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《息しつつあるモノ》

記述

  1. 《たけ(tk)の思いこみ》《混濁》から始まる。
  2. 《混濁》の否定は《息しつつあるモノ》である。
  3. 《息しつつあるモノ》の否定は《混濁》である。《息しつつあるモノ》の安泰に浸るとき、それ以外の世界《混濁》でしかない。
  4. 《混濁》《息しつつあるモノ》との統合は、《息しつつある混濁》である。
  5. 《息しつつある混濁》は心地よい。
  6. 《息しつつある混濁》は次第に透明化し、分離していく。モノ/思い込み/思い描き。身体、体外直知時空、体内直知時空。直知時空/直知限界/背後者。世界《知りつつあるモノ》内からの視点、外からの視点。と、いったように、様々な分離が現れる。

《混濁》《息しつつあるモノ》

  1. 《たけ(tk)の思いこみ》《混濁》から始まる。
  2. 《混濁》が、《知りつつあるモノ》からの見通しで一段落すると、《知りつつあるモノ》の確からしさは消えて、《息しつつあるモノ》がより確からしいモノとして現れる。
  3. 実は、《息しつつあるモノ》《混濁》の当初から現れていたモノであるが、とりあえずは、《見通し》を得るために《知りつつあるモノ》から始めた、という次第であった。
  4. 《知りつつあるモノ》は、公認の「もっとも確からしい」ものであろう。しかし、《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》より確からしいのであるから、それを中心に据えることに問題はなかろう。
  5. 《息しつつあるモノ》のまわりには《身体》があり、そのまわりには《近傍物理空間》があり、その《認識限界》の向こう側・手前側には《近傍物理空間の背後者》が在る。
  6. 模式図、2008-05-16(金)
  《近傍物理空間の背後者》〜《宇宙史》
┌────────────┐
│《近傍物理空間》        │
│          ┌──────┼─────┐
│          │《身体》    │《背後者》│
│          │            │          │
│          │  《知りつつあるモノ》  │
│          │            │          │
│          │            │          │
│          │  《息しつつあるモノ》  │
│          │            │          │
│          └──────┼─────┘
└────────────┘
  1. 《息しつつあるモノ》の存在には、《混濁》の当初から気がついていた。《混濁》に至ったとき、生命の危機を救ってくれそうなモノ《息しつつあるモノ》しかなかった。『息をせよ』『生きよ』と《息しつつあるモノ》は教えてくれた。
  2. 息をすることになれたら、落ち着いてきた。そして、《息しつつあるモノ》を忘れてしまった。
  3. 《混濁》《知られつつある世界》《混濁の世界》)と《知りつつあるモノ》とに分離した。
  4. 《知りつつあるモノ》《自己言及》《ハウリング》を起こす原因である。《ハウリング》を起こすたびに《息しつつあるモノ》に助けを求めた。
  5. 《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》との関係を、《呼吸停止の実験》で確かめてみた。《息しつつあるモノ》が呼吸を止めると、《知りつつあるモノ》は背後から撹乱される、というような関係があることが分かった。なにやら、《知りつつあるモノ》《息しつつあるモノ》との間には秘密の繋がりが在るようである。
  6. 《混濁》《体外感覚世界》《体内直知時空》とに分離し、また、《知られつつある世界》と《認識限界》と《背後者》とに分離した。《息しつつあるモノ》《体内感覚世界》《背後者》との間の《認識限界》に在るようである。
  7. 《体内感覚世界》とその《背後者》を含めた《体内世界》の認識に至ると、《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》《体内世界》の中のモノであることが分かった。その二つは《背後者》を通して繋がっている。というか《体内世界》の中で《息しつつあるモノ》《背後者》《知りつつあるモノ》と繋がっている。
  8. 《息しつつあるモノ》に注目していると、《混濁の世界》が再び現れる。それは、《混濁しつつある身体》として《身体》の形に凝縮する。《混濁しつつある身体》のなかでは、《知りつつあるモノ》がもたらした区別(《体内世界》の中の《知られつつある世界》《体内感覚世界》=と《認識限界》と《背後者》との区別)は意味を持たなくなる。この区別は《知りつつあるモノ》への執着によって生じたモノなのであろう。《世界》《息しつつあるモノ》とその周辺の《世界》で構成されるようになる。《息しつつあるモノ》《混濁しつつある身体》⇔《体外世界》。
  9. 《息しつつあるモノ》《混濁しつつある身体》《実感》する。そして、《他者の動き》《実感》する。《混濁しつつある他者の身体》《実感》する。《生きモノたちの群れ》《実感》する。

区別(2)

《息しつつあるモノ》は、外からの視点でのスーハーである。スーハー内からの視点での《息しつつあるモノ》である。か?○:。×:。

《息しつつあるモノ》と《妄想しつつある肉の塊》

  1. 最も混濁した意識を維持し続けて、イシモ・100を実行すると、《妄想しつつある肉の塊》が見えてくる。妄想しつつある《肉の塊》。《妄想しつつある肉の塊の群れ》が見えて来る。《妄想しつつある肉の塊の群れのルール》が見えてくる。《妄想しつつある肉の塊の群れのルール》《妄想しつつある肉の塊の群れのルール》《自己言及》である。

《息しつつあるモノを中心とした世界》と《知りつつあるモノを中心とした世界

  1. 物質よりも《息しつつあるモノ》がより多くの存在確実性を有する、というのは不思議だ。
  2. 『物質』という『種類』は《思いこみ》である。から、です。
  3. イシモ・100を100回くらいやると、イシモを中心とした世界が見えてくる。
  4. つまり、自己の肉体性と精神性とを、どう折り合いがつけるのか、がイシモ中心主義。手法。
  5. なぜ、イシモ中心主義か?
    1. 最も確実に在るといえるモノ。だから。
  6. なぜ、《息しつつあるモノ》は「もっとも確実に在るといえるモノ」なのか?
    1. 《知りつつあるモノ》よりも「もっと確実に在るといえるモノ」だから。

《息しつつあるモノの背後者》と《知った思い描き》

  1. 《知った思い描き》とは、それを知りつつあるときの、それ、《知られつつあるモノ》、が、そのまま、《知った思い描き》の内容であるような、《思い描き》である。
  2. 《知った思い描き》を思い出したときの《思い描き》は?
  3. コトバを聞いたときに生じる《思い描き》は?

イシハイ・100

  1. 《息しつつあるモノの背後者》はブラックホールのようになんでも吸い込んでしまうな。強力な《浄化球》といったところか?
  2. 《孤独相》《息しつつあるモノ》と、《群生相》《息しつつあるモノ》とは、《息しつつあるモノ》《背後者》を通して、繋がっている。《孤独相》《息しつつあるモノ》《背後者》《無限遠点》の先には《群生相》《息しつつあるモノ》があり、その先には《群生相》《息しつつあるモノ》《世界》がある。《群生相》《息しつつあるモノ》《無限遠点》の先には《孤独相》《息しつつあるモノ》《世界》がある。
  3. 《群生相》において《息しつつあるモノ》を見通すモノは、《孤独相》《息しつつあるモノ》《世界》を受け止めなければならない。《孤独相》において《息しつつあるモノ》を見通すモノは、《群生相》《息しつつあるモノ》《世界》を受け止めなければならない。
  4. 《孤独相》《息しつつあるモノの背後者》《群生相》」、という全体。《息しつつあるモノの背後者》を極座標の原点とする《世界》
  5. 《息しつつあるモノの背後者》の《認識限界》の表面には無数の時間《息しつつあるモノ》たちがある。《息しつつあるモノの世界》の表面の《息しつつあるモノ》のまわりにはそれぞれの《息しつつあるモノ》《息しつつあるモノの世界》が広がっている。《息しつつあるモノの世界》《群れ》
  6. 《息しつつあるモノの背後者》のブラックホールのまわりでは、『ある』ことは『意味』をなさず、『為す』ことのみがあることができる。
  7. 歩きつつあるときの《息しつつあるモノの背後者》
  8. 《息しつつあるモノの背後者》は鼻と口を通して《近傍物理空間》に繋がっているモノである。
  9. 《息しつつあるモノの背後者》を意識すると、息をするのが疲れる。意図的な呼吸になる。
  10. 《息しつつあるモノの背後者》は私を支配するモノである。《息しつつあるモノの背後者》は私自身である。
  11. 他者の《息しつつあるモノの背後者》。《息しつつあるモノの背後者の群れ》。《息しつつ背後者の群れ》。

《息しつつあるモノの背後者》と《ごね得》

  1. 最近、ごね得の事例に複数直面してしまった。
  2. 病的なお客さん。
  3. 《混濁しつつある他者の身体》コトバを喋る芋虫の群れ。《混濁しつつある他者の身体の群れ》

《息しつつあるモノ》《群生相》

  1. 《群生相》における《息しつつあるモノ》《背後者》《無限遠点》は、《孤独相》記憶である。と感じられる。
  2. 《孤独相》《息しつつあるモノ》と、《群生相》《息しつつあるモノ》とは、《息しつつあるモノ》《背後者》を通して、繋がっている。《孤独相》《息しつつあるモノ》《背後者》《無限遠点》の先には《群生相》《息しつつあるモノ》があり、その先には《群生相》《息しつつあるモノ》《世界》がある。《群生相》《息しつつあるモノ》《無限遠点》の先には《孤独相》《息しつつあるモノ》《世界》がある。
  3. 《群生相》において《息しつつあるモノ》を見通すモノは、《孤独相》《息しつつあるモノ》《世界》を受け止めなければならない。《孤独相》において《息しつつあるモノ》を見通すモノは、《群生相》《息しつつあるモノ》《世界》を受け止めなければならない。
  4. 《孤独相》《息しつつあるモノの背後者》《群生相》」、という全体。《息しつつあるモノの背後者》を極座標の原点とする《世界》
  5. 《息しつつあるモノの背後者》の《認識限界》の表面には無数の時間《息しつつあるモノ》たちがある。《息しつつあるモノの世界》の表面の《息しつつあるモノ》のまわりにはそれぞれの《息しつつあるモノ》《息しつつあるモノの世界》が広がっている。《息しつつあるモノの世界》《群れ》

《息しつつあるモノ》と風邪

  1. 風邪なのである。
  2. 風邪においては、《息しつつあるモノ》は、《外からの視点》における《身体》《動き》である。
  3. 体内感覚空間にたどりつかない。おそらく、《健常者》の普通の感覚なのであろう。
  4. 風邪は《息しつつあるモノ》の機能障害である。息をするのが苦しいということ。息をすることが苦しみ原因となるということ。
  5. く−げん・イシモ・100
    1. 苦しみ原因イシモ
    2. 苦しみとは身体の痛みである。
    3. のどの痛み、鼻の痛み、頭の痛み、
    4. 痛みは警告である。養生せよ、との命令である。
    5. しかし、対策の分からない警告や、不可能な命令は、無視すべき。
    6. 繋がりにおける恥は苦しみである。

《息しつつあるモノ》《無限遠点》

  1. 《群生相》において、《息しつつあるモノ》《無限遠点》への《見通し》が役に立つのではないかと思った。
  2. 《息しつつあるモノ》《噴出点》への《見通し》《息しつつあるモノ》《背後者》への《見通し》《息しつつあるモノ》《背後者》《無限遠点》への《見通し》
  3. イシモ・エンテン・100
    1. イシモ《噴出点》であり、《認識限界》である。《無限遠点》《息しつつあるモノ》自体の中にある。《息しつつあるモノ》は《息しつつある動き》の《噴出点》である。
  4. 《息しつつあるモノ無限遠点》と《息しつつあるモノの世界》とは同じ? ○:《息しつつあるモノ無限遠点》は《知りつつあるモノ》からの《視点》である。主として、《群生相》における《知りつつあるモノ》からの《視点》である。そこで、《息しつつあるモノ》はいった客体として現れている。客体としての《息しつつあるモノ》の向こうに何か見えないか、という《視点》。×:。
  5. 《息しつつあるモノ無限遠点》と《生きモノたちの群れ》。確かに、最初に感じるのは《生きモノたちの群れ》である、が、《見通し》の中に入ってきたとは言いがたい。

《息しつつあるモノの世界》《息しつつあるモノ》

  1. 《息しつつあるモノの世界》:いしもせ、いもせ。《世界》に方向性はない。
    1. 1:《息しつつあるモノの世界》は、《息しつつあるモノ》《身体》−《体外世界》。
    2. 2:《息しつつあるモノの世界》は[《共感》]]。
    3. 3:《息しつつあるモノの世界》《まなざし》《他者からのまなざし》
    4. 4:《息しつつあるモノの世界》《他者からの思い込み》《他者からのコトバ》
    5. 5:《息しつつあるモノの世界》《息しつつあるモノ》《背後者時空》、《息しつつあるモノの背後者世界
    6. 6:《息しつつあるモノの世界》《永遠の生きモノ》
    7. 7:《息しつつあるモノの世界》《宇宙史》
    8. 8:《息しつつあるモノの世界》『無意味の世界』
    9. 9:《息しつつあるモノの世界》『なすべきこと』
    10. 10:《息しつつあるモノの世界》《私》《欲求》、《感情》(憎しみ、慈しみ)。
    11. 11:《息しつつあるモノの世界》《他者》《他者の群れ》
    12. 12:《息しつつあるモノの世界》《混濁しつつある他者の身体》《混濁しつつある他者の身体》が偉そうに喋っとるぞ。
  2. 《息しつつあるモノからの一切》:イモカイ。
  3. 上下前後
    1. 上。《息しつつあるモノ》《身体》−《体外世界》。《宇宙史》『無意味の世界』
    2. 下。《息しつつあるモノ》《背後者時空》《永遠の生きモノ》
    3. 前。《共感》。《まなざし》《他者からのまなざし》《他者からのコトバ》《他者からの思い込み》《他者》《他者の群れ》《混濁しつつある他者の身体》
    4. 後。『なすべきこと』《私》《欲求》《求める思いこみ》。《感情》(憎しみ、慈しみ)。

イシモ・100

  1. 1 《息しつつあるモノ》それ自身
  2. 2 《体内世界》《混濁しつつある身体》
  3. 3 《体外世界
  4. 4:《体外世界》の向こう側の《背後者》《他者からの思いこみ》

イシモ・100

  1. 1 《息しつつあるモノ》それ自身
  2. 2 《体内世界》
  3. 3 《体外世界
  4. 4 《他者からの思いこみ》→キクハセ:《近傍物理空間の背後者世界》→タモジョム:《他者からの思いこみ》世界の上方無限遠点
  5. 5 モモイム:《モノと思いこみの群れ》《モノと情報の群れ》《思いこみ》《モノの世界》の中のモノである。モノの構造は、モノに内在する《思いこみ》である。モノの構造は、モノの動作プログラムと等価であり、モノに内在する情報である。《ライフオブジェクトの群れ》モノたちの世界の原理、《生きモノ》たちの世界の原理、《ヒトたち》の世界の原理。ドメイン。ブラフマン。
  6. 《生きモノ》たちの世界の構成原理。1:成長と繁殖。2:《群れ》《群れ》とのゲノムの生き残り競争。3:生き残った《群れ》のなかれの共食い、捕食者と被捕食者との《群れ》の分化。4:環境の変化による絶滅。

《他者の息しつつあるモノ》《息しつつあるモノ》

  1. ボツ? ○:残念ながら《実感》ではない。×:。
  2. 《他者》《息しつつあるモノ》《他者の息しつつあるモノ》
  3. 《他者の息しつつあるモノ》は《他者の命》である。「いのち」とは「《息しつつあるモノ》(い)の《アニマ》(ち)」である。
  4. タイモ・エンジョウ。《他者の息しつつあるモノ》無限遠点の先に《浄化球》を置くこと。
  5. 《他者の息しつつあるモノ》《私》《息しつつあるモノ》とは別のモノである。
  6. 《他者の息しつつあるモノ》《私》《ちから》を与えるものではない。
  7. 《他者の息しつつあるモノ》《私》を《怯え》させるモノである。
  8. クルマのエンジンも《他者の息しつつあるモノ》である。植物も《他者の息しつつあるモノ》である。空気にふれて反応する無生物の物体も《他者の息しつつあるモノ》である。他のモノに触れて反応する物体は《他者の息しつつあるモノ》である。反応速度の違いが、それの《ちから》の大きさに比例するだろう。アリストテレスの「栄養活動」(p.45)。
  9. 《他者の息しつつあるモノ》と群生相。《他者の息しつつあるモノ》が現れるのは群生相においてである。((《健常者》の孤独相においては、どうなのだろう?))

