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《身体》

《身体》とは?

  1. 第一の定義:《身体》は、《混濁の分離》によって生じた《知られつつある混濁》《近傍物理空間》の中の次の3つの性質をもった特殊な部分である。
      1. それ(《身体》)が感じたものはそのまま《知りつつあるモノ》が感じることができること、
      2. 《知りつつあるモノ》が意図するとそれ(《身体》)が動くこと
      3. 《知りつつあるモノ》が、そのモノ《身体》)の内部について、《近傍物理空間》以外の経路で、感じることができるようなモノであること、
    1. 《近傍物理空間》の中のモノには特殊なモノが二つある。《他者》《身体》とである。
    2. ここで言う《身体》とは《私》《身体》であり、《他者の身体》は含まない。
    3. 《身体》の第一の定義は、《混濁》が、《知りつつあるモノ》《近傍物理空間》《思いこみ》に分離したという段階での定義である。《近傍物理空間》の一部分と《知りつつあるモノ》との関係における定義。
    4. 第一の定義での《身体》への認識経路は、
      1. 《近傍物理空間》からの《外からの視点》での《身体》と、
      2. 《体内感覚世界》としての《内からの視点》での《身体》とがある。
      3. 《知りつつあるモノ》《身体》の不思議な繋がりは《知りつつあるモノの背後者》とで繋がっている。その意味での認識経路は《知りつつあるモノの背後者》経由である。
    5. 《混濁の世界》《身体》によって、狭義の《近傍物理空間》《体内感覚世界》とに別れる。
    6. 《混濁》《知りつつあるモノ》《知られつつある混濁》→幻たち+モノたち→《背後者時空》モノたちの世界《身体》《他者》《近傍物理空間》

《身体》に関連する疑問

  1. 《身体》とはどのようなものか?
  2. 《身体》とは空間領域である。か?○:。×:。
  3. 《身体》《知りつつあるモノ》の前面世界に在る。か?○:。×:。
  4. 《身体》《知りつつあるモノ》《背後者》界に在る。か?○:。×:。
  5. 《身体》は息しつつあるモノである。か?○:。×:。
  6. 《身体》は、その内部を直視することができるモノである。か?○:《体内時空》。×:。
  7. 《身体》は、その感覚器官の感覚を《私》が感じるモノである。か?○:。×:《私》?。
  8. 《身体》は、《私》が意思するだけで動かすことができるモノである。か?○:。×:。
  1. 《身体》は死ななければ成仏できない?
    1. ○:《身体》は死ねば《宇宙史》と一体になる。《身体》は生きているかぎり動き続ける。骨壷に入れられても《宇宙史》と一体だ。
    2. ×:骨壷に入れられたら《宇宙史》と分離されている。
  1. 「身体の 呻き+ナムダブ=後生の縁」?○:「日本的霊性」p.213の要約。《身体》《思いこみ》を持ち、《思いこみ》によって動く。『ナムダブ』や『後生』は《思いこみ》である。《身体》は、後生を心配する。死は《身体》にとっては自己の消滅である。その後、自己の構成物質は《宇宙史》の構成要素に戻る。《身体》から《宇宙史》への移行が《死》である。そこに『連続性』の《思いこみ》をもたらすのが『ナムダブ』という《思い描き》である。×:。

《身体》とは?

  1. この第一の定義で《背後者身体》を含む。か?○:《身体》《知りつつあるモノ》の背後者=《知りつつあるモノの背後者》の先にあることは明示されている。×:。
  1. この第一の定義では、《体内感覚世界》としての《身体》を含まない。か?○:。×:。

《身体》には?

  1. 《体細胞の群れ》?○:。×:。
  2. 《体細胞の群れ》情報作用の《内からの視点》《知りつつあるモノ》であり、そこから知られつつある私の世界である。
  1. 《肉の塊》?○:。×:。
  2. メルロポンティの「肉」。http://www-lib.tufs.ac.jp/opac/recordID/catalog.bib/BA46496724 メルロ=ポンティ哲学研究 : 知覚の現象学から肉の存在論へ
  1. 《他者に語りつつある身体》と《他者のコトバを聞きつつある身体》?○:私の《思い描き》コトバ→他者。他者→コトバ→私の《思い描き》。×:。
  1. 《共振しつつある身体》?○:《情報交換しつつある身体》。《対話しつつある身体》。×:。
  1. 《知りつつある身体》と《知られつつある身体》?○:《混濁しつつある身体》《知りつつあるモノ》基準によって、《知りつつある身体》と《知られつつある身体》とに分離する。×:。
  2. 《知りつつある身体》?○:《知りつつある身体》《背後者身体》である。×:。
  3. 《知られつつある身体》?○:《知られつつある身体》は《体外時空》の中の身体である。×:。
  1. 《混濁しつつある身体》
    1. ○:
      1. 《知りつつあるモノ》基準の《混濁の分離》では《身体》がばらばらになっていた、もう一度《混濁》に戻して、《身体》が統一的に現れるようにしたのが《混濁しつつある身体》である。
      2. 混濁しつつある身体が、《健常者》の使用する「身体」もしくは「私」にもっとも近いのではないか。
      3. 《体外時空の中の身体》でもあるし、《背後者身体》でもあるし、《体内直知時空》でもある、《知りつつある身体》でもある、混濁した状態の何やら、である。
    2. ×:。

《身体》に関連する疑問

  1. 《身体》は苦しんでいる、か?○:呻きを発する。×:。

《身体》とは?○:。×:。

  1. 《身体》とは、《此時此処に何時も在るコレ》を《身体》と呼ぶことにしたのだ。?○:。×:。

《身体》には?

  1. 《この身体》、《此時此処のこの身体》、《此時此処の身体》、《此時此処に在る身体》。?○:《混濁しつつある身体》《此時此処からの一切》の中にある身体はこれである。か?。×:。
  1. 《体外時空》の中の身体=《体外時空の中の身体》?○:《此時此処に在る体細胞の群れ》。×:。

《身体》には?

  1. 《体外時空》と《体内時空》の区切りの壁としての身体。
  1. 《背後者身体》《知りつつあるモノの背後者》+《噴出の背後者》としての身体。?○:。×:。
  1. 《体内直知時空》《直知限界》の先の身体。?○:。×:。
  1. 《私の身体》、《他者の身体》
  1. 《知りつつある身体》?○:。×:。
  1. 《息しつつある身体》?○:。×:。

《身体》に関連する疑問

  1. 《身体》は「此時此処に何時も在る」か?○:。×:《見失い》の時には無い。《知りつつあるモノ》世界のときにも無かった。
  1. https://de.wikipedia.org/wiki/Menschlicher_Körper::Der menschliche Körper ist der materielle Teil des Menschen.か?○:「身体は人間の物質的な部分である」か…。×:「精神」と「物質」を前提としている時点で疑問あり。
  1. https://ja.wikipedia.org/wiki/体::体(體、躰、躯、身体、からだ)、身体(しんたい)は、生物学的かつ文化的に規定された、有機体としての人間や動物の構造を指す。か?○:。×:意味不明。
  1. https://en.wikipedia.org/wiki/Human_body::The human body is the entire structure of a human being. It is composed of many different types of cells that together create tissues and subsequently organ systems. They ensure homeostasis and the viability of the human body.//It comprises a head, neck, trunk (which includes the thorax and abdomen), arms and hands, legs and feet.…、か?○:ふむ、たしかに、《此時此処に何時も在るコレ》はそのようなモノである。物質としての説明としては、そんなものだ。×:なぜ、「此時此処に何時も在る」のか? とか、何故《知りつつあるモノ》が背後から身体からの影響を受けるのかとかは、説明されていない(後段は見ていない)。
  1. 的確な用語は? 《身体》、《この身体》、《此時此処のこの身体》?
    1. 此時此処に何時も在るコレ》?
      1. ○:
        1. こんな感じというのがシックリ来る。
        2. よく見れば肉の塊のようだが、別に、何だってよい。コレなのだ。
        3. 此時此処に何時も在るコレ》に《身体》という名前を付ける。
        4. 《身体》は「何時もあるコレ」だから、この此時此処には限らない。この此時此処のコレに限りたければ《此時此処のこの身体》と呼ぶ必要がある。((「此時此処」というコトバでその言葉を語りつつある時と場所を特定したはずなのに、「此時此処」はどんな時のどんな場所にもあります、って、困ったものだ))
      2. ×:
    2. 此時此処に何時もある肉の塊》?○:こんな感じというのがシックリ来る。骨なんか、直接には感じないもんね。×:。
    3. 《今・ここの・この肉の塊》
      1. ○:
        1. 《身体》の元の名前は《今・ここの・この肉の塊》である。
        2. 《知りつつあるモノ》からの世界では「身体」は統一的なイメージを持たない。体外世界の中の身体、体内世界の向こう側に想定された身体、《背後者》としての身体、に分裂していた。
        3. 《知りつつあるモノ》世界での《体内時空》を《混濁》にひき戻したのが《混濁しつつある身体》であり、《混濁しつつある身体》を観察してみて、これは《肉の塊》だね、ということになったので、《今・ここの・この肉の塊》ということになり。たぶん、これが《健常者》の言う「身体」というモノだろう、ということで《身体》としたのだ。
      2. ×:。
    4. 此時此処のこの身体》?
      1. ○:《此時此処のこの身体》は瞬間における時間的な幅は少ない/無いが、その瞬間の継続という形で時間的継続をもち、《此時此処のこの身体》も誕生から死までの大きさを持つ。
      2. ×:《身体》や《この身体》は瞬間的な《此時此処のこの身体》に限らず時間的継続を持った《この身体》である。別の用語。
    5. 《今・ここの・このヒト》?○:。×:。
    6. 《今・ここの・このモノ》?○:。×:。
    7. 《私の身体》?○:《他者の身体》ではない、から。×:《私》《孤独相》においては未定義である。《私》《他者》との関係でしか意味をなさない。《私》《孤独相》においては《自己言及しつつあるモノ》という意味である。
    8. 此時此処の此の身体》?○:。×:。
    9. 《身体》
      1. ○:《他者の身体》は含まない。すでに、何度も「他者の身体は含まない」という前提で《身体》という用語を使っている。「身体」は「他者の身体」を含むが、「《身体》」は「他者の身体」を含まない。「この身体」と「他者の身体」とを混合した用語は意味をなさない。
      2. ×:《身体》《他者の身体》を含まないというのは的確な用語とは言えない。
    10. 《この身体》?○:《この身体が知り得た一切》では《この身体》が前提になっている。×:。
  1. このページのタイトルは「身体》」であるべきか?○:《xx身体》の全部を扱う。《xx身体》のうち独自のページを持たないものをすべて扱う。×:。

《身体》とは?

  1. 第二の定義:《身体》は、《近傍物理空間》の中のモノとして外部から観察されるモノである。
  1. 第三の定義:《身体》は、《知りつつあるモノ》《背後者》《息しつつあるモノ》《背後者》である。《体内感覚世界》の《認識限界》の向こう側にあるモノとしての《身体》。《背後者としての身体》。
  1. 《知りつつあるモノ》ノイズとする《混濁の分離》においては、《知りつつあるモノ》からの《身体》への認識経路は3種類ある。
    1. 《近傍物理空間》の中の《身体》
    2. 《体内感覚世界》の中の《身体》
    3. 《背後者世界》の先にある《身体》
    4. その3種類の《身体》が同じモノであるかどうかは、自明ではない。が、たけ(tk)は、同じモノであると信じる。信じるが、自明ではない。
  1. 第四の定義:《息しつつあるモノ》への注目において《混濁》を経ると、《身体》《混濁しつつある身体》として現れる。

