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『ニコマコス倫理学』

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引用文献『ニコマコス倫理学』

定義

岩波文庫

読書会

上、p.5:あらゆる人間活動は何らかの「善」を追求している。

上、p.5:だがもろもろの「善」の間には従属関係が存する。

    1. 従属関係、なのだろうか?
    2. 《状況》によって、《視点》によって異なるのではないか?
    3. アリストテレスの《視点》は、エピステーメー(「学」)の《視点》であるが。実際には《群れ》《視点》であるに過ぎないだろう。《群有思いこみ》《視点》。国家という《群れ》《視点》である。人類という《群れ》《視点》ではない。

上、p.15:いかなる実践も選択も、ことごとく何らかの善(アガトン)を希求している。

    1. そのようなモノとして「善」を定義する、ということ。
    2. 《私》《動き》の「善」と《他者の動き》の「善」とは同質のモノだろうか? 《同質者公理》を取るなら是であり、《特別者公理》を取るなら非である。
    3. 欲望も犯罪も「善」である、という「善」の定義。「悪意」「害意」に基づく行為も「善」の追求である、という「善」の定義。
    4. 「加害意図」は「善」である。少なくとも行為者にとっては、ある種の「善」である。「加害意図」は「快」であり、「快」は「善」である。

上、p.15:「善」をもって「万物の希求するところ」となした解明

  1. 《エウドクソスの「善」》。上、p.249(解説)。下、p.151。
  2. 《私》の希求するところ、《他者》の希求するとこと、《生きモノ》の希求するところ、モノの希求するところ、《群れ》の希求するところ、・・。
  3. 『よい』は主観相対的な概念である。
  4. 主観を超えた、客観的な『よい』は無い、か? ○:。×:。
  5. 一切の《動き》『目的』『よい』である。
  6. 万物には《求める思いこみ》がある。か?
    1. ○:
      1. たけ(tk)《アニミズム》においてはYES。
      2. 『目的』とは、《動き》と《未来》との《繋がり》である。客観的意味における《目的》とは、「そのモノと《未来》との《繋がり》」である。《目的因》とは、「モノ《動き》原因としての、そのモノと《未来》との《繋がり》」である。
      3. 《求める思いこみ》《動き》として表出されることもある。《動き》《求める思いこみ》表出である。
      4. そのモノが、「そのモノと《未来》との《繋がり》」を主観的に認知したときに、主観的な『目的』という《求める思いこみ》が生じる。
      5. 素粒子が「そのモノと《未来》との《繋がり》」を主観的に認知することができるかどうかは《公理》による。「素粒子も認知する」という《公理》も可能である。
    2. ×:
      1. 『目的』《動き》の『解釈』である。《他者の動き》『目的』は、《他者の動き》への、《私》からの『解釈』である。そのモノ『目的』があるのではない。
      2. 《求める思いこみ》なんて、《実感》しなくなって、ひさしいよ。
      3. 《求める思いこみ》は、そのモノと《過去》との《繋がり》であって、《未来》との《繋がり》ではない。
      4. 素粒子が「そのモノと《未来》との《繋がり》」を主観的に認知することはあり得ない。
  7. モノに、《未来》《行く末》からの《実感》は在るか? ○:。×:
  8. 《行く末》は「ゆく」+「すゑ(末)」。《往にし方》《往にしへ》=《往にし方(へ)》(去った方向)。《行方(ゆくへ)》(行く方向)。「往ぬ(いぬ)」「行く(ゆく)」。

上、p.15:活動それ自身が目的である場合もあれば、活動以外の何らかの成果が目的である場合もある。目的が何らかの働きそのもの意外にあるといった場合にあっては、活動それ自身よりも成果のほうがより善きものであるのが自然であろう。

  1. 目的的行動においては、行動の『よい』よりも目的『よい』の方が、より『よい』
  2. 目的的行動』という《動き》それ自体が『よい』のではないか?
  3. 目的を持って行動したほうが、(無目的であるよりも)『よい』よ」。
  4. 《私》《動き》よりも、《私》《思いこみ》の方が『よい』ということはあり得ないのではないか? 『よりよい』という比較はできるのか?
  5. 《動き》『目的』はあるのか? ○:。×:。

