FrontPage  Index  Search  Changes  wikifarm  Login

クルアーン

引用文献クルアーン

http://quran.magicabbage.com/

http://quran.magicabbage.com/quran_s/?size=10&sura=1

1_1.慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。

  1. アッラーは《宇宙史》の人格化の《思いこみ》であろう。
  2. 《宇宙史》を人格化する、とは?
  3. 「慈悲あまねく慈愛深き」というのは啓示を受けたヒトの自我像の鏡像であろう。
  4. 啓示を受ける、とは? 自画像の鏡像の《思いこみ》からのコトバの受容。思索の一種であるが、自画像の分裂によって《他者》からのコトバであると意識される。
  5. 《宇宙史》への《思いこみ》は、要するに『世界のすべて』への《思いこみ》である。
  6. 世界のすべて』への《思いこみ》においては、自画像は相対化される。特異点としての自我は、鏡像としての『神』に転移する。『神』が中心であり、『我』は相対化される。

1_2.万有の主、アッラーにこそ凡ての称讃あれ、

  1. 《宇宙史》であるところの自画像の鏡像は、『世界のすべて』の原因者である。

1_3.慈悲あまねく慈愛深き御方、

  1. 『神』が鏡像であるなら、自画自賛になってしまうね。自画自賛、というのは、誇りの一種だから、悪いことではない。

1_4.最後の審きの日の主宰者に。

  1. 最後の審判への待望は困ったことになるかもしれない。
  2. 《宇宙史》においては人類の滅亡は予定されているが、最後の審判って人類の滅亡のことなのか? 「最後」と言えば、滅亡しかないような気がするのだが・・。人類の滅亡のあとには、人類が有していた記憶の余韻が漂うことになるだろう。まあ、その状態が一番平和だといえば、平和だが・・。
  3. 人類の滅亡が不可避なモノであるなら、それに怯えるよりも、それに希望を見いだすというのも一つの手では有る。

1_5.わたしたちはあなたにのみ崇め仕え(注 8)、あなたにのみ御助けを請い願う。

  1. 鏡像への崇め仕え、鏡像に請い願うというのは、自律の一種である。

1_6.わたしたちを正しい道に導きたまえ、

  1. 自律は、正しく行えば、正しい道に導くことになるだろう。

1_7.あなたが御恵みを下された人々の道に、あなたの怒りを受けし者、また踏み迷える人々の道ではなく。

  1. 「あなたの怒りを受けし者」はユダヤ人批判だね。後半「踏み迷える人々」はキリスト教徒批判か?
  2. ユダヤ教徒は『神の怒り』と『民族滅亡の恐怖』が大好きだね。もともと、それが目的で作られた宗教だからね。『神の怒り』と『民族滅亡の恐怖』を煽ることによって、『民族の団結』を維持しようとすることを目的とする宗教だからね。
  3. 「迷える子羊たち」は、『神』への理解を断念したように見える。キリストのまねをすること、がせいぜい、という発想のように見える。たぶん、そういうことだろう。

2_2.それこそは、疑いの余地のない啓典である。その中には、主を畏れる者たちへの導きがある。

  1. 啓示のコトバを書き記した書物/コトバの塊。
  2. 啓示というのは鏡像との対話であり、鏡像からのコトバである。
  3. 鏡像を畏れるモノ。まあ、鏡像って恐いわな。

2_3.主を畏れる者たちとは、幽玄界を信じ、礼拝の務めを守り、またわれが授けたものを施す者、

  1. 幽玄界。鏡像を覗きこむという心理状態、《思いこみ》の状態。
  2. 八正道

2_4.またわれがあなた(ムハンマド)に啓示したもの、またあなた以前(の預言者たち)に啓示したものを信じ、また来世を堅く信じる者たちである。

  1. ムハンマドが率先して、啓示を信じること。それを見て、他のモノも信じること。という構造。

2_5.これらの者は、主から導かれた者であり、また至上の幸福を成就する者である。

  1. 鏡像からの啓示を信じ、実践することが、至上の幸福である、か?
  2. 一つの幸福の《かたち》であろう。
  3. 《仕合わせ》ヒトヒトとの《思いこみ》の円滑な循環である。
  4. 人びとが特定の《思いこみ》の下に《動き》《私》も同じ《思いこみ》の下に《動き》《私》と《彼》とが同じ《思いこみ》の下で、《思いこみ》の円滑な循環を実現するなら、それはそれで、一つの至上の幸福であろう。
  5. 理屈は通っているな。

2_6.本当に信仰を拒否する者は、あなたが警告しても、また警告しなくても同じで、(頑固に)信じようとはしないであろう。

  1. ブッダへの「梵天勧請」だな。
  2. http://budda.exblog.jp/3882488/
    1. わたしのさとったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。ところがこの世の人々は、執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執著のこだわりを嬉しがっている。さて執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執著のこだわりを嬉しがっている人びとには、(これを条件としてかれがあるということ)すなわち縁起という道理は見がたい。またすべての形成作用のしずまること、すべての執著を捨て去ること、妄執の消滅、貪欲を離れること、止滅、やすらぎ(ニルバーナ)というこの道理もまた見がたい。だから、わたくしが理法(教へ)を説いたとしても、もしも他の人々がわたくしのいうことを理解してくれなければ、わたくしには疲労が残るだけだ。わたくしには憂慮があるだけだ。  (『律蔵』)
  3. http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html
    1. 世にはその眼があまり塵に汚れていない人々もおります。いまは彼らも法を聞いていないので心も衰退していますが、世尊が法をお説きになったら、やがて法を了解する者となりましょう。

