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《背後者公理》

《背後者公理》とは

  1. 《直知限界》の先にも何かが在る、という思いこみを《背後者公理》と呼ぶ。そして、《直知限界》の先にある何かを《背後者》と名づける。
    1. モノの表面の向こう側にはモノの内部がある、というのは問題ないだろう。モノによって見えなくなった場所にも空間がある、というもの問題ないだろう。向こう側の《直知限界》については問題は少なそうである。
    2. 特に問題になるのは、こちら側の《直知限界》の先(というか手前、プラスの距離に対するマイナスの距離にある場所)が問題である。
      1. 《知りつつあるモノ》自身が《直知限界》の先にあることと、
      2. 《知りつつあるモノ》情報が行く先・《知りつつあるモノ》をコントロールしているものが《直知限界》の先にあること=《背後者》であること=《知りつつあるモノの背後者》《背後者身体》であることである。

区別

  1. 背後霊と《背後者公理》
    1. 背後霊というのは俗信である。
    2. 《背後者》《背後者回路》であって人格的なものではない。
    3. 《背後者》に人格的なモノを感じるのであれば、南無阿弥陀仏、とでも唱えて成仏させてやれば、無我の背後霊になるだろう。キツネや「英霊」でも同様に、南無阿弥陀仏と唱えるのがよい。阿弥陀仏というのは『すべてのヒトを成仏させる』という願をかけて修行して、その修行が完成したブッダ、という意味なので、「南無阿弥陀仏」と唱えれば背後霊でも成仏させてくれるだろう。(「無量寿仏」という意味だから、名前の意味は違うか・・)
    4. 一神教的な神やブラフマーも人格的であるが故に俗信である。(一神教的な神やブラフマーを背後に感じるヒトは少ないのではないか?)
    5. http://www.asahi-net.or.jp/~yi9h-uryu/seiten/daiue1-2-hongan22-34.htm
      1. (34)たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、 わが名字を聞きて、菩薩の無生法忍、もろもろの 深総持を得ずは、正覚を取ら じ。  
      2. 私が仏になるとき、十方世界のあらゆる衆生が、我が名を聞いて、涅槃を得るに間違いのない身となり、もろもろの深い智慧をえることができないならば、私はさとりを開きません。
    6. 背後霊に聞かせてあげればOKということ。背後霊や幽霊は《思いこみ》なので、「南無阿弥陀仏」の《思いこみ》で十分なのだ。
  1. 《無原因公理》と《背後者公理》
    1. 《私》の背後には何もない、《私》には原因がない、原因がないことが自由である。という《思いこみ》を《無原因公理》と呼ぶ。
    2. 《私》の背後には何かが在る。《私》《背後者》から動かされている、という《思いこみ》《背後者公理》と呼ぶ。
    3. 《無原因公理》の背景には、一神教的な宿命論への反感が在る。『《私》は神によって動かされている』という《思いこみ》への反感である。
  1. 脳科学《背後者公理》
    1. 脳科学的には《私》脳科学的な情報処理過程の一部であり、《私》には脳科学的な原因が在る。つまり、《私》の背後には脳科学的な仕組みが在る。
    2. 脳科学的には《私》ばかりではなく、《私》世界脳科学的な情報処理の結果として生じるモノである。従って、《私》世界の背後にも何かがある、ということになる。
    3. 問題は、脳科学的な《背後者》が、《私》にとってどのようなモノとして現れてくるか、ということである。
Last modified:2017/07/08 21:04:52
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