FrontPage  Index  Search  Changes  wikifarm  Login

《実感》

《実感》

  1. キーワード

定義

《実感》とは、《私》からの『一切』への《見通し》における実感を意味する。

  1. 《実感》とは、《私》からの『一切』への《見通し》における世界からの《息しつつあるモノ》への実感を意味する。
  2. 或るモノ《息しつつあるモノ》に反応を引き起こしたときに、或るモノ《実感》したという。

記述

区別

《見通し》《実感》

  1. 《実感》を観察しはじめれば、《実感》は消滅する。《見通し》《実感》を破壊する。
  2. 《見通し》においては、《息しつつあるモノ》が唯一の《実感》である。《息しつつあるモノ》を通して、間接的に実感するほかない(であろう)。
  3. 《見通し》においては、《私》《実感》は存在しない。《実感》《動きつつあるモノ》にのみ存在することができる。《知りつつあるモノ》は、《息しつつあるモノ》という、その存在を否定しえない《動きつつあるモノ》によって動かされるかぎりにおいて、《実感》を持つことができる。《知りつつあるモノ》が動かされるのは微々たるものである。《世界》動くことによって、《世界》《知りつつあるモノ》が、《世界》とともにあることにおいて、《世界》との《繋がり》において、動かされるのである。

『その存在は、否定しようとしても、否定できない』という《思いこみ》を伴う《見通し》《実感》と呼ぶ。

  1. 『意味』『味わい』を伴わなければ、《実感》とは言えない。

《知りつつあるモノ》《実感》

  1. 《知りつつあるモノ》も、『それは確実に在る』という《実感》を伴って存在する。
  2. 《知りつつあるモノ》への《実感》は存在しない。《知りつつあるモノ》が生じさせるのは《見通し》であり、《見通し》には『意味』は伴わない。

《息しつつあるモノ》《実感》

  1. 《息しつつあるモノ》も、『それは確実に在る』という《実感》を伴って存在する。
  2. 《息しつつあるモノ》《実感》を生じさせる。《息しつつあるモノ》世界を感じるとき、そこには《実感》が在る。

《混濁》《実感》

  1. 《混濁》《実感》である。と、救急車の中で思ったのである。要するに。
  2. 『どんなに否定しようとしても、それの存在は否定し得ないな』という実感を《実感》という。

検索

《息しつつあるモノの群れ》 - [《息しつつあるモノの群れ》《実感》]

《ライフオブジェクトの群れ》 - [#《モノと情報の群れ》は実感、か?]

《混濁しつつある身体の群れ》 - [##《息しつつあるモノの群れ》のほうが実感に近い。]

《息しつつあるモノ》 - [#《動きつつあるモノ》は実感ではない。]

《モノと情報の群れ》 - [#《モノと情報の群れ》は実感、か?]

『なすべきこと』 - [#『なすべきこと』は実感ではないが、『あるべきこと』は実感である。]

《他者からの思いこみ》 - [「確実に《在る》という実感を有するモノ」と《他者からの思いこみ》]

ブッダの「一切」 - [#心の作用とはなにか? きわめて多くの要素がある。12因縁。無明、業、識、名色、六処、蝕、受、愛、取、有、生、老死。は心の作用か? 認識《知った思いこみ》コトバ、欲求《求める思いこみ》、実感(有、クオリア)、といったものが入っている。]

《背後者世界》 - [#《他者からの思いこみ》は《感じつつあるモノ》における実感であり、《近傍物理空間の背後者世界》《見通し》における実感である。]

伝聞世界 - [#『伝聞世界』に含まれる《他者》のバイアスを除去するためには、自ら、《モノの世界》コトバに表現する体験がなければ、うまくいかない。《モノの世界》と、それを表現するコトバのギャップを知らないヒトは、コトバを通して《モノの世界》への《見通し》を持つことはできない。《モノの世界》コトバで表現しようとして悪戦苦闘したヒトでないと、コトバ《モノの世界》とのギャップは実感できない。表現者でないと、『伝聞世界』から見通しを得ることができない。]

《極座標の原点》 - [#《知りつつあるモノ》は体験されていない、実感されていない、記憶されていない。思い描かれたモノに過ぎない。継続しない。持続するモノではない。持続において《極座標の原点》の体験に統合されるものではない。《極座標の原点》を思い描いても、《知りつつあるモノ》《極座標の原点》の内容ではなく、《極座標の原点》《知りつつあるモノ》でしかない。《知りつつあるモノ》は客体化されない。《知りつつあるモノ》は捉えることができない。《知りつつあるモノ》《知られつつある世界》の中にはない。我々は知られつつある世界史か知ることはできす、それを《知りつつあるモノ》は知ることができない。知りえないものを知ろうとしてはならない。《知りつつあるモノ》を知ろうとしてはならない。《知りつつあるモノ》を捉えようとしてはならない。]

《思いこみ》 - [#《外からの思いこみ》は、《知られつつある世界》から生じると実感される《思いこみ》であり、]

《群有思いこみ》 - [#《他者からの思いこみ》《群有思いこみ》とは同じもの? ○:《他者からの思いこみ》の中の『決まり』の部分は、《群有思いこみ》『決まり』の部分と共通ではないか?。×:《他者からの思いこみ》は実感であり、《群有思いこみ》は概念である。《群有思いこみ》《私》《思いこみ》である。《他者からの思いこみ》《他者》からの《私》への《噴出》である。]

決まり - [#『モノからの決まり』は、たけ(tk)の実感である。物理法則は科学的に定式化された『モノからの決まり』である。]

タカウゴ - [#タカウゴは実感である。]

《思いこみのパイプ》 - [#タカウゴは実感であり、《思いこみのパイプ》《思い描き》である。]

梵我一如と《めまい》 - [《知りつつあるモノ》が《めまい》に襲われたら、自らの《身体》の中に《息しつつあるモノ》があることを思い出そう。《知りつつあるモノ》は、《息しつつあるモノ》によって《生かされつつあるモノ》であることを思い出そう。そして、それを実感として取り戻そう。そして《息しつつあるモノ》の意思に従って、深呼吸をしよう。そうすれば《めまい》は治まるであろう。 ]

《共振しつつある身体》 - [#《今・ここの・このモノ》は実感されつつある《共振しつつある身体》である。]

《在る》 - [《息しつつあるモノ》の次に「確実に《在る》という実感を有するモノ」は?]

《たけ(tk)の思いこみ》 - [#「確実に《在る》という実感を有するモノ」を語る。]

モノたちとの対話 - [#内なるブッダよ、他者と交わる実感を取り戻すのは、不可能への願望なのか?]

《他者の思いこみ》 - [#《他者からの思いこみ》は、《他者の身体》の内部にある(はず)の《思いこみ》《他者の思いこみ》=ではない。《他者からの思いこみ》は、《私》《他者》との《繋がり》における実感として伝わってくる《思いこみ》である。]

直知 - [《モノの世界》 - [#《モノの世界》への《見通し》アレーテイアへの実感である。アレーテイアへの直接知である。→『哲学の根本的問い』]]

《モノの世界》 - [#《モノの世界》への《見通し》アレーテイアへの実感である。アレーテイアへの直接知である。→『哲学の根本的問い』]

循環 - [ゴミ箱2005-05 - [現実感覚と《思いこみ》世界との無限循環。現実感覚の先に《思いこみ》世界が広がり、その《思いこみ》世界の先には現実感覚の世界が広がる。《思いこみ》世界を維持する緊張が続かないということかもしれない。]]

《知りつつあるモノ》 - [#《肉の塊》《知りつつあるモノ》クオリアとして実感することができる。情報循環《背後者》への噴出点があることを、クオリアとして実感することができる。]

cogito, ergo sum. - [#デカルトは、「感覚的な事物は疑わしい」として《モノの世界》を否定した。しかし、デカルトが在ると確信した《思惟しつつあるモノ》《モノの世界》の中の感覚的事物としての《思惟しつつあるモノ》を実感したのである。その実感に基づいて確信したにもかかわらず、彼は、《モノの世界》を否定して、《モノの世界》とは別の世界《コトバの世界》=の中に《思惟しつつあるモノ》を置こうとしたのである。]

《体細胞の群れ》 - [#実感の主体も体細胞内部の情報である。]

《肉》 - [#『私』《肉の塊》の中の情報である。『私』の『実感』も《肉の塊》の中の情報である。『私』という《知った思いこみ》が指し示している《私》《肉の塊》の中の情報である。《私》が感じる(モノの)クオリア《肉の塊》の中の情報である。]

『省察』 - [#デカルトは『我あり』を認識するのは感覚ではない、と言いたいのだろう。しかし、デカルトがやったのは感覚的実感の確認と背理法というコトバによる証明でしかない。「背理法による証明」への実感、というべきか。]

《ヒトの群れ》 - [#とりあえず、説明可能性はどうでもよろしい。《私》の《自灯明》において《ヒトの群れ》を照らすことの実感を得たい。]

体内感覚 - [### 経験は脳で記憶されるのではなく、脳の神経と結びついた筋肉によって記憶されていることがワークの中で実感として分かってくる。]

科学 - [##話がこむずかしくなりすぎたかもしれないが、実感レベルとしても、近代人たるわれわれの生活は科学・技術の恩恵によって<豊か>なものとなっている反面、まったく<再魔術化>されてしまっている。例えば私は今、コンピュータを使ってこの原稿を書いているが、「こう操作すればこういう文字が出てくる」ということを知っているものの、「なぜそうなるのか」私には分かっていない。プロセスは分からないが、結果に満足しているだけである。私のコンピュータの中にいるのがマイクロチップスか、それとも天才的小人なのか、神なのか本当は私には分かっていない。私は盲信しているだけである。とんでもない漢字変換をされた日には、悪魔でも潜んでいるのかという気にすらなる。星占いだって、コンピュータを持ち出されれば、ありがたみが増すのも近代人の情けなさである。]

『悪』 - [《地表のヒトの群れ》 - [##お店を開いて三年半、つくづく実感したのは、今の社会で人間として真っ当なことをしようと思うとバカを見るということです。何も考えないようにするか、悪魔に魂を売らなければ、生きてゆきづらい。もちろん、そんな社会がおかしいのですが、何がおかしいかわからないから、自分をごまかして生きるしかない。それができる人はよいのですが、私のような不器用な人間は、それができない。だから抵抗しても抗うことはできないだろうにもかかわらず、それでもあがき続けてしまうのでしょう。]]

《今・ここの・このモノ》 - [#《肉の塊》は実感であり、《今・ここの・このモノ》は実感を失った領域である。]

ゴミ箱2007-03 - [##イデオロギーなる精神的ブランド=意匠が熔解した時代に於いて、フォニー(phony)=紛い物とは対極の存在こそが、従来の立場を超えて連帯し得るのだ、と改めて実感。ごっこ遊びとしての学生運動を経て今や、数値至上の資本主義の走狗として生きる連中が往時に掲げし「連帯を求めて孤立を恐れず」なる惹句を捩れば、「孤立を求めて連帯を恐れず」の気概こそが肝要。]

『形而上学・上』 - [#すべてのヒトは、『《私》はそれを知った』という実感・《知った思いこみ》クオリアを欲する。《知った思いこみ》への《求める思いこみ》がある。]

《知った思いこみ》 - [#『《私》はそれを知った』という実感を「《知った思いこみ》クオリア」と呼ぶ。]

ゴミ箱2007-02 - [##財務省のサイトで外貨準備を確認したところ、2004年度実績で総額8450億ドルであることが分かりました。その内債券が占めている部分は7070億ドルでした。現在のレート(120/$)で換算すると、84兆円程度になります。この金額は当該会計年度の国家予算(一般会計)の総額に匹敵するものです。日本が豊かさを実感できないのは、当然のことだったのです。日本の代わりに、アメリカが繁栄を享受していたのでした。国債で得た資金の使途に制約はありません。軍事費として使われていたとしても、日本には注文をつける権利がありません。これが選択を誤った結果が意味するものなのです。]

ゴミ箱2007-01 - [##同幹部は「自分たちは米軍などとちがって、海外での武力行使を日本の憲法が禁じていることを一生懸命に説明した。イラクの人たちもそれを理解してくれた。そういうイラクの人たちによって自衛隊は結果的に守られたんです。その意味で憲法九条の存在の大きさを改めて実感した」と語りました。]

《地表のヒトの群れ》 - [##お店を開いて三年半、つくづく実感したのは、今の社会で人間として真っ当なことをしようと思うとバカを見るということです。何も考えないようにするか、悪魔に魂を売らなければ、生きてゆきづらい。もちろん、そんな社会がおかしいのですが、何がおかしいかわからないから、自分をごまかして生きるしかない。それができる人はよいのですが、私のような不器用な人間は、それができない。だから抵抗しても抗うことはできないだろうにもかかわらず、それでもあがき続けてしまうのでしょう。]

《我》 - [「我」は《生きつつあるモノ》がそれ自身を指し示すときに使うコトバである。《我》《生きつつあるモノ》がそれ自体を実感しているときの、その実感である。]

ゴミ箱2006-12 - [##▼「日本人だから殺す」という恐怖。この一言が目に焼き付いた。そう迫られる可能性が、この5年間で確実に高まったらしい。ぼくにはその恐怖は実感できない。わからない。これまで「日本人だから殺す」などと迫られたことがないからだ。]

《群れのアニマ》 - [#客観的に《感じている》ということと、主観的な、『感じている』という実感の間にはなにがあるのか? 実感があるということは生物的な意味がある、ということだろう。客観的な《感じている》ことは、当然ながら、生物的な意味がある。種族維持的価値がある。その現象に《快》を感じるのは当然だろう。主観的な『感じている』という実感は、《快》の感覚だろう。《快》を『感じている』のだろう。]

原因 - [#《動かしつつあるモノ》は、《動きつつあるモノ》とは別のモノもしくはそのモノ自体であり、それが動きつつあるときに、継続的に、動かしつつある、具体的でリアルな実感を伴って、モノとして感じられるモノ。]

『道徳感情論』 - [#《感じ合い》は、『感じ合い』のクオリアの実感であるが、客観的に見て、《他者》《私》との相互関係が形成されているというわけではない。たんに、そのような『《他者》《私》との相互関係が形成されている』という実感を伴った感覚である、というだけである。錯誤であり得る。が、実際にもそうである場合もある。テレビに写っているヒトに対して《感じ合い》の感情を持っても、実際には、《感じ合い》ではない。]

ゴミ箱2006-09 - [##これは、あたしの想像だから、間違ってたら申し訳ないんだけど、広島や長崎の人たちは、「東京大空襲」って聞いても、ピンと来ないんじゃないかって思う。広島や長崎の人たちにとったら、戦争って言えば原爆だと思うし、「東京大空襲」ってのがあったことくらいは知ってても、実感を持ったイメージは無いと思う。だけど、あたしは、戦争は体験してないけど、自分のおばあちゃんが、幼い母さんを抱き抱えて東京大空襲の中を逃げまわった話を聞いてるし、おじいちゃんも戦争で殺されてるから、遠い地域に落とされた原爆のことよりも、東京大空襲のほうに実感がある。]

ゴミ箱2006-08 - [## 海路も閉ざされている。燃料を積んだタンカーの接岸が認められないため、依然としてガソリンなどの燃料不足は深刻で、停電問題も解消していない。こんな状況だから、我が国はじめ各国も渡航禁止や自粛勧告を取り下げるわけにも行かない。空爆とミサイル攻撃の応酬こそ止んだものの、日常が戻ってきたという実感はなかなか得られない。]

ゴミ箱2006-07 - [## 現在多くの国民が、戦後60年がたち、とくに小泉政府になって5年、国民の大多数にとっては、「以前では考えもしなかったとんでもないことをやり始めた」と実感している。税金は、法人税や高額所得者は大幅に減税し、低所得者には増税をする。ゼロ金利で利息収入は銀行にとらせ、年金は削減し、医療や介護、保育などの社会保障、教育などは「自己責任」といって切って捨て、農業も漁業も食料は自給できないようにし、大企業や株投機屋どもが大もうけし、金融も財政も大企業もアメリカに乗っ取られ、日本の富はアメリカに吸い取られる 。北朝鮮の話どころか、餓死、孤独死、自殺が増える一方で、ほんとうに働くものが食っていけない社会になっている。北朝鮮を懲罰するというが、日本社会も人民を懲罰する政治がまん延している。教育の場も育てるのではなく懲罰、駐車違反も懲罰、監視カメラにコンピューター管理の警察国家 になっている。外交の自主権はなく、万事アメリカのいいなりで近隣諸国とは対立するばかり。そして毎年の米軍駐留費6000億円のほかに米軍再編に3兆円を差し出し、日本の空港、港湾、道路などを米軍が自分の基地のように使うことを認め、自衛隊は米軍に統合され、アメリカの鉄砲玉となって戦争をやる。]

ゴミ箱2006-05 - [月例経済報告;バブル抜く、実感なき景気拡大  【在野のアナリスト】]

《息しつつある身体》 - [#残念ながら、たけ(tk)《生きつつある身体》を実感できない。]

ゴミ箱2006-03 - [#実を言うと、たけ(tk)は、「ここに《思惟しつつあるモノ》がある」という実感を持てないでいる。]

ゴミ箱2006-01 - [##この平均値が1439万円なのですが、60歳以上の高齢者など少数の高額保有世帯によって平均値が引き上げられています。全世帯の約6割が平均値を下回っているわけですから、多くの人にとって実感とかけ離れた印象を受けるのも無理はありません。]

ゴミ箱2005-12 - [## 殺人や窃盗など刑法犯の認知件数が、3年連続で減少する見通しになった。警察庁がまとめた犯罪情勢(1〜11月)では前年より1割以上減り、数字のうえでは、犯罪の増加傾向に一定の歯止めがかかった。しかし、内閣府の世論調査で、治安が悪い方に向かっていると答えた人が半数近くを占めるなど、安全を実感する「体感治安」はむしろ悪化している。広島や栃木で子供が殺害された事件などが影響しているとみられ、警察当局にとって体感治安の改善は急務だ。【河嶋浩司】]

《透明化》 - [#仮説と検証による《透明化》。これ自体は《思いこみ》による認識でしかないが、隠された対象を検証するための現象(兆候)を感じ続けることによって、仮説が持続的に確信できる場合には、透明化であると言ってよい。たとえばダイアモンドはガラスより硬い、という仮説は、ダイアモンドカッターでガラスを切っているときには実感することが可能であろう。]

ゴミ箱2005-11 - [#というよりか、生きているという実感を持てないことが問題なのだ。]

ゴミ箱2005-09 - [##・理論で言うと,フロイトは「エスあるところにエゴあらしめよ(衝動や本能を理性や現実感覚で制御しなさい)」。ところが,パールズは「エゴあるところにエスあらしめよ(理性を捨てて身体の感覚に耳を傾けなさい)」。身体の感覚とは,声,表情,ジェスチャー,視線,座り方など。]

ゴミ箱2005-08 - [##ヒンズー教なら答えはもっと明確だ。//「すべての人は神の化身であるから、人の自由意思と運命は深いレベルにおいて完全に一致する」//ただし、これを理屈で理解しても何の意味もない。これは深い瞑想状態のときにしか感じることのできないものだ。入我我入、神人合一、梵我一如、万物合気・・・・何と呼ぼうが勝手だが、自分と神が一つであると「実感」したものにしか、運命の法則の謎は解けない。]

ゴミ箱2005-07 - [#『究極のイデア』の《背後者回路》::モノ世界からイデア世界へ。イデア主義者。現実感覚とイデア感覚。幻想感覚。モノ世界から離れたイデア世界。説明のロゴスから《思いこみ》のロゴスへ。救済者としてのイデアイデアのキリスト化、イデアの救世主化。イデアの一神教化。]

《混濁の世界》の《認識限界》と《背後者》 - [## 《生きつつあるモノ》への見通しと実感]

ゴミ箱2005-06 - [#クオリアというのは感覚に対する再評価なのではないか?「関心」という評価が感覚に再投入されて、関心が無いときよりも「実感」として感じる。]

ゴミ箱2005-05 - [現実感覚と《思いこみ》世界との無限循環。現実感覚の先に《思いこみ》世界が広がり、その《思いこみ》世界の先には現実感覚の世界が広がる。《思いこみ》世界を維持する緊張が続かないということかもしれない。]

《背後者》への見通し - [《知りつつあるモノ》が見通すためには、検証のために観察した兆候を「感じ続けること」が必要である。兆候を感じ続けることによって、そのモデルをモノとして実感として感じる必要がある。]