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《生きモノたちの世界のルール》

《生きモノたちの世界のルール》

定義

いもせる

記述

区別

血祭りと《生きモノたちの世界のルール》

  1. 集団ヒステリー状態なのだよ。《ヒトの群れ》の病気だね。
  2. 《生きモノ》は多数の個体が狭い空間に閉じ込められると仲間に対する攻撃性を増す。

愛国主義(憎国主義)と《生きモノたちの世界のルール》

  1. http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=471413&media_id=31
    1. <聖火リレー>長野に「命がけで守る留学生」4千人が日本中から集結―中国で報道
  2. へのmixiでのコメントの嵐。凄まじい排外感情の嵐。憎国主義の嵐。
  3. 憎国主義、憎国感情は《生きモノたちの世界のルール》である。《群れ》の《個体》は隣の《群れ》に対して、攻撃本能を解発する。自分の《群れ》の中で抑圧された攻撃本能を、他の《群れ》に対して解発する。まあ、《生きモノたちの世界のルール》だ。
  4. 自分の《群れ》テリトリーを守るための防衛本能なのでしょう。
  5. 群れで生きる生き物たちは、群れのテリトリーに他の群れのメンバーが入ってくると、ギャーギャー騒ぎはじめる。
  6. 単独個体が生きる生き物たちは、そのテリトリーに他の個体が入ってくると、威嚇し、攻撃する。
  7. 群れの生き物たちがギャーギャー騒ぐのは、個体で生きる《生きモノ》の威嚇に対応する。
  8. 威嚇は攻撃の予告である。
  9. 攻撃のための興奮状態の形成でもある。
  10. 同類への攻撃は、禁忌でもある。餌への攻撃には禁忌はない。餌への攻撃は成功を目的とする。同類への攻撃は、排除が目的であり、殺傷は禁忌である。
  11. 餌への攻撃に威嚇はない。静かに行われる。
  12. 捕食者、強敵へは威嚇が行われる。闘争の回避、相手の排除が目的
  13. 同類への共感が無くなると、攻撃は、餌への攻撃と同じように、静かに、合理的に行われるようになる。
  14. 排他的愛国主義と、普遍的愛国主義とがある。「それぞれの国の人がそれぞれの国を愛することを尊重する」というのが普遍的愛国主義。

再分配と《生きモノたちの世界のルール》

  1. 奪い合い→与え合い→交換→再分配。

《騙し》と《生きモノたちの世界のルール》

  1. 《生きモノたちの世界のルール》の中には《騙し》がある。しかし、『在る』からといってそれが『よい』わけではない。
  2. ウソつきは、騙す当人が損害をこうむることは多くない。騙されたヒトが損害をこうむるは多い。群れは必ず損害をこうむる。
  3. ポーカー主義。利益のための騙し合いを楽しむゲーム。としての政治を是とする思考様式。

《ハルマゲドン欲求》と《生きモノたちの世界のルール》

  1. 救世主欲求がイモセルにある。
  2. ハルマゲドン欲求も救世主欲求の変形。
  3. 人類絶滅欲求を持つ人々にとっては、人類絶滅は良いことである。
  4. バカは死ななきゃ治らない。人類というバカは絶滅さななきゃ治らない。しかし、死んだら治るわけではない。絶滅して救済されるわけではない。

生産手段の私有と《生きモノたちの世界のルール》

  1. http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20080415/153111/?P=3
    1. 所有すれど運営せず」で成長するホテル
  2. 経営は筆頭奴隷が行うのが《生きモノたちの世界のルール》である。か?

(形式的)法治主義と《モノたちの世界ルール

  1. 「全員を有罪にしうる法律を施行しておいて、恣意的に取り締まるような方法」(http://www.asyura2.com/08/hihyo8/msg/205.html)。
  2. 情実による支配(自分だけ得をしたい)と法による支配(同一の基準が公平に適用される)とで・・、学生時代に聞き取り調査をしたところ、法律専攻以外の学生はほとんど「人の支配のほうがよい」と答えた。法による支配は冷たいイメージで、人による支配は暖かいイメージらしい。
  3. 『韓非子』は形式的法治主義なのだが(君主を国民に読み替えると、実質的法治主義になると言ってよい)、日本人の法感覚は、形式的法治主義にも達していない。国民は、事実において主権者なのである。事実において、国民の政治意識のレベルでしか、その国の政治は行われないのである。国民が情実を求めるなら、不公平な情実が支配する政治になる。国民のエネルギーは情実を求めるためのエネルギーによって浪費されるようになる。
  4. 《生きモノ》が自己の生存を最優先するのは当然である。生存の危機を感じれば、生存欲求が最大唯一の欲求となる。その状態において「自分だけは助かりたい」という情実行動に走るのは自然である。情実政治に利権を有する権力者たちが、国民を生存の危機に晒すのは、《生きモノ》として《欲求実現手段》である。国民がそのことに気がつかなければ、それに反抗することはあり得ず、反抗しなければ、力を有する権力者たちの《欲求》によって政治が作り替えられ、《ヒトの群れ》が腐っていくことは必然である。《生きモノたちの世界のルール》である。

カオスルールと《モノたちの世界ルール

  1. 《生きモノたちの世界のルール》カオスルールである。カオスとは、自己言及関数の《群れ》が作り出す予測不可能な関数である。
  2. カオスな関数においても、取りうる値の範囲は一定の範囲内に収まる。また、何れxxの範囲内の値を取るに違いない、という予測は可能である。しかし、いつ、は分からない。リンゴは何れ落ちる。落ちるのは重力の法則による。しかし、いつ落ちるのかは、カオス関数が決める、予測不可能な時である(直前になれば、予兆を観測することにより、ある程度の予測は可能)。

権力の腐敗と《生きモノたちの世界のルール》

  1. なぜ、日本の政治家・官僚は駄目な制度を作ろうとするのか?
  2. 誰の意図なのか?
  3. 司法官僚の意図。反抗だろう。潰すための駄目制度。
  4. 独占維持のために、駄目制度に改変した。
  5. 日本では、そのような駄目制度だらけになってしまった。
  6. 議員は聞こえのよい旗を振り、官僚は駄目制度に改変して潰す。
  7. 暴力も一つのルールである。奢りと憎しみと詛いもルールである。詛いも、まだ気力が残っている証拠である。まだ、心が生きている証拠である。《生きモノたちの世界のルール》では心は死んでしまう。暴力がはびこれば心は死ぬ。心無き者たちの戦いの劇場になる。ドーデモイーことだよ。人類は、彼らがそう望むのであれば、心を失えばよい。彼らの望みしだいだ。彼らは地獄を望んでいるのだ。死刑を望む少年と同じだ。少年は自らが極刑に付されることを望んでそのように振る舞い、人類は自らが地獄に落ちることを望んでそのように振る舞うのだ。
  8. 《他者》《群れ》への善意は《私》を地獄に突き落とす。彼らがブッダでない限り。餓死した方がましだ。自分を守れ。
  9. 《彼ら》はヒトじゃない、《生きモノ》だ。飢餓で苦しもうとも《彼ら》の問題でしかない。投機で食料を独占してから、「善意」の援助を行うとしても《彼ら》の自由だ。《彼ら》のことなどドーデモイーことではないか。《彼ら》がどうなろうとも、《私》には知ったことではない。《彼ら》の絶滅に到る演劇を鑑賞しようではないか。
  10. 《彼ら》は絶滅するか? ○:。×:たぶん、しないだろう。永遠に共食いしながら生きていくのだろう。捕食者人類と餌人類とに分かれるのか?
  11. 《彼ら》は捕食者人類と餌人類とに分かれるのか? ○:生物の進化からいえば、そうなるね。×:でも捕食者人類のいのちも長くはないよ。餌人類の数が少なくなれば、捕食者人類のほうが先に亡ぶだろう。
  12. 人類文明はカネによって栄え、カネによって滅びるのだ。
  13. コンピュータによって統治された方がましだ。法の支配ではヒトの欲望によって腐敗してしまう。コンピュータもヒトの欲望によって腐敗するだろう(腐ったプログラムに書き換えられていくだろう)。
  14. 《他者》の《いのち》よりも《私》のカネのほうが大事だ。マモンに奉仕せよ。マモンを信じるモノは・・。マモンを信じないモノは餓死させられる。マモンに奉仕するモノはカネを得る。マモンに奉仕するモノヒトであることは失うが、《生きモノ》としてカネを得ることはできる。タヌキの葉っぱこそが至上の価値を有する。タヌキの葉っぱこそが人類が奉仕すべき唯一の価値である。マモンこそが唯一の神である。マモンこそが人類を支配する唯一の神である。人類とはマモンに奉仕する《生きモノ》である。人々はマモンに忠誠をい、タヌキが作った葉っぱを崇拝する。《健常者》マモンに忠誠を誓い、タヌキが作った葉っぱを崇拝する。『マモンの原理』

《生きモノ》たちと《生きモノたちの世界のルール》

  1. 《生きモノ》たちは《生きモノたちの世界のルール》のプレイヤーである。
  2. 《生きモノ》たちは、《生きモノ》として生まれ、《生きモノ》として生き、《生きモノ》として死ぬ。(それだけか?)
  3. 《生きモノ》たちの《生きる》とは《欲求実現行動》である。《欲求実現行動》を否定することはない、『永遠のいのち』を求めて生きることを止める必要はない。限りある『いのち』を精一杯『生きる』のが『よい』ことだ。《欲求》には高低のレベルが在る。『よい』『わるい』のレベルが在る。より『よい』《欲求》を求めればよい。最高の《欲求》を求めればよい。どのみち限りある《いのち》だ。その限りにおいて、より『よい』《欲求》、有限の選択肢の中で最も『よい』《欲求》を求めればよい。
    1. 人々を騙して、人々を『よい』方向に導くのが『よい』と思うなら、その《欲求》を実現する行動を取ればよい。火宅の譬喩。
    2. 《モノ作り》『よい』と思うのなら、その道を進めばよい。
    3. 人々の紛争解決が『よい』と思うのなら、その《欲求実現行動》を取ればよい。
    4. 人々の病気の治療が『よい』と思うのなら、それもよい。
    5. 自分の金儲けが『よい』と思うのなら、それで行け。
    6. 人殺しが『よい』と思うのなら、やってみな。(人殺しは罰するのが『よい』と思う人びとに罰せられるだろうけどね)。
    7. 自分が奴隷だと思うなら、ご主人様に尽くせばよい。
    8. 何もしないのが『よい』と思うのなら、寝て居ればよい。
    9. 見通すのが『よい』と思うのなら、見通せばよい。
  4. 知ることが他の《欲求》の手段であるかぎり『知る』ことはできない。知ること自体を『目的』としたときには『知る』ことはできるが、その知は他の《欲求》の手段としては役に立たない。知者の知を《他者》が他の《欲求》の手段として使うことはできる、が、知者はすでに他の《欲求》を棄ててしまっているので、知者は知者であるかぎり、他の《欲求》の手段として、その知を役立てることはできない。『知る』ことは《欲求実現行動》である。知者の知も《生きモノ》行動様式である。分業みたいなモノか?

《生きモノたちの世界のルール》と《生きモノたちの世界のプレイヤー》

  1. 世界《ルール》と《プレイヤー》と《プレイ》に分離する。

《欲求実現マシンの群れのルール》《生きモノたちの世界のルール》

  1. ヨジムル。《欲求実現マシンの群れのルール》
  2. 《生きモノ》《欲求実現マシン》である。
  3. モノ語り》への《欲求》。宗教も政治も科学も《モノ語り》への《欲求》である。『モノ語り』は『心地よいウソ』に属する。『モノ語り』か《モノ語り》か? 『モノ語り』は《連想のトンネル》の組み合わせのパターンである。
  4. モノ語り』の共有への《欲求》
  5. 《欲求実現マシンの群れのルール》は《世界ルール》の一部である。《ヘラクレイトスの「ロゴス」》。《世界ルール》と《世界のプレイ》。《欲求実現マシンの群れのプレイ》。
  6. 『グリッド』の中の《欲求実現マシンの群れ》。ヨジマム。《欲求実現マシンの群れ》。生きなければならない。生きるためには食べなければならない。食べ物を取得しなければならない。食べ物を狩猟・採取するか、栽培・飼育するか、交換で手に入れるか。マモンの原理。
  7. 生きるために不可欠な《欲求》、生きるために役に立つ《欲求》、生きるために役に立たない《欲求》
  8. 《欲求実現マシン》は、《欲求》は、《求める思いこみ》にではなく、《動きつつあるモノ》に属する。《息しつつあるモノ》に属する。《欲求》《動き》の内部原因である。cf.外部原因《繋がり》)、過去原因(過去からの原因)、将来原因『目的』、将来への原因)、4原因説
  9. ヨジムル・マモン・100
    1. 貨幣はタヌキの葉っぱである。貨幣とタヌキのはっ場との違いは、人々の《思いこみ》《群有思いこみ》の有無だけである。
    2. 《生きモノ》《思いこみ》動く。的確に指し示して居るかは無関係。それを信じた結果が《欲求》の実現として利益があるなら、それを信じて動く《思いこみ》《欲求実現手段》である。《連想のトンネル》《欲求実現手段》である。

《生きる》と《生きモノたちの世界のルール》

  1. 《生きる》ってのは、欲求実現を目指した《身体》《動き》である。欲求実現行動。欲求実現運動。《求める動き》。《エウドクソスの「善」》ERG《生きモノ》とは欲求実現マシンである。

イシハイ・イモセル・100《生きモノたちの世界のルール》

  1. 《息しつつあるモノの背後者》《生きモノたちの世界のルール》
  2. 《息しつつあるモノの背後者》を支配するのは《モノたちの世界ルール》である。《モノたちの世界ルール》には物理と《身体のルール》と《生きモノたちの世界のルール》などがある。ブッダは《身体のルール》を説いた。《モノたちの世界ルール》は《ヘラクレイトスの「ロゴス」》である。
  3. 《息しつつあるモノの世界》で重要なルールの一つは《生きモノたちの世界のルール》である。
  4. 《生きモノ》たちは、それぞれの《欲求》原因として動く。フィロソフィーは、「私は知りたい」という《欲求》である。
  5. 《欲求実現手段》には複数の手法の選択肢があることが多い。《欲求実現手段》としての主義を手法という。マルクス主義→マルクス手法。資本主義→資本手法。市場手法と統制手法。
  6. どのような《状況》のときに、どのような《動き》をすれば、どのような《結果》を生じるか、というルール
  7. 《群れのルール》は・・、《群れ》を作るか、作らないかは《生きモノたちの世界のルール》によって決まる。《群れ》を作った場合の《生きモノたちの世界のルール》が《群れのルール》である。
  8. ブッダは《身体のルール》を説明した。《身体のルール》は《モノたちの世界ルール》の一部分である。
  9. なぜか・・、イモセル・イシハイ・100は、足と下半身のチカラを生じさせる。足の冷たさへの感覚が生じる。
  10. なんで、《生きモノたちの世界のルール》《息しつつあるモノの背後者》の中にあるのか? 確実に存在するモノ《息しつつあるモノ》しかないから。
  11. ヒトは、半分以上《思いこみの世界》に住んでいるので、話がややこしくなる。《ヒトたちの世界ルール》という法則と『ヒトたちの世界ルール』という《思いこみ》。《ヒトたちの世界の法則》と・・。《ヒトたちの世界ルール》では《思いこみ》と《誤解》とが、重要な要素となる。((『戦国策』なんぞを読んでいる最中だったりして・・))。
  12. 《騙し》は《生きモノたちの世界のルール》でもある。食虫植物の美しい花や蜜の匂いを出すのは《騙し》だろう。普通の花がそれを行うのも《騙し》である。花は花粉の運び屋をおびき寄せるのが目的なのだ。しかし、虫にとって、蜜が得られれば『よい』。食われてしまうと『わるい』。《騙し》というのは『あなたにとって『よい』ことがあります』という合図を出したときに、実際に『よい』ことがあればOK、《騙し》ではない。『わるい』結果を生じさせるなら《騙し》。商店が求めているのはカネを落とす客である。客にとってモノが買えるなら『よい』モノが得られなかったり、価値が低いモノだったりしたなら《騙し》。『心地よいウソ』は《騙し》ではない? 『心地よいウソ』は《騙し》である? 《騙し》に結果の『よい』『わるい』は問わない?
  13. 《生きモノ》は欲求者である。《欲求》を実現できれば『よい』《欲求》の実現が阻害されるなら『わるい』。
  14. 「欲望のシステム」は市民社会であるより、《生きモノたちの世界のルール》というべきである。「das System der Bedurfnisses」
  15. 《思いこみ》《生きモノたちの世界のルール》から派生している。《思いこみ》世界《身体》内での再構成である。或る種の《生きモノ》は、《思いこみ》《身体》内に持つことによって、世界状況ルールとを把握し、動きの結果を予測し、予測に基づいて動くことを可能にする。《思いこみ》は、それが的確であるなら、《彼》の生存確率を高める。マダニが酪酸の匂いに反応して樹からよ飛び降りるのは《彼》の《思いこみ》である。酪酸と哺乳動物の血が吸えることとの、論理必然的な関係はない。たまたま、哺乳動物が酪酸の匂いを発する、たまたま、哺乳動物がマダニの餌となる血を運んでいる、という偶然の重なりに過ぎない。しかし、マダニは、酪酸の匂いによって温血動物が近づいてきた、と思いこむのである。
  16. 植物は、触覚によって、昆虫が花に来たことを知る。昆虫が花の色や蜜の匂いに釣られてきたことを知り、彼が花粉を運ぶことを知る。植物の《思いこみ》である。
  17. 貨幣手法は合理的な手法なのか? 統制手法よりは、合理的である。統制手法では、誰が何を欲求しているかを、統制者が知っていることが前提だが、その前提はあり得ないことだから。貨幣手法では、各人が、自らの《欲求》に応じて、そのモノの貨幣的評価を行う。《ベーシック・インカム》でなければ、カネが集中して、餓死者がでる。統制手法が必要。
  18. ヒトは、《思いこみ》《求める思いこみ》を持つ。『心地よいウソ』、的確なコトバ、自らを律する『ルール』。
  19. 100億の誤った《思いこみ》に満ちている。《思いこみ》《群れ》カオス
  20. 的確な《思い描き》を持つことは、頑張れば、可能であろう。しかし、それをコトバで伝えることは、限りなく困難である。コトバの意味は聞き手が決めるからである。コトバは、聞き手が聴きたい《思い描き》しか、伝えることはできない。不可能なこと=伝達=は望むべきではない、まずは、《私》が知ることに集中せよ。《私》が、《思い描き》の痕跡として残したコトバは、《私》に以前の《思い描き》を復元させるか? ○:。×:。
  21. 《今・ここの・この肉の塊》《生きモノ》である、か? ○:。×:。
  22. 意図的呼吸になるが、これは《息しつつあるモノの背後者》のせいだろう。
  23. 《生きモノ》は飯を食わなければならない。飯を仕入れなければならない。作るか、採ってくるか。貰うか、奪うか、買うか。

イモセル・ヤミエン・100《生きモノたちの世界のルール》

    1. ヤミエン。《闇》《無限遠点》
  1. 目に見えないモノ《在る》のか?
    1. 《動き》《在る》のか?
    2. 『法律』は《在る》のか?
    3. ヒトは、それを《在る》と感じる。
    4. 音や匂いや風は、視覚には《見えない》が聴覚や嗅覚や触覚には《見える》。
    5. 《思いこみ》に属するようなモノも、別の感覚には《見える》。
    6. 《動き》は《見える》、将来の《動き》も《見える》。モノが落ちるとき、ヒトがぶつかりそうなとき、《私》には《行く末》《動き》が《見えている》。
    7. 《体内感覚》でしょう。《体内感覚器官》がそれを《体内感覚世界》の中に《見てしまう》のだ。《思いこみ》《体内感覚世界》の中のモノであり、《体内感覚器官》がそれを《見る》のだ。
  2. 《生きモノ》は喧嘩をする。自分や自分の分身たちを守るために、《生きモノ》は戦う。威嚇し合う。《モノたちの世界ルール》では、モノは衝突する。衝突すれば痛いし、場合によっては破壊される。《生きモノ》《欲求》によって動く《生きモノ》たちは《欲求》によって衝突する。衝突によって自己が破壊されないように、身構え、威嚇し、戦う。
    1. 負けるか、勝つか、しかない。
    2. 負けるが勝ち、というのは、「勝ち」である。
    3. 契約は相互支配関係である。これも「勝ち」である。
    4. 「勝ち」には物質的な「勝ち」と精神的な「勝ち」とがある。ERGのGにおける「勝ち」。
    5. へつらいも「勝ち」である。《彼》の《欲求》(のルール)における「勝ち」である。
    6. いきなり接近すれば、それが善意であろうと、彼は反撃の攻撃を加える。まずは、あいさつで意思疎通を行うと、反撃を回避することができる。あいさつは《欲求実現手段》の《手法》である。

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