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《混濁しつつある身体》

《混濁しつつある身体》(コンシン)とは

  1. 《息しつつあるモノ》に注目しながら《混濁》に戻ると、《混濁》であり、かつ、《息しつつあるモノ》であるようなモノが現れる。それを《息しつつある混濁》と呼ぶ。《息しつつある混濁》を放置しておくと、《混濁》《身体》のサイズに縮小し、その周りに《モノの世界》が在ることに気がつく。その状態の《身体》《混濁しつつある身体》と呼ぶ。

記述

  1. 《混濁しつつある身体》を放置しておくと、それが《肉の塊》と呼ぶべきモノであることが分かる。《今・ここの・この肉の塊》
  2. 《混濁しつつある身体》は、「息しつつあるモノ」である。《息しつつあるモノ》をその中に含んでおり、それ自体として「息しつつあるモノ」であるような《息しつつある身体》である。
  3. 《混濁しつつある身体》《世界》に共感する。《他者の身体》《混濁しつつある他者の身体》であることを《実感》する。《混濁しつつある他者の身体》からの《共感》を《実感》する。《共感》において、《混濁しつつある身体》は拡大身体となって、《世界》に広がる。それは《混濁しつつある宇宙史》にまで広がる。《混濁しつつある身体》は《共感しつつある身体》である。
  4. 《他者》は、《外からの視点》である《他者の身体》から、その《認識限界》をこえて、《内からの視点》である《混濁しつつある他者の身体》に突き進む。

区別

《混濁しつつある身体》《私》

  1. 《混濁しつつある身体》《私》か?
    1. ○:
      1. 《私》とは「《他者》との相対における《今・ここの・このモノ》」である。《混濁しつつある身体》は「《他者》との相対における《今・ここの・このモノ》」と呼ぶにふさわしいモノである。
    2. ×:
      1. 《私》ではないでしょ。

コンシン・ヨッカイ・100

  1. 《欲・得・快・楽・善・義・志・徳・疑・信》:よっかい。
  2. 《混濁しつつある身体》に《欲・得・快・楽・善・義・志・徳・疑・信》はあるか?
    1. ○:
      1. 『息すること』の《欲求》はある。『知ること』への《欲求》はある。『噴出すること』への《欲求》はある。『動くこと』への《欲求》はある。期待したより効率的に《欲求》が実現できれば、得した気分になる。期待より少なければ損した気分になる。《混濁しつつある身体》《こころざし》が無いわけではない、《たけ(tk)の思いこみ》を完成させたいという《こころざし》はある。カネも欲しいよ、餓死したくないもの、タバコも吸いたいし。
      2. まあ、「なんとなくではあるが、ある」という結論で良いのではないか?。
      3. 『息する』《欲求》、『何もしない』《欲求》、『見る』《欲求》は否定しようがなさそうだ。
    2. ×:
      1. 《混濁しつつある身体》《こころざし》や『徳』はないかも。『徳』はないね、たけ(tk)には人格的な卓越性はないよ。『仕事』への《欲求》はなくなちゃったな。
  3. 《欲求実現手段》・・《たけ(tk)の思いこみ》を完成させたいという《欲求》があるなら、『仕事』《欲求実現手段》である。

《混濁しつつある身体》《混濁しつつある他者の身体》

  1. 同じ性質か?
    1. ○:
      1. 《相対者公理》
    2. ×:
      1. 「混濁」の意味が違う。「無自覚で傲慢なシステムがハチャメチャであること」が《混濁しつつある他者の身体》の「混濁」である。
      2. 《他者の混濁しつつある身体》は、霧のような《混濁》ではなく、土がぎっしりつまっているような《混濁》である。《混濁》というより土の塊。その泥の中で《連想のトンネル》を掘っているのが《他者》なのだ。

《混濁しつつある他者の身体》《混濁しつつある身体》

  1. 1:《混濁しつつある他者の身体》《他者》の実体である、か? ○:。×:。
  2. 2:《混濁しつつある他者の身体》の中の《連想のトンネル》
  3. 《他者》とは誰か? 《宇宙史》の中の一切のモノ《他者》である。ただし、その中には《私》に近いモノ〜遠いモノ《私》に似ているモノ〜似ていないモノ《私》との《繋がり》が強いモノ〜弱いモノ、がある。
  4. 3:《混濁しつつある他者の身体》《息しつつあるモノ》からの《実感》である。
  5. 4:《混濁しつつある他者の身体》《息しつつあるモノの世界》の要素の一つである。おそらく、もっとも重要な要素である。
  6. 5:《繋がり》への《求める思いこみ》。性欲、ドーパミン、《永遠の生きモノ》からの命令、《背後者回路》ERG。関係欲求の満足とはなにか? 《混濁しつつある身体》からの《欲求》《求める思いこみ》。《混濁しつつある身体からの求める思いこみ》。
    1. 「関係欲求の満足が低いほど、それはより一層希求される」が
    2. 「関係欲求の満足が高いほど、成長欲求はより一層希求される」
  7. 6:《混濁しつつある他者の身体》《混濁しつつある他者の身体》としての《混濁しつつある身体》。《他者の他者としての混濁しつつある身体》。《他者の他者》としての《混濁しつつある身体》

《混濁しつつある身体》《肉の塊》

  1. 同じか?
    1. ○:たぶん、同じモノ
    2. ×:
      1. 《視点》が違うのではないか?
      2. 《肉の塊》モノである。《混濁しつつある身体》は空間的な領域である。
      3. 《肉の塊》《外からの視点》である。《混濁しつつある身体》《内からの視点》である。《肉の塊》《内からの視点》、というのを問題にしたいのだ。
      4. 《混濁しつつある身体》は、肉というよりは、霧に包まれた箱の中身のような《触感》だ。

《混濁しつつある身体》《内からの視点》

  1. 《混濁しつつある身体》への《内からの視点》と、《外からの視点》で違いがあるか?
    1. ○:。
    2. ×:
      1. なぜか、《混濁しつつある身体》については、《内からの視点》でも外が透過的に見えているし、《外からの視点》でも、内が透過的に見えていて、同じモノが見えている。なんでだろ?
      2. 《混濁》というノイズを加えると、内と外との区別も無くなってしまう、からか?

《混濁しつつある身体》と《相対的絶対者公理

  1. 《混濁しつつある身体》は《絶対者》か? ○:。×:。
  2. 《混濁しつつある身体》は《相対的絶対者》か? ○:。×:。
  3. 《私》は、《他者》との相対における絶対者としての《混濁しつつある身体》、か? ○:それらしき定義である。×:《混濁しつつある身体》に気がつく前から《私》というコトバを、《他者》との相対における《我》という意味で使っていた。

《混濁しつつある身体》《欲求》

  1. 《混濁しつつある身体》には、いっちょまえに、人並みの《欲求》があるよ。肉欲というのかな?
  2. 《求める思いこみ》《欲求》とは同じか?
    1. ○:《欲求》モノの属性である。
    2. ×:《求める思いこみ》表象に近い。

コンシン・イシモ・100

  1. 《息しつつあるモノ》《混濁しつつある身体》の一部分である。《知りつつあるモノ》も《記述しつつあるモノ》も《混濁しつつある身体》の一部分である。
  2. 《混濁しつつある身体》も、広い意味での「息しつつあるモノ」の一つである。
  3. 認識の基準点は、《息しつつあるモノ》よりも《混濁しつつある身体》のほうがよいのではないか? ○:凡夫の全体性において認識すべきである。×:。
  4. ブッダ《混濁しつつある身体》である。ブッダ《身体》《混濁しつつある身体》である。糞袋である。ブッダは糞袋である。マルクスは糞袋である。アリストテレスは糞袋である。

『一切』《思い描き》

  1. 《思い描き》の「中心」を浄化してみる。二次元、3次元、4次元時空、虚数軸、《我》《世界》軸・・。《我》《思い描き》《世界》に吸い込まれていく・・。
  2. 『一切』《思い描き》である。《我》にせよ、《認識限界》の先の《背後者》にせよ、》自己言及》にせよ、『一切』《思い描き》である。《私》の知り得たモノ《思い描き》でないモノはない。
  3. ブッダの言う「心の作用」だな・・。
  4. 『一切』心の作用である」という自己言及的な《思いこみ》を維持しつつも、にもかかわらす、それはそれとして、それ以外のタイプのモノもある、というのが《ブッダの「一切」》の分類なのだろう。
  5. 自己言及的でないモノ《思い描き》によって単に指し示されるだけのモノ、がある。《思い描き》が描き出した幻はともあれ、そうでないモノ《思い描き》が作り出したモノではないモノもある。
  6. 《我》《体内感覚世界》《背後者》《思い描き》によって作り出されたモノである。《混濁しつつある身体》《思い描き》によって作り出されたモノではない。
  7. 《混濁しつつある身体》でないモノ、は、《思い描きの世界》か? ○:《モノの世界》.vs.《思い描きの世界》、《思いこみの世界》《コトバの世界》。×:。

