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《他者のコトバ》への見通し

《たけ(tk)の思いこみ》《他者のコトバ》への見通し

《他者》の《他者》たる由縁は《共振しつつある身体》の先にある:

《共振しつつある身体》《知りつつあるモノ》にとっては背後者世界に属するモノである。

《混濁》から始まる考察において、《近傍物理空間》の中に現れる《他者》は、《近傍物理空間》中の他のモノとの差異を持たない。《近傍物理空間》に現れる《他者》は、《他者》《他者》たる由縁となるものを持たない。《他者》が他のモノに対して差異を持つのは、《知りつつあるモノ》を背後から撹乱するが故にである。

《他者》《知りつつあるモノ》を撹乱するのは何らかの《ちから》《他者》から《知りつつあるモノ》へ伝達されるからである。その伝達経路を見通していくと、《知りつつあるモノの背後者》の先に《共振しつつある身体》を見つける。《他者》はその《共振しつつある身体》の先にあって、何らかの《ちから》《共振しつつある身体》に伝達しているのである。

《共振しつつある世界》への見通し

《共振しつつある身体》の先にあるモノ《共振しつつある世界》である。《他者》《共振しつつある世界》の一部分を占める共振しつつある《他者の身体》として現れる。

《共振しつつある身体》《共振しつつある世界》の全体と共振しあっている。《共振しつつある世界》の中にあるモノはすべて、《共振しつつある身体》共振している。《共振しつつある身体》共振するものは《他者の身体》に限らない。

《共振しつつある世界》への見通しは、

  1. 《近傍物理空間》《共振しつつある身体》との共振関係において観察すること。《近傍物理空間》《身体》は前面世界にあり、《共振しつつある世界》《共振しつつある身体》とは《背後者世界》にある。背後者世界と前面世界との対応関係を観察するということ。
  2. 共振関係によって《共振しつつある身体》の内部に生じる《思いこみ》を観察すること。前面世界《近傍物理空間》での状況が、背後者世界での《共振しつつある身体》の中に《思いこみ》を生じさせることを観察すること。
  3. 共振関係によって《共振しつつある身体》に生じた《思いこみ》見通しを妨げるので、その《思いこみ》《息しつつあるモノ》を通じて噴出させること。《息しつつあるモノ》は背後者世界《思いこみ》《近傍物理空間》へと噴出して、背後者世界を浄化する。
  4. 《知りつつあるモノ》《背後者》への見通しへの先に《共振しつつある身体》への見通しを得、さらに
  5. 《共振しつつある身体》への見通しの先に《共振しつつある世界》への見通しを得ることである。

《他者のコトバ》への見通し

《共振しつつある身体》共振によって《思いこみ》を内部に生じる。《共振しつつある世界》から《共振しつつある身体》へと《思いこみ》が伝達されたと見てよいであろう。《共振しつつある世界》から《私》《身体》のなかに《思いこみ》を伝達させる《思いこみ》の容器を《他者のコトバ》と呼ぶ。

* 《思いこみ》の相互伝達を対話と呼ぶ。

《共振しつつある世界》《他者のコトバ》世界である。

《他者のコトバ》の視点で《共振しつつある世界》の要素を分類すると、モノヒトの身体とメディアに分類される。 《他者のコトバ》には、

  1. モノが発する《コトバ》と、
  2. ヒトの身体が発する《コトバ》と、
  3. メディアが発する《コトバ》とがある。

メディアの《コトバ》とは、おそらくはヒト《思いこみ》を伝達する意図でモノに何らかの仕掛けを施したものである。看板の文字、書籍の文字、写真、テレビ放送、などなど。メディアの《コトバ》に対しては、対話がかなり難しい(実は可能であることが多いが、それば、発信者に対する伝達が可能である場合に限られる。Webサイトであれ、駅の看板であれ、発信者を捜し出せば対話は可能である、が難しい。電話や手紙、インターネットメールもメディアの《コトバ》である、が、これらは、対話を可能にするためのメディアである、が、スパムメール、詐欺メールのように、対話が困難であるもの・危険であるものもある)。

ヒトの身体が発する《コトバ》は、言語的な《コトバ》と、モノ的な《コトバ》とがある。メディアが発する《コトバ》にも、言語的な《コトバ》とモノ的な《コトバ》とがある。映像はモノ的な《コトバ》である。ヒトの身体が発するのモノ的な《コトバ》には、ヒトのしぐさや存在自体がある。《私》《他者》との間では、モノ的な《コトバ》による対話も行われている。

