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たけ(tk)訳『大学』

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このページは『大学』という本の私的訳文です。『大学』は儒教の四書五経の一つで、紀元前136年に設置された武帝の官僚養成学校の設立宣言だという説もあります。  古臭い本ですが、国民主権の社会においては、主権者たる国民の心得としても重要であると考えて翻訳してみました。

大学之道大いなる学びの道は次の3つを実践することの中にある。
在明明徳(1)積極的に社会にかかわってくタイプの徳性(明徳)を社会に明らかにしていく実践の中に在る。
在親民(2)(自らの明徳を明らかにしていくべき社会を構成している)民衆に親しむことの中に(大いなる学の道は)在る。
在止於至善(3)そして、自分自身を、常に、適切な判断をなしうる状態(至善)に維持する(止)ことの中に(大いなる学の道は)在る。
大学之道在明明徳・・「大学の道は明徳を明らかにすることに在る」。「学問をする目的は自分が持つことになる明徳を社会に向かって明らかにすることである」「明徳」は暗徳の対比であろう。隠者の徳というのもある。『大学』という本は隠者の徳(暗徳)ではなく、社会に向かって積極的に関与していくような徳性を目標にするのが大いなる学の道であると主張する。
在親民・・自らの明徳を社会に向かって明らかにするためには、社会を構成している人々(民)を深く理解し、彼らが何を欲し、どのように考え、行動し、評価するのか、自分が何をすれば彼らはどのように反応するかを深く理解することが不可欠である。  後段に「為政者が彼自身の態度と異なる命令をしても民衆はそのような命令に従うものではない(其所令反其所好而民不従)」とか「人間は人が見ていないと悪いことを始める(小人竜鎔拮堊院法廚箸「民衆が為政者の正体を見ぬく力は鋭い(人之視己、如見其肺肝然)」などの例が挙げられている。
止而后有定 (至善に)止まることができるようになったと知れば、定見(定)を有つ(もつ)つことができるようになる。
定而后能静  定見(定)があれば冷静な観察・考察(静)が可能になる。
静而后能安  冷静な考察(静)があれば自分の判断に自信がつく(安)ようになる。
安而后能慮  自分の判断に自信が持てるようになれば(安)多方面の利益を総合的に考慮すること(慮)が出来るようになる。
慮而后能得  多方面への配慮(慮)があって初めて、(自分の判断によって)よい結果を得ることが出来る。
物有本末   ものには、初めに行うべきもの(本:至善に止まること)と、その結果として出てくるもの(末:明徳を社会に向かって明らかにすること)とがある。
事有終始   ことには終りと始まりとがある。
知所先後   先にすべきことと後にすべきことを知ることが
則近道矣   近道なのである。
古之欲明明徳於天下者、 先治其国 昔、自分の社会的徳性(明徳)を天下に明らかにしたいと欲した者は、その前にまず自分の国を治めた。
欲治其国者、先斉其家 国を治めようと欲した者は、まず自分の家(身内の組織、会社とか)を斉(ととの)えた。
欲斉其家者、先修其身 自分の家を斉えたいと欲した者は、その前にまず自分の身を修めた。
欲修其身者、先正其心 自分自身を修めたいと欲した者は、その前にまず自分の心を冷静でバランスをとれた判断ができる状態(正)に保つようにつとめた。
欲正其心者、先誠其意 自分の心を正常な状態に保つことを欲した者は、まず自分の意(こころ)をものごとをあるがままに受け入れ、ウソごまかしのない状態(誠)を維持しようとした。
欲誠其意者、先致其知 自分の意(こころ)をウソごまかしのない状態(誠)にしようとした者は、そのためにまず、知ることを極め(致)ようとした。
致知格物  知ることを極める(致知)というのは、ものごとをあるがままにその本質を理解する(格物:物に格る、いたる)ということの中に在る。
格物(かくぶつ)・致知(ちち)・誠意(せいい)・正心(せいしん)・修身(しゅうしん)・斉家(せいか)・治国(ちこく)・平天下(へいてんか)」の8項目
先修其身・・この部分は悪名高き「修身」という言葉が出てくるが、『大学』の「修身」は、「滅私奉公」の「道徳教育」とは正反対の内容であることは知っておいたほうがよい。(明治の修身は「The Elements of Moral Science」という本の翻訳だという説もあるが・・)。
先正其心・・「心を正しくする」では内容が不明になってしまうが、後段によれば、怒りや、恐れや、好き嫌いや、心配事があると正しい判断ができなくなる、とされている。「正心」は、偏りの無いバランスの取れた判断が可能な状態ということだろう。
先誠其意・・『大学』の「誠意」は、日本語の「誠意」とはだいぶ意味が違う。後段に出てくるが、「意(こころ)を誠(まこと)にするというのは、自らを欺かないということである。悪臭を臭いと感じ、美しいものを美しいと感じるように素直な気持ちになることである(所謂誠其意者、毋自欺也。如悪悪臭、如好好色)」。
先致其知・・致知については、後段に説明が無い。たぶん、社会一般の人々が知っている事柄は、だいたい自分も知っており、知ろうとすれば知ることができる状態なのではないかと思う。
致知格物・・格物も後段に説明が無い。take_tkとしては、《モノたちの世界》に格るということではないかと、勝手に理解している。
物格而后致知 ものごとをあるがままに理解する状態(物格)になってはじめて、知るに到った(致知)ということができる。
致知而后意誠 知るに致ったという状態になれば、意(こころ)はウソごまかしのない自然な状態(誠)になる。
