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《体外直知時空》

《体外直知時空》(たがちょじ)に関連する疑問

  1. 《体外直知時空》《此時此処からの物理時空》ぶりじく)とは同じ?
    1. ○:。
    2. ×:
      1. 《この身体が知り得た一切への一望》
        1. 《混濁》への一望
        2. 《混濁しつつある身体》への一望
        3. 《体外直知時空》(★)への一望
        4. 《此時此処からの時空への一望》
        5. 《此時此処からの物理時空》(★)
        6. 《此時此処からの想念時空》
        7. 《此時此処からの群生時空》
        8. 《背後者時空》への一望。
      2. 《此時此処からの物理時空》では身体の内外の両方を含む。直知可能性も問わない。
      3. 《此時此処からの物理時空》=《体内時空》+《体外時空》?○:。×:《体内時空》は《背後者時空》を含む。
      4. 此時此処からの/物理/想念/群生/時空》は身体性や直知可能性を捨象した概念。《体内/体外/直知/背後者/時空》は身体性や直知可能性に依存した概念。ドメインが異なる。

記述

  1. 第一の定義:
    1. 《混濁》は、《知りつつあるモノ》《混濁の世界》とに分離する。
    2. 《混濁の世界》を『存在の確からしさ』で観察すると、《混濁の世界》は広義の《近傍物理空間》《思いこみ》とに分離する。
    3. 《近傍物理空間》は、《知りつつあるモノ》の『存在の確からしさ』と同程度の『存在の確からしさ』を有する部分であり、
    4. 《思いこみ》は、その『存在の確からしさ』を、《知りつつあるモノ》の『存在の確からしさ』と同程度には有しない、《混濁の世界》の部分である。
  2. 第二の定義:
    1. 広義の《近傍物理空間》には《体内直知時空》も含まれている。
    2. 広義の《近傍物理空間》から、《体内感覚世界》を除外したモノ、すなわち《体外感覚世界》を、狭義の《近傍物理空間》と呼ぶ。
  3. 第三の定義:
    1. 観察していると、《思いこみ》は、《体内感覚世界》モノの一種であることに気づく。《思いこみ》《体内感覚世界》の中のモノとして、ある程度の『存在の確からしさ』を有する。《思いこみ》も、それが生じている限りにおいて、《知りつつあるモノ》と同程度の『存在の確からしさ』を有する。主観相対性といった問題はあるけれど・・。『客観的』《客観世界》
    2. 従って、《混濁の世界》《体外感覚世界》(狭義の《近傍物理空間》)と《体内感覚世界》とに分離する、ということになる。

区別

《近傍物理空間》と《視界》

  1. 《彼》は《私》の視界の中に在り、《私》は《彼》の視界の中に在る。
  2. 《近傍物理空間》は《視界》とほぼイコールだな。
  3. 視界 angular range of the view // eyeshot // eyesight // field // field of view〔【略】FOV〕 // field of vision // purview(活動・権限・関与などの) // range of view // range of vision // region of the eyes // sight // view // visibility // visibility《気象》〔ある気象条件で特定の対象物が裸眼で見える最大の距離。◆【略】vis.〕 // visual range《気象》
  4. perspective 【名】
    1. 1. 遠近(画)法{えんきん(が)ほう}、遠近感{えんきん かん}、透視図(法){とうし ず(ほう)}、奥行き{おくゆき}。
    2. 2. 展望{てんぼう}、物の見方{みかた}、考え方{かんがえかた}、観点{かんてん}、視野{しや}、大局観{たいきょくかん}◆【類】viewpoint。 ・It is sometimes hard to understand someone else's perspective about a problem. : 他人が問題をどう見ているかを理解するのは、時には難しいことだ。
    3. 3. バランスのとれた見方{みかた}
    4. 4. 見込み{みこみ}、〔将来{しょうらい}の〕見通し{みとおし}、目途{もくと}
    5. 【形】 遠近法{えんきんほう}の

デカルトと《近傍物理空間》。「デカルトの暖炉」

  1. 「まつたく疑ひ得ぬ他の多くのものがある。例えば、いま私が此處に居ること、暖爐のそばに坐つてゐること、冬の服を着てゐること、この紙片を手にしてゐること、その他これに類することのごと。まことにこの手やこの身體が私のものであるといふことは、いかにして否定され得るであらうか」(http://www.ff.iij4u.or.jp/~yyuji/library/descartes/med001.html
  2. 「デカルトの暖炉」はデカルトの《近傍物理空間》の中に在った。
  3. 『普遍的に正しいコトバ』という《思いこみ》《世界》《視点》からいえば、「「デカルトの暖炉」はデカルトの《近傍物理空間》の中に在った」というコトバは普遍性を持たない、単なる事実の記述の断片である。『普遍的に正しいコトバ』という《思いこみ》《視点》には《私》への関心が無いからである。《『普遍的に正しいコトバ』を語りつつあるモノ》が、『普遍的に正しいコトバ』という《思いこみ》における《私》である。饕餮である。

《近傍物理空間》《背後者》と、《息しつつあるモノの背後者》

  1. 《息しつつあるモノの背後者》で浄化していくと、《身体》の浄化、《知りつつあるモノの背後者》の浄化のあとに、《近傍物理空間》の浄化が残る。《近傍物理空間》を浄化すると、《近傍物理空間の背後者》が残る。
  2. 《近傍物理空間の背後者》モノの内部であろう。

《近傍物理空間》は、今ここの《知りつつあるモノ》によって《知られつつあるモノ》としての《モノの世界》である。

  1. 《近傍物理空間》は、今ここの《知りつつあるモノ》によって体外感覚によって《知られつつあるモノ》としての《モノの世界》である。

《知りつつあるモノ》《直知》することができる物理空間を《近傍物理空間》と呼ぶ。

  1. 体内感覚空間は物理空間なのか? ○:。×:。

《体外直知時空》と《モノたちのカオスな群れ》

  1. モカム《モノたちのカオスな群れ》
  2. 『種類』
    1. 動くモノと動かないモノ
    2. モノと思い描き
    3. 動かないモノ地面。建物。空(そら)の場所
    4. 動くモノヒト。車。風。
    5. それ自体としては動かないが簡単に動かされるモノ。洋服。持ち物。
  3. ヒトカオスに耐えられないから、勝手な《思い描き》でそれをコスモスにしようとする。『種類』もそのような勝手な《思い描き》だ。『種類』の《思い描き》で分類しても、モノたちの群れがカオスであることには変わりはない。
  4. モノたちのカオスな群れ》というのも、『種類』と同様の勝手な《思い描き》か? ○:『カオス』の数学的モデルができたので、《連想のトンネル》ができたので、平然と『カオス』の《思い描き》で語ることができるようになったのだ。×:。
  5. カオス』多数のモノたちが、それぞれ自己言及的に、相互言及的に動くことによって生じる、全体として予測不可能な《動き》。Yi(t+1)=Fi(Yi(t),Σj(Yj(t))) 。《自己言及関数の群れ》

《近傍物理空間》《息しつつあるモノの群れ》

  1. 《息しつつあるモノの群れ》の段階に至れば、《近傍物理空間》は、それぞれの《息しつつあるモノ》のまわりの《身体》のまわりの、物理空間のうちの、それぞれが直知可能な範囲の部分を意味する。

《近傍物理空間》と六処

  1. なんか。本物の《混濁》においては、《混濁》は、3次元の空間知覚と《混濁しつつあるモノ》とに分離する。3次元の空間知覚は《近傍物理空間》だろう、が、聴覚的な《近傍物理空間》かも知れない。視覚的な《近傍物理空間》と聴覚的な《近傍物理空間》とは異なる。幻覚的な《近傍物理空間》もある。《他者の思いこみ》を感じるのは幻覚的な《近傍物理空間》だ。客観的なこの街とか東京とかいうのは幻覚的な《近傍物理空間》だ。
  2. 視覚的な《近傍物理空間》においては、《身体》がその中にみえているので、《知りつつあるモノ》《身体》の中にあるはずだ、という《思いこみ》が生じる。しかし、聴覚的な《近傍物理空間》では、《身体》の音が聞こえないので、《知りつつあるモノ》が出てこない。
  3. 六処なのか・・。
    1. 器官:眼処、耳処、鼻処、舌処、身処、意処の「六処」
    2. 能力:眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根の「六根」
    3. 世界:色境、声境、香境、味境、触境、法境の「六境」。というらしい。
    4. 能力:視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、幻覚
    5. 世界:主観的[視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、幻覚世界
  4. 視覚的な《近傍物理空間》のイメージに執着しすぎていたかもしれない。
  5. 《近傍物理空間》には眼境、耳境、鼻境、舌境、身境、意境の6種類がある。最後の意境は《思いこみの世界》のことだ。最初の眼境が今までの《近傍物理空間》に相当する。
  6. 人に名づけられたコトバで考えるのは癪である。自分で名づけたコトバで考えたい。《他者》の思考に乗っているかぎり、自分の思考を取り戻すことはできない。でも、自分のコトバが、わかった後に、それが、《他者のコトバ》を同じモノを指し示していることがわかったならば、《他者のコトバ》を使ってもよいだろう。
  7. しかし、それにしても、抹香臭くて、使いにくいな・・。仏教理論の英語訳でも捜してきて、カタカナ語に翻訳して使うか?
  8. 《近傍物理空間》というのは遠隔物理空間との対。遠隔物理空間は主観的幻覚空間の中にある。客観的空間は主観的幻覚空間の中にある。《思いこみの世界》の方がよいか・・。

《近傍物理空間》と3次元空間

  1. 『3次元空間』というのは《思いこみ》なのだ。《思いこみ》において『3次元空間』を理解することは可能であるが、《思いこみ》である。《思いこみ》において《近傍物理空間》を『3次元空間』として理解することは可能であるが、《思いこみ》である。《私》には極座標的な方向と距離があるだけだ。極座標的な世界《思いこみ》である。実際には極座標の原点にある《私》から見た、射影空間が《私》のまわりに広がっているだけだ。
  2. 《私》《他者》を見る場合には、《他者》は3次元空間の中のモノとして現れる。《同質者公理》によれば、《私》も3次元空間の中のモノであろう、というのは《思いこみ》である。それは《正しい思いこみ》であろう。が、・・。《同質者公理》における《正しい思いこみ》である。

《近傍物理空間》《身体》の内部

  1. 《近傍物理空間》《身体》の内部を含むか? 
  2. 含まない。とするなら、《私》《近傍物理空間》の一部分ではない。?。
  3. 《近傍物理空間》《身体》を含む。《近傍物理空間》モノとしての《身体》の内部は《近傍物理空間》の《認識限界》の先のモノ《身体》の内部は《近傍物理空間》《背後者》である。

《近傍物理空間》《視点のパラメータ》《視点の移動》

  1. 《近傍物理空間》《共振しつつある世界》《世界アニマ》《モノと思いこみの世界》は同じモノであろう。同じモノへの異なった《視点》からの異なった《かたち》であろう。
  2. 《近傍物理空間》への《視点》《知りつつあるモノ》である。
  3. 《世界アニマ》への《視点》《浄化球》である。
  4. 《モノと思いこみの世界》は・・。
  5. デカルト的な直交座標の《視点》では《近傍物理空間》はない。『近傍』を特定すべき特異点がない。
  6. 主観的な極座標の《視点》においてのみ《近傍物理空間》が在る。