上、p.17:「人間というものの善」(ト・アントローピノン・アガトン)こそが政治の究極目的でなくてはならぬ。

    1. 人間というモノからの《視点》と、人類というモノからの《視点》と、国家というモノ《視点》
    2. アリストテレスが国家に注目したのは、それが、ヒトの意思の帰結として動かしうる最大の《群れ》の単位であったからであろう。現在に於いて、アリストテレスが現在に生きていたとするなら、国連がヒトの意思の帰結として動かしうる《群れ》として機能しているのであれば、人類という《群れ》の人間的意思決定機関としての国連、ないし「国際社会」に注目したであろう。

上、p.52-53

  1. これらのひとびとの内部には、だが反面、「ことわり(ロゴス)」と戦い「ことわり」に抵抗するごとき、本性上反ロゴス的な或るものが見られる。・・無抑制的なひとびとの衝動は「ことわり」と反対の方向に赴く。身体の場合はそれてゆくのが眼に見えるのに反して、魂の場合にあってはそれが見えないにすぎない。おもうに、しかし、それが見えないこととはかかわりなく、われわれの魂のうちには、「ことわり」に背き反撥するところの、反ロゴス的な或るものが存在すると考えなくてはならぬ。
  1. アリストテレスの『小人』論。
  2. 欲求は、道理に従うこともできるし、道理に反することもできる。

上、p.216

  1. 魂には二つの部分が、すなわち、「ことわりを有する部分」と「ことわりなき部分」が存すること・・。たがいま、「ことわりを有する部分」について、やはりまた一つの区分がなされなくてはならぬ。すなわち・・およそ「その端緒がそれ以外の仕方においてあることのできないごときものごと」を考察するための部分であり、他の一つは「それ以外の仕方においてあることのできるものごと」にかかわるものである。
  1. 必然と選択。《知った思いこみ》のための《知りつつあるモノ》と、《求める思いこみ》のための《知りつつあるモノ》(ヌース)。《知りつつあるモノ》《選びつつあるモノ》《操りつつあるモノ》
  2. 《知りつつあるモノ》《選びつつあるモノ》は魂の状態であるか?

上、p.220

  1. いったい、「われわれの魂がそれによって、肯定とか否定とかの仕方で真を認識(アレーテウウェン)するところのもの」として、われわれは、五つのものを挙げなくてはならぬ。すなわち、
    1. 技術(テクネー)
    2. 学(エピステーメー)
    3. 知慮(フロネーシス)
    4. 智慧(ソフィア)
    5. 直知(ヌース)
  2. がそれである。思念(ヒュポレープシス)とか臆見(ドクサ)を省くのは、こうしたものをもってしては偽に陥ることが可能だからである。

上、p.223

  1. 知慮(フロネーシス)・・「自分にとってのいいことがら、ためになる事柄に関して立派な仕方で思量(プーレウェスタイ)しうる」ということにある。それも決して部分的な仕方で、たとえば、どのようなものごとが健康とか体力とかのためにいいかといったことについてではなく、およそ全般的な仕方で、どのようなものごとが「よく生きる」(エウ・ゼーン)ということのためにいいか、についてなのである。
  2. ・・
  3. ところで、「それ以外の仕方においてあることの不可能なことがら」とか「自分のなしえないことがら」については何びとも思量しはしない。・・(必然性の方法による)論証は存在しえない・・とするなら、またもし、その反面、「必然的なことがら」について思量の行われることはないのであるとするなら、知慮は学たりえず、それはまた技術でもない。
  4. ・・
  5. 知慮とは「人間にとっての諸般の善と悪に関しての、ことわりを具えて真を失わない実践可能な状態」であるほかはない。

うーむ。完璧。・・とはいっても、「それって何?」に端的に答えられるわけではない。「端的に答える」というのは或るコトバAを別のコトバBに置き換えることに過ぎないから、それAが指し示しているモノaが見えない人には、どんなコトバで説明しても、答えたことにはならない。・・というか、たけ(tk)も、読んでいる最中には、かれの《視点》で見ているので、それaが見えているが、しばらく経つと、たけ(tk)《視点》にもどるので、見えなくなる。

「自分にとってのいいことがら、ためになる事柄」というのが、《絶対者公理》なのか?

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Last modified:2008/01/27 23:15:54
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References:[《行く末》] [《欲求実現手段》] [『よい』『わるい』] [《仕合わせ》] [《内からの視点》]