意誠而后心正 意(こころ)にウソごまかしがない状態(誠)になれば、心のバランスが保たれる(正)ようになる。
心正而后身修 心のバランスが保たれるようになれば(正)、身を修めたと言うことができる。
身修而后家斉 身が修まった後にはじめて、身内の事情(家)に対しても公正(斉)に判断をすることができるようになる。
家斉而后国治 身内の事情(家)に対して公正(斉)に判断することができるようになって初めて、国が治まるのである。
国治而后天下平 国が治まった後にはじめて、天下を平和にすることができる。
自天子以至庶人壱是皆 統治者から庶民に至るまでひとえに皆
修身為本  己の身を修めることから始めるべきである。
其本乱而末治者否矣 本(もと)が乱れればすべてが治まらなくなる。
其所厚者薄而 本来厚く扱うべきものを薄く扱い
其所薄者厚  薄く扱うべきものを厚く扱ったのでは
未之有也。  うまくいくはずがないのである。
此謂知本   これが本となる修身を知るということである。
此謂知之至也 これが知るに至るということである。
所謂誠其意者、毋自欺也 意(こころ)を誠(まこと)にするというのは、自らを欺かないということである。
如悪悪臭、 如好好色 悪臭を臭いと感じ、美しいものを美しいと感じるよう(に素直な気持ち)になることである。
此之謂自謙  これを自らを心地よくする(謙)という。
故君子必慎其独也 それゆえに立派な人は必ず、一人でいるときに慎む(自らの感性・認識・判断が自然なものであるかどうかを吟味する)ものである。
小人竜鎔拮堊 (それに対して)つまらない人間は人が見ていないと悪いことを始める。
無所不至 どこまでやるかは限りがない。
見君子而后厭然?其不善 立派な人を見てはじめて自らの不善を隠そうと思い立ち、
著其善    (とって付けたように)善行を示そうとする。
人之視己、如見其肺肝然 (しかしながら、)人が自分の正体を見ぬく力というのは、肺や肝臓まで見通せるかの如く(鋭いもの)であるから
則何益矣   (そんな風に取り繕っても)なんの役にも立たない。
故君子必慎其独也 それゆえに立派な人は必ず、人が見ていようが見ていまいが、(自らの感性・認識・判断が自然なものであるかどうかを吟味して、)独りを慎むものである。
  * 痢[間-日+月]。「閑」(ひま)ではない。
  * ?=「拾」に「算」の下の部分という字。覆うという意味
曾子曰    曾子は次のように言っている
十目所視  「隠れてやったつもりでも、10個の目が視ている
十手所指   気づかれないつもりでも、10個の手が指差している。
其厳乎    これは厳然たる事実なのだ」と。
富潤屋    富があれば家屋が立派になるように
徳潤身    徳があれば身も潤う。
心広体胖   心を広くもてば態度もおおらかになる。
故君子必誠其意 それゆえ、君子はその心を自由でゆとりある状態にするのである。
詩云     詩経には次のような詩がある
瞻彼淇澳  「淇(き)の川の川岸には
緑竹猗猗   緑の竹があおあおと茂っている。
有斐君子   才能が輝いている君子は
如切如磋   切り出されて磨かれた象牙のごとく
如琢如磨   原石から取り出され磨かれた玉石のごとく
瑟兮[イ間]兮 優雅に
赫兮喧兮   光り輝いている。
有斐君子   才能が輝く君子のことは
終不可諠兮  忘れることができない」と。
如切如磋者 「切り出されて磨かれた象牙のごとく」というのは
道学也    道を学ぶということである。
如琢如磨者 「原石から取り出され磨かれた玉石のごとく」というのは
自修也    自らを修めるということである。
瑟兮[イ間]兮者「優雅に」というのは
恂慄也    かしこまる気持ちを持っているということである。
赫兮喧兮者 「光り輝く」というのは
威儀也    自信を持っているということである。
有斐君子  「才能が輝く君子のことは
終不可諠兮  忘れることができない」というのは
道盛徳至善  徳があり善に至った人のことは
民之不能忘也 民衆は忘れることができないということである。
詩云     詩経では次のような表現をしている
於戯    「ああ
前王不忘  (徳のあった)前の王を忘れられない」
君子賢其賢而親其親 君子が賢人を賢人として扱い、親しむべきものに親しめば、
小人楽其楽而利其利民衆は安心して楽しみ利益を得ることができるようになる。
此以没世不忘也 そうなれば、世の人々は彼を忘れることはない。
康誥曰    書経の康誥編には次の表現がある。
克明徳   「(文王は)よく徳を明らかにした」
大甲曰    書経の大甲編には次の表現がある
顧貪掲渓戚「(湯王は)天の明命を思い実行した」
帝典曰    書経の尭典編には次の表現がある。
克明峻徳  「(尭帝は)よく峻徳を明らかにした」
皆自明也   どれも当たり前のことである。
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湯之盤銘曰          湯の盤の銘には次のように書かれている
苟日新           「まことに、一日は新鮮である
日日新            日々はそれぞれに新鮮である
又日新            またの日もまた新鮮である」と。
康誥曰            書経の康誥編には次のようにある
作新民           「民衆に新鮮な気持ちを思い起こさせよう」と
詩曰             詩経には次のような言葉がある
周雖旧邦          「周は古い邦だが
其命惟新           その命はいつまでたっても新鮮だ」と
是故君子           それゆえに、君子は
無所不用其極         その極みを用いないことはないのである

