FrontPage  Index  Search  Changes  wikifarm  Login

《視点のパラメータ》

キーワード《視点のパラメータ》

定義

《視点》が異なれば、モノの見え方、輪郭が異なる。我々は、ある《視点》Aから別の《視点》Bに移ることができ、別の世界、同一のモノが別の輪郭をもって現れる別の世界の中に移ることができる。《視点》Aと《視点》Bとは離れており、何らかの座標系における別の位置をしめている。この座標系における座標軸を《視点のパラメータ》と呼ぶ。

この《視点のパラメータ》は、もちろん、物理空間の中の座標軸ではない。物理空間の差表軸とは別の向きをもった座標軸である。

《視点のパラメータ》を座標軸とする座標空間に、さまざまな《視点》を配置した空間を 多次元輪郭空間と呼ぶ。

さらに、多次元輪郭空間の座標軸の原点に《私》を置いたモノ多次元輪郭世界と呼ぶ。

区別

《視点配置座標》多次元輪郭空間

  1. 多次元輪郭空間《視点》を配置する座標空間だな。
  2. 《視点配置座標》の座標軸の一本一本が《視点のパラメータ》である。
  3. 《視点配置空間》か?

極座標モデル《視点のパラメータ》

  1. 極座標モデルは、《視点のパラメータ》の、一つの試作品である。

《視点のパラメータ》という《視点》

  1. 《視点のパラメータ》というのもひとつの《視点》であり、その《視点》には《視点のパラメータ》がある。
  2. 多次元輪郭空間》という《視点》《視点のパラメータ》自己言及パラメータ。自己言及要素の有無というパラメータ。
  3. 多次元輪郭空間》における、多次元輪郭座標における、自己言及軸。

《見通し》《視点》《動き》《視点》

  1. 《動き》《視点》からいえば、《見通し》《動き》の手段である。
  2. 《見通し》《視点》からいえば、《動き》《知られつつあるモノ》である。
  3. 《知りつつあるモノ》《動きつつあるモノ》《息しつつあるモノ》。というのは《見通し》《視点》での区別である。《混濁》《見通し》ノイズによって分離した世界の区別である。孤独相の世界
  4. 《混濁》《動き》ノイズによって分離すると、それとは全く異なった世界になる。群生相の世界
  5. 《見通し》《視点》から見た、《動き》目的と手段。

光線空間《視点のパラメータ》

  1. 光線空間法では,3次元実空間の1本の光線を,それを表すパラメータを座標とする多次元空間の1点で表す.この仮想的な空間を光線空間という」→自由視点テレビ
  2. 「《多次元輪郭空間》や《視点のパラメータ》」と使っている用語が似ている。というか、発想は同じだな。光線空間の場合には、《視点》の位置は単なる物理空間上の一点である、という点が異なる。虚数軸を導入したものではない。《多次元輪郭空間》は、空間自体を複素数化して複素数の時空の中に《視点》を置く、という点が異なる。
  3. 我々の《視点》《今・ここの・このモノ》の主観的《視点》も、諸々の情報から演算によって再構成されたモノ。《あの時・あの場所の・あのヒト》の《視点》も、適切な情報があれば演算によって再構成可能である、ということ。
  4. 《視点のパラメータ》は、バイアスの・フィルターのパラメータである。フィルターは欠如である。欠如の有無のパラメータである。バイアスは、妄想の付加である。妄想を生じさせる原因の有無のパラメータである。《求める思いこみ》が、認識の欠落を生み出し、妄想の付加を生み出す。《視点のパラメータ》《求める思いこみ》のパラメータ化である。《求める思いこみ》《知った思いこみ》の無明を生み出す、というブッダの理論か・・。『生物から見た世界』。生きモノは必要に応じて世界から役に立つ情報を取り出して、その情報を再構成して、主観的世界を構成する。

説明者の《視点》

  1. アリストテレスの《視点》は説明者の《視点》である。
  2. 説明者の《視点》から、説明者の《視点》以外のさまざまな《視点》を説明することは可能か?
  3. 説明者の《視点》とは、「説明する」というノイズによる《混濁》の分離である。
  4. 《知られつつある世界》《知りつつあるモノ》《背後者》→《コトバにしつつあるモノ》→《コトバ》→《他者》
  5. 記述者の《視点》と説明者の《視点》。記述は、単に、《知った思いこみ》コトバにする《動き》。説明は、説明を受けたモノが理解することを目的とする《動き》

存在的主体性と自覚的主体性

  1. モノには、そのモノが維持されるかぎりにおいて存在的主体性がある。
  2. 我々が問題にしているのは、情報としての主体性、主体性情報、自覚的主体性である。
  3. 自覚的主体性は、存在的主体性の情報である。情報の内容として指し示された存在的主体性である。存在的主体性を指し示す情報である。
  4. 主体性というのは《視点》と《動点》と《楽点》(行動原理、行動決定回路、《背後者回路》)である。
  5. 《群れ》《群れ》が維持されるかぎりにおいてモノであり、維持されるかぎりにおいて存在的主体性=《視点》、《動点》、《楽点》=がある。
  6. 《群れ》《動き》《群れの中の個体》《動き》カオス的な総体である。
  7. 《群れ》《視点》《群れの中の個体》《視点》カオス的な総和である。
  8. 《群れ》の《楽点》は《群れの中の個体》の《楽点》のカオス的な総体である。
  9. 《群れ》《視点》や《楽点》が、秩序化した時に、《群れ》独自の《視点》や《楽点》が現れる。カオス的な《動き》から、その《群れ》独自の《動き》になる。
  10. カオス的な《群れ》にも存在的《視点》がある。《視点》が秩序化したとしても、存在的な《視点》である。《視点》の秩序化は、世界の輪郭化である。世界から特定の『モノ』情報を切り出すことである。切り出されたモノ情報から特定の行動を導くことである。
  11. 《視点》は、カオス《視点》=実質的には《視点》なし=から、快不快的《視点》=外界から快情報、不快情報を切り出して、接近、逃走、凝縮といった動きを導く、捕食者の臭い、餌の臭いといった情報で、行動に直結する情報。入力情報を再構成した情報、加工情報、3次元的再構成、再構成的《視点》、再構成された情報への《視点》。3次元的再構成(3次元的《視点》)、ミラーニューロンによる自我=他者の再構成(自我的《視点》)、言語的再構成(概念的《視点》)。

