FrontPage  Index  Search  Changes  wikifarm  Login

《他者》

《他者》に関連する疑問

  1. ヒトたち》と《他者》とはイコールか?
    1. ○:
    2. ×:
      1. 犬や猫、鼠、ゴキブリだって《他者》になる。
      2. ヒトたち》であっても、全く無関係の《ヒトたち》は《他者》ではない。
  1. 処世に置ける法則性、縁起は重要?○:十牛図における帰還。×:ブッダの「出家」は処世からの離脱。

《他者》とは?

  1. 第1の定義:《他者》とは、《混濁》《体外直知時空》《知りつつあるモノ》とに分離した後、《近傍物理空間》に現れたモノのうちで、「その出現によって《知りつつあるモノ》を背後から撹乱する性質を有するモノ」を《他者》と呼ぶ。
    1. 犬だって、《知りつつあるモノ》を撹乱する。その場合は、その犬は《他者》である。
    2. 《近傍物理空間》に現れるモノには、《他者》《身体》と「その他のモノ」とがある。
  1. 第2の定義:《他者》とは、《知りつつあるモノ》の背後にある(はずの)モノのうちの、「その出現によって《知りつつあるモノ》を背後から撹乱する性質を有するモノ」である。この意味での《他者》《共振しつつある他者》と呼ぶ。
    1. 第1の定義においては、《他者》《近傍物理空間》の中のモノであるが、第二の定義においては《他者》《背後者》の中にある。
    2. 《他者》は、《知りつつあるモノ》の前面世界《近傍物理空間》)に出現する、と同時に、《知りつつあるモノ》の背面世界《背後者》《背後者時空》)にも出現する。
    3. 前面世界において、《知りつつあるモノ》《他者》との間には《体内直知時空》がある。((《体内感覚世界》《近傍物理空間》における《身体》の内部の世界であろう))。同様に、背面世界においても、《知りつつあるモノ》《共振しつつある他者》との間には《身体》《共振しつつある身体》)がある(はずである)。
    4. ただし、この時点では、以下の点が未確認である。
      1. (1)本当に、《共振しつつある他者》《共振しつつある身体》は在るのか? 
      2. (2)それらは知ることができるのか? 
      3. (3)「共振」しているのか? 
      4. (4)《背後者》における《共振しつつある他者》《近傍物理空間》における《他者》とは『同じモノ』であるのか。《身体》《共振しつつある身体》とは同じモノなのか?
  1. 第3の定義:《他者》は、《混濁しつつある身体》のまわりの世界《近傍物理空間》《モノの世界》)の中の、「《混濁しつつある身体》以外のモノ」である。
    1. 《知りつつあるモノ》へのこだわりを捨てて、《息しつつあるモノ》へ注目しながら《混濁》に戻ると、《混濁しつつある身体》が現れる。そこにおいては、第2の定義までの諸々の区別が曖昧となり、《身体》《共振しつつある身体》《混濁しつつある身体》となって現れれ、《他者》《混濁しつつある身体》のまわりの《世界》の中のモノたちとして現れる。
    2. 《混濁しつつある身体》は、そのまわりのモノたち(《他者》)と数種類の形態で影響し合い、繋がっている。《知りつつあるモノ》からの《他者》への《まなざし》《他者》からの《私》への《まなざし》《他者》からの《私》への《他者からの思いこみ》《私》からの《他者》へのコトバ《他者》からの《私》へのコトバ《息しつつあるモノ》《混濁しつつある身体》からの《他者》への《実感》《息しつつあるモノ》《実感》する《他者》からの《私》への《共感》などなど。
      1. ★:《混濁しつつある身体》は他の一切のモノたちと共振しつつあるから、一切のモノ《身体》である、という理屈だが、定義を広げすぎだろ。

