FrontPage  Index  Search  Changes  wikifarm  Login

ゴミ箱2005-05

2005-05-30(月)

タコミセ・モフン(《他者の思いこみ》世界《思いこみ》噴出): 《私》が知りえた《他者の思いこみ》たちをすべて噴出せよ。 《他者の思いこみ》世界無限遠点を見通すこと。

キガナベ・モフン(近傍物理空間の外部のモノたちのなすべきことの《思いこみ》噴出): その気になって眺めてみると、みんな、頑張っている。 噴出させると、近傍外世界無限遠点と思われる面はタール状の壁となっており、その先は、《私の身体》のイメージに繋がる。同じモノなのか(《背後者》である《私の身体》が《近傍物理空間》を取り囲む球状になっているのか)、別のものなのか、鏡像なのか。とりあえず《私の身体2》と名づけておこう。

現実感覚と《思いこみ》世界との無限循環。現実感覚の先に《思いこみ》世界が広がり、その《思いこみ》世界の先には現実感覚の世界が広がる。《思いこみ》世界を維持する緊張が続かないということかもしれない。

2005-05-29(日)

14人て誰だろう?: 『(7)そのうち靖国神社に合祀(昭和五十四年四月十九日)されているのは十四名である。  内訳は、絞首刑七名(東條、板垣、土肥原、松井、木村、武藤、広田)、未決中獄死二名(松岡、永野)、服役中獄死五名(白鳥、東郷、小磯、平沼、梅津)。』 (http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/sonota/yasukuni-iwata.html) (http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tokyosaibann.htm)から拾うと、

土肥原賢二絞首刑31年関東軍司令部付奉天特務機関長として関東軍の政治謀略に実行役として辣腕を振るう、37年第14師団長、39年第5軍(満州東部)司令官、40年軍事参議官、41年大将(航空総監)、44年第7方面(シンガポール)軍司令官、44年45年教育総監、第12方面軍司令官兼第1総軍司令官
平沼騏一郎終身禁錮刑検事総長、大審院院長、第2次山本内閣司法相、24年国本〈こくほん〉社を創設、36年枢密院議長、39年首相、第2次近衛内閣内務相、第3次近衛内閣の国務相、45年再度枢密院議長⇒52年8月病気のため仮出所直後に死亡
広田弘毅絞首刑30年駐ソ大使、斎藤・岡田内閣外相としてワシントン軍縮条約の破棄を決定。中国政府に広田三原則(排日取締・満州国証人・共同防共)提示、36年首相、第1次近衛内閣外相(「国民政府を相手とせず」との声明を出す)、45年駐ソ大使(和平仲介に失敗)、南京大虐殺事件の外交責任を問われ、文官としてただ1人絞首刑
白鳥敏夫終身禁錮刑30年外務省情報部長、国連脱退など軍部と連携して強硬外交を推進、38年駐伊大使、在独大使の大島と組んで日独伊三国同盟の推進を図る。40年外務省顧問となり松岡洋右のブレーンとなる。大政翼賛会総務になり42年衆議院議員⇒49年6月獄中で死亡
東郷茂徳禁錮20年37年駐独大使、38年駐ソ大使、41年東条内閣外相兼拓相、42年大東亜省設置問題で東条と対立辞任、45年鈴木内閣外相(終戦工作に従事、大東亜相⇒48年11月拘禁中のアメリカ陸軍病院で死亡
板垣征四郎絞首刑関東軍高級参謀、関東軍参謀長(満州事変の責任者)、第1次近衛内閣・平沼内閣陸相、支那派遣軍総参謀長、朝鮮軍司令官
木村兵太郎絞首刑関東軍参謀長、近衛・東条内閣陸軍次官、ビルマ方面軍司令官
小磯国昭終身禁錮刑30年陸軍省軍務局長、宇垣一成の腹心として三月事件、32年陸軍次官、35年朝鮮軍司令官、39年平沼内閣・40年米内内閣拓務相、44年首相(東条退陣後の総理大臣)、45年4月、米軍の沖縄本島上陸を機に辞任⇒50年11月獄中で死亡
松井石根絞首刑日露戦争に歩兵大尉として従軍(戦傷)、21年ハルピン特務機関長、25年参謀本部第2部長、33年大将、同年大東亜協会創設(主宰)、37年中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官、38年復員帰国、同年内閣参議、大政翼賛会興連総本部統理⇒東京裁判で38の訴因を持って起訴され、南京大虐殺の責任者として断罪される
松岡洋右裁判中に死亡外交官から政友会代議士(後に副総裁)、「満蒙〈まんもう=中国の満州と内蒙古〉生命線」を唱えて幣原外交を攻撃、33年国際連盟臨時会議首席代表(満州国を否認する「リットン報告書」の採択に抗議して退場⇒同年3月国連脱退)、35年南満鉄道総裁、40年第2次近衛内閣内閣外相、41年訪独の帰途に「日ソ中立条約」をまとめる。侵略戦争を主張した『昭和維新』の著者で反米・親独外交を展開⇒46年6月東大病院で裁判中に死亡
武藤章絞首刑陸軍大学教官、参謀本部課長、陸軍省軍務局長、山下大将の下で在フィリピン第14方面軍参謀長
永野修身裁判中に死亡36年広田内閣海相、37年連合艦隊司令長官、41年軍令部総長、日米開戦では早期艦船論を展開、山本五十六を支持して部内で反対が強かった真珠湾奇襲攻撃を承認、43年元帥⇒裁判中の47年に死亡
東条英機絞首刑関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、第2次近衛内閣・第3次近衛内閣陸軍次官、陸相、首相、参謀総長
梅津美治郎終身禁錮刑支那駐屯軍司令官、広田・林および近衛内閣陸軍次官、関東軍司令官(総司令官)、参謀総長(日本陸軍最後の参謀総長として降伏文書に調印)⇒獄中で死亡

靖国神社の主張って、ためにする議論だから、話にならない。にもかかわらず、信じているヒトが多い。困ったモノだ。 「サンフランシスコ条約にいわゆるA級戦犯の靖国合祀を禁止すると書かれていなかったことが、合祀運動の余地を残すことになった。」(http://www.marino.ne.jp/~rendaico/daitoasenso/sengodemocracy_yasukuni._goshimondai.htm)一宗教法人が誰を祭ろうが国家間の条約の問題ではありえないだろう。政教分離が問題であり、政教分離が維持されているかぎりは問題にならない。が、首相が公式参拝するようになれば、国家の問題として、誰が祭られているかが問題となる、国家の首長がA級戦犯を祭る宗教団体に公式に参拝するとなれば話は別。国家の条約順守の問題だ。水に流すわけにはいかない、国内的には水に流しても、国家間の約束である条約は水に流れない。 『占領終了後の靖国神社の合祀は、国や都道府県と靖国神社との共同作業で行われた。つまり、「戦犯」の合祀は政府の主導で行ってきたと言っても過言ではない。まだ不明な点が残っているが、いずれにしても当時の政府・厚生省が決定したというのは、まちがいない事実のようである。  「1967年10月、靖国神社は、東条英機元首相ら東京裁判のA級戦犯14人を『昭和殉難者』として遺族にも知らせず合祀」した。』(同上)。(1967年)当時の政府・厚生省は、はなから、条約を順守するつもりはなかったらしい。政教分離も頭になかったらしい。『 「1985.8.15日の中曽根康弘首相による戦後初めての公式参拝の際、中国政府はA級戦犯合祀の事実を問題視して反発し、翌年から首相参拝は中断した。』(同上)。中曽根は、一応問題を分かっていたんだね。 たけ(tk)思うに、「相手の気持ちを考えて行動する」というのは「隣国の国民の気持ちを考えて行動する」ということである。靖国の論理は「相手(旧敵)の気持ちの気持ち」を一慮だにしない非日本的な道義観である。政治家が靖国に参拝して、そのような非日本的な道義観で外交問題に臨むことが最も危険なことであると考える。