《混濁しつつある他者の身体》《息しつつあるモノ》

  1. 1:《混濁しつつある他者の身体》《他者》の実体である、か? ○:。×:。
  2. 2:《混濁しつつある他者の身体》の中の《連想のトンネル》
  3. 《他者》とは誰か? 《宇宙史》の中の一切のモノ《他者》である。ただし、その中には《私》に近いモノ〜遠いモノ《私》に似ているモノ〜似ていないモノ《私》との《繋がり》が強いモノ〜弱いモノ、がある。
  4. 3:《混濁しつつある他者の身体》《息しつつあるモノ》からの《実感》である。
  5. 4:《混濁しつつある他者の身体》《息しつつあるモノの世界》の要素の一つである。おそらく、もっとも重要な要素である。

《宇宙史》《息しつつあるモノ》

  1. 《息しつつあるモノ》の外部世界《宇宙史》ではない? ○:《他者からの思いこみ》《宇宙史》ではない。ヒトの欲求の原理は《宇宙史》ではない。《生きモノ》の原理は《宇宙史》ではない。×:素粒子は、他の素粒子からの《他者からの思いこみ》を感じる。《息しつつあるモノの世界》
  2. この《息しつつあるモノ》は、《宇宙史》の中の《息しつつあるモノ》である。
  3. この《息しつつあるモノ》は、《宇宙史》の中心に在る《息しつつあるモノ》である。
  4. この《息しつつあるモノ》は、《宇宙史のアニマ》の現れである。
  5. 『無意味の世界』においては《息しつつあるモノ》《宇宙史》の一部だよ。特異点だけどね。《宇宙史》のすべての場所は特異点なのだ。特別者だけと、いたるとこと特別者だらけ。
  6. 全体としての《宇宙史》にも《アニマ》はあるだろうね。《私》《極座標の原点》《宇宙史》《アニマ》の一部だと言ってもよい。もちろん、《他者の動き》《宇宙史》《アニマ》の一部だといってよい。しかし、だからなんだ。それらは『無意味の世界』の中の《アニマ》でしかない。

《息しつつあるモノ》《ベーシック・インカム》

  1. 1:ドーデモイーことだよ。
  2. 2:知的興奮である。・・なにそれ?
  3. 3:《息しつつあるモノ》《ヒトの群れ》に関する《思いこみ》である。
  4. 4:《見通し》を与える《思いこみ》である、か? ○:。×:。
  5. 5:『なすべきこと』である、か? ○:。×:。
  6. 6:《連想のトンネル》である、か? ○:。×:。
  7. 7:《見通し》を得るためには、《混濁しつつある身体》の中で《連想のトンネル》を掘り続けるほかない、か? ○:。×:。
  8. 8:《ベーシック・インカム》は、《私》《他者》との間で、《交わされつつあるコトバ》である。《交わされつつあるコトバ》は、《私》《思い描き》を生じさせる。おそらくは、《私》コトバを交わした《他者》にも《思い描き》が生じているはずである。同じ内容の《思い描き》なのか? ○:。×:共通の内容もあるし、共通でない内容もある。
  9. 9:《私》は《交わされつつあるコトバ》が、《他者》に同じ《思い描き》を生じさせたかどうかの《実感》を持つ。コトバが通じないときには、ただちにストレスが生じる。ストレスが生じないときには、《交わされつつあるコトバ》が、《他者》にも《私》に生じたのと同様の《思い描き》が生じていることを確信する。

イシモ・100

  1. 1:《息しつつあるモノ》
  2. 2:《息しつつあるモノ》《背後者》《地球》モノルール。縮尺拡大法で《息しつつあるモノ》《地球》ルールを呑み込んだ。
  3. 3:《生きモノ》ルール
  4. 4:《思いこみ》を持った《生きモノ》ルール

イシモ・100

  1. 1:《息しつつあるモノ》
  2. 2:尿意・・身体的要求・・一種の《他者からの思いこみ》
  3. 3:《思い描き》・・もらすか、トイレに行くか・・
  4. 4:決断・・トイレに行こう・・『なすべきこと』
  5. 5:《動き》・・トイレに行く・・《息しつつあるモノ》を忘れる・・

イシモ・100

  1. 1:《息しつつあるモノ》
  2. 2:《動きつつある身体》
  3. 3:『なすべきこと』
  4. 4:《他者からの思い込み》
  5. 5:《地球》に足をつけよ。《他者からの思いこみ》《地球》に返せ。《他者からの思いこみ》《地球》から生まれたモノだ。
  6. 6:たこ壷の中の蚕たち・・。羽化して飛び立っても、たこ壷のなかにへばりついていても、ウザイので、《地球》に帰す。
  7. 7:《動きつつある他者の身体の群れ》ウタシム。
  8. 8:《まなざし》を向けつつある《他者の身体》《群れ》《まなざし》《地球》に帰せ。
  9. 9:《混濁しつつある他者の身体の群れ》。浄化すると、皮となって飛んでしまう・・。
  10. 10:ヒトたちの《群れ》。具体的な顔と名前と個体史をもったヒトたちの《群れ》
  11. 11:《ボス猿を求める思いこみ》、《ボス猿を求めつつあるモノ》。・・『地獄の真実』じゃ。・・なぜか、《私》《求める思いこみ》噴出・・。

イシモ・100

  1. 1:《息しつつあるモノ》
  2. 2:《他者からの思いこみ》の洪水。1cmの浄化孔を浄化した後に、縮尺を100倍にすると、0.1mmになり、1cmの浄化孔は1mを意味するようになる。それを浄化した後に、縮尺を100倍にすると1cmの孔は100mを意味するようになる、順に、10km、1000km、10万km・・、でいずれ《宇宙史》全体の《他者》からの《他者からの思いこみ》が浄化孔から噴出して、浄化される。をいっ!
  3. 3:《私》の言いたいコトバの崩落。天井にたまっていたコトバが床に落ちてくる。《私》のも《求める思いこみ》噴出《私》の、そして、《永遠の生きモノ》としての《私》の、過去の記憶

イシモ・100

  1. 1:《息しつつあるモノ》
  2. 2:『無意味の世界』
  3. 3:《息しつつあるモノ》《背後者世界》
  4. 4:《息しつつあるモノ》《背後者世界》によって浄化されつつある《近傍物理空間》
  5. 5:《動きつつある身体》
  6. 6:《身体》内部での感情の爆発、語りかけのコトバの爆発。
  7. 7:聖生活の噴出、消滅。俗生活の噴出。→6→7の無限ループ
  8. 8:俗世界の4層。《モノたちの世界》、《生きモノたちの世界》、《ヒトたちの世界》、《ヒトたちの思いこみの世界《思いこみの世界》《仮想実在》。《デジタル世界《デジタル実在》が加わりつつある?

《息しつつあるモノ》《他者の息しつつあるモノ》

  1. 《他者の息しつつあるモノ》《実感》しない。ボツ項目? ○:。×:《他者の息しつつある身体》は?。《他者の動きつつある身体》は?
  2. 《息しつつあるモノ》《他者の息しつつあるモノ》とは同質か? ○:。×:《私》《息しつつあるモノ》《繋がり》を求めない。《他者の息しつつあるモノ》《繋がり》を求める。やっぱ、《息しつつあるモノ》《他者の息しつつあるモノ》とでは根本的に違うのではないか?

《息しつつあるモノ》『無意味の世界』(ムミセ)

  1. 《息しつつあるモノ》にとって《世界》『意味』があるか?
    1. ○:
      1. 息ができるかどうかはで世界『意味』が異なる。
      2. 《息しつつあるモノ》《世界》《実感》する。《実感》『意味』である。
        1. 《息しつつあるモノ》は、『息できる世界』から『息できない世界』に移行したとき、逆に『息できない世界』から『息できる世界』に移行したときに、《世界》『意味』《実感》する。
      3. 《息しつつあるモノ》《世界》の中に《他者の動き》《実感》する。《実感》『意味』である。
      4. 《息しつつあるモノ》《世界》の中に《生きモノたちの群れ》《実感》する。《実感》『意味』である。《実感》《息しつつあるモノ》動かす
      5. 《世界》『無意味の世界』である」ということに『意味』がある。『無意味の世界』の中にモノたちと、《息しつつある身体》とが在る、ということに『意味』がある。
      6. 《息しつつあるモノ》《動きつつあるモノ》であり、動くことができるかどうかに関して、《世界》『意味』を感じている。『息できる世界』と『息できない世界』とでは、《息しつつあるモノ》にとって『意味』が異なる。
      7. 《息しつつあるモノ》は、《世界》に『息することができる』という『意味』《求めつつあるモノ》である。《息しつつあるモノ》は、『無意味の世界』に、『息することができる』という『意味』《実感》する。もちろん、その『意味』は、《息しつつあるモノ》《求める思いこみ》の鏡像である。しかし、それでも、《世界》『意味』《息しつつあるモノ》にとって在る。『意味』が在るとは、そのモノ『意味』《求める思いこみ》が在る、ということである。
    2. ×:
      1. 『無意味の世界』『意味』があるかどうかは《思いこみ》による)。
      2. 《息しつつあるモノ》は充足しているときには、それ以外の『意味』を求めない。充足していないときには、錯乱状態であり、《世界》『意味』など問題にならない。
      3. 《世界》《実感》は、《世界》の『存在』の《実感》であり、『無意味の世界』の『存在』の《実感》である。
      4. 《世界》の中の《他者の動き》《生きモノたちの群れ》《実感》も、『無意味の世界』の中のモノたちからの《実感》である。
      5. 《実感》《息しつつあるモノ》を動かしたとしても、《息しつつあるモノ》自体が、『無意味の世界』の中のモノでしかない。
      6. 冷静に考えれば、《世界》『意味』が在るはずはない。『意味』『意味』《求める思いこみ》の鏡像である。
      7. 《息しつつあるモノ》《世界》《実感》しない。
        1. 『息できる世界』から『息できない世界』に移行したとき、逆に『息できない世界』から『息できる世界』に移行したとき、という特殊な状況においてのみ《世界》『意味』《実感》するとしても、ノーマルな普通に息ができている《世界》『意味』を実感しているわけではない。
      8. 《実感》『意味』ではない。
      9. 《息しつつあるモノ》は、《世界》『意味』《求めつつあるモノ》ではない。

《息しつつあるモノ》と《息させつつあるモノ

  1. 《息させつつあるモノ》なんて《実感》しないよ。ボツ項目? ○:。×:。
  2. 英語で「Breath!」と言えば「息をしろ」という命令になるだろう。英語では「息する」ではなく「息させる」が原イメージになる。しかし、それは、英語で思考する場合のバイアスに過ぎない。ラングの文法も、《連想のトンネル》を掘る。
  3. 《息しつつあるモノ》のほかに、《息させつつあるモノ》があるか?
  4. 《息しつつあるモノ》は、《知りつつあるモノ》《視点》。《息させつつあるモノ》は《肉の塊》《視点》《視点》が違うが同じモノ
  5. 《肉の塊》《視点》においては、《息しつつあるモノ》は、《息させつつあるモノ》と《息しつつある肉の塊》に分離する。なんでだろ?
  6. 《息しつつあるモノ》《視点》においては、《息させつつあるモノ》と《息しつつある肉の塊》とは同一のモノとして見える。《視点》とふたつの対象とが同一線上に並んでいるときにはふたつの対象は一つにみえる。
  7. 《視点》モノの内部に在るとき、モノは対象物の背景となって、見えなくなる。
  8. なぜ、《肉の塊》《視点》では《息しつつあるモノ》が見えなくなるのか? 《息しつつあるモノ》《肉の塊》なのである。《息しつつあるモノ》《肉の塊》の内部のものではなく、《肉の塊》の全体である。《知りつつあるモノ》《視点》において《息しつつある身体》と呼んでいたモノが、《肉の塊》《視点》における《息しつつある肉の塊》である。

《息しつつあるモノ》《息しつつある身体》

  1. 《息しつつあるモノ》《息しつつある身体》である。か? ○:《息しつつあるモノ》《息しつつある身体》の中の輪郭のはっきりしない一部分である。×:。
  2. 《息しつつある身体》《生きモノ》である。か? ○:。×:《他者の身体》《生きモノ》であるが、《息しつつある身体》《生きモノ》ではない。
  3. 《息しつつある身体》《身体》か? 
  4. 《身体》《他者の身体》とは同質か? ○:。×:。《身体》は、いまだ、不可知である。《息しつつある身体》《身体》ではない。《息しつつある身体》《生きモノ》ではない。

《息しつつあるモノ》《浄化球》

  1. エンジョウ・イシモ
  2. 《息しつつあるモノ》《無限遠点》《浄化球》
  3. 《息しつつあるモノ》《背後者》《浄化球》を置くこと。
  4. そういえば《浄化球》などというものもあったな。今では、《浄化球》《息しつつあるモノ》を一体化してしまったようだ。時折、噴出があふれたときには、《息しつつあるモノ》《浄化球》というイメージを抱くことがある。
  5. 《私》《私》世界で、生きている部分を拡大せよ。・・それは無理だ。《私》《世界》で生きている部分は《他者の動き》だけだ。
  6. 死んだ《思いこみ》を取り去って、その部分が生きていることを見通せ。・・死んだ《思いこみ》も生きた《思いこみ》も無い。《思いこみ》が取り去られて『無意味の世界』になるほかない。
  7. 《私》と《私の世界》の、すべてから死んだ《思いこみ》を取り去って、すべてが生きていることを見通せ。・・見通せば、《思いこみ》『意味』も消えてしまう。
  8. 《息しつつあるモノ》は死んだ《思いこみの世界》において、唯一頑張って、確実な存在として残った《生きつつあるモノ》である。・・まあ、それはそうだが、《息しつつあるモノ》はかなり不活性である。まあ、《生きつつあるモノ》であるには違いないが・・。

《息しつつあるモノ》とキリスト

  1. 霊から生まれたモノは霊である(03:06)。キリストは、イザヤの描いたシナリオを演じようとしたたらしい。
  2. 山川草木一切成基。(一切のものはキリストになり得る、潜在的なキリストである)。
  3. 黙示録は、キリストが言わなかったこと(キリストが天使を送ってヨハネに伝えたこと、黙示録01:01)、である。ヨハネの幻想である。10:04で記述を控えたのは、ヨハネ自身に関する記述だからである。ヨハネは巻き物を食べちゃったので(10:10)、「再び預言しなければならない」と言われた(10:11)。次の二人の証人もキリストとヨハネのことだ。
  4. ヨハネ福音書で、ユダの退出(13:30)の前と後とではキリストが言っていることが違う。前では『《私》はある』という自覚を求めていたようだ。後では、自覚を求めることの不可能性を前提とした、浄土教的説教になっている。
  5. 浄土教の影響があるのではないか? 小乗から浄土教への移行に対応する。どんな宗教でも、始祖は自覚を説くが、弟子たちの中では、自覚派と俗物派とに分かれる。そして、俗物派が勝つ。始祖の宗教からエピゴーネンたちの宗教に変わる。もっとも、教えを伝えるためには、自覚派では力不足なので、教えを伝え残す、という意味では俗物派の勝利は好ましいことと言えないこともない。教えが残れば、その中から、始祖の自覚を再現できるものも現れる可能性が残る。
  6. 《私》を信じろ、というコトバの意味は、次のうちのどれなのか?
    1. (a)イエスはイエスの《私》を信じた、
    2. (b)聞き手は聞き手の《私》を信じろ、
    3. (c)聞き手はイエスという《他者》を信じろ、
  7. 《思いこみを操りつつあるモノ》も《宇宙史のアニマ》である。《思いこみ》《操りつつあるモノ》

《息しつつあるモノ》《混濁しつつあるモノ》

  1. 《混濁しつつあるモノ》を浄化していったら、《息しつつあるモノ》にたどりついた。
  2. 《息しつつあるモノ》は究極の《混濁しつつあるモノ》である。
  3. 《息しつつあるモノ》は、弱く、小さく、しかし、時間的には巨大である。
  4. 《息しつつあるモノ》《混濁》は、生まれてから現在、現在から死ぬまでの時間に掛かっている。
  5. 《息しつつあるモノ》《混濁》は生まれてから死ぬまでの有限回の呼吸である。これを無限だと思うと、《混濁》になる。(無限であっても《浄化》は可能である。無限に怯えると、《浄化》ができなくなる)。
  6. 《混濁しつつあるモノ》《実感》ではない。ので、この項はボツ。

タウイジ・100

  1. 1 《息しつつあるモノ》
  2. 2 これがないと、たけ(tk)はエイリアンになってしまう。
  3. 3 《身近な人びと》からのタウイジ《他者》の《動き》からの《息しつつあるモノ》への《実感》
  4. 4 タウイジの網目は下腹部のあたりから広がり、《知りつつあるモノ》はその上の真空中に浮かんでいる。
  5. 5 タウイジの網目には、好きな人々が前にいて、嫌いなやつらが後ろにいる。
  6. 6 タウイジ『一切』である。
  7. 7 タウイジは、《知りつつあるモノ》が受け取る《見通し》も、中丹田への《他者からの思いこみ》も、《実感》として受け取る。
  8. 8 タウイジ《浄化》していくと、《他者の息しつつあるモノ》が見えてくる。《息しつつあるモノの群れ》の網目が見えてくる。重要なのは、《他者の息しつつあるモノ》から《他者からの思いこみ》に至る仕組みであろう。
  9. 9 タウイジは、「《他者》《動き》からの《私》《息しつつある身体》への《実感》」である。《息しつつあるモノ》ではなく《息しつつある身体》への《実感》

《ヘラクレイトスの「ロゴス」》《息しつつあるモノ》

  1. 《息しつつあるモノ》は相対者ではあり得ない、というのは、《ヘラクレイトスの「ロゴス」》ではあり得ない、ということではない。
  2. 《息しつつあるモノ》は、《ヘラクレイトスの「ロゴス」》のあらわれである。
  3. 《モノの世界》には《息しつつあるモノ》という特異点が在る、という《ヘラクレイトスの「ロゴス」》のあらわれである。

《息しつつあるモノ》と《主導主義》

  1. たけ(tk)が、はるか昔に、捨てたモノ。『《他者》動かす』ことを欲する人々が在る。
  2. 主知主義と主導主義。
  3. たけ(tk)は、ヒトに動かされることを嫌う。ゆえに、ヒト動かすことを避ける。
  4. たけ(tk)は、存在するだけで、ヒトに影響を与える。それを目的とするなかれ。しかし、それを無視すればすむというわけではない。存在の影響性を見通すべきである。実感すべきである。
  5. 《息しつつあるモノ》動くことによって《他者》に影響を与える。動きつづけていれば、《他者》は、『たけ(tk)が生きている』と判断する。《動き》が永遠に停止すれば《他者》は葬式の用意をするだろう。

タウイジ《息しつつあるモノ》

  1. タウイジは、《他者》の《動き》からの《息しつつあるモノ》への《実感》、か? ○:《実感しつつあるモノ》は受動的である。《実感》は《実感されつつあるモノ》から《実感しつつあるモノ》へと流れる。×:。
  2. タウイジは、《他者》《動き》への《息しつつあるモノ》からの《実感》、か? ○:。×:。

《思いこみ》《息しつつあるモノ》

  1. 《思いこみ》の視点に立つを《息しつつあるモノ》の存在を忘れる。《息しつつあるモノ》の視点に立つと《思いこみ》を捨ててしまう。《思いこみ》《息しつつあるモノ》とは相互否定関係にある。ヒトの関心はどちらかに傾く。相互否定の無限ループ、への《見通し》
  2. 干からびて凝り固まった《思いこみ》に息を吹き込むこと、命を吹き込むこと、その《思いこみ》への血流を回復すること、凝りをほぐすこと。
  3. 《身体》《動き》《指し示す思いこみ》(シウサコ)。『xx』という《思いこみ》は、《xxを作る/xxをxxする》という《身体》《動き》《指し示す思いこみ》である。或るモノ《xx》を《指し示す思いこみ》は、の《動き》《指し示す思いこみ》(シウサコ)。『xx』という《思いこみ》は、《xxをxxする》という《身体》《動き》《指し示す思いこみ》である、限りにおいて『意味』を持つ。コトバ《思いこみ》『意味』とは、それに付随する《身体》《動き》《指し示す思いこみ》である。
  4. 《身体》《動き》記憶は、『意味』のない《動き》記憶である。《身体》《動き》《指し示す思いこみ》とたどるかぎり、『意味』にたどりつかない。
  5. 『意味』とは《息しつつあるモノ》《実感》である。或るモノ《xx》への実感とは、意味とは、そのモノに付随する《他者の動き》への《息しつつあるモノ》からの実感である(タウイジ)。《他者の動き》『意味』はない。しかし、『意味』の本体は《他者の動き》にではなく、《実感》にある。
  6. 『意味』は、《私》《身体》《動き》への《息しつつあるモノ》からの《実感》にある、か? ○:。×:そこから『意味』を取り出すのは難しい。《私》《動き》『意味』に繋がるのは、他のモノ《他者》に影響をああえる与えるかぎりにおいてであろう。しかし、《私》には他のモノ《他者》にどのような影響を与えたかを《実感》するのは難しい。たぶん、《演技者》にはそのような《実感》があるのだろう。
  7. 《他者》のか《私》のかは問わず、その相互関係も含めた、両方の、《動き》への《息しつつあるモノ》からの《実感》(ウゴイジ)とすべきか?

《データ倉庫》と《息しつつあるモノ》

  1. モノには名前なんかない。モノにとっては名前は無意味だ。
  2. データにはモノを指し示す名前(との繋がり)が不可欠である。
  3. モノを指し示す名前もデータである、か? ○:キーの値として利用可能ということは、あらかじめキーの値がデータ倉庫の中に入っていなければ、マッチングを判定できないので、モノを指し示す名前もデータとして、データ倉庫の中に入っている。×:キーの値、としてはデータ倉庫のデータではない。
  4. データ倉庫は、データベースだけじゃない、書類の山も、書籍も、インターネットも、《他者》の頭もデータ倉庫である。
  5. 「xxさんの 源泉徴収簿の xx年度の 給与・手当等と賞与等との計の 金額」というのはヒトの頭というデータ倉庫からデータを取り出すときのコトバだ。ヒトは、頭からそれを取り出せないので、書類の山というデータ倉庫から、そのデータが記載されている紙を捜し出して、文字が書かれた紙(書面)というデータ倉庫からそれを取り出す。
  6. SQLは関係データベースからデータを取り出すときのコトバだ。
  7. ヒトは、書類を捜すとき、『その書類』の《思いこみ》から『その書類の保管場所』という属性を取り出して、その場所を捜す。
  8. 『データの保管場所』『データの捜し方』は『データ』の属性なのか? ○:。×:。
  9. データはコトバというより文字だな。コトバの抜け殻。コトバ《思いこみ》を生じさせる身体の動きである。文字はコトバの抜け殻だ。ヒトコトバの抜け殻を見て、《思いこみ》を生じさせる動きを行う、それが《読む》という動きだ。
  10. デジタルデータはモノを指し示すことができるか? ○:もちろん、できる。ただし、人々の《思いこみ》を通して。そもそも、《指し示し》はヒト《思いこみ》である。《ヒトの群れ》は人々の《思いこみ》によって支えられている。×:。

《息しつつあるモノ》とデータの名前

  1. 「xxさんの 支払調書の xx年度の 給与・賞与の 支払金額」は「xxさんの 源泉徴収簿の xx年度の 給与・手当等と賞与等との計の 金額」を書き写せばよい。と言ったときの「xxさんの 支払調書の xx年度の 給与・賞与の 支払金額」と「xxさんの 源泉徴収簿の xx年度の 給与・手当等と賞与等との計の 金額」とはデータの名前である。
  2. データの名前は、数字という《思いこみ》《指し示すコトバ》である。か? ○:。×:コトバは、《体内感覚世界》において、そのコトバを(反復?)再生したときにのみ意味を持ち、その作業がなければ意味を持たない。それ自体としては、何モノも指し示さない。
  3. データの名前は、数字という《思いこみ》《指し示す思いこみ》である。か? ○:。×:。
  4. コトバを聞くと、《思いこみ》が生じる。《私》が名前を唱えると、《私》自身それを聞いて、《私》《体内世界》《思いこみ》を生じさせる。《私》は、名前を唱えることによって、《私》自身の《思いこみ》を操ることができる。《思いこみ》《操りつつあるモノ》、《思いこみを操りつつあるモノ》(モイヤモ)と《息しつつあるモノ》
  5. コトバを再生できなけれは、コトバによる《思いこみの操り》はできない。そのコトバを忘れる、というのはそのコトバを再生できない、ということ。ヒトは、覚えた動きを再生できる、というか、「動きを再生できる」ことを「覚える」と呼ぶ。コトバを覚えるというのは、コトバを発する動きを再生できるということである。ミラーニューロンは、見ただけ、聞いただけで、その動き《体内世界》に再生して、それを再生することによってそれを理解する。
  6. 「xxさんの 源泉徴収簿の xx年度の 給与・手当等と賞与等との計の 金額」と唱えると、紙の源泉徴収簿の右側にある数字の欄が、目に浮かぶ。視覚的な《思いこみ》が生じる。関係データベースの表の項目とキーとが目に浮かぶかもしれない。それも視覚的な《思いこみ》だ。
  7. 「xxさん」というのは《モノの世界》の中のリアルなモノだ。「源泉徴収簿」も同じくリアルなモノだ。もっとも、「源泉徴収簿」はたくさんあるので『種類』というべきであり、その『種類』に属する特定の一枚のモノ、と言うべきかもしれない。「xx年度」というのも、時間に対する勝手な区切りに過ぎないが、一応輪郭を有するモノである。「給与」も「手当」も「賞与」もリアルな世界モノである。「金額」もカネというモノだろう。
  8. 「xxさんの 源泉徴収簿の xx年度の 給与・手当等と賞与等との計の 金額」という名前が指し示すモノは、「xxさん」の属性であり、「源泉徴収簿」の属性であり、「xx年度」の属性であり、「給与・手当等と賞与等との計」というリアルなモノの属性である。「金額」の属性かな? 「金額」という『種類』に属するモノの一つ(『集合の要素』)かな?
  9. カネはモノじゃない、《思いこみ》だ。銀行振り込みでカネが動いても、モノは何も動いていない。《私》の通帳の金額の数字が減って、相手の数字が増えるだけだ。《思いこみ》でしかない『カネ』を、あたかもそれが実在するモノであるかの如く恭しく儀式を行うのが銀行だ。
  10. 『金額』『カネ』というのは『それを実在するモノとして扱う』という《思いこみ》を伴った《思いこみ》だね。イワシの頭の神様だって、信じる者にとっては実在するモノであり、端からみれば、『それを実在するモノとして扱う』という《思いこみ》を伴った《思いこみ》だ。《紙幣》というモノがある、というのは《イワシの頭》というモノがある、というのと同じだ。『国家』も『それを実在するモノとして扱う』という《思いこみ》を伴った《思いこみ》だね。《群有思いこみ》
  11. 不思議なことに、データの名前はSQL文に変換できる。「xxさんの 源泉徴収簿の xx年度の 給与・手当等と賞与等との計の 金額」なら「select 給与・手当等と賞与等との計の金額 from 源泉徴収簿 where ( 受給者 = "xxさん" and 年度 = "xx年度")」に変換できる。名前の要素が、《モデル名》(源泉徴収簿)と《キーの値》(xxさん、xx年度と《キー項目名》、受給者、年度)と《項目名》(給与・手当等と賞与等との計の金額)に分類されることになる。そうなのか? ○:。×:《データ倉庫に入っているデータを取り出すときの名前》に限るのではないか。取り出されるデータはコトバである。コトバの倉庫からコトバ(データ)を取り出すときのコトバ(データの名前)はSQL文に記述することができる、ということか?

