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《共振しつつある身体》

キーワード《共振しつつある身体》

定義

《知りつつあるモノの背後者》見通していくと、《身体》に相当する《認識限界》が現れる。それを《共振しつつある身体》と呼ぶ。

  1. 《知りつつあるモノ》からの《視点》世界を見ると、《知りつつあるモノ》の背後にあるモノ《知りつつあるモノの背後者》=は空想、《思いこみ》によって想像するほかない。《知りつつあるモノの背後者》(及び《知りつつあるモノ》自身)は、《知りつつあるモノ》認識限界の先にあるモノである。
  2. 《知りつつあるモノの背後者》とは、
    1. (1)《知りつつあるモノ》が知ったことによって生じる《知った思いこみ》が発生する場所、
    2. (2)《知りつつあるモノ》の興味・関心を決定するモノ
    3. (3)《知りつつあるモノ》を困惑させたり、集中させたりするモノ
  3. しかし、認識限界の先にあるモノであっても、《思いこみ》を通して、また、それを知るための兆候と検証などを通して、見通すことはできるようになる。見えなかったモノへの《見通し》が実現することを《浄化》と呼ぶ。
  4. 《知りつつあるモノの背後者》への《思いこみ》をどんどん《浄化》していくと、最終的には混濁状態になる。そして、突然身体感覚を回復する。自己言及無限ループに陥るせいで《混濁》に至るのか? 《混濁》に至る緊張に堪えかねて、緊張の糸が切れて弛緩した状態になったときに《身体》を発見するのか? それとも、《知りつつあるモノの背後者》認識限界を超えたところに《身体》があるのか?
  5. 《浄化》は次のような段階を経る。《背後者》《思いこみの世界》を浄化していくと、《思いこみの世界》が透明化して無限遠点が見えてくる。その無限遠点《入り込み》噴出させると、次の《思いこみの世界》が広がってくる。それを無限に繰り返すと、思考停止状態になり、ついには身体感覚が現れる。((《背後者》への《思いこみ》に限らず、すべての《思いこみ》において、そのような身体感覚への復帰が見られる。全ての《思いこみ》の先には《身体》がある))。
  6. これは、《見通し》が開けたというよりは、《視点》が変化したというべきであろう。《知りつつあるモノ》からの《視点》での《見通し》が得られたわけではない。《知りつつあるモノ》への《こだわり》が消滅して、《知りつつあるモノ》自体が消滅して、新たな《視点》が生じて、身体感覚が生じた、と見るべきである。《混濁しつつある身体》からの《視点》が生まれたのであろう。
  7. しかしともあれ、その過程を《知りつつあるモノ》からの《視点》で見れば、《知りつつあるモノの背後者》の先には、《身体》があるのである。
  8. そのようにして《知りつつあるモノの背後者》の先に発見された《身体》を、近傍物理空間のなかに発見される《身体》とは区別して、《共振しつつある身体》と呼ぶ。

《共振しつつある身体》は「モノのやり方」で外界を知りつつある身体である。

  1. 《他者》に怯える時や、石につまずく時、まず、《身体》が反応して、それを《知りつつあるモノ》は知る。しかし、知る前に、《知りつつあるモノ》は背後からそれを知らされる。《身体》は外界に反応し、《体内感覚世界》を通じてそれを《知りつつあるモノ》に知らせると同時に、《背後者世界》を経由して、背後から、《知りつつあるモノ》に知らせる。そのようなモノとしての《身体》《共振しつつある身体》である。
  2. しかし、これも、そのように想定された、《思いこみ》としての『身体』に過ぎない。二つの経路の先にあるモノが同じであることの確認ができないのである。

普通のヒトが感じる《身体》というのは《共振しつつある身体》なのかもしれない。生きている身体、《生きつつある身体》というべきモノ《我》《生きつつある身体》を通じて《他者》を感じ、《生きつつある身体》を通じて《他者》ともコミュニケートする。

区別

《共振しつつある身体》タカウゴ

  1. タカウゴ《他者からの思いこみ》《動きつつあるモノ》との交互作用=ってのは、《共振しつつある身体》のことか? ○:。×:。
  2. タカウゴ《共振しつつある身体》にたどりつき、その中に入り込んだ、《内からの視点》である。タカウゴ《共振しつつある身体》《内からの視点》である。
  3. 《背後者》《知りつつあるモノ》が立てた区別に過ぎない。
  4. 《知りつつあるモノ》《視点》でないとしたら、何の《視点》なのか?
  5. タカウゴへの《視点》は、《混濁しつつある身体》からの《視点》である。(か?)。《混濁しつつある身体》《視点》からみれば、《知りつつあるモノ》の視点の方が異常である。《視点》は異なるが、同じものであろう。
  6. 《混濁しつつある身体》《共振しつつある身体》と同じか? ○:。×:《共振しつつある身体》《知りつつあるモノ》からの《視点》《混濁しつつある身体》《混濁しつつある身体》からの《視点》

《混濁しつつある身体》《共振しつつある身体》

  1. 《混濁しつつある身体》《共振しつつある身体》と同じか? ○:。×:
  2. 《共振しつつある身体》は、《知りつつあるモノ》からの《視点》での《混濁しつつある身体》
  3. 《混濁しつつある身体》は、《混濁しつつある身体》からの《視点》での《混濁しつつある身体》
  4. 《共振しつつある身体》は、《混濁しつつある身体》からの、《知りつつあるモノ》《視点》を通して(鏡を置いて反射させて)見通した、《混濁しつつある身体》

《知りつつあるモノ》からの《視点》と『共振しつつある身体』

  1. 《知りつつあるモノ》からの《視点》で見るかぎり、《共振しつつある身体》は、漠然とした感覚から得られた《思いこみ》でしかない。
  2. 《他者》に怯える時や、石につまずく時、まず、《身体》が反応して、それを《知りつつあるモノ》は知る。しかし、知る前に、《知りつつあるモノ》は背後からそれを知らされる。《身体》は外界に反応し、《体内感覚世界》を通じてそれを《知りつつあるモノ》に知らせると同時に、《背後者世界》を経由して、背後から、《知りつつあるモノ》に知らせる。そのようなモノとしての《身体》《共振しつつある身体》である。
  3. 《知りつつあるモノ》は「身体」が《背後者世界》を経由して《知りつつあるモノ》に影響を与えることを確信する。しかし、その「身体」が、《近傍物理空間》における《身体》と同じモノであることを確認することができない。それゆえに、そのような、《背後者世界》の先にあるモノ《共振しつつある身体》という名前で呼んで、《近傍物理空間》における《身体》と区別することにした、というのが事の由来。

《共振しつつある身体》《まなざし》《感じ合い》

  1. 《知りつつあるモノ》においては、基本的には《まなざし》である。《まなざし》は、獲物をとらえる場合、捕食者から逃れる場合に、正確にそのモノをとらえようとする視線のあり方である。それに対して《感じ合い》は、仲間に対する視線のあり方である。仲間の《内からの視点》を感じ取ろうとする視線である。
  2. 《知りつつあるモノ》においても、《背後者世界》を経由して、仲間との《感じ合い》を感じることができる、か? 《知りつつあるモノ》への《こだわり》が減少した状態においては、可能である。
  3. 《感じ合い》を感じる時、《知りつつあるモノ》は、《身体》《共振しつつある身体》であることを感じることができる。が、それは、《知りつつあるモノ》からの《視点》であるといえるのか?
  4. 《知りつつあるモノ》への《こだわり》が強い場合には、《知りつつあるモノ》は、《感じ合い》を、《知りつつあるモノ》を破壊する撹乱であると感じる。そして、《まなざし》によって《感じ合い》を破壊しようとする。

《共振しつつある身体》《楽しみ》

  1. 《生きつつある身体》を感じる事が出来れば、《我》の楽しみの一つは《生きつつある身体》を生かすことだということになるだろう。
  2. NG。これのどこが楽しみなんじゃ!
  3. 《仕合わせ》というのは《動き合い》である。これは、なかなか楽しい。ただ、空しさをこらえることができれば、の話。

《息しつつあるモノ》からの《視点》《共振しつつある身体》

  1. 《息しつつあるモノ》のからの《視点》から見れは、《身体》《共振しつつある身体》である。《息しつつあるモノ》《視点》では、《知りつつあるモノ》による区別は解消する。《近傍物理空間》における《身体》も、《体内感覚世界》としての《身体》も、《共振しつつある身体》も、同じ《身体》である。
  2. というか、《知りつつあるモノ》による区別(《体外感覚世界》《体内感覚世界》《背後者世界》)のほうがおかしいのだ。
  3. 《息しつつあるモノ》からの《視点》では、《身体》は、《息しつつあるモノ》を取り囲む空間の領域である。その内部を《体内世界》と呼ぶ。《身体》は他のモノとの《感じ合い》をしつつあるモノである。《動き合い》をしつつあるモノである。
  4. 《息しつつあるモノ》からの《視点》で見れば、《知りつつあるモノ》《体内世界》の一部分であり、《思いこみ》循環の一つのポイントである。その《背後者》《体内世界》にある。《体内世界》は、《体内感覚世界》と、《体内背後者世界》とに分かれるが、その区別は、《知りつつあるモノ》からの《視点》による区別であって、《息しつつあるモノ》からの《視点》においては、明確に区分できるような区別ではない。
  5. 《息しつつあるモノ》からの《視点》で言うと、《共振しつつある身体》というよりも、この《肉の塊》、と言ったほうがしっくり来る。

《息しつつある身体》《共振しつつある身体》

  1. 同じかなあ?
  2. 《共振しつつある身体》《息しつつある身体》の反対側の面であろう。陰になって見えない部分であろう。《息しつつある身体》を透明化した時に見えてくる面であろう。
  3. NG
  4. 《息しつつある身体》というのは、《体内感覚世界》の中のモノとしての《息しつつあるモノ》《身体》全体に拡張したモノ、のはずだが、直接知ができない。

