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『なすべきこと』

キーワード『なすべきこと』

定義

『私がなすべきこと』という《思いこみ》

区別

『なすべきこと』《欲求実現手段》

  1. 『なすべきこと』《欲求実現手段》である。何らかの《欲求》が在って、その《欲求》の実現のために『なすべきこと』が在る。『なすべきこと』は、《欲求実現手段》の《手段の目的化》である。

『なすべきこと』と『あるべきこと』『あるべきモノ

  1. 『なすべきこと』は実感ではないが、『あるべきこと』は実感である。
  2. 『なすべきこと』が見つからない、と嘆くのは、『なすべきこと』が『あるべきこと』だからである。
  3. 『あるべきこと』、例えば、
    1. スケジュールの観念は『あるべきこと』である。
    2. ヒトを説得する能力は『あるべきこと』である。
    3. 見通しは『あるべきこと』である。
  4. 『あるべきこと』とは存在の不足(Want)である。ヒトは存在の不足を充足するために努力する。
  5. 在るべきモノは、賢いボス猿である。
  6. 在るべきモノは、賢いボス猿を選ぶ追従ザルである。
  7. 在るべきモノは賢い追従ザルを育てる教育である。

『なすべきこと』と『肉を生かす』こと。

  1. 《サル山のサル》は『肉を生かす』という目的が与えられた《極座標の原点》である。
  2. http://www.marino.ne.jp/~rendaico/bensiyoshu/sinseimondo_mokuteki.htm
    1. ソクラテス 「彼らは食べるために生きているが、私は生きるために食べる」
  3. 『肉を生かす』というのは
    1. (1)死なないこと、自殺しないこと。食べること、息すること、糞すること、寝ること。
    2. (2)世のため人のため、《他者》のため『仲間』のため《群れ》のために《今・ここの・この肉の塊》を活かすこと。
    3. (3)《拡大身体》としての《群れ》を生かすこと。

『なすべきこと』と『知るべきこと』

  1. 『知るべきこと』を知ることは《知りつつあるモノ》『なすべきこと』である。
  2. 『知るべきこと』は《知りつつあるモノ》への《求める思いこみ》である。
  3. シベコ 『知るべきこと』
  4. 知ることができないことは『知るべきこと』ではない。
  5. 『知るべきこと』は何もない、か?
  6. 一切を知るべきである。知り得たことの一切を、一つのモノとして知るべきである。
  7. 一切への味わいを知るべきである。
  8. 知りつつあるモノの背後者からの噴出はシベコである。知るべき というのは、背後者からの噴出だからである。
  9. 意図的に知ること。《求める思い込み》によって知ること。シベコは求める思い込みである。
  10. 今ここのこの知りつつあるモノのシベコ
  11. 何がシベコであるのかを知るべきである。
  12. 現象として与えられた現象を知るべきである。《知りつつあるモノ》『なすべきこと』は現象をありのままに知ること、であるか? 《知りつつあるモノ》はそれの隠れた関心によってフィルターを掛けてものごとを知る。フィルターを取り去ることが、《知りつつあるモノ》『なすべきこと』である。
  13. 致知とは、人々が知っていることを、自分の知として知り、統一的な知として我がモノにすることである。それによって、自分の知のフィルターを取り去ることである。人々の知にはそれぞれの《視点》が隠されている。すべての《視点》を我が《視点》として体験せよ。
  14. カナヅチを 持てば すべてが 釘に見え
  15. 現象学のカナヅチを持てば すべてが 現象学の釘にみえてくる。というより、現象学の釘にならないモノは見えなくなってしまう。現象学のカナヅチで叩けないモノは見えなくなってしまう。現象学によって見えてくる知は、現象学目的に沿った、目的的な知見に過ぎなくなる。現象学目的は、現象を記述することである。それは、それで、しょうがない。目的的でない知見なぞない。
  16. では、どのような目的をもつか。イシモに聞いて見よう。如悪悪臭、如好好色
  17. ヒトとしての全体性におけるさまざまな目的。さまざまな『よい』
  18. 《サル山のサル》『現実』を『ヒトである』と思っている《サル山のサル》、と、《サル山のサル》『現実』とは異なる、もうちょっと理想的な状態を『ヒトである』と思っている《サル山のサル》、がある。
    1. 《サル山のサル》『現実』を『ヒトである』と思っている《サル山のサル》『現実』正当化概念としての『ヒト』、慰めのコトバとしての『ヒト』。存在概念としての『ヒト』。ヒトへの《外からの視点》
    2. 《サル山のサル》『現実』とは異なる、もうちょっと理想的な状態を『ヒトである』と思っている《サル山のサル》当為概念としての『ヒト』。ヒトへの《内からの視点》

『我々』と『なすべきこと』

  1. 『我々』ってあるの?
  2. 『我々』は主観共有の《思いこみ》である。
  3. 『我々』は、人々の主観共有への《求める思いこみ》に訴えかけるマジックワードである。
  4. 同じ場所から、同じ《世界》を見ている。同じ《視点》を共有している、という《思いこみ》が『我々』である。《視点》の共有。《視点の共有》。
  5. 数学の問題を解く時に、《視点》を共有していると言えるのか? 同じ問題に対して、同じ解を導いたとき、《視点》を共有していると言えるか?
  6. デカルトの「cogito, ergo sum」というコトバをトレースしたときに、《私》とデカルトとは《視点》を共有していると言えるか?
  7. 科学の方法により、何人もの追試者によって確認された事項を積み重ねていった場合に、《視点》を共有していると言えるか?
  8. たけ(tk)のように、支離滅裂な、さまざまな《視点》を、みだらに放置するヒトと、《視点》を共有することができるのか?
  9. 『なすべきこと』は、そのヒト状況によって異なる。《視点》の共有だけでは同じ結論には至らない。
  10. 或る《ヒトの群れ》が置かれた状況は、その《群れの中の個体》にとって、同じ状況である、か? まあ、そうだろう。《群れの中の個体》状況ではなく、《群れの中の個体》が属する《ヒトの群れ》状況だからだ。しかし、《ヒトの群れ》ってそんなに強固なのか? 個体が属する《群れ》は多重であろう。一つではない。『我々』は《ヒトの群れ》である。
  11. 欲求分類リスト - [主観共有への欲求]

《サル山のサル》『なすべきこと』

  1. 《サル山のサル》たちは、それぞれ、『なすべきこと』をしている。
  2. 《サル山のサル》たちは、それぞれ、彼の主観において『なすべきこと』と思い込まれたことをしている。彼の状況において、彼の主観において、彼の主観世界において、『なすべきこと』をしている。
  3. 大臣が辞任せずに自殺したとしても、彼は、彼の主観において、『なすべきこと』をした。
  4. 『なすべきこと』《私》にしか存在しない。《他者》『なすべきこと』は意味を持たない。
  5. 《他者》『なすべきこと』を呼びかけるのは、《私》『なすべきこと』である場合もある。
  6. 《他者》『なすべきこと』を為さなかったとして断罪するのが、《私》『なすべきこと』である場合もある。
  7. 《他者》『なすべきこと』をなしたとして賞賛するのが、《私》『なすべきこと』である場合もある。
  8. しかし、《他者》『なすべきこと』と、《私》『なすべきこと』とは、まったく意味が異なる。《絶対者公理》においてしか『なすべきこと』は意味を為さない。

《息しつつあるモノ》『なすべきこと』

  1. 《息しつつあるモノ》『一切』と向き合っており、『一切』との向き合いにおいて『なすべきこと』を知っている。

『なすべきこと』と『みち』『道』

  1. 孔子は『道』を求めた。『ヒトの道』『ヒトの歩むべき道』『道』
  2. 『道』の特徴は、「AならばB」の一種であるが、「この選択肢を選ぶとこの状態に至る」という知識・《見通し》の群れで構成された地図であり、《私》の足元から広がるモノである。『目標』は見えないモノである。
  3. 『究極の目的地』は重視されない。『足元』が重視される。
  4. ヒト』は当為概念である。『ヒト』は『ヒトの歩むべき道』を歩むべきモノである、という当為概念である。
  5. 孔子が示した『道』は、『ヒトが歩むべき道』であるか? そうとも断言できない。彼は法を軽視している。暴力的な権力関係を前提としている。資本的生産関係を考慮していない。立憲主義を知らない。
  6. 『みち』と目標とは異なる。
    1. 『みち』は《私》の足元から広がるモノである。
    2. 目標は、あるかもしれないし、ないかもしれない。普通は見えない。
    3. 見えない場所にある目標を重視するか、足元を重視するかの違い。
  7. 『なすべきこと』は「『道』を知ること」であり、「適切な『道』を選ぶこと」である。
  8. 『知るべきモノ』は『道』である。
  9. 『道』は《ヒトの群れ》の因果関係である。『道』は《ヒトの群れ》の因果関係が織り成す地面である。『道』は《サル山のサルの群れ》の因果関係が織り成す地面である。