「私は生命あるものの肉体のなかに宿っている気息である」(p.312『精神哲学』下)

  1. バガヴァッド・ギーターのなかのクリシュナのコトバだとさ。

イシモ・タモジョム・100

  1. タモジョム:《他者からの思いこみ》世界の上方無限遠点
  2. モノたちの世界》の論理。引力と斥力。離合集散。凝縮と爆発。
  3. 《生きモノたちの世界》の論理。成長と自己複製。比較的な優位性と確率的な複製(繁殖)。遺伝子の生き残り競争。生き残りへの欲求、繁殖への欲求。生き残り確率の高い遺伝子が残り、繁殖確率の高い遺伝子が残った、のであるから、現在の《生きモノ》は生き残り欲求、繁殖欲求を持つ。生き残り確率の高い、繁殖確率の高い形態と行動様式。同族の共食いを避け、異種の生物の捕食する。捕食者、被捕食者の分化・共生。被捕食者は自立的であり、捕食者は依存的である。《生きモノ》が環境を変える。《生きモノ》が作り出すニッチな環境に適応した《生きモノ》の分化。大木が日影を作り出せば、日影に適応した植物がはえる。昆虫と植物の共棲。多様化した植物に対応した多様な昆虫。特化と汎化。特化すれば効率的だが、環境の変化に弱くなる。汎化(雑食化)すれば多様な環境で生きられるが、特化した《生きモノ》にはかなわない。繭の内側に描いた世界の中で生きるのは、《生きモノ》行動様式である。ヒトに特有なモノではない。環世界ボス猿崇拝も《生きモノ》行動様式である。
  4. ヒト独自の欲求といえば、自殺への欲求くらいのものだろう。しかしこれは、平安な世界への欲求であり、死=平安という妄想に基づくモノだろう。どちらかというと、妄想することがヒトの特徴であり、死への欲求は妄想の暴走だろう。妄想的行動様式ヒトに特徴的である、か? というとそうでもない。動物でも錯誤する。言語的妄想はヒトに特有かもしれない。コトバが伝達手段であることを超えて、妄想的世界を構築してしまう、というのがヒトの特徴だろう。言語的妄想世界、社会的な約束事、『決まり』、共同幻想、《群れの思いこみ》。言語的妄想世界に生きるヒトは、環境に応じて、いかようにも特化する。奴隷になることもできるし、アインシュタインになることもできる。ヒトは《コトバによる思いこみの世界のサル》である。『福田が日本の首相である』と《群れの中の個体》の大多数が思いこめば、福田は『日本』の『首相』なのである。
  5. 言語的妄想世界進化する《生きモノ》である。
  6. 群生相においては、タモジョムからイシモを見ているようだ。←これは錯覚。《知りつつあるモノ》《思いこみ》世界入り込んでしまって、見えなくなっているだけだ。

モモイム・イシモ・100

  1. モモイム:《近傍物理空間の背後者世界》に拡がる《モノと情報の群れ》《モノと思いこみの群れ》

キクハイ・イシモ・100

  1. 3:モノたちの内部世界《私》《体内世界》モノたちの内部世界
  2. 4:モノたちの内部世界の共有。対話。

イシモ・100

  1. 1 《息しつつあるモノ》それ自身
  2. 2 《体内世界》
  3. 3 《体外世界
  4. 4 《他者の群れ》
  5. 5 《伝聞世界》→《他者からの思いこみ》《他者》からの『現実』《他者》にはそれぞれの『現実』が在る。

《他者》からの『現実』《息しつつあるモノ》

  1. タカゲン・イシモ・100
  2. 《他者》にはそれぞれの『現実』が在る。
  3. 『現実』環世界である。
  4. 《他者》『現実』に執着する。手放すことを恐れる。
  5. 《動きつつあるモノ》は《信じつつあるモノ》である。『現実』を《信じつつあるモノ》であることによって初めて、《動きつつあるモノ》であることができる。
  6. 《私》への、《他者》からの『現実』
  7. 《他者》からの『現実』という繭に閉じこもった《他者》《極座標の原点》

特徴

《知りつつあるモノ》《視点》から見た《息しつつあるモノ》の特徴は下記の通り。

  1. 《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》よりも持続的である。《知りつつあるモノ》は、《知りつつあるモノ》が知りつつあるときにのみ存在する。それに対して、《息しつつあるモノ》は《このヒト》が生まれてから死ぬまで持続する。
  2. 《息しつつあるモノ》は客観的存在である。《知りつつあるモノ》は、《知りつつあるモノ》が知りつつあるときにのみ存在する。それに対して、《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》が知ろうが知るまいが存在する。《息しつつあるモノ》は忘れられることができ、忘れられつつあるときにも存在する。(客観的存在である)。
  3. 《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》よりも根源的である。《息しつつあるモノ》が活動を停止すると《知りつつあるモノ》は錯乱状態になる。
  4. 《息しつつあるモノ》は自覚的に動かすこともでき、非自覚的に自動的に動くものでもある。自覚的に《息しつつあるモノ》でもあり、非自覚的に《息しつつあるモノ》でもある。息を止めたり、意図的に激しく息をしたりすることもできるが、無意識的に息をしている時間も長い。また、長時間にわたって意図的に息を止めることは、できない。自覚的に息をするということは、《知りつつあるモノ》がその背後において《息しつつあるモノ》《繋がり》を持ち、《知りつつあるモノ》《息しつつあるモノ》の制御者として振る舞う状態を言う。無自覚的な《息しつつあるモノ》を観察するというのは、《背後者》における《繋がり》をもたない場合を言う。
  5. 《息しつつあるモノ》《身体》の内部にある。《知りつつあるモノ》《身体》の内部にある。《知りつつあるモノ》《息しつつあるモノ》とは同じ《身体》の内部にある。
  6. 《息しつつあるモノ》は《生かしつつあるモノ》である。《息しつつあるモノ》《息しつつあるモノ》を《生かしつつあるモノ》である。《私》の中の《諸々のxxしつつあるモノ》を《生かしつつあるモノ》である。呼吸停止の実験で分かるのは《知りつつあるモノ》の背後には『生きたい』という欲求、衝動が在るということである。また、《知りつつあるモノ》《息しつつあるモノ》によって《生かされつつあるモノ》である、ということである。
  7. 《息しつつあるモノ》《動きつつあるモノ》である。
  8. 《息しつつあるモノ》《共振しつつあるモノ》である。物質的なインプットとアウトプット。cf.情報的なインプットをアウトプット。
  9. 《息しつつあるモノ》は《めまい》から《知りつつあるモノ》を救う。《思いこみの世界》入り込んで《めまい》を生じた時に、《息しつつあるモノ》の存在を思い出せば、《めまい》から救出される。
  10. 《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》よりも確実にある。(存在の確実性についての定義が必要)。
  11. 《息しつつあるモノ》《個体間関係》においても存在する。
  12. 《私》が群生相にある時にも、《私》《身体》の内部に《息しつつあるモノ》がある。
  13. 《息しつつあるモノ》には《背後者回路》がある。
  14. 《息しつつあるモノ》世界をもつ。《息しつつあるモノの世界》
  15. −−以下はイマイチか?−−
  16. 《息しつつあるモノ》《思いこみ》噴出する。息の排出に合わせて《思いこみ》噴出させることができる。《背後者世界》を浄化する。《宇宙史の思いこみ》を噴出させる。
  17. 《息しつつあるモノ》《私》天命を知っている。《息しつつあるモノ》《私》世界モノたちとの共振関係から《私》天命が導かれる。
  18. 《息しつつあるモノ》《生きつつあるモノ》である。??。《息しつつあるモノ》は、それ自体として《生きつつあるモノ》である?
  19. 《息しつつあるモノ》は呼吸停止によって《知りつつあるモノ》を錯乱させる《ちから》をもつモノである。
  20. 《息しつつあるモノ》に注目すると《知りつつあるモノ》は眠ってしまう。これは面白い特徴である。
  21. 《息しつつあるモノ》《私》世界モノたちと共振する。《息しつつあるモノ》《他者》《息しつつあるモノ》共振する。これも、面白い特徴。
  22. 《息しつつあるモノ》には《ちから》志向性《求める思いこみ》)がある。
  23. 《息しつつあるモノ》カオスを秩序化させるノイズである。

区別

《動きつつあるモノ》《息しつつあるモノ》

  1. 《息しつつあるモノ》《動きつつあるモノ》の一つである。か?
  2. 《動きつつあるモノ》は実感ではない。
  3. 《動きつつあるモノ》は多義的である。
  4. 《動きつつあるモノ》は基本的には、《動きつつある身体》である。
  5. 《息しつつあるモノ》《動きつつある身体》の一部である、か?

イシモ・100

  1. イシモ・1 シリモ《知りつつあるモノ》
  2. イシモ・2 噴出《噴出しつつあるモノ》
  3. イシモ・3 体内世界
  4. イシモ・4 体外世界
  5. イシモ・5 タカモイ。《他者からの思いこみ》
  6. イシモ・6 タキョザゲ。《他者からの極座標の原点》。
  7. イシモ・7 キョザゲム。《極座標の原点の群れ》
  8. イシモ・8 《群有思いこみ》

《息しつつあるモノ》『なすべきこと』

  1. 息をすることは『なすべきこと』である。
  2. 《息しつつあるモノ》『なすべきこと』を知っている。

「最も確実に《在る》という実感を有するモノ」と《息しつつあるモノ》

  1. 今のところ《息しつつあるモノ》が「最も確実に《在る》という実感を有するモノ」である。
  2. しかし、《混濁》から始める場合には、その最初においては、《息しつつあるモノ》は「最も確実に《在る》という実感を有するモノ」ではない。
  3. 《息しつつあるモノ》が「最も確実に《在る》という実感を有するモノ」である。か? ○:。×:。

《選ぶ》ことと《息しつつあるモノ》

  1. 《選ぶ》ことは、《身体》《動き》である。
  2. 《選ぶ》ことは、《思いこみ》を固定することである。
  3. 《選ぶ》ことは、『選んだ』という《思いこみ》を生成することである。
  4. 《選び》・イシモ・100
  5. 《選ぶ》ことは、《決める》ことである。《決める》ことは《動き》を固定することである。《決める》ことは《思いこみ》を《固める》ことである。「決心を固める」。
  6. 《息しつつあるモノ》は、息することを《選ぶ》。吸うことを選び、吐くことを《選ぶ》。
  7. 《選ぶ》ことは、《身体》テリトリーの中にモノを入れることである。
  8. 《選び》は《私》からのモノへの《繋がり》である。

《肉の衣》と《息しつつあるモノ》

  1. 《息しつつあるモノ》のま直近に在るモノを《肉の衣》という。
  2. 《肉の衣》は、《息しつつあるモノ》と同様の確実性をもって存在する。
  3. 《肉の衣》が《知りつつあるモノ》によって、その前面、《知られつつある世界》の中において知られる時、《体内感覚世界》と呼ばれる。
  4. 《肉の衣》が、《知りつつあるモノ》の全体、《息しつつあるモノ》の全体を包み込むモノとして知られる時、《体内世界》と呼ばれる。

《息しつつあるモノ》と『動かすこと』

  1. 《息しつつあるモノ》は、勝手に、《動きつつあるモノ》であると同時に、《息しつつあるモノ》は『動かすこと』ができるモノである。
  2. 動かすこと』とは何か? 結果への《求める思いこみ》を伴って、・・、《知りつつあるモノ》ははならたも離れたモノ《ちから》を及ぼすことができるのか。《背後者》において繋がっているのか、宇宙空間という一つのモノによって繋がっているのか。遠隔作用。素粒子は離れたところにある他の素粒子に《ちから》を及ぼし、離れた場所にある素粒子から《ちから》を受け取る。どうやって? 素粒子は空間のひずみに過ぎない。素粒子は宇宙空間という一つのモノの、さまざまな場所に生じたひずみに過ぎない。素粒子はもともと、一つの宇宙空間というモノで、他の素粒子と繋がっている。のか? ・・ 遠隔作用のもう一つの謎。水素バーナーの水素は、なんで、全部、反応することができるのか? 確率的に、離れた場所にある酸素原子と結合できる確率的な可能性からいって、全部の水素原子が酸素原子と結合できる可能性はあるのか?

《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》

  1. 《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》《求める思いこみ》噴出する。
  2. 《動きつつあるモノ》は、動くために、《知りつつあるモノ》を必要とする。
  3. 《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》とは、《体内世界》において、『もっとも確実に存在するといえるモノ』の双璧である。

《息しつつある身体》《息しつつあるモノ》

  1. 《身体》が息しつつあるモノであると考えるなら、《息しつつある身体》である。
  2. 《息しつつあるモノ》は、その実体は《身体》であると考えることもできる。
  3. 《知りつつあるモノ》が、自らの存在への《こだわり》を維持して、《世界》を知りつつある時、《身体》への認識経路は
    1. 《体外感覚世界》の中の《身体》
    2. 《体内感覚世界》の中の《身体》
    3. 《背後者世界》の中の《身体》
    4. とに分かれる。
  4. どの経路で認識した場合でも、《身体》《息しつつある身体》である。しかし、その段階では、《息しつつある身体》は、認識経路によって3つに分裂している。

《共振しつつある身体》《息しつつあるモノ》

  1. 息をすることは共振の一種である。
  2. 《共振しつつあるモノ》は、《知りつつあるモノ》が、その《背後者》の先にあるはずのモノとして想定した《身体》である。かすかに感じられた《身体》
  3. 《息しつつあるモノ》は、《知りつつあるモノ》が、それによって《知られつつある世界》の中の《体内感覚世界》の中に発見したモノである。
  4. 《知りつつあるモノ》によって《知られつつある世界》の段階では、《共振しつつある身体》《息しつつあるモノ》とは、別の世界の別の方向にあるモノである。

《息しつつあるモノ》丹田、気海。

  1. 《息しつつあるモノ》は下丹田=へそ下=辺りに感じられる。
  2. 気海というのは、下丹田から水平面に広がっているように感じられる。気海は《私》からの《他者》への《繋がり》と関係があるように感じられる。

《息しつつあるモノ》《群生相》

  1. 《息しつつあるモノ》《群生相》においては《ちから》である。
  2. 《内からの視点》における区別は消滅して、遠い《外からの視点》で見ると、《息しつつあるモノ》は一つの《ちから》として見えてくる。
  3. 《内からの視点》《外からの視点》《内外循環の視点》
  4. 《外からの視点》=外から内をみる《視点》=よりも遠い《視点》。外の外から、そのモノの内と外を見る《視点》《群れ》からの《視点》

《混濁》《息しつつあるモノ》

  1. 《めまい》においては、《息しつつあるモノ》が重要である。
  2. 《混濁》においては《息しつつあるモノ》見失われている。
  3. 《混濁》からの《知りつつあるモノ》の分離においても、《息しつつあるモノ》見失われている。
  4. 《息しつつある混濁》。《息しつつある世界》と《息しつつある身体》への分離。《生かされつつある世界》と《生かされつつある身体》への分離。《生きつつある世界》と《生きつつある身体》への分離。

イシモ・100(6)

  1. 《身体》の内外の境界は、ドーデモイーことである。
  2. 《息しつつあるモノ》は宙に浮いている。
  3. 《息しつつあるモノ》は身体や世界に酸素を共有しつつあるモノである。
  4. 《身体》《外からの視点》《知りつつあるモノ》《身体》の中に在る。《自己言及しつつあるモノ》からの《内からの視点》で、《自己言及されつつあるモノ》への《外からの視点》で見通す。視線が直線ではなくループしている。
  5. 《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》無限ループを傍観する。《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》無限ループする。《知りつつあるモノ》にこだわると、無限ループする。《息しつつあるモノ》も吸う《動き》と吐く《動き》無限ループである。《知りつつあるモノ》も知る《動き》と知られる《動き》との無限ループである。《知りつつあるモノ》無限ループは苦痛であるが、《息しつつあるモノ》無限ループは快適である。
  6. 《知りつつあるモノ》のループが苦痛であるのは、酸素の供給が閉ざされるからである。《息しつつあるモノ》のループから分離されてしまうからである。
  7. 《知りつつあるモノ》《息しつつあるモノ》のループに組み込まれなければ生きていくことができない。
  8. 《知りつつあるモノ》《息しつつあるモノ》を知る。《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》を生かす。《知りつつあるモノ》は、《知りつつあるモノ》を生かす《息しつつあるモノ》を知る。《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》を生かす《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》を生かす。《知りつつあるモノ》は、《知りつつあるモノ》を生かす《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》を生かしつつある《息しつつあるモノ》を知る。
  9. 《息しつつあるモノ》は《生かしつつあるモノ》である。
  10. 《知りつつあるモノ》の、《息しつつあるモノ》を媒介とした、自己言及無限ループ。とても、知的とはいえない、超遅速のループ。居眠りに近い知性。
  11. 《息しつつあるモノ》を知るということは、《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》を生かしつつある《息しつつあるモノ》を知るということである。
  12. 《知りつつあるモノ》を知るということは、《息しつつあるモノ》によって生かされつつある《知りつつあるモノ》を知るということである。
  13. 《息しつつあるモノ》を知るということは、《息しつつあるモノ》によって生かされつつある《知りつつあるモノ》が、《知りつつあるモノ》を生かしつつある《息しつつあるモノ》を知るということである。
  14. 《生かされつつあるモノ》は《生きつつあるモノ》である。《知りつつあるモノ》《生きつつあるモノ》である。《めまい》は《生かされつつあるモノ》であり、《生きつつあるモノ》である。《痛み》は《生きつつあるモノ》である。《苦しみ》は《生きつつあるモノ》である。
  15. 『一切』《息しつつあるモノ》によって《生かされつつあるモノ》であり、《生きつつあるモノ》である。《混濁》は《生かされつつあるモノ》である。
  16. イレモ=《生かされつつあるモノ》。

《息しつつあるモノ》世界

  1. 《息しつつあるモノ》世界は、《今・ここの・この肉の塊》《体内世界》−《体外世界》−モノたちの《体内世界》
  2. 《サル山のサル》は?
  3. サヤサ・イシモ・100
  4. 《サル山のサル》は、今はない、が必ず、明日には在る、可能的なモノである。可能的なモノに対しては《呪文》が能く効く。

イシモ*100(5)

  1. 1 《息しつつあるモノ》《身体》の中にある。
  2. 2 《身体》《近傍物理空間》の中にある。
  3. 3 《身体》《近傍物理空間》『一切』『一切』から《混濁》へ。《混濁》《混濁しつつある身体》《肉の塊》《今・ここの・この肉の塊》
  4. 4 《繋がり》《感じ合い》《動き合い》《繋がり》《私》と《彼ら》との感受性と表出との循環関係。モノのレベルでの《繋がり》。魄の《繋がり》《身体》《内からの視点》。繋がった《身体》《内からの視点》。《繋がりつつある身体》の《内からの視点》《今・ここの・この肉の塊》モノのレベルでの感受性と表出モノのレベルでの《知ること》と《動くこと》への《内からの視点》からの《見通し》モノのレベルでの《繋がり》への《内からの視点》からの《見通し》。モツウミ=モノのレベルでの繋がりへの内からの視点からの見通し
  5. 5 『伝聞世界』。《繋がりの先のモノ》から《繋がり》へ、《繋がり》から《私》《噴出》された、彼らの《知った思いこみ》の再構成としての『伝聞世界』。《私》が知ろうが、知るまいが、《繋がりの先のモノ》の内部に存在する、客観的に存在する《知った思いこみ》。生きるということはモノのレベルでの繋がりである。

モツウミ・イシモ・100

  1. モツウミ=モノのレベルでの繋がりへの内からの視点からの見通し
  2. 生きるということはモノのレベルでの繋がりである。

イシモ・100(4)

  1. 《息しつつあるモノ》《混濁》《混濁》《息しつつあるモノ》である。《世界》《息しつつあるモノ》である。『一切』《息しつつあるモノ》である。《知りつつあるモノ》《息しつつあるモノ》である。《他者》《息しつつあるモノ》である。モノ《息しつつあるモノ》である。《モノの世界》《息しつつあるモノ》である。《思いこみ》《息しつつあるモノ》である。《背後者》《息しつつあるモノ》である。《混濁》《息しつつあるモノ》である。((《背後者》《混濁》に含まれるのか?))。
  2. 《息しつつある混濁》は《永遠の今》の中に在る。

《動き合い》《息しつつあるモノ》

  1. 《息しつつあるモノ》《動き合い》世界を知り、《動き合い》世界と繋がり、《動き合い》で繋がったモノから世界を知る。

《息しつつあるモノ》『なすべきこと』

  1. 《息しつつあるモノ》『一切』と向き合っており、『一切』との向き合いにおいて『なすべきこと』を知っている。

イシモからのシリモへの《視点》と、シリモからのイシモへの《視点》

《息しつつあるモノ》と溺れるものの藁

  1. 《息しつつあるモノ》しか見つからなかったのだ。
  2. 溺れるものは藁(water)でもつかむ。

《息しつつあるモノ》と『したいこと』。イシモ・シタコ・100

  1. 『なすべきこと』は意味がない。『したいこと』が重要である。イシモは『したいこと』をする。イシモは『したいこと』しかできない。イシモ『なすべきこと』をするのは、『なすべきこと』をするのが『したいこと』だからである。
  2. イシモが『したいこと』は、息することである。
  3. イシモは過呼吸も無呼吸も避け、中庸ポイントでの適度な呼吸をすることが『したいこと』である。過呼吸・無呼吸はイシモ自体には直接には悪影響をもたらさない。過呼吸・無呼吸は《このヒト》に害を及ぼし、《このヒト》を不快にする。イシモの『したいこと』は《このヒト》に《こころよさ》をもたらすことである。
  4. イシモが《このヒト》の《こころよさ》を求めるのは、イシモが《このヒト》の一部分だからであろう。部分は全体の《こころよさ》を《求める思いこみ》をもつ。部分の『したいこと』は全体の《こころよさ》の実現である。全体の《こころよさ》は部分にも《こころよさ》をもたらす。
  5. 《体内感覚世界》における『体苦』の解消は、イシモの『したいこと』である。他の部分の不快は全体の不快を通して、イシモの不快をもたらす。他の部分Bとの《繋がり》ができると、他の部分Bの不快は、直接に、その部分Aの不快をもたらす。それゆえに、他の部分Bの《不快》の解消はイシモの『したいこと』になる。《不快》《他者》《不快》を吸い込み、《噴出》して、浄化して、解消することが、『したいこと』である。排除の方法(不快な《他者》を排除することによって、個体的な《こころよさ》を確保すること)と救済の方法。
  6. たばこを吸うことはイシモが『したいこと』であるか? ○:。×:。
  7. 風呂に入ることはイシモが『したいこと』であるか? ○:。×:。
  8. 息することは、現実に息が出来ている時には、満たされているので、『したいこと』ではない、か? ○:。×:。
  9. 左上の偏頭痛。
  10. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%AD%E7%97%9B
    1. 肥満気味の人は要注意である。
    2. コーヒーや緑茶を飲むのも良いといわれている。
  11. メールを送ることは、イシモしたいことである、か? ○:。×:。
  12. ヒトと話すことは、イシモが『したいこと』であるか? ○:。×:。
  13. 関係欲求・・後頭部左寄りの偏頭痛。
  14. 《このヒト》は『したいこと』しかできない。
  15. 《このヒト》がしたこと、していたこと、していることは、《このヒト》の『したいこと』であるから、できたのである。
  16. 《このヒト》の『したいこと』と、イシモの『したいこと』とは同じか? ○:。×:。
  17. 《私》はまだ、《このヒト》を知らない、が、イシモなら知っている。
  18. イシモが『したいこと』は《このヒト》を生かすことである。
  19. したいこと』は《内からの視点》《求める思いこみ》《外からの視点》
  20. したいこと』は《思いこみ》であり主観的・自覚的なもの、《したいこと》は客観的な利益であり、発見されるべきモノ。井戸に落ちそうな孺子の好奇心は主観的な利益であり、《思いこみ》としての『したいこと』である。井戸に落ちたくない、というのは客観的な利益であり、モノに内在する《したいこと》である。
  21. 《こころよさ》《快》は能動的・受動的・動的・対他的である。《ここちよさ》《謙》は静的、対自的である。『ここちよさ』は妄想的・夢想的(ゆめごこち)である。《ここちよさ》《こころよさ》は現実的である。
  22. 広義の《こころよさ》《快》には《ここちよさ》《謙》を含む。
  23. 井戸の落ちそうな子供を救うのは、子供の主観的意図に反する暴力である、か?
    1. ○:井戸の中が見える場所に行きたい、という主観的意図に反する暴力である。
    2. ×:井戸に落ちてしまえば、好奇心の《満たされ》は実現できない。従って、子供を救うのは主観的意思の援助である。主観的意図の目的の達成が、その子供の《したいこと》、客観的な意図である。手段的意図が『したいこと』であり、その目的が客観的な意図《したいこと》である。
  24. 救うだけではなく、井戸の中を(安全な状態で)見せて、「ここに落ちたら死んでしまうよ」と諭すことが、彼の《したいこと》を実現することである。
  25. 単純な禁止は、タブーの諭しである。安全のための好奇心の禁止。安全のための排除の勧めである。
  26. 主観的な『したいこと』から客観的な《したいこと》にいたる、《思いこみ》の道筋を与えること。
  27. 他人によって気付かされること、では、本当の意味での《したいこと》には辿り着かない。自分で、気づいていく癖がつかなければ、一歩前進で止まってしまう。
  28. 謙:(1)へりくだる。出しゃばらずに後ろにさがっている。人の下につく。ゆずる。(2)こころよくする。満ち足りて安静なさま。あまんじる。慊。p.1234、学研漢和大字典。慊:(1)あきたらない、ものたりない。満足できない。(2)こころよい。満足する。・・どっちや?
  29. 性欲、食欲はイシモの『したいこと』であるか? ○:。×:。
  30. 『一切』《息しつつあるモノ》の『したいこと』である。《近傍物理空間》のすべてのモノのすべての《動き》《息しつつあるモノ》の『したいこと』である。
  31. 《息しつつあるモノ》の『したいこと』が分かったとしても、《私》がそれに従う義理はない。
  32. 中庸ポイント。x*(1-x)の最大値のポイントが中庸ポイント。何故に、《息しつつあるモノ》は、過呼吸や低呼吸を避けて、適度な呼吸を求めるのか。過呼吸や低呼吸は《私》《不快》をもたらす。何故に、《息しつつあるモノ》《私》《不快》をもたらすことを避け、《私》に《ここちよさ》をもたらそうとするのか? 《このヒト》に《不快》である場合には、《息しつつあるモノ》《不快》だからである。何故に、《このヒト》の《不快》《息しつつあるモノ》《不快》なのか?
  33. 一切はイシモの『したいこと』である、というのは、すべてのモノのすべての動きを、そのモノ内からの視点で、その動きを理解すること。
  34. サヤサたちの動きイシモの『したいこと』である。
  35. イシタコ*100。《息しつつあるモノ》の『したいこと』。『一切』はイシタコである。《知りつつあるモノ》もイシタコである。上方無限遠点もイシタコである。

イシモ『一切』

  1. 『一切』《息しつつあるモノ》にとっての『一切』である、か? ○:全体としての《私》が知り得た事柄の『一切』は、《息しつつあるモノ》にとっての『一切』と同じである。《私》《息しつつあるモノ》とともに始まり、共に終わる。×:『一切』は全体としての《私》が知り得た事柄の一切である。《息しつつあるモノ》にとっての『一切』には限らない。
  2. 《息しつつあるモノ》『一切』は、《息しつつあるモノ》環世界である。
  3. イシモ『一切』には昼間の時間『一切』も含む。
  4. イシモ『一切』は一つのモノである。
  5. イシモ『一切』は、イシモの内部に存在するモノである、か? ○:。×:。
  6. イシモ『一切』は、イシモの内部に《視点》入り込んだときに、イシモの外部に存在するように見えるモノである、か? ○:。×:。
  7. イシモ『一切』は、イシモへの《視点》《入り込み》によって生じるモノである、か? ○:。×:。
  8. イシモ『一切』イシモ環世界である。
  9. イシモの主観世界は、環世界のネットワークを構成する。
  10. 《ネットワーク》=主観的存在のネットワーク。
  11. イシモ ネット 100。
  12. 協調関係、敵対関係。
  13. それぞれの構成原理、《ドメイン》。《ドメイン》の差別化と同化。

イシモ《混濁》

  1. 《混濁》とは何であったのか?
  2. 《混濁》とは《知りつつあるモノ》《混濁》である。《知りつつあるモノ》の機能喪失状態である。
  3. 《知りつつあるモノ》には何か根本的な欠陥があって、真に知ろうとすると、つまり、自分自身を含めて知ろうとすると、《混濁》に陥ってしまう。《知りつつあるモノ》《混濁》を突き抜けて、新たな《視点》を得なければならない。しかし、新たな《視点》はには《知りつつあるモノ》はない。主観的主体としての《知りつつあるモノ》はない。両眼的《視点》? 《知りつつあるモノ》を新たな《視点》に取り込むこと? 主体性を新たな《視点》にろちこむ取り込むこと、再構成すること? 否定としての新たな《視点》の再否定?
  4. 《視点》といっても《知りつつあるモノ》といっても同じである。《視点》も自らを含めて見通そうとすれば《混濁》に陥るのである。
  5. 魂魄。《知りつつあるモノ》は魂の《視点》である。《息しつつあるモノ》は魄の《視点》である。《息しつつあるモノ》からの《視点》は、《生きモノ》からの《視点》である、モノからの《視点》である。
  6. ヒトは単なる物体である。《私》は単なる物体である。
  7. ヒトは「《私》は単なる物体である」という事実を拒否しようとする。これも物体の自然な《動き》である。物体の自己否定である。物体は時間の中にある。時間の中にある物体は常に自己否定の連続である。ヒトが「物体である」といったときの『物体』には自己否定が含まれていない。《思いこみ》だからだ。単純な肯定的な《思いこみ》としての『物体』のイメージしかもつことができないから、「《私》は『物体』ではない」のである。
  8. ヒトは「《私》は単なる物体である」という事実を拒否しようとする理由は、ヒト《我》モノのに動かされ、モノの内部の作用であるからである。ヒト《我》は物体の内部で、物体の法則に駆動された活動状態の一つの経過点に過ぎない。その経過点を『我』であると信じているのである。『我』は物体内部の経過点に過ぎないから、「『我』は『物体』ではない」のである。
  9. 『私』自己言及概念である。《知りつつあるモノ》でもない、《知られつつあるモノ》でもない、《自己言及しつつあるモノ》である。ハウリングである。異常状態である。ハウリングが《混濁》をもたらす。

イシモと《ヒトの居る空間》、ヒイクウ・イシモ・100

  1. イシモヒトクウ、ヒイクウ。
  2. ヒトの居る空間で《息しつつあるモノ》を見つけるのは難しい。
  3. ヒトはサル+αである。「+α」の部分を『ヒト』という。文明であり、コトバであり、洋服であり、文字である。
  4. 《他者》《求める思いこみ》の圧力の空間。《他者》の好感と嫌悪感の空間。
  5. たけ(tk)はヒイクウが嫌いだ。ヒトからの感情は、サルからの感情と同じだ。サルからの好感も嫌いだ。サルからの嫌悪感も嫌いだ。サルのコトバも嫌いだ。サルの文明も嫌いだ。たけ(tk)はサルたちを愛せない。愚かで思い上がったサルたちが嫌いだ。自己嫌悪なのだよ。たけ(tk)は自分の中のサルを愛せない。
  6. 寂しがり屋というタイプのヒトが居る。《ヒトの居る空間》で《思いこみの噴出》をすることが、《こころよさ》なのだろう。たけ(tk)には理解できぬ。
  7. 『孟子』p.222:人の禽獣に異なる所以の者は幾(ほとん)ど希なり。人間と鳥獣とが違っている点は、ほんとにわずかばかりである。・・人倫、善意志、カントと同じことを言っている。カントが孟子の影響を受けているのか? まあ、主意主義ということらしい。

イシモと「うんざり」

    1. ちょっと。あなたのその独善的な態度にもううんざり。 ⇔ Listen, I am so tired of your smug attitude.

イシモ*100(3)

  1. 1 《息しつつあるモノ》《身体》の中にある。
  2. 2 《身体》《近傍物理空間》の中にある。
  3. 3 《近傍物理空間》の中に《モノたち》、《ヒトたち》がある。彼らは動いている。
  4. 4 《動きつつあるモノ》
  5. 5 《知りつつあるモノ》
  6. 6 《感じ合いつつあるモノ》
  7. 7 《他者》から《思いこみ》《噴出》の嵐。
  8. 8 《息しつつあるモノ》への『一切』
  9. 9 《息しつつあるモノ》環世界。主観者の《群れ》の《ネットワーク》。
  10. 10 《内・外の視点》。《感じ合いつつあるモノ》《内からの視点》《知りつつあるモノ》《外からの視点》。両眼の視座。

イシモ*100(2)

  1. 1 《息しつつあるモノ》《身体》の中にある。
  2. 2 《身体》《近傍物理空間》の中にある。
  3. 3 《近傍物理空間》の中に《モノたち》、《ヒトたち》がある。彼らは動いている。
  4. 4 《身体》動く《動きつつあるモノ》
  5. 5 《身体》は知る。《モノたち》の様子、《ヒトたち》の様子、《身体》の内部状態、《他者からの求める思いこみ》、を知る。《知りつつあるモノ》
  6. 6 《身体》はなにものかと感じ合う。《感じつつあるモノ》。
  7. 7 《他者》からのコトバ《他者》からのコトバの嵐。
  8. 8 《息しつつあるモノ》への《コトバ》。コトバを《受け取りつつあるモノ》。
  9. 9 《身体》の内部からコトバを《語りつつあるモノ》。モノへの《コトバ語りつつあるモノ》。ヒトのイメージへの《コトバ語りつつあるモノ》。「ありがとう」と語ってみよう。《モノたち》は笑顔になる。

《息しつつあるモノ》と内外2視点、《内・外の視点》

  1. モノ《内からの視点》と、モノ《外からの視点》
  2. ウチト イシモ
  3. 《知りつつあるモノ》からのモノへの《外からの視点》
  4. 《感じ合いつつあるモノ》からのモノへの《内からの視点》
  5. 《息しつつあるモノ》《内からの視点》と、《息しつつあるモノ》への《外からの視点》
  6. 《知りつつあるモノ》《内からの視点》と、《知りつつあるモノ》への《外からの視点》
  7. 《知りつつあるモノ》への《外からの視点》は可能か? ○:イシモ*100による《息しつつあるモノ》《内からの視点》は、《知りつつあるモノ》への《外からの視点》である。×:。
  8. 《息しつつあるモノ》《内からの視点》は可能か? ○:イシモ*100は、《息しつつあるモノ》《内からの視点》を可能にする。×:。

《息しつつあるモノ》信じつつあるモノ《思いこみつつあるモノ》

  1. 《息しつつあるモノ》は、それを信じることが心地よいモノである。それはそうである。
  2. 《息しつつあるモノ》《思いこみつつあるモノ》からは見えにくい。忘れがちなモノである。
  3. 《息しつつあるモノ》が、それを信じると心地よい、というのは、《思いこみ》からの脱却をもたらすからである。

《諸々のxxしつつあるモノ》《息しつつあるモノ》

  1. 《息しつつあるモノ》《諸々のxxしつつあるモノ》の一つである。
  2. 意味なさげ。削除予定。
  3. 《諸々のxxしつつあるモノ》の分類ができれば、それはそれで、価値があるだろう。

ナワネ 生身の我のネットワーク

  1. 《生身の我》の《ネットワーク》=ナワネ。
  2. 座標変換。鏡像。12の視線。
    1. このシリモから
      1. このシリモからのこの体内感覚世界への視線
      2. このシリモからのあの体内感覚世界への視線。
      3. このシリモからのあのシリモへの視線。
    2. このシリモからのあのシリモへの入り込
      1. あのシリモからのあの体内感覚世界への視線。
      2. あのシリモからのこの体内感覚世界への視線
      3. あのシリモからのこのシリモへの視線
    3. この体内感覚世界への入り込
      1. この体内感覚世界からのこのシリモへの視線
      2. この体内感覚世界からのあの体内感覚世界への視線。
      3. この体内感覚世界からのあのシリモへの視線
    4. あの《体内感覚世界》への《入り込み》
      1. あの体内感覚世界からのあのシリモへの視線
      2. あの体内感覚世界からのこの体内感覚世界への視線
      3. あの体内感覚世界からのこのシリモへの視線
  3. 同一のモノだが、座標系が異なる。別の場所に離れてある。別のモノ。鏡像関係。
  4. 《ネットワーク》においては《生身の我》が《息しつつあるモノ》である。
  5. 《ネットワーク》の他のノード(《他者》)への《入り込み》
  6. 《生身の我》の《ネットワーク》はこの《体内感覚世界》を否定する。この《体内感覚世界》は、《ネットワーク》のノードとしての《生身の我》を否定する。相互否定。対立関係、公理系の選択、別の世界モノ。別の公理系の世界に写った鏡像。
  7. あの《生身の我》は《ネットワーク》のノードである。この《我》は《ネットワーク》のノードであるか? この《我》から見て、《ネットワーク》はどのように見えるか。座標変換
  8. 《他者》との感じ合い、《感じ合いつつあるモノ》は、《ネットワーク》のノードのIOインターフェース・IOセンサーの《動き》である。
  9. 《生身の我》の《ネットワーク》とコンピュータネットワークとの違いは、情報伝達ではなく、《動き》のアウトプットと、《動き》の解釈によるインプットであること。情報という客観的な存在はないこと。
  10. 情報が個体からの解釈を超えた、個体を超えた・独立の存在となるためには、事前の約束・プロトコルが必要である。
  11. 《生身の我》は《思いこみ》をもつ。《動き》をもつ。《思いこみ》《動き》とは対応関係に在る。《生身の我》は《知りつつあるモノ》をもつ。《知りつつあるモノ》《知った思いこみ》を《生身の我》の中に生成する。《知った思いこみ》《求める思いこみ》を生成し、《求める思いこみ》動きを生成する。
  12. 《生身の我》は、他の個体との《繋がり》をもつ。《群れ》との《繋がり》をもつ。《生身の我》は固有の《思いこみ》をもち、関係を求める《思いこみ》をもち、《群れ》に帰属する《思いこみ》をもち、《群れ》全体を配慮する《思いこみ》をもつ。
  13. 《生身の我》はボス猿《求める思いこみ》をもつ。《群れ》を配慮する《思いこみ》において「《群れ》にはボス猿が必要である」という《思いこみ》をもつ。《群れ》の意思を表明する個体が必要である、との《思いこみ》をもつ。『群れの規則』を表明する個体が必要であるとの《思いこみ》をもつ。
  14. ボス猿の部分集団化。独占暴力団
  15. 『群れの規則』は、事実上のモノとして形成されるので、制定者は不要である。
  16. 事実上の『群れの規則』と、制定された『群れの規則』とがある。
  17. 制定された『群れの規則』は、事実上は、ボス猿《動き》ルールである。独占暴力団の内部の『群れの規則』である。それが、暴力的に貫徹されるために、間接的に、《群れ》全体の『群れの規則』になる。が、ならない場合もある。《群れ》全体としては、独占暴力団の目があるときにはそれの規則に従うが、目がなくなれば、従わなくてもよい《空気》になる。刑法も、裁判官に対する命令規範であって、国民に対する命令ではない。
  18. ナワネ イシモ 100
  19. 今・ここ》の《我》においての『《群れ》を配慮する《思いこみ》』は《思いこみ》のモードの遷移によって生じる。《今・ここの・この我》。《視点の移動》
  20. それぞれがヘーゲルであるようなモノ《群れ》。ヘーゲルが記述したのはヒト環世界である。環世界の《ネットワーク》、《極座標の原点》の《ネットワーク》。《ライフオブジェクト》の《ネットワーク》。
  21. 《ネットワーク》のノードの認知規則と行動規則。個体規則と群体規則。『群れの規則』と『個体の規則』。「AならばB」。《群れのシステム》化、独占暴力団という部分集団の発生。ボス猿から独占暴力団へのシステムの進化独占暴力団の権威と権力の組織的分化。独占暴力団の民主化。
  22. 《動き》に内在するルールと、制定されたルール。《モノからのルール》と《コトバからのルール

《生身の我》と《息しつつあるモノ》

  1. 《生身の我》はモノである。《息しつつあるモノ》は《生身の我》からは分離しない。
  2. 《生身の我》には状態がある。状態の《善し・悪し》が在る。

《息しつつあるモノ》と《善し・悪し》

  1. 《善し・悪し》は在るか? 《善し・悪し》は唯一のモノには生じない。《息しつつあるモノ》は唯一のモノであるから、モノとしての《善し・悪し》は生じない。
  2. 《善し・悪し》は比較によって生じる。二つのモノがあるときに《善し・悪し》が生じる。
  3. (同一のモノでも)二つの状態があるときには、状態の《善し・悪し》が生じる。
  4. 《息しつつあるモノ》の状態には《善し・悪し》が生じる。《息しつつあるモノ》にはモノとしての《善し・悪し》は生じないが、状態としての《善し・悪し》は生じる。
  5. 気持ち善し、気持ち悪し。心地善し、心地悪し。目が善い、目が悪い。人が善い、人が悪い。
  6. ワルし←ワロし(悪し=劣る)←オロか(愚か)←オトる(劣る)。

イシモ ネット 100。

  1. イシモ『一切』は一つのモノである。イシモ『一切』は、イシモの内部に存在するモノである。イシモ『一切』は、イシモの内部に《視点》入り込んだときに、イシモの外部に存在するように見えるモノである。イシモ『一切』は、イシモへの《視点》《入り込み》によって生じるモノである。イシモ『一切』イシモ環世界である。
  2. イシモの主観世界は、環世界のネットワークを構成する。《ネットワーク》=主観的存在のネットワーク。
  3. 協調関係、敵対関係。
  4. それぞれの構成原理、《ドメイン》。
  5. ドメイン》の差別化と同化。
  6. それぞれのインプット、アウトプット、内部状態、構成原理、動作規則、認知規則。
  7. 《神の視点》と《モノの視点》。モノの内部からの《神の視点》。「私は会社の歯車だ」という《視点》は《神の視点》である。
  8. 《場オブジェクト》と《個体オブジェクト》と《群体オブジェクト》
  9. 単体個体原理と、関係個体原理と、群内個体原理。他の個体との関係を維持するために必要な行動様式、個体が特定の《群れ》に留まるために必要な行動様式追従ザル)。群上個体原理、《群れ》全体への配慮を行う行動様式ボス猿)。
  10. 百億分の一の無力感。
  11. 権力への意思、と権力への意思への嫌悪。
  12. 《こころざし》は権力への意思を含むが、条件つきの権力への意思である。要するに、何が『善』であるかへの《見通し》がついたなら、権力を欲する、という条件つきの権力への意思。
  13. 《息しつつあるモノ》《ちから》であり、影響力である。すでに、《私》は影響力を持っているのである。その既に持っている影響力への《見通し》が必要である。
  14. 空気》に従うという行動様式は、《空気》の圧力を増すという影響を与える。
  15. 無害に振る舞うという行動様式は、xxという影響を与える。
  16. 《ネットワーク》は《感じ合い》しつつあるモノが感じる。感じつつあるモノ《感じ合いつつあるモノ》
  17. 《ネットワーク》は『一切』の一部である。『一切』は《ネットワーク》の一部である。相互包含関係。《視点の移動》。《公理の移動》。座標変換。座標系の移動。
  18. ヒトの認知様式、行動様式の多様性。ヒトを見て法を説く。行動様式は認知可能だが、(直接には)影響不能である。認知様式は影響可能だが、(直接には)認知不能である。

《元気》《息しつつあるモノ》の鏡像である。か? ○:。×:。

イシモ モイフン

  1. 1 《息しつつあるモノ》《身体》の中にある。
  2. 2 《身体》《近傍物理空間》の中にある。
  3. 3 《近傍物理空間》の中に《モノたち》、《ヒトたち》がある。彼らは動いている。
  4. 4 《身体》動く《動きつつあるモノ》
  5. 5 《身体》は知る。《モノたち》の様子、《ヒトたち》の様子、《身体》の内部状態、《他者からの求める思いこみ》、を知る。《知りつつあるモノ》《思いこみ》の取り込み口。
  6. 6 《感じ合い》しつつあるモノ
  7. 7 《思いこみ》噴出《思いこみ》《噴出》。《思いこみの噴出
    1. 丹田からの情動の噴出
    2. 丹田からの噴出《浄化》すると、胸が《息しつつあるモノ》になる。
    3. 丹田の塊。口の辺りの《思いこみ》噴出。鼻と脊椎の間あたりに空洞ができる。
    4. 行動は《思いこみ》噴出である。
    5. 《私》からの《思いこみ》《噴出》
    6. 《他者》からの《思いこみ》《噴出》
    7. コトバ、文字からの《思いこみ》噴出
    8. モノたち》からの《思いこみ》噴出
    9. 《近傍物理空間》からの《思いこみ》《噴出》
    10. 《宇宙史》からの《思いこみ》《噴出》
    11. 《思いこみ》からの《思いこみ》《噴出》
    12. モイフンは『一切』である。『一切』からの《思いこみ》噴出『一切』《背後者》からの《思いこみ》噴出
  8. 8 《他者の思いこみ》?。『一切』? 『一切』《息しつつあるモノ》にとっての『一切』である。《息しつつあるモノ》『一切』は、《息しつつあるモノ》環世界である。イシモ『一切』には昼間の時間『一切』も含む。イシモ『一切』は一つのモノである。

暴力《息しつつあるモノ》

  1. 天・地・《他者》暴力である。天・地・《他者》からの《私》への暴力である。
  2. 暴力に怯えるのは《身体》である。
  3. 天・地・《他者》《近傍物理空間》である。
  4. 浩然の気。1000人を相手にしても呑まれない気。は天地の間に在る、とやら。
  5. 《他者》の死は暴力である。
  6. 暴力は下丹田で感じるようである。((錯乱するのは《知りつつあるモノ》))
  7. 浩然の気が天地の間に在るというのは、天地とその間からの暴力は、《他者》からの暴力に匹敵し、それ以上の暴力だからである。天地からの暴力を常日ごろ感じていれば、《他者》からの暴力に堪えることができるようになる、ということ。
  8. 《私》を無にすれば、暴力に堪えることはできる、が《私》を無にしたのでは《私》《こころざし》も無になってしまう。でもないか? 《私》への暴力を無にすれば、処理できれば、その無の中から《こころざし》が生じるであろう。
  9. 《身体》的な苦しみ暴力である。

空気》と《息しつつあるモノ》

  1. 《息しつつあるモノ》は《空気》を読む。おそらく、生存本能なのだろう。《群れの中の個体》としての生存本能。
  2. 空気》を「空気」というコトバで呼ぶのは、それが《息しつつあるモノ》が感じる何かだからであろう。《息しつつあるモノ》が呼吸するのは物理的意味での「空気」である。それが《息しつつあるモノ》が感じる何者か、なので、それを「空気」と呼ぶのである。

イシモ*100

  1. イシモ《身体》の中にある。
  2. 《身体》《近傍物理空間》の中にある。
  3. 《近傍物理空間》の中に《モノたち》、《ヒトたち》がある。
  4. 《身体》動く
  5. 《身体》は知る。《モノたち》の様子、《ヒトたち》の様子、《身体》の内部状態、《他者からの求める思いこみ》、を知る。
  6. 《身体》はなにものかと感じ合う。
  7. 《身体》は《モノたち》、《ヒトたち》に《他者の思いこみ》を感じる。
  8. 《身体》は、《身体》の中に《他者の思いこみ》のコピーを感じる。
  9. 《身体》の内部に《求める思いこみ》が生じる。《他者の思いこみ》のコピーから生じる。
  10. 《身体》の内部に《道具的な思いこみ》が生じる。
  11. 《身体》から《私》からのコトバが生じる。
  12. 《身体》《他者》からのコトバを受け取る。
  13. 《身体》《他者》の中に《道具的な思いこみ》を感じる。
  14. 《他者》の中に多数の《道具的な思いこみ》と多数の《求める思いこみ》のネットワークを見つける。
  15. 《身体》《他者》の中に体内世界を感じる。体内世界の中のモノたちのネットワークを感じる。《思いこみ》《知りつつあるモノ》《息しつつあるモノ》《動きつつあるモノ》動かしつつあるモノ》。
  16. 《息しつつあるモノ》《他者の思いこみ》と感じ合う。息するのが疲れるね。《息しつつあるモノ》《他者の思いこみ》を受け取り、噴出する。

《サル山のサル》《息しつつあるモノ》

  1. ヘーゲルは凄いや、網羅的だね。とはいえ、ヘーゲルも《サル山のサル》の一匹にしか過ぎない。《サル山のサル》がどんなに凄いことを言ったって、どんなに壮大な《思いこみ》を描いたって、《サル山のサル》でないものに成ることはできない。
  2. 仮に、《サル山のサル》《宇宙史》の原理を知り、その意志を知ったとしても、《サル山のサル》でないモノになることはできない。《サル山のサル》が知った、というだけの話だ。

《空想しつつあるモノ》と《息しつつあるモノ》

  1. 『精神哲学』岩波文庫版、下、p.129。
  2. 《空想しつつあるモノ》は我を忘れている。
  3. 《空想しつつあるモノ》は『一般者』の《思いこみ》に至る。コトバの『普遍』の《思いこみ》に至る。コトバの『普遍』性の《思いこみ》と結合した空想に至る。
  4. 『普遍』の《思いこみ》に至った《空想しつつあるモノ》はコトバという記号を作り出す。
  5. 《息しつつあるモノ》は、ここで、空想の《思いこみ》も『普遍』の《思いこみ》も捨ててしまう。捨ててはいけない。捨ててしまうと、ヒト世界に戻れなくなる。

《指し示しつつあるコトバ》《息しつつあるモノ》、概念。

  1. 《指し示しつつあるコトバ》=概念。
  2. 《モノの世界》《コトバの世界》は、相互包含関係に在る。相互包含関係は、相手を自分の中に取り込むことであるが、それによって『否定』することになる。相互包含関係は相互否定関係である。正反合の弁証法によれば、相互否定関係は新たな概念を生み出す。《モノを指し示しつつあるコトバ》という概念である。概念というのは《モノを指し示しつつあるコトバ》のことであろう。
  3. モノを指し示しつつあるコトバ》は、《息しつつあるモノ》からみれば、やはり、コトバであり、《思いこみ》である。しかし、この言説は、コトバによって語られている。これを語るコトバは、《モノを指し示しつつあるコトバ》である。「息しつつあるモノ」というコトバは、《息しつつあるモノ》を指し示しつつあるコトバである。
  4. 《息しつつあるモノ》というモノは、「息しつつあるモノ」というコトバを否定する。それは単なる《思いこみ》であり、コトバでしかない、と否定する。しかし、「息しつつあるモノ」というコトバは、《息しつつあるモノ》《指し示しつつあるコトバ》として、《息しつつあるモノ》を包含し、それによって、《息しつつあるモノ》というモノを否定する。相互否定関係である。結局、《息しつつあるモノ》というモノは同時に《指し示しつつあるコトバ》=概念=である、ということに落ち着くであろう。
  5. 《息しつつあるモノ》というモノには、なんら、名前など無い。《私》がそれに「息しつつあるモノ」という名前を与え、その名前で、それを呼んだ瞬間に、それは《息しつつあるモノ》というモノであると同時に、「息しつつあるモノ」という《指し示しつつあるコトバ》になるのである。モノであり、かつ、それを《指し示しつつあるコトバ》であるようなモノ、が概念であろう。それが《指し示しつつあるコトバ》である。つまり、《指し示しつつあるコトバ》は単なるコトバではなく、コトバであると同時にモノであるようなモノ、である。
  6. 《指し示しつつあるコトバ》コトバモノとの繋がりであり、コトバモノ《群れ》である。「指し示しつつあるコトバ」と《指し示されつつあるモノ》の《群れ》である。
  7. 《息しつつあるモノ》《指し示しつつあるコトバ》なのである。
  8. 《混濁》の項目に [《混濁》コトバを付加すると、指し示しつつあるコトバ(「混濁」というコトバ)と《指し示されつつある混濁》(《指し示されつつあるモノ>としての《混濁》)とに分離する。]という記述を見つけた。そこでは《指し示しつつあるコトバ》モノコトバに分離する過程が描かれている。たけ(tk)が『概念』を喪失した瞬間である。
  9. 『精神哲学』下、p.151。コトバモノとの繋がりにおいては、《思いこみつつあるモノ》が与える意味を必要とする。コトバ《思いこみつつあるモノ》《背後者》記憶として保存され、噴出し、《思いこみつつあるモノ》を通過しながら循環する。《思いこみつつあるモノ》《動きつつあるモノ》の一種であるに至る。その循環コトバ記憶コトバ循環を自覚して、注意深く《思いこみ》を排除するなら、コトバ《指し示しつつあるコトバ》としてモノの存在と同視できるようになる。てなことが書いてある。

《息しつつあるモノ》《極座標の原点》

  1. 《極座標の原点》《息しつつあるモノ》に置くことができる。
  2. 《息しつつあるモノ》《極座標の原点》である。
  3. 《息しつつあるモノ》としての《極座標の原点》、が在る。
  4. 《極座標の原点》としての《息しつつあるモノ》がある。
  5. 《極座標の原点》は、物体の中に在る。か? 別の概念には別のコトバを与えるべきか?

《息しつつあるモノ》と《動かしつつあるモノ

  1. 《息しつつあるモノ》が自発的に《動きつつあるモノ》であるとき、《息しつつあるモノ》自身が《動かしつつあるモノ》である。
  2. 《知りつつあるモノ》《息しつつあるモノ》に注目し、意図的に、自覚的に動かしているとき、《息しつつあるモノ》は、何らかの《動かしつつあるモノ》によって《動かされつつあるモノ》である。
  3. 自覚的呼吸をしつつあるときに、《動かしつつあるモノ》は何か、どのようなモノか?
  4. 《息しつつあるモノ》を《動かしつつあるモノ》は、《知りつつあるモノ》の背後に《知りつつあるモノ》を一塊であるように見える。

《息しつつあるモノ》《ブッダの「一切」》

  1. 《ブッダの「一切」》は正しいのである。それしかないのである。問題は「心の作用」であるのだが、「心の作用」である、と切り捨ててしまうのか、「心の作用」を知ればよい、とするか。『一切』と知る、といことは、「心の作用」を知る、ということである。
  2. ブッダは身体表面の内外の区別について、どう考えていたのだろうか?
  3. すべてのモノには内外がある、という《相対者公理》を想定していたのだろうか? それとも、《私》は他のモノを知ることができない、他のモノになることはできない、という《絶対者公理》を想定していたのだろうか? 眼・耳・鼻・舌・身・意を媒介とする、ということは《絶対者公理》を想定していたように見える。しかし、すべてのものは眼・耳・鼻・舌・身・意を媒介として《身体》の外部を知る、という意味であれば、《絶対者公理》につながる。
  4. 眼・耳・鼻・舌・身・意は、光を媒介とする他のモノとの接触、音を媒介とする他のモノとの接触、気体中の化学物質を媒介とする他のモノとの接触、液体中の化学物質を媒介とする他のモノとの接触、物理的・直接的な接触による他のモノとの接触、《感じ合い》による他のモノとの接触。
  5. 接触→記憶→因果法則→目的手段。選択肢+因果法則→結果予測→結果評価→結果選択→手段選択。モノには目的手段はない、のだが、《生きモノ》進化の結果として目的手段の選択が可能になっている。「接触→記憶→結果評価・因果法則→目的的手段選択」は物理的にシミュレーション可能である。結果への評価も進化の結果として生じる。
  6. 十無記の立場からすれば、《私》と他のモノとが同質であるかどうかは、知ることができないことである。《私》がどうであるかは語ることができるが、他のモノ《私》と同質であるかどうかは語ることができない。

『なすべきこと』《息しつつあるモノ》

  1. 息することは『なすべきこと』か? ○:。×:。
  2. ヒトには《求める思いこみ》がある。この《肉の塊》には《求める思いこみ》がある。この《息しつつあるモノ》には《求める思いこみ》がある。『なすべきこと』《求める思いこみ》がある。『ユートピア』の《求める思いこみ》がある。
  3. この《息しつつあるモノ》には、この《肉の塊》への《求める思いこみ》がある。
  4. この《息しつつあるモノ》には、この《近傍物理空間》への《求める思いこみ》がある。
  5. この《息しつつあるモノ》には、この《近傍物理空間》の中の《モノたち》、《ヒトたち》への《求める思いこみ》がある。
  6. この《息しつつあるモノ》には、この《肉の塊》《動き》への《求める思いこみ》がある。
  7. この《息しつつあるモノ》には、この《肉の塊》の中の《知りつつあるモノ》への《求める思いこみ》がある。
  8. この《息しつつあるモノ》には、この《肉の塊》《感じ合い》への《求める思いこみ》がある。
  9. この《息しつつあるモノ》には、《モノたち》、《ヒトたち》の《他者の思いこみ》への《求める思いこみ》がある。

《息しつつあるモノ》とユダヤの神

    1. イザヤ書02:22 人間に頼るのをやめよ
    2. 鼻で息をしているだけの者に。どこに彼の値打ちがあるのか。
  1. 値打ち、ねぇ・・・。
  2. 神には値打ちがある。信じれば、よいことがある。誰にとって善いことがある? 信じるヒトにとって善いことがある。信じるヒトとは、《極座標の原点》であるようなヒトである。《極座標の原点》であるようなヒトには値打ちを決める原点が在る?鼻で息をしているだけの《肉の塊》の作用でしかない《極座標の原点》に、値打ちを決める原点が在る? それにとってそれは値打ちが在る。あれにとってあれは値打ちが在る。自己言及には自己言及的な値打ちが在る。値打ちとは自己言及である。
  3. すべてのモノ自己言及的な値打ちを有つ。
  4. 世界は、自己言及的な値打ちを有つモノ《群れ》である。
  5. 自己言及的な値打ちをもつモノ《群れ》世界は《ヒト世界》である。《ヒト世界》のヒトとは、生物学的意味における人間に限らず、素粒子から始まる物的存在のすべてを意味する。
  6. 『値打ち』などないさ。『値打ち』は《思いこみ》である。
  7. 『値打ちなど無い』は《思いこみ》である。『価値』、『なすべきこと』

《息しつつあるモノ》*100、イシモ*100と『生存目的』《生存目的喪失感》

  1. 《息しつつあるモノ》・いち、《息しつつあるモノ》・に、《息しつつあるモノ》・さん、・・・・《息しつつあるモノ》・きゅうじゅうきゅう、《息しつつあるモノ》・ひゃく」と呼吸にあわせて百まで数えられたら、何か分かると思うよ。過呼吸にならないように注意してね。
  2. 「えっ? できたの?そりゃ凄い。なかなか百までは数えられないモノだよ」
  3. 自分が生きモノであって、生きモノってのは、何かしたがるモノだ、ということかな?
  4. 《背後者》の全体が、《息しつつあるモノ》と一体となって、《背後者》の全体が息しつつあるモノになる。感じ。

《共振しつつあるモノ》《息しつつあるモノ》

  1. 《息しつつあるモノ》《共振しつつあるモノ》である。
    1. 《息しつつあるモノ》空気を吸い、空気を吐くことによって、共振する。
    2. 《息しつつあるモノ》の認識眼界の先には《共振しつつある身体》がある。《息しつつあるモノ》《浄化》によって透明化し、拡大すると、《共振しつつある身体》に至る。《共振しつつある身体》は、《他者》からの《思いこみ》を吸い、《思いこみ》《他者》に吐き出す。
  2. 《息しつつあるモノ》はIO(input output)である。

《息しつつある混濁》《息しつつあるモノ》

  1. 《息しつつある混濁》は、《知りつつあるモノ》《背後者》に向かって混濁し、それが、《息しつつあるモノ》であることに気がついたモノである。
  2. 《息しつつある混濁》《息しつつあるモノ》《知りつつあるモノ》との間にあるものの一つである。

《息しつつあるモノ》と《手当て》

  1. 手を当てること。
  2. 《息しつつあるモノ》無限遠点、冷たい壁。冷たい壁に手を当てること。《自分》も冷たく凍りつくこと。凍りついた《自分》を感じることによって、《相手》を治すこと。シンクロ状態を確立すること。シンクロ状態の中で、対処可能な《自分》の側で対処することによって、シンクロ状態の中で、《相手》に影響を与えること。《感じ合い》《仕合わせ》、シンクロ、《合わせ合い》。

《息しつつあるモノ》と《ヒト世界

  1. 《極座標の原点》《群れ》世界自己言及関数の《群れ》世界。Yn+1=F(Yn)
  2. 何故か、《めまい》を誘う。カオス
  3. ヒト世界》は《モノ世界の中のヒト》の《群れ》世界であり、ヒト《極座標の原点》であるようなヒトである。ヒトは、それぞれが、それぞれの《コトバの世界》を持っており、主観的には、彼の《コトバの世界》の中に住んでいる。ヒトは、客観的には《モノの世界》に住んでいるのだが、主観的には《コトバの世界》に住んでいる。

《息しつつあるモノ》《極座標の原点》

  1. 《息しつつあるモノ》《極座標の原点》を置くのが望ましい。
  2. 《極座標の原点》はすべての場所に置くことができる(すでに存在している)。しかし、(端緒となるべき)固定的な《見通し》を得るには、固定的な場所に《極座標の原点》を置くのが望ましい。安定的な性質を有する場所に置くのが望ましい。人間的な場所に置くのが望ましい。《動き》のある場所に置くのが望ましい。具体的なモノの中の場所であることが望ましい。・・よって、《息しつつあるモノ》の場所に《極座標の原点》を置くことが望ましい。
  3. たけ(tk)コトバを欲しない、たけ(tk)《見通し》を欲する。ましてや、《他者》《私》コトバが理解されることは欲していない。「明日に道を聞かば夕べに死すとも可なり」「明日に《見通し》を聞かば夕べに死すとも可なり」
  4. イシモ・エントウ。《息しつつあるモノ》無限遠点の灯明。・・《他者》は《思いこみ選択回路》である。←今見えているモノ

《息しつつあるモノ》の輪郭

  1. 《息しつつあるモノ》の輪郭は何か?
  2. 《知りつつあるモノ》《息しつつあるモノ》として感じる場所の輪郭は何か?
  3. 《知りつつあるモノ》《身体》《息しつつあるモノ》とイコールであるとは感じない。《息しつつあるモノ》《身体》の内部の、《身体》の一部であると感じる。《私》は指先(《身体》の別の一部分)が《息しつつあるモノ》であるとは感じない。
  4. 《知りつつあるモノ》《身体》の内部において《息しつつあるモノ》であると感じる部分があり、その輪郭も見いだすことができるが、その輪郭をコトバで記述するのは難しいであろう。(ミカンの輪郭をコトバで記述するのも難しい)。しかし、《私》は、ミカンの輪郭を知っているのと同様に、《私》《身体》の内部の《息しつつあるモノ》の輪郭も知っている。??《体内感覚世界》の中のモノの輪郭は曖昧である。《息しつつあるモノ》の輪郭も曖昧である。中心部分はそれが《息しつつあるモノ》であるといえるが、周辺部分は《息しつつあるモノ》であるとも、そうでないとも言える部分が広がる。明らかに、《息しつつあるモノ》の部分ではないという部分(例えば指先)もある。この部分は《息しつつあるモノ》である、この部分は《息しつつあるモノ》ではない、と区別していけば、輪郭が定まるかもしれないが、時間とともに判断が変わるかもしれない。

《息しつつあるモノ》《身体》

  1. 《知りつつあるモノ》からの《息しつつあるモノ》への《視点》。《中からの視点》。
  2. 《息しつつあるモノ》からの《視点》。《中からの視点》。
  3. 《身体》の外からの《息しつつあるモノ》への《視点》《外からの視点》。『客観』からの《視点》
  4. 《息しつつあるモノ》の基体は何か? 《外からの視点》
    1. 《身体》内部の、《体内感覚世界》の中のモノ《身体》内部からの《視点》からの《身体》内部のモノ
    2. 《身体》自体。《身体》の外部からの《視点》からの《身体》
  5. 下腹部、肺、気道、鼻。息するために動いているのは下腹部。
  6. 輪郭が曖昧であり、《息しつつあるモノ》《身体》であるという言い方もできる。が、指先が《息しつつあるモノ》であるとは言いがたい。
  7. 《息しつつあるモノ》《身体》全体であるとも言えるし、《息しつつあるモノ》《身体》の一部分であるともいえる。輪郭が曖昧だから。広義、狭義。狭義では《身体》の一部分、広義では《身体》そのもの。
  8. 《身体》を超えて広がることはない?
  9. 《息しつつあるモノ》世界そのもの、ということもできる。息しつつあることは、世界《私》との間の相互作用なので、《私》世界の両方を含む世界《息しつつあるモノ》であるとも言える。超広義の《息しつつあるモノ》《息しつつある混濁》は超広義の《息しつつあるモノ》
  10. 《息しつつあるモノ》は、《近傍物理空間》の中のモノとしての《身体》《動き》である。

《息しつつあるモノ》への《視点》《息しつつあるモノ》からの《視点》

  1. 《息しつつあるモノ》からの《視点》で見るとxxはどう見えるか。
  2. アリストテレスは、《視点》を固定すれば論理学が成り立つという。

《息しつつあるモノ》自己言及的な感覚、体内感覚

  1. 体内感覚は対自的感覚か? 違うような気がする。感覚するモノと感覚されるモノとはあくまで別。《身体》には大きさが在るから、《身体》の或る部分が、《身体》の別の部分を感覚しているのだろう。右手が感じる左手は感覚するモノは右手であり、感覚されるモノは左手である。
  2. 肺は《身体》の表面である。凹んだ《身体》の表面の感覚である。両手を合わせた時に、左手が右手を感じ、感じつつある相手を感じ、感じられつつある自手を感じ・・、という自己言及的な感覚である。
  3. 体内感覚自己言及的な体外感覚である。即自感覚、対他感覚、対自感覚。結局ヘーゲル?
  4. http://www.tabiken.com/history/doc/Q/Q228R100.HTM
    1. 絶対者は即自・対自・即かつ対自という3段をへて発展し,まず即自的な運動をなしてのち,対自的に自然として外化し,ここから自らに帰って即かつ対自的に認識を完成する。
  5. 対自の不動点のイメージなのか・・。
  6. 「手当て」される側の感覚は、たしかに、体が手当てする手を感じ、手によって手当てされる体自身を感じる、という自己言及的な感覚であり、それによって、体が体自身を感じることによって、体が活性化される、という効果をもたらすのだろう。しかし、それは特殊な場合であり、体内感覚一般に一般化することはできない。

《息しつつあるモノ》ブッダ《息しつつあるモノ》

  1. 肉体的存在であったこと。スジャータにミルクをもらったこと。死んだこと。
  2. 在るがままに見よ。《身体》性も在るがままに見ていたはず。

《息しつつあるモノ》《視点》

  1. 《息しつつあるモノ》《視点》世界を再構成してみよう。

《混濁》と「《息しつつあるモノ》《視点》

  1. 《混濁》を、《息しつつあるモノ》《視点》から見ると、《混濁》とは《知りつつあるモノ》の自己崩壊現象である。
  2. 《知りつつあるモノ》によって生じた《混濁》《視点》によって分離する。
  3. 《息しつつあるモノ》を残して《混濁》に戻ると《息しつつある混濁》になる。
  4. 《混濁》《視点》」と「《息しつつある混濁》《視点》」の位置関係。
  5. 《息しつつある混濁》が分離すると、分離したすべてのモノ《息しつつあるモノ》(広義)となる。《息しつつあるモノ》世界となる。《息しつつあるモノ》世界への《視点》。《息しつつある世界》という《視点》。《息しつつある視点》。
  6. 《視点》と《動点》と《楽点》。モノは自らの《楽しみ》のために動き、見るのである。《息しつつあるモノ》は自らの《楽しみ》のために動き、見るのである。《楽しみ》動きつつある時に感じつつある快感であり、知りつつある時に感じつつある快感である。《楽点》は《楽しみ》を感じる点であり、《動き》の中に《楽しみ》を感じる点、知ることの中に《楽しみ》を感じる点であり、楽しむが故に《動き》を作り出し、楽しむが故に知ることを作り出す点である。
  7. 《息しつつあるモノ》(狭義)から《息しつつある混濁》への移行は、《身体》の枠を《混濁》の中に沈める段階がある。
  8. 《視点》と《息しつつある視点》との位置関係は、死んだ《視点》/固まった《視点》/怯えた《視点》と、生きた《視点》という位置関係であろう。《怯え》⇔《楽しみ》の座標軸であろう。冷たい《視点》と暖かい《視点》か?(「冷たい⇔暖かい」は物理的意味があり、比喩的なので適当ではない)。

《息しつつあるモノ》《求める思いこみ》

  1. 《息しつつあるモノ》の中に『生きたい』はあるか?
  2. 《息しつつあるモノ》の中に『息したい』はあるか?
  3. 支障なく息しつつあるときには、ない。
  4. 息を止めて、しばらくすると『息したい』が生じる。
  5. 『息したい』は不安、不快、脳の痛みである。息を止めているときには《息しつつあるモノ》はない。《肉の塊》はある。『息したい』は肉の塊の中にある。
  6. 《肉の塊》の中の『息したい』の不安不快は『生きたい』でもある。『生きたい』は《肉の塊》の中にある。
  7. 『息したい』は不安不快の記憶である。不安不快の記憶があるので、息したいかと問われれば、不安不快の記憶から逃れたいがために、息したいと答えるようになる。

《息しつつあるモノ》からの《視点》と、《息しつつあるモノ》への《視点》

  1. 《息しつつあるモノ》への《視点》では、《息しつつあるモノ》は四次元時空の中にあり、始めと終わりが在る。
  2. 《息しつつあるモノ》からの《視点》では、《息しつつあるモノ》永遠の今の中に在る。
  3. 《中からの視点》と《外からの視点》、《モノからの視点》と《モノへの視点》。

トウミョウ・イシモ《息しつつあるモノ》

  1. 自灯明》と《視点》とを獲得した《息しつつあるモノ》をトウミョウ・イシモという。
  2. トウミョウ・イシモ《知りつつあるモノ》と二人三脚で、《肉の塊》動かす
  3. 《息しつつある灯明》。イトミョウ。《息させつつある自灯明》をイトミョウという。
  4. 《息させつつある自灯明》は、《息させつつあるモノ》の《自灯明》である。すべてのモノには《自灯明》がある。《息させつつあるモノ》にも《自灯明》がある。
  5. 《息させつつある自灯明》は、《私》の《自灯明》を《私》の《息させつつあるモノ》に移動したモノである。《私》の《自灯明》は住所不定で動き回る。それを《息させつつあるモノ》の内部に放りこんだモノが《息させつつある自灯明》である。
  6. 《知りつつあるモノ》《視点》にとっての《息しつつあるモノ》は、《肉の塊》《視点》では、《息しつつある肉の塊》と《息させつつあるモノ》とに分離する。
  7. イトミョウは、《知りつつあるモノ》《視点》では《息しつつある自灯明》であり、《肉の塊》《視点》では《息させつつある自灯明》である。

《息しつつあるモノ》《肉の塊》

  1. 《息しつつあるモノ》への《持続する時間の・ここ》の《視点》からの輪郭が《肉の塊》である。