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『よい』『わるい』

『よい』『わるい』

  1. キーワード

定義

二つのモノの選択の《状況》に生じる《思いこみ》

  1. 《息しつつあるモノ》『一切』において、《私》の次の《動き》への《思いこみ》を選択する基準が『よい』『わるい』である。

区別

アドホック開発は『よい』か?

  1. http://builder.japan.zdnet.com/news/story/0,3800079086,20367474,00.htm
  2. トップダウン開発とアドホック開発
  3. URIといくつかのページとが対応しており、いくつかのページで一つのアプリケーションのように振る舞う。それの積み上げで全体のアプリケーションが構成される。というタイプのアプリケーション(Webアプリ)ではトップダウンである必要はない。
  4. 多数のコンポーネントが、複雑に、相互の関連性をもって、相互の影響関係の整合性を維持しながら機能するようなアプリケーションでは、アドホックというわけにはいかない。
  5. しかし、一つのリソースを管理するコンポーネント、一つのサービスを管理するコンポーネント。サービスを管理するコンポーネントが、リソースを管理するコンポーネントにURIで呼び出し、依頼し、その結果を受けてサービスを提供する、というようにすれば、リソースの整合性と、サービスの独立性と、コンポーネントの独立性を維持できる。それが実現できれば、アドホック開発も可能になる。リソースコンポーネントのアドホック開発と、サービスコンポーネントのアドホック開発とは、独立して行うことが出来るようになる。
  6. コンポーネント間通信をURIで行うのか、drubyで行うのか。セキュリティ的にはURIでないほうがよい。サービスの独立性では、URIのほうがよい。ネットワークを分離する、という手もある。

『よい』《欲求実現効率》

  1. 《道具》『よい』《欲求実現効率》が良いことである。
    1. 時間効率
    2. 資源効率
    3. 結果効率
  2. 人間的感性に合う表現は『よい』。発想から表現に至るまでの変換が少なくなるのは《欲求実現効率》がよい。
  3. 「このような《欲求》であれば、このようなモノ『よい』」。

http://blog.japan.zdnet.com/yoshimi/a/2008/04/post_6.html

    1. Time::DATE_FORMATSに設定することで、任意のフォーマットを作れることが判明。ヘルパー作る必要なかった
    2. 使い方は、例えばenvironment.rbとかどこでもいいけど
    3. Time::DATE_FORMATS[:jp] = "%Y年%m月%d日 %H時頃"
    4. とかしてあげると、
      1. >> Time.now.to_s(:jp)
      2. => "2008年04月22日 11時頃"
      3. >> DateTime.now.to_s(:jp)
      4. => "2008年04月22日 11時頃"
  1. そのように作れば、そうなる。そのように作るのが『よい』のか?

事前調査と『よい』

  1. 事前調査は《欲求実現効率》を高めるので『よい』。事が進んでから不具合を見つけると、《欲求実現コスト》が倍増するからである。

利他的行動と『よい』

  1. 利他的行動が『よい』のは、《群れ》の状態を、《個体》の《欲求実現効率》『よい』状態に導くからである。『よい』というのは『欲求実現効率が良い』ということである。

『理論的に正しい仕様』と『人間に分かりやすく、使いやすい仕様』

  1. どっちがよいのか・・。人間に使えない仕様は『理論的に正しい』としても、価値を有しない。特殊な人間にしか使えない、『理論的に正しい仕様』は、大工を生みだす。
  2. 『理論的に正しい仕様』の『理論』は、結局のところ、人々の《欲求》の最大公約数・最少公倍数である。人々の《欲求》が種々さまざまなので、人々に理解しがたい最大公約数・最少公倍数があらわれてくる。

『よい』『わるい』《欲求実現手段》である、か? ○:個々の《欲求実現手段》『よい』『わるい』を評価することは、欲求実現に寄与する『手段』である。×:。

視野の狭い《欲求》と、視野の広い《欲求》

  1. サル山の サルは吠えるぞ 胡耀邦
  2. 《欲求》には、思慮を伴った《欲求》と、思慮を伴わない《欲求》とがある。『弁論術』
  3. 視野の広さには次の4種類がある。
    1. α≡β。凸凹がなく、同じ形で、同じ広さ
    2. α⊃β。βはαに含まれている。
    3. α⊂β。αはβに含まれている。
    4. α⊃⊂β。凸凹があって、αにはβに含まれていない部分があり、βにはαに含まれていない部分がある。(共通の部分がある場合も、共通の部分がない場合もある)。
      1. α⊃≡⊂β。凸凹があって、αにはβに含まれていない部分があり、βにはαに含まれていない部分がある。共通の部分がある。
      2. α⊃Φ⊂β。凸凹があって、αにはβに含まれていない部分があり、βにはαに含まれていない部分がある。共通の部分がない。
  4. 《欲求の視野》。《欲求》は《視野》を伴う。《欲求の視野》には広い狭いがある。

《道具》『よい』か?

  1. ○:《欲求実現手段》『よい』か?。
  2. ×:使う目的が『わるい』場合や、使い方が『わるい』場合には、《道具》は『わるい』。『よい』『わるい』がないものは『わるい』。
  3. △:《道具》自体には『よい』『わるい』はない。

《プログラミング・オブジェクト》『よい』か? ○:たとえば、 pixel_per_inch。《道具》『よい』、か? ×:。

憎しみの宗教は『よい』か?

  1. ユダヤ教や法華経の思想の一部には、憎しみの宗教がある。
  2. 憎しみの宗教は、彼らのその瞬間においては、『よい』

PDF::Writerは『よい』か?

  1. ○:主流に乗るべきである。靴(仕様)に足(ニーズ)を合わせるべきである。足に合った靴を作る時間または腕がない場合には、靴に足を合わせるべきである。本当にニーズにあわないのか、ニーズを再検討し、仕様を精密に検査すべきである。
  2. ×:ニーズにあわない。足に合った靴を作る時間と腕がある場合には、足に合った靴を作るべきである。

「人間の特性8箇条 高橋秀俊」『bit』1986-8、p.9

    1. 「汝のユーザを知れ」高嶋孝明、加藤隆。
    2. ・・
    3. 人間中心のシステム・デザインへ向かうには、まず「汝のユーザを知り」、そのユーザとの「親和性」を常に念頭に置かなければならない。その具体化には、コンピュータ科学者と認知科学者との密接な連携プレーが、いま何よりも必要とされている。
    4. 最後に、故高橋秀俊先生が何十年も前から、TSS(時分割システム)の設計に対する指針として喚起されてこられた「人間の特性8箇条」をここで再確認し、今後の人間中心のシステム設計へ向けての礎としたい。
    5. 「人間の特性8箇条 高橋秀俊」『bit』1986-8、p.9
      1. 第1条 人間は気まぐれである
      2. 第2条 人間はなまけものである
      3. 第3条 人間は不注意である
      4. 第4条 人間は根性がない
      5. 第5条 人間は単調を嫌う
      6. 第6条 人間はのろまである
      7. 第7条 人間は論理的思考力が弱い
      8. 第8条 人間は何をするかわからない

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20071119/287558/?ST=techskill

    1. 機能性を有するモノ『よい』
      1. 明示された目的を満たすモノ『よい』(合目的性)
      2. 正しい結果や効果を表すモノ『よい』(正確性)
      3. 他のシステムと連携しやすいモノ『よい』(相互運用性)
      4. 標準や法律などを順守しているモノ『よい』(標準適合性)
      5. 不正に使われにくいモノ『よい』セキュリティ
    2. 信頼性のあるモノ『よい』
      1. 障害が発生しにくいモノ『よい』(成熟性)
      2. 障害時にサービスが停止しないモノ『よい』(障害許容性)
      3. 障害時に素早く復旧するモノ『よい』(回復性)
    3. 使用性があるモノ『よい』
      1. ユーザが利用しやすいモノ『よい』(理解性)
      2. 操作を覚えやすいモノ『よい』(習得性)
      3. 運用しやすいモノ『よい』(運用性)
    4. 効率的なモノ『よい』
      1. 一定時間にたくさん処理できるモノ『よい』時間効率性)
      2. 資源を少なく使うモノ『よい』(資源効率性)
    5. 保守性があるモノ『よい』
      1. システム調査が容易なモノ『よい』(解析性)
      2. 障害対応や修正が容易なモノ『よい』(変更性)
      3. 変更時に他の部分に影響が出にくいモノ『よい』(安定性)
      4. 変更時に妥当性を確認しやすいモノ『よい』(試験性)
  1. 『よい』奴隷の評価基準である。
    1. 命令した目的をきちんと正確に実現する奴隷は『よい』奴隷である。
    2. どんな時でも反抗しない奴隷は『よい』奴隷である。
    3. 使いやすい奴隷は『よい』奴隷である。
    4. 素早く、少ない資源で命令された仕事をこなす奴隷は『よい』奴隷である。
    5. 簡単に教育できて、どれくらいの能力を獲得しているが簡単に分かる奴隷は『よい』奴隷である。
  2. 自己奴隷化。自分が自分の主人になる、ということは、自分が自分の奴隷になる、ということと、同じである。

利に走るものは騙しに走る。義に走るものは騙しを嫌悪する。

ヨイワル・100

  1. すべてのモノのすべての動きは、その瞬間において、そのモノにとって、『よい』
  2. モノにとっての『よい』に優劣が在るとすれば、持続性であろう。

特殊な方法と統一的な方法とが有り、特殊な方法であれば簡単にできるときに、あえて、統一的な手法を採るべきか?

  1. 組織の論理からいうと、統一的手法でないと、組織の《全体の利益》を害することがある。
  2. 個体の利益からいえば、簡単に実現できるほうが『よい』

スケジュールと『よい』『わるい』

  1. http://www.tibethouse.jp/culture/shine4.html
    1. 私たちは自分が死ぬことがないように振舞って生きています。明日は死ぬまい、明後日は死ぬまい、今日生きている人は明日も明後日も無事だろう、すべては恒常のままであるふりをして生活を送っています。この私自身も、この前インドから来て今日は日本におり、明日はインドに戻って・・・などと計画を立て、無常についてあえて考えようとしません。こういうのを常見へのとらわれといいます。
  2. 十中八九は、明後日も無事だろう。もしもスケジュールの日まで無事であれば、スケジュールに従って行動しよう、というのがスケジュールの正しい見方だね。

