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《群有思いこみ》

キーワード《群有思いこみ》

定義

《群有思いこみ》とは、『自分が属する《群れ》のすべての個体がそう思っている(はずだ、べきだ)』という《思いこみ》を伴った《思いこみ》である。

  1. 《群有思いこみ》《群れの中の個体》に内在する《思いこみ》の一種である。((共同で持っている、ではない。共通して持っている、でもない。《群れ》が持っている、でもない。あくまでも個体が、その個体特有の勝手な《思いこみ》として、他からは独立して持っている《思いこみ》ヒトであるとも限らぬ。《群れ》を作る《生きモノ》すべてにあてはまるかもしれない。))。
  2. 《群有思いこみ》でない《思いこみ》《個有思いこみ》という。《個有思いこみ》とは『自分が属する《群れ》の他の個体は誰もそうは思っていない(だろう)』という《思いこみ》を伴った《思いこみ》である。『誰か一人でも、その《思いこみ》を共有している』と思う場合には、その《思いこみ》は、「その《他者》《私》とで構成する《群れ》」の《群有思いこみ》である。((《たけ(tk)の思いこみ》《個有思いこみ》である。たけ(tk)は、《他者》《たけ(tk)の思いこみ》を理解できるとは信じない))。
  3. 「《彼》が属している《群れ》のすべてのヒトが<<共通に>>保持している《思いこみ》」というモノは、厳密には、存在しない。2人の《群れ》であっても、実際には、厳密に同じ《思いこみ》を持つということはあり得ない。《思いこみ》《肉の塊》の外部で保持させることはあり得ない。厳密に同じ《思いこみ》を持つことはありえないが、近似的にはあり得る。客観的に見て、近似的に複数の個体が同じ《思いこみ》を持っている場合の、その《思いこみ》《共有思いこみ》または《思いこみの共有》という。

* いわゆる「共同幻想」に近いのではないかと思う。

区別

広松の「共同主観」と《群有思いこみ》

  1. http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%B8%BB%E8%A6%B3%E7%9A%84%E5%AD%98%E5%9C%A8%E6%A7%8B%E9%80%A0-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-998-%E5%BA%83%E6%9D%BE-%E6%B8%89/dp/4061589989/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1201709644&sr=1-2
    1. 世界の共同主観的存在構造 (講談社学術文庫 (998)) (-)広松 渉 (著)
  2. 似ているのかなあ・・

吉本の「共同幻想」と《群有思いこみ》

  1. http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_b?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%8B%A4%93%AF%8C%B6%91z%98_&Go.x=0&Go.y=0&Go=Go
    1. 共同幻想論 吉本 隆明 (文庫 - 1982/1)
  2. 読んだけど・・。??。
  3. 実証しようとして、やけに細かい話になってしまっている、という感じ。

《群有思いこみ》と『それを実在するモノとして扱う』という《思いこみ》を伴った《思いこみ》

  1. 《群有思いこみ》とは『それを実在するモノとして扱う』という《思いこみ》を伴った《思いこみ》
    1. ○:そもそも、名前がモノを指し示す、というのも《思いこみ》でしかない。しかし、人々は『それが可能である』という前提で動いているのである。それとは別で、『モノ世界モノでないのに、モノ世界モノとして扱う』という《思いこみ》を伴った《思いこみ》
    2. ×:別モノ。《実在思いこみ》、《実在擬制思いこみ》。《擬制実在》『擬制実在』。

