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《他者のアニマ》

キーワード《他者のアニマ》

定義

《私》との《繋がり》における《ヒトのアニマ》《他者のアニマ》という。

《他者のアニマ》とは《私》との関係における《他者》に内在する《アニマ》

《私》の主観的意味としての《他者》《アニマ》

  1. それ自体としての《他者》《アニマ》については、《ヒトのアニマ》、《モノアニマ》、《アニマ》に記述すること。

区別

《他者のアニマ》と不可観測性

  1. 主観的世界における「観測」とは? 普遍的命題として記述すること?。 仮言命題? 
  2. 科学的命題は仮言命題か? 「ここに酸素と水素の混合気体があるとして、マッチで火をつけると、爆発する」というのは仮言命題だな。「或るモノxxがここにあるなら、それはxxという性質を有する」というのも仮言命題。対象物があることを前提としない命題の集まりだ。
  3. 地図は仮言命題か? 「もしも、ここが地図上のこの点であるとするなら、ここから、この方向に行けばxxがあるはずだ」という仮言命題だ。
  4. 知識は仮言命題である。知識は、その知識で語られているモノがなければ意味がない。
  5. 科学は(一般に知識は)、それだけでは、いつまでたってもモノにたどり着かない仮言命題でしかない。コトバモノとの離存性
  6. 科学の観測、検証はコトバモノとの対応関係の検証。仮言命題と「モノモノとの関係」の対応関係の検証。「原因というモノと結果というモノの関係」、「物質Aというモノと物質Bというモノとの関係」とそれを記述した仮言命題との関係の検証。
  7. 我々の生の世界は、定言命題の世界モノ世界。「ここにコップがある」と記述することができ、そのコトバモノとの関係を検証することもできる。が、それは知識ではない。仮言命題ではないから、科学ではない。歴史的事実の記述は、科学的知識ではない。クオリアは歴史的事実に属する。《あの時・あの場所の・あのヒト》がxxというクオリアを感じた、というのは歴史的事実に属する。歴史的事実は科学ではない。
  8. 我々の生の世界は、歴史的事実の世界であって、科学世界ではない。
  9. ヒト《他者のアニマ》を感じる」というのは仮言命題であり、科学的命題であり得る。検証可能性はあるか? 「《他者》は別の《他者》と出会った時に、《他者のアニマ》を感じる」という命題は検証可能か? 我々は「《他者》がxxを感じる」ということを感じることができる。我々はyyを感じる、ということが検証の前提であり、全てではないのか? ヒトによっては、感じない、と言う。しかし、化学の実験を見て、「見えない」というヒトが居るのと同じではないか? 鈍感なヒトが否定する場合がある、なら、検証が失敗する、というのでは、科学のすべての命題は検証に失敗するだろう。科学者集団の仲間うちで「検証できた」という合意が成立すれば、「検証された」というのでは、単なる(実際には検証されていない)《思いこみ》の共有でしかない。
  10. 科学は、実験室と工場で利用可能な知識である。科学は、生の世界においてはつかえない知識である。
  11. 問題は知識信仰、《科学信仰》のほうなのだ。信仰は生の世界見失わせる阿片である。ヒトは阿片と暴力によって奴隷化される。うーむ、脳内麻薬。脳細胞を脳内麻薬によって奴隷化することによって、我々の脳は成立しているのかもしれない。科学者は《ヒトの群れの麻薬》の製造業者である。
  12. まあ、はっきりいって、たけ(tk)科学には興味がない。というか、興味はあるが、期待していない。
  13. 《他者》の意識の不可観測性。
  14. 本当に不可観測的なのか? 我々は物体に色を感じるように、《他者》《他者のアニマ》を感じる。
  15. 我々は物体の色は観測可能である、と、言う? 色のクオリアは数値化不可能である、とも言う。色はプリズムで分解することができる、数値化することができる。色覚細胞を観察することができる。色覚細胞がどの波長に反応するかを調べることができる。ミラーニューロンを観察することができる、ミラニューロンが《他者》に反応することを調べることができる。
  16. しかし、《他者》の色のクオリアも、《他者のアニマ》クオリアも、観察することができない。観察ができないのだから解釈が可能なだけである。
  17. しかし、我々には、解釈が必要なのではないか? 解釈はいろいろあっても構わない。可能な解釈の中から、我々にとって有用な解釈を選べばよい。
  18. 残念ながら、科学は、リンゴの実が何時落ちはじめるかを正確に予測することができない。リンゴの樹の内部状態を調べれば、リンゴの樹に人間が作用を加えることになるだろう。調査して、正確に内部状態を把握したとしても、予測は確率的にしかできないだろう。
  19. 科学は、後追いの説明を可能にするだけである。
  20. しかし、科学はその程度の「予測可能性」で満足する。後追いの説明ができれば、科学的な説明としては十分なのである。
  21. 問題は、我々が感じたクオリアを、万人が納得し、理解し、イメージの中で再現し、自らの体験で追試できるように記述することができない、ということのほうだろう。
  22. 記述可能であれば、追試によって検証可能な科学的命題にしていくことができる。
  23. うむ。科学は、実験室や、管理された工場では予測可能性を提供する。
  24. 科学は、我々の主観的世界の中の日常生活においては、予測可能性に貢献しない。
  25. 《他者》の主観的世界を観測できない、という点では、素粒子の不可観測性と同じだ。
  26. 《健常者》は平然と、自信をもって、しかもおそらく適確に、《他者のアニマ》を観察している。本当に不可観測的なのか? 我々だって、MLでの対話において、平然と《他者のアニマ》=発言意図=を観察している。本当に不可観測的なのか?
  27. 農家であれば、後何日後に収穫時期を迎えるかを適確に予測している。
  28. リンゴの落ちる時期も、「あのリンゴは今週中には落ちるだろう」というような予測はできる(だろう)。
  29. 《他者》が怒っているから、ここは刺激しないほうがよい、とかいう、予測は、あたっていることが多いのではないか。(たけ(tk)は、苦手だが・・)。