ナベコ・モフン(なすべきことの《思いこみ》噴出): 下後方に発展するな。巨大なラード上の玉がいくつも現れる。

キガセ・モフン: 未来への無限遠点、過去への無限遠点を見通すと、《私》の出生から死亡までの《身体》の筒と《近傍物理空間》の筒とが見えてくる。それが宇宙史の中での《私》の全てだ。《私》ヒトから生まれ、ヒトを生む。しかし、《私》は4次元の筒でしかない。宇宙史から《私》に戻る。《私の身体》に戻る。 《他者》もまた4次元の筒である。《私》《他者》との関係の中にある。《私》《他者の思いこみ》を知り、《私の思いこみ》は《他者》動かす

2005-05-28(土)

ポアンカレの円板モデル(http://www1.kcn.ne.jp/~iittoo/jp1_inscr.htm、目次:http://www1.kcn.ne.jp/~iittoo/japanese.htm#chapters)まあ、球は扱いにくいから円にしちゃえということ。「その中では、直線が黒い無限遠の円周に直交する円弧になります。」ふむ、そのようになるように円に変換する、ということだな。円周に直交するというのが肝だな。 ユークリッド空間を球に射影して、その球を更にポアンカレ円板に射影する。 ユークリッド空間を球に射影して、その球を更にポアンカレ円板に射影する。 「 双曲的非ユークリッドの世界のモデルには、ポアンカレの円板、クラインの円板、半球モデル、上半平面、双曲面モデル、二元グラフ、ベルトラミーの擬球などという、いくつもあります。 しかし、円板モデルだけが、双曲的非ユークリッドの世界(平面)を一望できるものです。」(http://www1.kcn.ne.jp/~iittoo/jp3_poinc.htm)。「ポアンカレの円板では、直線は円板の周(無限遠の円周)と直交する円弧(赤色)で描かれますが、クラインの円板では、直線は、やはり直線(緑色)になります。」へー、そんな風にも変換できるのか。

というのはよいが、《我》世界は球状なのだ。 《我》は空間を、虚球の中心を無限遠点とする、距離の逆数で配置された充足した球として世界を認識しているのかもしれない。

無限遠点無限遠点までを浄化するには、無限に《浄化》を繰り返せばよい。無限に《浄化》を繰り返すと、無限遠点まで浄化される、のだか、そのうちに無限遠点の先があることに気がつく。偽の無限遠点だったのだ。よって、偽の無限遠点の先の無限遠点への《浄化》を無限に繰り返せばよい。偽の無限遠点の先にある無限遠点への《浄化》を無限に繰り返せば、少なくとも「偽の無限遠点ではない無限遠点」までたどりつく。

無限に繰り返す、というのは、『無限に繰り返す』と念じた状態を維持すればよい。なんで、それでよいのか? 時間とか無限とか永遠とかも結局は《思いこみ》だということか?

キガセ・モフン: 近傍外世界は混濁している。無意識の記憶世界のようだ。 いろいろな記憶がよみがえる。 正面にあるのは、鏡の記憶か?《我》の鏡像であり、他者であり、神である。

他者の痛みは、本当に感じられないか? たしかに、自分の《身体》の痛みと同様には感じることはできない。が、・・。《身体》レベルでの共振関係において、《他者の身体》の痛みも、感じることができる。他者の痛みを知ることができる。コトバによる報告によってではない。《他者の身体》の無自覚的な動きによって《私》《他者の身体》の内部の痛みを知ることができる。他者が苦しんでいることは分かるのだ。誤解かもしれないが・・。《私の身体》の痛みも、実は、誤解かもしれないのだ。気の持ちようによって、《私の身体》の痛みは、感じなくなってしまう。気の持ちようによって、《他者の身体》の痛みを感じることができる。

夢遊病者、集団夢遊病: 「全てが憶測に終始していて、その憶測に基いて、結論を出し、さらに、xxさんの心の中にしかないことを、他人に、証明させようとしています。これを、「夢遊病」と呼んでいるのです」(http://www.asyura2.com/0505/asia1/msg/484.html《思いこみ》の異なる他者が存在することを否認して、《私》《思いこみ》が他者にもそのまま通用するという前提で行動する人々。単に、小人養いがたし、ということかもしれない。言霊信仰かもしれない。小人民主主義というのが問題か? え?小人君主主義も問題、小人官僚主義も問題、小人貴族主義も問題。要するに小人政治の問題。賢人君主主義、賢人民主主義が必要。

形而上学: 『τα μετα τα φυσικα , "ta meta ta physika"』 (自然(についての)書の後(に続く書))。・・『形而上学(自然学後書)』Metaphysics。・・『易経』繋辞上伝の“形而上者謂之道、形而下者謂之器”(形よりして上なる者これを道と謂い、形よりして下なる者これを器と謂う)。(http://ja.wikipedia.org/wiki/形而上学)。

  1. アリストテレス
    1. 実体(ウーシア)
    2. 形相(エイドス)- 現実態(エネルゲイア)- エンテレケイア
    3. 質料(ヒュレー)- 可能態(デュナミス)
    4. 原因説 - 形相因 - 質料因 - 作用因 - 目的
    5. 基体(ヒュポケイメノン)
    6. 本性 - 本質
    7. 類 - 種
  2. カテゴリ

後自然学。超自然学。超現象学。 形而上学は、形而下のヒト《思いこみ》に過ぎない。 形而上学は、《思いこみ》学である。近傍外世界学である。 自然は六境である、か? 形相といっても、視覚世界(色境)に捕われ過ぎてはいまいか? 味の形、臭いの形と視覚の形とではかなり違う。梅干しの形とは何か?

相互包含、《思いこみ》《モノの世界》との相互包含: 間接的な自己言及関係。

異物排除は生命体の健康維持の仕組みであり、免疫システムである。

A級戦犯問題。サンフランシスコ講和条約のことは水に流してしまったのだ。

2005-05-27(金)

形而下・形而上: 物質世界を越えた世界。近傍外世界、六境外世界。 形而上の世界なんて、《思いこみ》の他には無いのではないか? つまり形而上学というのは《思いこみ》世界についての学問なのだ。

http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2005_14453/slides/02/26.html 脳システム

海馬(認知記憶扁桃核(価値判断)視床下部(情動、行動)
脳幹(睡眠・覚醒)大脳新皮質(思考)帯状回(動機づけ)
大脳基底核(安定化)視床(意識、感覚、脳波)小脳(思考モデル)

「ヨーロッパにおいて中世まで続いていた音読の習慣が、如何にして近世の黙読というかたちに変わったのか」(http://pub.maruzen.co.jp/videosoft/shop/1122430.html)。 黙読が、昔のヒトにとっては驚異的な能力だったらしい。黙考も同様だろう。

「毎晩、父がおもしろく読んでくれるのを、母は針仕事を、姉は編物をしながら、家内じゅうで聞いた」(注3)という家族団欒の図が明治初年にはあった。・・元来、小説の文章は「誦読の際読者に快楽を与ふる」ものでなければならないという認識が前提にあった。(http://www.geocities.com/Tokyo/7830/kouen2002_sugawara.html)。

キガセ・モフン(近傍外世界の思いこみの噴出): 近傍物理空間と六処世界とは似ている。

  1. http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/kusharon.htm
  2. (3)十八界(じゅうはちかい)
  3. 上記の六根と六処、感覚機関と対象現象に認識の主観を組み合わせたモノ
  4. 眼識(げんしき) 眼根を拠り所として色境を認識
  5. 耳識(にしき) 耳根を拠り所として声境を認識
  6. 鼻識(びしき) 鼻根を拠り所として香境を認識
  7. 舌識(ぜっしき) 舌根を拠り所として味境を認識
  8. 身識(しんしき) 身根を拠り所として触境を認識
  9. 意識(いしき) 意根を拠り所として法境を認識

六識界、六境。 http://www.cam.hi-ho.ne.jp/h_sakamoto/thought/thought.htm

現実の存在を構成するものは、我々の認識や行動の成立する意識主体側の領域として六根と、それに対応する対象側の領域として六境の合わせて十二処である。六根と六境はそれぞれが対応し合って、それぞれに対応する六識が生ずる。六根と六境と六識を合わせて十八界と称する。

「法境」の「法」というのはたけ(tk)の用語で言えば、《思いこみ》だな。で、「意根」は体内感覚のようだ。 《近傍物理空間》は感覚器官によって認識される。感覚器官には6種類あり、5種類は体外感覚、一つは体内感覚体内感覚は身体的な痛みや《思いこみ》を感じる。体内感覚は空間定位が曖昧なので、物理空間の存在を越えてしまうことができる。しかし、実際には《身体》内部への感覚である。 近傍外世界《思いこみ》噴出は6境の《認識限界》の先の世界からの噴出である。

《他者の身体》の内部への感覚は、体内感覚のようだ。《思いこみ》だという意味ではなく、《私の身体》の内部への感覚と同様の経路をたどって感じられる。《私の身体》の内部への感覚も、結局、《身体》噴出する《思いこみ》噴出させることによって、認識している。《我》にとっては《私の身体》も《我》ならざるモノでしかない。《我》が求めれば、《私の身体》であろうが《他者の身体》であろうが、動くのである。

2005-05-26(木)

日本人てぇのは宣伝が下手だね。日本語で書くと情緒的になってしまう。情緒的に宣伝するのは、みっともないもんね。 英語の宣伝文は、淡々と説明する感じ。 日本語でも、自動翻訳で英語になるような日本語を書く練習をすれば、日本人の情報提供能力は高まるだろう。学校教育での日本語教育への不満でした。日本語で論文を書くための教育をせよ。日本法の翻訳プロジェクトなんてのが、遅々として、進まない(進むのか?)。

* 2005-05-27(金):そもそも、他人を説得するのは面倒くさいことだな。日本人は何のために喋るのだろうか、少なくとも、説得するためじゃない。共感を得るため?

宣伝しないし、協力しないね。ボスに忠誠を尽くすか、仲間をけなすかの二通りしかない。

原理に疑問を感じても、新しい原理の提案をしない。ふむ。上位の原理の実現のための下位の原理の提案はするか。要するに、規定原理のレベルの問題か?。ボスが提案した原理が規定原理となり、それをくつがえすような原理の提案は禁止される。日本人の原理創造能力はどんどん下位の細かい原理になってしまう。

キガセ・モフン(近傍外世界の思いこみの噴出): 上方からの噴出、下方からの噴出、前方からの、後方からの、左方からの、右方からの、未来からの、過去からの噴出

体内感覚における他者とのモノ的交流。 エレクトラコンプレックス。父親を敬愛する娘は、体内における父親のイメージと交流するために、理性的に振る舞おうとする。

神の名を呼んではいけない、というのは賢明な教訓かもしれない。 神はモノ世界そのものだから、コトバにしては、認識が曇るのである。

2005-05-26(木)

ブッダは何故にコトバを批判しなかったのか? おそらく、「コトバ」を指し示すコトバが無かったのだ。 「名色」というコトバは、中国語に翻訳するときに「名(コトバ)」と「色(物質)」を合成した熟語に翻訳された。「ルーパ:色。物質。外界。形。」(http://yoga.kayac.com/dictionary/sansqrit.html)かな?「名前」に相当するサンスクリットがこのページには書いてない。「ヴァーチ:言葉。言葉の神。」というのはあるな。 (http://www.miaofa.com/DicoM.html)だと「myo shiki (noms et forme, 名色, ming se, nama ruppa)」。(http://bookgb.bfnn.org/books/0870.htm)でも「名色(梵語nama-rupa)」。ということは、名前「nama」という言葉があるのか。

* 「名前」(なまえ)という日本語の語源はサンスクリットの「nama」かも。というのは、「名」(な)だけで日本語で英語のnameの意味を表わしているのに、なぜ、「前」がつくのか、日本語的な説明が出来なかったからだ。

人々は何故にコトバの呪縛から逃れないのか? それは、彼らがヒトだからだ。 コトバに呪縛されることは、彼らにとって、種族維持的価値を有する行動様式だからだ。

《我》世界においては、射影幾何世界が正しく、ユークリッド幾何は知ることができない。 《我》世界においては、天動説が正しく、地動説の世界は知ることができない。 《我》世界においては、数字が道を歩くことはない。

キガセ・モフン(近傍外世界の思いこみの噴出): 世界が小さく見える。 近傍外世界は一つのモノかもしれない(多数のモノたちではなく)。

2005-05-24(火)

生命は偶然の産物か、神の意思の産物か、(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/au4.html)。偶然でしょ。偶然だか、何百億もの試行の中で可能なあり方が発生するのは必然である。

『1828年に行われたヴェーラーの尿素合成実験の結果、 有機物の合成自体には「生気」なんて物は必要ないということが分かったのです。 生命と非生命を分けるものは、構成する物質ではない 「生気説」の否定です。』(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/daida.html)。物質と生気とは別のものである。ということが、生気論の否定に繋がるのか?世界には物質しかない、から、というのであれば、その段階で生気を否定していることになる。エネルギーは? 波は?