区別

タシャ・100

  1. 《他者》とは《他者》への憎しみである。《他者》とは《他者》への軽蔑である。《他者》とは《他者》への諦めである。《他者》とは《他者》への怒りである。《他者》とは《他者》への恐怖である。《他者》とは《他者》への悲しみである。《他者》とは《他者》への疎外感である。《他者》とは《他者》への断絶である。《他者》とは《他者》が見えてしまうことへの自己嫌悪である。《他者》とは自己嫌悪である。《他者》とは《外からの視点》における《私》である。《他者》とは《他者》の鏡に映った《私》である。《他者》とは《私》を映す鏡である。
  2. 《他者》とは《私》を映す鏡の《背後者回路》である。《他者》ミラーニューロンが、《私》を映し出すのであろう。《他者》とは鏡の《背後者》である。《他者》とは《鏡の背後者》である。
  3. http://www.amazon.co.jp/鏡の背面-コンラート-ローレンツ/dp/4783502137 ・・ これ、読んだことないな・・。
  4. http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0172.html ・・ かなり詳しく書いてある。
    1.  かくて第8章は「人間の精神」という危険な章になる。ここでローレンツは「文化」にさえ立ち入って、文化の定義を「超個人的システムの個別具体的実現」というふうにする。これはかなりムリがあるところで、案の定、このムリがそのあとの数章にまたがっていく。しかしローレンツが言いたいことがわからないではない。「生きたシステムとしての文化」は、必ず分岐的に発展していくものだということをなんとか説明したいわけなのだ。
    2.  このことを説明するのにローレンツはあまりうまくない。とくに生物学の事例を人間の文化にあてはめるのは、あやしい点が目立っている。そのため、このようなローレンツの主張は、これまでほとんど無視されてきた。しかしながら、ここが肝心なところになるのだが、では、このような問題に立ち向かうときにどうすればよいかという対案など、その後は誰によっても提出されていないのだ。われわれは“このローレンツ”をこそ検討すべきなのである。

《他者》とは、その出現により《知りつつあるモノ》を間接的な《自己言及》関係に陥らせるために、《知りつつあるモノ》を《撹乱しつつあるモノ》である。

  1. 《他者》が《撹乱しつつあるモノ》であるのは、《知りつつあるモノの背後者》にあるからではなく、《知られつつある世界》の中の《他者》の向こう側の《背後者世界》の中の《他者の知りつつあるモノ》が、《知りつつあるモノ》と相互に知りつつある関係に入ることにより、《知りつつあるモノ》に間接的な《自己言及》関係を生じさせるからである。「《他者》の向こう側の《背後者世界》」=《他者の背後者世界》。
  2. 《他者の背後者世界》の中の《他者の知りつつあるモノ》《知りつつあるモノ》との《自己言及》関係が、《撹乱しつつあるモノ》としての《他者》の本質である。
  3. ・・って、やっぱ《背後者》か・・。向こう側の《背後者》とこちら側の《背後者》とは繋がっているのだ。
  4. 《混濁》にとって《自己言及》とはなにか? が先決問題になる。

《他者》とは、或るモノにとっての、そのモノ自身(《私》)以外のモノである。

  1. 《他者》とは、《私》にとっての《私》以外のモノである。
  2. 「xxにとっての」というのは、「《極座標の原点》をxxに置いたときの」を意味する。
  3. 《他者》とは「《極座標の原点》が置かれたモノ以外のモノ」である。《私》とは「《極座標の原点》が置かれたモノ」である。

《他者》とは、《私》との《繋がり》における、《私》以外のモノを言う。(広義の《他者》)。(モノとしての《思いこみ》は除く?)。《私》の外部のモノを言う?

  1. 《他者》には、(1)世界、(2)モノ、(3)ヒトがある。(4)《ヒトの群れ》がある?
  2. 《他者》《ヒトの個体》である場合に、狭義の《他者》という。
  3. 《ヒトの群れ》モノであり、ヒトではない。《ヒトの群れ》《他者》として、すなわち、《私》との《繋がり》において現れるときに、《他者の群れ》という。??