《他者からのクオリア》と《他者のアニマ》

  1. 《私》が感じる《私》から《他者》へのクオリア(《他者へのクオリア》)、《私》が感じる《他者》から《私》へのクオリア(《他者からのクオリア》)、《他者》が感じる《他者》が有しているクオリア
  2. 《他者》《私》に対する《求める思いこみ》であろう。《他者》《私》に『異常な行動をしないで欲しい』という《求める思いこみ》であろう。

《他者のアニマ》《混濁しつつあるモノ》

  1. 《他者》は、毅然として、理路整然に、コトバを語る。コトバを聞くかぎり、彼が混濁しているようには見えない。しかし、よくよく聞いてみれば、その言葉には、彼の《見通し》が見えない。おそらく、彼は、根本において、混濁しているのである。
  2. 《他者》は、混濁しているが故に、動くことができるのである。彼の《見通し》は、彼の《求める思いこみ》と混然とした状態にあり、彼が何かを見つければ、彼は動くことができる。彼が見つけるのは、彼の《動き》に関係がある事象である。彼に《見通し》は、彼の《動き》と繋がっている。
  3. 《動き》と連結した《見通し》《混濁》か?
  4. 《動き》との連結によって加工された《知りつつあるモノ》《混濁しつつあるモノ》か? ステレオタイプ《知りつつあるモノ》《混濁しつつあるモノ》か? 《ステレオタイプに知りつつあるモノ》。
  5. ヒトは、《思いこみ》によって《動き》を獲得し、《視点》を失う。
  6. ヒトは、疑いによって《視点》を獲得し、《動き》を失う。・・拘禁反応と逆のようだが、ヒト《動き》を失うことによって、世界(への《視点》)を失う。というのが拘禁反応。禅定や瞑想は、動かないことへの選択であり、《動き》に伴う《視点》を取り去ることで、新たな《視点》を獲得する《動き》である。

《他者のアニマ》メディアの向こうのヒト

  1. メディアの向うのヒト《他者》か?
  2. メディアの向うのヒト《アニマ》《他者のアニマ》か?
  3. メディアアニマ》はメディアの向こうの人の《アニマ》兆候である。兆候《浄化》による《見通し》世界においては、メディアの向こうのヒト《他者》である。

《他者のアニマ》《世界アニマ》

  1. 《他者のアニマ》《世界アニマ》を構成するモノたちの《アニマ》を言う。
  2. テレビ《世界アニマ》を写し出しているように見える。が、これは《思いこみ》である。検証できない《思いこみ》は疑うべきである。検証可能な《私》世界《世界アニマ》とは似ても似つかない、奇妙な『世界アニマ』の《思いこみ》をもたらす。否、良く似ているが、根本的に、何かが違う『世界アニマ』を写し出している。送信者の《ヒトの思いこみ》のフィルターによって汚され、歪められた《世界アニマ》を写し出している。
  3. 《世界アニマ》《ヒトの思いこみ》によって、歪められ、汚される。