種類には

    1. 《群れ》《視点》《群れの中の個体》《視点》ヒト《視点》というのは、じつに、体細胞の《群れ》《視点》なのだよ。《群れの視点》と《群れの中の個体の視点》。《群れ》には《群れ》動きがある、《群れ》《楽しみ》がある。《群れ》による情報の保持がある。群れの中の情報の維持は、《群れの中の個体》情報伝達、情報伝達のループによって保持される。《群れの中の個体》の中の情報の保持によっても保持される。《群れの中の個体》《楽しみ》の原理が《群れの中の個体》《動き》を《決め》、《群れの中の個体》《動き》《群れ》《動き》を決める。《群れの中の個体》《動き》《群れの中の個体》に与えられ、保持された情報によって決まる。《群れ》《楽しみ》《群れの中の個体》《楽しみ》とは別の次元に属する。《群れの中の個体》《動き》の総体としての《群れ》《動き》が、《群れ》の存在維持に役に立つかぎりにおいて、《群れ》《楽しみ》となる。《群れ》《楽しみ》《群れの中の個体》《楽しみ》に反映される。《群れの中の個体》の存在維持は《群れ》の存在維持に依存する、が、故に、《群れ》《楽しみ》《群れの中の個体》《楽しみ》として取り込まれる。依存対象の《楽しみ》は自らの《楽しみ》として取り込まれる。《群れの中の個体》《視点》《群れ》《視点》とでは次元が異なる。《群れの中の個体》《視点》世界《群れ》の外部の世界《群れ》の内部の世界、とくに他の個体で構成される。
    2. 《怯え》の《視点》《楽しみ》《視点》
    3. 《今・ここの・このヒト》《視点》《他者》《視点》
    4. 《今・ここの・このモノ》《視点》と、《あの時・あの場所の・あのモノ》の《視点》
    5. 《特別者公理》《視点》《同質者公理》《視点》《私》《特別者公理》《視点》《他者》《特別者公理》《視点》《同質者公理》《視点》《同質者公理》《視点》は、《特別者公理》《視点》の統合ではなく、残念ながら、単なる《視点の移動》である。
    6. 主観的体験の《視点》脳科学《視点》。心理学の《視点》
    7. 国を憂う《視点》
    8. ユダヤ主義の《視点》。選民教の《視点》
    9. アイヌ主義の《視点》《アニミズム》《視点》
    10. 革命家の《視点》科学者の《視点》。布教主義者の《視点》科学《視点》。歴史の《視点》。秩序主義者の《視点》カオス主義の《視点》
    11. 多次元輪郭空間》の《視点》
    12. 《浄化球》《視点》《息しつつあるモノ》《視点》《知りつつあるモノ》《視点》《知られつつある世界》《視点》。ガイアの《視点》《宇宙史》《視点》。階段のタイルの《視点》。白い花の《視点》((「クリサンマム」という花らしい))。
    13. 《視点》の3次元的な位置のパラメータ。《視点の3次元的パラメータ》・
    14. 内部からの《視点》と外部からの《視点》。《内部からの視点》と《外部からの視点》。
    15. 《特別者公理》《視点》は《内部からの視点》であり、《同質者公理》《視点》は《外部からの視点》である。極座標の《視点》は《内部からの視点》であり、直交座標の《視点》は《外部からの視点》である。正統派ユダヤ教の《視点》は《外部からの視点》であり、シオニズムの《視点》は《内部からの視点》である。《体内感覚世界》は《内部からの視点》であり、《体外感覚世界》は《外部からの視点》である。科学《視点》は《外部からの視点》であり、《アニミズム》《視点》は《内部からの視点》である。愚民への《視点》は《外部からの視点》であり、友人・《身近な人びと》への《視点》は《内部からの視点》である。身近な《ヒトの群れ》の《内部からの視点》である。アウトサイダーの《視点》とインサイダーの《視点》
    16. 《仕合わせ》《視点》
    17. 《ブッダの「一切」》《視点》
    18. 『なすべきこと』《視点》。『知るべきこと』の《視点》
  1. http://www.hana300.com/kurisa.html
    1. ・学名 Chrysanthemum multicaule、Chrysanthemum : キク属。multicaule : 茎が多い。Chrysanthemum(クリサンセマム)は、ギリシャ語の 「chrysos(黄金色)+ anthemon(花)」が語源。花名も同様。