daigaku2#0701

詩云            || 詩経に次のような言葉がある 邦畿千里          ||「国の領土は 惟民所止          || 人民が止まるところ」

詩云             詩経に次のような言葉がある
緡蛮黄鳥          「美しい黄鳥が
止于丘隅           丘の隅に止まっている」
子曰             孔子は次のように言った
於止知其所止        「(鳥ですら)止まることをを知っている
可以人而不如鳥乎       人間も止まるべき所には止まらなければならない」と
詩云             詩経に次のような言葉がある
穆穆文王          「慎み深い文王は
於緝熙敬止          止まるべきところを尊重した」
為人君止於仁         君主である場合には広い思いやり(仁)に止まり
為人臣止於敬         家臣である場合には敬う気持ちに止まり
為人子止於孝         子である場合には親に尽くすこと(孝)に止まり
為人父止於慈         父である場合には慈しみの気持ちに止まり
与国人交止於信        人と交わる場合には約束を守ること(信)に止まらなければならない

  * 緡=[糸+民+日]

daigaku2#0702

子曰             孔子は次のように言った
聴訟吾猶人也        「紛争が起きてしまってから仲裁を行う能力は、わたしの能力は普通の人と変わらない。
必也使無訟乎         紛争が起きないようにする能力が重要なのだ」と。
無情者不得尽其辞       不誠実な偽りの申立を見抜いて、それを取り上げないようにしなければならない。
大畏民志           民衆が為政者を見抜く力は畏(おそ)るべきものである
此謂知本           これが本を知るということである。

daigaku2#0801

所謂修身在正其心者      身を修めることは心を正す(バランスを保つ)ことにあるというのは以下のような事情を差している。
身有所忿*、則不得其正    身に怒りがあるときには正しい判断ができなくなる。
有所恐懼、則不得其正     身に恐れがあるときにも正しい判断ができなくなる。
有所好楽、則不得其正     好ききらいがあるときにも正しい判断ができなくなる。
有所憂患、則不得其正     心配事があるときにも正しい判断ができなくなる。
心不在焉           心ここにあらざれば
視而不見           眼に写っても見ることができない
聴而不聞           耳に聞こえても聞くことができない
食而不知其味         食べても味を感じることができなくなる。
此所謂修身在正其心      したがって、身を修めるというのは、自分の心をバランスを保った状態(正)にしておかなければならないということなのである。