《私》との《繋がり》における《ヒトの個体》《他者》という。

《他者》とは《私》《共振しつつある身体》共振しつつある《外部身体》である。 《他者》は《共振しつつある外部身体》である。

《他者》《求める思いこみ》である。

《他者》《共振しつつある宇宙史》《求める思いこみ》噴出である。

《他者》《知った思いこみ》を保持する部分である。

《他者》とは《他者》『現実』《知りつつあるモノ》である。

《私》《動き》」と《他者へのコトバ》

  1. 同じか?
    1. ○:
      1. 《他者へのコトバ》は、《他者》によって認知された「《私》《動き》」である。
      2. 《他者》《知りつつあるモノ》であることによって、《私》《知りつつあるモノ》を背後から撹乱するのである。つまり、《私》《知りつつあるモノ》《他者》《知りつつあるモノ》《自己言及》関係に入るので、《私》《知りつつあるモノ》を撹乱するのである。《他者の知りつつあるモノ》
      3. 《他者》とは、それの《知りつつあるモノ》《私》《知りつつあるモノ》とが間接的な《自己言及》関係に入るために、《私》《知りつつあるモノ》を撹乱するモノである。《他者》の本質は、間接的《自己言及》である。《他者》とは、その出現により《知りつつあるモノ》を間接的な《自己言及》関係に陥らせるために、《知りつつあるモノ》を撹乱するモノである。《他者》の不快さは、《他者》が生じさせる間接的《自己言及》《ハウリング》の不快さである。
    2. ×:
      1. 《他者》《知りつつあるモノ》なのか?。《私》《他者》《知りつつあるモノ》を知ることができるのか?

《他者》《他者からのコトバ》

  1. 《他者》とは《他者のコトバ》《他者からのコトバ》《背後者》である、か? ○:。×:。

《知りつつあるモノ》ノイズ《他者》

  1. 《知りつつあるモノ》入り込むと、世界は、前面世界《知られつつある世界》《近傍物理空間》)と《背後者世界》とに分離する。《他者》《知られつつある世界》《背後者世界》とに出現する。しかし、この二つの世界は、《知りつつあるモノ》への《入り込み》によって生じた区別なので、モノとしては同じモノ、同じ世界である。《知りつつあるモノ》への《入り込み》をやめると、《他者》は或る一つの世界に出現するモノである。((弁証法的な説明方法が適切なのか?))。《混濁しつつある身体》《肉の塊》の外部の空間に現れるモノである。((女性の性交における《他者》は、《肉の塊》の内部に現れるモノなのか?))

《他者》とは誰か? 

  1. 《宇宙史》の中の一切のモノ《他者》である。ただし、その中には
    1. 《私》に近いモノ〜遠いモノ
    2. 《私》に似ているモノ〜似ていないモノ
    3. 《私》との《繋がり》が強いモノ〜弱いモノ、がある。

《他者》に《語る》とは何か?

  1. コトバを伝達することではない。
  2. 《他者の息しつつあるモノ》《私》《息しつつあるモノ》との共感において、《私》が《動く》ことである。

《他者の息しつつあるモノ》と《他者からの息しつつあるモノ

  1. 《他者の息しつつあるモノ》《私》の視点から見た《他者》の内部の《息しつつあるモノ》である。(タイシモ)。
  2. 《他者からの息しつつあるモノ》は《他者》の視点から見た《他者》の内部の《息しつつあるモノ》である。(タカイモ)。《他者》《息しつつあるモノ》に駆動されている。しかし、《他者》は、自らの《息しつつあるモノ》《実感》しているとは限らない。
  3. 《他者からの息しつつあるモノの群れ》《他者》の視点から見た、《他者》の周辺の《息しつつあるモノ》の群れである。(タイシモ、タカイム)。《他者》《他者からの息しつつあるモノの群れ》を感じて、動き《思いこみ》噴出する。《他者》とは「あの《息しつつある身体》」である。(イシシン)。
  4. 《他者からの思い込み》《私》が感ずる《他者》からの《思いこみ》噴出である。(タカモイ)。

《他者》《私》」と「《他者》の《他者》

  1. 《他者》の《他者》を認めるということは、《他者》《私》を認めるということである。
  2. 《他者》とは、或るモノにとっての、そのモノ自身(《私》)以外のモノである。

《他者》にとっての(今ここの)《私》」と「《私》にとっての(《私》を知りつつある)《他者》

  1. 《私》《他者》を知りつつあり、《他者》《私》を知りつつある。
  2. 《私》《他者》《求める思いこみ》を伝え、《他者》《私》《求める思いこみ》を伝える。
  3. 《私》《他者》《知った思いこみ》を伝え、《他者》《私》《知った思いこみ》を伝える。
  4. NG。そんなもの知り得るはずがない。《他者》からの《視点》は不可知である。
  5. 観察によれば、《他者》からの《視点》と、《私》からの《視点》とでは、大きく異なっている。《他者》からの《視点》は、《他者》からの《思いこみ》《世界》の中に在る。
  6. 《他者》にとっての《私》とは、《他者》からの《思いこみ》としての『彼』でしかない。《視点》とも言いがたいモノである。