《息しつつあるモノ》とデータの名前

  1. 「xxさんの 支払調書の xx年度の 給与・賞与の 支払金額」は「xxさんの 源泉徴収簿の xx年度の 給与・手当等と賞与等との計の 金額」を書き写せばよい。と言ったときの「xxさんの 支払調書の xx年度の 給与・賞与の 支払金額」と「xxさんの 源泉徴収簿の xx年度の 給与・手当等と賞与等との計の 金額」とはデータの名前である。
  2. データの名前は、数字という《思いこみ》《指し示すコトバ》である。か? ○:。×:コトバは、《体内感覚世界》において、そのコトバを(反復?)再生したときにのみ意味を持ち、その作業がなければ意味を持たない。それ自体としては、何モノも指し示さない。
  3. データの名前は、数字という《思いこみ》《指し示す思いこみ》である。か? ○:。×:。
  4. コトバを聞くと、《思いこみ》が生じる。《私》が名前を唱えると、《私》自身それを聞いて、《私》《体内世界》《思いこみ》を生じさせる。《私》は、名前を唱えることによって、《私》自身の《思いこみ》を操ることができる。《思いこみ》《操りつつあるモノ》、《思いこみを操りつつあるモノ》(モイヤモ)と《息しつつあるモノ》
  5. コトバを再生できなけれは、コトバによる《思いこみの操り》はできない。そのコトバを忘れる、というのはそのコトバを再生できない、ということ。ヒトは、覚えた動きを再生できる、というか、「動きを再生できる」ことを「覚える」と呼ぶ。コトバを覚えるというのは、コトバを発する動きを再生できるということである。ミラーニューロンは、見ただけ、聞いただけで、その動き《体内世界》に再生して、それを再生することによってそれを理解する。
  6. 「xxさんの 源泉徴収簿の xx年度の 給与・手当等と賞与等との計の 金額」と唱えると、紙の源泉徴収簿の右側にある数字の欄が、目に浮かぶ。視覚的な《思いこみ》が生じる。関係データベースの表の項目とキーとが目に浮かぶかもしれない。それも視覚的な《思いこみ》だ。
  7. 「xxさん」というのは《モノの世界》の中のリアルなモノだ。「源泉徴収簿」も同じくリアルなモノだ。もっとも、「源泉徴収簿」はたくさんあるので『種類』というべきであり、その『種類』に属する特定の一枚のモノ、と言うべきかもしれない。「xx年度」というのも、時間に対する勝手な区切りに過ぎないが、一応輪郭を有するモノである。「給与」も「手当」も「賞与」もリアルな世界モノである。「金額」もカネというモノだろう。
  8. 「xxさんの 源泉徴収簿の xx年度の 給与・手当等と賞与等との計の 金額」という名前が指し示すモノは、「xxさん」の属性であり、「源泉徴収簿」の属性であり、「xx年度」の属性であり、「給与・手当等と賞与等との計」というリアルなモノの属性である。「金額」の属性かな? 「金額」という『種類』に属するモノの一つ(『集合の要素』)かな?
  9. カネはモノじゃない、《思いこみ》だ。銀行振り込みでカネが動いても、モノは何も動いていない。《私》の通帳の金額の数字が減って、相手の数字が増えるだけだ。《思いこみ》でしかない『カネ』を、あたかもそれが実在するモノであるかの如く恭しく儀式を行うのが銀行だ。
  10. 『金額』『カネ』というのは『それを実在するモノとして扱う』という《思いこみ》を伴った《思いこみ》だね。イワシの頭の神様だって、信じる者にとっては実在するモノであり、端からみれば、『それを実在するモノとして扱う』という《思いこみ》を伴った《思いこみ》だ。《紙幣》というモノがある、というのは《イワシの頭》というモノがある、というのと同じだ。『国家』も『それを実在するモノとして扱う』という《思いこみ》を伴った《思いこみ》だね。《群有思いこみ》

《群有思いこみ》《ニーズ・イーター》

  1. 技術者たちは頑張っている。
  2. 頑張っている、ということは、ソフトが進化している、ということ。
  3. ソフトが多様化して、競争関係にあり、競争によって、頑張っていて、進化している、ということ。
  4. 技術は進化し、ヒトは退化する。技術⊂《群有思いこみ》
  5. 疎外された物神は進化し、疎外されたヒトは退化する。

《他者からの思いこみ》《群有思いこみ》

  1. 《他者からの思いこみ》《群有思いこみ》とは同じもの? ○:《他者からの思いこみ》の中の『決まり』の部分は、《群有思いこみ》『決まり』の部分と共通ではないか?。×:《他者からの思いこみ》は実感であり、《群有思いこみ》は概念である。《群有思いこみ》《私》《思いこみ》である。《他者からの思いこみ》《他者》からの《私》への《噴出》である。