コンシン・イシモ・100

  1. 《他者》は、何をやっていても、何を言っていても、《混濁しつつある身体》である。
  2. 《他者》の視線は痛いが、《他者》《混濁しつつある身体》は恐い。幽霊のような恐さがある。
  3. 《他者》《混濁》噴出
  4. 《混濁しつつある身体》は眠りである。
  5. 《拡大身体》。《混濁しつつある宇宙史》にまで至る。
  6. 凡夫の悟り。糞袋。
  7. 息をするのがめんどくさい。息をするのが疲れる。
  8. 《混濁しつつある身体》は息をすることへの《欲求》を持つ。息をしないことは《不快》である。《呼吸停止の実験》《不快》である。《混濁しつつある身体》《息しつつある身体》である。
  9. 《混濁しつつある身体》には《気力》がない。
  10. 《混濁しつつある身体》の特徴は、《他者》《混濁しつつある身体》との《共振》、《共感》である。《混濁しつつある他者の身体》、《他者の混濁しつつある身体》。《共振しつつある身体》。《共感しつつある身体》。二つのモノが、外面的には《動き》がないにもかかわらず、内面において、他のモノの内面に《共感》すること。《共感》というのは、二つモノの共同の《動き》ではない。モノAが勝手に、『モノBからの共感』を《実感》することである。『共通の感じ方』を《実感》することである。いわゆる「共感」、「人間的な共感」「人間性の発露としての共感」からはかけ離れているね。

《ヒトのアニマ》《混濁しつつある身体》

  1. 《混濁しつつある身体》ヒト《身体》である。ヒトの内部の《体内感覚世界》《混濁》噴出しつつある《身体》である。
  2. 《ヒトのアニマ》《混濁しつつある身体》である。
  3. ヒトは凡夫である。
  4. http://ja.wikipedia.org/wiki/凡夫
    1. 聖徳太子は、「十七条憲法」の第十条で、「われ必ずしも聖に非ず、かれ必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫のみ」といって、凡夫を「ただびと」といわれ、お互いに許し合って生きてゆく世界の根本をここにもとめられている。
    2. 親鸞は『一念多念証文 』に「凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて欲も多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころ多くひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえずたえずと水火二河のたとへにあらはれたり」と凡夫を煩悩具足としてとらえている。
  5. ヒト《混濁しつつある身体》である。なぜなら、《混濁しつつある身体》において、《他者》からの共感を感じるからである。

検索

《息しつつある混濁》 - [《混濁しつつある身体》《息しつつある混濁》]

古い概要1 - [#《混濁》を在るがままに放置していると、《近傍物理空間》と《体内空間》とに分かれる。《混濁》《混濁しつつある身体》に縮小し、そのまわりに《近傍物理空間》があることに気がつく。]

《他者》 - [#《知りつつあるモノ》入り込むと、世界は、前面世界《知られつつある世界》《近傍物理空間》)と《背後者世界》とに分離する。《他者》《知られつつある世界》《背後者世界》とに出現する。しかし、この二つの世界は、《知りつつあるモノ》への《入り込み》によって生じた区別なので、モノとしては同じモノ、同じ世界である。《知りつつあるモノ》への《入り込み》をやめると、《他者》は或る一つの世界に出現するモノである。((弁証法的な説明方法が適切なのか?))。《混濁しつつある身体》《肉の塊》の外部の空間に現れるモノである。((女性の性交における《他者》は、《肉の塊》の内部に現れるモノなのか?))]

《混濁しつつあるモノ》 - [#《知りつつあるモノ》《混濁しつつあるモノ》《混濁しつつある身体》《肉の塊》]

《身体》 - [#《混濁しつつある身体》《混濁しつつあるモノ》。を経由して、《肉の塊》が現れる。]