「なぜ、人間は「フレーム問題」が発生しないのか?」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/frame.html)。人間は、最初は、一つの判断基準しかないからさ。そして、徐々に複雑な条件に対応していくようになる。その場合も、必要最小限の判断基準を追加していくからさ。『たいていの場合、自分や他人に鈍感で「視野の狭い」人間は、快適に生きられる。』(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/frame2.html)わかってらしゃった。

自分の妄想を非難する人々: レッテル貼りで非難する人々。 妄想だが、暴力的だから、恐い。 小人養いがたし、とも言う。 言霊思想というのは、残念ながら、典型的な小人的発想だ。 コトバの正体を見ぬくことが出来ない者は、コトバに脅える。小心者。

法と欲望の権力闘争: 法が欲望をコントロールするか、欲望が法を支配するかの闘争:。 今年の商法改正を見ても、金の亡者が法を支配する傾向がある。しかし、いずれ、「それではうまくいかない」ので、法のコントロールのほうが勝利するのではないか。 もっとも、企業が国家の枠を越えた治外法権的な存在になると、法的規制が困難になる。 もっとも、企業が国境を越える前提条件は、石油が安いことだ。輸送コストが高くなれば企業は地域に留まらざるをえない。どうなるやら?

http://www.asyura2.com/0502/senkyo9/msg/689.html)。政教分離は厳格に貫いたほうがよいな。伊勢神宮も、公的参拝は不可だ。 公明党の問題。宗教団体は政治活動を行うことを禁止されている、と見るべき。 「いかなる宗教団体も、政治上の権力を行使してはならない」。 宗教団体は政党を持つことや、政党に対して影響力を行使することも、政治的発言をつる子とも禁止されていると見るべき。 問題は、宗教と政治思想との関係かも。共産党も宗教団体みたいなモノ? 問題は、信徒が事実上政治を支配するという場合。

2005-05-23(月)

『東京三菱銀行の例では、静脈パターンの情報はクレジット カードに内蔵されたICカードにのみ記録し、銀行内のコンピューターには一切記録しないことで、情報漏洩のリ スクを減らしています。 』(http://www.tdk.co.jp/techmag/knowledge/200411/)ということは、生体情報をカードに書き込めれば、なりすましが可能。

『一般に、生体識別技術の対応課題は以下の通りである。 (1)識別精度の向上 1)指紋識別の精度は、FRR(本人排斥率)0.1%程度:1,000人に1人、FAR(他人誤認率)0.001%程度:10万人に1人。 2)その他は、指紋識別に比し100分の1程度。 3)複数識別技術の併用による精度向上。 (2)装置のコスト低減 1)指紋や声紋、眼紋などは安価な専用の識別装置が開発されつつある。 2)顔紋については既製のスキャナやデジカメ等を識別装置として使える。 (3)標準化 1)金融業や政府機関等団体で、個別の検討課題として研究が進められているが、国際規格を制定する動きはない。今のところ「自由な技術開発と特許出願による競争」下に置かれており、民需による課題への対応。 2) デファクト標準の不在。』 (http://e-japan.unisys.co.jp/tech/paper/10_biometrix.html

不合理な制度: 登記識別情報。盗み見られたら、アウト。本人は気がつかない内に登記を変更されてしまう。「他人に見られないことが前提」などというのはナンセンス。「他人に見られない」ためには、貰ったら直ちに裁断して焼却するのがよい。 同一性識別のためには生体識別しかない。でも、10代の時の生体識別情報は、70才になっても有効なのだろうか? 生体識別は、非常に危険である。ということにも注意。 村社会、小さな共同体においては、こういう必要はなかったのだよね。顔を見れば一目瞭然。顔を見ても相手が分からない社会になっているのだ。

憎しみを叫ぶ人々: 右翼っていうのは、憎しみを叫ぶ人々なんだね。

2005-05-22(日)

必要なのはコトバによる知識ではない、《私》の目による見通しなのだ。

一番バカな人間は、分子や原子がほんとうに『ある』と思っている。 中くらいの頭の人間は、分子や原子は『概念』だと考えている。 利口な人間は、分子や原子をたんなる『約束』だと信じているのである。 都筑卓司(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/meigen2.html

ポパー:科学理論とは、 『うるせぇんだよ!とにかくこれは絶対に正しいんだよ!』 という人間の<決断>によって成り立っており、 そのような思い込みによってしか成り立たないのだ。 (http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/t7.html)。「観察によって、ある理論を間違っているということは、  誰にも有無を言わさず確実にできる」 という反証主義の主張は、ウソぱっちなのである。(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/t6.html

パルメニデス:「「決して変化しない元素」が 「愛(引力)」や「憎(斥力)」によって、「結合・分離」する」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/s7.html

世界は神が創ったものでもなければ、誰が創ったものでもない。  世界とは、ロゴス(法則)によって決まったぶんだけ燃え……  ロゴス(法則)によって決まったぶんだけ消える……  永遠に変化しつづける『生きる火』なのだ。」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/s5.html)ヘラクレイトスのロゴス、は、モノ世界に内在する法則性のようだ。

このようにパルメニデスは、理性的論理的な思考を続け、 「あるものは永遠にあり、ないものは永遠にない」 「無からは何も生まれない」 「AはAであり、A以外のものにはならない」 などの、ごく真っ当な論理的哲学を打ち立てた。 だから、ヘラクレイトスの「万物が変化する」という意見は、感覚に頼れば正しいが、 理性的に考えれば、「無からモノが生じたり、リンゴがメロンに変化する」のと同じくらい ナンセンスなものだとなる。(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/s6.html

「一個の電子」というコトバで指し示されたモノを我々は知っているのか?

『「微視的運動では『時間の矢』の向きが読みとれないのに  それから構成される巨視的現象では、『時間の矢』が読み取れるということを  どう説明すればよいか」』(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/jikan2.html

『「その現象の説明として、ツジツマの合う理論はひとつだけではない」のだ。 たとえば、コペンハーゲン解釈、多世界解釈、パイロット解釈。 どれもすべて、ツジツマは合っている。 というより、「ツジツマが合うように考え出された仮説(物語)」なのだから、 ツジツマがあうのは当然である。 「多世界があると仮定する多世界解釈」がツジツマが合うのは当然であるし、 「パイロット波があると仮定するパイロット解釈」がツジツマが合うのは当然である。 もともと、どの解釈もツジツマを合わせて作っているんだから、 「ツジツマが合うかどうか?理論として矛盾がないかどうか?」を基準にして、 「どれが正しいのか」を判断することはできない。 さぁ、困ったことになってきた。 一体、どうやって、どの理論が正しいかを判断すれば良いのか? 結論を言えば、そんなの無理である。 「理論としてツジツマが合っているかどうかは基準にならない」のだから、 どんなに議論を重ねたって無駄だし、 「観測して確かめられない」のだから、どんなに実験をやっても無駄である。 結局のところ、どんなにがんばろうが、 「確かめようがないものは、確かめようがない」のである。』(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kaisyaku.html)。パイロット解釈は有望かも。たぶん、天動説なのだ。固定してはいけないパラメータを暗黙のうちに固定しているのだ。