daigaku2#0901

所謂斉其家在修其身者    「自らの家に関して公正に判断する(斉)ためには自らの身を修める必要がある」というのは次のような事情を言う。
人之其所親愛而譬焉      人は親しみ愛するものがあると判断に偏りが生じてしまう
之其所賤悪而譬焉       憎むものがあると偏りを生じてしまう
之其所畏敬而譬焉       恐れたり敬ったりするものがあると偏りが生じてしまう
之其所哀矜而譬焉       哀れむものがあると偏りが生じてしまう
之其所敖惰而譬焉       見下すものがあると偏りが生じてしまう
故好而知其悪         それゆえに、好きなものに欠点を認めたり
悪而好知其美者        嫌いなものに長所を認めることができる人は
天下鮮矣           この世の中には少ないのである。
故諺有之、曰         ゆえに、諺でも次のように言っている。
人莫知其子之悪       「親が子供の欠点を知ることは少ない
莫知其苗之碩         自分の田の苗が他より大きいことには気づかない」
之謂身不修不可以斉其家    したがって、自らを修めないと、自らの家を斉(ひと)しく判断することができない、と言うのである。

daigaku2#1001

所謂治国必先斉其家者    「国を治めたいとするならまず自分の家を公平に扱え」というのは以下の事情を言う。
其家不可教而能教人者無之   自分の家の者に教えることができないものが他人に教えることもできない。
故君子不出家而成教於国    ゆえに君子は家を出ないで(自家で手本を示すことによって)国中に教えをなすことができる。

daigaku2#1002

孝者所以上事君也      (孝が君主に仕える所以?)
弟者所以事長也       (悌?弟?は年長者に仕える所以?)
慈者所以使衆也       (慈しみは民衆を使うコツ?)
康誥曰            書経の康誥編には次のようにある
如保赤子          「赤子を安んずる如し」と。
心誠求之          (心が誠にこれを求めれば??)
雖不中不遠矣         当たらずといえども遠からず。
未有学養子而后嫁者也     子を養うことを学んでから結婚する女性はいない。

daigaku2#1003

一家仁、一国興仁       指導者の家で思いやりが行き届いていれば、国民全体が思いやりのある国になる。
一家譲、一国興譲       一家に譲り合いの風習があれば、国全体に譲り合いの風習が興(おこ)る。
一人貪戻、一国作乱      指導者が貪欲になれば、国全体が乱れる。
其機如此           為政者の行動と国民の態度との関係はこのようなものである。
此謂             これは次のようにも言われている。
一言[イ賁]事        「心ない一言は紛争を巻き起こし
一人定国           心ある一人は国を安定させる」と。
尭舜率天下以仁        尭や舜は天下に広い思いやりを示したので
而民従之           民衆もそれに見習って思いやりのある社会を作った。
桀紂率天下以暴        桀や紂は天下に横暴を尽くしたので
而民従之           民衆もそれに見習って横暴になった。
其所令反其所好        為政者が彼自身の態度と異なる命令をしても
而民不従           民衆はそのような命令に従うものではない。(民衆は命令に従うのではなく、為政者の態度をまねするのである)
是故君子           それゆえに、君子は
有諸己而后求諸人       まず自分をあたらめてから人にそれを求める。
無諸己而后非諸人       自分に非がないようにしてから人を批判する。
所藏乎身不恕         自分自身を大切にしないで
而能喩諸人者         他人を諭すことが出来るような人は
未之有也           ありえない。
故治国在斉其家        それゆえに、「国を治めたいならまず自分の家を公正に扱え」という。

daigaku2#1004

詩云             詩経には次のような詩がある
桃之夭夭          「桃の木が若々しい。
其葉蓁蓁           その葉は青々と茂っている。
之子于帰           この家の娘が結婚する。
宜其家人           おめでとう、この家の人々」
宜其家人           家の人々が祝福される状態になって
而后可以教国人        その後に、国の人々を教えることができる。
詩云             詩経には次のような言葉がある
宜兄宜弟          「兄たちと仲良く、弟たちと仲良く」
宜兄宜弟           兄たちと仲良く、弟たちと仲良くして、
而后可以教国人        その後に、国の人々を教えることができる。
詩云             詩経には次のような言葉がある
其儀不?          「その模範にはくるいがない。
正是四国           それによって、四方の国々を正している」
其為父子兄弟足法       為政者の親子関係、兄弟関係が模範的であり、
而后民法之也         その後に、民衆も模範的になる。
此謂治国在斉其家       これが「国を治めたいならまず自分の家を公正に扱え」という意味である。