《視点のパラメータ》《浄化球》

  1. 《混濁》から分離した《知りつつあるモノ》《視点のパラメータ》

『現世即極楽』と《視点のパラメータ》

  1. 「現世はすなわちそのままで極楽である」という思考実験。「なぜ、そうでないと思うのか」という原因の研究。
  2. ヒトは死ねば、誰であろうと、祖先たちとともに和やかに暮らすことができる」という《視点》。現世における最大の苦しみである死が、苦しみでないなら、現世における苦しみなどないに等しい、という《視点》
  3. 『現世即極楽』の《視点》から見て、『現実』《視点》はどこに位置しているか?
  4. 『現世則極楽』の方が分かりやすいか・・。「なぜそうではないか?」
  5. タイマグラばあちゃん」の極楽は、東京の《ヒトの群れ》の自然の中でも、同じくある。「ロビタの大自然」も「タイマグラばあちゃん」の極楽の自然である。
  6. http://www2.odn.ne.jp/ise-film/works/Taimagura/taimagura.htm
  7. http://orange.ap.teacup.com/yakusima/62.html
  8. 「ロビタの大自然」
  9. [barbaroi:5037] Re: 私通から結婚へ
    1.  めいこん 冥婚 ghost marriage
    2.  社会的に正式とされる婚姻形態のうちで、少なくとも一方の配偶者が死者であるような結婚を指し、幽霊婚、亡霊婚などともいわれる。
    3.  アフリカのナイル河上流地方に住む牛牧民のヌエル族において、未婚のまま、または子供があっても法的な男子後継者を残さず死んだ男のために、その親戚たちは結婚の正式の手続きによって嫁をむかえてやる。この妻は実生活においては別の男性とすごすのであるが、2人の間に生まれた子供はあくまでも死んだ男を法的父親とするのであり、財産の相続をはじめ各種の権利と義務を引継ぐことになる。これによって、死者たる夫は無事に父系の親族の系譜に名を連ねることができ、あるいは自己の新しいリネージが創設できたので、ヌエル族はその幽霊によっておびやかされることもなくなると考えるのである。子孫の確保を第一の目的とし父系の出自系統の連続を意図した慣習とも解釈できよう。社会的(あるいは法的)父と生物学的父という概念上の区別が明確に示される事例としても興味深い。
    4.  ところでこの慣習は、アフリカなどの遠隔地にのみみられるだけでなく、われわれの身近にも現に行われている。漢民族の間に、たとえば大陸部の農村の一部では、男が未婚のまま死んだため養子をとろうとする際に、死んだ男のために妻を要る習俗があった。こうして成立した夫婦を父母として養子を迎えるのであり、「死んだ子が孫を生む」といい、この結婚を冥婚と呼んだ。
    5.  台湾では今でも未婚のまま死んだ女性のための結婚、“鬼人聯婚”が行われる。生家では祀ってもらえない女子の霊のためにその親が結婚を望んだときには、適当な男性(生者)との間に一連の婚姻儀礼を執行する。そうすればこの男性とその子孫が亡くなった女性の位牌を祀ってくれるからである。
    6.  韓国にも死霊慰撫のため、あるいは養子をむかえるための死後結婚がみられる。未婚のまま死んだ男女、とくに女子は、この世に未練を残しておりあの世では幸せになれないので、たたると考えられる。花婿となるべき若者(死者)を探し、できるだけ通常の婚姻儀式を行うのである。
    7.  沖縄では死後の世界(グソー)でも夫婦2人で暮らすものとされ、位牌にも2人の名が記されるのが一般的であり、墓においても一緒のカメに入るべきと考えられている。とくに女性がしかるべく祀られていないことを、ユタなどの占いでは子孫が繁栄しない理由の1つにする。こうして、死者同士のための結婚がとり結ばれる。以上のように死者であっても、その社会で正式に認められた婚姻関係を結ぶことができる。かれらは子供を生み、養子をとり、あるいはあの世で幸せに暮らし、この世の近親者に禍いをもたらさずにすむ存在になるなどの社会的行為をするのである。
    8. =(p.768)

モノ脳科学《視点のパラメータ》

  1. モノ脳科学的な回路の産出物である。
  2. モノ世界《近傍物理空間》《アニマ》を感じるのは脳科学的回路の産出物である。
  3. モノ《アニマ》は有り得ない』というのは一つの《視点》である。
  4. モノ《アニマ》はある』というのも一つの《視点》である。
  5. 《視点》脳科学的な回路の選択である。
  6. 《視点》の違いは、脳科学的な反応パターンの現象として検証可能かもしれない。
  7. 禅の行者の脳の反応パターン、シャーマンの脳の反応パターン、イタコのコトバを聞いて感激するヒトの脳の反応パターン。法律家の脳の反応パターン。脳科学を研究中の農家学者自身の脳の反応パターン。《複素数の時空》とか多次元輪郭空間とかを考えている、たけ(tk)の脳の反応パターン。

四次元チューブ《視点のパラメータ》

  1. モノ四次元チューブである。
  2. モノ同一性四次元チューブ
  3. モノ四次元チューブであるのは、そのモノ時間同一性を有するかぎりにおいてである。
  4. モノ同一性は、《思いこみ》であり、《視点》依存的である。
  5. アメーバAが分裂して、アメーバBとCになったとして、それを同一とみなして、四次元チューブの分岐と見ることもできるし、別物とみなして、アメーバAの終端とB、Cの始端と見てもよい。『同一性』は《視点》依存的である。
  6. 四次元チューブ《視点》依存的である。
  7. モノ《視点》依存的である。多次元輪郭空間《視点のパラメータ》
  8. モノが、《視点》によって別のモノに見えるようになるのは、モノの問題ではなく《視点》の問題である。それゆえに、《視点のパラメータ》《視点》を知ることが必要である。
  9. 四次元チューブは一つの《視点》である。しかし、或るモノへの《視点》の自然な拡張である。或るモノがあるなら、そのモノ時間的延長としての四次元チューブが決まる。或るモノへの《視点》と、そのモノ四次元チューブへの《視点》とは同じである、か?
  10. 《いま・ここ》の《視点》と、時間的連続の《視点》
  11. 《いま・ここ》の《視点》は、時間的延長への《見通し》を拒否する《視点》である。時間的延長への《怯え》の《視点》である。

《怯え》と《視点のパラメータ》

  1. 《怯え》は、知ることへの拒否である。
  2. 《怯え》は《視点のパラメータ》を形成する。
  3. 何に《怯え》、何を知ることを拒否するかによって、《視点のパラメータ》が決まる。