『1)ミクロの粒子(電子)が、移動するまえに「波」を出す。 2)粒子は、その「波」に乗って、移動する。 ここで、この「波」は、「パイロットのように粒子を導く波」ということから、 「パイロット波」とか「ガイドウェーブ」と名づけられ、 このツジツマ合わせの説明を「パイロット解釈」と呼ぶ。 実は、こんなふうに考えても、2重スリット実験は説明できてしまうのだ。』(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/pilot1.html)・・『パイロット解釈の方程式とは、簡単に言えば、 「波が粒子に力を加えて、粒子の軌道を変えるような方程式」なのだが、 この方程式がメチャクチャ複雑で面倒くさいのだ。・・コペンハーゲン解釈だろうと、パイロット解釈だろうと、多世界解釈だろうと、 観測によって証明できない以上は、どっちも同じレベルの仮説(ヨタ話)にすぎない。』(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/pilot2.html

「その状態を確定させる要因が、  量子力学、つまり物理学のどこにもない・・ 『人間』が観測したときにだけ、猫の状態は決まっているんだ。いいか!『人間』が観測したときだけだ!」「ま、まさか、ノイマン!」「そう。人間の『ココロ』が、『多重に存在していた猫の状態』を決めたんだ!」」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/syuFrame.html)「人間も含めて、すべての物質(宇宙)も 「あらゆる可能性が重なり合った波のような存在」と考えることができる。」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/tasekai1.html)「多世界解釈では、あくまで、宇宙全体が、 「巨大な可能性の波(=ひとつのシュレディンガー方程式)」であると考えている。」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/tasekai2.html)『結局のところ、コペンハーゲン解釈の 「電子が位置Aにある、電子が位置Bにある、が重なって存在する」 というのを、多世界解釈では、 「電子を位置Aで観測する私がいる、電子を位置Bで観測する私がいる、  が重なって存在する」 という言い方に換えただけなのだから、 量子力学のシュレディンガー方程式の形は、何も変わらないのである。』(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/tasekai5.html

2005-05-21(土)

「電子は、見ているときは粒子だが、見ていないときは粒子ではない」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/slit7.html)。うぎゃー。

ビバ!東洋哲学!(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/mondai2.html)。そのおかげで科学が発展しなかった。が、政治哲学は、西洋よりもましなのではないか?でもないか、社会科学が駄目か。

『十時間前のキミ』って、『今のキミの分子構造とは、微妙に違う肉体を持つキミ』なんだけど……、それでも『同じキミ』だって言うんだよね〜?」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/sikou2.html)。モノとしての連続性とはなにか?

「力とは、物体の状態を変える相互作用である。」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/cikara.html)。

誰かが「それは矛盾だよ!」と言ったとしても、それは単に『自作自演』なのだ。 だって、「そういう矛盾が発生するように、『公理』を勝手に決めた」のは、 そいつ自身なのだから…。//我々が「矛盾」に出会ったときに、本来すべき行動は、「矛盾そのもの」の解決ではなく、 「矛盾を構築している公理(勝手に真だと考えているもの)の発見」と、 「自分自身の公理の変更」なのだ。(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/mujyun.html

科学的な説明では)「今、現実に『この私』が感じている『この赤』がどこから来たのか説明がつかない」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kuoria3.html

「A=B,B=Cならば、A=C」というのは、 「A=A=A。Aは、Aであり、Aである」と言っていることになり、何も意味を成さない。「A=B」や「AはBである」という言葉が意味を成すのは、あくまで「AとBが違う」ときだけである。・・「AとBは、厳密には違うものだけど、この際、同じだと決め付けちゃおう♪」ということであり、 この飛躍した決め付けによって、初めて「意味」が生じているのである。・・僕らが「AはBである」というとき、そこには確実に「飛躍」と「矛盾」があるのだ。 それが論理的思考の正体である。(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/ronri.html

http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/syuFrame.html 面白いね。

「「他人が、自分と同じようなココロを持っているかどうかを原理的に確かめることができない」 という問題は、人間だけではなく、犬でも石でもロボットでも宇宙人でも、変わらない。」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kokoro.html

我々が行う論理的思考とは、 実は、「証明不可能な思い込み」のひとつなのである。(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kouri3.html)。ルイス・キャロルの例。面白い。

「『宗教を信じること』 と 『幾何学を信じること』は、  証明不可能な公理を受け容れているという点で、本質的に同じことである。」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kouri2.html)。そうそう。

カルマパ黒帽一世(1110-1193)(http://www006.upp.so-net.ne.jp/yfukuda/Tibet/sprulsku.html)。「カギュ派」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/rinne2.html

「現代では「呪い」については、プラシーボ効果という心理的作用で説明している。」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/jyujyutu.html)。呪いも、国家も、貨幣も、プラシーボ効果なのである。

「大騒ぎするのは、いつも思い込みの激しい小心者なのである」(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/jyujyutu.html)。小心者(Coward)は《思いこみ》が激しい、という仕組みは面白い。

サリーとアンの実験。(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/jihei.html)。彼らは「神の視点」で物語を理解する。と言うべきだろう。

過ちをし続ける傾向、は人類普遍だし、必然。それを神の視点から断罪する方がおかしい。

偶像崇拝は、なんで、過ちなのだろうか? 判断力を失わせる。要するに、宗教的な《思いこみ》だから過ちなのだ。 では、宇宙神への《思いこみ》は宗教的な《思いこみ》ではないのか? たぶん、ブッダのブラフマンと同様に、非宗教的な洞察なのだ。本来は。

正統派ユダヤ教は、ラビたちの洞察による共同運営。宇宙神の因果法則と状況認識に基づいて、なすべき決断を洞察すること。 本来は、狂信とは正反対。 だが、神を標榜するかぎり、神に対する狂信が生まれる。

毒消しの発想は、祓い、無我の発想。

六道輪廻は、人間だから、しょうがない。

「毒と毒消しの無限連鎖」というのは聖典主義の結果ではないか? コトバは現実とあわない。コトバに従おうとすれば、現実の欲求を抑圧しなければならない。抑圧されれば、毒が生じる。

宇宙神は現実的な解を簡単にはもたらさない。啓示が無ければ解にならない。啓示は特別な《思いこみ》を持ったヒト《思いこみ》に過ぎない。正しい場合もあるし、悪しき結果を生む場合もある。判断が出来ない、というか、判断は後づけで決まる

ブラフマンとブッダブッダの自己観察は、結果的には内なるブラフマン(宇宙原理)の発見。 ブッダ自身は、ブラフマン自体に関する問いには十無記で応えるだろう。 一神教の宇宙神は、ブラフマンであり、アメノミナカヌシである。本質的に不活性な神であると考えるのが正しい。啓示や契約などするわけがない。 ユダヤ教的な一神教は、本来不活性な神を契約当事者にしてしまうという誤りを犯している。 予言者達は、不活性な宇宙神から宇宙原理を感じ取り、自分の状況にあてはめて、自分なりの決断をする、それを啓示と呼んだのだろう。 ふむ。聖典が出来た後には予言者が出なくなるというのは、要するに、予言者の実体は、聖典の作者による創作だということ。聖典の制作の時点では後づけの正しい預言をでっち上げることが可能だということ。その前にも不可能だし、その後にも不可能な話。

聖典を金科玉条とする発想が分からない。 聖典を書いたヒトのコピーになりたいということか?