    (?は戈−ノ/心:違うという意味らしい)

daigaku2#1101

所謂平天下在治其国者    「天下を平らにするためにはその国を治めなければならない」というのは次のことを言う。
上老老            為政者が老人を老人として丁重に扱えば、
而民興孝           国民の間には孝行の風習が興る。
上長長            為政者が年長者を年長者として尊べは、
而民興弟           国民の間に年長者を尊ぶ風習(悌)が興る。
上恤孤            為政者が孤児をあわれみ助ければ、
而民不倍           国民が為政者に叛くことはない。
是以君子有篭詛憩嗣蕁    これを「君子は篭襦覆韻辰)の道を行く」という。

  * 蓮畄蕁櫂

daigaku2#1102

所悪於上毋以使下       上に立つものは自分が下だったら嫌だと思うようなやり方で下の者を使ってはならない。
所悪於下毋以事上       下に立つものは自分が上だったら嫌だと思うようなやり方で上に仕えてはならない。
所悪於前毋以先後       前を行くものは自分が後ろだったら嫌だと思うようなやり方で後ろを先導してはならない。
所悪於後毋以従前       後ろを行くものは自分が前だったら嫌だと思うようなやり方で前について行ってはならない。
所悪於右毋以交於左      右に居るものは自分が左だったら嫌だと思うようなやり方で左と交わってはならない。
所悪於左毋以交於右      左に居るものは自分が右だったら嫌だと思うようなやり方で右と交わってはならない。
此之謂篭詛憩察       これを篭襦覆韻辰)の道という。

  * 蓮畄蕁櫂

daigaku2#1201

詩云             詩経には次のような言葉がある
楽只君子          「楽しきかな君子
民之父母           民衆の父母」
民之所好好之         民衆が好むものを好み
民之所悪悪之         民衆が憎むものを憎む
此之謂民之父母        これを「民衆の父母」という。
詩云             詩経には次のような詩がある
節彼南山          「切り立った南山は
維石岩岩           岩がごつごつしている。
赫赫師尹           輝く大師の尹氏を
民具爾瞻           民衆が仰ぎ見ている」
有国者不可以不慎       国を持つ者は慎重でなければならない。
辟則             模範的でない偏った行動を示せば、
為天下[謬−言+イ]矣     天下の恥辱を受けることになる。
詩云             詩経には次のような詩がある
殷之未喪師         「殷が支配権を有していた時代には
克配上帝           天の上帝の心にかなった政治を行っていた。
儀監于殷           殷が滅びた事情を顧みて戒めにせよ。
峻命不易           天の支持を維持するのは容易ではない。」
道得衆則得国         民衆の支持を得れば国を得ることができる
失衆則失国          民衆の支持を失えば国も失うのだ。

daigaku2#1301

是故君子先慎乎徳       これゆえに君子はまず自分の徳を慎む
有徳此有人          徳があれば国民が帰服する
有人此有土          国民が帰服すれば国土が安定する
有土此有財          国土が安定すれば税金も徴収できる
有財此有用          税金を徴収できれば為政者がそれを用いることが出来るようになる。
徳者本也           徳が先にあり
財者末也           財はその結果として生まれるものである。
外本内末           これを逆にすると
争民施奪           国民を争わせ、奪い合いを教えることになる。
是故             それゆえに、
財聚則民散          政府が徴税強化に走れば民衆は離散し
財散則民聚          政府が福祉政策を行えば民衆が集まってくる。
是故             それゆえに、
言悖而出者          道にはずれた言動を行えば、
亦悖而入           道にはずれた言動が返ってくるのと同様に、
貨悖而入者          道にはずれた財貨を得ようとすると、
亦悖而出           道にはずれて出ていってしまうのである。