《視点のパラメータ》《怯えつつあるモノ》

  1. 《視点のパラメータ》は、「xxを見ることを拒否する」という傾向の有無、強度である。
  2. 《他者》《怯えつつあるモノ》は、《怯え》を予感させるモノを見えなくする。見ることを拒否する《思いこみ》である。
  3. 《視点のパラメータ》は、《視点》の背後に在る構成原理をまもろうとする《ちから》である。構成原理を破壊するモノを見ることを拒否する《怯え》である。
  4. ヒト《見通し》を拒否する動物である。ヒト《怯えつつあるモノ》であり、《怯えつつあるモノ》《見通し》を拒否するモノである。
  5. 《怯え》は《見通し》をもたらす。《動き》の停止において、《見通し》が広がるようになる。恐怖に向かい合う勇気があるものにとっては、《見通し》をもたらす。勇気がないものにとっては、《見通し》からの逃避をもたらす。勇気って何じゃ? 勇気は無謀さであろう。謀(はかりごと)をせずに、衝動的に動くこと、衝動的に動いてもどうにかなると信じること、どのように動けばどのようになるのかを『知らない』という立場を貫くこと、『私は未来を知らない』という立場を貫くこと、が勇気であろう。
  6. 『私は(何をすればどうなるかを)知っている』という傲慢が《怯え》をもたらす。ルシファーの傲慢か?

《視点のパラメータ》欲求分類リスト

  1. http://asyura2.com/0601/idletalk17/msg/181.html
    1. 知を求める事はお金を追い求めるのと大差はないのでしょうか?
  2. 《視点のパラメータ》《求める思いこみ》と、金を《求める思いこみ》とでは、本質的な差はない。
  3. 『知ること』も『金が欲しい』も《ヒトの個体》の欲求の一つである。
  4. 『知りたい』という《求める思いこみ》に、他の欲求に超越する価値はない。
  5. 『知りたい』という《求める思いこみ》は、たけ(tk)の好みに過ぎない。
  6. 《ヒトの個体》《求める思いこみ》は、《視点のパラメータ》を決定する要素である。
  7. 追従ザルの『ボス猿に従う』という《視点》も、一つの《視点》である。彼の《視点》にはボス猿しか写っていない。ボス猿が支配する単純な世界である。ボス猿以外のものを見ることを拒否する《怯え》の《視点》である。
  8. 《怯え》はマイナスの《求める思いこみ》ではなく、別のベクトルである。別の座標軸である。
  9. 一つの欲求には、それを《求める思いこみ》の座標軸と、それを失うこと、得られないことへの《怯え》の座標軸とがある。

《繋がり》における《対者》《視点》《視点のパラメータ》

  1. 場所的に異なる《視点》
  2. 《私》《知りつつあるモノ》《視点》
  3. 彼にとって、《私》がどのように見えているのか、というのは、よほどのことがないと、《私》には見通せない。
  4. 彼が、(《私》以外の別の)モノについて語るとき、《私》は彼の《視点》を推測することがある。しかし、それが、受け売りであるのか、彼の《見通し》であるのかは、よくわからない。《身体》的対話における非言語コミュニケーションによって、彼のコトバが、受け売りであるのか、《見通し》であるのかを、見極めることができるヒトがいるようだ。たけ(tk)には、そのような能力がない。

《知られつつある私》《知りつつあるモノ》《視点のパラメータ》

  1. フッサールの超越的自我?
  2. ミードの客我を知りつつある主我?
  3. 《知られつつある私》は「《他者》《知られつつある私》」である。
  4. 《知られつつある私》は絶対者としての《私》《他者》《知りつつあるモノ》を鏡として知りつつある「《他者》《知られつつある私》」である。自己言及の問題は生じない。
  5. 《知られつつある私》《知りつつあるモノ》は絶対者であって、《視点》の移動はない。絶対者の《視点》は、拡張することはあるが、移動することはない。絶対者の《視点の移動》は疑似的であり、他の《視点》を鏡として見ることを、その鏡の《視点》に移動する、と表現するだけのもの。
  6. 絶対者の《視点》多次元輪郭世界の中心にあるので、《視点のパラメータ》を抽出するには不適当。

科学者の《視点》《視点のパラメータ》

  1. 科学者の《視点》は、自らの《見通し》科学コトバに翻訳する《視点》である。
  2. 仮説というコトバを操る《視点》である。
  3. 仮説というコトバと、実験という技巧的な《動き》を通じて、《モノの世界》を操る《視点》である。
  4. 科学者の《視点》《操りつつあるモノ》《視点》である。
  5. 科学者の《視点》は、科学者によって生み出された科学コトバがもたらす《視点》とは異なる。
  6. 『科学』《視点》は、科学者が生み出したコトバが生み出す《知った思いこみ》《思いこみの世界》《視点》である。
  7. 『科学』《思いこみ》であり、科学者はモノである。

科学《視点のパラメータ》

  1. 科学《視点》の背後に在る構成原理。
  2. 《視点》の背後の構成原理は《アニマ》と同じである。か? 《視点のパラメータ》は「《アニマ》のパラメータ」である、か? 《アニマ》の分類学。
  3. 定点観測の構成原理。観測位置を変更すると、コトバに矛盾が生じる。輪郭が異なる。
  4. 科学《視点》は、無限遠点に在る。コピー機のスキャナの《視点》。スキャナは移動するが、常に一定の角度から観測する。《視点》の角度は平行なので、その延長線上にある《視点》の中心は、無限遠点である。
  5. 科学《視点》は、モノ世界無限遠点に在る。科学は、《モノの世界》の相互反応に限って『認識』する。
  6. モノの内部」と「モノを壊したときに出てくるモノの表面」。科学は「モノの表面」のみを観察対象とする。科学が言う所の「モノの内部」は「モノを壊したときに出てくるモノの表面」のことである。「破壊されたモノの表面」である。・・考古学者に聞いたのだが、遺跡の発掘とは、遺跡の破壊と同義である。X線で出土品を観察することは、X線で出土品を破壊することと同じである。その後の技術で自然放射能の痕跡を調べる技法が出てきたとき、以前にX線調査を行った出土品は、「破壊された出土品」でしかなくなってしまう。という。
  7. 一定の角度から、モノの表面を、網羅的に記述したコトバ、は有用である。

科学信仰《視点のパラメータ》

  1. 科学用語を使ったコマーシャルの数々。

マルクスの唯物的弁証法と《視点のパラメータ》

  1. ヒトの認識の存在被拘束性。ヒト《視点》の存在被拘束性。
  2. そうか、《視点》の存在被拘束性の研究が《視点のパラメータ》なのか。
  3. 《視点》の存在被拘束性を指摘する』という《視点》。は、一つの《視点》である。超越的な《視点》ではない。
  4. 多次元輪郭空間という《視点》。自己包含集合。多次元輪郭空間という《視点》は、「さまざまな《視点》の移動可能性、変換可能性、をもたらす」というメリットを有する《視点》である。

《絶対者公理》《視点のパラメータ》

  1. 《絶対者公理》における《見通し》は、一つの《視点》である。《絶対者公理》における《見通し》は、《複素数の時空》を超えて、《多次元輪郭世界》へと至る。《視点のパラメータ》は《多次元輪郭世界》で追加される座標軸である。
  2. いかなる《視点》であれ、鏡像の屈折点を《視点》と誤認するのでない限り、《視点》は絶対者でないことはできない。
  3. ヒトの《ドメイン》における《私》《視点》も絶対者である。
  4. ヒト公理モノ公理ヒト公理というのは、《他者》のとの《繋がり》《ヒトの群れ》との《繋がり》において、その世界の絶対的中心者としての《私》と、《私》を中心とした《他者》《ヒトの群れ》モノが織り成す世界に関する公理である。(『人間』に関する俗説に基づく《思いこみ》ではない。《私》を相対者と看做すような《視点》ではない)

モノの《ドメイン》の《視点》ヒトの《ドメイン》の《視点》

  1. 《今・ここの・このモノ》ヒトか? 『ヒト』という種類のモノである。《今・ここの・このモノ》はその時間の全体性において、大部分の時間を『ヒト』として動いている。《今・ここの・このモノ》は、その時間的全体性において《今・ここの・このヒト》である。《相変異》。《今・ここの・このヒト》は《相変異》を通じて《今・ここの・このモノ》になるが、それは一時的な状態である。《今・ここの・このモノ》が一時的に《今・ここの・このヒト》になるのか? 相変異は《ドメイン》の移行であり、《ドメイン》はそれぞれの原理に基づいて世界を構成している、ヒトの《ドメイン》の原理においては《今・ここの・このヒト》が本来の姿であり、モノの《ドメイン》においては《今・ここの・このモノ》が本来の姿である。《視点》の移行、多次元輪郭空間。絶対者の《視点》を出発点とするなら、モノの《ドメイン》における《今・ここの・このモノ》《視点》が出発点となる。《視点のパラメータ》
  2. モノの《ドメイン》の視点からみれば、ヒトの《ドメイン》の《視点》は、モノに内在する《思いこみ》の中の《視点》である。
  3. ヒトの《ドメイン》の視点からみれば、モノの《ドメイン》の《視点》は、特殊なヒトの特殊な《思いこみ》である。ヒトとして生きるにあたって、有害無益な《思いこみ》である。ヒト《ヒトの群れ》の中で生きているのであって、《モノの世界》の中で独りで生きているのではない。
  4. モノ公理ヒト公理
  5. ブッダ《視点》モノの《ドメイン》の《視点》であり、大乗の《視点》ヒトの《ドメイン》の《視点》である。(ブッダ《ヒトの群れ》の中で説法したのであるから、ヒトの《ドメイン》の《視点》をもっていたことは明らかである、が、自覚的にそれを語っていたことの確証はない)。ブッダの「一切」のなかにはヒトの《ドメイン》の《視点》も含まれる。ヒトの《ドメイン》の《視点》も、心の作用だからである。
  6. 理工系の《視点》と人文系の《視点》
  7. 《複素数の時空》において、どちらが実数で、どちらが虚数であるかは決定できない。
  8. ヒトの《ドメイン》の《視点》《ヒトの群れ》の内部(の個体)における《ヒトの群れ》体内感覚《視点》である。
  9. モノの《ドメイン》の《視点》《ヒトの群れ》の表面(の個体)における《ヒトの群れ》の体外感覚の《視点》である。
  10. 《ヒトの群れの体内感覚》と《ヒトの群れの体外感覚》。

弁証法と《視点のパラメータ》

  1. 弁証法は《視点の移動》である。
  2. http://web.sc.itc.keio.ac.jp/~funatoka/pavlov/sensuous_rational.html
    1. マルクス主義の唯物論哲学が出現して、認識の過程を唯物論による弁証法的見解をもってとらえ、感情的認識の側と理性的認識の側とを正しく統一的に理解し、認識の全面的把握をかちえた。人間の認識は、によりもまず、感覚を通じて客観世界とむすびつき、この世界を認識する発端をうる。・・これら多くの感覚、これらによる肝炎が、生活の実践のなかで積み重ねられていくことで人間の思考作用(これには言語の役割が大きい)の発展があり、一般的・概括的な認識が生じてくる。すなわち、概念・判断・推理・結論などという抽象的―論理的操作である。感性による認識はその集積の結果として、感覚にもとづく多様な外界対象についての認識に概括・一般化されて、外面的な事物の認識がたんにこれにとどまらずに、それら事物の内部にひそむ本質、そして法則をとらえうるようになる。
  3. ヘーゲルの《私》《視点》から、マルクスの《モノの群れ》の《視点》へ、という《視点の移動》。ヘーゲルの《視点》の内部での《視点の移動》。マルクスの《モノの群れ》の《視点》の内部での《視点の移動》
  4. 《視点の移動》を反省的に捉えると、《視点》の統合が行われてしまう。《視点》の統合が行われると、《視点のパラメータ》が見えなくなる。
  5. 《他者》《視点》を理解するためには、統合された《視点》を理解するだけでは不十分であり、統合される前の《視点》《視点のパラメータ》を把握する必要がある。
  6. 弁証法を嫌うヒトが多いのは、《視点の移動》が含まれているからである。弁証法に惚れ込むヒトが多いのは、統合された《視点》をもたらすことの「心地よさ」の故であろう。しかし、必要なのは、統合される前の《視点》《視点のパラメータ》において把握することである。

《視点》《ヒトの群れ》の中での場所

  1. ヒト《視点》は、その人の、《ヒトの群れ》の中での場所、に影響されている。
  2. ヒト《視点》は、一人のヒトであっても、複数の《視点》をもつ。
  3. 《ヒトの群れ》の中での場所」が(その場所にいるヒトの)《視点》を作り出す。
  4. 《ヒトの群れ》は、その《群れ》ごとに、異なった構成図をもっている。構成図の似ている《群れ》もあるし、似ていない《群れ》もある、似ているようで全く異なった《視点》をもたらす《群れ》もあるし、構成図は似ていないのに似たような《視点》をもたらす《群れ》もある。
  5. 多細胞生物という細胞の《群れ》の形がさまざまであるように《ヒトの群れ》の形もさまざまである。さまざまであるが、似たような・・(アリクイとセンザンコウが似たような形になるのをなんて言うんだっけ?)
  6. http://www.asahi.com/science/news/TKY200503310352.html
    1. アリクイの仲間そっくりでシロアリを食べていたと見られる初期の哺乳(ほにゅう)類が、アリクイなどよりずっと以前の1億5000万年前のジュラ紀の地層から見つかった。米カーネギー自然史博物館の羅哲西博士らが1日発行の米科学誌サイエンスに発表する。系統が全く異なるのに、食べ物や環境に合わせて体が同じような形になる「収斂(しゅうれん)進化」現象のいい例だという。
  7. 多細胞生物での、細胞の個体の《視点》。機能分離。専門化。単機能化。特殊機能化。
  8. 《ヒトの群れ》進化しているのだろうか? 家族という《ヒトの群れ》があって、その構造の延長として政治集団が形成された。「国家」というアナロジー。政治集団は家族の《ヒトの群れ》の構造から、機能の違いから別の構造を持つようになる。経済集団も、家族という《ヒトの群れ》とは別の構造を持つようになる。構造化された《ヒトの群れ》に「入る」儀式と「出る」儀式。システム化された《ヒトの群れ》《ヒトの群れ》の指標。入会・退会の儀式、入会契約の申し込みと承諾。『特定の《ヒトの群れ》に入る』という《思いこみ》。『合格通知』で変わるのは《思いこみ》だけである。《思いこみ》以外の何も変わらない。試験担当者が『合格』の判子を押しても、それによって変わるのは《思いこみ》だけである。《思いこみ》こそが、《ヒトの群れ》の構成原理である。『儀式』によって変わるのも《思いこみ》だけである。『入会の儀式を経た』という記憶が生じるだけである。《思いこみ》が変わることによって《視点》が変わる。《ヒトの群れ》の外からの《視点》から、《ヒトの群れ》の中からの《視点》に変わる。合格通知だけでは具体的な「中からの《視点》」の中身はないが、『《私》《群れ》の中の一員として扱われるべきである』という《思いこみ》が生じ、他の《群れ》のメンバーにも『彼は《群れ》の中の一員として扱われるべきである』という《思いこみ》が生じる。それによって、彼は実際に、《群れ》の中の一員として扱われるようになり、《群れ》の中の人々との《繋がり》ができる。その《繋がり》のなかで、具体的な「《群れ》の中からの《視点》」の中身が蓄積されていく。
  9. 《群れ》の中の一員としての《視点》《繋がり》の中での《視点》《ヒトの群れ》の中での《視点》《ヒトの群れ》の構成部分としての《視点》《ヒトの群れ》の構成個体としての《視点》『私』というのは、個体ではなく、《ヒトの群れ》の構成部分というべきだな。

人々の《視点》

  1. 人々の《視点》への《見通し》は、人々の《視点》から《私》《視点》がどのように見通せるか、どの方向に見通せるか、だろうが、・・。人々の《視点》においては、《私》《視点》は「見えない」のではなからろうか? 見えなければ、どの方向に見えるかという問いは意味を為さない。
  2. 人々の《視点》における、《今・ここの・このモノ》への《見通し》が、どの方向に見えているのか? 《今・ここの・このモノ》への意味づけにおいて見えている。《重ねる思いこみ》、『理解』という《思いこみ》。『理解』のためにそのモノに重ねてそのモノと『見通す』ための《思いこみ》《知った思いこみ》と《重ねる思いこみ》。同じだろうな。《知った思いこみ》は、そのモノ重ね合わせることによって、そのモノを見通すための《思いこみ》であり、そのモノがない場合には、思いこむだけでそのモノ見通したつもりになるための《思いこみ》《知った思いこみ》はそのモノから生じた、と思いこまれている。
  3. 人々の《視点》とは、彼らの《知った思いこみ》への《視点》である。