瞑想と『よい』『わるい』

  1. どうやら、たけ(tk)がやっているのは瞑想というものらしい。
  2. たけ(tk)は、瞑想すれば何か良いことがあるだろう、という『信仰』を持っているのだろう。まあ、たけ(tk)ブッダを尊敬している、からね。自分で気がついたわけじゃなくて、ブッダの関連を書物を読んで、その『信仰』を取り入れたのだろう。
  3. http://www.tibethouse.jp/culture/shine3.html
    1. 「シネー」(寂止)・・「シネー」を行じる際に、断ち切るべき障害となるものが五つあります。
      1. 「懈怠(けだい)」(怠慢になること)
      2. 「失念」(瞑想の対象を失うこと)
      3. 「昏沈(こんちん)」「(心が沈み込み散漫になること)と「掉挙(じょうこ)」(心が昂ぶること)
      4. 心が「昏沈」「掉挙」していることを知りながら、しかるべき対処法をとらない
      5. 逆に必要もないのに対処法をとり続ける
    2. これら五つの障害を断じるために、八種類の行を行います。
    3. 「懈怠」、つまり怠慢にもいろいろあります。瞑想を始めないうちから、「瞑想なんかしたくないなあ」といった気持ちが起きる。こうした形の怠慢は「努力」によって退治することができます。「努力」を起こすには、「シネー」を達成したいという願望が必要です。そのような願望を起こすには、そのおおもとに信仰がなければなりません。また努力の結果、「軽安(きょうあん)」が得られます。「軽安」とは、難なく望みどおり瞑想状態に入れる心の巧みさ、しなやかさのことです。「懈怠」への対処法には、
      1. 「信仰」、
      2. 「願望」、
      3. 「努力」、
      4. 「軽安」
    4. の四つがあるわけです。
    5. 「失念」(瞑想の対象を失うような場合)には、
      1. 「念」(注意深さ)
    6. が求められます。
    7. 心が沈み込んだり散ったりする「昏沈(こんちん)」に陥った際に役立つのが、「正知shes bzhin(しょうち)」です。
      1. 「正知」とは、瞑想中に心が沈み込んだり散ったりする時に、すぐさまそれを察する力のことです。正知そのものは、心が沈み込んだり散ったりしたその状態から解き放ってくれはしません。心がこういう状態になったから、しかるべき対処法を施さなくてはなりませんよと警告を発する役目なのです。心が沈み込んだり散ったりすると、集中できなくなるために対象を逸してしまいます。そこでしかるべき対処法をとり、いずれにも偏らない金剛のごとき平等心に落ち着くのです。
    8. 以上が「シネー」を行じる際の基礎となる教えです。
    9. 「シネー」を行じる際に、要となるのは二つです。ひとつは意識を一点に集中でき、瞑想の対象を失わないこと。もうひとつは、瞑想の対象が明るく澄みわたっていること。「安定」と「明瞭さ」の二つです。これぞ「シネー」の本質です。
  4. http://ja.wikipedia.org/wiki/掉挙
    1. 善 信, 精進, 慚, 愧, 無貪, 無瞋, 無癡, 軽安, 不放逸, 行捨, 不害
    2. 大随煩悩 掉挙, 昏沈, 不信, 懈怠, 放逸, 失念, 散乱, 不正知
  5. http://www.tibethouse.jp/culture/shine4.html
    1. 質問者Q : 「シネー」(寂止)と観を行じることでどのようなご利益があるのでしょうか。
  6. 利益にはさまざまな種類がある。物欲、金銭欲、生存欲求、関係欲求、成長欲求。生存欲求(《私》が生き残ることへの《欲求》)が満たされると、関係欲求(ヒトヒトとの《繋がり》への《欲求》)が強くなる。関係欲求が満たされると、成長欲求(《私》の人格的な成長への《欲求》)が強くなる。《欲求》には上下関係がある。瞑想によって、最も上に在る《欲求》はどのようなモノであるのかを知ることができる。そして、瞑想によって、最も上に在る《欲求》を達成することができる。生存欲求が脅かされているヒト、水に落ちて溺れかけているヒトに瞑想を勧めることはない。彼は泳ぐべきです。

慈悲と『よい』『わるい』

  1. 慈悲というのは、《他者の息しつつあるモノ》への慈悲だろうな。《他者の息しつつあるモノ》は、いまだ見えず。
  2. 慈悲というのは、《他者の欲求》への実現手段として『生きる』ということだろう。商売も、慈悲なのだ。《他者》の『生きる』ことへの《欲求》《欲求実現手段》として『生きる』ということ。
  3. 《多体運動》という認識における《他者》の『生きる』ことへの《欲求》《欲求実現手段》として『生きる』という『生き方』。

「四依四不依(しえしふえ)」と『よい』『わるい』

  1. http://www.tibethouse.jp/culture/shine.html
    1. 仏教では「四依四不依(しえしふえ)」、つまり四つの拠り所とすべきものと四つの拠らざるべきものを説いています。四つの拠り所とすべきもの(四依)とは、以下の四つです。
      1. 人に拠らず教義に拠れ
      2. 言葉に拠るのではなく、意味に拠れ
      3. その意味が完全に解明されたものに拠り、完全に解明されていないものには拠るな
      4. 意味が完全に解明されたものでも、智と結びついたものに拠れ
  2. なぜか、たけ(tk)においては、「智と結びついたもの」が《息しつつあるモノ》との《繋がり》、に替わっている・・。たけ(tk)は「智」なるものを知らないのである。知っているのは、《息しつつあるモノ》だけなのである。

『よい』『わるい』と『死』を知ること。

  1. http://www.tibethouse.jp/culture/karma3.html
    1. 良識ある人間が、「自分はいつかは死ぬのだ」ということを知り認識しているとしても、常にその人の心の中では「今日は死なないだろう」と信じているのです。この偽った考えは、実際に最期の瞬間まで続くと言われています。
    2. 例えば、ある人が数日後に死ぬことがわかっている場合、彼は生涯を通じて蓄えてきたことが全て無駄であったと強く感じることでしょう。同様に、ある人が「死についての思索」に強く心を動かされ追求すれば、利害関係や富といった世俗的なものがいかに無駄なことか気付くはずです。そうして、死や苦痛の恐怖におののき、人は今の状況から自分を救い出してくれる人やものを必死になって求めるのです。
  2. 『今日は死なないだろう』という『心地よいウソ』。ウソでもないな。十中八九、「今日は死なない」は正しい《思いこみ》である。
  3. 死というのは時間的な体外である。《身体》時間的限界の外の世界である。《身体》の空間的限界の外の世界と同質のものである。
  4. ヒトは死を恐れる、のは何故? ヒト《身体》の外部には《私》はない。ヒト《身体》の空間的限界の先には《私》はない。それを恐れるヒトはいないだろう。では、なぜ、ヒト《身体》時間的限界の先に《私》が無いことを恐れるのか? 《私》が生まれる前には《私》はない。それを恐れるヒトもいない。《往にし方》時間的限界の先に《私》が無いことを恐れないのに、《行く末》時間的眼界の先に《私》が無いことを恐れるのは何故なのか?
  5. 《身体》の《苦しみ》の極致としての『死』のイメージ。『息できないこと』という《苦しみ》のイメージとしての『死』。ふむ、これは嫌だな。『息をする』《欲求》が実現できなくなることへの恐怖。

『よい』『わるい』と『いのち』を知ること。

  1. http://www.tibethouse.jp/culture/karma2.html
    1. しばしば仏法は、後悔を招く根本となる状況を認識し言及しています。その状況とは全ての生き物は幸せを願い、苦しみを望まないにもかかわらず、結果として大部分は実際に幸せを招くことを打ち消し、苦しみを招くようなことを行っている有様です。言いかえれば、人間は幸せを望むが、いかにして幸せをもたらすかを知らなければ、苦しみを望まないが、いかにしてその苦しみを乗り越えられるかを知らないのです。仏法の総括的で唯一の使命とは、悟りと智慧の道に至る教えを通して、この根本的無知の状況を覆すことにあるのです。
    2. 現在の人生を些細な目的のためだけに費やすことは、天才に家の下働きだけに従事させたり、高価な白檀の木を薪にしてしまうような愚かな行為に例えられます。
  2. 「欲ボケ」防止が仏教の『目的』か? ○:。×:。

『よい』『わるい』と焦点調整

  1. 《宇宙史》に目をやってしまえば、人類の『よい』『わるい』など問題にならない。
  2. 《私》に目をやっているかぎり、人類の『よい』『わるい』は出てこない。

『よい』『わるい』を知ることと、なすこと

  1. http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/962.html
    1. ●「悪と知りながら、悪を為す。」
    2. ●「悪と知らず、悪を為す。」
    3. ●「悪と知りながらそれを善と言い募り、悪を為す。」
    4. ●「悪を善だと考え、悪を為す。」
    5. ●「善と知りながら、善を為さない。」
    6. ●「善と知りながら、善を為す。」
    7. ●「善を知りながら、悪を為して善を実現する。」
    8. ●「善と知らず、善を為す。」
    9. ●「悪と知りながら悪を為し、善と知らず善を為す。」

技術と『よい』『わるい』

  1. 技術の『よい』『わるい』は利用者の『よい』『わるい』に依存する。
  2. 技術の『よい』『わるい』は政治の『よい』『わるい』に依存する。

『よい』『わるい』と総和

  1. 或るヒトの行動は、そのヒトのその瞬間においては常に善である。但し、優劣、強弱、大小はある。
  2. しかし、他者にとっては悪であり得る。
  3. 悪とは、欲求実現の阻害要因である。
  4. 或るヒトの行動は、善悪の総和において悪であり得る。

「そのように作ってあるから、そのようになる」と『よい』『わるい』

  1. 問題は、「そのように作る」のが『よい』のか?
  2. たとえば、「GET http://localhost:3000/api/divisions/1/employees/2」というURLにApi::EmployeesControllerクラスをマッピングしたい(http://www.eisbahn.jp/yoichiro/2007/12/3mapresources.html)という時に、それが『よい』のか?
  3. Railsで「xx」というマッピングをしたいときには、「yyy」と書けばよい、というのは、「そのように作ってあるから、そのようになる」ということだ。「「yyy」と書けばよい」という仕様は『よい』のか?
  4. もう一つの問題は、「そのように作ることができる」か、という問題。技術基盤で不可能ならできない。技術基盤としては可能でも、面倒であれば、困難。技術基盤として容易であっても、作る人が知らなければ、できない。知っていても技術力(それを使う能力)がなければ、できない。
  5. ・・まあしかし、一番の問題は『目的』『よい』かどうかだろう。
  6. 「それをしたいときに、それができるようになっている」ということは『よい』だろう。しかし、「それをしたい」という『目的』『よい』かどうかは、別の話だ。「それ」が殺人だったらどうなるのか? Webでいえば、「それ」が「詐欺」だったら、というのは、有りそうなことだ。

《ユートピア》と《労働》

  1. 《ヒトの群れ》『よい』を生み出すヒト《動き》」を《労働》と呼ぶ。
  2. 「電車で老人に席を譲る」という「ヒト《動き》」は《労働》である。
  3. http://ja.wikipedia.org/wiki/共産主義
    1. 1875年、マルクスは『ゴータ綱領批判』の中で共産主義社会を低い段階と高い段階に区別し、低い段階では「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」、高い段階では「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という基準が実現するという見解を述べた。
  4. 《他者の欲求》《欲求実現手段》であるような《私》《動き》を《労働》と呼ぶ。
  5. 『よい』とは「《他者の欲求》《欲求実現手段》であるような《ヒト動き》」である。
  6. 『よい』とは「《私》《欲求》《欲求実現手段》であるような《私》《動き》」である。
  7. 『よい』とは「《私の欲求》の《欲求実現手段》であるようなモノへの《評価》」である。
  8. 『よい』とは「《私》《求める思いこみ》《欲求実現手段》であるようなモノへの《評価》」である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/囚人のジレンマ