『現実』《群有思いこみ》

  1. 『現実』《群有思いこみ》とは同じモノ
    1. ○:
      1. ヒト『現実』《群有思いこみ》である。
      2. ヒト『現実』は《決定》によって変更される。《決定》とは『現実』を変更する《動き》である。
      3. 『この群れの人々はxxという歴史を背負っている』という《思いこみ》『現実』であり、かつ、《群有思いこみ》である。『歴史を背負っている』というのは現在の群れの属性への認識である。
    2. ×:
      1. たけ(tk)『現実』というモノを知らない。たけ(tk)『現実』の定義を知らない。
      2. マダニ環世界『現実』であるが《群有思いこみ》ではない。
    3. 《群有思いこみ》であっても『現実』ではないものがある。
      1. 過去の記憶《群有思いこみ》であり得るが、『現実』ではない。
      2. 『現在の世界』というカテゴリーの《思いこみ》《群有思いこみ》『現実』である。『現実』というカテゴリーの《群有思いこみ》『現実』である。同義反復〜〜〜。
  2. 或るヒトが、『わたしの世界である』と思いこんでいるところの《群有思いこみ》『現実』という。『世界』という。環世界という。

ヘーゲルの「客観的精神」と《群有思いこみ》

  1. 「精神は、精神自身によって産出されるべき、そして精神自身によって産出された世界としての実在という形態において存在する。そして、実在としてのこの世界においては、自由は現存する必然として存在する。−−客観的精神である」(p.47、『精神哲学』)・・これって、《群有思いこみ》だ。
  2. 《知った思いこみ》か? 《知りつつあるモノ》が産出した《知った思いこみ》

『知識』《群有思いこみ》

  1. 『知識』《群有思いこみ》である。
  2. 『知識』は個体からの《知った思いこみ》《群れ》への提示から始まる。
  3. 『知識の市場』での『知識』淘汰。正しい知識、重要な知識、が残るようにする事。
  4. 有力者にとって不都合な知識、が消されないようにする事。
  5. 『知識』の提示と、レビュー。『知識』に対する評価の『知識』の提示。

《群有思いこみ》《群れ》のシステム化。《群れのシステム化》

  1. 『仕事』による《群れ》のシステム化。

彼らが言う所の「正しさ」と《群有思いこみ》

  1. 彼らが言う所の「正しさ」というのは、《群れ》で共有すべき思考様式にマッチしているかどうかという基準のようだ。
  2. 彼らの主観世界の上方には《群れ》で共有すべき思考様式がある。
  3. ヒトモノである」というのは、彼らの基準からいえば「正しくない」。
  4. 《群れの中の個体》《群れ》の中でコトバを言うというのは、《群れ》で共有すべき《思いこみ》《群れ》に投入するということである。《群れ》で共有すべきでないコトバを投入するのは「正しくない」。
  5. 「するべきこと」を《する》のは正しく、「するべきこと」でないことを《する》のは正しくない。規範にマッチする行動は「正しく」、規範にマッチしない行動は「正しくない」。規範適合性の真偽判断基準。真偽じゃなくて正誤か。正誤判断基準。
  6. 群有規範、群有認識。

《群有思いこみ》《息しつつある複素時空》《息しつつある背後者回路》

  1. ヒトは、『集団』への帰属意識を持つ。『自己が帰属する集団』という《思いこみ》を持つ。ヒトは『帰属集団』の《思いこみ》を持つ。『帰属集団』の《思いこみ》ヒト《背後者回路》である。ヒトは『帰属集団』の《背後者回路》を持つ。
  2. 《私》は『帰属集団』の《息しつつある背後者回路》を持つ。

《群有思いこみ》と『伝聞世界

  1. 伝聞世界』は《群有思いこみ》である。
  2. 伝聞世界』とは、《他者》からのコトバによって構成された《思いこみの世界》である。

《ヒトの群れ》の識別指標と《群有思いこみ》

  1. 《個体間関係》への見通し
  2. その集団にはその集団を特徴づける特有の《思いこみ》があり、その《思いこみ》を共有することによって、《ヒトの個体》《ヒトの群れ》の一員であることを確認しようとするような《思いこみ》がある。
  3. 『現実』《思いこみ》が複数の個体によって共有されているというのは幻想である。しかし幻想であるにしても、それは安心であり、《快》なのである。
  4. そのような『自分が属する《ヒトの群れ》によって共有されている(はず)』の《思いこみ》《群有思いこみ》と呼ぶ。
  5. 《群有思いこみ》の起源は、《ヒトの群れ》の識別指標である。か?

《群有思いこみ》と『客観世界』と精神世界

  1. このページを覗いたヒトが、「精神世界だ」といった。
  2. おそらく、そのような感想を持つヒトは、『客観世界』という名の《群有思いこみ》世界に住んでいるのだろう。『現実』という名の《群有思いこみ》世界に住んでいるのだろう。

《群有思いこみ》《肉の塊》

  1. ヒト《思いこみ》を持つ、ということは、客観的に見て、あり得るのか?
  2. ヒト《思いこみ》を持つ、というのは、そのヒトが、過去のある期間(秒単位)にその《思いこみ》を生成したことがあり、その記憶を、そのヒトが持っている、ということを意味する。また、その《思いこみ》が反復して発生し、『《私》はその《思いこみ》を持っている』『これは《私》《思いこみ》である』という《思いこみ》を伴って、その《思いこみ》が発生する場合を意味する。

《群有思いこみ》《他者の思いこみ》、《他者の群有思いこみ》

  1. 《群有思いこみ》《私》《思いこみ》か、《他者の思いこみ》か?
  2. 《群有思いこみ》は、《他者》《身体》の内部に客観的に存在する《他者の思いこみ》か? であるな。(客観的=《私》の主観の有無に関らず存在する)。
  3. 《他者》《群有思いこみ》は、《他者の群有思いこみ》として、《私》《群有思いこみ》から区別すべきか?

《群有思いこみ》コトバ

  1. コトバヒトよりも偉い。
  2. だから、ヒトコトバ(法律、約束、貨幣?、《群有思いこみ》)に服従するのだ。

コトバモノへの指し示し(モノ被指示性)と《群有思いこみ》

  1. コトバモノへの指し示し(モノ被指示性)は《群有思いこみ》である。

《思いこみの共有》《共有思いこみ》は、客観的に見て複数の《ヒトの個体》によって共通に思いこまれている《思いこみ》。それに対して、《群有思いこみ》《ヒトの個体》の内部で『群れのレベルで共有されている(はずだ)』という《思いこみ》を伴ってた《思いこみ》である。《ヒトの個体》の特殊な《思いこみ》である。

分類

  1. 知識・・《共有思いこみ》としての《知った思いこみ》
  2. 規範・・仮言的な《求める思いこみ》
  3. 命令・・定言的な《求める思いこみ》
  4. 社会的自画像・・社会的言動の記憶は社会的自画像を形成する。契約したという社会的言動が自己の社会的自画像を形成する。《群有自我像》というべきか?

検索

《思いこみ》 - [#《群有思いこみ》]

おまけ - [# 私は誰なのか?・・《群有思いこみ》としての『私』 ・ 2005/02/12] 『デ・アニマ』 - [#これは、コトバ《群有思いこみ》性の意味であろう。知性は《群有思いこみ》の運動である。]

《知りつつあるモノ》 - [#(11)ヒトの通常の社会的心理状態から、《知りつつあるモノ》を自覚する状態になるためには、自覚のカオス《混濁》現象学的還元、エポケー)を経由しなければならない。《知りつつあるモノ》から通常の社会的心理状態を観察すると、《群有思いこみ》(共同幻想)の《思いこみ》入り込んだ夢遊病状態に見える。《健常者》相変異。群生モードと孤独モード。群生相と孤独相。]

『悪』 - [#法は《群有思いこみ》である。《ヒトの群れ》《群有思いこみ》を必要とする。]

孤独相 - [#群生相における《私》は記号の「私」でしかない。記号の「私」は《群れ》の参加当事者にとっての《群有思いこみ》としての『私』を指し示す。《群れ》の中での共通のお約束としての『私』である。モノとしての《私》は、《コトバの世界》の中には現れることが出来ない。]

コトバ - [#《群有思いこみ》、《群れのコトバ》とモノとの弁証法。]

ゴミ箱2006-06 - [##『正体』を背負ってしまえば、自由な発言はできない。『正体』の自己運動でしかあり得なくなる。ペルソナ。《群有思いこみ》としての『我』。《健常者》]

モノたちとの対話 - [#《思いこみ》世界ではね。そのように、『対等じゃない』という《思いこみ》の中に入りこめばね。ヒトというモノは『対等じゃない』という《思いこみ》を持つモノ、ということになるのかな。《コトバ中毒》だから。母親のコトバには服従し、信じ、その《思いこみの世界》入り込む、というのが《コトバ中毒》だね。言われたコトバにはついうっかり従ってしまう。そのコトバを発したヒトは、《私》を動かしているように見える。だから、《私》コトバを媒介として《他者》と対等ではない、と思うのだろう。《コトバの世界》《群有思いこみ》世界では『対等ではない』という《思いこみ》を生じるのが自然なんだ。]

