FrontPage  Index  Search  Changes  wikifarm  Login

《知られつつある混濁》

記述

区別

  1. 《知られつつある混濁》《知られつつある世界》《混濁の世界》は同じか?○:。×:。
  1. 《混濁の世界》の場合には
    1. 生々しい感じが良い。
    2. 《知りつつあるモノ》世界の中に放り込まれた、その世界《混濁》であった、というニュアンス。
    3. 《混濁》《混濁》したイメージ。
    4. 《混濁》が変化したというニュアンスが強い。
    5. 《知られつつあるモノ》のイメージが無い。《知りつつあるモノ》との対決のイメージが無い。
  1. 《知られつつある世界》の場合には
    1. 《知りつつあるモノ》によって《知られつつあるモノ》というニュアンスが強い。
    2. 世界」というのは《知りつつあるモノ》を取り巻いているイメージが強い。《知りつつあるモノ》中心主義を止めたので、「世界」というコトバを嫌うようになった。
    3. 混濁しているイメージが無い。きれいに分離した後のコスモスのイメージ。
    4. 混濁した《知られつつある世界》と混濁していない《知られつつある世界》とがある。故に、《知られつつある混濁》とは別物。
  1. 《知られつつある混濁》
    1. 《知りつつあるモノ》との対比での《混濁》進化系というニュアンス。
    2. 《知られつつあるモノ》としての《混濁》というニュアンス。
    3. 《混濁》《知られつつある混濁》《知りつつある混濁》とに分離する。《知りつつある混濁》は単に《知りつつあるモノ》と呼ぶ。

検索

モノ - [#《混濁》《知りつつあるモノ》《知られつつある混濁》とに分離する。]

噴出 - [#《噴出》《肉の塊》の中の《知りつつあるモノ》によって知られつつある《体内感覚世界》への《噴出》である。]

《思いこみ》 - [#《混濁》《知りつつあるモノ》《知られつつある混濁》とに分離する。]

今・ここ - [《知られつつある私》 - [#《今・ここの・このモノ》《混濁しつつあるモノ》である。]]

《混濁》 - [#《混濁》の否定は、《知りつつあるモノ》であるか?○:《混濁》の分離は《知りつつあるモノ》《知られつつある混濁》との分離である。×:。]

《たけ(tk)の思いこみ》 - [#《知られつつある世界》の中には、《モノ》たちと《思いこみ》とがある。]

《混濁の分離》 - [#《知られつつある混濁》《知りつつあるモノ》《知りつつあるモノ》による《混濁の分離》? ○:「《混濁》の第一次分離」。×:。]

《求める思いこみ》 - [###《知られつつあるモノ》『一切』《欲求実現手段》《視点》モノであると看做すことができる。《思いかさね》が可能である。]

《息しつつあるモノ》 - [#《混濁》《知られつつある世界》《混濁の世界》)と《知りつつあるモノ》とに分離した。]

《自己言及しつつあるモノ》 - [《息しつつあるモノ》 - [#『私』自己言及概念である。《知りつつあるモノ》でもない、《知られつつあるモノ》でもない、《自己言及しつつあるモノ》である。ハウリングである。異常状態である。ハウリングが《混濁》をもたらす。]]

《私》 - [#《知りつつあるモノ》は、疑わしいモノ《知られつつあるモノ》を排除したのちに残った《今・ここの・このモノ》である。]

《知りつつあるモノ》 - [#《知りつつあるモノ》が知ることができるモノ《知られつつあるモノ》=は知るという作用の終点である。]

《肉の塊》 - [《他者》 - [#《知りつつあるモノ》入り込むと、世界は、前面世界《知られつつある世界》《近傍物理空間》)と《背後者世界》とに分離する。《他者》《知られつつある世界》《背後者世界》とに出現する。しかし、この二つの世界は、《知りつつあるモノ》への《入り込み》によって生じた区別なので、モノとしては同じモノ、同じ世界である。《知りつつあるモノ》への《入り込み》をやめると、《他者》は或る一つの世界に出現するモノである。((弁証法的な説明方法が適切なのか?))。《混濁しつつある身体》《肉の塊》の外部の空間に現れるモノである。((女性の性交における《他者》は、《肉の塊》の内部に現れるモノなのか?))]]

《視点》 - [###《知られつつあるモノ》『一切』《欲求実現手段》《視点》モノであると看做すことができる。《思いかさね》が可能である。]

《欲求実現手段》 - [###《知られつつあるモノ》『一切』《欲求実現手段》《視点》モノであると看做すことができる。《思いかさね》が可能である。]

『なすべきこと』 - [#前方:《知られつつあるモノ》、上方:《知った思いこみ》、後方:《求める思いこみ》、下方:《動きつつあるモノ》《動き》の4点循環。下方は毒ガスの吹き出す河原の様だ。]

《生きモノ》 - [《知りつつあるモノ》 - [#《知られつつある世界》《近傍物理空間》は、動く生きモノにとっては、衝突を避けるため、獲物を捜すため、捕食者から逃れるために有用である。]] 《身体》 - [#《身体》《知りつつあるモノ》との対比において知られつつある《肉の塊》である。]

