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『一切』

『一切』

  1. キーワード

定義

《ブッダの「一切」》《たけ(tk)の思いこみ》で捉え直したモノ『一切』と言う。

記述

区別

『一切』《一切》

  1. ヒトは、主観的には『一切』の知者であることができるが、客観的には《一切》の知者であることはできない。主観的な『一切』は知ることができるが、客観的な《一切》は知ることができない。ヒトは、《彼》が知りうる『一切』を知ることができるが、《彼》が知り得ない《一切》は知ることができない。
  2. 『私は彼を知っている』という《思いこみ》が『客観』の《思いこみ》原因だろう。・・『客観』の《思いこみ》原因は、ボス猿のプロパガンダなのだ、と言った方がよろしいとは思う。ボス猿が、「お前立ちはこれこれのモノである」と追従ザルに述べ、追従ザルたちはそのボス猿コトバを信じているのだ。『心地よいウソ』をして受け入れてた《思いこみ》が『客観』という《思いこみ》なのだろう。ボス猿自身は「客観」が《騙し》のコトバであることを承知の上で、追従ザルたちに《騙し》のコトバを信じさせているのだ。信じさせることが《彼》の《欲求実現手段》として有効だからだ。

《欲求実現手段》『一切』

  1. 《欲求実現手段》『一切』か?
    1. ○:
      1. なぜか、である。
      2. 《世界》は《欲求実現手段の世界》である。
      3. 《知られつつあるモノ》『一切』《欲求実現手段》《視点》モノであると看做すことができる。《思いかさね》が可能である。
      4. 無数に在る「『一切』を構成しうる《視点》」の一つである。
    2. ×:
      1. 《ブッダの「一切」》とは異なる。たけ(tk)『一切』とも異なる。
      2. 『一切』《欲求実現手段》であるというのは、《視点》である。そこでの《欲求》は、『結果』とイコールであり、モノの今の《動き》には、行く末の『結果』が対応しているから、今のモノ《動き》は『結果』を《求めつつあるモノ》である、それゆえ、今のモノ《動き》や存在は、そのモノ自身や、《私》《欲求実現手段》である。という論理である。《行く末》に鏡をおいて《いま》を見る《視点》である。
      3. 『一切』を構成しうる《視点》は無数に在る。

《求める思いこみ》『一切』

  1. 『一切』《求める思いこみ》である?
    1. ○:『一切』は、『一切』《求める思いこみ》の鏡像である。《エウドクソスの「善」》
    2. ×:《モノの世界》は、知られることが可能なモノたちであり、《エウドクソスの「善」》に、いまだ取り込まれているとは限らないモノであり、《エウドクソスの「善」》ではないモノである。《モノの世界》は、『知ること』を《求める思いこみ》で、《知った思い描き》になりうるとしても、《知った思い描き》とは別のモノである。《知った思い描き》は《求める思いこみ》の鏡像であるが、《モノの世界》《求める思いこみ》の鏡像ではない。『一切』《モノの世界》《求める思いこみ》とに分離する。

『一切』《思い描き》

  1. 《思い描き》の「中心」を浄化してみる。
  2. 『一切』《思い描き》である。《我》にせよ、《認識限界》の先の《背後者》にせよ、》自己言及》にせよ、『一切』《思い描き》である。《私》の知り得たモノ《思い描き》でないモノはない。
  3. ブッダの言う「心の作用」だな・・。
  4. 『一切』心の作用である」という自己言及的な《思いこみ》を維持しつつも、にもかかわらす、それはそれとして、それ以外のタイプのモノもある、というのが《ブッダの「一切」》の分類なのだろう。

《往にし方》⇔《いま》⇔《行く末》『一切』

  1. 《往にし方》⇔《いま》⇔《行く末》『一切』である。

イッサイ・イシモ・100

  1. 《息しつつあるモノ》《視点》においては、『一切』は、《今・ここの・この肉の塊》と、その内部の《世界》である《体内世界》と、外部の《世界》である《体外世界》とで構成される。
  2. 《思いこみ》《体内世界》の中のモノである。
    1. 《一切》というモノ『一切』という《思いこみ》が指し示しつつあるモノである。《一切》というモノと、『一切』という《思いこみ》とは離れて存在する。
    2. 『一切』は、『一切』という《思いこみ》によって指し示されつつあるモノである《一切》への《知った思いこみ》である。
    3. 《思いこみ》《知った思いこみ》『一切』に含まれる。
    4. 《思いこみ》を含んだ『一切』モノであり、そのモノ《知った思いこみ》である。モノ《知った思いこみ》無限ループ、無限包含関係。
    5. とまあれ、『一切』《思いこみ》とは離れて存在するモノである。
  3. 《動き》『一切』の一部である。
  4. 《今・ここの・この肉の塊》は《永遠の今》の中に在る。未来は予感として《永遠の今》の中にあり、過去は記憶として《永遠の今》の中に在る。未来は今となり、今は過去となる。そのようなモノとして《今・ここの・この肉の塊》時間の中に在る。時間は、そのようなモノとして、『一切』の中に在る。知られつつある時間《知った思いこみ》を生み出す。《知った思いこみ》時間を指し示す。『一切』時間の中にあり、時間『一切』の中に在る。無限包含関係。
  5. 《客観世界》=直接知されない物理空間は推測として『一切』の中に在る。推測としての《客観世界》《今・ここの・この肉の塊》の中の《思いこみ》である。《今・ここの・この肉の塊》《客観世界》の中に在る。無限包含関係。
  6. 《繋がり》『一切』の中に在る。《繋がり》は、《今・ここの・この肉の塊》《思いこみ》《動き》、他のモノ《思いこみ》《動き》によって、形成されるモノである。
    1. 《繋がり》《思いこみ》の相互影響関係である。《思いこみ》の相互影響関係は『一切』の中にある。
    2. 《今・ここの・この肉の塊》の内部の《思いこみ》は、《サル山のサル》《思いこみ》との相互影響関係において生じる。

《今・ここの・この肉の塊》からの『一切』モノからの『一切』

  1. すべてのモノには、そのモノからの『一切』がある、だろう。しかし、それについて語るためには、《今・ここの・この肉の塊》からの『一切』への《見通し》を得ておく必要がある。

『一切』《一切》

  1. いまだ、直接知は出来ていない。いまだ、《思い描き》の段階である。いまだ、《見通し》は得ていない。それが何であるのか、どのようなモノであるのか、不明である。

たけ(tk)『一切』《ブッダの「一切」》

  1. 同じだろうね。
  2. 《ブッダの「一切」》《他者の思いこみ》であり、厳格には不可知である。たけ(tk)『一切』は、未だ不明である。

《混濁》『一切』

  1. 《混濁》『一切』であるか?
  2. 《混濁》《混濁》においては『一切』である。《混濁》《視点》においては、《混濁》『一切』である。
  3. 《混濁》が分離するに従って、《知りつつあるモノ》《知られつつある混濁》『一切』となる。
  4. 混濁した精神状態も『一切』に含まれる。
  5. 『一切』見失った精神状態も『一切』に含まれる。
  6. 《極座標の原点》《混濁》『一切』に含まれる。
  7. 心が萎えた時の『一切』と、広い《見通し》の中に在るときの『一切』とは、同じか?
  8. 『一切』は、知られなくても客観的に存在するか?
  9. 『一切』モノを原点として存在する。モノにとっての『一切』モノからの『一切』である。
  10. モノは、既に、『一切』を知っている。モノの内部に在るヒト的な《知りつつあるモノ》『一切』に関する《知った思いこみ》を生じさせるかどうかは関係ない。
  11. 《今・ここの・この肉の塊》というモノが既に知っている『一切』に、《今・ここの・この肉の塊》の内部のヒト的な《知りつつあるモノ》が気がつくこと。

『一切』《繋がり》

  1. 《いま・ここの・この肉の塊》は《思いこみ》をもち、《サル山のサル》《思いこみ》をもち、《いま・ここの・この肉の塊》は《サル山のサル》として他の《サル山のサル》との《繋がり》をもつ。《サル山のサル》《繋がり》《思いこみ》である。《思いこみ》《動き》を作り出し、《動き》《思いこみ》を作り出す。
  2. 陽子や中性子は《思いこみ》をもち、《思いこみ》《動き》を作り出し、《動き》《思いこみ》を作り出す。陽子や中性子の《思いこみ》《動き》において、彼らは《繋がり》をもち、原子核というモノを作り出す。
  3. 二重スリット問題も、電子とスリットとの《繋がり》によって生じる。電子は二本のスリットを含む彼の世界との《繋がり》をもつ。電子は世界《知った思いこみ》をもつ。その《知った思いこみ》において、彼は自分の《動き》を選択する。

『一切』《思いこみ》

  1. 『一切』《思いこみ》である。「一切」というコトバによって生じる《思い描き》である。《思い描き》としての『一切』《一切》というモノを指し示す。《思いこみ》モノとは離れて在る(離存性)。
  2. 《一切》というモノは、《知られつつあるモノ》である。《知られつつあるモノ》《知った思いこみ》を生じさせる。《知った思いこみ》《思いこみ》である。
  3. 《知られつつあるモノ》《知った思いこみ》を生じさせ、そのような構造における《知られつつあるモノ》モノ《一切》というモノ)である。
  4. しかし「《知られつつあるモノ》《知った思いこみ》を生じさせ、そのような構造における《知られつつあるモノ》モノ《一切》というモノ)である」という認識も《思いこみ》である。
  5. モノ《知った思いこみ》無限ループ
  6. モノ《知った思いこみ》無限ループにおける《知られつつあるモノ》を《モノ》であるという他ない。それ以上はできないのであれば、そこで満足すべきである。
  7. イデア実在論の解は採らない。

『一切』《動き》

  1. モノ《動き》『一切』に含まれる。
  2. 『一切』動く『一切』自体にも《動き》がある。
  3. 『一切』自体の《動き》『一切』に含まれる。自己包含関係。
  4. 『一切』《動き》において時間に含まれる。時間『一切』に含まれる。自己包含関係。

《息しつつあるモノ》『一切』『よい』『わるい』

  1. 《息しつつあるモノ》『一切』『よい』『わるい』はあるか?
  2. 《息しつつあるモノ》への『よい』『わるい』、と、《息しつつあるモノ》からの『よい』『わるい』
  3. 『よい』『わるい』の判断の対象は、《私》の次の《動き》である。
  4. イシイ・ヨイワル・100
  5. 《息しつつあるモノの「一切」》

『一切』《息しつつあるモノ》

  1. イッサイ・イシモ・100
  2. 《息しつつあるモノ》『一切』と向き合っており、『一切』との向き合いにおいて『なすべきこと』を知っている。
  3. イシモ《動き合い》『一切』を知る。
  4. イシモ《動き合い》『一切』と繋がる。
  5. イシモ《動き合い》で繋がったモノを通して『一切』を知る。
  6. ---
  7. もちろん、《息しつつあるモノ》『一切』の一部である。
  8. 『一切』は一つのモノである。
  9. 一つのモノとしての『一切』を捉え返すこと。
  10. 一つのモノとしての『一切』にとっての《善し・悪し》。《善し・悪し》は事象と『一切』と心地よさ(謙)との間にある。
  11. 『一切』の捉え返しも、『一切』にとっての《善し・悪し》も、『一切』の内部のモノである。『一切』内部の「心の作用」である。『一切』の内部的な自動運動である。
  12. 自己言及概念としての『私』は「心の作用」である。《モノの世界》モノアレーテイア)としての《私》『一切』の一部である。《身体》『一切』の一部である。記述の出発点の探索は「心の作用」である。
  13. 《身体》《私》動かすべきモノである。
  14. 『仕事』《私》が、それのために《身体》動かすべきモノである。
  15. ヒトの居る空間》は《私》『仕事』をする空間である。《ヒトの居る空間》は『一切』の一部である。『仕事』《思いこみ》やその《動き》としては「心の作用」であり、《身体》《動き》としては「心の作用」の客体であり、『一切』の一部である。
  16. 《身体》動かすことは『仕事』である。呼気に合わせて下腹部を引っ込めるのは『仕事』である。息することは《私》『なすべきこと』の99%である。
  17. 『一切』《息しつつあるモノ》の『したいこと』である。《近傍物理空間》のすべてのモノのすべての《動き》《息しつつあるモノ》の『したいこと』である。

『一切』時間

  1. それぞれの《思いこみ》モノ『一切』時間の流れの中の一場面である。
  2. 『一切の時間の流れ』。

『一切』と『一切の心の作用

  1. 皮膚感覚の向うにある《他者の思いこみ》を感じ取ることは『一切の心の作用』の一部である。

『一切』と実務的なこと。

  1. 実務的なことは、《体内感覚世界》から見た《身体》の向こう側の《近傍物理空間》のなかにある。

『一切』《複素数の時空》

  1. 《ブッダの「一切」》は「物の作用」と「心の作用」である。つまり、実数空間と虚数空間である。つまり、《複素数の時空》である。

『一切』と《多次元輪郭空間

  1. 『一切』への《視点》は、《多次元輪郭空間》への《視点》である。
  2. 多次元輪郭空間》には、多次元の座標軸と、そこに配置された多数のモノと多数の《視点》で構成される。それぞれのモノはそれぞれの《視点》を持つ。
  3. 「内側からの《視点》⇔外側からの《視点》」という座標軸。((「ウチ⇔ソト」はウチへの《視点》、ソトへの《視点》である。内側からのウチへの《視点》、内側からのソトへの《視点》、外側からのウチへの《視点》(彼の内部への彼の外側からの《視点》)、外側からのソトへの《視点》とがある(彼の外側からの、「彼から見た彼の外部」への《視点》)。))
  4. 《コトバの世界》《視点》《視点のパラメータ》。『複数のヒトによって確認された』という安心感を伴う《コトバの世界》。『伝聞世界』。『現実』『科学』

『一切』《モノの世界》《視点》

  1. 『一切』《視点》《モノの世界》である。
  2. 《複眼的視点》。《視点のパラメータ》。両眼の距離と位置関係が分かれば、《複眼的視点》を持つことができるようになる。立体的に見ることができるようになる。
  3. 『一切』とは、多数の《視点》と多数の《モノの世界》である。
  4. すべての部屋には内側から見た《モノの世界》が在る。
  5. 《視点》を排除した《視点》=客観的な《視点》=は、「そういう《視点》」であるに過ぎない。
  6. 『心地よいウソ』で、自分の部屋を飾ること。自分の部屋の内部に世界のミニチュアを作って遊ぶこと。自分の部屋を出ないで、外の世界を見通そうとすること。
  7. 我々は自分の部屋を出ることができない。自分の部屋を移動させることしかできない。自分の部屋を、世界の中で移動させ、その位置から世界を見ること、ができるだけ。自分の部屋を移動させるには、《ちから》が必要であるが、その《ちから》の故に、世界が見えなくなる。

『一切』アレーテイア

  1. 存在するモノは全てアレーテイアである。『一切』アレーテイアである。

《モノの世界》《思いこみの世界》

  1. たけ(tk)『一切』《モノの世界》《思いこみの世界》である。切り分け方の問題。
  2. 《モノの世界》の視点から、「《思いこみの世界》《モノの世界》に含まれる」ということもできる。《思いこみの世界》の視点から「《モノの世界》《思いこみの世界》に含まれる」ということもできる。《多次元輪郭空間》で理解すべきだろう。
  3. たけ(tk)『一切』《視点》世界から成り立っている。
  4. たけ(tk)『一切』は《多次元輪郭空間》の《視点》である。
  5. すべてのモノは、そのモノからの《視点》を(一つ以上)持つ。
  6. 《浄化球》の中の『一切』は、それ(《浄化球》の中の『一切』)からの《視点》を持つ。
  7. 《浄化球》の中の『一切』は、《多次元輪郭空間》らの《視点》を持つ。
  8. 《コトバの世界》《視点》《視点のパラメータ》と、《モノの世界》《視点》《視点のパラメータ》《思いこみの世界》《視点》《視点のパラメータ》
  9. 《思いこみの世界》は、たけ(tk)《思いこみ》世界《コトバの世界》は、《共有思いこみ》世界《個有思いこみ》《共有思いこみ》とは混然と混じり合っているので区別はつかない、が、《視点》の位置は、対極に在る。パラメータに名前を付ける必要がある。「《思いこみ》の共有度」というパラメータ。0%から100%。モノとしては0%、100%という純粋なモノはない、が、視点としては、0%の位置に《個有思いこみ》《視点》が在り、100%の位置に《共有思いこみ》《視点》が在る。
  10. 《動きつつあるモノ》《視点》は、彼が動く世界ルール《視点》である。囲碁を行うモノは、囲碁のルール《視点》動く。対局者は『勝ち』を目ざして動く、というのも囲碁のルールである。相手も『勝ち』を目ざして動く。この手を打てば、相手はこう応じる、というのは囲碁のルールの応用・発展であり、ルールの拡大である。先読みも囲碁のルールである。プレイヤーはゲームの『ルール』の《視点》動く
  11. ルール』は支配者でもある。支配者の《視点》動く追従ザルボス猿《視点》動く追従ザルは、ボス猿《視点》《動きつつあるモノ》である。追従ザルは、ボス猿《視点》を、理解するのが困難である。追従ザルは、ボス猿もまた追従ザルであると思い込む、のが、心地よい《思いこみ》である。理解可能な《思いこみ》である。祀り上げを行うボス猿は、理解しやすいボス猿である。殷代の政治形態。祭政一致政体。祀りごとの政(まつりごと)。ワンフレーズ政治は、祀りごと政治の「ワッショイかけ声」のようなモノ。御輿をどっちに持っていくかが、重要課題なはずなのだが、それに興味を持つ担ぎ手は少ない。御輿の担ぎ手の《視点》

《浄化球》『一切』

  1. 《浄化球》の中に『一切』を入れる。
  2. 身体感覚と《近傍物理空間》クオリア
  3. テレビ。浄化球の中に一切があり、一切の中にテレビがある。テレビに感応すべき身体部分の痛み。

《プログラミング・オブジェクト》『一切』

  1. 《プログラミング・オブジェクト》の外部世界『一切』は、《クライアント・オブジェクト》と、《サーバ・オブジェクト》である。《クライアント》からの依頼を受け、《クライアント》に結果を返す。その処理の過程で、《サーバ・オブジェクト》に処理を依頼し、《サーバ》からの結果を受ける。
  2. マダニ環世界のようなものだな。
  3. 《プログラミング・オブジェクト》からのプログラマへの《見通し》は、創世主といったところか。《プログラミング・オブジェクト》《描かれつつある思いこみ》である。《描かれつつある思いこみ》《視点》から見れば、《思い描きつつあるモノ》は創世主である。

『一切』『なすべきこと』

  1. 『なすべきこと』の1は『一切』への《見通し》である。ナベコ、イサミ。
  2. イサミの1は《体外世界》への《見通し》である。
  3. イサミの2は《体内世界》への《見通し》である。
  4. イサミの3は・・
  5. ナベコの2は『一切』への《感じ合い》である。イカイ。
  6. 《感じ合い》への《見通し》、は、《感じ合い》を破壊する。か?
  7. 《感じ合い》クオリアへの《見通し》
  8. 《感じ合い》クオリアを感じる《視点》。の《視点のパラメータ》は?
  9. 『一切』への《感じ合い》『一切』の中に《見通し》もある。《見通し》への《感じ合い》《感じ合い》への《見通し》への《感じ合い》。を無限ループにして唱えたら、《見通し》が始めに後頭部にあり、それが下丹田に落ちた、次に、《感じ合い》が下丹田に落ちた、すると、《見通し》が後頭部に戻った。下丹田《感じ合い》からの、上丹田《見通し》への、《感じ合い》《感じ合い》も後頭部に移動して、《見通し》と合体した。

#イカイの1は・・

『一切』《肉の塊》

  1. 群生相での、この《肉の塊》からの《混濁》『一切』への《見通し》への入り口である。
  2. この《肉の塊》からの『一切』への《見通し》
  3. 客観的にはすでに『一切』への《見通し》がある。主観的にはそうではない。という主客のギャップ。
  4. その《肉の塊》の中に鏡を置いて、見ると、その鏡からの主観的な《見通し》は、そのモノからの客観的な《見通し》の一部でしかないことが分かる。なぜ?ホント?
  5. 群生相の在り様への《見通し》
  6. 《混濁》から群生相に戻るときに何がみてくるから、モノたちのアニマヒトたちのアニマが見えてくる。

『一切』《近傍物理空間》《身体》

  1. 『一切』《近傍物理空間》《体内世界》である。
  2. 心の作用」、《思いこみ》《体内世界》にある。《思いこみの世界》《体内世界》にある。
  3. 《思いこみの世界》の中に、ほとんどすべてのモノがある。
  4. 《思いこみの世界》とはヒト《思いこみ》のすべて、の集合である。《私》《思いこみ》のすべて、の集まりである。

思いこみの世界は体内世界の中にある。 時間は一切の中にある。時間は思いこみの世界の中にある。

『一切』《視点》

  1. これは一切の中での今ここのこのモノである。
  2. 一切は××の中にあり、××は一切の中にある。
  3. これは一切の中の××である。これは××の中の一切である。
  4. すべてのモノは一切を包含し、すべてのモノは一切に包含される。
  5. これは一切の中の酔っぱらいである

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