相変異》 - [#群生相は、極大化した《思いこみの世界》であり、《群有思いこみ》世界である。]

『なすべきこと』 - [#《為しつつあるモノ》《動き》『群れの中の私』という《群有思いこみ》を変化させる。]

キーワード - [## 《群有思いこみ》《共有思いこみ》《個有思いこみ》]

《他者の知りつつあるモノ》 - [#《他者》は彼の《思いこみ》によって《他者の知りつつあるモノ》を駆動する。(上方無限遠点《浄化球》)。・・《群有思いこみ》と《個体の属する群れ》。]

『群れの中の私』 - [#《為しつつあるモノ》《群有思いこみ》を《成らしつつあるモノ》である。]

《ヒトのアニマ》 - [#コトバ《群有思いこみ》である。]

被指示性 - [コトバモノへの指し示し(モノ被指示性)と《群有思いこみ》]

《視点》 - [私は誰なのか?・・《群有思いこみ》としての『私』 - [演じられつつある虚構としての『私』の視点からみれば、『私』世界もまた虚構ということになるでしょう。『私』世界は《舞台》という虚構の世界だからです。]]

私は誰なのか?・・《群有思いこみ》としての『私』 - [タイトルに一致 《群有思いこみ》]

テレビ - [ゴミ箱2005-06 - [#「世界は、人と人の間の強大な共同体験マシーンだ。臨死体験をはじめとする意識の変性状態には、このような共同体験マシーンがない。」ということは、《群有思いこみ》しか信じない、《個有思いこみ》は信じない。ということだな。おそらく、普通のヒトは、《群有思いこみ》としての《我》しか持たない人は、《群有思いこみ》としてのコトバ(体験報告)しか信じない。臨死体験が《群有思いこみ》ではない、というのは確かだだろう。しかし、cogito, ergo sum は《群有思いこみ》でありうるのか? 逆に、本屋マスコミで人々が誰でも知るに至った臨死体験は《群有思いこみ》でありえないのか? 公知の臨死体験は《群有思いこみ》だろう。共同体験マシーンに認知された臨死体験と、cogito, ergo sumとはどう違うのか?]]

《群れの思いこみ》 - [#《ヒトの個体》がそのコトバを聞いて『これは《ヒトの群れ》に属するすべての個体に共通である(べき)《思いこみ》である』という《思いこみ》をもって思いこむときに(《群有思いこみ》)、その《思いこみ》《ヒトの個体》に対して、《群れの思いこみ》として行動を規制する。]

《繋がり》 - [私は誰なのか?・・《群有思いこみ》としての『私』 - [おそらく、「私は誰なのか?」という問いは、《群有思いこみ》における「私」のイメージと、《私》自身が感じている「私」のイメージとにギャップがあるということではないか? 《私》自身が感じている「私」のイメージが他の個体が感じている「私」のイメージとが異なっているために、《個体間関係》が滑らかに進行していかない、という状況を反映した問いではなかろうか?]]

ゴミ箱2005-06 - [#「世界は、人と人の間の強大な共同体験マシーンだ。臨死体験をはじめとする意識の変性状態には、このような共同体験マシーンがない。」ということは、《群有思いこみ》しか信じない、《個有思いこみ》は信じない。ということだな。おそらく、普通のヒトは、《群有思いこみ》としての《我》しか持たない人は、《群有思いこみ》としてのコトバ(体験報告)しか信じない。臨死体験が《群有思いこみ》ではない、というのは確かだだろう。しかし、cogito, ergo sum は《群有思いこみ》でありうるのか? 逆に、本屋マスコミで人々が誰でも知るに至った臨死体験は《群有思いこみ》でありえないのか? 公知の臨死体験は《群有思いこみ》だろう。共同体験マシーンに認知された臨死体験と、cogito, ergo sumとはどう違うのか?]

《他者》への見通し - [《他者の思いこみ》には、モノとしての《身体》《思いこみ》、生き物としての《身体》《思いこみ》、《我の思いこみ》、様々な《個有思いこみ》、および、《群有思いこみ》がある。]

《共有思いこみ》 - [《群有思いこみ》]

ゴミ箱2005-03 - [** 《他者》《群有思いこみ》《求める思いこみ》。] 《思いこみの共有》 - [《群有思いこみ》:は『自分が属する《ヒトの群れ》の全員が共有している(はず)』という《思いこみ》を伴う《思いこみ》。]