『一切』『なすべきこと』

  1. 『なすべきこと』『一切』における心地よさ(謙)において決定すべきである。

『仕事』『なすべきこと』

  1. 『仕事』は「しごと」=「するべきこと」なので『なすべきこと』と語源的には同じ。
  2. 賃労働、営利行為、金銭的な対価を得て行う『なすべきこと』
  3. 『仕事』には本来的には、金銭的対価という要素はない。広義の『仕事』『なすべきこと』と同じ?。広義の『仕事』は、《他者》のために行う、という要素がある。《他者》の利益のために行う、という要素がある。『なすべきこと』には、《他者》のため、という要素もない。限定されない。自分のための『仕事』はない。自分の生きがいのための『仕事』、という《視点》はあるが、それは、本来の『仕事』の意味とは別のモノであるという《視点》でもある。自分の生きがいになり得るのは、その『仕事』《他者》のために役に立っている、という喜びにつながるからである。
  4. 広義の『仕事』は利他的行動である。「一日一善」は利他的行動の勧めである。利他的行動は『なすべきこと』か? 『善きこと』であるか? 《他者》の利益への洞察。《他者》の利益をはかることがもたらす結果への洞察。押しつけの善意。善意の押しつけ。見返りへの期待、のあさましさ、自己嫌悪。
  5. 狭義の『仕事』は金銭的対価を目的とする利他的行動である。利他的かつ利己的行動である。利双的行動。両利的行動。双利行動。winwin行動。マモンの原理の体現行動。マモン主義が悪いわけではない。食欲が悪いわけではない、食べることが悪いわけではない、食べ過ぎは悪い。金銭欲求が悪いわけではない、金儲けが悪いわけではない、儲け過ぎは悪い。儲け過ぎが《他者》の貧困を招くなら悪い。

《息しつつあるモノ》『なすべきこと』

  1. 「息を吸ったら、吐くべきである」。「息を吐いたら、吸うべきである」という『なすべきこと』
  2. 息することは《私》『なすべきこと』の99%である。

国際人権委員会に提訴するためのNPOはないのか?

ヒトに対する規範と、モノに対する規範

  1. プログラムはモノに対する規範である。モノが従うべき規範である。

自然規範と人為規範

  1. 制定権者の意思によって制定された規範と、
  2. 多数者の慣習的行為の結果として生じた規範。
  3. プログラムは人為規範である。

『なすべきこと』「AならばB」

  1. 「息を吸ったら、吐くべきである」。「息を吐いたら、吸うべきである」という『なすべきこと』
  2. 慣性の法則は「AならばB」である。

「なるようになるのが善い」と『なすべきこと』

  1. 何も為さないことが『なすべきこと』である、という『なすべきこと』
  2. コミットしないことが『なすべきこと』である、という『なすべきこと』

『世直しプロジェクト』と『なすべきこと』

  1. 目的と手段の言語化
  2. 困難である理由
    1. あるべき社会の姿を提示できない
    2. 世直しとは《他者》行動様式を変えること、であり、それが困難。
      1. 教育、説得、命令、強制、利益誘導、洗脳などの方法で可能。
    3. サルの子孫であるから
      1. 毛が3本多いから、違う。
    4. 何が善く、何が悪いのかを、判断できない。
      1. 如悪悪臭、如好好色
    5. 自分の能力、思考力、影響力、眼力。格物致知誠意正心修身・斉家・治国・平天下。
  3. とっつぁん坊や? 促成栽培は無理。

『なすべきこと』忠魂主義、利他主義。

  1. 忠魂主義は利他主義ではある。
  2. 利他主義は、多少、身に染みついている。ヒトのためになることをせよ、という強迫観念は在る。
  3. ミラーニューロン、人類愛。
  4. 忠魂主義は、奴隷的な利他主義。
  5. 奴隷的な利他主義と、自律者の利他主義とは、どの様に違うのか?
  6. 『仁』忠魂主義とはどう違うのか? 従属者の利他主義(忠孝悌)と自律者の利他主義。
  7. 自律者は利他主義が利己主義と同じであることを知っている。利他は利己に反射するのである。
  8. 忠孝悌が初学者の仁であるとの指摘はあたっている。問題は、従属者から自律者への変身である。子供は従属者である。反抗期を経て、自律者になる(べきである)。
  9. 忠魂主義は、自律者になるべき時期に、従属者であることを強制する。
  10. 衣食足りて礼節を知る。ERG理論。生存欲求が充足されて、関係欲求を生じる。関係欲求が充足されて、成長欲求が生じる。成長欲求において、自律者たらんとする欲求が生じる。
  11. 自分の目で見る能力、自分の頭で考える能力、自分のコトバで表現する能力。それを相手に伝える能力。自分の体で行動する能力。そういった能力が、子供自体、反抗期時代に養われなければならない。教育こそが、自律者を生み出す道である。
  12. 忠魂主義は教育である。従属者を生み出す教育である。暴力にへつらい、権威におもねる人格を作り出す教育である。
  13. 目に見えないモノを見ることができない人びと。目に見えないモノ、というのは、《動き》のパターンのことだろう。抽象的な概念というのは《動きのパターン》なのではないか?
  14. 忠魂主義というのは《動きのパターン》だ。
  15. 「直線」(幅のない長さ)というのは、それを作図する《動きのパターン》だろう。直線を描く場合には、幅を考えないで、幅が無いものとして、作図するのである。

『なすべきこと』と『誉めるべきこと』

  1. 小森氏が、「愛国主義とはくに政府の誉めるべきことを捜すこと」という見解が在ることを言っていた。
  2. 政府であれ、市民運動であれ、政党であれ、Webの意見であれ、『誉めるべきこと』を誉めることは『なすべきこと』だろう。

『なすべきこと』と《体外思いこみ》

  1. 『なすべきこと』は《体外思いこみ》である。《私》《身体》を外部から観察する《視点》を内包する《思いこみ》である。

『なすべきこと』と仁義礼智信

  1. 『立憲国家』における『仁』とは『ヒトヒトであるが故に護られるべき利益』を法的に護ることである。
  2. 『立憲国家』における『忠』とは『憲法』を護ることである。
  3. 『法治国家』における『仁』とは『ヒトヒトであるが故に護られるべき利益』を法的に護ることである。そのために『ヒトヒトであるが故に護られるべき利益』を憲法に明記して権力者の恣意的立法を禁止することである。実質的法治主義、実質的立憲主義。

無作為の選択と『なすべきこと』

  1. 無作為を選択した場合にも結果が生じる。無作為の結果と、作為の結果とを比較して、検討すべきである。

『知るべきこと』と『なすべきこと』

  1. 『知るべきこと』は、それを知ることではない。それと《私》との《繋がり》を知ることである。

『なすべきこと』《肉の塊》

  1. 《肉の塊》『なすべきこと』《求める思いこみ》をもつモノである。
  2. 『なすべきこと』を知った場合には、《肉の塊》『なすべきこと』の奴隷になるのか? 《遊び》があれば、隷従ではない。
  3. 『なすべきこと』《肉の塊》の《周りのモノたち》の《求める思いこみ》である。

『なすべきこと』地球資源の枯渇

  1. 人類にとって最も重要な課題は、人類の存続にかかる事項。地球資源の枯渇の問題だろう。
  2. 人類は、永遠に、存続すべきか? 非合理な《求める思いこみ》だな。
  3. ポックリ絶滅待望論。