《極座標の原点》 - [#《知りつつあるモノ》は体験されていない、実感されていない、記憶されていない。思い描かれたモノに過ぎない。継続しない。持続するモノではない。持続において《極座標の原点》の体験に統合されるものではない。《極座標の原点》を思い描いても、《知りつつあるモノ》《極座標の原点》の内容ではなく、《極座標の原点》《知りつつあるモノ》でしかない。《知りつつあるモノ》は客体化されない。《知りつつあるモノ》は捉えることができない。《知りつつあるモノ》《知られつつある世界》の中にはない。我々は知られつつある世界史か知ることはできす、それを《知りつつあるモノ》は知ることができない。知りえないものを知ろうとしてはならない。《知りつつあるモノ》を知ろうとしてはならない。《知りつつあるモノ》を捉えようとしてはならない。]

『精神哲学』 - [* 《体内感覚世界》が虚数軸というのは違うだろう。単に、対外世界と異なり、手で測ることができない、また、空間定位が曖昧であるということ、また、《思いこみ》への《入り込み》によって、物質的空間性を見失ってしまう、ということに過ぎない。本当の虚数軸(非物質性)は《知りつつあるモノ》の背後にある世界においてのみである。おそらく、《背後者世界》《体内感覚世界》との混同があるのであろう。まあ、《体内世界》においては両者は一つなのであるから、混同してもかまわない。区別が在るのは《知りつつあるモノ》《知られつつある世界》《背後者世界》とを分割する場面においてのみである。・・てか、区別しているのは、たけ(tk)じゃん。てか、体内世界は物質的存在である。だから、誤り。物質的存在であるのに、認識経路が異なるので、対外世界とは違ったモノのように見えるということ。まあ、物質とは体外世界モノであるとするなら、体内世界モノは非物質的ではある(定義の問題)。]

『一切』 - [###《知られつつあるモノ》『一切』《欲求実現手段》《視点》モノであると看做すことができる。《思いかさね》が可能である。]

《近傍物理空間》 - [《近傍物理空間》は、今ここの《知りつつあるモノ》によって《知られつつあるモノ》としての《モノの世界》である。]

《相互包含関係》 - [* 《視点》 - [《私》 - [#《私》の中に《知りつつあるモノ》があり、《知りつつあるモノ》によって《知られつつある世界》の中に《私》がある、というのは矛盾である。視点の移動がある。相互包含関係。]]]

《闇》 - [#《背後者》の中の《思いこみ》《混濁》《噴出しつつあるモノ》《隠れた思いこみ》《混濁》《噴出しつつあるモノ》記憶《混濁》《噴出しつつあるモノ》世界に関する記憶《混濁》《噴出しつつあるモノ》《身体》感覚に関する記憶《混濁》《噴出しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》に関する《混濁》《噴出しつつあるモノ》《知られつつある世界》《混濁》《噴出しつつあるモノ》《息しつつあるモノ》《混濁しつつあるモノ》《身体》《ちから》《混濁しつつあるモノ》《身体》《ちから》《混濁》《噴出しつつあるモノ》《息しつつあるモノ》《ちから》《混濁》《噴出しつつあるモノ》。]

《見通し》 - [#《見通し》《視点》からいえば、《動き》《知られつつあるモノ》のひとつである。]

《息しつつあるモノの背後者》 - [#《知った思い描き》とは、それを知りつつあるときの、それ、《知られつつあるモノ》、が、そのまま、《知った思い描き》の内容であるような、《思い描き》である。]

《ヒトの群れ》 - [#《ヒトの群れ》の中の《私》は、《群れ》《他者》《知られつつあるモノ》である。《知られつつある私》である。]

《混濁の世界》 - [《知られつつあるモノ》としての《混濁》《混濁の世界》という。]

《鏡の恐怖》 - [《知られつつあるモノ》 - [#鏡の恐怖を思い出したのである。]]

《鏡の向こうからの眼》 - [# 《視点のパラメータ》 - [#《知られつつある私》は絶対者としての《私》《他者》《知りつつあるモノ》を鏡として知りつつある「《他者》《知られつつある私》」である。自己言及の問題は生じない。]]

《知られつつあるモノ》 - [タイトルに一致 知られつつある]

《状況》 - [#《状況の噴出》とは、《知られつつある世界》の中への噴出であり、それが《状況》兆候であるようなモノである。]

《アニマ》 - [#モノ《知りつつあるモノ》であり、そのモノ世界《知りつつあるモノ》であり、そのモノ世界の中の《私》《知りつつあるモノ》であり、『そのモノ《私》との関係』を《知りつつあるモノ》である。《私》は、《モノアニマ》の中に、そのモノによって《知られつつあるモノ》としての《私》を見る。そのモノによって《知られつつあるモノ》としての『そのモノ《私》との関係』を見る。]

《体内感覚世界》 - [※:《混濁の世界》《混濁》《知りつつあるモノ》によって、《知られつつあるるモノ》と《知りつつあるモノ》とに分離したうちの、《知られつつある混濁》のこと。]

《混濁しつつある身体》 - [《他者》 - [#《知りつつあるモノ》入り込むと、世界は、前面世界《知られつつある世界》《近傍物理空間》)と《背後者世界》とに分離する。《他者》《知られつつある世界》《背後者世界》とに出現する。しかし、この二つの世界は、《知りつつあるモノ》への《入り込み》によって生じた区別なので、モノとしては同じモノ、同じ世界である。《知りつつあるモノ》への《入り込み》をやめると、《他者》は或る一つの世界に出現するモノである。((弁証法的な説明方法が適切なのか?))。《混濁しつつある身体》《肉の塊》の外部の空間に現れるモノである。((女性の性交における《他者》は、《肉の塊》の内部に現れるモノなのか?))]]

