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《知られつつある私》

キーワード《知られつつある私》

定義

《知られつつあるモノ》としての《私》のこと、を《知られつつある私》という。

区別

《知られつつある私》《混濁》

  1. 《今・ここの・このモノ》《混濁しつつあるモノ》である。
  2. 《混濁しつつあるモノ》《近傍物理空間》の中にあり、《近傍物理空間》もしくはその延長の客観的世界の中に《他者》が在る。
  3. 《混濁しつつあるモノ》《私》によって《知られつつあるモノ》である。
  4. 《混濁しつつあるモノ》《他者》によって《知られつつあるモノ》である。
  5. 《今・ここの・このモノ》《私》と呼ぶ。《私》《知られつつあるモノ》である。《知られつつあるモノ》としての《私》《知られつつある私》と呼ぶ。

検索

《相対者公理》 - [#ただし、《群れ》《視点》は、《群れ》に鏡を置いた鏡像であり、《思いこみ》であり、絶対者としての《私》が鏡を通して見通しモノである。《私》《群れ》《視点》においては、相対者であるということは、それを見通しつつある《私》が相対者である、ということではない。鏡像において《知られつつある私》が相対者である、ということである。]

《私》 - [《私》《知られつつある私》]

《他者の知りつつあるモノ》 - [#《他者の知りつつあるモノ》によって《知られつつある世界》《浄化》《他者の知りつつあるモノ》によって《知られつつある私》《浄化》《知られつつあるモノ》としての《私》《浄化》《知られつつある私》《知りつつあるモノの背後者》《浄化》。]

《知られつつあるモノ》 - [#《知られつつある私》、《見通されつつある私》。]

《ヒトの群れ》 - [#《ヒトの群れ》の中の《私》は、《群れ》《他者》《知られつつあるモノ》である。《知られつつある私》である。]

《個体間関係》 - [《個体間関係》《知られつつある私》]

《こころざし》 - [《私》 - [#《知られつつある私》は、一貫した《思いこみ》《こころざし》を持っていることが期待されている。]]

《繋がり》 - [《アニマ》 - [#モノ《知りつつあるモノ》であり、そのモノ世界《知りつつあるモノ》であり、そのモノ世界の中の《私》《知りつつあるモノ》であり、『そのモノ《私》との関係』を《知りつつあるモノ》である。《私》は、《モノアニマ》の中に、そのモノによって《知られつつあるモノ》としての《私》を見る。そのモノによって《知られつつあるモノ》としての『そのモノ《私》との関係』を見る。]]

《私》 - [#《知られつつある私》というのは、《ヒトの群れ》の中にあって、《他者》によって《知られつつあるモノ》としての《私》のこと。]

《他者の知りつつあるモノ》 - [#《他者の知りつつあるモノ》《背後者》無限遠点《浄化球》を置いても、彼の《背後者世界》《浄化》も、彼の《知られつつある世界》も、彼に《知られつつあるモノ》としての《私》も、浄化することはできない。彼は《浄化》を拒否しているからである。彼は《浄化》に怯えているからである。]

《知られつつあるモノ》 - [#《知られつつあるモノ》としての《私》の《怯え》を噴出しよう。]

《アニマ》 - [#モノ《知りつつあるモノ》であり、そのモノ世界《知りつつあるモノ》であり、そのモノ世界の中の《私》《知りつつあるモノ》であり、『そのモノ《私》との関係』を《知りつつあるモノ》である。《私》は、《モノアニマ》の中に、そのモノによって《知られつつあるモノ》としての《私》を見る。そのモノによって《知られつつあるモノ》としての『そのモノ《私》との関係』を見る。]

《世界アニマ》 - [#《世界アニマ》《絶対者公理》の概念。なのだが、《世界アニマ》の鏡像においては、《私》自身が入っている。《私》といっても、その《私》《私》の外部からの視点での《私》。身体を体外感覚において知るのと同じ。世界の中の《私》《知られつつあるモノ》としての《私》、であり、それを《知りつつあるモノ》としての《私》とは別のモノ《絶対者公理》と鏡像の中の《私》。]

《他者のアニマ》 - [#モノ《知りつつあるモノ》であり、そのモノ世界《知りつつあるモノ》であり、そのモノ世界の中の《私》《知りつつあるモノ》であり、『そのモノ《私》との関係』を《知りつつあるモノ》である。《私》は、《他者のアニマ》の中に、そのモノによって《知られつつあるモノ》としての《私》を見る。そのモノによって《知られつつあるモノ》としての『そのモノ《私》との関係』を見る。]

《同質者公理》による再構成 - [しかし、「体内感覚によって《知られつつあるモノ》としての《私》《身体》」と「《近傍物理空間》の中のモノとしての《他者の身体》」とではかなり見え方が違う。というより、他者の身体を体内感覚によって知ることは出来ないのである。しかし、《同質者公理》によれば次のようになるだろう。《他者の身体》の中には他者の《知りつつあるモノ》があり、他者の《知りつつあるモノ》はその体内感覚において《他者の身体》を知ることができる、ということである。]

Last modified:2006/03/07 23:30:09
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