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《見通し》

キーワード《見通し》

定義

見通すこと。

或るモノAを見えなくしているモノBを透明にして、そのモノAが見えるようにすること。

或るモノBが透明化されて見えない場合に、そのモノBに染色し、もしくは、輪郭づけして、そのモノBが見えるようにすること。

《見通し》とは《透明化》と輪郭化と色分けである。

《見通し》とは、あなたの眼であなたの世界を見通すということである。

  1. 《見通し》とは、《私》の眼で《私》世界を見通すということである。
  2. そのためには、あなたは、《思いこみつつあるモノ》であることをやめて、自らの《知りつつあるモノ》を見つけなければならない。
  3. あなたの《知りつつあるモノ》《混濁》の中に放り込まなければならない。《混濁》というのは《見通し》がない状態である。《見通し》がない状態にあることに気づいた後に、自らの眼で一つ一つ《見通し》を捜していかなければならない。
  4. 見通すべきモノは、ヒトの能力を超えるものではない。『ブッダの「一切」』の範囲を見通せばよいのである。

区別

《体内感覚世界》《見通し》

  1. 《闇》への《見通し》《体内感覚世界》への《見通し》である。
  2. 《息しつつあるモノ》《見通し》《求める思いこみ》噴出する。《息しつつあるモノ》《体内感覚世界》の中のモノである。
  3. 《身体》というモノの中の《思いこみの世界》である。モノの中の《アニマ》世界である。《モノアニマ》の中の世界である。
  4. 《体内感覚世界》への《見通し》は、《モノアニマ》への《見通し》である。

《闇》《見通し》

  1. 《闇》というのは瞼を閉じた時に現れる闇のこと。
  2. 《闇》の先にあるのは《近傍物理空間》ではない。瞼を閉じると、聴覚的な世界や、触覚的な世界が現れる、がそれは《闇》世界ではない。《闇》と同時に現れる別の世界である。
  3. 《闇》無限遠点の先の《浄化球》
  4. 《闇》は感覚遮断された視覚が作り出す世界である。
  5. 《闇》と視覚世界《闇》の状態のときには視覚的な《近傍物理空間》はない。視覚世界《近傍物理空間》の視覚世界から、《闇》の視覚世界に変化する。瞼を開ける、瞼を閉じる、という身体的な状態の変化が、視覚世界を変化させる。
  6. 《闇》《浄化》すると、『見ようとする意思』が《私》から噴出する。《見通し》《求める思いこみ》噴出する。
  7. 《見通し》《求める思いこみ》は幻を作り出す。《思いこみ》の視覚的イメージの世界。目をつぶって「三角形」というコトバを唱えれば、『三角形』の視覚的イメージが《闇》世界に現れるだろう。《思いこみの世界》は目をつぶってコトバを唱えた時に《闇》世界に現れる。《思いこみの世界》とは「《思いこみ》の視覚的イメージの世界」である。か?
  8. 『見ようとする意思』の噴出原因点を探ると、それは《息しつつあるモノ》に繋がっているようにみえる。《息しつつあるモノ》《闇》世界において唯一、確実に存在するモノである。((《闇》世界というのは《体内感覚世界》だということか?))
  9. 《闇》《浄化》すると、《見通し》《求める思いこみ》噴出する。《息しつつあるモノ》《見通し》《求める思いこみ》噴出する。
  10. 《闇》への《見通し》《体内感覚世界》への《見通し》である。

『よい設計』=(材料の)寄せ集め+《見通し》

  1. 《作り手》の視点は内からの視点である。使い手の視点は外からの視点である。
  2. 設計者の視点は、材料をどのように配置するか、という内からの視点。設計者にとっては素材は《身体》である。《身体》を、外からの視点で審美的に評価するとしても、それは、内からの視点《身体》をどのように動かすか、という視点での、鏡像イメージである。
  3. 輪郭の両義性。地と図の反転。モノの形なのか、空間の形なのか。モノの形はモノ《外からの視点》。空間の形は空間の《内からの視点》

失敗と《見通し》

  1. ヒトは、失敗することによって、そこにモノがあることに気がつくようになる。ヒトは失敗によって隠れていたモノへの《見通し》を得る。

《見通し》と共感

  1. 《他者》《求める思いこみ》への共感。
    1. 《見通し》《他者》《求める思いこみ》は獲物として見通す。《見通し》は獲物への《見通し》である。
    2. 共感は《他者》《求める思いこみ》を仲間として共感する。共感は仲間への共感である。

《願望フィルター》と《見通し》

  1. ヒトは願望のフィルターを通して世界を認識する。
  2. ヒトは真実の姿を見たいと願望した時にはじめて、世界の真実の姿への認識に近づくことができる。
  3. ヒトは、それぞれの、ERG欲求のフィルターを通して世界を認識する。((生存欲求と、関係欲求と、成長欲求))。ERG、ERG。

エンジョウ・タカフ

  1. 《他者》の快不快への《見通し》
  2. 《他者の快》に奉仕すべきか?
  3. 商売は、《他者の快》に奉仕して金銭を得ることである。
  4. インテリ商売=医者・弁護士・宗教家=は《他者の不快》の除去で金銭を得る商売だな。

《見通し》《視点》への《視点》、《視点への視点》

  1. 問題は《視点》の多様性だ。精神状態によって《息しつつあるモノ》の見え方、そのまわりの状況が多様に変化する。或る時には《身体》そのモノであり、或る時には肺の内壁であり、或る時には意思であり、或る時には《身体》内部の《動き》である。
  2. 《視点》の分類。《多次元輪郭空間》。《視点》の座標軸。《視点のパラメータ》
  3. 《視点》への《視点》。《視点への視点》。

《群れのアニマ》《見通し》

  1. 《宇宙史》という《モノの群れ》の《群れのアニマ》《近傍物理空間》という《モノの群れ》の《群れのアニマ》《身近な人びと》という《モノの群れ》の《群れのアニマ》《宇宙史》というモノ《アニマ》
  2. モノの群れ》であるようなモノ《アニマ》を、その《群れ》《群れの中の個体》《視点》から、《群れ》の内部の視点から見通した、その《群れ》《アニマ》《群れのアニマ》という。
  3. モノの外部の《視点》から見たそのモノ《アニマ》は、《他者のアニマ》である。《他者のアニマ》を、それが《群れ》であることに注目して理論的に再構築した《思いこみ》を『群れのアニマ』という。
  4. 《地表の出来事》という《モノの群れ》の《アニマ》。((《モノの群れ》の出来事の《群れ》。出来事は《アニマ》の現れである。《モノの群れ》の《アニマの現れ》の《群れ》))。《地表のモノたち》の《群れ》。《地表のモノたち》の《群れ》《アニマ》。《地表のモノたちの群れ》の《アニマ》。《地表のモノたち》の《群れのアニマ》。地表の《モノたちの群れ》の《アニマ》
  5. 国家という《ヒトの群れ》が在ることは認めよう。国家という《ヒトの群れ》の中に、権力集団という《ヒトの群れ》があることも認めよう。
  6. 《地表のヒトの群れ》への《見通し》が必要か?
  7. 《地表のヒトの群れ》はガン細胞のように増殖し、地表を侵食している。毒素を地表にバラ撒いている。栄養素を地表から奪い去りつつある。《地表のヒトの群れ》は絶滅を欲しているのか、それとも、調和的に生き続けることを望んでいるのか?
  8. 絶滅への道であろうと、それが自分の利益への道であるなら、絶滅のことは目をつぶる人びとが居るのだ。確かに、それが明らかであるとしても、それが明らかであると未来のことを証明するのは困難である。仮に、証明できたとしても、(それがそのヒトに不利である場合に)彼を説得し、彼に信じさせることはできない。《群れ》の利益を個体の利益よりも優先するヒトも居るし、個体の利益を《群れ》の利益より優先するヒトも居る。ヒトは彼の価値観で世界を認識し、判断するのだ。ヒト価値観を変えることは難しい。個体に死がある、ということは、《群れ》に死がないということではない。
  9. まー、絶滅してもかまわねーかなー。《群れ》の「絶滅」を騒ぐことが個体の利益になるヒトが、《群れ》の「絶滅」を騒ぐ。《群れ》の絶滅は個体にとっても不利益だから、当たり前なのだけどね・・。
  10. 将来の《群れ》の絶滅は、現在の個体の不利益か? 将来の不利益は現在の不利益か? サラ金から返済不可能な金を借りて浪費することは、現在の不利益か? 麻薬で快感を得ることは現在の不利益か? 刹那的な価値観によるなら、未来の不利益は問題ならない。「刹那的」の反対は何だろう? 個別の病気だから反対はないか。病気の反対は健康だが、風邪の反対は健康というしかない。とするなら、「刹那的な価値観」の反対は「健康な価値観」ということになるか。「刹那的な価値観」は病的な価値観だから、その反対は「健康な価値観」である、いうことになる。刹那は瞬間だから、その反対は、持続的か? 持続可能な価値観。持続的な価値観。持続性を考慮した価値観。より多くの事情を考慮した価値観が健康な価値観である。より多くの事情を考慮した価値観は、説得するのが困難な価値観である。説得するためにより多くの事情を説明し、説得しなければ、価値観自体の説得に至らない価値観である。100個の事情を考慮した価値観は健康な価値観だろう。しかし、その価値観を説明するためには、100個の事情を説明しなければならなくなる。説明による説得が困難であれば、権威か暴力を背景としたスローガンで説得する、ということになる。説得の《ちから》の背景は、理解(理性)か権威(信仰)か暴力(追従)か、の3種類か?
  11. 《群れのアニマ》のうちで最大のものは《宇宙史》《アニマ》である、か?
  12. 《宇宙史》《アニマ》《群れのアニマ》であるか? すなわち、《私》はそれの《アニマ》を内部から見通すことができるのか? 単なる理論的構築物『宇宙史のアニマ』でしかないのではないか? 自然科学=法則とカオス=の知識から得た理論的構築物でしかないのではないか? 《近傍物理空間》モノたちの《アニマ》《群れ》の先にある、《宇宙史》を構成するモノたちの《アニマ》《群れ》。それが構成する《宇宙史》を構成するモノたちの《群れ》《群れのアニマ》。見通すことはできても不活性ではないか? 『意味』が限りなくゼロではないか?

モノアニマ》と《見通し》

  1. 《体内感覚世界》への《見通し》は、《モノアニマ》への《見通し》である。
  2. モノアニマ》の分類
    1. 《今・ここの・このモノ》《アニマ》と、《あの時・あの場所の・あのモノ》の《アニマ》
    2. モノアニマ》と《生きモノアニマ》と《ヒトのアニマ》
    3. 《群れの中の個体》の《モノアニマ》と《群れのアニマ》。「モノとしての《群れ》」の《アニマ》
    4. モノへの知覚と同時に生じる《モノアニマ》と、モノの幻が作り出す《モノアニマ》の幻。思考。
    5. 物理的《身体》《アニマ》《拡大身体》《アニマ》
    6. 《私》《アニマ》《他者のアニマ》《群れのアニマ》
  3. モノアニマ》のクオリアモノクオリアと同じ場所に生じる。つまり、《近傍物理空間》に、そのモノと同じ場所に生じる。
  4. 《息しつつあるモノ》《今・ここの・このモノ》《アニマ》に気付くための良いきっかけである。《息しつつあるモノ》見失った時には、《モノアニマ》を見失っていると考えたほうがよい、幻の世界に入っていると判断したほうがよい。
  5. 《息しつつあるモノ》への《見通し》《今・ここの・このモノ》の《モノアニマ》への見通しである。
  6. 《群れのアニマ》《私》《息しつつあるモノ》への《見通し》の先に見通されるモノとしての《群れのアニマ》。理論的構築物としての『群れのアニマ』ではない。

《見通し》《たけ(tk)の思いこみ》

  1. 欲しいのは、《見通し》だ。
  2. ミトシ・エンジョウ。《見通し》無限遠点の先の《浄化球》
  3. たけ(tk)見通し》という項目が必要か?
    1. 《近傍物理空間》への《見通し》。本来的意味での「見通し」。「見通しのよい道」。
    2. 《闇》への《見通し》《体内感覚世界》への《見通し》《思いこみの世界》への《見通し》モノの中の《思いこみ》への《見通し》、《モノアニマ》への《見通し》