《他者》 - [#《他者》が《撹乱しつつあるモノ》であるのは、《知りつつあるモノの背後者》にあるからではなく、《知られつつある世界》の中の《他者》の向こう側の《背後者世界》の中の《他者の知りつつあるモノ》が、《知りつつあるモノ》と相互に知りつつある関係に入ることにより、《知りつつあるモノ》に間接的な《自己言及》関係を生じさせるからである。「《他者》の向こう側の《背後者世界》」=《他者の背後者世界》。]

《こころざし》 - [《私》 - [#《知られつつある私》は、一貫した《思いこみ》《こころざし》を持っていることが期待されている。]]

《繋がり》 - [#《他者》の個性も『伝聞世界』の《思いこみ》なのだろう。直接の《繋がり》を有する《他者》の個性は直接知で知られる。『直知世界』の中のモノである。《他者のコトバ》《噴出しつつあるモノ》への直知によって知られた《他者》は『直知世界』の中に在る。《他者のコトバ》の意味内容によって知られた『他者』は『伝聞世界』の中に在る。直知された《他者》Aについての《他者》Bからのコトバによるうわさ話は??。たとえば「A君はケガしたらしい」というコトバによって生じた『ケガをしたA君』は『伝聞世界』の中のモノである。じっさいに見舞いに行って、直知すると『直知世界』の中に入る。か?。直知の経験による記憶の中の『A君』は、《今・ここの・この肉の塊》にとって《知られつつあるモノ》としての《A君》ではない。記憶の中の『A君』は『伝聞世界』の中のモノなのではないか?]

《他者の知りつつあるモノ》 - [###不可知性は、《他者》《近傍物理空間》モノとして観察するから、不可知なのである。《他者》《近傍物理空間》《知られつつある世界》の中のモノとして観察するかぎりは、《他者の知りつつあるモノ》は不可知である。《他者》《私》《知りつつあるモノ》の背後から撹乱するモノである、として観察すると、《他者の知りつつあるモノ》も見えてくる。]

《自己言及》 - [#《知られつつある世界》《知りつつあるモノ》によって生じた《思いこみ》である。《思いこみ》《モノの世界》とは別のモノである。したがって、『それが同一である』という《思いこみ》から生じる問題は、《モノの世界》ルールからは生じない。]

《他者からの思いこみ》 - [#タカウゴイシモを観察しつつあるモノも、《動きつつあるモノ》である。《観察しつつあるモノ》は《他者からの思いこみ》への交互作用か? ○:《知りつつあるモノ》《動きつつあるモノ》であり、《知られつつあるモノ》《他者からの思いこみ》である。×:自律的な《動き》である。]

《モノの世界》 - [#《近傍物理空間》は、今ここの《知りつつあるモノ》によって《知られつつあるモノ》としての《モノの世界》である。]

《仕合わせ》 - [#《知った思いこみ》《動き》《求める思いこみ》《動き》《動きつつあるモノ》《動き》《知られつつある世界》《動き》、というのが「《動き》の4点循環」。]

《他者》の《他者》 - [###《他者》《私》《思い描き》であり、《私》によって《知られつつあるモノ》である。「《他者》の《他者》としての《私》」は《他者》にとっての《思い描き》であり、《他者》によって《知られつつあるモノ》である。《私》《思い描きつつあるモノ》であり、《知りつつあるモノ》である。よって《私》は「《他者》の《他者》としての《私》」ではない。]

《宇宙史》 - [#《近傍物理空間》《知られつつある世界》《宇宙史》脳科学的な《背後者》《共振しつつある身体》《共振しつつある世界》《共振しつつある宇宙史》。]

「生きる意味について」 - [《知りつつあるモノ》は原理的に直接に知ることはできません。《知りつつあるモノ》《知られつつあるモノ》になってしまえばも はや《知りつつあるモノ》であることができないからです。]

《体内感覚》 - [体内感覚によって《知られつつあるモノ》としての《身体》]

《思いこみの世界》 - [#《思いこみの世界》においては、《知られつつあるモノ》《知った思いこみ》とはイコールである。か? ○:。×:。]

『意味』 - [《息しつつあるモノ》 - [#《知りつつあるモノ》に注目していると、《混濁の世界》が再び現れるが、それは、《混濁しつつある身体》として《身体》の形に凝縮する。《混濁しつつある身体》のなかでは、《知りつつあるモノ》がもたらした区別(《体内世界》の中の《知られつつある世界》《体内感覚世界》=と《認識限界》と《背後者》との区別)は意味を持たなくなる。この区別は《知りつつあるモノ》への執着によって生じたモノなのであろう。]]

《動き》 - [#《知られつつある世界》の中に《動きつつあるモノ》《動き》があり、それが《知られつつある世界》《動き》をもたらし、それが《知った思いこみ》《動き》をもたらし、それが《求める思いこみ》《動き》をもたらし、それが《動きつつあるモノ》《動き》をもたらし、・・という循環が成り立つ「動き」を《動き》と言う。《動き》の4点循環。主体の《動き》。主体的《動き》。]

《動きつつあるモノ》 - [#《知りつつあるモノ》《動きつつあるモノ》であり、《知られつつあるモノ》《他者からの思いこみ》である。]

