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《視点》

キーワード《視点》

定義

《極座標の原点》《我》もしくは《視点》と呼ぶ。

位置をもった《知りつつあるモノ》《視点》という。

  1. 位置属性を有する《知りつつあるモノ》《視点》と言う。
  2. 《知りつつあるモノ》に位置という属性を付加したモノ《視点》と言う。

区別

左翼の《視点》、右翼の《視点》

  1. 階級対立の《視点》と、民族対立の《視点》、だな。
    1. 上下の対立の《視点》と、《私》と《あなた》の対立の《視点》
    2. 《ヒトの群れ》の構造的な対立の《視点》と、日常感覚での対立の《視点》
  2. 《健常者》《視点》は、《私》が儲かれば良い。(手を結ぶことで)《私》が儲かるなら《あなた》とも手を結ぶ、(弾圧することで)《私》が儲かるなら《あなた》を弾圧する。

《特別者公理》《視点》《相対者公理》《視点》

  1. 現象学 - [たけ(tk)はフッサールのように《知りつつあるモノ》の視点での記述から始めているが、それは《特別者公理》世界であろうと見ている。それに対峙するように《同質者公理》をぶつけて新たな視点を開きたいと思っている。]
  2. 《特別者公理》《視点》は、『私』《内からの視点》である。《絶対者公理》《視点》《孤独相》での《視点》である。
  3. 《相対者公理》《視点》は、『私』《外からの視点》である。《相対者公理》《視点》《群生相》での《視点》である。
  4. 《健常者》《視点》は、『私』の《表面からの視点》なのか?
  5. しかし、なんで《特別者公理》《相対者公理》なのか?

「幽体離脱」と《視点》

  1. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%93%E5%A4%96%E9%9B%A2%E8%84%B1
    1. オルフ・ブランケの研究
    2. 2002年9月19日、雑誌「ネイチャー」にスイスジュネーヴ大学病院およびローザンヌ大学病院の神経科医師オルフ・ブランケによる論文が掲載された。脳の「右角状回」を電気刺激することにより体外離脱体験が起きた、という内容のものである。これにより、体外離脱は脳の機能によるもの、という仮説も脚光をあびた。
  2. われわれの『世界』は身体感覚を脳で再構成した映像なのであるから、再構成の仕方によっては体外からの《視点》での映像を出すことができるのは当たり前だろう。
  3. 《群生相》においては《知りつつあるモノ》《視点》『私』の外にある。《群生相》においては『私』《外からの視点》でしか見ることができない。((というのは、たけ(tk)の異常な人格なのかもしれない。《健常者》はそうではない、のかもしれない))。

《欲求実現手段》『一切』

  1. 《欲求実現手段》『一切』か?
    1. ○:
      1. なぜか、である。
      2. 《世界》は《欲求実現手段の世界》である。
      3. 《知られつつあるモノ》『一切』《欲求実現手段》《視点》モノであると看做すことができる。《思いかさね》が可能である。
      4. 無数に在る「『一切』を構成しうる《視点》」の一つである。
    2. ×:
      1. 《ブッダの「一切」》とは異なる。たけ(tk)『一切』とも異なる。
      2. 『一切』《欲求実現手段》であるというのは、《視点》である。そこでの《欲求》『欲求』欲求は、『結果』とイコールであり、モノの今の《動き》には、《行く末》の『結果』が対応しているから、今のモノ《動き》は『結果』を『目的』とする《動き》である、それゆえ、今のモノ《動き》や存在は、そのモノ自身や、《私》『目的』《欲求》《欲求実現手段》である。という論理である。《行く末》に鏡をおいて《いま》の《モノの世界》を見る《視点》である。
      3. 『一切』を構成しうる《視点》は無数に在る。
      4. 《欲求実現手段》《求める思いこみ》からの《視点》である。

《求める思いこみ》《視点》《知った思いこみ》《視点》

  1. 左の鼻が通っている時には情動脳。《求める思いこみ》《視点》
  2. 右の鼻が通っている時には直知脳。《知った思いこみ》《視点》

《アニマ》《視点》と《自然法則》の《視点》

  1. 《ヘラクレイトスの「ロゴス」》が《自然法則》の《視点》の原点。
  2. 《アニマ》《視点》『意味』のある《視点》である。《自然法則》の《視点》『意味』のない《視点》である。

定見と《視点》

  1. 《視点の移動》では『定見』は得られない。
  2. 『定見』は必要なのか? ○:文章を書く場合には必要である。×:固定的な《視点》、硬直した《視点》である。

『永遠』の《視点》と『無常』の《視点》

  1. 《私》のソフトは永遠だと思えば、改良の元気がでてくる。《私》のソフトには寿命があると思えば、元気が無くなる。
  2. 『永遠だ』と思うというのは、時間のない《思いこみの世界》入り込むということ。
  3. 《思いこみの世界》における時間とは、《思いこみ》の追加・蓄積によって形成される時間である。

ヒトという《生きモノ》からの《視点》

  1. 《私》は蜜蜂という生きモノからの《視点》を共有しているわけではない。
  2. 《私》はアインシュタインというヒトからの《視点》を共有しているわけではない。
  3. しかし、《私》は、ヒトという《生きモノ》からの《視点》を共有していると信じている。何故だろうか?