《他者のアニマ》《見通し》

  1. 《他者のアニマ》《他者》と同じ場所に出現する。《他者のアニマ》クオリアは、《他者のクオリア》と同じ場所に出現する。《近傍物理空間》に出現する。《他者のクオリア》の中に《他者のアニマ》も含まれる。
  2. 《他者のクオリア》を《闇》のスクリーンに写しだした時にも、その場所に《他者のアニマ》が現れる。((「写す」は「移す」か・・))。

《見通し》《動き》

  1. 《見通し》《動き》の手段である、か?
  2. 《動き》《視点》からいえば、《見通し》《動き》の手段である。
  3. 《見通し》《視点》からいえば、《動き》《知られつつあるモノ》のひとつである。

《見通し》と《感覚》

  1. 《感覚》というのは《今・ここの・このモノ》としての《私》の感覚。
  2. 《見通し》《今・ここの・このモノ》としての《私》の《感覚》としての《見通し》である。
  3. 《感覚》には体外感覚と体内感覚とがある。《見通し》にも体外感覚での《見通し》体内感覚における《見通し》とがある、か? 当初は分裂している、この分裂をどうやって統合するか、が問題。
  4. 体外感覚を複素数化すること。3次元空間への体外感覚を4次元時空への体外感覚に拡張し、さらに、4次元時空への体外感覚を《複素数の時空》への体外感覚へ拡張すること。

《見通し》と数学的モデル

  1. 《見通し》を数学的モデルとして提示するのは良いことである。
  2. 曼荼羅・・・。
  3. 《見通し》《今・ここの・このモノ》としての《私》《見通し》なのであるから、数学的モデルにはなりえない。
  4. モノコトバによって指し示すことが可能である(被指示性)。モノは説明のコトバによって説明することが可能である。説明のコトバは曖昧でないほうがよい。よって、数学的モデルで記述すべきである。

《見通し》と《繋がりの中での見通し

  1. ヒトヒトとの《繋がり》の中での《見通し》
  2. 繋がりは《共有思いこみ》の確認作業
  3. 《思いこみの中での見通し》《個有思いこみ》の中での《見通し》
  4. 《繋がりの中での見通し》は《共有思いこみ》の中での《見通し》
  5. 《共有思いこみ》、共通認識、みんなの意思。合意、契約、規則、規範、法律。その場の雰囲気。共同作業の記憶
  6. 《群れの世界》での《見通し》世界としての《ヒトの群れ》
  7. 《群れの世界》なんて、めんどっちいなぁ・・。
  8. ヒトの群れの世界》、《群れの世界》は《混濁》である、《混濁しつつあるモノ》《群れ》が作り出すカオスである。

《モノの世界》での《見通し》《思いこみの世界》での《見通し》

  1. 《見通し》には、《思いこみ》の中での《見通し》、と《思いこみ》の外での《見通し》がある。《思いこみ》の中での《見通し》《思いこみの世界》での《見通し》であり、《思いこみ》の外での《見通し》《モノの世界》での《見通し》である。
  2. 《思いこみの中での見通し》、《思いこみの世界での見通し》、《思いこみの外での見通し》、《モノ世界での見通し》。
  3. 《ヒトの群れ》への《見通し》では、《思いこみの中での見通し》が重要。
  4. ユダヤ教的な啓示、やマルクス主義における「世界が開けた感じ」は《思いこみの中での見通し》である。
  5. 《ヒトの群れ》の内部において、群れの内外の《状況》を把握するのは《思いこみの中での見通し》である。《他者》からの伝聞=《思いこみ》=を再構成した《私》《思いこみ》《思いこみの中での見通し》である。

《ヒトの群れの体内感覚》《見通し》

  1. 《ヒトの群れの体内感覚》への《見通し》は《伝聞による見通し》である。か?
  2. 《ヒトの群れの体内感覚》は《伝聞による見通し》なので、《ヒトの群れの体内感覚》への《見通し》は《伝聞による見通し》への《見通し》である。
  3. 《ヒトの群れの体内感覚》は《伝聞による見通し》か? 《伝聞による知った思いこみ》ではないか?

《見通し》と伝聞

  1. 伝聞による《見通し》の場合には、伝達者の信頼性が重要になる。
  2. 伝達者の信頼性を検証するためには、そのヒトと共に過ごす時間が必要である。
  3. 《伝聞による見通し》は《見通し》か? 《伝聞による知った思いこみ》ではないか?
  4. 《他者》からの伝聞を信頼する、ということ。伝聞というのは《知った思いこみ》の伝達である。
  5. 《伝聞による見通し》は可能か?
  6. 伝聞は常に歪められている。歪みを補正すれば《見通し》が可能か? 伝聞による《見通し》の歪み、と、伝聞による《見通し》の歪みの補正。は、可能か? 複数経路からの伝聞の収集。伝聞経路の検証。伝聞ノードの信頼性の検証。伝聞ノードの歪みの傾向の把握。
  7. 伝聞証拠は証拠ならず。
  8. http://ja.wikipedia.org/wiki/伝聞証拠禁止の原則

《見通し》と《ドメイン

  1. ドメイン》というのは構成原理が異なる世界のこと。
  2. 脳科学の《ドメイン》と日常的感覚の《ドメイン》とでは異なる。
  3. 脳科学の《ドメイン》と日常的感覚の《ドメイン》とでは同じモノを扱っているか?
  4. 別の《ドメイン》への《見通し》は可能か?
  5. 《今・ここの・このモノ》の《ドメイン》から、日常生活の《ドメイン》を見通すことは可能か? 《今・ここの・このモノ》の《ドメイン》から、日常生活の《ドメイン》を解釈すること。解釈する側の《ドメイン》のコトバに翻訳すること。見通される側の《ドメイン》の事物を、見通す側の《ドメイン》のコトバで記述すること。それを双方向で行うこと。
  6. 別の《ドメイン》は、見通す側の《ドメイン》からみると、一つのモノである。「ドメイン」というコトバで指し示されるモノである。
  7. 『仕事』の《ドメイン》への《見通し》
  8. 《暮らし》の《ドメイン》への《見通し》
  9. ドメイン》が異なる世界の事物は、正確に翻訳することができない。か? 多次元輪郭世界コトバがあれば、正確に翻訳することができる。しかし、多次元輪郭空間というのは、複数の《視点》でのみ見ることができる。コトバは一つの《視点》によって定まるモノ《視点》は《ドメイン》によって決まる。鏡による記述は、鏡が置かれている《視点》の《ドメイン》による記述になる。か? 鏡との距離、鏡による屈折の角度、を、記述に加えること。鏡=《視点》のパラメータを記述に加えること。《視点のパラメータ》
  10. ドメイン》内部の《視点》《視点のパラメータ》。・・これは《見通し》であって、解釈ではない。
  11. ドメイン》内部の《視点》から見た輪郭と、《私》から見た《ドメイン》内部の《視点》へのパラメータを理解したうえで、《私》《視点》からの輪郭を構成すること。これが、解釈。しかし、「記述された《私》《視点》からの輪郭」は、不完全なのである。「記述された《私》《視点》からの輪郭」のコトバで理解するヒトは、正確な理解ができない。業務を知らずに仕様書で理解するヒトは、仕様書の本当の意味を理解することができない。本当の意味というのは多次元輪郭空間における輪郭である。
  12. 《見通し》を語ることは無意味である。か? 聞き手によっては、コトバを聞いて、《見通し》に至るヒトもあり得ないわけではない。

《知った思いこみ》《見通し》

  1. 《見通し》《知った思いこみ》を生み出す。
  2. 《知った思いこみ》《見通し》を妨げる。
  3. 《見通し》《知った思いこみ》《浄化》を伴わなければならない。
  4. 《見通し》を語ることは、《見通し》《知った思いこみ》に変換し、《知った思いこみ》コトバにして語ることである。コトバ《知った思いこみ》を伝達する。コトバを聞いたヒトは、《知った思いこみ》を得る。《知った思いこみ》を得たヒトは知ったつもりになる。《知った思いこみ》《思いこみの世界》入り込んで、《見通し》を得たような気分になる。しかし、《知った思いこみ》を聞いた『見通し』の《思いこみ》を得ることは、《見通し》の妨げとなる。ステレオタイプ《思いこみ》は『見通し』の《思いこみ》である。無知の知。『見通し』の《思いこみ》を得たモノは『無知の知』を知るべきである。『無知の知』によって《混濁》に突入すべきである。

《見通し》《他者》

  1. 《私》による《他者》への《見通し》
  2. 《他者》による《私》への《見通し》
  3. 《他者》による彼の世界への《見通し》
  4. 《私》による「《他者》による彼の世界への《見通し》」への《見通し》

《見通し》《他者》による《見通し》

  1. 《相対者公理》によれば、《他者》もまた、《見通しつつあるモノ》である。
  2. 《他者》によって《見通されつつあるモノ》は《他者》世界であろう。《他者の世界》。
  3. 《他者》は《見通しつつあるモノ》であるか? 《他者》《思いこみつつあるモノ》でしかないのではないか? 《他者》《思いこみの世界》において《見通しつつあるモノ》でしかないのではないか?
  4. 《思いこみの世界》において《見通しつつあるモノ》と、《モノの世界》において《見通しつつあるモノ》。《思いこみの世界》における《見通し》と、《モノの世界》における《見通し》。は、どのように違うのか?
  5. 《他者》もまた《見通し》《求めつつあるモノ》である。

《見通し》《息しつつあるモノ》

  1. 《息しつつあるモノ》《動きつつあるモノ》)は動くために、《知りつつあるモノ》による《見通し》を求める。《息しつつあるモノ》《見通し》《求める思いこみ》噴出する。

《見通し》《絶対者公理》

  1. 《見通し》は、《私》以外のモノによってなされても意味がない。
  2. 《見通し》の主体は絶対者としての《私》でなければならない。
  3. 《見通し》において、《私》は、《他者》と同質者であっても構わない。《同質者公理》
  4. 《私》《見通し》において、《私》《見通し》の絶対的主体であるという意味で、特別者である。が、それ以上の意味で特別者である必要はない。

《見通し》《他者》世界の鏡像、《他者の世界の鏡像》

  1. 《他者》《知りつつあるモノ》を鏡として、そこに写った《他者》世界の鏡像を見通すこと。
  2. 《他者の世界の鏡像》であれば、《特別者公理》に基づく《見通し》と矛盾しない。
  3. 《私》《知りつつあるモノ》《思いこみの世界》入り込むことができる。《私》《知りつつあるモノ》は《他者の世界の鏡像》の世界入り込むことができる。

《見通し》《他者》《知りつつあるモノ》

  1. 《他者》《知りつつあるモノ》を鏡として、そこに写った《他者》世界の鏡像を見通すこと。《他者》《知りつつあるモノ》から噴出する、《他者》《知った思いこみ》噴出を受けて、《他者》世界の鏡像を見通すこと。
  2. 《他者》世界の鏡像を、多次元輪郭空間の中で再構成すること。
  3. 《他者》《知りつつあるモノ》は、《他者》世界を、《他者》《知りつつあるモノ》《背後者世界》《隠れた思いこみ》として噴出する。モノとしての《他者》は、《隠れた思いこみ》としての《他者》《知った思いこみ》を、《他者の背後者回路》を通じて、噴出する。

当為《見通し》

  1. 当為は将来への《見通し》である。『ユートピア』は将来への《見通し》である。
  2. 当為四次元チューブへの《見通し》である。

《見通し》《ブッダの「一切」》

  1. 《私》《見通し》における原点である。《私》《見通し》においては、《私》以外の場所に《見通し》の原点を置くことはできない。
  2. 《他者》による《見通し》《私》《見通し》の中に組み込むためには、《他者》による《見通し》《私》《見通し》に変換するためのパラメータを追加した多次元座標空間への《見通し》を、《私》が持てばよい。
  3. 《他者》とは、《私》記憶である。《私》《他者》との接触によって感じ取ったモノ記憶の総体である。《他者》《ブッダの「一切」》の中のモノなのである。《私》《私》記憶を見通すことによって、《他者》への《見通し》を得ることができ、《他者》による《見通し》《私》《見通し》の中に組み込むことができる。

《見通し》と原点

  1. 《私》《見通し》における原点である。《私》《見通し》においては、《私》以外の場所に《見通し》の原点を置くことはできない。
  2. 原点は、座標変換の方法によって、移動することができる。
  3. 原点を移動すると、別の座標系になる。
  4. 最初の原点Oaにおける座標系Aの中には、原点移動後の座標系Bやその原点Obは存在しない。同様に移動後の座標系Bには移動前の座標系Aは存在しない。別の世界なのである。
  5. 移動前の座標系Aから移動後の座標系Bを見通すためには、新たな次元の座標軸が必要である。座標変換のための座標軸(座標変換に必要なパラメータを載せるための座標軸)を追加した座標系をA2とする。A2における原点は最初の座標系Aの原点と同じである。
  6. 座標変換に必要なパラメータとは、移動後の原点の位置(移動前の座標系における位置)であろう。2次元座標であれば二つのパラメータ、3次元座標系であれば3個のパラメータということになるので、二次元座標系であれば二つの座標軸を追加した4次元座標系になり、3次元座標系であれば6次元座標系になる。四次元時空であれば8次元座標空間になる。
  7. 元の座標系を実数の座標軸から複素数の座標軸に拡張した座標系ということでもよい。
  8. 多次元輪郭空間
  9. 《他者》による《見通し》《私》《見通し》の中に組み込むためには、《他者》による《見通し》《私》《見通し》に変換するためのパラメータを追加した多次元座標空間への《見通し》を、《私》が持てばよい。

《見通し》多次元輪郭空間

  1. 異なった視点から見通すと、異なった輪郭が見える。
  2. 異なった輪郭を統合するためには、多次元輪郭空間への《見通し》が必要である。
  3. 右目で見れば平面的な二次元の空間が見える。左目で見ても平面的な二次元の空間が見える。両目で見ると立体的な三次元の空間が見える。片目だけで見ても、移動してみれば、過去の二次元空間と現在の二次元空間から三次元の空間を再構成できる(馬の視覚)。三次元の空間を時間を置いて見れば、現在に於ける過去への視線と、過去におけるその時の現在への視線、過去における未来=現在に於ける現在=への視線とうを統合すると、4次元的な空間(時空)における輪郭が見えてくる。《私》の視線での4次元空間と《他者》における四次元空間とを統合すると、もっと多次元の空間での輪郭が見えてくる。《私》の視線でも、各種のレベルでのいろいろな視線が可能である。それらの視線で見えてくる輪郭を統合すれば、多次元輪郭空間が見えてくる。

《見通し》と説明

  1. アリストテレスの言いたいことは、《見通し》を得たヒトが、その《見通し》コトバによって、どのように説明するか、ということだ。

《見通し》と視点

  1. 何が見えるかは、どこで見るかによって異なる。

《見通し》と《見通しつつあるモノ

  1. モノは《見通しつつあるモノ》である。すべてのモノは、それが見通すことができる範囲のモノを《見通しつつあるモノ》である。
  2. 《見通し》モノに内在する《アニマ》である。

《見通し》と、《透明化》と、着色と、輪郭化。

  1. 《見通し》を得るためには、《透明化》だけではNG。《透明化》すると見えなくなるだけ。見たいモノを見えるようにしなければならない。そのための技術が、着色と輪郭化。そのモノの表面を再び見えるようにするのが着色であり、そのモノの輪郭を見えるようにするのが輪郭化。

なぜ、水が透明かが分かった:

  1. もし、我々が赤外線領域に対する視覚細胞があるとすると、水が見えてしまうのである。水が見えるということは、その先のものが見えなくなるということを意味する。我々は水の先のモノ見通したいのである。従って、水が見えないような視覚細胞が選択されたのである。(進化論的後づけ目的見通し)。