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《浄化球》

キーワード《浄化球》

定義

土踏まずの下に50cm位の球を想定する。その部分を浄化する。《透明化》する。

《浄化球》《透明化》のためは、《息しつつあるモノ》によって《身体》を浄化し、《身体》の先の部分に関する《思いこみ》噴出する。

区別

《浄化球》『なすべきこと』

  1. 《浄化球》の中には《思いこみ》としての『なすべきこと』は存在しない。
  2. 《浄化球》の中の《肉の塊》とそのまわりのモノたちとの《繋がり》(ジョウキュウ・ニマモツ)の鏡像を観察すること。その《繋がり》に内在する帰結としての《なすべきこと》の鏡像を《浄化球》の中に発見すること。人間は社会的関係の総体である。
  3. help。
    1. l do appreciate you being around
    2. Help me get my feet back on the ground
  4. http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/feuerbach.html
    1. 「フォイエルバッハは、宗教的本質を人間的本質に解消する。しかし、人間的本質は、個々の個人に内在するいかなる抽象物でもない。人間的本質は、その現実性においては、社会的諸関係の総体である」

《浄化球》と鏡像

  1. 《浄化球》『一切』の鏡像を持ち込むこと。
  2. 0〜∞(《今・ここ》から無限遠点)を、0〜1(《浄化球》の中心と表面)に変換して縮尺した鏡像を描くこと。arctanで縮尺すれば可能。
  3. 《浄化球》に吸い込まれるモノと、吸い込まれないモノとがある。《浄化球》に吸い込まれないモノを鏡像として、《浄化球》の中に見通すこと。手玉に取ること。

《浄化球》『一切』

  1. 『一切』《浄化球》噴出すると、何故か、《背後者》が浄化される感じが生じる。《背後者》というのは《知りつつあるモノ》《背後者》だから、《知りつつあるモノ》がそれのクオリアへの執着である、ということに起因しているのだろう。

イシモ・エンジョウ

  1. 《息しつつあるモノ》《浄化球》
  2. 問題は《視点》の多様性だ。精神状態によって《息しつつあるモノ》の見え方、そのまわりの状況が多様に変化する。或る時には《身体》そのモノであり、或る時には肺の内壁であり、或る時には意思であり、或る時には《身体》内部の《動き》である。
  3. 《視点》の分類。《多次元輪郭空間》。《視点》の座標軸。《視点のパラメータ》
  4. 《視点》への《視点》。《視点への視点》。

モムモモ・エンジョウ

  1. モノたちの群れの中のモノの中の思いこみ》の遠点の《浄化球》
  2. モノたちの群れの中のモノの中の視点》の遠点の《浄化球》。モムモシ・エンジョウ。
  3. モノたちの群れの中のモノ》は、《息しつつあるモノ》無限遠点《浄化球》《浄化》の結果として出現する。
  4. 《今・ここの・このモノ》《思いこみ》は崩落する。《息しつつあるモノ》無限遠点に崩落する。《今・ここの・このモノ》《近傍物理空間》《背後者》《息しつつあるモノ》無限遠点に崩落する。《共振しつつあるモノ》が《モノたちの群れの中のモノ》である。
  5. 《たけ(tk)の思いこみ》は《モノたちの群れの中のモノの中の思いこみ》である。

《たけ(tk)の思いこみ》無限遠点《浄化球》

  1. 《混濁》からはじまる記述の世界無限遠点《浄化球》
  2. 《混濁》は、(反復して現れた)過去の事象である。4次元時空の中の一定領域である。
  3. 《混濁》《視点》を置いて、世界を見る、ということができる。

ジコゲン・エン・ジョウ

  1. 自己言及無限遠点《浄化球》
  2. 自己言及のループに入り込むと、自己言及は、全てを呑み込むような巨大なモノにみえてくる。しかし、「自己言及であるモノ」と「自己言及でないモノ」との境に《浄化球》を置くなら。「自己言及であるモノ」は小さく、貧弱であることがわかる。
  3. 自己言及のパラメータ軸は想定することができる。

足元の《浄化球》と、無限遠点《浄化球》

  1. 無限遠点に置いた《浄化球》は、足元の《浄化球》と同じモノである。同じモノの異なった輪郭である。
  2. 前方無限遠点に置いた《浄化球》から見ると《視点》は後方に在る、足元の《浄化球》から見ると後方の無限遠点《視点》が在る。
  3. 《他者》無限遠点《浄化球》は、足元の《浄化球》と同じモノか?

タシャ・エン・ジョウ

  1. 《他者》無限遠点は、極座標の原点としての《他者》《視点》マイナスの距離世界との接点に在る。
  2. 《他者》無限遠点《浄化球》は、足元の《浄化球》と同じモノか?
  3. 《他者》無限遠点は、極座標の原点としての《他者》《視点》マイナスの距離世界無限遠点に在る。
  4. 《他者》無限遠点は、極座標の原点としての《他者》《視点》を鏡とした《他者》世界無限遠点に在る。(プラスの距離の世界マイナスの距離世界の両方)。

ナベコ・エン・ジョウ

  1. 『なすべきこと』《思いこみ》無限遠点(現在見通されている《見通し》の限界)に《浄化球》を置いてみよう。置いたまま放置しておこう。→『なすべきこと』の《認識限界》の向こう側の《背後者世界》『なすべきこと』を向こう側から表出させている《背後者回路》
  2. 『なすべきこと』というのは、《求める思いこみ》への《求める思いこみ》への《知った思いこみ》だな。『する』というのは《求める思いこみ》で、『なにをなすか、『なすべきこと』を知りたい』というのは《求める思いこみ》への《求める思いこみ》で、それが入るべき枠が在るという《知った思いこみ》だ。
  3. 前方:《知られつつあるモノ》、上方:《知った思いこみ》、後方:《求める思いこみ》、下方:《動きつつあるモノ》《動き》の4点循環。下方は毒ガスの吹き出す河原の様だ。

モイコミ・エン・ジョウ

  1. 《思いこみ》無限遠点《浄化球》を置いてみる。
  2. 《思いこみ》があっちに行ってしまう。《私》《背後者》からの噴出もあっちに行ってしまう。
  3. 《近傍物理空間》無限遠点《浄化球》を置くと、《近傍物理空間》もあっちに行ってしまう。
  4. 《背後者》無限遠点《浄化球》を置くと、《背後者》もあっちに行ってしまう。
  5. 世界の意味があっちにってしまう。『無意味』という《思いこみ》
  6. 『無意味』の無限遠点《浄化球》を置いてみる。知られつつある世界が丸ごとあっちに行ってしまう。そのまわりの《背後者世界》もあっちに行きつつある。
  7. 《知られつつある世界》に意味はない。意味は《背後者世界》にある。
  8. 《背後者世界》もあっちに行くと、(思考という意味の塊の記憶が立ちはだかるが・・)、《浄化》された思考の記憶の塊の背後に、《背後者》《身体》《動き》の領域が広がる。
  9. 《動き》無限遠点《浄化球》を置く。と、《意図》と思われるモノの領域が身体の《動き》の向こう側に広がっている。
  10. 《動き》の4点循環《知った思いこみ》《動き》《求める思いこみ》《動き》《動きつつあるモノ》《動き》《知られつつある世界》《動き》《知った思いこみ》《動き》→・・。《動き》の4点循環無限遠点の先に《浄化球》を置く。

《撹乱されつつあるモノ》《浄化球》

  1. 《撹乱されつつあるモノ》は、《他者の思いこみ》を、《近傍物理空間》《他者》が存在する場所において、理解する。
  2. 《他者》に駆動されつつある《我》《背後者》としての《他者》

《楽しみ》《浄化球》

  1. 《楽しみ》《混濁》である。
  2. 《楽しみ》に執着すれば《むなしさ》が生じる。
  3. モノたちは《モノたちの楽しみ》のために存在しており、イキモノたちは《イキモノたちの楽しみ》のために生きている。彼らは《むなしさ》は感じていないようである。過大な《楽しみ》を期待したり、比較したり、執着したりしない。彼らの《いま・ここ》で実現可能な《楽しみ》を実現する。
  4. 《楽しみ》ノイズとする、《混濁》ノイズ・インデュースド・オーダー。
  5. モノたちの楽しみ》の噴出モノたちの《背後者回路》からの噴出モノたちの《複素数の時空》
  6. 《私》《私》《楽しみ》のために生きているのである。《今・ここの・このモノ》《今・ここの・このモノ》《楽しみ》のために動いているのである。
  7. モノたちの《背後者》の虚数空間には、《楽しみ》噴出する回路がある。素粒子の《背後者》の虚数空間には、素粒子の《楽しみ》噴出する回路がある。
  8. モノたちの《背後者》の虚数空間の無限遠点《浄化球》を置くべし。
  9. ヒトの楽しみ》と《モノとしてのヒト》の《楽しみ》。《ヒトの楽しみ》は《思いこみ》《楽しみ》である。『楽しいことを思うこと』の《楽しみ》である。『楽しみ』の《思いこみ》《楽しみ》である。若者はそれでよい。若者は『楽しみ』の《思いこみ》を実現する《ちから》があふれている。そうでなければならない。若者が老人のコトバに耳を傾けるのは、それが彼らにとっての『楽しみ』であるかぎりにおいて、聞くのである。
  10. モノとしてのヒト》の《楽しみ》は、モノたちとの語らいの《楽しみ》である。
  11. キリスト教は『楽しみ』の《思いこみ》の宗教なのか。『キリストという素晴らしい人格に接する楽しみ・見習う楽しみ』という《思いこみ》《楽しみ》。素晴らしい、だが、残念ながら、ウソなのだ。ユダヤ教の『奴隷主的な神』、イスラム教の『観音様のような神』、浄土教の阿弥陀仏、日蓮の法華経、みんな、それなりに、素晴らしい、がウソなのだ。
  12. 梵我一如はウソではないのか? 『梵』などという巨大なモノと繋がっている、ということは確認しようがない。《私》が体験した身近な《モノの世界》と繋がっているだけである。
  13. [qualia:7453] 他人の「擬我化」?私の「擬他化」?
    1. ・・・と、いうことは、もしかして私と私以外の区別って
    2. 単に感覚と行動のサイクルのうち
    3. 感覚から行動までの間が私で、
    4. 行動から次の感覚までの間が私以外って
    5. いうだけなのか?。
    6. おお、なんということだ。
  14. 《私》は物質的な情報循環の中の一つの点に過ぎない。
  15. 物質的な情報循環《楽しみ》である。《モノの楽しみ》である。《私》と身近な人々との間で、情報循環がスムーズに行くことは《私》というモノ『仕合わせ』である。
  16. 電子が原子核との《繋がり》を持つのは、電子の《仕合わせ》である。電子が外に飛び出すのは、電子の《楽しみ》である。
  17. 《複素数の時空》《宇宙史》《楽しみ》。《複素数の時空の宇宙史》の《楽しみ》《宇宙史》と《いま》の《楽しみ》《楽しみ》は《いま》の属性である。《いま》は《宇宙史》の断面である。《楽しみ》は《いま》の構成原理である。《複素数の時空》の《いま》の構成原理としての《楽しみ》。刹那主義。刹那の中に無限の《複素数の時空》の《いま》がある。
  18. 《近傍複素空間》への《見通し》

《近傍複素空間》と《浄化球》

  1. 《近傍物理空間》と近傍の《思いこみの世界》との統一的把握。

《怯えつつある人々》と《浄化球》

  1. 《怯えつつある人々》は《他者》の話なのでどうでもよい?
  2. 《私》と《怯えつつある人々》との《繋がり》が問題。
  3. 《私》は《怯えつつある人々》を怒らせるヒトである。
  4. 《私》は《怯えつつある人々》に反省を迫る、と、《怯えつつある人々》は怒る。
  5. 《怯えつつある人々》の怒りは、彼らの《怯え》の原因に触れさせる行為によって生じる。《怯えつつある人々》の怒りは、お話し、によってやわらげられる。お話し、によって、あとで、じっくり考えた時に、《怯え》の原因が分かるように、話すべきである。それでも気がつかないヒト、気がついて怒るヒト、がいる。お話しを信じ込むヒトがいる。お話しを、《他者》の問題だと思うヒトがいる。気がつかない人のパターンのいくつか、ということ。お話しを作るのは難しい。
  6. 《怯えつつある人々》と《怯えつつあるモノ》《私》《怯えつつあるモノ》である。《私》は《怯えつつある人々》の一つの個体である。《私》の《怯え》を語ることは、聞き手にとっては「お話し」である。
  7. 《怯え》を語ることへの見本、手本。

モノの群れの混濁》と《浄化球》

  1. 《群れつつある混濁》は《群れつつある身体》と《モノの群れの混濁》に分離する。
  2. 日常生活は《モノの群れの混濁》であるように見える。
  3. モノ《群れ》《浄化球》を置いても、噴出を感じない。混濁していないようでもあるし、かすかに混濁しているようでもある。
  4. モノたちは、「実在だからだ」という。が《複素数の時空》において、それらのモノたちの《背後者》からの噴出もあるようにみえる。が《浄化》されないようにみえる。
  5. モノたちは、彼らの《動き》において、彼らの《思いこみ》を実現してしまっている。
  6. モノたちの中には、「ヒト《思いこみ》をもったモノ」がある。《ヒトのアニマ》をもったモノ。《怯え》に駆動された《視点》《動きつつあるモノ》
  7. モノの群れ》は確かにあるが、《ヒトの群れ》はよくわからない。「ヒト《思いこみ》をもったモノ」の内部の《思いこみ》においてしか《ヒトの群れ》は存在していないようにもみえる。しかし、彼らは、《思いこみ》に駆動された《動き》において繋がっている。《繋がり》《思いこみ》に駆動された《動き》を通じて、《動き》においても繋がっている。《動き》における《繋がり》が、《思いこみ》における《繋がり》を強化し、《思いこみ》における《繋がり》が、《動き》における《繋がり》を作り出す。ヒト《繋がり》。《ヒトの繋がり》。《ヒトの思いこみ》に基づく《ヒトの繋がり》はある。
  8. ヒトの繋がり》が《モノの群れの混濁》の中に見えてくる。

ヒトの繋がり》と《浄化球》

  1. ヒトの繋がり》が《モノの群れの混濁》の中に見えてくる。
  2. モノの群れの混濁》を構成するモノの中には、『ヒト』の《思いこみ》を有するモノがある。『ヒト』の《思いこみ》を有するモノヒトと呼ぶ。ヒト《ヒトの思いこみ》に基づいた《動き》において、他のヒトと繋がっている。《ヒトの繋がり》が《モノの群れの混濁》の中に見えてくる。
  3. ヒトの繋がり》と《モノの繋がり》とではどう違うのか? モノの内部のアニマモノの外部を感じ、モノから外部への動きを作り出すことによって、《モノの繋がり》が生じる。《ヒトの繋がり》が《モノの繋がり》にたいして特異性をもつのは、ヒトの内部の《思いこみ》が、直截的ではない、内部循環し、長時間内部に止まり、《動き》への現れが、複雑かつ微妙である、ということだろう。「モノはウソをつかない」というのは、モノ《思いこみ》《動き》との関係が直截的であることを意味しているだろう。
  4. ヒトの繋がり》が《モノの繋がり》にたいして特異性をもつのは、ヒト《アニマ》が、《モノアニマ》と《ヒトのアニマ》の二つの部分に分かれていること、かもしれない。ヒト《アニマ》の《モノアニマ》の部分は扁桃体の動物的脳の《アニマ》で、《ヒトのアニマ》は大脳新皮質の《アニマ》であるのかもしれない。
  5. 大脳新皮質の《アニマ》は、《ヒトの群れのアニマ》ではないのか? 『ヒトの群れ』の《視点》《アニマ》ではないか? 『ヒトの群れ』にとって、何が善であり、何が悪であるかを判断する《視点》ではないか? 動物的判断は個体にとっての善悪の判断の《視点》であろう。即自的《視点》。『ヒトの群れ』の《視点》も即自的《視点》である。『汝自身を知れ』というのは対自的《視点》である。自己言及のアポリアをもたらす《視点》である。自己言及カオスを突き抜けた《視点》が、超越的《視点》である。自己言及が作り出すカオス《混濁》の海のなかで《見通し》を維持する《視点》である。
  6. 《怯えつつある人々》の《視点》は、『ヒトの群れ』の《視点》に怯えつつある、動物的個体の《視点》である。
  7. 《私》は《モノの群れの混濁》の中に《怯えつつある人々》の《視点》への《見通し》を得る。
  8. 社会心理学的な《視点》と、《怯えつつある人々》への《視点》
  9. 《怯えつつある人々》と《怯えつつあるモノ》
  10. 《他者》に受け入れられない』ことへの《怯え》。《他者》に『受け入れられる』って?? 《他者》に『理解される』って?? 《他者》に『見下げられる』ことへの《怯え》。《他者》に『見られる』ことへの《怯え》、《他者》に『知られる』ことへの《怯え》。《知られつつある私》への《怯え》。

《思い上がりつつあるモノ》と《浄化球》

  1. ヒトは《思い上がりつつあるモノ》である。
  2. 《思い上がり》とは《思いこみ》の中で、自らを過大に評価することである。
  3. 自らを過大に評価することによって、世界が見えなくなる。
  4. 世界が見えなくなることによって、《怯え》に捕われる。
  5. 怯えるが故に、ヒトボス猿)やコトバに《すがりつつあるモノ》である。
  6. コトバにすがるモノは、《思いこみ》の中で、世界見通したような気分になる。《思いこみ》を操ることにより、《他者》や自然を操ることができると思うようになる。それによって、《思い上がりつつあるモノ》は再生産される。
  7. 《思い上がりつつあるモノ》は《思いこみ》を通じて《ヒトの群れ》を見通す。《他者》《思いこみ》を見通すことによって、《ヒトの群れの思いこみ》を見通す。
  8. ヒトの群れの思いこみ》は《ヒトの個体》《思いこみ》によって構成される。

《決めつつあるモノ》《浄化球》

  1. 《決めつつあるモノ》《憎みつつあるモノ》である。

ツナコンと《浄化球》

  1. 《繋がりつつあるモノ》《混濁》《浄化球》
  2. 《混濁しつつあるモノ》《繋がり》《浄化球》
  3. 《繋がりつつある混濁》《浄化球》
  4. 《繋がり》《混濁》《浄化球》
  5. テレビと繋がりつつある《混濁しつつあるモノ》《浄化球》
  6. 繋がりつつある《混濁しつつあるモノ》《浄化球》
  7. 《繋がりつつあるモノ》《憎みつつあるモノ》でなければならない。《他者》に接近することを怯えないモノでなければならない。
  8. 《怯えつつあるモノ》《浄化球》《怯えつつあるモノ》《浄化》すると、《他者》との《繋がり》《求めつつあるモノ》になり、《繋がりつつあるモノ》になる。
  9. 「働き者」は《繋がりつつあるモノ》である。

《心地よさ》と《浄化球》

  1. 《仕合わせ》ヒトヒトとの心地よい《繋がり》である。《繋がり》とは何か、も問題だが、《心地よさ》とは何か、も問題となる。
  2. 《心地よさ》は《息苦しさ》の反対である。《息しつつあるモノ》が息しつつあることが《心地よさ》である。

《怯えつつあるモノ》《浄化球》

  1. 《怯えつつあるモノ》《浄化》すると、《他者》との《繋がり》《求めつつあるモノ》になり、《繋がりつつあるモノ》になる。

《憎みつつあるモノ》《浄化球》

  1. 《他者》への接近と《他者》への加害とは、区別できない。
  2. 《怯え》の反対が《憎み》である。接近からの抑制が《怯え》であり、接近への《求める思いこみ》が《憎み》である。
  3. 《憎みつつあるモノ》も根源的な、・・うむ、《憎む》というのは《求める思いこみ》なのだろうか? 加害への《求める思いこみ》だろうな。
  4. 《憎しみ》を行動原理とする人々と戦わなければならない。
  5. 《憎みつつあるモノ》と戦わなければならない。
  6. http://blog.livedoor.jp/aikoen111/archives/46825.html
    1. レーヴィが忘れることのできなかったのが、ブナで彼に化学の知識を試験したパンヴィッツ博士の「別世界に住む生き物が、水族館のガラス越しにかわしたような視線」だった。
  7. 《憎しみ》の原因は「拒否されること」かな?
  8. 《憎しみ》の原因は傲慢さか? 己より下の者から見下された時に、《憎しみ》を感じるのだ。ルシファーの傲慢が憎しみを生む。己が無であることを知っているモノは、己を見下したモノを憎まない。西洋人の業火のような傲慢さ。
  9. 沙漠を支配する《ちから》。つまり、沙漠から抜け出るための体力と気力。日本の風土では、そのような気力は必要ではない。そのような気力を持ったモノがに見下されると、相手を激しく憎むのである。憎しみは復讐への《求める思いこみ》であり、加害への《求める思いこみ》である。
  10. 宅間くん《憎みつつあるモノ》か? だろうな。日本の社会は砂漠化しつつある。
  11. 《憎み》と《憎しみ》とはちょっと違う。《憎み》は《憎みつつあること》、動的で主観的。《憎しみ》は感情を対象化し、反省的である。《憎み》は親愛も、憎しみも、両方の根源にある。
  12. 《憎み》は《身体》的な《ちから》《知りつつあるモノ》を通って噴出すること。
  13. 《憎みつつあるモノ》《混濁しつつあるモノ》である。《憎みつつあるモノ》《近傍物理空間》の中にある。
  14. 《憎みつつあるモノ》《混濁》噴出点は、下下後方にあるように感じられる。下下後方の無限遠点《浄化球》を置けば、《憎み》の《混濁》は消えてしまう、が・・。《憎み》は《ヒトの群れ》の中で《ヒトの個体》にとっては、必要な《ちから》なのだはないか?
  15. 親愛の情も《憎み》がなければ実現しない。《憎み》は加害意志であろうが、接近すれば、相手に害が生じないという保障は何もない。相手に害が生じても構わない、という《憎み》がなければ、相手に接近することはできない。
  16. そもそも、《他者》との関係において、《他者》にどのような事態が生じるのかを予測することはできない、《他者》に生じた事態が、その《他者》にとって好であるのか、悪であるのか、益であるのか、害であるのか、《私》には分からない。相手に何らかの事態が生じ、その自体が相手にとって害となる可能性もある、ということを許容しなければ、相手に接近することはできない。接近への《怯え》を乗り越えるだけの《憎み》がなければ、接近することはできない。
  17. 上後方からの噴出もある。《身体》的な《ちから》がじゅじょう頭上の《混濁》を通って噴出するモノ《思いこみ》から生じる《憎み》。これは、愚痴とか、貶し(けなし)、捨てぜりふ、・・、になるようだ。

『仕合わせ』《浄化球》

  1. 《仕合わせ》モノモノとが相互の《繋がり》において、心地よく、活発に・・。ヒトヒトとの心地よい《繋がり》《仕合わせ》であろう。
  2. 『仕合わせ』《思いこみ》か? 《仕合わせ》《思いこみ》《繋がり》である。モノモノとの《繋がり》であるから、モノである。
  3. mutual happiness。

未来から過去への噴出《浄化球》

  1. 未来は怯えるべきモノである。
  2. 未来から過去への噴出は、反復・循環する。日の循環、年の循環、という地球的自然における循環、週、月という人工的な循環(月の循環は自然的循環に基礎がないわけではないが・・)。
  3. 循環は「規則的」であり、未来は規則として見通されるようになる。
  4. 規則に従うモノとしての未来は、怯えるべきモノではなく、利用可能な道具的なモノである。
  5. 怯えるべきモノとは、カオスであり、不明なモノ、であろう。「何が起きるか分からない」。「分からない」ということが不安の原因であろう。カオスは有害無益であり、コスモスは(うまく使えば)有益無害である。カオス《不快》であり、コスモスは《快》である。それゆえに、ヒトはコスモスを求め、カオスから目を背(そむ)けようとする。まあ、問題は、カオスに目をつぶっただけでは、カオスはなくならない、ということではあるが・・。しかし、カオスから目を背ければ、心理的な安心は得ることができる。錯覚を得ることができる、『心地よいウソ』を得ることができる。
  6. 規則的なモノ、は未来を予見可能にする、利用可能にする。規則的なモノが多数になると、予見不可能・利用不可能になる。(3体問題)。モノが多数な場合には、すべてのモノが同一の規則に一斉に動くのであれば、予見可能・利用可能になる。
  7. カオスへの怯え、コスモスへの《求める思いこみ》が、古代の心象のようだ。支配者は人々にコスモスをもたらすと約束し、人々はカオスへの怯えから逃れるために、進んで支配に服した。ふーむ。自発的服従追従ザル。人々の《知りつつあるモノ》カオスの闇の恐怖の中にあり、そこに一点の明かりを指し示されれば、(それがなんであれ)そこに向かって歩き始め、カオスの怯えから逃れることが出来るようになる(結果はどうであれ、少なくとも原因時点での心理的メリットがある)。走光性。《怯えつつあるモノ》

現在から過去への《見通し》《浄化球》

  1. 過去は記憶として、《思いこみ》として噴出する。過去を《思いこみ》として噴出させることによって、過去を浄化することが可能である。
  2. 過去は《背後者》である。過去は虚数の座標軸の世界である。
  3. 現在の世界からの過去の世界への噴出。無限の《浄化》が必要である。《知られつつある世界》は過去へ噴出する。過去は《知られつつある世界》からの噴出を受ける。
  4. 《知りつつあるモノ》の過去の世界での糸。過去の中での《知りつつあるモノ》の糸。
  5. 《知られつつあるモノ》は(物理学的には)全て過去のモノであるが、それらのモノは現在のモノとして認識される。現在の《知りつつあるモノ》によって《知られつつあるモノ》は現在のモノである。
  6. 反省=孤独相における群生相の記憶噴出は、過去の記憶噴出である。
  7. 《過去》というのは《このヒト》が過去に体験した《知られつつある世界》記憶の総体を言う。
  8. 《過去》の無限遠点《浄化球》を置いて、《過去》を透明化しよう。
  9. 《知られつつある世界》から《過去》の無限遠点《浄化球》への噴出
  10. 《過去》へ噴出する《知られつつある世界》《近傍物理空間》だけではない。《体内感覚世界》の感覚や《思いこみ》《頭上の混濁》も《過去》へ噴出する。
  11. 《過去》の無限遠点《私》の発生の瞬間にさかのぼる。その先は《認識限界》の先の《混濁》となる。《私》の《過去》の左右の無限遠点《他者》の《過去》への《混濁》となる。上下の無限遠点《宇宙史》とが《地球》の過去への《混濁》となる。前方の無限遠点は現在の《知られつつある世界》の前方無限遠点の先で《知られつつある世界》からの噴出を受ける。《過去》の無限遠点の先の《混濁》噴出する。《過去》の中のモノたちの《過去》。
  12. 《私》の《過去》の中のモノたちの《過去》。モノたちによって《知られつつある世界》モノたちの《他者》モノたちの《混濁》モノたちの発生に至る《過去》。モノたちの《過去》の中のモノたち。
  13. 《過去》の中のモノたちの《過去》という、因果の円錐。モノたちの《過去》の因果の円錐、の《混濁》、の無限遠点《浄化球》を置いて《透明化》する。
  14. 《現在》の《モノ》たちによって《知られつつある世界》からモノたちの《過去》の因果の円錐への噴出
  15. モノたちにはモノたちの《過去》がある。モノたちには、《モノ》たちによって《知られつつある世界》があり、それはモノたちの《過去》に噴出している。
  16. モノたちの《群れ》としての宇宙。モノたちの《群れ》の《過去》は《宇宙史》の過去側の半分である。《宇宙史》の過去半分としての《私》の《過去》。
  17. 《過去》の《認識限界》は《現在》であり、その《背後者》は《未来》である。《未来》から《過去》への噴出。《未来》は《宇宙史》の未来側の半分である。
  18. 《私》の《現在》は《私》の《未来》から《私》の《過去》への噴出点である。モノたちの《現在》はモノたちの《未来》からモノたちの《過去》への噴出点である。モノたちの《群れ》の《現在》はモノたちの《群れ》の《未来》からモノたちの《群れ》の《過去》への噴出点の《群れ》である。
  19. モノたちの《群れ》の《過去》と《私》の《過去》とは、《過去》の中のモノたちの《過去》の因果の円錐において統合されている。
  20. モノたちの《群れ》の《未来》からモノたちの《群れ》の《過去》への噴出《浄化》する。《未来》の《混濁》《浄化》する。

《混濁しつつあるモノ》相変異《浄化球》

  1. 《混濁しつつあるモノ》は孤独相と群生相とでは状態が異なる。相が変わることを相変異という。構成原理自体が変わってしまう。《ドメイン》の変異。カオス的遍歴
  2. 《浄化球》は群生相においてもあるか? 《ヒトの群れの体内感覚》の中の《浄化球》
  3. 群生相において孤独相を見通すことはできるか?
  4. メスは《群れの体内感覚》を愛し、オスは《群れの体外感覚》を愛する。そもそも、メスは体内感覚を愛し、オスは体外感覚を愛する、のかもしれない。傾向に過ぎないが・・。
  5. ステレオタイプと理念型。当為と存在とを混同した理念型がステレオタイプ当為祖存在とを峻別したステレオタイプが理念型(りねんがた、と読むのか・・、イデアルタイプ)。

《ヒトの群れの体内感覚》《浄化球》

  1. モノの群れの体内感覚》と《浄化球》
  2. モノの群れ》や《ヒトの群れ》の中に在るモノとしての個体の、《群れ》への感覚は《群れの体内感覚》である。《群れ》というモノの内側から感ずる感覚である。
  3. 《近傍物理空間》は《モノの群れの体内感覚》である。宇宙という《モノの群れ》の《群れの身体》の体内感覚である。人体の細胞の一つが、その外部環境を知りつつある状況を想像せよ。小魚の群れの中のまん中にいる一つの個体が付近の状況を知りつつあることを想定せよ。彼らには自分を取り囲む仲間しか見えない。自分の回りの仲間が彼の世界である。彼らは群れの内部から群れを感じている。
  4. 彼らは、群れの表面や群れの外部の様子を、直接に感じることはできない。が仲間の動きから、群れ全体の様子を、うすうすと、感じる。

性的妄想と《浄化球》

  1. 性的妄想の無限遠点《浄化球》を置くと、その向うには、《他者》《息しつつあるモノ》が見えてくる。
  2. 一般に、関係的な《思いこみ》無限遠点《浄化球》の先には、《他者》《息しつつあるモノ》が見えてくる。闘争的であれ、協働的であれ・・。

《浄化球》《知りつつあるモノ》

  1. 《浄化球》《知りつつあるモノ》を相対化する、コトがある。
  2. 《浄化球》《知りつつあるモノ》が観察するモノである。《知りつつあるモノ》《浄化球》を鏡として、《浄化球》を中心とした世界を見る。《知りつつあるモノ》《浄化球》入り込んでしまうと、《私》《浄化球》の中の一つのものとして見えてくる。《私》《知りつつあるモノ》《浄化球》世界の中の一つのものとして相対化される。しかし、これは《入り込み》の結果であると気付くべきである。
  3. ともあれ、《浄化球》を通して《知りつつあるモノ》を見ると次のようにみえてくる。
  4. 《知りつつあるモノ》《知られつつある世界》から《知りつつあるモノの背後者》《知った思いこみ》噴出する。
  5. 《知りつつあるモノの背後者》の後方無限遠点《浄化球》を置く。《知りつつあるモノ》から後方無限遠点までが《浄化》されたら、後方無限遠点の先に《息しつつあるモノ》を見通す。最終的には、《知りつつあるモノ》《息しつつあるモノ》《ちから》噴出であるような状態にする。
  6. 《知りつつあるモノの背後者》の上方無限遠点《浄化球》を置く。イデア的なモノ世界が広がる。その無限遠点の先にも《息しつつあるモノ》を見通す。
  7. 《知りつつあるモノの背後者》の下方無限遠点《浄化球》を置く。《身体》的なモノ世界。その先にも《息しつつあるモノ》を見通す。
  8. 左右の無限遠点《浄化球》を置く。《他者》《知りつつあるモノ》のイメージの世界。その先には《他者》《息しつつあるモノ》のイメージの世界《他者》たちの《息しつつあるモノ》《混濁》世界。《息しつつあるモノたちの混濁》の世界が広がる。

《浄化球》《知りつつあるモノ》

  1. 《知りつつあるモノ》にとっては《浄化球》は、《思いこみつつあるモノ》が作り出した《思いこみ》として現れる。
  2. 《浄化球》体内感覚世界の背後者を浄化する。《知りつつあるモノ》の背後者を浄化する。《知りつつあるモノ》噴出を浄化する。《知りつつあるモノ》噴出《知られつつある世界》を背後者へ噴出することである。
    1. 《浄化球》《知りつつあるモノ》噴出を通して、《知られつつある世界》噴出を受け、《知られつつある世界》を浄化する。
    2. 《知りつつあるモノ》《知られつつある世界》《背後者》を知る。《浄化球》《知りつつあるモノ》によって知られた、《知られつつある世界》《背後者》噴出を受け、《背後者》を浄化する。
    3. 《浄化球》《知りつつあるモノ》から《共振しつつある身体》噴出を受けて、《共振しつつある身体》を浄化する。

《浄化球》と《こころざしの群れ》

  1. 《こころざしの群れ》は頭上の《混濁》から噴出する。
  2. 身近な人々の《こころざしの群れ》→身近な人々の話で聞いた、身近な人々の《こころざしの群れ》→本やインターネットで知った人々の《こころざしの群れ》→政治家たちの《こころざしの群れ》→世界支配者たちの《こころざしの群れ》→《ヒトの群れ》の原理の《こころざしの群れ》→イデア的なモノの《こころざしの群れ》
  3. 次第に上方に向かっていくが、なかなか、上方無限遠点にはたどりつかない。
  4. 人々の《こころざしの群れ》は彼らの存在のイメージに結びついているので、無限に《こころざし》噴出しつづける。糸の細さにすることはできるが、切れない。《浄化球》に吸い込まれつつ、ぶらさがっている。
  5. 《こころざしの群れ》の頭上の《混濁》の上方無限遠点《浄化球》を置く。
  6. 《こころざしの群れ》は『こころざしの群れ』という《思いこみ》でしかないのではないか? 「xxはxxという《求める思いこみ》を持っている」という認識は、複数の《他者》《私》とが共有する《思いこみ》である。共有された《思いこみ》は、単なる《思いこみ》ではなく、モノとして捉えてよいのではないか? 《私》によって「たしかに、xxはxxという《求める思いこみ》をもっている」と反復して確信された場合には、モノと同様な存在として認めてもよいのではないか? 《共有思いこみ》であることが重要なのか?、《私》にとっての確信が重要なのか? 『共有されている』という《思いこみ》が重要なのか?

《浄化球》《混濁しつつあるモノ》

  1. 《浄化球》の視点で、《たけ(tk)の思いこみ》の最初に発見した《混濁》を見るなら、それは《混濁しつつあるモノ》であり、《混濁》入り込みつつある《知りつつあるモノ》となる。か?

選択肢への《見通し》《浄化球》

  1. 選択肢への《見通し》が必要だ。何が選択可能であり、選択によって何が生じるのか、への《見通し》が必要だ。《選びへの見通し》、《選択肢への見通し》。
  2. 普通は、全く無自覚的に、抵抗もなく、そして、うまくやっているモノなのだがな。変に自覚しようとすると、うまくいかなくなるモノなのだ。
  3. 『選択肢』とは《選びつつあるモノ》《思いこみ》である。《道具的な思いこみ》である。

《選びつつあるモノ》《浄化球》

  1. 《選びつつあるモノ》は自由で、不安なモノである。
  2. 選ぶこと、はアンビバレンツな欲求から生まれる。Aを選ぶことにメリットとデメリットがあり、Bを選ぶことにもメリットとデメリットとがある。一つの基準で一つの選択が決まる場合には、選択とは言わない。選択しがたい事情があり、迷わざるを得ないときに、選ぶ、ということが生じる。
  3. 《選びつつあるモノ》は『選ぶ基準』を《求めつつあるモノ》である。『選ぶ基準』を『価値』という。
  4. 人びとは《選びつつあるモノ》である。(原生生物でもそうだけど・・)。
  5. 『選ぶ基準』は《隠れた思いこみ》である。《背後者回路》に組み込まれた《隠れた思いこみ》である。
  6. 《選びつつあるモノ》は《迷いつつあるモノ》である。迷いによって、選択しないのも、一つの選択である、が、おそらく、意図に反する選択である。迷いを意図的に選択することもあり得る。
  7. 《今ここのこのモノ》=《私》=は《選びつつあるモノ》である。たとえ、《迷い》を《選びつつあるモノ》であったとしても・・。
  8. 《今ここのこのモノ》=《私》=は《選びつつあるモノ》である。《私》は息をすることを選択する。《私》は息をしないことも選択可能であり、それを求めることもあるのである。・・《息しつつあるモノ》は息をしないことを選択しない、ようである。息をしないことは、《私》が求めるだけである。《私》は息をすることを選択する。息をすることは《私》の『価値』であり、『選ぶ基準』である。
  9. 《選びつつあるモノ》は《苦しみつつあるモノ》である。迷いの苦しみを《苦しみつつあるモノ》である。《迷い》は苦しみである。状況への《見通し》と選択肢への《見通し》

《頭上の混濁》《浄化球》

  1. 《頭上の混濁》《他者の思いこみ》《混濁》である。
  2. 《頭上の混濁》《他者の思いこみ》に関する《私》記憶《混濁》である。
  3. 《他者》の人格の《思いこみ》《混濁》である。多数の《他者》《思いこみ》が作り出す《混濁》である。《他者》《アニマ》に関する《私》記憶《混濁》である。
  4. 《他者》の生き方への共感。生き方における、さまざまな価値への共感。さまざまな価値を選択し続ける生き方への共感。
  5. トラブルへのとまどいへの共感。処方を求めてさまよう心への共感。
  6. ヒトとして選択し続けるモノ》たちへの共感。
  7. 《頭上の混濁》無限遠点
  8. 《頭上の混濁》を浄化せよ。人びとから頭上の《混濁》への噴出を浄化せよ。
  9. 『天上』の《混濁》を浄化せよ。
  10. 人々の『ヒトとしての選択』の《混濁》
  11. 人々の『価値』の《混濁》。『選択の基準』を《求める思いこみ》。『価値』は『選択の基準』である。
  12. 宮崎勤くんの『ヒトとしての選択』。
  13. 人々の『欲求』の《混濁》
  14. 人々の《身体》《混濁》。人びとの《思いこみ》噴出すると、その下に人びとの《身体》がある。
  15. 《地表の出来事》《混濁》。人びとの《身体》《動き》《地表の出来事》を構成する。
  16. 人々の《息しつつあるモノ》《身体》。人々の《息しつつある身体》
  17. 人々の《選びつつあるモノ》。《選びつつある身体》。地表に置かれた《選びつつある身体》。『なすべきこと』を《選びつつある身体》。ヒトとは《選びつつある身体》である。《選びつつある身体》の《求める思いこみ》。『選ぶ基準』への《求める思いこみ》
  18. 《選びつつある身体》は不安である。《選びつつある身体》は孤独である。孤独であり、不安であるが故に、『繋がり』への《求める思いこみ》を持つ。
  19. モノは、すべからく《選びつつある身体》である、か? ベータ崩壊をするか、しないかを《選びつつあるモノ》
  20. http://www.kek.jp/newskek/2004/sepoct/doublebeta2.html 「飛跡を検出する方法はカリフォルニア大学、大阪大学やヨーロッパのグループが過去十数年の間に独立に、幾つかの元素を使ってニュートリノを伴う二重ベータ崩壊の半減期が10の18乗年から10の19乗年であることを突き止めた方法です。(10の18乗は1兆の百万倍)」。1000京年? どんな元素でも起きるのか?
  21. 「ベータ線を一つだけ放出するベータ崩壊の測定精度を上げる伝統的方法が、ドイツを中心とする国際協力で進んでいます。トリチウムがベータ崩壊してヘリウム3イオン+ベータ線+反ニュートリノとなる時のベータ線の運動エネルギーを電磁場を巧みに用いて精密測定するもので、KATRIN実験と呼ばれています。」(http://www.kek.jp/newskek/2004/sepoct/doublebeta2.html
  22. アスファルトの中の小石も、割れるかどうかを《選びつつあるモノ》である。
  23. 《息しつつあるモノ》《選びつつあるモノ》である。
  24. 《他者》は、まず第一に《息しつつある身体》である。《生きつつある身体》である。次に《繋がりつつある身体》である。次に《選びつつある身体》である。《息しつつあるアニマ》であり、《繋がりつつあるアニマ》であり、《選びつつあるアニマ》である。ERG理論? 《息しつつあるモノ》《繋がりつつあるモノ》《選びつつあるモノ》
  25. 血縁という《繋がり》、金という《繋がり》、契約という《繋がり》、取引という《繋がり》、支配と服従という《繋がり》、親切という《繋がり》、対立という《繋がり》、戦いという《繋がり》
  26. 引力と斥力によって《繋がりつつあるモノ》《思いこみ》によって《繋がりつつあるモノ》コトバによって《繋がりつつあるモノ》。綱によって《繋がりつつあるモノ》記憶によって《繋がりつつあるモノ》。取引(モノの交換)によって《繋がりつつあるモノ》。性的引力によって《繋がりつつあるモノ》。戦いによって《繋がりつつあるモノ》。支配(暴力)と従属によって《繋がりつつあるモノ》
  27. 頭上の《混濁》《浄化》→頭上の《見通し》→頭上の《認識限界》→頭上の《混濁》
  28. 《選びつつあるモノ》は『選ぶ基準』を《求めつつあるモノ》である。

《息しつつあるモノたちの混濁》の世界《浄化球》

  1. 《体内感覚世界》《背後者世界》《浄化》すると、左右の無限遠点の付近は《他者》たちの《息しつつあるモノ》があり、その先には《息しつつあるモノたちの混濁》の世界がある。
  2. 《息しつつあるモノたちの混濁》の世界の上下左右前後の無限遠点《浄化球》を置いて浄化すると、すべての無限遠点の先に《私》《息しつつあるモノ》が見通せるようになるので、《息しつつあるモノたちの混濁》の世界《私》《息しつつあるモノ》の中に在ることになる。しかし、これはおそらく、《浄化球》《息しつつあるモノ》とを関連付ける、という方針に由来するモノであろう。・・怪しげであるが、当面はその方針で行くしかない。

絶望的状況』と《浄化球》

  1. 絶望的状況》は、『絶望』という《思いこみ》が付加された《状況》なので、『絶望的状況』という《思いこみ》が正しい。
  2. 絶望的状況』は『身動きができない』という《思いこみ》を生じさせる《状況》である。
  3. 絶望的状況』は《息しつつあるモノ》との《繋がり》への《見通し》を切断された《状況》である。《動きつつあるモノ》との《繋がり》への《見通し》を切断された《状況》である。
  4. 絶望的状況』は《背後者世界》無限遠点の先の《息しつつあるモノ》との《繋がり》への《見通し》を切断された《状況》である。《背後者世界》無限遠点の先の《動きつつあるモノ》との《繋がり》への《見通し》を切断された《状況》である。(後方無限遠点の先の《息しつつあるモノ》との《繋がり》だけではなく、上下左右前後の無限遠点の先の《息しつつあるモノ》、すべての方向の無限遠点の先の《息しつつあるモノ》との《繋がり》が必要だろう。それらは、おそらく一つの《息しつつあるモノ》である。多次元輪郭世界)。(《知られつつある世界》の中の《息しつつあるモノ》との《繋がり》では駄目だということ。《息しつつあるモノ》《体内感覚世界》において《繋がり》を持たなければだめだということ)。
  5. 《状況》を見通すためには、《状況》に付加した《思いこみ》を浄化しなければならない。
  6. 絶望的状況』の前方無限遠点《浄化球》を置き、その先に《息しつつあるモノ》を見通すこと。《私》《息しつつあるモノ》である。『絶望的状況』はモノたちの『希望』が満ちているが、その『希望』は《私》の『希望』ではない。『絶望的状況』の中のモノたちの『希望』と、『絶望的状況』の前方無限遠点の先の《私》《息しつつあるモノ》との《繋がり》を見通すこと。 
  7. 絶望的状況』の背後にある『絶望』の《背後者世界》の後方無限遠点《浄化球》を置き、その先に《息しつつあるモノ》を見通すこと。《私》《息しつつあるモノ》である。『絶望的状況』はモノたちの『希望』が満ちているが、その『希望』は《私》の『希望』ではない。その『無意味』な希望を後方無限遠点《息しつつあるモノ》噴出させて《浄化》すること。同時に、『絶望的状況』の中のモノたちの『希望』と、『絶望』の後方無限遠点の先の《私》《息しつつあるモノ》との《繋がり》を見通すこと。 
  8. 絶望的状況』の上方無限遠点《状況》の中のモノたちのイデア的な《思いこみ》《混濁》の上方無限遠点である。
  9. 絶望的状況』の左右の無限遠点の先にはモノたちの《息しつつあるモノ》がある。モノたちの《息しつつあるモノ》《混濁》がある。モイシモ・ジョウキュウ。
  10. 世界の上下左右の無限遠点《浄化球》を置くと、その先に《私》《息しつつあるモノ》が見えてくるということは、世界《私》《息しつつあるモノ》《体内感覚世界》である、ということか?
  11. 客観的な世界は意味を有しない。世界が意味を回復するためには主観的世界への《見通し》が必要になる。
  12. モノたちの《息しつつあるモノ》《混濁》を見通す。後方無限遠点《私》を構成するモノたちの《息しつつあるモノ》《私》を構成するモノたちの《息しつつあるモノ》《混濁》の上方無限遠点《私》を構成するモノたちの《息しつつあるモノ》《混濁》の下方無限遠点《私》を生み出したモノたちの《息しつつあるモノ》《混濁》。宇宙根源の《気》《元気》にまで達しそうだ。宇宙根源の《息しつつあるモノ》《息しつつあるモノ》たちの《混濁》。《息しつつあるモノたちの混濁》。

絶望』と《浄化球》

  1. 絶望』の《思いこみ》を浄化していく。
    1. 絶望』は《諸々のxxしつつあるモノ》の背後から噴出する。
    2. 《諸々のxxしつつあるモノ》《背後者》《浄化》すると、《背後者世界》の後方無限遠点からの噴出を感じる。
    3. 《背後者世界》の後方無限遠点《浄化球》を置く。かなり強力な浄化力。
    4. 《背後者世界》を後方無限遠点から《浄化》すると、《浄化球》の先に《息しつつあるモノ》が見えてくる。
    5. 後方無限遠点《息しつつあるモノ》を見通すと、《息しつつあるモノ》と繋がった《背後者世界》に暖かさが生じる。おそらくは『絶望』的なモノは『希望』らしきモノに変化する。
    6. 《背後者世界》の上方無限遠点の先にも《息しつつあるモノ》を見つけることができる。《背後者世界》の上方無限遠点イデア的な『絶望』の根源。
    7. 《背後者世界》の下方無限遠点は身体的な『絶望』の根源。
    8. 左右の無限遠点《他者》の『絶望』であり、その先には《他者》《息しつつあるモノ》がある。
    9. 前方無限遠点は、《諸々のxxしつつあるモノ》の壁の前方になる。《絶望的状況》である。
    10. 絶望的状況》から後方無限遠点噴出する。《絶望的状況》の『絶望』は状況(の中のモノ)と後方無限遠点《息しつつあるモノ》との《繋がり》が途絶えている状態である。《絶望的状況》からの後方無限遠点《息しつつあるモノ》への噴出は、《絶望的状況》との後方無限遠点《息しつつあるモノ》との《繋がり》である。
    11. 絶望的状況》の前方無限遠点にも《浄化球》を置けば、その先に《息しつつあるモノ》が在るはずであるが、今のところ、そこまで行っていない。《絶望的状況》というのは、実はモノたちの『希望』が満ちている状況である。《私》モノたちの『希望』を《私》の『希望』として感じることができない。それゆえに、モノたちの『希望』の状況は、《私》の《絶望的状況》なのである。

映画版ナウシカと《浄化球》

  1. かっこよすぎる。
  2. 王蟲に対して心を開くナウシカに感動する人びとが多い、ということは救いだろう。何をなすべきかは分かっているはずだ。
  3. 蟲とヒトとは同じ世界には住めない。
  4. 何を怯えているの、まるで、迷子のキツネリスのように。
  5. 森は世界を浄化している。
  6. うだつのあがらねえ平民出に、やっとまわってきた幸運か、それとも、破滅の罠か・・。
  7. 姫様が諦めぬ限り諦めては駄目だ。
  8. 王蟲の怒りは大地の怒りじゃ、あんなものにすがって何になろう。
  9. 愛は世界を救う、か・・。
  10. 漫画版との違いが気になる・・。あっちは、複雑だからなぁ・・。

《浄化球》とプログラムの進化と絶滅

  1. 環境が変われば、古い環境に適応したプログラムは絶滅する。dosのプログラムはdirコマンドでさえ、エミュレータの中で生息しているだけである。
  2. 再生が肝である。新しい環境では一から出直し。一から出直しということは、新しいモノを作るということ。古いモノのイメージが継続しているようにみえても、実際には新しいモノの生成である、というのが再生。
  3. 再生というのは、何が継続しているのだろうか? イデアだろうな。《思いこみ》だろうな。個体の死と誕生を超えて継続して存在する《思いこみ》・・。時間軸における《群れ》

プログラミングと《浄化球》

  1. 定見を回復すべきである。すべての《思いこみ》を捨てて《見通し》を回復すべきである。
  2. 急かされれば定見を失う。監視されれば(見られれば)定見を失う。
  3. 単純な話だ、作ったのに、喜ばれなかったので、作ることがいやになった。それだけだ。誉められなかったのだ。誉められることを《求める思いこみ》動くことを《求める思いこみ》動くためには誉められることが必要だ。関係的《思いこみ》。繋がりを《求める思いこみ》。誉められれば元気が出る、誉められなければ元気が無くなる。自分を誉めれば元気が出る、自分を貶せば元気が無くなる。
  4. プログラムは道具である、プログラミングは道具づくりである。道具は使い手とモノとの繋がりである。使い手の《求める思いこみ》である。
  5. カバラ的な魔術としてのコンピュータに怯える人々。
  6. 「FileCollection::File」というコトバ呪文)は、モノとしての《ファイル》を指し示すものではない。モノとしての《ファイル》を操るスイッチとなるコトバである。「FileCollection::File」というコトバ呪文)はプロセス中のオブジェクトというモノを指し示す。プロセス中のモノ(オブジェクト)は現実世界モノを指し示すわけではない。コンピュータのプロセス内のオブジェクトは現実世界モノを操るためのスイッチ(メソッド)の塊を意味する。
  7. プログラム力と《背後者回路》。空想力、《思いこみ》入り込《ちから》モノとしてのコンピュータに入り込《ちから》モノとしてのWindowsに入り込《ちから》モノとしてのunixに入り込《ちから》。cpuとメモリの世界入り込《ちから》。スケジューラの世界入り込《ちから》
  8. オブジェクトはサブシステムである。サブシステムはモノであり、それ自体の《背後者回路》を持つ。

《続きつつある今ここ》と《浄化球》

  1. 《今ここ》は時間認識限界を持つ。
  2. 《続きつつある今ここ》は《今ここ》の時間的延長である。

ヤプーと《浄化球》

  1. 昼間の たけ(tk)はヤプーである。
  2. よるの たけ(tk)が、昼間の たけ(tk)を知っているのは、《生活》への《見通し》を得たからである。循環する時間の中での《このヒト》の《動き》のパターンへの《見通し》を得たからである。

『無意味』と《浄化球》

  1. 『無意味』は『意味』の反対ではない。
  2. 『無意味』から出発したら、顔の筋肉の『無意味』に達した。表情が『無意味』なのである。
  3. 顔の筋肉の『無意味』を浄化したら、後頭部上部を突き抜けて『世界の無意味』に達した。
  4. 『無意味』とは『意味』《求める思いこみ》があり、その求めが達せられないことの《知った思いこみ》があり、それゆえに、苛立つ《思いこみ》があり、攻撃的になっているモノである。
  5. 「ジョウキュウ・イシモ」。《思いこみの世界》は『無意味』である。しかし、《息しつつあるモノ》にとっては、無意味なモノなど一つも無い。《思いこみの世界》は死んだ世界であり、《息しつつあるモノ》世界は生きつつある世界である。
  6. 《思いこみの世界》は生きつつある世界にとってしか意味を持たない。論理の世界は、記号の世界であり、死んだ世界である。論理的な《思いこみの世界》は死んだ世界である、それゆえに、『無意味』な世界である。論理の世界は死んだ世界である。
  7. たけ(tk)《思いこみの世界》を論理的に突き詰めて考えようとするから、《思いこみの世界》が死んでしまうのである。

《混濁》《浄化球》

  1. 《混濁》を浄化せよ。
  2. 《混濁》《浄化》されて《見通し》が出来たら、その《認識限界》を見極め、その先の《混濁》を意識せよ。《見通し》の空間を縮小して、《認識限界》の先の《混濁》に埋もれよ。そして、その《混濁》を浄化せよ。無限に繰り返せ。
  3. 《混濁》は全体である。全体を浄化せよ。全体を見通せ。全体への《見通し》を得よ。
  4. 《混濁》の状態で《浄化球》を置くと、《近傍物理空間》《浄化》される。《近傍物理空間》《浄化》されると、《近傍物理空間》《背後者》《混濁》になる。《近傍物理空間》《背後者》《知りつつあるモノの背後者》共振し、《知りつつあるモノの背後者》から頭上に向かって噴出する。《浄化》された《近傍物理空間》はドーナッツ状になる。《知りつつあるモノの背後者》からの噴出は、《近傍物理空間》《背後者》を経由して《浄化球》に至る。《知りつつあるモノの背後者》からの頭上への噴出には「背骨的なモノ」の噴出が見られる。背骨的なモノ噴出は分解して《近傍物理空間》を経由して《浄化球》に至るが、その中に鉄筋状のモノがあり、それは分解せず上方無限遠点に至る。それは《浄化球》の下の下方無限遠点から噴出し、《浄化球》に至る。鉄筋状のモノ噴出していくと、それが、「身体的なモノ」であることがわかる。身体的なモノ噴出していくと、とこから身体的な《思いこみ》噴出する。これは、夢のようなイメージの噴出である。身体的なモノは尾てい骨の辺りから噴出するようである。それを噴出すると、《近傍物理空間》の中の《私》という状態になる。

『うんざり』と《身体》

  1. 『うんざり』噴出していったら、腰の下あたり、《息しつつあるモノ》の後ろ辺りの体内感覚にたどりついた。

《浄化球》と「たけ(tk)の生活」

  1. 『なすべきこと』は「たけ(tk)の生活」への《見通し》だろう。
  2. たけ(tk)の生活」は24時間、7日、365日という繰り返しの時間の中に在る。
  3. たけ(tk)の生活」「《私》の生活」「《我》の生活」??
  4. ジョウキュウ・タケセカ。ジョウキュウ・タセ。
  5. 《生活》=《暮らし》は《身体》《動き》と《関係》を時間的に拡大したモノである。《暮らし》も循環的な時間の中にあるが、パターンではない。パターンに入りきらないモノ《動き》と《関係》)も含まれている。
  6. 『生活』=『暮らし』は循環する時間の中での《動き》と《関係》のパターンである。循環する時間の中に繰り返し現れるパターンである。パターンは《思いこみ》である。パターンに入りきらない《動き》と《関係》は、新たなパターンとして捉え返すことによって『暮らし』の一部となる。多様なパターンで形成される『暮らし』。
  7. 『生活』=『暮らし』は記憶の中にある。《思いこみ》である。
  8. 《思いこみ》モノを指し示す。『生活』や『暮らし』の《思いこみ》が指し示すモノはなにか?。モノを指し示すか?
  9. 《動き》や《関係》はモノに存在する。《動き》のパターンはモノには存在しない。モノ《動き》を後から評価した《思いこみ》である。
  10. モノ《動き》のパターンは《モノアニマ》の噴出である。《モノアニマ》の《背後者回路》からの噴出である。《背後者回路》はAならB、CならDという個別関数の集合。状況がBならCと反応すれば、行動はB→Dというパターンになる。状況《背後者回路》モノ《背後者回路》のかけあい漫才、共振関係でパターンが決まる。
  11. 実践的な事柄な、知れば知るほどうまくいかなくなる。排除欲求爆発だ。《背後者回路》を知ると、《背後者回路》を破壊してしまう。認識欲求は破壊欲求だ。破壊的認識欲求と、受容的認識欲求。
  12. 《背後者回路》の反応は、意図的ではうまくいかない。無意識的であってこそはじめて共振関係が成立する。こちらが意図的であれば、状況も意図的に反応するので、無意識的な共振関係が成立しなくなる。土台の共振関係が、うわものにあがってしまう。浮き上がってしまう。
  13. 目的《背後者回路》と、平衡的《背後者回路》。パターンを形成することを目的とする《背後者回路》目的《背後者回路》)と、モノの内部の平衡を確保するための《背後者回路》が結果的にパターンを形成するタイプ(平衡的《背後者回路》)。
  14. 《暮らし》と《生活》。『仕事』を《暮らし》の一部とする。《暮らし》には弛緩したイメージが在る。目的的な《暮らし》というのは不自然。《暮らし》がよい、苦しい。「《暮らし》の一部」という概念。『暮らし』はパターンである。『仕事』を『暮らし』の一部とする、というのは、パターン化するということ。「志を持った暮らし」というのはありだな。
  15. 四次元的なモノ時間的な大きさを持ったモノへの《見通し》《浄化球》の四次元化。《知られつつある世界》の四次元化。
  16. 『暮らし』はパターンであり、《思いこみ》である。パターンとしての『暮らし』は、計画的な《暮らし》を可能にする。
  17. 見通すべきモノは、モノとしての《暮らし》だろう。《暮らし》の《見通し》からパターンとしての『暮らし』を抽出すべきなのだ。
  18. 《暮らし》というのは、絶対者としての《私》の暮らしである。
  19. 《暮らし》は、この《身体》《動き》と《関係》とを多次元輪郭空間の中に置くことによって、この《近傍物理空間》の中のモノとして、輪郭化してくる。時間を異にする視点への座標変換のパラメータの座標軸を追加すること。
  20. 《暮らし》は、この《身体》《動き》と《関係》とがひとつの断面であるような、多次元輪郭空間の中の一つのモノである。

《浄化球》呪文

  1. 呪文とは、《思いこみ》を生じさせる道具としてのコトバである。コトバは全て呪文である。
  2. http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BC%F6%CA%B8&kind=jn&mode=0&base=1&row=0
    1. (1)密教・修験道・陰陽道(おんようどう)などで唱えるまじない。
    2. (2)一定の呪術的行為のもとにそれを唱えると神秘的な力が現れるという言葉・文句。まじない・のろいの文句。
  3. 呪術的な《ちから》コトバを唱えることが現象世界に対して《ちから》を持つという《思いこみ》
  4. コトバを唱えれば、《思いこみ》が生じ、《思いこみ》は《ヒト動き》に繋がり、《ヒト動き》は現象世界を変える《ちから》を持つ。
  5. 呪術的な《思いこみの世界》においては、コトバを唱えることが直接に現象世界《ちから》を及ぼす。『呪術』という《思いこみの世界》
  6. 科学的な《思いこみの世界》においては、コトバを理解することが直接に現象世界を理解することになる。『科学』という《思いこみの世界》『科学』ではなく『科学教』という宗教の世界

ハガレンを読んだのだが、科学に対する過大な信頼が在るんだな。科学は生命を作り出すはずだ、って。

  1. とゆーか、そーゆーほーどーはマスコミに溢れているな。『科学教』。
  2. まあ、軍事技術は進んでいるな。劣化ウラン弾のピストルで戦車を破壊できるとか、暗闇でも赤外線ゴーグルで識別できるとか、空中ナパームを使えば町ごと破壊できるとか、殺人ロボットを使って安全な場所でゲーム感覚でヒトを殺せるとか、ジャングルに発振器をバラ撒けば敵の居所はすぐに分かるとか・・。

《浄化球》と《混濁のオブジェクト》、《混濁の思いこみ》

  1. 今まで知り得たすべてのプログラミングの記憶の、混濁した総体。
  2. 今までに感じたすべての《思いこみ》の、混濁した総体。
  3. 《混濁の思いこみ》の無限遠点《浄化球》を置くこと。

テレビ《浄化球》

  1. テレビ《ヒトの群れ》メディアである。
  2. インターネットは《ヒトの群れ》メディアである。
  3. http://www.socius.jp/lec/11.html
    1. パソコン通信やインターネットによるコミュニケーションを「ネットワーク・コミュニケーション」と呼ぶ。英語圏ではComputer Mediated Communicationと呼び、略してCMCといい慣わされている。・・
    2. 同じCMCではあるが、インターネットはパソコン通信とかなり様相が異なる。パソコン通信がコントロールされた「組織」だとすると、インターネットは「社会」に相当するからである。インターネットには目下さまざまな問題が生起しつつあり、解決のむずかしいものも多いが、統制主体の不在(あるいは多数性)が問題の核心に存在する。
    3. ・・
    4. これらは文化構築の問題というべきで、それ自体は何も内容を指定しないインターネットが、ある種の市民文化形成のメディアとして利用される点は社会構想論的に興味深い。むしろ昨今取りざたされることの多いインターネット上の悪質な行為の方が当たり前すぎて新奇性はないと思う。犯罪は正常な社会現象なのだから。そもそもインターネットは、国家のような統制主体のない無法地帯である。無法地帯に倫理を持ち出してもしかたない。倫理なき人びとを規制するのは文化と経済である。それを意識的に構築する人びとや組織の活動に注目したい。
  4. http://www.socius.jp/lec/11.html
    1. メディア・リテラシー
    2. 九〇年代になってマスコミ研究者のあいだで急速に議論されるようになったのが「メディア・リテラシー」である。最近の大学教育で「情報リテラシー」「リテラシー教育」といえばパソコンを操作すること自体が目標になった自動車教習所的な教育をさすが、ここでいうリテラシーはもっと高度な段階をさしている。鈴木みどり編『メディア・リテラシーを学ぶ人のために』(世界思想社一九九七年)によれば「メディア・リテラシーとは、市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションを創りだす力」(八ページ)である。つまり、これまで受け手としてマス・メディアに屈してきた人びとが能動的なコミュニケーション主体として成熟することを意味しているのである。
  5. http://www.socius.jp/lec/11.html
    1. (4)議題設定機能(agenda-setting function)
      1. マス・メディアが政治の過程で独自の機能を果たしていることは周知の事実である。しかし、その機能が受け手を自民党支持者から社会党支持者に突如「転向」させるといったことでないのは、限定効果説の主張するところである。マス・メディアが独自の――しかも強力な――機能をもっているのは、「どう考えるべきか」ではなくて「なにを考えるべきか」に関してなのである。マス・メディアは「今なにが問題なのか」という争点=議題を設定することについては強力な影響力をもつ。そしてマス・メディアの強調の大小が人びとに問題の重要性を認知させる▼13。
    2. (5)沈黙のらせん(spiral of silence)
      1. 多くの人びとは孤立をおそれて、意見を表明するさいに、どれが多数意見・優勢意見かを確認する。もし自分の意見が少数派・劣勢であれば、孤立を避けるために意見表明は控えてしまう。逆に多数派・優勢意見であると、意見表明の積極性が増す。そのさい、多数派か少数派か・優勢か劣勢かの判断の基準となるのがマス・メディアである。マス・メディアが特定の意見を多数派・優勢意見として提示することによって、反対意見は表明されにくくなり、そのため反対意見はますます少数派として認知されることになる。多数派はますます多数に、少数派はますます少数になる。「らせん」とはこのような相乗的累積的増幅過程をさす。マス・メディアがこのように「意見の風土」を形成するのに大きな力をもっているのは、遍在性・累積性・共振性をもっているために受け手の選択的メカニズムがうまく作用しないからである▼14。
    3. (6)文化規範説(cultural norms theory)/培養分析(cultivation analysis)
      1. 人びとは、なにが正常でなにが認められていないかについて、映画やテレビ・ドラマなどのマス・メディアを参照する。といっても、ある特定の作品が直接影響をあたえるわけではない。マス・メディアは長期的かつ累積的かつ非意図的に人びとに行動の基準を提供するのである。その意味で、基本的に役割の学習過程である社会化に対してマス・メディアは一定の影響をおよぼしていると考えられる。一般にテレビのえがく世界は現実とは異なる相対的に独自の世界であるが、それらが徐々に人びとに共有されている価値観や観念を〈培養〉する。
  6. http://www.socius.jp/lec/11.html
    1. 限定効果説の重要な論点はつぎの三点である▼6。
      1. (1)マス・コミュニケーションの影響は絶大なものではなく限定的な効果しかない。
      2. (2)というのは、マス・コミュニケーションは受け手に対する効果の必要十分な要因として作用するのではなく、じっさいにはさまざまな「媒介的要因」の連鎖のなかで機能するからである。
      3. (3)マス・コミュニケーションは、受け手の意見や態度を「変改」(conversion)させるよりは、むしろ既存の意見や態度を「補強」(reinforcement)する傾向がある▼7。
    2.  ここで重要なのは、さまざまな「媒介的要因」の再発見である。そのおもなものはつぎの三点である。
      1. (1)選択的受容
        1. 人はだれでも、自分に都合の悪い話は聞かないようにするものだ。よしんば聞いたとしても、自分に都合のよいように解釈する。また、都合のよいことはいつまでも覚えているものだ。これはマス・コミュニケーションについても当てはまる。
        2. 説得以前の受け手の状態――たとえば性・年齢・学歴・職業・意見・態度・知的水準・信念・感情・趣味・関心など――を「先有傾向」(predispositions)というが、マス・コミュニケーションにおいて受け手は自分の先有傾向にとって好意的あるいは同質のコミュニケーション内容にふれようとする傾向がある。これを「選択的接触」(selective exposure)という。よくいわれることだが、商品の広告を一番よく注意してみている人は広告されている商品をすでに買った人である。喫煙者は肺ガンと喫煙の密接な関係について書かれた記事を読もうとしないものだ。この選択的メカニズムは「接触」だけでなく「認知」「記憶」についても働いている。これらをまとめて「選択的受容」という。これがあるためにマス・メディアの思惑はしばしばはずれるのである。
      2. (2)準拠集団
        1. 受け手の先有傾向を規定する大きな要素は、個人が自分を関連づけている集団の規範である。個人の意見・態度・信念・関心といったことがらは、じつはそのような集団の規範にもとづいていることが多い。このように個人の態度や判断の基準となる集団を「準拠集団」(reference group)という▼8。
        2. たとえば、ボーイスカウト活動を批判したニュースに接した少年たちのうち、ボーイスカウトを準拠集団とする少年たちはますます積極的に活動するようになったという。つまりメディアの意図とまったく逆の効果――これを「ブーメラン効果」という――になったのである▼9。一方、そうでもない少年たちには効果的に作用したという。「ボーイスカウト」の部分を自分のコミットしている特定の学校や企業や政党や宗教団体に換えてみるとわかるように、準拠集団はマス・コミュニケーションの選択的受容の基準を提供する。
      3. (3)コミュニケーションの二段階の流れ
        1. マス・メディアからのコミュニケーションはいきなり社会の成員を直撃するのではない。じっさいには、まずオピニオン・リーダー(opinion leader)に流れ、そしてかれらから、比較的活動的でない人びと[追随者(followers)]へ流れることが多い。オピニオン・リーダーとは、マス・メディアをより多く利用し、社交性が高く、他人に影響力をもったり、情報源やガイドとしての役割をもっているという自覚をもつ人びとのことで、マス・コミュニケーションの中継機能を果たす。投票・流行・買い物・映画など分野によってそれぞれ異なるオピニオン・リーダーが存在する。オピニオン・リーダーは情報や影響をあたえるだけでなく、みずから積極的に情報を求め、影響を受けようとする。
        2. このさいオピニオン・リーダーから追随者への影響を「パーソナル・インフルエンス」(personal influence)というが、人びとの意見を変える力をもっているのはマス・メディアではなく、じつはオピニオン・リーダーのパーソナル・インフルエーンスなのである▼10。
  7. テレビヒトを原始人に引き戻す。クラッパーの「補強的マスコミ」論
  8. テレビによって洗脳されることを求める人々。非洗脳欲求。
  9. テレビは《混濁の他者のコトバ》である。のなら、マシなのだが、プロパガンダだから手に負えない。テレビは洗脳マシンである。
    1. 錯乱コマーシャル・・『名前を覚えろ』という《求める思いこみ》
    2. 低俗バラエティ
    3. 粗悪ドラマ。プロデューサーの頭の程度の反映。
    4. プロパガンダ・ニュース。
  10. 無限遠点に飛ばす修行をせよ。
  11. どうにも忌々しいのは、愚かな人びとがテレビを好んで見ること。まるで、心地よいウソにだまされることを自ら進んで申してようとしていること、を見ることだ。見え透いたウソにやすやすとだまされる人びとの愚かさを見させられることだ。
  12. 見え透いたウソを、恥じらいもなく放送するプロデューサたちの俗物さを感じさせられることだ。
  13. 善意の加害者なのだろう。善意の加害者を憎むべし。
  14. クラッパーの「補強的マスコミ」論。マスコミは、誘導的効果よりも、受け手の既存の傾向を補強する効果の方が大きい。(p.246、7-8『心理学の基礎知識』)。原始的心象が増幅されるということ。と、パーソナルコミュニケーションとの異同とその原因。選択が受け手に任されている(受容過程における選択作用)。心地よいウソを選択しようとする。批判されると反発して、既存の傾向が強化される。
  15. 愚かな人びとを説得すべきなのか? 愚かな人びとは説得されると、愚かに理解する。すなわち、視点が移動するだけで、その前の視点を忘れてしまう。否、視点さえ持たない。説得された内容を鸚鵡返しで反復することはできるが、自ら考えることはできない。命令者の命令を待つだけである。説得される、というのは、説得者を新たな命令者として認識するようになり、その命令を待つ状態になる、ということである。権威主義的性格。追従ザルボス猿主義
  16. ボヴランドの「一面提示」(『心理学の基礎知識』p.249)。愚かな人びとは、両面提示よりも一面提示に反応する。アドルノの「権威主義的性格」。思考様式が異なると考えざるをえない。

生存疑問《浄化球》

  1. ときどき、「何のために生きているのか」と疑問に思うことがある。失敗したときとか、欝のときとか、体が痛いとき。いま、背中とみぞおちが痛い。その前に、脚立に左足をぶつけて、倒れそうになって、足をかばいながら前に出たら、何メートルか走ってしまった。たぶん、その時に、変な格好で走ったから、背中の筋肉がおかしくなったのだろう。隣の部屋の住人がテレビをつけたまま寝てやんの、最悪・・。
  2. 体が痛いときというのは、死後のことを考えるとき。生き残った人びとへの《見通し》。(おおげさだなあ・・)。

体の痛みと《浄化球》

  1. 痛みの噴出。痛みの噴出場所への《見通し》動く必要が無ければ苦痛ではないのだが・・。

《浄化球》《他者のアニマ》《ヒトのアニマ》

  1. 《他者》《アニマ》《アニマ》を内在するモノとしての《他者》
  2. 愛すべき傲慢。愛すべき愚かさ。愛すべき思い上がり。愛すべき知ったつもりのモノ。歴史を知ったつもりのモノ科学を知ったつもりのモノ。自然の法則を知ったつもりのモノ。支配しているつもりのモノ。愛すべき暴力《ちから》があるように思い上がっているモノ。愛すべき《思いこみつつあるモノ》。愛すべき《知りつつあるモノ》。愛すべき《怯えつつあるモノ》。愛すべき《求めつつあるモノ》
  3. 「愛すべきxx」というのは「xxが自分より小さい」という意識なんだよね。
  4. 愛すべき《他者》《アニマ》。愛すべき《アニマ》を有するモノとしての《他者》
  5. 愛すべき憎しみ、愛すべき怒り。愛すべき《背後者回路》。愛すべき欲望、愛すべき執着。愛すべき妄想。愛すべき無明。愛すべき苦しみ。愛すべき《知りつつあるモノ》、愛すべき《疑いつつあるモノ》。愛すべき《私》
  6. 《思い上がりつつあるモノ
  7. 苦しみつつあるモノ
  8. 《ヒトのアニマ》ヒト《アニマ》を有するモノである。それ以上のモノではないし、それ以下のモノでもない。
  9. ヒトの群れ』は《ヒトのアニマ》のなかの一つの《思いこみ》である。
  10. 《ヒトの群れ》は、さしあたって、あってもなくても、どちらでもよいものである。なぜなら、《私》《ヒトの群れ》ではなく、《私》ヒトだからである。
  11. 愛すべき絶対者。愛すべき《他者アニマ》。それぞれが、それぞれにとって絶対者であることにおいて、相対者である、愛すべき《他者アニマ》。
  12. 《他者のアニマ》は、モノとしての《他者の思いこみ》である。モノとしての《他者》に内在する《思いこみ》のホメオスタティックな統一体である。
  13. 《他者のアニマ》の要素としての『私』=「《私》の鏡像」、クーリーの「鏡に写った自己」(『心理学の基礎知識』p.240、7-3)、G.H.ミードの「一般化された他者」、H.H.ハイマンの「準拠集団」。心理学とは《他者のアニマ》の研究である。
  14. 《他者のアニマ》《私》『なすべきこと』世界の一部として再構成されなければならない。
  15. ブッダ《他者のアニマ》である。アリストテレスは《他者のアニマ》である。マルクスは《他者のアニマ》である。親鸞は《他者のアニマ》である。日蓮は《他者のアニマ》である。科学者は《他者のアニマ》である。弁護士は《他者のアニマ》である。医者は《他者のアニマ》である。坊主は《他者のアニマ》である。総理大臣は《他者のアニマ》である。忠犬コイズミは《他者のアニマ》である。カーチャンは《他者のアニマ》である。ムスメは《他者のアニマ》である、ムスコは《他者のアニマ》である。バーチャンは《他者のアニマ》である。ジーチャンは《他者のアニマ》である。兄弟は《他者のアニマ》である。同僚は《他者のアニマ》である。友人たちは《他者のアニマ》である。お客さんは《他者のアニマ》である。道行く人にとは《他者のアニマ》である。
  16. 《他者のアニマ》は、ロビタの大自然の中で発見された《他者》《背後者回路》である。
  17. 『自我イメージ』、『世界イメージ』(『現実』『現実イメージ』)という《思いこみ》
  18. リップマンの「ステレオタイプ」(p.244、7-6)。《他者の背後者回路》《他者のアニマ》に内在する認識様式。当為と認識の混同。《他者の思いこみ》心地よいウソ。認識判断の節約、当為判断の節約、思考の節約(思考の経済)。思考様式のシステム化とカオス化。《他者のアニマ》ステレオタイプな思考様式。

《浄化球》と日本的小集団主義

  1. 日本的小集団主義というのは《他者の思いこみ》だからなぁ・・。

《浄化球》と権力

  1. 権力というのは、独占暴力団のこと。特定の地域で暴力の独占を実現した集団のこと。
  2. 統治も権力の本質じゃない。法も本質じゃない。金儲けも本質じゃない(というか、独占暴力団は税金取り放題)。正当性も本質じゃない。正義も本質じゃない。
  3. 司法は、独占暴力団にとって必要な機能である。というのは、争いを放置すると、私的暴力が発生して、暴力の独占が危うくなるから。
  4. 税金も独占暴力団に必要な機能である。暴力団の維持には金が必要だから。
  5. 公正な税はどうか?
  6. 正当性は、独占暴力団に必要な属性である。なぜなら、・・うーむ。日本人は暴力団に弱いからな、正当であろうと無かろうと、強い暴力団にはなびくな・・。ということで、権力の正当性は、日本人の《ヒトの群れ》においては、不可欠な属性ではない。
  7. 右翼は、日本の権力の正当性の根源を天皇制に持ってくる。神権政治。神話的正当性。大善==。
  8. http://blog.goo.ne.jp/spixy/d/20051218
    1. 二・二六事件でのこと。
    2. 昭和十一年二月のこと、このとき天皇は三十六歳であった。
    3. 天皇は、陸軍青年将校が『天皇の、君側の奸(くんそくのかん:天皇のそばにいて国民の思いを曲げて伝えるもの)を討つ』といって決起したと聞いたとき、「断固青年将校を討伐せよ」と強く意思表示をしたという。
    4. 決起将校のいう『君側の奸』は天皇にとっては『股肱の臣(最も頼りにする臣)」であったのだ。
    5. 何でこんなことをしようと思ったのか。
    6. それはその当時、良く使われていたこの言葉を知ってもらいたい。
    7. 『小善』と『大善』・・・。
    8. 天皇に忠を尽くす際には、『大善』と『小善』、二種類の行動のとり方があるというのだ。
    9. 『小善』とは『天皇に忠実に仕えること』
    10. 『大善』とは『陛下の大御心に沿って、"一歩前に出て"お仕えすること』
    11. 要するに、天皇はこういう風に考えているのでは・・・と自分勝手に考えて行動すること。
    12. それならば何でもして良いという風に解釈になる。
    13. たとえ、天皇の大権に叛くことえも、大きな意味で『大御心に沿っている』のなら、それも許されるとした。
    14. そして、二・二六事件を起こした青年将校も『大善』を行ったというわけである。
  9. 「小善は大悪に至り、大悪は非情に至り」(http://homepage2.nifty.com/muratakaikei/kyakka2.htm
  10. http://www.edu.pref.fukuoka.jp/mag/038.txt
    1. 「近江の聖人」といわれた中江藤樹も、「小人は、名を好むために大善を求め、小善のことを考えない。しかし、名のためになされるならば大善さえ小さくなる。だが、君子は、日々自分に訪れる小善を疎かにせず、多くの小善の中から徳を生み出す人だ。徳はあらゆる大善の源である。」という言葉を残しております。
  11. 独占暴力団は、それが独占暴力団であるということ自体によって、正当性を有する。なぜなら、暴力の独占は『善いこと』だからである。暴力が共同体全体に蔓延しているよりは、暴力が一定の範囲のものに独占されている状態の方が『善い』からである。暴力を独占できなくなった独占暴力団は正当性を失う。とはいえ、完全に暴力を独占できる独占暴力団はない。私的暴力は自然発生するモノだから、無くすことはできない。独占暴力団というのは《ヒトの群れの思いこみ》において、『暴力を独占している(はずだ、すべきだ)』と思われている暴力集団である。

《浄化球》と仕事、『なすべきこと』

  1. 愚かな人々』とは行動的な人々である。思考回路が複雑だと行動につなげるのは難しい。《求める思いこみ》も分散して、行動へのエネルギーになりにくい。グローバルに考えてローカルに行動せよ、てか・・。
  2. 『なすべきこと』と仕事。語源的には同じかもしれない。しかし、仕事は『なすべきこと』の否定である。
  3. 『なすべきこと』と優先順位。重要性と実現可能性。
  4. 仕事=『なすべきこと』=は《世界アニマ》《求める思いこみ》である。
  5. 仕事は、『なすべきこと』のうち、他者との契約、もしくは、《ヒトの群れ》への参加によって生じた、《ヒトの群れ》《求める思いこみ》である。限定された《世界アニマ》である。
  6. 《世界アニマ》《求める思いこみ》を見通すことが『なすべきこと』である。《たけ(tk)の思いこみ》《世界アニマ》《求める思いこみ》への応答か?
  7. 《私》《身体》《アニマ》《世界アニマ》の一部である。《たけ(tk)の思いこみ》《世界アニマ》の一部としての《私》《身体》《アニマ》《求める思いこみ》への応答である。
  8. 『なすべきこと』は、『なすべきこと』《求めつつあるモノ》への、『なすべきこと』のアドバイスかもしれない。
  9. 『なすべきこと』とスケジュール。『なすべきこと』時間配分。《生きつつあるモノ》の生きる時間の有限性。
  10. 《私》を含めた世界《世界アニマ》というのは、《拡大身体》かもしれない。
  11. 《世界アニマ》の「これは苦しみである、これは苦しみ原因である」。『なすべきこと』を出来ない/しない、のは苦しみである。
  12. 『なすべきこと』は膨大であり、カオスである。『なすべきこと』《浄化球》噴出して透明化せよ。『なすべきこと』は、それを噴出し尽くした《空》=透明化された空間=であることを観ぜよ。無限に噴出するモノであり、それを無限に噴出し尽くす作業の状態であり、無限に繰り返す状態の四次元チューブである。四次元空間の中で一定の限界を持つモノであり、浄化可能なモノ、浄化可能な《思いこみ》である。
  13. 『なすべきこと』『なすべきこと』《思いこみ》を捨てることである。『なすべきこと』は、『なすべきこと』《思いこみ》《噴出しつつあるモノ》を見通すことである。『なすべきこと』は背後者から、おそらく、記憶から噴出する。『なすべきこと』は(《背後者回路》による加工によって変形、分離生成するとしても、その原材料は)《共振しつつある世界》から噴出する。
  14. 透明化した『なすべきこと』に色づけして、優先順位をつけてリストアップすること。
  15. 源泉納税は税務署の《求める思いこみ》である。統治集団(国家)の《求める思いこみ》である。源泉納付は委託者の《求める思いこみ》である、受託者(企業主、企業そのものの《ヒトの群れ》)の《求める思いこみ》である。その役割を仰せつかった担当者自身の《求める思いこみ》である。担当者自身を含めた、担当者の《世界アニマ》《求める思いこみ》である。

愚かな人々』と《浄化球》

  1. 愚かな人々』は《思いこみ》である。
  2. 愚かな人々』は、そのモノの内心の働きを、《私》が知らない、ということ意味している。もしも、《私》が彼の内心の働きを見通せ、かつ、彼が愚かであるなら、《私》は彼にアドバイスが出来るだろう。そのような、アドバイスは、彼自身が容易に気がつくであろう。
  3. 「或るモノが愚かである」と感ぜられるというのは、そのモノ《求める思いこみ》が矛盾しているように感じられる、ということである。感ぜられるだけで、《見通し》が出来ていないということである。
  4. 《いのち》というモノ《求める思いこみ》は、生と死と再生の循環である。
  5. 愚かな人々』について語るのはタブーである。
  6. 「知っているのに行動しない人」は『愚かな人々』の一人である。
  7. 愚かな人々』とは、その《求める思いこみ》《動き》とが矛盾する人々を言う。
  8. 動物は愚かではない。幻想を信じない。もっとも、アルコールで酔っぱらった動物は愚かな行動をとる。「1+2」が計算できなくても「愚かである」とは言わない。
  9. 共同幻想を信じるモノは愚かなモノである。共同幻想を信じることが、その共同幻想がもたらすと信じられている善を実現する状態(《ヒトの群れ》の状態)であれば、共同幻想を信じることは愚かではない。共同幻想は、それが幻想であることを知ったうえで、慎重に信ずべきモノである。
  10. ここでの問題は、《他者》《求める思いこみ》は、その《他者》《動き》に内在する《求める思いこみ》なのか? 《他者》がその動きによって求めているはずの《求める思いこみ》なのか? 《他者》に内在しているはずの《求める思いこみ》か、噴出された動きに含まれる《求める思いこみ》なのか。
  11. 囲碁などのゲームで敗者は、負けるべき手をうったから負けたのである。負けるべき手を打つという《動き》は、『負ける』という結果を《求める思いこみ》噴出である。
  12. リフォーム詐欺師に騙された老人が、「あの人は親切なヒトだったので、いいんです」というとき、詐欺契約にサインするという《動き》は、『騙される』という結果を《求める思いこみ》噴出である。普通の人でも、騙された時に、騙されたとは認めないことがおおい。「分かっていたのだ」と主張する。そのくせ、「悪いヒトだから懲らしめてくれ」という。「良いヒトのふりをした悪いヒト」だから「悪いヒト」と言いたいのだろう。被害者が騙されることを承知のうえで騙されたなら、騙したことにはならないし、悪いことをしたともいえない。悪人なのに善人のふりをした、ということは、悪人には違いないか、「悪人だから」とか「悪人なのに善人のふりをした」ということは、法律的に罰せられる要件には該当しない。
  13. 愚かな人々』とは、ヒトは愚かであるという事実(の認識)を拒否する人々である。
  14. 愚かな人々』とは、《求める思いこみ》《知った思いこみ》であると思いこむ人々である。幻想を信じる人々である。《求める思いこみ》→幻想→《知った思いこみ》
  15. http://www.asahi-net.or.jp/~rt8s-ymtk/shohyou_essey/kyoudougensouron.html
    1. 国家を「共同幻想」として述べているだけなら、現在では特別に新しい発想とは言えないかもしれない
  16. 行動に責任を持たない、無責任な発言をする言論人は『愚かな人々』である。もしくは、『悪辣な人々』である。
  17. 『悪辣な人々』とは、真意を隠して、真意とは異なった言動を、意図的に行う人々である。内心の《求める思いこみ》と、《動き》における《求める思いこみ》とが異なっている点では『愚かな人々』と同じである。違いは、『愚かな人々』はその矛盾によって損害を被るが、『悪辣な人々』においてはその矛盾によって利益を得る、ということ。ウソを信じるヒトが『愚かな人々』であり、ウソを信じさせるヒトが『悪辣な人々』である。《ヒトの群れ》はバカと悪人とから成り立っている。追従ザルはバカであり、ボス猿は悪人である。それを傍目で眺めて何もしないハグレ猿はバカで悪人である。
  18. ヒトは知ることを欲しない。ヒトが欲しているのは信じることであり、従って、客観的には騙されることである。ヒトは騙されることを欲しているのだ。まあ、穏当に言えば、ヒト心地よいウソを信じたがっているのだ。
  19. 愚かな人々』とは知ることを欲しない人々である。信じることを欲する人々である。
  20. 愚かな人々』の《求める思いこみ》とはなにか? (1)詐欺を取り消して金を盗り戻すことが《求める思いこみ》か、(2)悪人を罰することが《求める思いこみ》か、(3)分かってて騙されてやったのだと納得するのが《求める思いこみ》か、(4)水に流して忘れてしまうことが《求める思いこみ》か、(5)次には騙されないような教訓を得ることが《求める思いこみ》か? (教訓を得ようとするのは『愚かな人々』には入らないな)。カオス的だな。(6)次には自分が騙してやろうという《求める思いこみ》か。
  21. 愚かな人々』とは思考回路が単純な人々である。それから外れるとカオスになってしまう人々である。思考回路の複雑化は、経験によって既存の思考回路では処理しきれなくなり、カオスを経て新たは思考回路を併存させるということ。(ジャンプしっぱなしの単純回路に戻ることもありそうだ)。
  22. 愚かな人々』とは行動的な人々である。思考回路が複雑だと行動につなげるのは難しい。《求める思いこみ》も分散して、行動へのエネルギーになりにくい。グローバルに考えてローカルに行動せよ、てか・・。
  23. 「一面提示と両面提示:議論の一面のみの提示と、対立する意見もあわせて提示する両面提示と、いずれが効果的かを見るため、次の実験をおこなった。第2次大戦末期、兵隊を対象として、日本との戦争は長びくであろうというこむにけーコミュニケーションのみを与えた群と、同じコミュニケーションに日本の弱点なと反対の側面も含むものを与えた群とでいずれが効果があったかをみると、一面提示は教育程度の低い人びとに、両面提示は高い人びとに効果的であることと、および、一面提示は本来伝え手の見解に賛成の人びとに対して、より効果的であることがわかった。また、のちに反対のコミュニケーションを与えると、それに抵抗する力は両面提示を与えられた群の方が強いことも、類似の実験で示された」(『心理学の基礎知識』p.249、7-10)。ホブランドの説得実験。

《浄化球》と絶対者公理

  1. 《浄化球》は、《私》を相対者にする。
  2. 《浄化球》《私》に変わる新たな絶対者である。
  3. 《浄化球》は、道具的に作られた絶対者である。道具的絶対者、方法的絶対者。
  4. 絶対者の移動。座標の原点の移動。絶対者の座標変換
  5. 仮想的原点、鏡としての仮想的原点。

《思いこみ》《浄化球》

  1. 《思いこみ》の中に《浄化球》を置くこと。《思いこみ》《噴出しつつあるモノ》《思いこみ》《浄化球》の中に噴出すること。思いこみつつあるモノの背後者からの噴出を、透明化された《思いこみ》世界を経由して、もしくは、直接に、《浄化球》噴出すること。《思いこみつつあるモノ》《背後者》《隠れた思いこみ》《浄化球》噴出すること。《思いこみつつあるモノ》の背後にある記憶《浄化球》噴出すること。記憶を見通すこと。

《浄化球》と《他者の世界の鏡像》

  1. 《他者》《知りつつあるモノ》は《他者の世界の鏡像》を写しだす。
  2. 《他者》『現実』は《他者の世界の鏡像》の一つである。《他者》『現実』は、『現実』《思いこみ》における《他者》《知りつつあるモノ》が写しだす《他者の世界の鏡像》である。《他者》『現実』は、《他者》の怯えが作り出す、歪められた《他者の世界の鏡像》である。

《浄化球》《怯えつつあるモノ》

  1. 《他者》の中に《怯えつつあるモノ》を見通すこと。
  2. 《私》の中に《怯えつつあるモノ》を見通すこと。
  3. 《息しつつあるモノ》《怯えつつあるモノ》であること。
  4. 怯えつべきモノ《知った思いこみ》《背後者》への噴出、怯えから逃れることを《求める思いこみ》《背後者》からの噴出

《浄化球》《見通し》

  1. 《浄化球》《見通し》を確保する手段になりうるか? 《浄化》《見通し》なのだから、《浄化球》によって浄化するということは《見通し》を実現するということ。
  2. 《浄化》だけでは《透明化》して見えなくなるだけ。染色と輪郭化による可視化が必要。

《浄化球》と《知った他者の思いこみ》

  1. 《他者のコトバ》には『《私》《知った思いこみ》を知れ』という《求める思いこみ》に含まれた《知った思いこみ》、が含まれている、ものがある。
  2. 知ったり顔。
  3. 科学は《知った他者の思いこみ》である。
  4. 『現実』を《知った他者の思いこみ》。《知った思いこみ》には『現実』のような幻を《知った思いこみ》もある。
  5. 《知った他者の思いこみ》を共有することが、《ヒトの群れ》の中で『知る』ということである。幻を共有することが《ヒトの群れ》の中で《ヒトの個体》が『知る』ということである。『現実』を知るということである。『現実』《知った思いこみ》である。

《浄化球》《他者の求める思いこみ》、《求める他者の思いこみ》

  1. 《他者》は何も求めていない。しかし同時に膨大な《求める思いこみ》噴出している。《他者》《求める思いこみ》《混濁》《他者》《求める思いこみ》は、『いやだ』という不快感の噴出である。《他者の苦しみ》の噴出である。《他者》苦しみから逃れることも『いやだ』と拒否しているのである。『求める』というのは存在を拒否する《思いこみ》である。《求める思いこみ》は《現在の存在を拒否する思いこみ》である。モノが、《そのモノ自身の現在を拒否する思いこみ》である。
  2. 《他者のコトバ》《他者の求める思いこみ》噴出である。
  3. モノ噴出する《思いこみ》は(《知った思いこみ》ではなく)《求める思いこみ》である。
  4. 生きること、仕事すること、は《他者の求める思いこみ》に対する応答である。《ヒトの群れ》で生きることは《他者の求める思いこみ》に対する応答である。
  5. ジョウキュウ・タモフン。
  6. 《他者の求める思いこみ》《噴出しつつあるモノ》は、すべてのモノである。《私》を含めたすべてのモノである。幻や《思いこみ》を含めたすべてのモノである。
  7. 身近なモノと、疎遠なモノとがある。
  8. 《他者》は、《たけ(tk)の思いこみ》を求めていない。《たけ(tk)の思いこみ》を求める《他者の求める思いこみ》はない。《たけ(tk)の思いこみ》《ヒトの群れ》のための行動ではない。
  9. 《他者の求める思いこみ》か《求める他者の思いこみ》か? ジョウキュウ・モタフン。
  10. ジョウキュウ・モタフンは肩が凝る。
  11. 《求める他者の思いこみ》は《共振しつつある世界》噴出する。《求める他者の思いこみ》は《体内感覚世界》噴出する。《思いこみの世界》噴出する。《背後者世界》噴出する。《地球》噴出する。《ヒトの群れ》噴出する。他のモノの内部に噴出する。
  12. 《求める他者の思いこみ》には、《私》に「恐怖を起させる《思いこみ》」と「恐怖を起させない《思いこみ》」とがある。
    1. 「恐怖を起させる《思いこみ》」は《私》に『xxをすると/何かをしないと、何か恐ろしいことが起る』という《思いこみ》を生じさせる《思いこみ》である。《他者》の挨拶も「恐怖を起させる《思いこみ》」である。《私》に『挨拶を返さないと恐ろしいことが起る』という《思いこみ》を生じさせる。
  13. 身近な人々からの《求める他者の思いこみ》は、《地表のヒトの群れ》の《求める他者の思いこみ》である。
  14. 《求める他者の思いこみ》と《他者の求める思いこみ》《他者の求める思いこみ》《他者》というモノに内在的するイメージ、停滞的なイメージだが、《求める他者の思いこみ》は《求める他者》というモノから外部に噴出しつつあるイメージが強い。
  15. 《求める他者の思いこみ》が《私》を撹乱する場合には、受け取った《思いこみ》《私》を突き抜けて後方無限遠点に放り投げるようにせよ。後方無限遠点からUターンして戻ってきた《思いこみ》《浄化球》噴出させよ。

《浄化球》多次元輪郭世界

  1. 多次元輪郭世界《思いこみ》であって、《浄化球》によって透明化される。
  2. 《浄化球》によって《他者》への《見通し》が拓ける。《他者》《見通し》の主体である。《他者》による《見通し》《私》《見通し》の中に入ってくる。「《他者》による《見通し》」を見通すためには、《見通し》の原点を《私》の位置から《他者》の位置に移動する必要がある。《私》の座標系から《他者》の座標系への座標変換が必要になる。座標変換のためのパラメータを座標軸として追加したものが多次元輪郭世界である。《浄化球》世界多次元輪郭世界でなければならない。
  3. 《浄化球》道具的な《思いこみ》なので、その世界も《道具的思いこみ》で構成してもよい。

《浄化球》《同質者公理》

  1. 《浄化球》は《道具的思いこみ》である。「《私》にあるモノ」「《他者》にあるモノ」ではない。《他者》もまた道具的に思いこむことができるはずのものである。道具的に作り出すものである。作り出された場合には「在るモノ」となる。可能性として「在るモノ」である。
  2. 《他者》《浄化球》は、それが作り出される可能性として、《他者》に内在する。
  3. 《浄化球》《他者》に内在する《アニマ》である。とするなら、《私》《浄化球》も、《私》に内在する《アニマ》である。

《浄化球》《他者の思いこみ》

  1. 《他者の思いこみ》《身体》の中に直接入り込んでしまう。《浄化球》へいかない。
  2. 《他者の思いこみを感じつつあるモノ》→《他者の思いこみを感じつつあるモノの背後者》→スネ→《浄化球》
  3. タコハイ。《他者の思いこみを感じつつあるモノの背後者》。ジョウキュウ・タコハイ。中丹田、みぞおちの辺り。
  4. 《他者の思いこみ》は《他者の思いこみを感じつつあるモノの背後者》を突き抜けて、《身体》外に出て、(後方無限遠点で?)Uターンして、《浄化球》の後方接点から、《浄化球》噴出する。
  5. ジョウキュウ・タコミ・ジョウキュウ・イシモ
  6. ジョウキュウ・タモフン。《他者》《求める思いこみ》噴出
  7. 《他者の求める思いこみの混濁》→(1)《他者》の彼自身への《求める思いこみ》、(2)《他者》の別の他者への《求める思いこみ》、(3)《他者》《ヒトの群れ》への《求める思いこみ》
  8. 《私》は「(2)《他者》の別の他者への《求める思いこみ》」を《他者》から直接感じ、「(3)《他者》《ヒトの群れ》への《求める思いこみ》」を《ヒトの群れ》から感じ、「(1)《他者》の《他者》自身への《求める思いこみ》」を《見通し》において感じる。
  9. 《私》は、《他者》の言語的、経済的、社会的な《求める思いこみ》を頭(上丹田)で感じ、《他者》の情緒的な《求める思いこみ》をみぞおち(中丹田)で感じ、《他者》の欲望的な《求める思いこみ》を腰(下丹田)で感じ、《他者》への《見通し》をスネで感じる。感じたモノは、後方無限遠点まで飛ばしてしまえ。《私》を貫いてUターンして《浄化球》に戻ってくる球状の循環。ジョウキュウ・タモフン。《他者》《求める思いこみ》噴出の混濁。《地表のヒトの群れ》の中の《他者》たちの《求める思いこみ》噴出の混濁。《私》の近傍の《他者》たちは偶然的なモノだが、《地表のヒトの群れ》を構成する《他者》たちは、唯一のモノである。
  10. 《私》の近傍の《他者》たちは、《地表のヒトの群れ》《他者》たちの現れである。
  11. 《私》の近傍の《他者》たちの《求める思いこみ》は、《地表のヒトの群れ》《他者》たちの《求める思いこみ》の現れである。
  12. それはそれとして、《他者》《求める思いこみ》への《見通し》《他者の思いこみ》への《見通し》《他者の思いこみ》《背後者》への《見通し》《他者の思いこみ》《背後者回路》への《見通し》。ジョウキュウ・タコハカ。
  13. 《他者の思いこみ》《背後者回路》カオスである。一定の範囲内の《思いこみ》しか噴出しないが、どの《思いこみ》噴出するかは、カオスである。カオスでない人もいるな・・。ヒトによってだいたいパターンは決まっているか・・。カオスとパターン、カオス的遍歴

《浄化球》モノの《プレゼンス》

  1. プレゼンス=存在感。
  2. モノは《プレゼンス》を噴出する。《プレゼンス》は、『私の存在感を感ぜよ』という《求める思いこみ》
  3. 存在に関するクオリア(質感)。
  4. 威嚇的な存在感。《他者》がもたらす《知りつつあるモノ》への撹乱の正体?
  5. ジョウキュウ・プレフン。《プレゼンス》の噴出は有害だから《浄化球》で浄化しよう。ジョウキュウ・プレフン・イシモ
  6. 《プレゼンス》が大きいのは、《地表のヒトの群れ》ですな。
  7. ジョウキュウ・プレフン・ジョウキュウ・イシモ。《プレゼンス》の力が大きすぎる。
  8. 《私》の《プレゼンス》の噴出
  9. 《プレゼンス》の《混濁》の中に呑み込まれる。(呑み込まれても大した問題ではない。《プレゼンス》の《混濁》世界になるだけ)。《地球》の《プレゼンス》→《地表の出来事》の《プレゼンス》→《宇宙史》の出来事の《プレゼンス》→《近傍物理空間》の《プレゼンス》→《今》と《かつて》の《近傍物理空間》の中のモノたちの《プレゼンス》の記憶→《今》と《かつて》にコトバを聞いて思い描いたモノたちの《プレゼンス》の記憶→・・→《他者の思いこみ》の《プレゼンス》→

《浄化球》《思いこみ》《噴出しつつあるモノ》

  1. ざっと分類すると・・
    1. 《思いこみ》《体内感覚世界》噴出しつつある《身体》《思いこみつつあるモノ》
    2. 《思いこみ》《身体》外部に噴出しつつある《身体》
    3. 共振しつつある他者の身体
    4. 《共振しつつある世界》
    5. 《共振しつつあるモノ》《地球》《ヒトの群れ》《宇宙史》、・・。
    6. 《知りつつあるモノ》《知られつつある世界》から《知りつつあるモノの背後者》《噴出しつつあるモノ》
    7. メディアコトバ
  2. 《思いこみ》《身体》外部に噴出しつつある《他者》《共振しつつある身体》との同質性。
  3. 《思いこみ》《噴出しつつあるモノ》一般との関係。

《浄化球》《地表のヒトの群れ》《求める思いこみ》

  1. 《地球》《思いこみ》を浄化すると、《地表のヒトの群れ》から《地球》の内部への《思いこみ》噴出を発見する。
  2. 身近な人々は《地表のヒトの群れ》である。
  3. 《地表の人々の群れ》は絶望的だが、「《地表のヒトの群れ》《求める思いこみ》」はバイタルで希望に満ちている。
  4. 人類を生きる人々の《求める思いこみ》。身近な人々の《求める思いこみ》
  5. 『仕事』というのは《地表のヒトの群れ》《求める思いこみ》に応えること。
  6. 《地表のヒトの群れ》《ヒトの群れ》とはどう違うのか? 《ヒトの群れ》は広義では《地表のヒトの群れ》を含み、狭義では含まない。

《浄化球》《地表のヒトの群れ》

  1. ジョウキュウ・チヒム・イシモ

《他者のコトバの混濁》と《浄化球》

  1. 《地球》からの噴出《近傍物理空間》からの噴出《私》記憶からの噴出、「《浄化球》《他者》」としての《私》からの噴出。四つの噴出
  2. 《思いこみの世界》からの噴出。五つの噴出
  3. ジョウキュウ・タココン。《他者のコトバの混濁》は、《今ここのモノ》とその記憶との接触によって生じる。
  4. 記憶は、蓄積された《他者のコトバ》、蓄積された《他者の思いこみ》である。
  5. 《浄化球》への五つの噴出は混濁に還元し、その混濁から《他者のコトバの混濁》が生じる。《他者のコトバの混濁》から《他者のコトバ》《噴出しつつあるモノ》を発見する。《他者》《求める思いこみ》《噴出しつつあるモノ》

《思いこみの世界》《浄化球》

  1. 《思いこみの世界》《浄化球》を持ち込むことができる。
  2. 《思いこみの世界》《浄化球》を持ち込むと、ファンタージエンの虚無のように《思いこみの世界》のすべてのモノを呑み込もうとする。《思いこみの世界》モノを取り去れれて、最後に残った《思いこみ》を死守しようとする。最後に残った《思いこみ》《思いこみの世界》を構成する原理、公理である。
  3. 《思いこみの世界》を構成する原理、公理噴出してしまうと、その背後からの噴出を感じる。原理、公理《求める思いこみ》として噴出する《背後者》からの噴出である。《思いこみの世界》《求める思いこみ》として噴出する、《思いこみの世界》《背後者》《思いこみの世界》《背後者回路》。結局それは《共振しつつある身体》にいたる。
  4. 《思いこみつつあるモノ》《噴出しつつあるモノ》である。《噴出しつつある身体》である。《体内感覚世界》《思いこみ》《噴出しつつあるモノ》である。

科学的認識』という《思いこみの世界》《浄化球》

  1. 科学的認識』『科学』というのは《思いこみの世界》である。「《思いこみの世界》《浄化球》」と同じ。
  2. 科学的認識』の《背後者回路》『知識』の共有。《ヒトの群れ》で共有すべき《思いこみ》としての『知識』コトバ《ヒトの群れ》で共有すべきコトバとしての(科学的)『知識』『知識』とは『《ヒトの群れ》で共有すべきコトバ』という《思いこみ》を伴ったコトバである。
  3. 《ヒトの群れ》で共有すべきコトバ」というのは「《ヒトの群れ》という場所において、《ヒトの個体》が共有すべきコトバ」ということ。「《ヒトの群れ》が共有すべきコトバ」→「《ヒトの群れ》所有すべきコトバ」というのは《ヒトの群れ》所有主体とみなすこと。まあ、どちらでも同じか・・。
  4. 『科学』《背後者回路》。『科学的知識』を《求める思いこみ》。『科学的に検証された、《ヒトの群れ》で共有すべきコトバ』を《求める思いこみ》
  5. モノとしての科学的認識者。《求める思いこみを噴出するモノ》としての科学的認識者。科学的認識者が噴出する《求める思いこみ》は『科学的知識』への《求める思いこみ》である。『科学的に検証された、《ヒトの群れ》で共有すべきコトバ』への《求める思いこみ》である。《知った思いこみ》の共有を《求める思いこみ》である。

《浄化球》と《他者のコトバの混濁》

  1. 《他者のコトバの混濁》は、一つのモノ。一つの世界である。
  2. 「ジョウキュウ・タココン」。
  3. 「ジョウキュウ・イシモ」→「タココン・イシモ・ジョウキュウ」。「ジョウキュウ・タココン」だと《浄化球》《息しつつあるモノ》の場所まであがってしまう。それでは《浄化球》《ちから》を発揮しない。《浄化球》世界の向こう側の《背後者世界》から世界を浄化するモノ《浄化球》が体内にあっては《ちから》を発揮しない。《浄化球》を土踏まずの下まで移動するには「《息しつつあるモノ》《浄化球》との関係を意識する」ことが必要。「ジョウキュウ・イシモ」によって、(1)《息しつつあるモノ》《身体》を浄化すること、(2)《浄化球》《息しつつあるモノ》によって《浄化》されるモノであること、を意識することによって、(3)《浄化球》《身体》の外部に移動することができる。《浄化球》が土踏まずの下まで移動した後に、《他者のコトバの混濁》を浄化することができるようになる。
  4. 《他者のコトバの混濁》は現在の《私》が受け取る《他者のコトバ》と、過去の《私》が受け取った《他者のコトバ》記憶が作り出す混濁した世界である。世界が意味を一斉にふきだること吹き出すことによって生じる混濁した世界である。《知りつつあるモノ》が感じる意味なき世界《混濁》を第一の《混濁》とすると、意味ある世界《混濁》は第二の《混濁》である。

《浄化球》と《道具的思いこみ》

  1. 《浄化球》は《道具的思いこみ》
  2. 《呪文》も《道具的思いこみ》。生活の全時間においてそれを意識するための《道具的思いこみ》。
  3. イデアも《道具的思いこみ》。

《浄化球》と《近傍のモノたちの求める思いこみ》

  1. 「キモモ・イシモ・ジョウキュウ」。《近傍のモノたちの求める思いこみ》と《息しつつあるモノ》《浄化球》
  2. 《近傍のモノたちの求める思いこみ》には「恐怖を起させる《思いこみ》」と「恐怖を起させない《思いこみ》」とがある。「恐怖を起させる《思いこみ》」は《私》に『xxを/何かをしないと恐ろしいことが起る』という《思いこみ》を生じさせる《思いこみ》である。《他者》の挨拶も「恐怖を起させる《思いこみ》」である。《私》に『挨拶を返さないと恐ろしいことが起る』という《思いこみ》を生じさせる。
  3. 《近傍のモノたちの求める思いこみ》は『仕事』《思いこみ》に繋がる。
  4. 「君子必慎其独」立派な人は必ず、一人でいるときに自らの感性・認識・判断が自然なものであるかどうかを吟味する。(http://homepage3.nifty.com/take_tk/honyaku/daigaku1.html
  5. 《浄化球》にとっては《今ここのモノ》《私》=も近傍のモノたちの一つである。《私》から噴出する《思いこみ》も《近傍のモノたちの求める思いこみ》の一つである。
  6. 《知った思いこみ》モノの外部には噴出しない。《知った思いこみ》噴出のようにみえても、それは、『《私》が知ったことを《君》も理解せよ』という《求める思いこみ》噴出である。

《浄化球》《息しつつあるモノ》

  1. 《浄化球》を浄化するには《息しつつあるモノ》噴出が必要である。
  2. 息することも大切である。息を止めてはならない。
  3. 「何はともあれ足元の浄化」
  4. ジョウキュウ・イシモ
  5. 《私》《息しつつあるモノ》《他者》《息しつつあるモノ》
  6. ジョウキュウ・イシモは何故か疲れる。意図的に呼吸することになるからか? 《浄化球》《背後者》であり、《息しつつあるモノ》《体内感覚世界》モノであるのに、その二つともが《近傍物理空間》にある、という統合状態を意識せざるをえないからか?
  7. ジョウキュウ・イシモは、寝たふり状態を作りだす。
  8. ジョウキュウ・イシモで、世界は意味を失う。意味を失った後には、区別を見いだすべきである。世界が意味を失うということは、《思いこみ》が消えて、《見通し》が生じること(の前段階であると知るべき)である。
  9. 《他者のカオス》、《他者》に内在するカオス、自我のカオス。万物に内在するカオス
  10. 《今ここのモノ》とその《近傍のモノたち》
  11. 《今ここのヒト》とその《近傍のヒトたち》
  12. ブッダの「一切」を見通すこと。
  13. 《近傍物理空間》《背後者》→全思考とその記憶記憶の全部。《今ここのモノ》がかつて感じ取ったモノのすべての記憶のすべて。ジョウキュウ・イシモヒトとして感じ取ったモノのすべて。モノとして感じ取ったモノのすべての記憶のすべて。《今ここのモノ》がかつて感じ取った恐怖のすべての記憶のすべて。《今ここのモノ》がかつてしようと思ったことの記憶のすべて。《今ここのモノ》にかつて生じた《求める思いこみ》記憶のすべて。《今ここのモノ》がかつて感じ取ったまわりのモノたちの《求める思いこみ》記憶のすべて。
  14. 《今ここのモノ》が今ここで感じ取りつつあるまわりのモノたちの《求める思いこみ》噴出。キモモ、《近傍のモノたちの求める思いこみ》。キモモ・イシモ・ジョウキュウ。

《浄化球》《混濁》

  1. 《浄化球》世界《混濁》から始まる。
  2. 《浄化球》《混濁》は3つの世界に分かれる。地面の下の世界《近傍物理空間》《身体》の3個の世界
  3. 3つの世界は、《他者のコトバ》《混濁》によって一つになる。

《他者》《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》

  1. 《他者》は、意図的に発したコトバ噴出し、意図しない、無意識のコトバ噴出し、身体的なモノコトバ噴出する。
  2. 《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》は、広い意味での《他者》である。すなわち、モノである。狭い意味での《他者》には限られない。
  3. 《他者》《私》以外のモノである。(広義の《他者》)」。《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》《私》も含むであろう。
  4. 《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》《共振しつつある世界》《他者のコトバ》噴出しつつあるモノである。《共振しつつある世界》自体もまた、《共振しつつある世界》自身に《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》である。
  5. 世界は、《共振しつつある世界》《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》に分離する。

《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》《他者の思いこみ》

  1. 《他者のコトバ》《他者の思いこみ》の入れ物なので、《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》《他者の思いこみ》《噴出しつつあるモノ》である。
  2. しかし、《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》の方が《他者の思いこみ》より手前にある。《他者の思いこみ》《他者》の内部にあり、見えないモノである。最初に見えるモノ《他者》から噴出された《他者のコトバ》である。次に《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》が見え、最後に《他者の思いこみ》が見えるはずである。
  3. 《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》によって噴出されつつあるモノは、《他者の思いこみ》のはずである。が、この時点では、《他者の思いこみ》を確認できないのである。

《浄化球》《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》

  1. 《浄化球》噴出する全体としての《他者のコトバ》《混濁》噴出すると、《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》が見えてくる。
  2. ジョウキュウ・タコフン
  3. 《他者のコトバ》を拒否しつつあるモノ=欲求。和辻哲郎の「否定」(http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/journal/ron/r7-2-4/r7-2-4d.html)?
  4. 《他者のコトバ》《操られつつあるモノ》=欲求の流れをコントロールされつつあるモノ
  5. 《他者のコトバ》《操りつつあるモノ》=主観的には操っていると思っている。論理=《他者のコトバ》を操るための規則。
  6. 《他者のコトバ》から距離を置くモノ
  7. 《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》モノである。モノはすべて、《他者のコトバ》噴出しつつある。幻であれ《思いこみ》であれ《他者のコトバ》噴出しつつある。・・うーんと、これは、《共振しつつあるモノ》である。《近傍物理空間》の中のモノ《他者のコトバ》噴出しない。とはいえ、《近傍物理空間》《共振しつつある世界》に呑み込まれているのかもしれない。《共振しつつある世界》においては《知りつつあるモノ》《他者のコトバ》噴出する。《知りつつあるモノ》《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》である。《知りつつあるモノ》《共振しつつあるモノ》である。《共振しつつある身体》《共振しつつある世界》《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》である。
  8. テレビの騒音にさらされたり、人ごみに入ったり、人にであったり、人の話を聞いたり、本を読んだりすると、《浄化球》《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》からの攻撃にさらされる。膨大過ぎる情報にさらされる。
  9. 《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》《他者のコトバ》噴出する。膨大な《他者のコトバ》を、《浄化球》が処理できない時には、《共振しつつある世界》は、《他者のコトバの混濁》に逆戻りする。ジョウキュウ・タコバ。

《浄化球》《他者のコトバ》

  1. ジョウキュウタコバ=《浄化球》への《他者のコトバ》噴出
  2. 《他者のコトバ》は、《共振しつつある身体》の内部に向かって噴出する。
  3. 《共振しつつある世界》《他者のコトバ》の集まりである。
  4. 《他者のコトバ》《浄化》とは、第一に、《共振しつつある身体》の内部に噴出してきた《他者のコトバ》の全体としての《混濁》《浄化》である。
  5. 「君子必慎其独」立派な人は必ず、一人でいるときに自らの感性・認識・判断が自然なものであるかどうかを吟味する。(http://homepage3.nifty.com/take_tk/honyaku/daigaku1.html

《浄化球》《浄化》

  1. 《浄化球》自体を浄化するためには《息しつつあるモノ》への噴出が必要である。
  2. 《浄化》とは《透明化》の一種で、或るモノへの関心(見ること、知ること、思うこと=によって生じる《思いこみ》噴出させ、捨てることによって、そのモノへの見通しを得ること。
  3. 《浄化球》は「ドーデモイーモノ」である。観察するだけのモノである。勝手に世界を浄化するモノである。

《浄化球》《背後者》

  1. 《浄化球》地面の中にある、ということは地面の《認識限界》の先にある、つまり、《背後者世界》の中にある。《背後者》である。

《浄化球》とムマ

  1. ムマというのは《身体》の内部に想定された《浄化球》。夢魔はビューティフルドリーマー(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006C1W0/250-3155740-8442607)だったりする。(^^;)。ネーバーエンディングストーリーの虚無かもしれない。阿弥陀仏かもしれない。ともあれ、《思いこみ》を吸い取ってしまうモノとして想定されたモノ

《浄化球》《共振しつつある世界》

  1. 《浄化球》が有意義であるのは《共振しつつある世界》《浄化》のためである。
  2. 《浄化球》《共振しつつある世界》の中に置かれる。《共振しつつある世界》の中にあって、その共振から生じる撹乱を《共振しつつある世界》の内部で受け止める。

《浄化球》《思いこみ》

  1. 《浄化球》は単なる《思いこみ》である。道具的な《思いこみ》である。役に立てば利用するし、役に立たなければ利用しない。

《浄化球》《身体》

  1. 《浄化球》は土踏まずで《身体》と接触しているので、土踏まずを経由して《身体》から《浄化球》《思いこみ》噴出する。
  2. スネが《地表の出来事》を感じると、《身体》の外部が浄化される。

《浄化球》地球

  1. 《浄化球》地球の内部に想定された部分である。地球に関する《思いこみ》《浄化球》の内部に噴出する。
  2. 地球に関する《思いこみ》地球の歴史であり、死者たちの記憶である。

《浄化球》《地表の出来事》

  1. 《地表の出来事》地球の内部が浄化されると、地表から地球の内部へと噴出する。《浄化球》地球の内部を通じて《地表の出来事》噴出を受け取る。
  2. 《地表の出来事》《身体》を通じても《浄化球》噴出する。《身体》《地表の出来事》を感じ取る。とくに、スネの部分で感じ取るようである。スネから土踏まずを通して、《浄化球》噴出する。

特徴

《浄化球》《道具的な思いこみ》である。存在するモノへの《見通し》ではない。《浄化球》《見通し》の中に自然に見えてきたモノではなく、意図的に《思いこまれつつあるモノ》である。《浄化球》は、それによって世界を観察するための道具である。

  1. 《浄化球》を意図的に思いこむために呪文が必要である。「ジョウキュウ・イシモ」(《浄化球》《息しつつあるモノ》)という呪文を唱えるべきである。

《浄化球》は観察すべきモノである。

《浄化球》世界《浄化》するモノである。「世界《浄化》する」というのは、世界に関する《私》《思いこみ》《透明化》するということである。世界への《見通し》を妨げているのは《私》《思いこみ》である。「世界を浄化する」というのは、《私》《思いこみ》《透明化》することによって世界への《見通し》を可能にするということである。

  1. 或るモノに関する《思いこみ》は、かつてそのモノを感じたときの感覚の記憶を含む。

《浄化球》は《地面》という《認識限界》の向こう側にある。すなわち、認識限界の向こう側=《背後者世界》の中にある。足元の《認識限界》の表面を《地面》といい、《地面》の向こう側にあるモノ《地球》という。《浄化球》《地球》の中にある。

《浄化球》は3つの世界と接している。(1)地面の中の《背後者世界》と(2)地面の上の《近傍物理空間》《共振しつつある世界》と(3)土踏まずの上の《身体》《体内感覚世界》の3つの世界と接している。

《浄化球》へは5つの世界から《思いこみ》が、《浄化球》の内部へ噴出する。

  1. (1)《地球》《浄化》::《浄化球》地面の中の浄化→地球の内部の浄化→《地表の出来事》の浄化→《宇宙史》の浄化→《近傍物理空間》の向こう側の《背後者》の浄化→《近傍物理空間》の浄化→身体外部の浄化(《体内感覚世界》の向こう側の《背後者》への噴出)→《体内感覚世界》《浄化》《知りつつあるモノ》の向こう側の《背後者》《浄化》《知りつつあるモノ》のこちら側の《背後者》からの噴出《知りつつあるモノ》噴出口とする《混濁の噴出》《混濁》《噴出しつつあるモノ》《混濁しつつあるモノ》
  2. (2)《背後者》《浄化》::《浄化球》→スネの浄化→体内感覚世界のこちら側の《背後者》の浄化→《知りつつあるモノ》から《背後者》への噴出の浄化→《知られつつある世界》の浄化→《知られつつある世界》《背後者》の浄化。《背後者世界》《思いこみ》《噴出しつつあるモノ》《浄化》
  3. (3)《共振しつつある世界》《浄化》::《浄化球》→スネの浄化→《共振しつつある世界》の浄化→《他者のコトバ》の浄化→《他者のコトバを噴出しつつあるモノ》の浄化→《他者のコトバ》《操られつつあるモノ》であり、《他者のコトバ》を拒否しつつあるモノであり、《他者のコトバ》《操りつつあるモノ》
  4. (4)《共振しつつある世界》に《噴出しつつある身体》の《浄化》::《浄化球》→スネの浄化→《共振しつつある世界》の浄化→《他者のコトバ》の浄化→《私》記憶の中の《他者のコトバ》《私》の中の《他者のコトバ》への《求める思いこみ》《私》の中の記憶《体外感覚世界》《思いこみ》《噴出しつつあるモノ》
  5. (5)《思いこみの世界》《浄化》::《思いこみの世界》の中に《浄化球》を置くと、その《浄化球》《思いこみの世界》を浄化する。→《思いこみ》《噴出しつつあるモノ》《浄化》《体内感覚世界》《思いこみ》《噴出しつつあるモノ》《背後者》《浄化》《体内感覚世界》《思いこみ》《噴出しつつあるモノ》

《浄化球》による《浄化》は、《他者のコトバ》で混乱する。膨大な量の《他者のコトバ》が、《地球》の内部からも、《近傍物理空間》からも、《身体》内部からも噴出してくる。《他者のコトバ》《混濁》に陥る。《他者のコトバの混濁》への《見通し》が必要になる。「ジョウキュウ・タココン・イシモ」。

《浄化球》噴出するさまざまな世界を全体として一つの世界、一つのモノとして捉える。《浄化球》世界というモノ《浄化球》世界というモノに内在する《アニマ》を統一的に捉える。《浄化球》《世界アニマ》。ジョウキュウ・セカニマ。《世界アニマ》はさまざまのモノ《アニマ》の混合体であり、カオスであり、《混濁》である。遠いモノ、近いモノ、重要なモノ、軽いモノ、現に《共振しつつある世界》に在るモノ記憶の中にあるモノ《世界アニマ》《浄化球》噴出すること。→《他者》《知りつつあるモノ》に移った《他者》世界の鏡像。→《他者》の怯え。《他者》《怯えつつあるモノ》《私》《怯えつつあるモノ》

Last modified:2006/11/15 00:51:06
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References:[《息しつつあるモノ》]