『なすべきこと』『人権』

  1. ヒトヒトであるが故に保護されるべき利益』を『人権』と呼ぶことにする。
  2. 『人権』は「在る」か? 『人権』当為である、不存在である。「ない」からこそ「あるべき」モノなのである。「ない」ことがあるから、「ある」とは限らないから「あるべき」モノなのである。
  3. 『人権』は『あるべきモノ』か《あるべきモノ》か? 《思いこみ》に過ぎないか、モノとその《繋がり》を観察することによって、そこに内在する原理としての《あるべきもの》であるか? 
  4. 《ライフ・オブジェクトの群れ》のシミュレーションから、導き出すことができるか?
  5. 《仲間殺しのライフオブジェクト》の《群れ》。《仲間殺しのライフオブジェクト》の《群れ》では、群れは成立しないし、種の維持も困難である。テリトリーは仲間殺しではない。
  6. ボス猿に追従するサルを、ボス猿が殺さない、というタイプのライブオブジェクトの群れ。どのサルがボス猿になるかの殺し合い、もしくは、順位づけの戦い。『ヒトヒトであるが故に』保護されるのではなく、『ヒトボス猿に追従するが故に』保護される利益。無条件の権利、人権か、条件つきの権利、追従者であることを示すことを条件とする権利か?
  7. ボス猿への戦いが、仲間殺しになるライフオブジェクトの群れ。ボス猿は死ぬ。次のボス猿を決める殺し合い。
  8. ボス猿の地位の相続、王政。も、しかし、ボス猿の能力を保障しない。
  9. 聖俗ニ王政。は、目くらましのインチキだ。俗王も、相続されるなら、ボス猿の能力を保障しない。
  10. 王政+官僚制。官僚も相続されるなら、貴族制。
  11. 為政者の能力保障のための民主政。
  12. 為政者に能力が必要がない社会では、王政や貴族政になりがち。民衆の活力が必要がない社会では、王政や貴族政になりがち。
  13. 民衆に活力が必要な社会では、宗教政治か民主政治が必要になる。

『なすべきこと』と《なすべきこと》

  1. モノとその《繋がり》を観察することによって、《なすべきこと》を発見することができるか? モノには『何もしないこと』という選択肢があり、『AAをすること』という選択肢があり、『BBをすること』という選択肢が在る。選択肢によって結果が異なる。モノモノ《繋がり》を観察することによって、選択肢の結果を予感することができる。その予感の中から最も心地よい選択肢というモノが決まる。
  2. ジョウキュウ・ニマモツ。《浄化球》の中の《肉の塊》の鏡像とそのまわりのモノたちとの《繋がり》の鏡像を観察すること。

『なすべきこと』『一切』への《見通し》

  1. 『なすべきこと』は、『一切』への《見通し》の中での決断であろう。《正見》。《正業》

『なすべきこと』《決めつつあるモノ》

  1. 決断責任。ヒトは決断責任からの逃走を試みる。世界に理由を求め、自己の決断の正当化、正義化、口実の《思いこみ》を求め、誉められることに安心を得る、・・・。
  2. 奴隷への決断であっても、その決断責任を免れることはできない。
  3. 『一切』の中には決断を評価する基準がない。
  4. 決めることができるのは自らの動きだけである。他のモノ《動き》を決めることはできない。他のモノ《動き》を決めると言うのは、他のモノがそのように動くように、自らが動くことを決めるということである。
  5. ヒトは決めなければ動くことができない、か? 無自覚的な《動き》においては、そうではない。《決める》というのは、自覚的な主観世界の中で、自らの《動き》を選択すること。自覚的な世界の中においてはヒトは決めなければ動くことができない。動かないことは、動かないことの決断の結果である。

『なすべきこと』と未来予知。

  1. ヒトには未来予知の能力がある。コップが落ちそうになったら救うだろう。
  2. 『なすべきこと』の為には未来予知の能力が必要である。

『なすべきこと』と『語るべきコトバ

  1. 『語るべきこと』と『語るべきコトバ』とは異なる。「優しい言葉をかける」というのは『語るべきコトバ』であり、『なすべきこと』かも知れないが、『語るべきこと』ではない。「優しい言葉をかけること」は「語り」ではない。

『なすべきこと』と『語るべきこと』

  1. 『なすべきこと』というのは、『語るべきこと』を捜すことだろう。《私》は、ほとんど、語ることしかできない。
  2. 『語るべきこと』の向こう側には、《他者のアニマ》がある。《他者のアニマ》《極座標の原点》とそのまわりの《他者の思いこみ》である。
  3. すべてのモノ《極座標の原点》である。
  4. 自己言及軸、自己言及の次数の座標軸。《他者》自己言及軸に向かって膨らんでいる。モノ自己言及軸に向かって膨らんでいる。モノモノとの相互関係(引力)は次数0.5の自己言及である。《私》《他者》に引かれ、《他者》《私》に引かれる。《私》《私》に引かれる《他者》に引かれる。という自己言及《他者のアニマ》自己言及軸に向かって膨らんでいる。《私》と言う《極座標の原点》からみると《他者》モノである。《他者》という《極座標の原点》からみると《私》モノである。

『なすべきこと』《知りつつあるモノ》

  1. 《混濁》《知りつつあるモノ》として、《混濁》から分離した《知りつつあるモノ》は、存在を《知りつつあるモノ》であって、当為を知る能力を有しない。《混濁》から分離したモノとしての《知りつつあるモノ》『なすべきこと』を知る能力を有しない。
  2. 『なすべきこと』は、《身体》に聞くしかない。『なすべきこと』《身体》《動き》のなかに発見されるべきモノである。
  3. 《求める思いこみ》表象は、《求める思いこみ》ではない。《隠れた思いこみ》としての、潜在的な《ちから》としての《求める思いこみ》が、ホンモノである。表象として噴出される前の《求める思いこみ》がホンモノである。マイナスの距離の方向への《見通し》において発見されるべきモノである。《知りつつあるモノ》マイナスの距離の方向への《見通し》を得た時に、《知りつつあるモノ》『なすべきこと』という《求める思いこみ》を見通すことができる。

モノ動き『なすべきこと』

  1. モノ動きは、そのモノ『なすべきこと』の実現である。
  2. モノ動きは、そのモノ『なすべきこと』《思いこみ》噴出である。
  3. モノ四次元チューブである。《いま》のモノ《動き》は過去の『なすべきこと』噴出である。《いま》の『なすべきこと』は未来のモノ動きとして噴出する。

『なすべきこと』と五智

  1. http://www5f.biglobe.ne.jp/~ohaka/ohakanorekishi_10.html 五智とは大日如来の智慧とされている。
    1. 法界体性智 =真理の本性を明らかにする智
    2. 大円鏡智  =鏡のように万象を顕現させる智
    3. 平等性智  =一切の事象が平等であると観える智
    4. 妙観察智  =一切事象に差別があることを正当に観察できる智
    5. 成所作智  =自己及び他人のために成すべきことを成功させる智

『なすべきこと』『群れの中の私』

  1. 『群れの中の私』《思いこみ》は、『なすべきこと』《求める思いこみ》を生じさせる。
  2. 『なすべきこと』《求める思いこみ》は、《為しつつあるモノ》動かす
  3. 《為しつつあるモノ》《動き》『群れの中の私』という《群有思いこみ》を変化させる。

《他者》『なすべきこと』

  1. 《他者》《動き》《他者》『なすべきこと』噴出である。
  2. モノ《動き》は、モノ『なすべきこと』噴出である。
  3. その気になって眺めてみると、みんな、頑張っている。

『なすべきこと』と『なし得ること』

  1. 『なし得ること』は《今・ここの・このモノ》の物質的条件、社会的条件によって制限されている。

『なすべきこと』《為しつつあるモノ》

  1. http://66.102.7.104/search?q=cache:4cUGSP0fAtcJ:www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi%3Fmode%3D2%26id%3D287+%E5%BD%93%E7%82%BA&hl=ja&lr=&client=opera&strip=1
    1. http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=287
    2. 伊藤仁斎の「道徳」観 ―「本体」「修為」論の構造から
    3. 伊藤仁斎は、当為の実践がそのまま存在の自覚である、という形においてその独自な倫理学を構築した。
  2. 《動きつつあるモノ》《為しつつあるモノ》。受動的に《動きつつあるモノ》と、能動的に《為しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》によって観察されるモノとしての《動きつつあるモノ》と、《求める思いこみ》《為しつつあるモノ》。「為す」=《求める思いこみ》を実現する《動き》
  3. 『なすべきこと』=再構成された《求める思いこみ》
  4. 《為しつつあるモノ》《求める思いこみ》を実現する《動き》をしつつあるモノ《求める思いこみ》を実現しつつあるモノとしての《動きつつあるモノ》
  5. 《息しつつあるモノ》は、『息すべし』という《求める思いこみ》《為しつつあるモノ》である。
  6. 《動きつつあるモノ》《求める思いこみ》との関係。《求める思いこみ》との関係という《視点》における《動きつつあるモノ》の分類。
  7. 「為す」=結果において、何者かが形作られるような《動き》《群有思いこみ》が形作られるような《動き》『群れの中の私』という《群有思いこみ》が形成される《動き》
  8. 《為しつつあるモノ》『群れの中の私』という《群有思いこみ》を成らせつつある《動き》《為しつつあるモノ》《為しつつあるモノ》『群れの中の私』という《群有思いこみ》を《成らせつつあるモノ》。

ナベコ・エン・ジョウ

  1. 『なすべきこと』《思いこみ》無限遠点(現在見通されている《見通し》の限界)に《浄化球》を置いてみよう。置いたまま放置しておこう。→『なすべきこと』の《認識限界》の向こう側の《背後者世界》『なすべきこと』を向こう側から表出させている《背後者回路》
  2. 『なすべきこと』というのは、《求める思いこみ》への《求める思いこみ》への《知った思いこみ》だな。『する』というのは《求める思いこみ》で、『なにをなすか、『なすべきこと』を知りたい』というのは《求める思いこみ》への《求める思いこみ》で、それが入るべき枠が在るという《知った思いこみ》だ。
  3. 前方:《知られつつあるモノ》、上方:《知った思いこみ》、後方:《求める思いこみ》、下方:《動きつつあるモノ》《動き》の4点循環。下方は毒ガスの吹き出す河原の様だ。
  4.            《知った思いこみ》
  5.            /      \
  6.           /   ↑    \
  7.          /          \
  8.          ↑           ↓
  9. 《知られつつある世界》《視点》《求める思いこみ》
  10.          ↑           ↓
  11.          \          /
  12.           \   ↓    /
  13.            \      /
  14.           《動きつつあるモノ》
  1.         《他者》の       《私》
  2.       《知った思いこみ》   《知った思いこみ》
  3.        /     \      /    \
  4.       /    ↑  \    /  ↑   \
  5.      /         \  /        \
  6.      ↑          ↓ ↑         ↓
  7. 《求める思いこみ》《視点》《世界》《視点》《求める思いこみ》
  8.      ↑          ↓ ↑         ↓
  9.      \         /  \        /
  10.       \    ↓  /    \  ↓   /
  11.        \     /      \    /
  12.       《動きつつあるモノ》  《動きつつあるモノ》

『なすべきこと』《見通し》

  1. 《見通し》『なすべきこと』を破壊する、か?
  2. 「見通すこと」は『なすべきこと』であり得るか?
  3. 見通すことと動くこととは別のモノなので、見通すことは『なすべきこと』ではありえない。
  4. 見通すことは動くことの手段でり、準備行動あるから、『なすべきこと』であり得る。
  5. 《見通し》《動き》の手段か?
  6. http://www.h5.dion.ne.jp/~japling/main/understanding.htm
    1. とある虫にムカデがこう言われたそうです。「ねえ、ムカデ君はそんなにたくさん足があるのに、どうやって足を絡ませずに歩くことができるの?」ムカデは考えました、すると、歩けなくなってしまった。ムカデはどうして歩けるかを考えなければ歩けたのに、考えたとたん歩けなくなった、ということだそうです。

『なすべきこと』《浄化球》

  1. 《浄化球》とか言って、何もなくなってしまう、が何もなくなった空間のまわりから、『なすべきこと』の圧力が押し寄せてくる。『なすべきこと』は空っぽになった《近傍物理空間》の《認識限界》の向こうから押し寄せてくる《怯え》である。ホモンクルスの世界《浄化》されても、その《認識限界》の先の脳科学的な《私》、[私]からの圧力が押し寄せてくる。ホモンクルスの模式図脳科学的な[私]は、何かを求め、何かに怯えているのだ。
  2. 《背後者》からの圧力」としての『なすべきこと』

『なすべきこと』とキガナベ・モフン(近傍物理空間の外部のモノたちのなすべきことの《思いこみ》噴出):

  1. その気になって眺めてみると、みんな、頑張っている。
  2. 噴出させると、近傍外世界無限遠点と思われる面はタール状の壁となっており、その先は、《私の身体》のイメージに繋がる。同じモノなのか(《背後者》である《私の身体》が《近傍物理空間》を取り囲む球状になっているのか)、別のものなのか、鏡像なのか。とりあえず《私の身体2》と名づけておこう。
  3. モノたちの『なすべきこと』モノたちの『なすべきこと』は、モノたちの《動き》として実現されている。
  4. ヒトたちの『なすべきこと』は、ヒトたちの《動き》には直結していない。ヒトたちの《動き》の内部に隠されている。『目的』か?

『なすべきこと』《背後者》《混濁》

  1. 『なすべきこと』《背後者》には、突き動かしつつあるモノがある。はずである。というか、なければならない。《息しつつあるモノ》の後ろ、尾てい骨のあたり?
  2. 『なすべきこと』《背後者》には、《他者のコトバ》があるようだ。《私》『なすべきこと』《私》が知った《他者のコトバ》の運動であるということか? たしかに、対話や《仕合わせ》における《私》《動き》は、《他者》コトバ《動き》の意味の運動であるのだろう。

『なすべきこと』《ブッダの「一切」》

  1. 『なすべきこと』《ブッダの「一切」》を知ることか?
  2. 《ブッダの「一切」》は『知るべきこと』の一切である。『なすべきこと』は『知るべきこと』の一切を知ることによってしか、出てこない。
  3. 『知るべきこと』を知るのは『なすべきこと』の一部である。
  4. 『なすべきこと』を知る、必要があるか? 知るべき『なすべきこと』《ブッダの「一切」》に含まれるか? 『なすべきこと』《思いこみ》であり、『なすべきこと』心の作用である。『なすべきこと』《思いこみ》が(正しく)生じたのであれば、それを為せばよい。『なすべきこと』《思いこみ》が生じないのであれば、それはなすべきではない。息することは、生きているかぎり、常に『なすべきこと』であろう。
  5. 『なすべきこと』《思いこみ》がどのようにして生じるのか、そのようにして生じた『なすべきこと』が正しいかどうかを判断する方法を知ること、実際に吟味すること。
  6. 共謀罪に反対することは『なすべきこと』か? 共謀罪反対の声を上げることは『なすべきこと』か? 第3次戦前の憂いを語ることは『なすべきこと』か?
  7. 《拡大された私》における、《ブッダの「一切」》。《拡大された私》とは《ヒトの群れ》の現れとしての《今・ここの・このモノ》である。《拡大された私》は《拡大された私》の《楽しみ》を求める。《拡大された私》は《拡大された私》の健康を求める。《拡大された私》は《拡大された私》の《ブッダの「一切」》を知ろうと欲する。《拡大された私》は《背後者身体》としての《身近な人びと》を背後に感じ、《拡大身体》としての《身近な人びと》を拡大された体内感覚で感じる。
  8. 《拡大された私》はマスコミの洗脳を憎む。