..囚人B 協調 囚人B 裏切り
囚人A 協調 (2年、2年) (15年、1年)
囚人A 裏切り (1年、15年) (10年、10年)
  1. 問題は、「彼らは2人は別室に隔離されていて、2人の間で強制力のある合意を形成できないとする」という前提にある。《ヒトの群れ》の中の《個体》は、そのような前提にはない。合意ができるのが、《ヒトの群れ》である。
  2. http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/995.html
    1. それは「支配―被支配の関係構造」を捨象した話なので、他者を支配することで利を得ることを善(悪ではない)と言い募る人たちがいる限り通用しません。
  3. 強者A、弱者Bで、強者が弱者に強制できるとすると、常に、(1年、15年)という結果になる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/進化ゲーム

1・2 A B
A 1,1 -2,5
B 5,-2 -8,-8
  1. 次のような協定をすればよいのである。『交互に勝つ』という協定をすればよい。約束を破った場合には、賠償する、というルールを、約束によって、作ればよい。
  2. 「私は、A・Bを交互に選択する」と宣言して、実行してもよい。相手はそれに合わせて、「B・Aを交互に選択するだろう」。

http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/996.html

    1. 善をミソクソに言っている背景には、悪を善と言い募るために、“善”の言葉を駆使して紡ぎ上げられた説明がはびこり、それが悪の行為を支えているという思いがあります。
    2. 民主主義・自由・人道(支援)・改革・真実・誠意・平和などの言葉が現在ほど空虚なものになったことはないはずなのに、相変わらず支配者はそれは使い続け、それなりに被支配者を納得させています。(第二次世界大戦にはまだ空虚を埋める要素があった)
    3. 政治的反対者も、真の民主主義・真の自由・真の人道・真の改革・真の平和といったなんとなくもっともらしいが実は空虚でしかない言葉を使って非難しているだけで、こうするのが善であるという説明も不十分なら、支配者の行為が善でないという論証も不十分であるように思えます。
  1. エピゴーネン問題は解決不可能。だって、ヒトは死すべきモノだもの。そして、出来上がった組織を駆け登るモノは、権力欲を有するモノだもの。『出来上がった組織を駆け登る』ことへの《求める思いこみ》を持たないモノは、「出来上がった組織を駆け登る」ことをしない。『出来上がった組織を駆け登る』ことへの《求める思いこみ》を持つ者だけが、「出来上がった組織を駆け登る」ことを行う。
  2. 『出来上がった組織を駆け登る』ことへの《求める思いこみ》を持つ者による支配よりは、コンピュータによる支配のほうがましなのか? コンピュータによる殺人マシンによる支配のほうがましなのか? コンピュータによる政府は、最初は便利だろう、最初は安全だろう、しかし、人々はそれを悪用しようとして改変するだろう、そして、改変されたプログラムにひとびとが気づくことはないだろう。((悪用しようとする人はいない、『そのヒトにとっての善』のために使おうとするのだ))。
  3. 『善』の問題なんぞは、2000年前に決着がついていたのだ。ただ、人類は、それを学ぶ能力が無いのか、学ばせないようにする人々がいるのか、いずれにしても、人類は学んでこなかったし、これからも、学ぶことはないだろう。2000年前に活着がついていた、といっても、2000年前のすべてのヒトにとって決着がついていたのではなく、その時の一人においては、決着がついていた、と言うだけの話だ。2000年前の人類が学んでいたというわけではない。
  4. 『善』の数学モデル。ゲームの理論の発展が必要だな。ゲームの理論は《欲・得・快・楽・善・義・志・徳・疑・信》の『欲』だけの理論だ。《欲求》にはERGがある。

http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/989.html

    1. 独裁支配は「指導者の原理」を受け容れさせれば可能ですが、
      1. 「支配―被支配の関係構造」を崩すのは、一時的ですが、日本であれば3千万人ほどの“まっとうな政治家”を必要とする実にハードルが高い行為なのです。
    2. 私が精神的にまいったのは、阿修羅で政治を語っている人でさえ、政策云々以前に、“まっとうな政治家”の前提になる身構え(態度形成)さえできていない人が多いと認識したからです。
    3. 悪に対する怒りや思い遣りはとても重要ですが、それでは、よりましな支配体制に移行できるかどうかもあやしく、とてもじゃないが、「支配―被支配の関係構造」を崩すことはできません。
    4. 世界支配層はバカじゃありませんから、よりましだと期待した支配体制はより悪いものになる可能性が高い。今の日本の政治的選択肢を見ればわかるはずです)
  1. 「あなたは天才だけの社会を夢想している」。
  2. 政治がよければ世に出よ。政治が悪ければ隠遁せよ。

http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/989.html

    1. 「人は支配―被支配構造から抜け出せば感じるままで善を為す存在者である」という確信は、今現在揺るいでいません。
  1. まあ、そうだね。と思う。如悪悪臭、如好好色《群生相》から抜け出して、《孤独相》に入ること。そんなの、ヒトに勧められるか、ってーの。

http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/995.html

    1. 家族を超えた他者の必要性があるかないかが、善悪基準の分かれ目だと思っています。
    2. 家族以外の他者を必要とするのなら、50億人の他者をいろいろなかたちで必要としても善悪基準は変わらないと...
    3. もちろん、それは「支配―被支配の関係構造」を捨象した話なので、他者を支配することで利を得ることを善(悪ではない)と言い募る人たちがいる限り通用しません。
  1. じゃあ、どうすれば『よい』というのか? 救いようがないではないか。

http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/995.html

    1. どうせくだらん抑制になるに決まっている善などクソ食らえ
  1. 『善』の《思いこみ》の弊害。『心地よいウソ』としての『善』。駄目だ。人類は駄目だ。救いようがない。彼らは救われたいとも思っていない。((巣食われたいと思っている。金魚すくいの金魚のように掬われたいと思っているだけだ。))

『国家』『よい』

  1. 国家は『よい』ことをやっているから、『よい』ことをするための資金を喜んで納税しよう、というヒトは少ない。

『活き活きと生きる』(いききき)と『よい』『わるい』

  1. 『活き活きと生きる』は『よい』か?
    1. ○:
      1. 『活き活きと生きる』ヒトはいるのだから、不可能ではない。
      2. より広く《見通し》、より多くを見分けることが《知りつつあるモノ》の『活き活きと生きる』である。
    2. ×:
      1. 『活き活きと生きる』ことは困難である、不可能である。できないことは『わるい』。
      2. 《他者》が『活き活きと生きる』ようにみえるのは、彼が活き活きと振る舞っているからである。活き活きと振る舞うことは、『活き活きと生きる』事ではない。
      3. 過呼吸は『わるい』。『活き活きと生きる』《息しつつあるモノ》は過呼吸である。
      4. 積極的であることが『よい』わけではない。
      5. 《知りつつあるモノ》に『活き活きと生きる』はない。
      6. 《私》《生きモノ》ではない。《自己言及しつつあるモノ》《生きモノ》ではない。
  2. 『振る舞う』ことは『生きる』ことではない。『振る舞う』ことは《他者》の《他者》として『振る舞う』ことである。《他者の他者》
  3. 『イキイキと生きる』。『活き活きと生きる』。『生き生きと生きる』。

《私》にとっての『よい』『わるい』

  1. 《私》にとっての『よい』『わるい』は在るか?
    1. ○:《私》《混濁しつつある身体》である。《混濁しつつある身体》には『よい』『わるい』が在る。『こころよい』モノとそうでないモノとがある。《死すべき個体》にとっては『よりよく生きる』ことが『よい』ことである。『生きる』ことを最大限にする事、が『よい』。『より生き生きと生きる』ことが『よい』
    2. ×:《知りつつあるモノ》には『よい』『わるい』はない。《死すべき個体》にとっての『よい』『わるい』はない。『よりよく生きる』が『よい』というのは同義反復。
  2. 《私》の現在の状態に対して『よい』『わるい』《思いこみ》が生じるのは、過去の《私》の選択に対する満足度を意味している。??《私》に対しては『よい』しか生じない。『よい』の程度の差は生じる。《私》の状態って??《混濁しつつある身体》の状態だな。

《仕合わせ》『よい』『わるい』

  1. 《仕合わせ》『よい』か? ○:《仕合わせ》『よい』状態なのだから、『よい』《仕合わせ》《私》の外部状況であり、外部状況には《私》にとっての『よい』『わるい』がある。×:《死すべき個体》には『よい』『わるい』はない。《死すべき個体》にとっての『よい』『わるい』はない。
  2. 進化的な『よい』『よい』か?
    1. ○:
      1. 貢献すること=《他者》にとって『よい』ことをする=は『よい』
      2. 《他者》《混濁しつつある他者の身体》=にとっては、『よい』『わるい』が在る。相手にとって『よい』こと、《私》にとって『よい』こと、《繋がり》にとって『よい』ことを目指すという《意図》をもって、相手に合わせること。
      3. 《道具》にとって『よい』こと、《私》にとって『よい』こと、《私》《道具》との《繋がり》にとって『よい』こと、の『よい』ことへの《求める思いこみ》を持って、《私》《道具》に合わせること、《道具》《私》に合わせること、という《繋がり》
      4. 《他者》《私》とが互いに《仕合わす》ことは『よい』。《仕合わせる》こと。
      5. 《他者》《私》《仕合わせ》《道具》とすることは『よい』。彼にとっても《仕合わせ》であるから。
    2. ×:
      1. 《個体》にとっては関係ない。《死すべき個体》にとっては『よい』『わるい』はない。
      2. 《他者》も《死すべき個体》であるから、《他者》にとって『よい』ことも無い。
      3. 《混濁しつつある他者の身体》にとっての『よい』とは、《混濁しつつある他者の身体》からの脱却である。《混濁しつつある他者の身体》にとっての『よい』とは、『よい』が無くなる状態になることである。
      4. 《私》《他者》道具とすること=貢献すること=は『わるい』。
      5. 《他者》《私》道具とすることは『わるい』。
      6. 《他者》《私》《仕合わせ》《道具》とすることは『わるい』。

『勇敢』と『よい』

  1. http://opentechpress.jp/opensource/print.pl?sid=08/02/13/0252227
    1.  最後にLinux Foundationの取締役を務めるJim Zemlin氏によるTrend Microによる特許戦略の近視眼性についてのコメントを紹介しておこう。「ある特定企業が、広範に利用されるオープンソースプロジェクトで作成されたコードを特許侵害で訴えることは、そのカスタマおよびコミュニティとの関係を自らの手で損なうこととなるのに、そうした影響をあまりに過小評価しすぎています。現在は、多種多様なオープンソースプロジェクトがベンダ中立で安定したソリューションを提供し、それらがコンピューティング処理の根幹部分で機能することの恩恵をソフトウェア産業の全カスタマが享受している時代です。実際私は、そうしたカスタマ達と毎日のように話をしています。これらの人々は今回展開された主張を近視眼的であると見なしており、市場競争力を失う不安におびえていることを自ら証明しているのだと感じています」
  2. ちょっと気になったのは、「不安におびえていることを自ら証明しているのだ」という部分、日本人的には、「不安におびえている」のは何ら悪いことではなくて、「それが人間というものさ」ということになるのではないだろうか。
  3. あちら的には「不安におびえている」のはみっともなく、『よい』結果を生まない、『わるい』態度なのだ。
  4. 『勇敢』であることは『よい』か? ○:。×:。
  5. 命令されて万歳攻撃をするく勇敢さ、と、自分の信念を貫く勇敢さ。