《他者》《絶対者公理》

  1. 《混濁》から始まる《たけ(tk)の思いこみ》において、《他者》《混濁》の一部でしかない。
  2. 《他者》に対するモノ《私》である。《混濁》には《私》はない。

《他者》ミラーニューロン

    1. 他者を理解するヒトは居ない。他者からの身体イメージの上に重ね合わせた自己の一部のイメージを、他者であると思い込んで、批評しているだけである。
    2. 自分のミラーニューロンの働きを、他者であると思い込んでいるだけである。

《他者》と《思いこみ選択回路》

  1. 《他者》は《思いこみ選択回路》である。
  2. 《思いこみ選択回路》の選択基準は、《他者》の欲求である。
  3. 《思いこみ》には欲求実現機能がある。例えば『貨幣には価値がある』と思い込むことによって、お金で食べ物を買うことが可能になる。
  4. オセロ(《思いこみ選択回路》)・エントウ。
  5. 《他者》《息しつつあるモノ》である。この《息しつつあるモノ》と同じ《空気》を《息しつつあるモノ》である。《他者の息しつつあるモノ》は、《他者》《思いこみ》を選択しつつあるモノである。
  6. 《他者》は100億個の《思いこみ選択回路》である。人類は100億個の《思いこみ選択回路》の《群れ》である。

《他者》と《欲求実現回路》

  1. 《他者》は《欲求実現回路》である。
  2. 《他者》の欲求を尊重するのは、人間的態度である。
  3. 《欲求実現回路》というのは、生きモノの性質だろう。
  4. 《欲求実現回路》の中に《思いこみ選択回路》が組み込まれている。ヒト《思いこみ》を選択することによって、欲求を実現する。

《他者》と、《他者》の運不運への関心

  1. 「人間・・には、いくつかの原理があって、それらは、かれに他の人びとの運不運に関心を持たせ」る。(『道徳感情論』p.23)
  2. 《他者》への《怯え》、《他者》《知りつつあるモノ》を撹乱するというのは、《他者》への共感を拒否することから来る《怯え》だな。
  3. 《知りつつあるモノ》《他者》への共感を拒否するモノである。それゆえに、《知りつつあるモノ》《他者》の出現によって撹乱され、《他者》の出現に怯えるのである。
  4. 《他者》の出現によって撹乱される程度の《知りつつあるモノ》というのは、《今・ここの・このモノ》の中に安定的な存在を得ているとはいえない。

《他者》《私》との《繋がり》

  1. 《私》との《繋がり》《他者》の要素か?
  2. 《ヒトの個体》のうち、《私》との《繋がり》を有するモノ《他者》という。
  3. 《私》《近傍物理空間》の中に出現するというのは、《私》《他者》との間の《繋がり》である。
  4. 《他者》《私》との《繋がり》における《ヒトの個体》モノである。
  5. 物理的・空間的な《繋がり》共振関係における《繋がり》《思いこみ》循環における《繋がり》《思いこみの共有》における《繋がり》。『群れへの帰属』の《思いこみ》における《繋がり》
  6. 『群れへの帰属』の《思いこみ》《群れ》を識別するための一定の指標。「何時どこで何したときの仲間」といった指標。
  7. 《私》が新聞で読んだヒト、というのも《私》との《繋がり》である。
  8. 《繋がり》における」モノとは何か?
  9. 「知った」というだけで《繋がり》があるといえるか? 彼の《思いこみ》《身体》を通じて、他の個体の《知った思いこみ》を通じて、《知った思いこみ》の伝達を通じて、《私》に伝達された、というのが「知った」ということなので、《繋がり》である。
  10. 「知った」としても、彼が実在するかどうかも分からないし、彼の《思いこみ》が歪められて伝えられていないとも限らない(というか、必ず歪みがはいって伝えられている)。まあ、存在自体の捏造は多くはないだろうから、例外として処理すればよいだろう。
  11. 間接的、一方的な《繋がり》も、《繋がり》の一種である。
  12. 瞬間的な《繋がり》と、持続的な《繋がり》、反復的な《繋がり》と、一回だけの《繋がり》
  13. 《モノの世界》での《繋がり》と、《思いこみの世界》での《繋がり》

《他者》《ヒトの個体》

  1. 《他者》《ヒトの個体》には限らない。か?
  2. 狭義の《他者》《ヒトの個体》に限る。広義の《他者》《ヒトの個体》に限らない。

《他者》と同一の《ヒトの群れ》の中の《他者》

  1. 《他者》はつねに、同一の《ヒトの群れ》の中の《他者》である。というのは、《他者》《私》との繋がりにおけるヒトであり。繋がりにおけるヒトは、繋がりによって《ヒトの群れ》を構成するからである。
  2. 《他者》への《見通し》は、《ヒトの群れ》への《見通し》である。《他者》への《見通し》《ヒトの群れの体内感覚》における知覚である。

《他者》多次元輪郭空間

  1. 《他者》《私》記憶である。《他者》は、《私》《他者》との接触によって感じ取ったモノ記憶の総体である。記憶の総体を輪郭空間に再構成したモノである。
  2. 《見通し》に関する《同質者公理》の帰結=《他者》《私》とは同質である、《他者》《私》と同様の《見通し》を持っている=への《見通し》《他者》による《見通し》《私》《見通し》として取り込むこと=のためには《他者》による《見通し》の座標系を《私》《見通し》の座標系に変換するためのパラメータの座標軸を、《私》《見通し》の座標系に追加すればよい。《私》《見通し》の輪郭空間の座標軸を倍にして多次元輪郭空間への《見通し》を得ればよい。

《他者》《モノの世界》

  1. 《モノの世界》を知らない《他者》はいない。
  2. 《モノの世界》を知っている《他者》もほとんどいない。
  3. 《他者》《モノの世界》を知っているのに、《モノの世界》を知らない。
  4. 《他者》《モノの世界》を知っているのに、《モノの世界》を知らないと思いこんでいる。《他者》の多くは『《モノの世界》を知らない』という《思いこみ》を持っている。《他者》の多くは『《コトバの世界》しか知らない』という《思いこみ》を持っている。
  5. 《他者》の多くはモノの「コトバからの離存性」を知らない。《モノの世界》の「《コトバの世界》からの離存性」を知らない。意味の三角形を知らない。

《他者》《地表の出来事》

  1. 《他者》《地表の出来事》である。《地表の出来事》というのは《宇宙史》の部分空間である。《私》が関心を持つ必要性が少ない出来事である。《宇宙史》の出来事としては、ほぼ、全く関心を持つ必要がない出来事であるが、《地表の出来事》としての《他者》には多少の関心を持つ必要がある出来事である。
  2. 《他者》は《地表のヒトたちの出来事》である。《地表のヒトたちの出来事》としての《他者》は、《地表の出来事》としての《他者》よりも、関心を持つべき度合が高い。
  3. 《地表のヒトたちの出来事》はヒトたちの《思いこみのネットワーク》である。それのうち、《私》を中心として再構成された《思いこみのネットワーク》には、《私》は重大な関心を持つ必要があるだろう。

《他者》と《他者たち》

  1. 《他者たち》は、《私》にとっての《他者》が複数在ること。
  2. 《他者たち》は、《私》のまわりに《他者》が同時に複数在る状態。
  3. 《他者たち》は、《私》と複数の《他者》との関係があり、《他者》《他者》との関係も複数ある状態。《私》を中心とした《ヒトの個体》のネットワークの状態。
  4. 《他者たち》は、《ヒトの個体》の関係のネットワークの状態。《ヒトの個体》のネットワークの結び目の一つとして《私》がある状態。
  5. 《他者たち》は、《ヒトの群れ》の状態。《ヒトの群れ》の中に《私》が在る状態。

《他者》にとっての(別の)《他者》」と「《私》にとっての《他者》

  1. 《他者》にとっての《他者》《私》にとっては不可視である。