「我は凡夫なり」と言い切れる自信が無いな。 そうか、存在として「我は凡夫なり」だから、当為として「我は凡夫を越えることを欲す」ということか。逆に、 当為として「我は凡夫を越えることを欲す」のだから、存在として「我は凡夫なり」と言い切ることができるのだ。 同一命題が、存在命題としてと、当為命題としてとは、正反対の意味になる、というのは困ったことだ。 日常用語としては、「君は偉い」は暗示的な強い当為命題でもある。

「人間は本来的には様々な生き方や自己実現の方法があるのに、なぜこうも一定の同じ型の人間のみが産出されてくるのだろうか?」(http://www.h5.dion.ne.jp/~simpli/0304Foucault1.html)。すでに、多細胞生物の段階に入っているということか。

競争主義社会(http://www.h5.dion.ne.jp/~simpli/0304Foucault1.html)のイデオロギー。競争主義が自己批判の原点??まあ、古典の著者達との競争も、競争主義である。が・・。まあ、不登校を「不健全」とするイデオロギーは競争主義的イデオロギーなのだろう。不健全な社会への適応は健全か? 悪法は法か?に似ている。

「理性的」に思考することのできない狂人たちは「人間」とは見なされず、排除されてしまうことになる。(http://www.h5.dion.ne.jp/~simpli/0304Foucault1.html)。あら、困った・・。

アドルノは、何かを言葉で名指すことそれ自体がすでに暴力行為であると言う。・・何かを言葉(概念)で言い表わすとは、対象を規定することである。規定するとは、自分と他のものとのあいだに境界線を敷き、自らを柵で囲って区別することである。  だから「白」と言われた瞬間に、もはやそこには「赤」や「青」は排除されることになる。これが理性が根本的に抱えている排除性である。(http://www.h5.dion.ne.jp/~simpli/0304Foucault1.html)。暴力というよりは、排除のイデオロギー・行動様式だな。

ベンヤミンは自らのこの態度を、「歴史の屑拾い(ルンペン・サマラー)」と自称した。つまり、歴史の現場の野蛮な騒乱が立ち去った後に、忘却され見捨てられてる死者や敗者という「歴史の屑」をひとつずつ、彼はひとり収集するというのである。・・「歴史の屑」を集めることで、逆にいかにこれまでの歴史学が排除と差別を作り出してきたかが逆照射され、暴かれるのである。(http://www.h5.dion.ne.jp/~simpli/0304Foucault2.html)。神道だな。

民主主義国家の最大の特徴は、人々、様々な制度や装置を利用して、無数の社会的・階級的なイデオロギーを与えて諸個人を差別化してそのアイデンティティを確保してやる一方、「市民・自由・平等・民主主義」といったイデオロギーを流すことで、そのようにしてできた階級分断線を巧みに点線化し、巧妙に隠し、誤魔化すのだ。」(http://www.h5.dion.ne.jp/~simpli/0302Althusser.html)。地獄・餓鬼・人間の社会の中での、「平和・繁栄・公平」のイデオロギー。

母親は、子供をスポイルするモノか? (スポイル=甘やかす、だめにする)。父親に対する憎しみのゆえに、子供をスポイルすることによって報復しようとするのか? おそらく、子供の望むことをかなえてあげることが愛情だと思っているのだろう。つまり、おっぱいを飲みたいときには飲ませてあげるのが愛情。

欲望充足の遅延の行動様式。よろしいんじゃないでしょうか? 資本主義的行動様式というわけではない。ただ、貨幣の取得を先行させるという行動様式は資本主義的、というか、貨幣経済的。 貨幣経済的行動様式が、貨幣の取得→交換→消費であることは認める。 狩猟経済的行動様式では、獲物の取得→消費。 農業経済的行動様式では、農耕→収穫→消費。 たいして変わりはない。

貨幣は万物の尺度である。(http://www.h5.dion.ne.jp/~simpli/0305Deleuze2.html)。世界は欲望の質ではなく、欲望の量でシステム化される世界になった。 資本主義は、「多様な欲望を・・常に或る一定の方向に誘導させるという点において極めてパラノイア的なのである。」偏執狂的「現実」に対する正常な反応がスキゾフレニア(分裂病)である。

『インセスト=タブー』(http://www.h5.dion.ne.jp/~simpli/0305Deleuze2.html)「近親婚禁止のタブー」は単に、経験的な悪しき結果に基づくタブーだろう。

『人間の中には「エス」という何やら恐るべき力があって、それが、人間のすること、人間に起ることのすべてを支配しています。』(http://www.noos.ne.jp/06_deleuze_guattari/01_stage1/00_d=g_pickup.html)。 言い方しだいだな。

ブッダへ: 涅槃主義はどうよ。 個人的救済である。 涅槃を求めない人々を切り捨てている。 そもそも、涅槃て、どうよ。 とまれ、《見通し》が欲しい。

おしゃべりなヒト達へ: コトバによる認識の限界を知れ。 君たちはすでに、粘菌アメーバの移動体の中にある。

国家とは勝ち残りの暴力団の末裔: だが、それなりの事情と合理性があって存在している。 暴力の独占自体が、国家の合理性の基礎にある。 暴力の独占の反対、すなわち、暴力の拡散は内戦であり、無秩序である。 人々は、内戦や無秩序を望まないのである。自分の生命が危険にさらされ、行動の自由がなくなることを望まないのである。 しかし、暴力の独占は、暴力の廃止ではない、独占された暴力が残ってしまうのである。 そこで、人々は、国家による暴力の行使に制限を加えることを欲する。 「国家の目的は何よりも外国からの侵略を阻止すると共に、国内の治安を維持し、それによって国民の生命と財産を守る事にある」というのは、それなりに正しい。目的というより、「国家の持続条件としての正当性は・・」というべき。 国家は、そのような目的を持って設計されたものではない。

元気(宇宙根源の気): キガモガセ。天地人。 同種の個体は人である。ガイアとヒト以外の生物、モノは知である。ガイアを越えた宇宙は天である。 思いこみの噴出による《浄化》、透明化、見通し。 宇宙根源の《思いこみ》

怒り、欲望、思いこみ(六道): 暴力と金とプロパガンダ。

怒らないことが善であるのは、怒ることが悪である場合だけだ。怒ることが悪しき結果を生む場合だけだ。怒るべきときもある。 怒りの感情は制御するのが難しく往々にして悪しき結果を生む。 しかし、怒るべきときもある。

「今の世は悪に充ちている。善を標榜するものが、殆ど悪のようにみえる。この百年来の歴史をみても、どこにも光明はない。人はいよいよ賢明に、悪事をはたらく。しかし決して失望してはならない。真に霊活なる自然界からみると、絶対の悪というものはありえないからである。」(白川静、http://f49.aaa.livedoor.jp/~think/cgi-bin/bbs.cgi?mode=all&loadno=4855&resp=1&page=

「宗教はかつて、人を救うたかも知れない。しかし、本当に救われたのは、愚昧随順の人たちだけであった。救われたというように思うだけで、救われる人々であった。」(白川静、http://f49.aaa.livedoor.jp/~think/cgi-bin/bbs.cgi?mode=all&loadno=4855&resp=1&page=

