厚生省の通知を待って祭神を決めるという宗教法人というのも不思議な存在である。いったい、「八百万の神々」が「知ろしめす」向こう側の世界、この世ならざる世界の事柄を、一介の行政官庁が決定できることを容認し、その通知を、あたかも区役所の住民課のように、忠実に執行する宗教法人とはどういう存在なのか。ひょっとすると、未だに国家機関であるかのような錯覚が残っているのではないか? この様なやりかたこそ、まさに政教分離の原則に反する行為ではないのか?
    4. 「あの世」での問題を、政府機関の「通達」や、神社側の人間の「決定」によって、まるで日常世界の中で物事を決めるように操作できると考えているところが、いかにも可笑しい。さすがに、靖国神社側も、昭和41年に厚生省から届いた、A旧戦犯をふくむ「祭神名票」に対して、実に12年間なにも反応せず、宮司交代後の昭和53年になって、はじめて「A旧戦犯」を合祀したのだそうだ。もっともこの沈黙は、現世の中での様々な利害の衝突を勘案してのことであったのかもしれない。

正常性バイアス

  1. 同調性バイアス。
  2. 安心を求める。安心だと思いたがる。
  3. 火災報知器がなって、外で救急車の音がして、部屋に煙が充満しても動かない、という実験。
  4. 現代日本の政治情勢。
  5. http://www.bo-sai.co.jp/bias.htm
    1. 「過去経験したことのない出来事が突然身の回りに出来したとき、その周囲に存在する多数の人の行動に左右されてしまうのです。それはその人が過去様々な局面で繰り返してきた行動パターンでもあるのです。どうして良いか分からない時、周囲の人と同じ行動を取ることで乗り越えてきた経験、つまり迷ったときは周囲の人の動きを探りながら同じ行動をとることが安全と考える「多数派同調バイアス」という呪縛(先入観)に支配されてしまうのです。」
    2. 「A」という団体の人たちは、こんな昼間に火災が起こるはずがない「誤報だろう」と、そのままお茶を飲んでいたようでした。この人たちはその後急激に充満してきた煙に巻かれ、テーブルの周囲で遺体で発見されるのです。一方、「B」という団体のリーダーは、ベルが鳴った直後「何があったのだろう」と言って「ちょっと様子を見てくる」と気軽に立ち上がって行きました。
  6. 念の為に確認行動を採る、というのが、合理的な行動のようだ。
  7. 「xxでも大丈夫だろう」という心理。「だろう運転」。
  8. 結局、危機に関する正確な認識を得ていない、ということ。認識と事実との齟齬。《思いこみ》モノとの間の齟齬。
  9. アチェでは動物の死骸はほとんどなかったという。ヒト《思いこみ》のサルなのだ。
    1. 【 正常性バイアス 】 ::せいじょうせいばいあす::Normalcy Bias :: 認知された異常性がある範囲内であれば,なるべくそれをノーマルなコンテクストで見てしまおうとする傾向のことである。つまり,何か異常でリスキーな事柄があっても,その異常性を減殺して日常性のコンテクストの中に押し込めようとする心理的なプロセスである。
    2. <関連用語>
    3. ・ リスク認知のバイアス(446 ) 
    4. ・ リスク認知(271 ) 
    5. ・ カタストロフィー・バイアス(249 ) 
    6. ・ バージン・バイアス(179 ) 
    7. ・ 楽観主義的バイアス(166 ) 
    8. ・ 染色体異常試験(106 ) 
    9. ・ 送り手−受け手関係のバイアス(104 ) 
    10. ・ ベテラン・バイアス(103 ) 
    11. ・ リスク認知のギャップ(90 ) 
    12. ・ プロセスの透明性と信頼性(76 ) 
  10. http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2005_14440/slides/10/18.html
    1. 「リスクマネジメント論」::第10回 2005/06/17::担当:福井 弘道
    2. リスク情報の評価の特徴-科学的論理構成と主観的なバイアス-
    3. 認知能力の制約
    4.  ―リスクという確率的で不確実性を含んだ概念を人々は認識しがたい
    5.  ―人間の認知能力にもともと限界がある(Slovic) 
    6. 記憶しやすさや想像しやすさによって認知は影響を受けやすい
    7. 最初に形成された認知は変わりにくい
    8. 同じリスクでも表現法が変われば認知が変化しやすい
    9. 認知能力の制約より、直感的なリスク判断をすることが少なくない
    10. 以下のリスク認知のバイアスにより客観リスクと主観リスクにズレ。
      1. \犠鐇バイアス
      2. 楽観主義的バイアス
      3. カタストロフィー・バイアス
      4. ぅ戰謄薀鵝Ε丱ぅ▲后粉経験ゆえの過誤)
      5. ゥ弌璽献鵝Ε丱ぅ▲后別し亳海罎┐硫畍蹇
  11. 要するに、リスクを正確に認識するのは難しい、ということ。
  12. 未来のことなど誰にも分からない。というこてではなくて、未来のリスクに繋がる現在の事実についての認識がかけること。
  13. 群れのリーダ(ボス猿)の役割は、群れ全体の内部状況と、群れの外部状況を認識して、命令を下すこと。追従ザルは命令を待って行動する。というのが正常性バイアスの正体だろう。信頼すべきボス猿の命令に従う、信頼すべきボス猿の命令があるまでは正常であると判断する。
  14. http://www.ns.kogakuin.ac.jp/~ft12153/doc/jokyo.htm
    1. リスクは計量可能なものとされる。それはどのようにしてか? 日本リスク研究学会が編集した『リスク学事典』において、リスクは「ある有害な原因(障害)によって損失を伴う危険な状態が発生するとき、[損失]×[その損失の発生する確率]の総和を指す。」(2)と述べられている。したがって、リスクというものは本来、確率論的にではあるが客体として(=客観的に)存在するものであり、だからこそリスクについての科学が成り立つとされてきたのである。すなわち、誰にでも納得がいく評価値としてリスクを算出しようという考え方が、リスク論という領域を作り出した。リスクを科学的に把握可能なものとする「境界設定」の考え方が、リスク論の重要な特徴であると言えよう。このようにして、「リスク評価」(あるいはリスク計算、リスク分析)が可能になってきたと言える。
    2. また、リスクはベネフィット(利得)と相殺しうるものとされる。たとえば、「私たちが車に乗っているのは、交通事故のリスクよりも、車を使うことによるベネフィットの方が大きいと見なしているからだ」といった言い方をすることがある。「原子力発電所の事故の可能性がゼロではないのにそれを使っているのは、それによって得られるベネフィットが十分に大きいからである」という言い方もされる。こういった思考様式は、「リスクとベネフィットのトレードオフ」と呼ばれる(3)。こういった判断がなされるときには、リスクの質的差異が無視されていることになる。また、リスクがベネフィットによって補償可能なものだとされているところに特徴がある。ここには、あらゆる善と悪を一次元の軸上に存在するものと捉えたベンサム流の価値哲学を見てとることができる。
    3. ルイスは、次のようにリスクを四種類に分類している(5)。
      1. 1 被害が身近にあり、経験も多く、その損害の程度や生起確率について十分な知識があるようなリスク。たとえば、火災や交通事故がこれにあたる。
      2. 2 生起確率は極めて低いものの、いつかは起こることがわかっており、しかもその場合の被害が甚大であることが予想されるようなリスク。たとえば、巨大地震や隕石の衝突などがこれにあたる。
      3. 3 2と類似しているが、これまで起こったことがなく、予想される被害はさらに甚大であるようなリスク。たとえば、核戦争や壊滅的な地球規模汚染がこれにあたると考えられる。
      4. 4 影響は確かに存在するが、その影響の程度が他の影響の中に隠れて見えなくなる程度であり、したがってその効果の計算が困難であるようなリスク。化学物質や低量の放射線にによる影響などがこれにあたる。
    4. これまでのリスク評価は、これらのうちの1をモデルにしてきた。というのも保険事業の登場以降伝統的にそういったリスク計算が行われてきたし、経験則を通じて様々な未知数を取りあえず既知数に変えてきており、したがって上手く計算式に乗せることができ、解答を出せたからである。
    5. ルイス自身は1の種類のリスクについて用いられてきた論理を貫こうとしているように思えるが、そういった論理でうまくいかないケースも出てきている。リスク評価に関して新しい考え方が求められるのはそのためである。
    6. これまでの定量的なリスク評価がそもそも通用しないような複雑なテクノロジーが存在し、しかも私たちはそういった新しい意味での危険性をもった社会に生きている
    7. 現在では臨床試験と呼ばれている患者を用いた医薬品の試験は、正しい手続きを踏んで行われるべき事になっている。しかし、タスキーギにおいて行われた黒人患者への梅毒研究(8)や日本の七三一部隊における中国人捕虜への伝染病研究や生物兵器研究を目的とした実験などは、研究の成果を得るためのリスクが弱者に押しつけられたケースであると言えるだろう。
    8. ペローはまた、高度に発達した科学技術(と研究)のリスクを次の3つに分類している。
      1. (1)考えうる利益を凌駕する不可避のリスクが存在するため、もう明らかに望みのない技術、
      2. (2)それなしではやっていけそうにないがリスクを少なくするためには相当の努力が必要であるような技術、あるいは相当の利益が見込まれるので現在ほどではないにしてもそれなりのリスクを冒すべきであるような技術、
      3. (3)自動調整が行われるので、きわめて穏健な努力によって改良可能な技術、がその3つである。
    9. 科学の素人は、むしろ独自の価値観から判断を行っているのであり、専門家が無知で不合理だとみなす素人の行動の中に、専門家と異なる価値観を見いだすことができる場合があるとも考えられる。こういった考え方によれば、むしろ問題を理解していないのは専門家の方であり、非専門家の価値観に立った上で、それに基づいて必要な情報を提供するということが大事であるということになる。あるいは、専門家が自分たちの立場から適切であると考える情報を提供することは、専門家自身の立場も同時に押しつけることにつながるとも言える。そういったお互いの立場を知るところから始まるのが、本来のあるべきコミュニケーションであると言えるだろう(12)。そういった対話のあり方が考えられなければならないが、それが非常に困難であることは明らかである(13)。
    10. 「誰にとってのリスクなのか」という問題は、世代間の倫理という考え方につながる。
  15. 「リスク計算に必要な数字が分からない」ときに、最大で見積もるか、最少で見積もるか。

http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/610.html

    1. 昨年11月20日、飯島勲首相政務秘書官は東京都内の共同通信社で、全国の地方紙36社の論説委員を前に講演し、高支持率の続く小泉内閣の裏事情について、次のように語った。
    2. 「マンガ本、スポーツ紙、婦人雑誌の取材に、最優先で応じてきた。
    3. 国民の70%は、政治面の記事をあまり読まない。そこにどう語りかけるか。
    4. 小泉が自民党総裁選に初出馬した1995年秋から、長期的に考え、新聞以外の取材に積極的に応じてきた。
    5. 茶髪の若者たちら、政治にほど遠かった国民が、今の小泉を支えている。」
    6. ・・
    7. ・・4月26日小泉内閣発足とともに、飯島氏も首相政務秘書官として官邸に乗り込んできた。
    8. そして、官邸スタッフの布陣から対メディア対応まで、一手に改造に乗り出した。
    9. まず週刊誌、月刊誌の編集者・記者7人を官邸に招き、小泉首相との昼食懇談会をセット、つぎはスポーツ新聞3社を内閣記者会に加盟させた。閉鎖的記者クラブの象徴ともいえる「内閣記者会」に、事前通告なしに雑誌編集者・記者を招待、さらに何とスポーツ紙記者が加盟したのだから、エスタブリッシュメント記者は仰天したに違いない。
    10. 一見「前向きな報道対応」を見せつけているが、その実、深く食い込んでくる担当記者を巧妙に避けてきている。
    11. ・・
    12. イチローから予算までコメント、どんどん出ますテレビ画面・・・というわけで、小泉さんがよくマイクを差し出されて、立ったまま官邸などでテレビインタビューに応えている姿、見たことありますよね。
    13. あれ、「ぶら下がり」ってマスコミ業界では言いますが、小泉さんが首相になって、歴代の首相より、この「ぶら下がり」が格段に増えました。
    14. それまでも、記者と首相のやりとりは一日に何回もやっていたけれど、小泉さんの特徴はテレビに出まくること。
    15. 毎日のように、「テレビぶら下がり」をやっています。
    16. ワイドショーに女性誌、政治に遠い層がターゲット。これぞ小泉流メディア戦略。
    17. 新聞よりテレビの方が人の目に触れる機会が多いし、印象も強く残りますよね。
    18. できるだけ国民の前に露出しようという狙いなのです。
    19. テレビや一般紙だけでなく、スポーツ紙や女性誌はじめあまり政治を取り上げなかった雑誌にもどんどん出よう、というアグレッシブな姿勢も小泉さんの特徴。
    20. 首相官邸での記者会見というのは、以前はスポーツ紙は出られなかったけど、小泉さんになってからは出ることがあります。
    21. とにかく国民の目に触れなきゃ。しかもお硬いメディアだけでなく、それまで政治とは多少遠かったワイドショーや雑誌にも出ちゃえ、というわけ。その方が、より広い支持を取りつけられる、という目論みです。
    22. ・・
    23. 小泉首相はテレビへの個別出演には大いに時間を割いたが、新聞社や通信社など活字メディアに対しては、通りいっぺんの共同インタビューしか応じなかった。
    24. ・・
    25. 飯島首相政務秘書官のメディア戦略は、「ミーハー」のレッテルを厭わず、新聞などの硬派メディアではなく、テレビ、女性誌、スポーツ紙、夕刊紙、マンガ本などの大衆メディアを積極的に利用することである。
    26. しかし、そのように大衆を誘導して獲得された小泉内閣の高支持率ではあっても、政治の世界においてはその本質部分で有効な劇的効果を発揮することを可能とさせる。
    27. ・・
    28. 「改革なくして景気回復なし」という小泉首相の断定的口調に乗せられてしまった人たちが支持していて、しかも小泉首相が意図的にそのような人たちに訴えかけた、ということだと怖い気がします。
    29. 「小泉首相を支持しているのは、きっと狂信的な人たちなんだろうなあ」とは思っていましたが、なんと優先的にそういった人たちを作っていたとは知りませんでした。
    30. まあ、政治に関心を向けるという意味では決して悪くはなかったんでしょうが、しかし「政治に興味のない人たち」を主とした高支持率を拠り所としているだけの政権を生んでしまったという点では、確かに怖い気がします。
    31. ・・
    32. ひょっとして小泉首相の目は、「新聞の政治面を読む国民」「政治に関心のある国民」「政治を少しでも良くしていきたいと考えている国民」の方には、決して向いていないのではなかろうか?
    33. 小泉首相のメディア戦略が、なぜ「政治に関心のない7割の国民」をターゲットにしているかに関して、彼らは小泉首相がただ「改革」とだけお題目を唱えていれば、それで満足している。一方「政治に関心がある国民」には、直ぐにも小泉首相の「改革」には中味がないことに気づかれてしまうから、メディア戦略のターゲットにしてこなかったと考えるのは、「政治に関心があり過ぎて」ターゲットに入れていただけない私の僻みの為せる穿ち過ぎであろうか?
    34. お題目のように「改革」という言葉を弄び、危ういメディア戦略に基づく高支持率のみを拠り所にした小泉首相には、どうしても「アジテーター」「ポピュリズム」「ファシズム」といった懸念を払拭しきれない国民は、私だけではあるまい。
  1. ポピュリズムを意図的に作り出していたとは思わなかったぞ・・。

2005-08-12(金)

http://kuma.mistyhill.org/anison/anison/2051.txt

  1. ニャースのうた [ポケットモンスター(ED2)]
  2. 作詞:戸田昭吾 作曲:たなかひろかず
  3. 歌:犬山犬子(ニャース)
  4. -------------------------
  5. あおい あおい 静かな夜には
  6. おいら ひとりで哲学するのニャー
  7. 草むらで 虫たちが
  8. コロコロ チリチリ
  9. おいしそうに 鳴いてるけど
  10. 今夜は 食べてあげないのニャー
  11. お月さまがあんなに まるいなんて
  12. あんなに まるいなんて
  13. あんなに
  14. 世界のどんな まるより まるいニャー
  15. 世界のどんな まるより まるいニャー
  16. ひろい ひろい 宇宙のどこかに
  17. もう一人の おいらが いるのニャー
  18. おなじように 草むらで
  19. ポロポロ チャラリラ
  20. ギターひいて いるのかニャー
  21. ニャースのうたを うたってるかニャー
  22. 一人きりが こんなに せつないなんて
  23. こんなに せつないなんて
  24. こんなに…
  25. いまごろみんな なにしているのかニャー
  26. いまごろ みんな なにしているのかニャー
  27. 誰かに 電話したくなっちゃったニャー

ヒト心地よいウソを信じるべきである。

  1. そのヒトにとって最も心地よいウソを信じるべきである。
  2. 信じるというのは《思いこみ》をもつことである。
  3. ヒトは、《思いこみ》をもつことなしに生きることはできない、というか動くことはできない。
  4. たけ(tk)は、《近傍物理空間》の中に《私の身体》があり、《私の身体》のなかに《息しつつあるモノ》があることを信じる。
  5. たけ(tk)はその存在を疑うことができる、それを誤りだと断定することもできる。たけ(tk)はその正しさを証明も説明も出来ない。たけ(tk)は、それを信じることが心地よいが故に、その存在を信じる。それは、その正しさを証明できない以上、ウソでしかない。しかし、たけ(tk)は、心地よいウソを信じる。
  6. 《たけ(tk)の思いこみ》とは、たけ(tk)が心地よいが故に信じたウソである。
  7. モノの存在は証明することができない。
  8. 「cogito, ergo sum と同程度の確からしさ」とはどういうことか?
  9. 「『cogito, ergo sum と同程度の確からしさをもつモノを確かである』信じる」とはどういうことか?
  10. たけ(tk)は、今ここの《我》の現前に広がる世界が、「かくのごときもの」であることを信じることができない、私の気分が変われば異なってみえることも知っている。しかし、たけ(tk)は、「かくのごときもの」であることを信じる。たけ(tk)は、《息しつつあるモノ》との関係において、「かくのごときもの」であることを信じる。
  11. 《息しつつあるモノ》ノイズであり、「かくのごときもの」としての世界は、《混濁》カオスから《息しつつあるモノ》ノイズが作り出した仮想の秩序であろう。しかし、たけ(tk)は、それが心地よいが故に、信じる。
  12. たけ(tk)は、この身体が、《知りつつあるモノ》の背後において、世界の中で《共振しつつあるモノ》であることを信じる。モノ共振が宇宙史にいたることを信じる。
  13. この《身体》《他者の身体》共振することを信じる。共振によって、《他者の思いこみ》を《私の身体》の中に知ることができると信じる。共振によって、私の《思いこみ》を他者に伝えることができると信じる。そんなことは全部嘘っぱちだ。しかし、たけ(tk)は、《息しつつあるモノ》を信じることが心地よいが故に、それが作りだした秩序であるもろもろの事象を信じることにする。

2005-08-10(水)

世界的に見て、郵便事業は、ユニバーサルサービス(全国何処でも均一料金)が義務付けられている為、儲かるはずがありません。  世界で民営化が成功した国はなく、アメリカも勿論今も変らず国営です。」(http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/264.html

うんざりするのはウモフンである。

  1. 《うんざりしつつあるモノ》は《息しつつあるモノ》共振する。
  2. 《見通し》はすべての事物から、目的や意欲を奪う。《息しつつあるモノ》との共振によって、目的や意欲をを回復すべきである。
  3. 生きる目的《息しつつあるモノ》の中に在る。生きる目的《息しつつあるモノ》の中にしかない。すべてのモノ《息しつつあるモノ》との共振によって、目的を取得する。《元気》《息しつつあるモノ》の鏡像である。