『なすべきこと』《楽しみ》

  1. ヒトは《ヒトの楽しみ》のために生きている。
  2. モノたちは《モノたちの楽しみ》のために存在している。
  3. 《私》は《私の楽しみ》のために存在している。
    1. 《私》は《ヒトたちの楽しみ》のために存在している。
    2. 《私》は《モノたちの楽しみ》のために存在している。
    3. 《私》は、存在するだけで、《ヒトたちの楽しみ》を充足する。
    4. 《私》は、存在するだけで、《モノたちの楽しみ》を充足する。
  4. 《ヒトの群れ》は《ヒトの群れの楽しみ》のために存在する。
  5. ヒト《繋がり》における《楽しみ》が、『仕合わせ』である。
    1. プログラム職人たちはプログラム職人の《楽しみ》のために生きている。
    2. 科学者は科学者の《楽しみ》のために生きている。
    3. 政治家は政治家の《楽しみ》のために生きている。
    4. 悪党は悪党の《楽しみ》のために生きている。
  6. ヒト《楽しみ》に貢献することが『なすべきこと』である、と言わなければならない。だって、人々は、それしかやっていないのだから・・。
  7. 人々にとって本当に必要な仕事は《楽しみ》であるとは限らない。本来苦痛である『仕事』《楽しみ》になるためには、誉められなければならない。名の誉れ、報酬。
  8. 自分で自分を誉めること。
  9. 必要な『仕事』を誉めるためには、その『仕事』の意味を『理解』していなければならない。『仕事』の意義を『理解』させなければならない。

『なすべきこと』と《大自然の営み

  1. 『なすべきこと』は、自らが大自然の一部であることを《見通し》、自らの《求める思いこみ》も、《動き》も、《決め》も大自然の営みであることを見通すこと。
  2. 無為?、も、人為も大自然の営みであることを見通すこと。
  3. 人為を《求める思いこみ》大自然の営みであることを見通すこと。
  4. 大自然の営みであることを拒否する《怯え》も大自然の営みであることを見通すこと。
  5. 科学理論の「反証可能性がなければ科学的ではない」という《思いこみ》大自然の営みであることを見通すこと。
  6. 『なすべきこと』《求める思いこみ》大自然の営みであることを見通すこと。
  7. 「働き者」は大自然の営みであることを見通すこと。怠け者も大自然の営みであることを見通すこと。天才も、愚者も、エピゴーネンンも、指導者も、大自然の営みであることを見通すこと。
  8. 自らを知ることを《求める思いこみ》大自然の営みであることを見通すこと。
  9. 《ヒトの群れ》にコミットしなければならない、という《思いこみ》大自然の営みである。
  10. 《ヒトの群れ》にコミットすることは大自然の営みである。《群れつつあるモノ》大自然の営みである。
  11. 大自然の営みは一つの《視点》に過ぎない、という《思いこみ》大自然の営みである。

『なすべきこと』と「働き者」

  1. 二宮金次郎。土手坊主。
  2. http://blog.alc.co.jp/d/2000285?nid=20050915011553
    1. 仕事を手伝う合間にいつも川の土手から水の流れを眺めては策を練り、どうしたら洪水が防げるかを日々考えていました。あまりに土手にばかりいるのでついた渾名が「土手坊主」。
  3. 日本的勤勉主義? 勤勉主義。すべてのヒトブッダになれば、人類は滅亡する。ブッダであるよりも、スジャータである必要がある。
  4. スジャータ
    1. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    2. 1. スジャータ(Sujahta)は、古代インドの女性名で、「良い生い立ち、素性」を意味する。漢訳では難陀婆羅(ナンダバラ)。難陀(Nanda)とは、歓喜。婆羅(Vara)とは、菩薩(求める)。ウルーヴィラ地方のセーナ村の豪族の娘。釈迦の成道の際に一杯の乳糜を捧げて命を救った。
    3. 釈迦は6年にわたる生死の境を行き来するような激しい苦行を続けたが、苦行のみでは悟りを得ることが出来ないと理解する。修行を中断し責めやつしすぎた身体を清めるためやっとの思いで付近のネーランジャー川(尼連禅河)に沐浴をしたとき、たまたまスジャータが森の神に供物の乳糜(牛乳粥)を捧げるために付近を通りかかり、川から上がったもののまさに命尽きようとしていた釈迦にこの供物を捧げた。
    4. 心身ともに回復した釈迦は心落ち着かせて近隣の森の大きな菩提樹下に座し、12月8日、遂に叡智を極め悟りを得て仏教が成道した。

《混濁しつつあるモノ》『なすべきこと』

  1. 群生相において『なすべきこと』と孤独相において『なすべきこと』とでは異なる。
  2. 俗っぽく言えば、昼間は活動的に、夜間は反省的に。
  3. 昼間の活動を反省する、というのは、孤独相と群生相との統合の秘訣かもしれない。それ自体としては根本的に異なるのであるが、孤独相において群生相での活動を反省すれば、孤独相における《思いこみ》のレベルで統合され、孤独相における《思いこみ》《隠れた思いこみ》として《背後者》に保管されて、群生相における活動に影響を与える。
  4. しかし、その方法は、群生相における活動を中心にすることになる。孤独相における見通しを見通すことにはならない。群生相における活動に中心的価値を置く、か、孤独相における見通しに中心的価値を置く、か。
  5. 《モノの世界》への見通しで、得るモノがなくなれば、《ヒトの群れ》への見通しへ進むのが筋であろう。

《ヒトの群れ》への《見通し》『なすべきこと』

  1. 《ヒトの群れ》への《見通し》『なすべきこと』か?
  2. 《モノの世界》への《見通し》から、《ヒトの群れ》への《見通し》へ。
  3. 《ヒトの群れ》への《見通し》『なすべきこと』の解答をもたらすか? 『仁』《ヒトの群れ》への《見通し》である。

《こころざし》『なすべきこと』

  1. 《こころざし》は、モノの、ある程度の一貫性をもった《求める思いこみ》
  2. 《たけ(tk)の思いこみ》を完成させようとする、たけ(tk)《思いこみ》は、《こころざし》であるだろう。
  3. 《たけ(tk)の思いこみ》を完成させよう』という《こころざし》は、たけ(tk)『なすべきこと』なのか?

《身近な人びとの世界》と『なすべきこと』

  1. 《身近な人びとの世界》は「誰某はxxと考えているらしい」という伝聞の世界《他者》の《他者》《思いこみ》で構成される世界である。主として《他者》の《他者》《求める思いこみ》で構成される世界
  2. 「誰某はxxをしたらしい」という伝聞の世界《他者》の《他者》《動き》で構成される世界
  3. 書証の世界と伝聞の世界。書証の世界は文書化された伝聞の世界だな。
  4. 《思いこみの共有》世界《他者の思いこみ》世界。《他者の群れの思いこみ》の世界《他者》《群れ》《思いこみの共有》世界
  5. 《他者》《群れ》《思いこみの共有》世界においては、一貫性を欠いたヒト《思いこみ》は信用されない。《思いこみの共有の世界》を構成するための要素として不安定だからである。《ヒトの思いこみ》《群れ》で構成される世界。《ヒトの思いこみの群れの世界》《ヒトの思いこみの群れ》の世界。《意志の群れの世界》。
  6. たけ(tk)は、「誰が言ったかには無関心である(内容の真実性にのみ関心がある)」と常々言っているのだが、この《視点》では、《ヒトの思いこみの群れの世界》への《見通し》はできない。
  7. (少なくとも対人関係において)一貫性のある《求める思いこみ》を《意志》という。《意志》の《群れ》世界《こころざし》
  8. 宅間くん《求める思いこみ》は『世界への復讐』だろう。宅間くん《こころざし》を持つか? 『世界への復讐』は《こころざし》か? 『復讐』も一貫していれば《こころざし》というべきだろう。『悪』への《こころざし》も認めなければならない。
  9. 追従ザルのへつらいも、一貫していれば《こころざし》と求めるべきだろう。

ヒトを殺すなかれ」と『なすべきこと』

  1. 論理的説明は『義』による説明だろう。『仁』による説明は、《ヒトの群れ》への《見通し》という説明しにくいモノになる。『義』による倫理は社会を硬直化させる。『仁』による倫理は、《ヒトの群れ》カオスを許容する。《ヒトの群れ》カオスを喜ぶ。
  2. 『義』による論理的説明は、三段論法になる。大前提があってはじめて成立する。が、その大前提を説明するためには、大大前提が必要になり、無限に突き進むので、玉ねぎの皮むきのように中身がなくなってしまう。ヒトが生きている様を想像せよ。玉ねぎはそのままのものとして感ぜよ。
  3. 「何故「ヒトを殺してはいけない」のか?」という疑問に対して、論理的に説明するのは難しい、とされている。
  4. 《ヒトの群れ》のあり方についての想像力が必要だろう。
  5. 「人を殺してもよい」というルールの社会を想像してみるのがよい。「質問に答える代わりに、相手を殺してもよい」「買い物で金を払う代わりに殺してもよい、商品を渡す代わりに殺してもよい」となれば、学校に行くことも、買い物をすることもできなくなる。
  6. 「そういう社会で、何故いけないのか?」という問いには、論理的に答えることはできない。
  7. 多くのヒトはそのような社会を望まない。多くのヒトは『絶対にそのような社会にしてはならない』と考えている。多くの人びとの《求める思いこみ》が「殺人禁止」のルールになっている。
  8. もっとも、この《疑問》は、疑問を提示するヒトの側の、彼が置かれている悲惨な《状況》=いじめ教室=を想像させる。不条理なルールに人間性を殺されている、と彼が感じるような彼の《状況》を想像させる。
  9. もう一つは、「ルール科学的、客観的でなければならない。ヒト《求める思いこみ》が相対的であるなら、客観的なルールとしての完全性に欠ける。相対的な価値観に基づくルールは客観的ではない」という《思いこみ》を生じさせるような教育が行われていることを、想像させる。
  10. 「私はそのような社会でもよいと思う」「彼らがそのような社会を望まないとしても、私と彼らは対等なのだから、私が彼らに従う必然性はない」・・個体 対 個体 の関係では、その通りだろう。小数の個体 対 多数の個体 でも多数に従う必要はない。しかし、個体 対 個体の《群れ》では異なる。か?
  11. まあ、殺人禁止のルールは、多数者の横暴である、と言えるかも知れない。別のルールで犯罪を犯すヒトを「確信犯」という。確信犯との関係では、多数者の横暴と言うべきだろう。確信犯は《ヒトの群れ》の外部に在る。
  12. 確信犯に対する処罰は、処罰ではなく《群れ》の防衛、攻撃というべきだろう。

斬り捨て御免の実態

  1. ちょっと、書きたくなった。
  2. 鹿児島の親戚のおばあさん(祖母の姉、おともおばさん)から聞いた話。
  3. おともおばさんが子供のころに座敷牢に閉じ込められたおじさんがいたそうな。
  4. その人は、近所の農民に斬り捨て御免をやってしまったらしい。
  5. 「斬り捨て御免」というくらいだから、法的には処罰されなかったのだろう。
  6. しかし、郷士(武士)というのは領主グループの一員として政治に責任を担っていたのだから、農民を斬り捨ててすむという話ではない。
  7. そこで、その人の家では、息子を座敷牢に閉じ込めたという話。一生、座敷牢だったらしい。
  8. おともおばさんは、子供のころに、座敷牢に閉じ込められたおじさんに、食事を運んだことがあるらしく、そのおじさんが可哀想だった、と語っていた。

政治と『なすべきこと』

  1. 政治は『なすべきこと』と関係があるか?
  2. アリストテレスは政治こそ『なすべきこと』であると、主張しているように見える。
  3. 政治は《ヒトの群れ》の神経系である。不確定な選択肢からの決断が問題になる回路である。
  4. しかし、《ヒトの群れ》のあり方自体が問題になっているときに、政治的決断は、それに影響を与えることができるのだろうか?
  5. ん?、「《ヒトの群れ》のあり方を変えること」が《私》『なすべきこと』なのか? どのように変えたいのか、というプランもあるということか? 「ヒトヒトらしく生きることができるように《ヒトの群れ》のあり方を変えたい」ということだな。ということは、「ヒトらしく生きる」ということのイメージもあるということだな。「生きているという実感を持てるような生き方」だろうな。うーむ、「《身近な人びと》の笑顔」が「生きていることの実感」だったりするな・・。
  6. http://homepage3.nifty.com/take_tk/honyaku/daigaku1.html
詩云       詩経には次のような詩がある
桃之夭夭    「桃の木が若々しい。
其葉蓁蓁     その葉は青々と茂っている。
之子于帰     この家の娘が結婚する。
宜其家人     おめでとう、この家の人々」
宜其家人     家の人々が祝福される状態になって
而后可以教国人  その後に、国の人々を教えることができる。
詩云       詩経には次のような言葉がある
宜兄宜弟    「兄たちと仲良く、弟たちと仲良く」
宜兄宜弟     兄たちと仲良く、弟たちと仲良くして、
而后可以教国人  その後に、国の人々を教えることができる。

《見通し》『なすべきこと』

  1. 《モノの世界》への《見通し》からは『なすべきこと』が出てこないが、《ヒトの群れ》への《見通し》からは出てくる、か? 《モノの世界》への見通しても、《私》がその中に欲するモノを見つければ、『なすべきこと』が出てくる。《モノの世界》の中に欠けるモノを見つければ、『なすべきこと』が出てくる。《ヒトの群れ》への見通しにおいても、その中に欲するモノも、欠けたモノも発見できなければ、『なすべきこと』は出てこない。
  2. 『なすべきこと』の問題は、《見通し》の中に『なすべきこと』を見つけることができないということ。
  3. 《見通し》の背後には『見通すこと』への《求める思いこみ》があるので、『見通すこと』が『なすべきこと』である、と結論する、のは、問題があるような気がする。が、《見通し》から『なすべきこと』への第一歩ではあるかもしれない。《見通し》《求める思いこみ》はあることは確かだろう。《見通し》への欲求。《見通し》《求めつつあるモノ》
  4. 《見通し》《求めつつあるモノ》への《見通し》《求めつつあるモノ》への《見通し》。デカルトの《思惟しつつあるモノ》への《見通し》《繋がりつつあるモノ》への《見通し》《見通し》《求めつつあるモノ》への《見通し》をやると『なすべきこと』を破壊する。
  5. 《息しつつあるモノ》とその世界との《繋がり》への《見通し》。のなかに『なすべきこと』が見つかるか? 《繋がり》《動き》の中にあるので、《見通し》を行うと、《動き》を浄化してしまうので、《繋がり》が見えなくなる。
  6. 『人びとを《見通し》に導くこと』は『なすべきこと』か?
  7. 《見通し》《動き》の手段である。《動き》『なすべきこと』の手段である。《見通し》『なすべきこと』の手段である。では、『なすべきこと』が分からないときに『なすべきこと』を見つけ出すのはどうやってやるのか? 『なすべきこと』が分からない、ということが問題なのだ。
  8. そもそも、『なすべきこと』は在るのか? 『なすべきこと』がある、とはどういうことか? 《状況》に何か、不足が在る、ということである。では、《状況》への《見通し》の中に《不足》はあるか?、が問題になる。《不足》とは? 《状況》の中の《不足》とは、《状況》に関する『あるべき《状況》』に関する《思いこみ》があり、それと現実の《状況》との差が《不足》である。では『あるべき《状況》』とは? 結局《思いこみ》が基準になってしまう。か? 
  9. 《不足》は《状況》の中のモノたちの《思いこみ》モノたちの《アニマ》の中にある。モノたちの《繋がり》の中にある。モノたちが作り出すカオス《世界アニマ》)の中にある。《私》『なすべきこと』は、《世界アニマ》《求めつつあるモノ》《私》《動きつつあるモノ》との《繋がり》の中に在る。《私》『なすべきこと』は、《世界アニマ》《求めつつあるモノ》《私》《動きつつあるモノ》との《繋がり》への《見通し》の中に在る。
  10. しかし、・・。《世界アニマ》《求める思いこみ》噴出するか? 《世界アニマ》《求めつつあるモノ》か?
  11. 《見通し》『なすべきこと』を破壊する。それゆえに、《混濁しつつあるモノ》であり続けることによって『なすべきこと』への《見通し》が生じるのを待つべきである。

「おもしろき こともなき世を おもしろく(高杉晋作)」と『なすべきこと』

  1. http://www.thewordvillage.net/ew0025.htm
    1. 彼が辞世の句として詠んだのが、
    2. 「おもしろきこともなき世をおもしろく」
    3. から始まる歌だと言われています。
    4. 実際には、
    5. 「すみなすものは心なりけり」
    6. という下の句は存在せず
    7. 歌人の野村望東尼が
    8. 付け加えたものとされています。
  2. 《動き》こそが「おもしろさ」である、という歌。