daigaku2#1401

康誥曰            書経の康誥編には次のような言葉がある。
惟命不于常         天命というものはいつまでも同じではない」。
道善則得之          為政者が善を行えば天命を得ることができ、
不善則失之矣         為政者が不善を行えば天命を失うのである。
楚書曰            楚書に次のような言葉がある。
楚国無以為宝        「楚の国にはこれといった宝はない
惟善以為宝          ただ善人が多いこともって宝とするのである」。
舅犯曰            舅犯は次のように言った。
亡人無以為宝        「亡命中のわたしには宝というものはない
仁親以為宝          ただ広い思いやりを持った親族が居ることだけが宝なのだ」と
秦誓曰            書経の秦誓編には次のような記事がある。
若有一个臣         「ここに一人の家臣がいて
断断兮無他技         誠実な他にはこれといった技術もない。
其心休休焉          その心はゆったりとしていて
其如有容焉          人をよく受け容れる。
人之有技           人に技ありとみれば
若己有之           己の技のごとく彼を推薦し、
人之彦聖           人が聡明であるとみれば
其心好之           それを喜んで愛好する。
不啻若自其出口        口先だけでなく、
寔能容之           実際にも受け容れて、
以能保我子孫         彼の子孫は安心であり、
黎民尚亦有利哉        国民もまた大きな利益を得ることができる。
人之有技           逆に、その家臣が、人に技ありをみれば
[女冒]嫉以悪之        嫉妬して彼を憎み、
人之彦聖           人が聡明なのを見ると
而違之俾不通         彼を陥れ採用されないようにし、
寔不能容           他人を受け容れることができないなら、
以不能保我子孫        彼は子孫に地位を継がせることができないし、
黎民亦曰殆哉         国民もまた危険な目に会うだろう」。
唯仁人            広い思いやりがある人でなければ
放流之迸諸四夷        このような逆臣を辺境の地に追放し、
不与同中国          国内に居させないようにすることができない。
此謂唯仁人          これを「広い思いやりがある人だけが、
為能愛人           よく人を愛し、
能悪人            よく人を憎むことができる」という。
見賢而不能挙         賢いことを認めながら推挙せず
挙而不能先          推挙しても仕事をさせないなら
命也             怠慢である。
見不善而不能退        不善であるこをと見ながら退けず、
退而不能遠          退けても遠ざけないなら
過也             過失である。
好人之所悪          人が悪いと思うことを好み
悪人之所好          人が好ましいと思うことを憎むなら
是謂拂人之性         その人間は人間性に欠けるという。
?必逮夫身          災いがその人を滅ぼすだろう。
是故君子有大道        それゆえに、君子には大道がある
必忠信以得之         民衆や家臣の信頼を裏切らず(忠)、約束を必ず守れば(信)成功し、
驕泰以失之          驕ったり気を抜けば失敗する。

    (?は「蕾」「蓄」に似た字。サイと読む、災害と同じ意味)

daigaku2#1501

生財有大道          経済的に繁栄するようにするには大道がある。
生之者衆           生産が多く
食之者寡           浪費が少なく
為之者疾           作るのが速く
用之者舒           使うのが遅ければ
則財恒足矣          常に満ち足りた状態になる。
仁者以財発身         仁のある人は財力を手段として能力を発揮する。
不仁者以身発財        仁のない人は能力を手段として財力を得る。
未有上好仁而         為政者が仁の政治を行って、
下不好義者也         民衆が正しいことを好まなくなるということはあり得ない。
未有好義           正しいことを好んで行うときに、
其事不終者也        「その事」がなしとげられないこともあり得ない。
未有府庫財非其財者也     財産というのは(使いもしないのに)いつの間にか消えてしまうというものではない。

daigaku2#1601

孟献子曰           孟献子は次のように言った。
畜馬乘不察於鶏豚      「馬車に乗るような身分になれば、鶏や豚のことは気にしなくなる。
伐冰之家不畜牛羊       氷室に氷を貯える家に住むような身分になれば、牛や羊にも気にしなくなる。
百乘之家           大きな領土を持つ領主になれば、
不畜聚斂之臣         厳しい徴税官を雇う必要もなくなる」と。
与其有聚斂之臣        厳しい徴税官を雇うくらいなら
寧有盗臣           横領をする役人の方がましだ。
此謂国不以利為利       これを「国家にとっては、利は利ではなく
以義為利也          義こそ利である」という。

daigaku2#1602

長国家而務財用者       国家の長であって徴税を重視するものは
必自小人矣          つまらない人物を採用してしまう。
彼為善之           上司から見て良いと思っても
小人之使為国家        つまらない人物が国政を担当すると
?害并至           災いが頻発するようになる。
雖有善者           こうなってしまっては、善ある者と言えども
亦无如之何矣         いかんともしがたい。
此謂国不以利為利       これを「国家にとっては、利は利ではなく
以義為利也          義こそ利である」という。

    (?は「蕾」「蓄」に似た字。サイと読む、災害と同じ意味)

Last modified:2014/11/01 18:26:26
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