愚かな人々はウモフンである。

  1. 心地よいウソを信じる人々》のこと。
  2. 『群れの中の私』を信じる人々。むしろ『私』なき『群れ』かもしれない。

2005-08-09(火)

日本の職人は、支配するか、支配されるか、しか知らない。

  1. 調和的に考えることができない。
  2. 基本的な人間関係がボス猿か追従サルかの選択しか出来ない。
  3. 調和的行動が可能なのはボス猿だな。彼らは追従サルだということだ。

2005-08-08(月)

「この一味神水という行為は、それに参加する全員が神社の境内に集合し、一味同心すること、その誓約にそむいた場合いかなる神罰や仏罰をこうむってもかまわない旨を書きしるし、全員が署名したのち、その起請文を焼いて神水にまぜ、それを一同がまわし飲みするというものがこの時代のオーソドックスな方法であった」。「神水を飲むというこの誓約方式は、たんに誓約を破ったものは神罰をこうむるというだけのものではなく、それを遵守して履行する人間は、そのかぎりで神と一体化しているという意識が存在した」([barbaroi:4336] Re: 中世の寄り合い)

  1. 神の血肉となって排除する。
  2. 排除の神。敵味方論、シュミット。《特別者公理》《ヒトの群れ》での発現。
  3. 「スケープゴートが全員一致と全員参加の下にいけにえにされることが、原初的な「神格」の発生のメカニズムであり、スケープゴートが「神」となり、それを喰うことで人も聖なる空間に参与することが可能になる」
  4. 狂気の共同体。粘菌アメーバの共同体。粘菌アメーバが移動体を形成するのは危機的状況においてである。
  5. 古代、中世の戦争はテリトリー戦争である。
  6. 資本制生産が進み、製品の多様化が進むと、テリトリーの多重化が進む。
  7. 資本制生産が進み、物流が進むと、テリトリーの非空間化が進む。
  8. 人類は資源争奪戦争による資源の浪費で滅びるだろう。

実践的だと視野が狭くなるという《背後者回路》

  1. 見通しを語るコトバが無くなる、という《背後者回路》
  2. 命令のコトバ見通しコトバの背反性。見通しは静であり、命令は動である。ブッダは静であり、アングリマーラは動である。
  3. 人は同時に二つの視点をもつことはできない。昼の視点と夜の視点とを時間を分けてもつほかない。

欲望充足マシンと反省マシン

  1. 欲望充足エンジンと見通し拡大エンジン
  2. 見通し拡大エンジンは手段の目的化?
  3. 欲望充足エンジンの《ヒトの群れの背後者回路》への組込み。
  4. 目的合理的行動様式は、欲望充足エンジンにおける《背後者回路》である
  5. 目的は欲望充足エンジンから生まれる。
  6. 《混濁》と欲望充足エンジン。
  7. モノは欲望充足エンジンをもつ。
  8. 《息しつつあるモノ》は欲望充足エンジンをもつ。
  9. 《息しつつあるモノ》の欲望充足エンジンは《ヒトの群れ》の欲望充足エンジンと共振する。全然波長が異なるので共振できない?

2005-08-07(日)

外部身体は苦しみである。

  1. 外部身体は苦しみ原因である。
  2. 外部身体の苦しみ原因はこれである。・・そっかー・・。

アリストテレスは『非常識』である。

  1. ブッダは『非常識』である。
  2. 孔子は『非常識』である。
  3. ヒトは彼らを理解することができない』というのが『常識』である。
  4. 大乗仏教が成立した背景にある『常識』。
  5. 日本人の凡人思想。凡人自覚主義。愚禿親鸞。
  6. 「翻身(ほんしん)一回、此(この)智、此(この)徳を捨てた所に、新な智を得、新な徳を具(そな)え、新な生命に入ることができるのである。これが宗教の真髄である。」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/3503_13512.html
  7. 「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人がためなりけり」。2005-08-08(月):阿弥陀に会えば阿弥陀を殺せ、願は阿弥陀のものでさえないのである、阿弥陀の存在をも否定することである。天上天下唯我独尊。天上天下唯我独尊の自覚がなければ、ブッダを知ることはできないのである。
  8. 「風号(さけ)び雲走り、怒濤澎湃(どとうほうはい)の間に立ちて、動かざること巌(いわお)の如き日蓮上人の意気は、壮なることは壮であるが、煙波渺茫(びょうぼう)、風静(しずか)に波動かざる親鸞上人の胸懐はまた何となく奥床(おくゆか)しいではないか。」

《ヒトの群れ》は欲望のシステムである。

  1. だって、人間は食べなきゃ生きていけないもの・・。
  2. サブシステム(《ヒトの個体》)の欲望の充足のための行動、は、サブシステムの問題。サブシステムの動きは包括システムの《背後者回路》(構造)を作り出す。サブシステムは包括システムの《背後者回路》共振しながら、その動きを変える。サブシステムの行動様式進化は、包括システムの《背後者回路》進化と共に在る。
  3. サブシステムの《背後者回路》と包括システムの《背後者回路》共振関係。
  4. 2005-08-08(月):《ヒトの群れ》自体が欲望の主体となる。《ヒトの群れ》の欲望充足回路。それによって、ヒトは、《ヒトの群れ》の欲望充足回路に奉仕する無欲の存在になる。無欲、無思考、無責任の存在になる。無思考というのは、個体としての思考を放棄するということ、《ヒトの群れ》の体現者としての思考を行うようになるということ。

《他者》の思想を学ぶヒトは馬鹿者である。

  1. まずは、自分の世界を自分のコトバで語ってみよ。
  2. 自分のコトバで語られた世界の記述が、見えてきたら、《他者》がどんなことを言っているのかを調べればよい。
  3. 仏に会ったら仏を殺せ、だ。
  4. 2005-08-08(月):学ぶのは構わないのではないか? 《他者》の思想を飯の種にしようという、あさましい連中が馬鹿者なのだ。単なる商売人、輸入業者、翻訳業者に過ぎない。

現代思想はアリストテレスを越えていない。

  1. 現代思想というのは、キリスト教的ぶち壊しからのアリストテレスへの復帰段階ということだろう。キリスト教を信じるものは不断にアリストテレスをぶち壊し続ける。そして、アリストテレス的な復帰を行うものとの戦いとなる。
  2. アリストテレスは現代社会をどう見るのだろう?
  3. アリストテレスは「答えは書いたよ。理解するかどうかだけの問題だ」と言うだろうな。
  4. 理解させたくない人々がいて、不断に歪曲し続ける。
  5. ヒトの理解は、そのヒトの死で終わる。理解したヒトが死ねば、理解したヒトはいなくなる。理解が新たなヒトによって再生産されない限りは・・。
  6. 2005-08-08(月):バルバロイはいまだにアリストテレスを理解するに至っていない、ということだ。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/NIP/nip04_bn.jsp?BN=Y&OFFSET=1 http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NIP/NIPCOLUMN/20030326/2/

    1. トピカの中には337個のトポスが記述されているといわれている。このトポスはさらに次のように分類されている。
      1. ●付帯性に関するトポス 103
      2. ●類に関するトポス 81
      3. ●特性に関するトポス 69
      4. ●定義に関するトポス 84
    2.  これらのトポスのうち,類に関するものはクラスの抽出に関係し,特性に関するものはクラスの属性定義に関係する。
    3. <類のトポス>
      1. ・類と種は同じカテゴリーに入らなければならない
      2. ・種は類によるが,類は種によらない
      3. ・類は種よりも広い範囲に適用される
      4. ・1つの種が2つの類に入るときは,これらの類の一方は他方の類に含まれる
    4. <特性のトポス>
      1. ・それが特性か特性ではないかの検討
      2. ・自体的な特性と相対的な特性
      3. ・恒常的な特性と一時的な特性
      4. ・特性を与えることは種差を与えること
      5. ・存在しないものに可能性として特性を与えた場合,その特性は覆される

http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NIP/NIPCOLUMN/20030122/2/

    1. ア:「簡単に言おう。実体とは主語になるもので,その実体の特性(属性)が述語となるんじゃ」
    2. 筆:「主語になるものならなんでもいいのですか?」
    3. ア:「そう。目に見えない概念でも主語となるなら実体なのじゃ。ただし,わしは自分の身の回りにある具体的な事物である第一実体をよく観察せよ,と皆には言っておるがな」
    4. ・・
    5. 属性とはカテゴリーのことだ
    6.  アリストテレスの著書「カテゴリアイ(範疇論)」には,「どうしたらこの世の存在物を効率的に分類,整理整頓できるか」という問題を解決するための基本的なアイデアが述べられている。アリストテレスは現実に存在している事物や事象を子細に観察すると同時に,それらを表す「言葉」に注目した。
    7.  その結果,アリストテレスは「実体」,「量」,「性質(質)」,「関係」,「場所」,「時」,「状況(体位)」,「所持」,「能動」,「受動」という10個のカテゴリーを導き出した。これらを総称して「アリストテレスの10のカテゴリー」と呼ぶ。では,アリストテレスはこれらをどのようにして導き出したのか。彼は次のような問答を利用した。
      1. ●それが何であるか(実体)
      2. ●いかほどか(量)
      3. ●どのようなものか(質)
      4. ●どのような関係にあるのか(関係)
      5. ●どこにあるのか(場所)
      6. ●いつか(時)
      7. ●どう置かれているのか(位置,状態)
      8. ●何をそなえているか(所持)
      9. ●何をしているか(能動)
      10. ●何をされているか(受動)
    8. 最後の2カテゴリーである「能動」と「受動」は,属性と一緒に定義される「メソッド」であるオブジェクトの「振る舞い」であると考えてもよい。もちろん,アリストテレスのオントロジー(存在論)モデルでは,この2カテゴリーも実体の属性と考えられている。
    9. DOAにおけるデータベース設計で行われる「エンティティ」探索作業においても,同様のアプローチが取られる。だから「名詞と形容詞に着目せよ」というガイダンスは間違いではない。だがもっと正確に言えば,名詞ではなく主語,形容詞ではなく述語に着目せよ,ということになるのだ。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NIP/NIPCOLUMN/20021126/1/