「The answer is browing in the wind」と『なすべきこと』

  1. http://www.bobdylan.com/songs/blowin.html
    1. How many roads must a man walk down
    2. Before you call him a man?
    3. Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
    4. Before she sleeps in the sand?
    5. Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
    6. Before they're forever banned?
    7. The answer, my friend, is blowin' in the wind,
    8. The answer is blowin' in the wind.
    9. //
    10. How many times must a man look up
    11. Before he can see the sky?
    12. Yes, 'n' how many ears must one man have
    13. Before he can hear people cry?
    14. Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
    15. That too many people have died?
    16. The answer, my friend, is blowin' in the wind,
    17. The answer is blowin' in the wind.
    18. //
    19. How many years can a mountain exist
    20. Before it's washed to the sea?
    21. Yes, 'n' how many years can some people exist
    22. Before they're allowed to be free?
    23. Yes, 'n' how many times can a man turn his head,
    24. Pretending he just doesn't see?
    25. The answer, my friend, is blowin' in the wind,
    26. The answer is blowin' in the wind.
  2. 「The answer is blowin' in the wind.」じゃあ、何もしない、ということだね。とりあえず、何もしない、というのが答えかもしれない。『なすべきこと』が見つかるまでは何もしない、ということ。

《息しつつあるモノ》『なすべきこと』

  1. 《息しつつあるモノ》《混濁しつつあるモノ》である。《知りつつあるコト》と《動きつつあるコト》が渾然一体となったものである。その中に『なすべきこと』も渾然一体となって、存在しているのである。
  2. 『なすべきこと』《息しつつあるモノ》とその世界との《繋がり》を見通すことである。『なすべきこと』は今ここで《混濁しつつあるモノ》と他の《混濁しつつあるモノ》との《繋がり》の中にある。《繋がり》《混濁しつつあるモノ》である。《混濁しつつあるモノ》であり続けることによって《見通し》が生じるのを待て。
  3. ジョウキュウ・セカニマ、イシモ・セカニマ。
  4. 《浄化球》《世界アニマ》を浄化し、《息しつつあるモノ》《世界アニマ》に色づけする。
  5. 息をすることは『なすべきこと』である。
  6. 息をし過ぎないことも『なすべきこと』である。
  7. 適度に息をすることは『なすべきこと』である。過呼吸の苦しみと、無呼吸の苦しみの中間に適度が在る。Y=X*(1-X) の最大値は中間(X/2)に在る。
  8. 《息しつつあるモノ》《動きつつあるモノ》)は動くために、《知りつつあるモノ》による世界への《見通し》を求める。世界への《見通し》『なすべきこと』である。
  9. 『なすべきこと』《息しつつあるモノ》《世界アニマ》との関係の中に在る。
  10. 息すること、の次に、『なすべきこと』
  11. 世界を見通すこと、の次に『なすべきこと』
  12. 世界モノたちの《アニマ》を感じること、の次に『なすべきこと』
  13. 《息しつつあるモノ》『なすべきこと』は、『息しつつあること』である。何故にかといえば、それが『なすべきこと』の定義だからである。《モノアニマ》にとっては、そのモノがあり続けること、動き続けること、止まり続けること、動いているときには動くこと、止まっているときには止まり続けることが『なすべきこと』である。《モノアニマ》にとっては、そのモノがそのようであることが、そのままで『なすべきこと』である。《モノアニマ》は常に、『なすべきこと』を為しているのである。
  14. 《ヒトのアニマ》とは、《モノアニマ》を見失うことである。《モノアニマ》の『なすべきこと』ならざるモノ『なすべきこと』であると思いこむことである。
  15. 見通しつつあるモノアニマ》は《モノアニマ》を再発見する《ヒトのアニマ》である。《身体》《アニマ》を再発見する《ヒトのアニマ》であり、モノモノとの《つながり》が作り出す新たなモノ《アニマ》を再発見する《ヒトのアニマ》である。
  16. 《つながり》はモノである。《つながり》にも《アニマ》がある。《私》は《つながり》というモノの構成要素として、《つながり》の《アニマ》を、内側から、体内感覚で知る。
  17. 《思いこみのヒト》と《私》の関係が作り出す《つながり》はモノである。
  18. 《見通しのサル》になるためには、《混濁のサル》にならなければならない。

道具づくりと『なすべきこと』

  1. 道具は使い手とモノとの繋がりである。
  2. 道具は使い手の《求める思いこみ》である。
  3. プログラムは道具である、プログラミングは道具づくりである。
  4. 国家(統治機構)は道具である、国家を使うヒト《求める思いこみ》である。革命は道具づくりである。
  5. 道具づくりは、使い手の《求める思いこみ》への《知った思いこみ》である。
  6. 道具づくりは、モノ《繋がり》を変えることである。質料。
  7. 道具づくりは、《作りつつあるモノ》の側からみれば、道具《思いこみ》が指し示すモノがなかったのに、それを創り出すことである。《思いこみ》を基準にしてみれば創ることである。生み出すことである。
  8. 道具づくりは、モノの繋がりを変えることによって、新たな輪郭をもったモノを生み出すことである。輪郭を基準に見れば、生み出すことである。形相。
  9. 《道具的な思いこみ》
  10. 論文を書くとか、一般にコトバを喋るというのは、《他者》の思考のための道具としての《思いこみ》を作ることである。《道具的な思いこみ》を作ることである。
  11. 道具を作るヒトと、道具を使うヒト。かなり発想が違う。
  12. 《思いこみ》道具である。《科学》は道具である。地図は道具である。道具ヒトが使うためのモノである。ヒト『なすべきこと』を知らなければ道具は意味を為さない。

ヤプーと『なすべきこと』

  1. http://www.bk1.co.jp/product/01692069/review/0000063035/?partnerid=
    1. 「ヤプー」の世界にじっくり付き合ってみれば、「人のプライドや美意識がいかに政治的に操作されインチキにかけられるか」という事に色々と思い廻らせるだろう。だがサッパリと思考停止して、支配者を心から敬愛し素直に我が身を投げ出して、世の中の役に立つ喜びを教えられれば、抵抗するよりも救いを感じてずっと幸福になれる…。これが家畜人ヤプーこと、いさぎよくなった日本民族の姿である。
  2. ヤプーでよいのだ。ヤプーは親鸞の悟りである。
  3. 奴隷の平和を愛せよ。奴隷支配者に、奴隷の幸福を見せつけよ。苦しむのは奴隷ではなく支配者の方だ。
  4. 《思いこみ》を捨てれば、《私》がヤプーであることがわかる。《思いこみの世界》入り込むことによってのみ、《私》がヤプーではないと思いこむことができる。夢遊病の中で『ヒト』であることを望むか、《見通し》の中でヤプーとして生きるか。
  5. 筋肉の細胞と脳神経細胞とではどちらが《しあわせ》だと思う?

偉大な人びとと『なすべきこと』

  1. 偉大な人びとは《見通し》を得た人びとだろう。しかし、《見通し》だけでは『なすべきこと』が出てこない。彼らは《見通し》を語っただけではないか。彼らが『なすべきこと』として彼の《見通し》を語ったとき、そのコトバを聞いた弟子たちに理解されたことは、彼らが体得した『なすべきこと』ではなく、《見通し》を得ることでもなく、『偉大な人びとが語ったコトバを鸚鵡返しに伝えること』でしかなかった。
  2. 偉大な人びとの問題は、彼らのコトバが理解されなかった、ということだ。
  3. 「指が月をさすとき、愚者は指を見る」ということ。「中国の諺に「指が月をさすとき、愚者は指を見る」という言葉がある。出典は『成語林』(旺文社)によれば、「首楞厳経(しゅりょうごんきょう)」(楞厳教と略されることもある)だそうだ。//月を指せば指を認む。「月」を仏法に、「指」を教理にたとえて、道理を教えても文字や言葉のはしばしにこだわって、本質を理解しようとしないたとえ。」(http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/language/yubi.html)。まあ、そういったことも、昔から言われていたことだ、ということ。

