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《在る》

キーワード《在る》

定義

区別

《息しつつあるモノ》の次に「確実に《在る》という実感を有するモノ」は?

  1. 《いま問題にしているモノ》は「《在る》という実感を有するモノ」であろう。いま問題にしているモノ《他者からの思いこみ》であるなら、《他者からの思いこみ》が「確実に《在る》という実感を有するモノ」の2番手であるように感じられる。しかし、別のモノを問題にしはじめれば、それは「確実に《在る》という実感を有するモノ」の2番手の地位を失うであろう。
  2. 《何かを問題にしつつあるモノ》は、「確実に《在る》という実感を有するモノ」の2番手か?
    1. ○:デカルトの《我》。《すべてのものの存在の確実性を吟味しつつあるモノ》。《疑いつつあるモノ》
    2. ×:そんなモノの実感はない。《すべてのものの存在の確実性を吟味しつつあるモノ》はそれが、すべてのものの存在の確実性を吟味しつつあるときにのみ存在する。
  3. 《このヒト》は、「確実に《在る》という実感を有するモノ」の2番手か?
    1. ○:
      1. この《肉の塊》。《いま・ここの・この肉の塊》。
      2. 《息しつつあるモノ》に注目しながら《混濁》に戻ると、《混濁》であり、かつ、《息しつつあるモノ》であるようなモノが現れる。それを《息しつつある混濁》と呼ぶ。《息しつつある混濁》を放置しておくと、《混濁》《身体》のサイズに縮小し、その周りに《モノの世界》が在ることに気がつく。その状態の《身体》《混濁しつつある身体》と呼ぶ。《混濁しつつある身体》を放置しておくと、それが《肉の塊》と呼ぶべきモノであることが分かる。つまり、《肉の塊》《混濁しつつある身体》であり、《混濁しつつある身体》《息しつつあるモノ》から生じるモノである。《肉の塊》とは、《モノの世界》における《このヒト》である。
    2. ×:
      1. 《いま・ここの・この肉の塊》は《息しつつあるモノ》よりも確実なのではないか?。
      2. 《いま・ここの・この肉の塊》は意味が散漫、不明確である。
  4. 「確実に《在る》という実感を有するモノ」の2番手は《モノの世界》か? ○:。×:。

最も「確実に《在る》という実感を有するモノ」と《在る》

  1. 今のところ《息しつつあるモノ》が「最も確実に《在る》という実感を有するモノ」である。
  2. しかし、《混濁》から始める場合には、その最初においては、《息しつつあるモノ》は「最も確実に《在る》という実感を有するモノ」ではない。
  3. 「最も確実に《在る》という実感を有するモノ」は《知りつつあるモノ》である、か? ○:。×:《知りつつあるモノ》は不可知であり、不安定である。短期的にしか、《知りつつあるモノ》が知りつつあるときにおいてのみにしか、存在しないモノである。
  4. 「最も確実に《在る》という実感を有するモノ」は《我》である、か? ○:。×:実感無いね。《我》というのは《自己言及しつつあるモノ》である。《我》は、《我》自己言及しつつあるときにのみ存在しうるモノである。
  5. 「最も確実に《在る》という実感を有するモノ」は《身体》であるか? ○:。×:《身体》への認識経路は少なくとも3種類ある。3種類の認識経路による《身体》の像を統合する像が出来ていない。実感として不十分。
  6. 「最も確実に《在る》という実感を有するモノ」は《近傍物理空間》であるか? ○:。×:《近傍物理空間》は、なにかの一部分なのである。
  7. 「最も確実に《在る》という実感を有するモノ」は《息しつつあるモノ》である、か?
    1. ○:
      1. 頼りがいのあるモノである。
      2. 《息しつつあるモノ》は息しつつあるときにも、息を止めているときにも存在する。《息しつつあるモノ》は《このヒト》が生きているかぎり存在する(まあ、人口呼吸器に入った場合は別として・・)。
      3. 《息しつつあるモノ》への《見通し》においては、3種類の認識経路の違いは消滅する。体内世界の中の《息しつつあるモノ》が唯一の像である。
    2. ×:
      1. 《息しつつあるモノ》《息しつつあるモノ》が息しつつあるとき・および息を止めつつあるときにのみ存在する。
      2. 《息しつつあるモノ》への認識経路も3種類ある、《身体》としての《息しつつあるモノ》体内感覚世界《息しつつあるモノ》《背後者》の先にある《息しつつあるモノ》
  8. 「最も確実に《在る》という実感を有するモノ」は《いま・ここの・この肉の塊》であるか?
    1. ○:
      1. 《いま・ここの・この肉の塊》は《息しつつあるモノ》の基盤・基体である。
      2. 定義の不明確さは問題ではない。「いま・ここの・この肉の塊」というコトバで指し示されるモノの輪郭が明確であれば、コトバの定義は問題ではない。
      3. 《いま・ここの・この肉の塊》の《内からの視点》は可能である。《いま・ここの・この肉の塊》が《内からの視点》を排除しているわけではない。
    2. ×:
      1. 《いま》、《ここ》、《肉の塊》の定義が不明確である。
      2. 《いま・ここの・この肉の塊》への《視点》は、モノ《外からの視点》である。《内からの視点》が欠けている点で、不完全である。
      3. 《思いこみの世界》からの復帰が可能なのは《息しつつあるモノ》であって《いま・ここの・この肉の塊》ではない。
      4. 《息しつつあるモノ》に注目しながら《混濁》に戻ると、《混濁》であり、かつ、《息しつつあるモノ》であるようなモノが現れる。それを《息しつつある混濁》と呼ぶ。《息しつつある混濁》を放置しておくと、《混濁》《身体》のサイズに縮小し、その周りに《モノの世界》が在ることに気がつく。その状態の《身体》《混濁しつつある身体》と呼ぶ。《混濁しつつある身体》を放置しておくと、それが《肉の塊》と呼ぶべきモノであることが分かる。つまり、《肉の塊》《混濁しつつある身体》であり、《混濁しつつある身体》《息しつつあるモノ》から生じるモノである。

「確実に《在る》という実感を有するモノ」と《在る》

  1. 《在る》というのは最も「確実に《在る》という実感を有するモノ」ということである。《在る》は実感である。クオリアである。
  2. 《在る》ということが、主観的な実感であるというのはおかしいのではないか?
  3. アリストテレスは、『形而上学』上・p.172では、「オン(在る)」というコトバの用例の分類から入っている。《在る》とは何であるかについては語っていない。「在る」というコトバの意味、《思いこみ》について語っているだけである。(実在についての《在る》、と、属性についての《在る》の区別を語っている)。
  4. 《在る》というのは、「在る」というコトバで指し示された人間の感情を表わしている。
  5. 生きモノにとって《在る》とは、それが生存にとって重要である、ということを意味している。
  6. 《在る》というのは客観的なものである。
  7. 《客観的に在る》というのは、《客観的に在る》という実感であるに過ぎない。
  8. 主体無き存在判断は有り得ない。

《在る》と実感

  1. 《在る》は実感である、か? ○:《私》が、『それは《在る》』という実感をもつとことが《在る》ということである。×:《在る》《私》の実感ではない。

「火星人は《在る》」か?

  1. 「火星人」は伝聞によって知っているだけである。伝聞は、知っているというのではなく、むしろ、信じている、と言うべきではないか?
  2. 《私》は、人々が、「火星人は《無い》」と言っていることを知っている。しかし、「火星人が《無い》」ということを知っているのではない。《私》は「火星人が《無い》」と信じているのである。
  3. 「火星人は『伝聞世界』の中に《在る》」か? 『伝聞世界』の中には《在る》が、《モノの世界》には《無い》。『伝聞世界』の中でも「《モノの世界》には《無い》」というのが『伝聞世界』での通説である。「火星人は架空の存在である。フィクションである」というのが『伝聞世界』での存在形式である。『伝聞世界』での存在には、ホントの存在と、ウソの存在とがある。ホントの存在というのは《モノの世界》《在る》モノ?。ウソの存在というのは《モノの世界》には《無い》モノ

地球《在る》」か?

  1. 地球」は伝聞によって知っているだけである。伝聞は、知っているというのではなく、むしろ、信じている、と言うべきではないか?
  2. 《私》は、人々が、「地球《在る》」と言っていることを知っている。しかし、「地球《在る》」ということを知っているのではない。《私》は「地球《在る》」と信じているのである。
  3. 地球は『伝聞世界』の中に《在る》」か?
  4. 《私》地球《モノの世界》の中に《在る》と信じる。《私》は、《私》の足もとにある大地が球体をしていると信じる。

空気《在る》」か?

  1. 《今・ここの・この肉の塊》の周りの、透明な気体、風によってその存在を感じるような気体を、「空気」というコトバで指し示すとする、と、「空気《在る》」か?
  2. 《今・ここの・この肉の塊》が水の中に潜っている時には、《今・ここの・この肉の塊》の周りには存在しなくなるような気体を「空気」というコトバで指し示す。
  3. 《今・ここの・この肉の塊》が水の中に沈んでいる時には、「空気《在る》」は誤りである、か?
  4. 空気」というのは《我々》が呼吸しても生きていける組成の気体を言う。潜水艇のなかでは空気の組成のうち、窒素をヘリウムに交換しているという。それでも、空気であり得るのは、「《我々》が呼吸しても大丈夫」という要件を満たすから。
  5. 空気は、現在の地球の表面付近には《在る》」は正しいか?
  6. 地球」は伝聞による知識である。《私》が知っているのは《今・ここ》のこの周りの状況だけである。
  7. 《私》は「(《私》の周りに)空気《在る》」ことを知っている。

「酸素分子というモノ《在る》」か?

  1. 目の前の空気の中に酸素分子は《在る》か?
  2. 「酸素がなければ酸欠で死んでしまう」から、「酸素は《在る》」か?
  3. 「酸素がなければ酸欠で死んでしまう」も「空気中には酸素は《在る》」も伝聞による知識である。

「水素分子というモノ《在る》」か?

  1. 《混濁》の中には、「水素分子というモノ《在る》」と言えるだけの徴候はない。
  2. 伝聞世界』の中においてしか水素分子は存在しない。
  3. 目の前の空気中にも、水素分子はあるかもしれない。たぶん、《在る》。ないのかな?
  4. http://www.e.chiba-u.jp/~inabah/gimon/air.htm
    1. 空気は、窒素 78.08%,酸素 20.95%,アルゴン 0.93%,二酸化炭素 0.034%,ネオン 0.0018%,ヘリウム 0.00052%からできている。

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Last modified:2007/09/10 02:03:08
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