記述

  1. 《混濁》が分離してくると、《身体》が現れる。
  2. 《知りつつあるモノ》《身体》を認識する経路には4種類ある。
    1. 体外感覚→《近傍物理空間》《近傍物理空間》の中のモノとしての《身体》、《モノとしての身体》
    2. 体内感覚《体内世界》としての《身体》、《体内世界としての身体》
    3. 《背後者》としての《共振しつつある身体》、《背後者としての身体》
  3. 《知りつつあるモノ》《息しつつあるモノ》を発見し、《息しつつあるモノ》《混濁》《混濁しつつある身体》としておさまってくると、
  4. 《息しつつあるモノ》にとっての《身体》はつぎの二通りのかたちで現れる。
    1. 《息しつつある身体》《混濁しつつある身体》
    2. 《極座標の原点》としての《知りつつあるモノ》からの同心円的多重構造の境界面のひとつ。

区別

《身体》《生きモノ》

  1. 《身体》《生きモノ》か?
    1. ○:
      1. 《生きモノ》は有体物の『種類』の一つである。《身体》《生きモノ》という『種類』のモノである。
      2. 『種類』というのは《思い描き》《指し示す思い描き》であり、複数のモノを区別し、ひとまとめにして《指し示す思い描き》のこと。その《思い描き》によって指し示された一群のモノたちのこと。
      3. 《生きモノ》《近傍物理空間》《近傍物理空間の背後者》《近傍物理空間の背後者のルール》の分析において出て来るモノである。
      4. 《身体》《近傍物理空間の背後者》の中のモノである。《近傍物理空間》の中のモノとしての《身体》は、《身体》の表面であり、《身体》の《認識限界》である。《認識限界》の向こうに《身体》がある。《背後者としての身体》は《生きモノ》である。
    2. ×:
      1. 《近傍物理空間》の特殊領域としての《身体》は、それが《生きモノ》であるかどうかは判定不可能である。そもそも、その時点では《生きモノ》の概念はない。そもそも、《生きモノ》って何?
      2. 『種類』って何さ? 分類されたモノ《指し示す思い描き》が『種類』の《思い描き》である。『種類』の《思い描き》によって指し示されたモノ。ですか。まあ、勝手に思い描いて、指し示してちょうだい。それは、《思いこみつつあるモノ》の勝手な指し示しだからね。
      3. 《身体》《近傍物理空間の背後者》の中のモノではない。《近傍物理空間》の中のモノである。
      4. 《近傍物理空間の背後者》の中のモノとしての《身体》(b)は、《近傍物理空間》の特殊領域としての《身体》(a)とは別のモノである。別の定義のモノである。別の《視点》モノである。

《身体》《欲求実現手段》

  1. 《身体》とは《生きモノ》の欲求実現に有利な、《生きモノ》によって形成された囲い込まれた領域である。か? ○:。×:《生きモノ》《身体》とを区別するということは、《身体》とは別の、《生きモノ》というモノを想定することになる。

《混濁しつつある身体》《動きつつある身体》である、か?

《身体》《自己言及》

  1. 《近傍物理空間》を感じつつあるモノの自己認識としての《身体》。指先がコインを感じつつある時の指先。感覚の場所としての《身体》

《息しつつあるモノの背後者》《身体》、《背後者としての身体》

  1. 《息しつつあるモノの背後者》は、結局のところ、《背後者》としての《身体》のようである。《身体》の項目で言う「《背後者世界》の先にある《身体》」。
  2. 《背後者》としての《身体》は持続的であるから、《四次元チューブ》なのである。他の時間の《いま・ここ》の《知りつつあるモノ》《息しつつあるモノ》と繋がっているのである。
  3. 《背後者》としての《身体》は、状態を持ち、《群生相》の状態になったり、《孤独相》の状態になったりするから、持続的な時間を超えて一体的なモノとしての《背後者としての身体》の先には、別のモードの《息しつつあるモノ》《世界》が広がっているのである。

《身体》と《コミット》

  1. 『無意味の世界』《ヘラクレイトスの「ロゴス」》→ちっぽけなインスタンスへの《コミット》。
  2. 既に《私》は、《ヘラクレイトスの「ロゴス」》のちっぽけなインスタンスである《身体》に《コミット》しているのである。また、《私》は生きているかぎり、《身体》への《コミット》から逃れられないのである。
  3. 《身体にコミットしつつあるモノ》は何なのか? 《身体》の内部の《極座標の原点》である。この《身体》の内部の《極座標の原点》《私》である。

《身体》テリトリー

  1. 《とる》という動作は、身体的な支配領域の中に、そのモノ動かすことである。
  2. テリトリー内部に移動する。
  3. テリトリーとは? 所有とは? 占有とは? 専有とは? 共有とは?
  4. 《もつ》というのは、そのモノを自分のテリトリーの内部に維持することである。
  5. テリトリーの多重構造。同心円的多重構造。《身体》は専有度のもっとも高いテリトリーである。

シンタイ・イシモ*100

  1. 《息しつつあるモノ》《身体》の中にある。《体内感覚世界》において、息しつつあるモノ《身体》の中にある。
  2. 《身体》は息しつつあるモノである。《息しつつある身体》である。《体外感覚世界》において、《身体》《息しつつある身体》である。
  3. 《息しつつあるモノ》《身体》の中にある」と言ったときの、《身体》《体内感覚世界》の中のモノか? 「《息しつつあるモノ》《身体》の中にある」と言ったときの《息しつつあるモノ》《体外感覚世界》の中のモノか?
  4. 《体内感覚世界》《体外感覚世界》の違いは、モノに格る認識経路の違いである。格る、いたる、格物モノへの直観、直接知。
  5. 《体内感覚世界》《身体》の内部にある、というのは、推測であり、信仰告白である。《体内感覚世界》をたどって、《身体》の表面に至ることができない。足が疲れた、腰が痛い、の疲れ、痛みはどこにあるか? 指差すことは出来るが、あてずっぽうである。推測である。疲れ、痛みを感じる場所への方向と距離から、それが《体外感覚世界》《身体》の内部の当たりにあたるので、それが《身体》の内部のものであると推測する。しかし、実際に感じる痛みや疲れ方向と距離は、もっと、漠然としている。「腰が痛い」と言った手前、腰のどこかに痛みがあるはずだ、との確信のもとに推測しているに過ぎない。
  6. 《体内感覚世界》《体外感覚世界》とは互いに接点を持たない、別の世界である。
  7. 《体外感覚世界》における腕をつねると、《体内感覚世界》において痛みを感じる。腕の皮膚感覚が《身体》外部の(《体外感覚世界》の)《つねりつつある指》を感じるときに、その場所で《痛み》の感覚も生じているはずだと確信する。皮膚感覚が生じる前は純粋に《体内感覚世界》の感覚だけであり、それはどこにあるのか漠然としている。何分もつねられ続けると、皮膚感覚が麻痺して来て、《つねりつつある指》がどこにあるのか分からなくなる。そうなると、《痛み》は別の場所に移動してしまう。
  8. 《息しつつあるモノ》《身体》の中にある」と言うのは、一種の信仰告白である。実際にはその方向にはなく、別の方向、虚数軸方向にあるのかもしれない。別の座標軸方向にあるという(公理に基づいた)信仰も可能である。《複素数の時空》。つねられた《痛み》の場所に何らかの《意味》を感じたときには、その《意味》の場所は、もはや物理的な4次元時空を超えた場所=現実的な座標軸にとっては虚の方向であるような座標軸の空間=にあると考えたほうがよいであろう。
  9. 《息しつつあるモノ》《体内感覚世界》の中のモノか? 実は怪しい。皮膚感覚は《身体》の表面にあり、皮膚感覚が感じる世界《体外感覚世界》である。《身体》の表面(皮膚)は鼻から、喉、肺につながっている。《息しつつあるモノ》は肺の最下部の皮膚が感じる《体外感覚世界》=肺の空洞への感覚=かもしれない。しかし、実際には、皮膚感覚は、鼻に入った時点で消滅する。少なくとも、空間定位を行う能力を失う。もはや《体外感覚世界》を感じる能力を失う。
  10. 《体外感覚世界》は、五感によってばらばらに取得された情報を、3次元的な空間として再構成したモノ
  11. 《身体》の内部には《思いこみ》噴出しており、すぐに、身動きがとれないくらいに、埋め尽くされてしまう。それを捨てるテクニックは、各自、研究し・訓練してくれ。捨てる方法はあり、捨てることは可能である。ただし、強制はしないし、お勧めもしない。身動きが取れなくなるのもよし、大事な《思いこみ》に固執するもよし。たけ(tk)は大事な《思いこみ》こそ捨ててしまい、新しい世界を見たい。君のことは知らぬ。
  12. たけ(tk)《身体》のまわりに3次元の物理空間があると信じる。《身体》があると信じる。《身体》が3次元の物理空間の中にあると信じる。
  13. たけ(tk)は、デカルトの『我』があるとは信じない。デカルトの『我』は、普遍的なイデア世界の中のモノである。しかしながら、イデア世界《思いこみ》である。《身体》内部の《思いこみ》である。たけ(tk)が捨ててしまった《思いこみ》の一つである。ただし、《思いこみ》というモノはあるし、コトバというモノもある。《思いこみ》への《入り込み》《思いこみの世界》というモノもある。《イデア世界》というモノもあるだろう。後で検討しよう。
  14. たけ(tk)が「たけ(tk)《身体》があると信じる」と言ったときの《身体》《指し示しつつあるコトバ》である。コトバが先にあるのではなく、たけ(tk)が認識したモノが先にある。そのモノを指し示すために、適当な名前「身体」という名前を付けて、そのモノを指し示そうとしているのである。聞き手は、しかしながら、残念ながら、コトバを先に聞く。コトバを聞いて生じるのは《思いこみ》である。聞き手は《指し示しつつあるコトバ》を聞いたときには、それが《指し示しつつあるコトバ》であることを知り、その《思いこみ》のもとで、それが何を指し示しているかを《思い描き》、自分でそれを捜し当てて、自分で捜し当てたモノをそのコトバで指し示してみて、自分の中に《指し示しつつあるコトバ》を再現しなければならない。

《肉の塊》《身体》

  1. 《身体》《知りつつあるモノ》との対比において知られつつある《肉の塊》である。
  2. 《混濁しつつある身体》《混濁しつつあるモノ》。を経由して、《肉の塊》が現れる。

エンジョウ・シンタイ

  1. 《近傍物理空間》の中のモノとしての《身体》の《認識限界》の向こうに《浄化球》を置いてみる。
  2. 《近傍物理空間》を感じつつあるモノとしての《身体》《近傍物理空間》の中のモノとしての《身体》
  3. 《身体》《身体》を感じるということ。自己言及か・・。
  4. 右手の指先で左手の甲を感じること。これは同時に、左手の甲が右手の指先を感じることでもある。また同時に、右手の指先が『左手の甲を感じつつあるモノ』を感じることであり、左手の甲が『右手の指先を感じつつあるモノ』を感じることでもある。また同時に、左手の甲が『右手の指先によって感じられつつあるモノ』を感じることであり、右手の指先が『左手の甲によって感じられつつあるモノ』を感じることでもある。
  5. 《身体》は《自己言及的なモノ》である。

コトバ《身体》

  1. コトバには《身体》動かす《ちから》がある。
    1. 《私のコトバ》には《他者の身体》動かす《ちから》がある。
    2. 《他者のコトバ》には《私》《身体》動かす《ちから》がある。
  2. 《身体》動かすコトバの実体は、《求める思いこみ》だな。
    1. 《私》《求める思いこみ》表出《他者》に伝わって《他者の身体》動かす
    2. 《他者》《求める思いこみ》表出《私》に伝わって《私》《身体》動かす

《身体》《身体》の内部

  1. 《身体》《近傍物理空間》の中のモノの一つである。《近傍物理空間》の中のモノは通常はそのモノの表面しか見ることができない。内部を見ることができるのは《近傍物理空間》の中のモノではない。
  2. 《近傍物理空間》モノとしての《身体》の内部にあたる部分」に注目することはできる。それは、《知りつつあるモノ》の勝手である。
  3. 《知りつつあるモノ》が、そのモノ《身体》)の内部を、《近傍物理空間》とは別の経路で知ることができると感じられるようなモノ。という特殊性を有するモノ

《身体》と認識経路

  1. 認識経路は《視点》である。認識経路の違いとは《視点》の違いである。

《身体》《近傍物理空間》

  1. 《身体》《近傍物理空間》の中に在る、か? 結論からいえば「《近傍物理空間》の中に在るはず」(推論、《思いこみ》)となる。
  2. 《見通し》において、《身体》《近傍物理空間》の中に在る、か? 《浄化球》レベルになると、三つの世界における《身体》は、一つのモノであることを見通せるようになる。一つのモノに対する異なった輪郭、多次元輪郭世界における《身体》であることがわかる。《浄化球》への《思いこみ》噴出が、それぞれの世界における《身体》からの《思いこみ》噴出が、また《身体》への噴出が、同じ場所(一定の範囲内の場所)で生じていることが見通せるようになる。

《身体》とベルグソンの「身体」

  1. http://www.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/misaka(04-2-8)
    1. こうしたイマージュのなかで特権的に他のイマージュと区別される「唯一の」イマージュが身体のイマージュである。イマージュは知覚(perceptions)によって知られる。身体のイマージュも他のイマージュと同様知覚によって知られるが「内から感情(affections)によっても」知られる。逆に我々は身体のイマージュ以外のイマージュを感情によって知ることはできない。この感情が身体というイマージュに特権を与えている。したがって、我々はこの「感情」(affections)を分析することで身体の特権性を明らかにすることができるだろう。

http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/823.html

    1. 自分の身体は、自己性を有すると同時に他者性を有するものです。
    2. 他者(外)を受け入れる(感じる)ときには身体が持つ感覚を自己として使いますが、他者(外)に働きかけるときには身体を自己の制御対象として使います。
    3. 自他性を併せ持つ自分の身体を自己そのものとするわけにはいきませんから、“純粋”な自己は?と考えると、他者(外)を受け入れる(感じる)ときにも、他者(外)に働きかけるときにもまごうことなく自分として存在するものということになります。

検索

《この身体が知り得た一切》 - [#《この身体》は《この身体が知り得た一切》を知っているのか?○:。×:。]

《此時此処からの時空》 - [#《此時此処からの時空》では《身体》は透明化(捨象)されている。か?○:。×:。]

《此時此処からの群生時空》 - [###《群生相》は《この身体》の状態・内部状態を示すコトバである。]

《他者からの思い込み》 - [#タカモイ2:《力みつつある身体》] 《この身体が知り得た一切への一望》 - [###→《混濁しつつある身体》への一望+《体外時空》への一望。]

《背後者時空》 - [#情報は主体依存的な存在である。情報はそれを受け取る主体が在るときにのみ情報でありうる。或る主体にとっては情報であり、別の主体にとっては情報ではない、ということがありうる。主体に相当するのはモノに内在する《極座標の原点》である。《極座標の原点》にとってはそのモノ自身の内部状態も情報であり、そのものモノ自身の構造・動作プログラムも情報である。モノの外部状況情報である。ヒト《身体》情報であり、その人の『現実』情報である。]

《体外直知時空》 - [####→《混濁しつつある身体》への一望]

此時此処 - [《循環》 - [《息しつつあるモノ》 - [#4 《繋がり》《感じ合い》《動き合い》《繋がり》《私》と《彼ら》との感受性と表出との循環関係。モノのレベルでの《繋がり》。魄の《繋がり》《身体》《内からの視点》。繋がった《身体》《内からの視点》。《繋がりつつある身体》の《内からの視点》《今・ここの・この肉の塊》モノのレベルでの感受性と表出モノのレベルでの《知ること》と《動くこと》への《内からの視点》からの《見通し》モノのレベルでの《繋がり》への《内からの視点》からの《見通し》。モツウミ=モノのレベルでの繋がりへの内からの視点からの見通し。]]]

《噴出》 - [#モイフンもイシモ《身体》の中に在る。]

《見失い》 - [《繋がり》 - [《背後者》への見通し - [* ご注意:この「《背後者》への見通し」の原稿を書き終わってしばらくしたら、激しい頭痛とめまいに襲われて、救急車で運ばれてしまった。CTスキャンや血液検査で脳や身体には異常がないとの診断だった。よって、この「《背後者》への見通し」の原因であったと思われる。白隠和尚の病気と同じだ。《知りつつあるモノ》《背後者》への見通しを得るということは、《知りつつあるモノ》《身体》《生きつつあるモノ》との繋がりを、意識のうえで、破壊してしまうことを意味する。《知りつつあるモノ》は自身の存在原因見失うのである。これに対処するには、《知りつつあるモノ》が「《知りつつあるモノ》《生きつつあるモノ》噴出である」という自覚を持つことが必要になる。「《背後者》への見通し《生きつつあるモノ》噴出である」。そのように念じ続けたら、めまいが生じなくなったようだ。簡単にいえば、腹式呼吸で深呼吸をすれば症状は軽くなる。白隠和尚の軟酥の法も知っておくとよい。ご注意あれ。]]]

《体内直知時空》 - [#《体内感覚世界》は、《混濁の世界》《身体》の内外で分離した結果として生じる。]

スーハー - [#知りつつあるモノ(シリモ)は体外空間の中の《この身体》を発見する。]

《背後者》 - [#事物(《身体》)の内部から事物を見通すこと、と、事物の外部から事物を記述すること。]

《たけ(tk)の思いこみ》 - [###息をしばらく止める実験をしてみれば分かるが、《身体》動きを止めただけで、《知りつつあるモノ》は背後から撹乱される。]

《混濁》 - [###スーハー《息しつつある身体》《混濁》→《体内混濁》と《体外混濁》。「否定」、「100」。]

・100 - [##「ヨジムル・レントネ・100」は、たけ(tk)《身体》内部において《連想のトンネル》を開く作業である。《混濁しつつある身体》。]

《混濁の分離》 - [#《モノたちの世界》+『論理空間』+《他者からの思いこみ》《身体》(モロタシ)という分離? ○:。×:。]

《知られつつある混濁》 - [《肉の塊》 - [《他者》 - [#《知りつつあるモノ》入り込むと、世界は、前面世界《知られつつある世界》《近傍物理空間》)と《背後者世界》とに分離する。《他者》《知られつつある世界》《背後者世界》とに出現する。しかし、この二つの世界は、《知りつつあるモノ》への《入り込み》によって生じた区別なので、モノとしては同じモノ、同じ世界である。《知りつつあるモノ》への《入り込み》をやめると、《他者》は或る一つの世界に出現するモノである。((弁証法的な説明方法が適切なのか?))。《混濁しつつある身体》《肉の塊》の外部の空間に現れるモノである。((女性の性交における《他者》は、《肉の塊》の内部に現れるモノなのか?))]]]

《思いこみ》 - [#《身体》内部の《思いこみ》から生じる《思いこみ》は《外からの思いこみ》である。]

《直知》 - [#そのうち、《体内世界》の経験も、科学のメスが入るかもしれない。瞑想の科学みたいなのはあるだろうね。瞑想するヒトの脳波や fMRI(機能的磁気 共鳴画像装置)で解明する、ってね。でも、それはあくまで、《他者》の内部、というか、《他者》の報告と脳現象との対応関係であるね。《私》《知りつつあるモノ》からの《私》《身体》《体内世界》への経験ではない。]

《内からの視点》 - [##ヒトは、健常者は、自分の《身体》の内部にある《体内感覚世界》を、知っているのに、知らないフリをしている。健常者《思いこみ》を知っているのに、それが自分の《体内感覚世界》に在るとは、信じない。健常者は、《体外感覚世界》にあるモノたちを《外からの視点》で見ることだけが、唯一正しい見方であると信じている。・・健常者の思考様式はよくわからぬ・・。]

《思い描き》 - [#《我》《体内感覚世界》《背後者》《思い描き》によって作り出されたモノである。《混濁しつつある身体》《思い描き》によって作り出されたモノではない。]

モノ - [####《他者》《私》コトバ「このコップ」から、《私》《思いこみ》を推測する。『《私》が「このコップ」というコトバで何かを指し示そうとした』という《思いこみ》《他者の身体》の中で再現する。]

《今・ここの・このモノ》 - [#《息しつつあるモノ》《今・ここの・このモノ》である。《知りつつあるモノ》《今・ここの・このモノ》である。《身体》《今・ここの・このモノ》である。《混濁しつつある身体》《今・ここの・このモノ》である。《自己言及しつつあるモノ》《今・ここの・このモノ》である。]

《求める思いこみ》 - [#《混濁しつつある身体》においては《求める思いこみ》《混濁しつつある身体》に溶け込んでいる。]

《息しつつあるモノ》 - [#《息しつつあるモノ》のまわりには《身体》があり、そのまわりには《近傍物理空間》があり、その《認識限界》の向こう側・手前側には《近傍物理空間の背後者》が在る。]

《息しつつある混濁》 - [《混濁しつつある身体》《息しつつある混濁》]

コトバ - [##しかし、これは錯乱した不快な《思い描き》だ。《他者からのコトバ》は、《私》を撹乱する、不快を生じさせるモノであった。((最近は慣れてきた。というより、《知りつつあるモノ》による《混濁の分離》は非常に不安定だったのだ。最近は《混濁しつつある身体》による《混濁の分離》の状態なので、《他者からのコトバ》にも堪えられるようになった、ということだろう))。]

《自己言及しつつあるモノ》 - [『一切』 - [#自己言及概念としての『私』は「心の作用」である。《モノの世界》モノアレーテイア)としての《私》『一切』の一部である。《身体》『一切』の一部である。記述の出発点の探索は「心の作用」である。]]

《私》 - [#《混濁》からの分離において、《知りつつあるモノ》《知りつつあるモノ》自身と《身体》《他者》とを見つけた。]

《知りつつあるモノ》 - [#(4)情報の流れは《身体》《動き》を引き起こす。外部的《動き》、内部的《動き》《動き》への衝動、《思いこみ》を引き起こす。]

《息しつつある肉の塊》 - [#餌を求めて、餌に向かって動く、ということは実在の《動き》であり、《生きモノ》が自らの《動き》として認知する。餌を求める《動き》は実在するモノである。有性生殖にあたっての、異性を求める《動き》も実在するモノである。《身体》の外部に求める対象がある《動き》は実在するモノである。((《動き》は四次元時空の中のモノである))。]

《欲求実現マシンの群れのルール》 - [#《身体形成欲求》と《テリトリー形成欲求》とは、似たようなモノだ。DNA生物にとっての《テリトリー》が《身体》である。]

《妄想しつつある肉の塊の群れのルール》 - [#8:他者の内部の《妄想》は見えない。《私》《身体》の内部の《妄想》は見える。《他者からのコトバ》によって、《私》《他者》の内部の《妄想》を《妄想》することができる。《他者》の内部の《妄想》は《私》の《妄想》である。《他者》《私》の内部に生じた《他者》の《妄想》への《思い描き》を、《他者》の内部で生じた《妄想》と同じモノであると《妄想》する。実際に共有しているかどうかは確認不可能であるか、相互に、『同じ《妄想》を共有している』という《妄想》を思い描いている。それを共有《妄想》という。]

《紛争解決欲求》 - [《ユートピア》の《ヒトの群れ》 - [#紛争解決、《身体》の一部の発熱状態。の解消。病原菌による病気の解消、予防。]]

《肉の塊》 - [《混濁しつつある身体》 - [#《混濁しつつある身体》を放置しておくと、それが《肉の塊》と呼ぶべきモノであることが分かる。《いま・ここの・この肉の塊》]]

《欲求》 - [###無生物のウィルスは、繁殖に有利な、囲い込まれた領域を形成するようになる。それが《身体》《身体》には『死』がある。《身体》の『死』を回避しようとする《欲求》が《生存欲求》。《身体》とは《生きモノ》の欲求実現に有利な、囲い込まれた領域である。]

『よい』『わるい』 - [#死というのは時間的な体外である。《身体》時間的限界の外の世界である。《身体》の空間的限界の外の世界と同質のものである。]

空気 - [#《思いこみ》になじんだ《身体》イシモの《空気》を作り出す。]

《視点》 - [《視点》《身体》]

《プログラミング・オブジェクト》 - [#アルゴリズムは《身体》を出ない。]

《他者からのコトバ》 - [広義では、《他者のコトバ》は、モノが発するコトバを含む。《モノコトバ》と《ヒトコトバ》。《他者の身体》が非自覚的に発するコトバは《モノコトバ》である。]

《欲求実現手段》 - [#《欲求実現手段》《混濁しつつある他者の身体》のなかの《連想のトンネル》である。『この《欲求》にはこの手段』という《連想のトンネル》である。]

《近傍物理空間の背後者のルール》 - [#3:この《身体》は遅かれ早かれ、死すべきモノである。《噴出》も息する《動き》も無くなる。]

模式図 - [ │ │《身体》《背後者》│]

『なすべきこと』 - [##(3)《拡大身体》としての《群れ》を生かすこと。]

《生きモノ》 - [《身体》《生きモノ》]

《身体》 - [タイトルに一致 身体》]

《愚かな人々》 - [『愚かな人々』と《混濁しつつある他者の身体》]

《極座標の原点》 - [#《極座標の原点》テリトリーを有する。《身体》テリトリーである。《他者》の防衛ラインである。]

《アクター》 - [#3:《身体》《息しつつあるモノ》への《アクター》である。《身体》は『生きる』ことを《求める思いこみ》であり、そのために、《息しつつあるモノ》に対して『息しつづけること』を要求する。]

『法学講義』 - [!!!p.27:人がその《身体》と評判を、侵害に対して保存することについてもつ、これらの権利は、自然的とよばれる。あるいはローマ法学者たちの表現では、人類の自然権である。]

『精神哲学』 - [しかしここでは、《知りつつあるモノ》というのは、単に《思い描かれつつあるモノ》としての《知りつつあるモノ》ではなくて、具体的な《いま・ここ》の《身体》の内部において《知りつつあるモノ》(具体的な精神)が、その《知りつつあるモノ》自身を《思い描く》ことによって生ずるような《知りつつあるモノ》である。]

《生きモノたちの世界のルール》 - [#《生きる》ってのは、欲求実現を目指した《身体》《動き》である。欲求実現行動。欲求実現運動。《求める動き》。《エウドクソスの「善」》ERG《生きモノ》とは欲求実現マシンである。]

《極座標の原点の群れのルール》 - [《極座標の原点の群れのルール》《身体》]

『マモンの原理』 - [#この《動きつつあるモノ》『マモンの原理』に従って動く『マモンの原理』《身体》《背後者回路》である。『マモンの原理』《連想のトンネル》である。『マモンの原理』は、それが《欲求実現手段》として機能するかぎりにおいて維持される《連想のトンネル》である。]

《近傍物理空間の背後者》 - [最も確実に『在る』モノ《息しつつあるモノ》であり、《息しつつあるモノ》《身体》の中に在り、《身体》《近傍物理空間》の中に在り、《近傍物理空間》《近傍物理空間の背後者》の中に在る。]

《連想のトンネル》 - [《混濁しつつある他者の身体》《欲求実現手段》]

『一切』 - [#自己言及概念としての『私』は「心の作用」である。《モノの世界》モノアレーテイア)としての《私》『一切』の一部である。《身体》『一切』の一部である。記述の出発点の探索は「心の作用」である。]

《健常者》 - [《健常者》《混濁しつつある他者の身体》]

《背後者回路》 - [《背後者回路》とは《背後者》に想定された回路。回路は構造を持ち、《隠れた思いこみ》がその中を流通し、加工されてから、《身体》動きや、コトバ表象として噴出する。]

《生きモノたちの群れ》 - [《混濁しつつある他者の身体》《生きモノたちの群れ》]

『目的』 - [#ヒトは命令によってしか動かない。《他者》から命令されて動くモノ《身体》から命令されて動くモノ《私》から命令されて動くモノ、である。《私》《私》自身に命令すべきである(命令のコトバを発すべきである)、か?]

《噴出点》 - [ゴミ箱2005-05 - [思いこみの噴出点は《身体》の中にある。《身体》を浄化すると、《身体》の表面とその先の《身体》世界に至る。《身体》世界《近傍物理空間》である。《近傍物理空間》を浄化すると、近傍外世界に至る。近傍外世界《近傍物理空間》《背後者世界》である。前に観察したときには《近傍物理空間》無限遠点の先には《客観世界》があるはずだった。しかし、実際には『客観世界』の思いこみも含めた思いこみの世界が広がっているようだ。]]

《闇》 - [#《混濁しつつあるモノ》は、精神(《思いこみ》)によって歪められる前の、《身体》の本来のあり方である。]

《見通し》 - [#《身体》というモノの中の《思いこみの世界》である。モノの中の《アニマ》世界である。《モノアニマ》の中の世界である。]

《息しつつあるモノの背後者》 - [#《思いこみ》《生きモノたちの世界のルール》から派生している。《思いこみ》世界《身体》内での再構成である。或る種の《生きモノ》は、《思いこみ》《身体》内に持つことによって、世界状況ルールとを把握し、動きの結果を予測し、予測に基づいて動くことを可能にする。《思いこみ》は、それが的確であるなら、《彼》の生存確率を高める。マダニが酪酸の匂いに反応して樹からよ飛び降りるのは《彼》の《思いこみ》である。酪酸と哺乳動物の血が吸えることとの、論理必然的な関係はない。たまたま、哺乳動物が酪酸の匂いを発する、たまたま、哺乳動物がマダニの餌となる血を運んでいる、という偶然の重なりに過ぎない。しかし、マダニは、酪酸の匂いによって温血動物が近づいてきた、と思いこむのである。]

《ヘラクレイトスの「ロゴス」》 - [#3:《ヘラクレイトスの「ロゴス」》《混濁しつつある他者の身体》《連想のトンネル》である。]

《ヒトの群れ》 - [#4:《連想のトンネル》の中をさまよう《混濁しつつある他者の身体》《動き》《群れ》が作り出すカオスな《流れ》。]

《混濁の世界》 - [《身体》 - [#広義の《近傍物理空間》《混濁の世界》《身体》によって、狭義の《体外直知時空》《体内感覚世界》とに別れる。]]

《鏡の向こうからの眼》 - [# 《極座標の原点》 - [#『仲間』の識別がなされ、《感じ合い》《動き合い》がなされたとしても、『仲間』と《知りつつある身体》とが同じであると考える必要はない。《知りつつある身体》を想定する必要もない。サルは鏡に興味を失う。《知りつつある身体》に興味をもつことの進化価値が、その段階で、生じるわけではない。]]

《混濁しつつある他者の身体の群れ》 - [《混濁しつつある他者の身体》と《他者の思い描きつつあるモノ》]

『心地よいウソ』 - [#たけ(tk)は、《近傍物理空間》の中に《私の身体》があり、《私の身体》のなかに《息しつつあるモノ》があることを信じる。]

《他者のコトバ》 - [広義では、《他者のコトバ》は、モノが発するコトバを含む。《モノコトバ》と《ヒトコトバ》。《他者の身体》が非自覚的に発するコトバは《モノコトバ》である。]

《道具》 - [###《他者》《混濁しつつある他者の身体》=にとっては、『よい』『わるい』が在る。相手にとって『よい』こと、《私》にとって『よい』こと、《繋がり》にとって『よい』ことを目指すという《意図》をもって、相手に合わせること。]

《状況》 - [#《他者の思いこみ》《私》の《気海》を通じて《私の身体》の中で噴出する。]

《アニマ》 - [《私》《身体》《アニマ》《血》]

《息しつつあるモノの世界》 - [##上。物。《息しつつあるモノ》《身体》−《体外世界》。《宇宙史》『無意味の世界』。]

《演じつつあるモノ》 - [#『無意味の世界』においては《私》は《私の身体》である。《私の身体》とは、『無意味の世界』の中で、《他者からのまなざし》の中で、『私』という《思い描き》《演じつつあるモノ》である。]

『無意味の世界』 - [#《息しつつあるモノ》《生きモノ》であるが、満足してしまった《生きモノ》である。満足した《生きモノ》にとっては、『意味』はあるモノはあるが、『意味』あるモノはごくわずかである。・・コトバには『意味』があるのに、『意味』がないとは?・・そのうちに、コトバからも『意味』が消えてしまうのではないか?『意味』《身体》にとっての『意味』でしかない。いなもともと、『意味』というのは《身体》にとっての『意味』なのである。《私》《身体》であるかぎりにおいて、《私》にも『意味』がある、が、《私》《身体》を拒否するかぎりにおいて、《私》には『意味』がない。]

『モノ』 - [ * ID - [##《取り扱い》における《繋がり》。《取り扱い》は、本来的には、ヒト《身体》モノとの《繋がり》である。(《思いこみ》の中で『モノ』《思いこみ》を取り扱う、という《取り扱い》は二次的、別物)。ヒトモノへの《取り扱い》というタイプの《繋がり》。]]

「AならばB」 - [#「《息しつつあるモノ》《身体》の中にある」というのが、《私》《息しつつあるモノ》に注目しつつあるなら、そのモノ《身体》の中にある。ということ。]

《ユートピア》の《ヒトの群れ》 - [#紛争解決、《身体》の一部の発熱状態。の解消。病原菌による病気の解消、予防。]

《群生相》 - [##《群生相》においては《私》からの《視点》《混濁しつつある身体》の表面にあり、《私》《世界》の中に見つける。《群生相》における《視点》は生体遊離の《視点》であり、《客観》の《視点》である。デカルトの幽霊(「我」)の《視点》である。《視点》《世界》の外にあり、《世界》『一切』を客観的に理解する《視点》である。ただし、ただ一つのものを除いて。《我》を除いては、『一切』を理解する《視点》である。《群生相》《世界》には、あるはずのモノが無い。《群生相》《世界》には、あるはずの《我》がない。《群生相》においては、《私》《身体》は、理解に従って自動的に動く機械でしかない。《私》《身体》《我》ではない。《群生相》における《私》《身体》には《我》が無い。《私》《群生相》《欲求実現手段》であるべきだったのだろうか? 《群生相》《欲求》とは? 《身近な人びと》の細々とした葛藤、複数の個体のそれぞれの《欲求》の衝突の解消が《群生相》《欲求》であった。なんと、細かいことよ。爪の垢ほどの価値しかない《欲求》に奉仕せよと?]

《他者》 - [#《近傍物理空間》に現れるモノには、《他者》 《身体》と「その他のモノ」とがある。]

《こころざし》 - [《ヒトの群れ》 - [#《他者》《私》《知りつつあるモノ》を見通すのではない。《他者》《私》《身体》《動き》から予想される『アニマ』(《身体》内部の《思いこみ》)をイメージとして形成し、保持する。《他者》が別の《他者》に関して関心があるのは《こころざし》(一貫性のある《求める思いこみ》)である。]]