《即物的思考様式》と《空想的思考様式》と『よい』『わるい』

  1. だめやん。
  2. 《擬制的思考様式》、次々に、モノ《思い描き》とを、《見做し》によってあてはめていく思考様式。決めつけていく思考様式。《指し示す思い描き》モノを操る思考様式、行動様式

『手段』の『よい』『わるい』と、『目的』『よい』『わるい』

  1. 一定の『目的』の下での『手段』の『よい』『わるい』は判定可能である。
  2. 『目的』『よい』『わるい』は判定が困難である。なぜ?
  3. 『目的』『よい』『わるい』の判定基準である。判定基準自体の『よい』『わるい』には、別の判定基準が必要である。

《道具》『よい』『わるい』

  1. /usr/lib/ruby/gems/1.8/gems/ramaze-0.3.5/rake_tasks/spec.rake
    1. specs = Dir[root/'spec/{ramaze,examples,snippets,contrib}/**/*.rb'] +
    2. Dir[root/'examples/**/spec/**/*.rb']
  2. 『分かりやすい』のは『よい』。何故?
  3. コトバは、『分かりやすい』コトバ『よい』
  4. コトバ《思いこみ》の伝達の《道具》である。((コトバモノとしては音声列やインクの染みや、ドット列である。をれをコトバであると看做すのである。コトバは《見做しモノ》である))
  5. 《道具》は、効果的な《道具》『よい』。伝達の《道具》は、効率的に伝達できるのが『よい』
  6. 《道具》には『目的』がある。『目的』との《繋がり》において、《道具》『よい』『わるい』が在る。
  7. 《道具》は《見做しモノ》である。《道具》《かたち》モノ《かたち》である。『分かりやすい』というのは、モノ《かたち》からの、『道具』の『意味』《思い描き》)への変換が容易である、ということを意味する。

コトバの『分かりやすさ』と『よい』

  1. /usr/lib/ruby/gems/1.8/gems/ramaze-0.3.5/rake_tasks/spec.rake
    1. specs = Dir[root/'spec/{ramaze,examples,snippets,contrib}/**/*.rb'] +
    2. Dir[root/'examples/**/spec/**/*.rb']
  2. 『分かりやすい』のは『よい』。何故?
  3. コトバは、『分かりやすい』コトバ『よい』
  4. コトバ《思いこみ》の伝達の《道具》である。
  5. 《道具》は、効果的な《道具》『よい』。伝達の《道具》は、効率的に伝達できるのが『よい』
  6. 《道具》には『目的』がある。『目的』との《繋がり》において、《道具》『よい』『わるい』が在る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6

    1. (ドーキンスの利己的遺伝子の考え方は)伝統的で性善説的な生物観になじんだ人々に一種の強い不快感を与えてきたのも事実である。特に、動物の利他的行動を遺伝子の利己的戦略という見方から捉える視点は、従来の人間観・倫理観との間に齟齬をきたし、社会生物学論争と呼ばれる大論争にも発展した。
  1. 「伝統的で性善説的な生物観」って??

http://www.geekpage.jp/blog/?id=2008/1/29

    1. 人生の全てはTCP/IPに学んだ
      1. 1. ゆずり合うこと
      2. 2. 信頼はきめ細やかな確認応答で実現されること
      3. 3. 音信不通が長いと関係が切れてしまう場合があること
      4. 4. 細かい振動状態が実は安定状態であること
      5. 5. 細かい事に一々答えているよりも、まとめて答えた方が効率が良いこと
      6. 6. 自分の許容範囲をあらかじめ相手に伝えておくと効率が良いこと
      7. 7. 窓は徐々に開いていくこと
      8. 8. 不都合があると窓は小さくなる
      9. 9. 信頼よりも速度や簡易さを求める人もいるということ
      10. 10. 信頼の無いところで何かを作り上げるのは難しいこと
      11. 11. 譲り合いを拒否する一人が全員に迷惑をかけてしまうこと
      12. 12. 距離はキクということ
      13. 13. 距離が離れているときには複数チャネル用意するのが効果的ということ
      14. 14. (不特定 || 特定)多数に対する信頼は難しいこと
      15. 15. 自分が知らなければ知ってそうな隣人に聞くのが良いということ
      16. 16. defaultとなる存在がいるかどうかが大きいこと
      17. 17. 物は言いようで何でも人生につなげられるということ

「汝自身を知れ」は『よい』か? ○:己を知らない人々は醜い。《己を知ったつもりになっている人々》は己を知らない人々である。×:己を知ったつもりになっている人々は醜い。

《知ること》と『よい』『わるい』

  1. 《知ること》は『よい』か?
    1. ○:。
      1. 《知ること》自体が『わるい』ということはあり得ないだろう。《知ること》によって『わるい』《動き》を誘発するような《知ること》は『わるい』。しかし、知ったからといって『わるい』《動き》を自制できないほうが『わるい』のだ。
    2. ×:
      1. 《知ること》が『わるい』とされる事象がある。
      2. 学力テストの学校格差を《知ること》は『わるい』。学校間格差を参照して、『よい』学校に集まるなら、格差を増大させ、固定化させることになるので、『わるい』。
      3. 被差別戸籍を《知ること》は『わるい』。差別意識を惹起させ、差別を固定化、拡大化させることになるので、『わるい』。
      4. 人のパスワードを《知ること》は『わるい』。悪用したくなるから『わるい』。
      5. 人のメールやプライバシー情報を《知ること》は『わるい』。悪用したくなるから『わるい』。
      6. 人、組織、国家の秘密を《知ること》は『わるい』。悪用したくなるから『わるい』。
      7. 不快な真実を《知ること》は『わるい』。心地よくないから、『わるい』。『心地よいウソ』を破壊するから『わるい』。
      8. 私に犯罪を唆す人の意志を《知ること》は『わるい』。悪への誘惑であるから『わるい』。
      9. 《知ること》によって悪い動きを誘発するような情報を《知ること》は『わるい』。
      10. 《知ることによって悪い動きを行うことを抑制できない人》が《知ること》は『わるい』。
      11. 加害行動を誘発する情報を《知ること》は『わるい』。
  2. mixiなどを見ていると、《サル山のサル》は《知ることによって悪い動きを行うことを抑制できない人》の《群れ》なのだ。《知ることによって『わるい』動きを誘発される人々》。
  3. 『わるい』《動き》を正当化する情報を『正義』と呼ぶ。つまり、《サル山のサル》は『正義』の情報を求めているのだ。

進化価値種族維持的価値『よい』『わるい』

  1. 生きることは『よい』、生きるために役に立つモノ『よい』
  2. 《個体》にとってはアプリオリに『よい』がある。
  3. が、《個体》にとってアプリオリに『よい』価値進化価値である。
  4. 《生きモノ》は再生を繰り返してきた結果のモノである。生き残り、自己再生を実現できた《生きモノ》が現在の《生きモノ》である。種族維持に成功したために生き残った《生きモノ》が現在の《生きモノ》である。「種族維持に成功したために生き残った《生きモノ》が現在の《生きモノ》である」というのはモノの道理である。現在の《生きモノ》たちを生み出した「モノの法則としての《決まり》」である。
  5. ヒト《思い描き》《生きモノ》である。《思い描き》がある《生きモノ》と、《思い描き》のない《生きモノ》とでは、種族維持においてどちらが優位であったのか? 今でも、《思い描き》を持たない《生きモノ》も生き残っているのであるから、すべてのドメインにおいて《思い描き》の能力が優位性を持つわけではない。《思い描き》のコストが、他の能力を減退させれば、全体としての優位性は失われる。
  6. ??その《決まり》を自己の主観的目的とした《生きモノ》が、種族維持に成功する可能性もより高かったのであろう。とするなら、そのような「種族維持を主観的目的とする」《生きモノ》が現在のヒトという《生きモノ》として生まれたとしても不思議ではない。モノの道理の結果として、ヒトは、「種族維持を主観的目的とする」《生きモノ》として形成された、としても不思議ではない。

「人の不幸は蜜の味」と『よい』『わるい』

  1. 《他者》は『わるい』。『わるい』《他者》が不幸になるのは、『わるい』*『わるい』=『よい』である。マイナス*マイナス=プラス。
  2. しかし、残念ながら、《他者》にとっては、《他者》『よい』モノでしかあり得ない。
  3. 「泣いて詫びること」は『よい』ことである。
  4. 居直ることは、彼にとって『よい』ことである。隠すことは彼にとって『よい』ことである。謝ることも、彼にとって『よい』ことである。彼が『自分は不幸だ』と思うことも、彼にとって『よい』ことである。
  5. 彼が非難されることは、彼にとって『わるい』ことである。が、それは彼の《世界》が『わるい』のである。彼を非難するヒトは、彼にとって彼の《世界》の一部である。彼を非難する人々は、彼にとっての彼の《世界》の一部として、『わるい』のである。彼にとっては、非難する人々が『わるい』のである。非難されたからといって、彼にとって、彼が『わるい』ことにはならない。彼は、彼の『わるい』《世界》をなだめるために、謝る、という『よい』ことをするのである。

『一切』『よい』『わるい』

  1. 『一切』に執着するのは『よい』か? ○:ヒトは全体性を回復するべきである。『一切』を『知る』のは難しくはない。ブッダの死は、ブッダの《人間的な愚かさ》の現れである。×:『人間性』『人間的な愚かさ』を失うのは『わるい』。

《エウドクソスの「善」》『よい』『わるい』

  1. 『ニコマコス倫理学』上、p.15。「万物の希求するところ」を『よい』と定義する。
  2. 『ニコマコス倫理学』下、p.149。ひとびとはそれぞれ、自らの快とするところを選び、自らの苦痛とするところはこれを避ける。
  3. 広義の善と広義の快とは一致する。善にもいろいろあり、快にもいろいろある。いろいろの種類があり、優劣がある。『よい』と『心地よい』『こころよい』、日本語では、そもそも、同じ分類なのだろう。
  4. 『こころよい』は《内からの視点》である、『よい』《外からの視点》である。
  5. 《私》に関しては『よい』『わるい』はない。《私》に関してあるのは『こころよい』かどうかだけである。《私》に関しては《外からの視点》はない。《私》《私》を見るときには、常に、《内からの視点》だからである。
  6. 『よい』の主観依存性は、当然の前提になっている、と見るべきだろう。
  7. 《私》に関しては『わるい』はない。すべて、『よい』であり、どの程度『よい』かの違いがあるだけである。・・《私》《私》の失敗を後悔するときでさえ、「《私》が後悔すること」は『よい』のである。
  8. 《他者》に関しては『わるい』がある。《私》にとって都合が『わるい』ならば、その《他者》(の《動き》やもろもろ)は『わるい』。《私》にとって都合が『よい』のであれば、その《他者》(の《動き》やもろもろ)は『よい』

『真理』と『よい』『わるい』

  1. 『真理』なんて掃いて捨てるほどある。ほとんどのコトバは『真理』であろう。
  2. 『真理』ってのは、もっと崇高な、もっとも崇高な『正しいコトバ』なのだから、『真理』は一つなのだ、ってか? 『よい』と『正しい』とを混同しているのじゃないのか?
  3. ボス猿コトバを期待しているんじゃないのか?