《視点》科学

  1. 《視点》科学の対象にはなりえない。
  2. 科学《視点》に支配されているにもかかわらず、科学は自らの《視点》を知ることができない。
  3. 《視点》は、《体内感覚世界》に属することがらであり、物体によって測定することができない《世界》にあるモノである。
  4. ロボットからの《視点》、カメラからの《視点》は、科学の対象になり得る。《他者》からの《視点》科学の対象になり得る。
  5. 科学が、自らの《視点》、《科学の視点》を科学の対象にしないのは、単なるタブーである。科学が、他の科学者の《視点》を、科学の対象にするのは可能である。可能なことを行わないのは、単なるタブーの故である。
  6. 認知心理学。

《視点》《極座標の原点》

  1. 同じモノ。? ○:。×:。
  2. 《視点》《視点のパラメータ》のパラメータ空間に配置すべきである。
  3. 《内からの視点》《外からの視点》というパラメータ軸。

ヒトの視点》と《科学の視点》

  1. 問題発言「地震は歴史的な実験」、原発技術委の座長が辞任 = 読売新聞 http://www.asyura2.com/07/genpatu4/msg/319.html 投稿者 ダイナモ 日時 2007 年 8 月 03 日 21:53:38: mY9T/8MdR98ug
  2. 何ら間違いではない。が・・。
  3. 慰めを求める《サル山のサル》の逆鱗に触れた。
  4. 貴重な教訓として活かしていきたい、くらいの表現にすべきだったのだろう。
  5. 「実験」というコトバの意味の受け取り方が異なる。実験動物にされた、というようなとらえ方もある。科学的な《視点》では、ヒト《視点》が欠けてしまう。ヒト《視点》を捨象したのが《科学の視点》だ。《科学の視点》では、ヒト《視点》を捨象するのが『よい』ことである。が、ヒトの視点からみれば、《科学の視点》は『わるい』のである。
  6. ヒトの視点》てなによ? 慰めを求めるのが《ヒトの視点》なのか?
  7. mixiをみれば、《ヒトの視点》であふれているよ。
  8. ヒトの視点》は《内からの視点》である。《科学の視点》は《外からの視点》である。

《作り手の視点》と《使い手の視点》

  1. 《モノ作り》《視点》には、イデア的な《視点》と、《アニマ》的な《視点》とがある。《イデア的なモノ作りの視点》と《アニマ的なモノ作りの視点》。モノの魂を感じて、モノの魂との《感じ合い》のなかでモノを作る《視点》目的→実装という《視点》
  2. 《モノ作り》《視点》と《モノ使い》の《視点》、《モノ作りの視点》と《モノ使いの視点》
  3. 女性はヒトというモノを作る《視点》、男性はヒトというモノを使う《視点》
  4. 国家というモノを使う《視点》、国家というモノを作る《視点》。《作る視点》と《使う視点》。作るためには何らかの道具を使う。
  5. モノを挟んで正反対。
  6. 《作り手の視点》。部品が重要。製品は部品を組み立てただけのモノモノを中心に考える。モノの《中からの視点》。
  7. 《使い手の視点》。部品はどうでもよい。中身はどうでもよい。製品の機能が重要。自分の生活にとっての製品の意味が重要。欲しいものが出てくるかどうかだけが問題。ヒトを中心に考える。モノ《外からの視点》
  8. ドメイン
  9. 的確な名前とは、
    1. 《作り手の視点》では製造に必要なそのモノの位置を正確に表わす名前が的確な名前である。
    2. 《使い手の視点》では使い手の主観世界にとっての意味体系にマッチする名前、目的を効率的に達成する簡単な名前が的確な名前である。
  10. 《使い手の視点》では画面・印刷等の出力がすべてである。
  11. 《作り手の視点》では、使い手をオブジェクトの一つとして、横から見る。『ユーザ⇔インターフェース⇔内部オブジェクト⇔・・』。
  12. 《作り手=使い手の視点》では、画面出力の向うに《プログラミング・オブジェクト》を見通す。使い手の『欲しい』から出発して、それを実現する仕組みの幻を見通していくこと。使い手の『欲しい』をコトバにすること。言語化すること。要求リストに記載すること。
  13. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%81%E6%B1%82%E5%88%86%E6%9E%90
    1. 要求分析(ようきゅうぶんせき、Requirements Analysis)とは、システム工学やソフトウェア工学において新たなシステムやシステム更新に際しての調査/定義に関わる工程を指す。要求分析はシステム設計工程でも重要な部分であり、アナリストやシステムエンジニア/ソフトウェア開発者が顧客の必要性や要求を特定する工程である。顧客の要求が特定されたら、システム設計者がその解決策を設計することになる。
  14. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%81%E6%B1%82%E5%88%86%E6%9E%90
    1. Steve McConnell はその著書 Rapid Development の中で、ユーザーが要求を集める作業を妨げる可能性を以下のように示した:
      1. * ユーザーは自らが何を欲しているか理解していないことがある。
      2. * ユーザーは要求仕様書に関わりたがらないことがある。
      3. * ユーザーは既にスケジュールと費用が確定した状態で新たな要求を出してくる。
      4. * ユーザーとの対話には時間がかかる。
      5. * ユーザーはレビューに参加したがらないか、参加できないことがある。
      6. * ユーザーは技術に疎い。
      7. * ユーザーは開発工程を理解しない。
    2. このような要因によって要求仕様は開発が開始されてからも変更され続けることになる。
  15. 《使い手の視点》では、目の前のモノがすべてである。彼は彼の別の目的⇔幻をもっているが、その手段たる道具作りは彼の目的でも幻でもない。使い手に《作り手の視点》を求めるのはナンセンスである。
  16. ドメイン問題。
  17. 作り手が、《使い手の視点》に立つこと。《使い手の視点》に鏡を置いて、それを通じて見通すこと。