コトバ《アニマ》メディア《アニマ》《他者のアニマ》

  1. コトバ《アニマ》は、あるか? 文字や映像によって《私》《アニマ》を感じる。それは、文字や映像を作り出したヒト《アニマ》であろう。しかし、それを作り出したヒトは、《私》世界の中にはない。《私》世界にあるのは文字であり、映像であり、文字が書かれている本やコンピュータ、映像を写しだしているテレビや看板である。
  2. メディアアニマ》? メディアはそれ自体としてはモノとしての《アニマ》しかもっていない。《私》メディアに対してモノとしての《アニマ》以上のもの、というか、モノとしての《アニマ》は無視して、そこに含まれているヒト《アニマ》を感じ取る。
  3. メディアアニマ》、《コトバアニマ》は《他者のアニマ》か?
  4. コトバモノの形である。コトバモノAの中の《思いこみ》を別のモノBに伝達するモノCの形である。A,B,Cは同一のモノであってもよい。モノCをメディアという。コトバモノの形であり、メディアはその形を持つモノである。
  5. メディアアニマ》はメディアというモノ《アニマ》ではなく、そのモノCの形が伝達する、別のモノAの《思いこみ》である。
  6. メディアCの《メディアアニマ》は、伝達元のモノAの《アニマ》そのものではない。モノAの《アニマ》の一部分が切り出され、加工され、歪められて、メディアCの《メディアアニマ》となる。
  7. メディアアニマ》は歪められた《ヒトのアニマ》である。
  8. 《私》《他者》から直接受け取る《アニマ》は、《他者の身体》というメディアの《メディアアニマ》である。
  9. 《私》《他者》から《他者のアニマ》を直接感じ取るわけではない。しかし、《私》《他者》との《繋がり》において、《私》が感じ取った『他者のアニマ』を検証し、確信するようになる。
  10. メディアから受け取る《メディアアニマ》は、《繋がり》が一方向的であるので、検証することができない。

《他者のアニマ》《ヒトのアニマ》

  1. 《ヒトのアニマ》は、《モノアニマ》や《イキモノアニマ》などの対比での概念。存在概念。《他者のアニマ》《私》『なすべきこと』との関係における、《私》《状況》の中にあるモノ《アニマ》
  2. 《他者のアニマ》《ヒトのアニマ》と《モノアニマ》とに分かれる。《モノアニマ》は広義には《ヒトのアニマ》を含むが、狭義には《ヒトのアニマ》以外の《アニマ》を言う。
  3. 《ヒトのアニマ》とは、《他者のアニマ》のうちで、そのモノヒトであるようなモノ《アニマ》を言う。

『なすべきこと』《他者のアニマ》

  1. 《私》『なすべきこと』は、《私》にそれを生じさせたモノ《他者のアニマ》の中に在る。
  2. 《私》モノを知ることによって『なすべきこと』《思いこみ》を持つ。
  3. 《私》『なすべきこと』《思いこみ》《浄化》すると、《私》『なすべきこと』が、それを生じさせたモノから噴出していることがわかる。
  4. 《私》『なすべきこと』は、《私》モノとの間の相互作用の中にある。
  5. モノ《知りつつあるモノ》であり、そのモノ世界《知りつつあるモノ》であり、そのモノ世界の中の《私》《知りつつあるモノ》であり、『そのモノ《私》との関係』を《知りつつあるモノ》である。《私》は、《他者のアニマ》の中に、そのモノによって《知られつつあるモノ》としての《私》を見る。そのモノによって《知られつつあるモノ》としての『そのモノ《私》との関係』を見る。