《生きつつあるモノ》《共振しつつある身体》

  1. 《生きつつあるモノ》というのは《諸々のxxしつつあるモノ》の統括者として想定された《思いこみ》《諸々のxxしつつあるモノ》《背後者世界》にあるモノであろうから、同じモノかもしれない。

《体内感覚世界》《共振しつつある身体》

  1. 《体内感覚世界》《透明化》して突き当たる《身体》」を《共振しつつある身体》というか?
  2. 《体内感覚世界》を浄化しても《共振しつつある身体》には行き当たらない。別のモノである。
  3. 《背後者》の先にあるのが《共振しつつある身体》であって、《体内感覚世界》の場としての《身体》とは別のモノである。

《共振しつつある身体》と《モノたちの群れの中のモノ

  1. モノたちの群れの中のモノ》は「《息しつつあるモノ》の《認識限界》/《背後者》に置いた《浄化球》による《浄化》」から出て来たコトバ。以前の観察ではそこには《共振しつつある身体》を発見したはず。
  2. 《共振しつつある身体》と《モノたちの群れの中のモノ》とは同じモノである。《視点》が若干異なる。モノたちの《群れ》《群れのアニマ》を経由した《視点》《知りつつあるモノ》との関係を重視した《視点》
  3. 《知りつつあるモノ》《視点》と、《群れのアニマ》《視点》《知られつつあるモノ》《身体》というモノである。

《共振しつつある身体》『道徳感情論』

《共振しつつある身体》《今・ここの・このモノ》

  1. 《今・ここの・このモノ》《共振しつつある身体》である。
  2. 《共振しつつある身体》は、観察の初期の段階で、未知なるものであった。
  3. 《今・ここの・このモノ》は実感されつつある《共振しつつある身体》である。
  4. 《今・ここの・このモノ》《共振しつつあるモノ》であり、《繋がりつつあるモノ》である。
  5. 《繋がりつつあるモノ》は、うざい、重たい。重たいからといって、捨てるべきではなく、見通すべきモノである。《繋がり》《混濁》への《見通し》《繋がり》《混濁》《浄化球》

《共振しつつある身体》《浄化球》

  1. 《共振しつつある身体》への見通しを得るためには《浄化球》の強力が必要になる。
  2. 《浄化球》は体外に想定された《浄化》部分なので、《共振しつつある身体》の外部から浄化することができる。また、同時に、《共振しつつある身体》の内部からも浄化することができる。

《他者》《共振しつつある身体》

  1. 《共振しつつある身体》《他者》がいる場合には《他者の思いこみ》を感じ、《他者》がいない場合には《共振しつつある世界》を感じる。
  2. ヒトの姿はコトバである。《思いこみ》を伝達する入れ物である。

《身体》《共振しつつある身体》

  1. 《身体》《近傍物理空間》の中のモノである。《近傍物理空間》《体外感覚世界》である。
  2. 《身体》の表面(モノの表面)は体外感覚世界《近傍物理空間》)の《認識限界》の一つである。
  3. 《共振しつつある身体》は、《体内感覚世界》の背後で突き当たるはずの一つの《認識限界》である。
  4. 《身体》の表面と《共振しつつある身体》の表面とは同じはず、か?
  5. 《身体》《共振しつつある身体》とは同じ、か?
  6. 《身体》を内部から感じたモノ《共振しつつある身体》である、か?
  7. 異なる世界に同じモノがあるのか?
  8. 同じモノに対する異なる認知方法か? 体外感覚か体内感覚かの違いか?
  9. 認知方法が異なり、現れ方が異なるモノは、同じモノか?
  10. 家の外から見た家と、家の中から見た家とは同じモノか?
  11. 鍾乳洞と鍾乳洞の上の地面とは同じモノか? 
  12. 《共振しつつある身体》は鍾乳洞の中から想像した地面である。とすると、鍾乳洞の中から想像した地面と、地面の上から見た地面とは同じモノか? という問いになる。
  13. 鍾乳洞の中から想像した地面は、地中が手前にあり、地面の先に空気と空がある。
  14. 地中が手前にあり空気がその先にある地面と、空気が手前にあり地中がその先にある地面とは同じモノか?
  15. 地中が透明で空気が不可視であるような地面と、その逆の性質を有する地面とは同じモノか?

《近傍物理空間》《共振しつつある身体》

  1. 《近傍物理空間》《混濁の噴出》である。《混濁の噴出》《透明化》していくと《共振しつつある身体》に突き当たる。脳科学的な噴出

《共振しつつある身体》と「主体」

  1. 《共振しつつある身体》は日常的思考・実践的思考・目的的思考の主体である。
  2. 「主体」という概念は、たけ(tk)は知らない。

分類

Last modified:2007/09/23 05:12:22
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References:[《混濁しつつある身体》] [《他者》]