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《怯えつつあるモノ》

キーワード《怯えつつあるモノ》

定義

怯える、というのは生き物の根源的な感情かもしれない。

区別

キョウゾウ・イシモ

  1. 鏡像と《息しつつあるモノ》
  2. 鏡像の無限ループ。パニック。鏡像や鏡像のパニックは、それ自体としては《怯えつつあるモノ》ではない?
  3. 《鏡像にパニックしつつあるモノ》を味わうことが必要?《鏡像しつつあるモノ》。
  4. 『見る』意欲のハウリング状態。
  5. 鏡やカメラに向かって微笑むことは不可能だ。
  6. 女性の目は受け入れる目であるように見える。目からの反射が無い。
  7. 男性の目は反射する目である。
  8. 《鏡像しつつあるモノ》は《怯えつつあるモノ》である。すべてを呑み込むブラックホールに《怯えつつあるモノ》である。
  9. 《鏡像しつつあるモノ》は「見ること」をブラックホールに《噴出しつつあるモノ》である。《知りつつあるモノ》をブラックホールに《噴出しつつあるモノ》である。

オビモ・イシモ 《怯えつつあるモノ》《息しつつあるモノ》

  1. 《息しつつあるモノ》《怯えつつあるモノ》である。死ぬことへの怯えが、《息しつつあるモノ》を駆動している。
  2. 《今・ここの・このモノ》《怯えつつあるモノ》である。《他者》からの記憶《怯えつつあるモノ》である。《他者》の出現に《怯えつつあるモノ》である。
  3. 《今・ここの・このモノ》は《怯え》を《噴出しつつあるモノ》である。
  4. 《知りつつあるモノ》《他者》の出現によって撹乱されるのは、《知りつつあるモノ》《背後者》《他者》《怯えつつあるモノ》だからである。
  5. 頭の中の頂点付近に《ちから》を感じる。主観的には頭の外の上の方向に《怯え》を感じる。『天』の方向に《他者》への《怯え》を感じる。頭内頂点に感じる《怯え》は、具体的な『他者』の記憶への《怯え》である。頭外頂点に感じるのは、抽象化された『他者』への《怯え》である。
  6. 《近傍物理空間》《他者》が現れて《怯え》を感じるとき、《知りつつあるモノ》はそれを《背後者》に感じる。そのパニックの記憶はおそらく頭内頂点付近で保存されるのだろう。
  7. その《怯え》に口実を付けるなら、死への《怯え》というより、「『群れ』からの追放」への《怯え》であろう。《群れ》《他者のコトバ》に従わないことは、《群れ》からの追放の《怯え》をもたらす。《他者のコトバ》に従うべきか、従わざるべきか、或るコトバに従うときには、別の或るコトバへの反抗が要求される。二律背反のコトバへの苦悩。二律背反の苦悩は、《他者のコトバ》への絶対的服従という《背後者回路》の帰結である。その《背後者回路》からの解放ではない。
  8. 記念写真の撮影で、久しぶりにパニックに陥った。鏡像への《怯え》である。たけ(tk)が怯えるのは、《他者》ではない、鏡像である。鏡像のほうが100倍は強烈なパニックを引き起こす。鏡像は《他者》であり、かつ、《我》である。《我》《他者》との無限ループ《我》にパニックを引き起こす。

《怯えつつあるモノ》《息しつつある背後者回路》

  1. 《私》は死に致るような行動は避ける。《私》は死に《怯えつつあるモノ》である。
  2. 《怯え》は生存欲求への不安である。

《他者》《怯えつつあるモノ》《視点のパラメータ》《視点》

  1. 《他者》が『規範』に従うのは、《他者》《怯えつつあるモノ》だからである。
  2. 《他者》が、別の《他者》との距離を保つのは、《他者》《怯えつつあるモノ》だからである。
  3. 《他者》が「働く」のは、《他者》《怯えつつあるモノ》だからである。
  4. 《他者》が騙されるのは、《他者》《怯えつつあるモノ》だからである。(騙される原因は、《怯え》か《求め》である)。
  5. 《他者》《怯えつつあるモノ》は、《他者》《知りつつあるモノ》の背後に在る。《他者》《怯えつつあるモノ》は、《他者》《知りつつあるモノの背後者》である。
  6. 《他者》《怯えつつあるモノ》は、《他者》《背後者》《視点》である。
  7. 《他者》《怯えつつあるモノ》は、《怯え》を予感させるモノを見えなくする。見ることを拒否する《思いこみ》である。
  8. 《視点のパラメータ》は、「xxを見ることを拒否する」という傾向の有無、強度である。

闇と《怯えつつあるモノ》

  1. 闇は《知りつつあるモノ》の怯えである。
  2. 「見えない」ことから「見ない」ことへ。闇に「目を向けること」から「目を背けること」へ。
  3. 《怯えつつあるモノ》の走光性。ルシファー、イミナルティ、カバラの光は、人々の走行性を使って支配するための光らしい。
  4. http://www.asyura.com/sora/bd6/msg/705.html
    1. 「この世界戦争は、もっとも凄惨な社会変動と血みどろの動乱を招来する。そのとき、革命を起こす少数派から防衛せざるを得なくなった民衆ほ、全世界でこれら文明の破壊者を殺教するだろう。一方、大部分の者たちはキリスト教に幻滅し、方向性を見失い、理想をあがき求めながらも、それをどこに求めるべきかを知らぬまま、最終的に民衆に提示されるルシフアーの純粋な教理の世界的台頭を通して、真の光をつかむのだ。キリスト教と無神論の同時的征服と壊滅によって起きてくる広範囲にわたる反動から、これは現実のものとなる」
  5. 小魚をおびき寄せて食べるチョウチンアンコウの光か。
  6. ホタルの光はルシフェリンだってさ。(http://why.mods.jp/contents/anmal.htm#11
  7. 権力を求めるヒトは、何でも支配の道具にしてしまう、ということ。
  8. しかし、権力を得たヒトが、その権力を使って、ハルマゲドン(人類滅亡戦争)を望むようでは、困ったモノだ。人類滅亡が人類救済だとおもうのは、ヒトの死がホトケへの道だと思うのと同じか・・・。巻き添えにせんでくれよ。

未来から過去への噴出《怯えつつあるモノ》

  1. 未来は怯えるべきモノである。
  2. 未来から過去への噴出は、反復・循環する。日の循環、年の循環、という地球的自然における循環、週、月という人工的な循環(月の循環は自然的循環に基礎がないわけではないが・・)。
  3. 循環は「規則的」であり、未来は規則として見通されるようになる。
  4. 規則に従うモノとしての未来は、怯えるべきモノではなく、利用可能な道具的なモノである。
  5. 怯えるべきモノとは、カオスであり、不明なモノ、であろう。「何が起きるか分からない」。「分からない」ということが不安の原因であろう。カオスは有害無益であり、コスモスは(うまく使えば)有益無害である。カオス《不快》であり、コスモスは《快》である。それゆえに、ヒトはコスモスを求め、カオスから目を背(そむ)けようとする。まあ、問題は、カオスに目をつぶっただけでは、カオスはなくならない、ということではあるが・・。しかし、カオスから目を背ければ、心理的な安心は得ることができる。錯覚を得ることができる、『心地よいウソ』を得ることができる。
  6. 規則的なモノ、は未来を予見可能にする、利用可能にする。規則的なモノが多数になると、予見不可能・利用不可能になる。(3体問題)。モノが多数な場合には、すべてのモノが同一の規則に一斉に動くのであれば、予見可能・利用可能になる。
  7. カオスへの怯え、コスモスへの《求める思いこみ》が、古代の心象のようだ。支配者は人々にコスモスをもたらすと約束し、人々はカオスへの怯えから逃れるために、進んで支配に服した。ふーむ。自発的服従追従ザル。人々の《知りつつあるモノ》カオスの闇の恐怖の中にあり、そこに一点の明かりを指し示されれば、(それがなんであれ)そこに向かって歩き始め、カオスの怯えから逃れることが出来るようになる(結果はどうであれ、少なくとも原因時点での心理的メリットがある)。走光性。《怯えつつあるモノ》

《健常者》《怯えつつあるモノ》

  1. 《健常者》《怯えつつあるモノ》である。『刑事責任』が想定している《健常者》《ヒトの群れ》の規則に《怯えつつあるモノ》である。「規則からの逸脱」に《怯えつつあるモノ》である。
  2. 「怯え」は『不在』への《求める思いこみ》である。
  3. 《怯えつつあるモノ》は『未来』や『結果』を《予見しつつあるモノ》である。「予見」というのは時間的未来の状況への《知った思いこみ》である。《思いこみの中での見通し》である。
  4. 《健常者》は『私は異常ではない』と思いこんでいるヒトをいう。
  5. 科学者》は、『複数の《健常者》が反復して観察可能であること、を『客観性』だ』と信じている人びと。
  6. 《我》は、複数の《健常者》が反復して観察可能ではない、?? 《健常者》《我》のアポリアを知っているから、《我》を見ないのである。《健常者》自己言及のアポリアが『私は異常ではない』という《思いこみ》を破壊することを恐れるのである。《健常者》自己言及のアポリアに《怯えつつあるモノ》である。
  7. 予知、予見、予想、予測、・・。どれも『未来』への《知った思いこみ》である。確信の度合が異なるだけ?
  8. 《ヒトの群れ》の規則への怯え、《モノの世界》の規則への怯え。
  9. 規則は『未来』への《知った思いこみ》を生み出す。

《混濁しつつあるモノ》《怯えつつあるモノ》

  1. 《混濁しつつあるモノ》《他者》の出現に《怯えつつあるモノ》である。

「不安」と《怯えつつあるモノ》

  1. 「客観的、現実的な実際の危険状況と不均衡に、あるいは何ら実際の危険が存在しない状況に対しても、不安体験が個人の生活史を通して持続的に高い頻度で出現するとき、慢性の神経症的不安とよんで、正常不安または現実不安と区別している」(p.315、9-7『心理学の基礎知識』
  2. 「不安」っていうのは「怯え」の中国語訳だよね。
  3. 《怯え》には、正常な《怯え》と、神経症的な《怯え》とがある。
  4. 神経症的な《怯え》も何らかの「危険状況」を《知りつつあるモノ》だと思う。ただ、その《知った思いこみ》をただちに抑圧してしまうから、何に怯えているのかを自分でも分からなくなるのだ。

フロイトの「抑圧」と《怯えつつあるモノ》

  1. 「彼女は不快感と運動制止のためコップから水が飲めなかったが、催眠状態に誘導されて付き人のイギリス夫人を非難しその人の子犬がコップから水を呑んでいるのを見た不愉快さを語ると、その症状が全く消失した」(p.314、9-6、『心理学の基礎知識』
  2. 共食→同化の恐怖(犬と同じコップで水を飲むと、犬と同化してしまう)、に怯えたのだろう。怯えの記憶を抑圧したのだ。

「葛藤」と《怯えつつあるモノ》

  1. 「精神分析理論でいえば、快を求め不快をさけ攻撃性を発揮しようとする願望が、道徳的な声や現実を考慮する自我の働きと葛藤状態になると、前者を無意識の中に抑圧し忘却すること(健忘)で解決が計られる。抑圧によって無意識となった体験や感情は・・」(p.314、906、『心理学の基礎知識』
  2. 《怯えつつあるモノ》は、単純に恐怖状況に対する対応であるようにもみえる。
  3. 単純な恐怖状態に対する適応としての《怯えつつあるモノ》であっても、「勇敢でなければならない」という道徳的な声との葛藤を引き起こすことがある。

《怯えつつあるモノ》《求めつつあるモノ》

  1. 《怯えつつあるモノ》は、『怯えるべきモノ』から逃れることを《求めつつあるモノ》である。
  2. 《求めつつあるモノ》モノ動きを導くが、《怯えつつあるモノ》モノの停止を導く。その意味では反対の感情である。
  3. 《怯えつつあるモノ》は見ることの停止、知ることの停止、思うことの停止(思考停止)、動くことの停止を導く。逃避行動には繋がらない。「立ち竦む(たちすくむ)」ことが《怯えつつあるモノ》がもたらす結果である。「死んだふり」の生き残り戦術の名残かもしれない。捕食者の動体視力からの逃避であるかもしれない。場合によっては逃げるよりも立ちすくんだ方が生き残りの確率が高くなるかもしれない。
  4. 「怯え」は地獄・修羅の感情であり、「求め」は畜生・餓鬼の感情である。「知った」は天上・人間の感情(《思いこみ》)である。
  5. 《怯える思いこみ》というのがあるのかな? 《怯える思いこみ》は《思いこみ》が停止することである。《思いこみ》が固まることである。《怯えた思いこみ》の方が適切か?

《怯えつつあるモノ》と「心が去る」こと

  1. 「怯え」という漢字は「心が去る」って書くのね。

《他者》『現実』《怯えつつあるモノ》

  1. 《他者》『現実』は、《他者》《怯えつつあるモノ》が作り出す、歪められた《他者の世界の鏡像》である。
  2. 《怯えつつあるモノ》は知覚停止、思考停止、運動停止を導く。タブーは、思考停止であり、《怯えつつあるモノ》の結果である。
  3. http://ja.wikipedia.org/wiki/タブー
    1. タブー(Taboo)とは、聖なるものと俗なるもの、清浄と不浄を分けて考える文化や宗教観念において、その両者の接触を禁ずる慣習や宗教上の制約を指す。ポリネシア語tabuが語源。18世紀末にジェームズ・クックが旅行記において、ポリネシアの習俗を紹介する際に用いたことにから西洋社会に伝わり、その後世界各地に同様の文化があることから広まった。現代では洋の東西を問わず、日常的に忌避の対象をさす言葉として使われている。
    2. ・・「その禁忌を犯したときに自動的に災厄に見舞われるもの」、それをもってタブーと言うことができる。
    3. ・・いわゆる未開社会などを範としてタブーについて考えると、タブーの対象とされるものは、それをタブー対象であると定義している集団にとって、秩序外・制御外の事象である。
    4. ・・穢れと聖性は表裏一体であり、どちらも通常のレベルの共同体秩序の外側にある。あるいはものによっては共同体の秩序の根幹にある。これに近づくことを禁じることによって、その社会は秩序を保とうとする。根幹と外側とではまったく逆ととらえられるかもしれないが、前者を揺るがすとはつまり文化の屋台骨を突き崩すことであり、後者を疎かにすることは自らの輪郭を掻き消そうとする行為となる。理(ことわり)は「事を分ける」ことを語源とするように、外と内とを分け得ない状態に戻ることは、秩序から混沌に落ちていくことと言えよう。
    5. つまり、タブーという文化的装置によって共同体の秩序を崩す行動を差し止めるはたらきというのは、社会(共同体)を守る機能である。外的な脅威に対してというよりは、その社会そのものが自壊してしまう危険から。だからこそタブーの働きは何者かの意思によるのではなく「自動的」でなければならないのだと、観察者の目は分析する。その視点に立つとき、いかなる事象がタブーの対象とされているかを静謐に分析することは、その社会を理解するための非常に重要な点となる。避けられているものこそが、その社会の秩序の根幹に係わっているからである。
  4. 空気』を乱すことはタブーであり、そのタブーを破ることに《怯えつつあるモノ》なのだな。いじめ社会においては、空気を乱したものは排除という制裁を受けることになる。
  5. 愚かな人々というのは、タブーの故に真実を知ることを拒否する人々のことなのだな。
  6. 愚かな人々というのは、心地よいウソを信じる人々なのだが、何故に心地よいかといえば、そのウソがタブーによって護られているからだ。
  7. 愚かな人々は、『群れの中の私』『現実』の中の『私』というウソを信じる人々である。『私』『現実』の『ヒトの群れ』という《思いこみ》の中にあるというウソを信じないことは、大きなタブーなのだ。
  8. 貧しく愚かな人々は、ずるがしこい金持ちに身も心もカネも労働も捧げることが、生きるために必要なことだと信じる。それが『現実』であると思いこむ。《ちから》あるモノ《ちから》《怯えつつあるモノ》だから、そのような『現実』を認識することになる。

《怯えつつあるモノ》《知りつつあるモノ》

  1. 《怯えつつあるモノ》は、『怯えるべきモノ』を《知りつつあるモノ》である。

《怯えつつあるモノ》と《冷えつつあるモノ

  1. 《怯えつつあるモノ》は《冷えつつあるモノ》であるように感じられる。
  2. 《怯えつつあるモノ》は収縮しつつあるモノであり、収縮は身体の冷えに繋がる。

《驕りつつあるモノ》と《怯えつつあるモノ》

  1. 《驕りつつあるモノ》は(モノ世界を)知ることへの《怯えつつあるモノ》である。知ることを拒否するために、驕り高ぶるのである。
  2. 《驕りつつあるモノ》は《凝りつつあるモノ》である。固くなりつつあるモノである。《頑(かたくな)になりつつあるモノ》である。
Last modified:2007/01/28 19:06:14
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