    1. アリストテレス的オブジェクト指向入門
    2. ア:うん?オブジェクト? その言葉はどういう風に使われているのかね。
    3. 筆者:オブジェクト指向とは,実世界モノの集まりになぞらえてソフトウェアを作るという考え方で,このモノがオブジェクトと呼ばれています。例えば,この私とか先生がオブジェクトだというのですよ。
    4. ア:ああ,それは哲学でいうと『実体』のことじゃよ。
    5. クラスは第二実体で,インスタンスが第一実体というわけじゃな。
    6. 私が書いた『カテゴリアイ』ぐらい読んで欲しいものじゃ。
    7. オブジェクトは実体である。その実体には第一,第二という2種類があり,これらすべては実体なのだ。つまり,オブジェクト,クラス,インスタンスは全部実体なんじゃよ。ただし,実体にはクラスとインスタンスのような区分けが必要なんじゃな。
    8. アリストテレスの「実体」の図式を以下に示しておく。詳細については,これから順次紹介する。
      1. 「存在」=「実体」または「付帯的存在」
      2. 「実体」=「第一実体:個物(基体)」または「第二実体:形相」
      3. 「第二実体」=「普遍者」+「類」+「本質」
      4. 「普遍者」=「カテゴリーの形式(実体,質,量,能動,受動,場所,時間,関係,位置,状態)」
      5.  「存在」には「実体」と「付帯的存在」があるが,「付帯的存在」は分析する意味のない偶然的な存在なので,「実体」だけを見ればいい。「実体」には「第一実体」と「第二実体」がある。
      6.  「第二実体」を定義するには,まず「普遍者」,つまりカテゴリーとしての特性を定義し,さらに,それらを「種」や「類」として分類する。例えば,「人間」は「種」であり,この種はさらにスーパークラスとしての第二実体である「動物」という「類」に抽象化(分類)される。
      7.  つまり「実体であるオブジェクトは,第一実体であるインスタンス(個としての実体,例えば『アリストテレス』)と第二実体であるクラス(集合としての実体,例えば『人間』)から構成される。『人間』は『種』であり,この種はさらにスーパークラスである『動物』という『類』に抽象化される」
    9. アリストテレスの著作は多岐に渡る。このうち「オルガノン」は論理学の本で,「カテゴリアイ(範疇論)」,「命題論(言葉によるものごとの明示について)」,「分析論前書」,「分析論後書」,「論拠集(トピカ)」,「ソフィストの論法について」という著作で構成される。このうち,前4冊が,ITエンジニアにとっては特に重要だ。
    10.  「範疇論」は実体(オブジェクト)をベースとしたカテゴリー論が説かれており,「命題論」は名指し言葉(名詞)と述語(動詞),および肯定と否定についての定義がなされている。「分析論前書」は,おなじみのアリストテレスの三段論法が書かれており,論理学テキストそのものだ。「分析論後書」は「科学的論証(証明)」とは何かということを定義した著作である。
    11.  「オルガノン」は,ギリシャ語で「道具」という意味である。一般的には,「オルガノンは哲学するための道具である」と解釈されている。しかし私はアリストテレスを「哲学者」ではなく,どちらかというと「科学者」あるいは「分析者」であると考えている。すると,「オルガノン」は分析するための道具,あるいは科学するための道具である。つまり,「オルガノン」はソフトウェア開発の上流工程(要件分析,要件定義,基本設計)におけるモデリングツールとして役に立つのだ。
    12.  「コンピュータ」という「道具」を使って構築された「コンピュータシステム」は,アリストテレスのオルガノンに基づくモデルを利用して構築された,現実世界の1つの表現例であると私は考える。オブジェクト指向は,このアリストテレスモデルの部分的な実装なのだ。
    13.  今,次のITパラダイムとして「オントロジー(存在論)」という言葉が流行の兆しをみせている。オブジェクト指向の本質を評価・理解する上でも,もう一度紀元前に立ち戻る必要がありそうだ。

自己言及《思いこみ》無限ループである

  1. 自己言及《思いこみ》循環状態というモノ(輪郭を有する状態)である。
  2. 自己言及《体内感覚世界》の中のモノ(輪郭を有する状態)である。
  1. 《たけ(tk)の思いこみ》《混濁》から始まる。
  2. 《混濁》《混濁の世界》《知りつつあるモノ》とに分離する。
  3. 《混濁の世界》《近傍物理空間》《体内感覚世界》に分離する。
  4. 《混濁》《混濁の世界》と《認識限界》と《背後者》とに分離する。
  5. 《背後者》を見通すと《息しつつあるモノ》《共振しつつある身体》とを見つける。
  6. 《共振しつつある身体》は他のモノ共振する。他のモノ《共振しつつあるモノ》である。
  7. 《共振しつつある身体》《共振しつつあるモノ》とは同質であると想定する(《同質者公理》)と、《共振しつつあるモノ》は相互の共振により、《宇宙史》を全体システムとするサブシステムのシステムとなる。
  1. サブシステムとサブシステムとの共振《共振しつつある身体》《共振しつつあるモノ》たちとの共振《共振しつつあるモノ》たち同士の共振
  2. サブシステムと全体システムとの共振《共振しつつある身体》《宇宙史》との共振《共振しつつあるモノ》たちと《宇宙史》との共振。途中の上位システムとの共振
  3. 2005-08-08(月):「上位」というのは曖昧。クラスの承継関係での上位、インスタンスの包含関係としての上位、モジュールの包含関係としての上位。Rubyのインスタンスはすべて独立に存在し、包含関係がない。ふーむ、人体から細胞を取り出すことができるな・・。取り出せるが、取り出せるように設計すべきではない、共振関係が複雑になり過ぎる、共振関係を簡素にするのがオブジェクト指向の目的だから、内部オブジェクトの取り出しを許すことは簡素化というオブジェクト化の目的に反する。複雑になれば破綻する。

2005-08-06(土)

無気力はウモフンである。

  1. 無気力は《このヒト》を通じて噴出した《共振しつつある宇宙史》《思いこみ》である。
  2. 生存疑問はウモフンである。
  3. 自殺願望はウモフンである。
  4. 自殺願望の自殺としての生はウモフンである。
  5. たけ(tk)がT君に説教できるはずがない。
  6. アングリマーラよ、君はすでに死んだのだ。
  7. 「私は立ち止まっている、アングリマーラよ。あなたの方が立ち止まりなさい」(http://vayo.at.infoseek.co.jp/angulimala.htm
  8. 問題は、何故に、ブッダはアングリマーラの居る場所へ進んだのか、だ。
  9. アングリマーラはブッダの外部身体なのだ。ブッダ《身体》《共振しつつある身体》なのだ。共振によって一体化した《身体》なのだ。ブッダはその《外部身体》の中の無明を取り去ろうとしただけなのだ。
  10. アングリマーラは外部身体の自殺願望である。
  11. 自殺願望は《求める思いこみ》である。殺害願望は《求める思いこみ》である。
  12. アングリマーラの殺害願望に表出を、受け取り、吸い取り、浄化するのは、ブッダ《求める思いこみ》である。アングリマーラの殺害への《求める思いこみ》と、ブッダの『《他者》《求める思いこみ》を浄化すること』への《求める思いこみ》。、
  13. 涅槃への強い《求める思いこみ》ブッダは涅槃主義者である。
  14. ブッダは、《他者》に『善く生きる道』を指し示すことはできない、ただ『涅槃を求めるヒトにとっての善く生きる道』を指し示すことができただけだ。
  15. ブッダにとっての《他者》とは、ブッダの外部《身体》である。その中には、涅槃を求める部分もあるし、それ以外を求める部分もある。涅槃を必要とする部分もあるし、必要としない部分もある。王者、農民、布施を行うヒト、敵対するヒト、いろいろな部分があるのが外部身体だ。《身体》にいろいろな部分があるのと同様だ。
  16. 涅槃を求めていない人に涅槃を与えることはできない。救いを求めていない人に救いを与えることはできない。何であれ、ヒトは、他者が求めていないモノを彼に与えることはできない。
  17. 問題は、彼が求めているモノを知ることだな。ヒトは自らが求めているモノを語ることができるとは限らない。《他者》《求める思いこみ》噴出を見通すこと。
  18. 《他者》とは《共振しつつある外部身体》である。
  19. 「「生存的営みを放棄すること」という生存的営みを放棄すること」という自己放棄の自己言及。自己放棄の自己言及の極限の先の、自己放棄のカオス。自己放棄の《混濁》《混濁》へのノイズ注入によるコスモス化。何ら唯一性の保障がないコスモス。

絶望』はウモフンである。

  1. 絶望』は《このヒト》を通じて噴出した《共振しつつある宇宙史》《思いこみ》である。
    1. 絶望』は《共振しつつある宇宙史》《思いこみ》の中に含まれるのか? 
    2. 絶望』は《共振しつつある宇宙史》《思いこみ》そのものなのか? 
    3. 絶望』は《共振しつつある宇宙史》《思いこみ》が《このヒト》を通ったことによって生じた《思いこみ》なのか? つまり、《このヒト》の《背後者回路》によって加工され、生成されたモノなのか?
  2. 「『絶望』はウモフンである」と唱えよ。
  3. 絶望する《このヒト》の背後に、《このヒト》と《共振しつつある宇宙史》があることを見通せ。

コトバヒトへの命令である。

  1. ヒトコトバに従って動くヒトコトバに従う。ヒトコトバに従うモノである。『ヒト』とは『コトバに従うべきモノ』である。『ヒトコトバに従うべきである』という当為《思いこみ》《求める思いこみ》。いわゆる『理性的人間像』。『契約社会』。『ヒトヒトとがおりなす《ヒトの群れ》は、ヒトコトバに従う、という原理によって成り立っている』という《思いこみ》。命令的言語観。
  2. 善き結果をもたらすコトバを語るべきである。
  3. 《私》に善き結果(経済的利益とか・・)をもたらすコトバを語るべきである。

