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《生きモノたちの群れ》

《生きモノたちの群れ》

  1. 《ライフオブジェクトの群れ》

定義

イモム

記述

《息しつつあるモノ》『無意味の世界』を実感すると、その『無意味の世界』の中に《生きモノたちの群れ》が現れる。

区別

サーバ仮想化と《生きモノたちの群れ》

  1. サーバーの仮想化は群生生物化、群体化、多細胞生物化である。
  2. 個体から群生へ。個体間のネットワーク。
  3. 群生から分業へ。個体ごとに異なった機能を専門に果たすようになる。機能の委譲。専門化。
  4. 分業個体から分業集団へ。下請けシステム。特定個体が窓口となり、実際の処理を別の個体に回す。
  5. 分業集団から分業群体へ。部分集団の組織化。

利他的行動と《生きモノたちの群れ》

  1. 《欲求》の表示という行動様式と、利他的行動とは一体である。
    1. 欲求表示をしても利他的行動様式がなければ意味がない。
    2. 利他的行動をしようとしても欲求が表示されなければ、何をしてよいか分からない。
  2. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E4%BB%96%E7%9A%84%E8%A1%8C%E5%8B%95
    1. 利他的行動は、進化論の考えと直接に対立するように思われる。ダーウィンに始まる正統的な進化論の立場では、生物においては、あらゆる時間、あらゆる場所で競争が行われており、負けた個体は死に、勝ったものは生き残って子孫にその形質を伝える。これが進化の原動力であるから、生物はなんとかして他の個体よりうまく生き延びねばならないし、現に生き延びて来た個体はそのような競争に残り、そのような性質を身につけているはずである。そう考えれば、動物の行動はすべてが利己的なものであるはずである。
  3. 進化論って、『その遺伝子を持った個体群が生き残る確率の増大』という原理ではないのか? とすれば、《利他的行動様式を持った個体群》の方が生き残り確率が高くなる場合がある、というだけの話だろう。遺伝形質のレベルでは利己的なのだ。
  4. 《個体》の競争なのか?
  5. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6
    1. 働きバチの例はそれより深刻で、働きバチはそもそも繁殖をしない。親が繁殖をして、親の形質が伝わった子孫が残るのが自然選択の前提なので、この場合、その前提が成立しない。繁殖をしないのだから、その形質を持つ子孫が残るはずがないのである。
    2. ・・
    3. 血縁淘汰説は、まず自然選択において、選択されるのは個体ではなく、遺伝子のもたらす表現形である、ということを明らかにすることから始まる。 そして、自然選択を遺伝子の側から見直したのである。
  6. 女王バチと働きバチとは同じ遺伝子を持っている。のだから、遺伝子レベルでは、女王バチを守ることが、その形質を持った子孫が残すこと。
  7. ヒトは、アルゴリズムのコトバでしか、理解できないのか・・・・。アルゴリズムというのは、コンピュータのために必要なモノじゃない。ヒトコトバで理解するために必要なモノだったのか・・・。《連想のトンネル》
  8. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6
    1. 利己的遺伝子
    2. 血縁淘汰説、ESS理論などの考え方を更に先鋭なスタイルで表現したのが、リチャード・ドーキンスである。彼は、1976年に発表した「利己的な遺伝子」や「延長された表現型」(1982年)などの著作でこの考え方を広めた。またその表現のスタイルは、ウィルソン「社会生物学」の大胆な展望とともに激しい論争を引き起こした。
    3. 彼は、個体の属する群が利益を最大化するのではなく、同じパターンを持つ遺伝子(自己複製子)の利益が最大化するように行動が決定されると論じた。
    4. 先の血縁淘汰説を見れば分かるように、自然選択で選ばれているのは、実は遺伝子である。遺伝子は細胞の機能を介して生物の形質を作り上げる。生物たちは、その機能をもって競争し、競争に勝ったものだけがその子孫をのこす。それが進化をもたらす。この事を辿ってみると、利己的性格を持った分子である遺伝子(利己的遺伝子)が、自分の作った生物体という名の生存機械(サバイバル=マシン)を使って、サバイバルゲームを演じている、と見る事が出来るというのである。
  9. そうか・・、たけ(tk)の考えではなかったのか。ドーキンスが開いた《連想のトンネル》だったのか・・。

《生きモノたちの群れ》と《生きモノの群れ》

  1. 単細胞生物の《群れ》→群体→多細胞生物。多細胞生物の《群れ》→群体。《生きモノの群れ》、《生きモノたちの群れ》《生きモノたちの群れ》は個体からの《群れ》への《視点》。《生きモノの群れ》は「《群れ》というモノ」という《視点》

アメリカの原点はロックの人間モデル(小室直樹 日本人のためのアメリカ原論) http://www.asyura2.com/07/bd51/msg/654.html 投稿者 そのまんま西 日時 2008 年 2 月 07 日 00:48:16: sypgvaaYz82Hc

    1.  ホッブスとロックは世界で初めて抽象的人間モデルをつくった人である。
    2. 2人を比較すると、唯一点だけにおいて違う。
    3. 2つの人間モデル
    4.  ホッブスは、人間から社会的なすべてを捨象し、人間を自己保存力のみ持つ存在とした。したがって、人間は、現在だけでなく、将来もまた現在の如く生存し続けることを欲するであろう。世の中に有用なものは有限であるから、他の誰かが少しでも取れば、自分の取り分はそれだけ少なくなる。故に、有限の物質をめぐって、すべての人は、他のすべての人の敵となる。1人は他の一人の敵である、とはこのことをいう。
    5.  ロックは、唯一点だけを除いてホッブスと違うといったが、それは労働の導入である。このことによって、モデルは根本的に違うものになった。ホッブスにおいては、人間の外にある利用可能なものは有限であったが、ロックにおいては、労働によっていくらでも増やすことができる。
    6.  では、労働によって増やしたものは、誰に属するか。それは労働を投入した人に属する。ここがポイント!
    7.  かくて、ロックの諸説によって、私有財産の起源も説明されるようになった。ロックは政治学の元祖だけでなく、経済学の元祖にもなったのである。アダム・スミスの労働価値説は、ロックのモデルがなければ創出することはできなかったであろう。
  1. どっちにしても、真面目な主張ではない。xx(君主制、資本主義)を正当化するための、ためにする主張だ。ためにする主張だから、不都合な部分、複雑な部分は全部省略して、簡潔明瞭な分かりやすい主張になっている、ということ。コトバの魔力というか、いったん、簡潔明瞭分かりやすいプロパガンダが流通し、強者がそれに利益を感じれば、それが『常識』となり『現実』になっていく。《連想のトンネル》が掘られるのだ。

《生きモノたちの群れ》《欲求実現システム》

  1. 《生きモノたちの群れ》《ヒトの群れ》《欲求実現システム》なのだ。
  2. 最初のシステムでは、真珠を求めたヒトは、自分で海に潜って真珠を捜した。
    1. 最新のシステムでは、カネを稼いでから、コンピュータで宝石屋のホームページを開いて、注文フォームでクリックすればよい。
  3. 科目コードを数値にするか、文字列にするかの判断は、《欲求実現システム》としてどちらが《効率的》か、の判断である。
  4. 略奪原理と互恵原理。捕食者の分離は略奪原理。同種内での共食い禁止は互恵原理。略奪原理は種の分化をもたらす。
  5. 捕食者間の競争原理。捕食者間の競争。100の被捕食者が必要な捕食者Aと90の被捕食者が必要な捕食者Bとの競争。同一テリトリーで99になれば、捕食者Aは絶滅する。被捕食者は絶滅しない。

《混濁しつつある他者の身体》《生きモノたちの群れ》

  1. 《混濁しつつある他者の身体》の前提は、《混濁しつつある身体》《他者》への共感だな。『無意味の世界』ではない。
  2. 《生きモノたちの群れ》《外からの視点》である。《混濁しつつある他者の身体》《内からの視点》である。

《生きモノたちの群れ》《身体》

  1. 《生きモノたちの群れ》の中では、《私》《身体》は、単なる彼らの一員である。
  2. 《私》は、《生きモノたちの群れ》の中の小さなインスタンスにコミットする。《コミット》《アンガージュマン》《社会的関係の総体》。
  3. 《生きモノたちの群れ》《私》《身体》《拡大身体》である。拡大身体

「政治をデバッグせよ」と《生きモノたちの群れ》

  1. 日本をデバッグせよ。
  2. 日本というシステムをデバッグせよ。
  3. 古い日本というシステムをリセットして、新しい日本というシステムを開発せよ。

「自由」と《生きモノたちの群れ》

  1. 「1793年憲法 第6条 自由とは、他人の権利を害しないことはすべてなしうるという、人間の権能である」

ポピュリズムと《生きモノたちの群れ》

  1. http://www.asyura2.com/08/senkyo46/msg/587.html
    1. 橋下氏の勝利を必然化した第1の要因は、今回の選挙戦の構図が結果として「既得権益」対「非既得権益」の形になったことである。
    2. ・・
    3. 昨年の参院選で世論は新自由主義的な考え方にノーを突きつけたとみられていたが、依然として既得権益への不満が噴出した場合には、「コイズミ劇場」のような事態が起こりうることを実証したと言えよう。
    4. 第2の要因は、橋下氏の過去の横暴な発言の数々が実は大衆の「本音」だったことである。
    5. 第3の要因は、選挙運動の商業化である。
    6. ・・
    7. 第4の、そして最も決定的な要因は、失礼ながら対立候補筆頭の熊谷貞俊氏に知事候補としての魅力がほとんどなかったことである。
    8. 弁舌巧みな橋下氏と比べるとお世辞にも雄弁とは言えず、何より「大阪大学教授」という肩書と隠せないインテリ臭が大衆への浸透を妨げた。
    9.  前述した「“左”を忌避するポピュリズム」は「“知”を忌避するポピュリズム」でもあり、民主党は現在の世論の実情を完全に見誤ったとしか言いようがない。
    10. ・・
    11. 同時に粗暴を好むこの国の大衆への不信感は改めて増した。
    12. なお以前「橋下徹の名を投票用紙に書くすべての人を私は深く軽蔑し、絶対に許しません」とブログに書いたが、その考えは今も変わっていない。彼らが自分の首を絞める愚行だったことに早く気づくことだけを祈っている。
  2. 国民はもやは、政治家に政治を求めなくなった(元からか?)。
  3. 政治を忌避する国民を育てれば、そうなる。のか? ○:。×:。
  4. 国民は情緒的共感を求めているだけだ。単なる人気投票であって、政治家を選ぶ選挙ではない。
  5. http://www.asyura2.com/08/idletalk29/msg/365.html
  6. 「この国をぶち壊したい」という感情が強くなっているのか・・。

「善」と《生きモノ》

  1. 《生きモノ》にとっての「善」とは《生きること》である。なぜなら、《生きモノ》とは《生きること》によってそれ以外のモノと区別されているからである。
  2. モノにとって、「善」とは《在ること》である。なぜなら、モノは《在ること》によってそれ以外のモノ(非在物)と区別されているからである。

「自然主義の誤謬」と《生きモノたちの群れ》

  1. http://ja.wikipedia.org/wiki/詭弁
    1. 自然主義の誤謬(Naturalistic fallacy)
      1. A「私達はこれまでずっとこの土地で協力し合って暮らしてきた。だからこれからもそうするべきだ」
    2. Aの発言は、記述文(「XはYである」という形式の文)の前提から規範文(「XはYすべき である」という形式の文)の結論を導いている。このような形式の推論を「自然主義の誤謬」(自然主義的誤謬)と呼ぶ。この推論がもし有効であるならあらゆる改革や変更は許容されなくなる。Aの発言は「人類は多くの戦争と殺りくを繰り返してきた。だからこれからもそうするべきだ」という主張と論理構造が等しい。
  2. http://ja.wikipedia.org/wiki/自然主義の誤謬
    1. 「「である」から「べし」は導けない」というヒュームの法則
    2. ムーア自身の立場は、「善い」は直観によってのみ捉えることができる性質である、という直観主義であった。
    3. 直観主義は、直観という正体不明のものを持ち出したことで非常に評判が悪く、支持者も少なかった。
  3. 今までxxであった。従って、xxは可能である。これからもxxであることができる。xxはよかった。ゆえにxxすべきである。
    1. xxに「戦争」を入れると、「戦争はよかった」という隠れた命題が含まれていることになる。

「人身攻撃」と《生きモノたちの群れ》

  1. http://ja.wikipedia.org/wiki/人身攻撃
    1. 人身攻撃(ラテン語: ad hominem、argumentum ad hominem)とは、ある論証や事実の主張に対する応答として、その主張自体に具体的に反論するのではなく、それを主張した人の個性や信念を攻撃すること。論点をすりかえる作用をもたらす。
      1. 「対人論証; ad hominem abusive」と呼ばれるものは、提案者の信用を失わせる目的で個人攻撃を行う場合を指す。また、
      2. 状況対人論証; ad hominem circumstantial」と呼ばれるものは、提案者の置かれている状況について攻撃するもの、
      3. 「お前だって論法; ad hominem tu quoque」と呼ばれるものは、論証の提案者自身がその論証で非難されているような行動や振る舞いをしていると攻撃するものである。
    2. 人身攻撃は、論理的には論証の前提の真偽はそれを述べている人とは独立しているので、演繹的には妥当ではない。しかし、人身攻撃は三段論法的に述べられることは滅多に無く、その評価は非形式論理の領域と証拠の理論で行われるべきものである[1]。
      1. 証拠の信頼性は、目撃証言や専門家の証言などにおける証人の信頼性の評価に大きく依存する。例えば、目撃者が嘘をつく動機を持っているから信頼できないとか、専門家が実際にはその分野について深い知識を有さないといった反論は、法廷では大きな役割を果たすことがある。
    3. 人身攻撃は、権威に訴える論証の逆である。
      1. 権威に訴える論証では、論証者の権威、知識、地位などがその論証の真偽の基礎となる。
      2. 人身攻撃は逆に、論証者が主張する権威/知識/地位を持っていないことを攻撃したり、論証者が過去に同様な誤りを犯したことに注目させる。しかし、それが無謬の反論とはならない。
    4. ・・
    5. 連座の誤謬
    6. 連座の誤謬も場合によっては、人身攻撃の誤謬の一種とされる。論調の類似性から、ある個人を何らかの属性に当てはめる場合である。
    7. この形式の論証は次のようになる。
      1. A が P という主張をする
      2. B も P という主張をする
      3. 従って、A は B の一員である
  2. 権威主義的認知様式。
  3. 詭弁の形式は有限なのか?

「集団思考」と《生きモノたちの群れ》

  1. http://ja.wikipedia.org/wiki/集団思考
    1. 集団思考(しゅうだんしこう、英:groupthink)とは集団で合議を行う場合に不合理あるいは危険な意思決定が容認されること。
    2. 集団思考に入り込みやすい素因としてジャニスは以下を挙げている(実際の字句はこれと大きく異なる)。
      1. 集団が外部の脅威にさらされていたり時間が切迫したりしている・・空気主義的集団思考でも同じ。
      2. 集団の団結が強い・・空気主義では「同調圧力」が強い。「同調圧力」と「団結」とは同じなのか?
      3. 集団のリーダーの権限が強い・・空気主義ではあてはまらない。
      4. 集団が孤立したり情報が少なかったりして外部から隔離した状況にある・・空気主義でも同じであろう。
      5. 決定の道筋や規範がはっきりしていない・・空気主義でも同じ。
      6. 成員の思想や社会的な立場が同質である・・空気主義は「あの時の決定は、自分の思想とは異なっていた。しかし・・」と弁解のために使われることが多い。
      7. 成員の集団に関する自省や疑念が薄い・・
    3. また集団思考の状況として以下の8つを挙げている。
      1. 成員の殆どの間で根拠のない過剰な楽観的観測が共有される(完全性への幻想)・・空気主義は、自分の信念に反する決定に、積極的・消極的に関与する行動。
      2. 自集団が共有する倫理観についての疑問を持たない傾向(倫理性への幻想)・・疑問を持ちつつ、信念に反した行動を取る。分かっちゃいるけど、やめられない、という行動様式空気主義。
      3. 過去の実績を理由に自己正当化し、自集団に対する批判的な評価を行う傾向にある。(自己正当化)
      4. 自集団以外の者(特に敵対する集団)を否定的なステレオタイプ的認識で見る(共有されたステレオタイプ
      5. 集団の意見に同調するように圧力がかかる(同調圧力)・・空気主義でも同じ。
      6. 集団の結束を乱さないために成員が集団の意見に対して異論を唱えなくなる(自己検閲)・・空気主義でも同じ。
      7. 自己検閲および「意見が無いことは賛成を意味する」という誤った認識から、表面上集団の全員が同じ意見であるという共通認識が生まれる(全会一致の幻想)・・空気主義でも同じ。
      8. 集団の意見に反対する議題が出ないように働きかける成員が現れる(自薦の用心棒〔マインドガード〕)・・空気主義でも同じ。
    4. また集団思考による決定の性質として以下の7つを挙げている。
      1. 代案や他の意見の検討の欠落・・空気主義でも同じ。
      2. 決定の意義・目標の欠落・・空気主義では「建前の目標」が強調される。
      3. 決定による影響・結果の検討の欠落・・空気主義でも同じ。
      4. 一度否認された決定の再検討の欠落・・空気主義でも同じ。
      5. 情報量の欠落・・情報が在っても表明せず、表明しても共通認識にならない。
      6. 都合のいい情報しか考慮しない偏り・・空気主義でも同じ。
      7. 緊急時の対策の欠落・・空気主義でも同じ。
  2. 空気》『空気空気。『空気の研究』は他人の最新理論を(それが他人の研究であることを隠して、さも自分の発見であるかの如くに)面白おかしく語っただけのものだろう。
  3. 比べてみると、空気主義、とは異なった部分もある。文化=行動様式の違いだろう。

イモム・100

  1. 1:《息しつつあるモノ》、2:《生きモノたちの群れ》、3:《実感》
  2. 4:《生きモノ》たちは生まれ、死に、再生し、進化し、絶滅する。
  3. 5:《ヘラクレイトスの「ロゴス」》
  4. 6:《道具》《生きモノ》であり。ヒトたちは《道具》たちと共生する。《道具》進化を開始し、ヒト進化を止めた。《群有思いこみ》《仮想実在》《思いこみ》《道具》であり、進化する。((フーコーが言いたかったことは、これだったのか・・))。《道具》《ニーズ・イーター》である。

《生きモノたちの群れ》自発的服従

  1. 自発的服従《実感》か? ○:。×:さかしらなコトバを避けよ。
  2. 『政治行動の社会心理学』にも『新・心理学の基礎知識』にも索引にないな。
  3. 政治学の問題であって、まだ、実験的には確認されていない、ということか。
  4. 政治学の理想に対峙する困った現象。
  5. 理論的に見て、《生きモノたちの群れ》の中の《生きモノ》には不発的服従が必要である。《群れのルール》への自発的服従進化価値を有する。《群れ》を形成する《生きモノ》には自発的服従が必要である。
  6. 契約は相互的な自発的服従である。
  7. 自発的服従のそれ自体が『わるい』わけではない。服従すべきでないモノに対して服従し、服従すべきでないときに服従すること、が『わるい』のである。民主政においては、権力者への無条件の自発的服従は『わるい』、ということをわきまえない追従ザルの、定見のない自発的服従は『わるい』。
  8. http://www.socius.jp/lec/19.html
    1. 「権力者は権力をもつから権力者なのではなく、人びとが自発的に服従するからこそ権力者なのだ。」
  9. 権力の実体は、追従者の自発的服従にある。『彼は権力者である』という《思いこみ》が、追従ザルにあることが、権力の実体である。が、これは、『社会的存在』のすべてにあてはまる。『自動車』という『モノ』《思いこみ》によって存在する『社会的存在』である。《思いこみ》行動様式の相互作用によって存在している。『自動車』というモノは存在しない。モノの側の属性としての『自動車』は存在しない。ヒトがそれを『自動車』であるという《知った思いこみ》を持ち、それを『自動車』として扱うかぎりにおいてのみ、それは『自動車』でありうるのである。
  10. 《群れの中の生きモノ》は《群れ》《動き》を予測して、自発的にそれに追従する。これは種族維持的行動様式。《群れの中の生きモノ》は《群れ》に従うのであって、ボス猿に従うわけではない。ボス猿の命令と《群れ》《動き》の予測とが異なる場合には、面従腹背する。面従腹背は種族維持的行動様式である。
  11. 自発的服従といった場合には、通常はボス猿独占暴力団への服従を意味する。しかし、そうではない、《群れ》《動き》の予測に基づいて、自発的判断に基づいて、それに対応した行動を採るというのが、自発的服従である。

《生きモノたちの群れ》《道具》

  1. 《生きモノ》たちは道具を作る。
  2. 《生きモノ》たちは道具を使う。
  3. 《生きモノ》たちが道具を作り、使うのは、彼らの《欲求》の充足のためである。
  4. 貨幣という道具、ネットワーク・コンピュータという道具。自動車という道具。家という道具、着物という道具
  5. 《生きモノ》たちは道具によって、どんな《欲求》を充足しようとしているのか? 
  6. 貨幣を得る、という《欲求》道具を得るという《欲求》。快適な生活を得るという《欲求》世界を『知る』という《欲求》。《欲・得・快・楽・善・義・志・徳・疑・信》。

《生きモノ》『現実』

  1. 『現実』というのは《生きモノ》たちの主観世界、彼らの主観を中心にした極座標の世界である。横からみれば、《生きモノ》たちが自分で勝手に編み上げた繭のようなモノである。繭の内側から繭の内側に描いた絵を繭の内側から眺めた姿が、《生きモノ》たちの『現実』なのである。
  2. その『現実』の姿がお互いに同じであることを確認しようとすることが「主観世界の共有の確認」という行動様式である。環世界『現実』共有確認行動。現実共有確認行動。
  3. 《生きモノ》たちが、彼らの『現実』の中で生きていることを《実感》できるか?
    1. ○:《生きモノ》たちは妙に偏った《動き》をする。《認知》段階ですでに偏っている、と見るのが早い。《欲求》が《認知》にも影響を与える。IT大工たちは、顧客を捜さなければ、飯を食えない、という『現実』を抱えている。公務員たちは、それらしく振る舞わなければ、飯が食えなくなる、という『現実』を抱えている。《群れ》の中で個々の《個体》に与えられた『役割』が、その《個体》の『現実』である。
    2. ×:まだ《動き》しか《実感》できていない。まだ、《認知》→《背後者回路》《動き》、という構造が《実感》できていない。《生きモノ》たちの《動き》の偏りは、彼らの《欲求》の影響が強いように感じられる。

《生きモノたちの群れ》の『革命』

  1. 《生きモノたちの群れ》《生きモノ》たちの『現実』という名の《思いこみ》が不連続に変化することを《生きモノたちの群れ》の『革命』という。
  2. 『現実』とは、《生きモノ》たちの《思いこみ》である。『革命』とは《生きモノ》たちの『現実』が不連続に変化することである。

《生きモノたちの群れ》と彼ら

  1. 彼らをヒトであるとして理解しようとすると、理解不能になる。
  2. 彼らを《生きモノたちの群れ》であるとの偏見で見れば、妙に自然である。彼らの行動様式は、自然な行動様式なのである。《健常者》
  3. 招待は 無礼なるぞと サルは吠え。温家宝が五輪に招待して。2007-04-13(金)
  4. サル山の サルの牙むく 宣伝カー。川向こうの《群れ》ボス猿が来たりて。
  5. ヒトというコトバを使うと、どうしても『かくあるべし』という当為が混じってしまう。《生きモノ》というコトバを使えば、当為《求める思いこみ》を排除することができる。

《生きモノ》にとっての『正しさ』

  1. 《生きモノ》にとっての『正しさ』とは、新たに生じた《思いこみ》が、先行して持っている《思いこみ》にマッチしていることを意味する。先行する善い《思いこみ》にマッチする《思いこみ》は『正しい』と判断される。真偽だけでなく、善悪についても『正しい』という判断になる。美醜についても『正しい』かどうかが判断されるだろう。「これは間違った芸術だ」なんてね。
  2. 《生きモノ》にとっての『正しさ』とはその《個体》にとっての利益(の無意識的な判断によって形成された基準)に合致することである。

《生きモノたちの群れ》《たけ(tk)の思いこみ》

  1. 《たけ(tk)の思いこみ》《生きモノたちの群れ》の中の一匹の《生きモノ》が、頭の中で妄想を繰り広げているにすぎない。その妄想をインターネットで公開しているにすぎない。インターネットは、独り言であっても、それを全世界に公開することができるモノ。まあ、聞き手が興味を持たなければ、公開していないのと同じ。《生きモノ》たちは、他のサルの妄想などには興味を示さないのが自然だ。

《生きモノたちの群れ》《サル山のサル》

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『無意味の世界』 - [#ブッダにとって『ブッダ』は『意味』がある。《生きモノたちの群れ》『意味』がある。《生きモノの群れ》(イモム)(草・木・犬・猫・ゴキブリ・黴菌たちの群れ)には『意味』がある。《アニマ》には『意味』がある。]

『意味』 - [##×:《生きモノ》『意味』を求める、《生きモノ》《味わい》を求める。《生きモノ》にとっては『意味』はある。《息しつつあるモノ》《生きモノ》である。《動き》には意味がある。《背後者回路》を『知る』ことには『意味』がある。『知る』ことには『意味』がある。《生きモノ》にとっては『知る』ことは『意味』がある。ブッダにとって『ブッダ』は『意味』がある。《生きモノたちの群れ》『意味』がある。《生きモノの群れ》 (イモム)(草・木・犬・猫・ゴキブリ・黴菌たちの群れ)には『意味』がある。《アニマ》には『意味』がある。《私》《生きモノたちの群れ》の中の一匹でしかない。《私》《私》にとっての『意味』を求めているのである。《絶対者公理》にとっては『無意味の世界』であり、《相対者公理》にとっては《生きモノたちの群れ》である。《知りつつあるモノ》にとっては『無意味の世界』であり、《動きつつあるモノ》にとっては《生きモノたちの群れ》である。]

《息しつつあるモノの群れ》 - [#《息しつつあるモノの群れ》《私》《息しつつあるモノ》を含むか? ○:《息しつつあるモノの群れ》《私》《拡大身体》である。《身体》には部分が有る。われわれは結合双生児(http: //ja.wikipedia.org/wiki/結合双生児)なのである。吐き気がしてきた、吐き気の唾液が出てきた。脳幹後部が痛くなってきた。《息しつつあるモノの群れ》から悪魔的な黒い攻撃欲求のタール状の液体が吹き出してきた。赤いタール、焦燥感と怒りの液体が吹きだしてきた。焦燥感の白い霧が吹き出してきた。透明な液体、悲しみの涙が吹き出してきた。絶望の鉄の壁がせりあがってきた。自暴自棄の瓦礫が吹き出してきた。あきらめの砂が吹き出してきた。世俗的諦観の水が吹きだしてきた。無知の暗い空間が吹き出してきた。突き抜けて、彼ら自身の現実感覚が現れてきた。彼らの『無意味の世界』が現れてきた。《息しつつあるモノの群れ》『無意味の世界』の群れである。彼らはモノ《背後者回路》に駆動されるモノである。彼らは《生きモノ》である。《生きモノの群れ》である。《求めつつあるモノ》《群れ》である。《求めつつあるモノの群れ》:もともむ。《生きモノの群れ》は能力を求める。生存能力を《求めつつあるモノ》である。《生きモノの群れ》は《繋がり》をそれ自体の目的として求める。《繋がり》は《生きモノの群れ》の《生きる》ことそのものだからである。《群れ》を持たない《生きモノ》はいない。同種の《生きモノ》を持たない《生きモノ》はいない。《群れ》の他の《個体》に守られることは、《生きモノ》の求めることである。同種の《個体》に共食いされることは望まないし、しようともしない。《私》は単なる《生きモノ》である。《私》は絶対者である。しかし、彼らも絶対者である。《息しつつあるモノの群れ》は《絶対者の群れ》(ぜたむ)である。《生きモノの群れ》は《絶対者の群れ》である。《絶対者の群れ》は《モノの群れ》であり、《生きモノの群れ》である。《生きモノの群れ》は《求めつつあるモノの群れ》である。《生きモノ》は共感を求め、能力を求める。《生きモノ》は共感と能力とを同時に《求めつつあるモノ》である。《息しつつあるモノの群れ》は共感と能力とを同時に《求めつつあるモノ》である。×:《身体》の中に《見通し》のある部分と、無い部分とが有るのはおかしい。]

アニミズム - [#《他者》ヒトに限るか、生きモノに限るか、モノ全般に認めるか。モノの群れ(生きモノの群れ、《ヒトの群れ》)にも認めるか。]