《求めつつあるモノ》 - [#《知られつつある世界》《求めつつあるモノ》である。《息しつつあるモノ》を浄化すると、《知りつつあるモノ》の背後を浄化し、《知りつつあるモノ》の外部の《知られつつある世界》からの《求める思いこみ》噴出を感じる。《求めつつあるモノ》を浄化すると《求めつつある世界》にいたる。《世界アニマ》《求めつつあるモノ》であろう。]

《道具的な思い描き》 - [《浄化球》 - [《浄化球》は実験的な《思いこみ》によって思いこまれた道具である。《浄化球》は実験であり、観察すべきモノである。《浄化球》は《道具的思いこみ》である。《浄化球》は、それによって世界を観察するための道具である。《浄化球》は自然に見えてきたモノ、ありのままのものとして《知られつつあるモノ》ではなく、意図的に《思いこまれつつあるモノ》である。意図的に思いこむために呪文が必要である。「ジョウキュウ・イシモ」(《浄化球》《息しつつあるモノ》)という呪文を唱えるべきである。]] 《ハウリング》 - [《自己言及しつつあるモノ》 - [ * 《息しつつあるモノ》 - [#『私』自己言及概念である。《知りつつあるモノ》でもない、《知られつつあるモノ》でもない、《自己言及しつつあるモノ》である。ハウリングである。異常状態である。ハウリングが《混濁》をもたらす。]]]

《直知》 - [《繋がり》 - [#《他者》の個性も『伝聞世界』の《思いこみ》なのだろう。直接の《繋がり》を有する《他者》の個性は直接知で知られる。『直知世界』の中のモノである。《他者のコトバ》《噴出しつつあるモノ》への直知によって知られた《他者》は『直知世界』の中に在る。《他者のコトバ》の意味内容によって知られた『他者』は『伝聞世界』の中に在る。直知された《他者》Aについての《他者》Bからのコトバによるうわさ話は??。たとえば「A君はケガしたらしい」というコトバによって生じた『ケガをしたA君』は『伝聞世界』の中のモノである。じっさいに見舞いに行って、直知すると『直知世界』の中に入る。か?。直知の経験による記憶の中の『A君』は、《今・ここの・この肉の塊》にとって《知られつつあるモノ》としての《A君》ではない。記憶の中の『A君』は『伝聞世界』の中のモノなのではないか?]]

《複素数の時空》 - [《知りつつあるモノ》の背後にあるモノは、《知りつつあるモノ》にとってマイナスの距離に位置する。正確には距離の二乗がマイナスであるような位置、すなわち、虚数の距離である。その虚数の距離世界が、《知りつつあるモノ》にとっての《知りつつあるモノの背後者》世界である。それに対して《知られつつある世界》は実数の距離の世界である。]

《実感》 - [《極座標の原点》 - [#《知りつつあるモノ》は体験されていない、実感されていない、記憶されていない。思い描かれたモノに過ぎない。継続しない。持続するモノではない。持続において《極座標の原点》の体験に統合されるものではない。《極座標の原点》を思い描いても、《知りつつあるモノ》《極座標の原点》の内容ではなく、《極座標の原点》《知りつつあるモノ》でしかない。《知りつつあるモノ》は客体化されない。《知りつつあるモノ》は捉えることができない。《知りつつあるモノ》《知られつつある世界》の中にはない。我々は知られつつある世界史か知ることはできす、それを《知りつつあるモノ》は知ることができない。知りえないものを知ろうとしてはならない。《知りつつあるモノ》を知ろうとしてはならない。《知りつつあるモノ》を捉えようとしてはならない。]]

虚数の距離 - [#《知りつつあるモノ》《知られつつある世界》の中心にある。ある方向に向かって《知りつつあるモノ》の背後には、やはり、《知られつつある世界》が拡がっているはずである。]

時間 - [##断絶的時間公理(過去、現在、未来は断絶している)・・過去は記憶《知った思いこみ》)であり、未来は選択(《求める思いこみ》)であり、現在は「永遠の今」(《知りつつあるモノ》《知られつつあるモノ》)である。]

《息しつつある身体》 - [体外感覚において知られつつある息しつつある身体と《息しつつある身体》]

ゴミ箱2005-03 - [「《共振しつつある身体》《近傍物理空間》」は「《知りつつあるモノ》《近傍物理空間》」とはちょっと違う。《共振しつつある近傍物理空間》と《知られつつある近傍物理空間》と区別するか?《知られつつある近傍物理空間》は《知りつつあるモノ》が眠ってしまうと消滅してしまう。《共振しつつある近傍物理空間》は眠っている間も《近傍物理空間》であり続ける。]

《息しつつあるモノの群れ》 - [#実感は背後者と知られつつある世界との境界にある。実感は認識限界の面にある。]

天命 - [《天命を生み出すモノとしての世界》への見通しが必要だ。 これは「状況」だな。「状況としての《宇宙史》」。 《知られつつあるモノ》として捉えられた《宇宙史》《私》《他者》《ヒトの群れ》への見通しを、《私》動きとの関係で捉えなおすこと、これが状況への見通し、であろう。]

《世界アニマ》 - [#《私》《混濁しつつあるモノ》《浄化》すると、《私》《知りつつあるモノ》《背後者》を浄化し、《私》《知られつつある世界》からの《思いこみ》《私》《知りつつあるモノ》の背後に噴出することが感じられる。]

《ブッダの「一切」》 - [#《ブッダの「一切」》における、《知られつつあるモノ》《知りつつあるモノ》、《知る作用》の前半の二つはモノであり、最後の一つは《思いこみ》《噴出》である。]

《呼吸停止の実験》 - [《思惟しつつあるモノ》を撹乱する力は、《知られつつあるモノ》としての《身]

《モノと情報の群れ》 - [#《ブッダの「一切」》における、《知られつつあるモノ》《知りつつあるモノ》、《知る作用》の前半の二つはモノであり、最後の一つは《思いこみ》《噴出》である。]

《身近な人びと》 - [《息しつつある背後者回路》 - [《世界アニマ》 - [#《私》《世界アニマ》から《求める思いこみ》を感じるということは、《私》《知られつつある世界》から《私》《知りつつあるモノ》の背後に噴出するモノを感じることである。・・しかし、それは《知った思いこみ》であって、《世界アニマ》《求める思いこみ》ではない、のではないか? まあ、よくわからぬが、当分の間は、《世界アニマ》からの噴出《知りつつあるモノ》《背後者》《動きつつあるモノ》《息しつつあるモノ》という経路で感じ続けることにしよう。][#誰が現れるかは、カオス的な「《世界アニマ》《背後者回路》」によって決まる。だいたい予想可能でもあるし、予想不可能でもある。《身近な人びと》がどのような《他者のコトバ》噴出するかは、予想不可能でもあるし、たいだい予想可能でもある。カオス的な「《世界アニマ》《背後者回路》」によって決まる。《世界アニマの背後者回路》はカオス的である。徴候が在る場合もあるし、無い場合もある。]]]

《背後者世界》 - [《私》というシステムは認識系サブシステムと動作系サブシステムとで成り立っている。《我》《知りつつあるモノ》=は認識系サブシステムと動作系サブシステムの接点である。《我》にとっての《知られつつある世界》とは認識系サブシステムが作り出した《思いこみ》であり、認識系サブシステムは《我》の全面に広がる世界である。《我》はその世界を知って動作系サブシステムに情報をインプットする。動作系サブシステムは《我》にとっては《我》の背後にあるものである。認識系サブシステムを駆動している仕組みも《背後者世界》に在る。《知りつつあるモノ》は、それを駆動している認識系サブシステムを直知することはできない。]

体外世界 - [『精神哲学』 - [* 《体内感覚世界》が虚数軸というのは違うだろう。単に、対外世界と異なり、手で測ることができない、また、空間定位が曖昧であるということ、また、《思いこみ》への《入り込み》によって、物質的空間性を見失ってしまう、ということに過ぎない。本当の虚数軸(非物質性)は《知りつつあるモノ》の背後にある世界においてのみである。おそらく、《背後者世界》《体内感覚世界》との混同があるのであろう。まあ、《体内世界》においては両者は一つなのであるから、混同してもかまわない。区別が在るのは《知りつつあるモノ》《知られつつある世界》《背後者世界》とを分割する場面においてのみである。・・てか、区別しているのは、たけ(tk)じゃん。てか、体内世界は物質的存在である。だから、誤り。物質的存在であるのに、認識経路が異なるので、対外世界とは違ったモノのように見えるということ。まあ、物質とは体外世界モノであるとするなら、体内世界モノは非物質的ではある(定義の問題)。]]

《楽しみ》 - [#《楽しみ》は、《知られつつある世界》との間に、《動き》のすき間をつくることである。]

《絶対者公理》 - [#《知りつつあるモノ》には《世界》の半分しか見えていない。《知られつつある世界》と《認識限界》の先の《背後者》とに分割してしまう。《背後者》は感じているのに、知らない、という矛盾を含んでいる。《知りつつあるモノ》は、自己を《世界》に対峙するものとして規定するから、《知りつつあるモノ》《世界》の一部であるとすると、矛盾が生じる。なので、特別者なのか、相対者なのか、という公理を立てて、矛盾を解消しようとする。なので、《知りつつあるモノ》によっては、特別者か相対者かという問題は、《知りつつあるモノ》に内在する矛盾にかかわる大問題となる。]

梵我一如と《めまい》 - [《知りつつあるモノ》《知られつつある世界》を知りつつあるモノである。それは《知られつつある世界》の中心にあり、《知られつつある世界》を超越した、別個の、外部の存在である。 ]

《知りつつあるモノ》の人間的意味 - [《共振しつつある身体》は、《知られつつある世界》の中にではなく、《知りつつあるモノの背後者》の奥のほうに発見されるはずのモノだと思います。]

《共振しつつある身体》 - [#《知りつつあるモノ》《視点》と、《群れのアニマ》《視点》《知られつつあるモノ》《身体》というモノである。]

《今・ここの・この肉の塊》 - [《知りつつあるモノ》 - [#(1)《混濁》は在る。《混濁》《知られつつあるモノ》である。従って、《混濁》《知りつつあるモノ》が在る、はずである。((《混濁》は在る、か? この《肉の塊》《混濁》の状態にある時には、《混濁》は在る。この《肉の塊》《混濁》の状態にないときには、《混濁》はない。《混濁》はあり得る。《混濁》は、この《肉の塊》《思いこみの世界》の状態から《モノの世界》への《見通し》の状態にいたる途中にある状態である))]]