「人は美のために戦うことはないが、真と善の名のもとには、大量の殺戮をも辞することはない。」(白川静、http://f49.aaa.livedoor.jp/~think/cgi-bin/bbs.cgi?mode=all&loadno=4855&resp=1&page=

神秘主義: 神秘主義が「神秘」なのは、ロゴスの世界にどっぷりつかっているヒトには見えない、言語的思考では理解できない、ということ。 《モノの世界》を体験しているヒトにとっては、普通の体験の言語化であって、なんら神秘なものではない。 神秘主義の問題は「ロゴス的理解の限界」の問題である。モノコトバとを1対1で対応させて理解する、という「ロゴス的理解の限界」の問題である。 「ロゴス的理解の限界」はロゴス的思考を突き詰めたヒトにしか分からないかもしれない。

ヒトのキガモガセ: ヒトのキガモガセは粘液状である。ヒト《思いこみ》の粘液を噴出し、そこに世界の絵を描く。そしてヒトは自らが描いた絵を世界であると思いこむ。 有性生殖を行う動物のキガモガセも、粘液状であろう。同種の個体であるかどうかによって、区別された世界を持つ。自分の食物になる個体であるか、自分の外敵である種の個体であるか、で色分けされ、強調された世界の絵を持つ。が、これは、認識レベルの色分けであって、世界そのものを描いているわけではないだろう。粘液上で外部世界が色分けされ、加工された形で認識されるというべき。 モノたちの外部世界は、物理法則の世界ヒトの外部世界は心理法則の世界。「侮辱されれば相手を憎むようになる」というような心理法則の世界

森田童子を聞いてるよ。 心を奪われてはいけない。 《思いこみ》噴出せよ。 何という心優しい娘なのだろうか。 僕にはとても、このような優しさを持つことができない。

2005-05-19(木)

宇宙の大きさは無限である: なぜなら、有限であるとすると、宇宙の端にいる人は可哀想だからである。

宇宙の大きさは無限である: したがって、《私》は宇宙の中心である。

アイヌの叱り方: 子供がいすにぶつかって泣いているときに、たけ(tk)は、いすを叱ってしまった。 アイヌは、そのようなときに、いすに「痛かったね」と言うらしい。 子供はあっけにとられて、モノに対して愛情をもって接する態度を学び、自分の痛さを忘れてしまう、らしい。 たけ(tk)の方法は失敗であった。

ガイアは、表面がかゆい、眠いと言っている。 ガイアは、表面に生息する生き物達にはこ興味が無いらしい。 ガイアは、人間の時間は自分の時間にはあわないと言っている。 かゆいというのは、プレートが動くことらしい。 ガイアの時間は、宇宙史の時間と比べると、どうなんだろう? 人間も、自分の大きさの1億分の1の大きさのものには関心を持たないね。 人間の時間にとっては、ガイアは《思いこみ》を持たない? ガイアは、一億倍の時間において、《思いこみ》を持つ。 ガイアの1秒は、人間の3年強。 1_0000_0000 / (60*60*24*365) = 3.170979198 10億年を1呼吸とすると、ガイアの《思いこみ》が聞こえてくる。

キガモガセ: 近傍外のモノたちの外部世界。キガモナセの外部世界。 キガモナセを浄化すると、キガモガセが見えてくる。 キガモガセが見えてくると、そのモノが見えてくる。 私の外部世界モノの外部世界モノの外部世界モノの・・で私というモノは宇宙史と繋がる。 キガモガセネット(近傍外のモノたちの外部世界のネットワーク): キガモガセの循環。 キガモガセネットは宇宙史を被い尽くす。同じモノか? キガモネット(近傍外のモノたちのネットワーク):「モノたちの外部世界」の視点がないと、ネットワークにならない。(観念的な図式になってしまう)。

人類は粘菌アメーバ化していくか? 粘菌アメーバは、アメーバからみれば進化なのか? しかし、進化したアメーバだけが生き残るわけではない。普通のアメーバの方が多いのだ。 アメーバも、粘菌アメーバも、ボルボックスも、多細胞生物も、植物も、動物も、昆虫も、共存しているのだ。

キガモナセ: 近傍外のモノたちの内部世界。近傍外世界を構成するモノたちの内部世界。 ガイア、私の身体。宇宙空間の塵。星。地上のモノたち、人々。 モノの内部世界との違いは、視点の違い。 文字やコトバもキガモナセである。 要するに、キガモナセとはモノダマ、アニマということになる。

混濁観察日記、だね。

2005-05-18(水)

思いこみの噴出点は《身体》の中にある。《身体》を浄化すると、《身体》の表面とその先の《身体》世界に至る。《身体》世界《近傍物理空間》である。《近傍物理空間》を浄化すると、近傍外世界に至る。近傍外世界《近傍物理空間》《背後者世界》である。前に観察したときには《近傍物理空間》無限遠点の先には《客観世界》があるはずだった。しかし、実際には『客観世界』の思いこみも含めた思いこみの世界が広がっているようだ。

2005-05-17(火)

確かにね、伊勢神宮参拝も、政教分離の視点からいえば、問題がある。 が、憲法上、天皇に特別な地位を与えている関係上、また、歴史的に見て天皇が伊勢神宮の司祭であった関係上、天皇制と伊勢神宮参拝とは切り離せない。よって、憲法上の許容された範囲内と見るべきだろう。でも、ちょっと問題は残る。

『イスラエルの人権団体の統計を解析した結果、ABC、CBS、NBCの報道ではイスラエル人の死がイスラエルのパレス チナ人殺害よりも3から4.4倍多く報道されており、子供の死に関してはその比が10倍になっていることを独立ジャーナリ ストのウィアーが明らかにした。』http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/416.html 客観的な統計で、メディアによる洗脳が明らかになるのは、良い言論だ。

共感脳とシステム脳: http://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=0130&webCode=00810342005 『共感する女脳、システム化する男脳』立ち読み。 もちろん、そうだろうよ。システム的に書かれていなかったので、買わなかった。 進化の過程で、性差に基づく行動様式の分化が進んだ、それだけのこと。 共感的行動様式とシステム的行動様式。母性的行動様式と父性的行動様式、感情的行動様式と理性的行動様式。名前はいろいろだ。行動様式の概念化がなされているかどうかが問題。

《思いこみ》噴出と宇宙史との設定を調査中: 宇宙史は「私が知り得た全ての《思いこみ》の総体」でもある。

作る神と産む神: http://www.atmarkit.co.jp/farc/rensai/knowledge11/knowledge11.html 『丸山真男は世界の諸神話に見られる動詞を分析して、キリスト教的な「つくる」論理に対して、 日本的な「うむ(産む)」 から「なる」「なりゆく」発想を特徴として扱っているという。』 産む神は生きたモノ世界を作り出し、 作る神は死んだ機械の世界を作り出す。 生きたモノ世界では、設計図通りには事態が進行していかない。 生きたモノ世界では、目的は、それぞれのモノの中にある。

2005-05-15(日)

コトバを捨てよ、モノを見よ: コトバモノを見るための道具ではない、他者と思いこみを伝えあうための道具だ。 コトバは我々にモノを見る目を与えない。モノを見る目は、初めから、我々に備わっているのだ。