モノが発する《コトバ》はモノ的な《コトバ》である。「タイマグラばあちゃん」(http://www2.odn.ne.jp/ise-film/works/Taimagura/taimagura.htm)。自然物が発する《コトバ》、生き物が発する《コトバ》、生き物だったものが発する《コトバ》、動物の意識(我、自己言及《思いこみ》)が発する《コトバ》、身体が発する《コトバ》、人工物が発する《コトバ》。モノとの対話は楽しい。

ヒトが発する《コトバ》は、広い意味では、

  1. モノとしての《他者の身体》《近傍物理空間》の中にある場合に、その《他者の身体》が発する《コトバ》と、
  2. モノとしての《他者の身体》《近傍物理空間》の中にない場合に、メディアを経由して受けとる《コトバ》とがある。ヒトが発してメディアを通じて伝えられるコトバは、メディアの先ではヒトの身体がメディアに対して発したコトバであろう。

対話可能なメディアと、対話が困難なメディアとがある。対話可能なメディアの《コトバ》は、ヒトの身体が発する《コトバ》に近い性質を持つ。ヒトの身体が発する《コトバ》でも、対話が困難なモノがある。演劇や演説などである。テレビは、あたかも、対話可能であるような錯覚をもたらす。というか、ヒトの身体が発する《コトバ》であるかのような錯覚をもたらす。テレビヒトの身体の代わりになるという錯覚は危険である。子どもをテレビで育てれば、ヒトとの交流の喜びを知らない子どもになるであろう。

どもあれ、メディアが発する《コトバ》は、ヒトの身体が発した《コトバ》がメディアに載せられて届いたものである。その意味では、ヒトの身体が発する《コトバ》と共通性を持つ。が、ヒトの身体から直接発せられたコトバに対して、

  1. より意図的である点、
  2. 複数のヒトの意図が含まれている可能性があること、
  3. 加工されている可能性があること、
  4. 断片的であること、
  5. 対話不能の場合が多いこと、
  6. 受動的であること、もしくは、
  7. 逆に、受取側で再生可能・加工可能であること、

などの点で生のヒトの身体が発する《コトバ》とは性格が異なる。


意図的であることは、騙しの可能性が高いことを意味する。もちろん生身のヒトの身体が発するコトバの場合でも、ウソである可能性がある。ウソとは? 発語者の真意や発語者が伝えた事実について誤ったイメージを生じさせる《コトバ》を意味する。

ウソは《思いこみの共有》で問題となる。

ウソかどうかの判定は難しい。意図的に誤解を生じさせるように、表面的には事実・真実を伝えた場合にはどうか? 相手がウソを見抜いて正しい認識を与えた場合はどうか? 本気でウソを信じていたヒトの《コトバ》はウソか? 《たけ(tk)の思いこみ》が読み手に伝わらなかったときには、ウソをついたことになるのか? そもそも、真意は分かるのか?

ヒトが発する《コトバ》によって、ヒトは、《他者の思いこみ》を知る。と言えるかどうかが問題。


ともあれ、ヒトが発する《コトバ》によって、ヒトは、《他者の思いこみ》を知る。

《他者のコトバ》《私》《身体》の中に『彼はxxと思っている』という《思いこみ》を生じさせる。『彼はxxと思っている』というのは《私》《身体》の中に生じた《私》《思いこみ》である。対話が可能である場合には、対話を通じて、その《思いこみ》が正しいかどうかを確認することができる。その《思いこみ》を前提として《私》が《彼》に何らかのコトバを投げかけ、それに対する応答が、《私》の理解した《思いこみ》に合致するものであれば、《私》《私》《思いこみ》が正しいが確信する。(もちろん、それが誤りであることや、騙されていたことが後で判明する場合もある)。対話が不可能である場合には、コトバの内容から彼の《思いこみ》を推定するほかない。

《他者の思いこみ》《他者のコトバ》を通じて《私》に伝達される。

《私》は、《私》が理解したところの『彼はxxと思っている』という《私の思いこみ》を知ることを通じて、《他者の思いこみ》を知る。

次は

次は: 前は:《同質者公理》による再構成 上は:《たけ(tk)の思いこみ》

Last modified:2005/04/24 22:27:34
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