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『モノ』

『モノ』

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定義

『モノ』とは、《名前》から生じる《思い描き》である。

  1. 『モノ』《思い描き》に対応する実在する《モノ》があるかどうかは別の話である。対応する《モノ》が在る場合もあるし、無い場合もある。
  2. 『モノ』と《モノ》とが対応している場合には、モノという。
  3. 実在する《モノ》が無い場合には《仮想実在》と呼ぶ。
  4. デジタルデータとしては在るが、実在するモノとは言いがたいような『モノ』《デジタル実在》と呼ぶ。

記述

区別

モノ《名前》

  1. たけ(tk)《世界》が異常なのは、《モノの世界》から《名前》が消えてしまっていることだ。《たけ(tk)》は《名前》のないモノたちに囲まれている。だけど、ホントは、それがホントなのだ。《健常者》モノには《名前》があると思っている。しかし、《名前》モノについているのではなく、ヒトがそのモノを指し示すために付けるだけのモノだ。もちろん、タバコの空箱に「奥の一番右の空箱、奥の一番左の空箱」といったように、臨時の《名前》を付けることは可能だ。しかし、《名前》モノについているわけではない。
  2. 『モノ』モノ《思い描き》としての『モノ』《名前》はどうか? 《思い描き》《名前》がついているわけではない、が、ヒト《思い描き》《名前》を付けることはできる。モノ《名前》との構造と、同じ構造だ。『タバコの空箱たち』という《思い描き》には「タバコの空箱たち」という《名前》を付けてある。((《名前》を付けないと文章にできないね))。《直知》した、タバコの空箱たちの記憶《思い描き》として残っている。「タバコの空箱たち」というコトバを唱えると、その《思い描き》がよみがえる。よみがえったのは《思い描き》であって、モノたちではない。((まあ、今のところ、片づけていないから、目を開ければ、そこにモノたちは在る))。
  3. たけ(tk)》は「日本列島」というコトバを聞いても、《日本列島》というモノが思い描けない。地図帳のイメージは思い浮かぶが、地図帳のイメージは《日本列島》というモノではないことを知っている。飛行機で、海岸線の一部分を眺めて、地図との突き合わせをして、その地図が実際の地形と、その部分ではあっている、という検証はできる。鉄道で旅をして、その半島までの距離が地図上の距離に比例している、といった《実感》を得ることはできる。しかし、部分的だ。《日本列島》というモノへの《思い描き》は無い。北の端から南の端まで歩いて《実感》したとしても、《日本列島》のすべての地点を実感することはできない。《日本列島》を《直知》することは、たぶん、無理だろう。たぶん、《日本列島》というモノ《直知》することは、だれにもできない。スペースシャトルに乗って、地球を眺めてそこに《日本列島》を《直知》したとして、その形は実感するだろうが、そこに住んでいる人々の実感とか《空気》とかを、《直知》できたわけではない。どうやっても、たぶん、《日本列島》を《直知》することは、誰にもできない。では、人々は『日本列島』を知っているのだろうか? 知っていると思いこんでいるのだろうか?
  4. たぶん、《健常者》たちは、「日本列島」というコトバを「日本列島(にほんれっとう、にっぽんれっとう)は、ユーラシアプレートの東端に位置し、太平洋西部にある日本海溝に沈む手前の地帯において隆起した弧状列島。広義の日本列島は樺太(サハリン)、北海道、本州、四国、九州の主要5島とまた、千島列島や南西諸島・伊豆諸島などの島嶼からなる。まれに、台湾島を含めることもある。狭義の日本列島は、現在日本が実効支配している領域を指す。ただし、小笠原諸島に関しては、日本列島に含めるのは、地理学的に不適切である(詳細は「#意識の中の日本列島」)。」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%97%E5%B3%B6)といってコトバに置き換えることができれば、《日本列島》を知っている、と思いこむのだろう。もしくは、地図や衛星写真のイメージがあれば、『知っている』と思いこむのだろう。
  5. 《健常者》モノ《名前》を知っていれば、そのモノを知っている、と思いこんでいるのだ。
  6. 《名前》を知っており、《名前》から何らかの《思い描き》が生じる時に、その『モノ』を『知っている』と思いこむ。《モノ》の《思い描き》を知っている時に、その『モノ』を知っている、と、言う。その《思い描き》がどんなに貧弱なモノであったとしても、知っていると思いこむ。というか、コトバ(その《モノ》の《名前》から生じる《思い描き》)を知っている、ということだ。
  7. 『モノ』とは、その《モノ》の《名前》から生じる《思い描き》である。