モノを見ずに幻を信じる人々: は強い。 信じている幻が幻だと知っている人は弱い。 幻を信じずに、モノを見る人は動かない。

2005-05-12(木)

《今ここでxxしつつある宇宙史》には実体を見つけられなかった。

目と目との間の棒状の空間の《浄化》を試み中。

焚書坑儒の時代: ルーマニア上院がホロコースト見直し論に投獄を課す法案採択 http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/116.html 投稿者 木村愛二 日時 2005 年 5 月 12 日 13:41:19: CjMHiEP28ibKM

2005-05-11(水)

不合理な制度: 一物四価。固定資産税の課税標準額。評価を「価格」の15%にするのではなく、税率を変更すべき。評価を変えるというのは、アリエナイ話じゃ。 で、所得税基本通達36-40によると、社宅の「相当家賃」の計算では、敷地の「課税標準額」の6%ということだから、100坪の土地(価格は1億円)の課税標準額が1500万円になり、地代が7.5万円/月になってしまう。

2005-05-11(水)

《息しつつあるモノ》《宇宙史》: が天命において同一であると念ぜよ。 《知りつつあるモノ》は《知りつつある宇宙史》であると念ぜよ。 「《我》とは今ここで《知りつつある宇宙史》である」というのはどういう意味か? とりあえず、頭痛の場所が移動した。今までは頭の上の方だったが、今度は、後頭部というか、首の上あたりが痛くなってきた。

2005-05-09(月)

『rsync の Ctv オプションについて:通常は Cat オプションを使うのだが、smbマウントしたディレクトリで Cat ではまずい。a オ プションは chown しようとするが、smbマウントの場合にはchownが出来ないのでエラーになる。よって、t オプションを使う必要がある。』というメモを書いたのだが、なんとなくむなしい。こんなドキュメントを書いても、読んだ分かる人はいないだろう。分かる人は、ここで書いたことをやろうとして、失敗した人だろう。その人はおそらく、rsyncのエラーメッセージを読んで、自分で解決しただろう。ノウハウとして「rsyncのエラーメッセージを読め。smbマウントとは何かを知っておけ。知識を総動員して応用的に考察せよ」というのが重要だが、特殊な場合についてのドキュメントというのは、書き始めればきりがない。 crontabにコメントを書いておくというのは? 実はcrontabに書かれていたCtvをCatに変更してからエラーが出るようになったので、調べなおした、というもの。エンバグを防ぐためのコメントは必要だろう。

2005-05-08(日)

コンビニ弁当戦争: より多く食べられることによってシェアを広げる。稲や小麦の戦略に似ているな。よりおいしく、より栄養が高く、より多く食べられることによって、もっとも繁栄した植物種になる。

T君へ: たけ(tk)です。 余分なおせっかいを焼いてごめん。 たけ(tk)思うに、たけ(tk)がT君の立場だったら「絶対に嫌だ」と反発すると思う。というか、パンフレット見たら「こりゃハードル高いや、たけ(tk)でもびびるわ」と思った。 お父さんには「T君には理詰めの説得をしようとしても無駄。家族のみんなが『それが一番よい』という気分になれば、T君はそれを察して自然に納得するのではないか」と言ったつもりだったのだけれど、失敗したみたいね。 だけど、矛盾しているけれど、というか、無責任だけど、いまでも、客観的にはなかなか面白いプランだと思っている。どうだろう? 暇そうな友達を誘うとか、お姉さんがたのどちらかをつきあわせてもよい。 他の人のお金は出す気は無いけれど、T君には仕事として行ってもらいたいので旅費くらいは出すつもり。行く先々の人々の住んでいる家とかお店の写真とかが欲しい。遠景・中景・近景の3枚で一組。デジカメでとって、パソコンに保存してもらう。パソコンが壊れたときの用心に外づけのハードディスクにも保存しておく、という仕事。

2005-05-06(金)

不合理なシステムだと思うこと: 航空運送での責任制限。キロあたり20ドル=100グラム200円。宝石であろうと、コンピュータであろうと、100グラム200円で賠償すればよい。これでは、損害を防止するための動機にならないだろう。

システムの寿命: http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20030408/1/ エピゴーネン問題。 《ヒトの群れ》の寿命。 プラン〜形成の段階、維持の段階、衰退の段階、破滅の段階。 永遠のシステムはない。 リプレース、個体の再生、生殖。 生まれた瞬間から、別のシステムへの生成段階に入るべき? まあ、生物でも、絶滅の危機が迫ってから、生殖へ向けた変身が始まる。粘菌アメーバの移動体。 システム構築経験者。

2005-05-05(木)

take_tk's thought begins with opacity/muddle.

opacity divides to as follows;

knowing meterial / known world -> opaque world

nearby physical space

《混濁》

  1. muddle 泥(mud)→混乱した、まごつく。
  2. opacity 不透明(opaque)、曖昧、愚鈍。
  3. confusion 不明確(confuse)混乱、精神錯乱、意識障害。

過成年制度について: <過剰工事>3年間でリフォーム工事数千万円分、認知症の老姉妹食い物に(毎日新聞) http://www.asyura2.com/0502/nihon16/msg/668.html 投稿者 へなちょこ 日時 2005 年 5 月 05 日 09:40:01: 過成年制度が必要ではないか? 未成年(20歳)と同程度の取引能力しかない高齢者の一般的年齢を定めて、(1)日常家事債務以外の取引の場合には、(2)決済資産(預金等、即時に現金化可能な余剰資金)の1%未満であることを相手方が証明しない限り、(3)または取引能力があることを証明しない限り(公的証明書)、取り消し可能とする。 老人になれば子供に戻るのだ。子供による取引が取消権の保護を受けるのと同様に、老人による取引も取消権による保護を受けるべき。

2005-05-03(火)

憲法上の義務: 立憲主義。憲法は権力に対する縛り。

改憲手続き論: 一般論としての手続き論と、9条改悪論が盛り上がっている半らの中での手通津行き論は、改悪手続き論である。 いままで、改憲手続きがなかったのは、それによって、国民が不利益を蒙ってこなかったから。 憲法書き直し論か、条項修正論か。

自民党の新しい人権: 環境権などは法律で実現可能。法律でまず実現すべき。環境権を定めた法律が違憲になるのであれば、憲法を変えるべき。だが、そもそも、憲法の趣旨から新しい人権が具体化されてきたのだから、違憲ではありえない。 新しい人権に関する具体的立法化に反対してきた人々が持ち出す新しい人権は、オブラート戦術に過ぎない。

同調度競争: 貢献度競争。 競争心が個体内循環にあり、同調が個体間循環にある。競争関係は、個体内循環同士の共振によって、個体間に循環している。

競争的勝者は賞賛されない、羨望されるだけである。 保護すべき人々を保護する力を示した者は賞賛される。

無名人の歴史が人類の歴史である: 無名人の行動様式の変化が人類の歴史である。

Last modified:2005/07/03 02:58:21
Keyword(s):
References:[《近傍物理空間の背後者》] [ゴミ箱]