《コトバの世界》 - [#この「名色」は主観的に知られつつあるモノとしての《モノの世界》の中のモノと、主観的な《思い描き》世界の中のモノと、主観的に、モノを指し示す記号としてのコトバとが一体になったモノだね。]

自己言及 - [##知られつつある自己=世界の中の自己]

《ちから》 - [《ちから》《知られつつあるモノ》]

循環 - [《思いこみの動き》 - [《浄化球》 - [#《動き》の4点循環《知った思いこみ》《動き》《求める思いこみ》《動き》《動きつつあるモノ》《動き》《知られつつある世界》《動き》《知った思いこみ》《動き》→・・。《動き》の4点循環無限遠点の先に《浄化球》を置く。]]]

《視点のパラメータ》 - [#《見通し》《視点》からいえば、《動き》《知られつつあるモノ》である。]

《体内世界》 - [#《体内感覚世界》《知りつつあるモノ》によって《知られつつあるモノ》としての《体内世界》である。]

概要 - [#《混濁》《知られつつあるモノ》である。そして、《混濁》《知りつつあるモノ》がある。]

古い概要1 - [##《混濁》《知りつつあるモノ》との関係では、《知られつつあるモノ》である。《混濁》は「《知られつつあるモノ》としての《混濁》」と《知りつつあるモノ》とに分かれる。]

《噴出しつつあるモノ》 - [#《知りつつあるモノ》《知られつつある世界》から《知りつつあるモノの背後者》《噴出しつつあるモノ》。]

《客観世界》 - [#《近傍物理空間》《知られつつあるモノ》としての《客観世界》である。]

《共振しつつあるモノ》 - [ゴミ箱2005-10 - [#たけ(tk)の4象限は、《知りつつあるモノ》《知られつつあるモノ》《共振しつつある身体》《共振しつつある世界》の4個だな。まだ、大きいモノが抜けている可能性がある。これは基本的にモノと魂の世界であり、アニミズム世界なのだ。《ヒトの群れ》への復帰のためにはそれを越えたモノが必要になる。《思いこみの共有》だろうか? 仁義礼智信・格物〜平天下だろうか? 《ヒトの群れ》への諦観だろうか? シュトラウス主義(絶対奴隷主−賢人奴隷−家畜)だろうか? 「目的状況の中にある」とすれば仁義礼智信・格物〜平天下に成るのではないか?]]

《背後者》 - [#《我》は《認識限界》の表面に在る。《我》《知られつつある世界》《背後者世界》との境界にある。]

《思いこみの動き》 - [《浄化球》 - [#《動き》の4点循環《知った思いこみ》《動き》《求める思いこみ》《動き》《動きつつあるモノ》《動き》《知られつつある世界》《動き》《知った思いこみ》《動き》→・・。《動き》の4点循環無限遠点の先に《浄化球》を置く。]]

永遠の今 - [《知りつつあるモノ》 - [#《知りつつあるモノ》《動き》を知る、が《いま》が瞬間であるなら、《動き》を知ることはできないはず。《知りつつあるモノ》によって《知られつつあるモノ》としての《いま》にはある程度の時間的な幅がある。《永遠の今》ではあるが、《動き》への認知を許す程度の時間的な幅がある。《動き》は無時間でも、認知可能なのか? 動体視力は、静態視力とは別の経路をたどって、意識に入ってくるらしい。]]

《相対者公理》 - [《知られつつある私》《相対者公理》。]

表出 - [《知られつつある世界》の《認識限界》の背後にある《隠れた思いこみ》《知られつつある世界》の中に噴出してくることを《思いこみの表出》または単に「表出」という。]

ルール - [自己言及 - [《知られつつある世界》《知りつつあるモノ》によって生じた《思いこみ》である。《思いこみ》《モノの世界》とは別のモノである。したがって、『それが同一である』という《思いこみ》から生じる問題は、《モノの世界》ルールからは生じない。]]

直観 - [#《知りつつあるモノ》《知られつつあるモノ》との間の《知りつつあること》という関係で知ること。]

極座標モデル - [#《極座標の原点》が、自分自身、《極座標の原点》を認知しようとすること、自己言及的認知。無限ループ《知られつつあるモノ》《知りつつあるモノ》であることはできない。ループを無限小に小さくすること、はできるが、ゼロにすることはできない、か? ]

《知った思いこみ》 - [#知覚は《知られつつあるモノ》情報《背後者世界》に保存される過程である。]

絶望的状況 - [#『絶望的状況』は《背後者世界》無限遠点の先の《息しつつあるモノ》との《繋がり》への《見通し》を切断された《状況》である。《背後者世界》無限遠点の先の《動きつつあるモノ》との《繋がり》への《見通し》を切断された《状況》である。(後方無限遠点の先の《息しつつあるモノ》との《繋がり》だけではなく、上下左右前後の無限遠点の先の《息しつつあるモノ》、すべての方向の無限遠点の先の《息しつつあるモノ》との《繋がり》が必要だろう。それらは、おそらく一つの《息しつつあるモノ》である。多次元輪郭世界)。(《知られつつある世界》の中の《息しつつあるモノ》との《繋がり》では駄目だということ。《息しつつあるモノ》《体内感覚世界》において《繋がり》を持たなければだめだということ)。]