《他者のアニマ》とイラショナル・ビリーフ、→《ヒトのアニマ》

  1. http://saido.at.infoseek.co.jp/irrationalbelief.html
    1. イラショナル・ビリーフをつくりあげる原因
      1. 誕生後今日までの間に、他者に暗示にかけられてしまったからである。いわく、「離婚はよくない」「反抗児になるべきでない」「男の饒舌は見にくいもの」、このように借りものの価値観をあたかも自分本来の価値観であるかのように思い込まされている。これが諸悪の根源である。エリスは借りもののイラショナル・ビリーフを捨てて、ラショナル・ビリーフを取り入れよと説く。
      2. イラショナル・ビリーフのとりこになる第2の原因は、「ねばならない」と「かくあってほしい」を混乱させるからである。願望と事実を識別しないからである。
        1. たとえば、「私は人に好かれない」と悩んでいる人がいる。「私は人に好かれるべきである」という前提がそこにはある。「べき」であるのに「べき」のとおりになっていない、という不満がある。好かれるにこしたことはない。しかし、好かれなければ世も末というものではない。好かれることは人生の不可欠必要事ではない。論理療法では、願望の世界と現実の世界の識別を説く。イラショナル・ビリーフは願望の世界がそのまま現実の世界であるはずだという幼児性に基づいている。したがってイラショナル・ビリーフを粉砕することは、現実直視の姿勢を養うことともいえる。
      3. イラショナル・ビリーフの第3の原因は、持ち越し苦労である。過去へのとらわれである。後悔である。たとえば、「子どもを生むべきではなかった」「結婚すべきでなかった」「大学を中退すべきではなかった」「離婚すべきではなかった」と何回も心の中で繰り返すことである。いくら繰り返したところで、事実の世界に何の変化も起こらない。こういう繰り返しは感情発散にすぎない。感情発散しても事実は変わらない。変わらないことをしても意味がない。
        1. ではどうしたらよいのか。それは将来同じあやまちをおかさないためにはどうしたらよいかを考えることである。試行錯誤があるから人間は変容するのである。論理療法には後悔がない。将来を目指して今をどう生きるかを考える。
      4. イラショナル・ビリーフの第4の原因して、自己主張のおそれがある。他者の反応を気にして言うべきことが言えず、したいことができない。そこで「……だからしない方がよい」と考える。「……」の部分は推論であって、事実ではない。「たぶん……であろう」という推論をあたかも事実のように扱っている。事実を知るためには、自分を現実に打ち出してみて、その結果をみなければならない。「あの人はこわい」というが「こわい人だと推論している」場合が多い。自分を打ち出して事実をつかまねばならない。
    2. 論理療法では、人生の苦悩はイラショナル・ビリーフつまり事実に基づかない前提、あるいは論理的必然性のない前提を心に秘めていることに起因すると考える。そして、このおかしな前提は後天的な経験の結果である。

《他者のアニマ》エニアグラム

  1. http://saido.at.infoseek.co.jp/enneagram.html
    1. エニアグラムとは
    2.  エニアグラムの起源は今から2000年前のアフガニスタンに発するといわれる。エニアグラムは秘伝として、スーフィーの指導者たちに受けつがれて現代にいたる。エニアグラムの主要な目的は、自分の性格とタイプを発見し、自分が何者であるかを悟り、人格的自由へ導くもの。
    3.  「エニアグラム」という言葉は、ギリシャ語の「エネア」、つまり「9」を語源としている。人間は9つのタイプのいずれかに属するというのが基本である。
    4. エニアグラム 各タイプの特徴と囚われ
      1. タイプ1
        1. 何事においても完璧を期し、公正と正義を心がけます。心の中に怒りを秘めていますが、人には見せません。
        2. ☆基本的な姿勢 −改革する人
        3. ☆健全な自己感覚− 私は理性的である
        4. ☆間違った自己概念− 完全である
        5. ☆陥りやすいこと− 義務感にとらわれすぎる
        6. ☆避けていること− 怒りを避ける
      2. タイプ2
        1. 親切で、困ったり悩む人には手を差しのべないではいられません。しかし好意に対し礼を言わないとイライラして怒りだしたりします。
        2. ☆基本的な姿勢 −人を助ける人
        3. ☆健全な自己感覚− 私は愛情にあふれている
        4. ☆間違った自己概念 −必要とされている
        5. ☆陥りやすいこと− あまりに善意を押し出す
        6. ☆避けていること− 自分の必要を認めない
      3. タイプ3
        1. 成功することが最も好きで、成功のためには手段を選びません。リーダーになったり組織したり、大勢の人といることを好みます。
        2. ☆基本的な姿勢− 動機づける人
        3. ☆健全な自己感覚− 私は望ましい
        4. ☆間違った自己概念 −成功している
        5. ☆陥りやすいこと− あまりに競争したがる
        6. ☆避けていること −失敗を避ける
      4. タイプ4
        1. ユニークで創造的、独創的。感動を大切にします。芸術的で行動的でもあり、人と同じということを嫌います。
        2. ☆基本的な姿勢−芸術家
        3. ☆健全な自己感覚 −私は感受性が鋭い
        4. ☆間違った自己概念 −特別である
        5. ☆陥りやすいこと −空想に身をゆだねる
        6. ☆避けていること −平凡を避ける
      5. タイプ5
        1. 賢く、慎重で自分を知っています。いろんなことを調べる学者タイプで、情報を重視して、事を進めようとします。
        2. ☆基本的な姿勢 −考える人
        3. ☆健全な自己感覚− 私は博識である
        4. ☆間違った自己概念− 物事の全てを知っている
        5. ☆陥りやすいこと −あまりにも分析したがる
        6. ☆避けていること− 空虚さから逃れたい
      6. タイプ6
        1. 何事に対しても忠実、誠実な人。規則や規範を尊び、常にそれに沿って行動しようとします。少し臆病なところがあります。
        2. ☆基本的な姿勢− 忠実な人
        3. ☆健全な自己感覚− 私は好ましい
        4. ☆間違った自己概念 −責任をもって果たす
        5. ☆陥りやすいこと −あまりに依存的になる
        6. ☆避けていること− 逸脱を嫌う
      7. タイプ7
        1. 苦しみを回避しようとします。苦しい時でも将来を楽観的に考え、いつも明るく陽気にふるまい、やや落ち着きに欠けます。
        2. ☆基本的な姿勢− 万能選手
        3. ☆健全な自己感覚 −私は幸せである
        4. ☆間違った自己概念 −楽しく生きる
        5. ☆陥りやすいこと −あまりに物を欲しがる
        6. ☆避けていること −苦しみを避ける
      8. タイプ8
        1. 自己主張が強く、絶対的な力を信じ、その力によって皆を動かすことを好みます。
        2. ☆基本的な姿勢− 統率者
        3. ☆健全な自己感覚− 私には力がある
        4. ☆間違った自己概念 −コントロールする
        5. ☆陥りやすいこと− 自信過剰になる
        6. ☆避けていること− 弱さを認めない
      9. タイプ9
        1. どっしり構えるピースメーカーで平和を愛する人。人と争うのが大嫌いなので、周囲は穏やかになります。面倒なことを回避する傾向があります。
        2. ☆基本的な姿勢 −調停者
        3. ☆健全な自己感覚 −私は平和を好む
        4. ☆間違った自己概念 −角が立たないよう調和する
        5. ☆陥りやすいこと− あまりに迎合的になる
        6. ☆避けていること− 葛藤を避ける
  2. 自己分析もよいけれど、《他者のアニマ》の分析にも必要。