機械論と『よい』『わるい』

  1. 『科学』は、《アニマ》による説明を忌避する。「《アニマ》による説明を忌避するのが『よい』」という『よい』『わるい』の判断の帰結である。
  2. なぜ、「機械論による説明のほうが『よい』」のか? 説明が明確になるから、説明に基づいて予測が可能になるから、であろう。しかし、科学によって、「複雑なモノについて、説明に基づく予測」は可能になっていない。「説明が明確」なのは、「明確に説明できる部分についてしか説明しない」からである。ヒトにとってそれがどういう『意味』を有するかどうかは問題にしていない。たんに、「説明」として『よい』かどうかである。ヒトの生き方にとって重要とはいえない事柄について、ごくわずかの事象について明確な説明があったとしても、それがヒトにとって重要な事柄になるわけではない。科学は《ソクラテス以前》の知識に過ぎないのである。
  3. ヒトは何故、科学『よい』と思うのか? 分かりやすいからだろう。分かりやすいのは『よい』。『説明』が分かりやすいのは『よい』。説明しやすい事柄を、分かりやすく説明するのは比較的容易である。
  4. 人々は、《我》に関する説明を欲していない。《我》に疑問を持たないのが『よい』のである。《欲・得・快・楽・善・義・志・徳・疑・信》。人によっては、《我》に疑問を持つのが『よい』のである。「汝自身を知れ」というご託宣は、大部分のヒトにとっては、魅力的ではないのである。
  5. 科学は《主体性》による説明を忌避する。科学《視点》においては主体性(による説明)は『わるい』。「《主体性》が『わるい』」と「《主体性》による説明が『わるい』」とでは異なるって? 「《主体性》による説明が『わるい』」ということは、《主体性》を語らないこと、「《主体性のない機械》である」と語ることを意味する。それを、当為と存在との区別がつかない人々に語るのが『よい』とすることを意味する。人々が、自らを《主体性のない機械》とは遊離した特別な存在であると誤解させるか、もしくは、自らもまた「《主体性のない機械》である」と思いこませることを『よい』としている、ということを意味している。つまり、「《主体性》による説明が『わるい』」という立場で人々に語ることは、人々に「《主体性》が『わるい』」と説得していることになる。・・もちろん、『わるい』のは当為と存在との区別をつけない《人々》である、と言いたいのだろうが・・。『結果』において『わるい』ことは、『わるい』のである。
  6. スポットライトの当たったところ<<だけ>>を、克明に描き出すことは、『よい』か、『わるい』か? といえば、全体を見失わせる結果になるから、『わるい』と言うべきであろう。

《群れ》からの『よい』『わるい』と個体からの『よい』『わるい』

  1. 「不正アクセス」は『わるい』。しかも超個体的に『わるい』。たしかに、個体的な『よい』『わるい』ではない、のだが、客観的に『わるい』のではない。システムを部外者の侵入から守ろうとする一定の人々の《群れ》にとって『わるい』である。
  2. 侵入者はその《群れ》に入っているのか? 侵入者たちの《群れ》においては、「クラック」は『よい』ことなのではないか? 侵入者たちの《群れ》において「クラック」は『よい』、というのは、超個体的な『よい』『わるい』である。したがって、「クラックは悪い」も「クラックはよい」も、同じレベルの超個体的な『よい』『わるい』である。
  3. 戦争は、『わるい』を『よい』に反転する。敵のシステムをクラックすることは『よい』
  4. 客観的に『わるい』というのは、《一切のモノの群れ》において『わるい』場合である。《宇宙史》にとって『わるい』場合である。《宇宙史》がそれに対して無関心である場合には、地球地球上の生物全体の《群れ》において『わるい』場合である。それらが無関心である場合には《人類》にとって『わるい』であろう。人類の中の部分集団にとって『わるい』ことは、他の部分集団にとって『よい』場合がある。とくに、戦争の論理からいえば、ほとんどの『わるい』は敵にとっては『よい』に変わるであろう。したがって、《人類》が最少の判断主体である。・・人類にとって『わるい』ことは、他の生物にとっては『よい』かもしれない・・。
  5. 不正アクセスは、情報を独占したい人々にとっては『わるい』。情報は万人に共有されるべきだと主張する人々にとっては『よい』情報独占は権力の維持のためか、経済的利益の独占のためであることが多い。必ずしも、『よい』わけではない。
  6. 「プライバシー情報」の保護? という名目、だが、なぜ、ある人々は他人のプライバシー情報を独占することが、特権的に、許されていて、何故、他の人々はその情報に近づくことが許されないのか? 情報独占者は『よい』人であり、情報から排除される人々は『わるい』人だからなのか?
  7. 不正侵入者はプライバシー情報を、自己の経済的利益のために利用する可能性がある。ということが『わるい』のか? 情報独占者も、自己の経済的利益のためにその情報を利用しているのにである。
  8. とはいっても、だ、ウチが保有している個人情報は、彼ら自身が、ウチを信頼して提供したものだから、不正アクセスでもれては困る。金目の情報ではないが、(ひょっとしたら恐喝とかに使える?)、もれた場合の(ウチと提供者にとっての)損害は大きい。なので、不正アクセスは防止しなければならない。よって。不正アクセスは『わるい』。この『意味』の『わるい』は個体的な《思いこみ》である。しかし、ウチの『仕事』は、社会的な有用性もあるだろう。ウチの『仕事』は社会的に見て『よい』。不正アクセスは、ウチの『仕事』という『よい』ことを阻害するので、社会的に見て『わるい』。ウチの『仕事』は社会的に見て『よい』か? 《群れ》にとって『よい』か?

モノ《動き》『よい』

  1. 『ニコマコス倫理学』p.15。「万物の希求するところ」を『よい』と定義する。
  2. 主観相対的な概念である。
  3. 自覚的な《動き》、無自覚的な《動き》の違いを問わない。
  4. 《生きモノ》であるかモノであるかを問わない。《他者》であるか《私》であるかを問わない。
  5. モノ《動き》目的として「希求するところ」が『よい』である。

『よい』『わるい』と主観依存性

  1. 『よい』『わるい』は、『誰にとって』か、によって異なる。
  2. 《息しつつあるモノ》にとって『よい』とは『息ができること』である。『わるい』とは『息ができないこと』である。『息をすることができる状況』は『よい』。『息をすることができない状況』は『わるい』。『息をする能力』は『よい』
  3. ネズミ取りにかかった子ネズミにとっての『よい』と、《私》にとっての『よい』とでは異なる。《他者からの『よい』『わるい』

《息しつつあるモノの群れ》『よい』『わるい』、《価値尺度の原点の群れ》

  1. 彼にとっては、彼の選択はすべて『よい』。彼にとっては、彼以外のモノは何らかの意味・程度において『わるい』。
  2. 《息しつつあるモノの群れ》は《価値尺度の原点の群れ》である。《極座標の原点の群れ》

他のモノへの『よい』『わるい』の評価

  1. 《評価すること》は《私》動きであるから、それ自体として『よい』ことである。
  2. 《評価すること》の目的は、《私》原因者であることができるモノである場合には、《私》の将来の動きを変更することである。《他者》原因者である場合には、《他者》の将来の動きを変更することである。そのために、《他者》《私》『よい』『わるい』《思いこみ》を伝達することである。((伝えたって、《私》に『徳』が無ければ、《他者》《私》『よい』『わるい』に従って動かないよ))。
  3. 自分の動き以外のモノはすべからく『わるい』モノである。自分の動き以外のモノは、何らかの程度において、自分の動きを妨害するモノだからである。『わるさ』に程度の差があるだけである。
  4. 自分の動き以外のモノ『よい』モノはない。自分の動きを促進するモノは、自分の動きの自発性を奪おうとするモノである。自分の動きを妨げないモノは、単に『わるくない』モノであるに過ぎない。
  5. 自分以外のモノは『わるい』から、《私》世界を変えようとするのである。
  6. 《私》にとっては《私》『よい』世界は『わるい』。
  7. 《私》が変えることができないモノは『わるくない』。《私》が変えることができるモノだけが『わるい』。『わるい』というのは、《私》がそれを変えようとする《私》『よい』動きだからである。

それ自体として『よい』動きと、『よい』ことを目的とする動き

  1. 《息しつつあるモノ》動きは、それ自体として『よい』動きである。
  2. 《息しつつあるモノ》動きは、それを止めてみたときに生じる結果から、逆に目的を捜すなら、《身体》の健康を目的とする動きである。

『よい』ことは在るか?

    1. ○:
      1. 在るよ。
      2. 《思いこみ》は在るよ。
      3. 「客観的」というのは、そもそも、『よい』を判断する基準ではないよ。「客観的」というのは主観がないとしても存在するかどうか、という判断基準。存在を判断する基準であって、当為を判断する基準ではない。
      4. 『よい』の判断基盤は格物致知誠意正心だよ。
      5. たけ(tk)が、唯一、確信を持って『よい』と言えるのは、《息しつつあるモノ》が息をすることだけだ。でも、そういう『よい』ことは在る。
    2. ×:
      1. 無いよ。
      2. モノとしては無いから、『よい』ことなのだ。
      3. 『よい』というのは《思いこみ》だよ。
      4. 客観的な『よい』は無いよ。
      5. 『よい』ことをヒトが決められるなんて、傲慢だよ。
      6. 証明できないよ。

『よい』『わるい』に『客観的な判定基準』はあるか? ○:。×:。

《宇宙史》にとって『よい』『わるい』の判断ができるなら、それによるべきである。《宇宙史》にとってはどうでもよいことであるなら、地球にとっての『よい』『わるい』の判断をすべきである。地球にとってどうでもよいことであるなら、地球上の生物にとって『よい』『わるい』を判断すべきである。地球上の生物にとってどうでもよいことであるなら人類にとって『よい』『わるい』を判断すべきである。人類にとってどうでもよいことであるなら、自分の群れにとって『よい』『わるい』を判断すべきである。自分の群れにとってどうでもよいことであるなら、自分にとって『よい』『わるい』を判断すべきである。

「あらゆる人間活動は何らかの「善」を追求している」か?