或る《視点》(たとえば、イスラエルのほうが正しい、権力は善意であるといった《視点》)からみると、事象がワケのわからない不可解なモノであり。理解を断念せざるをえない。が、反対の《視点》からみると、事象がスムーズに必然的な流れとして目の前に開けてくるとき、・・・・。

《中からの視点》と《外からの視点》、《内部からの視点》と《外部からの視点》、《モノからの視点》と《モノへの視点》

  1. 内部仕様は、内部のオブジェクトとのインターフェースの仕様。
  2. 外部仕様は、外部のオブジェクトとのインターフェースの仕様。
  3. 永遠の今は、四次元時空の《中からの視点》
  4. 時間を語る《視点》は、四次元時空の《外からの視点》
  5. 主観は、モノの《中からの視点》。《モノの中からの世界への視点》
  6. 客観は、モノ《外からの視点》。《モノの外からのモノへの視点》
  7. 極座標は《中からの視点》
  8. 直交座標は《外からの視点》
  9. モノからの視点》と、《モノへの視点》
  10. モノからのモノへの視点》。《モノへのモノからの視点》。ヘカシ。
  11. 《息しつつあるモノ》への《息しつつあるモノ》からの《視点》>。イシモ・ヘカシ。四次元時空への永遠の今からの《視点》
  12. 《プログラミング・オブジェクト》への《視点》(外部仕様)と《プログラミング・オブジェクト》からの《視点》(内部仕様)。「《プログラミング・オブジェクト》への《プログラミング・オブジェクト》からの《視点》」は? 内部仕様からの、近傍のオブジェクトからの、自オブジェクトへの《視点》への《視点》。たとえばUIにおいて、内部仕様から見たユーザというのは何か? 内部仕様においてはユーザなんぞ見えていない。ユーザからの入力と、ユーザへの出力があるだけだ。ユーザからの入力の先にあるユーザの《視点》は? ユーザへの出力の先にあるユーザの《視点》は?

永遠の今《視点》

    1. 永遠の今=四次元時空からの《視点》。中からの《視点》
    2. 始めと終わりののある《動き》=四次元時空への《視点》。外からの《視点》
  1. 時間公理

《視点》のぶれ」と《複眼的視点》

  1. 《視点》のぶれ」を避けることは文章を書く時の留意すべき点である。

《視点》モノ《思いこみ》

  1. 《視点》モノか? モノ《指し示す思いこみ》か?
  2. 《視点》《思いこみ》か? 《描かれつつある思いこみ》か?
  3. 《視点》には、
    1. 《描かれつつある思いこみ》の中からの《視点》と、
    2. 《思いこみ》を捨てた状態での《視点》とが在る。
    3. 《思いこみの世界》への《視点》
    4. 《モノの世界》への《視点》とがある。
  4. 多次元輪郭空間》への《視点》は、《モノの世界》への《視点》か、《思いこみの世界》への《視点》か?

パブロフのブッダ

  1. パブロフの犬が心理学であり得るのは、その記述で我々の内なる視点から再構成して、我々の心の作用の中に、それと同じモノがあることに気がつくからである。
  2. とするなら、我々は、ブッダの心理を、パブロフの《視点》から記述すべきである。
  3. パブロフの《視点》というのは、心理学の《視点》、ということになるだろう。
  4. 心理学の《視点》は、実験者の《視点》である。ブッダの心理を実験によって検証するのは、・・どうかな?

オオヤケの《視点》と、ワタクシの《視点》《おおやけ》と《わたくし》

  1. 《群れ》との関係、《群れ》の規範との関係。《群れ》の意志との関係。
  2. 《群れ》のxxに従う《視点》と、《群れ》のxxを形成する《視点》
  3. オオヤケの《視点》は、《群れ》自体の《視点》や意思とは異なる。あくまでも、擬制的に《群れ》を代表するつもりという《思いこみ》を持った、《群れの中の個体》《思いこみ》《視点》である。その《思いこみ》の中に入り込んだときに、その《視点》が生まれる。《視点》《入り込み》
  4. 『オオヤケ』が《思いこみ》であるなら、『ワタクシ』も《思いこみ》ではないのか? 『《群れ》に対して受動的な存在である』という《思いこみ》が『ワタクシ』の《思いこみ》である。ボス猿《視点》と、追従ザル《視点》ハグレ猿《視点》は? ハグレ猿《思いこみ》は?
  5. 『おおやけ』《視点》と、『わたくし』の《視点》か? 《視点》《思いこみ》か? 《思いこみ》の中に入ったときに《視点》が生じる? 《思いこみ》を捨てたときには、《近傍物理空間》《モノの世界》アレーテイアへの《視点》が生じる。

《視点》と《感点》

  1. 《視点》の裏側を《感点》と呼ぶ。
  2. 外部への《視点》と、内部への《感点》。

今・ここ》の《視点》と、《持続する時間の・ここ》の《視点》

  1. 《持続する時間の・ここ》の《視点》はあり得るか?
  2. 《視点》は『同一性』をもって、時間的に持続性をもって、継続し得るのか?
  3. 今・ここ》の《視点》は、時間的に持続している。問題は、途切れてしまうこと。孤独相から群生相に移行するとき、その逆の移行のときには、記憶さえ失ってしまうこと。
  4. 《今・ここの・このモノ》から《混濁しつつあるモノ》に移行し、《混濁しつつあるモノ》から《肉の塊》に移行すると、《肉の塊》は、孤独相においても群生相においても持続的に在り続けるモノであることを発見する。《肉の塊》への《視点》時間的に持続する《視点》である。

コトバ《視点》

  1. コトバ《視点》依存的である。
  2. 論理が成り立つのは、同じとき、同じ場所、同じ《視点》からの記述のコトバにおいてのみである。
  3. 記述に《視点》を書き込むこと。「xxの《視点》からみるとxxである」。
  4. 「生産性」というコトバは、《視点》によって異なった評価になる。目的によって異なった評価になる。《視点》『目的』とは似ている。『目的』が異なるというのは《視点》が異なるということ。「目的」って目の的なのね・・。『目的』《視点》との関係は?

《視点》と異名同体のファイル群

    1. logitec-23という名前の外づけHDをEDiCube-01という名前のlinuxマシンに接続した。それをEDiCube-02という別の名前のlinuxマシンからも使いたい。とりあえず、EDiCube-02のデータのバックアップをそこにコピーする、という用途で使いたい、ので・・。
      1. EDiCube-01:/mnt/LHD_USB_Device-sda1/backup_of/EDiCube-02/logitec-23.id ・・ murasakiが接続したときに勝手に付けた名前。
      2. EDiCube-01:/mnt/logitec-23/backup_of/EDiCube-02/logitec-23.id ・・公開用の別名(ln)。
      3. Edicube-02:/mnt/logitec-23/backup_of/EDiCube-02/logitec-23.id ・・mountした名前。
      4. EDiCube-02:/mnt/backup_to/logitec-23/logitec-23.id ・・バックアップ用途で使うときの名前(ln)。
    2. なんで、こんなに複雑にするのか? 異名同体のファイル群というのは問題ではないか?
    3. それぞれ、意味が違う。接続するモノ、接続する方法が違う。《視点》が違う。
    4. 《視点》が違うと別の名前になる。
    5. 意味的な《視点》の違い。
      1. logitec-23にバックアップしたければここにどうぞ、という意味。
      2. logitecにマウントした/リンクしたディレクトリだよ、という意味。
      3. murasakiが勝手に接続したときの名前=murasakiにとっての意味。
    6. モノ的な《視点》の違い:
      1. EDiCube-01からの《視点》
      2. EDiCube-02からの《視点》
  1. 本当に「同体」なのか? 或る名前のファイルに書き込んだとき、別の名前のファイルを観察していると、ちょっとだけ、時間がずれて反応する。実は、コピーなのだ。「書き換わったよ」という通知がいかなければ、調べにいかない。電線を通して送ってきたデータを表示しているのだから、それ自体コピーなのだ。コピーなのに、あたかも、「同一のファイルです」という顔をしているだけなのだ。我々の「認識」だって同じことだ。感覚情報を取得して再構成して、「これがモノでございます」という顔をしているだけなのだ。まあ、それは、いいや。
  2. 問題は名前が違うということだ。もちろん、ここでは最後の名前は「logitec-23.id」なので、「同じ名前」と言えないこともない。(しかし ln で別名定義をすれば、その部分も「別の名前」のファイルになりうる)。しかし、これだけで「同じ名前」だとすると、実は「同じ名前の別の実体のファイル」があったりする。同名異体のファイルの問題ということになる。正確にホスト名と絶対パスで表わせば「別の名前」なのだ。
  3. 《視点》が違えば、同じモノが別の名前を持つのが自然である。見る主体が異なれば「モノAが言うところのxx」と「モノBが言うところのxx」というように、正確には別の名前ということになる。たとえ、それが同じモノ《X》を指し示していたとしても。
  4. uriというのは、世界で一つだけの共通の名前、であると言われている。しかし、それでは使いにくくてしょうがない。
  5. uriが指し示しているモノ、は時間とともに、中身が変化したりする。同じモノを指し示しているのか?
  6. まあ、どうでもよい、名前はモノを指し示す、というだけの話だ。アリストテレスの言う実在の被指示性離存性
  7. 名前がモノを指し示す。この関係を決めるものは何だろう? コトバ《思いこみ》の伝達能力を持つためには、《群れの中の個体》が共通に其の関係を知っていなければならない。相手が「X」というコトバを語ったときに、「かれは「X」というコトバで《X》というモノを指し示したいに違いない」と感じる。相手の発したコトバから、彼が意図しているであろうコトバモノとの指示関係を感じる能力。推論ではない、感覚だ。指示感覚。推知感覚。
  8. ロボットの言語推知能力のシミュレーションがあったな。http://www.bdc.brain.riken.go.jp/~tani/Japanese/springer05.pdf 。しかしなあ・・。もちろんシミュレーション可能だろうよ。脳科学は仕組みを解明するだろうよ。しかしなあ・・。それが分かって何になる? 他人を操る技術は進化するかもしれない。あーー・・。我々は「物理的身体をもつ自律ロボット」とどう違うのか? それに欲求回路と自己言及回路を加えれば、ブッダだってシミュレートできてしまうだろう。それが分かったとして、だからなんだ。それが分かったら、人類が賢くなるといえるのか? 愚かな戦争をやめるようになるとでも言うのか? その手の知識は、人類の賢さには何ら貢献しないタイプの知識なのだ。むしろ、その手の知識は、人類の愚かさに利用され、愚かさの力をますための手段として使われるだろう。