《視点》《求める思いこみ》

  1. 《視点》《求める思いこみ》によって歪められている、《求める思いこみ》によって取捨選択されている。《視点》の違いは、その背後の《求める思いこみ》の違いである。か?
  2. 《視点》《求める思いこみ》の原理によって構成されたモノである。構成原義の違い=《ドメイン》の違い。
  3. 《視点》の違いは、それらの《視点》の背後に在る《ドメイン》の違いである。《視点》の違いはその《視点》の背後に在る《ドメイン》の構成原理の違いである。《視点のパラメータ》とは、《視点》の背後に在る構成原理の違いを指し示すパラメータである。
  4. いかなる構成原理であろうとも、究極的に、《浄化》されてしまえば、おそらく、同じ世界を構成するようになる。
  5. 構成原理の違いは、《見通し》への歪みの度合に影響する。歪みの傾向に影響する。歪みの度合の多さ・強さが、《私》《視点》からの距離であろう。
  6. 《視点》を観察する場合には、最も歪められた《視点》を観察すべきであろう。最も歪められた《視点》が、その背後の構成原理の特徴を最も良く示しているであろう。
  7. 宅間くん《視点》は良い例であろう。《ヒトの群れ》への報復という強い《求める思いこみ》によって、最も強く歪められた《視点》であろう。
  8. 法律の《視点》は情けない。本来は、公平とか、《ヒトの群れ》の維持とかいった、本来の《求める思いこみ》が在るのだが、そのときどきの気ままな立法者の作った法律の解釈を、正当化を要求されて、支離滅裂な《視点》になっている。法律は《ヒトの群れ》の骨格にあたる《思いこみ》である(本来は・・)。《ヒトの群れ》の設計図、構造図にあたる《思いこみ》である。しかし、司法は、お金持ちの紛争、にしかかかわらない。権力の紛争にもかかわらないし、貧乏人の紛争にもかかわらない。《ヒトの群れ》のなかの紛争のごく一部にしかかかわらない。行政法規は《ヒトの群れ》の神経系にあたるが、実体とは異なった表面上の原理を規制しているに過ぎない。経済法規も、栄養循環器にあたるのだろうが、実体とは異なる表面的な原理にしかかかわらない。法律の《視点》では、《ヒトの群れ》の全体像は見えてこない。これは、体内感覚《身体》の全体像をもたらさないのと同じか?
  9. 経済学も、血圧や血流量でヒト《身体》の健康を診断しようというのと似ている。
  10. 大蔵(財務省)官僚の所には、もう少し、《見通し》に繋がる情報があつまってきているのだろうか? 財務官僚の《視点》は、彼らの《求める思いこみ》に歪められている。退職後の天下り先や、今後の出世の《見通し》とか、政治家との《繋がり》とか。彼らのところに集まっている情報が、どの程度のものなのかも分からない。が、彼らが思っているほど正確で網羅的ではない、ということだけは断言できる。彼らは、見通しているつもりになっているだけであり、《知った思いこみ》はもっているが、実は《混濁》の中に在る。相対的な情報量の多さは、《見通し》の相対的な正しさ(他の人よりはましな《見通し》)をもたらす可能性があることは否定しないが、実は、相対的な正しささえ疑問である。
  11. 宗教団体の幹部の《視点》と、信者の《視点》とでは異なる。組織の幹部の《視点》と末端の人々の《視点》とでは異なる。
  12. マスコミの幹部の《視点》は、パトロンへの配慮であろう。ジャーナリズムは、権力の監視を行う能力がある、それを理想とする人々もいる。しかし、能力があるということと、それを《求める思いこみ》によって駆動されているということとは別である。
  13. 彼の《視点》は、彼の《ヒトの群れ》での位置に影響されている。《視点》のパラメータを抽出するためには、《ヒトの群れ》の構成図が必要である。

《視点の移動》《視点のパラメータ》

  1. 《視点の移動》は前に使っていたコトバ
  2. 《視点の移動》《視点のパラメータ》が異なる《視点》への移動である。

《個体》の《視点》《群れ》《視点》

  1. 《絶対者公理》における《視点》は《個体》における《視点》である。
  2. 《相対者公理》における《視点》は、おそらく、《群れ》《視点》であろう。
  3. 科学は《モノの群れ》の《視点》であろう。
  4. 《ヒトの個体》《視点》は、体細胞の《群れ》《視点》である。
  5. 会社は、その会社を取り巻く会社と個人の《群れ》の中にあり、《群れ》との関係では《個体》である。
  6. 《群れ》の構成原理から《私》を見るのは、対自的《視点》であり、《視点》の位置は《群れ》の側にある。科学《視点》は、《モノの群れ》の構成原理から《私》を見るモノであるから、科学《視点》は《モノの群れ》の位置にある。
  7. 《私》《群れ》である。体細胞の《群れ》である。《私》《思いこみ》《群れ》である。《私》《繋がり》《群れ》である。《私》《動き》《群れ》である。
  8. 《群れ》としての《視点》、《個体》としての《視点》
  9. 一つのモノ《群れ》であり、《個体》である。モノには、《群れとしてのモノの視点》と、《個体としてのモノの視点》とが在る。モノには《絶対者としての視点》がある。《体内感覚世界》は《群れとしてのモノの視点》である。内部にさまざまなモノを含み、さまざまなモノたちから構成される《群れ》としての《視点》である。
  10. 《ヒトの群れ》にも、《群れとしてのモノの視点》と、《個体としてのモノの視点》と《絶対者としてのモノの視点》とがある。
  11. 《即自的な視点》、《対他的な視点》、《対自的な視点》。《即自的な視点》は《絶対者としてのモノの視点》、《対他的な視点》は《個体としてのモノの視点》、《対自的な視点》は《群れとしてのモノの視点》。か? (ヘーゲル的な分類というのは、凄いかも?)。

即自的《視点》と、対自的《視点》

  1. 鏡を通して自らを認識する《視点》。対自的《視点》では《視点》は鏡の位置にある。

検索

ドメイン》 - [#《ドメイン》への《見通し》は、《視点のパラメータ》への《見通し》である。]

《浄化球》 - [#《暮らし》は、この《身体》《動き》と《関係》とを多次元輪郭空間の中に置くことによって、この《近傍物理空間》の中のモノとして、輪郭化してくる。時間を異にする視点への座標変換のパラメータの座標軸を追加すること。]