  1. ○:
    1. 『ニコマコス倫理学』目次、p.5。
  2. ×:
    1. これは主観依存的な『よい』という《思いこみ》である。
    2. 《宇宙史》や素粒子からの《視点》で、人間活動の『よい』『わるい』が決まるはずがない。素粒子の《動き》は、素粒子にとって『よい』からそのように《動く》のである。《宇宙史》《動き》は、《宇宙史》にとって『よい』から、そのように《動く》のである。しかし、これも、『よい』が主観依存的であることを意味している。
    3. 『法』ヒト《ヒトの群れ》にとって『よい』のである。『法』が素粒子にとって『よい』わけがない。主観依存的なモノ《思いこみ》と呼んでいる。

『よい』『わるい』は主観に依存するか? ○:多分、これが一番の問題。×:。

『人々の好み』と『よい』『わるい』

  1. 人々は、『人々の好み』によって『よい』『わるい』を判断する。
  2. 《他者からの思いこみ》は『人々の好み』の噴出である。

タカウゴ『よい』『わるい』

  1. タカウゴ《他者からの思いこみ》《動きつつあるモノ》との《繋がり》
  2. タカウゴでは『よい』『わるい』は出てこない。なんでだろ?
  3. タカウゴでの《動きつつあるモノ》は、即物的な《動き》であって、反省的な《動き》ではない。意図的な《動き》ではない。したがって、『よい』『わるい』は出てこない。
  4. タカウゴにおける《動き》とは、《私》《身体》内部での《動き》も含む。《他者からの思いこみ》によって《私》《身体》の内部に何らかの《思いこみ》が生じることも、タカウゴにおける《動き》である。反省は、その後に生ずべきことである。
  5. 基本的には、外に向けては《動かない》のが『よい』。或る《動き》をすることが『よい』、という《思いこみ》『決まり』となった(判断された)場合には、《動く》のが『よい』
  6. 《他者からの思いこみ》は『人々の好み』の噴出であり、『人々の好み』による『よい』『わるい』《思いこみ》噴出である。人々からの『よい』『わるい』噴出。『人々からの、よい・わるい』の噴出

格物致知誠意正心」と『よい』『わるい』

  1. 格物致知誠意正心」が『よい』『わるい』の判断基盤である、か?
    1. ○:「基準」でなくて「基盤」。そういう状態で判断した結果であれば、正しい『よい』『わるい』の判断であるとみなす、という基盤。
      1. 『よい』『わるい』状況依存的である。
      2. モノ《状況》が語りうるというのは、僭越である。
      3. ヒトの判断はすべからく独断である。ヒトの判断でない『よい』『わるい』は存在しない。独断であることは『よい』『わるい』を否定する理由にはならない。
      4. 多数決は独断の集合でしかない。多数決が『よい』というのも独断である。まあ、たしかに、国政の主権的判断においては、多数決は、よりましな『よい』である。
      5. 多数決においても、妥当な判断を得たいと思うなら、「格物致知誠意正心」の状態で各人が判断したうえで、多数決に参加すべきである。
    2. ×:
      1. 普遍的な判断ではない。演繹的に正当性を証明できない。
      2. 《状況》と判断との関係を証明する必要がある。
      3. 独断に過ぎない。
      4. 多数決によるべきである。

道具『よい』『わるい』

  1. 安い
  2. 安全
  3. 効率的(目的達成までの効率)
  4. 使いやすい
  5. 分かりやすい

《人を動かすこと》と『よい』『わるい』

  1. ヒト動かすこと》は『よい』か?
    1. ○:『よい』ことが見つかったなら、その方向に向けて《ヒト動かすこと》は『よい』ことである。
    2. ×:『よい』ことが見つからないのに《ヒト動かすこと》は『わるい』ことである。
  2. 《こころざし》は人を動かす《ちから》である。
  3. 人を動かすことは『わるい』、と、たけ(tk)は思う。何故なんだろう? 人を動かすことは、《彼》が《他者》に動かされることである。《彼》が自律的に動くことを放棄することである。・・これが、誤解なのか?
  4. 自律性喪失感、が、たけ(tk)にはある。その原因を、《他者》に動かされることに求めた。これが誤解なのか? 《他者》に動かされようが、動かされまいが、自律性喪失感はなくならない。
  5. 自律性への意欲を放棄していることが、自律性喪失感の原因である。
  6. 自律性への意欲を放棄している原因は、『よい』ことが見つからないからである。
  7. 『よい』ことが見つからないのは、自律的な《動き》への評価を行っていないからである。味わっていないからである。《動き》への《味わい》。《とどまり》への《味わい》と、《動き》への《味わい》

神話的自然状態主義と『よい』『わるい』

  1. 『権利のための闘争』p.40:原始時代! それを特徴づけるのに真実・率直・誠実・子供のような無邪気・敬虔な信仰といった一切の麗しい性質をもってするやり方が、かつて流行したものだ。そのような土壌の上では、法もまた法的確信以外の養分なしに成長しえたはずであり、拳骨も剣も不要であった、というわけだ。
  2. 理想的古代主義。本居宣長。復古主義。理想的原始主義。

『法』『よい』『わるい』

  1. 権利のための闘争。立法者的素質。
  2. 「AならばB」
  3. 人治主義。
  4. 「法治主義とは権力者が法律を盾にして無謀な要求を押しつける政治である」「法治主義とは権力者が法律を恣意的に運用する政治である」という悪魔化された法治主義のイメージ。逆転された法治主義。
  5. 「法は言霊の悪霊である」「法は呪縛である」という呪い的法治主義。
  6. 「法は追従ザルの追従を無効化する」「法は、追従ザルを祝福せずに、追従ザルを利益を害する」という追従ザルにとっての有害物。贈与のバランスを害するモノボス猿追従ザルの麗しき共同体を破壊するモノ。法は《サル山のサル》の敵である。
  7. 「法治主義は、悪法(不公正な法)の悪しき(恣意的な)運用の政治である」という悪法法治主義。

権利のための闘争と暴力のための闘争

  1. 法秩序の《なしくずし》のための闘争が、権力から仕掛けられている。

過去の《私》の選択と『よい』『わるい』

  1. 過去の《私》の選択はすべて『よい』である。存在するモノはすべて『よい』である。《今・ここ》のこの《肉の塊》の次の《動き》の選択以外は、すべて『よい』である。
  2. 過去の《視点》に立ち返って、過去の選択を評価する時、それ以外の選択はなかったのであるから『よい』《入り込み》

《視点》『よい』『わるい』

  1. 『よい』『わるい』の座標軸は可能か? 《視点》を固定するなら『よい』『わるい』の座標軸は可能である。
  2. 《視点》公理系における非論理公理(論理的に真であるとはみなされないが、その理論体系内では真とみなされる公理)である。
  3. 《視点》《視点》配置空間において理解されるべきである。《視点のパラメータ》
  4. 『よい』『わるい』《視点》によって正反対になりがちである。『よい』『わるい』《視点》からの距離みたいなモノか?

立法者的素養と『よい』

    1. 『ニコマコス倫理学』、下、p.187:こういった任務に耐えうる可能性の比較的多いのは・・立法者的な素養を積んだ人であると考えられよう。けだし、公共的なこころ使いは明らかにり法律を通じて行われ、よき心遣いはすぐれた法律を通じて行われる。しかるに、法律は成文法であっても或は不文法であってもいいわけであるし、また、法によって教育されるべき人間は一人であっても大勢であってもいい・・と考えられるであろうから。p.189:より善き人間たらしめようと欲するところのひとは、いずれの場合にあっても、立法者的な素養を積むことに努力すべきであろう。
    2. ユートピア』p.139:ユートピアでは一人一人がみな優れた法律家である。なぜなら、前に言ったように、ここでは法律が非常に少ないからだ。法律の解釈は明白で単純なものであればあるほど、それだけ公正なものとされている。法律が作られ交付されているのは、すべて各人に自分の義務を思い出させるためである、と彼らは言う。
  1. 立法者的《視点》とは《群れ》や自分自身を上から見下ろす《視点》である。《群れ》《外からの視点》である。

『正当性』『公平』と『よい』

  1. 公平な正当性を背景とするテリトリーの相互承認は心地よい。

無限遠点《浄化球》『よい』『わるい』

  1. ジョウキュウ・エンテン・100
  2. まなざし世界
  3. 感じあいの世界
  4. 聞き覚えの世界
  5. 内語による聞き覚えの世界
  6. まぶたを閉じたときに現れるヤミへのまなざし世界
  7. エンジョウは認識限界の向こう側も浄化する。向こう側が内側に崩落して、それが浄化球に吸い込まれる。
  8. ヤミは、それがそれである以上のモノが付加されている。こだわり、思い込みが付加されている。崩落してくる。

《サル山のサル》にとって『よい』思考回路はあるか、設計可能か? ○:。×:。

『わるい』のは《知ること》ではなくて、悪への誘惑への自制心のない《サル山のサル》である。か?

  1. ○:自制心があれば、《知ること》によって、悪しき行動を行うことはない。『心地よいウソ』が破壊されることは『よい』。即自的《不快》と統合的《不快》。即自的《快》と統合的《快》。『不快な真実』を《知ること》は、即自的には《不快》であるが、統合的には《快》である。
  2. ×:《不快》な真実を《知ること》は、《不快》であることに変わりはない。
  3. 自制心というのは悪を容易にする情報を知った時に、悪を行うことへの誘惑を自制する能力である。天知る地知る我知る。
  4. http://homepage1.nifty.com/moritake/doutoku/siti.htm
    1. ◆四知
    2.  古代中国の楊震という高官のもとに、ある夜、お金を届けに来た男がいました。楊震に推薦してもらって役人になれた男でした。男の持ってきたお金は、賄賂だったのです。賄賂というのは、自分だけがよくしてもらうために、こっそりとお金を届けることです。
    3. 「まあまあ、夜も遅く、誰も知る人はいませんから。」
    4. 懐からこっそりとお金を取り出して、渡そうとすると楊震は言いました。
    5. 「私は君の人柄を見こんで推薦したのに、君は私を見くびっている。」
    6. 「天が知っている。神が知っている。私が知っているし、君も知っている。
    7.  知る者がいないなど とんでもない!」
    8. こう言われた男は、たいそう恥じてその場を去りました。
    9.  楊震は、内緒の贈り物など、絶対に受け取りませんでした。そのため、家族のものは粗末な食事をし、車馬にも乗れない生活をしていました。
    10. これに見かねた友人が、
    11. 「なにか財産を作るようなことをしないのか」
    12. と聞いたところ
    13. 「私は子孫に財産を残そうとは思わない。のちのちまで、嘘いつわりのない正直な人の子孫だといわれればそれで満足だ。これが最大の遺産だ」と答えたそうです。
  5. http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835006&tid=bcafld&sid=1835006&mid=1006
    1. 大將軍(溝狂而辟之, 擧茂才, 四遷荊州刺吏, 東莱太守。
    2. 當之郡, 道經昌邑, 故所擧荊州茂才王密爲昌邑令, 謁見, 至夜懐金十斤以遣。
    3. 震曰 : 「故人知君, 君不知故人. 何也 ? 」密曰 : 「暮夜無知者。」
    4. 震曰 : 「天知, 神知, 我知, 子知。何謂無知 ! 」密愧而出。
    5. 後轉郡太守。性公廉, 不受私謁。
    6. ‐紊法屮灰競肇悒鵝廖棔嵎癲廖下に「馬」   シツ、ジツ、チョク
    7. ◆屮汽鵐坤ぁ廖椒謄鵑里△襦幀機廚了     タク
    8. 大將軍・ 其の賢なるを聞きてこれを辟し、茂才に擧げ、荊州刺吏に四遷し、東莱太守たり。
    9. 當たりて郡に之(ゆ)く。道に昌邑を經るに、故所に荊州茂才に擧げたる王密、昌邑の令たり。
    10. 謁見し、夜至り金十斤を懐し以て遣る。
    11. 震曰く「故人、君を知る。君、故人を知らざるは何ぞや 」と。
    12. 密曰く「暮夜、知る者無し」と。
    13. 震曰く「天知る。神知る。我知る。子知る。何ぞ知ること無しと謂うや」。
    14. 密愧じて出づ。後、郡の太守に轉ず。性公廉、私謁を受けず。
    15. ・・
    16. ★中華書局『後漢書』「後漢書巻五十四、楊震列傳第四十四」より一部抜粋
    17. ・・
    18. 「楊震の四知」といいます。カリさんの所に書いたのは十八史略のほうで、「天知。地知。子知。我知」で、「神」と「地」が異なっています。もちろん、もとの話はこちらです。