《息しつつある背後者回路》 - [《世界アニマ》 - [#《私》《世界アニマ》から《求める思いこみ》を感じるということは、《私》《知られつつある世界》から《私》《知りつつあるモノ》の背後に噴出するモノを感じることである。・・しかし、それは《知った思いこみ》であって、《世界アニマ》《求める思いこみ》ではない、のではないか? まあ、よくわからぬが、当分の間は、《世界アニマ》からの噴出《知りつつあるモノ》《背後者》《動きつつあるモノ》《息しつつあるモノ》という経路で感じ続けることにしよう。][#誰が現れるかは、カオス的な「《世界アニマ》《背後者回路》」によって決まる。だいたい予想可能でもあるし、予想不可能でもある。《身近な人びと》がどのような《他者のコトバ》噴出するかは、予想不可能でもあるし、たいだい予想可能でもある。カオス的な「《世界アニマ》《背後者回路》」によって決まる。《世界アニマの背後者回路》はカオス的である。徴候が在る場合もあるし、無い場合もある。]]

《輪郭》 - [《私》 - [#《私》多次元輪郭空間の中にあって、体外感覚、体内感覚、背後者感覚によって《知られつつあるモノ》である。]]

《浄化球》 - [#前方:《知られつつあるモノ》、上方:《知った思いこみ》、後方:《求める思いこみ》、下方:《動きつつあるモノ》《動き》の4点循環。下方は毒ガスの吹き出す河原の様だ。]

『仁』 - [《共振しつつあるモノ》 - [ゴミ箱2005-10 - [#たけ(tk)の4象限は、《知りつつあるモノ》《知られつつあるモノ》《共振しつつある身体》《共振しつつある世界》の4個だな。まだ、大きいモノが抜けている可能性がある。これは基本的にモノと魂の世界であり、アニミズム世界なのだ。《ヒトの群れ》への復帰のためにはそれを越えたモノが必要になる。《思いこみの共有》だろうか? 仁義礼智信・格物〜平天下だろうか? 《ヒトの群れ》への諦観だろうか? シュトラウス主義(絶対奴隷主−賢人奴隷−家畜)だろうか? 「目的状況の中にある」とすれば仁義礼智信・格物〜平天下に成るのではないか?]]]

キーワード - [## 《混濁の世界》《知られつつある世界》]

虚数の主観的意味 - [(5)ところが、私の《背後者》は私の《我》によって知られつつある世界の中には存在しない。]

ゴミ箱2006-06 - [#観察されたモノとしての《私》、と、観察しつつある《私》《知りつつあるモノ》としての《私》《知られつつあるモノ》としての《私》。《知りつつある私》と《知られつつある私》。] 自己言及的なモノ - [#《知られつつある私》と《知りつつある私》とでは異なるのではないか?]

《知りつつある混濁》 - [#《知りつつあるモノ》《知りつつあるモノ》自身を、世界の中に、すなわち《知られつつある世界》のなかに発見することはできない。すなわち、《知りつつあるモノ》《知りつつあるモノ》自身を直接に知ることはできない。]

《動き》の4点循環 - [##→《知られつつある世界》《動き》]

《他者のアニマ》 - [#モノ《知りつつあるモノ》であり、そのモノ世界《知りつつあるモノ》であり、そのモノ世界の中の《私》《知りつつあるモノ》であり、『そのモノ《私》との関係』を《知りつつあるモノ》である。《私》は、《他者のアニマ》の中に、そのモノによって《知られつつあるモノ》としての《私》を見る。そのモノによって《知られつつあるモノ》としての『そのモノ《私》との関係』を見る。]

《共振しつつある宇宙史》 - [#《近傍物理空間》という《知られつつある世界》の先に想定されたモノとしての《宇宙史》。]

ゴミ箱2006-04 - [##> 《知られつつあるモノ》としての《身体》から、]

《背後者としての他者》 - [#《撹乱されつつあるモノ》によって《知られつつある世界》を《他者の世界》と呼ぶ。]

《撹乱されつつあるモノ》 - [#《他者の世界》は《撹乱されつつあるモノ》によって《知られつつある世界》である。]

《知られつつある世界》 - [キーワード《知られつつある世界》] デカルトの《我》は検証可能か? - [##(5)ところが、私の《背後者》は私の《我》によって知られつつある世界の中には存在しない。] 《群れつつある混濁》 - [##「『私』として《知られつつあるモノ》への《知った思いこみ》」が噴出する。]

《繋がりつつある混濁》 - [#《知られつつある私》《私》《知りつつあるモノ》《知られつつあるモノ》であり、《他者》《知られつつあるモノ》である。]

《個体間関係》 - [《個体間関係》《知られつつある私》]

《頭上の混濁》 - [《浄化球》 - [#《過去》へ噴出する《知られつつある世界》《近傍物理空間》だけではない。《体内感覚世界》の感覚や《思いこみ》《頭上の混濁》も《過去》へ噴出する。]]

《知られつつある私》 - [キーワード《知られつつある私》]

《他者の群れ》 - [#《他者の群れ》《私》にとっての《知られつつある世界》としての《ヒトの群れ》か?]