《他者のアニマ》《混濁》

  1. 《他者のアニマ》《浄化球》による世界《透明化》によって見えてきたモノである。
  2. 《他者のアニマ》《他者のコトバ》の発生源である。《他者のコトバ》の発生源は、混濁した状態では《世界アニマ》であるが、それが透明化された状態では《他者のアニマ》が現れる。
  3. 《他者のアニマ》《共振しつつある世界》モノたちの《アニマ》である。《ヒトのアニマ》であるとは限らない。広義の《他者》《アニマ》である。
  4. 《他者のアニマ》《動きつつあるモノ》《共振しつつあるモノ》である。
  5. 《他者のアニマ》《ヒトのアニマ》と《モノアニマ》とに分かれる。《モノアニマ》は広義には《ヒトのアニマ》を含むが、狭義には《ヒトのアニマ》以外の《アニマ》を言う。

《浄化球》 - [《浄化球》《他者のアニマ》《ヒトのアニマ》]

『現実』 - [#『現実』《他者》《アニマ》の一部である。《他者のアニマ》《他者の思いこみ》。]

《他者の思いこみ》 - [#《他者の思いこみ》《他者》というモノに内在する《思いこみ》であるから、《他者》《アニマ》である。《他者のアニマ》。]

《アニマ》 - [#《他者の思いこみ》《他者》というモノに内在する《思いこみ》であるから、《他者》《アニマ》である。] 《浄化球》 - [#《他者》《アニマ》《アニマ》を内在するモノとしての《他者》。]

『現実』 - [#『現実』《他者》《アニマ》の一部である。《他者のアニマ》《他者の思いこみ》。]

《他者の思いこみ》 - [#《他者の思いこみ》《他者》というモノに内在する《思いこみ》であるから、《他者》《アニマ》である。《他者のアニマ》。]

《たけ(tk)の思いこみ》 - [#《私》は、《私》に内在する《思いこみ》《私》《アニマ》を知り、《私》を取り巻くモノたちの《アニマ》《他者》《アニマ》を知り、その共振関係を見通していかなければならない。その《私》《状況》との関係への見通しの中に、《私》のなすべきことが見いだされるのである。]

《他者の思いこみ》 - [《他者の思いこみ》《他者》アニマ]

アニマ - [#《他者》アニマ《私》アニマとの区別が問題。区別して記述してから、統合して記述すべき。]

Last modified:2006/05/29 00:29:24
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