相手の《視点》と神の《視点》

  1. ユーザの《視点》と理論の《視点》

《視点》《動き》

  1. 《視点》《動き》の手段である。《視点》《動き》道具である。
  2. 或る《視点》は、或る特定の《動き》に対応して形成される。裁判官の《視点》、弁護士の《視点》、当事者の《視点》。検察官の《視点》、被告人の《視点》、被害者の《視点》、裁判官の《視点》、弁護人の《視点》。((法律家はさまざまな《視点》から物事を考える訓練を受ける。法律家の《視点》))。
  3. 判決書製造マシンの《視点》

《視点》《身体》

  1. 《視点》《身体》内部の出来事である。

《視点》モノ

  1. モノに内在する《視点》」はモノの属性か?
  2. 極座標モデル
  3. 『思想と動くもの』(ベルグソン、岩波文庫、青、645-4)の『哲学的直観』
    1. こうして、意識が自分自身の奥底を探るに従って、物質や事象一般の内部にいっそう深く入るのでしょうか。もしも意識が物質の上に属性として付け加えられたものだとすればそういう事実を認めることもできましょうが、そういう仮説は・・虚偽であり、自分自身を矛盾しもしくは事実と矛盾する・・。p.192
  4. 《視点》の違いはモノの属性ではない、ということ。
  5. これは無限分割のパラドックスだろう。
  6. 直観《視点》が、視線の距離を無限に小さくしていっても、《視点》に到達することはできないということ。

《視点》《視点のパラメータ》

  1. さまざまな《視点》に関しては、《視点のパラメータ》に書くこと。

検索

《知られつつある私》 - [《相対者公理》 - [#ただし、《群れ》《視点》は、《群れ》に鏡を置いた鏡像であり、《思いこみ》であり、絶対者としての《私》が鏡を通して見通しモノである。《私》《群れ》《視点》においては、相対者であるということは、それを見通しつつある《私》が相対者である、ということではない。鏡像において《知られつつある私》が相対者である、ということである。]]

《相対者公理》 - [《相対者公理》《群れ》《視点》]

《繋がり》 - [《疑いつつあるモノ》 - [#科学や数学という「正しいコトバ」と《浄化球》《モノの世界》を比較的正確に記述しているコトバ《モノの世界》を《神の視点》から記述するコトバヒトは、物質に対しては、《神の視点》から物質を見おろすことができる。《神の視点》とは《特別者公理》の視点である。客体である物質は、《私》とは何の繋がりも無い、《私》とは質的に異なるモノなので、《私》は、全く冷静に、客観的に、物質を観察することができる。]]

《知りつつあるモノ》 - [#知るという作用の終点に置かれたモノは、知るという作用の視点ではありえない。]

キーワード - [## 《視点の移動》]

《ヒトの群れの健康》 - [###また環境問題のコンフリクトに関しては、個人的利益の追求が集合的不利益を発生させるという視点から、「社会的ジレンマ」としてとらえられる。社会的ジレンマに関する研究は数理社会学者を中心に研究が進められている。]

《私》 - [#《私》の中に《知りつつあるモノ》があり、《知りつつあるモノ》によって《知られつつある世界》の中に《私》がある、というのは矛盾である。視点の移動がある。相互包含関係。]

《浄化球》 - [#《浄化球》の視点で、《たけ(tk)の思いこみ》の最初に発見した《混濁》を見るなら、それは《混濁しつつあるモノ》であり、《混濁》入り込みつつある《知りつつあるモノ》となる。か?]

《視点のパラメータ》 - [タイトルに一致 視点]

ドメイン》 - [#《ドメイン》への《見通し》は、《視点のパラメータ》への《見通し》である。]

ユートピア』 - [#《ヒトの群れの健康》という視点からは、合理的だ。身体の中で栄養不足で死滅する部分が出るのは不健康というべきだ。身体の中で栄養過多の部分が出るのは不健康だ、うっ血状態だ。身体の中で循環(血液、栄養、酸素、神経)から外れる部分が出るのは不健康だ。心臓は強制的に血液を全身にまわらせる。]

《怯えつつあるモノ》 - [##つまり、タブーという文化的装置によって共同体の秩序を崩す行動を差し止めるはたらきというのは、社会(共同体)を守る機能である。外的な脅威に対してというよりは、その社会そのものが自壊してしまう危険から。だからこそタブーの働きは何者かの意思によるのではなく「自動的」でなければならないのだと、観察者の目は分析する。その視点に立つとき、いかなる事象がタブーの対象とされているかを静謐に分析することは、その社会を理解するための非常に重要な点となる。避けられているものこそが、その社会の秩序の根幹に係わっているからである。]

《他者の知りつつあるモノ》 - [#《繋がり》における《複素数の時空》の《認識限界》の先にあるモノ。別の《ドメイン》。別の《ドメイン》への《視点の移動》《視点のパラメータ》《視点のパラメータ》の座標軸の追加。多次元輪郭世界《浄化》《視点のパラメータ》の座標軸の無限遠点《浄化球》を置くこと。各《ドメイン》(輪郭世界)を《浄化》すること。]

梵我一如と《めまい》 - [《特別者公理》の説明には「《知りつつあるモノ》《身体》の内部的作用である」という視点がない。《特別者公理》の体現者としての《知りつつあるモノ》は、自らが「《身体》の内部作用である」ということを知ることができないのである。 ]

《他者の群れ》 - [#たけ(tk)は、「誰が言ったかには無関心である(内容の真実性にのみ関心がある)」と常々言っているのだが、この《視点》では、《ヒトの思いこみの群れの世界》への《見通し》はできない。]

《アニマ》 - [#『ヒトの魂』という《思いこみ》があって、『ヒトの魂に似たモノ』を捜す、という視点で「アニマ」を定義する。]

《ヒトの群れ》 - [#システムの包含関係は視点によって異なる。複数あり得る。]

《思いこみ》 - [#モノの輪郭は、モノに内在する《思いこみ》か? モノの輪郭は、モノに内在する《思いこみ》噴出の結果である、モノの輪郭はモノ《アニマ》噴出の結果である。モノの輪郭は、見方によっては、一つのモノモノとは別のモノ)である。モノは、見方によって分解された複数のモノになる。視点の移動。モノは、視点によっては、輪郭と質感に分解可能である。]

《知った思いこみ》 - [#複眼的視点は、多次元輪郭空間によって一つの輪郭を形成する。]

コトバ - [#『本質』は《思いこみ》である。或るモノの『本質』は、そのモノ自体である。そのモノにたいする様々な視点から見た様々な輪郭を統合して、多次元輪郭空間の中で浮かび上がってきた多次元の輪郭の先にあるモノ、という《思いこみ》が『本質』である。単一の視点から見た『本質』でもよい。このハサミの本質は、『モノを切る道具』てもよいし、単価xx円で原価xx円一ヶ月の平均販売数量がxx個の商品という『本質』でもよい。その『本質』の《思いこみ》の先にあるモノが『本質』だ、という理解の上で使うなら、その《思いこみ》が「モノの『本質』」である。或る視点もしくは複合的な視点から見て、或るモノを指し示す《思いこみ》の先にあるモノ《思いこみ》が『本質』である。]

モノ - [#どんな《視点》から見ても同一の『種類』というモノはあるか? 《視点》によってはそのモノ自体が見えなくなることがある。]

《見通し》 - [#《ドメイン》が異なる世界の事物は、正確に翻訳することができない。か? 多次元輪郭世界コトバがあれば、正確に翻訳することができる。しかし、多次元輪郭空間というのは、複数の《視点》でのみ見ることができる。コトバは一つの《視点》によって定まるモノ《視点》は《ドメイン》によって決まる。鏡による記述は、鏡が置かれている《視点》の《ドメイン》による記述になる。か? 鏡との距離、鏡による屈折の角度、を、記述に加えること。鏡=《視点》のパラメータを記述に加えること。《視点のパラメータ》。]

『なすべきこと』 - [#たけ(tk)は、「誰が言ったかには無関心である(内容の真実性にのみ関心がある)」と常々言っているのだが、この《視点》では、《ヒトの思いこみの群れの世界》への《見通し》はできない。]

科学 - [#「評価 推測が確実な説明であると確信が示せるまで、観測結果に対する可能性ある別の説明を探すこと」。別の説明方法は可能である。「モノは知ることを必要とせずに外部からの力で動かされる」という説明方法。しかし、このデカルト的説明方法はもう一つの、説明方法である。どちらでも説明できるなら、デカルト的説明方法が正しい、ということにはならない。どちらかというと、「知る」というコトバの定義、適用範囲の問題である。違うのは超越的な《神の視点》で記述するか、《共感的な視点》で記述するかの違い。《特別者公理》で記述するか、《同質者公理》で記述するかの違い。]

《特別者公理》 - [《神の視点》と《特別者公理》]

《ヒトのアニマ》 - [《特別者公理》 - [#《神の視点》はヒト《アニマ》である。]]

《今・ここの・このモノ》 - [#《今・ここの・このモノ》《視点》《知りつつあるモノ》《視点》とでは異なる。]

《今・ここの・このヒト》 - [#《今・ここの・このヒト》《視点》《同質者公理》《視点》である。《今・ここの・このモノ》《視点》《特別者公理》《視点》である。]

《混濁》 - [#噴出公理:存在や動きをそのものの《背後者》からの噴出として捉える視点。]

《世界アニマ》 - [#多次元輪郭空間。「xxの視点から見たxx」という言い方。]

『正しいコトバ』 - [#『良い』『悪い』は、科学的に検証可能な事象ではない。《視点》によって判断が変わるからである。科学《視点》によって判断が変わる事象を扱わない。「《視点》によって判断が変わる事象」は「検証可能な事象」ではない。]

《近傍物理空間》 - [《近傍物理空間》《視点のパラメータ》《視点の移動》]

《モノと思いこみの世界》 - [《モノと思いこみの世界》《知りつつあるモノ》《視点》]

《視点の移動》 - [タイトルに一致 視点]

ゴミ箱2006-01 - [##《彼ら》の持つ至高の武器は“お金”。無から作り出す“お金”によって、あらゆるものを所有し、支配してきましてた。国家という枠組みを超越した存在である“お金”を武器に、国政や企業、メディア、教育等、あらゆるものを操る国際金融資本家の視点から見れば、国家間や民族間、宗教間、資本主義と共産主義、そしてテロとの争いなど、すべて“茶番劇”にみえてしまいます。]

《モノの思いこみ》 - [コトバ - [#『本質』は《思いこみ》である。或るモノの『本質』は、そのモノ自体である。そのモノにたいする様々な視点から見た様々な輪郭を統合して、多次元輪郭空間の中で浮かび上がってきた多次元の輪郭の先にあるモノ、という《思いこみ》が『本質』である。単一の視点から見た『本質』でもよい。このハサミの本質は、『モノを切る道具』てもよいし、単価xx円で原価xx円一ヶ月の平均販売数量がxx個の商品という『本質』でもよい。その『本質』の《思いこみ》の先にあるモノが『本質』だ、という理解の上で使うなら、その《思いこみ》が「モノの『本質』」である。或る視点もしくは複合的な視点から見て、或るモノを指し示す《思いこみ》の先にあるモノ《思いこみ》が『本質』である。]]

《入り込み》 - [#或る《思いこみ》への《入り込み》によって世界を認識した後に、その《思いこみ》から離れると、その《入り込み》による世界認識は色あせる。しかし、それをその《思いこみ》の《思いこみの世界の鏡像》として捉えなおせば、《私》世界の中に取り込むことができる。《私》はその《思いこみ》への《見通し》を持ち、その《思いこみ》の《思いこみの世界の鏡像》を通じて、その《思いこみ》の視点からの世界への《見通し》を持つことができ、《私》《見通し》の中に《思いこみの世界の鏡像》への《見通し》を組み込むことができる。]

《疑いつつあるモノ》 - [#科学や数学という「正しいコトバ」と《浄化球》《モノの世界》を比較的正確に記述しているコトバ《モノの世界》を《神の視点》から記述するコトバヒトは、物質に対しては、《神の視点》から物質を見おろすことができる。《神の視点》とは《特別者公理》の視点である。客体である物質は、《私》とは何の繋がりも無い、《私》とは質的に異なるモノなので、《私》は、全く冷静に、客観的に、物質を観察することができる。]

ゴミ箱2005-12 - [##時に私は彼岸からの視点に立つことがありますが、決まって視界に入った人たちにたいして何も働き掛けることができない自分を見出します。]

《絶対者公理》 - [《絶対者公理》世界の視点依存性]

《重ね合わせ》 - [#視点の方が千差万別。]

時間 - [#「ブッシュ氏」というコトバは、一つのモノを指し示しているのか? 同一のモノも、時間が異なれば別のモノではないか? 「ブッシュ氏」というコトバは、様々な時間の、様々な視点から見た、たくさんのブッシュ氏というモノの集合ではないのか?] テレビ - [#愚かな人びとを説得すべきなのか? 愚かな人びとは説得されると、愚かに理解する。すなわち、視点が移動するだけで、その前の視点を忘れてしまう。否、視点さえ持たない。説得された内容を鸚鵡返しで反復することはできるが、自ら考えることはできない。命令者の命令を待つだけである。説得される、というのは、説得者を新たな命令者として認識するようになり、その命令を待つ状態になる、ということである。権威主義的性格。追従ザルボス猿主義。]

《透明化》 - [#移動による《透明化》:複眼の代わりに移動しても良い。《視点の移動》による《透明化》。]

多次元輪郭世界 - [《視点の移動》多次元輪郭世界]

《ヒトの個体》 - [#《私》は絶対的認識者であるが、《同質者公理》によれば、《他者》もまた《他者》にとって絶対的認識者である。《ヒトの個体》はその個体にとって絶対的認識者である。《私》は無条件の絶対的認識者であるのではなく、「《私》にとって絶対的認識者である」、《私》という視点から見て絶対的認識者である。相対的絶対者。《同質者公理》によれば、《私》は相対的絶対者である。座標系の原点と同様の相対的絶対者である。]

多次元輪郭空間 - [#モノを各種の理論的な分析の視点で見れば、異なった輪郭が浮かび上がる。それらの異なった輪郭を統合した輪郭への《見通し》を得るためには、多次元の輪郭空間の中でそのモノの輪郭を再構成すればよいということになる。]

主観的価値絶対主義と客観的価値相対主義と・・ - [デカルトの「cogito, ergo sum.」を上記の視点から再構成すれば、ロゴスによるロゴスのアポリアを組み込んだ世界認識が構成可能かもしれない。]

タブー - [#つまり、タブーという文化的装置によって共同体の秩序を崩す行動を差し止めるはたらきというのは、社会(共同体)を守る機能である。外的な脅威に対してというよりは、その社会そのものが自壊してしまう危険から。だからこそタブーの働きは何者かの意思によるのではなく「自動的」でなければならないのだと、観察者の目は分析する。その視点に立つとき、いかなる事象がタブーの対象とされているかを静謐に分析することは、その社会を理解するための非常に重要な点となる。避けられているものこそが、その社会の秩序の根幹に係わっているからである。]

《同質者公理》 - [#しかしいずれにしても、コトバによる説明方法の問題である。モノコトバで説明するためには視点を設定する必要がある。視点が異なればコトバも変わる。それが、公理主義多次元輪郭空間が必要。神の視点からみれば《私》は相対的だが、《私》からみれば《私》は絶対的である。神の視点であれ、《私》の視点であれ、《私》《他者》になることはできない。]

公理 - [#四次元公理。過去現在未来は一体のモノである。視点が異なるだけ。四次元チューブ。]

ゴミ箱2005-11 - [#孫子であっても、戦争が政治目的の手段であることは同じだ。政治は戦争の一環である、というのは政治も戦争もどちらも、政治目的のための手段だから同じだ、ということ。政治を軍事的視点で見る、ということは政治を政治の目的と手段の視点で見るということだ。]

おまけ - [# ゲーデル以後の公理主義と《視点の移動》 ・・・・・・ 2005/02/20] ゴミ箱2005-10 - [#「私の経済政策に関わる投稿は、国会や政府を「いかに有効活用しようか?」という視点で書いたものです。」]

ゴミ箱2005-09 - [###ホロコースト特有の宗教的・歴史的な意味は、私は拒絶します。私にとってそれは、あの戦争についてもっと平等な視点を持つ他の議論と並び立ちうる一つの思想を構築することなのです。]

ゴミ箱2005-08 - [##目標追求システム表現::入出力システムの内部の代表的な表現として、意思決定者をシステム内部に想定することにより、与えられた入力に対して、ある出力が出る理由を「意思決定の視点」から説明する。]

包含システム - [#システムの輪郭は視点によって異なる。]

ゴミ箱2005-07 - [##[心的システムの作動の高次化によって作り出された観察者]からの視点で構成された「見かけ上の区別」について指している言ってよいと思います。・・一方、ヴァレラらが表象主義を問題としているのは、認知科学における表象主義がそういう]

《混濁》への見通し - [##視点(始点)は同じで、ルールが違う。射影幾何ルールと位相幾何のルールルールが違う世界の接点において両方の世界《知りつつあるモノ》。]

ゴミ箱2005-06 - [#神の視点を歴史と言い換えて復活させた? そうだろうね、キリスト教徒だもの。(p.145)。実存主義はいかに生きるかを追求して、いかに生きるかを破壊した。実存の背後にあるモノの存在を承認しない限り、実存からいかに生きるかは見えてこない。実存は無原因ではない。]

民主主義は理想の制度ではない - [民主主義に関しては、国家という権力組織の最終決定権(国民主権で言う所の「主権」)を誰が持つべきなのか、という視点が根本的だろう。]

クオリア - [「いま・ここの《我》」の視点からみて「脳科学的成果としての《我》」は、次のようないくつかの捉え方がありそうです。 ]

《他者》への見通し - [《共振しつつある身体》は、《知りつつあるモノ》の背後の世界の身体的な《認識限界》にある。しかし、その視点からでは、《共振しつつある身体》《思いこみ》を生じさせている様子は見えない。また、なにより、《知りつつあるモノ》《他者》の出現によって撹乱され、視点が定まらない状態になってしまうのである。《他者》が出現すると、《知りつつあるモノ》《他者》から《他者の思いこみ》を受け取ることに専念してしまうように思われる。]

《思いこみの個体間循環》 - [#個体間循環は個体と個体との間を《思いこみ》というモノ循環するという客観的な視点。客体の間での循環]

ゴミ箱2005-02 - [イデア実在論とイデア唯名論に変わる新たな視点という意味。]

ゴミ箱2005-05 - [サリーとアンの実験。(http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/jihei.html)。彼らは「神の視点」で物語を理解する。と言うべきだろう。] 《息しつつあるモノ》による再構成 - [そこで、もう少し安定的な視点で今までの知見を再構成しておくことにする。]

ゴミ箱2005-03 - [「統覚」(p.211)「他我の統覚」(p.212):ここでの「統覚」はたけ(tk)《同質者公理》に近い意味で使われている。「統覚によって、《他者》《私》と同じ性質であると感じつことができる」という説明の仕方。たけ(tk)の説明なら「《同質者公理》《思いこみ》によって、《他者》《私》と同じ性質であると感じつことができる」という説明の仕方。公理系のジャンプ(視点の移動)がある。まあ、《群れの中のコトバ》=『知識』への前書きとしてはよいだろう。]

六境 - [それぞれの感覚器官ごとに違う世界が広がっている、という視点がポイント。器官ごとに純粋に感じていけば違う世界であることがわかる。それぞれの世界ごとに《認識限界》がある。]

《他者のコトバ》への見通し - [《他者のコトバ》の視点で《共振しつつある世界》の要素を分類すると、モノヒトの身体とメディアに分類される。]

《同質者公理》による再構成 - [!! 《同質者公理》という視点:]

ゲーデル以後の公理主義と《視点の移動》 - [タイトルに一致 視点]

私は誰なのか?・・《群有思いこみ》としての『私』 - [演じられつつある虚構としての『私』の視点からみれば、『私』世界もまた虚構ということになるでしょう。『私』世界は《舞台》という虚構の世界だからです。]