モノ》と『モノ』

  1. モノ》への《思い描き》としての『モノ』《仮想実在》《デジタル実在》『意味』としてのモノ
  2. 《仮想実在》においては、『意味』『モノ』の存在理由であり、《モノ》は実際には、どうでもよいのである。100円玉10枚でも、千円札一枚でも、違いを気にするヒトはあまり居ない。財布の中の数枚の千円札のどれを使うかを気にするヒトは居ない。

検索

   *  モノ - [#『モノ』、モノの《思い描き》としての『モノ』の《名前》はどうか? 《思い描き》に《名前》がついているわけではない、が、ヒトは《思い描き》に《名前》を付けることはできる。モノと《名前》との構造と、同じ構造だ。『タバコの空箱たち』という《思い描き》には「タバコの空箱たち」という《名前》を付けてある。((《名前》を付けないと文章にできないね))。《直知》した、タバコの空箱たちの記憶が《思い描き》として残っている。「タバコの空箱たち」というコトバを唱えると、その《思い描き》がよみがえる。よみがえったのは《思い描き》であって、モノたちではない。((まあ、今のところ、片づけていないから、目を開ければ、そこにモノたちは在る))。]
   * コトバ - [#問題を複雑化しているのは、ヒトの社会においては、《思いこみ》でしかないものをモノとして扱っていることだろう。たとえば、国家とか貨幣とか・・。《ヒトの群れ》においては、《群れ》で《思いこみ》を共有し、その共有《思いこみ》の中の『モノ』を実在のモノと同じレベルの実在の『モノ』として扱う、という手法によって、《群れ》を維持している、という特徴が在る。実在のモノと『モノ』では全く異なるモノだから、『オブジェクト』と呼ぶことにしよう。『オブジェクト』は《思いこみ》の中の《思いこみ》としての『モノ』のことだ。]
   * 《自己言及》 - [#自己言及のパラドックスはコトバによって語られたことによって生じる『モノ』という《思いこみ》と《モノ》とは同一であるという《思いこみ》から生じる。しかし私が「コーヒーカップ」と言い、あなたがそれを聞いた時、あなたにとっての『コーヒーカップ』はイメージでしかあり得ない。あなたのイメージとしての『コーヒーカップ』が私の目の前にある《コーヒーカップ》という《モノ》とが同じである、ということはあり得ないことである。イメージ(イデア)とモノとは別物なのである。]
   * 《思いかさね》 - [モノ - [#《思いこみ》はモノを指し示すことができる。モノは『モノ』という《思いこみ》に重ね合わせることによって、『理解』される。《指し示し》と《重ね合わせ》。《指し示し》は離存性を前提として、離れたモノを指し示す。《重ね合わせ》は、《思いこみ》とモノとの間の距離が意識されていない。主語と基体には離存性が意識されている。《指し示し》による認識と、《重ね合わせ》による認識。]]
   * 《生きモノたちの群れ》 - [#権力の実体は、追従者の自発的服従にある。『彼は権力者である』という《思いこみ》が、追従ザルにあることが、権力の実体である。が、これは、『社会的存在』のすべてにあてはまる。『自動車』という『モノ』も《思いこみ》によって存在する『社会的存在』である。《思いこみ》と行動様式の相互作用によって存在している。『自動車』というモノは存在しない。モノの側の属性としての『自動車』は存在しない。ヒトがそれを『自動車』であるという《知った思いこみ》を持ち、それを『自動車』として扱うかぎりにおいてのみ、それは『自動車』でありうるのである。]
   * 《直知》 - [《思いこみ》 - [#モノ自体は、直接知はできない。モノの現れを知ることができるだけ。ではあるが、モノの現れを透明化することによって『モノ』を知ることができる。モノ自体というよりは、モノの現れから再構成されたモノの《思いこみ》である。]]
   * 《思いこみ》 - [#モノ自体は、直接知はできない。モノの現れを知ることができるだけ。ではあるが、モノの現れを透明化することによって『モノ』を知ることができる。モノ自体というよりは、モノの現れから再構成されたモノの《思いこみ》である。]
   * 自発的服従 - [#権力の実体は、追従者の自発的服従にある。『彼は権力者である』という《思いこみ》が、追従ザルにあることが、権力の実体である。が、これは、『社会的存在』のすべてにあてはまる。『自動車』という『モノ』も《思いこみ》によって存在する『社会的存在』である。《思いこみ》と行動様式の相互作用によって存在している。『自動車』というモノは存在しない。モノの側の属性としての『自動車』は存在しない。ヒトがそれを『自動車』であるという《知った思いこみ》を持ち、それを『自動車』として扱うかぎりにおいてのみ、それは『自動車』でありうるのである。]
   * 《サル山のサル》 - [#権力の実体は、追従者の自発的服従にある。『彼は権力者である』という《思いこみ》が、追従ザルにあることが、権力の実体である。が、これは、『社会的存在』のすべてにあてはまる。『自動車』という『モノ』も《思いこみ》によって存在する『社会的存在』である。《思いこみ》と行動様式の相互作用によって存在している。『自動車』というモノは存在しない。モノの側の属性としての『自動車』は存在しない。ヒトがそれを『自動車』であるという《知った思いこみ》を持ち、それを『自動車』として扱うかぎりにおいてのみ、それは『自動車』でありうるのである。]
   * 《サル山のサルの群れ》 - [モノ - [#《サル山のサル》の《思いこみ》と行動様式の相互作用によって、或るモノが、特定の機能を持った『モノ』として扱われるとき、その『モノ』の《思いこみ》を『社会的存在』という。]]
   * アレーテイア - [モノ - [#そうではなくて、カントが言っているのは、「モノ自体」が、たけ(tk)のモノであって、カントの「モノ」は、『モノ』=《思いこみ》と行動様式の相互作用によって生じる、それが『そのようなモノである』という《思いこみ》のことなのではないか? アレーテイア。]]
   * 《視点のパラメータ》 - [#カオス的な《群れ》にも存在的《視点》がある。《視点》が秩序化したとしても、存在的な《視点》である。《視点》の秩序化は、世界の輪郭化である。世界から特定の『モノ』情報を切り出すことである。切り出されたモノ情報から特定の行動を導くことである。]
   * ID - [##《取り扱い》における《繋がり》。《取り扱い》は、本来的には、ヒトの《身体》とモノとの《繋がり》である。(《思いこみ》の中で『モノ』の《思いこみ》を取り扱う、という《取り扱い》は二次的、別物)。ヒトのモノへの《取り扱い》というタイプの《繋がり》。]
   * 《群れのアニマ》 - [#情報を取得するということは、『モノ』を知るということではない。]
   * 《モノの思いこみ》 - [《思いこみ》 - [#モノ自体は、直接知はできない。モノの現れを知ることができるだけ。ではあるが、モノの現れを透明化することによって『モノ』を知ることができる。モノ自体というよりは、モノの現れから再構成されたモノの《思いこみ》である。]]
   * ゴミ箱2005-07 - [#『それである』という《思いこみ》で思いこまれた『それ』という《思いこみ》は、その《思いこみ》によって指し示されたモノとイコールである、という《思いこみ》に駆動されている。『モノ』の《思いこみ》がモノとイコールであるという《思いこみ》。《思いこみ》とモノとがイコールであるという《思いこみ》。]

Last modified:2008/03/09 23:15:00
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References:[《名前》] [『モノ』] [モノ]