2_7.アッラーは、かれらの心も耳をも封じられる。また目には覆いをされ、重い懲罰を科せられよう。

  1. 信じないモノが信じないのもアッラーの意思である、という発想。
  2. これは法華経か?
  3. 信じないモノ《宇宙史》の一部なのだから、当然だ。

2_8.また人びとの中、「わたしたちはアッラーを信じ、最後の(審判の)日を信じる。」と言う者がある。だがかれらは信者ではない。

  1. コトバに依存するモノは、《モノの世界》を見ることができない。

2_9.かれらはアッラーと信仰する者たちを、欺こうとしている。(実際は)自分を欺いているのに過ぎないのだが、かれらは(それに)気付かない。

  1. コトバに依存するモノは、自分を欺いている。
  2. 自分というモノ見失っている、ということだろう。コトバに依存すれば、モノ見失う。自分というモノ見失う。
  3. 『自分はxxというモノである』という《思いこみ》を信じて、自分というモノ見失う。

2_10.かれらの心には病が宿っている。アッラーは、その病を重くする。この偽りのために、かれらには手痛い懲罰が下されよう。

  1. コトバを信じて《モノの世界》見失モノ《宇宙史》の一部である。

2_11.「あなたがたは、地上を退廃させてはならない。」と言われると、かれらは、「わたしたちは矯正するだけのものである。」と言う。

  1. コトバを信じるモノは、『善』のイデアを信じて世界《他者》を矯正しようとする。

2_12.いや、本当にかれらこそ、退廃を引き起こす者である。だがかれらは(それに)気付かない。

  1. コトバを信じるモノは、退廃を引き起こすモノである、か?
  2. 小賢しい子どもが、人びとを導くようなものだからな。うまくいかない、ということだろう。
  3. 退廃なのか? うまくいかない指導者のもとでは、人びとは絶望し、退廃する。ということかな?

2_13.「人びとが信仰するよう、信仰しなさい。」と言われると、かれらは、「わたしたちは愚か者が信仰するように、信じられようか。」と言う。いや、本当にかれらこそ愚か者である。だがかれらは、(それが)分らない。

  1. 愚直に信じるということ。愚禿。親鸞。

2_14.かれらは信仰する者に会えば、「わたしたちは信仰する。」と言う。だがかれらが仲間の悪魔〔シャイターン〕たちだけになると、「本当はあなたがたと一緒なのだ。わたしたちは、只(信者たちを)愚弄していただけだ。」と言う。

  1. そういう、悪い奴はいる。警戒を怠るな。

2_15.だがアッラーは、このような連中を愚弄し、不信心のままに放置し、当てもなくさ迷わせられる。

  1. ふーむ。そういう悪い奴らも、《宇宙史》の一部である。

2_16.これらの者は導きの代わりに、迷いを購った者で、かれらの取引は利益なく、また決して正しく導かれない。

  1. 善悪、正誤、は分からぬけど・・。損得・・。どうなんだろうね。
  2. 精神的メリット、の損得・・なのだが・・、その損得の評価の基準も、それぞれかもしれない。ユダヤ教的には、民族の団結が最大の損得の基準だから、ゴイムを騙しても、それによって民族の団結に寄与するなら、得の方が多いということになる。

2_17.かれらを譬えれば火を灯す者のようで、折角火が辺りを照らしたのに、アッラーはかれらの光を取り上げられ、暗闇の中に取り残されたので、何一つ見ることが出来ない。

  1. ユダヤ教的には、光は、民族の団結と、民族と『神』との契約の先にある。
  2. しかし、ユダヤ人は『神』を裏切り続けているな、『神』を騙そうとして小細工をし続けているな。しかし、ホロコーストの献げ物をしているから、契約は生きているのだと、彼らは信じているな。信じているから、人によっては、光が見えているヒトもいる。他の人びとは、《彼》が光を見ているから、《私》は《彼》と同じ民族だから、いずれ、《私》も光が見えるようになる、と信じている。
  3. しかし、光なのだろうか? 《混濁》《見通し》なのではないだろうか? 闇と光ではなく。まぶし過ぎる光は《見通し》を妨げる。光も中庸でなければならない。

2_18.聾唖で盲人なので、かれらは引き返すことも出来ないであろう。

  1. ユダヤ教徒も《宇宙史》の中に在る。

2_19.また(譬えば)暗闇の中で雷鳴と稲妻を伴なう豪雨が天から降ってきたようなもので、落雷の恐さから死を恐れて、(戯らに)耳に指を差し込む。だがアッラーは、不信心者たちを全部取り囲まれる。

  1. それがユダヤ教の目ざす民族の団結というモノだ。
  2. ユダヤ教徒たちもアッラー(《宇宙史》)のなかに在る。

2_20.稲妻はほとんどかれらの視覚を奪わんばかりである。閃く度にその中で歩みを進めるが、暗闇になれば立ち止まる。もしもアッラーが御望みならば、かれらの聴覚も視覚も必ず取り上げられる。本当にアッラーは、凡てのことに全能であられる。

  1. ユダヤ教も筋は通っているからなぁ・・。「もしもアッラーが御望みならば」ってのが、微妙だな。

3_2.アッラー、かれの外に神はなく、永生し自存される御方であられる。

Last modified:2006/09/30 05:28:07
Keyword(s):
References: