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《生きつつある身体》

キーワード《生きつつある身体》

定義

動物的身体だけが生きる意味を知っている。

  1. 動物的身体を抑圧すれば、切れるしかない。
  2. 母親が母子の動物的身体の共感関係を拒否すれば、子供は生きる意味を学ぶことができない。
  3. 身体ならざるモノが生きる意味を知っていると思うとすれば、それは、そのモノの背後にある《生きつつある身体》の存在を見失った、能天気な自己意識でしかないだろう。
  4. 自己意識の背後には《生きつつある身体》がある。
  5. それは、呼吸を30秒止めてみれば分かるだろう。能天気な自己意識は、その背後から、《生きつつある身体》《ちから》を感じるに違いない。

普通のヒトが感じる《身体》というのは《共振しつつある身体》なのかもしれない。生きている身体、《生きつつある身体》というべきモノ《我》《生きつつある身体》を通じて《他者》を感じ、《生きつつある身体》を通じて《他者》ともコミュニケートする。

《生きつつある身体》を感じつ事が出来れば、《我》の楽しみの一つは《生きつつある身体》を生かすことだということになるだろう。

ひょっとすると、女性特有の感覚かもしれない。ある雑誌で、よがり顔の写真を並べたページを見つけて、彼女たちの《背後者回路》にはどのような感覚が潜んでいるのかを考えたときに、『女性のクオリア』を感じているに違いないと思った。そのような《生きつつある身体》クオリアを感じることができるのは、ひょっとしたら女性特有なのかもしれない。

男性というのは、生物学的な機能から見ても、自らの《生きつつある身体》のそれ自体に価値を感じることが出来ない。卵子には身体としての意味があるが、精子には遺伝子情報の意味しかない。母体には子孫を生み出す機能があるが、男性のからだには、精子を放出する以外の機能はない。それゆえに、男性は、身体以外のモノに意味を見つけ出さなければならない宿命にある。

それゆえに男性はヒトならざるモノを生み出すこと、すなわち、《思いこみ》を生み出すことに価値を求める。哲学者が新たな知をもとめるのは、新たな知を説明するための《思いこみ》を生み出すことである。しかしながら、《思いこみ》に至上の価値などあろうはずが無い。しかし、ヒトを生み出さない身体にも至上の価値があるはずがない。これは、男性ばかりではなく、老婆となった女性においても同様である。

区別

《生きつつある身体》見通し

  1. 《生きつつある身体》は見通すことが可能なのか?
  2. 《生きつつある身体》《我》《身体》への支配への《求める思いこみ》を捨てたときに、そこに、動きつつあるモノ、として発見するモノである。

《生きつつある身体》《共振しつつある身体》

  1. 同じモノ
  2. 感じ方の違い。
    1. 《共振しつつある身体》は受動的である。一種の壁のごときモノである。
    2. 《生きつつある身体》は能動的な生き物である。生き物としてのクオリアを感じるモノである。
  3. 《共振しつつある身体》は、《知りつつあるモノ》の冷酷な《視点》での《生きつつある身体》である。
  4. 《生きつつある身体》は、《知りつつあるモノ》を放棄した、《混濁しつつあるモノ》《視点》での《共振しつつある身体》である。
  5. 《混濁しつつあるモノ》《視点》はすべての《こだわり》を放棄した《視点》である。《知りつつあるモノ》は《こだわり》である。
  6. 《こだわり》は《コトバへのすがりつき》である。

検索

《生きつつある身体》 - [タイトルに一致 生きつつある身体]

《楽しみ》 - [《共振しつつある身体》 - [《生きつつある身体》を感じつ事が出来れば、《我》の楽しみの一つは《生きつつある身体》を生かすことだということになるだろう。]]

《浄化球》 - [#《他者》は、まず第一に《息しつつある身体》である。《生きつつある身体》である。次に《繋がりつつある身体》である。次に《選びつつある身体》である。《息しつつあるアニマ》であり、《繋がりつつあるアニマ》であり、《選びつつあるアニマ》である。ERG理論? 《息しつつあるモノ》《繋がりつつあるモノ》《選びつつあるモノ》。]

ERG理論 - [《浄化球》 - [#《他者》は、まず第一に《息しつつある身体》である。《生きつつある身体》である。次に《繋がりつつある身体》である。次に《選びつつある身体》である。《息しつつあるアニマ》であり、《繋がりつつあるアニマ》であり、《選びつつあるアニマ》である。ERG理論? 《息しつつあるモノ》《繋がりつつあるモノ》《選びつつあるモノ》。]]

《繋がりつつあるモノ》 - [#《他者》は、まず第一に《息しつつある身体》である。《生きつつある身体》である。#次に《繋がりつつある身体》である。次に《選びつつある身体》である。《息しつつあるアニマ》であり、《繋がりつつあるアニマ》であり、《選びつつあるアニマ》である。ERG理論? 《息しつつあるモノ》《繋がりつつあるモノ》《選びつつあるモノ》。]

《繋がり》 - [《生きつつある身体》 - [動物的身体だけが生きる意味を知っている。 動物的身体を抑圧すれば、切れるしかない。 母親が母子の動物的身体の共感関係を拒否すれば、子供は生きる意味を学ぶことができない。 身体ならざるモノが生きる意味を知っていると思うとすれば、それは、そのモノの背後にある《生きつつある身体》の存在を見失った、能天気な自己意識でしかないだろう。 自己意識の背後には《生きつつある身体》がある。 それは、呼吸を30秒止めてみれば分かるだろう。能天気な自己意識は、その背後から、《生きつつある身体》《ちから》を感じるに違いない。]]

《選びつつあるモノ》 - [#《他者》は、まず第一に《息しつつある身体》である。《生きつつある身体》である。次に《繋がりつつある身体》である。次に《選びつつある身体》である。《息しつつあるアニマ》であり、《繋がりつつあるアニマ》であり、《選びつつあるアニマ》である。ERG理論? 《息しつつあるモノ》《繋がりつつあるモノ》《選びつつあるモノ》。]

《共振しつつある身体》 - [普通のヒトが感じる《身体》というのは《共振しつつある身体》なのかもしれない。生きている身体、《生きつつある身体》というべきモノ《我》《生きつつある身体》を通じて《他者》を感じ、《生きつつある身体》を通じて《他者》ともコミュニケートする。]

《息しつつある身体》 - [《生きつつある身体》《息しつつある身体》]

Last modified:2006/06/09 02:00:49
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