《サル山のサル》と遺伝的アルゴリズム

  1. http://www.asyura2.com/07/it10/msg/135.html
    1. パラメータをちょっとづつずらして試行錯誤する/ときどき突然変異させて試みるアルゴリズムなのだが、そのためには評価のための目的がなければならない。まあ、生物における目的は、生き残り確率の増大である。進化目的
  2. 《ここちよさ》が進化目的の結果であるとするなら、《ここちよさ》自体が進化目的を反映しているだろう。つまり、生き残り確率増大の《予感》が《ここちよさ》に反映されているはずである。
  3. 『よい』『わるい』にも、生き残り確率の増大の《予感》が反映しているだろう。
  4. 『よい』は《生き残り確率増大の予感》であり、『わるい』は《生き残り確率減少の予感》である。

《サル山のサル》の思考回路と『よい』『わるい』

  1. 《サル山のサル》の思考回路は、条件反射の(連想の)組み合わせの一直線である。
  2. アンビバレントな苦悩がある場合にのみ、彼の思考回路は複線化され、選択の余地のあるものとなる。
  3. 条件反射的な思考回路は、おそらく、《サル山のサル》によって、『よい』と確認された条件反射である。『よい』と判断された条件反射的思考回路の組み合わせが、トンデモナイ結論を生み出す。条件反射的思考回路は、極めて、狭い範囲の事象にのみ適合するにもかかわらず、かれらはそれを普遍化してさまざまな判断に使用する。

『よい』ものは何もない」と『よい』

  1. 『よい』モノは何もない」と言った時の『よい』が指し示す《思いこみ》は?
  2. 無限遠点《浄化球》、が『よい』かも知れない。《息しつつあるモノ》だね。
  3. エンジョウ・イシモ・100
  4. 《浄化球》『よい』わけではない、『わるい』ものを取り除くだけだ。
  5. 無限遠点《浄化球》は、無限遠点において『わるい』モノを取り除く。《私》のほうから『わるい』モノ世界に向かって飛び散っていく。《私》が活性化されるような気分、が『よい』
  6. 《繋がり》の先のエンジョウ・イシモ
  7. 《繋がり》の下に《サル山のサル》地面がある。
  8. 善意の人々は《サル山のサル》の実体に気付くことを恐れている。それゆえに、上を見ている。上に、ボス猿を求め、『心地よいウソ』を求め、『真実』を求め、『真理』を求める。彼らを突き落とすのは忍びない。気付くモノは気付け、指し示す指を求めるモノは、そのままにしておこう。善意や《繋がり》はそのままにしておいて、《サル山のサル》地面を浄化しよう。
  9. 世の中の道理は何もかにも理路当然である。不思議なモノは何もない。不思議といえば、遠隔物の交互作用くらいか。二重スリット? とか、細かい話。

『よい』ものが沢山あるのは『わるい』

  1. 『よい』ものは一つでなければならない。なぜなら、『よい』は唯一の《動き》をもたらすべきモノであるから。
  2. 『よい』に順序を付けるのは『よい』。なぜなら、順序づけにより、もっとも『よい』モノが一つに決まるから。また、状況によって、容易性が変るので、『よい』の順序づけのままに、実現容易なモノから《動き》として実現していくことが可能になるから。

ヨイワル・イシモ・100

  1. 《外からの視点》においては『よい』『わるい』は存在しない。
  2. 《内からの視点》でのみ『よい』『わるい』は存在する。
  3. 《今・ここの・この肉の塊》《動き》においては『よい』『わるい』は存在する。
  4. 《今・ここの・この肉の塊》動くことができるかぎりにおいて『よい』『わるい』は存在する。《動き》の能力。《動き》の選択可能性。

《思い描き》『よい』『わるい』

  1. 風邪薬の自動販売機を作ること、は簡単である。だが、それで『よい』のか。
  2. 診察が必要なのである。診察のエキスパートシステム。
  3. 経済学者は、血圧と脈拍だけですべての病気を治そうとするやぶ医者である。

《物作り》と『よい』『わるい』《モノ作り》

  1. 《モノ作り》とは土くれの場所を動かすことである。土くれの場所を動かすことによって、人々の欲求を満たすというのはどういうことか? 食べるということも、土くれの場所を動かすことである。天地創造も土くれの場所を動かすことでしかない。モノ《動き》が意味をもつのは人々の欲求においてである。人々の欲求は在る。サルにはサルの欲求があり、ゴキブリにはゴキブリの欲求があるのと同様に、人々には人々の欲求が在る。人々の《求める思いこみ》が基準でなければならない。人々の《求める思いこみ》を見通さなければならない。《人々の求める思いこみ》。刹那的、個体的な《求める思いこみ》と群れへの《求める思いこみ》とがある。《サル山のサル》からの《求める思いこみ》《極座標の原点》からの《求める思いこみ》《極座標の原点》世界を知る。《知った思いこみ》をもつ。《知った思いこみ》《思い描き》である。《知った思い描き》への『よい』『わるい』の評価を行って、動く《極座標の原点》は《知った思い描き》とは別の《思い描き》をもつ。自由な《思い描き》と《知った思い描き》との差が《求める思いこみ》となる。
  2. 《物作り》は人々の欲求に合致するモノを作り出すこと。
  3. 紛争状態という『わるい』モノから紛争解決状態という『よい』モノを作り出すこと。
  4. 『現実』という『わるい』モノから『ユートピア』という『よい』モノを作り出すこと。
  5. 《モノ作り》
  6. 平和、天上、という『よい』モノから、欲望競争社会、畜生という『わるい』モノを作り出すこと。欲望競争社会、畜生という『わるい』モノから、戦争、修羅というもっと『わるい』モノを作り出すこと。平和・天上が状態になってしまえば、そこにおける欲求は、欲望充足である。従って、平和・天上という『わるい』モノから、『よい』モノが作られた、ということになる。衣食足りて、礼節を忘れる。
  7. http://keio-mitakai.sfc.keio.ac.jp/public/fukuzawa/detail.php?mitakai_id=&fukuzawa_id=24
    1.  金満家がかねをためて飽きることのない理由はだいたい右の通りである。この理由でさえ、哲学者の眼から見るときはたわいもないことであり、小児の戯れにも似ているのだが、結局うじ虫と同じような人間の仕業であるので、ふかく論及するようなことではない。人情の当然としてこれを許し、そこでその成果がどうであったかを問うならば、それは社会のために利益するところも大きい。
    2.  そもそも、文明の世界で人の便利を謀り、学理を応用して天然の力を制し、その物の形を変えて人生を安楽にするその事業には、ひとつとして資金が要らないものなどはない。海上の汽船、陸上の汽車をはじめとして、百般の工業、製作、商売、交通などは、すべて資本家がつかさどるところのものであって、その資本がますます大きくなるにしたがって、事業もますます拡大し、便利なこともまた多くなる。
    3.  もしも世間の人々が寡欲であって、衣食が足りればそれでよし、として、誰も彼もちっぽけな成功に満足し、大いに苦労して大いに世の中を利するというような心がなかったならば、とても今日の進歩は見ることができなかっただろう。
    4.  現在、世の中がそうではなく、新しい事業が急速な発達を示していることで、社会一般の快楽が大きくなっているのは、資本家の射利心に際限がないためなのだ。人の多欲もまた、その功徳が大きいと言うべきだろう。    
  8. 金銭欲が、物作り、物作りへの改良に向かっているかぎりでは、大いに結構なことだ。しかし、金銭欲が投機や独占利益に向かう場合には、弊害が大きくなる。
  9. http://kanbun.info/koji/ishoku.html
    1. 衣食(いしょく)足(た)りて栄辱(えいじょく)を知(し)る
    2. * 〔出典〕 『管子』牧民
    3. * 〔解釈〕 Yahoo!辞書 大辞泉 【衣食足りて礼節を知る】参照。
    4. 凡有地牧民者、務在四時、守在倉廩。國多財、則遠者來、地辟舉、則民留處。倉廩實則知禮節、衣食足則知榮辱。
    5. 凡(およ)そ地(ち)を有(ゆう)し民(たみ)を牧(ぼく)する者(もの)は、務(つと)め四時(しじ)に在(あ)り、守(まも)り倉廩(そうりん)に在(あ)り。国(くに)に財(ざい)多(おお)ければ、則(すなわ)ち遠(とお)き者(もの)来(き)たり、地(ち)、辟挙(へききょ)すれば、則(すなわ)ち民(たみ)、留処(りゅうしょ)す。倉廩(そうりん)実(み)ちて則(すなわ)ち礼節(れいせつ)を知(し)り、衣食(いしょく)足(た)りて則(すなわ)ち栄辱(えいじょく)を知(し)る。

http://www.asyura2.com/07/senkyo37/msg/735.html

    1. 原爆・放射能による大量虐殺は残酷だが、それ以外は残酷ではないというのは、かなり情緒的で偏狭な見解であろう。
  1. 実に興味深い思考方法。「泥棒は悪い」という主張に対して、「泥棒が悪くて、殺人が悪くないというのはナンセンスだ」という攻撃をする思考方法。それがまっとうな思考方法であると思いこんでいる思考方法。
  2. 論理的に言えば「《原爆》は《残酷なモノ》に含まれる」「《原爆》は《残酷なモノ》の一つである」「is_a」であって「《原爆》と《残酷なモノ》とはイコールである」「《原爆》は《残酷なモノ》のすべてである」「equal_to」と理解するのは単なる誤読。
  3. 「それ以外は残酷ではない」と主張している人は居ないだろう。存在しない人を非難しているのだが、実は、単に自分の愚かさが作り出した自分の鏡像を非難しているのだ。鏡像非難。
  4. 愚かにも、自分の鏡像を非難する人は『わるい』。鏡像非難は『わるい』。

原爆と『よい』『わるい』

  1. 原爆は『わるい』。(以上)
  2. 「原爆は『よい』」という意見について。は?
  3. 「xxはyyのために必要」であるなら、「xxは『よい』」である。
  4. 「原爆は日本人の精神的独立のために必要」であるなら、「原爆は『よい』」となる。
  5. 「原爆は日本人の精神的独立のために必要」であるか?

『10年後』と『よい』『わるい』

  1. 未来について考えてみよう。

『100年後』と『よい』『わるい』

  1. 未来について考えてみよう。
  2. エネルギーか枯渇すれば、人類文明は消滅する。原子力文明は事故をもたらすだろう。原子力って、それほど効率的ではない。単なるボイラーなんだよね。副作用が強い。原子力から水素に変換するか?
  3. ユートピア』。

『よい』『わるい』《思い描き》

  1. 『よい』『わるい』《思い描き》であり、《思い描き》《道具的な思いこみ》であり、『手段』である。『よい』『わるい』《モノの世界》《私》の『手段』である。
  2. 『よい』《思い描き》世界では最高の目的である。《思い描き》世界を、唯一最高の目的からの具体的手段への、目的手段のヒエラルキーとして構成するための手段である。
  3. 『よい』『神』に置き換えても同じこと。同じではない。『よい』が『中庸』であるなら、単純なヒエラルキーにはならない。

単一化と『よい』『わるい』

  1. 認識→総合→単一化→決定。
  2. 優先順位による単一化。
  3. 《見通し》による単一化。
  4. 切り捨てによる単一化。
  5. 統合による単一化。
  6. 止揚による単一化?

『慰め』と『嫌がらせ』

  1. http://www.asyura2.com/07/war93/msg/512.html
    1. ワシントン会議の後であのような法案を通すとはほとんど日本に対する嫌がらせにしか思えません。
    2. おかげで日本のアメリカに対する感情はそれまでと全然違うものとなってしまいました。今回も慰安婦法案が通れば、おっしゃるとおり日本の対米感情は悪化するでしょう。親米安倍政権への打撃になるのでしょうか。
  2. 日本の民衆感情が、『慰め』か『嫌がらせか』という二分論で判断する傾向がある。《サル山のサル》『よい』は『慰め』であり、《サル山のサル》の『わるい』は『嫌がらせ』である。追従ザル。人のフリ見て、我がフリ許す。

《状況》への評価と『よい』『わるい』

  1. 《状況》への評価がなければ『よい』『わるい』も出てこない。
  2. 《状況》『よい』方向に向かう選択が『よい』選択であり、『わるい』方向に向かう選択は『わるい』選択である。
  3. 《私》の未来への選択以外には『よい』『わるい』はない。
  4. 未来の《私》『よい』《状況》の予感。『わるい』《状況》の予感。
  5. 《状況》は、《私》《私》以外のモノとの間の繋がりである。《状況》への評価はモノへの評価ではない。

達成感と『よい』『わるい』

  1. 目的的行動で、目的が達成された時の快感。

『よい』『わるい』《サル山のサル》

  1. たけ(tk)』のフリをすること、は『よい』か?
  2. たけ(tk)』のフリをするモノが《たけ(tk)》である。
  3. 《サル山のサル》《世界》においては、「xxのフリをするモノ」が「xx」である。
  4. 《サル山のサル》《世界》とは《思いこみの世界》である。
  5. タケフリ・イシモ・100

『よい』『わるい』時間

  1. 『よい』『わるい』は未来への選択である。

《思いこみの動き》『よい』『わるい』

  1. 《思いこみの動き》『一切』の一部である。「心の作用」である。
  2. 『よい』『わるい』《思いこみ》である。《思いこみ》モノであり、《思いこみの動き》モノ《動き》である。
  3. 《思いこみ》としての『よい』『わるい』《思いこみ》であり、モノであり、『よい』『わるい』ではない。
  4. モノへの『よい』『わるい』の評価。《思いこみ》への『よい』『わるい』の評価。
  5. 《思いこみ》ならざる『一切』『よい』『わるい』は在るか?
  6. モノへの存在的知覚と、《動き》への動態知覚とでは別の経路で意識に到達する。
  7. 《動き》には《思いこみの動き》と《身体の動き》とがある。『よい』『わるい』は両方の《動き》に関係がある。両方の《動き》の統一体にとっての『よい』『わるい』を考える必要がある。《思いこみの動き》だけでは不十分。広義の《身体の動き》には狭義の《身体の動き》と《思いこみの動き》とを含む。広義の《身体の動き》というのは《今・ここの・この肉の塊》の外部的・内部的な《動き》である。
  8. 《身体》にとっての『よい』『わるい』は、『一切』における『よい』『わるい』であるといえるのか?
  9. モイウゴ・イシモ・100。モイウゴ=《思いこみの動き》
  10. アリストテレスの記述はモイウゴの記述である。
  11. 『よい』『わるい』は《選び》の尺度であり、《選び》は《思いこみの動き》である。《選び》は《思いこみ》を選ぶことである。《選び》は《思いこみの世界》の中で、《思いこみの世界》の中のモノを選ぶことである。未来の《動き》《思いこみ》を選ぶことである。

税制と『よい』『わるい』

  1. 政治権力者が、経済権力者の強欲に対抗できる力を持たなくなる、というのが政治の腐敗の原因なのだろう。そもそも、政治権力者も、刹那的な権力欲の充足が行動原理となる、ということも、腐敗の原因。政治権力者も《サル山のサル》なのだからしょうがない、というか、自然だ。
  2. http://www.tokyozeirishikai.or.jp/pdf/18zeikaisei_zeimugyousei_iken.pdf
    1. 政府税調の基本方針は「広く薄く」であり「広く」とは、課税すべき対象範囲を広げ、「薄く」とは、税率をフラット化し、税収増を図ろうとするものである。この基本方針は、低所得者層にとって不利であり、高所得者層ほど有利になるという、憲法の要請する応能負担の原則に反するものであり、所得の再配分機能を鈍化させますます所得格差を広げるものである。
    2. 今後の税制改革の方向性を考えるにあたっては、能力に応じた公平な税制を構築し、活力ある社会を築いていく必要がある。今般、所得税については最高税率が引き下げられ超過累進税率が緩和されてきた。相続税や法人税の税率も引き下げられてきた。その代替として消費税率が引き上げられ、今後の年金改革には消費税率の二桁への引き上げが必要とのことである。逆進性の強い消費税率の引き上げは景気回復の足かせになるどころか応能負担原則に反し税法の基本的理念から逸脱するものである。今後の税制改革は、所得課税を中心とした税制構造の構築が必要であり、歳出の見直しとともに検討が必要である。
  3. ユートピア』。『よい』社会を『ユートピア』と言う。

《選びつつあるモノ》『よい』『わるい』

  1. 『よい』『わるい』《選びつつあるモノ》の尺度である。

中庸と『よい』『わるい』

  1. アリストテレスも孔子も、『よい』とは中庸である、と言っているようだ。

中国の無秩序と『よい』『わるい』

  1. 「商」の国家というべきか?
  2. 『小人』の群集と言うべきか?
  3. 異民族支配の悲劇と言うべきか?
  4. 自由主義の弊害と言うべきか?
  5. 法制度の不備と言うべきか?
  6. 民衆の活力と言うべきか?

「滅私奉公」と『よい』『わるい』

  1. 《おおやけ》に尽くすべきものは、《わたくし》の利益を《おおやけ》の意思決定に持ち込んではならない、という当然の道理。
  2. 即物的思考においては、《おおやけ》ボス猿であり、《わたくし》は追従ザルである所の《私》ということになる。つまり、「滅私奉公」はボス猿に命令に無条件に服従することを意味することになる。イスメーネーの悲劇。

『一切』『よい』『わるい』

  1. 『一切』からは『よい』『わるい』は出てこない。
  2. 《動き》の決定が必要ないものからは『よい』『わるい』は出てこない。
  3. 『よい』『わるい』《極座標の原点》に依存する。
  4. 『一切』の原点は《私》である。『一切』の原点としての《私》は、未知なるモノである。未発見のモノから論考や観察を行うことはできない。
  5. 座標系は《思いこみ》である。数は《思いこみ》である。
  6. 心の作用」。《心の動き》は『一切』の中にある。
  7. 《思いこみの動き》には『よい』『わるい』が在る。
  8. 《相対者公理》曰く:《思いこみの動き》『一切』の原点としての《このヒト》の《思いこみの動き》でしかない。
  9. イデア実在論曰く:《このヒト》は『このヒト』のイデアのインスタンスである。《このヒト》は《今・ここの・このヒト》であると同時に、一般者としての『このヒト』のイデアのインスタンスである。
  10. 《絶対者公理》曰く:《相対者公理》イデア実在論も、絶対者としての《我》《思いこみ》でしかない。《思いこみ》としての《相対者公理》イデア実在論は、《思いこみ》として存在することは認める。それを包含した、絶対者としての《我》であり《我》『一切』である。
  11. 《思いこみの動き》というモノがある。《思いこみの動き》《群れ》というモノがある。《思いこみの動き》《群れ》というモノからの『よい』『わるい』がある。《思いこみの動き》は、そもそも個々の《思いこみの動き》《群れ》である。個々の《思いこみ》は浮かんでは消える泡のようなモノである。多数の《思いこみ》が浮かんでは消える様子の全体が、《思いこみの動き》である。

『朝日新聞、2007.6.17、朝刊』p.3

    1. 修身 1872〜1945 戦前の国定教科書(教科書使用は1904年から)
      1. 孝:親孝行、勤勉、学問:二宮金次郎:小さい頃から親を助け、仕事や勉強に励んだ。
      2. 恩:恩を忘れるな:忠犬ハチ公:亡くなった飼い主を渋谷駅前でずっと待ち続けた。
      3. 務:国民の公務:法令を重んじる。国家防衛・納税は国民の大切な務めである。
      4. 迷:迷信に陥るな:目の病気に効くといわれる水に頼って医者に診せずに失明した女性の話。
    2. 道徳の時間:1958〜:今の道徳の副読本(学習研究社発行)
      1. 希:希望、勇気、不屈:イチロー選手:幼い時からの夢をかなえて大リーグで活躍。
      2. 友:友情、信頼、助け合い:五体不満足(乙武洋匡):体に障害のあるオトちゃんが一緒に遊べるようにクラスの友達は特別ルールを作った
      3. 命:生命尊重:日本初のパンダ飼育:上野動物園飼育係のメンバーの奮闘記。NHKの「プロジェクトX」から
      4. 論:ディベートをしてみよう:「まずは相手の話を聞く」「次に自分の意見の方がよいと思えることを考える」など討論のポイント。
    3. 今も昔も登場する人物
      1. 修身のねらい−生き物をあわれめ・博愛/道徳のねらい−生命尊重:ナイチンゲール 1820-1910:幼いころから動物愛護。戦場では献身的に傷病兵を看護。
      2. 勉学・人身の自由/公平・公正・正義:リンカーン(1909-65):貧しい農家に生まれ苦学。米国16代大統領。奴隷解放の父。
      3. 勉学・勇気/郷土愛・愛国心:勝海舟(安芳)(1823-99):幕末の政治家。咸臨丸で太平洋横断。江戸城無血開城。
  1. うむー。子供に、どういう徳目を刷り込みたいのか?
  2. 競争社会を勝ち抜くアメリカンヒーローの徳目か、従属者の徳目か、主権者の徳目か?

「ことの軽重」と『よい』『わるい』

  1. 《サル山のサル》ボス猿には「ことの軽重」が分からない。

《私》『よい』『わるい』

  1. 『よい』『わるい』《私》にとっての『よい』『わるい』が在るだけである。
  2. すべてのモノ《私》《極座標の原点》)があるので、すべてのモノに、そのモノにとっての『よい』『わるい』が在る。
  3. 『よい』『わるい』《思いこみ》である。

《息しつつあるモノ》『一切』『よい』『わるい』

  1. 《息しつつあるモノ》『一切』『よい』『わるい』はあるか?
  2. 《息しつつあるモノ》への『よい』『わるい』、と、《息しつつあるモノ》からの『よい』『わるい』
  3. 『よい』『わるい』の判断の対象は、《私》の次の《動き》である。
  4. イシイ・ヨイワル・100
  5. 《息しつつあるモノの「一切」》
  6. 《私》《動き》のカタログが必要である。
  7. イシイ・ヨイワルを観察することが八正道である。

モノ『よい』『わるい』

  1. モノ『よい』『わるい』《思いこみ》は、《私》の将来の《動き》に影響があるかぎりにおいて生じる。アンドロメダ星雲の運命に関しては《私》『よい』『わるい』《思いこみ》を生じない。