《ヒトの群れのアニマ》 - [#《過去》というのは《私》によって《知られつつある世界》記憶の総体を言う。]

虚数軸の世界 - [《背後者世界》《知られつつある世界》《知りつつあるモノ》の背後にある世界である。《知られつつある世界》をプラスの実数の距離の世界(極座標系)とするなら、《背後者世界》《知りつつあるモノ》から見てマイナスの距離世界、数学的に整理するなら虚数の距離世界(極座標系)である。すなわち、そこに直交座標を想定するなら、《背後者世界》は、その座標軸が虚数であるような世界である。これを虚数軸の世界という。]

8次元時空 - [#とすると、《知られつつある世界》の距離は、《思いこみの世界》だから実数の距離であって、《背後者世界》の距離は、《モノの世界》の距離だから虚数の距離だということになる。]

《疑いつつあるモノ》 - [#感覚への感覚こそが感覚である?? 《体内感覚世界》への感覚こそが感覚である? 対自的感覚? 感覚への《見通し》のことのようだ。《知られつつあるモノ》としての感覚。「私において感覺すると稱せられること」なのね。]

ゴミ箱2005-12 - [#「世界」の商品化、《知りつつあるモノ》の商品化、《息しつつあるモノ》の商品化。《混濁》の商品化。《知られつつある世界》の商品化。]

ゴミ箱2005-10 - [#たけ(tk)の4象限は、《知りつつあるモノ》《知られつつあるモノ》《共振しつつある身体》《共振しつつある世界》の4個だな。まだ、大きいモノが抜けている可能性がある。これは基本的にモノと魂の世界であり、アニミズム世界なのだ。《ヒトの群れ》への復帰のためにはそれを越えたモノが必要になる。《思いこみの共有》だろうか? 仁義礼智信・格物〜平天下だろうか? 《ヒトの群れ》への諦観だろうか? シュトラウス主義(絶対奴隷主−賢人奴隷−家畜)だろうか? 「目的状況の中にある」とすれば仁義礼智信・格物〜平天下に成るのではないか?]

《混濁の噴出》 - [#《背後者》から《混濁》への噴出《混濁》から《知られつつある世界》への噴出。]

ゴミ箱2005-08 - [#我々の《知られつつある世界》は脳現象の噴出である、と知ることが涅槃なのか?]

《状況の噴出》 - [《状況の噴出》とは、《知られつつある世界》の中への噴出であり、それが《状況》兆候であるようなモノである。]

ウウフン - [噴出《私》《知られつつある世界》への噴出。]

《疑いつつあるモノ》から《混濁》へ - [#しかし、《疑わしいモノどもを不断に生成しつつあるモノ》としての《混濁》は直ちに対立物を発見するだろう。《疑わしいモノどもを不断に生成しつつあるモノ》は《知られつつあるモノ》である。したがって《疑わしいモノどもを不断に生成しつつあるモノ》を《知りつつあるモノ》が対立物として現れる。]

《混濁》への見通し - [《混濁》は現れ来たモノである。そしてそれは《知られつつあるモノ》である。]

《混濁の世界》の《認識限界》と《背後者》 - [《混濁の世界》《思いこみ》《近傍物理空間》《他者》《身体》に分かれる。それらは《知りつつあるモノ》によって《知られつつあるモノ》である。《知りつつあるモノ》《近傍物理空間》などを直接に知ることができる。しかし、そこには《認識限界》がある。]

ゴミ箱2005-06 - [#《近傍物理空間》の中に、ある、と言っても、矛盾しない。極めて微小なので、感覚的に直接に知ることはできないが、感覚的に知ることができるモノたちの内部を拡大していったなら、原子核というサブシステムを見いだすことができる、と考えても、現に知られつつあるモノたちの世界と矛盾しない。]

《知りつつある身体》 - [#拡散した《知りつつあるモノ》《身体》外に出ることはなさそうであるが、「モノの内部に入り込直観」においては、《身体》の外部に出るということにもなるかもしれない。「モノの内部に入り込直観」といっても、《知りつつあるモノ》入り込むわけではないだろう。《知られつつあるモノ》《知られつつあるモノ》の場所で知ること、って、知るモノはどこにある? よう分からぬ。後で考えよう。]

ゴミ箱2005-02 - [《知られつつあるモノ》として捉えられた《宇宙史》《私》《他者》《ヒトの群れ》への見通しを、《私》動きとの関係で捉えなおすこと、これが状況への見通し、であろう。]

《息しつつあるモノ》による再構成 - [しかし、不思議なことに《知りつつあるモノ》が眠った状態になっても《知られつつある世界》はそのままである。すなわち《混濁の世界》は知られつつある状態のままである。]

《背後者》への見通し - [* 《めまい》の原因は激しい頭痛だったのだが、その後も頭痛はなかなかやまない。頭痛の原因《背後者》への見通し自体というより、《背後者》見通した結果、《背後者》と普通に《知られつつある世界》の間の壁が強固になり、《思いこみ》の自然な流れが疎外されたためのようにも見えてきた。壁を透明化して《思いこみ》の自然な流れを再開させる必要があるかもしれない。2005-03-01(火)]

《同質者公理》による再構成 - [#体内感覚によって《知られつつあるモノ》としての《身体》]

現象学 - [フッサールの用語では《知りつつあるモノ》はノエシス(知覚しつつある作用)、《知られつつある世界》はノエマ(知覚されつつある対象)の総体、となるらしい。]

'知られつつある'を含むページは全709ページ中、140ページ見つかりました。

Last modified:2017/07/05 20:41:32
Keyword(s):
References:[《混濁の世界》] [《混濁の分離》]