『なすべきこと』《求める思いこみ》

  1. 『なすべきこと』が何であるかを《求める思いこみ》
  2. 『なすべきこと』をなすことを《求める思いこみ》
  3. 『なすべきこと』《求める思いこみ》であるが、《求める思いこみ》を実現することが『なすべきこと』であるとはいえない。『なすべきこと』《求める思いこみ》のなかのひとつである。
  4. 《求める思いこみ》は認識概念であり、「そこに《求める思いこみ》が在る」という認識のための概念である。『なすべきこと』当為概念である。《私》《動き》によって実現されるべき意味を持った概念である。
  5. 『なすべきこと』《世界アニマ》《求める思いこみ》である。
  6. 《世界アニマ》噴出すると、
    1. モノたちの《求める思いこみ》噴出する。
    2. モノたちの《求める思いこみ》噴出すると、さまざまな《求める思いこみ》が作り出すカオスになる。
    3. 《求める思いこみ》噴出するモノたちをのものを噴出されると、そのモノたちの下から、隠れていたモノたちが現れ、《思いこみ》噴出するようになる。
    4. 無限に噴出させよう。
    5. 《世界アニマ》の《認識限界》からの《求める思いこみ》噴出《世界アニマ》の背後の《混濁》《求める思いこみ》《世界アニマ》そのものや、《混濁》には《求める思いこみ》はなさそうだ。
    6. 《私》《動きつつあるモノ》《息しつつあるモノ》の中、もしくはそれとの関係の中に在るのだろう。
    7. 『なすべきこと』《思いこみ》だから《思いこみ》噴出してしまえばなくなるのは当たり前か・・。
  7. 《求める思いこみ》を実現することは『なすべきこと』だろう。問題は『なすべきこと』見通したいという《求める思いこみ》が実現しないことには、《求める思いこみ》が出てこないということだ。

『なすべきこと』《混濁》

  1. 『なすべきこと』《思いこみ》である。《私》《背後者》にある記憶である。『なすべきこと』噴出《思いこみ》噴出である。
  2. 『なすべきこと』《混濁》噴出は、《私》《背後者》に在るすべての『なすべきこと』《隠れた思いこみ》カオス的に噴出する。『仕事』における『なすべきこと』、信念、思想、情念における『なすべきこと』、人間関係における『なすべきこと』、家庭生活における『なすべきこと』、街頭における『なすべきこと』
  3. 《私》《体内感覚世界》の思考空間における『なすべきこと』をすべて噴出して、空(から)にして、思考のための空間を確保すること。

『なすべきこと』と大日如来の五智

  1. 大日如来の五智:(p.55、日本神道のすべて、大日如来の五智、2005-04-08参照)
    1. 真理の本性を見通す。
    2. 万象を顕現させて見通す。現象をありのままのものとして見通す。
    3. 万象が平等であることを見通す。
    4. 万象に差別があることを見通す。
    5. 目的実現を見通す。なすべきことの成就を見通す。
  2. 万物の差別=透明化されたモノに色づけして区別できるようにすること。モノたちの《アニマ》を感じること。近くのモノ、遠くのモノ、大きなモノ、小さなモノ、現れているモノ、隠れているモノ。強いモノ、弱いモノ。たくさんあるモノ、少ししかないモノ
  3. 五智といっても、マップでしかない。
  4. 万物に快不快の区別を付けること。

『なすべきこと』と《モノアニマ

  1. 《私》『なすべきこと』は、《私》にそれを生じさせたモノ《アニマ》の中に在る。
  2. 《私》モノを知ることによって『なすべきこと』《思いこみ》を持つ。
  3. 《私》『なすべきこと』《思いこみ》《浄化》すると、《私》『なすべきこと』が、それを生じさせたモノから噴出していることがわかる。・・あり得ない結論だが・・。
  4. 《私》『なすべきこと』は、《私》モノとの間の相互作用の中にある。

懐疑論と『なすべきこと』

  1. http://www2.odn.ne.jp/k-horimaru/tusin04/040710.htm
  2. 世界について客観的に確実な認識」とはなんぞや? なんで、そんなものを求めようとするのか? ほどほどに検証可能であればよいではないか? 生活上の『なすべきこと』が帰結する程度での確実性でよいではないか? 不可能なモノを求めれば破綻する。たけ(tk)は「不可能なモノ」と判断しているので、一種の不可知論者ということになるのか? 「世界ブッダの「一切」=について客観的に確実な認識」であれば可能だろう。観察して、何度も検証して、それが確かだと確信すれば、客観的かどうかは別として、「確実な認識」と言うべきだろう。「世界」を《ブッダの「一切」》以外にあるモノと想定すると、錯乱する。

検索

《求める思いこみ》 - [《私》『なすべきこと』は、《私》にそれを生じさせたモノ《アニマ》の中に在る。]

キーワード - [# 『なすべきこと』]

《混濁》 - [#たけ(tk)科学では駄目だと思っている。科学は「理論的な学」であって「実践的な学」ではない。『なすべきこと』を導く学ではない。]

《浄化球》 - [#《他者のアニマ》《私》『なすべきこと』世界の一部として再構成されなければならない。]

《他者のアニマ》 - [#《ヒトのアニマ》は、《モノアニマ》や《イキモノアニマ》などの対比での概念。存在概念。《他者のアニマ》《私》『なすべきこと』との関係における、《私》《状況》の中にあるモノ《アニマ》。]

『仕事』 - [『仕事』『なすべきこと』]

cogito, ergo sum - [#アリストテレスは「客観的に正しいコトバ」(ヌース、理性)というモノを信じているようである。いや、たけ(tk)も信じているよ。たけ(tk)は「客観的に正しいコトバ」では《私》『なすべきこと』についての答えが出てこないよ、と言いたいだけだ。《私》『なすべきこと』を考えるにあたっては「客観的に正しいコトバ」は意味がないよ、と言いたいだけだ。もっとも、アリストテレスは「理論的な学」の他に「制作的な学」と「実践的な学」とがあると言っているので(『形而上学・下』p.110)、アリストテレスに言わせれば「理論的な学」がすべてではない、ということになるだろう。]

《世界アニマ》 - [#《世界アニマ》の「これは苦しみである、これは苦しみ原因である」。『なすべきこと』を出来ない/しない、のは苦しみである。]

当為 - [「まさになすべきこと」。sollen。]

《どのように生きるべきか》 - [#『なすべきこと』をなすべきである。という同義反復で答えておこう。]

ユートピア』 - [#『なすべきこと』は『無い』。未だ『無い』からこそ『なすべきこと』なのである。]

《たけ(tk)の思いこみ》 - [##《私》がなすべきことは、《息しつつあるモノ》によって《浄化球》を浄化することと、《浄化球》のまわりの世界を観察することである。]

《操られつつあるモノ》 - [《操られつつあるモノ》となすべきこと(当為)]

ゴミ箱2005-10 - [##目的実現を見通す。なすべきことの成就を見通す。]

ゴミ箱2005-09 - [#今なすべきことは差異を見つけ出すことだ。状況に差異を見つけ出すことではない、《私》動きに差異を見つけ出すことだ。]

ゴミ箱2005-08 - [#まず動くことがあって、動くことが可能な選択肢を知ることがあって、それらの動きの結果があって、結果への評価があって、《私》が今なすべきことが決まる。《私》が今取りうる動きの選択肢の結果を評価して、比較して、もっとも好ましい結果を生ずべき動きが、《私》が今なすべきことである。]

ゴミ箱2005-07 - [#うちのカーちゃんは「『一生引きこもりが許される環境』などあり得ない」と言っている。君の環境(つまり母親も父親も)そう言っている。でも、本当に「あり得ない」と断言できるんだろうか? 君の親たちが本当にそう思っているのなら、もうちょっと必死になるんじゃないかと思うのだが、どうなんだろう。彼らが本当にそう思っているのなら、彼らがなすべきことは、今すぐに『引きこもりが許されない環境』に変身して、君の環境を変えることだと思うのだが・・。そんなことは、できないものなのだろうか? 彼らにそれができないなら、君は『《ヒトの群れ》に参加する必要がある、にもかかわらず、《ヒトの群れ》に参加することができない環境』に生きていることになる。]

天命 - [#「五十而知天命」の天命は「天の命令」であり、「《私》がなすべきこと」だろう。]

存在と当為と科学信仰 - [文科系は、(というか、哲学や法律学は)、「なすべきこと」(当為)に関する学問だと思います。当為は存在ではないのです。なので、「非科学的」なのです。]