《近傍物理空間》多次元輪郭世界

  1. 《近傍物理空間》多次元輪郭世界である。
  2. 《近傍物理空間》の中に在るモノは、この視点からの輪郭と、あの視点からの輪郭とを持つ。
  3. 《近傍物理空間》の、この視点からの輪郭は、たくさんの視点からのたくさんの輪郭のうちのひとつである。
  4. この視点から、あの視点への座標変換のためのパラメータの座標軸を追加すれば、《近傍物理空間》多次元輪郭世界となる。
  5. 《暮らし》は、この《身体》《動き》と《関係》とを多次元輪郭空間の中に置くことによって、この《近傍物理空間》の中のモノとして、輪郭化してくる。時間を異にする視点への座標変換のパラメータの座標軸を追加すること。

《近傍物理空間》モノコトバ

  1. 「個別的な感覚的諸実体には、定義もなく論証も存しない」(p.283)「けだし、消滅しうる事物は、それの認識を有する者にとっても、それが彼の感覚範囲から消え去ったときには、不明瞭だからであり、そして、たとえその事物の説明方法(概念)はかれの霊魂の中にそのまま保存されていても、もはやそれの定義も論証もありえないであろうから」(p.284、『形而上学・上』)。

《近傍物理空間》体内感覚

  1. 《知りつつあるモノ》体内感覚と体外感覚とを持つ。《近傍物理空間》は体外感覚において知られた《混濁の世界》である。
  2. 《近傍物理空間》《混濁の噴出》であると分かると、《近傍物理空間》体内感覚の性質を有するに至る。

時間《近傍物理空間》

  1. 《近傍物理空間》は、今という具体的な瞬間における空間である。
  2. 時間を捨象した空間ではない。《今ここの我》と呼ばれる、今の瞬間において《知りつつあるモノ》が現に知りつつある具体的な空間である。
  3. 一瞬前の『近傍物理空間』はもはや《近傍物理空間》ではない。それは、記憶の中の《思いこみ》である。一瞬後の『近傍物理空間』も同様に単なる《思いこみ》である。《知りつつあるモノ》は今ここにしか存在しない。他のヒトの中には存在しない。というか、その存在を知り得ない。あるかもしれないし、ないかもしれない。「無い」という公理《特別者公理》)で記述することもできるし、「在る」という公理《同質者公理》)で記述することもできる。
  4. 一瞬前の『近傍物理空間』と今この瞬間の《近傍物理空間》が、同一性をもって継続しているかどうかは、直接には知ることができない。「継続していない」という公理で記述することもできるし、「継続している」という公理で記述することもできる。《断絶公理》と《持続公理》。
  5. 《断絶公理》によれば、『過去』は記憶という《思いこみ》の中に在る。《近傍物理空間》の『過去』は《近傍物理空間》自体が有する《思いこみ》である。
  6. 持続公理において、過去や未来が現在と同一性を保って持続しているとしても、過去やい未来は、直接に知ることはできない。認識限界の先にあるモノである。現在とは時間的な認識限界の内部のモノである。
  7. 持続公理によっても、《知りつつあるモノ》は今ここにしか存在しえない。従って《知りつつあるモノ》永遠の今のなかにある。
  8. 『持続するモノ』は《思いこみ》によって想定されたモノである。たけ(tk)時間の存在を信じる。認識限界を超えた先にある時間というモノの存在を信じる。

体外感覚世界《近傍物理空間》

  1. 同じモノ
  2. 《知りつつあるモノ》によって、現に、今ここで、直接に感じられつつある体外感覚世界《近傍物理空間》

六境:六種類の感覚器官の違いによって、六種類の《近傍物理空間》がある。法境というのは体内感覚の空間のこと。《思いこみ》も法境空間に含まれることになる。《思いこみ》《知りつつあるモノ》が近傍空間の中で感じるモノ《思いこみ》は空間定位の曖昧さのゆえに《近傍物理空間》の中には内容に感じられる。しかし、実際には、体内感覚の中にあり、《身体》の中の空間の中にある。《他者のコトバ》を聞くとき、聴覚世界(声境)のなかの音を聞く、が、それを媒介として《他者の身体》内部の《思いこみ》を感じる。これは《私》の意根による《他者の身体》内部の法境への知覚である。