ウモフン:《共振しつつある宇宙史》《思いこみ》噴出は、《共振しつつある身体》《思いこみ》噴出である。

  1. ウモフンは、共振しつつある「《宇宙史》《身体》」の《思いこみ》噴出である。ウモフンは《共振しつつある梵我関係》の《思いこみ》噴出である。否。ウモフンは《梵・我・物の共振関係》の《思いこみ》噴出である。《モノ》(《我》以外のモノ《他者》を含む)が決定的な要因として入っている。
  2. 梵はスーパーシステムであり、《我》モノとは対等のサブシステムである。《我》は「このサブシステム」でありモノは「あのサブシステム」である。
    1. 「スーパーシステム(《宇宙史》)とこのサブシステム(《我》)との関係」
    2. 「このサブシステム(《我》)とあのサブシステム(モノ)との関係」
    3. 「あのサブシステム(モノ)とスーパーシステム(《宇宙史》)との関係」
    4. 「あのサブシステム(モノ)と別のサブシステム(モノ)との関係」
    5. の4個の関係からなる共振関係である。
  3. システム論的には、外部関係属性(形相因)から見た視点。内部状況(質料因)、過去関係(起動因)、未来関係(目的因)の問題はとりあえずオミットしている。《宇宙史》という「座標軸としての時間」を含んだモノとの関係だと考えるなら、過去関係(起動因)、未来関係(目的因)は含んでいると言えるか?
  4. ボガブモフン:《梵・我・物の共振関係の思いこみの噴出》。システム論梵我一如
  5. ボガブブモフン:《梵・我・物・物の共振関係の思いこみの噴出》。

2005-08-05(金)

コンピュータプログラミングにおける「スコープ」

  1. モノ《背後者回路》の規則によって輪郭が定まるモノ
  2. モノ《背後者回路》の中のモノ
  3. モノ《背後者回路》はウモフンである。モノを作った人の《思いこみ》噴出であり、モノを構成するモノ《思いこみ》噴出である。
  4. モノ《背後者回路》の中のものはウモフンである。《モノの背後者回路》の《思いこみ》噴出である。
  5. 「スコープ」はウモフンである。
  6. 共振しつつある宇宙史』という《思いこみの世界》の中での《思いこみの循環》である。
  7. 共振しつつある宇宙史』という《思いこみの世界》の中での《思いこみの循環》は《他者の思いこみ》を取り込むには便利な仕組みである。

「xxは《他者の思いこみ》であると同時に、(それによって作られた)モノの状態である」

  1. 「xx」というコトバ《他者の思いこみ》を指し示す同時に、「その《他者の思いこみ》によって作り出されたモノの状態」を指し示す。
  2. モノの状態を作り出す思いこみ》というタイプの《思いこみ》を指し示すコトバ。たとえば「コンピュータ」。
  3. ほとんどの《思いこみ》は、意図的にせよ、意図的でないにせよ、モノの状態を変化させる。
  4. モノの状態を作り出す思いこみ》というタイプの《思いこみ》であり、それによって作り出されたモノの状態と、その《思いこみ》とが同じコトバで指し示される、タイプの《思いこみ》、を指し示すコトバ。たとえば「コンピュータ」。
  5. 人の《思いこみ》によって作り出されたモノ道具など)の原因は人の《思いこみ》イデア)である。

宇宙史の《思いこみ》噴出(ウモフン)

  1. 「xxはウモフンである」と唱えることにより、「xx」の宇宙史との関係における意味を復活させることができる。

オブジェクトとは、データと処理とをひとまとめにしたモノ

  1. モノとは《知った思いこみ》《求める思いこみ》とをひとまとめにしたモノ

日本語では「目的語+動詞」なので「目的語」が先に意識される。

  1. 英語では「動詞+目的語」なので「動詞」が先に意識される。
  2. 目的語=モノ=中心の世界観。
  3. 動詞=《ちから》=中心の世界観。

「日本には

    1. 50万人::支配階級(天皇、貴族、大資産家、政治家の上位層、大企業の創業者一族)が50万人ぐらいいて、
    2. 500万人::その下に約500万人の中小企業自営業者と上層自営業者(医者、弁護士など)がいる。これが上層国民で、自民党の支持層だ。
    3. 300万人::その下が年収1000万円以下の上層サラリーマンで200万人―300万人いる。彼らは、資産は無いが自分の力で戦える連中だ。本を読むのはこのクラスの連中まで。
    4. 5000万人::その下には5000万人の一般のサラリーマンがいて、彼らはテレビで馬鹿な学者が言う事を丸々信じ込んでいる連中。
    5. 5000万人::さらにその下に5000万人の隷従階級がいる。彼らはサッカーと野球しか見ない。
    6. 日本という国は、テレビや新聞にだまされないでしっかり勝ち組を続けている上層国民プラス上層サラリーマンと、それ以外の大多数の負け組みの人間で出来上がっている・・・」(http://www.asyura2.com/0505/war72/msg/976.html
  1. 要約するなら1000万人弱の支配的階層と、1億人の《騙されつづける人々》がいる。
  2. 1000万人弱の《騙す賢さをもった豊かな人々》と1億人強の《騙されつづける貧しい人々》。
  3. 2:6:2じゃなくて、1:8:1なのか?
  4. 正規分布で、群れの中の個体の属性が分布するのは当然ではある。

四次元チューブとは、座標軸としての時間を内包したモノ

  1. 時間の座標軸を自らに取り込んで、座標軸に沿って自らを延長したモノ

ゲシュタルト崩壊は、知りつつあるモノの背後者へ入力されてオーダーを形成すべきノイズを知覚して横取りしていしまうことにより、背後者がノイズを失って、カオスに戻ることを意味する。

  1. ゲシュタルトはノイズ・インシュースド・オーダーである。
  2. 知ることは失うことである。が、関心が移れば復活する。
  3. 《元気》(宇宙史の背後者の《思いこみ》)を知ること。

《元気》を知ることは《元気》を失うことである。が、関心がそれれば復活する。

  1. 《知りつつあるモノ》の前面において《元気》を知ることは、《知りつつあるモノの背後者》において《元気》を失うことである。
  2. ゲシュタルト崩壊。カオス・インデュースド・オーダー。ノイズの横取り。
  3. 主知主知的に知りつづけることは、ゲシュタルト崩壊の持続である。
  4. 《元気》自己言及によるカオス化。

モノたちの現れや、ヒトたちの現れは《共振しつつある宇宙史》《思いこみ》噴出である。

  1. 『神の光の流出理論』だな。

2005-08-04(木)

ミラーニューロン噴出

  1. 《他者》ミラーニューロン噴出
  2. 世界ミラーニューロン噴出
  3. 《宇宙史》ミラーニューロン噴出
  4. 《宇宙史》ミラーニューロンの先に写しだされた己の姿と声。《お前》は己だ。フッサールの『他者』は《お前》のことだ。フッサールの『間主観性』は『鏡像化された我』と《我》との関係だから現実性を持たない。

彼女にとって聖母マリアとは自分の中の女のクオリアの復活だ。

  1. ずるいな、女って。死せる男の復活とともに生きた女が復活する。

システム論世界

  1. スーパーシステム−サブシステム。
  2. 多元世界は、異なった原理に基づく複数のシステムか?
  3. 複数の公理が併存し、その複数の公理ごとに世界が存在する。
  4. 《我》の原理に基づく世界もある。
  5. アリストテレスの「ウーシア(実体)」
  6. 日本的アニミズム

* 「ウーシア(実体)と呼ばれるのは、(1)単純物体・・また・・これらの諸物体から構成されたものども・・およびこれらの諸部分のことである・・そのわけは、これらが他のいかなる基体(主語)の述語(属性)でもなくて かえって他の事物がこれらの述語であるところの(基体的な)ものどもであるからである」(『形而上学・上』p.175)。「基体」というのは「コトバとしての主語で指し示されたモノ」であろう。

* 「物体・・諸物体から構成されたものども・・およびこれらの諸部分」と、システム論の「(6)ひとつひとつの要素もまたそれぞれシステムである。これをサブシステムという。サブシステムの要素もまたサブシステムをなす。こうしてDNAから社会をへて宇宙にいたるシステムのハイアラーキーができる。」(http://www.socius.jp/lec/04.html)との関係に注意。

「同氏によると、問題は人間が同時にうまく行えるタスクの種類が限られているところにあるという。たとえば、(ほとんどの人は)電話で話をしながら料理をする、あるいはチューイングガムを噛みながら歩くということなら難なくこなせる。しかし、数学の問題を3つ同時に解こうとしても、うまくいかないのだ。  「現代生活の矛盾は、マルチタスクで何かを処理しようとすると、ほとんどの場合に生産性が落ちるということだ」(Russell)」(http://japan.cnet.com/special/story/0,2000050158,20086008-2,00.htm

《共振しつつある宇宙史》

  1. 《共振しつつある世界》《共振しつつある宇宙史》にいたる。
  2. 《共振しつつある宇宙史》《共振しつつある身体》共振しているようだ。《共振しつつある身体》《共振しつつある宇宙史》《思いこみ》噴出する。キョウウ、キョウシン、モーフン。
  3. サブシステムが全体システムと共振する様子は、サブシステム間の共振とは異なる。サブシステム間では情報が直接やりとりされるが、全体システムの《状態》はサブシステム間の情報伝達の《流れの形》として現れる。全体システムの《状態》がサブシステムに直接に情報を伝達することはない。サブシステムが受け取る全体システムの情報とは、他のサブシステムからの情報兆候として推測されるものである。
  4. 全体システムの状態を推測する中枢的なサブシステムがあるとサブシステム−全体システム間の共振の効率が良くなる。(しかし、それの中枢サブシステムの情報収集力や推測力が不完全であれば弊害をもたらす)。
  5. 元気:宇宙根源の気。

「私は「GPLがオープンソースの唯一の定義」と主張した人を見たことはない。 誰も主張していないことを否定するのは詭弁家の戦略である。」(http://japan.linux.com/~matz/diary/20050728.html#p01

2005-08-03(水)

ミラーニューロンのフタを開けると、そこから無数の《他者》のミラニューロンが吹き込んでくる。

  1. 合わせ鏡なのか?

「(プラトンはこう述べた)。ヌース(知的直観)は1で、知識は2で、思いこみは3で、感覚は4である。・・事物は、そのあるものはヌースによって、あるものは知識によって、あるものは思いこみによって、またあるものは感覚によって判定される」(p.13『デ・アニマ』

  1. 「知識」はたけ(tk)の用語なら「コトバ」だな。ヌースは《知りつつあるモノ》
  2. たしかに、普通の感覚ならコトバによって判定される事物がある。たけ(tk)の場合には、「《思いこみ》を棄てる」という方法によっているので、最初にはコトバは出てこない。

命令のコトバから認識のコトバに変化する仕組みは?

  1. 命令のコトバ目的を指し示すコトバからはじまる。
  2. 役に立たないモノ、有害でもないモノ、には名前は必要がない。(有害なモノにはそれを避けるために名前が必要)。命令の目的にならないモノには名前は必要がない。
  3. 認識のコトバは「知れ」という命令の実現のために必要になる。
  4. 名前が必要になるのは、そのモノ《近傍物理空間》の中に存在しないにもかかわらず、《他者》に対してそのモノを指し示す必要が生じたときである。
  5. ヒトの名前は、『こちらに注目してxxせよ』という命令を意味する。名前を呼ぶのは『服従要求』である。
  6. 名前を呼ばれると服従待機状態になる《背後者回路》

「引き蘢りも発狂も自殺も仕方ないだろ。 仕方ないよ、うん。 真理や真実を愛するもの、ならさ。」(http://f49.aaa.livedoor.jp/~think/cgi-bin/bbs.cgi?mode=all&loadno=5297&resp=1&page=

  1. 彼らはもっと子供だ。暴力的な《ヒトの群れ》に怯えて出てこれなくなっているのだ。

分かったら、試したくなる。

  1. 《知った思いこみ》《求める思いこみ》
  2. 若者。老人。
  3. 老人は、分かったら、以前「分かったから試した」ときの疲労感がよみがえる。
  4. 『分かったから試す』子どもたちの《背後者回路》
  5. 『分かったから試す』という《背後者回路》があるので、『悪いこと』を教えないようにする大人たち。の《背後者回路》
  6. 存在と当為の混同。
  7. 子どもたちは、大人たちの社会の状況を、あるべき状態、として認識する。存在は当為である。
  8. 価値評価を含んだ名前(コトバ)。価値評価を含んだコトバで存在を認識することは、当為を暗喩している。「存在に対して評価する」。「xxを評価しない」というコトバは「xxに対してマイナスの評価をする」という意味だな。「彼は人間だ」と言えば「彼はそんなに立派なものじゃない」という回答が返ってくる。
  9. 価値評価を含んだコトバで語るかぎり、彼のすべての言説は当為命題である。
  10. 価値評価を含んだコトバとして聞くかぎり、すべての人の言説は、彼にとって当為命題である。命令であるか、非難である。彼の世界当為(命令のコトバ)だけで成り立っている。
  11. 追従ザル《背後者回路》は、命令のコトバで成り立っている。
  12. 追従ザルの『世界』は、命令のコトバで成り立っている。認識のコトバがない世界。自らを表現するコトバがない世界
  13. ヒトの『世界』は、命令のコトバと名前を持たないモノたちで成り立っている。「コップ」というコトバは「コップに関してxxせよ」という命令なのだ。

死屍累々。

  1. コンピュータの進化は死屍累々。
  2. 種をになったモノは、その後にその種が反映しようが、絶滅しようが、吸収されようが、関係ない。未来の事実は関係ないが未来への予感は、その個体にとって重要である。

《ヒトの群れ》の担い手と、《ヒトの群れ》を見通すモノ

  1. 担い手になるのは疲れる。御輿の担ぎ手と観客。
  2. 担うこと、と、見通すこと。
  3. 担ぎ手は自分がどこに行くかは知らない。というか、興味がない。決めることができない。

「古くからある開発手法による「JavaScriptとダイナミックHTMLを使って非同期にサーバと通信するアプリケーション」が、「Ajax」と命名されたことにより、注目されるようになり、開発側と発注側が共通の認識で開発を進めていけるようになったのだ。」(http://www.atmarkit.co.jp/fwcr/special/ajax01/02.html

  1. 《群れの思いこみ》にとってはコトバ(名前の有無)が決定的に重要である。
  2. コトバは御輿である。

「枯葉の山を作って宝を隠そうとする作戦」(p.303、『消費者法講義』)

  1. 情報隠蔽の作戦。
  2. 目くらまし
  3. 注目点を移動する。目をそらさせる。おとり作戦。論点ずらし。

製造上の欠陥と設計上の欠陥

  1. 《群れの思いこみ》(規範)に欠陥があった場合。

《ヒトの群れ》に《共振しつつある混濁》

  1. ヒトの群れ』は《共振しつつある身体》が感じた《共振しつつある他者》の漠然とした総和である。《思いこみ》である。『世間』に近い、漠たる《思いこみ》である。
  2. 《ヒトの群れ》を体内への噴出として見通す。

『苦』(心にがさ)

  1. にがい←にげたい。快不快法則の《不快》
  2. のく(退く)→のぐ(逃れる)→にぐ(逃げる)→にが(苦い)
  3. N⇔D対応。のく(退く)→どく(退く)、尻+どく→しりぞく(退く)
  4. のく(退く)→よく(避ける)→よこ(横)

「給料アップよりも「夢想」を追い求める中国の技術者たち」(http://www.atmarkit.co.jp/club/print/print.php?url=/fbiz/cstaff/serial/offshore/11/03.html&print_size=

    1. 「例えば、受付のお嬢さんも元女性工員ですが、PowerPointを使いこなして損益の推移をグラフにするなど朝飯前です。このくらい教えておけば、彼女が田舎に帰っても食堂の経営くらいはできるだろう、というのが経営者の思いです。」
    2. 「選抜された従業員に対しては、退職後のことも含めてキャリア形成を考えてやることが重要なのです。これを親身になってまじめに取り組めば、強い企業文化になり得ると思うのです。」
  1. 日本人は《ヒトの群れ》の『和』を求め、《ヒトの群れ》『現実』に追従することを理想とする。群れを移るという発想がない。
  2. 日本人的な移動性のない《ヒトの群れ》に、移動性のある《ヒトの個体》が入ると、文化ギャップが生じる。
  3. 最近の若者は《移動性のあるヒトの個体》のようである。

「姥捨て山」と「姨捨て国」

裁判官にとっては、当事者は「身内」ではない。

  1. 追従ザルボス猿を『身内』だと信じるが、ボス猿追従ザルを『身内』だとは思っていない。という認識ギャップ。

「実は都市伝説であった「猫チン事件」(判例翻訳プロジェクトの解説「アメリカの裁判と判例について」参照)」(http://www.amelia.ne.jp/userProjectCategoryDescript.do?categoryId=1&combinationId=41

  1. プロパガンダは都市伝説を作れば目的達成。
  2. 事実である必要はない。人々が『そういう事実があった』と思いこめば目的達成。
  3. 一つ信じてしまえば、それを補強する別の伝説も信じるようになる。
  4. 猫チン事件も、おそらくは、意図的に流布された可能性もある。おそらく、最初は、『仮の例』として「このxxだと、仮に猫をチンした場合にも責任が認められることになっていしまうではないか」といった言説があり、それを「猫をチンした場合にも責任が認められた」と理解したいヒトがいて、彼が「猫をチンした場合にも責任が認められた」という伝説として広まったのだろう。

2005-08-02(火)

「名著「失敗の本質」の指摘するとおり、組織的な問題構図が共通していることが最大の原因であろう。旧日本軍は、日露戦争の203高地と日本海海戦で勝利したときの戦略(陸軍の「白兵銃剣主義」と海軍の「艦隊決戦主義」)の成功体験が神格化されて、環境の変化(第一次大戦で登場した近代戦)に対応して組織が自己革新する契機を失ってしまった。また、「起きたことは蒸し返しても仕方がない、二度とこのような事態が起きないように・・・」として失敗の分析も反省もないまま、「失敗の蓄積・伝播を組織的に行うリーダーシップもシステムも欠如していた」。まさしく原子力ムラも、旧日本軍と同様に、「自らの行動の結果得た知識を組織的に蓄積しない組織」であるがゆえに、歴史の過ちを繰り返すのである。」(http://www.asyura2.com/0505/bd40/msg/488.html

「在日カナダ人ジャーナリストのベンジャミン・フルフォードの仮説を借りれば、これは法治国家を偽装した「人治国家」であることから来ているのではないか。ただし、フルフォードの言う「人」は、国民の全てではなく、政治家や官僚など一部の、しかも本来なら責任を取って牢獄に入るべき「人」を指す。同氏は、日本の出口のない不況の真の原因は、無能で臆病な権力者たちが、内側ではヤクザと結託し、外側ではただひたすらアメリカに盲従して、国民の資産を食いつぶしているからであるとの鋭い論陣を張っている。すでに400兆円もの国民の資産が失われ(アルベルト・安藤ペンシルバニア大学経済学部教授)、このまま行けば、日本社会は奈落の底に落ちかねないにもかかわらず、そのような無能で臆病な権力者たちがいまだに責任を問われるどころか、のうのうと利益を貪っているのは、同じように臆病で権力と馴れあった大マスコミが真の構造的な原因を追及せず、国民にも知らせず、警察と司法が「法の正義」をまったく果たしていないからだと指摘しているのである。法が機能せず、闇の支配者を含む権力者による非公式の差配でものごとが決まる。法の下の平等も正義も紙に書かれただけのタテマエに過ぎず、法治国家ならぬまさに(泥棒)人治国家となっているのである。」(http://www.asyura2.com/0505/bd40/msg/488.html

モノの背後者は、モノの内部か、脳科学的な《背後者回路》か?

  1. 脳科学的には、《近傍物理空間》に現れたモノの背後者は脳科学的な《背後者回路》である。脳のニューロンの回路であり、その先には身体的な感覚受容器官がある。その先にはモノと身体との共振があり。その先にモノ(狭義の《共振しつつあるモノ》)が在る。
  2. 我々の身体は、生物学的にも見通しを欲している。それゆえに、《共振しつつあるモノ》への見通しを、《近傍物理空間》の中のモノとして、認識するのである。

共振しつつある混濁》

  1. 《混濁》《背後者》《共振しつつある身体》《共振しつつある世界》→《共振しつつある混濁》
  2. 共振しつつある混濁》から分離するモノは、すべて、広義の《共振しつつあるモノ》である。
  3. 共振しつつある混濁》は、《混濁》《背後者》共振する。
  4. 《混濁》共振しつつある。《混濁》は《共振しつつある混濁》である。《混濁》共振しつつあることに気がつく前か、気がついた後かの違いである。《混濁》は背後者との共振によって疑わしきモノ共を現象させるのである。
  5. 共振しつつある近傍物理空間》はこのヒトの身体と共振するばかりではなく、その中の他のモノ共振し、その外のモノとも共振し、最終的には宇宙史と共振する。未来と共振し、過去と共振する。
  6. 《近傍物理空間》は、《見通し》によって得られた《共振しつつある近傍物理空間》の像である。今ここの《知りつつあるモノ》が知りつつある《近傍物理空間》は《共振しつつある近傍物理空間》への《見通し》である。
  7. 共振しつつある混濁》を《知りつつあるモノ》は《共振しつつある混濁》自身である。が、それは《身体》の内部にある、《共振しつつある身体》内部の一部分である。《知りつつある共振しつつあるモノ》である。《知りつつある共振者》である。《知りつつある共振者》は知られつつある《混濁》共振し、《背後者》共振する。
  8. 《背後者》《混濁》とは《知りつつある共振者》を通じて共振する。
  9. 《背後者》《混濁》とが共振するのは《知りつつある共振者》ばかりではなく、《認識限界》の各部分において共振している。
  10. 共振しつつある混濁》は、T君の《自らを閉ざしつつある心》とも共振している。
  11. 共振しつつある混濁》は《思いこみ》とは共振し合えない。《共振しつつある混濁》は《思いこみ》を破壊してしまう。cogito, ergo sumの《思いこみ》も破壊してしまう。コトバ『意味』も破壊してしまう。記号としてのコトバは、破壊できるものではない。

「障碍者は人間?非人間? 障碍者を差別するのは人間的?非人間的? そも そも差別感情は人間的?非人間的?」(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ 乳の詫び状(2005/07/31))

  1. ヒトはサルの子孫である、という意味では人間的である。
  2. ヒトはサルからヒトに成長すべきである、という意味では非人間的である。
  3. 身内の障碍者はいたわるべきモノ、群れの中のよそ者の障碍者は排除すべきモノ、群れの外の障碍者はいじめて楽しむモノ《特別者公理》
  4. 2005-08-03(水):裁判官にとっては、当事者は『身内』ではないのだ。

2005-08-01(月)

http://brotherjin.exblog.jp/2023116/

  1. ここに放り込むのはどうか?

http://blog.goo.ne.jp/zwywz/e/82175f05768c9b5aa25f4ef9bf52b287

    1. 日本神道と靖国
  1. 放り込んじゃった。

http://zwywz.blog14.fc2.com/blog-entry-37.html

    1. 存在と当為と科学信仰
  1. こっちにも、放り込んじゃった。

http://blog.livedoor.jp/gnetcom/archives/7502754.html

    1. 2.ニートの分類
    2.  ニートは英国ブレア政権が使い始めた。義務教育終了後、進学も就職もせず、職業訓練を受けていない若者を指した言葉だった。英国では16〜18歳のニート率が1割に迫る。その事例を研究した独立法人労働政策研究・研修機構副統括研究員の小杉礼子さんは、日本版ニートを次の4タイプに分類している。
      1. 1)ヤンキー(非行)型・・ 反社会的で享楽的。「今が楽しければいい」というタイプ・・ 中卒、高校中退が多い。親も豊かとは言えない。
      2. 2)ひきこもり型・・ 社会との関係を築けず、こもってしまうタイプ・・ 不登校やひきこもりを体験。人間関係を結ぶのが苦手。
      3. 3)立ちすくみ(自己実現追求)型・・ 就職を前に考え込んでしまい、行き詰ってしまうタイプ・・ 大卒に多い。就職活動で自分らしい仕事を考えすぎて立ちすくむ。
      4. 4)つまずき(自信喪失)型・・ いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失したタイプ・・ その後の職探しを躊躇する。
  1. 根本的な問題は、日本社会の希望のなさだと思うな。希望のない社会とは地獄の社会だということだ。攻撃する修羅たちが勝ち誇る社会だ。

http://blog.goo.ne.jp/zwywz/e/9ffcbd5837608939c409b47ff1692468

    1. 稼がないのか稼げないのかそれは人によって差があるだろうが、いずれにしろ自ら「生甲斐」というものを放棄してしまった形になっているのだ。普通の人ならば、仕事や趣味や恋愛に生甲斐を感じるのにも関わらず、それらを放棄してしまってまで社会から孤立した存在になることを選んでいる。
    2. そもそも人間は何かしらの生甲斐がないと生きて行けないものなのだ。社会に出てる人でも、楽しくもない職場と家を往復する毎日なんて現実を前にすれば、逃げ出したい気持ちで一杯になっているはずだ。・・色々要因はあるだろうが、いずれにしろそれに生甲斐を見出せないものは大抵つぶれる。物事に耐え忍ぶことができるのは責任感からではなく生甲斐がそこにあるからなのだ。
    3. それを逃げ出さないでやっていけるというのは、将来に向けて希望があるからなのか、ストレスを発散できる何かを見つけることに成功したのか、それともただ生きるためにやめるわけにはいかないだけなのか、はたまた世間体の手前苦しくても耐えているだけなのか。・・耐え切れるという自分に対する自信、またはそれほどの責務を与えられたことに対する使命感などなどと、自分が「生きて」いるということに対して連想がわくから耐えていけるのだ。根性というものもそういうものがあるから生じることになる。
    4. 今の働かないものは、社会システムそのものに生甲斐を見出せていないのではないだろうか。
    5. 何かで今のニートたちは仙人のようだという意見を聞いたことがあるが、ある意味言いえて妙であると思える。
    6. しかし残念なことに、いくら悟りを開こうともそれを社会システムで活用できなければただの世捨て人であって意味がない。今のこの時期に生を受けてしまった以上、このシステムの中で生きていくほかはないのである。
    7. だが何故そんな世捨て人が増えるに至ったのだろうか。
    8. その理由の一つとして従来まで存在していたレールがなくなってしまったということが挙げられると思われる。
    9. 最近の本屋には「人付き合い」とか「喋り方」とか「考え方」などの啓蒙書の類がかなり多い。これは自分がその組織に合っていないと感じているものが多くなったせいだからだろうが、しかしそれは本来その人の性格が問題というよりは、自分に合いにくい社会枠組みの中にいるからだと思う。
    10. 今の働かないものたちもまた、社会が自分と合わないとわかっている若しくは思い込んでいるからこそ、働くことができないのだろう。そんな自分を自分でも変えなければと思えば思うほど、変えられなくて思考の渦に陥りこむ。そしていずれ諦め、また罪悪感の念と将来に対する不安の念に襲われる。
    11. 自分とはいくらでも変えることができるものだが、今のそういう人たちは自分が変わらないと社会に適応できないという考え方を変えたほうがよっぽど早いはずである。
    12. 世の中には想像を絶するほど非常識な連中がうようよと社会で幅を利かせているわけで、真面目に思い悩むことのできる人たちのほうが遥かに社会的である。
    13. 誰しもが完全な競争社会の中で実力を発揮できるわけではないと思うのは間違いだろうか。また、競争社会を生き抜いた英雄のみしか人権を認められないような世知辛い状況が、資本主義社会の理想系なのだろうか。もしそうだとするなら競走馬の世界と何ら変わらないように思える。一部のレースに使える馬以外はポイです。優良種だけ残ればいいんです。まあそれはそれでいいかもしれんけど・・
    14. にしても社会のゴミだから死んでしまえとか酷いこと書く人が多いねえ。
    15. たぶん「死んでしまえとか」とか書いている人たちは、いわゆる「勝ち組」じゃないでしょう。だから、より自分より下の人を見つけ「あいつらよりはマシ」と優越感に浸る。これは非生産的で、最終的には自分の首を絞める行為なのですが、たぶん自分がその状態にならないと気が付かなのでしょうね・・・。
    16. NEETという言葉は今、一つの差別を表す言葉になっている。
  1. 「レールがなくなってしまった」論は疑問。
  2. 『自分を変えたくない』という気持ちが強いようだったな。環境に適応しているから?自分を憎んでいるから?
  3. 「NEET is beautiful!」

http://blog.goo.ne.jp/kakky5/e/ce076749c2288ebac7f5f9fb82c26991

    1. 「競争は悪とする教育がニート助長」 中山文科相語る
    2. このコメントは問題をすり替えてるだけだと思う。・・なぜニートが増えるのか?それは様々な不安がいっこうに解決できない世の中に諦めている若者が増えている事に原因があると考える。「超氷河期」と言われて久しい就職戦線。やっとの思いで就職しても安定した生活が得られない現実、「絶対大丈夫」と言われた企業の倒産、そして年金問題に代表される将来に対する不安、どれも抜け道が見えないトンネルの中にいる状態の中で、若者は何を目標に何を生きがいにして生きていけばよいのか?その答えを見出せない若者が、ニートという形で現れたと考える。
  1. 何故働かなければならないのか、何故勉強しなければならないのか、科学的に証明してみろ。
  2. 競争社会でしょ、学校は。受験の勝者と敗者に分ける。
  3. 「負け組」が個別化されてしまったのがニート。
  4. ニート議論で思うのは、たけ(tk)が知っているニートの若者は、真面目で、頭がよくて、思慮深くて、おとなしい。ニートでない若者たちは、どこか傲慢で、ちゃらんぽらんで、身勝手な行動をしている。ものを考えるよりは、考えないことを誇りとしているようにみえる。スマートにやり過ごすことを誇りとしているように見える。
  5. 「国家は推計320万人のウツ患者対策やらないとね。」(http://project0.exblog.jp/2343919
  6. うつ病も根っこは同じだろうね。地獄の時代なのだ。
  7. ニート叩きの連中は最悪だね。最低だね。腕力だけのガキが優等生を殴り倒して勝ち誇っているような感じ。
  8. 「近年はニートによる“家族殺し”事件まで頻発しているから事態は深刻だ。」(http://brotherjin.exblog.jp/1775794
  9. ニートは最後には家族殺しか自分殺しに至るだろう。それは必然だ。

http://blog.goo.ne.jp/fountain05/e/2e9078283dd54e045482e40e5dda548e

    1. 私たちが下の世代に「頑張れ、努力せよ」といっても現在の社会ほどそれが説得力ない時代はありません。上の現役世代を見ても、「頑張ったから現在の彼らがある」と説明できないのです。
  1. まあ、自業自得は世の常か。
  2. 地獄を避けたかったら、地獄を避けるような行動をしなければならない。
  3. 地獄でよければ・・ニートでもよい。
  4. 他の人は君を助けられない。君を助けられるのは君だけだ。

http://blog.goo.ne.jp/fountain05/e/2e9078283dd54e045482e40e5dda548e

    1. 「ニート」もともと英国で作られた言葉だそうですね。
    2. 1980年代後半英国病で苦しんだ挙句の英国で出た無職のホームレスの若者たち。
    3. 日本の「ニート」は「パラサイトシングル」が大半ですが18歳を過ぎれば家から出るのが当たり前な英国では「ニート」=「ホームレス」になるそうですね。もともと経済力のない若者も家を出て都会に住みますから働きながら「ルームシェア」が当たり前で。。。それが働かないと「ホームレス」。
    4. つまり英国では「ニート対策」=「ホームレス対策」だったようで。それで経済ビッグバンをやって2000年までに英国の社会構造ががらりと変わり。。。
  1. ということは、とりあえず食べていける→ニートというわけではないのか。
  2. 生きる意味を感じない→生きるために働く意味もない。ということか。多分そうだな。たけ(tk)の経験から言っても・・。
  3. 「五十而知天命」だから、50才までは生きる意味を感じないのが正常なのだ。しかし、なんとなく《ヒトの群れ》の中でもがいていないと、50になっても生きる意味は見つけられないだろう。「五十而知天命」というのは生物学的に言って、50才になると思考回路が変化するということではないのか? 自分より下の若者たちが、なんとなく、自分を上に見てくれるようになる、という年齢。意味もなくボス猿扱いされるようになる年齢。
  4. たけ(tk)なんか、《ヒトの群れ》には参加していたけれど、心はしっかり閉ざしていたもんね。心を閉ざす訓練が必要かも。あ、今の若者はそうなのか。心を閉ざせなかった若者が、ニートになるのか。心の交流を、ついうっかり求めてしまった者が、たたかれて、非難されて、《ヒトの群れ》の中に居ること自体に勇気を失ってしまった時にニートになるのか。救いを《他者》に求めるな、ブッダ《我》の中にある。
  5. ニートよ、頑張ってニートせよ。ニート人類のアダムとなれ。
  6. 2:6:2の法則ねぇ・・。ニート族が団結したら、非ニートの裏切り者が20%は出てくる、ということか・・。

不幸の個別化の《背後者回路》

引きこもりの若者の前では愚かな大人を演じるほかない。

引きこもり《混濁》

  1. 引きこもり《私》、と、引きこもり《他者》とがある。
  2. タバコ仲間の彼(名前を知らぬ)もニートになりそうだな。金曜日で退職したらしい。金曜日に会った時に、もう少し話をすればよかった・・。1年3ヶ月勤めていたらしい。
  3. 不幸の個別化。
  4. 何やかにや言っても、たけ(tk)は、ニートであったことはないね。お坊ちゃんだから。お坊ちゃんが、3年間、お遊びでトラックの運転手をやって、1年間予備校に通って、大学後も、なんとなく予備校に通って、なんとなく就職して、なんとなく働き続けているもんね。いつ首になるか分からないし、首になったらニートになるだろうな、というか、なりたいな、と思っているだけ。
  5. お坊ちゃんとか、やる気がない、とか言われながら、それでも、刺激は一杯あったものね。夜中は引きこもりだが、昼間は、異様であれ何であれ、刺激を受けていたもんね。刺激がない状態で、何年も過ごすとどうなるか、が分からないね。人格的に崩壊するんじゃないかな。たけ(tk)は、人格崩壊肯定論だが、人に迷惑をかけるような人格崩壊ではまずいよね。人格崩壊って、そういうモノだが・・。
  6. 居直っちゃえよ。あ、居直っているのか。

ヒトの群れの意思表示システム》と《混濁》

  1. ヒトの群れの意思表示システム》とは、群れの中のヒトの個体が意思表示をすると、その意思内容が《群れの思いこみ》として認められ、彼を拘束し、違反に対しては何らかの制裁(《ヒトの群れの制裁システム》)が加えられ、他の個体は、彼がその表示内容に従った行動をすることを期待することが許される、というシステム。
  2. 《ヒトの群れ》は《ヒトの群れの意思表示システム》だけで動いているものではない。というより、新たに加わった回路である。
  3. ヒトの群れの意思表示システム》は予見可能性を与える。群れの未来の状態に関する予見性を与える技術。
  4. ヒトの群れの意思表示システム》は《ヒトの群れ》のミクロ的原理である。(vs.マクロ経済)。
  5. 仁義礼智信の「信」のシステム。言ったことは行うべし、という当為のシステム。「泥棒をする」と宣言したら、実際に泥棒するのが「信」。

科学信仰《混濁》

  1. 科学当為を否定する。当為は「不存在」である。当為の存在は証明不可能である。なぜなら、「なすべきこと」は「いまだなされていないこと」だからである。
  2. 科学信仰は存在と当為の混同を生む。
  3. 科学は存在しか解明しない。科学信仰は、『存在=当為』信仰である。
  4. 当為の精密科学が必要。当為のアトムを抽出するなり、どうにかすべき。
  5. 問題は、当為の要素が、ヒトによって異なる??かもしれない、ということ。
  6. 《求める思いこみ》《知った思いこみ》《知った思いこみ》科学進化した。《求める思いこみ》科学も必要なのだ。
  7. 科学信仰は、現代社会の問題の根本にあるカルトなのかもしれない。

《群れの求める思いこみ》と《混濁》

  1. 仕事場にしばらくいると、《ヒトの群れ》《求める思いこみ》を感じる。
  2. 他者の《求める思いこみ》は不可直観的だが、《群れの求める思いこみ》は直接知が可能? 
  3. 《求める思いこみ》体内感覚において、直接知が可能。《群れの求める思いこみ》は群れの体内感覚において、直接知が可能?
  4. ヒトの群れの求める思いこみ》、《群れの求める思いこみ》。
  5. 《混濁》共振状態。《ヒトの群れ》と《共振しつつある混濁》。何か外部のモノと《共振しつつある混濁》。《混濁》《背後者回路》《背後者》と《共振しつつある混濁》。《共振しつつある混濁》。
  6. 《群れの求める思いこみ》への見通しにおいては、他者の出現は《群れの求める思いこみ》の噴出となる。
  7. 《群れの求める思いこみ》は《世界の求める思いこみ》である。
  8. 《群れの求める思いこみ》は《知られつつある混濁の背後者の求める思いこみ》である。

プログラミングとは空想力の持続である。

  1. たけ(tk)は空想力が失ってしまったようだ・・。
  2. 空想力は生きつつあるモノ噴出である。
  3. プログラミングは目的的空想である。目的合理的な空想である。
  4. 目的は生きつつあるモノ噴出である。
  5. プログラムは生きつつあるモノ噴出である。
  6. プログラムは宇宙史の噴出である。宇宙史の背後者の噴出である。
  7. 目的的空想を維持するためにコトバを唱えつづけること。
  8. 空想力の持続の《背後者回路》目的状態の維持。
  9. 目的状態の維持の《背後者回路》目的因(結果因)、状態因(内部因、質料因)。vs.起動因、関係因(外部因、形相因)。目的因は状態因に付着することによってはじめて原因となりうる。関係因、過去因も同じである。
  10. 目的合理的な空想力をもつヒトと、ヒトは「賢い」と言うらしい。

《他者の無明》と《混濁》。2005-08-01(月)

  1. 基本的に、ヒトが作ったプログラムは不愉快だ。
  2. 必然性がないんだ。ヒトの作ったプログラムには。「それが、そうである必然性」が無い。作者の主観的必然性に納得がいかない。
  3. 他人のプログラムの不愉快さは、法律に対する不愉快さの100倍くらい不愉快だ。
  4. 法律には多人数が関与している。関与した人数に反比例して不愉快さが減る。
  5. 理論的に整理されると、無明が減る。
  6. 『不愉快さ』をたどっていくと《他者の無明》にたどりつく。
  7. 無明=《体内感覚世界》において見通しを阻害するモノ
  8. 《他者の無明》は、他者を説得して、一つ一つ取り除いていかなければならない。
  9. 《他者の無明》は、別の無明への執着に基づいている場合がある。別の無明への執着のゆえに説得を拒否することがある。
Last modified:2005/09/25 02:24:42
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