《他者の知りつつあるモノ》 - [#《繋がり》における《複素数の時空》の《認識限界》の先にあるモノ。別の《ドメイン》。別の《ドメイン》への《視点の移動》《視点のパラメータ》《視点のパラメータ》の座標軸の追加。多次元輪郭世界《浄化》《視点のパラメータ》の座標軸の無限遠点《浄化球》を置くこと。各《ドメイン》(輪郭世界)を《浄化》すること。]

《複素数の時空》 - [###ここに、因果性とは、ある時間のパラメータを前提にして、「ある時刻における系の状態が与えられた時、それに基づいて、微小時間後の系の状態が導入される」という意味である。相対論における固有時とは、結局、このような意味での因果性を満たすような時間パラメータであるし、相対論的な時空構造そのものも、結局のところ、因果性を満たすような時空構造の構成の仕方を与えているといえる。]

《繋がり》 - [《近傍物理空間》 - [#《暮らし》は、この《身体》《動き》と《関係》とを多次元輪郭空間の中に置くことによって、この《近傍物理空間》の中のモノとして、輪郭化してくる。時間を異にする視点への座標変換のパラメータの座標軸を追加すること。]]

《他者》 - [#《見通し》に関する《同質者公理》の帰結=《他者》《私》とは同質である、《他者》《私》と同様の《見通し》を持っている=への《見通し》《他者》による《見通し》《私》《見通し》として取り込むこと=のためには《他者》による《見通し》の座標系を《私》《見通し》の座標系に変換するためのパラメータの座標軸を、《私》《見通し》の座標系に追加すればよい。《私》《見通し》の輪郭空間の座標軸を倍にして多次元輪郭空間への《見通し》を得ればよい。]

《見通し》 - [#《ドメイン》が異なる世界の事物は、正確に翻訳することができない。か? 多次元輪郭世界コトバがあれば、正確に翻訳することができる。しかし、多次元輪郭空間というのは、複数の《視点》でのみ見ることができる。コトバは一つの《視点》によって定まるモノ《視点》は《ドメイン》によって決まる。鏡による記述は、鏡が置かれている《視点》の《ドメイン》による記述になる。か? 鏡との距離、鏡による屈折の角度、を、記述に加えること。鏡=《視点》のパラメータを記述に加えること。《視点のパラメータ》。]

8次元時空》 - [《見通し》 - [#座標変換に必要なパラメータとは、移動後の原点の位置(移動前の座標系における位置)であろう。2次元座標であれば二つのパラメータ、3次元座標系であれば3個のパラメータということになるので、二次元座標系であれば二つの座標軸を追加した4次元座標系になり、3次元座標系であれば6次元座標系になる。四次元時空であれば8次元座標空間になる。]]

《混濁》 - [#「方程式X(n+1)=a*X(n)*(1-X(n))はコントロールパラメータaを変えていくと、分岐現象を起こす。aが十分小さいときには、安定な不動点が一個現れる。aを徐々に大きくしていくと不動点は不安定化し、2周期解が安定になって出現する。さらにaを大きくすると2周期解は不安定になり、2**2周期解が安定になる。このことが繰り返され、2**∞周期の解が不安定化したとことでカオスが出現する」(p.44『カオス的脳観』)]

《世界アニマ》 - [#「視点」が置かれている位置、の研究。「視点」を特定するパラメータ。]

『正しいコトバ』 - [#科学は、「善悪の判断を変えてしまう《視点》」を科学すべきである。《視点のパラメータ》科学すべきである。存在被拘束性を科学すべきである・・、て・・、そういうメタな知識が手に入っても、具体的な場面での善悪の判断の参考にはならない。]

《近傍物理空間》 - [《近傍物理空間》《視点のパラメータ》《視点の移動》]

《視点の移動》 - [《視点の移動》《視点》の位置を特定するパラメータ、《視点のパラメータ》]

《背後者回路》 - [#「方程式X(n+1)=a*X(n)*(1-X(n))はコントロールパラメータaを変えていくと、分岐現象を起こす。aが十分小さいときには、安定な不動点が一個現れる。aを徐々に大きくしていくと不動点は不安定化し、2周期解が安定になって出現する。さらにaを大きくすると2周期解は不安定になり、2**2周期解が安定になる。このことが繰り返され、2**∞周期の解が不安定化したとことでカオスが出現する」(p.44『カオス的脳観』)]

《入り込み》 - [#多次元輪郭空間。視点の変換パラメータを座標軸とした次元の追加。]

時間 - [#《宇宙史》モノのパラメータの多次元座標上の軌跡として理解することもできる。]

多次元輪郭世界 - [《私》世界に、座標変換のためのパラメータの座標軸(座標変換パラメータ軸)を追加した世界のこと。]

多次元輪郭空間 - [#一次元の世界の単純な座標変換においては必要なパラメータは差し引きべき「a」という値だけである。(縮尺の違いや歪みは無いものとする)。]

ゴミ箱2005-10 - [#荒々しい要素。要素の構成比率が変化する。具体的な魂は複数の要素の複数の座標軸の多次元座標空間上の一点に存在する(多次元パラメータ座標)。荒玉要素xxg、和魂要素yyg、神格要素xxg。]

ゴミ箱2005-07 - [《宇宙史》は、素粒子のパラメータの多次元座標の一本の軌跡で表される。]

ゴミ箱2005-06 - [《カオス・パラメータ》:]

複雑系脳理論・ノート - [パラメータ主義:]

複雑系脳理論 - [カオスの力学はカオスというパラメータを追加した力学である。]

ゴミ箱2005-05 - [「確かめようがないものは、確かめようがない」のである。』(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kaisyaku.html)。パイロット解釈は有望かも。たぶん、天動説なのだ。固定してはいけないパラメータを暗黙のうちに固定しているのだ。]

Last modified:2007/07/10 17:31:15
Keyword(s):
References: